2021年11月30日火曜日

パンダ愛

 東京在住の姪からパンダ愛溢れる手紙が届く。封筒の中を見ると和歌山にあるアドベンチャーワールドの六歳の結浜のグッズが入っていた。グッズはマスクチャームで他に手紙も入っている。封筒を見ると一歳の誕生を祝う楓浜の記念切手が貼ってある。封筒裏にはパンダの封印、さらには彩浜のパンダのシール、とパンダ一色の郵便物だ。

 ヒトは夢中になれるモノ・コト・ヒトがあると日々楽しく暮らせる。その点で言えばパンダに夢中になる姪は幸せといえそうだ。

 同じ生きるなら冷めた人生よりも何かに没頭する方がいい。空しい人生よりも実のある人生がいい。自分自身、そう思って暮らしている。たとえ他人がどう思おうと夢中になって突き進む、その方がきっと楽しい人生になるはず、と。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
姪から送付された6歳のパンダ・結浜のマスクチャームと手紙

一歳になったパンダ・楓浜の記念切手

封筒裏に貼ってあったパンダの封印

封筒に貼ったパンダ・彩浜のシール

2021年11月29日月曜日

習いものあれこれ

 もうすぐ師走。今年一年を振り返るには早すぎる。が、それにしても一年が過ぎるのは早い。自分の年齢に自分自身が追いついていない気がしてならない。今朝ふとこれまでを振り返る。自分自身のこれまでの経緯だと来年は何か新しいいことを始める年に当たる。10代、20代……とこれまでを振り返ったとき、新しいことを始めていた。初めに気づいたのはブログをやり始めてからになる。これまでの自分の人生で一番頑張ったと言えるのは30代。この年、新たなこととして中国語を習い始める。同じ頃、自転車に乗ることを練習。さらに水泳に挑戦と我ながらよく頑張ったと自画自賛。とはいえこれは誰もが簡単にできることばかり。それなのになぜこれほど頑張ったと言えるのだろう。

 人ができる自転車や水泳が自分の中ではとても高い目標だった。40代は海外旅行開始、フルート、50代で社会人大学生になる。この年代も30代と同じくらいに頑張った。もしかしたら一番頑張ったのは50代と60代かもしれない。というのも50代、60代は社会人大学生をやりながら母の介護が重なった。その大変だった学生と介護の両輪がなくなると60代でブログ開設と日本画を習い始めて今に至る。すでに70代になった。この年代で新たなことを始める!?それは何?自分自身が思いつかないことが待っているかもしれない。そう思うと楽しみが増す。それは何か、今はわからない。ふと頭をかすめるモノ・コト・ヒト……。それは何?もしかして何もないかもしれない。が、多分何か新たなことをしそうだ。

 ついでにというか10代は琴、20代はエレクトーンを習い始めた。その延長線上にフルートがある。今でも続けているのは中国語、水泳、自転車、フルート、ブログ、日本画がある。他にも40代で始めた海外旅行があるがこれは今はコロナ禍で行かれない。ここまでを振り返っても今が一番楽しいのもうなづける。大事なことを忘れている。3年前に目覚めた司馬作品全読破がある。これはライフワーク!?

 ともあれ今日も元気で楽しくs後しましょう!

2021年11月28日日曜日

本の購入はダメだった

  『司馬遼太郎全仕事』を買いに隣町の本屋に出かける。物心ついたころから本屋は住んでいる町にはなかった。ただ隣町には3店くらいあった。が、今は2店になった。以前は自宅最寄りJR駅前にあった本屋はとっくになくなった。まさかお目当ての本が在庫なしとは夢にも思わず、自転車に乗って本屋にいった。店主に署名を告げるとパソコンで調べてくれる。が、在庫切れで絶版とのこと。(ああ、なんということ)と思いながらお店を出る。家に戻ってネットで検索すると中古品がある。以前、専門書をネットで購入したことがあるが、今はそこまでして買わなくても、と思ったり。

 家を留守にした間に電気屋さんが来られていた。電話すると再度来られた。瓦棒を新たにする際、樋はそのままでいいのかどうかが気になった。その返事で来られて、結果、樋はそのままで、となった。だが、大仕事がいつになるのか今はわからない。連絡待ちだ。

 家に関することは義兄に間に入ってもらっていた。が、工事を請け負う会社が事業をやめられて頼めなくなった。そこで思いついたのが近くの電気屋だ。母が亡くなって家のことはすべて自分でやるようになった。この10年間で一番の大仕事はブロック塀を撤去してブロックとほかの材料で塀をやり替えたことがある。この時は義兄に仲介をお願いした。これは海外旅行3回分くらいの費用が掛かった。その次に水道管破裂でこれも義兄に仲介をお願いした。これは国内旅行並みの金額だった。今回は海外旅行2回分くらいの金額になりそうだ。

 親が生きていた頃に何度も家のリフォームをしている。これからは家が壊れるか住んでいる人間が壊れるかの競争になる!?いずれも壊れずに、と願って……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月27日土曜日

『司馬遼太郎全仕事』を買おう

 早くも年賀状の欠礼を知らせる葉書が届いた。送り主は某会の人だ。だが、この葉書に誰がいつ亡くなったのかは記されていない。不思議な気持ちで葉書を見る。(もしかして奥様?)と訝る。昨年の1月、この会からミャンマーへ出かけた。その際はご夫妻で元気に参加されていた。あまり深く考えまい。
 
 昨日は特別公開された隣町にある旧千葉家住宅を見学する。紅葉の時季の公開だったが今一歩という感じだった。その後、図書館へ行き文庫本の書架を見ているといい本に出合った。それは『司馬遼太郎全仕事』(文藝春秋、2013年第1刷)である。司馬遼太郎が著した全作品の掲載だ。この本は借りて読む本ではない。そう思った。買って読もう、という気にななる。

 母を介護していた時はネットで本などを注文し、セブンイレブンで受けとっていた。10数年前のことだが、当時はセブンイレブンは近くになく、遠くまで自転車に乗って受け取りに行っていた。母が亡くなるとネットでの購入はしなくなる。久々にネットで本を購入しようとしたがそれもわずらわしい。本屋に行って購入しよう。
 
 図書館で借りたこの本を見ていると司馬作品の長編小説の大半はすでに読み終えている。一作品が数巻もある本ばかりを読んでいたようだ。巻頭に記載された三大長編小説として『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』がある。これらの本も既に読書済みだ。

 いろいろと読んでいると読んだ本の内容が分からなくなりそうなのでブログに気に入った箇所を記すようにした。今回買おうとした本にも大事な場面の引用がある。自分の記した箇所と比べてみるのも面白そうだ。ともあれ、この本が気に入った。

 昨日は他にもいろいろあった。朝、姪からメールが入る。1歳になったパンダを和歌山まで見に行ったとの写真添付のメールが届く。係の人に写真を写してもらったらしく姪の背にパンダがもたれかかったように写っていた。いい記念になりそうだ。

 昨夕は近所の電気屋さんが屋根の修理の見積書を持ってこられた。2通ある。どちらか1通を選ぶ?と思ったら両方の合計が見積金額だった。これはかなり遠くの外国旅行並みの金額になる。すぐにお願いする旨、伝えた。と同時に、1か月くらい前に玄関を閉めようとして片方の戸がレールから外れて動かなくなった。何とか動かしてどうにか鍵をかけられた。だが、それも片方しか動かずじまいだった。このことを気にしながら生活していたが、昨日の電気屋さんにその旨、話すとすぐに直してくださった。時間は少々かかったが両方の玄関の戸がスムーズに動くようになった。

 (玄関の修理はどこへお願いすればいい?)と迷っていた。よほど気にしていたのか昨夕の電気屋さんを見てすぐに口から(玄関が……)と出た。何でも思ったら考えず口に出すもの、と思ったり。その時またも電気屋の口から「食う物以外は何でもやるけん」と。ありがたい。

 見積書の件を義兄に電話で話すと修理をやってもらうようにという。ただ、樋の修理が見積書にない。電気屋に聞くようにとのことで電話で話すと後日にまた返事があるようだ。屋根の修理は大仕事になった。が、これは病気でなく金銭で解決する。いい方に考えよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月26日金曜日

ああ、ピアソラ

 穏やかな気持ちいい朝を迎える。昨日午後はプールで泳ぐ。予定通り500mを泳いだ。コロナ禍のプールは空気を入れ替えるためか換気の音や風通しを良くしていて室内は以前ほど暖かくない。更衣室も暖房が入っていないようで寒さを感じる。前回は300m、今回は500mの泳ぎだが、長く泳がなかった割には楽に泳げた。ただプールの行きかえりの自転車は気をつけているのでこの点は楽勝ではない。

 プールのある館内ロビーの展示コーナーを見ると来月中旬に講演会開催のポスターがある。係に問うと主催者が役場、とのことで帰宅後、そこへ電話する。久しく講演会というところへ出かけていない。ただ、講演会の主催者が広島市でなく隣町の役場だ。電話で予約すると市内在住者もOKだった。講演を聴こうと思ったのは講演者がどうこうよりも講演会場が新たにできた建物でその場所に入ってみたい気持ちがある。

 その建物の横には旧千葉家住宅がある。今朝の地元紙によると今日から特別公開するとある。今まさに紅葉が真っ盛りらしく公開するという。公開場所は家から歩いて行ける。散歩がてら行ってみよう。

