2021年1月31日日曜日

「貂の皮」<『馬上少年過ぐ』収録>

 昨年末出かけた播州。素麺の揖保乃糸で有名な地だ。「貂の皮」<『馬上少年過ぐ』収録>(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)を読んでいると出かけた地の話題がある。以下は『馬上少年過ぐ』収録の「貂の皮」から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★播州宍粟郡(しそう)の山中で三つばかりの渓流が合うと、揖保川になる。ながれのはやい川で、ここからは播州平野という竜野の町まできても、川の瀬々にはたえず波がしらが立っている。竜野には、朝夕、深い川霧がたつ。そうめんも産する。338p

★貂によって象徴される脇坂氏は、豊臣・徳川の諸大名のなかまではごくめだたない。あくまでも貂のように小動物であり、目立たぬことを本領にしているようである。二代目の脇坂安元、号は八雪軒というひとは、関ヶ原から大坂の陣、徳川初期にかけてのころのひとだが、この時代にはめずらしく和歌に長じていた。三代将軍家光の寛永年間、幕府はたいそうな調査事業をした。諸大名や旗本の系図を編纂することであり、いかにも泰平の世らしいひま仕事である。ところが徳川大名の氏素性などはまことにあやしく、その始祖のほとんどは戦国の風雲に乗じてのしあがった卑賤の徒である。しかし大名ともなればそうは言えず、適当にうその系図をつくりあげて幕府にさしだした。大名だけでなく、この幕府事業によって寛永から寛政期にかけて系図づくりが流行し、百姓・町人までが系図を創ったりした。遠祖は源氏、または藤原氏などという日本人の家系図の九割以上はうそであるが、そのほとんどはこの時代に創作された。339-340p

★――これは、よほどの器量人だ。と、この悪右衛門をひと目みたとき、おもった。道具だての大ぶりな顔で、皮膚は赤く、眉が濃いが両目は婦人のようにやさしげで、まぶたがゆるゆるとまたたいている。甚内は秀吉につかえ、その主の信長という人物も知ったし、のちに家康にも昵懇したが、しかしいかにも英雄らしい神韻を帯びた相貌をもっていたのは、丹波の山奥の豪族であった赤井悪右衛門だけであった、と晩年まで語った。……赤井家は丹波では源平以来の家で、ここ数代船井郡を領し、国中でも「赤井の政所」と敬称されている。悪右衛門は年少のころ舅の荻野某を攻め殺してその城を奪ったため悪といわれたが、悪は強奸、という意味にも通じるため、もともと右衛門慰(うえもんのじょう)といったこの男が、みずから称してこの悪を名乗りに用いるようになった。355-356p

★「これは礼だ」といって甚内のひざもとに進めたのが、世にひびく赤井の貂の皮の指物である。……「わしは、自分の五十年の生涯でこの貂の皮という家宝を兄から譲りうけたときほど、うれしいことはなかった。これを嗤うか」と、悪右衛門はいった。たかが田舎豪族の家宝である。362-363p

★秀吉の宣伝によって、七人の指物までが天下に喧伝された。福島は紙の切裂シナイ、加藤虎之助は四手バレン、加藤孫六は紫母衣(ほろ)、片桐助作は銀の切裂、平野権兵は紙子の羽織、糠屋助右衛門は金の角取紙(すみとりがみ)、それに脇坂甚内は、貂の皮である。「貂の皮」というのは、その来歴が来歴であり、それが天下に二つとないだけに、世間で武辺を心掛けるほどの者はことごとく知った。甚内の名は、一躍あがった。373p

★甚内は、城を獲た。要するに、わずか二十騎で、伊賀国の首城である上野城に乗り入ってしまったのである。甚内は城頭に貂の皮の馬標を押し立てた。……甚内は、従五位下中務少輔というものをもらった。……これが、天正十三年の一カ年のうちの累進だから世人はおどろき、――貂の皮の験(げん)であろう。と、甚内の器量によるものとせず、そういう不可思議な力のせいにした。388-389p

★「貂」といえば明軍の士卒でも、それが倭の脇坂軍であるということを知るようになった。390p

★貂は、劫を経れば人をだますという。甚内も若いころから世の移り変わりのなかで齢をかさね、やがては事に古り、ついにはかれが陣頭にかかげている貂のようなあやしげな老人になっていたのであろう。徳川の初期、豊臣系の大名のとりつぶしがあったとき、甚内の朋輩だった福島正則も没落し。清正の加藤家もとりつぶされた。七本槍の仲間のうち、大名では脇坂家だけがのこり、貂の皮は参勤交代のごとにつつがなく江戸播州平野の間を上下した。めでたいというほかない。395-396p

2021年1月30日土曜日

「抜萃のつゞり その八十」が届く

 寒くなると起きるのが遅くなる。アラームをセットして寝ても効果なく寝てしまう。日中は暖かくなりそうなので起きている間は動くようにしよう。

 数年前から建国記念を奉祝する会から建国記念日の知らせが届く。今年の知らせは昨年末に届いた。だが、来月のその式には参加しないと決めていた。昨日、届いた葉書にはコロナ禍により今年の式典は中止とある。これも仕方ないかもしれない。昨日は他にも某有名金庫メーカーから「抜萃のつゞり その八十」が送付される。この冊子の送付は数年前、この会社が毎年行う講演会を聞きに行ったことに始まる。

 四十五万冊の冊子を国内はもとより世界各国の大使館などに届けている。どんな企業もずっと第一線を駆け抜けるのはむつかしいこのご時世だ。が、この企業は世の中の信頼が厚いのか金庫メーカーとしてトップを走り続けている。企業理念がよほど立派な会社なのだろう。

 本、新聞、メディアなどを通して自分が気に入った言葉をブログにアップしている。これはあくまで個人が気に入ったことばかり。本や新聞を読んでも人それぞれ感じ方は異なる。送られた冊子の全部をまだ読んでいないが、何十と取り上げた中に自分と同じ記事は全くない。というか、抜萃のつゞりも編集する人の手によるのであればそれも当然のことかもしれない。といいながらも、取り上げられた記事は人を元気づけるものばかりだ。そういう点では自分の考えと同じかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月29日金曜日

あんみつ姫とあんみつ丸

 近所のスーパーへ行くとミカンの売り場に「あんみつ姫」が売られている。1,2年前にこれとよく似た「あんみつ丸」を買ったことがある。あんみつ丸を買う際、名前が姫?ではと訝った。今回はあんみつ姫と何の違和感もない。ところが以前買ったのは自分の名前間違いでは?と思い出す。先ほどあんみつ丸もあんみつ姫も佐賀県で栽培されており、姫も丸も販売されていた。農業向上委員会というHPを見ていると以下のような掲載がある。

★「貯蔵みかん」としては、糖度も特に高く、他産地との相違は「マルチ栽培」であり、木の根元に純白のシートを敷き詰めて、太陽の光を反射させて余分に水分を吸収しないよう調整され、蔵の中に約2ケ月程度(24時間体制で管理)5度~7度(湿度80%程度)で熟成され、酸味を和らげ、蔵出しあんみつ姫(あんみつ丸)の出荷となる。農林水産大臣賞受賞の「みかん」は、糖度12度以上を「あんみつ姫」13度以上は「スーパーあんみつ姫」である。(参照)あんみつ姫 地域ブランド果物 -農業向上委員会 (nousan-koujouiinkai.com)

