2012年5月31日木曜日

ホッとする一日!

昨日電話をもらった人と何年ぶりかで会ってきた。結婚式以来?というとそうでもないという。いずれにしても長く会っていない。見た感じでは元気そう。ホッとする。

市内中心部で会う。高い場所がいいというのでホテルの上でランチ。食べながら病気について話し始める。昨日の電話で聞いたとおり、10分遅れれば命とりの意味がわかる。

元気になったので会えるうちに、会いたい人に会おうと思ったらしい。そして元気なうちにしたいこともすると話す。大病をすればそう感じるのも当然かもしれない。旅行にも行くと話していた。出かけられるときに出かければいい。

その旅行、今日聞いて改めて知ったことがある。海外旅行である。彼女と知りあった頃、海外へ行こうと誘われても頑なに行かないと言っていたらしい。そして、自転車も水泳もすすめたと言う。自転車と水泳に関しては彼女の言うとおり。海外旅行に関してそうだったとは意外である。

今や、この3つは私の人生で欠かせない。それがすべてその人の影響を受けていたとは・・・。まだ他にも大事な恩恵を受けている。それはいずれまた・・・。ますます我が人生の恩人である。思わず「大明神!」と言ってしまった。

その大明神であるその人はもうその効き目がないかもしれないと笑って言う。そういわずにこれからもよろしく!

そして彼女と反比例するように「ますます元気になるね」と言われる。全くその通り。我ながら元気だと思う。最近の喉の調子を除いては・・・。その喉も彼女に言わせると前と同じ声だと言う。自分ではまだ本来の声ではないと思うけど・・・。

彼女は県北に住んでいる。これからも時々暇を見て会おうと話す。それには元気が・・・。ともあれ元気なうちに会えてよかった!近いうちまた会いましょう!

ブログ投稿後、メールをチェックする。嬉しい知らせがあった。何と今日、無事四川省へ手紙が届いている。メールには送った商品のデパートのロゴを見て広島で過ごした日々を懐かしく思い出したという。そしてメールの最後には「〇〇さん、〇〇さんは私たちのよい友人で、是非もう一度来てくださいね。」と書いてある。

機会を見てまた伺いたい旨のメールを送信する。

今日は何もかもいい日となった。ホッとする!

2012年5月30日水曜日

懐かしい人からの電話

先ほど今日のブログを投稿する。ところが、ところが・・・。先ほど夕飯を済ませ、片づけをしているとき、何気なく携帯電話を見る。何と懐かしい人から電話がかかっている。

携帯電話にかかることはあまりない。そのため家にいるときは適当なところに置いている。当然電話があってもわからない。

すぐに電話をかけなおす。その人にはお世話になっている。またいろいろと影響を受けた人。5歳も年下だが、お姉さんの感じがする。30代まで、あまり積極的なほうではなかった。その私をぐいぐい引っ張り出してくれた人。泳ぐきっかけを作ってくれたのも彼女。ほかにもブログに書けないほどの恩恵を受けた。もしかして今までの人生で一番の恩人かもしれない。

お世話になったことを忘れてはならない。ところが、その人とはもう何年も年賀状だけで電話をしても通じず心配していた。それが先ほどの電話である。もうびっくり!

かけなおすと元気な声。だが、昨年10月、生死をさまよったとか。大きな手術をしたらしい。

今どこ?と尋ねると市内にいるという。住まいは県北。暇が出来たら一番に会いに行くべき人だった。それが明日、やっと実現する。もうかなりの年数会っていない。もしかしたらその人の結婚式に出席して以来かもしれない。

話の中で中国に行った?と聞かれる。やっぱり中国のイメージは私から離れないようだ。

今日は一日じっとしていた。やっぱり神様は私をじっとするようにはなさらない。明日はその人と久しぶり会ってランチを共にする。まだ声は変だけど・・・。

TV映画を見る

昨日と違って今日は過ごしやすい。午前中、自転車で買い物に出かけた後は家にいる。よく利用する図書館も整理月間に入り休みが続く。声も治ってきた。だが、完全になおすため人とも会わずに家にいる。

午前中、大丸・松阪屋の通販カタログで電話注文する。デパートのカタログは、母を介護していて手に入りにくいものを買っていた。買い始めたのは訪問看護師に教えてもらったことによる。一度買うと年に何回か送付されてくる。

今日は久しぶりに注文する。昨日眼科に行った際、教えてもらった鏡を購入。鏡は偶然カタログに掲載されていた。そのほかにも2点買う。モノを増やさないようにと思う。だが、見ていてつい誘惑に負けて買ってしまう。

注文を終えると昨日出されたスペイン語の課題をする。6月初旬までに出す課題なのにすぐにやる。習いはじめて2ヶ月。それなのに日本語をスペイン語に訳す課題がB5のプリントで一枚ある。すんなりと訳せず教科書と辞書とで悪戦苦闘。

それを終えると新聞のTV欄を見る。「遥か群衆を離れて」という映画がある。映画はほとんど見ない。それなのに映画のタイトルに惹かれTV映画を見る。1967年のイギリス映画。

1時から3時間近くもある。その間、少し中断があるものの終わりまで見る。今日ほど集中して映画を見ることはなかった。いい映画だった。映像ではランプの生活。電気のない時代だろう。

農場主の姪とそれを取り巻く人間関係を描いている。主役の農場主の姪はとても美人。美人の周りにはさまざまな男性が取り巻く。主に3人の男性との話。さすがに配役はその役にふさわしい人がなっている。

見ていて、イギリスの牧歌的な風景が気に入った。広々としている。イギリスといえば、ずいぶん前ロンドンに2泊しただけで行ったとは言えない。当然広々としたイギリスを知らない。映画に誘われて行きたくなってくる。

見終わってTVの前でじっとして見ていたなあと一人感心する。かなりこの映画に惹かれたのだろう。

午後1時からNHKBSで毎日映画があるようだ。あまり気に入って映画ばかりを見るようになると外へ出なくなる。これも困ったものである。とはいっても喉が治れば家でじっとしていない。それまでは家でゆっくりするのもいい!?

2012年5月29日火曜日

暑くなる!

部屋の気温28度4分、湿度45%。電波時計は快適を示さず蒸し暑く感じる。

今日も3コマ目の講義を受けに大学へ行く。最寄のバス停を降りると先ず向かう先は図書館。広い図書館内を入ると涼しく感じる。ところが講義室に入ると暑さは半端ではない。授業開始まで一番前の席を陣取ってセンスで顔を仰ぐ。

しばらくすると先生が入ってこられる。さすがに暑いらしく、授業開始と同時に、このご時勢、当分エアコンは入らないから衣服で暑さを調節するようにと話される。とはいっても、先生も暑いらしくハンカチで顔を拭きながらの講義だ。

人一倍汗かきなのでその気持はよくわかる。

大学も経費削減とかでいろんなところにしわ寄せが来る。

以前は寒いより暑いほうが好きだった。ところが最近の暑さに対しては全く逆で寒い方がいい。

これからますます暑くなる。今から暑いといっては夏本番はどうなるものやら・・・。

今日は隣のかわいい女性と食事に行く話をする。来月一度休講がある。大学内に市内の一流ホテルがレストランを出している。そのランチを食べることにする。

先週金曜日、フルートの先生のコンサートに出かけた。フルート仲間がかなり聞きに来ている。だが皆とゆっくり話しをしていない。その中に、広島で芸能活動をしている人もいる。その人から翌日メールをもらう。

メールには今夜6時10分頃からローカル放送で取材を受けた放送があると書いてある。食事を終えて久しぶりTVをみる。テーマは「悲しみを乗り越えて 笑いを届ける女性落語家 葡萄亭わいん」。

癌に冒された旦那さんに付き添い、人に笑顔で落語を語る。偉い人だ。逆に落語があるから不幸に見舞われても人に笑いを届けられるのかもしれない。

いずれにせよ素晴らしい!

先ほどTVを見終えるとメールでそのことを報告する。本人もどんなふうに放映されるか知らないとか。いい番組だった。

ブログ投稿中、電話がかかる。福岡からだ。中国からの絵葉書を首を長くして待っておられる。余りにも気の毒なので、先日、その断りの葉書を書いて出した。それが届いたらしい。中国からの葉書はもう待たないと話される。

中国へ送った品物も届いたという連絡が来ない。もう先方には届かないだろう。

今日大学で『小室直樹の中国原論』を借りる。これを読んでも中国は理解できないかもしれない。しかし、それにしても・・・。不思議な国だ!

2012年5月28日月曜日

声が出にくくなってもう4日目。昨日よりは良くなったものの変な声である。昨夜、3ヶ月近く会っていない近所に住んでいる友人から電話がかかる。声を聞いてびっくりする。

声を出しにくいので人と電話で話したくない。それなのに話したいことがあるからという。今朝もその人からTELがある。午後我が家に来るという。来るな、とも言えず困ったな、と思っているとその人は我が家にやってきた。手には母への花を持って・・・。

話は2年前まで彼女が勤めていた会社の同僚のこととか。知っている人だが、喉の調子が良くない。そのため、申し訳ないけど他人のことはどうでもいい。それなのに延々と話し続ける。夕方になっても帰ろうとしない。

いくら話が好きといっても元気でないと話も出来ないことがよくわかった。

その後、いつも我が家に来る幼馴染にTELする。声を聞いて彼女も驚く。話をしていると今の声のほうがいいという。そういわれてもこの声、やっと出している。

話がしにくくなることはこれまでなかった。当分、休養せよということだろう。

元気なことのあり難さを思い知らされる。さすがに遊ぼうとは言えない一日だった。

2012年5月27日日曜日

やっぱり変!

まさに今日は五月晴れ。家にじっとしているのが勿体ない。だが今一歩喉が変。変なところは喉だけでなく頭も!?

昨日、喉の調子がおかしいのであっさりしたものを食べようとした。お昼前スーパーに出かけ、テナントとして入っている魚屋さんの刺身と寿司を買う。他にもそのスーパーで買い物を済ませ家に帰る。その後、夕飯を食べようとすると買ってきたものがない。

おかしい。しばし考える。レジの人が寿司だけ別に袋に入れてくれたところまでは覚えている。だが家にはそれがない。冷蔵庫を開けてもない。購入後すでに6時間たっている。勇気を出してスーパーにTELする。声は出ない。先方に声が出ない旨伝えながらどうにか用件を話す。

応対した人は親切な人だった。折り返し電話がかかる。スーパーに忘れていたらしい。すぐ取りに行くというと明日でもいいという。翌日ならば新たなものを渡せるからだとか。

今日昼前スーパーへ行く。新たなお寿司を受け取る。

それにしてもやっぱり何か変。この喉は頭までボケさせるのか。これではいけない。ボケにはまだ早い!

