2019年7月31日水曜日

「多くを読む人は余分なボーナスとして素晴らしい語彙を得る」

 「本を読むのは楽しいですし、多くを読む人は余分なボーナスとして素晴らしい語彙を得る」(日本語翻訳機能による)。これは一昨日のダグニーさんのブログから。107歳であっても本を読まれている。なんと素晴らしいことだろう。本を読んだボーナスとして「語彙を得る」!?ボーナス、を改めて辞書で引く。

★ラテン語の原義で「良いもの」「財産」という意味、とある。

 司馬作品を読むと知らない語彙が出てくる。そばにいつも電子辞書が欠かせない。その都度新たな語彙が増える。これもすべては本を読んだボーナスならぬご褒美なのかもしれない。

 朝から暑い。これから1週間先の天気予報を見ると最高気温35度、最低気温26度で晴れマークが続く。今年の夏は暑すぎてワンピースで過ごす。自転車に乗るにはズボンが快適だが……。こう暑いと家の中にいる時間が長くなる。これではいけない、と思う。そう思いながらも暑さでダウンするよりは、と家にいる。プールへ行くにも午後の暑さは半端でない。プールに行くまでが地獄と化しそうだ。そんな午後、送付されてきた旅のカタログを見る。見てすぐに、参加を決める。

 日本に居ながら、先日の北海度の旅もそうだが、地理的にわかっていない所が多々ある。知床半島、根室半島、野付半島、中標津、釧路など出かける前ははっきりとした場所がわからなかった。何となくあのあたり、という感じだった。出かけて改めて知る始末。県も東北地方が怪しい。東北の中でも秋田、宮城は行ったことがない。他にも北陸の富山、新潟も出かけたことがない。出かけてはいるが地理的に怪しい県は関東地方。簡単な地図で線引きせよ、と言われたならば描けそうにない。その点、西日本や九州、四国は馴染みがある。

 暑いと言いながら、6月から7月中ごろに出かけた旅の疲れもとれたのだろう。今はまた遊びに行こうとの元気が出る。秋の作品展、発表会が終わった後、まだ行ったことがないところへ行こう。これも司馬作品を読んだり、練習したボーナス(ご褒美)と思って参加しよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月30日火曜日

マイブーム

 最近ハマっていることに司馬遼太郎の本を読む、がある。その後にハマったのがゆで卵。これは2か月くらい前、ごごナマに出演した檀ふみの影響がある。その時、ピザトーストもしばらくハマった。しかし、これは毎日食す、とはならず。他にもある。それは山カフェを聞いてハマった石丸謙二郎のブログ。この人のブログの画像の大半は自然、それも山、が多い。これらはいずれもマイブーム、となっている。

 もしも、今の状況で、今より若く、車の免許を持っていたならば間違いなく一人で車に乗って遠出をしたい。これは叶わぬ夢。なんかロマンがある。というのも今朝見た石丸謙二郎のブログの「車中泊」にあこがれる。というかキャンピングカーにあこがれる。叶わぬ夢を追っても仕方がない。山の画像を見て現実に戻ろう。

 昨日、フルートの先生から発表会でソロで吹く🎵ブラジル風バッハ第5番アリア🎵の楽譜と全体合奏のパート譜が送付された。ソロの楽譜はアルト用フルートの楽譜で吹く。途中、アルト用でなく一般用の楽譜になる。その個所ともう1か所をアルト用の楽譜にパソコンソフトで手直ししてもらった。修正されて送付された楽譜に感謝、感謝!フルートの練習をしよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月29日月曜日

納涼の会

 人の名前は覚えるほうだと思っていた。ところが、昨夜、そうではないと悟る。某文化交流学会の納涼の会が行われた。年に2,3回か、3,4回ほど会合で会う人たち。一昨年まではその半数の人たちと海外旅行に同行している。見覚えある顔も名前が出てこない。こういうとき、歳を感じる。

 この会から年明けに海外旅行が予定されている。催行なるかどうか。今のところは参加人員不足らしい。今年は1名不足で催行ならず。この会からの海外の旅は5、6年前から参加させてもらっている。今まで出かけたどの国の旅も楽しかった。年々、どの人も歳を取る。旅が先延ばしになれば出かける予定であっても出かけられなくなるかしれない。催行なれば、と願う。

 納涼の会も楽しいうちに終わる。その後は女性6名でCAFEに集まる。大半がリタイア組。そのうち2名は現役組だ。早期リタイアして17年になる。現役世代と比べて歳を取った、と感じるのも無理はない。今のところ元気だけが取り柄だけど……。これも先の保証は誰もわからない。