 話は変わって今朝のFMはピアソラ特集。朝からバンドネオンの音楽が心地いい。ピアソラは好きな作曲家でフルートでも吹ける。午後のNHKラジオ欄を見るとピアソラ特集をやるようだ。生誕100年のピアソラ。母よりも数歳若い。ということは今どきの人だ。ここでふと頭をよぎる。それは旅の最後はアルゼンチンに行きたい、という希望に燃える。ピアソラの曲は切なさの中に激しさを秘めている。これがいい。アルゼンチンに行って是非とも本場のタンゴを聞きたい。これは夢!?今年春、10年のパスポートを更新した。このパスポートをせめて1,2度は使いたい。ところがコロナ禍で海外渡航は以前のように簡単には行けそうにない。まだいったことがない近場の韓国、何度か行った台湾、そしてアカシアの咲く春の大連。せめてこの3か所を、と思ったりした。

 ところがここに来てアルゼンチン、が頭をよぎる。当分いけそうな状況ではない。ただむやみやたらに年月だけが過ぎてゆく。たとえ行かれる状況になっても自分の体がそれについていけなくなるかもしれない。その時は一度も乗ったことがないビジネスを利用して……夢は尽きない。いつの日か実現するといい……。

 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2021年11月25日木曜日

プールの話題

 今朝の地元紙、くらし欄に「プールは小さな社交場」とある。83歳の市内に住む女性の投書だ。週に3回、プールに通っているそうだが腕が痛くて泳がず、水中歩行を1時間するという。プールにいる間は仲間とのおしゃべりタイムが楽しいらしく、プールが健康維持の社交場にもなっているとか。

 先日、コロナ禍で泳げなかったプールに半年ぶりに出かけて泳いだ。投書の人の「プールは健康維持の社交場」はその通り。と言いたいところだがヒト・モノ・コトすべてに慣れすぎると面倒に思えてその辺りは適当にしている。プールでは水着とキャップとゴーグルでしか人の見分けがつかない。ましてや視力がよくないのでプールから出て着替えた姿では泳いでいた人かどうかはすぐにはわからない。半年ぶりであってもプールで見覚えのある人が2,3人はいる。ただ、その人たちともあいさつ程度でそれ以上親しくなろうと思わない。それでなくてもどこに行っても人とすぐに親しくなりやすい。これはよくないと思えてきた。

 今日は穏やかな一日となりそうだ。午後はプールへ行こう。そして泳ぎは500mにしよう。それにしてもプールは長く続いている。30代半ばで泳ごうと思って以降、細々と長く続けている。その間、泳ぐ間隔が一番あいたのは今年の半年ぶりかもしれない。元々はただ泳げるようになりたい、から始まった水泳が泳げるようになると楽しみに変わった。この泳ぐ楽しさがある間は何歳になっても泳げそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月24日水曜日

外国語の歌

  作品展に出品した絵4点がやっと帰ってきた。絵の搬入・搬出を手掛ける画材屋さんから先日、午後2時ごろ配達するとの電話があった。ところが、昨日お昼にスーパーから戻ると玄関前に絵が置いてある。正午前に配達されたようだ。家の固定電話と携帯を見ると正午前に電話がある。すぐに画材屋へ電話して絵を受け取った旨、知らせた。それにしても何と配達時刻のいいかげんなことか。この秋は画材屋さんは忙しい、とのことだから決まった時刻に届けるのは難しいのかもしれない。

 作品展は額にはめてあるガラスや強化プラスチックを外して展示する。戻ってきた絵を段ボールから取り出して額にガラスや強化プラスチックを入れて絵を入れる。この作業は自分にとってはかなりの重労働だ。6号やサムホールのような小さい絵でも重労働なのに50号や100号の人はどんな力持ち?と思ってしまう。自分自身は到底それは無理、というよりも描けないのが勝りそうだ。

 夜来香を中国語簡体字の歌詞で練習している。これまで英語のケ・セラ・セラ、スペイン語のその名はフジヤマを練習して暗唱できるようになった。しかし、夜来香はこの2曲よりさらに練習に時間がかかりそうだ。メロディはわかっていてもこれを中国語の歌詞に当てはめるとうまく歌えない。中国語の歌詞は楽勝、との思いは大外れで時間は長くかかりそうだ。

 そう思いながらもこれが暗唱できるようになったら次はロシア語の曲を、と思ったりする。若い頃、暇を持て余していろんな外国語を習いに行った。その中にフランス語もある。これは友だちの紹介で習うようになったが1年習ったはずなのに全く覚えていない。それというのも授業料は大学の先生のボランティアらしく無料で遊び半分に習いに行っていた。何ごとも無料というのはよくない。その点、スペイン語は自分の意志で大学の科目等履修生として学生とともに学んだので単位取得の試験も受けた。ということでフランス語のようなことはない。

 そういえばロシア語も同じ友だちから教室を教えてもらって半年通った。これは市に関係ある主催で少ししか覚えていない。いろいろと習った外国語の中で一番楽勝と思えたハングル語は2度習いに行ってすぐに挫折した。すぐといっても本当に1,2度行ってハングル文字を覚える気がなくて全くダメだった。その点、中国語は英語以外では30代で習い始めて一番ハマった外国語になった。外国への目覚めも中国語がきっかけだった。当時は1980年代中頃で中国にのぼせていた。

 何かにのぼせることは楽しい。今のようなネットはなく、短波のラジオを買って中国国際放送を聴くのが楽しみだった。そして投書などもしていた。今となっては懐かしい楽しい思い出。

 今やネット時代。外国語もネットを利用して学べば学べそうだがもはやその時期は過ぎてしまった。若かったあの頃、やる気になっていたあの頃を思い出してマンネリ気味の今を戒める!?そのためにもまずは夜来香の暗唱が待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月23日火曜日

『新装版 播磨灘物語』(一)

 昨日の雨から一雨ごとに冬へと季節は変わってゆく。朝刊の天気予報では曇りのち雨だが、天気は持ち直して晴れのち曇りのようだ。この秋の紅葉シーズンも今週限りで見納め!?しばらく行っていない宮島へ、と思った。が、気分が変わりそう。先日、作品展にだした絵が今日午後配達されると画材屋から電話がある。到着時刻はあてにならないので午後は家に拘束されそうだ。その前にこれから図書館へ行こう。

 以下は大分前に読んだ『新装版 播磨灘物語』(一)(司馬遼太郎 講談社、2011年第19刷)で黒田官兵衛の物語。いつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★当時、京都の富商の多くが法華(日蓮の教徒)になってしまっている。この宗旨は、法華経を護持していれば現生の望みはなんでもかなうと信じられたもので、商人という、生活そのものが現世利益の思想の基礎に立っているひとびとには打ってつけのものであった。さらには南無妙法蓮華経の題目を連呼すると南無阿弥陀仏の念仏における内向的な気分にくらべ、気分がひどく外交的になり、困難に向かって勇往邁進したくなるという心理的なものもあって、室町末期の商業時代のにない手たちに相応しい宗旨だったといえる。(33p)

★重隆にあてはない。妻子をつれて備前福岡を出るときは寂しかったであろう。後年、官兵衛の子の長政が筑前(福岡県)に封ぜられてここに城を築いたとき、城下の名を福岡とした。家系の者がいかに備前福岡を懐かしんでいたかということのあらわれといえるかもしれない。(46-47p)

★この若い播州の士豪の子が、京へのぼろうとおもった理由の大きな部分は、かれの想像を越える世界が、堺や京にまできているということなのである。キリシタンのことであった。(136-137p)

★ほかに、もっと鮮烈な夢がある。ローマというものの雄大な世界を、官兵衛は同時代の過敏なひとびととともに知ったということである。……世界には広趾(コーチン)国(ベトナム)もあり、呂栄(ルソン)国(フィリピン)もあるということを室町期の貿易家たちが確かめてしまっている上に、万里の波頭のむこうにはローマ世界という一大文明があることを、官兵衛はその時代の鋭敏なひとびととともに知ることができたのである。(138-139p)

★信長がこの窮状のなかで決意したのは、叡山という中世的権威の亡霊のようなこの一大宗教勢力を襲い、寺を焼き、僧俗をみなごろしにすることであった。……叡山の僧の腐敗というのはこの時代には極に達していたといわれるが、信長の元来的ともいうべき中世的な旧秩序への生理的嫌悪と、さらに生理的といえばかれの独特な倫理感覚が、平然と腐敗的状況のなかではびこっているこの一山の僧侶たちの存在を生かしがたく思った。……信長は不意を襲った。殺された僧俗は数千である。山上の根本中道、山王二十一社、霊仏、霊社、僧坊、経蔵、一つの建物ものこさずに焼いた。学僧も僧兵まがいの無頼僧も、稚児も、行者も、学生(がくしょう)も、堂衆も、ことごとく殺された。信長の特徴はその革命的気分にあり、かれは中世的権威の代表である叡山を、火と血をもって葬ったのである。(313-314p)

★かといって官兵衛は栄達欲のつよい男ではなく、どちらかといえばその点、うまれつき欠けて此の世に出てきたような気配が、かれの欠陥であるといえばそのようでもある。かれは体を裂かれても半身で生きている山椒魚のように欲望や生命力が強くなかった。たとえば備前で自立している宇喜田直家などが、その山椒魚であろう。(340-341p)

2021年11月22日月曜日

あわい(間)

 今朝、地元紙を読むと「島々のあわいを、巨大なタンクが埋め尽くす奇観を……」とある。この「あわい」の意味がわからない。新聞を読んでいてカタカナ表記や略したアルファベット表記などが意味不明なことはあるが、ひらがなで意味がつかめない、とは情けない。すぐに電子辞書の出番となる。あわいとは「間」と漢字表記がある。これだけ見てすぐに意味がつかめた。コト・ヒト・モノ・色・機会などとの間がらなどといろいろとある。

