2016年5月31日火曜日

週刊誌の見出し記事から

 今週いっぱい晴れの日が続き、その後は梅雨に入るらしい。今年は梅雨前からよく雨が降る。これではカラ梅雨になる、と思った。ところが昨日の天気予報によると例年になく雨が多くなるという。さらに梅雨明け後はエルニーニョが終わって2010年の猛暑並みの暑さになるそうだ。体調管理に気を付けよう!

 今朝の朝刊掲載の週刊誌の見出し記事。2つの週刊誌が医療への不信感を募らせている。見出しだけ見ても記事内容がわかる。それも当然のこと、これを見て購買力を掻き立てる!?いずれにしても曲者は薬!医者が出す薬を全部飲んでいたら命がいくらあっても足りそうにない。親を介護していて食べる食事量よりも多く出る(?)薬を見てすべて破棄した。90歳も半ばとなると体のどこが悪いとかではなくてこれはすべて老化現象。そう思えば薬を飲むのも毒を飲むようなものだ。

 ぶつぶつ言っていては体に悪い。何を読んでも気にしないようにしないといけない。

 さて昨日の合唱。毎度ながらフルート持参。そしてボイスレコーダも持参して録音。ちょっとでも油断するとフルートを吹く個所に戸惑いが出る。昨日は大丈夫だった。

 今日はこれからフルートのレッスンへ。これからはフルートの発表会に向けての練習が始まる。一曲に集中することも大事。今日も元気を出して!

 余談として見出し記事。「医者と病院にダマされるな!」、「医者に出されても飲み続けてはいけない薬」、「がん患者の8割は栄養失調で死んでいる」。それなのに医師の多くは「がん患者に大量の栄養を与えるとがんが悪化する」と考えている。何を、誰を信じればいい!?

2016年5月30日月曜日

「健康常識」

 雨降りの一日、ネットの登場となる。「間違いだらけの『健康常識』~早寝早起き、運動、半身浴、粗食……60すぎたら寿命を縮めることもある」。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160529-00048753-gendaibiz-soci&p=2 (参照)
興味深く読んだ。世間では良いとされることにも誤りがある!?特に早寝早起き。早寝はできても早起きは無理。自分にあった生活リズムで過ごせばいい。

 昨日の「西域のモナリザ」。これを見て再度シルクロードへ行きたくなる。西域南道、チャンスがあればいいけど…。それまでは元気を温存!?

 今朝はこれから合唱へ。今日も元気で!

2016年5月29日日曜日

「聖域のモナリザ」

 パソコンを起動するとウインドウズ10の表示が出る。アップするとややこしくなりそうで✖印を押す。ところが、しばらくパソコンで遊んでいるとまさかの自動更新に表示が変わる。ネットで✖を押すとそうなると知っていても拒否するところがない。かれこれ1時間、バージョンアップに時間を費やす。今のところ以前と同じようにパソコンの使用可能。とはいっても、こういうことに関してはかなり神経過敏になる。泳ぎに行こうと思った。しかし、パソコン疲れと雨降りで泳ぎは中止。

 それにしてもよく雨が降る。泳ぎを止めると暇になる。図書館は1週間の整理期間で休み。雨で自転車にも乗れそうにない。昨日は昨日でテレビ三昧。動きが鈍くなると体に悪い。今日はテレビもいいのがない。

 テレビといえば昨日は何時間もテレビに釘付け。「新シルクロード」は西域南道のホータンやクチャなどがあるタクラマカン砂漠。西域北道は出かけた。だが、南のシルクロードは行きそびれている。今年は南道のブームになる!?

 「西域のモナリザ」を映し出す。夜は夜で「シルクロード謎の民 楼蘭の末裔?」を見る。タクラマカン砂漠のダリヤブイに住む謎の民。民族としてはウイグル族に属する。タクラマカン砂漠のタクラはタクティから地下、マカンは楽園の意らしい。ここには150体のミイラが発見されている。今でも亡くなると胡楊の木で作った棺に覆って埋葬する。ウイキペディアによると 「胡楊は生きて千年枯れず、枯れて千年倒れず、倒れて千年腐らず」(胡楊生而千年不死、死而千年不倒、倒而千年不爛)という中国のことわざがあるという。そのため、ミイラ化しやすいのだろうか。

 タクラマカンのオアシスの街ダリヤブイ。だがこの街も砂漠の砂に埋もれて水の確保が難しくなる。行政によって水のある他の地への移住を迫られる。それも民族の知恵で水路を手作業で変更して水を確保。見ていて引き込まれていく。

 その前に見た「映像の世紀」、サブタイトルは「世界を震わせた芸術家たち」。1900年のパリ万博を映し出す。トルストイ、ピカソ、ルノワール、モネ、ビートルズなど。画家、音楽家、政治家など時代を揺るがせた人々の姿を映し出す。究極はデビッド・ボーイ。西ベルリン前壁での大音響の演奏会。まだ壁が崩壊する前の両ベルリン。壁を隔てて聞く東ベルリンの人たち。当局の取り締まりを怖れつつも集まる市民。それもいつしかベルリンの壁崩壊へとなっていく。

 日本の神風特攻隊の姿も写る。若干23歳。男子の本懐といって散った若い命。自分の年齢からするとほんの生まれる前のお話。ひどいことがあった!

 今は良い世の中になった。パソコンの起動変更がどうじゃこうじゃと騒いでいる場合じゃない。今日も元気で!

2016年5月28日土曜日

美術三昧!

 車3台に分乗して下蒲刈島の美術館に行く。今回で3度目の訪問。絵を見る前に近くにある松濤園の陶磁器館を見学。この建物は宮島の門前町にあった町屋を移築している。館内には中国、朝鮮の陶磁器、日本では初期伊万里から古九谷様式・柿右衛門様式・鍋島、さらに古備前、萩焼などの名品がそろう。ここの学芸員の熱心な説明を聞きながらの鑑賞。同行の先生によると、以前に説明を聞いて感動され、その勢いで今回の訪問となる。

 次は同じ敷地内にある朝鮮通信使資料館。江戸時代の朝鮮通信使来日に際し、下蒲刈島が藩の接待所・玄関口として大歓迎した記録が多く残されている。この説明もわかりやすかった。

 長時間の説明後はお昼の時間。昨日は生憎、お店に予約を入れていなかったためかいつものご馳走がないとのこと。少々残念な気持ちでお昼をいただく。食事後は美術館へ移動。

 美術館前は瀬戸内海。お天気が良ければ四国も見えるそうだ。四国は見えなくてもお天気も良くて暑くなる。ところが美術館は木造の立派な建物。館内はひんやりしている。近代絵画名品展と銘打っての展覧会。日本画の展示が多い。学芸員は日本画に使用される膠や岩絵の具、木製パネルに絹を貼ったものなどを用意して説明する。これは日本画を知らない人にとってはいい試みだ。

 習っている会の日本画展で、日本画とは…と会場に来られる人から聞かれることがある。その意味でも油絵と日本画の違いを材料から説明するのはとてもいい。

 この頃は絵を見ると描けそうな絵を主に見るようになった。昨日も樹木が描いてある画に注目する。小林古径の『紅梅』までは描けなくても親近感をもって見る。

 家に着くころ、九州からメールや電話が入る。ミャンマー行きの連絡だった。話を聞くと成田発とのこと。これを聞いて行く気が失せる。その日の集合には間に合わない。成田発だとミャンマーまでは直行便らしい。せめて福岡発か関空発。以前にミャンマーへは出かけている。ということでミャンマー行きは同行せず。

 気を取り直して今朝のテレビ番組欄を見て元気が出る。BS欄を見るとシルクロード関連の番組が3時間ある。そして映像の世紀も興味がある。泳ぎは明日にして今日はテレビ三昧!?今日も元気で!

  ここで余談。館内で見たパンフ。高崎市タワー美術館のパンフで金島桂華の『冬晴』が描かれている。さらに「山野に遊ぶ」とあり、「かざらない自然 あるがままの 花と鳥」と書いてある。画像はネットから引用しよう!この絵、気に入ってしまった!

 この絵の所蔵をネットで調べると華鴒大塚美術館だった。岡山の井原市にある華鴒大塚美術館。高崎は遠いけど井原は近い。いつか例のおとなびを利用して見に行こう!
「金島桂華 冬晴 ...」の画像検索結果

2016年5月27日金曜日

蒲刈島へ

 演奏会主催者で会場の雰囲気も変わる。一昨日の演奏会は〇音の主催。それが宗教と関係ある団体とはつゆ知らず、出かけた。それを知ったからといって特別な感情はない。ただ、会場に入って何かが違うと思った。そう気づいたので付近の席の人にチケット購入の場所を確認する。その席はデパートのチケットサロンにあった席。話した人は宗教とは関係なさそうだった。

 帰りにバスで隣の人に尋ねるとチケットは人からもらったという。演奏会は楽しかった。だから後でそれを勘ぐるのはいいことではない。とはいってもいろんな面で宗教団体が絡んでいると知る。

 演奏者のブログで演奏会を知った。ブログを見なければそれもわからない。皆が皆、ブログを見るとも思えない。宗教の持つ力を垣間見た気がする。聴衆を集めることも何でもないのだろう。とはいっても古澤の人を惹きつける魅力も当然ある!朝からぼやいても仕方ない。楽しませてもらったのだからこれも由としよう。

 今朝はこれから蒲刈島の美術館へGO~。市内での美術講座の現地鑑賞もオバマ大統領の来広で街中へは簡単に行かれそうにない。急遽、瀬戸内の島、蒲刈島へ。今日も元気で!

2016年5月26日木曜日

ヴァイオリン演奏会に行く


 昨夜は「古澤巌オンステージ 情熱のツィガーヌ」を聞きに行く。「ツイガーヌ」とはネットで調べると「ジプシー」の意。生憎の雨。早めに会場付近に出かけて開演までの時間、情報プラザに立ち寄る。古澤のブログで知った『音楽の友』の記事を読む。古澤の人生最後の曲はロベルト・ディ・マリーノ♪エスペランツア♪だそうだ。どうも2015年の作品らしい。ピアソラにかかわる曲らしく、記事をこっそり写真に写したけどうまく写っていない。残念!その謂れを書いている。これはまたの機会に読もう!