 外に出ればヒトからの頂き物がある。梅干をもらった。去年ももらっている。いつもながら何のお返しもできない。暑い日が続く。梅干しパワーで今年の暑さを乗り超えよう。感謝!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月28日日曜日

美術講演会に出かける

 呉市文化ホールの名称がいつの間にか呉信用金庫ホールとなっている。公の施設が命名権を売って名称変更はよくある話。とはいえ、そこに在住しないモノからすれば「このホールは何?」と迷ってしまう。

 昨日午後、名称が変わったホールに出かける。講演会主催者の話だと名称変更となって初めての催し物とか。講演会は「第23回くれしん文化講演会」で「日本美術応援団呉を応援する!」とある。2000人収容の会場には満員の聴衆が駆け付ける。開演間際に駆けつけると空いた席が見当たらない。前に前に進んでいると、前から数列目の真ん中あたりに座るようにと声をかけられる。席に座ると座り心地がいい。これはホールの椅子に関係があるのだろうか。前列の人が気にならない。このホール自体も音響効果がいいと評判のホールだ。

 応援団とあるようにもらったプログラムは応援団の格好をした2人の姿がある。2人とは昨日の講演会のゲストで団長の山下祐二と俳優の井浦新。舞台に登場した2人が椅子に座ってトークを繰り広げる。舞台には大きなスクリーン。2人の様子や若冲、蕭白、芦雪の絵がスクリーンに映し出される。

 このなかで伊藤若冲の「動植綵絵」が何度も言葉として出てくる。はじめの頃はこのキーワードの文字がつかめなかった。途中、「動植綵絵」の字の説明がある。やっとこの文字とわかる。ネットで調べるとこれは「鶏に代表される鳥たちを筆頭にさまざまな動植物、さらには魚や貝までもが描かれた全三十幅からなる花鳥画の大作です」とある。この全ての絵が説明されたようだ。哀しいかな若冲は知っていても、蕭白、芦雪は知らずにいた。というか、講演会でも若冲が中心でこの2人は付けたしという程度に話された。

 去年だったと思う。若冲の絵の本物を見たのは……。それも東京で開催された展覧会の絵ではない。福山美術館で数点見た。若冲、若冲と世間が騒ぐほどの絵?とその時は思った。昨日の講演会を聞くと若冲の良さがわかってきた。先ほど調べたネットで面白いHPを見つけた。話を聞いていろんなモノ、コト、ヒトに結び付く。これが楽しい。

 井浦新は以前、日曜美術館に出ていていた。この番組も日本画をやり始めてからよく見るようになった。この人はボツボツとしゃべる人でペラペラ話す人にはない誠実さを感じる。団長の山下祐二は大学の先生らしく、話上手。ピタっ、と1時間半の講義を終える。その後が可笑しい。舞台で撮影タイムが始まる。そうと知っていればカメラ持参で出かけたのに、と悔やまれる。いろんな講演会に出かけてこれほど盛り上がることがあるだろうか。どういうこともない2人なのに舞台上が盛り上がる。携帯でアップで写したけどうまく撮れていなかった。

 この応援団、団長は山下。団員1号は赤瀬川原平、2番は南伸坊、3番目が井浦新、4番が山口晃、そして5番目は壇蜜だそうだ。

 最後に講演会のメモとして記そう。

 ★辻惟雄(つじのぶお) 日本ん美術史学者 『奇想の系譜』著者
 ★ジョー・プライス アメリカの美術蒐集家 若冲の絵を蒐集
 ★無量寺 通称芦雪寺

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月27日土曜日

『世に棲む日日』(一)

 梅雨明け宣言後、3日目の朝を迎える。ぐずついた天気から一気に32、3度になる。夜は夜で部屋の中はいつまでも30度を超えている。梅雨明け後の初日、エアコンなしで寝た。暑さで熟睡できず……。これに懲りて昨夜は一晩中、エアコンをつける。外気温が設定温度以下になるとエアコンも止まる。お蔭で熟睡できた。気温もそうだけど気象に関してはなにもかも極端すぎる。中庸、はないのだろうか。

 暑いからといって一日中、部屋に閉じこもるのは良くない。今日は予定通り呉に行こう。久しぶりの呉、暑いだろう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ司馬遼太郎の『世に棲む日日』(一)(文藝春秋 2013年第11刷)からの抜粋。

★「中国者の律儀」ということばが、戦国期にはやった。正直をむねとし、人をだまさない。はたして中国衆がすべて律義者ぞろいなのかどうかはべつとして、すくなくとも毛利氏の外交方針はその律義をたてまえとしたがために同盟国に信頼され、威を上方にまでふるった。9p

