2020年1月31日金曜日

新型コロナウイルスで「やってはいけない」5つのNG行動 etc.

 連日メディアを賑わす新型肺炎。今朝のネットニュースによるとイタリアのクルーズ船に新型肺炎ウイルス感染者が乗船していたという。クルーズ船の乗船者は船の中で缶詰め状態だとか。新聞を見ると春の旅の広告が掲載されている。今の状況下では旅どころではなさそうだ。

 ネットニュースといって目につくのは「新型コロナウイルスで『やってはいけない』5つのNG行動」がある。 それは次の5つ。https://president.jp/articles/-/32642 (参照)

NG1:「新型コロナかも……」と救急外来を受診する
NG2:新型コロナ情報をSNSで拡散する
NG3:「N95タイプ」のマスクを買いに走る
NG4:除菌グッズ・サプリ・○○水などをネットで購入する
NG5:中国人を排除する

 この5つはやってはいけない。有効な対策として以下のように述べている。

★有効な対策は、手洗い・うがいの励行、マスクの着用、不要の外出を避ける、十分な栄養と睡眠をとる、である。こうした「基本の対策」を徹底してもらいたい。

 話は変わって昨日午後は今年初めてプールで泳ぐ。600m泳ぎ、100mほど水中歩行した。プールへ行くには自転車が欠かせない。今年は暖冬といっても季節は冬。手袋は不要だが帽子が飛ばされるほど風が吹く。それでもプールに入れば温泉のように温かい。プールへは行き帰りの自転車に乗るだけで往復30余分かかる。これだけでもいい運動だ。帰宅後に飲む珈琲は美味。また泳ごう、という気になる。ところが来月5日から2週間、プールはメンテナンスに入る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月30日木曜日

情報に溺れないように

 新型肺炎の報道を見ていると目に見えぬ恐怖を感じる。チャーター機第1便で帰国し、入院した5人は陰性だったとか。これを聞いてホッとする。嫌なニュースを聞くと感情移入しやすのか自分まで病気にかかりそうだ。気を強く持たないと情報に溺れてしまう。溺れるのはプールで、とこれもよくない。プールといえば今年になって泳いでいない。今日は曇りの予想だったが今は晴れている。今日こそはプールへ行こう。

 練習しているポッケリーニのメヌエット。装飾音やトリルがあり、テンポも速い。曲のはじめの装飾音は特に速い。少しづつ練習していると何とか吹けるようになるものだ。とはいっても本来のリズムに合わせて速く吹けるように練習、練習!


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投降後、メールに気づく。先日の旅で集合写真を撮ってくださった人からだった。旅の記事はまだ途中の段階。送ってくださった集合写真も当然、記事に入れる。宿題が増えて気ぜわしくなった!

2020年1月29日水曜日

再興第104回院展を見る

 再興第104回院展を見に行く。広島駅で降りて八丁堀の福屋まで歩く。途中、画材屋によってF6のパネルを購入。歩いていると暑くなる。ダウンを脱いで歩くがそれでも暑い。八丁堀店の福屋で院展を見る前にカフェで軽くお昼を食べる。2階の席に座ると道行く人を眺めながら食事する。平日のお昼、街のど真ん中であっても道行く人は少ない。

 院展会場に着くとそこだけは賑わいを見せる。今年の院展は日本画の原点に返ったかのような水墨画に見られる絵が多いように感じた。日本画であっても油絵と見間違うような絵はないようだ。絵を見て出ようとするとグッズ売り場でシルクのスカーフが目に留まる。見ていると同人の絵をモチーフにして作られていた。スカーフだけでなくほかにもグッズがある。スカーフというかショールはお値段数万円。これは自分の手に負えない。

 バスに乗って駅前の福屋に向かう。今年も先生の絵は入選。ひいき目でなくても先生の絵が一番、と思えるほど素晴らしかった。絵を堪能した後はデパート内をうろうろチョロチョロする。いつものお店もバーゲンをしている。だが気に入ったものがない。

 昨日、講演会のハガキが届く。中を読むと講演会は25年間も続いている。うち数年間ほど聞いている。ところが、講師の年齢を考慮して今年で終了、とある。もとを糺せば講師を知ったのは九州のお坊さんたちによる。3人のお坊さんたちも皆さん体を壊されている。そして講師もご高齢で講演会は今年で終わる。出会えば必ず別れが来る。そう考えるとなんだか寂しい。気を取り直そう。別れがあればまた新たな出会いもあるはず。そう思って……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月28日火曜日

パンダの絵ハガキ

 パンダの絵ハガキが届く。年末年始を四川省成都でパンダ詣でした姪が送ってくれた。1月2日に成都から投函した絵ハガキは25日間もかかって日本に着いた。30年以上前に中国から出した時もそれくらい日数がかかっていた。時代は変わっても郵便事情はあまり変化がないようだ。

 絵ハガキを見ると「あけましておめでとうございます。🐼今年もパンダ詣で楽しんでいます。🐼よい一年になりますように。🐼from 成都」と🐼が連なる。絵ハガキ投函場所も「熊猫郵局」のスタンプがあり🐼郵便局のようだ。姪は春の連休にもパンダ詣でする予定だったそうだ。しかし、新型肺炎発生で断念し、国内に切り替えるという。

 何かに夢中になることは幸せなこと。何も感動せず、無為に日々を過ごすより、夢中で過ごせば楽しい人生になる。その思いがあるので姪がパンダにはまるのはいいことだ。

 携帯電話のトラブルが落ち着くと穏やかな一日となる。ところが何かをし始めるとムキになってやり始める。適当なところで止めるようにしているが結構、夢中でやっている。ミャンマーの旅の編集を早く終えないとほかのことが疎かになりそうだ。旅と言えば、昨日届いた登山のカタログ。ハイキングならまだしも登山、まして海外登山など行けない。なぜ、送付されるようになったのだろうか。また海外旅行も5月に遠くを予定している。だが、新型肺炎騒動が収まらないと今一歩、気が乗らない。

 連日雨の日が続く。お天気が落ち着いたらプールで泳ごう。と、その前に院展が待っている!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月27日月曜日

いやなニュース

 パソコンから携帯に入るメールを全て拒否から一部解除に設定した。ところが四六時中、メールが入る。昨夜から電話の電源を切る。今朝見ると夜の間に7件入っていた。一昨日、一部解除にしたのでそれに倣って全て拒否設定に自分でしてみた。ところがうまくできてないようだ。後でドコモに電話してまた全て拒否の設定にしてもらわないといけない。

 先日のミャンマーの旅を編集している。出かけた場所はバガンなど仏教遺跡が多い。仏塔や寺院は国が同じだとどれもよく似ている。まずはデジカメの写真をパソコンに取り込んでそこから編集していく。バガンの各寺院を編集しようとするがどれがどの寺院かわからなくなる。ネットや『地球の歩き方』、『ミャンマーを知るための60章』などの本、そして旅行社でもらった旅のしおりを見て寺院の名前を確認する。昨日はこれに一日費やす。

 22年前のミャンマーはバガンを眺望するバガン ビューイング タワーなる建物はなかった。近年、このタワーに上がってバガン遺跡を一望する。タワーへの入り口を写真に撮った。その写真をバガンの寺院と勘違いして編集に手こずる。手こずるのも無理はない。その間にも携帯に怪しいメールが入り続ける。

 旅の編集もまるで旅の宿題であるかのような感覚に陥る。自分でもおかしいのでは?と思えるほど夢中でやっている。これは体に良くないので頭を冷やしながら適当にしないといけない。