 ピアソラは大好きな作曲家。以前、古澤の曲を聞いてピアソラを知った。発表会の曲の候補曲にピアソラの♪天使のミロンガ♪がある。今年はもう曲を決めたので来年になる!?動画を見ると吹いて見たくなる。

 さて昨夜の演奏会。もう満足の一言。大きな会場に満員の聴衆。これまで古澤の演奏会は3度ある。だが、ソロの演奏会は初めて。とはいってもパーカッション(はたけやま裕)、ベース(箭島裕治)、ピアノ(阿部篤志)の伴奏が付く。この伴奏者たちも素晴らしい。

 演奏曲目は♪サラマンドラ♪、♪キャラバン♪などに加えて究極の♪チャールダーシュ♪など演奏しまくる。古澤曰く「弓はヴァイオリン用ではなくチェロ」。そう知ったベルリンフィルの人が古澤に関心を示し、その人たちとのCD制作にまで至ったという。

 このチェロの弓ももとはといえば演奏会でヴァイオリンの弓を忘れ、チェロ用の弓を借りて演奏したことにはじまる。これが幸いして、以後、チェロ用の弓でヴァイオリンを弾いている。

 人生、ほんまに何が幸いするかわからない!

 ともあれ、最高の演奏会だった!広島市内での演奏会がこれまでなかったと古澤は話す。それがこの1か月の間、府中町(広島駅近くの)、呉市、宮島、広島市内と続き、今日は倉敷、明日は岡山での演奏があるという。

 演奏会前、某旅行社に寄って7月の旅行の費用をクレジット決済。この旅行社、大きな会社。しかし、電話の応対は感じが良くても窓口の不愛想さが嫌だった。ところが、昨日はいたって親切。

 今日も雨。雨に強いのは紫陽花の花。我が物顔で狭い庭を陣取っている。そして多くの蕾をつける。雨だと自転車に乗れない。さてさて…。今日も元気で!

2016年5月25日水曜日

♪365日の紙飛行機♪


 フルート発表会の全体合奏の曲が決まる。それは♪365日の紙飛行機♪。パート2を吹くことになった。今年もアンサンブルは不参加。ソロの曲は♪精霊の踊り♪。さらっていた♪鳥の歌♪を終えて、♪だったん(韃靼)人の踊り♪をさらう予定。この韃靼人、ウイキペディアで調べると以下のとおり。

 
タタール(Tatar)は、北アジアモンゴル高原から東ヨーロッパリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系テュルク系ツングース系の様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族名称である。日本では、中国から伝わった韃靼(だったん)という表記も用いてきた」。

 練習していて、いわゆる西洋音楽とは違うエキゾチックさが漂う。ネットで知ってやっぱり、と妙に感動する。

 昨日はソロの曲の一部をさらう。曲が変わるところに音の長さが2分音符から32分音符まである。この箇所を何度もさらう。あいまいな長さで音符を吹いてはいけない。メトロノームに合わせる練習が待っている。

 話は変わって、昨日届いた郵便物。月山の旅が催行されるとの知らせが届く。ここは国内で行きたい場所のひとつ。催行されると知って嬉しい!ほかの郵便物を見るとほかの旅行社にもこの行き先がある。しばし、旅の中身を調べる。ここは先に申し込んだ旅行社に決める。

 夏から秋にかけて旅の予定が3件入る。日本画の展示会とフルート発表会の開催月は旅の予定がない。というか、この月はこの2つの行事に集中することで精一杯。

 外は雨。今年の春はよく雨が降る。雨にも負けず、風にも負けず…ではないが、今日も元気で!

2016年5月24日火曜日

眼科&本

 病気とは今のところ縁がない。とはいっても月に一度、眼科に通っている。目については生まれてから悪いと聞かされていた。そのためか、眼科だけは定期的に通う。とはいっても視力が悪いだけでどこという病気はない。2か月くらい前から眼圧について言われ出す。ところがそれも昨日の段階では大丈夫だった。先生曰く「視神経がきれい!」。

 帰宅後、郵便受けを見ると九州のお坊様からの郵便物が届く。本を出版されて贈ってくださる。この本、興味深い内容でゆっくり読もう。それにしてもありがたい!他にも夏ごろミャンマー行きを考慮中とか。お坊さんたちで行く旅行は楽しい。ミャンマーは20年近く前に出かけている。今年は秋にも某会から中国行きが決まっている。久々のミャンマー行き、さてどうなることやら。

 眼科で読んだ『週刊文春』。最近の号ではない。歩き過ぎると体力をつけるどころか活性酸素が増えて免疫力が下がり、病気を引き起こすという。この活性酸素は曲者。ナニゴトもほどほどに!市内に出ても広島駅まで歩くことがある。1万歩は歩き過ぎ!?今日はフルートのレッスン。適当に歩こう!今日も元気で!

2016年5月23日月曜日

プールへ


  日曜日のお昼前のプールは人が少ない。陽気に誘われ、プールで泳がず外へ出かけるのだろうか。毎日のように動き回っている。予定がないと自転車で外に飛び出すことを考える。だが、この季節は一年中で一番日差しが強い。いい加減に顔が黒い。ますます黒くなりそうだ。

 さてプール。平日と休日、午前と午後の違いはあるが、どうも一番空いているのは日曜日の午前中!?午前の終了を告げる音楽が流れるまで泳ぐ。昨日も親子連れと最後までプールにいた。冬の間、たくさんの人が水中歩行をしていた。最近は人がほとんどいない。プールが社交場と化しているのか話し相手がいなくなると来なくなるのだろう。

 そんなことはどうでもいい。ただ一人黙々と泳ぐ。背泳ぎで見る真っ青な空。屋内とはいえ天窓になっているため屋外にいる気がする。泳いでいても気持ちがいい。昨日も1キロ泳ぐ。

 動画はフルート演奏。持っている楽譜と同じだ。これを聞いて練習しよう。今日も元気で!

2016年5月22日日曜日

サリー

 日本画教室を終えてJRに乗る。席に座ると艶やかなサリーを纏った女性がいる。横をむくとサリー姿、後ろもサリー。しばらくすると前の座席の横に連れの女性らしき人が戻って来る。その人もサリー。インド人と思って思わず英語で話す。やはりインド人だった。他にも幼児を連れた男性がやって来る。幼子の両足に輪になった飾り物をはめている。

 どうやって外すのか気になる。その子の父親がネジになっているとジェスチャーで教えてくれる。余りにも艶やかな人たち。その父親は東京のIT関連で働き、これから大阪、そして東京へ帰ると話す。老夫婦もいる。一家で宮島へ観光後の帰りだろう。

 それにしても優雅な艶姿のサリー。思わず手に取って触らせてもらう。前の席の2人は赤系統と真っ白なサリーだった。触ると肌触りはしゃきっとして涼しそうだ。右肩には10センチくらいの銀が施されている。「豪華!」、と日本語のわかる若い父親に話すと「安い!」の一言。

 世界各国で身に着ける民族衣装。もうすっかりそういう生活とは無縁になってしまった。肌黒いインドの女性たち。ところがサリーはその肌の色にピッタリ合っている。艶やかな色合いがそうさせるのか。それにしても美しい!

 美しいといえば日本画。そうなればいいけどこれは難しい。持参した木製パネル。これに鳥の子紙を貼る。貼る、といっても先生の手を煩わせる。貼る間に気付く。鳥の子紙を貼った木製パネルの価格の高さだ。人の手を煩わせる手間賃が入っていると。

 尾道で写した小雨降る樹木にとまる一羽のカラス。この写真をカラーコピーA4判に伸ばす。これをそのままスケッチブックに描けばよい、との安易な考え。これは大きな誤りだった。先生は3枚のコピーしたものを絵になる配置換えをしてくださる。なんと余白部分がコピー用紙に増える。そこに自分で枝を加えるようにと先生。これができないとスケッチもできないとの考えらしい。

 言われてみれば当然のこと。まだ風景のスケッチも全くと言っていいほど描いていない。それがいきなりの樹木にとまったカラスを描く。だが、先生は、3枚のうちの1枚のカラーコピーを手にされてその色合いが「画になる!」と言われる。雨降りのためか、カラーがあまり出ていない写真。それもカラスと葉っぱのついてない無彩色の樹木。その向うにかすかに風景の色がある。

 次回はこれを描かず、以前に地塗りをして転写した柿の小枝の色を付ける。ちょっとずつ絵の描き方が解ればいい!今日も元気で!

2016年5月21日土曜日

「父、パードネ・パドローネ」&コンサート

 昨日のBSシネマは「父、パードネ・パドローネ」のイタリア映画。題名に惹かれて見る。映画のあらすじはウイキペディアによると「保守的な厳父によって、小学校を数週間だけで退学させられ、20歳になるまで、一切の教育を受ける機会を奪われて文盲であったサルデーニャの羊飼いが、親元を離れ、教育を身につけて自立する物語である。後に主人公は著名な言語学者になった。原作は同じ題名のガヴィーノ・レッダの自伝である」。1977年の映画。映画に出てくる風景というか光景、これがまたいい!原作を読みたくなる映画だった。

 テレビで映画を堪能した後はコンサートを聞きに行く。最寄りJR駅までの道中、近所の人に出くわす。普段あいさつ程度の人。名前も知らない。ところが先方は、親の介護をしていた時をよく知っておられてお話しされる。そういう人は大概独り暮らし。息子2人は東京にいて広島に住むことはないと話される。しゃべっているとコンサートに間に合わなくなる。話を切り上げて目的地に向かう。

 コンサートは相変わらず知らない曲ばかり。だが、アンコール曲は知った曲。これを聞いてホッとする。いいコンサートだった!