 昨日買ったのはあんみつ姫。袋を改めてみると「JA佐賀大和 農林水産大臣賞受賞 蔵出し」のシールが入っている。1個の大きさは伊予柑とミカンの中間くらい。いつもはミカンといえば地元の大長ミカンを食べる。しかし、あんみつ姫は袋に入ったのを見ても美味しそうだ。6個入り1袋を購入。

 我が家の近くのスーパーは九州に本部がある。そのためか乳製品は熊本、葉物野菜類は福岡、果物類は佐賀産を多く販売している。なかでも熊本のチーズヨーグルトが好物。だが、いつも売っているとは限らない。

 今日は最高気温4度と温度は上がらないようだ。毎日出かけるスーパーも今日はズル休み!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月28日木曜日

ペペロミアの花穂(かすい)


  昨年9月のお彼岸に近くの花屋で買ったペペロミアの小さな鉢植え。葉っぱがまるで蝋細工のようで、生きた植物に思えない。毎日、手に取って鉢植えを眺める。真ん中に1本伸びている葉っぱ(?)は他の葉っぱのように開こうとしない。買って以降、4か月になる。その間、2本の茎から2,3枚の新たな葉が出てくる。しかし、この1本だけはどうも他の葉っぱとは違う。そう気づいて再度手にとって近づけてみる。触ると穂にざらざら感がある。これは葉っぱではないようだ。

 電子辞書のブリタニカ国際大百科事典でペペロミアを調べる。「――花は細長い尾状の花序に花被のない両性花を密生し、黄緑色で目立たないが、多数の花穂を林立させるものが多く、多肉の葉とともに観賞用とされる……」とある。

 多数の花穂を林立、とまでは至らないが、1本だけ10㎝の長さの花穂が立っている。今はこの花穂の意味が分かったからいいようなものの、わからない間は、毎日これが開いて葉になるものと思っていた。そして、これがどうやって開くのかずっと疑問だった。知ってしまえば納得がいく。それにしても「花穂」(かすい)の読みを間違えていた。稲穂は「いなほ」のままなのに花穂は「かすい」の読みになる。大百科事典に羅列の「花序」「花被」「花穂」のどれもはっきりとは意味がつかめず辞書で確認してやっと理解する。

 ペペロミアは屋内で育てる観葉植物でそれほど大きくならないが、次々に葉は出てくる。出てきた葉も光沢があり、まるで蝋細工に見える。手間いらずのペペロミア。挿し木で増やせるらしい。春になったら他の鉢に挿し木しよう。うまく増やせるといいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月27日水曜日

パンケーキを作る

  雨の中、郵便局へゆく。今年の年賀状のうち2枚ほど切手シートが当たった。その交換と某研究会の年会費を振り込みにゆく。いろんなところに首を突っ込んでいると、この時季、その場所から年会費などの振り込みが集中する。その一番手が昨日の会費だった。この会から昨年末、理事会の会長や役員などの人事選考の書類が送付された。大概のことはその日のうちに返送する。だが、これに関してはだれを選んでよいかわからず、結局、返答しないままになった。この点は反省。

 振込用紙とともに会報が送付される。昨年から年4回の会報も3回の発行になった。年々、頭が錆びつく気がして送付される会報を読んで頭を活性化させる。とはいっても自分が学んだジャンルとは違う分野の史料の掲載もある。これを読むのは大変。が、わけのわからない文を読むとさらに頭が活性化しそうで読んでゆく。

 郵便局で用を済ませた後は久しぶりにホットケーキミックスを買いにスーパーへ行く。大きな袋の中に小分けした3袋が入っている。この1袋でパンケーキが4枚焼ける。ところが配分を間違えて5枚焼いた。1枚目の裏の焦げ目は渦を巻いている。2枚目は焼けた面が少々黒くなった。3枚目から5枚目になると焼き方も慣れてきれいな薄茶色で焼けた。NHKプラスを見ているとパンケーキの作り方がある。粉は市販のホーットケーキミックスを使用。ただ、パンケーキも百種類以上あるそうだ。その2番目にバナナを入れたパンケーキがある。これは何も入れないのと同じく簡単にできそうだ。近いうちこれに挑戦しよう。

 冬の雨の日に急に思いついたパンケーキ。何でも思いつきというか、ひらめきを大事にして行動している。さてさて今日は何がひらめくことやら……。

 話は変わって昨日ネットを見ていると東貴博が駒大合格との記事がある。駒大といえば萩本欽ちゃんも入学して学んだ。欽ちゃんは東貴博の父、東八郎によくしてもらった。その矢先、55歳の若さで八郎は亡くなる。欽ちゃんは八郎の子、東貴博を気にかけた。そんな関係から貴博は欽ちゃんが学んだ大学で学ぼうとしたのだろう。この記事を読んで関係ないものであっても応援したくなる。

 何歳になっても自分がやりたいことをやる人は幸せな人。そう思っている。ナニゴトも冷めた目で見るのでなく、やる気がある人が好きだ。人生これから何が待っているかわからない。その思いが常にある。自分がやりたい、と思ったら何歳であっても行動するに限る。

 今、やっと晴れてきた!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月26日火曜日

金時豆を煮る

  年末に新年の無事を祈って黒豆を煮た。買ってきた黒豆一袋を一度に煮るとすぐには全部を食べきれない。ここは冷凍保存OK?と思ってネットで検索すると大丈夫だ。3分の2は保存袋に入れて冷凍保存した。昨日、最後の袋を冷蔵庫から出して再度煮て今度は冷蔵保存。毎日、食べている。

 黒豆に気をよくして昨日はスーパーに出かけて金時豆を購入する。うずら豆と金時豆の違いは色でも見分けがつく。ネットで検索するとうずら豆は元はアメリカからの輸入品で金時豆はインゲン豆の種類らしい。小さいころはうずら豆を食べていた気がする。

 昨日からこの金時豆を煮ている。豆の入った袋の裏面に調理法が書いてある。黒豆の時とは煮かたが異なるようだが、金時豆のほうが早く柔らかくなるようだ。これから砂糖で味付けをする。250g入った大正金時豆は約130g砂糖がいるらしい。が、甘さ加減は適当にしよう。

 コロナ禍になって外に出る機会が減ってきた。暇つぶしに簡単にできそうな料理を作っている。豆を煮るのもその一つ。一人暮らしだと「ちゃんと料理している?」と聞かれることがある。その点は大丈夫。健康の第一は食べ物にある、と思っている。そういう面でも食はおろそかにできない。二つ目は動くこと。これも泳ぎに行けないのでなるべく外を歩き、家ではこれまでやっていなかった我流の体操で体を動かしている。そして三つめはよく寝ること。年を取ると寝られない、と聞くことがある。なぜ眠られないのか不思議で仕方がない。真冬は冬眠するのかと思うほどよく眠る。これで元気を保てればなんと気楽なこと、と悠長にかまえる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月25日月曜日

金剛峯寺の襖絵

  高野山金剛峰寺の襖絵は千住博が描いた。高野山へは昨年秋、初めて出かけた。金剛峯寺の襖絵は出かけたときはすでに完成しており一般公開されていた。完成した襖絵を見る前までは千住博が描いたことさえ知らず、現地の案内で知る始末。NHKの番組で一昨日の夜、その一部始終が放映された。金剛峯寺には長い間、何も描かれていない襖の間があった。この二間に44枚の襖絵を描く役を千住博が担う。日本においての制作でなく、描く場所はニューヨーク。大きな和紙に描いた「崖」と「瀧」の襖絵が完成した。