 新型肺炎のnewsを見るたびに自分まで病気になりそうだ。院展も見に行きたいし、泳ぎにも行きたい。だが、何か吹っ切れず家にいる。運動不足にならないように外に出る癖をつけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投降後、すぐにドコモに電話してパソコンからのメールを全て拒否設定にした。これでやっと、この2、3日の携帯電話メールの呪いから解放されて元気が出そうだ。

2020年1月26日日曜日

パソコン・携帯メール&日本画教室

 昨日、パソコンから携帯電話へメールが入らないと気づく。すぐにドコモに電話するとパソコンからのメールはすべて拒否設定にしていた。それを一部解除に設定すると昨日お昼から今朝まで何通もパソコンメールが入る。それもすべてなりすましメール。昨年秋、あまりにも変なメールが入るのでドコモに電話してパソコンから携帯宛に送られるメールすべて受信拒否にした。それをすっかり忘れていて、昨日、一部解除に改めた。結果、それが良くなかった。一日中、夜も明け方もメールが入る。おかげで今朝は寝不足気味。

 だが、携帯にはまだパソコンからでない携帯メールが入る。朝から何度入ることか。その都度迷惑メールとしてドコモに報告しているのだが……。

 パソコンや携帯電話。昔はこういうことで悩むことはなかった。なかったはずである。携帯もパソコンもなかったのだから。これに振り回される生活はストレスになる。持てば便利な道具も時にはストレスのもとになりそうだ。適当に付き合わないと利用する人間の側がおかしくなる!?

 気を取り直そう。昨日は日本画教室。はがき1,2枚くらいの大きさの小さいパネルに以前、柿を描いた。これに色付けする。生き生きした柿本来の色が出ない。何度色を施しても柿に見えない。先生曰く「膠が多いと発色が悪い!」。おいしそうな柿に仕上がらなかった。次週からは紅葉しつつあるモミジの葉を描く予定。このスケッチは写真から。先生曰く「モミジ一枚一枚をスケッチすること」。これはかなり大変だ。後でセブンイレブンへ行って写真を大きくコピーしよう。穏やかな一日を願って。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月25日土曜日

旅の反省会etc.

 いろいろと携帯電話に触った影響なのか、携帯メールが利用できなくなった。ドコモに電話すると3人が入れ替わって聞いてくれる。3人目のスマホ担当者が原因を探して解決してくれた。今朝はブログを作成しようとするとエラーが出る。何度も試みてやっと本来の画面になる。ゆったりした性格でないため、こういうトラブルが起きるたび慌ててしまう。ほんま、体に良くない。

 すべては解決がついた。気を取り直して再度パソコンに向かう。昨日は携帯騒動だけでなく、楽しいこともあった。先日の旅の余韻が続くのか、旅の疲れを温泉で…………と誘われる。4人で行くことになった。これも旅の反省会!?温泉行きはだいぶ先のことだけどとりあえずスケジュールを確保する。遊ぶ話は楽しい!

 ブログ投降後にハガキが届く。旅の反省会を知らせるハガキだった。温泉行きの前にある全員での反省会。反省会は何度あってもいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月24日金曜日

「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」

 2020年元旦に見たのは「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」。1か月半前、長州路の日帰り旅に参加した。隣席の人と話していると塩野七生のファンだという。塩野の著作物はあまり読んでいない。バス旅以降、その人の言葉に刺激されて塩野七生に関心を抱くようになる。その矢先のテレビ放映。番組は高校生向けのようだが興味を持ってテレビを見た。番組HPには以下のように書いてある。

★作家・塩野七生さんは82歳。「ローマ人の物語」など、日本を離れイタリア在住で歴史・文明・人間を深く考察してきた。10代の高校生と対話する特別授業は、愛読者の高校生から届いた手紙がきっかけで実現したもの。半世紀活躍する大先輩の知の巨人、対話形式での夢の授業。質問を準備する生徒たちは聞きたいことだらけ。進学や生き方など率直な迷いや悩みも…若き日の失敗談も織り込み、人生で大切なことやメッセージがあふれる。

 一人の高校生が思いついた点を羅列して塩野に送った。分厚い紙に書いた高校生の問いのすべてを塩野は返答する。これがきっかけとなって高校生との対話が実現した。気になることをメモした。長くなったけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

・将来役に立つかどうか考えずに勉強する
・年をとるとは自分がやれそうなことを消していくこと
・将来何をやりたいかわからない方が健全
・東大に落ちた(塩野の原点になる)
・呉茂一(古代ギリシャ。ラテン文学の権威)……東大の教師の傍ら、学習院大学でも教えていた。この人に学ぶ、と決めて学習院に入学。
・壁にぶつかったから、考える
・免疫=挫折になれる
・女子学生の求人はなかった(塩野が大学を卒業した時代)
・麓から見るとトルストイという山が見える
 しかしそのトルストイという山に登ると
 その向こうにドストエフスキーという山が見える
・地中海を、自分の目で見たいのです(記者としてイタリアに渡る)
・(見る対象物と)会話していく自分で
・映画から学んだ。あらゆるところが学びの場
・若い時代を満喫しなさいませ。満喫しないから、ちょっとしたことにもすぐにキレルオトナになってしまうのですから。
・見苦しいことはやらない、は規範になる(どんな人になるといいか、の問いに対して)
・正しいものは、あるのか?
・二つの視点を持てばどんな仕事も面白くなる
・複眼的な視点も免疫になる
・鳥と虫、二つの視点があれば生きづらさを乗り越えられる
・「狂信」とは特定の考えに強く支配されている状態
・なぜ納得できないか、分かることも大切
・一番嫌いなことは自分が正しいと思い込むこと
・書きたい対象を前にして、私は完璧な白紙になるの
・歴史や史実に対しては常に謙虚でなくてはいけない
・照明の当て方で本質を探る
・(司馬遼太郎が書いた竜馬の)船中八策=坂本竜馬が起草した新国家構想
・自分の見方(見解)で書こうと、ちっとも思わない

2020年1月23日木曜日

春節を前にして

 季節は冬。この先1週間の天気予報を見ると雨の日が続く。最低気温はマイナスになることはなく過ごしやすい冬だ。とはいいながらも何か起こるのではないかとこの反動が気になる。冬は冬らしくあってほしい。

 建国記念日祝賀の招待状が届いた。封筒の中を見るとご丁寧にも個人名が記され、招待状が入っている。この費用はだれが出す、と庶民はケチな考えを起こしてしまう。今年は海上自衛隊音楽隊の演奏がある。祝典行事よりもこのほうに惹かれて参加する。動機が不純かもしれないが演奏会は楽しみだ。

 春節(旧正月)が近づいた。子供のころはこの日を前に再度お餅をついていた。今や、というかもうずいぶん前から旧正月はしなくなった。先日出かけたミャンマーへは春節を狙って中国からの観光客が400万人も来る、とガイドは話す。どういっても14億人の人口を誇る中国。ミャンマーは中国と隣接している。先日の報道を見ると「中国とミャンマーが経済協定調印、『世界が終わるまで足並みそろえる』とスー・チー氏」とある。中身を見ると「中国はミャンマーを強く支持し、一般のミャンマーの人々の間では中国の野望への不信が根強いものの、今では最大の投資国となった」とある。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200118-00000030-jij_afp-int(参照)

