2014年8月31日日曜日

空は快晴!

今朝の空は快晴。8月最後になってやっと青空を見る。だが、季節はすっかり秋。

昨日午後は日本画教室へ。来月下旬に開催される絵の展示会の詳細を聞く。その週はフルート発表会とも重なる。

話を聞くと絵の展示会の受付を皆で手分けをするらしい。これが大変。フルートの発表会のためのピアノ合わせとレッスン、本番で3日間。絵の方では搬入、受付手伝いなどで3日間ほど予定が詰まる。幸い、両方を重ねずに何とかなりそう。残る1日は西条へ行く。

9月のこの1週間はかなりハード。それも年に一度のことばかり。体に気を付けよう!

昨日は先週の続きで実の付いた柿の小枝を完成。この時、新しい言葉を知る。だが、メモを教室に忘れてしまう。

昨年の今頃は日本画は習っていなかった。そのため、9月に海外に出かけていた。ところが今年は海外どころではない。

モノを習うということは忙しくなり、大変なことだということがよくわかる。ほかにも10月に日本画教室で1泊のスケッチ旅行が予定される。だが、それは先約を入れているので行かれそうにない。

他から水彩画も誘われている。色々とやり始めるとなにもかもが中途半端になりそう。これ以上、手を広げるのはやめよう。

行楽の秋になる。絵を習っていても遊ぶ話や食べる話が出る。暇人はどの話も大いに賛成。

教室の帰り、近くのスーパーにより無花果とピオーネを購入。出かける前には桃も安かった。だが帰りには売り切れてもうない。残念!

昨日はほかにもスキャナーと格闘。新たなことを始めると本当に草臥れる。とはいいながらもムキになってやるのも楽しみかもしれない。

今朝はヘリコプターの音がうるさい!これも災害現場のヘリコプター!?

ともあれ今日も元気で!

2014年8月30日土曜日

善光寺大本願展に行く

やっと朝から晴れる。つくつくぼうしも鳴いている。あのギラギラした暑さはなく、蒸し暑さだけを感じた今年の夏は終わりを告げる?

気ぜわしくしていたら一昨日出かけた善光寺大本願展のことを忘れている。このお寺は皇室とゆかりがある。展示品には皇室とゆかりの御品も展示されている。

善光寺といえば「牛にひかれて善光寺参り」がよく聞かれる。尼寺とは展示会に出かけるまで知らなかった。

善光寺は行ったことがない。牛にひかれて…といわれるくらいだから全国からの参拝客も多いのだろう。

善光寺といって思い出す。母は亡くなるまで善光寺の腕輪念珠をしていた。させていた、というほうが当たっているかもしれない。

元気だった母と金比羅山に家族でお参りした。80歳はとうに過ぎていた母。だが、皆と同じように何百段もある狭い階段を上まで登った。そこで買った腕輪念珠をいつも手にしていた。またあちこちに出かけたときに買って帰ったお守りをまとめて肌身離さずつけていた。

その腕輪念珠もいつしか球が外れる。その時、母の孫である東京の姪がネットで購入して善光寺の緑色の玉の腕輪念珠を送ってくれた。これでわが家も多少ゆかりのある善光寺。いつか参拝したい。

善光寺展を見終えると横の売り場で中国の朱肉などが売られている。先日、以前中国で購入した朱肉(印泥)と落款を絵に押印するため日本画の先生に見てもらう.

印泥は使っていないため、硬くなったまま。それをどうすれば元の状態になるか、売り場の中国人に聞いた。朱色のままで黒くなければオリーブオイルを混ぜるといいという。

さっそく昨日混ぜてみる。ところが、オイルと朱肉をいくら混ぜても押印すると朱色にならない。ネットで調べても思うようにならない。かなり混ぜてみる。やっぱりダメ。ほとほと疲れ切って、次はパソコンのスキャナに挑戦。

このスキャナ。仕事で利用したことはあるが、家では初めて。最近のPC関係は取扱説明書がほとんどない。それでも薄いプリンターの取説を出して読む。

なんとその最初のキーワードのオンライン・マニュアルがPCの画面上に出ない。角をクリックして…とある。だがどうやってもでない。試行錯誤の末、プリンターを触るほうが早いと気づく。

プリンターにスキャンの画面がある。さわるとパソコン画面にも表示される。何とかパソコン上にスキャンされた。よかった!自分のメールにスキャンされたものを送ると受信もできた。

お昼から日本画教室へ出かける。描いた絵を家に持ち帰らず教室に置いたままにしている。今日は持って帰ろう。

今日も元気で!

2014年8月29日金曜日

「広島を元気に!」

やっと梅雨(?)が上がると思った。ところが、相変わらずお天気は良くない。今朝の地元紙を見るとあと4日は晴れマークがない。これじゃ、9月になっても雨続き!?

昨夜はフルートを習っている友の最後のお別れに行く。同じ先生について長くフルートを習っている。したがって、習っている人はどの人も長い付き合いになる。ざっと見渡してもフルートの仲間だけで10余人がお別れに来ている。

亡くなられた人との思い出は多い。浮かんでくるのは笑顔。嫌な面を見せられたことはない。皆から愛された人だった。

思いつくままに書こう。なんといってもフルートを一緒に習ったこと。何度もフルートの発表会に参加。フルートフェスティバルにも参加。よくフルートの先生たちとも食べにも行った。究極はフルート発表会でアンサンブル演奏と決まり、本通りのカラオケ店に出かけて4人でフルートの練習。これは写真も残っている。4人とも若かった。楽しい思い出。

他にも落語が好きで、2年前はチケットがあるといって柳家花緑の独演会に誘ってもらったこともある。また以前には1人で出かけたコンサートで帰りに出会い、遅い時刻なのに同僚とご一緒でも食事を誘ってくださった。そして、裁判所勤務なのに、同僚とのお話では「我が社は…」といかにも会社勤務のように楽しそうにお話もされていた。いろんなことを思い出す。

初めてキリスト教の式に参列。何から何まで仏式とは異なる。ましてや、いままでこういう席に出かけることはほとんどなかった。すべては親任せ。というかこれからは自分自身の周りの人たちとの別れが多くなる年代に入ったのかもしれない。

司祭はこの日は亡くなられた人を思うといい、とお話しされる。そして、亡くなった友人の生き方は「今できることを頑張る人」だったと何度か口にされる。病気と闘いながら生きている命を大事にされた…。

命が尽きる不安を抱きながら生きていく。そう思って司祭のお話を聞くと涙も出る。さぞかし、無念だっただろう。

1,2年前の宴会ではパイプオルガンを習っていると話された。その意味が昨夜わかる。教会でミサ曲などを演奏されていた。昨夜の司祭からはおのずと本人と教会との関係のお話が多かった。

今のところ、まだまだ元気。自分さえやる気になれば、ナニゴトもできる状況にある。これはもしかしてありがたいこと!?一日一日を大事にして自分の思うように生きていければそれでいい!

感受性が強い。今日は気分を変えて、自分を取り戻そう!そして元気を出そう!

今朝の地元紙TV番組欄。横から読んでも縦から読んでも「広島を元気に!」。NHKのプロ野球の紹介がしゃれている。今夜もカープを応援しよう!

2014年8月28日木曜日

悲しい日

1週間後の晴れマークのお天気。その予報は見事に外れる。今朝降る雨は冷たい!

昨日は朝早くから県北の三次に向かう。バスの車窓から見るあたりの景色。災害は見渡せない。もしも見えたとしても、目を覆いたくなるような光景だろう。

目を覆いたくなる、といえば昨日は他にもある。長くフルートを習っている人の訃報を先生のメールで目にする。最初にそれを知ったのはフルートを習っている人からの電話だった。その時点ではメールを見ておらず、驚くばかり。

県北に住む友がいる。その友の車で2か所の美術館に連れて行ってもらった。行く途中の車の中で先の不幸を耳にする。同世代のフルートの友だち。病を抱えていたとは知っていた。一昨日、フルートの先生も様子が…と聞いたばかり。

3年半前に母を亡くした。それ以降、自分自身がそうなることは考えられずにいる。ところが、そうともばかりはいっておれない現実がある。なんと人の命の儚いことだろう。

気を取り直して、美術館巡りをする。始めに行ったのは美術館あーとあい・きさ。広島県日本画協会の小品展だった。日本画の先生たちのほかにも長く習っている人の絵もあった。どの人の絵も見ていてわかりやすい。

次に行ったのは先月も出かけた三良坂平和美術館。ここは大きい作品ばかりが展示されている。見る順番を変えていたらもしかしてがっかりだったかもしれない。

日本画を習い始めて風景の絵に関心を抱くようになった。今はまだ静物などが多い。いつか日本画で奥入瀬などの水のある風景を描いてみたい。これが今の日本画への夢!

また一つ目標ができた!描ける日が来るように…と願って日本画を習おう!

田舎にある2つの美術館。市内と違ってお客さんも少ない。始めの美術館では入場される2人のご年配に持参したチケットをあげる。喜んでもらえた。

今も降り続く雨。今夜も雨になるのだろうか。今夜はフルートの友の最後のお別れに出かける予定。悲しい日となった!