 言葉、といえば司馬作品を読んでいても途中で意味がわからずに躓くことがある。その際もその都度電子辞書で調べる。司馬作品は時代的なこともあって日常、使わない言葉が頻繁にある。その時はいつも電子辞書が手放せない。が、テレビなどでタレントや芸人が話すわからない言葉は電子辞書にも載っていない。ましてやツイッターやブログを見ても新語なのかどうかさえわからない若者言葉がある。その究極はパソコンに頼る。別に若者言葉を知らなくても不自由はしない。が、新聞掲載の言葉は知らないとまずいのでは、と思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月21日日曜日

日本画教室で

  昨日午後は日本画教室に出かける。午後の教室は6名だが、絵よりも優先するモノ・コトがある人がいたり、また、その日のコンディション不良で全員がそろわない日がある。昨日も1人は他のことで忙しくて休みだったり、もう1人は教室に来る途中で体の不具合に見舞われたとの連絡がある。が、その人は何とか教室に着いたはいいが3時間のうちすでに2時間10分が経過しており、絵を描かずに話すだけで終わった。それでも何とか自宅に帰られたようだが、これは他人ごとではない。

 今年の日本画の作品展は先日終わった。昨年はコロナ禍で作品展が開催されず習っている教室以外の人たちとは2年ぶりの再会だった。皆さん、長年習われており新たな人が習われることはあまりなく、ほぼ同じメンバーだ。会わなかった2年の間に亡くなった人や教室をやめた人もおられる。また久しぶりに出会うと(年を取られた)と思える人もいる。他の人から見れば自分自身もきっとそう見られているに違いない。そうとわかっていても(自分だけは元気)と勝手に思ってしまう。だが、人は皆、平等に年をとる。

 作品展の芳名禄を先生に見せてもらった。作品展の案内を出さない人も来場されていた。もしかして習っている人の知り合いや市の情報誌を見ての来場かもしれない。

 先生は来年の作品展について話される。本画2作品以外に各自、サムホール大のパステル画、鉛筆画、本画などなんでもいいのでそれを加えて出品するようにとのことだ。日本画は1年描いても作品としては数多く描けない。それくらい1枚の絵を仕上げるには時間がかかる。というか教室でしか絵を描かないのでそうなるのかもしれない。

 描いているのは信州・鬼無里の風景。先週、先生から次は樹木に色を施すようにと聞いて色番を控えていた。すぐにメモしなかったのでし忘れていたのがあった。昨日、「どの色を樹木に施した?」、と先生に聞かれて色を示す。すると「もう1色の黒っぽい色も……」、と言われる。この色をメモし忘れていた。次の教室では絵全体が暗過ぎるので明るくしようとアドバイスされる。

 写真をカラーコピーしてそれを真似て描いている。(まるで模写?)と言いたいところだがそこまでには至らず。模写でも何でも絵らしく描ければそれでいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月20日土曜日

またもドンジョン「アダージョ・ノーブル」

 昨年の2月にドンジョンの「アダージョ・ノーブル」の練習する。ところがその時はYOU TUBE先生の動画のアップがなく、他の人のを見た。昨夕、何気なくパソコンを触っていると今年の2月にYOU TUBE先生の動画のアップがある。これまでアップがなかった動画を日々、更新されている。まだアップがない動画も気にかけていればそのうちアップされるに違いない。

 話は変わって先日のお墓参りの帰り道に少しだけ残っている段々畑の横を通る。そのうちのひとつである横に細長い畑に男性が4人畑仕事をしていた。畑に人がいるのを見かけることはなかった。声をかけると玉ねぎを植えているという。畑を2列にして1列には6月になると300個の玉ねぎが出来るそうだ。4人組は地域のお年寄りが暇つぶしを兼ねて農作業をしているのかもしれない。「玉ねぎを植えるのを初めて見た」、と話すと「結構きつい仕事」と言っていた。

 先日、別の人も畑を借りて何人かで農作業をしているという人がいた。我が家の辺りでは近くに畑はなく、墓地に向かう山道に段々畑が少しだけ残っている。が、どの畑もほとんど何も植えてない。それよりも山のふもとに大きな道ができるのか家が壊され空き地になっている。山でなく線路の周辺をみればJRが高架橋になるとのことでこれまた空き地が多い。これもすぐのことではなく何年何十年計画のようで生きているうちに間に合うかどうかは怪しい。

 広島駅周辺も大規模な工事で完成はまだまだ先になる。ただ広島駅周辺に限って言えば最近、朗報があった。中央図書館などの市の公共施設が駅前のデパートやショッピングセンターに入るという。広島駅は自宅最寄り駅からだと快速に乗れば次の駅になり8分で行ける。これは4年先のようだが嬉しいお話だ。

 いずれにしてもこの先どうなっても自分の年齢との戦いになりそうだ。その点だけはどうしようもない。と言いながらも便利になった街を元気で利用したい。その気持ちはある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月19日金曜日

臨時記号&装飾記号に躓く

  新しい曲を練習していて楽譜に出てくる臨時記号や装飾記号に戸惑う。練習する楽譜の臨時記号には(ダブルシャープ・重嬰記号)や装飾記号のターンなどが多々ある。何ごともわからなくなるとgoogle先生の出番となる。ダブルシャープはピアノなどの鍵盤を思い浮かべるとすぐに理解できた。ターンは少々戸惑いながらも笛を吹いて試して理解する。さらった曲であっても同じ曲ばかりを吹くわけではない。時にいろいろな曲を吹くようにしないと忘れてしまう。それにしても頼もしいgoogle先生だ。

 昨日、午前中は母の月命日のお墓参りをする。墓地入り口に人の気配がする。以前一度だけ会ったことがある人だ。若くして旦那さんを交通事故で失ったという。帰宅後、眼科へ。眼科の帰り、自宅最寄り駅に隣接するスーパーに立ち寄る。ここはいつものスーパーにない品物がある。たまに行くと物珍しさもあって楽しくなる。

 帰宅後に吹くフルート。♯を付けた音をさらに半音上げるダブルシャープの音に躓く。ファの♯のダブルシャープは「ソ」だ。ピアノの鍵盤を思い出して理解する。ターンは横や縦にしたのがある。今、練習するのは横のターン。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月18日木曜日

「秋の紅葉絶景ハイライト」日帰りバスツアー

 2021年11月16日、「秋の紅葉絶景ハイライト 佛通寺・三景園・今高野山龍華寺・御調八幡宮」と銘打った日帰りバスツアーに参加した。お天気にも恵まれて快適な旅となる。旅の参加者は22名。コロナ禍のご時世の旅だった。が、感染者が減少しているためか、一時のあの厳しかった緊張は解けて少しだけ緩い旅だった。

 大手旅行社の旅だが今年3月末をもって広島での営業を閉じ、日帰り旅は博多、泊を伴う旅は東京の事業所が行う、と添乗員は話す。道理で広島発の旅が少ない。添乗員は3,4年前の日帰り旅に参加した人と同じだった。ツアー客も添乗員も再度お目にかかることはまずない。が、今回は添乗員が外国の人だったので覚えていた。先方も覚えてくれてたようだ。

 広島駅からバスは出発。高速に乗って1時間くらいで広島空港に着く。途中、高速道の両側を見ると霧の海だ。空港周辺に三景園がある。またホテルやお昼を食べる八天堂カフェリエがある。今回出かけた4か所はいずれ劣らぬほど紅葉真っ盛りだ。カメラで写すとどこも見事な紅葉なので写した場所がわからなくなる。カメラの写した時刻で場所を確認するほどだ。予定の行き先を変更してバスはゆく。

 三景園 
 
 もらったパンフによると「広島県の代表的な景観である里・山・海をモチーフとした日本庭園となっている。……人々を四季折々の花木の美しさで魅了する」という。秋はどういっても紅葉の季節。美しかった。1時間、園内を散策していると洋装の新郎新婦が写真に納まっていた。



 
 佛通寺

 何度か来たことがある佛通寺。母とも来たことがある。初めて佛通寺に来たのは中学1年か2年の林間学校だった。当時は臨海学校と林間学校があったが、泳げなかったので林間学校にした。初めて座禅を教えてもらったのもその時だった。が、今となっては林間学校できた、ということ以外は何も覚えていない。

 パンフによると「1397年小早川春平が高僧・愚中周及禅師を迎え開山。日本屈指の禅道場として知られる臨済宗佛通寺派の大本山である佛通寺は往時には山内八十八か寺、末寺三千余寺に及ぶ広大な規模を誇った。参道の紅葉の美しさは県内有数」とある。メディアでも取り上げられた影響か平日にもかかわらず大勢の観光客だった。迎えてくれたのは県の天然記念物でもあるイヌマキ、という大木。この日は期間限定の特別拝観もあった。もらった入場券代わりの名刺大の御札を見ると「南無間観世音菩薩守護」と書いてある。これは捨てると罰が当たる!?