 コンサートの後は家でカープのテレビ観戦。幸い昨夜はNHKの放送。民間だと試合終了まで放送しないことがある。その点、NHKは最後まで放送。ところが何と試合が終わったのは午後11時過ぎ。5時間以上の試合だ。見ていてヒヤヒヤドキドキ。連夜の延長戦。選手も大変。最後に笑ったのは勝鯉!

 あと3勝すれば200勝投手となる黒田投手。次回は黒田投手で勝ちますように、と祈らずにおれない。頑張れカープ!今日はお昼から日本画教室。日本画、頑張って。今日も元気で!

2016年5月20日金曜日

ターリク・イブン・ズィヤード&コルセーロ

 昨日のBS「ぐるっと地中海船旅」(野村佑香モロッコ・チュニジアの旅)を見る。モロッコは先日出かけたばかり。チュニジアも行きたい国で食い入るように見る。この両国に挟まるアルジェリア。政治情勢が厳しいのか同じ地中海に位置していても放送されない。

 放送された「ターリク・イブン・ズィヤード」と「コルセーロ」。この2つのキーワードが番組の主となる。前者の「ターリク・イブン・ズィヤード」は北アフリカのベルベル人。今でいえばモロッコの人に当たりそう。彼は8世紀、イベリア半島を征服した軍人で、アラビア語読みのジャバル・タリークからスペイン語のジブラルタルの語源となる。

 イベリア半島一帯はキリスト教国、北アフリカはイスラム教国。この番組で二つの宗教の争いの変遷を垣間見る。イベリア半島はターリク・イブン・ズィヤードによりキリスト教国からイスラム教国に代わる。ところがそれも時代の変化とともにイベリア半島はキリスト教国になり、北アフリカはイスラムの国になっていく。

 後者の「コルセーロ」は海賊と共にトルコから来た船上の料理。このコルセーロを中心にしたチュニジアの旅を写す。この番組のHPを見ると楽しい旅が満載。スーパープレミアム 「シルクロード 謎の民~タクラマカン砂漠楼蘭の末裔(えい)?~」は5月28日(土)午後9時から放送がある。どのキ―ワードを見ても旅心を誘われる。昨日のテレビは1年前の再放送。どうして見なかったのか、我ながら不思議。どういってもドキュメンタリーが一番!

 他にも同じくBSの国際報道で見たダライ・ラマ法王のインタヴュー。大阪での講演で5月に来日されたらしい。二千数百名の聴衆者のうち四百名は中国からわざわざ訪日して聞きに来ている。政治的に厳しい状況にある中国の宗教。国民はチベット仏教に活路を見出すものもいる。特別な信者でなくてもダライ・ラマ法王のお話は聞いて見たい。御年81歳、まだまだお元気。

 今朝もいいお天気。今日も元気で!

 ここで余談。ダライ・ラマ法王来日のHPを見つけた。これまでの来日のお話もアップされている。後で見ることにしよう!

2016年5月19日木曜日

日本画展&フルート定例会

墓地への道中に咲く白いカラー

墓地から見る我が町

 午前中にお墓参り。出かける前にお花を購入。その時点では暑さもそれほどはなかった。ところが、お墓参りを済ませると顔から汗が噴き出る。帽子を被った頭ももう大変。動くとシャワーを浴びる時期となる。

 道中咲いている白いカラー。先月咲いていると気づき、今回は携帯でなくデジカメ持参。アップして写す。本来ならばこれをもとにして日本画にしたい。だが、無理だろう。我が家の庭に植えているカラー。これは白でなく、それこそカラー。今朝、庭に出てみると葉っぱが大きくなっている。昨年は花が咲かなかった。さて今年のカラーは如何に?咲けばこれをモチーフにして絵が描けそうだ。

 ついでにデジカメで我が町を写す。平地から見るのと山からとではその様子も違ってくる。眼下は海、と思って暮らしている。ところが、写真で撮ると周りは山ばかり。こりゃ、どういうこと!?

 午後は県立美術館で開催されている日本画展を見る。総勢100名近くの絵が並ぶ。絵を見ていて、はっきりと自分の好みがわかってくる。習っている先生の絵が何といっても一番の好み。次に3人、好みの人がいる。「鞍馬」「向日葵」「閑」の3枚の絵。最後の「閑」はひまと読むのでなく、のどかと読むのだろうか。この方が絵のタイトルに相応しい。

 日本画展を見た後、隣の展示室に行く。いつもながら絵はうまい絵から見てはいけない。見られたものではない。絵の良しあしがだいぶわかってきた。とはいっても、これもそれぞれの好みの問題。とやかく言えないのだろう。

 美術館を後にして歩いて中央図書館へ行く。美術館のグッズ売り場で見た「木」の描き方の本。それを見て明後日から描きはじめる木のデッサンの本を借りる。

 その後はフルート定例会。いきなりのビールは美味!暑くなってきた。ビールの季節到来!?いつもながら他愛ない話で笑って飲んで食べて…。フルート発表会の話題も出る。昨日の携帯万歩計は11180歩。あまり動きすぎも活性酸素が増えて体に悪い。何ゴトもほどほどに!今日も元気で!

2016年5月18日水曜日

♪ダッタン人の踊り♪


  今朝は13度で最高気温は28度の予報。その差は15度と気温差が激しい。♪鳥の歌♪をさらう。出だしの何小節か、音が上がっていく。ここをきれいに吹くといい調子であとが続く。昨日は初めてこの曲をさらう。あと1回くらいで仕上がりそう。何といっても切なくなるようなきれいな曲。練習にも力が入る。これが終わると♪ダッタン人の踊り♪をさらう予定。発表会の曲はもう少し先になりそうだ。

 今日は母の月命日。これからお花を買ってお墓参り。その後は日本画の先生たちの日本画展。そして夜はフルート定例会。今日も元気で!さあ、行動開始!

2016年5月16日月曜日

♪君をのせて♪


  昨日は合唱の練習日。雨の中、出かける。来月に行われるロビーコンサート。その時に歌う曲を中心に練習する。秋も2曲歌う予定。2つのコンサートにフルートが1曲ずつ入る。2曲とも曲の途中から入ったり出たりする。油断すると曲は過ぎていく。ああ、と思ったときはフルートは何処へ…。ぼーっとせずに注意して吹かないといけない。昨日の反省。

 そのうちの1曲は♪君をのせて♪。アニメの挿入歌らしい。アニメに全く関心がない。しかし、曲自体はとてもきれい。歌手が歌うよりもヴァイオリンの音色が美しい。動画はヴァイオリン演奏をアップしよう。

 ヴァイオリンといえば何たって古澤巌。ブログを見ると今朝の11時のFMラジオと夜のテレビ出演。そして『音楽の友』掲載。今朝は地元ではひろしまFM、テレビはなんでも鑑定団出演。

 お昼前からフルートレッスンに出かける。その前に古澤の出るFMを聞こう。降り続いた雨も今朝はあがる。澄み切った青空。今日も元気を出して!

「老人」&「さっちゃんのブログ」

 自分では若いつもりでいても老人の域に達している。役所から生活に関するアンケートが送られてくるようになった。何を聞かれても怖くはない。だが、その結果が悪ければ(今は悪いところがない)介護保険を利用せよと言わんばかりのことが書いてある。いざというときのためにこれもありがたいと受け止めよう。

 だが、こういった「老人」みたいなことを言われるとほんとうに嫌になる。人からああじゃ、こうじゃと指図されるのが一番苦手。

 そのためにも元気でいなくてはいけない。元気といえば水泳。昨日もプールで1キロ泳ぐ。先週、いろいろ話しかけてきたおばはん。昨日もまた話しかけられる。「割とうまく泳いでいるよ」とのお言葉。有難いと思えばいいのに素直に受け取れない。

 日曜日の11時過ぎは利用するプールの空いている時間帯なのか人が少ない。だが、本来ならば平日がいい。スケジュールが平日に詰まると日曜日が水泳の日にとってかわる。

 今朝はこれから合唱へ。その前にゴミ出しがある。外は土砂降りの雨。雨の中、学校へ向かう小学生たち。一人遅れて歩く低学年の男児。顔が合うや「おはようございます」と挨拶をしてくれる。思わず「元気でね」。新たな週が始まる。今日も元気で!

 ここで余談。「さっちゃんのブログ」のさっちゃん。昨夜、ブログを見るとお亡くなりになっている。5月8日がブログの最後の投稿日。翌日、心筋梗塞で急死。親戚の方なのか、ブログに訃報をアップされる。94歳半ば。人生の最期まで自分のことをされていた。10日前の日本画教室でさっちゃんのことを話題にしたばかり。以前ほど絵の迫力がないと思っていた。ところが亡くなる数日前には展覧会に出展。50号の大作が賞を取ったとの報告がある。また、描いた絵も本になったとの報告もあった。それにしても素晴らしい人生。ブログを通して垣間見る人の一生。そのブログも先月で丸10年だそうだ。ブログを始めるきっかけの最初のブログが他人の手によってアップされている。

 80代半ばで始められたブログ。いろんな意味で刺激を受ける。頑張ろう!