 観光中、ガイドの口からスー・チーさんへの期待とともにミャンマーに進出する中国企業の野望を懸念する言葉が出た。今、流行している新型肺炎。400万人の大群が一挙にミャンマーへ押し寄せるとなると何が入ってきてもおかしくない。日本へは中国から何人来るのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月22日水曜日

『翔ぶが如く』(七)

 昨日は元気を出してお墓参りをする。旅の疲れが出たのか今一歩元気でなかった。旅のお願いをするばかりで無事帰国のお礼が遅れている。3日前にお花を購入していても参るのは3日後になった。元気も出てきた。食べるものに気を付けよう。

 かなり前に読んだ『翔ぶが如く』(七)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年第13刷)。この十巻目はミャンマー旅行のブログを先に仕上げて、しばらく読むのを止めようとした。しかし、活字に飢えそうなので今日、図書館に行って十巻目を借りよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は七巻目の気になる箇所の抜粋。

★武士らしさというのは要するに行動の爽快さだが、清水が前原にもとめたいのはそのことであった。しかしながらそれ以上に腹立たしいのは、誇りの高い長州人を鳥獣同然にあつかおうとする警察の態度だった。清水は岡田らが横山俊彦に加えた暴虐と拷問だけで、敵は警察だという気持ちになっている。(39p)

★明治九年、廃刀令が出るとともに、剣術道場は急速にすたれた。この時期、帯刀どころか、「撃剣ノ稽古ヲナス者ハ国事犯嫌疑者ト認メル」
 などという京都府知事の布告があったほどで……道場主も修業者も、この明治九年を境いに、剣術に見切りをつけた。(58p)

★西郷の革命家としての欠陥は、その師であり旧主である島津斉彬のようには近代産業についての理解がとどかなかったということにあるであろう。しかし農政と農民の暮らしについては、おそらく維新のどの革命家よりも体で知りぬいているようなところがあり、かれが青年期に勃然としておこした正義も、そこに根ざしていた。かれの生涯をつらぬいた正義もそこにあったかもしれない。(66p)

★薩人は、木強者(ぼっけもん)をよろこぶ。
 永山休二は、この典型であったといっていい。木強者とは、学問さほどになくとも勇敢、頑固、質朴で、平素、必要以上に死を借るんずる者を言い、戦国以来、島津家では家風として、この種の男を薩摩隼人の典型とした。西郷も薩摩武士の美は木強者にあるとし、そういう男を愛した。(69p)

★西郷は、前原がまちがっている、と断定した。河野圭一郎は永く生きたからこのときの西郷の言葉を後年、人々に伝えた。西郷はこのとき、声を励まして反乱そのものを否定した、という。前原のために百姓が兵禍に苦しむ、反乱は国家最大の不祥事である、といい、両人はとりつくしまがなかったという。(79p)

★薩摩では悪と懦弱と卑怯の標本が大久保利通であり、川路利良の場合は、その上に恩知らずがついている。この両人の名前を出して公然とそれを評価するというのは、薩摩では命がけのことであった。
 永山弥一郎は、それを平然という男なのである。……いまの薩摩では西郷に次ぐ人間といえばあるいは永山弥一郎かもしrえない、と忍介はひそかにおもっている。(113-114p)

★鹿児島県が、県をあげて太政官に服しようとしないのは、日本一の強藩であるという誇りや、維新における薩摩藩の功績についての自負、また政府もそれが導入した文明も否定する島津久光という存在、さらには一般問題として士族の失権についての精神的、経済的不満などがあげられるが、もし西郷が存在しなければ、在郷の鹿児島士族がここまで驕慢にならなかったであろう。……私学校生徒に世界観などあるはずがなく西郷その人が世界観であり、戦略などあるはずがなく西郷そのひとを擁するというだけで戦略は足りる。(149-150p)

★西郷は幕末においては、諸藩の志士が知っている程度の名前だったが、維新という、多分に奇跡的な成功を世間が見たとき、この奇跡をおこしたひとびとの名と名声が多分に神秘化する傾向があった。その神秘家の対象が、ほとんど西郷ひとりに集中した。西郷の英雄的風姿と、その人柄と、事実上大きかったその革命戦略の武力とが掛け算され、さらに世間一般が新政府に対して幻滅し、その幻滅の大きさがいよいよ西郷の世間における像を大きくした。(155p)

★川路は、教師が学生に講義するように、自分のことばを一同に書きとらせた。
「人と生まれて自助独立の権なく、己れの生涯の利害を人に任じて驥尾(きび)せら、るるは牛馬に均しからずや」
 川路のこの言葉は、かれら二十三人に対する教育を目的としているだけでなく、二十三人が帰郷して郷党の郷士族に説く場合の論法をも教えているのである。川路のいう「自助独立」というのは欧米文明を成立させている基本的観念であり、同時に川自身が理解している太政官の文明思想でもあった。この文章のなかの「人に任じて」の人は、城下士をさす。郷士たちが城下士どもに鼻綱をひきまわされて自分の生涯の利害までそれにまかせているというのは牛馬にひとしい、というのである。(168p)

★江戸期の拷問は、幕府も藩も、士分の者に対しては原則として行わない。おなじ侍でも士分以下の者、および百姓町人身分の者に対しておこなった。(233P)

★大将というのは、陸海軍創設早々のこの時代、西郷一人しかいなかった。海軍は中将どまりであった。この西郷の言葉における陸軍大将というものの認識はあたかも日本歴史のなかにおける征夷大将軍ににている、ということだった。つまり大将は天皇の特許によって(中将以下に特許がなくとも)日本国の兵馬の権をにぎっている、というのである。おそるべき認識であった。(284p)

★桐野 ・篠原も、西郷が自分の世間像を買っている以上に――その数百倍も――大きく評価している。戦略も何もなく、西郷その人の世間像がかれらの戦略のすべてであった。かれらはすでに稗史(はいし)小説――たとえば水滸伝や三国志演義――の中の英雄譚を現実の戦略感覚としてみているようであった。(287p)

★西郷が最も好むところは――伝統的に薩摩藩が藩士教育においてその型を典型として称揚してきたのだが――いわゆる薩摩型の好漢なのである。
 この型にもっとも適うのが、桐野利秋であり、篠原国幹であった。(300p)

★西南戦争は、 ごく単純にいえば、私学校における若者の暴発から出発し、その暴発に西郷が身をゆだねたことでおこった。その暴発の気分の中心的存在が辺見らであり、決して村田新八や永山弥一郎ではなかった。
 桐野も篠原も辺見なども、自分たちこそ――村田や永山にくらべ――西郷から溺愛といいほどに愛されていることをよく知っていた。かれらにとって西郷から愛されているときが最大のよろこびであり、また愛されていることが自分自身についての価値意識のほとんどであり、あるいは客観的にみてもしかれらが西郷から愛されなければ、ただの人間にすぎなかったかもしれない。そういう一群のかれらが暴発気分の中心的存在だったことを思えば、西郷の偏奇は、単に西郷一個にとどまらず歴史に重大なかかわりを持ってしまったといえなくもない。(302p)

2020年1月21日火曜日

偉人たちの健康診断「永井荷風 楽しき寂しきシングルライフ」

 ミャンマーから帰って1週間になる。これまで出かけた東南アジアの中では一番気候のいい時季に出かけた。お天気に恵まれ、夜は満月で、ハンカチで汗を拭うこともなく扇子の出番もない。最高の条件の下での観光だった。ところが昨日は旅の疲れが出たのか、ほとんど何も食べず家でおとなしくする。今朝は本来の調子を取り戻す。ミャンマー料理は脂っこく、米と油の消費量はかなりの量らしい。お米が日本とは違って細くて長いインディカ米なのでこれに油を吸わせるて食べるのかもしれない。当分油を使った料理は控えるようにしよう。

