2017年12月28日木曜日

ジャワ島・バリ島ボロブドゥール遺跡・台湾の旅6日間

 今年最後のブログは楽しかったインドネシアの旅で締めくくり。この一年も元気に動きました。そして一年いろいろとありがとうございました。どうぞ佳いお年をお迎えください!新たな年も動き周ります。ともあれ今日も、そして新たな年も楽しく過ごしましょう!
 
 2017年10月12日(木)から2017年10月17日(火)までの6日間、インドネシアのジャワ島・バリ島・台湾への旅をした。旅の参加者は17名。今回の旅は出かける前からアグン山の噴火が危ぶまれた。出かける前、心配のあまりHさんに尋ねると、その時々の状況に応じて現地ガイドが判断するとのことだった。これを聞いて安心して旅に出る。

 ところが、インドネシアのジャカルタに入国しても現地ガイドから噴火の話は出てこない。ジャワ島からバリ島に移動してもその話は出ない。世の中、日本で思っていたよりもいたって平和そのものだ。ある日、たまりかねたFさんが代表して現地ガイドに噴火の様子を尋ねてくださる。だが、ガイドは驚く様子がない。というように噴火の心配もなく、楽しいうちに旅は終わった。

 噴火は無事だった。しかし驚いたことがある。それはバスに乗って移動後、食事や買い物、観光などで大きな建物に入る際のセキュリティ・チェックである。飛行機に搭乗の際、空港内で持ち物などのセキュリティ・チェックがある。これと同じようなセキュリティ・チェックを受けなくてはならない。これには驚く。当然、空港の入り口でもいきなりのセキュリティ・チェックがある。飛行機に乗るならば、さらに本来のセキュリティ・チェックがある。このようなヒト・モノ・コトに対する厳しいセキュリティ・チェッックはISなどに対するテロ防止対策に違いない。これから楽しかった旅の話を始めよう!
 
 一日目 2017年10月12日(木) 広島空港✈台湾✈香港✈ジャカルタ 曇り
 
 7時15分 広島空港国際線出発ロビーに集合。9時、曇り空の広島空港から中華航空CA1113便にて台北に向けて離陸。飛行中、機内食が出る。10時50分(これより現地時刻表記)台北着陸。日本と台北との時差はマイナス1時間。台北✈香港へのトランジットで台北空港内でしばしフリータイム。台北は小雨。水分はすべて搭乗の際に没収されている。喉が渇いたところで空港内に設置してある給湯機を見つける。そばには簡易紙コップもある。無料だった。空港内にはスポーツ施設があり、そこで体をほぐされた人もおられた。
 
 13時40分 CA1679便にて台北✈香港✈ジャカルタへと移動する。台北から香港まではヌードルの機内食。16時半 香港に着陸すると曇り空だった。香港でいったん機内を出て再度入国手続きを経て機内に入る。17時15分 香港を離陸し、ジャカルタ到着は20時20分。日本とジャカルタとの時差はマイナス2時間。機内食はまたもヌードル。
 
 21時45分 ジャカルタのホテル到着。夕飯はホテルのレストランでナシゴレンの軽食をいただく。この時刻は日本時間でいえば深夜の零時近い。朝早く広島を発って12時間移動しての遅い夕食。日程表では軽食とあるが、それは名ばかりで美味しい料理が並ぶ。しかし、夜も更けていたので早めに食事を切り上げて各自部屋に入る。なお、夕飯でいただいたナシゴレンはインドネシアの名物料理らしくもらったパンフにも掲載されている。ジャカルタのホテルはアリラ ジャカルタ ホテル。
 
台北空港内の給湯機

トイレ掃除の清掃具合のアンケート

台北空港の搭乗口付近

ジャカルタのホテルレストランでナシゴレンの夕食

夕食に出たスイカは粋なカットだった
 二日目 2017年10月13日(金) ジャカルタ✈ジョグジャカルタ 晴れ

 6時に起床。バスは現地通貨ルピアに両替のため、早めの8時にホテルを出発する。1円=100ルピアの換算でゼロを2つ減らして現地通貨に置き換える。5000円両替すると500000ルピアになる。日本よりも2桁ゼロが増えるため、現地で購入する金額は大きくなる。しばらくは金額の大きさに面食らう。
朝食で珍しい南国の果物をいただく
左上はサラック別名スネークフルーツ