2016年5月15日日曜日

広響第360回プレミアム定期演奏会

 広島交響楽団第360回プレミアム定期演奏会を聞きに行く。演奏タイトルは「マエストロ・レヴィが描く二大巨塔」。指揮者にヨエル・レヴィ、ピアノにレミ・ジュニエを迎える。演奏曲目は以下の通り。

 ♪ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調OP.37

 ピアノ・ソロはレミ・ジュニエ。ボンのベートーヴェン・ピアノコンクールで史上最年少の受賞。その後もいろいろとコンクールで入賞。若干23歳のピアニスト。

 ♪ショスターコービッチ 交響曲第5番ニ短調OP.47「革命」

 時は1930年代。ソ連ではスターリンの大粛清の嵐が吹き荒れていた。当時、ソ連随一の若手作曲家として注目されていたのがショスターコービッチ。彼も粛清の対象となるところだった。その時、新作オペラをレニングラードで初演。レニングラードは今のサンクトペテルブルグ。命の危険を察知しながら不屈の精神力でオペラに続く交響曲を作曲。第4番に続いて今回演奏された「第5番交響曲」。1937年11月、レニングラードでこの曲の演奏会が行われた。

 粛清されるかもしれない気の毒な作曲家の演奏会は演奏が進むにつれて感動が広がり、多くの人が涙を流す。第4楽章も終わりになるころ聴衆が感動のあまり次々と立ち上がる。曲が終わった瞬間には怒涛のような拍手と歓声が爆発。この場にいたショスタコービッチは興奮のため蒼白な顔をしたまま、7回も答礼に現れる。

 演奏前に読んだプログラム。それには以上のようなことが書いてある。プログラムを読んで昨日ほど感動したことはない。

 レニングラードといえば30年近く前に出かけている。だが、スターリンの時代は想像できない。しかし、赤の広場にあるレーニン廟に横たわるレーニンをその時、初めて見た。武器庫、を見たのも聞いたのもその時が初めて。旅行したときは共産党政権時代。日本からのソ連入国審査の厳しかったことをはっきり覚えている。一人ずつ柵(鉄格子が当てはまる)で囲まれた中で審査を受ける。不愛想この上ない国だった。だが、レニングラードの緑豊かな公園ではクラシックの生演奏が響き渡たり、音楽文化の高さを感じた。今は当時よりももっといい時代になっているのだろうか。もう一度、名前の変わったロシアに出掛けて見てもいいかもしれない。

 感動しっぱなしの演奏会は終わった。大きな拍手と「答礼」で登場したピアニストのレミ・ジュニエ。もらったプログラムで「答礼」というキーワードを初めて知る。アンコール曲は以下の通り。

 ♪ベートーベン:ピアノソナタ 第2番第3楽章 スケルツオ(レミ・ジュニエのピアノソロ)

 ♪ハチャトリアン:ガイーヌ 剣の舞 (指揮者によるアンコール曲)

 演奏会終演後、外へ出ようとする直前、聴衆がスマホ片手に何やら写している。なんと、アンコール曲が掲示されている。広響との付き合いは長い。それなのにアンコール曲が掲示されていたとは驚き。思わず係りの人にいつも掲示されているのかを尋ねるとそうだとのこと。ほんまに知らないということは困ったものだ。スマホでなく携帯で写す。

 それにしても母親と連れ立って聞きに来た子どもをチラホラ目にする。まだ自分の意志はないと思える小さな子たち。未就学児は入場できない。だとすれば小学校の低学年?動き回る子はさすがにいない。だが、じっとして聞いてもいない。それにしても将来のピアニストを目指すのか親も大変だ。

 グロッケンシュピール。昨日の演奏会プログラムで目にした楽器名。クラシックの演奏会では様々な楽器が使用される。客席は前から5列目。だが、前過ぎて演奏者が見えにくい。グロッケンシュピールも見えなかった。
グロッケンシュピール(ウイキペディアより引用)

 今日も暑くなりそうな一日。さてプールは?今日も元気で!

2016年5月14日土曜日

新語

 最近、気になっているWIFI。他にもLTEやブルートウース。この違いをネットで検索すると詳細な記事がある。3年前の日経トレンディ。図書館で目にする雑誌だが、ほとんど読むことはなかった。読んでみる価値はありそうだ。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20131029/1053219/ (参照)

 今朝のネットでは「セントレア」からGWに海外出国の記事。このセントレア、先日届いたメールにも書いてある。これは何と空港の愛称だそうだ。大ホールや球場、公共施設などスポンサーの名を付けたところも多い。空港にまで愛称、とは驚き。皆さん、ご存知かもしれないがセントレアは中部国際空港。

 それにしても他の空港も愛称があるのだろうか。福岡、関空、地元の広島空港にはついていないと思うけどどうなんだろう。

 新語はIT用語だけでなく、空港の名称にもあった!新語は増え続けるだろう。特に若者たちのツイッター用語。ネットでキーワードを検索しないと意味が理解できない。その大半は言葉を短くした略語。紙でできた昔からの『広辞苑』などの辞書類。これも新語として掲載されるのだろうか。増え続ける新語。気にしても仕方がないとあきらめるに限る!?

 今日は広島交響楽団第360回プレミアム定期演奏会。プレミアムというだけあって指揮者も演奏者も特別ゲスト。朝から楽しみ!そういえば今月は演奏会が多い。フルートの先生のアンサンブル。そして25日は古澤巌。ほんまに楽しみじゃ。今日も一日元気で!

2016年5月13日金曜日

『トットひとり』

 今年のGWに読んだ本の最後は『トットひとり』(黒柳徹子 新潮社、2015年3版)。表紙をめくるといきなりの言葉は以下の4行。
 
   私が好きだった人たち、
   私を理解してくれた人たち、
   そして、
   私と同じ匂いを持った人たちに―

 4行目の「同じ匂いを持った人たち」へのエピソードを紙面のほとんどに費やしている。それも面白おかしく述べている。思わず読みながら吹き出すこともあった。「エピソード」、といえば先日読んだ矢作直樹の本に以下のようなことが書いてある。

 「私たちがあの世に持っていける財産、それはこの世での”エピソード”です」。

 黒柳は知り合ってから亡くなるまでのエピソードをひとりずつ綴る。そして、親しかったひとりずつを家族に例えるように「母さん」「父さん」「兄ちゃん」「お姉さん」…と語り掛ける。だが、その人たちはもうこの世にいない。最後の章の「幕が上がる時」に書いている。

 「単に同世代、というより、自分と同じ匂いを持ったひとたちが、知らず、知らず、いなくなっていく。そんな寂寥感を味わうことが、歳をとる、ということかもしれない。子どもの頃、みんなと夢中になって遊んでいたのに、もっと遊んでいたいのに、気がつくと、ほのかに宵闇が近づいていて、広い公園の中にひとりぼっちで残されてて、どうしたらいいんだろうと途方に暮れた、ああいう感じに似ている。穴が空いたのに、替わりに埋めるものが何もない、といった寂しさ」。298p

 本の最後は若い頃、黒柳がノートに書き写したという映画「草原の輝き」からワーズ・ワーズの詩を引用している。

    草原の輝き 花の栄光
    再びそれは還らずとも
    なげくなかれ
    その奥に秘めたる力を
    見出すべし

 こう記した後、「どんなに寂しく悲しいことがあっても、喜劇をやっている人間は、笑って頂けるように、生きていくことが大切。私は、これまでも、そうやって生きてきた。それが生き残った者の使命に違いないと信じて。」、と記す。300p

 客席に向かう時、筆者である黒柳は、これらのいろんな大切な人たちに、「客席に座って、どうか見てて下さい」とお願いして舞台へ出ていくという。301p

 私の周りで同じ匂いを持ったひとたちとはさて誰を指す!?これまでいろんな形で知り合った人たち。そういうひとたちのことかもしれない。歳をとれば増えてくる!?同じ匂いを持ったひとたちと元気で楽しく遊ぶに限る!?

 昨日は以前の職場の人と久々のランチ。立町のお店に行く。その後もその界隈の甘党のお店に入る。食べてしゃべってと忙しい!駅までの道で川に目を向けるとじーっと動かずにいる鳥を見つける。久しぶりの晴天の一日。京橋川も綺麗だった。川面と鳥。これも絵になる!?今朝はこれから西条へ。今日も元気で!
駅前大橋下を流れる京橋川
これも絵になる!?
空も川も真っ青

2016年5月12日木曜日

WIFI

 3年前に購入したタブレット。5か月前に解約。手元にあるのはSIMカードの入ってないタブレット。普段の生活にタブレットもパソコンも…は必要ない。その思いから解約。ところが、旅などに出るとタブレットがあれば…と思い始める。昨夜、姪との電話でタブレットの話をする。というかWIFIの話。

 先の旅でもWIFIの接続パスワードについて添乗員はホテルに入るたびに説明する。もうネット接続は不可能と思っていた。ところが姪との話でSIMがなくても大丈夫だと教えてくれる。早速、充電して電源を入れる。なんとワンセグは使用可。考えてみればガラケイでもワンセグはネットで接続しない。当然と言えば当然かも…。

 WIFIについては全くの無知。タブレットのネット接続はSIMカードでLTE仕様。WIFIもタブレットの機能にある。公の場所では無料の箇所があると姪は教えてくれる。先ほどWIFIについてネットで調べると、何とドコモは携帯があれば月300円でWIFI接続可能となるそうだ。それはありがたいこと。だが、タブレット解約のもとをただせば金銭云々ではない。あまりにもネットに依存し過ぎてはよくないと思って解約。たとえ月300円でも契約すれば元の木阿弥。

 ここで結論。旅先ではタブレット持参。公の場所で無料WIFI接続。これがいい!まずはこれをどこで試すか、それが問題。

 さらに姪から教えられる。家での固定電話契約も光にすればWIFI可能とのこと。いまはADSL。これも年内くらいをめどにNTTコミュニケーションは光に替えると決まっている。それももう少しの辛抱。持っているタブレットはドコモからもらったものでなく購入したもの。たまに使う程度なら十分使用可能だ。
 
 いろいろと目まぐるしく新機種が出るIT機器。だが、周りに教えてもらう人がいない。いつも頼るのは東京にいる姪。姪は最近スマホを使い放題にしたとか。おかげで電話を掛けなおしてもらって長電話で教えてもらえる。有難い!

 新たなIT機器に挑戦するのもボケ防止?世の中についていくのも大変。でもこれもわかると楽しみとなる!
 
 今日は空は雲一つなく澄み切っている。元気を出して!今日も楽しく!