2014年8月27日水曜日

ソノリテから

やっと晴れマークの1週間を迎える。今年は夏はなく、梅雨が明けるという感じ。

昨日は午後からフルートのレッスン。フルートは3オクターブの音が出る。ソノリテでは一番低いレの音の響きが悪い。この時、先生からレの声を発音するときと同じようにフルートを吹くといいと教わる、

家に帰って低いレの声を出す。また高いレも出してみる。低いほうは顎を引き、おなかに力を入れるとかなり低い声が出る。逆に高いレは頭のてっぺんが引っ張られるように声を出すとよく出る。

フルートは体を筒のようにすればいい音が出る、とわかる。今週は低い音がいい響きで出るように練習することが課題。

レッスン後、アンサンブルのミニミニ特訓がある予定だった。ところが、出席できない人がいて特訓は中止。出席していた人と、その人のレッスンまでティータイム。習っているビルの地下に感じがいいカフェがあった。そこでティータイム。

次回はフルート発表会?みんな頑張っている。

今日はこれから県北の美術館へ日本画の先生の絵を見に出かける。元気を出して、高速バスに乗って見に行こう!

2014年8月26日火曜日

青森ねぶたツアー


明け方、大雨で目が覚める。新聞の天気予報によると明日から1週間はお日様のマークが見える。やっと梅雨明け?と錯覚しそう。

昨日もいいお天気ではなかった。午後から予定通り泳ぎに行く。出かけるプールは水中歩行の人が大半を占める。泳ぐコースは1コースと狭い。だが、長い距離を泳ぐ人が少なく、バタフライをする人もいない。そのため、泳ぎやすい。

歩く人も泳ぐ人もまるで社交場。どの人も大声を出している。その周りからは70年代の歌謡曲全盛時代の歌が流れる。この時ばかりは現実を忘れそう。

今朝の新聞で学力テストの結果が公表される。東北勢が元気だ。秋田県の小学校はどの科目も全国1位。青森県も4位と頑張っている。

先日青森へ出かけた。立派な建物は何?と代表に聞くと学校関係との返事。代表の住まいも学園都市にあった。建物を見ても教育に力を入れている県と知る。以下はその青森の旅を記したもの。遅くなったけどブログにアップしよう!

8月4日(月)から10日(日)までの1週間、青森へ行ってきた。旅の日程はすべて青森行きを誘ってくださった合唱団の代表が計画。国内の旅としては長い日数で充実した旅だった。

旅の目的として青森ねぶたを見ることがある。そして、参加者の大半が水彩画をしているため、各地でスケッチも計画される。

第1日目8月4日(月)

広島駅6時13分発→東京駅11時40分着。東京駅に降り立つのは何年ぶりだろう。車両の暑さと人いきれで熱風が漂う。ここで東北新幹線に乗り換える。ところがはやぶさとこまちの車両が連結してあり、乗り場に戸惑う。同じホームに向き合うはやぶさとこまち。2両の出発時刻は2分違い。この光景は初めて目にする。

東京駅11時56分発→仙台駅13時30分着、13時39分発→一関駅14時10分着。

17時14分発の盛岡へ行くまでの時間を利用して平泉中尊寺見学。各自キャリーバッグを持っている。そして雨も降り続く。中尊寺までは駅前のお土産屋にバッグを預け、タクシーで中尊寺の参拝口まで移動。参拝後も車を拾えるようなところでないため、時間を決めてタクシーの迎えを頼む。その間、中尊寺参拝。

初めてお参りする世界遺産中尊寺。雨も降っていて思うように行動できない。お寺なのに若者の参拝客が多い。これ如何に!?

雨に濡れた青々とした樹木。お天気がよければもっと良かったかもしれない。

青森の旅は雨の日続き。こればかりはどうしようもない。ただ、奥入瀬だけは日程の変更をしてどうにか傘もささずに観光できた。ほかの日は雨が旅の道連れとなる。

盛岡駅17時54分着、18時37分発→新青森駅19時37分着、19時47分発→弘前駅20時28分着→代表の旦那さんの車でご自宅へ。

新青森から弘前までのローカル線はねぶた見物の若者で車両はいっぱい。通勤電車を想像していたらねぶた帰りの若者だった。この時、キャリーバッグが動き出す。隣の若者連れが手助けしてくれる。横の女性にお礼を言いながら話をする。

秋田からねぶたを見に来たという。その夜は弘前に宿泊するともいう。さすがに秋田美人 、きれいな女性だった。いきなりカープ知ってる?と聞くとマエケンを知っていた。

青森行きの参加者4人のうち、2人ずつ分かれて宿泊。合唱の人と離れの2階に宿泊。ここは留学生用のゲストルームとなっており、お風呂、トイレ、炊事場、洗濯機など完全に孤立した建物。ありがたく4泊する。

なぜこのように気安く招待されるのか。その理由がわかった。ご夫妻の息子さんは東京外大を出られ、アフリカへ留学。そこでお世話になる。このお返しの方法はいろいろあるとか。人さまからお世話になればその相手でなくても、他の方法でお返しすればいいと話される。

息子さんのこういう考えからご家族で人々を泊められている。また、旦那様もアメリカ留学時、人さまからお世話を受けられた。そのため、大学勤務時も今も留学生のお世話をされている。

それにしても広島を経ってから何時間もかかってやっと青森のご自宅に到着。これもすべて、JRジパング倶楽部を利用したことによる。旅費を切り詰めれば何かを失う?

第2日目8月5日(火)

終日代表の車で観光。この日の運転は代表で旦那様はご自宅で休息日。弘前市伝統産業会館で津軽塗の仕上がる過程など見学。元大学教師の旦那様は漆塗の研究がご専門とか。ほかにもヒバ油の開発に携われたらしい。お土産にこれをいただく。ありがたい!

物産館で津軽塗の工程を見る

 弘前城の枝垂桜見学。ここの桜の木はお見事というほか言葉が出ない。だが、生憎今は桜の開花時期ではない。春の弘前公園は人出も多く、園内で宴会も可能とか。緑の葉っぱと桜の幹を見てその開花時期を見てみたいと思った。
弘前公園の枝垂桜

古木がいたるところにある

寺町を車は行く。広島あたりの寺町と違ってお寺の規模とその数はかなりのもの。曹洞宗のお寺らしい。

田舎館村で田圃のアート見学。だが、観光客であふれている。町役場の建物のエレベータで上がって見学する時間まで1時間待ち。待った甲斐があってそれは見事な田圃のアートだった。アートは今年は第22回目。
田舎館村の田圃のアート

次は八甲田山ロープウエイへ移動。だが、雨のためロープウエイは動かず。2軒あるレストランも雨で閉店。スケッチをしようという人もいてここでスケッチ。持っていたパンを分け合ってスケッチ開始。だが、おなかも空ききってまったく気分は乗らず。

ねぶたの出番まで青森県観光物産館前で降車。15階建ての三角形のビルで愛称はアルパム。この“ア”は青森の“A”を表している。代表はねぶたの場所取りに1人で車で移動。
出番を待つねぶたの山車


出番を待つ人々

出番を待つ山車
物産館10階のみちのく料理店「西むら」で午後3時過ぎ、やっと遅い昼食。ここは陸奥湾の眺めも良く、烏賊の刺身などの定食をいただく。本当においしかった。

物産館には夜、大通りを練り歩くまでのねぶたが控えている。ここだけでもお祭り気分。団扇、スナック菓子など袋一杯無料でいただく。

雨も降ってくる。ねぶたの会場で場所取りをしてくださる代表のところまで予定時刻より早めに行く。ここで皆でねぶたの場所取りをする。だが、全国からの大勢の観光客に混じってねぶたが登場するころには横断歩道の真ん中に陣取る。

ねぶたの山車の来るのを待つ間、代表はきゅうり1本を串に刺したものを口にしている。周りを見るとこれは売られている。初めて目にする光景だった。東京からの1人旅の女性に聞くと、東京でも売っているという。これにはびっくり。旅の間中、代表はこれを家で作られたのか私たちもよく食べさせてもらった。水分補給に合う食べ物だ。

ところ変われば品変わる。まだまだ日本は広い!

代表は携帯椅子も用意。トイレもかねて目の前にあるレストランにかわるがわる入って珈琲を飲む。

代表は計4時間も場所取りに費やしてくださった。後から合流した我々はそれでもねぶたが登場まで待つこと2時間、降り続く雨と格闘する。

青森ねぶたはまじかで見るとそれはそれは圧巻!大きな太鼓、笛、踊り手、そしてねぶたを操る人々。一個(台?)のねぶたは公の機関、企業など単独や合同で山車を作る。これが数日続く。ねぶたを見ているときも団扇など配られる。もう町全体を挙げてねぶた、ねぶた。老若男女は浮世を忘れてねぶたに没頭!?ねぶたは本当に素晴らしかった!

ただ、雨と人の多さで見ることに没頭し、写真に収められず残念!

第3日目8月6日(水)

予定では奥入瀬見学の日。ところが雨のためそれは後日に変更。マグロの一本釣りで有名な大間の岬に行く。

途中、浅虫温泉の道の駅でお刺身定食をいただく。美味!

青森は車を走らせても道が広い。車も多くないのになぜと聞くと雪よけのための道幅が広くしてあるとか。

大間の岬

大間のマグロの一本釣りの記念碑でスケッチ開始。岬の向こうは太平洋。いつも見ている瀬戸内海とは違って、さすがに太平洋!
大間の岬
日本の本州最北端にある大間。ロケーションのいい場所で車を降りてスケッチ。横をみると若者が自転車から降りている。東京から1人で自転車の旅をしているという。35歳のフリーターだった。

小雨も降っていてスケッチをする気が起らず、若者と話をする。

若者は宿泊先を決めず、安全なところを探してテントで野宿。詳しいことは話したがらず。だが、若者は何かを求めて旅するのだろう。何もせずにぼやくより、行動に移す若者は元気がいい!