 
ぐるっと歩いて回る「渓聲の小道」
 
 以前来た時にもあったのかどうか覚えていないが「渓聲の小道」があった。さらに歩いていると「開山堂」とあり、石段が続く。何度か佛通寺に来ても開山堂へ参ったことはなかった。時間もあるので登ることに。この参道は「含暉坂」(がんきざか)というらしく200段近くの石段を上る。登り始めはいいが、途中から石段の高さが高くなり、平坦な石段でなくなる。参って戻る人に聞くと「結構険しい石段ですよ」と。こういう時は「ああ、もうすぐ着きますよ」と言ってくれればいいのに、と思ったり。運動不足がここに来て息苦しさも半端ではない。さらにはマスクをつけてる場合じゃない。苦しさが勝る。久々に激しい運動をした感じになる。
開山堂

多宝塔

開山堂までの含暉坂

見事なグラデーション
 御調八幡宮

 御調(みつぎ)八幡宮は初めての場所だ。なぜか季節外れとも思えるカラーが咲いている。もしかして違う花!?
これはカラー?
 御調は以前は御調郡だったが今は尾道市になっている。パンフによると「769年道鏡事件に連座し、法均尼がこの地に流され宇佐八幡宮を勧請したことが始まりと伝えられ、室町幕府八代将軍足利義政寄進による木造狛犬が残っている」とあるが、狛犬はわからなかった。ここも見事な紅葉だった。

御調八幡宮
 今高野山龍華寺

 この春にも来たことがある。が、春よりも秋の紅葉が勝りそうだ。ここでも和装の新郎新婦が撮影していた。今高野山も頻繁にメディアに取り上げられる。見事なグラデーションは何物にも代えがたい美しさがある。




まさに燃える秋 絵になりそうだ

絵にできたらいい
 久しぶりに出かけた日帰りバスツアー。コロナ禍で家にいることが多い。が、まだ体力は大丈夫、と確認した旅だった。どういってもよく動いた。頑張れ、まだどこへも行ける!そう確信する日となった。また動くたびによく汗をかいた日ともなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月17日水曜日

「私にとっては幸せな生涯でしたよ」

 昨日は 県内4か所の名所旧跡を訪ねて紅葉狩りを楽しむ。コロナ禍の中、久ぶりに出かけるバスツアーだ。かなり楽しみにしてこの日を待った。案の定、好天にも恵まれ、お日柄もよかったのか三景園と今高野山では新郎新婦の写真撮影が行われていた。

 広島駅新幹線口2階にあるペデストリアンデッキに集合。久しぶりのツアーで緊張するが待てど暮らせど添乗員は現れず。(どうしよう?困った)とあたりを見た時、女性連れがいる。(もしかして同じツアー?)と声をかけるとそうだった。この人たちも途方に暮れていたらしい。集合時刻間際で添乗員が来た。その言い訳はなんとトイレが混んでいた、と。

 22名のツアーはまずは三景園を目指す。ここは広島空港ができた時点で作られた公園だ。この春にもツアーで出かけたが、春の時季は秋の紅葉のような感動はなかった。今回出かけた場所は連日、新聞やテレビで話題となった。とくに佛通寺と今高野山は紅葉の美しさを連日メディアが賑わす。

 1時間ほど三景園の園内を歩く。この観光だけですでに5000歩近く歩いていた。この調子だと一日、かなり歩くはず、と思ったら携帯万歩計は1万5千歩になる。空港エリアにある三景園のそのまた近くに八天堂がある。ここも今春のツアーで訪れた。このカフェテリアで早い昼食をいただく。ここはパンで有名だ。

 県内のバスツアーなのでバスの乗車時間は少ない。そのためかどこの観光地についても1時間くらいのフリータイムがある。次の観光地である佛通寺に着くと紅葉の美しさに目を奪われる。本堂では特別拝観もできた。

 何度も出かけている佛通寺だが、今回初めて開山堂に参った。開山堂への参道は含暉坂(がんきざか)というそうだが、時間もあるので石段を登ろうとした。後でパンフを見ると200段近い階段とある。登り始めはよかったが、途中、戻る人に聞くと急な石段があるとのこと。今回もトレッキングシューズで出かけたので足元は大丈夫。たった200段だった、とは後で言える数字だが、結構登り切るまではきつかった。とくに途中から一段の石段が高く、上まで登り切ったことで大分気をよくする。そして、まだまだどこへでも行けそう、と安堵する。

 佛通寺を後にすると御調八幡宮へ。御調(みつぎ)八幡宮のある御調へは初めて出かける地だ。その後、今高野山へ行く。ここも今春に来ている。和服の新郎新婦の姿があった。真っ赤に燃える紅葉と黄や緑のグラデーションは今朝の地元紙にも紹介されている。今年の秋の紅葉を満喫した一日は終わった。まだまだ元気を出して遊びたい。

 話は変わって一昨日のNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の番組最後に浅村スミ子さんが出られた。御年104歳。戦争で婚約者を亡くし、今までその人を思い続けて結婚せずに生きてきたそうだ。家を継ぐために養子を迎え、今ではひ孫も生まれてお幸せそう。2年前の102歳になる頃、自宅庭にいた時に鶴瓶が突然現れる。それから2年後の今回、104歳になられてテレビのリモートで出演された。その人が番組最後で話された言葉に出演者一同の涙を誘う。見ている者も涙なくしては見られなかった。その人曰く「考えてみればあわれな生涯だったかもしれませんが、私にとっては幸せな生涯でしたよ」。この「私にとっては幸せな生涯でしたよ」と言える人は素晴らしい。我が人生もそう言える生涯でありたい!

 旅の続きは後日のブログで。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月16日火曜日

大仕事になる!?

 先日、2階の掃除をしていて窓を開けた。ふと1階の屋根に目をやると外れた瓦が1枚、そばに落ちていた。すぐに近くの電気店に急ぐ。電気店と瓦は関係ない。が、昨年、電気店で2階のエアコンの室外機を取り外してもらった。その時は瓦に何ら変化はなかった。が、台風などで瓦が飛ばされたのか外れていた。瓦とは関係ない電気店にお願いしたのは外れた瓦の様子を分かってもらえそうと思ったことによる。

 昨日お昼、電気店と一緒に瓦屋が屋根を見に来られた。瓦屋根はこれまでも葺き替えたことがある。だが、長年住んでいると屋根も傷むようであちこちを見た挙句、ベランダの下の瓦棒の葺き替えや屋根瓦に漆喰を施すようにと言われる。瓦棒の葺き替えにはベランダの床を外してするという。

 瓦1枚外れたのにどうも大仕事になりそうだ。姉に電話すると義兄が家にいて話を聞いてくれた。傷んだ箇所はなおした方がいいとのこと。業者は見積もりをとる、と言って帰られた。コロナ禍で海外などの遠出が出来なくなった。おのずとその方面でのお金が要らない。その代わりなのか家の補修でお金がかかりそうだ。ここは病気や怪我ではないのでこれも仕方ないと気持ちを切り替える。困ったときの何とか、ではないが信頼できる近くの電気店にお願いするしかない。初めに電気店に頼んだ時、店主は「食い物以外は何でもやる」と話された。パ〇ソニックのお店なのでリフォーム全般はOKと言いたいのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月15日月曜日

またも夜来香

 「夜来香」を中国語の歌詞で歌えるように練習している。歌詞のなかに「莺」 と「芬芳」があり、その意味が分からない。「莺」は「鶯」の簡体字でうぐいす。「芬芳」は電子辞書で調べると「ふんぽう」とあり、「よい香り、またはよい香りを漂わせること」とある。夜来香の中国語歌詞をはじめて見たときは繁体字だった。繁体字は今、台湾で使われている。中国語は簡体字で習ったが、日本人なので台湾ほどではないにしても漢字はわかる。ところが繁体字の「擁」を日本語で読めても簡体字で書くことができない。なお、簡体字は中国本土で使われている。

 社会人大学生の頃は中国語の電子辞書をもっていた。が、電子辞書は所詮、電気製品のためいつまでも使えない。手もとにあっても画面が暗く廃棄状態だ。もう1つあるスペイン語対応の電子辞書は簡単な中国語ならば調べられる。だが、これは語彙が少なく辞書としての機能は生かせない。紙の辞書もあるが電子辞書を使っていると紙の不便さを感じる。ということで最終兵器はパソコン、となる。

 夜来香を簡体字でノートに書いて覚えようとした。ところが文は読めてもすぐに書けない簡体字がある。「愛」や「為」などがそうだ。愛は「爱」、為は「为」と書けば簡単なのに忘れている。これは困った、と思い直した。ノートに書いて覚えるしかない。

 スペイン語の「その名はフジヤマ」をいきなりリズムを聞いて覚えようとした。が、それは無理だった。ノートに書いて意味を理解してやっとメロディにあわせて歌えるようになった。夜来香も歌えるようになるには時間がかかりそうだ。ボツボツ、覚えて歌えるようになろう。以下は夜来香の簡体字の歌詞。

那南风吹来清凉,
那夜莺啼声细唱,
月下的花儿都入梦,
只有那夜来香、
吐露着芬芳。

我爱这夜色茫茫,
也爱这夜莺歌唱,
更爱那花一般的梦,
拥抱着夜来香,
闻这夜来香。

夜来香,我为你歌唱!
夜来香,我为你思量!
啊 啊 啊
夜来香  夜来香  夜来香

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月14日日曜日

『生きているのはひまつぶし』

 昨日は日本画作品展が終わってから初めての教室に出かける。どの人からも作品展の話になる。先生曰く「絵が趣味の人は私も含めて変人が多いね」と。ふと思った。「絵が趣味?」と。習っているから趣味と言えるしれない。が、人に趣味と言えるほどにはそう思っていない。とは言いながらも相変わらず樹木を描いている。

 作品展に出した絵がまだ我が家に戻ってこない。画材屋さんの情報によるとこの秋は急に忙しくなったそうで絵が戻るのはまだ先になりそうだ。

 『生きているのはひまつぶし』「深沢七郎未発表作品集」(深沢七郎 光文社、2005年)を読んだ。いろいろと本を読んでいると人の文章を引用した箇所がある。先日読んだ本に深沢七郎の『生きているのはひまつぶし』の引用があった。これまで深沢七郎の本を読んだことがない。タイトルに惹かれて図書館で本を探すと最寄りの図書館に本があった。深沢は父と同世代を生きている。本を読むとなかなか味がある人に思えてきた。こういう人の講演はきっと含蓄のある話が聞けるに違いない。が、今は時すでに遅し。此の世におられない。以下に気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★とにかく嫌なことは忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作ることだね。そのために稼いだり、乗り物に乗って移動したりするんだから。稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間を作るための支度だからね。とにかく、生きているうちは暇つぶしがいい。ギターを弾いたり野菜を作ったりするのも暇つぶしだね。オレには生きていることが青春だからね。死ぬまでずーっと青春の暇つぶしだね。