  ここで余談。先日、出かけた津和野の個展。出品された先生から丁重な絵ハガキが届く。気に入った絵の絵ハガキ。大事にしよう。

2016年5月11日水曜日

♪鳥の歌♪


  
 ドビッシーの♪月の光♪を終えて、次は♪鳥の歌♪をさらう。この曲はパブロ・カザルスのチェロが有名。カザルスは鳥の鳴き声を「ピース、ピース」と聞こえるように演奏するという。哀愁漂う曲。フルートバージョンとチェロの演奏を動画でアップしよう。なお、発表会のソロで吹く曲は♪精霊の踊り♪に決まる。これはもう少し先でさらうことになった。当分、淋しい曲が続く。

 それにしてもよく雨が降る。今日はすがすがしい五月晴れとなるかどうか。今のところまだ怪しい限り。怪しいといえばこの頃頻繁に起こる災害がある。昨日の地元紙に佐伯啓思は書いている。「現代とは、人の生も死も社会進歩によって管理できるものではなく、まずは巨大な自然の手にゆだねられている、というある意味で当然の思想を、日常の生のうちに組み込んでゆかなければならない時代なのである」。

 テロや自然災害といった不確定な脅威は社会の進歩だけでは管理できない。日本人の自然観も人生観も「自然」の脅威を感じながら生を営んできたという。それを覚悟して生きていくといっても年々、その脅威は増している。朝からボヤかず今日も元気を出そう!

2016年5月10日火曜日

ヴェネツィア展を見に行く

 合唱の人に誘われてボストン美術館ヴェネツィア展を見に行く。霧雨降る毎日。今朝も降る。「チケットは?」と尋ねると「ボーイフレンドから2枚送ってもらった」とのこと。「え?ボーイフレンド」とはどういうこと!?干支がちょうど一回り上の方。グルメとトリップはノーサンキュー。しかし、お洒落に関しては天下一品。昨日も雨の中、颯爽と赤が似合って…。背筋はピシッと決まる。社交ダンスをされていた。ちなみに運転される車はピンクで50年の運転歴。英会話を習われ、お話すれば英語が飛び出す。以前の講師のニュージランド人とも英語のEメールを交わされている。なにからなにまで私とは真逆の人生。それでも不思議と話が合ってしまう。

 絵を堪能した後、三越近くの和風レストランへタクシーで出かける。何と美術館まではバスセンター到着後、タクシー利用とのお話。ここでまず「ええ?」と驚く。当然三越までもタクシーはうなづける。降車後、お目当てのレストランが見当たらない。「じゃ、よそに…」と話していると後を向いた瞬間、何とお店の名が目に入る。早速ビル5階に上がる。とてもじゃないがひとりでは行かれそうにないお店。知らないお店に入るのは嬉しい!日本食は冷たいモノが多い。ところがお刺身とナマコ以外は温かい。茶碗蒸し、てんぷら、お吸い物、お浸し…と美味しいモノが並ぶ。


 ここで先のボーイフレンドのお話を聞く。幼馴染だそうだ。銀行が所有する美術館。チケットをくれた人もそこの偉い人だったとか。華麗なる幼年時代、というか、今もそうだけど…。聞いていて思わず♪乳母車♪を思い出す。このお話はチケットをいただいた人とは別の人らしい。若い頃、好意を抱いてくれた人から、のちに言われた言葉。だが、時すでに遅し。手には子供を抱いていた…。とはいっても旦那様が一番いいとのこと!

 歌のようなお話が現実にあるとは…。一度でいいからそういう気持ちを味わってみたい。お話を聞いていても言葉に嫌味がない。これもお嬢様育ち!楽しく食べてしゃべって、と話は尽きない。ありがとうございました!

 三越で別れた後、福屋で開催中の山下清展を見に行く。先日、山下の甥の本を読んだ。親しみをもって絵を見る。描く絵や貼り絵はその場でスケッチするのでなく、頭にインプット。それをもとにして絵を完成させていく。後で写真と絵を比べるとほとんど同じような構図らしい。これは素晴らしい。頭が云々ではなく良すぎるのでは!?「長岡の花火」も細かく花火を描いている。

 その後、歩いて画材店に向かう。F6の木製パネルを購入。これで次の絵を描く予定。鳥の子紙に貼ったものでなくパネルだけ購入。鳥の子紙が貼ってないと安い!お店の外に出ると山下清展のチケットが山積みしてある。先に知っていたなら…一緒に見に行けたのにと残念。

 気を取り直して駅の福屋に入る。軽い素材のファスナーつきのショルダーを目にする。スポーツ用品売り場に展示してあるナイキの品。日帰り旅にいいと思って購入。

 日帰り旅と言えば、6月のバス旅代金を振り込む。家に着くと2つの旅行社からカタログが届く。しばし眺めているとどこかへ行きたくなる。中国の大連4日間が異常に安い。モロッコの旅で添乗員は海外旅行の参加者が減少気味と話していた。テロなどの影響があるそうだ。そのためもあって、海外の添乗がないときはインバウンドと話される。インバウンドは海外からの旅行客を国内でする添乗らしい。

 あまり安いとこれもなぜ?と気になる。いろいろみていると月山の旅に惹かれだす。だが一人参加だと2万円アップ。中国大連の旅よりもかなり割高。しかし、ここへは一度は行って見たい。7月の月山を申し込む。国内なのに4日間の旅で飛行機利用。

 相変わらず雨が降っている。霧雨どころか大雨だ。もう少しするとフルートのレッスンへ。今日も元気を出して!さあ、行動開始!
和風レストランで

2016年5月9日月曜日

日曜日の朝のプール

 正午15分前に音楽が流れ、午前中のプールは終わる。午後は1時からの開館。お天気の良さに誘われて急遽、午前中にプールへ行く。これから夏に向かってプールに入る瞬間、水の冷たさを感じ始める。外気とプールの水温が次第に逆転するためだろう。冷っとした瞬間から泳ぎ始めると生ぬるさを感じる。日曜日の午前中、人も少ない。それも極度に少ない。

 10往復を過ぎたあたりで泳ぎについてとやかく言われ出す。久しぶりに会う年老いた女性だ。ほっといてくれ、と言いたくなる。適当に聞いて泳ぎ始める。面倒なことこの上ない。

 泳ぎを続けているとほかの人からも声を掛けられる。浅いプールでしゃがみ込んだ格好でゴーグルを外して「誰だかわかる?」。男の人の声がする。いつもの如く「目が悪くて…」。その人は「〇です」と名を名乗る。「ええ、なんでここに!」と話す。スポーツセンターのプールでなく、ここに来るとのお話。「日本一周泳ぐ会」に入っていたとき、何百キロか泳いだ記念にもらったロゴ入りのスイミングキャップ。これを被って泳いでいる。それに気づかれたらしく、わざわざ向きを変えるころを見計らって声をかけられる。

 しばし、スイミングクラブの情報を聞く。その人は今もクラブに所属。そして2年前には会合にも出席されている。今のプールで泳ぎだして丸2年。ここではクラブの人と会うことはなかった。だが、ただ一人、週に一度1キロ泳いでいる。クラブの人は皆さん、スポーツマンでいい人たちだ。運動音痴がその人たちと水泳の話をする。これは自分にとってはとても不思議。

 プールの中で一人になる。話をしていたために午前中の閉館が近づく。15往復で泳ぎを止める。更衣室で着替えていると女性と出会う。まだ50代というのに膝が痛いらしい。「なぜ?」と聞くと膝に筋肉がついてないそうだ。泳いで筋肉をつけるという。

 プールへはただ泳ぎたいためだけに行っている。そのうち、どこか痛くなればその治療目的で泳ぐようになるのだろうか。身体が痛い、は今のところ皆無。これもプールのお蔭!?頑張って楽しく泳ごう!そういえばスイミング教室に入ってこの夏で丸20年が経過する。この調子だと水泳、まだまだ長く続きそうだ。

 今日も元気で!

2016年5月8日日曜日

銀箔を貼った絵

 町内運動会かそれともほかの行事なのか隣の小学校からにぎやかな音がする。今朝はまさに五月晴れ。先ほどNHKで新井選手の2000本安打達成の特別番組を見る。これを見て朝から元気が出る。この勢いで午後は泳ぎに行こう。

 昨日の日本画。何とか完成。とはいってもかなり先生の手を煩わせる。かぼちゃと赤い大根を銀箔を貼った木製パネルに描く。色を塗るとき、筆に力が入るのか、それとも何度も塗りなおすためか、塗ったところから銀箔が浮き出てくる。これじゃ、駄目じゃと思いながらもどうすることもできない。初めて挑戦した銀箔。なかなかむつかしい。

 他の人の絵を見ると鳥の子紙を貼った木製パネルにいろんな色を重ねて地塗りをされている。これだけでも絵になりそうだ。日本画を習って2年余り。この頃やっと人の絵を見て何をされてるのかわかるようになった。先生は次は皆さんと同じ地塗りで…、と言ってくださる。

 先日日本画教室で出かけた尾道。絵を堪能した後、フリータイムで屋外に出る。千光寺公園から瀬戸内海を見下ろす。ふと目をやるとカラスが一羽、小雨降る木の枝にとまっている。この写真を3枚写す。もしかして次の絵のモチーフになる?と思って先生に相談するとOKだった。

 かぼちゃや大根の絵は簡単そう。だが、描くと難しい。絵を習って単純なものほど難しいと知る。とはいっても風景はさらに難しい。以前出掛けた八ヶ岳の旅のスケッチ。手も足も出ない状態のモノに向かって先生から全体をスケッチするのでなく、ある一部を描くようにとアドバイスされる。

 そうか、と思って皆のスケッチとは違う山道の後ろを向いてその一部の段になった道をスケッチ。これだと何とか描けそうな気がした。これでいいらしい。

 次の日本画からは木にとまったカラスを描く予定。葉っぱのついてない小枝を描くのは大変。そして動物のカラス。これは横向きのシルエット。カラスはもともと黒い。カラスの顔の表情はとてもじゃないが描けない。ここはシルエットから…。

 これができたら次は月の砂漠のサハラ砂漠を描きたい。しかし、これは当分先のお話になりそう。ともあれ、今日も元気を出して泳ぎに行こう!