気を取り直してお勉強、となる。だが今一歩気が乗らない。そこでパソコン登場と相成った。

先日借りてきた『われ日本海の橋とならん 内から見た中国、外から見た日本-そして世界』(加藤嘉一 ダイヤモンド社、2011年)を投稿する。

この人の話は先日大学の講演会で聞いた。本の内容もその話とダブル。もちろん本人の本だからそれも当然だろう。

著者は自身を「ランナー」と称する。そして「この先何年中国の地に留まることになろうと、僕が中国の色に染まることなどありえない。」(8p)と言い切る。さすが若者。

だが筆者は広島の講演会で今年8月からハーバード大学の研究員になると話した。ということは中国から離れることになる。

「走り続けるからこそ、僕は何色にも染まることなく、自分でいることができるのだ。」(9p)そこから「中国の『今』を伝えたい」(9p)という。

日本に対して「目に見えないタブー」(23p)が山のように存在する。その例として先の震災後の自粛ムードがある。即ち「空気」としてのタブーだと。

反面、自由がないとされる中国には「半径5メートル」の自由がある。(24p)それは自由がないとされる中国の「国内世論」にあり「党内世論」ではない。(26p)

中国の人々の求める自由は「自分の幸せ」。(29p)だからたとえ北京大学の学生といえども自らのキャリアを棒に振ってまでの民主化運動に身を投じようとする学生は少ない(31p)。天安門事件がかなり尾をひいている。

中国の愛国教育はこの天安門事件を受け、江沢民の政策により始まる。それは反日教育として進められる。「反日」は中国式ダブルスタンダードとか。日本が嫌いといっても一方では日本製品、日本文化に触れている。(49p)

中国の人々は日本に対する本音と建前がそこにあるのかもしれない。

講演会でも筆者は言っていた。語学にお金をかけないと。やはりそれはこの本にも書いている。大学の売店のオバチャンと人を替えて一日8時間話す。読む本は『人民日報』、聞くラジオは中国語。(64p)

この徹底した勉強法はさすが、としかいえない。大学でスペイン語を学ぶ、とはいえなくなる。学ぶのは自分自身で、と言う意味だろう。見習わなくては・・・。そこは学ぶ国に住んでいるからいえることだとも思う。ならば日本を離れてスペインへ行けばいいのかもしれないが・・・。

「僕は中国での生活、中国人との接触を通じて、あらためて『国家』を意識するようになった。自分が日本人であること、そして自分が心の底で日本を愛していたことを、つくづく思い知らされたのだ。」。(73p)

中国と言う外部との接触でアイデンティティに目覚めたという。

その彼はひょんなことから香港フェニックステレビのコメンテーターとなり「中国で最も有名な日本人」になる。(76p)

彼が中国メディアに登場するときのストライクゾーンとして4点挙げている。(78p)
①自分は日本人であること
②ここは中国であること
③政府・インテリ層にとって価値ある提言であること
④大衆に伝わる言葉であること

こういう中国での生きかたは先にも述べた「半径5メートル」の生き方になる。すなわち国がどうであれ、自分の幸せを重んじる。自分の半径5メートル内だけを重視する。だから日本のように「空気を読む」必要はない。(144p)それは「無関心」である。

そして「面子」が中国文化だという。この「面子」、先日中国へ行った際に同行の女朋友と交わした言葉にも出てきた。面子を重んじる国だから、それはありがたいほどの接待を受ける。お土産もそう。申し訳ない。今回の旅で中国の面子文化を実感する。

この「面子文化」のからくりをよく理解しないと中国との外交交渉はもちろん、ビジネスだって上手くいかないらしい。(152p)

彼は北京に行く前と後での違いを「自信がついたことかな」。(166p)彼は言う。「北京で培った自信を胸に、僕は世界に挑戦し続ける」。彼にとっての世界とは「自分が日本人であることを再認識させてくれる場所のことだ」。(186p)

彼はまだ若い!世界で羽ばたいて欲しい!

他にも2冊著者の本を借りている。多分に同じ様なコトが書いてあるのだろう。暇を見て読もう!ボケないためにもせっせと!

2012年5月26日土曜日

我慢!

我が家の隣は小学校。今日は運動会とあって大人も子供も学校に集まってくる。お蔭で町はにぎやかだ。

小学校の運動会といえば一年のうちでその日が一番嫌いだった。なんといっても走るのが遅い。その点、姉が羨ましかった。母に似て運動神経は抜群だ。

子供心に覚えている。その年の運動会が終わると翌年のことまで気になる。それほど運動は全く駄目だった。だが長く走るマラソンは嫌ではなかった。放課後は近所の子供が集まるとそこら辺りをぐるぐるとよく走り回っていた。

その運動嫌いが何が狂ったのか人生後半になって泳ぎ始める。これがよかった。ただ泳げるというだけで体を動かすことが嫌いでなくなる。人生、何がどうなるかわからない。元気である。

その元気も2、3日のどの調子が悪くて困っている。

昨日はフルートの先生たちのコンサートに行く。ところが、最寄の駅で何となくバッグの財布を確かめると入っていない。もうびっくり!すぐに家に帰って財布を捜す。他のバッグを見てもない。コンサート開演時間も迫ってくる。仕方ないので他の財布にお金を入れて再度駅に向かう。

会場に着いてもコンサートチケットがない。わからなくなった財布にチケットを入れている。受付でチケットを忘れたといって入れてもらう。

本来ならばそういって会場に入れない。それを無理に言ってしまった。

コンサートはピアノ、オーボエ、クラリネット、フルートのアンサンブル曲。ほとんど知らない曲ばかり。開演ぎりぎりに到着したので空いていた前から2番目の席に座って聞く。一つ横には先生のご両親も聞いておられる。

知らない曲ながらも素晴らしい演奏だった!

演奏後、4人で食事に行く。とはいっても食べていた2名はコーヒーのみ。尾道の人はJRの時間を見計らって先にご帰還。3人で10時までしゃべる。声も出ないのに見苦しく話す。申し訳ない!

その中の一人とは久しぶりに話す。声が出なくても元気だと言ってもらう。またもう一人は親の介護などで忙しい。話を聞くたびその人の気持がよくわかる。それなのについついフリーになったら遊ぼう、といってしまった。

楽しかった!調子が悪いから家でじっとすればいいものをチョロチョロしている。さすがに今日は近所へ買い物に出かけるだけにする。喉の調子が良くなるまでおとなしく!

とはいっても泳ぎたい!でも今泳げば肺炎になりそう!我慢!我慢!

さて財布です。真夜中、家の中を探すと、パソコンのデスクに引っかかっている。良かった。昨日のブログを投稿するとき、コンサートチケットを出してみたことがコトの顛末。まだボケるには早い気もするけど、もしかして・・・。

2012年5月25日金曜日

変な声

しとしとと雨が降る。昨日までの陽気とは打って変わって冷たい一日。先ほど2コマ目の講義を受けて家に帰る。

先日来から喉の調子がおかしい。昨日は幼馴染と話していても声が変になる。今日は朝から変な声。大学の授業で指名されると声が出ない。指名されずに講義が終わりホッとする。となりの学生から気をつけてください、といわれる。やさしい!

その言い方が余りにもかわいい。近いうち食事をしようと言って分かれる。

学校へ行く前、福岡から電話がかかる。中国から送った絵葉書が届かないらしい。いつも絵葉書を書いて・・・といわれていた。それなのに20日も過ぎたというのに届いていない。

先日中国へ送った小包もこの調子だと届かないだろう。

日本から送る分には再度送ればいい。ところが絵葉書はそうも行かない。朝の電話でガイドに金銭を払ってことづけた、と話す。だが変な声で話すので要領を得ない。それでなくても電話の声があまり良く聞こえないようだ。

話していると絵葉書は待ち続けるから、体に気をつけるようにと心配してくださる。ありがたい!

今夜はフルートの先生たちのコンサートが行われる。夕方から家を出て聞きに行く予定。フルートの皆とも会う。

変な声で皆と会うとは・・・。これも「しゃべるな!」と言う天の声!?

この声も元をただせば、声が出ない先生の前に座って講義を受けていたのでうつったのだろう。先生は火曜日にやっと治ったと話していた。

ともあれ、早く声を治そう!

2012年5月24日木曜日

セルフ・コミュニケーション

気持いい一日。午前中、2週間ぶり歯科へ行く。予約しているにもかかわらず緊急の人がいるとかで1時間も待たされる。今日予定の治療はどうも来週になるようだ。

歯科へは長く通っている。いつまで行くのだろうと思ってしまう。長く通えなかったことが今になって長引く結果となる。それも仕方ない。

歯科へ行く前、これまで習ったスペイン語のノートをきれいに書き直す。本来ならば習う都度すればいいのだが、それも出来ず今になってしまった。こんなことをしていると時間はあっという間に過ぎていく。

午後は幼馴染が遊びに来る。相変わらず他愛ないことをしゃべっているとこれまたすぐに時間が過ぎる。

図書館からは予約確保のメールが入る。以前だったらすぐに本を受け取りに行っていた。ところが最近は本を読む暇がない。それでも今日は先日講演を聞いた加藤嘉一の本が3冊も確保されたとかですぐに受け取りに行く。明日からJRの中で読むことにしよう。

本といえば先日『梅棹忠夫のことば』(梅棹忠夫、編者小長谷有紀 河出書房新社、2011年)を読んだ。この本の中で梅棹は「家庭内の雑誌や新聞の発行、というようなこともおこなわれるようになるだろう。小説をはじめとする文芸の運命も、そのあたりとかかわりあっていると思う。文芸の究極形態は、読者を予想せず、自分が自分に向けてかくということになるのではないだろうか。セルフ・コミュニケーションである。」と書いている(106p)。

これについて本の編者の小長谷は「アクセスされないブログは、限りなく自分のための、自分によるコミュニケーションになってしまう」という(107P)。

ほぼ毎日ブログに投稿している。梅棹のいうように「自分が自分に向けて」書いている。確かにその通り。それならば何もブログと言う手段でなくてもいいはず。なのになぜブログに投稿するのだろう。わからない・・・。やはりブログはセルフ・コミュニケーション!?