この後も旅の間中、いろいろな人たちと出会う。海外であれ、国内であれ、旅は道連れ世は情け。せっかく出会った人たち。その人たちとの話は楽しい!

この日は代表と旦那様、そして我々4人の計6人でホテルに宿泊。ホテルに到着する間際に代表の妹さんと大間で合流。お土産店やホテルを案内していただく。

ホテルは温泉もあり、食事も海の幸を盛り合わせたマグロを中心にしたお刺身。温泉につかってホッとする。

第4日目8月7日(木)

ホテルの朝食は朝から烏賊の刺身がでる。8時過ぎにホテルを出発して車は下北半島に位置する津軽海峡文化館のある佐井港へ。ここから仏が浦まで定期観光船に乗る。往復乗船券@¥2400。佐井港を出た船は仏が浦に着いた後、船長が30分案内してくれる。代表と2人で着いた船に乗り港へ帰る。

後の2人は次の便まで仏が浦でスケッチ。

船に乗船しなかった旦那様と代表、そして私の3人で佐井港の津軽海峡文化館内のレストランでスケッチ組の戻るまで、パンフを見ながら仏が浦の絵を2枚描く。この時、絵の描き方を代表とその旦那様に囲まれて習いながら描く。

画用紙は代表からいただいたスケッチ帳。画像にある如来の首など描く。何か見ながら描く描き方は何とか描けるものと妙に感心してしまった!

津軽海峡文化館内には赤十字の心に生きた医師、三上剛太郎のミュージアムがあった。軍医、三上の遺品などを展示。この人の名はここで初めて知る。三上は80歳を過ぎてから少年時代の夢であった「レ・ミゼラブル」を原語で読むため辞書を片手に独学でフランス語をマスター。「死ぬまで勉強」が剛太郎の口癖であったという。

仏が浦
乗船して出かけた仏が浦。ここは遠い昔、青森県の大地が活発に活動した火山が噴き出てできたものとか。海から眺める海岸の大彫刻はなかなかの圧巻!

仏が浦でも東京から車で来たという1人旅の男性と出会う。夏休みを車で旅行しているのだろう。出会う人は東京からの人が多かった。

仏が浦を後にして恐山に向かう。

もらったパンフによると恐山は「ひとを思うひとの心 霊場恐山」とある。そして「時代がいくら移り変わろうと人々の決して尽きることのない安らかな生と死への願いがある限り、霊場恐山は彼らの思いとともに信仰の光を灯し続けるのです。」とある。

霊場恐山には風車、積み上げた石ころの山、向うに見える湖は真っ青、砂は白。これは天国か地獄か!?一見、チベットを思わせる。だが、自然の厳しさはチベットには負ける。
恐山参道


恐山(前方に見える白い塀のところにイタコが座る)
恐山 宇曾利(うそり)湖
草を結ぶのは死んだ人との縁を結ぶの意
代表のことば「お金を使わなければ体を使うのよ」。どういうときに話されたか忘れてしまった。ただ、メモしていたので記そう。

夕飯はイトーヨーカドー内のレストランでネギトロセットをいただく。このお店はスーパー、それともデパート?広島にはない。大きなお店でスーパーにしては品がある。食事も美味だった!

第5日目8月8日(金)

朝4時に起床して函館までの日帰り旅。もちろんこの日はJR利用。弘前駅5時25分発に乗る。その前にコンビニによって朝食調達。

この日の代表の言葉。ご自分の小学校赴任当時の子供に話されたとか。「人から言われる言葉にいちいちかまっている暇はないのよ。その言葉を誰が言っているかもわからないのだから」。

もっと早く代表と知り合っていれば、私の人生、今よりはましだったかもしれない。

函館行はJRジパングに加えて青春18きっぷを利用。蟹田駅で特急スーパー白鳥に乗り換える。ここで東京からの1人旅の若い女性と出会う。

蟹田駅
その人は大学4年生。就職は決まったらしく、5週間の旅に出るという。出会ったときは5日目。ちょっとした手違いで旅のひとときを彼女は我々と行動を共にする。

18切符はスムーズに乗車できない列車もあるとか。一部乗車可能の特急列車もいったん外に出て検札がいるらしい。そのため一汽車遅れる。その間を利用して駅の待合室では1人旅同士の旅の情報交換会が始まる。

ほかにも1人旅の青年、リタイヤしたおっさんの2人連れがいた。

若者たちは宿は到着したその日に決める。どうやって決めるのかをおっさんたちは若者に聞く。なんと彼らの言葉はネットカフェとか、健康ランドに泊まるという。女性もそうらしい。これには時代のギャップを感じた。おっさんたちはホテル代が高いとぼやく。

ネットカフェで一夜を明かすとは…。おっさん2人はどう思って聞いたのかその答えは知らない。多分、びっくりしたのでは…。

東京から新大阪まで隣になった若者にこの話をすると、驚いた様子がない。ネットカフェは身分証明がいるから大丈夫と教えてくれる。

ここまで生きてくるとそうまでしてきつい旅をしたくない。とはいっても、自分自身若ければこういう生き方にあこがれただろう。

この1人旅の女性は、世界遺産めぐりをしている。われわれが広島からというと連絡先を聞いてくる。ある人は平和公園近くに家があるらしく、連絡先を交換していた。

集まっていたうち1人は京都からで他の人は東京からだった。東京のお盆は人がいなくなるはず!?

函館までの日帰り旅とあって簡易リュックを持って行った。ところがこれがなんと途中で敗れ始める。

キオスクで袋を購入しようとすると係りがナイロンのリュック代わりになるものをくれる。申し訳なくて店頭のお土産を買ってお礼代わりにする。

旅に出た時の教訓。あまりにも粗末な道具は持参すべきではない!

函館駅から朝市や赤レンガ倉庫など見て歩き、バイキングの昼食。食事後は五稜郭見物とスケッチ組の2組に分かれる。

北海道は2度出かけたことがある。だが、函館は初めて。ここでは五稜郭を見学。スケッチ組は函館にある教会で函館の下界をスケッチ。函館は夜景が有名。だが日帰りのためそれはままならぬ。

五稜郭はエレベータで見下ろす。その後はタクシーで移動して1人で公会堂を見物。旧函館区公会堂は函館市の重要文化財。北方民族資料館など見どころもある。だが、待ち合わせの時間までそれほどない。後の見学はあきらめ、スケッチ組と合流。
函館市内

旧函館区公会堂コンサートホール
このホール。木材でできているため音響効果は抜群だろう!
函館市内

第6日目8月9日(土)

弘前の代表のご自宅を出て、奥入瀬に向かう。お天気をみこんで日程を変更した。幸いこの日はお天気にも恵まれる。

十和田湖に向かう途中、岩木山を目の当たりにする。
向うに見えるは岩木山

十和田湖

十和田湖

奥入瀬渓流に沿って歩く
奥入瀬渓流 銚子大滝


奥入瀬渓流 阿修羅の流れ
阿修羅の滝付近と他のいい景色のところで腰掛けてスケッチ2枚。代表のスケッチ用紙をいただき、教わりながら絵を描く。じっと景色を見ていると何とか描けるもの。自己満足の世界に浸る。

ふと気づくと、ペアの若者が立っている。描いている絵を見ていたらしい。話を聞くとまたもや東京から来ていた。

奥入瀬渓流 阿修羅の流れ

奥入瀬渓流の歩道は木道も敷かれている。道の高低差がなく、散策には適している。また、山深い場所にある渓谷のトイレやレストランは街中と比べてもそん色なくとてもきれい。これには驚く。秋の紅葉の人出もきっと多いことだろう!

ここで昼食は来る前に道の駅で調達した桃などをいただく。桃は小粒ながらも味が濃くて美味だった。

奥入瀬渓流 三乱の流れ

奥入瀬は再度、訪れたい!

代表ご夫妻とは青森ではこの日、八戸駅でお別れ。次にお会いするのは広島の合唱で。

残りの4人で八戸から久慈駅に移動し、近くのホテルに宿泊。ところが、台風も来ている。予定では翌日、三陸鉄道に乗る。これに乗って宮古へ行き、浄土ヶ浜でスケッチ。ホテルの人に聞くと震災

の影響でどうなっているかわからないとか。また台風も来ている。

4人はホテルの個室でゆっくり休む。うち1人はそれでも行くという。1人になりたかったらしい。

第7日目8月10日(日)
初めて目にする列車だった
残った3人は予定を変更して久慈駅から盛岡駅まで一気にバスで移動。

このバス移動は正解だった。なんといっても渋民村とかよく知られているところを通る。また、バスからの眺めは雨が降っていても最高に素晴らしい!気温は16度。

これだと、盛岡駅で3時間、ゆとりがある。盛岡駅の観光案内で近場の観光地を聞こうとするが生憎お昼休憩。

隣の駅員に聞いて、岩手県立美術館のデ・キリコ展を見に行く。

この美術館は建物も特別展も素晴らしかった。キリコの絵は一生忘れないだろう。丁寧に見て回った!