 有名な場所で著名な画家による絵の制作はよくある。しかし、今回の襖絵の制作はまさに一大プロジェクトで見ていてもなんと大掛かりなことか、と驚いてしまう。絵を描くといってもまるでペンキを塗るような面もある。だが、それは絵を完成させるまでの一部分の工程で画家本人の試行錯誤は描く和紙一枚を見ても簡単なことではなさそうだった。

 和紙は日本から取り寄せる。和紙の厚さや硬さがあり、和紙であればなんでもいいとは限らない。和紙をもんで自然な雰囲気を出そうとする。だが、画家はもみ具合や紙の厚さなどが納得できない。たとえ絵が完成してもその後は襖としての仕上げがいる。和紙に描かれた絵はアメリカから航空便で日本の表具師に送られる。そこで襖に表装されてやっと完成した襖が出来上がる。この作業もなみの業者では困難を極めそうだ。すべての工程は専門家の手にゆだねられて襖絵は完成。絵の構想から完成まで実に6年の歳月が流れていた。

 千住博は瀧を描く際、この奥には御大師様(空海)がいらっしゃる、と話した。絵が完成して一般には公開されない部屋に通された千住博。その場で見たのはまさに「この奥にいらっしゃる御大師様」だ。「本当に御大師様がいらっしゃる!」と驚く千住博。襖絵が完成した際の一番のハイライトシーンだった。

 1千年もの間、金剛峯寺の白いままの襖44枚は見事に完成した。この襖絵はこういったいきさつがあったと知って見ると、少しは違って見えるかもしれない。どうこういっても昨年秋に初めて金剛峯寺へ出かけた。高野山は一度や二度くらいでは広すぎる。次に行くときは金剛峯寺の襖絵がさらに神々しく見えることだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月24日日曜日

「長崎街道」を見る

 先日の新日本風土記は「長崎街道」だった。番組HPによると以下のように書いてある。

★長崎から北九州小倉まで続く長崎街道。シュガーロードとも呼ばれ砂糖など海の向こうからやってきた珍しいものは、街道を通って日本列島へ。街道沿いには象が泊まった寺にシーボルトが特別に入浴を許された名湯。街道で生まれた“食べる宝石”大隈重信お気に入りの丸ぼうろや小城の羊羹。石炭王・伊藤伝右衛門と美貌の歌人・柳原白蓮が愛した饅頭も。春節を祝う長崎ランタンフェスティバルに託す長崎人の思いとは。長崎街道の物語とある。

 恥ずかしながら長崎街道という言葉さえも知らずにいた。この街道がシュガーロードといわれる所以が番組を通してわかった。昔から馴染みある長崎の長崎カステラ、佐賀の丸ぼうろ、飯塚のひよ子、小城の小城羊羹は有名だ。長崎街道の始発というか終着点は小倉。小倉で有名といえばバナナのたたき売りがある。ひよ子饅頭は今や東京名物らしいが元々は飯塚市が発祥の地だという。

 バナナを除いてすべての菓子類は砂糖が主役となっている。小倉では船から航空機の発展によりフィリピンからバナナが輸入されると、その場で売るバナナのたたき売りが有名になった。今では観光のためにボランティアでバナナのたたき売りを伝承している。
 
 長崎ば海の玄関口であり、華僑の人の存在がある。長崎ランタン祭りは華僑の人たちによって今も引き継がれる。

 長崎は中学校の修学旅行で行った。30年近く前には友達3人で青春18きっぷを利用して長崎オランダ村に出かけたことがある。18きっぷではその日に帰られず、一部区間は特急を利用しことを思い出す。小倉から長崎までの長崎街道は行ってみたいリストに加わりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月23日土曜日

再興第105回院展を見に行く

  1か月余ぶりに街中へ出る。広島駅は工事真っただ中で、バス乗り場に行くにも騒音で慌ただしさが増す。駅ばかりでなく、その周辺は工事だらけ。これから5年間も工事が続くと思うと先のことが読めないものにとっては何だか変な気持ちになる。

 デパートの広島駅前店と八丁堀店で開催中の第105回院展を見る。前日は開催初日。今年の再興院展は初日のオープニングセレモニーはなかった。これもコロナ禍によるのだろう。初日の人出を見越して2日目に絵を見る。昨日は一日中、小雨と曇天の日で絵を見る人も少ない。というか、コロナ禍で外に出ようとする人が少ないのだろう。

 まずは八丁堀店の院展会場を目指す。習っている日本画の先生の絵は会場入り口付近に展示されていた。大きな絵でタイトルは「里の道」。まさにタイトル通りの絵でなぜか懐かしさが漂う。光の刺し方が際立つ絵だった。他にも河野哲也の「歳月(とき)今」、鈴木恵麻の「虚(うつ)ろ」に魅せらる。

 絵を見ていると小さい文字で何やら書いてある。よく見ると個人で楽しむ分には撮影OKとある。カメラを持参していないので携帯で気に入った絵を写した。写真に収めなくても院展のHPを見ればすべて絵は見られる。描いた人の名さえわかれば後で見ることも可能だ。

 院展会場を後にして1階下で開催中の院展秀作展と守みどりの個展を見る。秀作展の絵は日本美術院の同人などの絵であり、5,60号サイズの絵で2千6百万円の価格がついている。数字のけたを何度数えても千万円の位だ。この価格の絵がちょっとしたマンションというか家が買えると思うと見ていてなんか変な気持ちになる。

 隣の個展会場の守みどりの絵は今回の院展に無鑑査で出品してある。個展の絵の価格を見ながら絵を見る。数十万から百万単位の絵が多い。この人の履歴を見るとこれまでの院展でも多くの絵が入賞している。どちらかというと女性が好む絵のようだ。

 街中に出てきたのだからと隣の三越に行ってみる。ここで夕食になるものを物色。美味しいものがそろっていた。その中から買って帰る。次に向かうはバスで移動して駅前店の院展。こちらは抽象的な絵が多い気がした。いわゆる日本画とは思えないような絵が気になる。凡人にはどう見ても何が描かれているのかさっぱりわからない絵もある。

 もう1枚チケットが残っている。来週もう一回、八丁堀店の院展を見に行こう。くすぶった毎日を過ごしている、昨日はあいにくお天気が良くなかった。が、冬とは思えないほど気温が高く、動きやすい日だった。さわやかな風を吹き込むためにも時に街中に出る。遊ぶ機会が減った今、外に出て気持ちを入れ替える。これは大事なことかもしれない。絵を見た後はデパート内のカフェに入る。先客が1人いた。そのうち 1人に……。コロナ禍で皆、家でくすぶっているのだろうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月22日金曜日

寒行


 昨夜、お寺から寒行に参られる。この日から今年のお寺との付き合いが始まる。お上人夫妻が参ってくださったようだが、帰り際「お元気ですか?今年もよろしくお願いします」と話される。この時の返事はいかに?と思いつつも変な返答をしてしまった。「ありがとうございました。年を取りました」と。なぜそんなことを言ったのか、我ながらあきれてしまう。というかお寺から今年もよろしく、とはどういうこと!?

