2021年12月29日水曜日
これからランチへGO~
2021年12月28日火曜日
プチヴェール
手もとにある「お献立」を見ると先附、お向、煮物椀、八寸、焼肴、進肴、強肴、食事椀止、水菓子、とある。このうちの焼肴に出てきたのは「広島ハーブ鶏レモン麹焼とサラダ」に見たこともないプチヴェールがついている。ネットで早速、プチヴェールを調べると芽キャベツとケールを交配したものらしく静岡県で開発されて誕生していた。そしてこれは世界初の非結球芽キャベツで栄養価も高く甘みがあるそうだ。
年の瀬に2時間以上かけていただくランチは何とも贅沢な気持ちになる。友だちと別れた後は県民割についてくる2000円分のチケットを持って福屋に向かう。お菓子処高木で来年の干支である寅の2種類の「干支菓」を購入する。新年を迎える準備は何もしない。が、先日、煮た黒豆とこの干支の菓子で迎える!?
今日はこれから本年最後の図書館へGO~。お正月休みに読む本を探そう。それにしても予約した本がなかなか手もとに回ってこない。皆、年末年始に本を読むのだろうか。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月27日月曜日
『新装版 播磨灘物語』(三)
今朝は薄っすらと雪が降っている。雪が積もるほど降ることはあまりないので雪を見るだけで寒くなる。こんな日は家でおとなしく本を読む、と思いたい。が、今日はこれから友だちとランチを楽しむ。
以前に読んだ『新装版 播磨灘物語』(三)(司馬遼太郎 講談社、2014年第36刷)。以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★官兵衛は少年のころから藤兵衛に仕え、骨を砕いて尽くしてきた。日常、主家のために良かれとのみ思い、強引に説いて織田家に属したのも毛利についていれば亡びを待つのみだと思ったからである。人の主たるものが、人間の情としてそういう家来を殺すということがありうるだろうか。官兵衛はふとそういうことを想いつつも、まさかと打ち消した。官兵衛を殺す者があるとすれば、それは荒木村重である。村重は自分の意志でやる。まさか藤兵衛が村重に、官兵衛があなたの許に行ったらどうか殺してくれ、と要請するとは思えない。官兵衛はこのあたり、小寺藤兵衛という男を見誤っていたであろう。(32-33p)
★「これは摂津守の言葉でござるが」と、加藤が告げたことは、悪く思ってくれるな、御着の小寺藤兵衛どのから、官兵衛を伊丹で殺してくれ、という使者が来た、村重としては殺すに忍びず、このように入牢(じゅろう)してもらった、精一杯の行為と思ってもらいたい、ということであった。……(藤兵衛というお人はそこまでに。……)という思いである。(46p)
★官兵衛は、さとりはじめていた。自然死を村重が待っているとすれば、官兵衛は自分のいのちを励まし励まして、生きつづけてゆかねばならない。堪えがたい環境であったが、(しらみでさえ、生きているのだ)と、官兵衛は思うようになった。……三木城のことも、小寺氏のことも、秀吉のことも、信長のことも考えまい、と思った。生きることのみを思え、と官兵衛は自分に言いきかせた。(108^109p)
★後年、官兵衛はこの時期、藤の花に花占いをしたという話を、家の者に語った。このことはやがて黒田家の草創の神話になり、家臣団の共通の知識になって語り継がれた。けものの檻のようなこの独房にあって、天から降ってきたような藤の蔓に花占いをしている男、という光景は、人間の光景としていかにも凄愴の気がただよう。やがてその藤に鈴のように花房のむれがさがったとき、官兵衛は天が自分を捨てていないことを心から知った。(おれは、生きるるだろう)と、静かにそう思うことができたし、ふたたび娑婆に出て人交わりができることに確信をもった。(135-146p)
★栗山善助にふと洩らして、「自分に似た者が、この世に一人はいる。わしの場合はそれがささえだった」と、いった。竹中半兵衛の才能は、栄達への野心を捨てたところに息づいていた。錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考えつづけて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明(ちょうめい)な心事をつねに持っていなければならない、と官兵衛はつねに考えている。囚われることは物の判断にとって最悪のことであり、さらに囚われることの最大のものは私念といっていい。それを捨ててかかることは、領土慾や栄達欲が活動のばねになっている小領主あがりの武士にはなしがたいことなのである。しかし半兵衛は奇跡のように、その心事をつねに、平然と保っていた。……(こういう変物は、この世で自分だけではない)ということで、ときに淋しさからまぬがれ、また安堵のような気持も持ち、あるいは支えのようなものにもなってきた。半兵衛とは、そういう存在だった。その男が死んだ。(188-189p)
★(天下は、信長を慕うか)慕わないであろう。信長は徳をもって化せねばならない段階にきているのに、逆に満天下の反感を買うようなことをやった。(信長の世は、長くはない)と、官兵衛はおもった。(207p)
★晩年の秀吉は、そのおいの関白秀次の妻子を公開虐殺するというふうに、信長に似た所行をする。もっとも信長の虐殺はかれの思想的もしくは倫理感覚の表現という強烈な側面があったが、秀吉がやった秀次の家族への虐殺は、単に精神の衰弱による物狂いのようなところがあるにすぎない。秀吉においては、そういう晩年の変化があるにせよ、かれは若いころから無用に人を殺すことがきらいで、人間に対して思いやりが深いという定評が、かれを知るひとびとのあいだにあった。(260p)
★播州人としての官兵衛は、秀吉の播州政治をよろこばざるをえない。(さほどの男ではないとも思うが、しかし地下(じげ)の者からよろこばれるという人間は織田家には他にいないのではないか)官兵衛はそう思ったりした。さらにはふと、信長において専制的な苛烈さが前面に出て生きている。そうなれば信長の世はながくつづくはずがないと官兵衛は思い、(あとは、ひょっとするとこの陽気な小男に思わぬ運がめぐってくるのではないか)とも思ったりした。(276-277p)
★平素大声を出さない官兵衛の言動が、黒田家にながく言いつたえられた逸話になり、さらには黒田家の政治哲学になった。官兵衛は盗人に言いわたしたのは罪の量刑だけであり、執行するとはいっていない。また奉行に対して怒ったおは、奉行たる者は赦してやってほしいと頼みにくるのが本筋であるべきなのに、逆に刑の執行をせまるとは何事か、ということであった。戦国期の高名な大名というのは一般に人を殺すことがすくなかったが、人命は尊い、と積極的に、思想として言ったのは官兵衛ぐらいのものかと思える。(304-305p)
2021年12月26日日曜日
「医者が取るか坊主が取るか」
3日間の屋根の修理は終わった。ところが肝心のベランダの鎖樋はまだついていない。一昨日、仕事を請け負った人はベランダの屋根もやり替えるようにと話した。近いうち見積書を持ってくるという。昨日のベランダの床の取り外し・取り付けの業者に鎖樋の話をするとベランダの屋根をやり替える際にそ樋をつけるという。その屋根も今のようなものではなく、もっといいものらしい。
工事を終えて業者が帰った後、義兄に相談するとベランダ全部をやり替えると思ったようだ。屋根だけ替えると告げると費用は掛からないらしく工事をするようにと言ってくれる。
3日間の工事であっても結構、疲れる。今年も残り少なくなった。ベランダの屋根の工事をするにしても今年中でなく来年になる。すべては見積書を見てのことになる。
親がいなくなってからもうすぐ11年になる。この間、屋根の工事を入れて3件の工事をした。ブロックとサッシの塀、水道管の取り換え、そして今回の工事である。一番費用が掛かったのはブロックとサッシの塀。次が今回になる。家に長く住んでいるとあちこちにガタがくる。人間も長く生きているとあちこちが壊れてくる。だが、今のところそれもなく元気だ。家の修理に金銭をつぎ込むので病気と代わってくれるのだろう。母はよく言っていた。お金が貯まるとよくないらしく「医者が取るか坊主が取るか」と。
病気や葬儀でお医者やお坊さんにお金を取られるよりもそれに関わらずにいつまでも元気でいるほうがいい。それには工事にかかる費用も気にしない!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月25日土曜日
『96歳のピアニスト 室生摩耶子』その2
景気づけにリベルタンゴを練習するが曲の最初からいい音が出ない。1オクターブ高いミの音から低いミを出し、つづけてレドシラシー、と吹くがシの音の8拍の息が続かない。人が家を出入りすると笛を吹くどころではなく、ただ本を読んでばかりいる。じっとしていると体に良くないと思うがこれも今日までの辛抱。読むのに時間がかかる司馬遼太郎の本も気合が入るのか楽に読める。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は先日読んだ『96歳のピアニスト 室生摩耶子』(室生摩耶子 小学館、2017年)から気になる箇所を抜粋。とくに「ずだ袋」のキーワードを拾い集めた。
★その兄は帝大に入っていくらも経たないうちに、結核で亡くなりました。……その時の母の悲しみというのはものすごく深刻で、涙を流すのを通り越したような状態だったのです。病院を出て、お茶の水橋から下を流れる神田川をじっと身じろぎもせず眺めていた母が「それでも、世の中は動いている」のひとことに、まだ14歳ぐらいだった私はその悲しみの絶望的な深さを感じました。こんな悲しみは、実際に体験しなければわからない。これが私の「ずだ袋」の原点です。以来、私は自分の経験したありとあらゆるできごと、思いを「ずだ袋」に詰め込んできました。それが私の血肉となってきたのです。 (70-71p)
★自分の経験したこと、考えていること、感情の深さ、そのすべてが奏でる曲に出てしまう。……全部さらけ出されてしまうんです。いくら表面を繕ってみても無駄なのね。ピアニストなんて哀れなものですよ。だから、「ずだ袋」が必要なのです。人生で経験して「ずだ袋」に入れておいた、喜び、怒り、悲しみ、楽しさが熟成、発酵してにじみ出ている。年を経て同じ曲を弾くたびに「なんで今まで、このことに気がつかなかったのだろう」という発見があるのも、「ずだ袋」の中身が古酒のようにこっくりと味わいを増すおかげです。(130p)
★ドイツでも長く独り暮らしをし、今も、ひとりで暮らしていて孤独を感じることはありませんが、「そうか、長生きするとこんな寂しさが待っていたのか」としみじみ思います。でも、それを嘆いてみてもどうしようもないので、こんな寂しさも「ずだ袋」の中に入れるとしましょう。(149p)
2021年12月24日金曜日
慌ただしい年の瀬
昨日は朝から屋根の工事で気ぜわしい。屋根は1階部分だけと思ったら2階もするとのこと。昨日は3名来られた。家の工事となると外へも出られない。毎日、決まった時刻にスーパーに行く癖がついている。正午になった。工事を中断してお昼を食べられるのだろう。静かになったころを見計らって近くのスーパーに出かける。外はお天気も良くて何か解放された気がして気持ちいい。屋根瓦の漆喰の塗り替えは1日で終わらず翌日も来るとのことで3時半過ぎに帰られた。
勝手気ままに生活している。我が家の工事とはいえなんと気を使うことだろう。母が生きていた頃はリフォーム、リフォームでよく工事の人が出入りしていた。今、そのことを想うとなんと母は大変な日々を過ごしていたことか。
家に関することはすべて義兄に頼っていた。ところが義兄がお願いしていた業者は事業をやめられ、頼めなくなった。これからは全部自分でやらなくてはいけない。人が出入りするということはかなりのストレスになる。いかに我がまま、気ままに毎日を過ごしていることか、この期に及んで身にしみてくる。
じっと家で我慢していると友だちがまたも電話してきて別のランチに誘われる。工事は今週で終わる。ランチは来週のことだ。どちらのランチも行くことにした。年末になっての慌ただしい工事も年内ですべて落ち着く。いい年を迎えられそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月23日木曜日
microSDカード
携帯電話の写真はmicroSDカードに保存している。ところが携帯電話からSDカードを取りだそうとするが外せない。以前の携帯からは取り外してプリントアウトができた。おかしい、と思って触っていると電話機が壊れる気がする。取り外しをあきらめてデジカメ持参でまた写しに行けばいいと思った。が、あきらめきれずパソコンでSDカードの取り外し方を探す。が、要領を得ない。
考え直してドコモに電話するとすぐにつながる。(おかしい?)、と思いながら話すと間違ってかけていた。気を取り直してドコモへTELすると以前よりも応対が早い。(なぜ?)と思ったら先に音声通話で問い合わせを録音させておいてその後に係が応対してくれる。
係は同じ機種の携帯をそばに持ってくる、と言って3分後にかけなおしてくれた。その際、SDカードにデータを保存する方法を教えてくれる。そして、言われるとおりに携帯を操作しているとSDカードはすぐに取り外せた。操作中に前の携帯で取り外していたことを思い出す。前の晩、勝手に取り外そうとしたが壊れそうな気がして途中でやめていた。やり方は前の携帯と同じだ。
SDカードを取り外すとその足でプリントアウトしに行く。プリントアウトの料金方法が変わったと係は話す。3枚ほどプリントアウトしようとしたら料金は10枚まで同じだという。10枚にするには年度違いの写真になる。が、その操作がわからず手こずっていると丁寧に教えてくれた。結果、いま必要のない以前に撮った写真もプリントアウトする。
ドコモもといい、プリントアウトのお店といい、いずれも親切だ。感動してしまった。夜になると友だちから電話があり「やっぱ広島じゃ割」を利用してランチをしようと誘われる。久々のランチ、それもディナーと思えるような金額だ。が、「やっぱ広島じゃ割」の利用で半額になるという。さらに、クーポンもつくそうだ。遠くへ遊びに行かれないので近場でのランチは嬉しい限り。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月22日水曜日
「歌川広重の東海道五拾三次と雪月花抒情の世界」を見に行く
昨日の新聞に厚労省19年調査による健康寿命が男性72.68歳、女性75.38歳と発表された。これを見て割と短い、と思った。今のところ人に頼らずに生活できている。(この年齢で健康でなくてどうする?)、と思ったりするがこれも人それぞれで外野がとやかく言えない。誰も好んで病気になるわけではない、と。父は30年余り前に亡くなった。その時の年齢は74歳。30年前の男性の平均寿命は75,6歳だった気がするので健康寿命はもっと低かったに違いない。母は95歳で亡くなったが88歳で怪我をするまでは何の病気もなく健康だった。長生きするには当然、健康でいなくてはいけない。
話は変わって昨日は朝から元気を出して県立美術館に向かう。まずは新たになった新幹線口のお店をふらつく。平日にもかかわらず広島駅ビルが解体されて新幹線口界隈はにぎわっている。久々に酔心で食事をと思ったらすでに順番を待つ人の名がずらりと並ぶ。仕方なく諦めて福屋のお店でお昼を食べる。その後、歩いて美術館に向かうがその手前にある縮景園に入る。美術館の友の会会員証にシルバーの押印をしている。それを見せると入園料は無料だ。冬なので花などは咲いていない。目的は冬支度をしている菰を巻いた樹木を写真に写すことにある。お天気も良く携帯写真で思うように写せた。
この写真を絵にしようと思った。家に帰って携帯のSDカードを抜こうとするが外せない。デジカメを持参すればよかった、と思ったが後の祭りだ。SDの外し方を後で考えよう。
縮景園側から美術館に入る。特別展は「歌川広重の東海道五拾三次と雪月花抒情の世界」である。絵の描き方が年代で変化している、と思いながらゆっくり見ていく。司馬作品にこの年代頃の作品が多い。先日読んだ『播磨灘物語』では黒田官兵衛が牢屋に入れられ手足腰を痛めて晩年は板輿に乗って戦いに挑んでいる。その場面を想像しながら広重の絵を見る。
当時の人の姿は裸同然のかっこうだ。事細かにその様子を描いている。絵の押印された落款などを見ると時代によって変化がある。司馬作品にハマっていなければこういった絵を見てもその良さがわからなかったかもしれない。というか興味深く見なかった、という方があてはまりそうだ。
観客は少ないと思って出かけたがかなりの人がいた。絵を堪能した後は美術館ロビーでしばし休憩。どういっても歩き疲れるほど歩いた。昨日の携帯万歩計は12000歩。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月21日火曜日
気ぜわしくなった
年内に予定のお墓参り、プールで泳ぐ、県立美術館へ行くの3点のうちプールが怪しくなる。お墓参りは月命日に行かれなかった。昨日は最低気温が低く冷たい朝だったがお昼になって今年最後の墓参りをする。墓地に着くと上着を脱ぐほど暖かくなる。来た道を帰らずにお宮へ向かって鳥居を抜けると家とは反対側の道を歩く。もう何十年もこの道を通っていなかった。山道のすぐそばにある3軒の家は廃屋となっている。家は傾いて今にも崩れそうだ。我が家よりも後に建てられたと思える家だが、山の影になって日も当たらずこの家を去ったのだろう。4軒目からの家から大通りまでは家が建ち並ぶ。
しばし旅気分であちこち見ながら家まで歩く。我が家に着くと携帯万歩計は5000歩近かった。家に入るや否や家の前のドラッグストアに出かける。そして図書館とスーパーへも行く。この合間に屋根の修理に関わる業者がやってくる。修理は瓦屋と瓦棒を新たに取り付ける際にベランダの床を取り外す業者が行うものと思っていた。ところが瓦棒の業者は瓦屋とは異なるそうだ。夕方になって修理の仲介をしてもらう電気屋さんが来られる。その時、ベランダ下の瓦棒と1階の屋根の瓦屋は別の業者と教えられた。瓦棒は板金屋の仕事らしい。
今朝、またも電気屋さんが来られる。工事日が増えて3日ほどかかるとのこと。予定していたプールは工事日と重なって行かれなくなった。残念!来週になれば泳ぐことも可能だが最低気温がマイナスとなっている。気温が低くても日差しがあれば泳ぎに行けるかもしれないが無理は禁物。
予定で残る美術館へは今日、見に行こう。幸い気温も15度と暖かくなりそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月20日月曜日
お笑い番組を見る
昨夜のM-1グランプリはもちろん見た。2019年に王者になったミルクボーイ。この人たちがたまたま出演していた決勝戦まじかのテレビを見て笑い転げて見たことを思い出す。それ以来、M-1を見るようになった。今年の王者は錦鯉。涙を誘う場面もあった。が、優勝して本当に良かった。他に敗者復活戦でのし上がったハライチの漫才を初めて見た。この人たちの漫才は新鮮に写った。
M-1終了後、すぐお風呂に入ってその後にある千鳥の番組を見る。いつもなら寝る時刻なのにM-1でくしくも敗退したアルコ&ピースを慰める、とかで見てしまった。この人たちの漫才は見たことはないが今後が期待される人たちだろう。
2021年12月19日日曜日
本年最後の日本画教室
2021年12月18日土曜日
『96歳のピアニスト 室生摩耶子』その1
今朝は今季一番の冷え込みらしく最低気温は1度、最高気温は8度の予想だ。今日午後は本年最後の日本画教室に出かける。寒くても今日は教室に行こう。
昨日図書館で司馬遼太郎に関する本を探していたら興味惹かれる本を見つけた。それは『96歳のピアニスト 室生摩耶子』(室生摩耶子 小学館、2017年)である。今は100歳になられている。いつも司馬作品を読んでいるのでたまに他の人のエッセイなどを読むと気分が変わる。さらにエッセイは司馬作品と違ってすぐに読める。室生摩耶子は本にブログをやっていると書いている。早速、そのブログを探すと「室生摩耶子のピアニスト生活」だった。
85歳でパソコンに興味を持ち、2006年からブログを始めている。今から15年前だ。今100歳だから85歳をひけば確かに15年前になる。109歳のダグニー・カールソンさんは100歳でブログを始めている。85歳や100歳とかでパソコンを操作するだけでも立派なのにさらにブログを続けている、とはどちらもお見事というほかない。
このお二人を思えば私などはまだまだひよこだ。室生摩耶子もダグニーさん(ホームに入るまで)も一人暮らしだ。室生摩耶子は3食とも自炊し、買い物もされるという。見習うことがまだまだ多い。なお、『96歳のピアニスト 室生摩耶子』を読んでいて「ずだ袋」というキーワードが出てくる。後日この箇所を拾ってブログにアップしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月17日金曜日
眼科へGO~
月に一度、眼科に行く。今、べつにどうこうという目ではない。が、生まれてすぐに目を患ったと聞いて育った。そのため目は特に気をつけている。病名は親から聞いて知っている。先生にそう話すと今でもその病名の患者は多いらしい。が、今はいい薬があるそうだ。
目の中に傷跡が残っていても、これから先、新たな傷は出来ないと先生に言われた。ただ、両目を患った人はめずらしい、とも先生に言われる。すべては戦後のどさくさに生まれた栄養不足がそうさせた!?