★玉木先生は藩士である。しかし、無役で(のち役についた)、いつも家にいる。じか時間がふんだんにあるため、
「松下村塾」という家塾をひらいた。松下とは村名の松本からとっているから、要するに松本村学校というふうな命名であり、それ以外の哲学的な意味などはない。……村塾の建物は、とくべつにはない。(玉木)文之進の実家の杉家である。つまり、松陰の家であった。22p

★松陰の幸運は、藩政の沈滞期に成人したのではなく、それが上昇しつつある時期――政治に活気と可能性がみちあふれた時代——に成人したことであろう。松陰というこの若者は、終生、惨澹たる苦難にあいながらつねに明るく楽天的で、その死にいたるまで絶望ということを知らなかった。ふしぎな性格というべきである。その性格ができあがるについては、案外、この幼年期から青年期にかけての藩風のこのようなあかるさが、ひとつには手伝っている。39p

★「大器をつくるにはいそぐべからざること」松陰の生涯の持説である。「速成では大きな人物はできない。大器は晩く成る」と、松陰はいう。41p

★松陰は役についた。「御手当御内用掛」というながい職名であった。……正式の名称としては「外冦御手当方」という部局があり、その下僚国防である。ついでながらペリー来航以前にこういう部局を設けていたのは三方海に面した長州藩だけであり、この藩がやがてそとからの侵略にきわめて過敏(逆に東北諸藩はそれとはまったく
対照的に鈍感であった。両者とも地理的条件による)になってゆき、やがては国内統一の先唱藩になる源、はこのあたりにある。その部局の「御内用掛」というのは、藩主のための情報偵察員というべき内容であろう。42-43p

★松陰の生涯にかかわってくる読書は王陽明の「伝習録」を読んだことであった。この点、葉山佐内が陽明学者でいちいちその講説をききながら読んだだけに、よく理解できた。「実行のなかにのみ学問がある。行動しなければ学問ではない」というこの思想は、朱子学とくらべて、単に学問思想というよりも多分に宗教性を帯びている。行動教といっていいほどのものであり、これはきわめて松陰の気質に適合した。
87p

★「地を離れて人なし」と松陰は生涯いっていたように、かれは人文地理的な観察をおもんじ、そういう窓からつねにも物事を見ようとした。地理好きはいわば彼の癖であったが、これが松陰という青年の思考法の要素をなしていた。88p

★判決は、突如くだった。……「士籍を削り、五十七石六斗の家禄を没収し、召し放ちに処す」というものであり、たれがどう想像したしたよりもはるかに重い刑罰であった。追放財であった。……松陰ほど毛利侯に対する忠誠心の強い男が、その忠誠の対象をうばわれることになったのである。185p

★「むこう十年の修行を」
杉百合之助はよろこんだ。その許可方を藩庁に申請するとなれば、これは浪人ではなく寅次郎はなおも長州武士というおあつかいである、ということが、百合之助のこころをあかるくした。189p

★松陰の行動に強力な弾機(ばね)を入れたのはペリーであった。あるいはペリーという名で擬人化される産業革命による新文明であるといってもいいかもしれない。松陰が浦賀を去ったのは、久里浜談判があったその夜である。267p

★「過激者」らしく、この「将及私言」に、自分のこういう直訴は、上を敬うことを知らぬふるまいで、重々おそれ入っている。ともかくも黙止しがたく、罪とは知りながら上呈する。ただこの意見書が上へ達せられたならば、どのような御厳罰をううけようとも、けっして怖れたりは致しませぬ」と、書いた。この願いは、容れられた。長州藩ではこの書を、段階をへつつ藩主毛利慶親の手もとにまで達せしめている。275p

★象山は教訓者である。
「学問の大禁忌は、作輟(さくてつ)なり」と、かれはよくいう。作輟とは物事をやったりやめたり、あるいはここを齧り、あそこをかじりといったふうのむら仕事のことをいう。……ところがその松陰の蘭語勉強は、どうにも「作輟」であった。279p

★ロシアの艦隊が、やはり四隻、ペリーと同様の要求をかかげて長崎港に入ったというのである。(ロシアへゆこう)松陰はとっさに決意した。……松陰は、出発した。288p

2019年7月26日金曜日

「深読み読書会 井上靖」から

 昨日で梅雨があける。昨日午後、自転車に乗って泳ぎに行く。少々、バテ気味だった体も泳ぎに行く元気が出る。自転車で15分行くとプールに到着。水に足を入れると冷たい。身体を水に浸けるとさらに冷たい。25mをクロールで泳ぐ。その後は水の冷たさにも慣れてくる。浅いプールで泳いでいると未就学児を連れた爺様がやって来る。夏休みに入った。600m泳いで浅いプールから深いプールに移動する。家に帰るとプールで着替えた服も汗びっしょり。またも着替えて洗濯機へ入れる。