マルキッサ

マンゴーの木


グリーの服のバイクはバイクタクシー



 バスの車窓からはマンゴーの木やグリーンの服を着用したバイクタクシーを目にする。着るものや車の色でどんな仕事かを区別している。また、インドネシアでは朝の渋滞解消のため車両ナンバーの偶数と奇数で通行できる車両を区分けするそうだ。30分ほどバスに乗るとイスティクラル・モスクに到着。

 イスティクラル・モスクはウイキペディアによると インドネシア国立のモスクで、インドネシアの首都・ジャカルタの中心部に位置している。またジャカルタ最重要部・モナス(独立記念塔)のある広場に面している。白亜の直径45mのドーム型の建物で世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアに相応しく、世界最大のイスラム教のモスクである。1984年につくられ、12万人以上が収容できる。さらに国会議事堂とも至近距離のため、このモスクとイスラム教がインドネシアにとって重要であることを示す建物であるとされる。建物の名称になっている「イスティクラル」とは、アラビア語で「イスティクラール」 といって「独立」を意味する。

 モスクに入るとまず目にするのは大きな柱。17本の柱が立っている。ムスリム以外は1階の絨毯が敷き詰められているところへ入れず、2階に上がって見学する。モスクの廊下に出ると大きな太鼓がある。これはアザーン(礼拝の呼びかけ)を知らせる太鼓。モスクの横広場に出るとすべてはメッカに向かって建てられ、お祈りするには一人一区画と線引きされている。線引きの方角もメッカに向かっていた。
イスティクラル・モスク
 矢印はキブラッ(Kiblat / Qibla)といって、メッカの方角を指している
イスティクラル・モスクにある時刻表示 
真ん中が現在時刻で一日5回の祈りの時刻を示す
イスティクラル・モスク内部
奥に見える黒い丸のモノはスピーカー
モスク内の1階へはムスリムだけが入り、
ムスリムでないモノは2階で見学
イスラムを真似てお祈りする
頭を床につける、これ大変だった!
 
 モスク内を1時間見学後、スラバヤ通りの骨董店街を歩く。途中、緑色の卵を売っていた。これはあひるの卵だろうか。10分間の骨董街を散策後、バスに30分余り乗ると独立記念塔に到着する。

  ネットによると独立記念塔(モナス)のデザインはインドネシア独立記念日(1945年8月17日)にまつわる数字が隠されている。塔の台座となる基部は45メートル×45メートル、地面からの高さは17メートル。モナスの地下にある歴史博物館は壁と床が大理石で出来ている。広さは80メートル×80メートル、天井の高さは8メートル。歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれている。

 45,8,17とインドネシア独立記念日の数字を独立記念塔や世界最大モスクであるイスティクラル・モスクに関連付けて建築されているとは…。それで現地ガイドは「17」本の柱の話をしたのだろう。

スラバヤ骨とう品通り


青いのはあひるの卵!?
 
モナス(国家独立記念塔)
 モナスはインドネシアの首都ジャカルタの中央ジャカルタ地区にある公園「ムルデカ広場」の中心部にあり、「Monumen Nasional (英語でNational Monument)」を略した造語らしい。 時間がなくてモナスに登らず、広場からモナスを眺める。モナスの頂上部は高さ14メートル、直径6メートル、重さ14.5トンの青銅製のレリーフでつくられており、77のパーツから構成された炎の形は重さ35キロ分の純金メッキだそうだ。

モナス頂上部にあるレリーフ
炎の形をした純金のメッキでできている

 11時10分 バスは出発して昼食会場に向かう。この時、Fさんは車窓から目にする通りの建物の表示がすべてローマ字表記と話される。ところがローマ字で書いてあっても英語ではなさそうだ。ウキペディアによると「オランダがインドネシアの元宗主国であった関係から、オランダ語式の正書法が長年使われてきたが、1972年に現行の正書法が制定され、1977年以降は国内の印刷物などはすべてこの正書法に従っている。ただし、人名については一部表記の混在がみられる(SukarnoSoekarnoなど)。文字にはラテン文字(ローマ字)を用いており、ダイアクリティカルマークはほとんど用いない」とある。