人一倍体には気をつけている。昨日はプールへ行く予定だった。が、お昼から雨になりプールは後日、改めて行く予定。プールで泳ぐのも本来の目的はただ泳げるようになるだけでよかった。それが歳を経るにつれて健康のために、となってきた。いくら健康、といっても泳ぐのが楽しくなければ長くは続かない。もう40年近く細々と水泳を続けている。泳ぐのが楽しく、それで健康維持となれば自分にとって水泳は最高のスポーツだ。
今夜から冬型の季節になるようだ。今年もあと少しとなったが元気で年を越そう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月16日木曜日
移動販売車
木曜日になると「雪やこんこん~」のメロディを流して車がやってくる。まだ暑かったころに流れる「雪やこんこん」の音に違和感を感じていた。移動販売といえばパン屋の車がある。が、パン屋の移動販売車はこれとは違うメロディを流す。「雪やこんこん」は石油を各家庭に届ける移動販売、と人から聞いて知った。その後、新聞折込に石油移動販売のチラシが入る。
チラシを見ると市内やその近郊に曜日を決めて移動販売している。我が家の辺りは木曜日のようだ。暖房として石油を使わなくなって久しい。以前、石油を使っていた頃は近所の米穀店がお米や石油を運んでくれた。が、石油を使わなくなって以降、お米はスーパーで買っている。自然と米屋さんに行くこともなくなった。何もかも買い物はスーパへ行って済ませるkとが多い。
先日100円ショップに行ってレジを済ませて包装していた。するととなりの人から「靴はどこで売っている?」、と聞かれる。隣町にあった大きなスーパーは建て替えてマックス・バリューになった。大型スーパー時代はデパート並みに大半の商品を売っていた。が、建て替わって以降は食料品のみの販売だ。そのため、先の人のように靴などを買おうとすれば広島駅まで出て行かないと買えない。
家の近所には歩いて行ける場所にスーパーなど8軒近くある。が、いずれも食料品が主である。いざ食品以外の商品を買おうとすれば広島駅辺りまで行かないと買えなくなった。石油の移動販売車が来るのを歓迎する人たちも多いに違いない。
皆、それぞれ年を取る。年々、老いぼれて行けばちょっとやそこらで石油なども持ち運べなくなる。家の郵便受けにはコンビニやスーパーなどの宅配のチラシがしょっちゅう入る。これもすべては高齢化社会を見越してこと!?家に居ながらにしてナニゴトも間に合う、と思いながらも元気なうちは外に出て買い物をしたい。買い物は一番のストレス解消、とも思ったりする。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月15日水曜日
電話番号非通知は拒否設定に
毎月1日と15日の2回、新聞のチラシとともに市の広報紙が入る。今朝の広報紙を見ると今年も頻繁に被害が出ている特殊詐欺に注意を、とメインに取り上げる。これを読んでいると詐欺をたくらむ犯人は電話番号を非通知にしてかけて来るそうだ。そこで思い当たる。我が家の固定電話にかかってくる電話にも番号非通知でかかってくることがある。
幸い我が家は詐欺被害の報告がなかった20年余り前から電話を買い替えて非通知番号の電話は拒否設定にしている。非通知設定にするとかかってくる電話は受け取る側には何の音もせず、ただ履歴だけが残る。
これにはナンバーディスプレイ対応が必要だ。国が10万円全国民に給付したとき、詐欺被害を防ぐ意味でこの金額をこれを防ぐ電話機対応にすれば、と思ったりした。いくら呼び掛けても詐欺被害は増え続ける。先日は億の単位で被害が出ていた。お金があるところには多額の被害が出ても困らないくらいのお金がある!?そう思って被害の情報を見ることもある。どういっても騙されないようにするしかなさそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月14日火曜日
レ・ミゼラブルを見る
BS・プレミアムで放映されたレ・ミゼラブルを見た。映画は一生見なくてもいいくらい好きではない。が、名が知れた映画は見てもいいかな、と思った。「レ・ミゼラブル」の本を若い頃に読んだ気もするがそれも怪しい。テレビ映画を見ていて聞き覚えのある曲が流れる。以前、テレビで見たスーザン・ボイルの「夢やぶれて」という曲だ。
ミュージカル映画だが見ていてわかりやすい。昨年、広響の会員を離れた。おのずと音楽を聴く機会が減る。お昼に開催のアフタヌーン・コンサートがあれば聞きに、と思ったりするが寒い間はその気持ちも遠ざかる。
映画のほかに一生見なくてもいいものにアニメや漫画、そしてディズニーやUSJなどもある。これらは個人的に食わず嫌いな面があるかもしれない。一度ハマればすぐに燃え上がる性格はもしかして……、と思ったりする。が、今のところ興味がない。所詮、人工的に作られたモノ・コト・ヒトがその気持ちにさせるのかもしれない。それよりも自然のままがいい。それはやっぱり旅行!?問題のとらえどころが違うと言われそうだが、それもそうかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月13日月曜日
高島野十郎の画集
先日、ピアソラの楽譜を探していたら楽譜とは関係のない画集2冊とほかにも本があった。本は別の場所に移して保管し、画集2冊は手もとに置く。この2冊は兵庫で開催された堀文子と福岡で開催された高島野十郎の画集である。本は買わないと決めていても好きな画家の画集であれば買わずにおれない。とくに高島野十郎は聞いたこともない画家だった。が、新聞の展覧会記事を見てその絵に惹かれる。この画家を知ったころはあちこちで高島の展覧会が開催された。そのうちの福岡の美術館で開催された高島の展覧会を見る。
それは2017年5月、ポーランドの旅から帰国した日だった。福岡空港から旅の荷物を博多駅のロッカーに預けて展覧会見学となる。高島の絵を見た後で買った画集は分厚い。何しろ文庫本と違って読むのも大変。しかし、改めて読んでいると高島の絵を見てのぼせ上った当時の心境になってくる。その中に描かれている絵は自分自身が風景を描くようになったためか以前に読んだ時よりも少しだけわかってきた。
本を買っても改めて読み返すことはあまりない。が、自分自身が気に入って買った本は高島の本のように何度読んでも、また何度見ても飽きがこない。いつかまた高島の展覧会があれば見に行きたい。が、さてさて……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月12日日曜日
点描写
2021年12月11日土曜日
講演を聞く
隣町で開催された講演を聞きに行った。講師は4歳の時の不注意から大型トラックに巻き込まれて右足を切断。6歳で水泳と出会って以来、たゆまぬ努力と周りのサポートに恵まれてパラリンピック出場を果たす。それは2004年のアテネパラリンピックで競泳400m自由形と100m背泳ぎ日本代表だった。今は県の職員として働き、中四国身体障害者連盟理事長として活躍されている。
その人の名は崎本龍司氏であり、講演のタイトルは「乗り越える、ということ」。会場は織田幹雄スクエアの1階ホール。織田幹雄スクエアへの入場はあるがホールに入るのは今回が初めて。
今回講演を聴こうと思ったのはどういっても「水泳との出会い」がある。この「水泳」というキーワードに惹かれて聞きに行く。講演の終わりごろになって「本気でやっていればいい人と出会える」という風なことを話された。これは誰にでもあると。これに同感する。自分としてはこれまでを振り返って(頑張っていればいつも誰かが助けてくれた)、と思っていた。が、今回、それが人との出会い、と改めて気づかされた。
講演を通して感動したことがある。それは「人生はやり直せないが挑戦は何歳になってもできる」ということ。確かにそうだ。これまでの過去はやり直せないが新たな挑戦は何歳になってもできる。
講演を聞いてあまり涙を流すことはなかったが今回はなぜかしきりに涙が流れる。頑張る人の話に引き込まれたようだ。講師が足を切断して水泳を習おうとスイミングスクールに入ろうとした。その頃は障碍者は排除されて習うことすらできなかったという。ところがしだいに世の中も変化し、本人の努力の甲斐があって27歳でアテネパラリンピックに出場するまでになる。そこにいたるまでには頑張っている姿を見た人からのサポートがあった。
久しぶりに講演会に出かけた。この1,2年はコロナ禍で講演会もZOOMなどを利用した講演会や研究会が多い。が、直接話を聞ける講演会がいい。昨日は本当にいい講演会だった。
水泳との出会いといえば自分自身もいい人に出会っている。プールに行くことをかたくなに拒否し続けたモノを強引に誘ってくれた友である。もう40年近く前のことなのにはっきりとその時のことを覚えている。まさか自分自身が水泳にこれほど長くハマるとは思いもしなかったが……。これまでを振り返って他にもいろいろな人との出会いがある。いつかそれをまとめてみたい。が、そうなったらそれが自分史になりそうだ。これに関してはブログという手段で、との思いもある。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月10日金曜日
プールへ
昨日午後はプールで泳ぐ。プールのある会館に着くとロビーがにぎやかだ。椅子に荷物を置いて受付を済ませようとしたとき、見知らぬ人が「この人にもあげて……」と言って展示物のパンフやボールペン2本、メモ用紙などを呉れた。もらったものは今日が世界人権デーとかで人権週間に合わせたパンフなどだった。
昨日も500m泳ぐ。本来ならば1キロを、と思うが無理をせず500mで、と思ったり。というかこのくらいの泳ぎだと泳いだ後、鼻水が出ない。以前は泳ぐとその後は、翌日もそうだが鼻水で悩まされた。だが、半年ぶりに泳ぎを再開してから泳いだ後の鼻水が出なくなった。鼻水も体の調子と関係する!?