 夕食後、新聞を見ると「深読み読書会 井上靖」とある。この番組は初めて知る。「敦煌」に惹かれて番組を見る。何と中島岳志氏が出演されている。1980年代の初め、シルクロードブームが沸き起こる。1982年に中国語を習い始めた。そして世の人々にもれずシルクロードブームに便乗した。初めて中国に行ったのは1986年。その翌年、シルクロードへ行った。敦煌はもちろんコースに入っていた。「敦煌」撮影の日本人のクルーと出会い、トルファンの葡萄棚で現地の民族舞踊ショーを一緒に見たことを思い出す。

 今は司馬遼太郎にハマっている。当時は井上靖にハマっていた。番組を見ていて主人公の名前を聞き『敦煌』は読んだ、と思った。ところが偉い人々の話を聞いても初めて聞くことばかり。これでは読んだうちに入らない。番組終了後、『敦煌』を探す。文庫本の『敦煌』があった。昭和62年で49刷、新潮社発行だ。今ではかなりの部数になっているだろう。

 番組で井上靖は当時のノーベル賞候補だったとか。全く覚えていない。いまから30年前の頃のことだ。番組で中島氏はこの本の書き方の「与格」が特徴、という。井上の自叙伝、という先生もおられた。

 今朝は資源ごみの日。昨夜は、『敦煌』を探しながら急きょ、本の処分を思いつく。新聞と一緒に中国で買ったごっつい辞書(中国人が使う日本語辞書)、パソコン用語辞典など要らない本を数冊処分した。

 2階には先日押し入れから出したアルバム類の整理が待っている。真夏というのに本の処分も考えよう。

 司馬遼太郎の本の合間に『敦煌』を読もう。次々と読みたい本が増えてくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月25日木曜日

ブログのアップ

  日帰りでも泊りがけでも、国内でも海外でも旅から帰るとブログのアップが待っている。これ、結構大変。とは言いながら、これも今や完全なライフワーク。北海道の旅のアップを終えて次にやるのは読んだ本のアップ。昨日、『世に棲む日日』(3)を図書館で借りる。その際、その(2)の返却がまだ、と知らされる。その場で貸し出し延長の手続きを済ませる。その(2)は読んでも、ブログのアップがまだなので返却できない。

 今日で梅雨明け宣言となるのか、朝から蒸し暑い。天気予報を見るとこの先、晴れマークが続く。今週の最高気温は32度~34度。夏本番となりそうだ。そんな日にパソコンの前に座って入力する。これ、本当に大変。これもすべては自分のため。旅で知った人のブログを見ると、ブログは「自分史」と書いておられる。今や、自分のブログも人生後半の自分史になりつつある。

 パソコンで手を動かす。これがボケ防止、とまで考えてブログを始めたわけではない。水泳もそうだ。身体を強くしようと思って始めたわけではない。フルートもそうだ。肺を強くしようと思ってやり始めたのではない。自転車に乗り始めたのもそう。これらすべてを始めたのは「体」のためでも「ボケ防止」のためでもない。純粋に、泳げたらいい、吹けたらいい、乗れたらいい、と思ってやり始めた。身体のことばかり思って始めたならば、どれもこれも長続きしなかったかもしれない。そして今朝もブログをアップする!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月24日水曜日

♪ブラジル風バッハ第5番アリア♪

 いろんなところへ出没する。そして、そこで知り合った人と話をする。しかし、その後、話した人の名前と話の内容は覚えていても顔は思い出せない。これはどういうこと!?今朝の地元紙に先日送付されてきた絵の展覧会が掲載される。1枚だけ掲載された絵を見ると描いた人と昨年の展覧会会場で話をしている。その人の名は覚えていても顔が全く思い出せない。顔を覚えるのは苦手でも声や名前、そして特徴などは割と覚える。このすべては視力の良くないこととと関係があるのかもしれない。

 昨日はフルート・レッスン日。フルート発表会もいよいよという感じになってきた。レッスンでは、先生のピアノ伴奏でフルートを吹く。最近、自分の中ではフルートと歌口に関してあることに気づく。レッスン前、先生にそれを話すと「そう」らしい。これで今年の発表会は大丈夫、と言いたいところだがさてさて……。


