2021年10月30日土曜日

『知の旅は終わらない』その1

 好天に恵まれた穏やかな朝のひとときをかき乱す選挙カー。衆院選は選挙区の候補者の事務所が東広島市に集中し、我が家の辺りではほとんど選挙運動をしていない。ところが県知事選挙の候補者のなんとうるさいことか。朝から共〇党が家の前で車を止めて大声を張り上げる。誰が一票を投じるか、と思いながら早く帰れと言いたくなる。こんな状況が選挙日まで続くと思うと嫌になる。

 立花隆の『知の旅は終わらない』を読んだ。この本は立花の自分史と思える。立花について知らなかったことが書いてある。

 結婚も2度しており、初めの人との間に男児をもうける。元妻は50歳ころに癌で亡くなる。翻訳家だったようだが、亡くなる前に1か月で息子あてに本を書いた。立花は当時2度目の結婚をしていたが、病に侵された元妻からの連絡で病床に見舞う。その時、本を書いている、と聞かされて立花はそのすごさに驚く。この場面は『知の旅は終わらない』、サブタイトルとして「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」(立花隆 文藝春秋 、2020年第2刷)に書いている。この続きの『知の旅は終わらない』は後日ブログにアップする予定。

 ウキペディアで立花隆を検索すると以下のような文に目がいく。

★幼少期より人の生と死の問題に関心を持ってきた。あるいは人間存在の本質に興味を抱き続けてきた。立花自身は次のように述懐している。「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」(『生、死、神秘体験』から)

 『知の旅は終わらない』についてはまたにするとしても「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」に妙に納得する。『生、死、神秘体験』はまだ読んでいないがいつの日か読んでみたい。

 どんなに偉い人でも「計画通りの人生など生きられるはずがない」のだからましてや凡人はさらにそうだ。これは前にも誰かがツイッターに同じようにつぶやいていた。自分の人生を振り返ってみても今の年齢でまさかこのようであろうとは想像さえしていない。というか計画通りにモノ・コトが運べば生きる面白さもなくなりそうだ。先がわからないから生きて行ける。

 いろんな本を読んでいるが『知の旅は終わらない』はそのなかでも読みごたえがある本だった。気に入った箇所をブログに記そうと入力する。入力していると旅の話題がある。まだ見たことがないトルコ・エフェソスのアルテミス神像を見てみたい欲求にかられる。トルコは1度行ったがアルテミス神像は見ていない。コロナ禍で今は海外に行かれない。が、いつかコロナが収まれば見てみたい。立花はこの神像を一目見て心を奪われ、再度見たいと思ったそうだ。が、アルテミス神像との再会は10年後だったという。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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