泳ぎを再開して1か月くらい経つ。泳ぐ人も水中歩行の人もコロナ禍前の半数にも満たない。泳ぐ者にとっては少ない人数の方が思うように泳げるのでありがたい。利用しているプールは隣町にある。泳いだ後、我が家に向かう途中の道はどこも建設ラッシュだ。そのうちのある建設場所を見ると隣町の庁舎建設とある。令和5年の完成のようだ。そこはプールから数十メートルくらいしか離れていない。我が家と隣町は行政が市と町の違いがあるが隣町の情報はあまり入ってこない。庁舎建て替えとなればこの先もずっと市と合併せずに単独町政を敷くのだろうか。
今日午後は隣町で開催される講演会に出かける。個人的に隣町は我が家から近く、プールも無料で利用させてもらってありがたい。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月9日木曜日
再びリベルタンゴ
ピアソラのリベルタンゴを19年ぶりに練習する。なぜ19年か、というと2002年のフルート発表会で吹いている。フルートに関する履歴をWordにまとめている。それを見て19年ぶりと再度認識した。練習していて手もとにある楽譜と先日アップした動画との違いに気づく。楽譜と同じ動画を探しているとあった。その時、フルートの動画検索はYOU TUBE先生の検索画面で行うといいとわかる。ただ、フルートのYOU TUBE先生はまだピアソラの曲のアップがない。ここは他の人の動画を参考にして練習しよう。ともあれ手もとの楽譜と同じ動画のアップがあれば練習もはかどる。
といいながらもこの曲の速度はallegro moderato。そのため速い速度で吹かないといけない。が、今のところはmoderatoで練習している。練習にはICレコーダが欠かせない。パソコンから動画をICに録音する。そしてそれを聞いて練習するのだが、幸いICレコーダは速度調節の機能がある。速度をmoderato並みに変えて練習し、うまく吹ければ速度を楽譜通りにすればよい。
今日もいいお天気だ。午後はプールで泳ごう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月8日水曜日
『新装版 播磨灘物語』(二)
暖かい日が続く。今朝は最低気温9度で最高気温は16度の予想。と、今日も暖かくなりそうだ。広島県ではコロナの新規感染者がここ3週間近くゼロだ。ところが1月になれば新規感染者は1万人になる、との新聞の週刊誌宣伝がある。まるで不安をあおる宣伝見出しだ。この先を思い煩ってもどうにもならない。気にするのはやめて……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は先日、読み終えた『新装版 播磨灘物語』(二)(司馬遼太郎 講談社、2014年第29刷)から、いつものように気になる箇所を記そう。
★秀吉は、かれが天下を取るまでは別の人格だったとおもわれるほどに人間を愛した。欲得や機略で愛するふりをしたというようなものでは決してなく、心から人間が好きというふうであった。とくに秀吉の場合、その者に器才があれば、まるで宝物をあつかうように遇したが、それがたとえ敵であっても変わらず、生死の危険を冒してでも敵と交歓したいというふしぎな行動をとることが多かった。この無類といっていい秀吉の気分や体温が自然にひとにも知られるようになり、後年、信長が急死したとき、遺された織田勢力の構成員たちは、その大半があらそって秀吉を擁しようとした、秀吉はそれほどひとに対して熱っぽい。(34p)
★官兵衛の家来のほとんどが、もはや百姓のあがりである。それも年少のころに郎党になり、官兵衛の教育を十分に受けた。官兵衛は侍というのは生まれるものでなく作るものだという思想のもちぬしで、すべて手塩にヵけて育てた。その連中がいわゆる黒田武士の祖型をつくってゆくのだが、この未明の突撃のとき、どの男も面(おもて)も振らずに敵陣に突っ込んだ。「打ち捨てにせよ」と、官兵衛は目地てある。討った敵の首を挙げずに手あたり次第に突き捨て斬り捨てにせよ、という意味で、どの男も気が狂ったように敵陣のなかを駆けまわり、やがて引き鉦とともに退く。暗がりながら地の利を心得ているために、官兵衛があらかじめ指定した場所に退却し、息を入れるのである。(72p)
★木下藤吉郎は、この近江長浜城主になってから、姓まで変えてしまった。羽柴と称した。信長の奏請によって朝廷から官位をもらった。従五位下筑前守である。「筑前守」という官称は、秀吉の好みで、信長にそのように頼んだのであろう。陸奥守、信濃守、大和守など、どの国名を称しても自由なのだが、ことさらに北九州の国名を称したのは、秀吉の、ほとんど天才的もいうべきおべっかが入っていたにちがいない。信長の意図は、このころ、すでに明らかである。遠く九州まで制覇するつもりであった。(84p)
★官兵衛が播州において果している役割は、古代中国の戦国期にあらわれる外交弁舌家(縦横家)の蘇秦や張儀の働きに似ているかもしれない。張儀は戦国の諸国を遊説して、あるとき命をおとしかねないはめに遭った。その妻が、もう遊説をやめてほしいというと、張儀は舌をみせ、「この舌のあるかぎり大丈夫だ」といった、という。官兵衛はおそらくこの故事を知っていたであろう。かれは、この当時のこの階層の武士としては、学問があった。少年の日、蘇秦、張儀と言った縦横家の事歴を『史記』か『戦国策』で読み、かれらの、孤独ながらも昴然たる姿に血を沸かしたであろう。(166-167p)
★物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる。羽柴秀吉は、巨大な感受性のもちぬしであった。譬えれば、よく澄んだ池の面のようなものであるかもしれない。感受性が知能の代用をするには、私信の曇りがあってはならず、つねに高い透明度を保っていなければならない。「それではあの男が可哀そうだ」と、秀吉はよくいう。その可哀そうだという感情が、その男への配慮になり、人や物を動かして手をつくすようになる。やがてはその人物は秀吉の計算の中に入って、かれのために働くようになる。(233p)
★――上月城を捨てよ。という信長のやり方は、いかにも信長らしい。かれの思考法は徹頭徹尾、利害計算でできあがっており、計算の実行については苛烈なばかりで、なさけ容赦もない。計算の最終目的は天下布武にあり、かれはどういう計算においてもこの主題を外したことがなかった。天下に武を布くという主題意識において、信長ほど明快であった人物はほかにない。この意識からすれば、上月城は捨てるべきであり、その断において一片の感傷もない。(303-304p)
★官兵衛が、子飼いで育ててきた母里(もり)太兵衛が、その指揮者だった。後年、黒田節という今様でその逸話をうたわれた母里太兵衛が、武名を世間に知られるようになるのは、このときからである。(332p)
★(私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくるものだ)官兵衛は早くから気づいていた。官兵衛に私情があるとすれば、一つしかない。が、平素は忘れている。……官兵衛はおそらく、みずからそれを思うときでも、ひそかにはにかまざるをえないであろう。つまり、天下を得たいというこことなのである。天下を得て志を万里のそとに伸ばしたいというのはこの時代の男どもがおおかた抱いていた鬱憤であり、当然なことながら官兵衛だけのことではない。官兵衛の場合は含羞(はにかみ)をもってそれを思うだけである。(337p)
2021年12月7日火曜日
まずはリベルタンゴから
ピアソラの曲が好きだ。「天使のミロンガ」だけでなく『フルートレパートリー フルートで吹く ピアソラ曲集』に「リベルタンゴ」「 ビオレンタンゴ」「 オブリビオン」「孤独の歳月」 「アディオス・ノニーノ」の5曲がある。いずれもかなり前にさらった曲だ。このフルート譜を出してみるとピアノ伴奏譜は綺麗でもパート譜はかなり使っている。すぐにコンビニに行ってコピーする。
フルートを習う際、曲集で練習するとそれを持ち歩くだけでも重たくなる。ところがピアソラの曲集は5曲だけなので重くない。曲集をコピーせずに使っていたらかなり楽譜が傷んでいる。家での練習ではコピーした譜面を冷蔵庫にマグネットで留めて練習する。せっかくの譜面台も視力の悪さから使わずにいる。そして冷蔵庫に楽譜を留めて練習している。
以前にさらった曲であってもしばらくその曲を吹かないとすぐにはうまく吹けない。本は司馬作品全読破と同じようにフルートはピアソラの「天使のミロンガ」と先の5曲をうまく吹けるように再度練習しよう。あれこれと頭をよぎるモノ・コト・ヒト。このことに忠実になればなるほど何をし始めるか自分でもわからない。というか、これも変化があって我ながら面白いと思ったり。ピアソラの曲のうち天使のミロンガの後はリベルタンゴから練習を開始しよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月6日月曜日
『司馬遼太郎 全仕事』
図書館で借りた『司馬遼太郎 全仕事』(文藝春秋、2013年)が気に入って、この本を買おうとした。ところが本屋やネットでの在庫がない。仕方なく、この本の目次をコピーしようとコンビニへ行く。目次があれば司馬遼太郎の全作品を把握できる。目下の目標は司馬作品の全部を読破することだ。司馬遼太郎の作品を読むようにと勧めてくれた人は3年前に出かけた大連の旅で知り合った人たちだ。まさに今のこの時季に大連に出かけた。気温マイナス10数度の雪道を歩いて観光した。とくに203高地の観光は今、思い出しても厳しいものがある。その時、旅の人から『坂の上の雲』を読むようにと言われた。
これがきっかけで歴史小説を読むという楽しさを知るようになる。何が幸いするか本当にわからない。もしも大連のツアーに参加しなければ司馬作品にハマることはなかったかもしれない。その点でもいい旅となった。
ツアーの人のうち、同じ町に住む人がいる。旅から帰った翌年の夏、偶然我が家の前を通る人に声を掛けられた。大連の旅に参加した人だ。立ち話で司馬作品の話題になる。全作品読破のため150歳まで生きるつもりとその人に話す。すると、そこまで生きなくても読めると言って笑われた。
昨日コピーした目次を見ると長編小説から読んでいるので150歳まで生きなくても全作品読破となりそうだ。司馬遼太郎の本のうち「街道をゆく」シリーズは何冊か積読となっている。昨日暇つぶしに全作品を眺めているうち「街道をゆく」の外国編である『愛蘭土紀行』が目に入らない。おかしい、とずっと目次を探していると国内編の左上に外国編が載っていた。全仕事とあるから編集漏れはないと思いながらも疑ってしまった。恥ずかしい。
どうであれ、この「全仕事」にある目次の本をすべて読めば司馬遼太郎全作品の読破になる。150歳いや100歳までも生きなくてもこの調子で読んでいけばもっと早い段階で全作読めそうだ。といいながらもさらに老いぼれて行けばどうなる、と自問自答する。大丈夫、なにかに夢中になれば体も気持ちも元気で過ごせて本も読める。そう信じて……。
以下は「全仕事」の中の司馬遼太郎の講演から。
★私が小説を書く人間になってほんとうによかったと思えたのは『国盗り物語』や「竜馬がゆく』『峠』を書いたときです。人間はいつかは死にますが、そのときの「遺書」のつもりで書きました。日本人とはいったい何者か、というのが一般的なテーマなんですがね。自分が日本人について考えたことを小説にして残しておきたいというはっきりした意図で書いたのが特に『竜馬がゆく』と『峠』です。日本の現状を悲憤慷慨するとか、将来を憂うといったことではなく、幕末以来の短い間にずいぶん激しい変遷を経てきたのは、いったい何事であるか、またその中の日本人とは何者であるか。ということが非常に知りたかっただけです。そして、自分でわかった部分ができ、そのわかった部分で書いたのが、先ほどの二つの作品なんです。これら、「殉死』も入れて、自分で好きだ、といえないくらい自分の気持ちがこもっているんです。(236-237p)(特別収録「わが小説のはじまり」)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月5日日曜日
長電話
昨日午後は日本画教室の日。絵を習って家に着くと携帯に着信がある。電話の主は以前勤めていた職場の人だ。この人からは何年かおきに電話がかかる。今は石川県に住んでいるという。帰宅時刻は午後4時半過ぎ。いつもならば5時に夕飯を食べる。だが、昨日は電話が長くなって食事は6時半になった。少々遅い食事はどうでもいいことかもしれない。が、一日のスケジュールを決めているのでこの後のすべての時間配分が狂ってしまった。
会社をリストラになって早くも19年が過ぎた。勤めていた会社は他の企業と合併したため大半はリストラ組だ。長く会っていない人とも会社に勤めていた頃と同じように他愛ない話をする。これはこれで楽しい。電話の主は会社が同じだった人と連絡を取っているらしく、その人たちの情報も入る。電話で話す度、いろいろとあったが勤めていた頃は楽しかったとの話に落ち着く。
話していて面白いことに気づく。しきりにババカーと友だちは話す。それはシルバーカー、と教えてあげる。するとシルバーカーというのは知っているが長くなるのでババカーというそうだ。石川県ではシルバーカーをババカーというのかと思って聞いたら違っていた。
ほかにもいいことを言っていた。70代になれば1人でまっすぐ立って歩ければ御の字、という。これは当然のことと思っていた。が、1人で思うように歩けない人も多くいるらしい。
さて日本画。風景を描いている。膠の量が多いと発色が悪いと先生に教わる。絵が全体に暗い感じなので胡粉を混ぜて明るくする。が、それでも暗い。絵の表面下で膠が濃くなっているようだ。次回は絵具に膠を混ぜず、水だけ溶いて描くようにと教わる。これまで樹木を描いてきたが今回の絵は道がメインになるので難しい。その道も平坦でなくでこぼこ道だ。この描写が難しい。
今年の絵の教室は来週と再来週で終わりになる。来年の教室の日程表をもらった。1年が過ぎるのは早い。とくにこの1,2年は無駄に過ごした気がしてならない。これもすべてはコロナ!?何もかもコロナのせいにしてしまうのもよくない。気持ちを切り替えよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月4日土曜日
情報あれこれ
2021年12月3日金曜日
今朝の地震
先ほど新聞を読んでいると体が揺れる。(あれっ)と思ってすぐにラジオをつけると緊急地震速報だ。(今から地震?)と思ったら今度は地震が発生したとの情報にかわる。和歌山が震源地で震度5弱らしい。(広島も地震?)と思って聞いていると尾道で震度3だ。広島市内はいまのところわからないが震度1か2、だったに違いない。それにしてもラジオの情報は早い。
寒くなってきた。地震発生となれば火事が怖い。我が家は母の介護から暖房はすべて電気器具にした。それでも地震は怖い。
話は変わって昨日午後は予定通りプールで泳ぐ。コロナ禍の時代、プールに入れば寒くはないがプールから上がってシャワーを浴び、その後の着替えまでが寒い。部屋の換気でコロナ禍前のような温かさはない。1枚でも服を着れば寒くはないが……。昨日は風もなくお天気に恵まれて自転車に乗って帰る足取りは軽い。ただ、いつも思うのは大通りを我が物顔で走る車が怖い。信号に引っかかればすぐに自転車を降りる。昨日、プールまでの往路を変えてみた。が、途中から道が狭い箇所がある。危なくて自転車には乗れない。やはりこれまでの道を通るしかなさそうだ。
それにしてもプールを利用する人が極端に少ない。午後のプールは13時開館。お昼を食べてすぐに家を出る。プール到着時刻は12時45分。受付を済ませると開館10分前にはプールへ。水着に着替えるとちょうど13時ころになる。昨日も前回と同じく500m泳ぐ。泳いだ後はよく寝るものがさらに良く寝る。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月2日木曜日
夜来香も覚えた
毎日飽きもせず歌を歌い、そして本を読んでいる。歌は英語歌詞の「ケ・セラ・セラ」、スペイン語歌詞の「その名はフジヤマ」、そして最近覚えた中国語簡体字歌詞の「夜来香」である。本はといえばもちろん司馬作品。先日、司馬遼太郎の「播磨灘物語」(三)を読み終えて今はその四を読んでいる。この本は全4巻。もうすぐ読み終えそうだ。
夜来香の次はロシア語の「ポリュシュカ・ポーレ」を覚えようとした。が、ハングル同様にロシア文字はキリル文字。文字が判らずしてロシアの歌は歌えない。そう思った。カタカナ読みでの動画アップもある。が、たとえカタカナ読みで覚えても面白くない。先の3曲は歌に行き詰まると文字が頭をかすめて思い出せる。カタカナはその点がむつかしい。しばらくは覚えた3つの歌を忘れないように毎日歌うようにしよう。
今朝は急激に最低気温が下がり3度だった。日中は10度の予想最高気温だ。昨日までの強風は吹かないようなので午後はプールで泳ごう。寒くなるとプールへ行くだけでも気合が入る。幸い今日は穏やかな日となりそうだ。自転車に乗ってプールへ行こう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年12月1日水曜日
鎖樋
なおネットで調べた鎖樋とは「樋は主に雨の多い地域で利用され、雨が軒先から垂れて地面を掘り返すことを防ぐことや、建物自体を雨水の濡れから防ぎダメージや劣化から守る役割があります」とあり、さらに「『鎖樋(くさりとい)』は屋根のすぐ下に横方向に取り付けられた横樋と呼ばれる樋から地面に向かって雨水を導く縦樋の一種です」ともある。
2021年11月30日火曜日
パンダ愛
2021年11月29日月曜日
習いものあれこれ
もうすぐ師走。今年一年を振り返るには早すぎる。が、それにしても一年が過ぎるのは早い。自分の年齢に自分自身が追いついていない気がしてならない。今朝ふとこれまでを振り返る。自分自身のこれまでの経緯だと来年は何か新しいいことを始める年に当たる。10代、20代……とこれまでを振り返ったとき、新しいことを始めていた。初めに気づいたのはブログをやり始めてからになる。これまでの自分の人生で一番頑張ったと言えるのは30代。この年、新たなこととして中国語を習い始める。同じ頃、自転車に乗ることを練習。さらに水泳に挑戦と我ながらよく頑張ったと自画自賛。とはいえこれは誰もが簡単にできることばかり。それなのになぜこれほど頑張ったと言えるのだろう。
人ができる自転車や水泳が自分の中ではとても高い目標だった。40代は海外旅行開始、フルート、50代で社会人大学生になる。この年代も30代と同じくらいに頑張った。もしかしたら一番頑張ったのは50代と60代かもしれない。というのも50代、60代は社会人大学生をやりながら母の介護が重なった。その大変だった学生と介護の両輪がなくなると60代でブログ開設と日本画を習い始めて今に至る。すでに70代になった。この年代で新たなことを始める!?それは何?自分自身が思いつかないことが待っているかもしれない。そう思うと楽しみが増す。それは何か、今はわからない。ふと頭をかすめるモノ・コト・ヒト……。それは何?もしかして何もないかもしれない。が、多分何か新たなことをしそうだ。
ついでにというか10代は琴、20代はエレクトーンを習い始めた。その延長線上にフルートがある。今でも続けているのは中国語、水泳、自転車、フルート、ブログ、日本画がある。他にも40代で始めた海外旅行があるがこれは今はコロナ禍で行かれない。ここまでを振り返っても今が一番楽しいのもうなづける。大事なことを忘れている。3年前に目覚めた司馬作品全読破がある。これはライフワーク!?