絵を見た後、ロビーに人が集まっている。ナニゴトと思いきやキリコ展の関連行事としてミュージアム・オペラがあるという。芸大出身の3人の演奏会だった。時間がなくてさわりを聞いてタクシーで盛岡駅へ。

1人がキャンセルしたのだろう。その席に若者が座る。この若者は転勤で近江に勤務。米原で降りるらしく、そこまでキャリーバッグを棚に置いてくれる。塗料会社に勤務らしく、今の市民球場の塗装もその人の会社が請け負ったと話していた。

また、清水が実家らしく、休みを利用して茨城県まで7万人コンサートに行ったと若者らしく楽しそうに話す。スマホでその出演者も見せてくれた。だが、知っている人は2人だけ。時代のギャップを感じる

岩手県立美術館
とても感じがいい青年で一気に旅の疲れもなくなりそう。今回の青森の旅は国内としては長い旅だった。それにしても、代表ご夫妻には本当に良くしていただく。ありがたい旅だった!

2014年8月25日月曜日

旅ポイント・カード

3年前から海外旅行を再開した。それに伴い、いろんな旅行社からカタログも送付されるようになる。

旅を続けだすと次第に欲も出てくる。旅行社のすすめるままにポイント付きのクレジットカードの契約を行う。

ところが、これも旅行社の組織改革で変化が起きる。いきなり、ポイント利用が来年3月の利用までと言いだす。

こうなる前は、ポイントそのものも旅の通販ではつかなくなったと告げられる。先方の思うまま、利用者不在で物事が進んでいく。これはおかしい!

ともあれ、早めにポイントの利用をしようと、先ほど日帰りバス旅をお願いする。

カードに加入させる時はいかにもお客様本位に見せかけ、経営的に成り立たなくなると手のひらをひっくり返す。これ如何に!?

朝からぶつぶつ言っているといいことにはならない。それでなくても、今朝は変な夢ばかり見ていた。

幸い今日はお天気もよくなりそう。午後は元気を出して泳ぎに行こう!

2014年8月24日日曜日

元気を出そう!

今回の土砂災害の被害にあわれた人数は日ごとにその数を増していく。

昨日は午後から日本画教室へ。先生の主宰されている教室は今回被害に及んだ地域が多い。絵を描いていてもその話題になっている。

昨日は習い始め頃に教室でスケッチした実の付いた柿の小枝の絵をトレースして色紙に描く。

色づけは水彩。以前にスケッチした柿の実もその時は時間がなくて色付けしていない。色紙に色付けをするのだが、想像力が働かず色付けもうまくできない。

昨日は柿の実をおもにして来週葉っぱを仕上げる予定。

この色付け。今は日本画の本画にまで至っていない。色付けは水彩絵具か色鉛筆を使用している。

先生は購入した色紙がなくなり次第、本画で描く顔料の話をされる。これは大きな3箱にさまざまな色が入っているとか。しきりに価格も高い、と話される。

日本画を紹介してくれた人も以前に日本画は高くつく、と話していた。どれくらいの価格かと思ったら、万円単位だった。これくらいなら大丈夫!

それにしても元来絵心がない。スケッチよりも色付けは大変、昨日はつくづくそう感じる。顔料は先生に手配していただく。そして、先生は日本画を続けられるか、念を押される。その辺は大丈夫!

土砂災害の影響なのか、気持ちもすっきりしない!また、相変わらずお天気も良くない。今朝の新聞もナイロンに入っていた。ということは朝方、大雨が降った?

皆が元気をなくしてはいけない。昨夜はカープも勝った!今日も元気を出そう!

2014年8月23日土曜日

身近なところで…

昨日午後からやっと晴れ間も見えてくる。今朝も雨ではなさそう。

8月も終わろうとしている。このひと月、太陽を拝んだ日は何日?というか何時間?これから後も当分曇りや雨の日が続きそう。

今朝は一気に秋を感じる。涼しい!広島の四季は春、梅雨、秋…となり、今年の夏は終わりを告げる!?

昨日午前は西条で講座を受講。行きも帰りもJRの車窓から外を眺める。どこを見ても山を削って家が建っている。

受講後、数人でお昼を食べる。他愛ないことを言いながらの食事はこれまた楽しい!

食事後、再度JRに乗って家路を急ぐ。わが家に向かって歩きながら山のほうを見る。やはり、山を削って家が建っている。

今回の土砂災害。山を眺めながらどこにでも起こりうる災害と思う。そして、わが家が土砂に流されてしまったらどうする?とも思う。

呆然としてなにもやる気が起らなくなりそう。長年住んだ町ともおさらば…。

災害のテレビを見ながらそんなことを思ったりする。ちょうどそのころ、合唱の人から電話がある。

最初に被害があったと聞いた場所に住んでおられる。気になりながらも怖くて電話をすることができなかった。ご無事と聞いて一安心!

だが、合奏団の人で避難されている人もいると聞く。身近なところで災難はやってくる。予想できないことも多くある。

昨夜のカープ。土砂災害の被災された方々のご冥福を祈って喪章をつけての試合。前田健太でカープの勝利。このごろカープのテレビ観戦にはまっている。

今夜はテレビ中継がなくて残念!

今日も一日の無事を願って、大事に過ごそう!元気で!

2014年8月22日金曜日

アトリビュート

今回の土砂災害、市民はどの人も落ち着かない日々を過ごしているのでは?今朝は起床後、雷と大雨で何も手につかない。

午前中は西条で美術講座も控えている。大雨警報も発令。警報が発令されると学校は基本的に休み。どうなるものかと思っていると雨も小雨になる。

今日の美術講座は「聖母マリアと花」。聖母マリアのアトリビュートとして主なものにバラ、ユリ、スミレがあるとか。だが、ほかのことを考えていたのかアトリビュートを聞いていない。

先ほど家に帰ってウイキペディアで検索。次のように書いてある。

アトリビュート(英語:attribute)は、西洋美術において伝説上・歴史上の人物または神話上の神と関連付けられた持ち物。その物の持ち主を特定する役割を果たす。持物(じぶつ)ともいう。正義の女神を例にとると、手に持った秤と剣、それに目隠しである。

絵を見て時代、宗教、地域、文化など様々な要素が混ざって絵は描かれている。だが、見る側としてはまったくそのようなことは関知してみていない。

これじゃ駄目じゃ!と思いながら講義を聞く。今日はほかにも西洋の絵画は左から右に向かって物語が始まっていることが多い、と聞く。その点、日本の絵画は絵画展を見る時もそうだが、右から左だとか。

一幅の絵画でも西洋画と日本画では描かれ方や見方は真反対。こういうことも美術講座で知ったこと。絵を描いている人はこういう初歩的なことをご存じ!?聞いてみたくなる。

先日、先生から借りた本を読んでいるとスケールの話がある。スケールと楽譜のスコアは、本を読んで関係があると知る。これにはびっくり!

講座を聞いても本を読んでも知らないことばかり!外国語のキーワードははじめにラテン語ありき!?

2014年8月21日木曜日

安否情報&フルート定例会

昨日の朝から今朝まで災害の安否を気遣う電話とメールをいただく。ありがたい!

そのうちの一人、妹からも昨夜、電話がある。妹との電話は携帯は無料。だが、妹から電話がかかることはほとんどない。ナニゴトと思って聞くと東京にいる息子と娘、そして旦那さんから電話をするよう催促されたという。

妹はわが家の状況を知っており、災害を気にしていない。それは住んでいる街の山と神社の名前に「岩」がついている。だから山崩れをしないという。言われてみればそうかもしれないと思ったりする。

山崩れはないものの妹が小さかった頃、以前住んでいた古い家で床下浸水があったらしい。これを聞いてびっくり。全く覚えていない。

時に、3人姉妹で話すことがある。その時、姉と妹は昔のことをよく覚えている。ただ1人だけが覚えていないことが多い。

昨夜もそう話すと「楽しいことだけ覚えていればいい!」との妹の言葉。こうなるとどっちが姉か妹かわからない。

ともあれ、妹は元気そう。家族のことを聞くと東京にいる長男と長女が入れ替わって孫を連れて里帰りすると嬉しそうに話す。みな元気な様子。いいことだ。

昨夜はフルート定例会。青森行きで少々愚痴ってしまった。申し訳ない。とはいっても青森のご夫妻はとてもいい人たち。このご夫妻の誘いだから旅にも参加。ところが、同行者には気持ちがあわない人もいた。

定例会の人たちとは他愛ないことを言っては飲んで食べてしゃべって笑う。こういう人たちとの会話は楽しい。そうではない人と会ってはいけない。今回の旅の教訓!

尾道の人からは収穫したばかりの大きな房のブドウをいただく。ありがとうございました!

また2人に来月の日本画展の案内状も配る。これはフルートの発表会と日程が被る。無理のない程度でお願いしよう。

今日は朝から太陽も顔を出している。暑い一日となりそう。今日も元気で!