 発表会の曲の楽譜もいつの間にかかなり暗譜している。ところがこれが曲者。暗譜すると楽譜をしっかり見ずに吹く。楽譜を覚えているために吹きながら入らぬことが頭をよぎる。これでは曲に集中できない。毎日同じ曲を吹いていると覚えようとしなくても覚えてしまう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年7月23日火曜日

大自然のひがし北海道~世界自然遺産の知床と羅臼ホエールウオッチング~の旅3日間


 2019年7月9日(火)から2019年7月11日(木)までの3日間、「大自然のひがし北海道~世界自然遺産の知床と羅臼ホエールウオッチング~の旅3日間」に参加する。この旅に出かけようと思ったのは動画で知った岩尾別旅情の歌による。古い歌だが、知らずにいた。その時、たまたま目にした新聞の旅の募集案内。なんと広島空港✈中標津空港間が往復ともチャーター便利用となっている。旅費は羽田や新千歳経由よりも幾分高めだ。しかし、それ以上に直行便に惹かれた旅となった。
 
 今回の旅での一番の印象は北方四島の領土問題。広島に住んでいると原爆投下と広島が欠かせないように、北海道民と北方領土問題は切実な問題のようだ。羅臼でのホエールウオッチングでガイドも船長も観光に携わるヒトの口からは国後島の話題になる。国後島眺望もある面、観光かもしれない。だが、それだけではないように感じた。また日本最東端の根室市の納沙布岬では『我らの北方領土』という外務省発行の120頁ほどある冊子が置いてあった。そこでは署名活動もしていた。冊子を1冊もらった。これを読めば北方領土問題もわかりそうだ。折を見て読もう。
 
 いろいろと難しい問題を抱えている北海道。それはまたにして、とりあえず楽しかった旅を振り返ってみよう。
 
一日目 2019年7月9日(火)

  広島空港に午前7時50分集合。添乗員から航空券を受けとると、その後は各自、保安検査場を抜けて、出発ゲートに向かう。国内線は飛行離陸1時間前に集合する。小さい空港は利用客も少なく出発まで暇を持て余す。広島空港(8時50分発)✈中標津空港(11時着)まではFDAのチャーター便JH6281便を利用する。FDAは会社ができて10年らしく、途中から揺れ始めた機内で機長は安全を知らせるように飛行案内を話し始める。機内誌を読むと10年の歩みが掲載してあり、会社独自の教育で社員を養成しているのが伝わる。それは客室乗務員の優しさにもある。短い飛行時間にもかかわらず、珈琲、クロワッサン、お茶、ジュース類、飴……と次々と出てくる。2時間余りの飛行は快適そのものだった。

 お昼は搭乗前にもらったむさしのお弁当を機内でいただく。着陸後のバス車内でいただいく人もいた。中標津の気温は21度、晴れと機長から聞く。さすがに北海道。からっとしたいいお天気だ。今回の旅の参加者は2班に分かれ、1班は36名、2班は33名。2班の1人参加は3名でそのうち女性は2名。機内で隣同士になる。その人と話すと何と小学校3年が同じクラスだった。だが、互いに覚えがない。


                           
知床半島

中標津空港到着時、機内から写す
  
野付半島原生花園(トドワラ・国後島眺望)

 バスで40分ほど移動すると野付半島原生花園に到着する。目の前に見えるはオホーツク海。ここで90分間自由散策。入り口には北方領土の碑が建っている。北海道と北方領土問題、今回の旅の間中、考えさせられた。

 トドワラは全長28kmの日本最大の砂州で野付半島にある。海水の浸透で立ち枯れしたトドマツが横たわり、荒涼とした景色が続く。歩いて前に進むが90分間の散策も帰り時間を考慮しなくてはいけない。歩くのが大変な人はトラクターを改良したバスに乗る。バスの終着点辺りまで歩くとトドワラがあった。この時刻は日差しを遮るものがなく暑い。だが、浜風が吹いてカラッとしていた。原生花園入り口近くにはナラの木が立ち枯れしたナラワラもあった。

 トドワラはトドマツ。これとエゾマツとの違いをガイドは話す、「天までトドく」のがトドマツで上を向き、そうでないのがエゾマツだそうだ。

野付半島原生花園から見渡すオホーツク海


野付半島原生花園から見渡すオホーツク海





野付半島原生花園に建つ北方領土の碑

 原生花園とあって様々な種類の花が咲いていた。知床へ行こうと思ったきっかけは岩尾別旅情の歌にある。歌詞の中に「エゾニュウの花」がある。これはどんな花?と思いながらデジカメで花を写す。ウイキペディアを見ると「エゾニュウ(Angelica ursina)はセリ科シシウド属植物の一種」とある。 歩を進めるとエゾノシシウドの看板があった。どうもこれと似た花のようだ。
ハマナス