ともあれ今日も元気で楽しくs後しましょう!
2021年11月28日日曜日
本の購入はダメだった
『司馬遼太郎全仕事』を買いに隣町の本屋に出かける。物心ついたころから本屋は住んでいる町にはなかった。ただ隣町には3店くらいあった。が、今は2店になった。以前は自宅最寄りJR駅前にあった本屋はとっくになくなった。まさかお目当ての本が在庫なしとは夢にも思わず、自転車に乗って本屋にいった。店主に署名を告げるとパソコンで調べてくれる。が、在庫切れで絶版とのこと。(ああ、なんということ)と思いながらお店を出る。家に戻ってネットで検索すると中古品がある。以前、専門書をネットで購入したことがあるが、今はそこまでして買わなくても、と思ったり。
家を留守にした間に電気屋さんが来られていた。電話すると再度来られた。瓦棒を新たにする際、樋はそのままでいいのかどうかが気になった。その返事で来られて、結果、樋はそのままで、となった。だが、大仕事がいつになるのか今はわからない。連絡待ちだ。
家に関することは義兄に間に入ってもらっていた。が、工事を請け負う会社が事業をやめられて頼めなくなった。そこで思いついたのが近くの電気屋だ。母が亡くなって家のことはすべて自分でやるようになった。この10年間で一番の大仕事はブロック塀を撤去してブロックとほかの材料で塀をやり替えたことがある。この時は義兄に仲介をお願いした。これは海外旅行3回分くらいの費用が掛かった。その次に水道管破裂でこれも義兄に仲介をお願いした。これは国内旅行並みの金額だった。今回は海外旅行2回分くらいの金額になりそうだ。
親が生きていた頃に何度も家のリフォームをしている。これからは家が壊れるか住んでいる人間が壊れるかの競争になる!?いずれも壊れずに、と願って……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月27日土曜日
『司馬遼太郎全仕事』を買おう
2021年11月26日金曜日
ああ、ピアソラ
穏やかな気持ちいい朝を迎える。昨日午後はプールで泳ぐ。予定通り500mを泳いだ。コロナ禍のプールは空気を入れ替えるためか換気の音や風通しを良くしていて室内は以前ほど暖かくない。更衣室も暖房が入っていないようで寒さを感じる。前回は300m、今回は500mの泳ぎだが、長く泳がなかった割には楽に泳げた。ただプールの行きかえりの自転車は気をつけているのでこの点は楽勝ではない。
プールのある館内ロビーの展示コーナーを見ると来月中旬に講演会開催のポスターがある。係に問うと主催者が役場、とのことで帰宅後、そこへ電話する。久しく講演会というところへ出かけていない。ただ、講演会の主催者が広島市でなく隣町の役場だ。電話で予約すると市内在住者もOKだった。講演を聴こうと思ったのは講演者がどうこうよりも講演会場が新たにできた建物でその場所に入ってみたい気持ちがある。
その建物の横には旧千葉家住宅がある。今朝の地元紙によると今日から特別公開するとある。今まさに紅葉が真っ盛りらしく公開するという。公開場所は家から歩いて行ける。散歩がてら行ってみよう。
話は変わって今朝のFMはピアソラ特集。朝からバンドネオンの音楽が心地いい。ピアソラは好きな作曲家でフルートでも吹ける。午後のNHKラジオ欄を見るとピアソラ特集をやるようだ。生誕100年のピアソラ。母よりも数歳若い。ということは今どきの人だ。ここでふと頭をよぎる。それは旅の最後はアルゼンチンに行きたい、という希望に燃える。ピアソラの曲は切なさの中に激しさを秘めている。これがいい。アルゼンチンに行って是非とも本場のタンゴを聞きたい。これは夢!?今年春、10年のパスポートを更新した。このパスポートをせめて1,2度は使いたい。ところがコロナ禍で海外渡航は以前のように簡単には行けそうにない。まだいったことがない近場の韓国、何度か行った台湾、そしてアカシアの咲く春の大連。せめてこの3か所を、と思ったりした。
ところがここに来てアルゼンチン、が頭をよぎる。当分いけそうな状況ではない。ただむやみやたらに年月だけが過ぎてゆく。たとえ行かれる状況になっても自分の体がそれについていけなくなるかもしれない。その時は一度も乗ったことがないビジネスを利用して……夢は尽きない。いつの日か実現するといい……。
ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!
2021年11月25日木曜日
プールの話題
今朝の地元紙、くらし欄に「プールは小さな社交場」とある。83歳の市内に住む女性の投書だ。週に3回、プールに通っているそうだが腕が痛くて泳がず、水中歩行を1時間するという。プールにいる間は仲間とのおしゃべりタイムが楽しいらしく、プールが健康維持の社交場にもなっているとか。
先日、コロナ禍で泳げなかったプールに半年ぶりに出かけて泳いだ。投書の人の「プールは健康維持の社交場」はその通り。と言いたいところだがヒト・モノ・コトすべてに慣れすぎると面倒に思えてその辺りは適当にしている。プールでは水着とキャップとゴーグルでしか人の見分けがつかない。ましてや視力がよくないのでプールから出て着替えた姿では泳いでいた人かどうかはすぐにはわからない。半年ぶりであってもプールで見覚えのある人が2,3人はいる。ただ、その人たちともあいさつ程度でそれ以上親しくなろうと思わない。それでなくてもどこに行っても人とすぐに親しくなりやすい。これはよくないと思えてきた。
今日は穏やかな一日となりそうだ。午後はプールへ行こう。そして泳ぎは500mにしよう。それにしてもプールは長く続いている。30代半ばで泳ごうと思って以降、細々と長く続けている。その間、泳ぐ間隔が一番あいたのは今年の半年ぶりかもしれない。元々はただ泳げるようになりたい、から始まった水泳が泳げるようになると楽しみに変わった。この泳ぐ楽しさがある間は何歳になっても泳げそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月24日水曜日
外国語の歌
作品展に出品した絵4点がやっと帰ってきた。絵の搬入・搬出を手掛ける画材屋さんから先日、午後2時ごろ配達するとの電話があった。ところが、昨日お昼にスーパーから戻ると玄関前に絵が置いてある。正午前に配達されたようだ。家の固定電話と携帯を見ると正午前に電話がある。すぐに画材屋へ電話して絵を受け取った旨、知らせた。それにしても何と配達時刻のいいかげんなことか。この秋は画材屋さんは忙しい、とのことだから決まった時刻に届けるのは難しいのかもしれない。
作品展は額にはめてあるガラスや強化プラスチックを外して展示する。戻ってきた絵を段ボールから取り出して額にガラスや強化プラスチックを入れて絵を入れる。この作業は自分にとってはかなりの重労働だ。6号やサムホールのような小さい絵でも重労働なのに50号や100号の人はどんな力持ち?と思ってしまう。自分自身は到底それは無理、というよりも描けないのが勝りそうだ。
夜来香を中国語簡体字の歌詞で練習している。これまで英語のケ・セラ・セラ、スペイン語のその名はフジヤマを練習して暗唱できるようになった。しかし、夜来香はこの2曲よりさらに練習に時間がかかりそうだ。メロディはわかっていてもこれを中国語の歌詞に当てはめるとうまく歌えない。中国語の歌詞は楽勝、との思いは大外れで時間は長くかかりそうだ。
そう思いながらもこれが暗唱できるようになったら次はロシア語の曲を、と思ったりする。若い頃、暇を持て余していろんな外国語を習いに行った。その中にフランス語もある。これは友だちの紹介で習うようになったが1年習ったはずなのに全く覚えていない。それというのも授業料は大学の先生のボランティアらしく無料で遊び半分に習いに行っていた。何ごとも無料というのはよくない。その点、スペイン語は自分の意志で大学の科目等履修生として学生とともに学んだので単位取得の試験も受けた。ということでフランス語のようなことはない。
そういえばロシア語も同じ友だちから教室を教えてもらって半年通った。これは市に関係ある主催で少ししか覚えていない。いろいろと習った外国語の中で一番楽勝と思えたハングル語は2度習いに行ってすぐに挫折した。すぐといっても本当に1,2度行ってハングル文字を覚える気がなくて全くダメだった。その点、中国語は英語以外では30代で習い始めて一番ハマった外国語になった。外国への目覚めも中国語がきっかけだった。当時は1980年代中頃で中国にのぼせていた。
何かにのぼせることは楽しい。今のようなネットはなく、短波のラジオを買って中国国際放送を聴くのが楽しみだった。そして投書などもしていた。今となっては懐かしい楽しい思い出。
今やネット時代。外国語もネットを利用して学べば学べそうだがもはやその時期は過ぎてしまった。若かったあの頃、やる気になっていたあの頃を思い出してマンネリ気味の今を戒める!?そのためにもまずは夜来香の暗唱が待っている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月23日火曜日
『新装版 播磨灘物語』(一)
昨日の雨から一雨ごとに冬へと季節は変わってゆく。朝刊の天気予報では曇りのち雨だが、天気は持ち直して晴れのち曇りのようだ。この秋の紅葉シーズンも今週限りで見納め!?しばらく行っていない宮島へ、と思った。が、気分が変わりそう。先日、作品展にだした絵が今日午後配達されると画材屋から電話がある。到着時刻はあてにならないので午後は家に拘束されそうだ。その前にこれから図書館へ行こう。
以下は大分前に読んだ『新装版 播磨灘物語』(一)(司馬遼太郎 講談社、2011年第19刷)で黒田官兵衛の物語。いつものように気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★当時、京都の富商の多くが法華(日蓮の教徒)になってしまっている。この宗旨は、法華経を護持していれば現生の望みはなんでもかなうと信じられたもので、商人という、生活そのものが現世利益の思想の基礎に立っているひとびとには打ってつけのものであった。さらには南無妙法蓮華経の題目を連呼すると南無阿弥陀仏の念仏における内向的な気分にくらべ、気分がひどく外交的になり、困難に向かって勇往邁進したくなるという心理的なものもあって、室町末期の商業時代のにない手たちに相応しい宗旨だったといえる。(33p)
★重隆にあてはない。妻子をつれて備前福岡を出るときは寂しかったであろう。後年、官兵衛の子の長政が筑前(福岡県)に封ぜられてここに城を築いたとき、城下の名を福岡とした。家系の者がいかに備前福岡を懐かしんでいたかということのあらわれといえるかもしれない。(46-47p)
★この若い播州の士豪の子が、京へのぼろうとおもった理由の大きな部分は、かれの想像を越える世界が、堺や京にまできているということなのである。キリシタンのことであった。(136-137p)
★ほかに、もっと鮮烈な夢がある。ローマというものの雄大な世界を、官兵衛は同時代の過敏なひとびととともに知ったということである。……世界には広趾(コーチン)国(ベトナム)もあり、呂栄(ルソン)国(フィリピン)もあるということを室町期の貿易家たちが確かめてしまっている上に、万里の波頭のむこうにはローマ世界という一大文明があることを、官兵衛はその時代の鋭敏なひとびととともに知ることができたのである。(138-139p)
★信長がこの窮状のなかで決意したのは、叡山という中世的権威の亡霊のようなこの一大宗教勢力を襲い、寺を焼き、僧俗をみなごろしにすることであった。……叡山の僧の腐敗というのはこの時代には極に達していたといわれるが、信長の元来的ともいうべき中世的な旧秩序への生理的嫌悪と、さらに生理的といえばかれの独特な倫理感覚が、平然と腐敗的状況のなかではびこっているこの一山の僧侶たちの存在を生かしがたく思った。……信長は不意を襲った。殺された僧俗は数千である。山上の根本中道、山王二十一社、霊仏、霊社、僧坊、経蔵、一つの建物ものこさずに焼いた。学僧も僧兵まがいの無頼僧も、稚児も、行者も、学生(がくしょう)も、堂衆も、ことごとく殺された。信長の特徴はその革命的気分にあり、かれは中世的権威の代表である叡山を、火と血をもって葬ったのである。(313-314p)
★かといって官兵衛は栄達欲のつよい男ではなく、どちらかといえばその点、うまれつき欠けて此の世に出てきたような気配が、かれの欠陥であるといえばそのようでもある。かれは体を裂かれても半身で生きている山椒魚のように欲望や生命力が強くなかった。たとえば備前で自立している宇喜田直家などが、その山椒魚であろう。(340-341p)
2021年11月22日月曜日
あわい(間)
今朝、地元紙を読むと「島々のあわいを、巨大なタンクが埋め尽くす奇観を……」とある。この「あわい」の意味がわからない。新聞を読んでいてカタカナ表記や略したアルファベット表記などが意味不明なことはあるが、ひらがなで意味がつかめない、とは情けない。すぐに電子辞書の出番となる。あわいとは「間」と漢字表記がある。これだけ見てすぐに意味がつかめた。コト・ヒト・モノ・色・機会などとの間がらなどといろいろとある。
言葉、といえば司馬作品を読んでいても途中で意味がわからずに躓くことがある。その際もその都度電子辞書で調べる。司馬作品は時代的なこともあって日常、使わない言葉が頻繁にある。その時はいつも電子辞書が手放せない。が、テレビなどでタレントや芸人が話すわからない言葉は電子辞書にも載っていない。ましてやツイッターやブログを見ても新語なのかどうかさえわからない若者言葉がある。その究極はパソコンに頼る。別に若者言葉を知らなくても不自由はしない。が、新聞掲載の言葉は知らないとまずいのでは、と思ったり。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月21日日曜日
日本画教室で
昨日午後は日本画教室に出かける。午後の教室は6名だが、絵よりも優先するモノ・コトがある人がいたり、また、その日のコンディション不良で全員がそろわない日がある。昨日も1人は他のことで忙しくて休みだったり、もう1人は教室に来る途中で体の不具合に見舞われたとの連絡がある。が、その人は何とか教室に着いたはいいが3時間のうちすでに2時間10分が経過しており、絵を描かずに話すだけで終わった。それでも何とか自宅に帰られたようだが、これは他人ごとではない。
今年の日本画の作品展は先日終わった。昨年はコロナ禍で作品展が開催されず習っている教室以外の人たちとは2年ぶりの再会だった。皆さん、長年習われており新たな人が習われることはあまりなく、ほぼ同じメンバーだ。会わなかった2年の間に亡くなった人や教室をやめた人もおられる。また久しぶりに出会うと(年を取られた)と思える人もいる。他の人から見れば自分自身もきっとそう見られているに違いない。そうとわかっていても(自分だけは元気)と勝手に思ってしまう。だが、人は皆、平等に年をとる。
作品展の芳名禄を先生に見せてもらった。作品展の案内を出さない人も来場されていた。もしかして習っている人の知り合いや市の情報誌を見ての来場かもしれない。
先生は来年の作品展について話される。本画2作品以外に各自、サムホール大のパステル画、鉛筆画、本画などなんでもいいのでそれを加えて出品するようにとのことだ。日本画は1年描いても作品としては数多く描けない。それくらい1枚の絵を仕上げるには時間がかかる。というか教室でしか絵を描かないのでそうなるのかもしれない。
描いているのは信州・鬼無里の風景。先週、先生から次は樹木に色を施すようにと聞いて色番を控えていた。すぐにメモしなかったのでし忘れていたのがあった。昨日、「どの色を樹木に施した?」、と先生に聞かれて色を示す。すると「もう1色の黒っぽい色も……」、と言われる。この色をメモし忘れていた。次の教室では絵全体が暗過ぎるので明るくしようとアドバイスされる。
写真をカラーコピーしてそれを真似て描いている。(まるで模写?)と言いたいところだがそこまでには至らず。模写でも何でも絵らしく描ければそれでいい。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月20日土曜日
またもドンジョン「アダージョ・ノーブル」
昨年の2月にドンジョンの「アダージョ・ノーブル」の練習する。ところがその時はYOU TUBE先生の動画のアップがなく、他の人のを見た。昨夕、何気なくパソコンを触っていると今年の2月にYOU TUBE先生の動画のアップがある。これまでアップがなかった動画を日々、更新されている。まだアップがない動画も気にかけていればそのうちアップされるに違いない。
話は変わって先日のお墓参りの帰り道に少しだけ残っている段々畑の横を通る。そのうちのひとつである横に細長い畑に男性が4人畑仕事をしていた。畑に人がいるのを見かけることはなかった。声をかけると玉ねぎを植えているという。畑を2列にして1列には6月になると300個の玉ねぎが出来るそうだ。4人組は地域のお年寄りが暇つぶしを兼ねて農作業をしているのかもしれない。「玉ねぎを植えるのを初めて見た」、と話すと「結構きつい仕事」と言っていた。2021年11月19日金曜日
臨時記号&装飾記号に躓く
新しい曲を練習していて楽譜に出てくる臨時記号や装飾記号に戸惑う。練習する楽譜の臨時記号には(ダブルシャープ・重嬰記号)や装飾記号のターンなどが多々ある。何ごともわからなくなるとgoogle先生の出番となる。ダブルシャープはピアノなどの鍵盤を思い浮かべるとすぐに理解できた。ターンは少々戸惑いながらも笛を吹いて試して理解する。さらった曲であっても同じ曲ばかりを吹くわけではない。時にいろいろな曲を吹くようにしないと忘れてしまう。それにしても頼もしいgoogle先生だ。