2016年5月7日土曜日

『五色の虹』

 『五色の虹』、サブタイトルは「満州建国大学の卒業生たちの戦後」(三浦英之 集英社、2016年第2版)を読んだ。先日、地元紙で見た新刊紹介記事。中国の近代に関心がある。それなのに「満州建国大学」というキーワードさえも知らなかった。吸い込まれるようにして一気に読む。読みながら気になる個所に付箋をつける。かなりたくさんになった付箋紙。これからその個所を記していこう。この本は第13回開高健ノンフィクション賞受賞作品。

 ノンフィクションということは実際にあったお話。本の中に登場する人たちは本のタイトルどおり「満州建国大学の卒業生たち」。その人たちの最後となる同窓会は2010年東京で開催される。「彼らは日中戦争当時、日本が満州に設立した最高学府『建国大学』の卒業生たちである。中国東北部がまだ満州国という名前で呼ばれていた時代、日本政府がその傀儡国家における将来の国家運営を担わせようと、日本全土や満州全域から選抜した、いわば戦前戦中の『スーパーエリート』たち」だった。20-21p

 「建国大学では日本人学生は定員の半分に制限され、残りの半数は中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族の学生たちにきちんと割り当てられていた。カリキュラムも語学が授業の三分の一を占めており、学生たちは公用語である日本語や中国語のほか、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、モンゴル語などの言語を自由に選択することが許されていた。…戦前戦中の風潮からちょっと想像もつかないような、ある特権が付与されている。言論の自由である。…建国大学は開学当初から中国人学生や朝鮮人学生を含むすべての学生に言論の自由を―つまり日本政府を公然と批判する自由を―認めていたのである。」22-23p

 「建国大学は一九四五年八月、満州国の崩壊とともに歴史の深い闇へ姿を消した。開学わずか八年しか存在し得なかった大学の名を今記憶している人はほとんどいない。それは日本が敗戦時に建国大学に関する資料の多くを焼却したためであり、戦後、それぞれの祖国へと散った卒業生たちが、後世に記録として残されることをひどく嫌ったせいでもあるといわれている。」23-24p

 最後の同窓会の参加者は約120名。一期生から八期生までが出席。この大学で学んだ学生はその特殊性から弾圧される。帰国後も傀儡国家の最高学府出身者というレッテルによって、高い語学力と学力を有しながら多くの学生は相応の職種に就けなかった。25p

 「彼らはたとえ国家間の国交が断絶している期間であっても、特殊なルートを使って連絡先をたどり、運よく連絡先が判明すると、手製の名簿に住所や電話番号を書き足していった。二〇一〇年に完成した最終版である『建国大学同窓会名簿』には約一四〇〇人分の氏名や当時在籍した塾番号に加え、現在暮らしている住所や電話番号、戦後所属した組織やその役職などがひっそりと記録されている。」26-27p

 筆者の三浦はある日、勤務先にかかってきた電話を受ける。定年退職した人などに夢のシルクロードを自転車で駆け抜ける旅などを主宰している長澤だった。長澤はシルクロードをめぐるうち旧ソ連邦のキルギスの山奥に多くの日本人が抑留されている事実を知る。このことを近現代史に関心があり、なおかつ新潟に勤務していた人を探していた。それにかなう人が著者となる三浦だった。34p

  なぜ新潟勤務経験者かといえば新潟弁が通じる人の方が取材しやすいと考えた結果らしい。三浦は新潟に向かい宮野泰を取材。その人の口から出てきたのは「ケンダイセイの端くれ」。三浦はその言葉を知らず宮野から聞いて初めて知る。

 「『満州国の建国大学―』 それが『幻の大学』と呼ばれた大学の名を、私が初めて耳にした瞬間だった。」42p

 三浦は「建国大学」の卒業名簿を入手。「五族協和」を掲げて入学した彼らが夢見たものとは、その後卒業した学生たちは「戦後」をどのように生きたのか、当時の日本をどのように見ていたのか、を訪ねる旅を始める。それは2010年秋。各国に散らばる卒業生たちの「過去」と「現在」を集める旅だった。行先は日本、中国、韓国、モンゴル、台湾、カザフスタンを訪ねる旅。27p

 「この時代について語るには欠かせない人物に石原莞爾がいる。石原は『建国大学と民族協和』で新設される大学は『満州国の最高学府』にするのではなく『アジアの最高学府』にすべきと訴えて『国際性』を持たせた。」52p

 「満州国の最高学府―。それは日本が最終戦争を勝ち抜くために満州国に設置した、極めて戦略的な『国策大学』だったからである。」55p

 建国大学について研究している人にICUの宮沢理恵子がいる。三浦は宮沢とも面会して『建国大学と民族協和』を参考にする。その後、武道教育の面から建国大学の研究を続ける志々田文明。この人を通じて『藤森日記』の膨大なコピーを入手。この日記は二期生だった藤森孝一が書いている。この青年は17歳当時神童と呼ばれていたがまるで「海外旅行」の気分で入学する。59p
 
 そこでは軍事訓練と農事訓練が主な訓練だった。72pそして学生の楽しみとして読書があった。15万冊の蔵書の図書館もあった。74p

 三浦は藤森との取材の最後に聞く。「藤森さんの人生は幸せだったのでしょうか」。これに対して「自分が生きてきた人生がすなわち私の人生だとすれば、私は私の人生に悔いというものはありません」。「もしあの時満州へ渡っていなかったら、と考えることはありますか」、に対しては「…人の人生なんて所詮、時代という大きな大河に浮かんだ小さな手こぎの舟に過ぎない。小さな力で必死に櫓を漕ぎ出してみたところで、自ら進める距離はほんのわずかで、結局、川の流れに沿って我々は流されていくしかないのです。誰も自らの未来を予測することなんてできない。不確実性という言葉しか私たちの時代にはなかったのです」。83-84p

 三浦は藤森との取材を皮切りにして、全国に散らばる建国大学の出身者たちの取材を進めていく。手始めに百々和を訪ねる。取材中、それぞれの8月15日にも焦点を当てる。百々和が帰国できたのは戦後11年経ったとき。その間、百々和には叶えたい夢があった。大学院に入りたかったのである。その時38歳。その後53歳で神戸大学の教授となる。百々和が学生に言い続けた言葉がある。

≪企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ―≫101p
 
 「…鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていたとき、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。歌や詩や哲学というものは、実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないが、人が人生で絶望しそうになったとき、人を悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれる。…私はそれを身につけることができる大学という場所を愛していたし、人生の一時期を大学で過ごせるということがいかに素晴らしく、貴重であるかということを学生に伝えたかった・・・」101-102p

 さらに百々和は話す。「日本人にとっては『潔さ』とは『美しさ』とそれほど変わらない意味だった。そして『美しく』あることは、『生きる』ことよりも、遥かに尊いことだった」104p

 大連に住む一期生の元中国人学生の楊増志。当時建国大学の入学生には月五円の「手当」がつき、学内には「言論の自由」が存在していた。楊にとっては日本人に向かって日本政府の植民地政策を真っ向うから非難しても咎められることがない、嬉しいことだった。125p 
 
 その楊が1941年憲兵隊に治安維持法違反で検挙される。国民党の資料を持っていたためだ。この話を聞いていた筆者もその場に居合わせた中年男性によってこれ以上話を聞かれなくなる。共産党にとって不都合な事実は取材させてくれない。138p

 取材中の筆者の列車が瀋陽を通過。この街の郊外にある柳条湖。ここで満州事変勃発。「鉄道守備隊」は「関東軍」と名を変えて満州事変を契機に満州全土を掌握。一連の筋書きを描いたのは、関東軍参謀の石原莞爾。次に石原が描いたのが国家運営を継続するための人材育成。その根底となる教育制度の創設こそが建国大学だった。

 「それは矛盾と暴挙に満ちた新生国家を知識と権力によって操縦していくために発明された比類なき『教育機関』だった」150p

 次に会う中国人の学生は谷学謙。だが、取材中止になる。≪不都合な事実は絶対に記録させない―≫171p

 楊と谷の2人は「言論の自由」に惹かれて建国大学に入学。ところが戦後の中国は共産党政権。「言論の自由」は許されなかった。それゆえ三浦は2人の口から当時のこともその後のことの真実も詳しくは聞くことができなかった。

 建国大学に備わっていた言論の自由。しかし、「小さな穴」である「言論の自由」も筆者に言わせると「小さな穴でも大きくて厚い壁を壊すのには十文だった」という事実だった。171p

 次はモンゴルのウルジン、朝鮮人の金載珍、姜英勲を訪ねる。姜は1988年に韓国大統領に就任した蘆泰愚により、韓国の首相に招聘される。1990年分断していた南北首相会議をソウルで実現。その一か月後板門店で韓国首相として初めて金日成主席と握手した。姜には別れ別れの妹が北にいた。そして妹とも再会。215p

 他にも台湾人学生の李水清。李は非日系の学生の中でも特別な存在だった。孤児だったそうだ。以下は李の言葉。

 「生涯において大切なことは、己が真に信じることができる『道』を見つけることができるかどうかだ」、「ゆえに、我々は生涯をかけて勉強に励まなければならない。そして、一度正しいと信じたことは他から何と言われてもそれを終身実行しなければならないのだ」235p

 その後、「李はそれらの販路を台湾国内だけでなく、日本や中国で暮らす建国大学の卒業生のネットワークを利用して徐々に国外へと拡大させ、台湾を代表する一大製紙企業を築き上げたのである。」243p