 先日BSで見た「偉人たちの健康診断『永井荷風 楽しき寂しきシングルライフ』」。番組HPによると以下のようだ。

★結婚はしない。偏屈で人間不信。そんな文豪・永井荷風は、自由気ままで優雅な一人暮らしを続けながら作品を生み出し、79歳で当時としては珍しい孤独死を遂げる。華麗な文体で、色町を舞台に男女の情愛を細やかに描き、大作家へ登り詰めた荷風。文化勲章まで受章した偉大な作家は、なぜひとり暮らしにこだわり続けたのか?生涯書き続けた日記文学の傑作「断腸亭日乗」などの作品から、荷風の人生と病を読み解く

 永井荷風はフランスに留学して帰国後、毎朝、クロワッサンとショコラ、そしてジャムを食したそうだ。ところが専門家が荷風の日記「断腸亭日乗」を調べると胃腸の悪さが終戦前後だけ書かれていないという。その間、食糧不足で小麦を使ったクロワッサンなどの入手が困難になり、食ベられなくなる。結果、永井の胃腸の不調の原因は小麦などによる、と判明した。

 それでも永井は当時としては長生きだ。番組では「荷風に学ぶ!長生きする老後生活3か条」を取り上げる。

第1条 老後は”キョウイク”と”キョウヨウ”が大事
 今日行くところと今日の用事

第2条 行きつけの店を持つ
 散歩を好み、行きつけのお店に行くのを楽しみとした

第3条 お金はあっても節約 
 決してケチではなく、当時売れっ子作家だった。だが、何かのお礼にと渡した金額は少なかった。しかし、自分が支持するモノ・コト・ヒトに対しては惜しまずに寄付したそうだ。


 この番組の最後に流れる挿入歌が美しすぎる。だれが歌っているのかを調べるとスーザン・ボイルの「翼を下さい」だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月20日月曜日

『健康診断は受けてはいけない』

 『健康診断は受けてはいけない』(近藤誠 文藝春秋、2017年第3刷)を読んだ。新聞の週刊誌記事見出しをみると医者との付き合い方が特集されている。なぜこのように記事として取り上げられるのか、不思議でならない。個人的には医療機関が大嫌い。こういった記事に目が行くから記事として売れるのだろう。

 以下は気になる箇所から抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★結論から言うと、安全に長生きするためには、健康なときに検査を受けないこと、医者に近づかないことに尽きます。検査がアリ地獄に落ちるきっかけとなるからです。ここで”健康”というのは、元気で体調がよく、ご飯が美味しくて、日常の生活動作に不自由がないときです。194p

★かりに自治体から検診をすすめる電話がかかってきたような場合には、「検診をうけたら寿命がのびるという確実なのデータがありますか」「うけたらより健康になると保証してくれますか」などと問い返してみるといいいでしょう。二度目の電話はないはずです。195p

★長生きするためには、痩せていてはいけないのです。男性も女性も、死亡率が一番低いのは、”ちょいメタ”と言われる程度の人たちです。……長生きするためには、”貯肉”を心がけましょう。205p

★いきいきした生活というのは、よく頭を使い、からだを動かす生活です。料理や掃除などの手順を考えたり、本を読んだり、将棋、囲碁、麻雀などのゲームをするなど、ありきたりのことでいいからマメに頭を使っていると、脳の神経細胞が刺激され、ボケにくくなります。
 家事、庭仕事、散歩などでからだを動かすことも大事です。筋肉が衰えると転倒して寝たきりになりやすいので、ラジオ体操やプールでの運動なども試みるとよいでしょう。
 人との交流も、ボケ防止に役立ちます。206p

★健康長寿のためには、一にも二にも、自分のからだを信じることです。……宇宙の存在を実感できるのも、自分の肉体があればこそ。認識する主体であるあなたがいなければ、宇宙が存在しても意味がない。……そのからだが一生懸命働いているからこそ、日常生活は不自由なく、ご飯もおいしいというのに、検査を受けてみようかなどと考えるのは、自分の肉体に対する不信ないし裏切りではないでしょうか。ケンシンを受けて病人に転落するのも、自分のからだを信頼できなかった報いのように思われてなりません。206-207p

★わたしたちにとって大切なのは、自由に生きる、なにものにも煩わざれずに生きることではないでしょうか。そのためには、死ぬまで、やまいからも解放される必要があるはずです。もし人びとが、そのことに気づき、考えを変えれば、多くの病気から今すぐ解放され、医者たちの呪縛から逃れることができます。そしてやまいを心配するかわりに、今日一日を楽しみ、いき、生きていることと、自分を生み出してくれた宇宙に感謝し、明日への希望を心にともしましょう。212-213p

2020年1月19日日曜日

釧路湿原の絵完成!

 昨日は今年初めての日本画教室。教室があるビルに近づくと集団で人が歩いてくる。何がある?と思ったら某会主催の前橋汀子ヴァイオリンコンサートだった。知っていれば聞きに行ったのに……、と悔やまれる。某会主催のコンサートは以前、天満敦子のヴァイオリンコンサートに出かけている。その時はあらかじめ某会に電話してチケットをゲットした。前橋汀子のコンサートは近年、2回聞いている。今年の夏か秋ころに広島市外でコンサートが開催される。そのコンサートは聞きに行く予定。

 日本画は約1か月ぶりの教室だった。前回、自分の絵を先生は水に浸した筆で画面をサーっと塗られた。何をする?と怪訝な顔も見せられず、そのままにして家に帰った。教室が休みの間、絵がどんなふうになっているか気になる。昨日、久しぶりに我が絵とご対面。変にはなっておらず安心する。それも当然、何か意味があって水を画面に浸されている。釧路湿原を描いている。次はどこを、と気にしていると樹木の肌を塗るようにと先生。これはむつかしい。教えてもらいながらなんとか色を施す。木に色を施すのはこれまで何度もやっている。それをさらに木肌が出るように塗る。

 湿原一帯に生えているクマザサ。絵全体にクマザサを描いた感じになる。これまで樹木の葉っぱから始まって木の根っこ、1本の樹木、林立する樹木……、と描いてきた。今回は湿原の樹木を描く。だいぶ風景らしい絵になる。

 いつも思う。音楽関係は子供のころから好きだった。だが、運動と絵に関してはかなりというかとてもじゃないがコンプレックスをもって生きてきた。30代でやっと目覚めたのが自転車に乗ること。どういっても姉妹はできるのにただ1人乗れずに生きてきた。まずは自転車。かなり練習して乗れるようになった。これは自分の人生のうれしかったことの1番になるかもしれないくらいの感動だった。たったこれだけで何でもやれる、と変な自信をつける。次は車に挑戦。これは自動車学校でお金を払う段階で目の悪さであきらめる。この代金が海外旅行へとつながっていく。次は、と挑戦したのが水泳。このあたり、やっている自分がこっけいだ。水泳は自転車以上に時間がかかった。今でもプールに行くことを誘ってくれた人を恩人と思っている。

 人が普通にできることが念願かなってできるようになった自転車と水泳。これは生きている限り、ともいえるほど乗り続けたいし泳ぎ続けたい。人にはわからない楽しさで遅まきながらできるようになった自分にしかわからない喜びだ。