昨日、午前中は母の月命日のお墓参りをする。墓地入り口に人の気配がする。以前一度だけ会ったことがある人だ。若くして旦那さんを交通事故で失ったという。帰宅後、眼科へ。眼科の帰り、自宅最寄り駅に隣接するスーパーに立ち寄る。ここはいつものスーパーにない品物がある。たまに行くと物珍しさもあって楽しくなる。
帰宅後に吹くフルート。♯を付けた音をさらに半音上げるダブルシャープの音に躓く。ファの♯のダブルシャープは「ソ」だ。ピアノの鍵盤を思い出して理解する。ターンは横や縦にしたのがある。今、練習するのは横のターン。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月18日木曜日
「秋の紅葉絶景ハイライト」日帰りバスツアー
ぐるっと歩いて回る「渓聲の小道」 |
これはカラー? |
御調八幡宮 |
まさに燃える秋 絵になりそうだ |
絵にできたらいい |
2021年11月17日水曜日
「私にとっては幸せな生涯でしたよ」
昨日は 県内4か所の名所旧跡を訪ねて紅葉狩りを楽しむ。コロナ禍の中、久ぶりに出かけるバスツアーだ。かなり楽しみにしてこの日を待った。案の定、好天にも恵まれ、お日柄もよかったのか三景園と今高野山では新郎新婦の写真撮影が行われていた。
広島駅新幹線口2階にあるペデストリアンデッキに集合。久しぶりのツアーで緊張するが待てど暮らせど添乗員は現れず。(どうしよう?困った)とあたりを見た時、女性連れがいる。(もしかして同じツアー?)と声をかけるとそうだった。この人たちも途方に暮れていたらしい。集合時刻間際で添乗員が来た。その言い訳はなんとトイレが混んでいた、と。
22名のツアーはまずは三景園を目指す。ここは広島空港ができた時点で作られた公園だ。この春にもツアーで出かけたが、春の時季は秋の紅葉のような感動はなかった。今回出かけた場所は連日、新聞やテレビで話題となった。とくに佛通寺と今高野山は紅葉の美しさを連日メディアが賑わす。
1時間ほど三景園の園内を歩く。この観光だけですでに5000歩近く歩いていた。この調子だと一日、かなり歩くはず、と思ったら携帯万歩計は1万5千歩になる。空港エリアにある三景園のそのまた近くに八天堂がある。ここも今春のツアーで訪れた。このカフェテリアで早い昼食をいただく。ここはパンで有名だ。
県内のバスツアーなのでバスの乗車時間は少ない。そのためかどこの観光地についても1時間くらいのフリータイムがある。次の観光地である佛通寺に着くと紅葉の美しさに目を奪われる。本堂では特別拝観もできた。
何度も出かけている佛通寺だが、今回初めて開山堂に参った。開山堂への参道は含暉坂(がんきざか)というそうだが、時間もあるので石段を登ろうとした。後でパンフを見ると200段近い階段とある。登り始めはよかったが、途中、戻る人に聞くと急な石段があるとのこと。今回もトレッキングシューズで出かけたので足元は大丈夫。たった200段だった、とは後で言える数字だが、結構登り切るまではきつかった。とくに途中から一段の石段が高く、上まで登り切ったことで大分気をよくする。そして、まだまだどこへでも行けそう、と安堵する。
佛通寺を後にすると御調八幡宮へ。御調(みつぎ)八幡宮のある御調へは初めて出かける地だ。その後、今高野山へ行く。ここも今春に来ている。和服の新郎新婦の姿があった。真っ赤に燃える紅葉と黄や緑のグラデーションは今朝の地元紙にも紹介されている。今年の秋の紅葉を満喫した一日は終わった。まだまだ元気を出して遊びたい。
話は変わって一昨日のNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の番組最後に浅村スミ子さんが出られた。御年104歳。戦争で婚約者を亡くし、今までその人を思い続けて結婚せずに生きてきたそうだ。家を継ぐために養子を迎え、今ではひ孫も生まれてお幸せそう。2年前の102歳になる頃、自宅庭にいた時に鶴瓶が突然現れる。それから2年後の今回、104歳になられてテレビのリモートで出演された。その人が番組最後で話された言葉に出演者一同の涙を誘う。見ている者も涙なくしては見られなかった。その人曰く「考えてみればあわれな生涯だったかもしれませんが、私にとっては幸せな生涯でしたよ」。この「私にとっては幸せな生涯でしたよ」と言える人は素晴らしい。我が人生もそう言える生涯でありたい!
旅の続きは後日のブログで。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月16日火曜日
大仕事になる!?
先日、2階の掃除をしていて窓を開けた。ふと1階の屋根に目をやると外れた瓦が1枚、そばに落ちていた。すぐに近くの電気店に急ぐ。電気店と瓦は関係ない。が、昨年、電気店で2階のエアコンの室外機を取り外してもらった。その時は瓦に何ら変化はなかった。が、台風などで瓦が飛ばされたのか外れていた。瓦とは関係ない電気店にお願いしたのは外れた瓦の様子を分かってもらえそうと思ったことによる。
昨日お昼、電気店と一緒に瓦屋が屋根を見に来られた。瓦屋根はこれまでも葺き替えたことがある。だが、長年住んでいると屋根も傷むようであちこちを見た挙句、ベランダの下の瓦棒の葺き替えや屋根瓦に漆喰を施すようにと言われる。瓦棒の葺き替えにはベランダの床を外してするという。
瓦1枚外れたのにどうも大仕事になりそうだ。姉に電話すると義兄が家にいて話を聞いてくれた。傷んだ箇所はなおした方がいいとのこと。業者は見積もりをとる、と言って帰られた。コロナ禍で海外などの遠出が出来なくなった。おのずとその方面でのお金が要らない。その代わりなのか家の補修でお金がかかりそうだ。ここは病気や怪我ではないのでこれも仕方ないと気持ちを切り替える。困ったときの何とか、ではないが信頼できる近くの電気店にお願いするしかない。初めに電気店に頼んだ時、店主は「食い物以外は何でもやる」と話された。パ〇ソニックのお店なのでリフォーム全般はOKと言いたいのだろう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月15日月曜日
またも夜来香
「夜来香」を中国語の歌詞で歌えるように練習している。歌詞のなかに「莺」 と「芬芳」があり、その意味が分からない。「莺」は「鶯」の簡体字でうぐいす。「芬芳」は電子辞書で調べると「ふんぽう」とあり、「よい香り、またはよい香りを漂わせること」とある。夜来香の中国語歌詞をはじめて見たときは繁体字だった。繁体字は今、台湾で使われている。中国語は簡体字で習ったが、日本人なので台湾ほどではないにしても漢字はわかる。ところが繁体字の「擁」を日本語で読めても簡体字で書くことができない。なお、簡体字は中国本土で使われている。
社会人大学生の頃は中国語の電子辞書をもっていた。が、電子辞書は所詮、電気製品のためいつまでも使えない。手もとにあっても画面が暗く廃棄状態だ。もう1つあるスペイン語対応の電子辞書は簡単な中国語ならば調べられる。だが、これは語彙が少なく辞書としての機能は生かせない。紙の辞書もあるが電子辞書を使っていると紙の不便さを感じる。ということで最終兵器はパソコン、となる。
夜来香を簡体字でノートに書いて覚えようとした。ところが文は読めてもすぐに書けない簡体字がある。「愛」や「為」などがそうだ。愛は「爱」、為は「为」と書けば簡単なのに忘れている。これは困った、と思い直した。ノートに書いて覚えるしかない。
スペイン語の「その名はフジヤマ」をいきなりリズムを聞いて覚えようとした。が、それは無理だった。ノートに書いて意味を理解してやっとメロディにあわせて歌えるようになった。夜来香も歌えるようになるには時間がかかりそうだ。ボツボツ、覚えて歌えるようになろう。以下は夜来香の簡体字の歌詞。
那南风吹来清凉,那夜莺啼声细唱,
月下的花儿都入梦,
只有那夜来香、
吐露着芬芳。
我爱这夜色茫茫,
也爱这夜莺歌唱,
更爱那花一般的梦,
拥抱着夜来香,
闻这夜来香。
夜来香,我为你歌唱!
夜来香,我为你思量!
啊 啊 啊
夜来香 夜来香 夜来香
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月14日日曜日
『生きているのはひまつぶし』
昨日は日本画作品展が終わってから初めての教室に出かける。どの人からも作品展の話になる。先生曰く「絵が趣味の人は私も含めて変人が多いね」と。ふと思った。「絵が趣味?」と。習っているから趣味と言えるしれない。が、人に趣味と言えるほどにはそう思っていない。とは言いながらも相変わらず樹木を描いている。
作品展に出した絵がまだ我が家に戻ってこない。画材屋さんの情報によるとこの秋は急に忙しくなったそうで絵が戻るのはまだ先になりそうだ。
『生きているのはひまつぶし』「深沢七郎未発表作品集」(深沢七郎 光文社、2005年)を読んだ。いろいろと本を読んでいると人の文章を引用した箇所がある。先日読んだ本に深沢七郎の『生きているのはひまつぶし』の引用があった。これまで深沢七郎の本を読んだことがない。タイトルに惹かれて図書館で本を探すと最寄りの図書館に本があった。深沢は父と同世代を生きている。本を読むとなかなか味がある人に思えてきた。こういう人の講演はきっと含蓄のある話が聞けるに違いない。が、今は時すでに遅し。此の世におられない。以下に気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★とにかく嫌なことは忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作ることだね。そのために稼いだり、乗り物に乗って移動したりするんだから。稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間を作るための支度だからね。とにかく、生きているうちは暇つぶしがいい。ギターを弾いたり野菜を作ったりするのも暇つぶしだね。オレには生きていることが青春だからね。死ぬまでずーっと青春の暇つぶしだね。
人生とは何をしに生まれてきたのかなんてわからなくていい。三千年前に悟りを開いたお釈迦様は、”それじゃわからない”と悟ったから悟りを開いたんだね。此の世は動いている。日や月が動いているのだから人の生も死も人の心の移り変わりも動いている。人間も芋虫もその動きの中に生まれてきて死んでいくということだね。まあ、暇つぶしながら、死ぬまでボーッと生きている。それがオレの人生の道、世渡り術というものだよ。(176-177p)
2021年11月13日土曜日
『新史太閤記』(下)
今日中には『新装版 播磨灘物語』の(二)を読み終えそうだ。これは黒田官兵衛の物語で計4巻ある。残る2巻は今年中に読めれば、と思ったりする。というのもコロナ禍の勢いが衰えて家にいるよりも外に気を向けるようになった。そのため本を読む速度がかなり遅くなる。来週初めには久々に行楽の秋を満喫しに外に出る予定。何はともあれ、家にばかり閉じこもらず外に出かけるのは健康にもいい。
大分前に読んだ『新史太閤記』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年八十八刷)。またいつものように気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★おれは神を信ぜぬ――ということであった。なぜならばおれ自身が神ではないか。そういう論理での理解であった。神である証拠に地上の乱をこのように均しつつあるし、そのうえ藤吉郎の原理のなかに、どうやら愛に似たものが動いているようであった。いや、愛そのものであった。いや、愛そのものであるかもしれない。――官兵衛はよいことをいう。とおもったのは、その愛を意識的にもてばこの国を統一するもっとも大きなエネルギーになりうるのではないか。敵にさえ愛をあたえ、恨みを買わねば天下の人心は翕然(きゅうぜん)としてこの藤吉郎にあつまるのではないか。(48p)
★「古の頼朝も義経も、みな貴種の出だ。うまれながらにして武門の棟梁であった。おれをみよ。前身は尾張中村の草取り童である。御当家にあっては御草履をとる小者から身をおこした。こういう男は、唐天竺にもいまい」われながらたいしたものだとおもった。(49-50p)
★秀吉はこの種の――なんというべきか、人をおおぜい集めてやる催し(たとえていえば、のちにかれがやって後世まで語り草になった北野の大茶会や後陽成天皇の聚楽第行幸、肥前名護屋における仮装園遊会、醍醐の花見といったような)、そういうものを企画するだけでも血がわき頬がゆるむような気分になる。この信長の葬儀は、そういうことのすきなこの男の生涯における最初のそれであったであろう。「日本はじまって以来の大葬儀にするのだ」と、秀吉はいった。事実――かれがやった͡͡この葬儀の記録は、それ以前はおろか、その後もやぶられていない。(225-226p)
★ちなみに、この長浜城の城主は豊臣時代にあっては山内一豊、次いで関ヶ原ののち家康の家来の内藤信成がそれぞれ城主になり、大坂夏の陣ののちに廃城になったが、町民は秀吉を忘れず、彼の在世当時だけでなく徳川時代を通じてひそかに秀吉を追慕しつづけ、神として祀りつづけた。もっとも幕府に遠慮してその神社は表むきえびす神社であるとしていたが、祭神は秀吉であった。明治以後ようやくこの祭神を表に出し、社名も豊国神社とした。(261p)
★いままで、秀吉の意識や行動や才能をさえも束縛していた「織田家」というものが勝家の死によってかれの頭上からまったく取りはらわれた。秀吉は彼のおもうままにその政略をおこなえばよく、たれに遠慮することもなくなった。からをぬいだ蝉のように自分のその翅で自由に飛翔すればよく、すべてが自由になった。(372p)
★「参州(家康)という人は、右大臣家の死後、お人が変わられたようだ」といった。そのとおりであった。秀吉の家康観をあらためさせたのは、あの好人物であるはずの男が体のどこかにそれを蔵(しま)いかくしていたのか、人としての凄みをみせはじめていることであった。(424p)
★―ーあの男は、人を殺さない。というところにあるであろう。降服する敵将に対しては必ず優遇した。家康もいまその気になればさっさと兵を退いて降服してしまえば秀吉はかならず赦す。赦すどころか場合によっては現在の所領以上のものをくれる場合すらありうるのである。秀吉はいわば、大網をどっと海中に打ち入れた漁夫であろう。家康は、海で泳いでいるつもりでも、実は大網の中で激しくひれを動かしている魚にすぎず、魚は網のなかでできるだけ抵抗しようとしているが、いずれは上へあげられるであろう。あげられたところでその漁師は魚を殺さぬのではないかという漁師の心への奇妙な見すかしが魚自身にある。(463p)
★この時期、三河守家康の主題は戦闘であっても、秀吉の芸の主題は戦闘ではなかった。統一であった。「天下統一」というこの事業の華麗さはどうであろう。厳密な意味で日本列島は太古以来、一度も統一されたことがないといっていいであろう。鎌倉幕府も足利幕府もこの点で性格はあいまいであり、内実は多分に地方割拠であるといっていい。秀吉はすでに日本中の経済を一つにしようという、この国の歴史はじまって以来の事業にとりかかっていた。(482p)
★――三河の百姓。と、秀吉はひそかに家康の性格をそうおもっていたが、その言い方を借りるならばこの男は「尾張の商人」であろう。かれは、――土地は大名。富はおれ。と、明快に割りきり、その富を土台にしてこの大政権を築きあげようとしていた。(504p)
2021年11月12日金曜日
半年余ぶりにプールで泳ぐ
昨日午後、4月末に泳いで以来、半年余ぶりにプールで泳ぐ。自転車に乗って出かけようとすると雨が降り出す。自宅最寄り駅に行けばプールへの循環バスが走っている。駅に近づいた時点では雨もかなり降りだす。(バスに乗れば自転車をどうする?)と自問自答した挙句、そのまま自転車でプールへ。幸いパーカーを着て帽子をかぶっていた。何とか頭は濡れずにすんだ。
自転車でプールに行くのは久しぶりだ。片道20分弱の自転車だが早い人は10分もかからずにつきそうだ。が、ここは気をつけて自転車をこぐ。どういっても隣町にあるプールまでの道のりはトラックやバスなどが頻繁に通る大通りを横切らないといけない。
プールに着くとロビーで人が待っている。見知らぬおっさんが偉そうに指図する。機械に向かって体温を測れと言う。前日がプールの休館日だったので利用者が多いと予測した。ところがプールに入ると歩く人も泳ぐ人も少ない。半年ぶりに泳ぐので急に1キロ泳ぐのは危険と思った。出かける前から300m、と泳ぐ距離を決めていたので6往復で泳ぎをやめた。1キロだと20往復だが、6往復はすぐに泳げる。次回からは徐々に泳ぐ距離を増やそう。
久しぶりの水泳は何物にも代えがたいスッキリ感がある。それは体も軽くなった感じがするし頭も空っぽになった感じで気分爽快になる。家でじっとしているといい考えは浮かばない。体を動かす爽快感は何物にも代えがたい。
瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。昨日テレビのお元気なころの様子を見ていると「人の幸せは自由であること」、とか「生きるとは死への準備」、みたいなことを話していた。そのためには「やりたいことをやる」とも。他にもたくさんいいことを話されている。が、ちょっとだけ見た訃報のニュースでこの2つに惹かれた。
いつかは燃え尽きる命ならば生きているうちに「やりたいことをやる」、これに尽きそうだ。若い頃、『嵯峨野より』を読んで感動し、寂庵を訪れたことがある。あいにく不在だったが……。市内で開催された講演会へは3回ぐらい聞きに行った。講演を聞いた影響なのか自分自身、その頃から動き出した気がする。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月11日木曜日
夜来香
那夜莺啼声细唱,
月下的花儿都入梦,
只有那夜来香、
吐露着芬芳。
我爱这夜色茫茫,
也爱这夜莺歌唱,
更爱那花一般的梦,
拥抱着夜来香,
闻这夜来香。
夜来香,我为你歌唱!