2012年5月23日水曜日

「いにしえの・・・」

先週の土曜日、講演を聞きに松江へ行く。講演のタイトルは「いにしえの日本人のこころ」。講演者は中西進氏。

中西氏はもらった資料によると古典文学研究者で、万葉文化館館長。当然万葉集にも詳しい。講演内容は以下の3点から話を進める。

1、いにしえの日本人の考え方
2、「こと」への重視
3、人間と自然との関係

一つ目の「いにしえの日本人の考え方」は万葉集の「たまきわるいのち」から進める。いにしえの人は「無限」という永遠の概念を持ち、またそれを信頼していた。「たまきわまる」とは「魂極まる」であり、霊魂が極まる命。それは「永遠」に近づく。

「極まる」でなく「極める」とは即ち到達。これは「終える」という終着点。だが「極まる」は「永遠」であり、「無限」となる。

では「たまきわまるいのち」の「命」とは何か。

学校教育では9割は心豊かな人間を育て、1割は「賢い人」を育てる。「命」は生まれてから死ぬまでを命とする。だが「命」とは命を持った生命体を超えたものを中西氏は「命」とする。即ち、「命」とは生命を輝かせるものであり、永遠のものである。

では「こころ」とは何か。日本人はコロコロと丸いものを「心」とした。多面を削ると球になり、丸くなる。それが「こころ」。無限を信じていた、いにしえの日本人。それは「こころ」にあった。

2つ目の「こと」への重視。いにしえの日本人は日本語の「こと」はことば、ことがらを同じと考えていた。「あきらめる」を取り上げて「窮すれば通ず」が「あきらめる」。学ぶことは幸せを手に入れる手段。その意味で氏は「幸福大学」を作りたいという。

幸福について「花が咲く状態」が拡がることがさいわいであり、こころに花が一杯咲くことが幸福。

「額」とはひたい、ひたすら、まっすぐで日本人は7世紀に「額」=「前頭葉」を発見する。これは神社の前で「額ずく」ことであり、日本人の信仰心である。ということは神社に参っても「額ずく」だけで、お賽銭を上げなくてよい。神社に額ずくとき日本人は額ずくだけで言葉を発しない。だから「祈る」「祝う」の言葉とは違う「詣でる」になる。

「恩」について「みたまのふゆ(恩頼)」の「ふゆ」の中国語「恩頼」からきており「御霊が触れること」。「恩がある」の「恩」は私のことをいつも思っていることば、ことがら。この「ことがら」を重視して「ことば」がある。

3つ目の人間と自然との関係は人間と自然との契りであり、契りとは木と木をつなぐことからきている。「こと」と「ことがら」の関係が契り。

日本人は自然と一体となって生活している。アジア文明を語るとは日本を語ることである。日本はアジアのファイナルであり、アジア文明を完成させた。中国は頭脳に頼る文明であり、その中国の海岸線の2倍が日本の海岸線にあたる。即ち日本は海に囲まれ海岸線が一番長い国。そのために外国文化の影響を一番受けている。

ここまで聞いてあいにく個人的な時間切れとなる。結論を聞かずしてブログ投稿とは・・・。申し訳ない。

2012年5月22日火曜日

目から鱗が落ちて・・・。

ただ今の部屋の温度27度5分、湿度43%で電波時計は快適を示す。窓は開けっぱなし。外からは火事の町内放送が流れる。この暑さの中、火事とは・・・。場所を放送しているがよく聞こえない。

今日も昼前に大学へ行く。最寄のバス停を降りると、いつも誰がどこで吹くのかわからない音色が聞こえてくる。その透き通った音はフルートのようでフルートでない。通い始めてずっと誰がどこで何を吹いてるのだろうかと思っていた。今日、やっとその正体(?)がわかる。

通っている学部付近には通称スペイン広場といわれるところがある。そこは教養課程の学生たちが集まるところで休憩時間ともなるとさまざまなイベントが行われる。

バスを降りると音のなる方へ向かって歩くと広場の横で譜面台を立て、若者ではない人が吹いているのが見える。その音はフルートの音色よりもよく響く。その前で聞いていると学生が近寄ってくる。クラブの勧誘である。この年でも誘ってくれる若者がいるとは・・・。ちょっと嬉しくなる。

吹いてる楽器はパンフルート。もらったチラシを見ると火曜日の夜6時半から8時までの練習で同好会。先生はデモで吹いてる人。何とその人は学部の教授で専門的にその楽器を西洋で習った人。大学での専門はその分野ではない。

日中の炎天下。さぞかし暑いだろうと思う。だがその音色は人々を魅了する。もう少し家が大学に近いならば習いたい!来週は少し早めに大学へ行ってゆっくりその人の演奏を聴こう!

今日もスペイン語を習う。だんだんと難しくなる。今日は動詞の変化形について習う。動詞の語尾の変化で一定の規則があるとか。辞書を引いてもその動詞の原形しか掲載されてなく、規則に沿って覚えるしかない。

ノートを見せてくれた隣の女性に何のクラブに入っているかと尋ねると、テニスとイラストだという。先生になるのが夢で、美術の先生の資格もとるらしい。道理でノートもきれいだと知る。きっといい先生になるだろう。お昼はどうしている?と聞くと弁当持参だという。それもアパート住まいなので節約のため自分で作っている。これを聞いて、その年齢の頃を思い出す。

何も一人で出来なかった。すべて親任せ。彼女を見て偉いなあと思わず感激。

その後は広島まで出てフルートのレッスンへ。

今日は「目からうろこが落ちた日」となった。フルートは途中何度かブランクがあるものの20年習っている。最近フルートを吹く時、なぜか唇が震えることがある。この原因を探り、それを修正することが今年の課題と思えた。

今日も少し震える。すぐにやめ、先生の言われるとおり吹くと震えない。その前に先生にあることを質問する。その質問は正しいことではないとか。そこで先生は立ち方の初歩から言われはじめる。その通りに立つ。そしてフルートをかまえ、言われるとおり音を出す。それが良かった!

言われたことは今日初めてのことではない。もう20年いわれ続けている。それが今日やっとわかったことになる。

その習ったやり方で音符一つずつの音を出す。意識してそのとおりに吹く。途中息を吸うのはどこで?と馬鹿なことを聞いてしまうほど。そうやって先生が指す音符の音を出してメロディーを吹く。するといつの間にか曲になっている。音も楽に出せる。これにはびっくり!

今日のレッスン曲は先日決めたベートーベンの「ロマンツェヘ長調」(Romanze op.50)。

まさに目からうろこが落ちた瞬間だった。一人で家で吹くときも習ったように吹けるよう練習しよう。

何を習っても人より遅い!それがわかっているので何でも長く続けている。これもまあいっか!

そう思って、遅いモノは遅いなりに頑張ろう!

2012年5月21日月曜日

元気が一番!

先月と今月の2ヶ月は母の命日に墓参りに行けず、日をずらして行っている。今朝、姉夫婦と一緒に車に乗って墓参りをする。

行く前、先日の中国のお土産を渡す。お土産といってもあまり買ってきていない。

母が亡くなって家の片づけをすることがある。そのたびに各地へ出かけた際のお土産が出てくる。だいぶ前にもでてきた。10数年前に中国で買って帰った刺繍のテーブルクロス一式が3セットも出てくる。家族がいない生活なので、なるべくモノを減らすようにしている。

今朝、姉に見せると持って帰ると言う。同じものが家にあるらしいので違うモノを2枚渡す。妹にTELするとやはり要るというので残りの1枚を今日送る。

これ以外にも他の国で買って帰ったお土産の雑魚が沢山ある。いずれゴミとなるのかも知れない。もったいないことだ。

とはいってもお土産を買って帰るのは旅の楽しみの一つ。買わないようにしようと思うがさてさて・・・。

姉は最近、夫仲間の奥さんたちと四国遍路へ行っている。財布に入れるお土産をもらう。その後、仏壇に母が置いていた写真を出して見ている。写真の裏には昭和10年、69歳と書いてある。母の父親の写真だ。健在ならば146歳。その写真を大きくするようにと姉。

姉だけがその写真の人ではなく、父の父である祖父の顔を知っている。妹も私も祖父母の顔は全く知らない。得意になって姉は知っていることを話す。

姉夫妻は今朝早めに我が家にやって来た。そのため今日は昼食に行かずに分かれる。その際の言葉が「元気で!」。姉の夫曰く、「これからは元気が一番」と。母がいた頃はそんな言葉を交わすことはなかった。2人に「元気、どこも悪いところはないよ」というと、姉曰く「怪我をするかも・・・」。

皆、体に注意する年齢になったということ!?

2012年5月20日日曜日

山陰へ

昨日は古典文学研究者で、万葉文化館館長の中西進氏の講演を聞きに1泊2日で山陰へ出かける。講演会の模様は後日ブログにアップする予定。

この講演は3つの団体による合同の講演会のためか会場はごった返している。当日は前回の講演で知り合った人と松江駅で会って一緒に会場に行くはずだった。それが、何かの手違いで会えずじまい。2度目となる昨日の講演会場も今一歩地理がわからずタクシーで行く。

会場に着くと、開始時間も場所もパンフに書いてあることと違う。不思議に思って受付の人に尋ねる。納得しないまま会場へいく。不信感は先に聞いていた終了時刻にもあらわれる。その時刻になっても終わりそうにない。

米子の友人と待ち合わせの時刻になる。あらかじめ一番後ろの席に座っていたので会場を早めに後にする。

友人と合流すると彼女の車で松江イングリッシュガーデンへ行く。ここは入園無料。何と言っても大きな道にかかる歩道橋はエスカレーターが上下あり、駐車場、ガーデンとも誰が何のためにこれを作ったのかが気になる。先ほどHPをみてもよくわからない。友人によると公共施設でないとか。それなのに、広大な敷地に建物も庭も花も何もかも素晴らしい!またホールもあり、いろいろな催事もあるらしい。
松江イングリッシュガーデンの珍しい花
 次に行くところは島根県立美術館。ここは宍道湖に夕日が落ちるのが絶景とか。その時間まで待ちきれず、友人の妹さんと合流して3人で安来市へ食事に行く。

前回米子に来たときも美味しいお店が沢山あった。今回も美味しいお店に行く。お店の名前はモントローネ。何と土曜日の夜がサービスデー。これには驚く。このお店、コースで一通り食事が出ると、その中で何かお代わりは・・・と尋ねにくる。これも驚き。

デザートのケーキも大きなお皿で持ってきて、それを好きなだけもらえるとか。友人姉妹は行く前からケーキは2ヶもらうとはしゃぐ。いつも連れて行ってもらうお店の素晴らしさに感激する。何と昨夜はサービスチケットとしてお客に返していた。

山陰へ行く2日前、米子でも雹が降ったと聞く。暑いのか寒いのかよくわからない。昨夜は喉が痛くなる。どうなることかと心配したけど、今はそうでもない。気候の変動が激しい。それなのに毎日動き回っている。喉が痛くなるのは少しはじっとするようにとの天の声かも・・・。

昨夜は友人宅に泊めてもらう。毎日よく動いているので草臥れている。早目に就寝。

今日は昨日の松江イングリッシュガーデンに引けを取らないような個人のバラ園を見学。これほど広い庭園で行き届いたバラ園ははじめてみる。場所は湯梨浜町原というところにある。

薔薇の種類はかなりありそう。花と共に、名前が書いてあるたて看板も写真に納める。

湯梨浜町原にある個人の庭園
ラブ
シャルル・ドウ・ドゴール
熱情
ヘルムット・シュミット
ジャストジョン
 バラ園を見終えると山陰海岸の名所に連れて行ってもらう。どこも日本海の汐の香りが漂い、吹く風も心地よい。だが、かなり疲れたので予定時刻より1時間繰り上げて広島行きのバスに乗って帰る。それでも我が家に着いたころは9時を過ぎている。今日のブログはここまで。もう寝ます!
〇〇さん、妹さん
松江、米子では大変お世話になりました。楽しいひとときでした。車の走行距離150キロとか。きっと疲れたのでは・・・。ありがとうございました!また会いましょう!