 


この道をどこまでも進む
 
トラクターを改良したバス

ナラワラ


 

エゾノシシウド

エゾゼンティカ

 


 
トドワラの看板

トドワラ

  まだまだこの先も道は続く。この辺りから高架木道になる。



何処までも続く高架木道


ノハナショウブ

帰り道に来た道を振り返る

ナラワラ

蝶がいた



 14時半、野付半島原生花園を後にしてバスで移動する。途中から辺りが霧でかすみ始める。外気と海の気温差で霧が発生するらしい。途中、道の駅知床・羅臼により、ホエールウオッチングのための時間調整をする。

羅臼ホエールウオッチング(国後島眺望)

 16時50分、羅臼でのホエールウオッチングで船に乗る。カーディガンとウインドブレーカーを着ていても船に乗ると半端でなく寒い。乗船時、各自、救命胴衣と厚手の雨合羽を受け取る。これを着用しようとするが大きくて簡単には着られない。要らない、と一瞬思った。ところが船が動き出すと次第に体が冷たくなる。足元はトレッキングシューズなので冷たくはない。ただ、顔や手は真冬に感じるほどの冷たさだった。しきりに船長はマイクで国後島が濃霧でかすんで見えないことやクジラが顔を出さないのを気にする。船上で見た動物はタスマニアから渡ってくるハシボソミズナギドリ。この鳥の群れは見るものを圧倒させる。

 1時間半のクルージングのうち、その半分は寒さに耐えきれず1階のデッキに移動する。ここは2階デッキのような吹き曝しでないため、少しは寒さも和らぐ。とはいっても寒い!7月の北海道でこの寒さだと冬はどうなる!?船長は冬の流氷クルージングをしきりに勧める。そのときはマイナス何十度の世界だろう。とてもじゃないが行く気にならない。これまでの最低気温体験は冬の北京頤和園でのマイナス19度。園内の湖は凍っていた。

ミズナギドリ
 
イルカ!?
ミズナギドリ



乗船したクルージング船


 ホエールウオッチングの間、海と空の境が見えなくなるほど濃霧になる。だが、下船後は日差しもある。ただ、バスで移動する途中、常に飛び出す動物を見て誰かが叫ぶ。鹿がお目見えだ。広島は鹿に慣れている、とガイド。がっかりでしょ、と言いながらも蝦夷鹿を見つけては大騒動が始まる。他にも熊も現れる。だが、一瞬の出来事で車窓からは写せなかった。
車窓からデジカメをズームにして写した蝦夷鹿

車窓から見る蝦夷鹿
知床峠

 17時、1時間半のクルージングを終えて知床峠に向かう。もらったパンフによると知床の地名はアイヌ語で「大地の突出部分、地の果て」を意味する「シリエトク」に由来するらしい。知床半島にある岩尾別温泉のホテル名が「地の果て」はここから命名したのかもしれない。知床は2005年7月、世界遺産に登録された。「流氷が到達するところとしては北半球の南限であり、流氷の影響を受けた海洋生態系という多様な生態系を育んでいる点が認められた」という。

 知床峠までバスで移動中、空は晴れていても車窓から見る景色は霧でかすむ。峠に着くと霧は晴れる。だが、遮るものがないためか強風と寒さで震え上がるほど冷たい。ここで旅の参加者は下車して一同で記念写真を撮る。一般のツアーでこういったことはあまりない。ただ、4,50年来の仲間だという3人組のおっさんは一同で写真に写るたびにふざけ合っていた。

 

 

 


 


 



 

 18時半、ホテルに到着。知床ウトロ温泉の知床第一ホテルに泊まる。夕食はホテル内のレストラン・マルスコイでのヴァイキング。1人参加同士がまずはアサヒの生ビールで乾杯!美味!ヴァイキングはガイドによると80種類あるという。そして要所要所に料理人がいる。ガイドに教えてもらった飯ずし(いずし)や北海道の海の幸を堪能する。魚類は好きなので何でも美味しい。食事後、大浴場へ出かける。これほど大きなお風呂は初めての体験だ。入口に係りがいる。中を見渡すと目に入るのはシャワーを浴びる人たち。どこに浴槽があるのかわからないくらい広い。露天風呂もあるらしい。訳がわからなくなりそうで適当な浴槽に浸かった。この日の携帯万歩計10237歩。
 
二日目 2019年7月10日(水)
 
 朝食は2階のマルスコイ。夕飯もマルスコイ。同じ名前でも階が異なる。朝食会場を探すが広すぎて簡単にはいけない。美味しいものが並ぶ朝食。8時、ホテルを出発。快晴で気温は13度~15度らしい。
車窓から

車窓から
知床五湖

 8時25分到着。知床五湖の湖まで高架木道をガイドについて歩く。往復1.6kmを1時間ほど歩いた。途中、何度か蝦夷鹿を見る。お天気も良くて知床の山々もよく見えた。

高架木道を歩く

 


 

 

熊避け?