夜来香,我为你思量!
啊 啊 啊
夜来香 夜来香 夜来香
2021年11月10日水曜日
2021年日本画作品展終わる(その2)
信州・親海(およみ)湿原 サムホール 日本画 |
縮景園・今年竹 F6 日本画 |
信州・戸隠高原 F6 日本画 |
釧路湿原 F6 日本画 |
2021年11月9日火曜日
「日々満足して幸せに過ごせればいい」
文を読めばそうかと思ったりする。が、「感染症の最大の抑制策は、感染者に近づかないこと」、のこのことがわからない。文としてはわかっても感染者をどうやって見分けるのか。これがわからない。まあ、嘆いても始まらないので不安をあおる場所や人に近づかないのが無難なようだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月8日月曜日
ダグニーさんはお元気そう!
2021年11月7日日曜日
2021年作品展終わる(その1)
2021年11月6日土曜日
『在宅ひとり死のススメ』
図書館に予約していた『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子 文藝春秋、2021年第4刷)をやっと確保した。本を受け取ると一気に読み終える。7年間、母の介護をした。母は3週間ほど救急病院でお世話になり亡くなった。最期まで面倒を見る、気持ちはあった。が、24時間1人で看ると寝ずにいなくてはいけない。それともうひとつ迷いがあった。いくら自分の親でも自分1人で母の最期の姿を看るのが怖かった。3週間の病院生活だったが親もこれに関しては許してくれるはず。
そういえば母は元気なころから「這ってでも家で過ごす」と言っていた。その気持ちは同じだ。最期まで母と過ごす生活を希望したのでデイサービスも施設も全く利用しなかった。これは自分自身が病院嫌いということにもよる。当然、自分自身もこの本に書いてあるように「施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい」。これは著者と同じ気持ちだ。
以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい。その準備と心構えをお伝えします。「おひとりさまの最期」を支える医療・介護・看取りの最前線も紹介。意外とお金もかかりません。私、ウエノも、最期は「在宅ひとり死」でゆくつもりです。(裏表紙より)
★この三部作(注:辻川覚志『老後はひとり暮らしが幸せ』、『ふたり老後もこれで幸せ』、『続・老後はひとり暮らしが幸せ』の三部作)の結論はこうです。「満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は、なんと独居に行き着いたのです。/老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手気ままな暮らしでありました」(33p)
★施設が合う、合わないに個人差はありますが、ホンネをいうと、わたしは施設にもデイサービスにも行きたくありません。集団生活がキライだからです。……デイサービスに行くのを勧めるのは家族のつごう、家にいてほしくないからです。だましたりすかしたりしてデイに行って、行ってみたら居心地がよかった、それから愉しみにしているひともいるのはたしかですが、自分から進んで出かけるわけではありません。保育園に送られる子供と同じです。施設の機能はそこで生活が24時間完結することです。これを全制的施設(total Institution)と呼びます。その典型が刑務所です。だから施設はある意味、刑務所のようなものなのです。しかも刑務所なら終身刑でもない限り、いつかは出て行けますが、高齢者施設は死体にならないと出て行けません……お楽しみや気晴らしも含めて暮らしが24時間施設内で完結してしまうことを、全制的施設と言うのです。(61-62p)
★最近「ケモブレイン」という専門用語を知りました。近藤誠さんの近著『このクスリがボケを生む!「ケモブレイン」にならない13の知恵』(学陽書房、2019年)に教えてもらいました。薬が原因で起きる脳障害を表す専門用語で、こういうテクニカルタームが生まれるほど、欧米では知られているそうです。そのなかに、認知症薬も降圧剤も、コレステロール降下剤も、慢性病で飲み始めると止められない薬の多くが含まれています。……もし、わたしが要介護者になったら、投薬管理などやってほしくありません。ですから講演ではこんなふうに話します。このなかの5人にひとりが認知症になるとしたら、どなたでしょうね、その方を待っている運命が、拘束か薬漬けか、ふたつにひとつだとしたら、どちらがお好き?……と。5人に一人の高齢者を待ち受ける近未来が、物理的か生理的、そのいずれかの行動抑制という名の虐待だとしたら……あんまりです。(111-112p)
★生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ。これが、食事、排泄、入浴という3大介護です。この3点セットが維持できるあいだは、生きられます。今日も目が覚めて機嫌よく一日を暮らせる……そしてそれを支えてくれる専門職のひとたちがいます。介護保険のおかげで、認知症になってもそうやって暮らしを支えてもらえる社会になったことを、わたしたちは喜べばいいのです。(136p)
★お家でひとりで死ねますか?――この問いこそが、本書で追究してきた問でした。答えは出ました。はい、できます。家族がいてもできますが、いなくてもできます。独居でもハードルは越えられます。ガンなら楽勝。認知症でもOKです。これもそれも、介護保険あってこそ。(170p)
2021年11月5日金曜日
世のなか変化している
昨日お昼前、友だちから電話がかかる。当番日に絵を見に行く予定をすっかり忘れていたとのこと。せっかくなので搬出日に会場に出向く旨、知らせてその時に早めに行って見てもらうことにした。
先日、レモンの木を切った請求書がシルバー人材センターから届いた。代金の支払いは地元銀行の振り込みだと手数料はかからないとある。早速、何年振りかで銀行窓口に行くと「印鑑は?」と問われる。「持って来てない」と答えると行員はタブレットを出して操作をはじめる。(窓口でタブレット)、と驚く。また(なかなかことが進まない、簡単には通帳を返してもらえない)と思った。コロナ禍で番号札は紙の印刷物だ。これは初めてのことで世のなか、自分が知らぬところで確実に変化している。なお、シルバー代金は4935円(剪定したシルバーさんへ3750円、残りが剪定で出た葉っぱなどの代金)と安かった。これからも何かあればシルバーにお願いしよう。
銀行の振り込みを終えて動きついでに郵便局へ年賀はがきを買いに行く。はがきを受け取る際、「早い者勝ちです」、と係は言ってミカンを3個くれた。そういえばティッシュも2つもらう。ティッシュなどはよくもらうことはあるが(ミカンはどうよ)、と思った。郵便局も世の変化にもれず変わっている!?
夜になると久々に友達から電話がある。コロナ禍で長い間、人にも合わず電話もしない生活が続いた。だが、それもコロナ新規感染者が減少すると徐々にそれも解消しつつある。電話の主は年齢的には2歳下だが、膝の半月板が損傷したという。膝が痛くなり病院に行ってやっと損傷に気づいたそうだ。膝といえば結構痛い人が多い。
今のところ、痛いところは皆無だが、いつの間にかそういうようになるのだろうか。というかいつも思うことがある。それは自分自身が全く覚えていない生まれてすぐの頃に大病を患ったと親から聞いて育った。人の一生の決まりごとがもしあるとすれば病に関しては人より早めにやり終えたのかもしれない。それで元気なのでは、と勝手に思ったりする。というか決して無理はしない。と言いながらも老いは誰もが避けられない事実。その時は今の考えとは別でそれなりに老いてゆくに違いない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月4日木曜日
気ままに過ごすと……
昨日半日は作品展の当番日。毎度のことながら作品展があると草臥れ果てる。昨日もそうだった。遊んだり、泳いだり、旅に行ったりして草臥れることがあっても、作品展の当番ほどには疲れない。これはなぜ?家で勝手気ままに生活している。何のしがらみもなく自由な生活はなんと幸せなことだろう、と改めて感じる。その意味でも年に1度はしがらみがある生活をせよ、という天の声かもしれない。勝手にそう解釈する。
搬入・搬出日も疲れるがじっと受付にいるのはそれよりもさらに疲れる。昨日は祭日のためか朝から絶え間なく来場者がある。受付前は人の塊があちこちにできる。時に「〇〇さん」と声を掛けられるが、すぐにはわからない人もいる。その人たちは以前、1度だけ教室から出かけた八ヶ岳にご一緒した人であったり、県内の美術館を巡った時に一緒だった他の先生方だったりと皆さん、よく覚えておられる。こちらは人の特徴を捉えると覚えるがそうでなければ名前を言われるまでさっぱりわからない。
昨日、いつも絵を見てくれる3人が会場に来ると話していた。が、来場者はそのうちの知人だけ。たまに会うのだからとそれぞれに手土産を用意していた。渡せなかった土産は、帰宅中、柿をくれた人の家によって渡す。すると、今度は渋柿の渋が抜けた、といってその柿をまたもらって帰る。ありがたい。遅いお昼はカフェで軽く知人と済ませる。久しぶりに会って話をする。しゃべりすぎて申し訳ない。
紙屋町で別れてエディオンで掃除機の紙パックを購入する。他にも購入するものがあるが売り場が判らない。レジの人に聞くと話した日本語がわからなかったのか、名刺入れから何やら探し物をしだす。小さく折った紙が出てきた。売り場案内の印刷物だ。手にしてみると文字が小さい。が、すぐに売り場が分かった。後でレシートを見ると中国名だ。一生懸命、お客の話す意味を理解しようとするのだろう。接客が通じた様子で嬉しそうだった。
一昨日、昨日と食事が不規則になった。今日は元通りの生活に戻してちゃんと食事をしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月3日水曜日
飛び乗った循環バスは……
市内を循環するバスがある。それはエキまちループ。循環バスはひろしま駅発で2通りある、と思っていた。ところが昨日、紙屋町へ行こうとして広島駅からそのバスに乗ると次は中電前、と車内アナウンスがある。これは紙屋町とは反対方向だ。見知らぬ人にこのバスは本通りに行くかどうかを尋ねると行かないという。すぐに中電前で下車して本通りまで歩く。目的場所の集合時刻は9時。急ぎ足で歩いて向かう。が、朝から気温も高く到着時は汗が出る。ましてやその後は作品展の初日のため業者とともに会場の設定がある。結構な立ち仕事で暑いし、足は疲れるしと大変だった。
昨年の展示会はなかった。2年ぶりの開催とあって会場もいつもの倍と広く、作品も倍以上ある。それも大作が多い。絵を習って先月で9年目に入った。習う人の動きはなくほぼ同じメンバーだ。昨日、会場設定が終わって先生の挨拶がある。見知らぬ年配者が来られていた。その人たちは絵が専門の方もおられて名誉会員として今回出品されている。いかにも絵を描く人、という感じで同じフロアに絵を展示されるのが恥ずかしい。
会場を出て本通りを通って三越に向かう。広島県のアンテナショップに立ち寄るが何も買わず。途中、カフェに入って軽くお昼を食べる。そういえば絵を習っている人から絵の会場に友だちが来るので一緒にお昼を、と誘われる。友だちとは小・中・高校時代の同級生だがどう考えても一緒に食事をしたい人ではない。絵を習っている人もその人と友だちらしい。朝から、習っている人から3人で食事を、と何度も誘われる。だが、意を決して話に乗らなかった。
三越に着くと7階の日本画展に向かう。伊藤哲の個展で江戸琳派の流れをくむ作品のようだ。ただ見て通り過ぎる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月2日火曜日
年には勝てない!?