 人生とは何をしに生まれてきたのかなんてわからなくていい。三千年前に悟りを開いたお釈迦様は、”それじゃわからない”と悟ったから悟りを開いたんだね。此の世は動いている。日や月が動いているのだから人の生も死も人の心の移り変わりも動いている。人間も芋虫もその動きの中に生まれてきて死んでいくということだね。まあ、暇つぶしながら、死ぬまでボーッと生きている。それがオレの人生の道、世渡り術というものだよ。(176-177p)

2021年11月13日土曜日

『新史太閤記』(下)

 今日中には『新装版 播磨灘物語』の(二)を読み終えそうだ。これは黒田官兵衛の物語で計4巻ある。残る2巻は今年中に読めれば、と思ったりする。というのもコロナ禍の勢いが衰えて家にいるよりも外に気を向けるようになった。そのため本を読む速度がかなり遅くなる。来週初めには久々に行楽の秋を満喫しに外に出る予定。何はともあれ、家にばかり閉じこもらず外に出かけるのは健康にもいい。

 大分前に読んだ『新史太閤記』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年八十八刷)。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★おれは神を信ぜぬ――ということであった。なぜならばおれ自身が神ではないか。そういう論理での理解であった。神である証拠に地上の乱をこのように均しつつあるし、そのうえ藤吉郎の原理のなかに、どうやら愛に似たものが動いているようであった。いや、愛そのものであった。いや、愛そのものであるかもしれない。――官兵衛はよいことをいう。とおもったのは、その愛を意識的にもてばこの国を統一するもっとも大きなエネルギーになりうるのではないか。敵にさえ愛をあたえ、恨みを買わねば天下の人心は翕然(きゅうぜん)としてこの藤吉郎にあつまるのではないか。(48p)

★「古の頼朝も義経も、みな貴種の出だ。うまれながらにして武門の棟梁であった。おれをみよ。前身は尾張中村の草取り童である。御当家にあっては御草履をとる小者から身をおこした。こういう男は、唐天竺にもいまい」われながらたいしたものだとおもった。(49-50p)

★秀吉はこの種の――なんというべきか、人をおおぜい集めてやる催し(たとえていえば、のちにかれがやって後世まで語り草になった北野の大茶会や後陽成天皇の聚楽第行幸、肥前名護屋における仮装園遊会、醍醐の花見といったような)、そういうものを企画するだけでも血がわき頬がゆるむような気分になる。この信長の葬儀は、そういうことのすきなこの男の生涯における最初のそれであったであろう。「日本はじまって以来の大葬儀にするのだ」と、秀吉はいった。事実――かれがやった͡͡この葬儀の記録は、それ以前はおろか、その後もやぶられていない。(225-226p)

★ちなみに、この長浜城の城主は豊臣時代にあっては山内一豊、次いで関ヶ原ののち家康の家来の内藤信成がそれぞれ城主になり、大坂夏の陣ののちに廃城になったが、町民は秀吉を忘れず、彼の在世当時だけでなく徳川時代を通じてひそかに秀吉を追慕しつづけ、神として祀りつづけた。もっとも幕府に遠慮してその神社は表むきえびす神社であるとしていたが、祭神は秀吉であった。明治以後ようやくこの祭神を表に出し、社名も豊国神社とした。(261p)

★いままで、秀吉の意識や行動や才能をさえも束縛していた「織田家」というものが勝家の死によってかれの頭上からまったく取りはらわれた。秀吉は彼のおもうままにその政略をおこなえばよく、たれに遠慮することもなくなった。からをぬいだ蝉のように自分のその翅で自由に飛翔すればよく、すべてが自由になった。(372p)

★「参州(家康)という人は、右大臣家の死後、お人が変わられたようだ」といった。そのとおりであった。秀吉の家康観をあらためさせたのは、あの好人物であるはずの男が体のどこかにそれを蔵(しま)いかくしていたのか、人としての凄みをみせはじめていることであった。(424p) 

★―ーあの男は、人を殺さない。というところにあるであろう。降服する敵将に対しては必ず優遇した。家康もいまその気になればさっさと兵を退いて降服してしまえば秀吉はかならず赦す。赦すどころか場合によっては現在の所領以上のものをくれる場合すらありうるのである。秀吉はいわば、大網をどっと海中に打ち入れた漁夫であろう。家康は、海で泳いでいるつもりでも、実は大網の中で激しくひれを動かしている魚にすぎず、魚は網のなかでできるだけ抵抗しようとしているが、いずれは上へあげられるであろう。あげられたところでその漁師は魚を殺さぬのではないかという漁師の心への奇妙な見すかしが魚自身にある。(463p)

★この時期、三河守家康の主題は戦闘であっても、秀吉の芸の主題は戦闘ではなかった。統一であった。「天下統一」というこの事業の華麗さはどうであろう。厳密な意味で日本列島は太古以来、一度も統一されたことがないといっていいであろう。鎌倉幕府も足利幕府もこの点で性格はあいまいであり、内実は多分に地方割拠であるといっていい。秀吉はすでに日本中の経済を一つにしようという、この国の歴史はじまって以来の事業にとりかかっていた。(482p)

★――三河の百姓。と、秀吉はひそかに家康の性格をそうおもっていたが、その言い方を借りるならばこの男は「尾張の商人」であろう。かれは、――土地は大名。富はおれ。と、明快に割りきり、その富を土台にしてこの大政権を築きあげようとしていた。(504p)                                                                                                                                                                                                                                          

2021年11月12日金曜日

半年余ぶりにプールで泳ぐ

 昨日午後、4月末に泳いで以来、半年余ぶりにプールで泳ぐ。自転車に乗って出かけようとすると雨が降り出す。自宅最寄り駅に行けばプールへの循環バスが走っている。駅に近づいた時点では雨もかなり降りだす。(バスに乗れば自転車をどうする?)と自問自答した挙句、そのまま自転車でプールへ。幸いパーカーを着て帽子をかぶっていた。何とか頭は濡れずにすんだ。

 自転車でプールに行くのは久しぶりだ。片道20分弱の自転車だが早い人は10分もかからずにつきそうだ。が、ここは気をつけて自転車をこぐ。どういっても隣町にあるプールまでの道のりはトラックやバスなどが頻繁に通る大通りを横切らないといけない。

 プールに着くとロビーで人が待っている。見知らぬおっさんが偉そうに指図する。機械に向かって体温を測れと言う。前日がプールの休館日だったので利用者が多いと予測した。ところがプールに入ると歩く人も泳ぐ人も少ない。半年ぶりに泳ぐので急に1キロ泳ぐのは危険と思った。出かける前から300m、と泳ぐ距離を決めていたので6往復で泳ぎをやめた。1キロだと20往復だが、6往復はすぐに泳げる。次回からは徐々に泳ぐ距離を増やそう。

 久しぶりの水泳は何物にも代えがたいスッキリ感がある。それは体も軽くなった感じがするし頭も空っぽになった感じで気分爽快になる。家でじっとしているといい考えは浮かばない。体を動かす爽快感は何物にも代えがたい。

 瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。昨日テレビのお元気なころの様子を見ていると「人の幸せは自由であること」、とか「生きるとは死への準備」、みたいなことを話していた。そのためには「やりたいことをやる」とも。他にもたくさんいいことを話されている。が、ちょっとだけ見た訃報のニュースでこの2つに惹かれた。

 いつかは燃え尽きる命ならば生きているうちに「やりたいことをやる」、これに尽きそうだ。若い頃、『嵯峨野より』を読んで感動し、寂庵を訪れたことがある。あいにく不在だったが……。市内で開催された講演会へは3回ぐらい聞きに行った。講演を聞いた影響なのか自分自身、その頃から動き出した気がする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月11日木曜日

夜来香


那南风吹来清凉,
那夜莺啼声细唱,
月下的花儿都入梦,
只有那夜来香、
吐露着芬芳。

我爱这夜色茫茫,
也爱这夜莺歌唱,
更爱那花一般的梦,
拥抱着夜来香,
闻这夜来香。

夜来香,我为你歌唱!
夜来香,我为你思量!
啊 啊 啊
夜来香  夜来香  夜来香

 英語の歌である「ケ・セラ・セラ」とスペイン語の歌の「その名はフジヤマ」を馬鹿の一つ覚えのように毎日歌っている。この2曲を覚えたので次は中国語の歌である「夜来香」を覚えようと思った。夜来香のメロディーは知っていても中国語の歌詞では歌えない。先の英語やスペイン語の歌以上に中国語で歌うには大変かもしれない。今日から夜来香の中国語バージョンの練習開始となった。

 何でも思いつきで行動している。その国の言葉で歌うとなると結構大変。ケ・セラ・セラは1番の歌詞をメロディーに合わすまでが大変だった。それをクリアすると2,3番は楽勝。「その名はフジヤマ」はスペイン語の歌詞が長くなると何を言っているのかわからない。スペイン語の歌詞をノートに書き写してすべての語彙を辞書で調べた。だが、スペイン語は動詞の変化が激しいので1つの単語を調べるにも大変だ。調べ終えるとパソコンからICレコーダに録音。その曲の速度を落とし、それに合わせて歌っていくとなんとか歌えるようになった。中国語の歌詞もメロディーに合わせて歌うのは大変。気長に覚えるしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月10日水曜日