2014年8月20日水曜日

土砂災害、大変なことに…

今朝は青森の人からの電話で目を覚ます。先日の青森行きでお世話になった。写真も送っていただいた。そのお礼を先日送る。届いたとの知らせと広島の家付近が大変なことになっているとの電話だった。

その時点では何のことかさっぱりわからず。先ほどテレビをつけて事の重大さを知る。

土砂災害の場所は山を切り開いてできた新興住宅地。これは天災ではなく人災。そう感じた。これまでも大きな天災は山を切り開いた場所が多い。

雨の降り方は尋常ではない。8月になってから降り続く雨。太陽も出てこない。昨夜は雷を伴う大雨。崩れた山肌からは赤土が見える。

電話をかけてきた人の広島の家は亡くなられた家から50メートル先だとか。隣家に住む息子さんから連絡があったらしい。

広島は自然災害が少なく、住みやすい街。ところが今回は違っている。幸い我が家と姉夫妻が住む街は被害がない。これ以上被害が出ないことを願うばかり。だが、真っ黒い雲が空を覆っている。

いつも見ている人のブログ。また勝手に引用させていただこう。

「今日の広島の友人のブログに、『泳いだ後の気分は爽快。本を読んでも頭に入る。全身に血液が回るのか、元気も出てくる。』と書かれていて、頭の中で想像をする。さぞ気持ちがいいのだろう。だが僕にはできないなあ。まあその分、気持ちの良いところを散歩でもして、気分爽快にするしかない。人はかつて魚だったというのがいつの話しか解らないけれど、何かの間違いだろうね。。羊水の記憶さえない。水となじんだ記憶はないなあ。。笑」

そうです。泳いだ後の気分の良さは、半端でなくいいものです。運動選手の気持ちは泳ぎを覚えて初めて知りました。たった週一回の水泳。これが自分自身の元気の源と思っています。ありがとうございます。

昨日はフルートレッスンに出かける。ソノリテの音がいいと先生はほめてくださる。人からほめられると嬉しいもの。その時、先生から話しかけられる。ナニゴト?と思って吹くのをやめる。

フルート発表会のプログラムの挿絵に習っている絵を使ってくださるとか。絵に関してはまったく自信はない。だが、合唱の先生にフルートを吹くように言われたりして習っていることが広がるのは嬉しい。

変に謙遜せず、お願いすることにした。描いた絵はほとんど教室に置きっぱなし。来月後半に絵の展覧会がある。4点出品する予定。その中から選ぶ!?

日本画展はインターネット美術館で閲覧可能のよう。その時はまたブログで報告しよう。

今なお、空は暗い!もう雨は降ってくれなくてもいい!それにしても人の力は弱い!

気を取り直して元気を出そう!

2014年8月19日火曜日

話題はメディア!?

「マスター夫婦は、我が子のようにかわいがってくれて、外食三昧の自分を案じてくれる。」。これは毎日見ている人のブログからの引用。

このなかの「我が子のようにかわいがってくれて…」ではないけれど、似たようなことはよくある。

以心伝心、人の心は伝わるもの。こちらがいいと思う人は先方にもわかるのだろう。

先ほど、合唱の人と電話で話す。青森の旅、を電話で案じてくださる。いつも元気づけてもらい、よくしていただく。ありがたい!

この人はなんといってもお洒落。それも半端でなく…。

英語も習われている。以前の英語の先生であるニュージランドの人ともEメールでやり取りされている。ほかにも車の運転もされる。そしてダンス。話していてフェイスブックが話題に…。

フェイスブックはブログよりもしている人が多いのか、たまに耳にする。というか、人によってブログ、フェイスブック、ツイッター、LINEと使い分けているのかもしれない。

先日バイト時代の4人で会った。3人は10歳も若い。だが、パソコンができるのは1人だけで2人はできない。当然、ブログの話もあまりできない。

今の世の中、いろんな生き方がある。とはいっても、友だち付き合いの底辺にパソコンくらいはできる人がいい。

昨日午後は泳ぎに行く。しばらく泳いでいない。昨日は10往復の500メートルで泳ぎをやめる。家に帰ろうとすると雨が降っている。急いで自転車でわが家に向かう。

泳いだ後の気分は爽快。本を読んでも頭に入る。全身に血液が回るのか、元気も出てくる。

今日も元気で!

2014年8月18日月曜日

お盆も過ぎて

昨日午後から晴れ間もみえる。今朝もたまに太陽が顔を出す。

今日は母がいなくなって丸3年半。お墓参りをためらう。だが、気分を変えてお参りをする。となりの隣の墓地はお墓がたっていない。何をしようとするのか土が掘り起こされたままになっている。

墓地は山を切り開き、段々畑のようになっている。母の先祖のお墓は山の上のほうにある。ここは母がまだ元気なころ、一緒にお参りしたのが最後になった。それは母が大たい骨を骨折する前の日だった。

母が生涯で入院したのは姉の出産と、お墓参りをした翌日に2回倒れたのを入れて計3回。いつもそう話していた。それほど元気だった母も歳を重ねた後のお墓参りは厳しいものがあったようだ。

わが両親のお墓は下のほうから3段目。そのため楽に参られる。

お盆も過ぎて、今日からまた普通の生活が始まる。午後からは久しぶり泳ぎにいこう。空模様はまだまだ怪しい!

それにしてもカープが勝つとやっぱりいい!昨日のヒーローは堂林。若鯉は昨日が誕生日で23歳。若いことは素晴らしい!みんな元気をもらったね。本当によかった!

2014年8月17日日曜日

♪無縁坂♪

テレビも携帯電話も大雨警報発令。頻繁に発令されると何がどうなのか神経も麻痺しそう。住んでいる地域では幸い大雨には至らない。だが、毎日雨の日とあっては楽しい一日とはいいがたい。

ヒトはお天気に左右される!自然には逆らえない!

昨日は30年ぶりにバイト時代の4人で会う。うち1人は西宮在住。実家である三原に帰省中でそこから合流。

短大を卒業して会社に勤務。30歳で退社後、しばらくアルバイトをした。その時に知り合った人たちと昨日会う。

再会した人たちは結婚しており、母となっているのは1人だけ。他の1人はただいま離婚協議中。もう1人は夫婦2人で暮らしている。

駅近くのホテルでランチをいただきながら、楽しく過ごす。とはいっても、話を聞くとそれぞれ様々な事情を抱えている。これには驚くばかり。

ずっーと親元で生活し、大した変化もなく過ごしたものとでは比べようがない。ヒトの人生は配偶者によってこれほどの変化があるのか。聞いていてあきれる。とはいっても相手だけが悪いとは思えない…。ともあれ私にはわからない…。

♪運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う~♪

ふとこのフレーズが頭をかすめる。

昨日は1対1でなく4人で話す。当然、聞いていてダメージも少ない。あまりにも不幸な人とは会ってはいけない。自分のことで精一杯生きている…。

昨夜は気分を変えてカープの試合をテレビ観戦。大瀬良投手が先発で勝利投手となった。若い選手はテレビで見ていても気持ちがいい。これも認知症予防!?

昨日のテレビ中継は地デジとBSで同じものを放送していた。ところが今日はどこにも放送がない。バランスをとって放送すればいいのに…。

昨夜はまた、姪がラダックの旅から無事帰ったとの写メールが入る。ラダックにはまだ出かけたことがない。3500メートルの高地の国。

これまで、いろんな高地で高山病を体験済み。行きたい国だけどもう高地には行けそうにない。少し弱気になる。

お盆も過ぎようとしている。とはいってもお盆もお正月もいつもと同じ生活で何の変化もない。

来月は忙しさも一年のうちで一番のピークとなりそう。その前に、元気を蓄えて…。

今日も楽しく!

2014年8月16日土曜日

一日テレビ三昧

8月も後半を迎えた。相変わらず雨が降り続く。1週間後の天気予報も晴れマークは見られない。降り続く雨。元気なものでも病気になりそう。

24時間エアコンを掛け、湿気を取り払う。これではエアコンがダウンしそう。起きたときしばらくはエアコンから扇風機にかえて湿気対策。いくら対策を講じても自然には勝てない。

お盆の一日、小雨の中、自転車に乗って一度は家を出る。外の空気を吸って帰ると気分も晴れる。後は家でおとなしくする。

BSでオードリーヘップバーン主演の尼僧物語を見る。尼僧になる過程と自分自身の葛藤が描かれていて興味深くTVを見る。左手にリングをはめてもらう場面がある。尼僧はキリストのおくさま!?それを意味する指輪だろう。

見ていてこういう生き方は到底できそうにない。主役のオードリーが尼僧生活を切り上げていく場面で映画は終わる。この続きがあれば見てみたい。いい映画だった。

夜はカープの試合のテレビ観戦、と言いたいところだが、はじめから点を取られている。こうなるともう見たくない。これは本当のファンではないらしい。

他の番組の世界のこんなところに日本人、を見る。3時間番組だった。人はいろんな理由から日本に住まず、世界に出かけていく。若い人は青年海外協力隊に出かけ、そこで現地の人と出会って…。

お年寄りの場合は先の戦争に関係している。最後に放送されたサハリンの残留婦人の話は涙ながらに見る。

こういう人を見ると、自分自身の生き方と比べてしまう。いい悪いの比較ではなく、変化のある人の生活は大変だっただろう。だが、人よりも充実した生き方だったのでは、そう思ってみる。その人からすれば、こういう言い方ではもちろんすまされまい。だが、そう思って見ないとその生き方があまりにも過酷すぎる。

平凡な毎日に、たまにこういうテレビを見て目を覚ます。そして、その都度、平凡が一番の幸せと再認識する。

今日も元気を出そう!そして、降り続く雨に負けないようにしよう!

2014年8月15日金曜日

パソコンと格闘

ブンブン、はもしかして方言?と思って電子辞書を引く。れっきとした標準語であり、コガネムシの別名とある。♪コガネムシは金持ちだ、金蔵建てた…♪のコガネムシとは驚き。

殺虫剤で死んだものと思っていた。ところが、昨夜、食器を洗っていると首の後ろあたりがおかしい。手で触るとブンブンだった。

昨日といえば他にも青森から写真が送られてきた。大きなサイズに引き伸ばされた17枚の写真。すべては旦那様がとってくださったもの。無心に絵を描いている写真もある。ありがたい!