木道を歩く


 

ズームにして蝦夷鹿を写す

知床五湖


 

 

 
コケモモのジュース
 

車窓からの眺め

 

車窓からの眺め
オシンコシンの滝

 国道沿いにバスを止めて、少し階段を登ってゆくとオシンコシンの滝が見える。観光中、この滝で中国人など外国人観光客を多く目にした。車で訪れるのだろう。
 


オシンコシンの滝

滝から見下ろす


お土産屋の外壁にかけてあった大きな温度計
気温15度だ
小清水原生花園

 オシンコシンの滝から1時間バスで移動すると小清水原生花園に到着する。原生花園は原生花園駅と隣接している。JR北海道釧網本線で毎年5月1日から10月31日までの営業らしい。1時間に1本通る釧網本線。11時半頃に列車が到着すると聞いて、その時刻まで原生花園の海岸側の遊歩道を歩く。しばらくすると列車が到着。カメラ持参の観光客が線路に集結して写真を撮る。車両は1両だった。
説明を追加


釧網本線原生花園駅


原生花園駅駅舎

 6月中旬から7月下旬にかけて可憐な野草が一面に咲き乱れるそうで、7月中旬のこの日も花が咲き乱れていた。
 


 原生花園は網走から斜里方面に20kmほどの涛沸湖周辺にある。湖の海岸側の遊歩道を40分間散策した。
原生花園を涛沸湖の海岸側まで歩く

 

 

 

 

 



傍では酪農も

釧網本線 列車到着

 

涛沸湖

 

 原生花園を後にしてバスは弟子屈にある昼食場所に向かう。車窓から見る風景はジャガイモ畑や小麦畑などが続く。ジャガイモ畑を写そうとするが、動く車中はうまく撮れない。

車窓から




車窓から


車窓から
弟子屈での昼食は鮭のチャンチャン焼き

 お昼は福住弟子屈店で鮭のチャンチャン焼きなどをいただく。ここでやっと1人参加者同士3人が判明。今回の旅での食事は魚類が大半。吸い物も広島でいう揚げはん(魚の練り製品)が具に入っていた。ホタテのお刺身も海老も大きくて美味。ただ食べ物はどれも塩辛い。これは寒い地方だから!?


天ぷら

鮭のチャンチャン焼き

大きなホタテと海老のお刺身


お吸い物
 摩周湖
 
 霧の摩周湖、と歌にある。今回の旅で唯一これまで来たことがある場所が摩周湖だった。もう40年くらい前になるだろう。その時は霧の摩周湖だった。今回ははっきり見える晴れた摩周湖。
摩周湖

 

 


 






 
 
 
 



釧路湿原遊歩道ウオーク

 摩周湖を後にしてバスは釧路湿原へ向かう。

釧路湿原

  北海道の旅でよく目にしたのはフキ。大きな葉っぱは何?と思ったらフキだった。ガイドによると道に生えているフキは誰も食べないそうだ。地元民は山に行って10kgくらい採って家に持って帰るという。保存食にするのかもしれない。ホテルの食事でも柔らかく煮たフキがあった。食べるといい味だ。

大きなフキ




展望台から眺める釧路湿原は広い

 


 釧路湿原遊歩道ウオークは70分間ある。各自自由散策。ここは多少の道の上下や整備されてない山道もある。高架木道は一周約2.5km。違う班の旅行者に集合時刻を問うと私たちより5分遅い。たった5分違いならばこの人たちについて歩けばゴールに間に合う、と思ってどんどん歩を進める。だが、かなりきつい。どういってもこの日は朝からすでにかなり歩いている。吊り橋を渡ると揺れる。それも長い揺れだ。その後は道も木道でなく山道や階段が続く。リタイヤはできない。一人が建物が見えた、と声を出す。集合地点の建物だった。嬉しかった。

 後で一緒に歩いた人と話すと、一周するつもりはなかったそうだ。ただ、私が歩く、と言ったために、その人は連られて歩いたという。そして歩いてよかった、と感謝される。本当に良かった!この日の携帯万歩計は16823歩。よく歩いた。

 

 

 

 

長い吊り橋

 

上りの階段が続く

ゴールの集合場所
夕食は名物炙り焼き

 釧路湿原ウオークの後はバスで2時間くらい移動して釧路市内のホテル到着。移動の車内では草臥れ果てて爆睡していた。今宵の宿は釧路プリンスホテル。

 しばらくして夕飯を食べに、歩いて釧路フィッシャーマンズワーフMOOにあるレストランに向かう。食事後、ある時刻を過ぎると勝手にホテルへ帰ってもOK、とのことで1人参加3名はレストランでゆっくりする。今夜もアサヒ生ビールで乾杯!