2012年5月18日金曜日

大学~演奏会へ

今日も初夏を思わせる気持がいいお天気。

午前中の講義を受けに大学へ出かける。まだスペイン語を習い始めて2ヶ月目。先生はしきりにテストの話をする。前期のテストとは別に、6月に中間テストをするという。

中国語を習い始めたとき、先生から1冊の教科書を完全にマスターすればその国の言葉はある程度モノになる、と聞いたことがある。それはあたっている気がする。その意味でも、今習っている教科書をすべて把握したい。

習う都度、先ず英語の構文で説明がある。英語の基礎はもう半世紀近く前に習っている。再度学習する感じ。今つまずくともう危ない、と先生。なにを言われても嘆かず、驚かずで学ぶしかない。

学ぶことを別にしても大学へ通うメリットがある。今、大学の周りの環境が素晴らしい。お花畑といった感じ。弁当とビールを持参すれば毎日がピクニック気分になる。だがそうも行かない。

講義後、バスを待つ間に図書館に行く。今日も新刊を4冊借りる。硬い本ばかりでなくやわらかい本もある。市の図書館よりも新刊がすぐ手に入る。これは本当に便利。だが、本を読む時間が以前ほどなくなった。これも仕方ない。何かを得れば何かを失う・・・。

今日は夕方、広島交響楽団の第319回定期演奏会に出かける。今回は「北欧シリーズ/スエーデンの音楽家たちを迎えて」がテーマ、演奏プログラムは下記のようである。

指揮/ミカ・アイヒェンホルツ
アルト/マリア・ホシュトローム
ピアノ/マッテイ・ヒルボネン
♪ラーション・ゴーテピアノ協奏曲(日本初演)
♪シベリウス:逢引から戻った少女、それからはもう聞かなかった、黒い薔薇、渓谷を走る船頭の花嫁
♪シベリウス:交響曲第3番ハ長調Op.52

何もかも忘れて聞きに行こう!

2012年5月17日木曜日

「無駄」なこと

昨夜遅く、スペインへ同行した合唱団の女性からメールが入る。大学近くに住むその人から暇が出来たら会おうとメールで連絡しあっていた。メールでは思うように連絡できず、遅い時間にもかかわらず、すぐにTELする。

来月始め、講義終了後会うことになった。わざわざ大学近くまで車で来てくれるという。先日、知人にその人と会う予定だと話したばかり。この偶然性にびっくりする。

合唱団のその人とは知人を通して知り合う。そのため、知人にそのことを報告する。

今日も初夏の陽気である。午前中はスペイン語の復習をする。その後、TV欄を見ると、Eテレで正午からスペイン語のTV講座がある。それを見る。ラジオほど語学講座の感じがなく、気軽に見られる。それが終わると「仕事学のすすめ」があった。出演は姜尚中。何気なく見ているといい話をする。思わず最後まで見る。昼の放送は再放送とか。夜にはまた続きがあるらしい。

何と37歳で正式な仕事に着いたという。これにはびっくり。その中で「すべてのわざには時がある」の言葉が気に入った。「無駄なことをやってきた延長線上に今がある」、「無駄だと思えることが人との出会いを生む」という。

何ごともあまり考えず人から見れば「無駄」なことばかりやっている。大学へ行くこともそう。それをしてどうこうしようと考えたことはない。姜尚中の今日の言葉で励まされる。金銭に換算できないことは「無駄」なことのような風潮がある。「無駄」なことから、いいアイデアも生まれ、元気も湧いてくる。それは決して金銭に換えられないもの。「無駄」なことをやっていい。

お昼過ぎ、幼馴染が遊びに来る。姜尚中のその話をすると彼女もうなずく。先ほど家に帰った彼女からメールが届く。「すごく充実した時間を満喫しました。・・・」。そう書いてある。本当は他愛ない話ばかり。それこそ「無駄」なこと。これで元気が出れば一番いい。

すっきりした気分でいると、中国からメールが入っている。昨日、中国でお世話になった人に小包を送った。今日のメールには「今の中国郵便はかなり混乱しています。もの送りは時々途中でなくしてしまいます。だから〇〇様から送ってくるものが私まで着けるかどうか、心配しています。」とある。

その返信メールには着かなくても再度送るので心配しないようにと書いて送った。高価な物品を送ってはいない。送る側も受け取る側も心配する方が精神的負担となってしまう。その方が怖い。再度送る、という「無駄」があってもいい!

2012年5月16日水曜日

郵便を出す

今日は初夏の天気で気持がいい。朝から洗濯をしてベランダに干すとすぐに乾く。これから一日ごとに暑くなるのだろう。家の中にいるのが勿体ない。

午前中、先日中国でお世話になった人に郵便物を出しに行く。外国宛てに郵便を出すのは何年ぶりだろうか。

手紙や写真などを入れているので小包になる。係りの人の言われるまま、中にいれているモノを書く用紙に記入する。品名、グラム数、金額の順に記入し、最後にサインをする。これまで外国へ出すとき、このようなことをした記憶がない。

65グラムで330円。支払いを済ませると今度はその用紙を係りは封筒に貼っている。何と面倒なことだろう。

よく外国への郵便物は中身を検閲すると聞く。何をされてもいいから、とにかく届けばいい。郵便局の人に思わず無事届きますように、と言ってしまった。

以前は外国へ出かける度、自分宛に絵葉書を出していた。ほとんどの絵葉書は届く。だが、時に届かないことがある。特にホテルの人などに依頼すると届かない。今回は1枚だけ福岡のお母さんに出した。ガイドに葉書を預けたのだが・・・。さてさて。

中国への郵便以外に、昨日会った若い人とそのとき一緒だった女性にも、先日の講演会の帰りに写した中華料理店の写真を送る。メールでも良かったのだが、アドレスを聞いていない。研究室へ送ることにしよう。

毎日外に出ている。今日は外にあまりでず、家の中でできることをしている。

1年あまり、暇をもてあます毎日だった。ところがスペイン語をやり始めると、結構そのために時間を要する。不器用な性格のため、何かに夢中になるとトコトンそのことに没頭する。これも仕方がない。きっと他の何かが抜けるようになるだろう。

ともあれ、今のところ気候が良くて過ごしやすい。少しは落ち着いて家でできることをしよう!

2012年5月15日火曜日

2つのフルートレッスン曲

火曜日は忙しい。早めにお昼を食べて大学へ出かける。さすがにその雰囲気にも慣れてきた。だが今日の先生は風邪気味で声を出すのが辛そうだった。

講義も終わると、市内へ向かう。大学の最寄駅からJRに乗ると、若い研究生と隣り合わせになる。彼は院生時代、同じゼミを受けていた。先日の講演会でも偶然一緒になる。

先日、中国へ旅行した。その話をすると、昨年2ヶ月くらい北京に行っていたらしく中国の話が弾む。最近の中国事情を広島駅に着くまで話す。3年間、大学にブランクがあるのでそこでの知り合いは少ない。ところが、時々先生とか、今日のように同じゼミ生と話すと自分自身若返る。なんといっても大学と言うところは世間とずれている。そのためか年齢差が全く気にならないところだ。それは年を重ねて学びに行くモノにとって、いいことなのかもしれない。

広島駅でわかれ、フルートのレッスンに向かう。その頃はお腹もすいてくる。レッスン近くのカフェに入ってティータイム。その後早めにレッスンへ。レッスン前、控えで練習する。吹くとき音が震える。この現象は何故か?先生はあれこれ考えてくださる。以前はなかったこと。自分自身でもよくわからない。一つずつ原因をさぐるため先生の言われるとおりにやってみる。

その結果、わかったことがある。それはどうも息の出し方がお腹から出すのでなく口から出しているからだとか。ソノリテではいい音が出るようになっているらしい。だがその後の練習で音が震えるときがある。曲をさらうときは音は震えないようだけど・・・。

明日からは一つずつの音をお腹から出す練習をする。これが今年の課題。課題はどんどん増えていく。

今日は「小さなくろん坊」をさらう。次回からは「ロマンツェヘ長調」(Romanze op.50)ルートヴィッヒ・ファン・ベートーベンの曲。先生が吹かれる曲を聞いて思わず「かっこいい!」と言ってしまった。新しい曲をさらうとき、吹けるようになるといいなあと思って練習する。練習して吹くことができて曲らしくなるとき、とても嬉しい。この楽しみがあるからこそフルートを長く続けているのかもしれない。

これまでいろんな曲を吹いてきた。もしもこの曲が吹けるようになったなら、それはそれは嬉しい!私にとっは大作である。

今日はまた、発表会の曲も決まった。「亡き王女のためのパヴァース」M・Ravelの作曲。以前、簡単な楽譜で吹いたことがある。今日もらった楽譜は以前のものとは違って難しい。同じ曲でもアレンジによって曲が変わってくる。

2曲を同時に進めていく、といっても発表会はまだ先の話。2つともいい曲なので吹けるようになるのが楽しみだ。頑張って練習しよう!

2012年5月14日月曜日

5月フルート定例会

今日は夕方からフルート定例会がある。小雨の中、街中へ出かける。集合前、デパートで先日お世話になったNaさんに写真と一緒に入れて送るものを品定めする。

Naさんは髪を長くしている。航空便で送るに相応しい軽くてかわいい髪飾りを探す。だが短髪のモノにとっては何がいいのかさっぱりわからない。暇そうにしている店員に尋ねるといいものを探してくれた。すぐにそれと決めるのはいいのだが、「中国製」ではいけない。そうでないことを確認してプレゼント用にラッピングしてもらう。近日中に、写真と一緒に中国へ送ろう。

買い物を済ませると、今日の集合場所へ向かう。2人はもう到着していた。

今回の例会も知人が見つけたお店に3人で向かう。あいにく雨が降っている。雨を避けて地下街を通ってお店に行く。

まだ開店してまもないようでお客は少ない。いつものように先ずはビールで乾杯。よく冷えている。中国の常温ビールとはさすがに違う。食べながら飲みながら思うことは日本はやっぱり食事は一番美味。どこの国の人も自国が一番、と思うのかもしれないが・・・。それでもやっぱり日本がいい。外に出かけるたびそう思う。

今日はフルートの話といいたいところだが、相変わらずとりとめもない話題で話は尽きない。こういうときが一番楽しい!フルートの人たちとは先生を始め、もう20年以上の付き合いになる。性別も年齢も何もかも違う。ただ共通項はフルートの仲間ということ。楽しい人たちだ。

今日もビールを中ジョッキで1杯半飲んでしまった。皆といるときは酔った気がしない。それなのに、わかれた後、バスに乗ると一気に酔いが回ってくる。何故だろう。

ブログ投稿の今も酔っている。アルコールを飲むのだから酔うのも当然かも・・・。

話している最中、知人から所属する合唱団の人から預かったという「キャンディ」をもらう。もらった愛を3人で分かちあう。

先ほどキャンディをくれた人にお礼のメールを送信する。

合唱団といえばスペインへ同行した人たち。その中の別の一人とも、大学へ行くようになったら会う約束をしている。今日も知人にそれを話す。落ち着いたらその人とも会う予定。

暇人といえども一日はあっという間に過ぎていく。こうして外に出て皆と会って楽しく過ごすのも一生。毎日を楽しく!