2021年日本画作品展終わる(その2)

 先日、習っている日本画の作品展が終わった。作品展の目録を見てペンネームとも思えるような立派な名前に気づく。先生に尋ねると本名とのこと。この頃は生まれてくる子の名前はキラ☆キラネームが流行している。ところがペンネームとも思える名前の人は名前に相応しい感じの人だった。今回、名誉会員として2点作品を出品された。あまりにもいい名前なのでネットで検索。その人の父は詩人のようで広島に関する詩を書き、三枝成彰作曲の合唱曲があった。詩人らしく子供にりっぱな名前を付けられたのだろう。またご本人は定年退職後に油絵を10年、日本画を5年、そして写真を習われ、6年前に個展を開催されている。父子共に偉い人のようだがそんなそぶりは決して見せられなかった。

 絵を習い始めて10月で丸8年が過ぎて9年目に入った。長く習っている割には誰よりも進歩がない。絵を習いに行くのは遊びの感じでにぎやかしに行っている。珈琲タイムは率先してやるので先生は今回、会場に来られた人に私のことをそう説明される。それも半分当たっている。いまさらプロになるわけではないので楽しんで描ければいい。その思いだけで習っている。ところが今はそう言えるけれどもこの気持ちになるまでは絵を描く楽しさはなかった。「それなのによく続いたね」と先生に言われる。「苦手意識があるものは何でも長く続く」と返答した。これは本当にそう。何でもできる人はなにも習わなくてもいい。できないから何にでも首を突っ込む。まあ、これも暇人ということかもしれない。

 下手は下手なりに自分の記念として作品展の絵をアップしよう。まだ手もとに絵は返却されていない。会場で写した写真をアップしよう。

信州・親海(およみ)湿原 サムホール
日本画 
縮景園・今年竹 F6 日本画

信州・戸隠高原 F6 日本画
釧路湿原 F6 日本画

 話は変わって、昨日、少しだけいい話題があった。それは隣町のプール利用日と利用時間が一覧表になってHPにアップされたことだ。泳ぎに行きたいのにわざわざ電話で利用日を確認していた。これだとプールに行く日が限られる。ところが月間の利用日が判ると泳ぎに行きたい予定が立つ。やっとプールを利用できそうだ。

 もう一つある。それはブログで確認すると6月18日にFMで聞いて感動した<ショパン: ロッシーニのオペラ《シンデレラ》の主題によるフルートとピアノのための変奏曲 ホ長調(遺作)>である。昨夕、パソコンのお気に入りに入れた動画を聞いているとYOU TUBE先生の動画のアップがあった。ということは手もとにある曲集にこの曲が収められているはずと思って探すと40選に入っていた。難しい曲なのでさらっていない。以前にも練習しよう、と思ったのだろう。楽譜をコピーしていた。どう見ても簡単には吹けそうにないが、YOU TUBE先生の動画を参考にして今日から練習することにした。

 水泳とフルート、この2つは元気でいる間は続けたい。水泳はコロナでプールの利用が思うようにならなかった。ところが利用日が判って泳げる。フルートも新たな曲を練習する気になった。コロナ禍で先延ばしにしていたこの2件だがちょっとずつでもやる気が出ると我ながら嬉しくなる。とはいってもこの曲は本当に難しい。1曲全部の練習でなくてもVar・ⅡのAndanteの個所まで吹けるように練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月9日火曜日

「日々満足して幸せに過ごせればいい」

 昨日、東京に住む姪からメールが届く。それにはハロウィンの仮装(パンダ)の添付写真がある。姪が出かけたのは和歌山にいるパンダ、と思ったら案の定、次に届いたメールに「旅行は和歌山。なんだかんだ9月から毎月行ってる😊海外旅行に比べたら安いし。被ったらパンダになるパーカーよ。いいでしょ」とあり、メールの最後に「いつ何があるかわからないので、日々満足して幸せに過ごせればいいよね。ではまたね🐼」とある。先月の26日のハロウインにパンダの仮装で臨んだようだ。

 姪が言うように「日々満足して幸せに過ごせればいいよね」は長く生きている者にとってもそれで十分幸せな人生になるに違いない。海外旅行に行けない今、国内で楽しみを見つける、これもいい!どういっても自分の人生、日々楽しまなくては……。

 話は変わって月遅れの文藝春秋を図書館で借りて読んでいる。その10月号に「コロナ猛威世界は警告する」、サブタイトル「デルタ株の謎に迫る!」として”日本の第一人者が語る新型コロナ制圧への道”の河岡義裕が書いている。この最後に「コロナの感染拡大は、自分たちの行動次第で変えられるのです。私は昨年の最初の頃から言っているのですが、感染症の最大の抑制策は、感染者に近づかないこと。それさえ守っていれば、絶対うつらない。やるべきことはじつは単純で簡単。コロナ封じ込めは、私たちの行動次第なのです」とある。

 文を読めばそうかと思ったりする。が、「感染症の最大の抑制策は、感染者に近づかないこと」、のこのことがわからない。文としてはわかっても感染者をどうやって見分けるのか。これがわからない。まあ、嘆いても始まらないので不安をあおる場所や人に近づかないのが無難なようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月8日月曜日

ダグニーさんはお元気そう!

 最近のダグニーさんのブログを見る。「こんにちは親愛なるフォロワー。長い休止の後、私は再びブログページに戻ってきました。~」の投稿があり、パソコンに向かう写真もある。4日のブログはダグニーさんに代わってエレナが投稿している。それは「彼女は彼女の体操のセッションをしました, 私は言われました。60分間の体操セッションを練習できる100周年記念者は何人いますか?ダニーは109歳で、予告で処理することができます。~」(自動翻訳機能による日本語)とありジムで運動するダグニーさんの姿がある。お元気になられている。

 ダグニー・カールソンさんは109歳。100歳でパソコンを習い、今や世界最高齢のブロガー間違いなし。そんな109歳がジムで60分の運動をする。そう知ってコロナ禍でプールの利用がままならず、運動不足が否めないわが身を反省する。

 話は変わって先日、大きな白菜を丸ごと買った。ところが作品展などで家で思うように食事をせずにいると少しだけ使った白菜が丸ごと腐った。先週木曜日、ゴミ出しを終えた後で白菜を使った料理をしようとした。包んでいた白菜を開いた瞬間、嫌なにおいがする。1枚2枚とはがしていくうち中が丸ごと傷んでいた。ゴミ出しが終わってから今朝のゴミ出しまでの数日、台所に充満するあの白菜の嫌なにおい。消臭スプレーをかけるとさらに変なにおいになる。ゴミになった白菜をナイロンと新聞紙で包み、さらに紙のゴミ袋にいれた。先ほどやっとこれをゴミに出す。まだ台所ににおいが充満している気がする。

 今年の秋は暖かい。先日の作品展の搬入・搬出日は皆、汗だくになって作業をした。白菜が暑さで傷むのもうなづける。家族がいないのに白菜やキャベツを丸ごと買ってしまう。キャベツは冷蔵庫に入るからいいが白菜は大きすぎて入れるのは無理。これから白菜を買うときは丸ごとに買うのはやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月7日日曜日

2021年作品展終わる(その1)

 作品展は終わった。バスセンターから自宅近くのバス停まで直にバスに乗って帰る。いつもならば広島駅でJRに乗り換える。が、昨日は搬出を終えて疲れ切っていた。街中からバスで直の帰宅はほぼない。久しぶりに乗ると広島駅からマツダスタジアムを過ぎたあたりまでバスはノロノロ運転だ。試合もないはずなのになぜ混むのだろう。自宅最寄りバス停には1時間が経過。JRだと8分で着く。スーパーに寄ってお寿司を購入。夕方になってスーパーに行くことがない。朝のスーパーと雰囲気がまるで違う。

 郊外バスに乗ると街の変化に気づく。とくにマツダのある町、府中町は再開発で町全体が新しくなっている。この町はマツダ本社がある。以前はキリンビールの工場もあった。お金持ちの町、府中町は県内で一番の住みやすい町らしい。ということで広島駅から東方面、とくにマツダスタジアム周辺は綺麗な町へと変わっている。

 さて作品展。学生時代の友だちと何年振りかで会った。友だちは絵の先生に私のことを話し始める。「音楽も、運動も、絵も……」と私の苦手なことを言い始めた。「音楽は違う」、と途中で訂正を入れる。音楽関係は自分の中で唯一好きな分野だ。それを苦手云々と人に言われてはたまったものではない。運動と絵はどういわれても構わない。が、今は少しだけ苦手意識を克服したつもり。

 昨日までの数日間、作品展で忙しく過ごした。今日からはしばらく疎遠になっていた司馬作品を読もう。それにしてもいいお天気だ。家にいるのがもったいない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月6日土曜日

『在宅ひとり死のススメ』

 図書館に予約していた『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子 文藝春秋、2021年第4刷)をやっと確保した。本を受け取ると一気に読み終える。7年間、母の介護をした。母は3週間ほど救急病院でお世話になり亡くなった。最期まで面倒を見る、気持ちはあった。が、24時間1人で看ると寝ずにいなくてはいけない。それともうひとつ迷いがあった。いくら自分の親でも自分1人で母の最期の姿を看るのが怖かった。3週間の病院生活だったが親もこれに関しては許してくれるはず。

 そういえば母は元気なころから「這ってでも家で過ごす」と言っていた。その気持ちは同じだ。最期まで母と過ごす生活を希望したのでデイサービスも施設も全く利用しなかった。これは自分自身が病院嫌いということにもよる。当然、自分自身もこの本に書いてあるように「施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい」。これは著者と同じ気持ちだ。