送られた写真に触発されて、自分で写した写真をパソコンに取り込む作業をする。ところが思うようにいかない。これもパソコンを買い替えたための結果だ。

新たなパソコンはマイクロソフト社が情報を一元化しようとするのか、ソフトもそれが画面に出る。写真をパソコンに取り組むのはすべてブログ用。マイクロソフトには協力できない。

デジカメの解説書を取り出し、付属のCDで画像を取り込もうとする。だが、以前のようなソフト画が出ない。解説書はウインドウズ7までのこと。8.1の掲載がない。

色々とパソコンのプログラムを探すとViewerがある。これだ、と思ってクリック。富士フイルムのCDソフトを挿入できた。後はパソコンの容量が大きいので簡単に写真を取り込める。

こういう新たなことに挑戦するたび、いつまで一人の力でできるのだろうかと思ってしまう。

全くパソコンに疎かった時、頼りになるのは東京にいる姪だった。究極は里帰りの時にこまったことを解決してもらっていた。ところが、それもパソコンを触るにつれて次第にわかってくるもの。自分一人で何でもこなせるようになった。

それでもたまに、わからないこともある。周りにパソコンに関して相談できる人がいない。特にブログに関しては皆無と言ってもいいほどやっている人がいない。

その時は嘆かず「さっちゃん」を思い出す。91歳でもブログをやり続けている。そのさっちゃんも時に「セブンちゃんのご機嫌が悪い」、などと嘆く。

試行錯誤しながらみんな頑張っている。とりあえず、新たなパソコンで画像は取り込めた。あとはタブレットで画像と動画を取り込めればいうことはない。誰か教えてくれる人はいないのか。これはドコモで聞くしかない!?

あと10日間は雨の日が続くという。6月の梅雨の時期、あまりにも過ごしやすい日々だった。ところが8月になって、まったく青空を見ない。体の弱っている人はこの気候ではダメージが大きいだろう。

元気なものでも雨が降り続けば楽しい日々とは言い難い。家じゅうの部屋を開けっ放しにして一日中、エアコンを掛ける。あまりにもじめじめしていると人間までジメジメしてしまいそう。

今日も元気を出そう!

2014年8月14日木曜日

ブンブンと格闘

寝ようとして電気を消すと、ごそごそと音がする。ナニゴト?と思う間もなく、天井あたりを何かが舞っている。すぐに電気をつけると蛍光灯の中を黒い物体がぐるぐる回る。

殺虫剤を天井に吹き付けると動きが止まる。どこに行った?と探していると、下に落ちている。ブンブンだった。

子供のころ、ブンブンは手でつかんでいた。ところが今ではつかめない。これと似たものにゴキブリがいる。しかし、今年はゴキブリを一匹も見ない。これ如何に?

8月に入ってからというもの夏らしい日は見られない。入道雲はどこへ行った?気温は高くなくても湿度は異常に高い。

今朝は地震もあった。異常気象はどこまで続くのか。

昨日はお盆の行事で明け暮れる。とはいっても由緒ある家ではない。ただ、年に一度、お盆にお寺から参られる。これがかなりのプレッシャー。母が健在のころはそれも毎月の行事だった。ところが、今は、省けるモノ、コトはなるべくなくすようにしている。

姉夫妻と久しぶり食事をしながらゆっくり話す。元気?と確認するような年齢になった。両親がいなくなって遠くにいる妹とは疎遠になっていく。だが、皆、元気そうで何より。

先日、某講座の人からメールをいただく。その人の同級生が発信した転送メールだった。発信者は小学校時代の同級生。学年でも一番の優秀者。転送してくれた人は発信者のことを「神童」と話す。

子供のころ机を並べて学んだモノとしてもメール発信者を「神童」と思う。

当時を思い出し、名前を検索する。あるHPに現在の画像があった。子供のころと全く同じ顔がそこにある。HPのタイトル下のプロフィールには一緒に学んだ頃の住所、それも現在の表記でなく、町制の住所を出身地と書いている。これは住んでいたものでしかわからない。ほほえましい!

これを転送してくれた人とは昨年秋、某講座で知り合う。その講座の先生の研究会案内が一昨日郵送される。

昨年、友に誘われて言われるままにその研究会に参加。これがきっかけとなり、先生から美術講座に誘われる。それからとんとん拍子に話が進み、日本画をならったり、この研究会に入ったり、某学会入会へと広がっていく。

この広がりはこれからどこまで続くのだろう。そういえば青森行きでは合唱の代表から水彩画も誘われる。

今では終了した大学の研究会を含めて3か所所属する。本当にありがたい!まだまだ元気。そしてどの研究会の人たちも優しい!

「人に対して優しい人は幸せな人」。最近の人との動きからそう実感する。

人に対して優しくない人は決して幸せな人ではない!

今日も元気を出そう!泳ぎが止まっている。お盆過ぎにこれも再開することにして…。

2014年8月13日水曜日

『にっぽん巡礼』

今朝はお寺からお盆の法要に参られる。朝から仏壇を開けて待っている。姉夫婦も参ってくれる予定。しばし、落ち着かない時間をもて余す。

昨日は久しぶりのフルートレッスン。練習不足は否めない。お盆の間にもとの状態を取り戻そう。今日は法要のあとはお墓参り。暑い一日となりそう。今日も元気を出して!

以下は以前に読んだ本の抜粋。

『にっぽん巡礼』(山折哲雄 創元社,2010年)、サブタイトルは「漂伯の思いやま,ず」。

本の裏表紙には「本書は“聖地巡礼”の書ではありません。日常の暮らしのなかでふと案じた生の喜びをバネにした、自由で果てしないこころの巡礼の記録です。読者は著者と一緒に、日本および日本人の先人たちの息吹に触れて思いがけず宗教を感じたり、自分の住む街のたたずまいに新鮮な発見をすることができるでしょう。」。

★イスラエルの砂漠。砂漠の地域をバスで旅しながら思ったことは、この地上には頼るべきものが何一つない、ということだった。天上のかなたに唯一価値あるもの、絶対的な神を想定せざるを得なかった砂漠の民の精神的な願望というものが、理屈を超えて迫ってきたのである。一神教が成立する風土的な背景といったらいいであろうか。そしてそのような風土において天上の唯一の神は、それを信ずるか信じないか、それ以外に考えようのない存在に思えた。そういう意味では、キリスト教はもとより、イスラーム教もこの信ずる宗教に属しているように思えるのである。…豊かな風土は砂漠の世界から帰ってきた者の目にはまるで天国そのものに映った。…多神教的な宗教が発生する風土的な基盤がそこにあるといってもいいのではないか。…日本の豊かな森のなか、自然のなかに入っていくと、その森のなか、自然のなかから神の声が聞こえてくる。仏の声が聞こえてくる。そして人の声、ご先祖様の声がきこえてくるような気がする。…神や仏の気配を感じて身を慎み、日常の生活を送るようになった。日本列島における感ずる宗教が、このようにして誕生するようになったと思わないわけにはいかないのである。131-132p

★宗教には、どんな宗教であれ、二つの大きなテーマにたいする挑戦が重要な課題とされた。その二つとは、
人間いかに生きるべきか
人間いかに死ぬべきか
という課題である。143p

★宗教の究極の目的は何か、ということもよくいわれる。…仏教の場合の「悟り」、キリスト教でいう「救い」といったことがしばしば論じられてきた。しかし、この「悟り」というのも、「救い」という場合も、われわれの生活の現場における実感からすれば、そのような目標に到達するために「いかに生き」、そして「いかに死んでいくか」という問題に帰着するのではないか。143-144p

★仏教においては歴史的にさまざまな流派が形成されて、そのような二つの課題に対して認識の違いが生ずることになった。…密教や禅の系統は「人間いかに生きるべきか」のほうに重点を置き、これにたいして浄土教の系統は、むしろ「人間いかに死ぬべきか」の問題意識を掲げて発展してきた。144p

★人間というのは、最終的には死ぬべき存在なのではない、仏として生き抜くべき存在であるといっているわけである。だから空海の密教には、はじめから「死」のイメージは宿ってはいない。「死」のイメージを、その密教的な宇宙観から追放している。145-146p

★これにたいして、法然や親鸞の仏教はそうではなかった。…かれらの思考の軸は、空海や道元のそれとはちょうど逆のほうこうに向けられていた。…それが「浄土」という世界であった。また、「人間はその死後、いったいどこの行くのか」という問題意識であった。146-147p

★われわれの人生観もこれまでの五十年単位の生死観の代わりに、八十年単位の「生老病死観」ということになるのではないだろうか。そのような新時代に入った今日、先に述べたような日本仏教におけるオンリー・ワンの棲み分け体制は、すでに時代遅れになった体制であるというほかはないのである。…オンリー・ワンの独善路線を改める工夫が時代によって要請されているというとである。そしてそのことが、結局は、人生八十年を生きたブッダの思想的原点にもどることにもつながり、今日の高齢化社会で苦しみ、悩んでいる人々の心に近づくための道ではないかと思うのである。151-152p

2014年8月12日火曜日

お盆を前にして

今回の青森行は7日間。この日数は海外では珍しくはない。ところが国内のこの日数は初めてのこと。ましてや他人の家に4泊も初めて。そして旅のメンバーも半数は知り合いではない。

知り合いではないということはツアーでは当たり前のこと。だが、中途半端な関係は案外むつかしい。ましてや、参加者では一番の年少者。世の中には荒波にもまれて生きてきた、いろんな人がいる、と気づく。

合唱団の代表は「自我を出さない」と言っていただく。普段、接する人には言いたいことを言っている。また、海外旅行でもそれは同じ。

ところが、今回はそれを殺す。当然自我は出ない。青森のご夫妻は旅の間中、それに気付かれていたのだろう。いつもそばにいてよくしていただく。感謝、感謝!