 お昼のレストランに入る際、セキュリティ・チェックがある。ISなどによるテロを警戒しての厳しいセキュリティ・チェック。これには驚く。お昼の飲み物はガイドに教えてもらったシルサックという果物のジュース。この果物がどんなものか係りに聞いても要領を得ない。Kさんが果物名を係りの人に文字で書いてもらってシルサックとわかる。ネットで調べると日本で見たこともない緑色の果物のジュースで飲みごたえはさっぱりしていて美味しかった。
車窓から見えるヤシの木
sirsak(シルサック)という果物のジュース
お昼のデザート

 13時 バスで国立博物館に向かう。博物館に入るとインドネシアの民族音楽であるガムランを演奏して迎えてくれる。入り口横ではバティックの製造工程の展示がある。インドネシア最大級の歴史民族博物館らしく、館内はジャワ各地から出土したヒンドゥーや仏教の石像、陶磁器、各地の芸能や文化を代表する展示物があった。他にもマジャパヒト王朝の宝物などの展示もある。
国立博物館入口


国立博物館に入ると
ガムランを演奏して迎えてくれる

国立博物館
バティックの製造工程をミニ展示
国立博物館展示物

国立博物館
石の展示コーナー


 博物館の外に出るとインドネシアの民族服を着た子供たちの見学者も多い。博物館の正面玄関の青銅の象のモニュメントは1851年にタイのラーマ5世から寄贈されたものらしく、それに因んで国立博物館は象の博物館とも呼ばれている。
国立博物館
子供たちの見学者も多い

国立博物館入口には見学の子供たちでいっぱい!
 

国立博物館
タイから贈呈された象のモニュメント
 14時20分 ジャカルタ空港からジョグジャカルタに向かうためバスで移動する。 空港内は広く、目指すゲートまで歩いているとKさんだけがカートで移動中だ。それを見た数人はカートに同乗する。
 
 17時20分 ガルーダインドネシア航空GA258便は離陸予定より1時間以上遅れての出発となる。機内の席の横にはインドネシア人女性。しきりに知っている日本語で話しかけてくる。日本語がわかる、と思って問いかけるとわからない様子だ。しかし、居酒屋などにあるメニューをしきりに笑って話かけられる。もしかして、インドネシア在住の日本人と居酒屋などへ出かけて覚えた日本語かもしれない。どういってもインドネシアを走る車は日本車が90%で日本企業の進出も多い。
 
 飛行中、何度も飛行機の揺れがひどくなる。ジョグジャカルタ空港に着陸する前に機長から機内アナウンスがある。しかし私たち日本人は何をアナウンスしているのかさっぱりわからない。しばらくすると機内から「ワーッ」とブーイングが起こる。アナウンスを理解したインドネシア語がわかる人たちだ。何かが起きた、と何となくわかる。座席のモニター画面を見ていると現地到着時刻の表示がコロコロと変わる。後7分となると次には13分となる。これが何回かモニターに出る。後でMさんからジョグジャカルタ上空を7回ほど飛行機は旋回していたと教えてもらう。そう聞いてモニター画面の飛行機の位置表示や到着時刻が何度か変化した意味がわかった。
 
 着陸するとジョグジャカルタの空港入り口までの道をかなり歩く。もしかして着陸する場所がなかったのだろうか。それにしても長い飛行時間だった。そしていつになく飛行機は揺れた。それでも無事にジョグジャカルタに着陸できてホッとする。ジョグジャカルタ予定着陸時刻は18時35分。ところが実際の到着時刻は20時45分と2時間遅れだった。
ジャカルタの空港は広い
搭乗ゲートまで1人カートに乗っているのを見つけて途中から皆で乗って移動する

ジャカルタの空港内
丸い穴から冷気が出る

ジャカルタ✈ジョグジャカルタ機内での軽食
食べずに必需品の水などすべて持ち帰る

 ジョグジャカルタのホテルに着くとホテルのレストランでインドネシア料理の夕食をいただく。美味!ジョグジャカルタのホテルはシェラトン・ムスティカ・ホテル。

ホテルのレストランでの夕食の一部
 三日目 2017年10月14日(土) ジョグジャカルタ✈デンパサール 晴れ

 5時半、モーニングコール。この日はバスの出発は7時と早い。どういっても今回の旅のハイライトであるボロブドゥール遺跡見学の日だ。朝は晴れていても次第にお天気が怪しくなる。1時間余りのバスの移動でボロブドゥール遺跡到着。霧雨も降って蒸し暑さも増してくる。ボロブドゥ―ル遺跡のあるジョグジャカルタ。この「ジョグ」とは「平和」を意味し、ジャカルタは「栄える街」と現地ガイドに教わる。何が栄える街かといえば「文化」「学生」「安い」の3つだそうだ。