 今朝は、日本画の風景画完成から思い余って興奮気味になる。絵も自転車、水泳と同じく誰よりも鈍かったと自覚している。そのせいもあるのか人一倍絵が描けた喜びは大きい。これはおめでたいというか、変な奴と言えるかもしれない。これでいい!これくらいの気持ちがないと何も習えない。気持ちが覚めると何も習えそうにない。めでたさ加減も自分の中ではこのくらいがちょうどいい!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 絵の先生から年末に〇〇さんの訃報を聞く。亡くなられる2日前に1年前まで習われていた教室に訪ねてこられたそうだ。年賀状の返事は娘さんからの訃報だったという。なんと教室に訪ねて来られた2日後の突然死だった。この人には出版された絵本や詩集をいただいている。1年前まで年賀状もやり取りしていた。よくしていただいたので亡くなられたと聞いて本当に驚くばかり。やさしい色使いの絵を描く人だった。

2020年1月18日土曜日

第396回広響定演を聴く

 第396回広響定期演奏会に出かける。指揮者はなく、ヴァイオリン&コンサートマスターにフォルクハルト・シュトイデを迎えての演奏会だった。演奏曲目は下記のとおり。

♪ヴェートーベン ロマンス第2番ヘ長調
シュトイデのソロヴァイオリンも加わる

♪モーツァルト  ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調
ヴァイオリンはシュトイデ、ヴィオラは安保恵麻が加わる

♪モーツアルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
シュトイデも演奏に加わる

 アンコール曲はモーツアルトのアンネクライネ・ナハトムジークから第4楽章が演奏された。

 最初に演奏されたベートーベンの曲はフルートでさらったことがあると思って聞いた。2番目に演奏のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調は第2楽章アンダンテに惹かれてしまう。この章の初めにシュトイデのヴァイオリン演奏が入る。聞き始めてすぐに何という美しい響きと思わず聞きほれてしまった。なんでも記録するのが好きなのか今日からワードに気に入った曲リストを作ることにした。手始めにこの曲が入る。

 昨夜の広響定演は自分の好みの曲ばかりで大いに満足して帰宅する。アンケート用紙に以前からリクエストしようと思っていたピアソラのタンゴを記入する。この実現は先になりそうだが楽しみにして待つことにしよう。

 演奏会に出かける前に図書館で借りた『ミャンマーを知るための60章』を読んだ。読みかけの『翔ぶが如く』九巻目を読み終えると、しばらくはミャンマーに関する本を読む予定。あと1巻残っている『翔ぶが如く』十巻目は当分お預けとなりそうだ。それくらいミャンマーにハマっている。昨日借りて読んだ本に社会人大学生の頃、文化人類学を学んだミャンマーが専門の高谷先生の執筆があった。高谷先生にはほかにも初めてのミャンマー旅行の前にアジア塾でミャンマーに関する講演を聞いている。当時は大阪万博公園内にある国立民族学博物館友の会に入り、ミャンマーの草履について投稿したりと、自分の中ではかなり民族学(文化人類学)にのぼせていた。松永(今は福山市)にある履物博物館を訪ねたこともある。再度、ミャンマーに出かけてすぐにのぼせてしまうおめでたい自分を取り戻す。

 そして昨夜の広響定演。気に入った曲にのぼせる自分がいる。これもまあ、元気の素かもしれないが……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

  ブログ投降後にあらためてプログラムを読むと「ハ短調を主調とする第2楽章アンダンテは、この協奏交響曲のもうひとつの白眉。ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K. 271の第2楽章と並び称される奇蹟のハ短調だ。胸をうつ。……」とある。このなかの「白眉」、恥ずかしながら意味がつかめず辞書を引く。この曲にのぼせるのも無理はない!誰もが胸うたれるいい曲だ!

2020年1月17日金曜日

寒行

 今年の大寒は20日。留守にしていた間にお寺から寒行に参られていた。先日、お寺に出向いてお布施を渡す。例年の寒行は大寒前後に参られる。なぜ今年の寒行は数日早くされたのだろう。大寒の時季は雪や雨の降る日が多く、家の前でお経をあげて参られる姿に恐れ入る。ところが今年は初雪も降らず広島県の歴史を85年ぶりに塗り替える記録だそうだ。暖かいうちにと早めに参られたのだろうか。

 住んでいる近辺は安芸門徒で浄土真宗が多い。だが我が家は父が福山なので浄土真宗でなく日蓮宗。お寺との付き合いも父が元気なころは年に一度の寒行に参ってもらうだけだった。ところが父が亡くなって急遽、お寺とつながりができる。母は浄土真宗だったので、しきたりもお経も違っていた。日蓮宗について何も知らない母はお寺から月詣りに来て下さる都度、徐々にお経を覚えていった。まだ、元気だったころの母から覚えるといい、いくつかのお経を教えてもらった。だが、それも興味を示さず覚えていない。

 お経と言えば先日のミャンマーの旅で日本人墓地にお参りした。ここで数人の女性たちが一斉に般若心経を唱え始める。般若心経はお坊さんたちと旅行する際もその日の旅の初めにリーダーのお経に続いて一斉に唱えるが、この時もお経を覚えておらず唱えなかった。お寺さんが我が家に参られる際のお経には般若心経は含まれていない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月16日木曜日

ダグニーさんのブログから

 「……私が書かなければ、人々は私が病気だと思うか、他の問題を抱えています。ブログは、私が言ったように、通常の紙の代わりに電波で書く日記です- 私のブログは他の誰よりも顕著ではありませんが、107歳の人が書くのは少し珍しいです。私は私の能力を証明するためにそれを行わないが、あなたが年をとった後でも多くのことを行うことができることを伝えるために、あなたは長生きし、健康を持っている場合にのみなる。……」。これは今朝見たスウェーデンの107歳のダグニーさんのブログから。日本語は翻訳機能による。http://www.123minsida.se/Bojan/99578368 (参照)

 昨年の今頃のダグニーさんは交通事故に遭って手を骨折。それを乗り越えて元気に毎日ブログをアップされている。時にアップがないと病気?と心配する。ダグニーさんはブログ読者の気持ちに気づいているようだ。ブログをアップする意味をダグニーさんは「健康で、長生きすれば年をとった後でも多くのことを行うことができることを伝えるため……」と書いている。ダグニーさんの年齢までには幾ら自分自身が年を取っていてもかなりの年数がある。また母が生きていたとしてもダグニーさんの方が年上だ。

 何歳になってもダグニーさんを見習えばなんだってできる!