いろんな人といえば、昨日の電話。バイト時代の人たち4人で近いうち合うことになった。30年ぶりの再会となる。集合場所の連絡が昨日、午後入る。

30年ぶりの電話。大変な人生を歩んでいる様子が伝わる。精神科にも通っていたと話す。ほかの2人の話も聞くと、以前のお嬢様の雰囲気はまるっきり伝わってこない。

この頃、いろんな人の話を見たり聞いたりして考えさせられることが多い。挙句の果ては「うらやましい!」と言われる始末。

人並のことをせず、マイナーな生き方をしてきた。ところがここにきて、人からうらやましがられるとは…。だからといって、それを鵜呑みにはしない。

ここまで自由に生きてくるにはかなりのプレッシャーを潜り抜けてきた。その自負はある。30年前まで、いつもブログに投稿するように、自転車にも乗れず、泳げず…。

ただいえることは、どんな状況にあっても両親、特に母は何も咎めず、やりたいことをするようにといつも励ましてくれた。

お盆を前にして、久しぶり母を思い出す。昨日から、明日お寺が参られるお盆の準備で忙しい。今日はこれからお供えや、お花などの支度がある。午後は久々のフルートレッスン。

1人で生きているといろんなことがある。だが、いつもだれかれと言わず親切にしていただく。本当にありがたい!今日も元気を出してがんばろう!

2014年8月11日月曜日

青森から帰ってきた!

昨夜遅く青森から帰ってきた。今回の旅の道連れは雨。また、おまけとして台風も重なる。

出かける前に何の予備知識も持たず、言われるままの旅。これではいけないと滞在中気づく。特に地図は持っていくべき。

国内の旅だから…との思いは完全に覆される。移動の車中でも全くどこを通っているのか地理的な位置がわからない。日本といえども東京から北は何県がどこにあるのか、それさえもわからない。

旅の先導と運転は合唱団の代表ご夫妻。2人の年齢は旦那さんは81歳、4年前まで大学の先生をされていた。代表である奥様は78歳、元小学校の先生。

旦那さんはおっとりされている。いつも話の相槌は「そう、そう」。それからいろんな話に発展していく。奥様はとにかくパワフルで、体もでっかく、考え方もとてもおおらか。これは大いに見習うものがある。思わず、手帳に〇〇語録とかいてしまうほど生き生きとしておられる。

前輪駆動の6人乗りの車の前の真ん中の席が指定席となって、7日間過ごす。デッサンから水彩の色付けも代表と旦那さんに囲まれて個人授業(?)。はがきサイズの用紙を持参。それは小さすぎるとのことでスケッチ帳の用紙をいただいて画を描く。

マグロの一本刷りで有名な地、大間の仏が浦で教わりながら2枚描く。

日本画教室ではデッサンの色付けは薄くつける。始めはべたっと色づけしていた。日本画のやり方を思い出し、徐々に薄く色づけする。

奥入瀬でも2枚描く。描くといっても渓流の風景。描けるはずがないと思いつつ、じっと景色を見ていると何とか描けるもの。これは不思議なこと。そう感じた。

どの絵も自己満足の世界。下手は下手、ひよこはひよこなりにまあ、いっか、と思ってしまう。

この奥入瀬は、日程を変更した結果、天気に恵まれる。

旦那さんから今回の旅の一番よかったところは、と聞かれ奥入瀬、恐山と返答。ところが、その時点では肝心の青森ねぶたをすっかり忘れていて、申し訳ないことをした。

とはいっても、行く先々が初めての場所。どこも神聖な場所に思え、新鮮な気持ちになる。

昨日は旅の最終日。台風の行方を案じながら、三陸鉄道に乗って広島への帰路に就く行程を急きょ変更。久慈駅から盛岡駅まで白樺号のバスに乗る。3時間近くのバス旅のあと、盛岡駅で2時間半、はやぶさに乗車するまで時間がある。

盛岡駅の観光案内で近場の観光箇所を聞こうとすると、お昼休憩になっている。これにはびっくり。ここは中国?と皆でブーイング。観光シーズンなのにこれではいけない。

駅の係りに聞くと岩手県立美術館など教えてくれる。今はお盆前。きっといい特別展があるはずと思い、タクシーで美術館へ行く。「デ・キリコ展」を開催中だった。ここでゆっくり見学する。

この岩手県立美術館は私の知る限りでは建物など最高に思えた。館内の広さもかなりのもので、常設展も3か所もある。また、ロビーでは1時間にわたってオペラ・コンサートもあった。

これは時間がなくて少し聞く。ぜひとも人に薦めたい美術館になった。多分、キリコの絵は忘れないだろう。

最終日、旅の道連れは広島に帰る4人になる。うち1人は一人になりたいと言い出し、3人になる。

東京からの帰り、新幹線で1人抜けた席に若い感じのいい青年が座る。話を聞くと、当日午後、指定席を決めたという。

この青年は本当に好青年。ジパング利用で旅をつづけた。そのため、われわれはのぞみに乗車できない。ところが、差額さえ払えば一般の乗車とみなされ、のぞみに乗れる。

新大阪のこだま乗車ではわが家に真夜中に着く。これでは広島駅からタクシー乗車となる。差額を払うほうが割安、と思い、新大阪からのぞみに一人だけ変更。

その指定席の込み具合を若者に聞くと満杯では…との返事。すぐに自分のスマホで検索してくれ、そして予定ののぞみに席の余裕があると親切に教えてくれる。それもおばちゃん、おばちゃんと言って…。

自分自身、年を取った分、このような親切は涙が出るほど嬉しい!

話を続けていい?と聞くとOKとのこと。タブレットを持っているのでその画面を教えてもらう。また、キャリーバッグも青年が下りる米原駅まで棚に上げてくれ、そこで下してくれると親切に言ってくれる。ありがたい!

今回の旅では若者に出逢うたび、どこでもカープについて尋ねた。好青年は今の球場の建設にかかわったと話し、塗料の会社に勤めているという。お盆休暇の前に、金曜日を休んで3日間、茨城で7万人のコンサートに行ったとも話す。そして、スマホで出演者を教えてくれる。知っていたのはぱみゅー何とかと、矢沢だけだった。

そしてLINEの話もしてくれる。若者から色々とスマホやタブレットの話を聞けてよかった。若者に降りる際、お世話になったお礼をいうと楽しい2時間だったといってくれた。

こういういい青年に出会うとおばちゃんになるのも本当に楽しい!

おばちゃんとは反対におっさんが若い女性に関心があるのもうなづける。

カープといえば新大阪駅でカープの赤いユニフォーム姿の女子を多数見かける。新幹線でのぞみを待っていると新山口に帰る親娘に、これに乗るのかと声を掛けられる。

親娘は新大阪駅のカフェでカープ選手のマエケンらと一緒だったと嬉しそうに話す。広島駅からローカル線に乗り換えると関西の試合を見に行ったカープのユニフォーム姿が多く見える。隣に座った人はカープの結果を気にしている。知らない人なのに勝った!と教える。

そして、カープで話が盛り上がる。これは他県では見られない現象!?

旅の話は後日ブログにアップしよう。

今朝はお世話になった代表から携帯がかかっていた。掛けなおすとさっそく写真を送ってくださるとか。こちらが先にお礼を言わねばならない。遅くなってしまった。

お礼を言うと「あなたたちが青森に来なければ2人して家でゴロゴロするだけだからよかったわ」と言ってくださる。なにからなにまで見習うべき人。本当に親切にしていただいた。

ブログ投稿中、アルバイト時代の友から帰省する人と久しぶりで4人で会う話が入る。こうして今日からまた、いつもの生活が始まる。元気を出そう!

2014年8月6日水曜日

青森にやって来た

4日に広島を経って青森にやって来た。だが、連日連夜雨が降る。振り方も夜半は雷と半端でないほどの雨。宿は合唱団の代表の青森のご自宅。離れは留学生などのゲストルームになっている。そのため、ホテルと同じように寝起きする。

初日は一関で下車して平泉の中尊寺へ。交通の便が悪く、待ち時間に時間をとられる。それでもなんとか中尊寺に参拝。青々とした木々の境内も雨に濡れている。

福島から北へは初めての旅。中尊寺で利用したタクシーの運転手さんはカープのことをほとんど知らない。試しにこれまで出会った数人とカープについて尋ねる。青森から弘前間の車中で出会った秋田美人だけがマエケン、と答えてくれた。これほどカープがマイナーとは驚き。というか野球に関心がないのだろう。

昨日は津軽塗り等の物産館、弘前城、田舎館村の田んぼのアート、八甲田山等へ行く。車の運転は合唱の代表。かなりのご高齢なのに運転は若者のよう。なんといてもパワーが並みではない。元気が沸いてくる。

だが、八甲田山のロープウェイは雨のためか運休。お食事どころも閉店続きで、お昼はねぶたの館のビル10階で日本丸の大型客船を眺めながら美味しくいただく。

その後、ねぶたの席の確保に向かう。2時間くらい待って愈々ねぶたの本番。それはそれは圧巻。迫力がある。県庁、市役所、郵便局、大手企業などの山車が太鼓や躍りに混じって競って行進する。この続きはまた後日!