 先日、FMから流れた「雪の降る街を」。イムジチ合奏団の演奏のようだ。歌でなく楽器の演奏を聴いて、これはフルート曲集「日本のメロディー」に入っていると思った。いつもはクラシックの曲を吹いている。しかし、この曲をイムジチ合奏団の演奏で聞くとまさにクラシック(?)。早速楽譜を取りだして吹いてみる。クラシックの曲と違って聞きなれたメロディーは初見で吹ける。だが、きれいな音で吹こうと何度も吹いてみる。「雪の降る街を」はこの大寒の時季にぴったりと合う曲だ。だが、今年の大寒は暖かく、雪の降る街とはなりそうにない。

 この時季、「雪の降る街を」と合わせて「ペチカ」も似合う。「雪の……」は中田喜直、もう一方は山田耕作の作曲だ。それにしても山田耕作、とはいいネーミング。本名だろうか?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2021年1月21日木曜日

積ん読

  森本哲郎の『日本のふるさとを求めて』をやっと読み終えた。昨日から中村真一郎の『冬』を読んでいる。この本は1984年に購入して積ん読状態だった。司馬作品を2年余り読んでいると作家の文に慣れてくる。そのため森本哲郎の本の読み始めは読みづらさがあった。が、それも徐々に慣れる。ところが今回の中村の本は読みづらさも半端でない。文の一段落がとても長い。さらに文の半分くらいに「()」がついている。「()」がつく文とつかない文との違いにはわけがある!?文の表記法を調べないとその意味がわかりそうにない。

 社会人大学生として学んだころ、「文を短く」と聞かされた。書き方も時代によるのだろうか。ともあれ、今回は中村真一郎の本を読み終えたい。だが、時間はかかりそうだ。

 と思いながらも家の本棚の本を探す。井上靖の「歴史紀行文集」全4巻のハードカバー本が本棚に鎮座する。これは1992年発行の本で28年間も本棚で眠ったままだ。この本も真新しく1冊は4200円。中村の本が1冊1900円でも高い本と思ったら、こちらはその倍以上もする。当時、いかに井上靖にあこがれていたかが、この本を見てもよくわかる。それなのに読まずにいたとは情けない。

 図書館はまだまだ開館しそうにない。それならばと家にある本を眺めては読む本を探している。本棚に入るだけの本を保管するのが理想。だが、どうしても先ほどのように購入したのはいいが読まずにそのまま本棚で眠ったままの本もある。家にある本を一か所にまとめればいいものをそのままにしている。

 今日からこの先1週間は気温も13,4度になる日が続きそうだ。暖かくなれば本の整理をする、となればいいけど、さてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月20日水曜日

「重庵の転々」<『馬上少年過ぐ』収録>

  今月の広響定演は延期となっていた回と本来の回がいずれも中止となった。定演の会員の有効期限は4月まで。昨年からの定演延期は今年になっても引き続いており、どれがどの定演かわからくなりつつある。今年度の会員券で聞きに行ったのは結局1回だけ。4月からの来年度は会員をやめるつもりでいる。これもコロナ禍のせい!?

 以下は閑閑に読んだ「重庵の転々」<『馬上少年過ぐ』収録>(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)から気になる箇所を抜粋したメモ。『馬上少年過ぐ』には司馬作品の短編小説が数篇収められている。「重庵の転々」もそのうちの一つ。

★奥州の探題とまで俗称された伊達家は政宗が中興させ、戦国期に英雄的な活動をしたことはよく知られている。政宗の時代、中央に豊臣氏が興ったためやむなくその傘下の大名になった。政宗の長子は、庶子ながら秀宗という者だった。六歳のとき、他の大名の例にもあるように大坂の秀吉の手もとに送り、そこで養育された。人質である。秀吉はこの秀宗を愛し、幼童の身ながら朝廷に奉請して従五位下遠江守(とおとみおかみ)という位階をもらってやった。これが関ヶ原ののち徳川氏の天下になってかえって仇になり、父親の政宗は、(秀宗は豊臣家と深すぎる。次男の忠宗を立てるしかない)と、忠宗を仙台伊達家の相続者にさせた。徳川氏は、その政宗の心事をあわれんだらしく、長子秀宗のために伊予宇和島十万石を用意してそこに移した。これが、民族移動ともいうべき宇和島伊達家の成立のいきさつである。246-247p

★重庵がこのような治療をつづけるうち、一月ばかりであれほど性悪な腫物がすっかりよくなり、あとは肉のあがるのを待つばかりになった。ひとびとは奇蹟だと評判した。この重庵はそのまま侍医になった。その後二年してさらに変転し、月代を剃って武士になり、吉田伊達家の家老になったというのだから、物事のはじめのころというのはまるで神話のような奇蹟をうむ重庵は生きながらにして神話のなかの人であった。255-256p

★筆者はその後、この老人のいう伊予吉田の町にゆくことがあり、暑い日で、あまりの照りのはげしさに雑貨屋に寄って漁師のかぶるムギワラ帽子を買った。買っているとき、不意にあの仙台の老人のことをおもいだし、――あの老人は山田重庵の子孫ではあるまいか。とおもったりした。それを思いつつ、この噺を書いた。書くについてはなるべく残されている資料を尊重しつつ書いたが、主人公の名前だけは一字変えた。実在した山田重庵は、じつは山田文庵である。280-281p

 この小説を読んでまだ出かけていない宇和島に行きたくなる。早速ひらめきノートに宇和島行をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月19日火曜日

吉野山の金峰寺

  新年になってひらめきノートに思いつくままをメモしている。SNSやテレビなどのメディアを通して知った、気になる情報もメモする。最近はある人のインスタグラムに掲載のカマカニを使ったサラダにハマる。カマカニはこれまで購入したことがなかった。当然、家で食べたこともない。サラダといえばポテトサラダくらいしか頭に思いつかなかった。それがカニカマにハマるとインスタで知ったセロリのほかにも相性がいいものがあると気づく。それは玉ねぎ。すぐにメモする。融通が利かない頭でも入れる材料が徐々に増えてゆく。

 昨夜、ひらめきノートにメモしたのは所ジャパンで見た吉野山の金峰寺。コロナ禍の今、どこへも遠くへ行かれない。それならばとコロナ禍明けを目指して遊びに行きたい場所をメモしている。海外は当分望めそうにない。国内でまだ出かけていない場所へ行く、これは大きな楽しみとなりそうだ。

 奈良は広島からそれほど遠くでない。それにもかかわらず、京都に行く機会と比べると少なすぎた。コロナ禍が収束しても関西は観光地なので行くのも大変かもしれない。ましてや吉野山はこれから桜の季節になると人でごった返しそうだ。といいながらもどこかへ行こう、と思えば元気も出てくる。せいぜいコロナ禍後の楽しみとして行きたい場所をどんどんメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月18日月曜日

「がんばれ!!がんばればなんとかなる」

  日中はパソコンと本に向かい、夜はテレビ三昧の一日で夜が明けた。清原のツイッターを見ると「がんばれ!!がんばればなんとかなる」と励ます人の色紙がある。これを見て本当にそう思う。夜見たテレビは「新BS日本のうた」。森進一がスペシャルゲストで歌っていた。ある歌の中に「――あの人も、あの人も、はげましてくれた……」のフレーズがある。

 人を励ます人は幸せな人、と自分自身が物心ついてから気づいたこと。決して不幸の真っただ中にいる人は人を励ますことはできない。その思いがあるので人に優しくできる人は幸せな人だ、と思うようになった。その反面、人をけなす人は不幸せな人である。