2012年5月13日日曜日

中国成都、黄龍と九寨溝世界遺産の旅

2012年5月1日から5日まで中国四川省の世界遺産・黄龍と九寨溝へ出かけた。

九寨溝と言う地名を初めて聞いたのは成都で再会した〇〇大学勤務のChenさんからである。もう20年以上前の話。彼の故郷の話を中国語講座の場で嬉しそうに話してくれた姿を今もはっきりと覚えている。念願かなってやっと今回行くことができた。

黄龍と九寨溝のある四川省は3回目、中国は10回目となる旅。10年ぶりの中国は大きな経済発展を遂げている。それは人々の服装、車の増加、立ち並ぶ高層ビルの群、新築ラッシュ、空気汚染などの変化をもたらす。

旅の目的は、黄龍と九寨溝の観光とともに、成都在住の〇〇大学勤務のNaさん、Chenさん夫妻と再会すること。おまけとして高山病体験もある。結果的にそのすべてをクリアした旅となる。同行の女朋友にはいろいろと心配とご迷惑をお掛けした。ここに改めて感謝します!

今回の旅の素晴らしさはお天気に恵まれたことと、10%の確率でしか定時に飛ばないという飛行機が予定通り飛んだこと。これには誰もが驚く。現地でも東京から来ていた日本最大手の旅行社の添乗員から羨ましがられた。そのグループは成都で九寨溝行きの飛行機が飛ばず、ボロい成都の宿に泊まったと私たちにぼやく。現地ガイドも今回はラッキーだという。

ツアーの同行者は8人。それに添乗員と現地ではガイドが着く。8人の内訳は夫婦連れ2組、親子1組そして私たち。すべて広島県内の人々。

旅立つ前は気分が高揚する。前夜知人と電話で話しているとますます気持が高まる。ましてや、翌日は朝一番のJRで出かける。目覚まし時計、電波時計、携帯電話の3つのアラームを午前4時25分にセット。短時間ながらも熟睡する。

5月1日(火曜日)

一斉に鳴り響くアラームの音で目を覚ます。
5時40分、早めに最寄のJR駅まで歩いて出る。いつもの起床時間とは比べられない早朝。それでも人々は散歩などしている。始発列車6時2分発で白市駅まで乗車。白市駅で女朋友の車に乗って空港へ。7時過ぎ広島空港着。

広島空港がこの地に出来て初めてここから海外に出かける。国内便は母と東京へ行ったことがある。これまで海外は関空、福岡、成田、名古屋からだった。そういう面では便利になった。

朋友は空港免税店で成都へ持参するお土産を購入。その後、出発ロビーでコーヒーを飲み、お茶のペットボトルを買う。ところがペットボトルは機内持ち込み禁止で没収される羽目に。

広島空港発→上海浦東空港着(日本との時差1時間遅れ)
9:20      9:50
上海の空港で出入国カードを記載していると係りがやってくる。書かずに入国手続きをせよと指示され、そのまま入国。上海の空港で国内便に乗り換える。乗り換えとはいっても飛行機は同じモノ。国内線に行くため延々、1時間近く歩いて入国手続きをして再度機内へ。

上海浦東空港→成都空港着
11:00      14:20
到着後、武候祠見学。観光するバスの車内で円を元に代える。レートは1元=13.5円。とりあえず1万円両替する。日本円が強いので元がなくてもOK。円の強さは10年たっても変わっていない。

武候祠は『三国志』で名高い蜀(今の成都)の英雄、諸葛孔明と劉備玄徳を祀っている。多分以前にも来たことがあるはずだが、全く記憶にない。
武候祠
武候祠内の道で中国らしい光景を目にする。見学を終えると横にある錦里で自由行動。スターバックスもある。中に入ってみたが日本よりも価格が高そう。レジ辺りの写真はNO。錦里を散策しながらお土産を見る。日本に持ちかえられるようなモノはない。
午後5時半バスは出発。車内でガイドは四川名物料理を紹介。「串串香」「火鍋」「棒棒鶏」など。5月5日に食べる中国の「ちまき」は屈原を記念するためとか。これは初めて知った。

夕食は四川料理のマーボー豆腐。ここで朋友とビール中瓶1本注文。30元=405円也。午後7時成都シェラトンホテル着。ホテル前でChenさんがお出迎え。変わっていないのですぐにわかる。Naさんはロビーにいた。ちょっと丸まるした感じで元気そう。懐かしかった!10年ぶりのご対面。

すぐに「火鍋」に連れて行ってもらう。すでに夕食済みだったが予約を入れてくれてChenさんの日本車に乗って食事に行く。お店は予約客が待っている。しばらくして席に座る。服務員は若い男性たち。日本の高級レストランといった感じのお店。以前の中国とは比べられないほどの発展振り。係りの人の所作もスマートで注文のやり方も電子機器が欠かせない。

Chenさんは菜単(メニュー)をみてどんどん注文する。料理は四川名物火鍋。夕食済みだったのであまり食べられず申し訳なかった。朋友は美味しそうに食べる。だが私はどうもにおいに弱い。食べている最中、辛いモノが喉に引っかかりひどくむせる。どうしようかと思うほどむせる。

以前と比べて食べ物に関して嗜好の変化が大きい。同じ生きるなら何でも食べる方が幸せ。そういう意味でも以前の感覚を速く取り戻したい!

飲むビールは常温ビール。国内の人々は冷たいものを口にしない。立派なレストランだが、冷たいビールがないということは国内の人たちが利用するところかもしれない。

ここでの支払いはChenさん。中国元を数百元支払う。日本円にすれば8、9000円するのでは・・・。四川省は上海、北京と比べて所得水準はそれほどでもなく月収3万円が平均とか。日本から換算するとかなりの散財となっているはず。ご馳走様でした!

食事後、Chenさんは成都の街中をドライブに繰り出す。6車線くらいある車道は車の列。前の日もあまり寝ていない。まして翌日は高地にいく。ホテルに戻ってカフェに行く予定をやめて、その日は夫妻と分かれる。
5月2日(水曜日)

曇り空。広い中国は北京時間に全国を合わせているため成都の夜明けは遅い。
6時起床。よく寝た!7時、バスは成都空港へ向けホテルを出発。

成都空港→九寨溝空港着
8:35    10:15
空港につくと九寨溝空港行きに乗る。いきなり標高3500メートルの高度に着く。気温8℃。2003年に九寨溝空港は開港された。機内で水、ラムネ菓子のようなものが配布される。なんといってもこの旅では「水」は貴重品。「水」は山では酸素補給となる。大事に持って歩く。

到着後、バスで黄龍へ向け出発。バスは岷山山脈経由で松藩の町をとおり、山脈の雪解け水は岷江に流れる。車窓からは少数民族であるチベット族の村が見え、家々には鮮やかな色彩のタルチョ(チベット族の宗教的な旗)がたなびく。車道の両脇には雪がつもり、山の寒さを物語る。山頂は雪を頂く。

11時20分黄龍着。黄龍観光を前にして車内で水と酸素缶が一人1本ずつ配布される。

殺虫剤の缶の2倍くらいの長さの酸素缶。
上部のキャップを外して本体にセットして口にくわえ、酸素を吸う
途中博物館見学。そこで天珠を見る。天珠のストラップ2本購入。何もかも高い。買えるものはストラップのみ。昼食は郷土料理を食べる。
黄龍案内図
黄龍到着後、バスはゴンドラ行き乗り場(標高3100メートル)までシャトルバスで行く。そこで6人くらいずつゴンドラに乗って1キロ上にあるゴンドラ降り場到着。ここから標高3500メートル地点までハイキング。約3キロ歩き観光ポイントの五彩池へ向かう途中、体がおかしくなる。朋友にリタイアする旨告げ、来た道とは別の道を徒歩で下山。全歩行距離7キロ。

山の道は木道。山の道全部を同じ幅で、同じやり方で何キロも作っている。さすが中国、と思う。その何十キロの道をあちこち地元の人が掃除している。これも仕事だとか。それにしても、まるで山そのものが宿であり、その宿に廊下が張り巡らされているような感じの木の道。山なので霧がかかる。道は湿っており滑らないように歩く。もちろん階段もある。とくに階段を下りるときは気をつける。

心配していたことは山の中で動けなくなったら、ということ。酸素缶の酸素を吸いながらどうにか観光して下山する。ところが下山して集合場所に行く数分のところで、もう歩くのがきつい。両手がジンジンして血が通ってない感じ。集合場所の立派な建物も暖房はなくて寒い。

朋友は何か注文すれば休憩させてくれるとあってお茶を頼む。結構な金額だったよう。金額もそうだが付き添ってもらってありがたかった。また、五彩池を見ずにリタイアしてしまって、それも申し訳ない。ただ、後で聞くと霧がかかって五彩池は見えなかったとか。
リタイアして段々と下に降りるのでどうにか元気に歩ける。その途中で風景を写真に納める。秋になれば雪解け水も増えて水の青さも増すらしい。今の季節、それでも水は青かった!
黄龍観光をどうにか終え、バスに乗ってホテルへ移動する。ホテルに入って部屋に行くエレベータ前で気分が悪くなる。どうにか部屋に入り、すぐにベッドで横になる。1、2時間すると体調が回復する。それでも食事をする元気はない。しばらくすると朋友がおかゆを持ってきてくれた。塩がよくきいたおかゆは美味しかった。Xiao Chi小姐、ありがとう!

ダウンしたため夕食のチベット料理は食べられず。後で聞くと皆、大変だったよう。これを限りにもう高地の旅は止そうと決心!