レストランから釧路川を見下ろす

 夏なのに牡蠣が食卓に並ぶ。これにはびっくり。広島の牡蠣は大寒の季節にいただく。それなのに北海道は夏に牡蠣を食べる。
牡蠣とホタテ

ホッケ

お吸い物の具は魚の練り製品だった

イクラ丼

ザンギ

 鶏のから揚げを釧路ではザンギというらしい。B級グルメの祭典inくしろ幣舞でくしろザンギがご当地グルメとして人気があるそうだ。そうとは知らず、お腹がいっぱいになってしまってザンギは残してしまった。
レストランを出て夜の釧路川を見に行く

 食事後、夜の釧路川を見に3人で行く。釧路の街中を歩く人がいない。夜道は街中とはいえ暗い。ただ、ホテルが高層ビルなので歩いて帰るにはわかりやすかった。

三日目 2019年7月11日(木)
 
 ホテル17階にある朝食のレストランから見下ろすと車も人も誰もいない。7時半にホテルを出発してバスで日本最東端の岬、納沙布岬に向かう。2時間くらい経過後厚岸展望台で休憩。
 
ホテル17階の朝食のレストランから

車窓から見る道にはフキが生えている 


車窓から
厚岸道立自然公園


 
厚岸展望台
 
 車窓からは北方領土返還やロシア語入りの看板が見える。北方領土問題について車内でガイドに問うた人がいた。ガイドの返答は当然、日本の領土だ、と。



北方領土返還のスローガン


烏口に見えるのが国後島!?
納沙布岬

 11時、納沙布岬到着。日本最東端にある岬で帰りの車内で根室市長押印の日本最東端到達証明書を進呈される。望郷の家に入ると外務省発行の『北方領土』という分厚い資料があった。1冊貰う。これを読めばかなり北方領土問題がわかりそうだ。広島に住んでいるとまるで関係ないかのような北方領土問題。大切なことかもしれない。芳名録に署名する人もいた。望郷の家と隣接して博物館があった。
納沙布岬



 


鐘をついた!

ここに立って北方領土を思う

納沙布岬


望郷の家

 
 
 

 真ん中の四角なのが祈りの火で燃え続けていた

 ここの売店でお吸い物のサービスがある。カニが入って美味だけど相変わらず塩辛かった。

春国岱・風蓮湖眺望

 さらにバスで移動して道の駅スワン44ねむろ到着。ここで春国岱・風蓮湖を眺望する。望遠鏡も数台設置されていた。





道の駅スワン44ねむろから眺める

 

白い花がエゾニュウ?と思ってこの花をよく写した 

標津鮭三代漬け丼(お昼)

  標津で鮭三代漬け丼をいただく。ここの食事も塩辛かった。北海道でも特に寒い地域なので味付けが濃いのだろう。味が濃くても塩辛くても北海道の食事は魚好きには堪らないほど美味だ!



鮭三代漬け丼

お吸い物
  14時半、中標津空港到着。これから16時、広島空港へ向けて離陸までの時間が長い。小さな空港だが、広島空港までチャーター便が飛ぶ。飛行時間2時間半は北海道が近く感じられる。このチャーター便に味を占めてしまいそうだ。来年の夏、利尻・礼文島のチャーター便の旅があれば参加しよう。今年の利尻・礼文島へはなんとこの旅が終わった翌日の出発だった。これは旅の後で知る。
 
 20年近く前、アジア塾生4人は北海道大学へ赴任された新婚の若い先生を訪ねたことがある。その時が2回目の北海道で北海道大学へも案内してもらった。また車を借りていろいろなところへ連れて行ってもらった。ジンギスカンも食べた。3度目が今回の旅。広い北海道。出かける土地、土地で全く雰囲気が異なる。ただ、どこでも食事が美味なのは共通している。今回は道東を巡った。いろんなお花畑も見た。また生まれて初めてオホーツク海も見た。まだまだ行きたい北海道。来年は利尻・礼文島!?さてさて……。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!