 この頃は歌番組を敬遠していた。昨夜は番組欄に出ていた森進一に惹かれて歌を聴く。久々に見とれてしまった。

 何もかも手に入れた幸せ万々歳の人よりも何か弱みというか影がある人が好きだ。挫折を知った人が這いあがる姿がいい。そういう人に惹かれてしまう。這い上がるにはがんばるしかない。「がんばれ!!がんばればなんとかなる」。これはいい言葉。自分自身がこれまでを振り返ってもピンチの時はいつも誰かが励まし助けてくれた。その人たちには本当に感謝しかない。これからも「なんとかなる」気持ちを大事にして「がんばる」しかないようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月17日日曜日

スピン

 次に読むのは中村真一郎の本。この本のしおり紐は紐が伸びた跡がない。ということはしおり紐さえも使わずに読むのを中断したことになる。このしおり紐、どういう名前かはっきりとは知らずにいた。早速ネットで検索すると「しおり紐」や「リボン」とある。業界用語は「スピン」というらしい。日常、何気なく使っているモノ、コトもその名さえ知らずに使っていた。

 話は変わって 練習しているマルチェッロ作曲のアダージョは曲集によると以下のような解説がある。

★マルチェッロはヴェネツイアの貴族の家柄で、自宅でコンサートを行い自作の曲を発表していた。このアダージョは、……現在では兄アレッサンロのニ短調のオーボエ協奏曲の第2楽章ということが分かっている。J.S.バッハがイタリアの協奏曲を勉強するために鍵盤楽器用に編曲しており、この楽譜の装飾は、そのバッハのものを採用している。なお、この曲はイタリア映画「ヴェニスの愛」のテーマ曲として使用されたため「ヴェニスの愛」と呼ばれることがある。

 映画「ヴェニスの愛」は見ていないが、曲としては物悲しさが漂う。

 毎日コロナ感染者数が発表される。数字を見てもマヒするのか、他人事のように思える。それでも今週開催の院展はコロナ禍を気にしながら見に行く。嫌なニュースばかりの世の中、なるべくニュース番組は見ないようにしている。そうしないと自分の気持ちがニュース負けしそうだ。それよりも楽しく笑って過ごす方が自分にとってはより大事。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月16日土曜日

もうすぐ大寒

  年が明けるとすぐに寒に入る。大寒になるとお寺から寒行に参られる。用意するのはお布施。毎年のことながらこの時季から今年のお寺との付き合いが始まる。寒に入ればほかにも年賀状代わり(?)の寒中見舞いが届く。昨日、1通届いた。その前にも届いているので今年は2通になる。いずれも身内の不幸がつづられており、2通とも親が95歳で亡くなられている。母も95歳で亡くなった。個人的には、以前は88歳が長寿の分岐点と思っていた。が、どうもこの頃は95歳というか100歳前後が長寿の分岐点かもしれない。といってもこの年齢まで生きれば十分長寿。しかし、自分の親を思うと何歳になっても決して十分生きた、とは思えないから不思議だ。

 昨日はほかにも日本画の先生からメールが届く。今月の教室は市の施設利用なので教室が使えない。昨日、その施設の休館がさらに来月7日まで延びた。図書館も同じく休館となる。来月の日本画教室の日程が変更となるメールだった。だが、休館が続けば教室もどうなるかわからない。

 図書館の利用は当分望めそうにない。こうなったら我が家の本棚でまだ読んでいない本を整理して読むしかない。昨日、ハードカバーの本で本の14頁に何かはせている。多分この辺りで読むのを中断したのだろう。今から36,7年前に買ったと思われる本の価格を見ると1900円だ。当時の金額としては安い価格ではない。箱に入った本なので今、購入したかのように真新しい。中村真一郎の本だ。

 その頃を振り返ってみるとやっと自転車に乗れるようになり、泳ぎに夢中だった時期だ。他に中国語を必死で習っていた。だが、まだ海外旅行に行き始めておらず、今、楽しんでやっているフルートも日本画も習っていない。くすぶっていた気持ちにやっと火が付き始めたころかもしれない。今読んでいる『日本民族のふるさとを求めて』を読み終えると次は中村真一郎の本を読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月15日金曜日

「馬上少年過ぐ」<『馬上少年過ぐ』収録>

 昨日のメディアによると広島市は緊急事態並みの要請を出した。この調子だと17日までとなっている図書館などの休館はさらに延長になるかもしれない。せめて図書館の開館を、と願わずにおれない。2年余りの間、司馬作品にハマっている。だが図書館で借りた司馬作品もすでに読み終え、今は我が家にある森本哲郎の本を読んでいる。『日本民族のふるさとを求めて』を読んでいるが、読み始めは司馬作品とは違った読みづらさがあった。が、それも慣れると読んでいて楽しい。この本の発行年は平成元年。すぐにはこの年を西暦に置き換えられないが、いずれにしても今は平成が終わって令和の時代になった。ということはこの本は30数年前に買って、その間ずっと我が家の本棚に眠っていた。それを呼び覚まして読んでいる。

 30数年前といえば海外旅行に行くのが楽しみの全盛期だったかもしれない。ゆっくり本を読むゆとりもなく過ごしていたのだろう。今読み始めるとこの本にも夢中になる。まだ出かけていない南インド辺りの話題もある。

 南インドといえば旅で知り合ったお坊さんたちは昨年までの年賀状に南インド行きを希望されていた。ところが、3人とも体を壊されて南インド行きは幻の旅となりつつある。せめてこの本を読んで南インドに行った気持ちになる!?怪しい限りだ。

 以下は「馬上少年過ぐ」から気になる箇所をメモしたもの。

 なお、『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)は何冊かの短編小説を収めた一冊である。その中の代表的なものが「馬上少年過ぐ」。

★「馬上少年過(すぐ)」老人が晩年につくった高名な詩の第一句である。

   馬上少年過ぐ

   世平らかにして白髪多し

   残軀天の赦すところ

   楽しまざるこれを如何せん

 この老詩人が、伊達政宗である。梟雄といわれた。梟はふくろう。あるいはタケダケシ。……「三国志」でいえば、曹操である。曹操が後世にのこした印象はその梟奸さにあるが、しかしながら曹操に一種颯々のすずやかさをおぼえさせられるのは、ひとつは曹操が卓抜した詩人だったということであろう。曹操はかつ行動し、かつ作詞した。乱世の雄としてはめずらしい種類に属するが、わが国でこの珍奇な禀質の人をもとめるとすれば伊達政宗のほかはひとりも存在しない。180-181p

★この小品は、政宗がその権力のために払ったいまひとつの代償を語りのこしている。230p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!  

2021年1月14日木曜日

院展のチケットetc.