 以下は気になる箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい。その準備と心構えをお伝えします。「おひとりさまの最期」を支える医療・介護・看取りの最前線も紹介。意外とお金もかかりません。私、ウエノも、最期は「在宅ひとり死」でゆくつもりです。(裏表紙より)

★この三部作(注:辻川覚志『老後はひとり暮らしが幸せ』、『ふたり老後もこれで幸せ』、『続・老後はひとり暮らしが幸せ』の三部作)の結論はこうです。「満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は、なんと独居に行き着いたのです。/老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手気ままな暮らしでありました」(33p)

★施設が合う、合わないに個人差はありますが、ホンネをいうと、わたしは施設にもデイサービスにも行きたくありません。集団生活がキライだからです。……デイサービスに行くのを勧めるのは家族のつごう、家にいてほしくないからです。だましたりすかしたりしてデイに行って、行ってみたら居心地がよかった、それから愉しみにしているひともいるのはたしかですが、自分から進んで出かけるわけではありません。保育園に送られる子供と同じです。施設の機能はそこで生活が24時間完結することです。これを全制的施設(total Institution)と呼びます。その典型が刑務所です。だから施設はある意味、刑務所のようなものなのです。しかも刑務所なら終身刑でもない限り、いつかは出て行けますが、高齢者施設は死体にならないと出て行けません……お楽しみや気晴らしも含めて暮らしが24時間施設内で完結してしまうことを、全制的施設と言うのです。(61-62p)

★最近「ケモブレイン」という専門用語を知りました。近藤誠さんの近著『このクスリがボケを生む!「ケモブレイン」にならない13の知恵』(学陽書房、2019年)に教えてもらいました。薬が原因で起きる脳障害を表す専門用語で、こういうテクニカルタームが生まれるほど、欧米では知られているそうです。そのなかに、認知症薬も降圧剤も、コレステロール降下剤も、慢性病で飲み始めると止められない薬の多くが含まれています。……もし、わたしが要介護者になったら、投薬管理などやってほしくありません。ですから講演ではこんなふうに話します。このなかの5人にひとりが認知症になるとしたら、どなたでしょうね、その方を待っている運命が、拘束か薬漬けか、ふたつにひとつだとしたら、どちらがお好き?……と。5人に一人の高齢者を待ち受ける近未来が、物理的か生理的、そのいずれかの行動抑制という名の虐待だとしたら……あんまりです。(111-112p)

★生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ。これが、食事、排泄、入浴という3大介護です。この3点セットが維持できるあいだは、生きられます。今日も目が覚めて機嫌よく一日を暮らせる……そしてそれを支えてくれる専門職のひとたちがいます。介護保険のおかげで、認知症になってもそうやって暮らしを支えてもらえる社会になったことを、わたしたちは喜べばいいのです。(136p)

★お家でひとりで死ねますか?――この問いこそが、本書で追究してきた問でした。答えは出ました。はい、できます。家族がいてもできますが、いなくてもできます。独居でもハードルは越えられます。ガンなら楽勝。認知症でもOKです。これもそれも、介護保険あってこそ。(170p)

2021年11月5日金曜日

世のなか変化している

 昨日お昼前、友だちから電話がかかる。当番日に絵を見に行く予定をすっかり忘れていたとのこと。せっかくなので搬出日に会場に出向く旨、知らせてその時に早めに行って見てもらうことにした。

  先日、レモンの木を切った請求書がシルバー人材センターから届いた。代金の支払いは地元銀行の振り込みだと手数料はかからないとある。早速、何年振りかで銀行窓口に行くと「印鑑は?」と問われる。「持って来てない」と答えると行員はタブレットを出して操作をはじめる。(窓口でタブレット)、と驚く。また(なかなかことが進まない、簡単には通帳を返してもらえない)と思った。コロナ禍で番号札は紙の印刷物だ。これは初めてのことで世のなか、自分が知らぬところで確実に変化している。なお、シルバー代金は4935円(剪定したシルバーさんへ3750円、残りが剪定で出た葉っぱなどの代金)と安かった。これからも何かあればシルバーにお願いしよう。

 銀行の振り込みを終えて動きついでに郵便局へ年賀はがきを買いに行く。はがきを受け取る際、「早い者勝ちです」、と係は言ってミカンを3個くれた。そういえばティッシュも2つもらう。ティッシュなどはよくもらうことはあるが(ミカンはどうよ)、と思った。郵便局も世の変化にもれず変わっている!?

 夜になると久々に友達から電話がある。コロナ禍で長い間、人にも合わず電話もしない生活が続いた。だが、それもコロナ新規感染者が減少すると徐々にそれも解消しつつある。電話の主は年齢的には2歳下だが、膝の半月板が損傷したという。膝が痛くなり病院に行ってやっと損傷に気づいたそうだ。膝といえば結構痛い人が多い。

 今のところ、痛いところは皆無だが、いつの間にかそういうようになるのだろうか。というかいつも思うことがある。それは自分自身が全く覚えていない生まれてすぐの頃に大病を患ったと親から聞いて育った。人の一生の決まりごとがもしあるとすれば病に関しては人より早めにやり終えたのかもしれない。それで元気なのでは、と勝手に思ったりする。というか決して無理はしない。と言いながらも老いは誰もが避けられない事実。その時は今の考えとは別でそれなりに老いてゆくに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!  

2021年11月4日木曜日

気ままに過ごすと……

 昨日半日は作品展の当番日。毎度のことながら作品展があると草臥れ果てる。昨日もそうだった。遊んだり、泳いだり、旅に行ったりして草臥れることがあっても、作品展の当番ほどには疲れない。これはなぜ?家で勝手気ままに生活している。何のしがらみもなく自由な生活はなんと幸せなことだろう、と改めて感じる。その意味でも年に1度はしがらみがある生活をせよ、という天の声かもしれない。勝手にそう解釈する。

 搬入・搬出日も疲れるがじっと受付にいるのはそれよりもさらに疲れる。昨日は祭日のためか朝から絶え間なく来場者がある。受付前は人の塊があちこちにできる。時に「〇〇さん」と声を掛けられるが、すぐにはわからない人もいる。その人たちは以前、1度だけ教室から出かけた八ヶ岳にご一緒した人であったり、県内の美術館を巡った時に一緒だった他の先生方だったりと皆さん、よく覚えておられる。こちらは人の特徴を捉えると覚えるがそうでなければ名前を言われるまでさっぱりわからない。

 昨日、いつも絵を見てくれる3人が会場に来ると話していた。が、来場者はそのうちの知人だけ。たまに会うのだからとそれぞれに手土産を用意していた。渡せなかった土産は、帰宅中、柿をくれた人の家によって渡す。すると、今度は渋柿の渋が抜けた、といってその柿をまたもらって帰る。ありがたい。遅いお昼はカフェで軽く知人と済ませる。久しぶりに会って話をする。しゃべりすぎて申し訳ない。

 紙屋町で別れてエディオンで掃除機の紙パックを購入する。他にも購入するものがあるが売り場が判らない。レジの人に聞くと話した日本語がわからなかったのか、名刺入れから何やら探し物をしだす。小さく折った紙が出てきた。売り場案内の印刷物だ。手にしてみると文字が小さい。が、すぐに売り場が分かった。後でレシートを見ると中国名だ。一生懸命、お客の話す意味を理解しようとするのだろう。接客が通じた様子で嬉しそうだった。

 一昨日、昨日と食事が不規則になった。今日は元通りの生活に戻してちゃんと食事をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月3日水曜日

飛び乗った循環バスは……

 市内を循環するバスがある。それはエキまちループ。循環バスはひろしま駅発で2通りある、と思っていた。ところが昨日、紙屋町へ行こうとして広島駅からそのバスに乗ると次は中電前、と車内アナウンスがある。これは紙屋町とは反対方向だ。見知らぬ人にこのバスは本通りに行くかどうかを尋ねると行かないという。すぐに中電前で下車して本通りまで歩く。目的場所の集合時刻は9時。急ぎ足で歩いて向かう。が、朝から気温も高く到着時は汗が出る。ましてやその後は作品展の初日のため業者とともに会場の設定がある。結構な立ち仕事で暑いし、足は疲れるしと大変だった。

 昨年の展示会はなかった。2年ぶりの開催とあって会場もいつもの倍と広く、作品も倍以上ある。それも大作が多い。絵を習って先月で9年目に入った。習う人の動きはなくほぼ同じメンバーだ。昨日、会場設定が終わって先生の挨拶がある。見知らぬ年配者が来られていた。その人たちは絵が専門の方もおられて名誉会員として今回出品されている。いかにも絵を描く人、という感じで同じフロアに絵を展示されるのが恥ずかしい。

 会場を出て本通りを通って三越に向かう。広島県のアンテナショップに立ち寄るが何も買わず。途中、カフェに入って軽くお昼を食べる。そういえば絵を習っている人から絵の会場に友だちが来るので一緒にお昼を、と誘われる。友だちとは小・中・高校時代の同級生だがどう考えても一緒に食事をしたい人ではない。絵を習っている人もその人と友だちらしい。朝から、習っている人から3人で食事を、と何度も誘われる。だが、意を決して話に乗らなかった。

 三越に着くと7階の日本画展に向かう。伊藤哲の個展で江戸琳派の流れをくむ作品のようだ。ただ見て通り過ぎる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月2日火曜日

年には勝てない!?