 「ブログをアップするわけは?」と聞かれたことはない。だが、今のタイトルにして来月で早くも丸9年になる。以前のブログと合わせれば11年になる。家にいるときは毎日ブログをアップする。元々は勝間和代の本に刺激されて始めたブログ。それは「情報を得ようとすれば自ら情報を発信せよ」、というようなことから発信するようになった。とはいってもダグニーさんが書いているように「能力を証明するためにそれを行わない」はその通り。今になって思うと、ブログの更新は自分自身の励みになっていること間違いなし。すべては自分のためにやっているだけで自己満足の世界かもしれない。

 今朝は母親の夢で目を覚ます。母が元気だったころ、旅に出かける時、出国の間際に「今から行ってくるね!」と電話していた。その夢だった。こちらが電話をかけようとしたとき母の声が聞こえる。おかしい、と思いながらも母と会話をしている夢だった。夢であっても親と会話したのは久しぶり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月15日水曜日

ミャンマー大周遊6日間の旅から帰って

 ミャンマー大周遊6日間の旅から無事帰ってきた。某文化交流学会一行16名のミャンマーの旅は雲一つなく、お天気に恵まれて快適な旅となる。個人的には22年前の1997年8月に出かけており、2回目のミャンマーの旅だった。だが、前回とは異なる観光地も多く、また同じ地でも自分自身の年齢やその他の面で違いがあり、新鮮味ある旅となる。

 ただ、ミャンマーで一番有名と思われるシュエダゴン・パゴダを見た時、以前、ここに来た感覚が抜けている。22年前は今のようにエレベータで参拝したかどうか、全く記憶がない。スカイブルーの空と黄金のパゴダ、そして所々に施されている黄緑というか緑と青が混ざった三色の美しさは目を見張るものがあった。これを覚えていないとは……。昔の旅の日程表を見ると確かに見学している。もしかしたら、この間にこのパゴダ周辺の大幅な整備があったのかもしれない。

 ともあれ、行き交うミャンマーの人たちの表情や子供たちの服装もよくなっていて国が発展しているのがわかる。また、現地ガイドの言葉からミャンマーの民主化を願う気持ちが見て取れた。

 旅から帰ると、とりわけ辺境の地から帰ると「旅はやっぱりいい!」と改めて感動してしまう。ましてや今回の旅は某会主催の旅で旅の一行のみなさんは顔なじみであり、どの人も旅好きな仲間だ。旅の道中、いろんな話をしたり聞いたりして多くの刺激を受けた楽しい旅となる。また相変わらず可笑しすぎる多くのこぼれ話もあった。かなりハードな日程にもかかわらず、笑いのたえない旅となる。楽しい旅の模様は後日のブログにアップしよう。旅をご一緒した某会の皆様、ありがとうございました。次は旅の反省会、そして総会でお会いしましょう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月8日水曜日

『上海遊記』

 いつもと風が吹く向きが違うのか、今朝は明け方から列車の通る音が異常に大きく聞こえる。天気予報を見ると風が強まるとある。先ほどまでは陽もあたって荒れ模様になるとは思えない。列車の遅延情報を見ると在来線も新幹線も遅れが生じている。

 図書館で借りた芥川龍之介の『上海遊記』は『芥川龍之介紀行文集』(岩波書店、2017年)におさめてある。1921年の著作は今から約100年前になる。古い本、と思って借りたら2年前に新たに編集されての出版だった。誰も借りて読んでいないのか本が真新しい。『上海遊記』は70頁あり、当時の上海の様子が見て取れる。まだ全部を読み終えていないが上海の観光名所である豫園にある湖心亭について次のように書いている。

★湖心亭と云えば立派らしいが、実は今にも壊れ兼ねない、荒廃を極めた茶館である。その上亭外の池を見ても、まっ蒼な水どろが浮かんでいるから、水の色などは殆ど見えない。……その一人の支那人は、悠々と池へ小便をしていた。……そう云えば成程空気の中にも、重苦しい尿意が漂っている。……「御覧なさい。この敷石に流れているのも、こいつはみんな小便ですぜ。」四十起氏は苦笑を漏らした儘、さっさと池の淵を曲がっ行った。……湖心亭は畢(つい)に湖心亭であり、小便は畢に小便である、私は靴を爪立てながら、忽忽四十起氏の跡を追った。出たらめな詠嘆なぞに浸るものじゃない。(85-86p)

 それにしてもこの不潔さはひどい。新聞記者として出かけた芥川が見た当時の上海。この先もこういった描写が多いのだろう。今日はこの『上海遊記』を読み終え、ほかの紀行もついでに読むのも面白そうだ。

 昨日は広島交響楽団の2020年4月から21年3月までのYear Bookが届く。来年度は被爆75年、ベートーベン生誕250年なので平和やベートーベンにちなんだコンサートがある。さらに今年は12月に被爆75年の特別演奏会も予定されている。広響の広島市内の定演以外に、東広島市と廿日市市で徳永二男や前橋汀子がゲスト出演の定期演奏会もある。この2人は是非とも聞きに行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月7日火曜日

旅の話題

 メールとショートメールが飛び交う一日が暮れた。今朝は旅先で靴がなくなり、慌てる夢で目が覚める。出かける国の神社仏閣の参拝は靴も靴下もさらにはストッキングも身に着けてはいけない。その思いが昂じて夢になったのだろう。

 メールの内容は新幹線乗車時刻の変更。変更、といわれても参加者の3人は「おとなび」利用で変更がきかない切符。遅い時刻の乗車になるそうで、その辺はいい。だが、切符が……。仕方なく3人はこれまで通りの早い新幹線に乗ることにした。朝早いのは苦手。だが、遊ぶことなのでここは早起きするしかない。では、ほかの皆さんとの合流場所は?が気になりだす。これは空港カウンターとなった。

 昨日といえばほかにも旅行社2社から旅のカタログが届く。2冊を見るとこれまで海外の旅のカタログが来たこともないクラブツー〇ズムの東日本版2020年の海外の旅総合カタログと、もう1冊は九州のJ〇Bのヨーロッパ編カタログだった。東日本版を見ると成田発が大半で330頁もある分厚いカタログだ。若かった頃は何もためらわず成田発で出かけた。さすがに今は成田はもう結構という感じ。なぜこの期に及んでこの旅行社は海外旅行のカタログをよこすようになったのだろう。

 その点、九州というか福岡発は気楽に出かけられる。この中に行きたい国がある。すぐ申し込みを、と思った。だが、まだ先の旅なので今回の旅が終わってから申し込みしよう。とはいっても行きたい国は世界の西の果てにあり、旅行費用も高い。もちろん、一人参加はさらに高い。早めに申し込めば2つの特典がついて旅も安くなる。その1つはアニバーサリー特典。自分で何かの記念日を見つければ安くなる。昨日からその内容を考える。今朝気づいたのは「出かけたいと願っていた希望が叶う旅の記念日」と言って旅の参加を申し込む。これに決めよう。本来ならば還暦祝い、〇〇祝いなどともっともらしい名前が付く方がいいのかもしれない。だがそこは適当に……。

 旅と言えば九州のお坊さんの年賀状を見ると「気持ちは行きたいが体がついていかない?」とある。旅で知り合った3人のお坊さんたちはみなさん体が壊れているようだ。これは残念。その思いもあるためか、行けるうちに……と気持ちも高まる。西の最果ての国、旅から帰ったら申し込もう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月6日月曜日

『翔ぶが如く』(六)&お墓参り

 年末年始にかけてお天気に恵まれる。その一方で異変が起きなければいいが、と2020年を思う。この2020年を令和2年と言い直すべきかもしれないが、ある時期から西暦で考える癖がついており、西暦表記する。

 あまりにもお天気がよくてお昼前にお墓参りと地元の神社へ参る。近年はお正月三が日のお墓参りを今年はずらして出かける。旅の安全を親にゆだねるのもどうかと思う。だが、子を守ってくれるのは親に勝るものなし、そう思っている。