昨日、朝一番で市に電話して大型ごみの集荷をお願いする。集荷日は2週間後だが、扇風機とストーブを出すことにした。どちらも費用は250円。コンビニに行って大型ごみの利用券を購入。その足で100円ショップに向かう。
台所の排水口のゴミ受けカバーを買った。買うのはいいのだが直径の大きさがわからない。売り場を聞いてやっと商品を見つけたのに直径135センチと145センチのものがある。以前、パソコンと光ファイバーのルータを接続するケーブルを大型電気店で買う際に使用中のものをもっていくこと、と悟った。そのはずなのにすっかり忘れて買いに行く。家に戻ってまた買いに行くのも面倒だ。考えた末、同じ大きさがほかにもある145センチを購入。家に帰って比べると大丈夫だった。ついでに付箋紙も買う。
午後、徹子の部屋に和田アキ子が出ていた。加齢により目が悪いという。目の悪さは視力もそうらしいが、加齢に伴う目の病気らしい。視力が左目0・1、とか話していた。右目は色は見えるがほとんど見えないそうだ。これを聞いて自分の目の悪さどころではないと驚くと同時にこれは大変、と気の毒になった。
視力の悪さは隠しようがないほどよくない。が、加齢がどうじゃこうじゃというほどの悪さではない。ただ視力がよくないだけ。視力がよくない不便さは誰よりもよくわかっている。が、病的な眼ではないのでこれはこれでいいかと思ったりする。とはいえ、誰もが年をとる。どこか悪くなれば加齢、と片付けられるのも嫌だ。が、これも人が老いて行く自然現象と思って気を楽にする方がいいかもしれない。といいながらもどこか悪いところがある、と言われたならば誰よりもがっくりすること間違いない。その時は「年には勝てない」、とあきらめる!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月1日月曜日
『知の旅は終わらない』その2
『知の旅は終わらない』、サブタイトルとして「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」(立花隆 文藝春秋 、2020年第2刷)を読んだ。このなかに「下関市の市民会館大ホールで『香月泰男のシベリア』と題して四時間半におよぶ大講演会をやった」とある。この講演会を聞きに行っていた。予定講演時間を大幅にオーバーして青春18きっぷで広島まで帰られなくなり、新下関から新幹線に乗って帰ったことを思い出す。講演時間は4時間くらいだったと思ったら4時間半だったとは、そして講演者も長くなったと覚えていたとは……。どういう感じの講演会だったかも鮮明に覚えている。それくらいインパクトのある講演会だった。
以下は『知の旅は終わらない』から気になる箇所を記した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★満州や朝鮮からの引き揚げ者は、殺されたり、強姦されたり、ほんとうに悲惨な目にあった人もいたんですが、北京からの引き揚げ者には命の危険なんかはなかった。というのは先に北京を制圧した国民党の蒋介石が、軍に対して「暴を以て暴に報ゆるな」と厳しいお触れを出して特別な計らいをしてくれたからだといいます。ウチの母親なんかは、「蒋介石様々でした」と述懐していました。(23p)
★哲学概念の中で、私が今も文章を書く際に指針にしているものが「オッカムの剃刀」である。オッカムの剃刀とは、中世最大の哲学者・論理学者といわれるウイリアム・オッカムが発見した思考上の大原則「不要で非合理多岐な概念はすべて剃刀で切り落としてしまえ」という不要概念切り捨て法のことだ。……オッカムの剃刀は、私に哲学の面白さを教えてくれた概念の一つだが、それは同時にものを書くときの要諦ともなった。論理的にわかりやすくスッキリがそれだ。……剃刀で切って、捨てずに残したもの。それはこのデラシネ体験であったり、知的なもののもふくめたノマド=漂流者的な生き方であったり、母親譲りのキリスト教という西欧思想の根っこの部分であることは確かなことのようです。(27-29p)
★人間の知的な営みについてひとこといっておくと、人間はすべて実体験というものが先なんです。これは何だろうという驚きがまずあって、それを理解したいから、本を読んだり考えたりするんです。これは外国文化だけの話ではありません。ひとつの文化体系を本で読むだけで勉強しようとしても、基本的には無理なんです。それはとても勉強しきれるものではない。ある文化体系を理解しようと思ったら、そこに飛び込んでその中に身を置いてしまうしかないんですよ。(110p)
★こうした文学を読んだことが僕にどんな影響を与えたかというと、第一に、ものを書いて食っていくという仕事を選んだことが、すでにその影響ですよね。読まないと文章は書けない。まず消費者にならないと、ちゃんとした生産者にはなれない。それから、文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがちなんじゃないかな。文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくるという世界でしょう。表面だけでは見えないものを見て行くのが文学ですから。それから、もうひとつ文学を読むことで得られる大事なことは、それによってつちかわれるイマジネーションです。……相手が何をまだ喋っていないかに気がつく能力、それがイマジネーションなんです。(117p)
★第一巻に入っていたのが、A・チェリー=ガラードの「世界最悪の旅」、スウェン・ヘディン「さまよえる湖」、トール・ハイエルダール「コン・ティキ号探検記」など、どれもノンフィクションの歴史に残る傑作中の傑作です。アッという間にひきこまれて、一気に読み終わり、ノンフィクションというのはこんなに面白いものかと思った。……大学時代は大江健健三郎さんにあこがれて、小説家になろうとして作品まで書いていたわけですが、ノンフィクションがあまりにおもしろかったばかりに、小説家という文字は頭から完全に消えてしまいました。そういう意味では、これも自分史としては、大転換のひとつになります。(123-124p)
★すべての人の現在は、結局、その人が過去に経験したことの集大成としてある。その人がかつて読んだり、観たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わした印象深い会話のすべて、心の中で自問自答したことのすべてが、その人のもっとも本質的な現存在を構成する。考えたすえに、あるいは深い考えもなしにしたすべての行動、その行動から得られた結末について反省と省察をくわえたすべて、あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、その人の行動パターンをつくっていく。人間存在をこのようなものとしてとらえるとき、その人のすべての形成要因としての旅の持つ意味の大きさがわかってきます。……旅は日常性の脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティ(新奇ささ)の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいきます。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と旅の後では、その人は同じ人ではありえないのです。
旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の小さな旅の、あるいは「大きな旅の無数の小さな構成要素」がもたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよいでしょう。(150-151p)
★砂漠で遺跡を見ていたころ、しばしば権力というもののはかなさを思った。遺跡というのは、みな本質的に権力の遺跡なのです。権力者が自分の権力の強大さを誇るために壮大な建造物御を作る。しかし、どんな壮大な建造物も時の流れには勝てない。やがて崩壊し、風化し、半分砂に埋もれてしまう。誰もそれを作った権力者が誰であったかなどということは記憶していません。田中角栄も同じです。あの闇将軍時代、あれほど強力な権力を誇っていたというのに、いまでは、若い人は田中角栄の存在すら知らない。つまり遺跡なのです。(198-199p)
★……大学のほうでは、僕の授業を「応用倫理学」という枠にはめ込んだわけです。「おや、応用倫理学か」と思いましたが、考えてみたら、僕がそれまでやってきたさまざまな仕事は、「人間はどう生きていくべきか」という問題をいろいろな角度から考えることに費やされていたわけなので、快くその枠組みを受け容れました。(291-292p)
★この講義以降、自分の仕事のやり方、質がそれ以前と比べて、ずいぶん変わったなと思います。改めて振り返ってみると、僕がやってきた仕事はみんな、人間はどこからきてどこへ行こうとしているのか、というテーマが底に流れているところがあったから、もともと「人間の現在」の流れの一つみたいなところがあったわけですが、この講義以後ますますそうなりましたね。(297-298p)
★『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』の多くの部分はこのシベリア取材がベースになっています。NHKの番組の背景には六十時間におよぶ取材テープがありました。番組ではその一部しか使えなかったので、そのテープのほかに、番組のために調べたさまざまの情報を全部盛りこんで、放送後に下関市の市民会館大ホールで「香月泰男のシベリア」と題して四時間半におよぶ大講演会をやったんです。NHKはこの講演を記録に残し、それを編集したものが、九六年二月二十三日、ETV特集「立花隆戦争を語る――香月泰男のシベリア」という番組になって放送されました。まあこの記録も『シベリア鎮魂歌』のベースになっています(最終的には大幅に加筆した)。(330p)
★人には衝撃的な出会いというものがあります。出会った瞬間にいっさいの言葉を失い、呆然と立ちつくしてしまうような出会いのことです。雷に打たれ、背筋に電流が走ったかのような思いがする瞬間です。一九七二年(つまり再会する十年前)、僕がこの地方をさしたる目的もなく放浪しているときに(【第六章】参照)、そうした衝撃的な出会いをしました。それは一つの彫刻で、トルコ・エフェソスのアルテミス神像でした。……夕暮れの光の中に、これまで見たこともない奇怪な女神像が浮かび上がったのです。……これは奇怪な像なのですが、恐ろしいほどの吸引力がありました。なにか強力な磁石のようなものが放射させているような気持にさせ、とにかく視線をとらえて離さないのです。魔性の力というのは、こういう力のことをいうに違いあるまいと思いました。翌日、僕はセルチュクを発ったのですが、発ってすぐに、発ったことを後悔しました。……それから十年、アルテミスの魔力はいささかも衰えず、ついに再会を果たしたというわけです。(342-344p)
★死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません。前にもヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の言葉を紹介しましたね。「語りえないものの前では伸黙しなければならない」。死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません。(400-401p)
★「……ギリシャの哲学者にエピクロスというひとがいるんですが、彼は人生の最大の目的とは、アタラクシア=心の平安を得ることだと言いました。人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての観念です。しかし、今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。結局、死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。そういう気持ちになりました」……死んだ後については、葬式にも墓にも全く関心がありません。どちらもないならないで構いません。(403-404p)
2021年10月31日日曜日
またも慌てた!
アクシデントは突然にやってくる。昨日の午後、お天気もいいので2階の掃除をしようと思い立つ。年に数回しか2階の掃除をしない。が、時々は空気の入れ替えにあがっている。2階の部屋の窓を開けて見下ろすと鬼瓦が飛んでいる。さあ、大変だ。
1年余り前に2階のエアコンの室外機を近くの電気屋さんに取り外してもらった。その時点では何の問題もなかった。急遽、姉に電話して相談する。困ったときの神頼みで電気屋さんに相談に行く。土、日は店主がいないらしく月曜日に電話をかけてくれるという。電気屋がダメならば直してくれるところを紹介してもらおうとした。
家のメンテは義兄が1級建築士なのですべてをお願いしていた。が、姉の家と我が家は少し離れており、互いに年も取ってきた。何もかもおんぶにだっこではいけない。と、考えを改める。が、変な世の中、危ない業者に頼めない。近くの電気屋さんは長年お店をされている。その点は安心だ。瓦と電気では何の関係もない。が、エアコンの室外機が瓦の上に備え付けてあったのでもしかして大丈夫か、と思った。
今朝、新聞折込に市の情報紙が入っている。隅々まで念を入れて読んでいると「おしえてコール」の電話番号がある。そのHPを見ると市政や生活に関することの問い合わせのようだ。年中無休で対応とある。これはいい情報と思った。詐欺まがいの業者に騙されないためにもこの「おしえてコール」はいいアイデアだ。外れた瓦は飛んだ、といってもすぐそばにあった。携帯で写真を撮って電気屋に見せた。早く元通りに瓦が収まるといいけど……。
2階の掃除のついでに部屋に置いていた古い扇風機と使わずじまいの新品の石油ストーブを大型ごみに出そうと下におろす。今や暖房は電機製品だけだ。この2つの処分も気になっていた。月曜日にこれを市にお願いしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年10月30日土曜日
『知の旅は終わらない』その1
好天に恵まれた穏やかな朝のひとときをかき乱す選挙カー。衆院選は選挙区の候補者の事務所が東広島市に集中し、我が家の辺りではほとんど選挙運動をしていない。ところが県知事選挙の候補者のなんとうるさいことか。朝から共〇党が家の前で車を止めて大声を張り上げる。誰が一票を投じるか、と思いながら早く帰れと言いたくなる。こんな状況が選挙日まで続くと思うと嫌になる。
立花隆の『知の旅は終わらない』を読んだ。この本は立花の自分史と思える。立花について知らなかったことが書いてある。
結婚も2度しており、初めの人との間に男児をもうける。元妻は50歳ころに癌で亡くなる。翻訳家だったようだが、亡くなる前に1か月で息子あてに本を書いた。立花は当時2度目の結婚をしていたが、病に侵された元妻からの連絡で病床に見舞う。その時、本を書いている、と聞かされて立花はそのすごさに驚く。この場面は『知の旅は終わらない』、サブタイトルとして「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」(立花隆 文藝春秋 、2020年第2刷)に書いている。この続きの『知の旅は終わらない』は後日ブログにアップする予定。
ウキペディアで立花隆を検索すると以下のような文に目がいく。
★幼少期より人の生と死の問題に関心を持ってきた。あるいは人間存在の本質に興味を抱き続けてきた。立花自身は次のように述懐している。「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」(『生、死、神秘体験』から)2021年10月29日金曜日
レモンの木の伐採その2
地元紙を読むと「庭じまい 心もすっきり」の記事がある。さらに「高齢者 足腰弱り手入れ重荷」との見出しもある。レモンの木の伐採を「庭じまい」と思ったことはない。何でも「~じまい」の言葉でひとくくりにしようとする考えが気に入らない。これは「終活」などの「~活」にも言える。ある年齢になるともう人生が終わる、とでも言いたいのだろうか。
シルバーにお願いしたレモンの木の伐採は1時間でおわり狭い庭がきれいになった。伐採後にゴミと化した枝や葉っぱ、そして幹がある。幹は3,40㎝に切ったのが4本あり、後日燃えるゴミに出す。枝や葉っぱはシルバーさんがナイロン袋に入れてくれた。これは大きなナイロン袋2袋ある。ゴミとなった葉っぱはキログラム辺り40円の費用が掛かるらしく、別のゴミ集荷業者が取りに来るという。昨日、午後2時ごろ庭を見るとすでに葉っぱなどのゴミは集荷済みだった。手でゴミ袋を下げた時、かなりの重量だった。2袋の重さが、たとえ50キログラムあるとしても2000円だ。これにシルバーさんへの伐採代が加わる。いずれにしても以前、2度ほどお願いしたような万単位の金額にはならない。
木を伐採した後、散歩中の人に声を掛けられる。隣の区から歩いて我が家の辺りまで来たという。我が家から見える山へ行きたいらしい。が、すでに1時間半歩いていて、さらにここから自宅まで歩いて帰るらしい。散歩の人は年配の男性だったが町歩きもいい運動になりそう、と刺激を受けた。自分自身は市内の区へ自転車で行こうとせず、いつも市内とは反対の町へ行く。近場の見知らぬ土地を歩く、楽しいかもしれない。
狭い庭に1本の木もなくなった。来年の夏は木陰がなくて暑くなりそうだ。花を植えようとして早速、昨日スーパーで花と野菜の土が10㎏入った1袋を購入した。自転車で持って帰ったが1袋庭にまくだけでは土は足りそうにない。ただ土は1袋税込み178円と安い。100円ショップの土は砂糖の袋くらいしかない。これからはスーパーで土を買うことにしよう。
木の伐採は終わった。ただ、木の伐採で家を空けられず、選挙応援の著名人を見に行かれなかった。残念。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年10月28日木曜日
レモンの木の伐採その1
シルバーから電話があり今日の午前中にレモンの木の伐採に来るという。切ると決めれば何も躊躇することはない。が、人が我が家にやってきて伐採が終わるまでが気になる。何ごとも気になることが終わればどういうこともないのになぜか気にしてしまう。
母の米寿の祝いにと姪がくれたレモンの木。地に植えてから18年になる。8年間は実を点けなかったレモン。が、以前にお願いしたシルバーからリン酸カリウムの肥料を撒けば実がなると教わった。すぐにそれを撒くと翌年から実をつけだした。年ごとにレモンの実は増え続け100個実ったこともあった。そのレモンの木を今年になって伐採する気になった。2,3月ころレモンの木が茂るので3分の1くらいほど枝を切った。幹のてっぺんを切りたかったがどうやっても自分の手に負えない。横を切れば縦にどんどん枝を伸ばす。この時点でレモンの木を伐採しようとなった。
もう何十年も前になる。小さい頃に同じ場所に橙が植えてあった。実をつけていた橙は大きくなって父が伐採した。庭はもともと畑地だったせいか何でもすぐに大きくなる。レモンを切れば庭の木はなくなる。狭い庭に次は花を植えよう。
1年余り前に小さい鉢植えのペペロミアを買った。いつの間にかそれも大きくなり鉢も変えて今では3鉢に植えている。先日は室内に置いているベンジャミンを我流で剪定した。切った小枝をコップに入れた水に差していたら根が生えた。1本は水栽培し、もう1本は鉢に植え替えた。どちらも新たな芽を出して葉っぱになっていく。
手入れをせずしてもなんでも植えれば大きくなる。テレビを見ているとコロナ禍のこのご時世、有名人などは植物を育てる、と話していた。この気持ち、よくわかる。手入れをしないといっても毎日手に取って眺めていると大きくなってゆくのがわかる。これがいい。本来ならば花が咲くものがいい。これは手入れが大変そうだ。が、レモンを切れば花を植えるスペースができる。花を植える!?その前にレモンの木の伐採が待っている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記
この時季はレモンを切るのでなくレモンが実るころだ。ところが今年の冬に大幅に枝を切って以来、葉っぱばかりが茂ってレモンは実をつけていない。去年はかなり実ったがもうこれからはそれもない。
2021年10月27日水曜日
何と間抜けな……
近所の人からいただいた干柿を食べていた。貰ってから冷蔵庫に入れたためか干柿が硬すぎる。二口目を口にした瞬間に前歯の差し歯が外れた。ああ何と間抜けなことか。時刻を見ると正午過ぎだ。すぐに歯科へ急ぐ。慌てて家を出た。すぐに保険証を持参していないと気づく。家の鍵を急いで開けて保険証をもって自転車で歯医者へいそぐ。すぐに診てもらった。といっても心はざわつく。もしかして入れ歯になる!?
