2021年10月21日木曜日

「追悼 其阿弥赫土展」を見に行く

 呉市立美術館で開催中の特別展「追悼 其阿弥赫土展」、サブタイトルは「幽玄を描いた日本画家」を見に行く。出かける前に電話がかかる。固定電話の表示は090から始まる番号だ。連日、市内で発生している還付金詐欺。090の番号で電話がかかることはあまりない。が、(もしかして変な電話?)と警戒する。フリーダイヤルであればもちろん電話に出ない。恐る恐る声を発しないで電話に出ると先方の声がした。電話の相手は来月開催の日本画教室作品展を扱う画材屋さんだ。「変な世の中なので失礼しました」といって応対を詫びる。画材屋さんは「どこの家も同じです」と。皆さん、怪しい電話を警戒しているようだ。

 今回の作品展は2年分の作品展のため会場も広い。30周年という節目の年でもあり先生の展覧会にかける意気込みが伝わる。生徒の出品作も例年よりも倍くらいと多く、搬入・搬出 は業者任せとなった。いつ電話がかかるかわからない業者からの電話がかかって安心して呉まで出向く。ただ、思ったよりも風が冷たく吹き、着ていた服が薄着過ぎた。

 快速の安芸路ライナーに乗車して呉駅で降りる。乗車時間は27分と短い。呉駅から美術館までの途中でジョギング中の人に美術館の場所を聞く。お昼休みのジョギングなのかあちこちでその姿が見られた。しばらく歩くと美術館に到着。特別展の其阿弥赫土(ごあみかくど)は習っている日本画の先生の先生である。先週の教室で先生は其阿弥先生に習われていた当時、個展が開催されると先を争って絵を買う人たちがデパートの開店前に列を作って並んだ、と話された。それくらい其阿弥氏の絵は売れに売れたそうだ。

 其阿弥赫土は東京藝大で学ばれていた頃、卒業を待たずに学徒出陣。その後、紆余曲折を経て地元で絵を描き続けた。特別展のリーフによるといろいろと受賞を重ねて以降、「独自の道を探求しました。やがて優れた技量とたゆまぬ精進に裏打ちされた精神性の深い絵画世界を創出し、自然が織りなす事象や日本各地の寺社などをテーマに、東洋的な心象が漂う幽玄の世界を視覚化した作風を確立しました。~没後2年となる今秋、広島の地で日本画と真摯に向き合い、芸術に一生を捧げた其阿弥赫土の画業を振り返ります」とある。ここに書いてある通り、絵を見ていると絵に引き込まれてゆくようだった。
 
 途中、ビデオ上映の部屋で30分間、大きな絵を仕上げる様子をビデオで見る。画家のお顔もこの時初めて知った。35,6年前のビデオだが絵の完成までを詳しく伝えてくれる。観覧者も少なかったのでビデオの前に陣取ってゆっくり観賞した。凡人が使う絵皿などでは大きな絵は描けないのかお椀に絵の具を入れて膠で溶いていた。

 絵を堪能した後、美術館界隈を歩く。呉は軍港だったために周辺は戦争の影が付きまとう。東郷平八郎の住んでいた家もある。家のそばには「東郷元帥ゆかりのイチョウ」、の看板がある。銀杏といえば空を見上げるほどの大木というイメージがある。だが、辺りには大きな木があるがどう見ても銀杏ではない。ふと下を向くと大木の下に囲いがあって小さいイチョウが植えてあった。後で呉駅でゲットした呉のパンフを見ると「1870年代に日本政府から英国に寄贈され、当時英国留学中の東郷平八郎が投宿したペンブロークに植えられたイチョウ。現地では『東郷元帥のイチョウ』として語り継がれてきました」とあり、「地元住民による帰郷プロジェクトの一環でその挿し木から育てられた苗木を2020年に入船山記念公園(旧東郷家住宅離れ横)に植樹された」そうだ。どうりで小さいはずだ。

 お昼も大分過ぎた。カフェらしきお店を探すが見当たらない。美術館の道を隔てたところに建物がある。そこは美術館別館でギャラリーと喫茶コーナーだった。中に入るとなかなかいい雰囲気だ。お客も数人と少ない。ランチは終わって(何か?)と思っているとピザやカレーがあるという。「珈琲?」と聞くとあった。店内に本が置いてある。どれも”VEGGY”ばかりだ。係がメニューを持ってきた。カレーを見るとベジタブルカレーやタイカレー。呉は海軍さんのカレーが有名なのにそれはない。ふと気づく。ここはベジタリアンのお店かもしれないと。VEGGYはその系列の雑誌なのだろう。ピザと珈琲を注文する。が、ピザの量が半端でない。残れば持ち帰りできるとか。案の定半分しか食べられなかった。今日のお昼に食べよう。

 絵を堪能した後は呉駅に向かう。行きには見られなかった光景がある。お店の前にテーブルが並んでいた。呉は屋台の町でもある。夜になればお店の外でのにぎやかな宴が始まるのかもしれない。

 少々涼しすぎた一日だったが楽しく過ごした。これからもなるべく外へ出るようにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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