 以下は『翔ぶが如く』(六)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年第13刷)から気になる箇所を抜粋したもの。今は九巻目を読んでいる。途中、澤地久枝や塩野七生、そしてほかの本も読むので『翔ぶが如く』全10巻を簡単には読み終えられそうにない。それくらい司馬作品は1作品が長い。今朝の地元紙を見ると西郷が書いた手紙が見つかったとか。以前だったら「西郷がどうした?」と完全にスルーしていたはずなのに、このごろは記事に目が留まる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★久光にあたえられた、「左大臣」というこの古風な職制は、歴史のはるかな過去に実体をうしなってしまっており、雛祭りの内裏びなのような感触のことばになってしまっている。
 維新政府は、その半面に極端な復古的性格があったため、奈良町の大宝令によよる管制を復活し、行政機関を「太政官」とし、最高位の大臣を太政大臣、それに次ぐ大臣を右大臣とし、三条実美と岩倉具視がそれぞれ任ぜられたが、左大臣は廃官になっていた。
 明治七年、島津久光を起用するにあたってその職名を復活したのである。50p

★要するに左大臣という政府首脳第二席にまつりあげたのだが、実際は座敷牢といってよく、たれもが久光を尊敬して平身低頭するが、たれもが言うことを取りあげない。かれに対する明治国家の優遇はなみはずれたもので、たとえば明治十七年、華族令が制定されると、旧藩主家が侯爵になると同時に、久光に対しそれとは別個に公爵島津家を創設させたほどであった。……久光が怖れられた理由は、いうまでもなくその背景に薩摩勢力があったためである。53p

★この種の、いわば本来的な意味での思想的体質は、ヨーロッパや中国、もしくは日本の隣国である朝鮮などに排出する土壌があるように思われるが、たとえばキリスト教の伝統を持たない日本にあってはその条件は希薄といえるであろう。久光はそのまれな一人であった。65p

★幕末、孝明天皇の崩御前後から、「とてもひとに言えるものではない」という密謀の相手になったのは大久保であり、大久保は公卿の岩倉を動かすことによって、幕末・維新という時期に、時勢旋回の軸になった宮廷を工作した。つまり、佐幕家の孝明天皇が急死して少年天皇が倒幕家としてにわかに登場するという事情は、孝明天皇の死が自然死であったとしても(おそらくそうであろう)きわめて唐突である。この唐突さを作りだした作者と役者は、岩倉と、その背後のようにうずくまっていた大久保しかいない。
 要するに、久光は、弾劾の相手として三条の名をかかげながら、じつはその矢をもって岩倉右大臣と、旧臣の大久保参議を射殺しようとした。この真意は、内閣のたれもが、わかっていた。72-73p

★大久保は早くから西郷と行き方を異にし、天下を回転させるには藩をにぎらねばならない、藩をにぎるには、西郷らの好まぬ島津久光の懐に入らねばならぬ、とした。卑士であった大久保が久光と接触することができたのは、当時、久光からあつく遇されていた僧の真海の心づかいによる。真海は、税所篤の兄であった。これによって大久保は久光の眷顧(けんこ)を得ることになっただけに、この間の策謀において、税所は大久保と一ツ穴のなかにいた。127p

★旧会津藩は、旧藩人をあげて薩長を憎悪している。
 戊辰戦争はそれなりに革命戦であったため、首を刎ねて梟(さら)して革命の血祭りにすべき目標をもとめていた。当初、西郷も大久保も、その血祭の対象として全将軍徳川慶喜を目標とした。慶喜を首を刎ねて天下に示すことによってしか、新時代の到来を三千万の士庶に広告することはできないと思っていた、
 ところが、当の慶喜がころび逃げるような態度で薩長の言いがかりをかわし、最後にはひたすらに恭順したために薩長としてはこれを討つことができなくなり、いわば目標をうしなった。その目標の代理として会津藩がえらばれた感がある。
 会津藩に対する憎しみは、薩摩よりも長州に濃厚だった。幕末、長州人が、京都にあって新選組の活動をふくめた会津藩のためにさんざんな目に遭ったことによるが、この報復もかねて会津若松城を攻撃し、敗北させただけでなく、そのあと藩を青森県県下のほとんど不毛の地に移した。このため会津人は文字どおり塗炭の苦しみをなめた。157-158p

★士族階級は、太政官がやる変革と開花事業に身分を奪われ、経済的基盤をうばわれたが、最後にかれらの心理に対して衝撃をあたえたのは、明治九年三月二十八日に布告された廃刀令(帯刀禁止令)であるといっていい。254p

★洋学校の生徒は、ついに洗礼をうけるまでに至った。……このなかに横井小楠の息子の時雄(のちのちの同志社社長)や海老名弾正(のちの同志社大学総長)、徳富猪一郎(蘇峰)が入っていた。かれらが花崗山にのぼって奉教を誓約しあったことは、切支丹を邪教視する気分がまだ濃厚だったときだけにこの熊本の旧城下に深刻な衝撃をあたえたが、とりわけ神風連のひとびとがこの現象をみて日本国の崩壊を感じたのはその思想からみて当然といってよく、太政官をもってこれらの現象の元凶としたのも、当然といっていい。262p

★全国の反政府分子のすべてが、西郷と薩摩士族団にあふれるような期待をよせ、これとできれば締盟しようとし、たとえ締盟できないとしても、自分たちがまず反乱をおこせば西郷と薩摩士族団は引きずられて起ちあがるであろう、そうなれば太政官はあすにでも転覆する、と思っていた。そういういわば満天下の期待が、ふくらめばふくらむほど、西郷という実像は虚像に化するほどに巨大に膨張しつつあった時期である。291p

★太政官に対して鹿児島県は一独立国をなしており、天下はいつ鹿児島県が大氾濫に起ちあがるかということを息をこらして見つめている、であるのに西郷は他のいかなる県の勢力とも同盟を結ばない、結ぶべく遠路をやってくる者に対しては適当に応接しているだけだ、といった。……やるときは薩摩の自力でやる、という意味が西郷の言外にあった。板垣は生涯、その点での西郷を不快がったが、このことは西郷だけでなく、薩摩の伝統的な思考法であるといっていい。296-297p

★中世このかた日本の特殊な宗教現象として神仏混淆思想が一般化し、神社も「社僧」といわれる僧が仏教の経典を念誦して奉仕し、また仏像が神像である場合も多かった。神号もまた神仏混淆的で、神号を明神とか権現とか称したのは、その思想のあらわれといっていい。それを新政府は「神仏分離」政策でもって仏教色を一掃した。303-303p

★神風連ノ乱は日本における思想現象のなかで、思想が暴発したという点では明治後最初のものであった。日本人の精神の中に思想が激烈に成立する場合、事実認識などどうでもよく、むしろ悪であるというふうになり果てる好例といってよく、加屋ほどの教養人は熊本旧城下でももすくなかっただけに、この檄文は、日本人の精神の病理的性格の一端をあざやかにのぞかせている。328p

★神風連騒動は、全国一般の士族感情をはなはだしく刺激した。士族であるかぎり神風連を粗暴凶悪の徒として憎んだ者はおそらくひとりもいなかったであろう。士族の感情からいえば、維新以後、廃藩置県、廃刀令の施行など、太政官が国家と社会の本質を変えるべくやった政策で得たものは一つもなく、いわばすべての権利と権威を失った。355p

★維新は士族だけでなく、「庶人」とよばれる農商階級にも多くの不満をもたらしたが、そのなかでもっとも大きい不満は徴兵令であった。356p

2020年1月5日日曜日

「2020年、『本気で遊び尽くす人』が生き残る」

 今朝の地元紙を見ると旅の広告が幅を利かせる。新聞折込チラシは2社の旅行社が入れている。新年もいよいよ本格的に始まったようだ。新聞2面を陣取る旅行社は嫌いなので見ずにスルー。さて、今年はいずこへ、としばしチラシを見る。今月は海外、3月は某所へ行く予定なので被らない日を選んであれこれ眺める。4月の桜、昨年出かけたのとは違う場所がある。行く気満々だが、まずは近いうち出かける旅を済ませて……としばし考える。考えるうちはいいことにはならない。思いつきで今年も元気に乗り切る。これを忘れてはいけない。