外れた歯を持参した。レントゲンを撮って歯の根が大丈夫だったのかすぐに外れた歯を元通りにしてもらった。鏡を見せられてホッとする。しばらくすると他の患者が2名やってきた。その頃には気持ちも落ち着く。
選挙で東京から応援に著名人が駆けつける話になった。明日の午前中、地元最寄り駅広場に来るそうだ。歯医者の先生は木曜日が歯科の休日なので見に行くと話される。看護師も受付も患者も皆、ミーハーになって話が盛り上がる。もしも歯が元通りにならなかったならば面白い話であっても加われなかった。ところが歯も落ち着いて話に加わる。
定期的に通っているのは眼科だけ。だが、歯科もアクシデントに見舞われると通うことになる。幸い、眼科、歯科の両先生はいい先生なのでずっと診察を続けてほしい。そう願う。が、ともに若い先生ではなく80代と70代だ。自分自身が生きている間は診てほしい、と思っているがさてさて。
あとで気づく。慌てて家を飛び出したので玄関の鍵は掛けて出たけど窓は全部開けていた。幸い何もなくてよかった。が、危ない、危ない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年10月26日火曜日
朝からあれこれと
12月に予定していた南の島の旅をキャンセルした。新聞広告で旅の募集を見ると以前にはなかった参加条件が記される。それも見るたびに一定した条件でなく微妙に異なる。旅の催行も決まっておらず、ここは潔くやめようと決めた。何か心に引っかかることがあると旅に出ても楽しくない、そう思った。これは別に旅だけでなくあらゆるモノ、コト、ヒトにも当てはまる。自分の気持ちに正直に行動しないと怪我のもとだ。
一度決心すると迷わない。気持ちがさっぱりする。今日は昨日と打って変わって秋らしい好天だ。先週は美術館巡りやコンサートなどでよく動いた。なまっていた体を徐々に動きモードにしてプールへと気も焦る。電話で確認するとプール利用も以前の状態でなく、週2日程度しか利用できない。ということで元のようには簡単に泳げそうにない。気持ちを切り替えて他の面で楽しみをみつけるしかなさそうだ。
今日はこれから図書館へ。そして店内改装で休みだった生協が20数日振りでオープンした。お店に行ってみよう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年10月25日月曜日
久々のコンサート
今朝8時半頃、電話が鳴る。シルバー人材センターからだ。レモンの木の伐採費用が剪定する人から出されたという。これまで隣町で2度お願いしたよりも格段の安さだ。ただ、切って出る葉っぱなどは別の業者が集荷に来るとのこと。それはキロ単位で値段が変わるそうだ。ともあれ、伐採をお願いした。
昨夕、知人が出演するコンサートに出かけた。コンサートから帰るや否やチャイムが鳴る。近所の人だ。「柿が好き?」と聞かれる。渋柿だ。これを「干柿にする?」とも聞かれる。「干柿は出来ない」と言った。あれこれ話していると渋柿の渋を抜きたいのでその方法を教えてくれ、と言われる。パソコンで検索して教えてあげた。その後、渋を抜くための焼酎を買いにお店に行ったが量が多くて別のお店を物色するという。その際、干柿と熟した柿をたくさん持ってきてくれた。
以前、母を介護していた時、車いすに乗せそびれたり、何かのはずみでお尻が床に着いたとき自分の手ではどうしても母を起こせなかった。そんな時、柿をくれた人に電話して助けてもらった。その家も親を介護されていて要領を得ていた。近所に親切な人がいると本当に助かる。
柿を貰って話を続けているとレモンの伐採になった。シルバーに頼んだと話すと切ってあげたのに、といわれる。また伐採はもったいないとも言われた。この言葉はありがたかったが、すでにシルバーに頼んでいる。何かあったら、と声をかけてもらうだけでありがたい。
話は昨日のコンサートになる。知人にもらったチケットを持って久々にコンサート会場へ行く。受付を済ませようと並んでいると後ろの人が花束を抱えている。その後ろの人は花束が綺麗云々と話している。振り向いて花束を見ながら何も持ってこなかったことが頭をかすめる。その時、知人がやってきた。とっさの言葉が「何も持って来んかった!」と。自分でそう言った後、第一声に発する言葉ではなかったと悔やむ。挨拶とお礼が先のはず、と。
「希望の光コンサート 未来へ」と銘打ったコンサート。その前半と後半始めはワーグナーやモーツアルトの曲の演奏があり、締めの曲は「ふるさとの四季」とのタイトルで日本の抒情歌の合唱だった。「ふるさと」ではじまり、その間に抒情歌があり、最後にまた「ふるさと」で終わる。「ふるさと」は母を亡くして以降、涙なくしては歌えなくなった。
久々のコンサートだった。演奏、合唱、そして指揮者はよく知った人たちが多い。いい演奏会だった。中でも歌はこの季節に相応しい曲だった。家に帰ってメールで知人に失言を詫びる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年10月24日日曜日
県北の美術館巡り
10人乗りのワゴン車をチャーターして県北の2つの美術館を巡った。同乗者は日本画の先生を中心とする教室の生徒や先生の仲間である。まずは県北の三次の美術館で開催中のホキ美術館名品展に行く。今回はホキ美術館所蔵の写実絵画が中心の展覧会であり、五味文彦の「木霊の囁き」に魅せられた。木霊とあるように樹木の絵である。今、日本画を描く際、樹木にハマっているので気に入ったのかもしれない。以前、県立美術館で魅せられた磯江毅の絵もあった。常設展は奥田元宋の絵画だが秋に相応しい紅葉の絵が展示されていた。
13時までの集合までフリータイム。絵を見た後は近くの物産展やワイナリーに行く。土曜日とあって多くの人出だ。まずはお昼を、と思って物産展の食事場所に向かう。受付で名前を書いて待つが埒があかない。これでは集合時刻に間に合わなくなる。先生たちはもしかして美術館のレストランで食事?と思って電話で確認するが先生も他の人も電話がつながらない。後で聞くとレストランもいっぱいで物産展でランチを食べたとのことだった。同じ物産展愛でも先生たちの食べられた場所と自分が食べようとしたところは違うようだ。
仕方なく物産展内でお弁当とお茶を買って外のベンチに座って食べる。後でほかの人に聞くと同じようにベンチで食べたという人がいた。聞いた人はベンチも人が多くて座れず他の場所のベンチを探して食べたという。
車は八代の丘美術館へ向かう。ここの美術館は小さい棟が十数棟あり、1年間、貸切っての展示会場となる。日本画の先生も1棟を貸切って1年を3期に分けて展示される。今回は2期目で大作が並ぶ。まるで別荘のようで絵を見た後は控えの部屋に入ってティータイムが始まる。ここで顔なじみでない人と知り合いになる。大半は顔なじみの教室の人たちだが。
秋晴れの行楽日和の一日だった。9000歩とよく歩いた。ただ、せっかく県北に行ったのにススキやコスモスが生えている場所に行かれなくて残念。美術館の周りはどこも駐車場でコスモスやススキといった風流さは見られない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記
美術館巡りを終えて広島に向かう車内で電話が入る。番号を見ると前日、家の固定電話に4度もかかってきた人からだ。恐る恐る無言で電話に出るとシルバーの人だった。事務所を通さず、直接剪定する人からの電話に驚く。シルバー人材センターから携帯の番号を聞かれていた。ともあれ変な電話でなくて一安心。昨日のメディアによると竹原市の60代の人が4800万円も詐欺に騙されている。フリーダイヤルと同じく090も慎重にならざるを得ない。変な世の中になった。竹原の被害者は携帯電話のショートメールで被害に遭っている。
2021年10月23日土曜日
『新史 太閤記』(上)
先日、画材屋さんから22日のお昼過ぎに作品展に出品する4点の絵を取りに行く、と電話があった。ところが昨日に限って朝7時過ぎから090で始まるわけのわからない電話がかかる。それは一度でなく時間を置いて何度もかかる。(もしかして画材屋さん?)と思った。が、(この電話は何か違う)、と思って電話に出ない。お昼を過ぎても絵を取りに来られる気配がない。画材屋に電話するも電話がつながらない。午後2時半、やっと画材屋さんが来られた。お昼過ぎを、勝手に正午すぎと思い込んだ自分が悪いのだか、人を待つのは草臥れる。
業者に絵を渡すとすぐに買い物に行く。一歩外に出ることがなんと自由なことか。自転車に乗っても気分がいい。昨日は人を待つという拘束状態の半日だった。朝から何度もかかる090の電話は選挙目当てかもしれない。
以下は先日読んだ『新史太閤記』(上)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年第九十六刷)から気になる箇所を抜粋した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★余談ながら、のちに豊臣秀吉になるこの男は、ずいぶんと話好きの快活な男で、多少法螺(ほら)も吹き、自分の若年のころの自慢話や苦心談などあけすけにいう男だったが,ついに十代のころの話だけは、「尾張中村の名もなく百姓の子にうまれ、幼いころ寺に入れられたが、途中で抜け、その後ほうぼうを放浪した」というのみで、具体的な話はほとんど語ったことがない。語るにはあまりにも悲惨な事が多かったためだろう。自然、太閤伝記の作者たちは、太閤のこの時期を知っている者たちの語り継ぎを記録するしかなかった。(67p)
★ちなみにこの時代、公式の黄金通貨というものはない。それ以前にもなかった。官製の黄金通貨は、この猿が天下をとって日本史上もっとも強力な統一国家を作ったとき、はじめて官製による「慶長大判・小判」を鋳造流通せしめたのが、最初である。……(矢作の薬王子(やこうじ)の優美と、この駿河の黄金(こがね)は生涯わすれぬぞ)と、猿はその冷たい手触りを味わいつつ、しんしんと思った。……猿の生涯の夢といえば、将来、いつの日か、馬に騎れるほどの身分になり、腰の袋に永楽銭を二十枚、つねに持っている分限になってみたいということだけであった。(80-82p)
★数日して猿は信長の草履取りになった。猿の運のよいことに、ほどなく足軽の欠員ができたため、浅野又右衛門の組子になり、長屋を一つ貰った。その欠けた足軽が、「藤吉郎」という名であったため、その穴を埋めた猿も自然織田家の習慣によってそう呼ばれることになった。もっとも名だけで、足軽には姓というものはない。(132p)
★ちなみにまくわ瓜とは、美濃本巣郡真桑という村でとれる。それで真桑の名がある。まくわはアフリカが原産地でインドに伝わり、東へ伝わってシナに入り、西域の美果とされた。やがて朝鮮に南下し、わが国の応神帝のころ朝鮮からの帰化人がこの瓜のたねをもたらしたという。それが美濃本巣郡真桑村の砂の多い畑に適ったらしく、ここの特産になった。織田信長が美濃をわがものにしたとき、この瓜を朝廷へ献上した。……それほどに、美濃の真桑瓜は諸国で貴重なものとされた。(254p)
★調略の才である。(猿の調略は、すてたものではない)信長は、そう思った。……猿のやり方を見ていると、まるで逆であった。最初から最後まで調略、調略であり、合戦はその一部にすぎない。(ふしぎなやつだ)と信長が猿をそうおもったのは、その点であった。……、事実、信長はこの時期から、調略外交に専念しはじめている。(猿から教えられた)と、ひそかに信長はおもったが、口には出さなかった。(279-280p)
★(猿は、こういう男だ)信長の藤吉郎観が、このときに確立した。こういう実体(じってい)さ、可憐さ、潔さがなければ、猿は所詮、ペテン師であったろう。それを信長は思った。ここ十年手飼いにし、人がましくやった礼に、猿はいま織田軍の壊滅を防ぐための人柱になろうというのである。(328p)
★――猿め、殿様をうまうまとあやすことよ。と、人々は嫉むだが、猿にあってはあやしているつもりはなかった。信長はいかなる人間にも騙される男ではない。この男ほど人に騙されぬ男も、史上に類がないであろう。猿はその信長の炬のような眼光を知っているために、騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂を込めて信長のよき道具になろうとしているにすぎず、それ以外の雑念がなさそうなことを、たれよりも信長自身が見抜いていた。猿が天下に対し別念をおこすにいたるのは、信長の死を見て以後のことであった。(350p)
★赤飯を強飯(こわいい)ともいう。浅いの旗の赤さと強飯をかけたあたり、このやりとりはどうみても近江人の勝ちであろう。(370p)
★「猿、すぐ姓を変えろ」信長も、多少家中の思惑を感じとったらしい。なににしてもいままでの木下藤吉郎では御小人頭で大瓢箪をかついで駆けまわっていた頃の印象がつよく、それが近江半国の俄大名とあれば人々も軽んじ、猿も落ちつかぬであろう。信長は猿を土くれの中から拾いだしたが、この猿を人がましくするために、足利家の貴紋を呉れてやったり、いまはまた姓まで作ってやろうとしている。(372p)
★名乗りの秀吉はもとのままである。これによって新称は「羽柴藤吉郎秀吉」になったが、ただし信長は「筑前守(ちくぜんのかみ)」を私称することを許し、翌々年、朝廷に要請して、それを公認の管称にしてやった。(373-374p)
2021年10月22日金曜日
白菜の季節到来
2021年10月21日木曜日
「追悼 其阿弥赫土展」を見に行く
2021年10月20日水曜日
『知の旅は終わらない』
読んでいる『播磨灘物語』は黒田官兵衛を主とする小説である。その(一)をもうすぐ読み終えるのでその(二)を借りに図書館へ行く。コロナ禍の影響なのか館内で本を読む人は少なく、借りて読む人が多そうだ。自分自身も借りて読む派で館内では読まなくなった。それでも以前は月刊誌の「文藝春秋」を館内で読んでいた。が、今はこれも予約して借りて月遅れで読む。
司馬作品を読み始めて再来月になれば丸3年になる。飽きもせず司馬作品を読んでいる。というか飽きるというよりもさらに司馬作品にハマっていく。昨日は『播磨灘物語』(二)を借りた。同時に書架で目にした文春新書の立花隆著『知の旅は終わらない』も借りる。この本のサブタイトルは「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」とある。家に帰ってすぐに400頁余りの90頁辺りまでを読んだ。この本の発行年は2020年1月。翌月にはすぐに第2刷になっている。
この時期は立花隆は健在。だが、今年亡くなる。この本は立花隆の自叙伝を読むようであり、この人の生き方が凝縮されている。まだ全部を読み終えていない。が、小さいころから人並外れて頭はよかったようだ。大きくなるにつれて好奇心があることは実践している。大学時代、渡航禁止の時代にもかかわらず原水禁運動にのめりこみ、ロンドンの国際学生青年核軍縮会議に友人と2人で渡欧を計画するくだりは圧巻だ。ロンドンのこの件の話は以前に何かで読んで知っていた。が、改めて読んで行動力のすごさにさらに驚く。最後まで読むとどんな気持ちになるのだろう。楽しみにして今日も続きを読もう。
秋晴れの気持ちいい日が続く。家にいるのがもったいないような日。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!