2014年8月3日日曜日

日本画&納涼祭へ行く

今日は最高気温と最低気温の差が28度と25度でその差は3度。気温は低くても湿度が高く、雨の日となりそう。

昨日も雨が降る。その雨の中、日本画教室へ出かける。机の上には葉書がある。文面を見ると秋に行われる日本画の会の案内状だった。

生まれてこの方、ヒトに見ていただくようなモノ、コトがない。当然、「見に来てください」と案内したこともない。それがなんと案内状を配る羽目になるとは…。

習っているモノ・コトが日本画を習うようにと誘ってくれた人とダブっている。そのため、ダブらない人に案内するしかない。

案内状を渡そうにも描く日本画はまだ本画には至っていない。ケント紙に描いたさくらんぼとリンゴの2枚。これに八ヶ岳で描いた即興のスケッチ2枚を展示する予定。

なんといっても日本画の会では一番のヒヨコ。それが、10年、20年選手に混じって出す。見に来てくださいと言える立場にない。

そう思いながら昨日も絵を習う。前回、色紙にトレーシングしていた。それを忘れてしまい、先生から他にも色紙があるはずと指摘される。結局、同じスケッチのトレースで2枚の色紙に描く。

描き方は「骨描き」とか。新しいキーワードを知る。

新たな言葉といえば他にも夜、「他人の牛蒡で法事をする」を教えてもらう。

日本画のあと、ほかにも所属する会の納涼祭がある。雨の中、バスを降りると会場へ。ところが、足元はずぶ濡れ。デパートに入って靴下を購入して履き替えて会場へ急ぐ。

3,4か月ぶりで会う人たち。昨日は28名参加者がいた。台湾へ行った人たちは分かるけど大半は分からない。座った周りの席の人たちは台湾へ同行している。顔なじみなので話も弾む。先のことわざは団長から教えてもらった。

この会には所属してまだ1年にも満たない。10月の九州、来年1月のベトナム行きの日程も決まる。それにくわえて10月の中国の短い旅に誘われる。だが、いま中国に行く気が起らず…。

真面目な会もすぐに遊ぶ会になってしまいそう。前の席の人にそう話すと1人の入会で9割方遊ぶ会になったといわれてしまった。そして、その返答は「人生楽しく!」。

この笑いの中、どさくさに紛れて案内状を配る。4人に配った。どの人も要職にある。申し訳ない気持ちで配る。

配る、の逆で昨日はいただきものがある。日本画の人から沢山の梅干しと野菜をいただく。どれもかなりの量。しばらく、さまようので野菜はほかの人にあげる。梅干しは教室において帰る。

くださったお宅には5,60本以上の梅林がある。春にもいただいた。いつもいただくばかりで申し訳ない。感謝、感謝!

今日も楽しい日にしよう。元気を出して!

2014年8月2日土曜日

美術館3館巡り!?

宮島の対岸に位置する「海の見える杜の美術館」。昨日の美術講座でここへ行く。

一度は行きたいと思っていた美術館。ところが、某宗教団体と関係あるとか、怪しいイメージがあった。また、場所的にも車でないと行かれない。奥まった山のふもとにあった。

昨日は幸い、美術の先生と生徒たちで2台の車に分かれて出かける。車に乗せてもらうため、高速道路に便利が良い八本松駅に集合。ここから宮島口まで高速に乗れば1時間足らずで到着。この近さと便利さに驚く。

美術館の近くに到着後は館の車に乗り換えて館内へ。周辺はよく整備され、外にあるベランダの手すりもピカピカ。当然、館内も行き届き、係の人の気配りも並はずれている。

美術館の今回のテーマは「仏と神の姿」。これを二期に分けて展示し、今回は「神に会える」。

美術講座では「花」をテーマに習っている。なぜ「花」と今回の実地研修が結びつくのか。帰りに話題となる。それは「仏画と蓮の花」の関係があった。

美術館のパンフによると、今回の作品は所蔵品らしく、平安時代に書かれたきらびやかな装飾経や、室町時代の<十三仏図>などの展示があった。

観覧後、美術館直営のレストランまで車で移動。どこを見渡してもロケーションは素晴らしくまるで初夏を思わせるすがすがしさ。あたりの木々も青々としており、対岸を見渡せば宮島の鳥居も見える。(持参した望遠鏡で見る。目のいい人はもちろん裸眼でみえるらしい。)

レストランは“SEIHO OMBRAGE.”初めて入るレストラン。木々の青さと今が盛りと咲き誇るガクアジサイ。これを背にして座る人々の美しく見えること。当然、料理もおいしい。

食事の最後のカフェは、また場所を移動していただくようになっている。カウンターバーになっており、ずらっとアルコール類が並ぶ。夜の雰囲気もきっと素晴らしいだろう。

ぼつぼつ雨も降り出す。館内の車に乗ろうとすると係りがさっと傘をさしてくれる。もう感激!

いい作品を見て、おいしいものをいただき、親切にしてもらって、幸せな気分を味わった後は2台の車に分かれて帰路に…。

往路とは違って、帰りは先生の車に3人で乗って帰る。帰りは高速でなく、一般道を通ろうとの先生の言葉。道に関しては全くの音痴。先生のお気に入りの道路を走るとか。

途中、2か所、先生が教えられた学芸員のいる2つの美術館に立ち寄る。どの美術館へ出かけても先生とかかわりのある人たち。先生のあとをついていくとそのおこぼれにあずかる。なんとありがたいことか。

その都度、係の人からよくしていただく。平常は見られない展覧会が始まる前の会場に入る。リハーサル中だから静かに…と言われたすぐあと、パンフルートの人に目がくらみかけよる。

まさかパンフルート奏者ご本人がいらっしゃるとは…。失礼してしまった!また、リハ中の演奏を垣間見てその音の良さにひかれてしまった!

この美術館は「アートギャラリーミヤウチ」。

この後も雨の中、車は市内に入る。次に行くところは「泉美術館」。先日も光風会展に出かけたばかり。ここにも先生の教え子がいらっしゃっる。

先日、ニュースで「広島の記憶 写真家明田弘司の仕事から」を知り、見たいと思っていた。原爆で焼け野原となった戦後の広島の光景を写真でとらえる。被写体は自分と同年代の人が多い。当時の小学生や街の様子を写している。

原爆に関してはまったくわからない。だが、小さい頃の昭和の町並みはみな似たり寄ったりの生活だった。貧しくてもある面は豊かな人々の暮らしがそこにある。懐かしく拝見する。

学芸員から丁寧に説明を聞いた後、ティーラウンジで珈琲とケーキをごちそうになる。おまけに、展示品の図録もいただく。これもすべて先生のおかげ。ありがたい!

車はわが家に向かって進む。家に到着間際で道にそれる。そこは幸い、毎月出かける眼科に近い。そこで降りて眼科へ。

ところが大雨のため、足元はずぶ濡れ。眼科の廊下へ上がれない。外からその旨告げて目薬だけもらって帰る。

それにしても楽しく有意義な一日だった。美術講座の仲間というより、気分は遊び仲間!?次の回の美術館見学も楽しみ。

この美術講座へ誘ってくださった先生曰く。このグループのにぎやかさでは私は“サブ”らしい。さて一番にぎやかな人は誰!?

今日は日本画を習った後、夜は台湾へ行った人たちとの納涼祭。ほんまによく遊ぶ。今日も元気で!

2014年8月1日金曜日

ケーナの体験レッスン

昨日はケーナの一日体験レッスンに出かける。場所は郊外にある大型ショッピングセンターで、そのデパート内の文化教室。生徒は15人くらいだろうか。市内からの参加者は少なく、大竹、三次、東広島など遠くからきている。

自己紹介でこれを知って驚くばかり。教室はわが家からでもかなり遠い。どんな感じで教えるのか、ただそれを知りたくて参加する。

参加者の年齢はどの人もそん色がない。それも当然のこと。平日の真昼間に習うのだから。

一時間半の大半は先生のお話と音出しの練習。これがなかなか音にはならない。それでも帰るころには何とか音も出る。

出かける前から一回きりの学習と思って出かけた。家に帰ってもケーナに触って音出しの練習をする。指をあてて勝手に音階で音を出そうとするとソ、ラ、シ、ドは音になった。だが、これに気を取られているとフルートがおろそかになる。

その後にフルートを吹くとなんと楽に吹けることか。

ケーナの先生はケーナを吹くには①スピード②方向③口の形④唇の距離の4点が大事という。

唇はリコーダの形を見て、それと同じ形にするようにとアドバイスされる。もう一人の先生からは「え」の発生の口にしてその形で閉じて吹くといいと教わる。

フルートもケーナも口を使って吹く楽器。音出しは基本的に似ている。

ケーナの先生はご夫妻でされている。授業の始めと終わりに曲を演奏された。楽器は奥様がチャランゴ。これはギターを小さくしたような南米の民族楽器。旦那さんはケーナとサンポーニャでアンデスの音楽を奏でる。

ケーナも当然だけど、何ごとも一日にしてならず。暇があるとき、独学で練習しよう。

今朝はこれから美術館で実地学習。今日も一日楽しく!