 昨日のネット記事に「堀江貴文さんが語る2020年、『本気で遊び尽くす人』が生き残る」がある。若者向けの記事かもしれない。年老いても若者の言葉に耳を傾けることも悪くはないだろう。この中で自分にとって都合がよい所を記そう。

 年を経て気づいたことがある。人生、決して自分の思うようにというか、計算づくでモノ・コトはならない、ということ。ヒト、もそうだ。今のところ、このことを一番強く感じる。そうでなく、自分の「ひらめき」を信じて行動する、これに尽きる。これから当分、まだ元気を保てそうな気がする。元気なうちは自分の思いを優先して……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★そもそも「将来役に立ちそうだ」「得しそうだ」と計算をしながら、なにかの分野で突き抜け、本気でなにかを身につけることなどできるのだろうか? 僕は相当に疑わしいと思っている。

★そうではなく、いまなにかに徹底的にハマること。そして、情熱の赴くままに続けていくことが、やがて思いがけない成功につながっていく。

★大切なのは、他人が驚くほどひとりで黙々となにかにハマることなのだ。そうした者にこそ、人とお金が自然に集まっていく。
 
★がまんするな。
嫌々やるな。
楽しいことだけをしろ。

★あなたにはもう、ぼんやり過ごしている時間などないのだから。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200104-00069550-gendaibiz-bus_all (参照)

2020年1月4日土曜日

「stranger上海の芥川龍之介」を見る

 年末の30日に見たテレビは「stranger上海の芥川龍之介」。元旦は「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」を見る。人に教えてもらって以来、塩野七生に関心を持っている。関心を抱けば番組欄を見ても目が行く。ほかにもM-1グランプリのミルクボーイ。M-1 はたまたまミルクボーイがやっていた「コーンフレーク」の終わりごろの漫才を見る。見ていて吹き出してしまうほどインパクトがある面白い漫才だった。それ以降、番組が終わるまで目が釘付けとなる。ファイナルの「モナカ」の漫才もよくもここまで、と思えるほど素晴らしかった。

 すぐにミルクボーイのブログとツイッターを検索する。M-1グランプリまではテレビ出演は2回だったとか。それが一夜にして仕事量も増え、うち1人は声をからして漫才をする。あらゆる手を尽くして、のどの調子を直しているそうだ。彼ら2人はミルクボーイならぬシンデレラボーイ!?

 話を1921(大正10)年 特派員・芥川龍之介、激動の上海へ―のテレビに戻そう。芥川の『上海遊記』がもとになる番組らしい。この本を読もう、とネットで著作権切れとなった記事を捜すとあった。だが、紙の本と違ってパソコン上で読むのは読みずらい。気長に読むしかなさそうだ。番組HPによると以下のようだ。

★芥川が克明に活写した100年前の中国を8Kで映像化。日本有数の知性と巨龍・中国、20世紀史に刻まれた知られざる魂の交流!今からおよそ100年前、大阪毎日新聞の特派員として上海を訪れた芥川龍之介。 このドラマは、日本文学の代名詞・芥川の小説世界と、当時の中国の現実を交錯させながら、20世紀史に刻まれた日中の精神的交流を世界に向けて発信します。芥川を演じるのは、日本を代表する俳優の一人、松田龍平。撮影監督に、映画『十三人の刺客』で第34回日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞するなど、日本映画界をけん引するカメラマン・北信康氏を迎え、ほぼ全編を上海で撮影。1920年代の中国が、8Kの圧倒的映像美で鮮やかによみがえります。

【あらすじ】1921(大正10)年、芥川龍之介(当時29歳)は新聞社の特派員として上海に渡る。子どものころから「西遊記」などの古典に親しんだ芥川にとって、そこは憧れの理想郷のはずだった。だが、当時の中国は動乱のさなか。清朝を倒した革命は、やがて軍閥の割拠という混乱に至り、西欧諸国や日本が上海の租界をわがもの顔で支配し、民衆は壮絶な貧困にあえいでいた。理想と現実のギャップに絶望すら覚えながらも、芥川の知性は巨龍・中国の精神世界へと分け入っていく。そこで出会うのは、革命の世で政治と向き合う知識人たちと、裏路地で日々をしたたかに生き抜く妓楼のひとびとだった…。

 ときは1921年。自分自身が一番興味を持つ時代だ。番組のほとんどは中国語。日本人が話す中国語ではない、と思ったら、大半は中国人が演じていた。

 いずれにしても『上海遊記』を読まなくては話にならない。司馬作品に加えて最近は塩野七生、そして芥川の本も加わりそうだ。昨年は我が人生で一番多くの本を、それも歴史小説を読んだ。今年はそれに負けずもっと本を読め、ということ!?芥川の本、図書館で借りて読んでもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年1月3日金曜日

2020年初詣

 年の始めは初詣から、ということで某神社へ出かける。広島駅から神社までは神社専用のマイクロバスが出ている。広島駅北口(新幹線口)は行くたびに様変わりし、バス乗り場は?と探すと新たにできた駅案内所があった。乗り場を問うと観光バスと同じ乗り場だ。止まっていたバスに乗るとしばらくして発車する。なんとも贅沢な初詣だろう。15分で神社に到着。最高気温は14度で巫女さんたちも暖かそうだ。3,4人の巫女さんたちは参拝する人々すべてに「ぜんざいをどうぞ!」と声をかけ、割り箸をくれる。親切な心遣いに驚いてしまった。

 巫女さんと宮司さんは割り箸を持った人々にご丁寧にもぜんざいをふるまってくれる。容器も使い捨てでなく、お椀のぜんざいにはお餅も1個入っていた。それにしても何人分用意されたのだろうか。初詣に出かけてぜんざいをいただく。これにびっくりして古いお札などを神社に置いてくるのを忘れてしまった。これは後日、地元の氏神様に持っていこう。

 天然貴石幸福おみくじを引くと「翡翠」(ニュージェイド)だった。それには「心身健康・長寿延命」とある。福みくじは第22番の大吉で願ってもないおみくじ、と気をよくする。それには「桃桜 花とりどり に咲き 出でて 風長閑 なる 庭の面哉」とある。これは「長閑な庭の美しい花の咲き匂って春の盛りの楽しい様に上吉の運に向かいます。けれど油断せずに信神して行い正しく些かも不義の楽しみに身を過たぬ様にせよ」の意らしい。

 初詣の後は神社のバスに乗って広島駅まで戻り、駅前のデパートへ行く。何か服を、と物色するがこれといってほしいものがない。買わずにデパート内で軽くお昼をいただく。ここでもぜんざいがセットになっていた。

 2020年の行動は初詣で始まった。家でゴロゴロするよりも動く方がいい、と改めて感じた新年。今年も元気を出して楽しい一年にしよう。近いうち、海外旅行が待っている。年賀状を見ると「旅行、楽しみです!」が合言葉になっている。某文化交流会の旅は参加者の年齢が高くなり、参加できない人も出てくる。昨年は参加人員不足で旅が催行されなかった。今年は大丈夫、行けそうだ。本当に楽しみ!

 今日も、そして2020年もずっと元気で楽しく過ごしましょう!