 孤児で育った李は筆者の取材の最後の質問に答えている。「私にとって台湾は難しく、愛しい、母親のような国です」246p

 日本人とロシア人のハーフのジョージ。筆者はジョージの生き方通してこう綴る。
 
 「人の一生とはなぜこうも儚いんだろう、と私はアルマトイに向かう飛行機の中で一人思った。…人は豊かな人生を生きたいと願い、そのためにもがき苦しんで多くのものを失いながら、最後には何を掴んだかを知ることもなく死んでいく。ジョージもそうだったし、これまで取材に応じてくれた多くの建国大学の卒業生もそうだった。人生とは何なのだろう―。…」272-273p
 
 筆者の三浦はこの取材に取り掛かる前に「満州国」をテーマとする研究者である京都大学の山室信一を訪ねている。戦後の日本という国をどのように捉えているか、との質問に山室はこう答える。「私はそれを歴史の中から学ぶことができるのではないかと信じています」。さらに続けて「私たちはもっと正しくかつての『日本』の姿を知る必要があるのではないかということです。日本や日本人はどうしても自国の近代史を『日本列島の近代史』として捉えがちです。…『日本』という特殊な国の歴史のなかで、台湾、朝鮮、満州という問題が極度に集約されていたのが建国大学という教育機関だった、というのが私の認識であり、位置づけでもあります。政府が掲げる矛盾に満ちた五族協和を強引に実践する過程において、当時の日本人学生たちは初めて自分たちがやっていることのおかしさに気づくんです。…」。306-307p

 筆者は「あとがき」で「本作品のタイトルの中の『虹』は、アパルトヘイトを克服した南アフリカの故ネルソン・マンデラ元大統領が、人種や民族の違いを超えた多民族国家を目指そうと、南アフリカを複数の色が合わさってできる「レインボー・ネーション」(虹の国)に例えた歴史的な演説から借りている。彼が掲げた理想はまさに、建国大学卒業生たちが目指したものと同じ、『民族協和』の実現だったからだ」と述べる。324p

 さらに「満州の大空にかけようとした『五色の虹』は、内包する理念の欠陥により必然的に崩壊し、無数の悲劇を戦後に残した。しかし、その一方で、彼らが当時抱いていた『民族協和』という夢や理想は、世界中の隣接国が互いに憎しみ合っている今だからこそ、私たちが進むべき道を闇夜にぼんやりと照らし出しているのではないか。…」。そして、こう述べて文を締めくくる。「『衝突を怖れるな』とある建国大学出身者は言った。『知ることは傷つくことだ。傷つくことは知ることだ』」。326p、

 建国大学で学んだ学生たち。本を読み終えて学生たちが目指した夢と理想とは何だったのだろうか、と思った。筆者が訪ねた人のうちから何人かを抜粋。個人的に関心を抱いたのは38歳で大学院へ入り、53歳で神戸大学の教授になった百々和。彼は教え子の学生に言っている。再度ここに記そう。

 ≪企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ―≫

 読後感はなぜかすがすがしい!

 百々和についてネットで調べた。「21世紀日本アジア協会」のHPに行きつく。URLはhttp://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum50.htm(参照)

 このなかで伊原吉之助は百々和の『自分史回想』の読後感を書いている。これも興味深い。今日はお昼から日本画教室。今日も元気で!

2016年5月6日金曜日

♪誰かがサズを弾いていた♪


 今朝の地元紙にヤドランカ・ストヤコビッチの訃報記事がある。すぐに♪誰かがサズを弾いていた♪を歌っていた人だと気づく。5年前に初めて聞いたこの曲をブログにアップ。我ブログの閲覧数の8番目に多い。哀愁を帯びた歌声とエキゾチックなメロディ。今聞いてもやはり素晴らしい!65歳の若さで亡くなっている。「サズ」、という楽器もこの曲で知る。

 ボスニア・ヘルツエゴビナの出身だそうだ。2年前、クロアチアに出かけたときボスニアを通過。ビルなどの建物の外壁のすさまじさを目にする。1992年に起きたボスニア紛争を思わせる銃弾の痕だ。その時は日本で活動。そして東北の大震災が起きた2011年ボスニアへ帰国する。

 いつ聞いても素晴らしい。ヤドランカ版♪月の砂漠♪のようだ。本人が歌う動画はハングル文字と日本語。ハングルは全く分からないけど音楽はどこも同じ。これをアップしよう。

 それにしても今年のGWはよく雨が降る。今日も雨。この3日間、読書三昧。昨日は一日『五色の虹』をブログに入力。草臥れる。明日、アップしよう。山下清展を見に行く予定も日を改めて行こう。プールも行きたい。だがこの雨では自転車に乗れない。これも日を改めて…。雨を嘆かず今日も元気で!

2016年5月5日木曜日

『虹の橋を渡りたい』&『人生に美を添えて』

 GWもお天気に恵まれて昨日のひろしまフラワーフェスティバルに2日目としては最多の53万3000人が繰り出している。東京にいる姪はモンゴルから帰ったとの報告が入る。一晩のうちに大雪になり、断水、停電、雪の中を歩いたり、車が動かなくなったりしたとか。それでもアドベンチャーだったと楽しかった旅のメールをくれる。添付写真は子山羊を抱っこしたもの。動物好きの姪らしく「可愛かったんよ」という。ただ、羊肉は困ったらしく、野菜を美味しく食べたそうだ。

 外モンゴルは行ったことがない。だが、ずっと前に内モンゴルへ行っている。同じくGWの時で宿泊のパオ(包、外モンゴルはゲル)の外を見るとやはり雪だった。姪のツアーは若い人が多かったらしい。乗馬体験などモンゴルらしい体験があり、落馬した人もいたらしい。首から手を三角巾でつるした人もいたそうだ。

 そういう報告とは無縁でGWはもっぱら読書三昧。『虹の橋を渡りたい』(中田整一 幻戯書房 2016年)、サブタイトルは「画家堀文子九十七歳の挑戦」を読んだ。この本はNHK勤務時代、ある番組で知り合った堀文子と交流がある筆者が堀の人生の聞き取りを続けてきたことを本にしている。
 
 「日本人は過去を忘れ歴史に流される今、堀文子さんの生き方を立ち止まって考えてみるのは意義あることではないか、と思うようになった」と筆者は「あとがきにかえて」でこう述べる。画家・堀文子の精神形成の後ろにある父の堀竹雄と夫の箕輪三郎。この二人は筋金入りの平和と反戦主義の思想の背景にいる影絵の人物であるという。そして背筋を伸ばしたぶれない生き方の堀。父と夫という二人に的を絞って徹底的に資料の調査を行って本にしている。

 「堀文子さんほど自然と共生して、草木と花、あらゆる生きとし生けるものに慈しみの心を寄せる人を寡聞にして知らない」、「六十代にアトリエ兼別荘を構えた軽井沢では、人間には馴れにくい野生の狐の餌付けを試みた。そして障子に穴をあけて、日々訪れてくるのを観察して山中独居を愉しんだという微笑ましい話もある」と本の終わりで堀をたたえて文を終える。

 またいつものように気になる個所を記そう。(文中に「堀」がないのは筆者の中田が堀の文を引用)

★人生は一炊の夢である。まことにはかない人の世で名誉や地位、財産、権力を競ってもどうなるものでもない。人間は等しく土に還る小さな自然の一部に過ぎない、と信じている。55-56p

★日本人のフォルムや色に対する意識は立体的に表現しようとしなかった。平面絵画を守った日本画の凄さが、いま、九十七歳で少しわかってきました。西洋の絵画は、彫刻の真似をしています。ところが日本画は理性の絵画ですね。絵というものは平面ではないですか。平面に立体を表現するときに、どうやって存在感を表そうかと、長年にわたって工夫してきたのが日本画です。…絵描きは雲水です。いわば一切の欲望を捨てて、美しい形に夢中になる奴がいいんです。そこに欲望が入ってはいけないんです。100-101p

★エラスムスは花で木でも、みなそれぞれがお互いを侵さず立派な生き方をしていると書いています。自然界は、平和で自立しているんです。平和こそ自然が人に与えた最良のもの、それを乱すのが人類の戦争なんですね。207p

★人生にたった一度だけ、初志を曲げて頼ったのがAIGのスターだった。勇気をだして”世界を見て見聞を広めたい、西洋のありのままを知りたい”と、手紙を書いた。スターに海外でのインビテーション(招待)、身元保証の依頼をしたのだ。218-219p

★送られてきた封筒のなかには、これらの国々へ三年間有効の航空券が同封してあった。218p

★ユカタン半島で見たマヤの遺跡の素晴らしさは私のかつての美意識を粉砕しました。ヨーロッパの合理的な美の原理とは全く異なる、現生よりは霊界との交信を思わせるこの簡素で優雅なマヤの美はわたしの魂に響きました。221p

★メキシコでの収穫がひかる斬新な一枚の絵「魔王の館」を出品した。…紙上に流した絵具の上に板を押し付け、それをはがした後にできる偶発的な絵肌を利用して描く絵画技法デカルコマニー(フランス語で「転写法」の意)という手法を取った型破りの日本画だった。堀の場合は、この時プラスチックの板に絵具を流し紙を押し付けて模様を創り、その上に絵を描いてみたのだ。234p

★欧州とアメリカに放浪の旅をつづけながら堀が考えたことは、ものづくりを生業とする人間は文明の便利さのなかにいると大切なものが見えなくなるという思いだった。…住み慣れた都会の暮らしを捨て、自然の草木と共生できる土地に移り住もうというのである。…探し当てたのが神奈川県大磯町、高麗山の山ふところの一隅である。239p

★二〇一五年の春、神戸の兵庫県立美術館で「堀文子『一所不在・旅』展」と題する特別展が開催された。堀文子の画業八十年を記念して百三十点の作品が展示されて注目を浴びた。四月から始まって二ヵ月足らずの展覧会に、五万四千二百人余の堀ファンなどの鑑賞者が訪れたのである。263p

 もう終わってしまったけれど、「堀文子『一所不在・旅』展」のURLは以下の通り。http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/index.html

★絶筆は虹を描き、その虹の橋を渡って黄泉の国へ行きたいと願う。人生の長い道のりでたゆまぬ努力と挑戦を重ね、人々の心を感動でつつんできた日本画家・堀文子、九十七歳。虹の橋は、自らの信じる道を全力で疾走してきたこの人だけが授かる天からの贈り物だろう。堀の絵筆が燃え尽きるまでには、まだたっぷりと時間は残されている。269p

 この本と同じ頃に読んだのが『人生に美を添えて』(大村智 生活の友社、2015年)。大村も堀のことを書いている。これも記そう。それにしても昨年「おとなび」を利用して神戸の美術館で見た堀の展覧会。今、思い出しても見に行ってよかった。もうすっかり堀文子のファンになってしまった!堀と同じく「虹を描き、その虹の橋を渡って黄泉の国へ」私も行きたい!