ホテルは川主岷江源国際飯店。ホテルに入ると毛沢東の銅像がある。これにはびっくり。今でも人々に崇拝されている!?ホテル内は暖房がなく、一人ずつ電気シーツが用意されている。だがどうやっても電源が入らず、係りを呼ぶ。それは電気ポットも。だがホテルそのものは山奥なのに立派だった。この日はもちろんお風呂に入らず、ただ翌日の用意だけして就寝。布団3枚かけてぐっすり寝る。

5月3日(木曜日)

ホテルにて7時朝食。その後、岷山山脈を越えて、九寨溝へ向かう。8時の出発前、くしゃみをしていたので風邪をひいたと思われたらしく添乗員から葛根湯をもらう。においや空気に過敏になり鼻水が出る。葛根湯は飲まなかった。ホテル外には雪が降って寒い。持参した服を4枚を重ね着するが、何といっても冬の恰好ではない。ただ、毛糸の下着を持っていったのは幸いした。首には春用のストールを巻いて。まさかこれほどの寒さとは知らずに・・・。大事にならなくてよかった。現地の人はダウンを着ている。それなのに薄いフード付きのナイロンのジャケットのみ。

前日、ダウンした割には元気を取り戻す。それでも標高3000メートルの高地。昨日のことを忘れたかのようにケロッとして朝から食事もおいしい。高地ではあまり食事をしてはいけない。おかゆや卵、ヤクのミルクを飲む。美味しかった。ヤクのミルクは牛乳よりも薄味。

ホテルから1時間半バスで移動して九寨溝へ。車道脇は雪が積もっている。途中天候がよければ標高5588メートルに達する「雪宝頂」を車窓から見ることが出来る。だが見られなかった。途中、ガイドから車内でチベット仏教の話を聞く。チベット仏教は今では主に黄教とか。僧侶は黄色い服を着る。途中、海抜2700メートルの甘海子市を経てチャン族(羊人族)の町に入る。そこの町は家々に石を置いている。以前、戦いがあったとき石を利用して勝ったとか。そのため神として石を奉る、石造りの家が多い。

またチャン族の人々はタルチョの代わりとして紙を持って歩く。通る道には紙を置いてゆく。祈りのためらしい。九寨溝に着くまで28のカーブがある。道には「第九道拐(カーブ)」というふうに一から二八まで立て看板がある。

午前10時、世界遺産九寨溝入り口到着。10時半、大型バスからシャトルバスに乗り換える。国内の人たちは乗り合いバスに乗って観光する。手元にある入場券の半券(諾日朗旅游服務中心通知単)を見ると98元で日本円にすると1300円くらい。
九寨溝は黄龍と違って、シャトルバスがその都度、観光ポイントまで連れて行ってくれる。その点、黄龍よりも楽。高度も標高2000メートルくらいで歩くのも楽。だが上方は標高3000メートルを超える。油断は出来ない!

観光途中の11時50分から12時半まで昼食。チベット料理のバイキング。

「九寨溝は清冽な水と原生林が織り成す童話のような世界」ともらった日程表に書いてある。その九寨溝は則渣窪景区(そくさわけいく)・樹正溝景色区(じゅせいこうけいく)・日則溝景区(にちそくけいく)に分かれている。とても一日では見学できない。ガイドは、人出の多くならないところから観光させてくれる。お蔭でのんびりと観光できた。

九寨溝の「寨」とはチベット族の「村」の意味で九つあるということからついている。この九寨溝は今から40年前、山へ木を伐採していた人が発見したとか。その後、1980年代、国の重要拠点となり、1992年世界文化遺産になる。
観光ポイントは
①長海
②五彩池
③樹正群海
④樹正瀑布
⑤五花海
⑥熊猫海
⑦珍珠灘瀑布
⑧諾日朗瀑布
⑨火花海
からなり、標高の一番高いところは3105メートルの①の長海。①②⑦は翌日観光。



⑦真珠灘瀑布


犀牛とは犀(サイ)



池にある樹木は石灰化する
魚が泳いでいる
水の色も変化する
五花海




⑥熊猫海(熊猫はパンダの意味)

桜が咲いている

⑧諾日朗瀑布
今回の旅で最高に美味の「野菌(キノコ)火鍋」
午後3時に観光バスは出発し、3時半、ホテル着。ホテルは九寨溝シェラトンホテル。ホテルに帰る途中、バスは検問に引っかかる。運転手の資格などの検査があった。

午後6時、夕食。キノコ鍋料理(野菌火鍋)。

午後7時半から9時までチベット(西蔵)民族やチャン(羊人)族の歌舞踊を九寨溝喜来登国際大酒店(九寨溝シェラトンホテル。喜来登は中国語でシェラトンの当て字)に隣接するホールで観劇する。収容人員500名くらい。3900円也。入場の際、白い「カタ」(歓迎を意味する)をかけてもらう。
5月4日(金曜日)

午前6時、起床。6時半朝食。朝食を食べる際、日本人旅行客を多く見かける。それまで日本人と殆ど会っていない。
朝食後、8時にバスは出発し、再度、世界遺産九寨溝を観光する。前日見た鏡海も特別に再度見学。くっきりと風景が鏡のように海に映っている。
観光客にチベット族の服を着せようとする人々
試着は1回20元(270円)
3箇所の観光ポイントをグループで移動するらしい


①長海
山頂は雪を頂いている
長海
九寨溝観光で一番の高所(3105メートル)
九寨溝観光も2日目のこの日、鏡海、 珍珠灘瀑布、長海、五彩池を午前11時まで見学する。
11時20分、郷土料理の昼食。昼食前、長海のトイレに行く。標高が高いところにあるトイレ。それなのに日本の高級和室トイレを思わせる。便器は洋式。トイレ内の調度品は木目調。3箇所くらいセンサーが取り付けてあり、すべて自動。これにはびっくり。カメラを持っていかずに残念!

昼食の際のトイレは半分くらい「ニーハオトイレ」。このギャップは大きい。世界遺産の設備投資がいかにすごいかこれを見てもわかる。また如何に観光に力を入れてるかも知る。12時20分バスは出発。九寨溝空港へ向かう。途中の車道には雪が積もっている。雪のため3月までは観光できないらしい。しばらく行くと岷江の源流の石碑も建っている。この辺りから急激な雨が降る。それも少し過ぎると止む。バスで移動中、ガイドは飛行機が飛んでいるという。これで成都へ帰れると皆安堵する。

②五彩池
木道を掃除する人(ブルーの服の人。必ず携帯電話を持っている)
あらゆる木道で掃除をする人がいる。ゴミは落ちていない。
この木の道を降りたり登ったりして3日間よく歩いた。
初日23、000歩、2日目13、000歩、3日目10、000歩くらい
と万歩計をつけていた人から聞く。
木道の幅も作り方もすべて黄龍も九寨溝も同じ



九寨溝空港→成都空港着
15:15  16:05

午後6時ホテル着。ホテルは初日と同じ成都シェラトンホテル。到着後、夕食に出かける。出かける前、ガイドにお願いしてNaさんと電話連絡。朋友がガイドにNaさんのTELが書いてある名刺を見せると、ガイドはびっくりする。名刺には〇〇大学、博士などを見て「すごい人だ!」という。確かにNaさんは素晴らしい人。ガイドの反応が面白い!朋友はガイドから「大学の先生ですか」と聞かれる。黒尽くめの恰好の朋友は大学教授の雰囲気が漂う。朋友の大学勤務は当たっている。

夕食は薬膳料理。これは美味。飲み放題の38度のアルコールが出されるが飲めない。一組の夫婦は飲んでいた。夕食後、8時前にホテルへ到着。そこでNaさんとホテル内のラウンジで合流する。Naさんは沢山のお土産を持って私たちを待ってくれていた。その日は香港の有名な歌手であるという張学友のコンサートがホテル横のサーッカー場である。Naさんとそのコンサートの終わる前の10時に別れる。

5月5日(土曜日)

小雨。ホテルにて朝食後、午前8時、ホテルを出発してパンダ繁育研究基地を見学。パンダとレッサーパンダを見る。パンダは中国へ行くたびに見ているので珍しくはない。それでもいつ見てもパンダはかわいい。特に今回は自然で飼育されているので余計かわいい。デジカメの電池がなくなり、携帯カメラで写す。 



10時、研究基地を出発して10時半から早い昼食を食べる。点心料理。点心だけかと思ったら、出るわ、出るわ沢山の料理が・・・。でもまだお昼時でないので食べられない。昼食後、成都空港へ。

成都空港→上海浦東空港→広島空港
13:15    16:00/17:30 20:10

空港の検査では一人ずつ丸い台に上がって身体検査を受ける。その検査は厳しい。それが成都の空港では何故か受けなかった。もちろん殆どの人は受けるのだが・・。
出国間際なのにお土産があまりない。上海の国際線ロビーで朋友から免税店があると教えてもらう。すぐにお土産を少し買う。

我が家に着いたのは午後10時半。5日間、本当に目一杯のスケジュールをこなす。途中、朋友には大変な迷惑をかけてしまった。申し訳ない!またなんといっても成都でNaさん夫妻と再会したことができて幸せだった。メールで互いの写真を交換したけど、紙の写真も送ろう!

そして高地の旅はそろそろ卒業しよう。ただ、食べ物の嗜好の変化が大きい。これも徐々に旅に出て元の状態に修正しよう。旅の楽しみのためにも・・・。

Xiao Chi小姐 、旅行中はご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました!また外国へ一緒に行きましょう!

それにしてもツアーの人数も8人と少なく、豪華なホテルに滞在した贅沢な楽しい旅だった。そして夢見た四川の旅は終わった!元気を出してこれからもいろんなところへ出かけよう!

ツアーの皆様、添乗員さん、ガイドさん、そして同行の女朋友に改めて感謝します!ありがとうございました!

2012年5月12日土曜日

レモンの花

今日はいつもより寒い朝。午前中、旅行の模様をブログに書く。しばらく書くと飽きてくる。書くのを中断してスーパーへ出かける。家の外へ出ると春というより初夏に近い。とても気持いい日だ。

自転車に乗るとまず図書館へ行って本を返す。その後、スーパーへ行く。買い物を済ませて帰る途中、近所の夫妻と出会う。自転車を置こうとしたとき、レモンに多くのつぼみがあるのに気づく。そして花も咲いている。

会った人にその話をするとレモンを見ている。昨年秋の黄色くなったレモンを見て、木がかわいそうだから取ったほうがいいという。すぐにはさみで取った。とったレモンを手にするとずしりと重い。なんといっても初めて実をつけたレモン。その人に見てもらうと大きさにびっくりする。
昨年8年ぶりで実をつけたレモンと買ってきたゴールドキウイ
今年、多くの花を咲かせているレモン
昨年秋のたった一つのレモン、今日収穫。
重量193グラム
今日買ってきたゴールドキウイ
重量88グラム
先ほどクッキングメーターでレモンを計ると1個193グラムもある。買ってきたゴールドキウイは88グラム。キウイの倍の大きさだ。このレモン、早速仏壇の母に記念に置いて供える。

昨年シルバーの人に庭の手入れをしてもらった。そのとき、燐酸肥料が足りないとレモンは実をつけないと教えてもらう。今年冬、レモンの木の周りに肥料を撒いた。すると、レモンのつぼみだけでなく、2種類のアジサイの花も沢山つぼみをつけている。もしかして今年はレモンが1ヶでなく沢山実をつけるかもしれない。

レモンは葉っぱなど芳香を放つ。そのためか、毛虫もつく。先日近くの人に教えてもらって消毒をした。お蔭で今は虫もいない。この毛虫、悪いことばかりではない。成長するときれいな蝶々になる。それなのに、若芽全部を食べられてしまうし、自転車の出し入れに毛虫がつくのも嫌なので消毒となった。

さてさて今年のレモンはどんな風に成長するやら・・・。楽しみだ!