 年末に購入したJR回数券。絵の教室は休館で急遽、休みとなる。回数券は期限内に利用できないとあきらめかけていた。ところが、昨日、日本画の先生から院展のチケットが送られてきた。前日、今年の院展は市の情報誌によると開催されないようだった。ところが、昨日のチケットに同封された先生の手紙によると「――感染予防をしながら、会場に足をお運びいただき、心安まるひとときをお過ごしくださればと思います。これからどんな日常が来るのでしょう。今出来る事を見つけて、前向きに日々頑張って過ごしましょう。……」と書かれ、追記として「〇区民の作品展、中止になりました」とある。

 日本画の先生は今年の院展も入選されている。教室の人たちの作品展は中止となった。出品する予定だった絵は教室に置いたままでまだ描き終えていない。気になっていたので中止は幸いだった。ただ、日本画教室はいつになったら再開されるのだろう。

 今朝の地元紙のデパートの宣伝を見ると院展開催の案内がある。開催場所はデパート2か所である。これでJRに乗って院展を見に行こう、と嬉しい気持ちになる。昨日はほかにも所属する県立美術館友の会の会報も届いた。今開催中の特別展の企画はあまり関心がない。ところが会報に掲載された安浦の南薫造記念館の紹介に気が向く。

 先日地元紙に川本三郎の「散歩」と「町歩き」の話題が掲載された。散歩は家の近くを歩くことを言い、町歩きは乗り物などに乗って普段の生活圏とは違う町を歩くことらしい。なんと町歩き、という言葉の提唱者はこの川本三郎だとか。この町歩きに魅せられる。今、コロナ禍で旅らしい旅は出来ない。が、町歩きならば自分でもできそうだ。家からちょっとばかりJRに乗って目的の場所へ行き、その界隈を歩く。これはいい考え、と思いつく。手始めに昨日の会報に掲載の南薫造記念館に行ってみる?記念館は呉線に乗って安浦駅で下車すればいい。安浦の駅は下車したことがない。もう少し暖かくなれば遊びがてら出かけようと思った。

 どこかへ行こうという気持ちになると俄然元気が湧いてくる。他にも九州の国立博物館へも行ってみたい。これはおとなび利用で。だが、おとなびはパソコンを買い替えたので再度設定しないといけない。ましてや今はコロナ禍。新幹線に乗ってまでして遠くへゆくこともない。半ばあきらめる。代わりに市内のもう一つの美術館で開催中の特別展を見に行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月13日水曜日

「マルチェッロ:アダージョ A.Marcello Adagio」



 フルートの某曲集のうち、さらってない曲が数曲ある。昨年からこの曲集のさらってない曲をフルートのYOU TUBE先生の動画を参考にして練習していた。その頃、コロナ禍もあって、新たな練習に飽きてくる。以前にさらった曲を吹いていたが再度さらっていない曲を練習する気になった。

 YOU TUBE先生の最近のブログを見るとフルートの季刊誌にインタビューが記事になったとある。この本はフルートを習いはじめてかなりの年数、定期購買した。当時はほかにも民族学の会員になってその本も定期購読していたので家に雑誌が増えすぎる。その思いから定期購読をすべてやめた。今回ブログで今も定期販売されていると知って読んでみたくなる。

 練習する曲は「マルチェッロ:アダージョ A.Marcello Adagio」。某曲集の1番目にある曲だ。 この曲には以前にも書いたかもしれないがトリルが頻繁にある。トリルといっても覚えにくい名のついたプラルトリラーとモルデントプラルトリラーである。ネットの楽典によると「トリルは音価の最後まで音をふるわせますが、プラルトリラーは1、2往復でやめて、親音符の音で延ばします」とある。文字でトリルを表現するのはむつかしい。が、フルートを吹いていると譜面にトリルが出るのはめずらしくない。

 当分というかかなり長い間、この曲を練習しよう。まずは新年になってやる気を出さないといけない。手始めに「マルチェッロ:アダージョ A.Marcello Adagio 」の練習が待っている。何度聞いてもきれいな曲。この曲が納得して吹けるように地道に練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月12日火曜日

「真の人間中心主義」の世の中に

 最近、久々に肩こりを経験する。長く生きてもほとんど肩こりにならなかった。これは多分に水泳と関係ある気がする。目いっぱい体を動かす水泳もコロナ禍でプールが利用できずにいる。今年届いた年賀状に水泳教室で知り合った人からのもある。その人曰く「この一年泳いでいません。ジョギングしています」とある。ジョギングはしないが、全身を動かす点では水泳に勝るものはない気がする。とくに寒い季節はプールに浸かって全身を伸ばして泳ぐと最高に気持ちがいい。肩こりとは無縁の世界になる。

 人からよく聞いた肩こりのつらさ。この期に及んで知る羽目になるとは何とも残念。これはプール以外にも原因があるかもしれない。それはパソコン。思うように外へ出られない反動から気が付けばパソコンと遊んでいる。そして本も関係あるだろう。ずっと下を向いて読んでいる。

 今朝の地元紙オピニオン欄に佐伯啓思はコロナ騒動のこの一年を振り返って書いている。大見出しは「自然環境のバランス保て」とあり、「真の人間中心主義」のタイトルがつく。それによると「ウイルスは、地球上の生命体の誕生とともにあって、人間の遺伝子もウイルス由来のものが書き込まれている。……人は常にウイルスと共存してきた。のみならず、人間は各種の細菌ととも共存してきた。この共存のバランスが崩れると人間の体もダメージを受ける。……人間の生命の状態は自然環境とのバランスによって成り立っているといってよいだろう。…『コロナ後』は、経済の拡張によって欲望を満たすというより、人が自らの心身の養生に対して強い関心を払い、自らの生命を健康的なものに維持する時代になるべきであろう。それこそが、真の意味で『人間中心主義』というものである」という。

 これをみても「自分の体は自分で守る」しかなさそうだ。肩こりくらいで気を病んではいけない。この時刻になってやっと日が差してきた。寒い間は動きが鈍る。おのずと血流も悪くなる。そのため肩こりとなるのだろう。今朝もいざスーパーへ。これがせめてもの体を動かす瞬間!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月11日月曜日

「喧嘩草雲」<『馬上少年過ぐ』収録>

 図書館が休館になる前に借りた『馬上少年過ぐ』と『幕末』の2冊を読み終えた。図書館の開館は簡単には望めそうにない。本を借りずに買って読めばいいものを買おうとすら思わず、今日からは平行して読んでいる家にある本を読もう。それは森本哲郎の『日本民族のふるさとを求めて』。この本はタイトル通り森本哲郎が日本民族のふるさとを求めて世界各国を旅するお話。最初の数頁を読んだだけで、まだ見ぬ遠くの国へ行きたくなる。

 以下は『馬上少年過ぐ』に収められている「喧嘩草雲」(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)」から気になる箇所を抜粋したもの。

★「二天(じてん)だよ」げっ、と草雲は鷺を見つめた。二天、それは雅号である。戦国末期から江戸初期にかけての剣客宮本武蔵のことである。かれは絵をよくし、その遺作は早くから一部で認められていたが、幕末では観賞界でもてはやされるようになった。(これが二天か)草雲は、はじめて出会った。……草雲は、その幅を床の間にかけて眺めた。三日、ながめた。画技はうまいとはいえない。が、鷺はみごとに生きている。生きているどころか、なにか異常に研ぎすまされた精神が、さりげなく鷺に化って、天地のあいだにいる。凡百の絵ではなく、あきらかに芸術そのものであった。……草雲は、自分と武蔵とのちがいをまざまざと知った。武蔵は天性、巨大な気魄をもって生まれつき、その気魄が剣となり、絵となった。草雲もまた、なみはずれた気魄をもって生まれている。が、草雲のばあいは、気魄は気魄、画技は画技、武術は武術で、三者ばらばらの他人であった。……雅号を変え、草雲と号したのは、このときからである。旧称梅渓をすて、お菊の位牌の前で生まれ変わることを誓い、酒も断ち、乱暴もやめた。158-161p

★田崎草雲の作品が、後世に残りうるものになりはじめたのは、このころからである。作風が、江戸のころとは一変し、みちがえるほどの風韻を帯びはじめた。知らずしらずのうちい、画法はちがうが、宮本二天をおもわせるふしぎな力動感を持ち始めたのも、このころからである。……要するに足利藩の事実上の大将になったことが、かれのなかから「足軽絵師」の毒気を抜きとったという意味なのか、どうか。175-176p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月10日日曜日

GO TOキャンペーンは必要ない!?