★ 私はナチスドイツのアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還したオーストリアの医師ヴィクトール・フランク博士の、「芸術は人々の魂を救い、生きる力を与えてくれる」という言葉に深く共鳴しました。…これからの病院は病気を診断し、治療するだけでなく、こころを癒す機能があるべきだと考えたのです。おかげで。メディカルセンターは「絵のある病院」として人く知られるようになりました。13p

★「私の絵には画風がありません。絵の師匠も弟子もおりません。群れず、慣れず、人に頼らず、同じものを二度と描いてきませんでした」とおっしゃる。この「群れず、慣れず、頼らず」という言葉は堀先生の信条であり、心を打ちます。175p

2016年5月4日水曜日

「知らぬが仏」

 「がん検診は99%が「誤診」?意外と知らないデータの真実」は昨日のヤフーの記事。がん検診は受けたことがない。がんにはならない、という変な自信がある。とはいっても一般検診は毎年2回受けている。今のところ異常なし。

 先日ある人と話していると健康な人がバリウムを飲んで受診したところ、それが排泄されずに非常な痛みを伴って救急で運ばれてお腹を切ったと聞いた。その後、その人は治ったお腹を再度切って何かを出したとそこまでは聞いている。元気な人がちょっとした手違いで余計な手術までして生死の境をさまよう。これほど恐ろしいことがあるだろうか。一緒にお話を聞いていた人はバリウムでなく胃カメラで検診すると話される。

 たとえがん検診を受けても90 %が疑いありとはほぼ全員ががん!?検診後の結果、陽性となればそれを聞いて精神が「がん」になりそうだ。余計な心配をするよりも「知らぬが仏」で生きていく。これでいい!
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mamoruichikawa/20160503-00057271/  (参照)

 一日中降り続いた土砂降りの雨。今朝は雨も上がってすがすがしい五月の空。昨日は一歩も外に出ずに本を読む。本のタイトルは『五色の虹』。これは第13回開高健ノンフィクション賞本賞受賞作品。ひさびさに本らしい本を読む。近いうちこれをブログにアップしよう。新聞の新刊紹介記事でこの本を知って読む気になる。とても感動する本だった。

 先日の旅で知り合った人はブログを拝見するともうすぐ地中海クルーズに行かれるそうだ。他の人も次はオーストラリア、と話されていた。皆さん、お元気で旅を続けられている。お元気で楽しい旅を…。

 GW真っ只中、さて今日は?ともあれ今日も元気で!

2016年5月3日火曜日

津和野の旅

錦川に80年も生き続ける鯉が泳ぐ つわぶきもある。
  新緑の5月、所属する某文化交流の会から22名でバスをチャーターして津和野へ向かう。その目的は日本画家平〇治氏の津和野での個展見学。お天気にも恵まれて絶好の行楽日和となった。平氏は日本美術院の院友。今年の春の院展に習っている日本画の先生とともに入選される。津和野の展覧会は「石州和紙に描いた日本画展」と題され「津和野街道&津和野多美(旅)の詩」とある。

 ここ津和野は20年以上前のお正月に母や姪たちと訪れている。太鼓谷稲荷神社と町を流れる川に鯉が泳いでいたことを思い出す。久々に訪れると災害などで川の水も汚れ、以前の清流に取り戻そうとされている。それでも鯉は被害を受けず大きく太って育つ。80歳(?)の鯉も多いそうだ。
街を縦貫する錦川
  町内の人から観光ガイドを聞いた後、お昼をいただく。5月はじめなのに気温はあがり、最高気温28度の予想。暑い!食後のフリータイムに皆で歩いていると会長は「焼きアイス」を目にされる。パンのようなものにアイスを挟んで焼いてある。初めていただく。いただく前、その場に立ち止まり「愛がある!」と言うと会長曰く「愛はないが金はある!」。お得意のジョークが出る。居合わせた人全員で会長にごちそうになる。謝謝!

 このごちそうはさらにある。数人で太鼓谷稲荷神社まで階段の道を上って参拝。暑い!汗が噴き出る。降りてくるとまたもや会長と遭遇。そして再度皆で会長から珈琲フロートなどごちそうになる。ここでもやっぱり「愛はないが金はある!」。冷たいモノでホッと一息。感謝!
焼きアイス

津和野川
  神社に参拝するとお稲荷さんの神社らしく、お供えの「揚げ」を目にする。神社の近くでお供え用の揚げを販売しているのだろう。
太鼓谷稲荷神社 お供え物は「揚げ」

神社を背に向うを見る
  神社参拝のあとはマリア聖堂に向かう。聖堂内は一般的には椅子が多い。ところがここは畳が敷いてある。3日開催の乙女峠まつりの山車(?)も用意されて聖堂の周りも準備真っ最中。

 久々の津和野の旅もあっという間に時間が過ぎる。次回、皆さんと会うのは7月の納涼祭。そして10月末の中国への旅となる。今日も元気を出して!

 忘れていることがある。津和野とは「つわぶきの野」からその名がついたそうだ。鯉が泳ぐ川のそばにはいたるところでつわぶきを目にした。
マリア聖堂

聖堂内部 畳が敷かれている
翌日に控えた乙女峠まつりの山車(?)

2016年5月2日月曜日

某ウインドアンサンブルを聞きに行く

 サキソフォン奏者の須川展也がゲストの演奏会に出かける。会場は旧厚生年金会館。大きな会場に着くと、会館の建物を囲むように人の列が続く。最後尾を探して長蛇に並んで会場に入る。座席はすべて自由席。人の多さに呆れてもうどこでもよくなる。やっとのことで中に入るとこれまた列が続く。客席をさがすとすでに満席状態。仕方なくどんどん舞台に進んで行くと通路側に席が一つ空いている。通路より中に座っていた男性に空席の有無を尋ねるとOKとのこと。なんと舞台から5列目の席。目の良くないモノにとっては良い席となった。

 市内にある某ウインドアンサンブルの第30回定期演奏会。この指揮者と須川は芸大の同級生だそうだ。その縁でゲスト出演。それにしても超満員の観客で演奏曲目もその内容も素晴らしい演奏会だった。もう満足!それにしても演奏曲目のうち、3曲はスペインにちなんだ曲。これもよかった。また演奏時間も3時間近くあった。

 演奏曲目は♪スペインの市場で♪、♪BIRDS -アルト・サキソフォンと吹奏楽のための協奏曲♪、♪グラナダ♪、♪追憶のテーマ♪、♪ミュージカル「レ・ミゼラブル」より♪、♪スペイン♪などあり、他にも多数演奏された。舞台も映像や照明など趣向を凝らしてとてもアマチュアとは思えない素晴らしい演奏会だった。

 アンコール曲も1,2曲でなく聞いた曲だが曲名はわからず。ただ♪この道♪だけはわかった。それにしてもサックスはいい!トランペットと絡むとなおさらいい!

 出かける前までカープの試合をテレビで見る。出ようとすると次第に点が入る。会場で列に並びながらワンセグで試合を確認。あわや、と思ったら何とか勝った!気を良くして演奏を聞く。演奏後に乗ったJRはカープ列車。今年初めて乗る。乗る前に急いで携帯で写す。黒田投手仕様の車両だったが、そこは前に人がいて写せず残念。写したのは背番号25の新井選手仕様の車両。

 昨日の中国新聞に「日本画で伝える津和野街道の多美(旅)」、サブタイトルは「廿日市の平さん個展」の記事がある。今朝は早くからその人の絵を見に津和野へGO~。某文化交流の会の行事に参加する。今日も一日元気で!

カープ列車

2016年5月1日日曜日

「元気で 楽しく 一生懸命」

 起床前に携帯でワンセグを見る。「ボクらの時代」に柴田理恵、久本雅美、林家正蔵の3人が出演。ほんの2,3分くらい見る。番組も終わる寸前なのか最後の締めで、それぞれいいことを話す。

久本 「自分に飽きないように前進し続ける」
林家 亡くなる寸前の先代との会話から「元気で 楽しく 一生懸命」と教えられる
柴田 「昆布のように」(だしを取る材料の昆布は他のどんなだしともあう)

 このうち林家の「楽しく」は「明るく」の聞き間違いかもしれない。ともあれ柴田の「昆布」は思ったこともないけれど言われてみればそうかもしれない。他の2人の言葉は同じ意見。とくに林家の言葉はいつも心掛けている。

 新緑の季節。昨日届いた郵便物に6月にでかける予定のバス旅がある。催行されないモノと思っていた。とりあえず、GW明けに旅費を振り込もう。他にもジパング倶楽部、美術館友の会などいろいろ届く。書類を見ては遊ぶ計画を立てる。これも楽しみといえばささやかな楽しみ。

 その合間に泳ぎに行く。昨日も1キロ泳ぐ。水中歩行の人よりも泳ぐ人が多い。平日でないため、親子連れもやって来る。そういえば、図書館に予約していた水泳上達泳法の本、2冊確保。本に頼ってもうまくならない。そう分かっていてもうまくなるかも、と思って見てしまう。

 今夜はサキソフォン奏者の須川展也がゲストの演奏会。かなり前からチケット購入。今日も元気で!

 動画は♪精霊の踊り♪から。この人のフルートも哀愁があって素晴らしい!