 昨日、朝一番で市に電話して大型ごみの集荷をお願いする。集荷日は2週間後だが、扇風機とストーブを出すことにした。どちらも費用は250円。コンビニに行って大型ごみの利用券を購入。その足で100円ショップに向かう。

 台所の排水口のゴミ受けカバーを買った。買うのはいいのだが直径の大きさがわからない。売り場を聞いてやっと商品を見つけたのに直径135センチと145センチのものがある。以前、パソコンと光ファイバーのルータを接続するケーブルを大型電気店で買う際に使用中のものをもっていくこと、と悟った。そのはずなのにすっかり忘れて買いに行く。家に戻ってまた買いに行くのも面倒だ。考えた末、同じ大きさがほかにもある145センチを購入。家に帰って比べると大丈夫だった。ついでに付箋紙も買う。

 午後、徹子の部屋に和田アキ子が出ていた。加齢により目が悪いという。目の悪さは視力もそうらしいが、加齢に伴う目の病気らしい。視力が左目0・1、とか話していた。右目は色は見えるがほとんど見えないそうだ。これを聞いて自分の目の悪さどころではないと驚くと同時にこれは大変、と気の毒になった。

 視力の悪さは隠しようがないほどよくない。が、加齢がどうじゃこうじゃというほどの悪さではない。ただ視力がよくないだけ。視力がよくない不便さは誰よりもよくわかっている。が、病的な眼ではないのでこれはこれでいいかと思ったりする。とはいえ、誰もが年をとる。どこか悪くなれば加齢、と片付けられるのも嫌だ。が、これも人が老いて行く自然現象と思って気を楽にする方がいいかもしれない。といいながらもどこか悪いところがある、と言われたならば誰よりもがっくりすること間違いない。その時は「年には勝てない」、とあきらめる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年11月1日月曜日

『知の旅は終わらない』その2

 『知の旅は終わらない』、サブタイトルとして「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」(立花隆 文藝春秋 、2020年第2刷)を読んだ。このなかに「下関市の市民会館大ホールで『香月泰男のシベリア』と題して四時間半におよぶ大講演会をやった」とある。この講演会を聞きに行っていた。予定講演時間を大幅にオーバーして青春18きっぷで広島まで帰られなくなり、新下関から新幹線に乗って帰ったことを思い出す。講演時間は4時間くらいだったと思ったら4時間半だったとは、そして講演者も長くなったと覚えていたとは……。どういう感じの講演会だったかも鮮明に覚えている。それくらいインパクトのある講演会だった。

 以下は『知の旅は終わらない』から気になる箇所を記した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★満州や朝鮮からの引き揚げ者は、殺されたり、強姦されたり、ほんとうに悲惨な目にあった人もいたんですが、北京からの引き揚げ者には命の危険なんかはなかった。というのは先に北京を制圧した国民党の蒋介石が、軍に対して「暴を以て暴に報ゆるな」と厳しいお触れを出して特別な計らいをしてくれたからだといいます。ウチの母親なんかは、「蒋介石様々でした」と述懐していました。(23p)

★哲学概念の中で、私が今も文章を書く際に指針にしているものが「オッカムの剃刀」である。オッカムの剃刀とは、中世最大の哲学者・論理学者といわれるウイリアム・オッカムが発見した思考上の大原則「不要で非合理多岐な概念はすべて剃刀で切り落としてしまえ」という不要概念切り捨て法のことだ。……オッカムの剃刀は、私に哲学の面白さを教えてくれた概念の一つだが、それは同時にものを書くときの要諦ともなった。論理的にわかりやすくスッキリがそれだ。……剃刀で切って、捨てずに残したもの。それはこのデラシネ体験であったり、知的なもののもふくめたノマド=漂流者的な生き方であったり、母親譲りのキリスト教という西欧思想の根っこの部分であることは確かなことのようです。(27-29p)

★人間の知的な営みについてひとこといっておくと、人間はすべて実体験というものが先なんです。これは何だろうという驚きがまずあって、それを理解したいから、本を読んだり考えたりするんです。これは外国文化だけの話ではありません。ひとつの文化体系を本で読むだけで勉強しようとしても、基本的には無理なんです。それはとても勉強しきれるものではない。ある文化体系を理解しようと思ったら、そこに飛び込んでその中に身を置いてしまうしかないんですよ。(110p)

★こうした文学を読んだことが僕にどんな影響を与えたかというと、第一に、ものを書いて食っていくという仕事を選んだことが、すでにその影響ですよね。読まないと文章は書けない。まず消費者にならないと、ちゃんとした生産者にはなれない。それから、文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがちなんじゃないかな。文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくるという世界でしょう。表面だけでは見えないものを見て行くのが文学ですから。それから、もうひとつ文学を読むことで得られる大事なことは、それによってつちかわれるイマジネーションです。……相手が何をまだ喋っていないかに気がつく能力、それがイマジネーションなんです。(117p)

★第一巻に入っていたのが、A・チェリー=ガラードの「世界最悪の旅」、スウェン・ヘディン「さまよえる湖」、トール・ハイエルダール「コン・ティキ号探検記」など、どれもノンフィクションの歴史に残る傑作中の傑作です。アッという間にひきこまれて、一気に読み終わり、ノンフィクションというのはこんなに面白いものかと思った。……大学時代は大江健健三郎さんにあこがれて、小説家になろうとして作品まで書いていたわけですが、ノンフィクションがあまりにおもしろかったばかりに、小説家という文字は頭から完全に消えてしまいました。そういう意味では、これも自分史としては、大転換のひとつになります。(123-124p)

★すべての人の現在は、結局、その人が過去に経験したことの集大成としてある。その人がかつて読んだり、観たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わした印象深い会話のすべて、心の中で自問自答したことのすべてが、その人のもっとも本質的な現存在を構成する。考えたすえに、あるいは深い考えもなしにしたすべての行動、その行動から得られた結末について反省と省察をくわえたすべて、あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、その人の行動パターンをつくっていく。人間存在をこのようなものとしてとらえるとき、その人のすべての形成要因としての旅の持つ意味の大きさがわかってきます。……旅は日常性の脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティ(新奇ささ)の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいきます。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と旅の後では、その人は同じ人ではありえないのです。

 旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の小さな旅の、あるいは「大きな旅の無数の小さな構成要素」がもたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよいでしょう。(150-151p)

★砂漠で遺跡を見ていたころ、しばしば権力というもののはかなさを思った。遺跡というのは、みな本質的に権力の遺跡なのです。権力者が自分の権力の強大さを誇るために壮大な建造物御を作る。しかし、どんな壮大な建造物も時の流れには勝てない。やがて崩壊し、風化し、半分砂に埋もれてしまう。誰もそれを作った権力者が誰であったかなどということは記憶していません。田中角栄も同じです。あの闇将軍時代、あれほど強力な権力を誇っていたというのに、いまでは、若い人は田中角栄の存在すら知らない。つまり遺跡なのです。(198-199p)

★……大学のほうでは、僕の授業を「応用倫理学」という枠にはめ込んだわけです。「おや、応用倫理学か」と思いましたが、考えてみたら、僕がそれまでやってきたさまざまな仕事は、「人間はどう生きていくべきか」という問題をいろいろな角度から考えることに費やされていたわけなので、快くその枠組みを受け容れました。(291-292p)

★この講義以降、自分の仕事のやり方、質がそれ以前と比べて、ずいぶん変わったなと思います。改めて振り返ってみると、僕がやってきた仕事はみんな、人間はどこからきてどこへ行こうとしているのか、というテーマが底に流れているところがあったから、もともと「人間の現在」の流れの一つみたいなところがあったわけですが、この講義以後ますますそうなりましたね。(297-298p)

★『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』の多くの部分はこのシベリア取材がベースになっています。NHKの番組の背景には六十時間におよぶ取材テープがありました。番組ではその一部しか使えなかったので、そのテープのほかに、番組のために調べたさまざまの情報を全部盛りこんで、放送後に下関市の市民会館大ホールで「香月泰男のシベリア」と題して四時間半におよぶ大講演会をやったんです。NHKはこの講演を記録に残し、それを編集したものが、九六年二月二十三日、ETV特集「立花隆戦争を語る――香月泰男のシベリア」という番組になって放送されました。まあこの記録も『シベリア鎮魂歌』のベースになっています(最終的には大幅に加筆した)。(330p)

★人には衝撃的な出会いというものがあります。出会った瞬間にいっさいの言葉を失い、呆然と立ちつくしてしまうような出会いのことです。雷に打たれ、背筋に電流が走ったかのような思いがする瞬間です。一九七二年(つまり再会する十年前)、僕がこの地方をさしたる目的もなく放浪しているときに(【第六章】参照)、そうした衝撃的な出会いをしました。それは一つの彫刻で、トルコ・エフェソスのアルテミス神像でした。……夕暮れの光の中に、これまで見たこともない奇怪な女神像が浮かび上がったのです。……これは奇怪な像なのですが、恐ろしいほどの吸引力がありました。なにか強力な磁石のようなものが放射させているような気持にさせ、とにかく視線をとらえて離さないのです。魔性の力というのは、こういう力のことをいうに違いあるまいと思いました。翌日、僕はセルチュクを発ったのですが、発ってすぐに、発ったことを後悔しました。……それから十年、アルテミスの魔力はいささかも衰えず、ついに再会を果たしたというわけです。(342-344p)

★死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません。前にもヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の言葉を紹介しましたね。「語りえないものの前では伸黙しなければならない」。死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません。(400-401p)

★「……ギリシャの哲学者にエピクロスというひとがいるんですが、彼は人生の最大の目的とは、アタラクシア=心の平安を得ることだと言いました。人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての観念です。しかし、今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。結局、死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。そういう気持ちになりました」……死んだ後については、葬式にも墓にも全く関心がありません。どちらもないならないで構いません。(403-404p)