  一昨日から今朝まで半端なく寒かった。ただ、いくら寒くても日が差しているので救われる。起きる1時間前をめどにしてエアコンの予約を入れる。だが、エアコンだけではなかなか部屋が温まらない。起床後はすぐに電気ストーブもつける。それでも部屋が温まるのは容易でない。

 今朝地元紙を読んでいると真野俊樹は緊急宣言発令に関して「一人、一人が自律的対応を」と呼びかける。この中に「人の移動によってコロナ感染が増えるのは間違いがない。しかし、人類の今までの発展は、移動によっている。人が移動したがるのが本能に近いと考えれば、旅行や飲食を無理に促す『GO TOキャンペーン』は必要ない。むしろ人為的に介入することで、旅行社や観光地、飲食店の混乱を招く可能性も高い。……」がある。

 GO TOを利用して一月半の間に、7回も国内の旅に出かけた。旅行後はあまりにも強行スケジュールだった、と反省した。コロナ禍がなければこういう旅のやり方をしなかったと思う。その思いがあるのでこの記事にあるように「旅行や飲食を無理に促す『GO TOキャンペーン』は必要ない」の件に大いに賛成する。

 ましてやGO TO利用は全国民平等に行き渡っているとは思えない。自分自身のような暇人が何度も制度を利用したはず。本当に旅に出たい人はGO TOがなくても出かけるだろう。一気にGO TOキャンぺーンで人の動きを促し、それがうまくいかないと一気に制度をやめる。そうではなくて自然な動きに任せれば、と思う。そうでないと制度利用時点で旅行社や飲食店がうまく機能してもいざ停止となればその反動も半端ではなくなる。

 次にGO TOキャンペーンが再開されるときは、前回のような無茶な行動はしないつもり。まあ、いずれにしてもコロナが収まればこういうことも問題ではないが……。

 なにやかやといいながらもやっぱり今の生活には堅苦しさがつきまとう。その中でも寒い季節のささやかな楽しみは運動を兼ねて歩いてスーパーに行き、買い物する。とにかく外へ出たい!いつの日か、抑えていたこの反動がやってくるだろう。そのときは思いっきりお金を使って遊びたい。それまでの辛抱と思って今日もスーパーへ急ぐ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月9日土曜日

2021年の年賀状

  新年に届いた年賀状を改めて見直す。写真付き年賀状は自分の子供世代の人からのが多い。年が離れた世代の人からの年賀状がなぜ多い!?別に親子2代に渡って交流があるからではない。親子ほど年齢が離れていても、様々な場所で知り合った人たちだ。それは学びの場が多い。

 写真付き年賀状の中でもほほえましく思うものがある。それは写真がまるでわが孫のような存在であり、この子たちが成長する姿を毎年楽しみにしている。お世話になった大学の先生の年賀状は子供さん3人と奥さん、など3枚の写真が添付されている。まだ若い研究者である先生は「ここ30年間で、昨年ははじめて海外出張なしでした」との文字が添えられる。

 他にも写真付きといえば同じくわが孫世代を写したようなランドセルを背負った子供さんの写真年賀状がある。今年春、一年生になるそうだ。この人の昨年の年賀状は子供さんがレオタード姿で写っている。いつの日かバレリーナとなって踊る姿を拝見したい。孫世代の男児では旅で知り合った人の子供さんがサッカーに夢中になっている写真だ。この春から中学生になるそうだ。東京に住む姪は男児2人の母である。その子供たちもまたサッカーに夢中らしくユニフォーム姿で写っている。

 写真付きではないが例年面白い年賀状を下さる人は著名人の俳句をもじっておられる。そして旅で知り合った人や旅仲間の人からいただく年賀状は旅の再開を願うものが多い。

 様々な人々と知り合った証の年賀状。今年も楽しく拝見させてもらった。本を通して知り合い、まだお目にかかっていない人からの年賀状もある。元気なうちは末永くいろんな人たちと交流し続けたい。と思いながらも旅で知り合った多くの人たちがこの世から去って逝かれる。またある人たちは体が壊れたらしく、ついに今年の年賀状は届かなかった。何度も旅をご一緒した人たちなので、もうこれから旅の道連れになれないと思うと寂しい限りだ。

 年々こちらも年を取り、知り合った人たちも同じく年を取っていく。「なにより健康が一番の財産」とつづられる年賀状も増えてきた。年賀状の最後の感想として、以前のように皆と元気で食べたり飲んだり笑ったりできる日が早く来るといい!そういう言葉もまた多く添えられていた……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月8日金曜日

火事は自宅放火だった

  昨日の消防車出動は近所の火事だった。メディアによると消防車17台出動とある。火事現場は我が家から近く放火だった。火事のあった家には80代の父親と57歳の娘が住んでいたようだ。どちらも無事でよかったが、警察の調べでは無職の娘が放火で逮捕されている。何があって放火しないといけないのかわからない。が、それにしても物騒な世の中である。

 火事のあった場所はお墓参りで通る場所だ。その家のことは知らないが、いずれにしてもそれほど我が家から離れていない。放火元の燐家の延焼が免れたのは幸いだったが。

 それでなくてもいい話題がない昨今。元気で楽しく生きるためにも最低限、いやなことがないようにと願うばかり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月7日木曜日

見逃しテレビ無料配信

  今朝は7時頃、消防のサイレンの音で目が覚める。8時過ぎ、燃えるごみを出しに外へ出ると家の前の通りに消防車が列を作って止まっている。ざっと数えると8台いる。ただいま10時前。この時刻になっても消防車がいる。広い通りであっても片側は消防車の列。引き返そうとするが、それもできないのか我が家の前の狭い道に入って車を移動させる。何が起きたのか今のところはわからない。が、かなりの消防車が来ていた。

 パソコンで見逃したテレビを見ている。民間放送はTverで、NHKはNHKプラスで見る。最近、この利用方法がだいぶわかってきた。昨日はNHKプラスで以前BSで放送された「パソコンで見る究極ガイドテレビ『2時間でまわる高野山』」を見る。昨年の11月3,4,5日の3日間、GO TOを利用して高野山などを観光した。まだ記憶も新しいので興味津々で見る。高野山観光の日はあいにくの渋滞で観光時間が圧縮された。2時間で見るどころか1時間足らずしか観光できなかった。テレビを見ていて要所要所は観光していた。だがいくら観光しても知らないことが多い。そこはテレビを見て知る始末。次に高野山へ行くときは時間をかけてゆっくり観光したい。

 一昨日もNHKプラスで谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を見た。谷崎の本はあまり読んでいないのでこの本のことも知らずにいた。『陰翳礼賛』は「美」について著した本らしい。そのため建築家などは若いころこの本を読んでいた。古い本は手持ちの電子辞書に1000冊ほど収めてある。調べるとこの本は収納されていない。無料のネット図書館や地元の図書館の蔵書を検索しよう。

 NHKプラスは総合や教育テレビの番組をネットで生放送することが多い。外に出ないときはまるで事務仕事をしている感じで椅子に座っている。そこにはパソコンがある。わざわざテレビの部屋まで行かなくてもパソコンでテレビを見られるのが便利でいい。

 NHKプラスの登録時はそんなにメリットはないと思っていた。が、それも慣れるにつれてうまく利用できるようになる。これから寒さも本格化する。プールも図書館も閉鎖で楽しみの大半を奪われている。ささやかな楽しみとしてTverやNHKプラスを見て過ごす。これはいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月6日水曜日