2012年5月11日金曜日

母の日を前にして

朝から風が強く吹いている。今日は2コマ目の講義を受けに大学へ行く。最寄の駅に着くとJRのダイヤが乱れていると表示。我が家から1時間もかかるところにある大学。一便でも乗り遅れると授業に差し支える。だが今日はそこまでに至らずホッとする。

習っているスペイン語。「性・数の一致」など英語、中国語、日本語にない文法がある。中でも冠詞が難しい。英語はaとtheの2つ。スペイン語は「定冠詞」「不定冠詞」など8つもある。「冠詞」という日本語の意味がわかっていない、と知る。日本語の辞書を改めて引く。ここで自分の愚かさが露呈する。授業が終わって先生に尋ねたことが恥ずかしい。「冠詞」と並んで「副詞」も難しい。徐々になれて来るのかも知れない。

午後家に帰ってから外に出ようとしたら、郵便受けに配達ものがあると入っている。先日郵便局においてあった母の日のパンフに蘭の花が掲載されていた。母はいない。それなのに、そのパンフを見て自分宛に注文する。それが母の日を前にして今日配達されるという。

それが来るまでの間、先日の中国の旅をブログに書く。それにも飽きたので今日のブログを投稿。

そういえば今日失敗をした。大学の図書館で本を延長して借りる手続きを機械でしていた。ところがすぐにエラーが出る。それを見ていた職員が本を手にすると、なんと市の図書館の本だった。何とボケッとしていることか。怪我でなくてこれくらいのことでよかったけど・・・。しっかりしないといけない。

またまたその姿を見て母は言うだろう。「またボケッとして・・・。花はどうでもええけえ、ちゃんと本を返しんさいよ」。

ブログを投稿し終え、今日先生が話されていたことを思い出す。現在、スペインはギリシャ化しているとか。そのため、旅行は危ぶまれるらしい。たとえ旅行してもいつストが起きるかもわからない。そうなれば旅先で足止めとなる。

その面でも昨年スペインへ行ってよかった。もしも今年ならばそういう場面に遭遇するかもしれない。何ごとも行けるときに行くべきだということだろう。

2012年5月10日木曜日

外国語を学ぶ

部屋の今の気温25度5分、湿度41%と電波時計は快適を示す。気持ちよい夕暮れ時だ。

先ほどまで、我が家で幼馴染のわかちゃんと会って話をする。彼女は娘さんと2人で妹さんの住む金沢でGWを過ごし、昨夜帰宅したとか。色々とお土産をもらう。ところが外国へ出かけたモノの方が渡すお土産が少ない。申し訳ない気持でNaさんから頂いたものも混ぜて彼女にあげる。

以前だったら中国のお土産はどの人にも分け隔てなくあげることができた。ところが中国のめまぐるしい経済発展についていけず今ではそれもできない。

お土産と言えば、今朝東京の姪にも送った。今回の旅は、チベット族とチャン族という少数民族の住む町に出かけた。そこにある珠宝の博物館で自分用に「珠」のストラップを2本購入する。そのうちの1本を姪に送る。今の携帯ストラップは姪からもらったディズニーランドのもの。これも捨てがたいけど・・・。

昨夜はNaさんあてに中国で一緒に撮った写真を添付メールで4枚送信。今朝、写真を見たとの返信メールが届く。どのメールも送受信できたようでこれも一安心。

今朝は久しぶり予約を入れている歯科に出かける。歯科には昨年秋から通っている。どうやらやっと歯科に毎週通わなくて良くなりそう。これでまたホッとする。

その暇にはスペイン語の勉強。スペイン語の辞書は電子辞書でなく紙の辞書。電子辞書は10年前に中国語の入ったものを購入した。ところが今では外国語のカードを差し込めばその外国語の辞書になるとか。家で持ってる中国語の辞書を見るとカードの挿入口がない。多分、最近そういう便利なカード入りの電子辞書ができたのだろう。

紙の辞書を引いていると、「勉強する」雰囲気になる。これは電子辞書を引くときと違う気持。なぜだろう?だが紙の辞書は電子辞書ほど容易く引けない。それだけ頭にインプットされるのかどうかわからないけど昨日から辞書をめくっている。

外国語と言えば映画の新藤監督は100歳になっても英語を学び続けている。NHKで放送されたその姿を見て感銘を受けたことがある。外国語を学ぶことは頭の運動になるのだろう。足腰は少し弱っておられるが頭はしっかりしている。

いつも思う。100歳まで元気に生きてる人は何かが違うと。まだまだ100歳までにはだいぶある。それまでスペイン語を学べばなんとか話せるようになるかもしれない。それには先ず元気で生きていなければ・・・。

2012年5月9日水曜日

早朝メール

今朝は姪からのメールで目を覚ます。その時刻6時38分。メールのタイトルは「エアーズロック最高!!」とあり、添付写真が一枚ある。
メールで送付されたエアーズロック
すぐ電話をかけると朝早くから元気な声だ。オーストラリアは初めて?と聞くと2回目だとか。姪は年末年始を海外で過ごし、GWも海外に出かけた、とあってかなり海外への熱が再燃した模様。若者が海外に行かないのはなぜ?と聞くと、ネットなどバーチャルの世界の影響があるという。わざわざ出かけなくても海外に行った気分になれるのだろう。

というわけで今朝は早いお目覚めとなった。そんな日の一日は長い。何日も家でスペイン語の勉強をしていない。昼前スーパーに出かけ、カラッポになっている冷蔵庫に食料を補給する。その後はスペイン語を学ぶ。ラジオもつけずに没頭する。

何かに夢中になると時間はあっという間に過ぎていく。

こういうときいつも思う。若い頃これくらい没頭するモノ、コトがあれば自分の人生、違っていたのでは・・・と。でもまだ大丈夫!と自分に言い聞かせ、どうなるものでもないと思えるスペイン語にのめりこむ。なんとおめでたい性格だろう。

それゆえか、年を重ねても若者に混じってノコノコと大学へ出かけて行く。これもまた楽しくていいんじゃない、と勝手に思ったり・・・。

それはさておき今日一つ賢くなった。ブログへの画像取り込みがメール受信の画像でも可能だとわかったのである。

先日出掛けた中国でデジカメの電池がなくなり、最後の日は携帯電話で写真を撮った。だがそれをどうやって画像に取り込むかを考える。とりあえず携帯写真をメールでパソコンに送信。それを保存すると画像に取り込む。もしかしてもっと楽に取り込めるやり方があるのかもしれない。だが、今のところ、ここまでの知恵しか浮かばない。

今日のブログに早速、姪から送られて来た携帯メールの画像を取り込んだ。

これから旅行の画像をブログに取り込み、少しずつ中国旅行記を書いていこう!

2012年5月8日火曜日

講義ノートから

午後からの講義を受けに大学へ行く。講義室に入る手前で「こんにちわ」、「こんにちわ」と女性の声がする。今、通っている大学ではほとんど知り合いがいない。振り向くと先日旅行のため講義を休んだ時の講義ノートを見せて欲しいと依頼した女性だった。教室に入る前、上海の空港でどうにか手に入れたお土産を渡すと、その女性から講義ノートのコピー2枚をもらう。ありがたかった。

講義が始まるまでニコニコとしたかわいい顔のその学生に広島の人かと尋ねると大分の人だった。スペイン語を一緒に習う人に中国のパンダのチョコレートのお土産を渡すと、とても喜んでくれる。うれしかった。教育学部の学生だとか。教員になるらしい。

講義後、いつものカフェに行く。だが、フルートのレッスンのため市内に戻らないといけない。とりあえずカフェに入ってアップルパイとコーヒーを注文する。飲み終えるとすぐにバス停に向かった。

市内に戻ると人々の服装の変化に気づく。それは靴にもある。春を一気に飛び越えて若者は夏の装いだ。明日からどんな服を着ようかと考えてしまう。

今日のフルートのレッスンは「夢」を仕上げ、「小さな黒んぼう」をさらう。先生の吹かれるフルートの音色を聴くといつも思うことがある。それは簡単な曲とか難しい曲の問題でなく、どの曲も素晴らしいということ。これから練習する「小さな黒んぼう」もそうである。この曲も先生からいつも言われるように、「丁寧」に吹くことを心掛けよう。これが今年のフルートの課題。

GWも終わってやっと平常の状態に戻った。まだ1ヶ月しかスペイン語も習っていない。段々と難しくなっていく。そういえば、今日コピーしてもらった講義ノートを見ると、ノートの書き方がまるで違う。わかりやすく書いている。家で書き直してきたのかと質問すると、授業中に書いたものだという。ちょっとこれにはびっくり!

ノートの取り方で勉強方法がわかる。少しは若い学生を見習ってこれからノートも「丁寧」に取るようにしよう!

そういえば今日は若い学生以外にも中国から持ち帰った愛の詰まったお土産をそれぞれ渡す。福岡のお母さんにも今朝送った。中国のお土産は少しだけで他に広島のお菓子を入れて郵便局から送ろうとするが郵パックに入らない。職員は持参したデパートの紙袋で郵便小包にしてくれる。親切になったものだと感心してしまった。

ともあれ何ごとも今年は「丁寧」に・・・。さてさてそれもいつまで続くやら・・・。それが問題だ。

2012年5月7日月曜日

コテージへ

昨日から今日にかけて、四川省で再会したNaさんからのメールを受け取る。今日は成都で一緒に写真に納まった添付メールが届く。メールにはまた四川省に来てね、と書いてある。

広島空港から上海浦東空港までは海外の割にはとても近い。しかし中国国内の上海から成都まではその倍くらい時間がかかる。中国という国の大きさを改めて実感する。何度中国へ行ってもまだまだ行きたい所はたくさんある。いつの日か再度行ける日を楽しみにして毎日を過ごそう!

中国の旅行気分が抜けない今日、岩国の友人と和木駅で合流して小瀬川湖畔のしゃれたレストランへ食事に行く。今日の目的は、友人夫妻が週末に利用する錦川鉄道の傍にあるコテージ訪問とその付近に咲いている芝桜を見ることにある。

山の中にあるレストラン
駅で合流すると友人はまだ納車して7日目という新車に乗せてくれて目指すレストランへ。昨年秋に行った際は、休みだった。今回は予約しているとか。道中、まぶしいばかりの新緑の中を目指す湖畔のレストランまでドライブ。新車の助手席に最初に乗せてもらう。友人も新車とあって楽しそうに運転している。
ポット・プーリー TEL0827-56-0750(要予約)
しばらくするとレストランに到着。車に乗っているとまだ、中国の旅の延長の感じがする。新緑のまぶしさは国の内外を問わず美しい!友人は、高山病で疲れているのでは・・・と気にかけてくれる。ところが高山病は高地で罹るモノ。平地では大丈夫、と笑って話す。

車でドライブ中、旦那さんと知りあった頃、このレストランへよく出かけたと嬉しそうに話す。その話を聞いているとこちらまで幸せになってくる。そして今日もまたいい話を聞く。ちょっとここには書けそうにない。その言葉を肝に銘じて・・・。迫力ある言葉!いつ聴いても説得力がある。
友人宅のコテージ
食事を終えると友人宅のコテージへ車で向かう。山の中の道も国道とか。どこを通っているのかさっぱりわからないけど話に花が咲く。しばらくするとコテージに到着。コテージの主がその命名者とか。なかなかいい名前がついている。

コテージの全体像の写真を写したけど、あいにく我が姿が・・・。2階建てで快適な環境に建っている。ここで週末を過ごすとは何と贅沢なこと!

コテージ付近一面に咲く芝桜は満開の時季を過ぎていると聞く。それでもまだあちこちにピンクの花を撒き散らしている。この芝桜、普通の桜のように木に咲くものと思っていた。ところが先日読んだ新聞記事で地面に這うようにして咲く花と知る。今日見た芝桜もそうだった。ピンクのほかに白い芝桜も咲いている。
コテージ近くに咲く芝桜
〇〇さん、今日はお天気にも恵まれました。そして新緑の中、本当に楽しい1日をありがとうございました。またランチもご馳走になりました。助手席にも一番に乗せてもらって・・・。車にも歓迎されました(?)。今度会うときはカラオケ?どこへでも着いていきます。ありがとうございました!

2012年5月6日日曜日

中国四川省を旅して

昨夜遅く中国から帰ってきた。この旅の模様は近いうちブログにアップする予定。

行き先は中国四川省成都、黄龍と九寨溝。旅の目的は世界遺産である黄龍と九寨溝観光に加えて、四川省の〇〇大学のNaさん、Chenさん夫妻と再会すること。そして同行者の女朋友がいう高山病体験がある。結果的にそのすべてを果たした楽しい、いい旅であった。

また偶然にも中国で超有名な歌手であるという香港の張学友のコンサートの模様もホテル28階の部屋から見ることができた。

中国のガイドもNaさんも有名だと話す。その模様は翌日の新聞にも大きく報道されていた。何と夜8時に始まり終わったのは11時40分。入場者数も3万人。ホテル横のサッカー場での開催であった。

旅に出る2日前、姪に電話する。姪を初めて外国へ連れ出したのは伯母である私。オーストラリアへ行く予定を中国へ変更させた経緯がある。その姪がオーストラリアへ行くのは当然のこと。本人も行く前の電話でオーストラリアは最初の夢だったという。それが適えられたようで昨夜のメールでは「中国どうだった?こちらエアーズロック、気持がいい。リゾート地だわ。・・・」とある。これで伯母としてもホッとする。

中国へ行く前夜、電話で知人と話す。旅立つ前はどんなところでも気分は高揚する。まして今回は高山病に罹る危険がある。それを払いのける意味もあって余計話していても興奮気味になる。電話で大笑いして話した後は就寝、となるはずが興奮し過ぎて眠られず・・・。

その高山病に2日目の黄龍の最後の観光ポイントとなる五彩池(3650m)に行く手前で罹る。同行者の朋友はそこからリタイヤする私に付き添ってくれて非常に申し訳ないことをした。リタイヤと言っても歩くすべてが観光地なので、それはそれでよかったのかもしれないが・・・。それにしても心配をかけて申し訳ない。

黄龍観光前、一人1本ずつ酸素缶をもらう。軽い高山病になりながらもどうにか歩いて下山する。ところが酸素缶の酸素がなくなり、集合場所にたどり着く途中で歩けなくなる。休憩しながらどうにか集合場所に到着する。しかしホテルに到着して宿泊する部屋に行くエレベーター前で気分が悪くなり、その日の夕食を断念し、すぐにベッドで休む。後でおかゆをもらって食べてその日は就寝。翌朝は元気を取り戻しホッとする。

それにしてもよく歩いた。山といっても道はすべて廊下のように木が張り巡らされた木道。登山靴を履きリュックを背負って山歩きの恰好で歩く。だが、現地の人はヒールのある靴を履いている人もいて、そのパワーに脱帽する。今の中国のパワーある現状が現地を旅行する中国の人々の姿にも現れている。

さらに街中に建つ高層ビル群の数の多さ。それに加え、今の建設ラッシュにもパワーを感じる。いつまで発展し続けるのだろうか。日本のようなバブルにならなければ良いが・・・。

10年ぶりとなる中国の旅も今回で10回目。そのうち成都は3回目。国土の広さが日本の24倍とあっては、10回行ったといっても行ったうちには入らないかもしれない。それくらい広くて大きい国である。

旅の初日、〇〇大学に勤務する夫妻と10年ぶりの再会を果たす。夜7時にホテルで会ったときはすでに夕飯を食べていた。だが、夫妻の車で街中にある四川名物「火鍋」料理に連れて行ってもらう。そこは高級なお店で夫妻は食事済みの私たちにもかかわらず、食べさせてあげようとの配慮から、鍋に入れるものをどんどん注文する。夕飯前でないのが残念!ちなみに飲むビールは常温ビール。冷たいものを口にしない中国を見る。ということはそのお店は国内の人たちだけが食事する高級料理店なのだろうか。

4人で会って食べていると、まるで広島にいるようで違和感がない。広島にいた頃、夫妻宅でChenさんの作ってくれる料理を何度かご馳走になった。

火鍋を食べる前、広島から持ってきたお土産を渡す。朋友は広島空港出発ロビーで買った日本酒、タバコ、口紅、もみじ饅頭他のお土産。私は模様入りの綿のストール、バウムクーヘン、チョコレート、ふりかけ等。どれも喜んでもらえたようで嬉しかった。

夫妻も私たちのためにお土産を持参していた。ところがあいにくまだその日は旅の初日。最後の日にまた同じホテルに泊まる。その日の再会を約束して・・・。

火鍋を食べた後、夫妻は大きなトヨタ車で成都市の街中をドライブに繰り出す。夜遅くてもそこは中国。人も車も多い。朋友は車を運転するが中国ではできないとしきりにぼやく。その意味もわかる。

何を見ても何をしても日本との規模が違いすぎる。その違いは、奥さんのNaさんから聞いた言葉にもある。その人は大学で生命化学分野の先生をしている。日本で博士号を取った才媛。大学院生を受け持っているがゼミ生は多いらしい。そのため一日の授業が朝、昼、晩の3回に分けてあるとか。朝8時から夜10時半までである。これを聞いてびっくり仰天。日本では考えられない。ゼミ生はNaさんだけが多いのではなく、学生の絶対数が多いらしい。

大学の先生の定年を聞くと女性55歳、男性60歳。日本とは主義主張の違う国である中国。だが、男女平等と思いきや、そういう面で男女差があるとは・・・。

中国最後の夜の5月4日は経済学者の夫が他大学へ出張講義。そのため奥さんとだけ再会する。私たちのためにお土産を持参してホテルで待ってくれていた。夕食後、ホテル内のラウンジで再会する。ホテルは成都のシェラトンホテル。今回の旅はシェラトンホテルの利用がほとんどだった。広島のシェラトンでの宿泊はないが食事で利用したことがある。全くその規模は比べられないほどの大きさで、成都のシェラトンは立派なホテルだった。

ちょうどその夜は有名な歌手である張学友のコンサートが隣のサッカー場で開催された。夕飯を外で食べてホテルへ帰る道中の混雑はもう大変。中国各地からファンが押し寄せるとあってものすごい人出だ。当然ホテルも関係者以外はシャットアウト体制。Naさんともコンサートが終わる夜10時前にホテルで別れた。タクシーもホテルに入られず、Naさんには気の毒だったが・・・。

ちなみに5日朝、現地ガイドに見せてもらった新聞『成都商報』によると張学友は香港の歌手で50歳。ジャッキー張(チャン)ともいう。下にYOU TUBEの動画を引用しよう。

歌神 6年四度 蓉城(成都の別称)20万歌迷追看
掌下8000万元票房(8000×10000×13.5=10億8千万円 1元=13.5円)
娘2人 3万人収容

と見出しにある。()は注。

(張学友は六年に4回の成都のコンサートで20万人のファンが見に追いかけ、10億8千万円の興行収入を司る)

Na、Chen夫妻から頂いた中国のお土産
ともあれ、5日間という短い日数だったが、目一杯スケジュールをこなした楽しい旅は終わった。

Naさん、Chenさん、成都ではお世話になりました。楽しい時間を過ごさせていただきました。また、たくさんのお土産を頂き、ありがとうございました。今度は是非広島で会いましょう!いつの日かNaさんの故郷の昆明で会えるといいですね。

さらに空港への行き帰りを車に乗せてもらい、楽しい旅を同行した女朋友にも改めて感謝します!この反省会はまた近いうちにしましょう!Xiao Chi小姐非常感謝!

10年振りの中国へ旅して感じたことは、人々の服装、建物、物価の変化である。物価といってもお土産を買おうとして感じたこと。お茶を買おうとして手にするとなんと一箱が1万円もする。一般的には5、6千円。日本にお土産として買って帰って人にあげても誰もそんなに高いとは思わない・・・。またお土産を買う暇もないほどのスケジュールで、ガイドが移動するバスの車内で販売する始末。これにも驚く。

上海から日本へ帰る国際便の出発ロビーでやっと少しだけお土産を買った。

また自分自身の食べ物への嗜好の変化を感じた旅だった。10年前までは何でも見てやろう、何でも食べてみよう、で旅していた。それが、平常の食べ物が和食。それも魚中心の食生活のためか、何でも食べてみよう、ができなくなっている。これは非常に残念。以前のような旅への気持を取り戻せば貪欲になるのだろうか。

ともあれ、楽しい旅は無事終わった!