「司馬遼太郎さんの話になると誰もが相好を崩す存在」

 新年3日の地元紙「オピニオン」に「司馬遼太郎なき25年」の記事が掲載された。司馬作品を読み始めて丸2年。それ以降、読まない日はないほど何冊何十冊と司馬作品を読んでいる。だが、嬉しいことにいつまで経ってもその良さは色あせることがない。死ぬまでに司馬遼太郎の全作品読破を目指している。読み始めのころはこれはかなわぬ夢、との思いもあった。が、読み始めると願いはかないそうな確信がある。ただ、どの本も図書館頼みであり、そのためにも早く図書館が開館するといい。

 記事によると司馬遼太郎は一切政治的発言をしなかったそうだ。作品の根底には「日本人とは何なのか、日本とは何なのか、そもそも人間というのは何なのか――」、というふうに人間とは何なのかという問いがあったという。今、司馬作品は若い人に読まれているそうだ。ある人に「司馬作品にハマっている」と話すと、「中年のおっさんが読む本」と言って笑われたことがある。この言葉を聞いて自分の中のショックが後まで尾を引いた。だが、この記事に若い人たちが読み継いでいると知って嬉しくなる。

 これまで読んだ司馬作品のいずれもの読後感がどういってもすがすがしい。これは読みごたえが一番ある本と言えるのかもしれない。読んでいて、人を決して失望させず、元気が湧いてくる。

 この新聞記事によると「司馬遼太郎さんの話になると誰もが相好を崩す存在」という。そうかもしれない。大連の旅で司馬遼太郎の「坂の上の雲」が話題に上った時、まだその本を読んでいなかった。旅の道中、司馬遼太郎の話題は常に尽きなかった。まさに司馬遼太郎は「誰もが相好を崩す存在」なのだろう。皆の話に刺激されて、今こうしてハマっている。もっと若くして司馬作品にハマっていたら、と今さらながら思う。が、まだ元気なうちに司馬作品に目覚めてよかった、との想いにいたる。いつの日か、大阪にある司馬遼太郎記念館を訪れたい。

 話は変わって、昨日、写真の整理をしていてドキッとした。今から34,5年前に初めて海外旅行をしてから2002年に会社を辞めるまでの間の写真がたくさんある。会社を辞めてからはブログを開始。それ以降、海外に出かけた頻度は多くても個人の写真はほとんど写さない。この1、2年はアルバムから外して要らない写真を処分した。その際、行先ごとにチャック付きの保存袋に入れておいた。先日の写真整理の記事を見て、再度写真を整理し始める。行先ごとの写真を袋から出して、記事にあったように必要なものだけを宝物として保存する。

 先日、海外旅行の写真袋とそれ以外を大きな紙袋に入れて区分けした。昨日、1988年に旧ソ連に出かけた写真を整理する。その際、最低限いるものとして、旅行の日程表と宝物の写真だけを残して保存袋に入れなおす。その次に手にした袋が昨年の今頃出かけたミャンマーの旅の写真。某会から出かけた旅なので人に写してもらった写真がある。33年前の写真の整理の後、紙袋から勝手に取ったチャック付きの袋はこのミャンマーの写真だった。その前に整理した33年前の写真の残像が目に焼き付いていたためか、1年前の我が姿を見てもうびっくり。自分の中では33年前も今も考え方はそれほどの変化がないと思っていた。しかし、現実の外見は年相応の老婆だ。しばし手を止めて写真の整理を後回しにする。

 元気で楽しく過ごしていても年だけは間違いなく取っている。当たり前と言えばそうだけど、やっぱりガクッとなる。気持ちは何歳になっても若い時のままだ。だが、外見は心とは裏腹に確実に変化していく。これも人生と開き直って、気落ちしてはいけない。まだ元気じゃ、と思いを新たにする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年1月5日火曜日

お墓参り&初詣

 年末は辻井伸行絡みのテレビ番組がBSで3度放送された。どの番組も見ごたえ十分で、計8時間の辻井のピアノ演奏をしっかり聞かせてもらった。演奏会でなく、テレビでの演奏は迫力に欠けるとの思いこみがあった。だが、それもなく素晴らしい番組だった。テレビといえば年末年始にお笑い番組をよく見た。どの番組にも明石家さんまが出ている。人を飽きさせない話術があるのか、毎日見ていても面白みがある。

 例年ならば年の初めの3日以内に市内にある某神社にお参りする。ところが今年の新年は自粛の掛け声に押されてどこへも出かけなかった。昨日、初詣を近くの神社に参って済ませる。その前に今年初めてのお墓参りをする。いつもと違う道を通って墓地を目指す。気温10度で雲一つない青空の下、坂道を歩くと途中から汗ばむほど暖かくなる。久々に外を歩く気持ち良さを味わう。毎日、お墓参りをすればもっと気持ち良い日々が送れそう、と思ったほどだ。だが、それは続きそうにない。

 墓地に着くと3ヶ日も過ぎて人影はまばら。ぽかぽか陽気のお墓参りは快適そのものだ。お墓を後にして神社に向かう。途中、神社から墓地方面に向かう数人とすれ違う。境内に着くと、ここも人影はまばらだ。2礼2拍1拝、と一般的な参拝方法をバス旅の観光中に学んだ。それなのに神社に着くと、「礼」より「拍」が先になる。巫女がお祓いをしてくれた。

 神社から鳥居に向かうと前回気づいた石碑以外に石灯篭が建っている。改めてこれを確認する。鳥居ほどの大きさの石灯篭が2対建っている。1対は「氏子中」と読むのだろうか。ネットで確認するとこれは「明治5年(1872)に建立された〇〇神社の常夜燈。今は、正月や祭りの際に灯がともる」とある。もう1対は2年前に大連に行った際に知り合った人の祖父の名が石灯篭に刻まれている。建立年月は記されてないようだが建立者の名は大きく刻まれていた。石灯篭は古びてなく、それほど年数が経っていないようだ。いずれも地元の権力者であったことには間違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

         
 鳥居から先にある神社までの間に手前から常夜灯(石灯籠)、石碑、石灯篭と並んで建つ。

2021年1月4日月曜日

2021年スタート

 今年の元旦は初雪で迎えた。その後は穏やかな日が続く。ただ、コロナの勢いは今年も収まりそうにない。年賀状を書くとき「コロナ」の三文字は意地を張って書かなかった。無駄な抵抗かもしれない。が、誰かコロナを何とかしてくれ、といいたくなる。新年早々、弱音を吐いてはいけない。

 ある人の新年のツイッターに「どこへも行かない誰も来ない一日ですので、ゆっくり本を読んで、原稿を書いて、謡と舞の稽古をします。しあわせ」とあった。これを見てほほえましさが漂う。これをもじって「どこへも行かない誰も来ない一日ですので、ゆっくり本を読んで、」までは同じでもその後が続かない。「原稿を書いて」は「ブログを書いて」、と当てはめようとするが原稿とブログでは差がありすぎる。「謡と舞の稽古をします」を「フルートを吹いて絵を描きます」に置き換えても無理がある。ただ、最後の「しあわせ」は全く同感。

 新たな年を「しあわせ」な気持ちで迎えた。これが一年、否、ずっと続きますようにと願って2021年がスタートした。

 ともあれ、この一年も元気で楽しく過ごしましょう!