 巨大なボドブドゥ―ル寺院はいただいたパンフによると「サンスクリット語とバリ語からなる名前が丘の上の僧院を意味する仏教遺跡。8世紀の建立とされ、1814年にイギリスの提督ラッフルズが火山灰や密林に覆われていた道路を偶然、発見した。誰がどんな目的で造ったかは謎という神秘性と、建物そのものが釈迦を祭る壮大なスケールが観るものを圧倒する」とある。

 バスから降りてすぐに地元の人のお土産攻勢に出合う。この時、日本から持参した帽子がわからなくなり、帽子を購入。日本円で1000円の帽子。暑い国では帽子は必需品なので飛びついて購入する。支払う際、現地ガイドは人の財布を覗いて現地通貨50000ルピア(日本円で500円)を支払う。郷に入れば郷に従え、の通り、現地ガイドのおかげで安い買い物となった。

 バスを降りるとすぐにボロブドゥ―ル世界遺産の記念碑がある。遺跡は海抜約269mの盆地に位置し、ふもとの記念碑から上を見上げると遠くにボロブドゥ―ル寺院が見える。穴がない完璧な状態を表す大卒塔婆(釈迦を祭る建造物)のあるてっぺんまで急な階段を上る。登り始めにはボロブドゥール寺院回廊の壁面があり、そこには釈迦の生涯が記されている。さらに登って大卒塔婆の周りを時計回りに3周すると祈願成就するらしい。ボロブドゥール寺院の円壇には不安を表すダイヤ型の穴と安定を表す四角の穴が開いたストゥーバ内に一体ずつ釈迦牟尼仏が安置しているという。
ボロブドゥール遺跡 世界遺産の記念碑

目指すはボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール寺院の全景

遺跡付近に咲く花


ボロブドゥール寺院
回廊の壁面には釈迦の生涯が記されている


ボロブドゥール寺院の円壇


ボロブドゥール寺院円壇の仏像

ボロブドゥール寺院から見下ろす


ボロブドゥール寺院
 

ボロブドゥール遺跡の景観

ボロブドゥール遺跡の景観

 約2時間、ボロブドゥ―ル遺跡見学後、バスに乗るとなんと探していた帽子が座席にあった。帽子の上に腰かけていたようだ。5分ほどでモンドゥットゥ寺院に到着する。寺院内部に安置されている三尊像はジャワ仏教美術の最高峰とみなされている。シャムニブッダ像 、金剛手菩薩像、観世音菩薩の三尊像はすべて頭部後方に後光がさしていることをあらわす飾り ( ついたてのようなもの ) がついている。

モンドゥットゥ寺院

モンドゥットゥ寺院内にある大きなガジュマルの樹
モンドゥットゥ寺院内に安置されているシャムニブッダ像 

モンドゥットゥ寺院内に安置されている金剛手菩薩像

モンドゥットゥ寺院内に安置されている観世音菩薩

 10時20分、バスが出発すると現地ガイドから車内でタピオカ芋のポテトチップスをいただく。これは日本で食べるのと違って癖になりそうな美味しさだった。
バス車内で少しずついただいたタピオカ芋のポテトチップス

 東南アジアで珈琲といえばジャコウネコ・コーヒーがある。ジャコウネコが食べた珈琲豆がそのまま消化されずに糞となって出てくる。糞から出た珈琲豆はジャコウネコ・コーヒーとなって価値を生み出す。インドネシア語でコピ・ルアクという。「コピ」はインドネシア語の珈琲の意で、「ルアク」はジャコウネコの現地の呼び名だそうだ。

 この工場を見学すると看板に”COPI LUWAK”の表示がある。高価なジャコウネコ・コーヒーは糞と一緒に出た豆で製造される。工場内では臭いはなく美味な高級コーヒーだと製造過程を説明する。一通り説明が終わるとジャコウネコ・コーヒーの試飲と販売タイムになる。一口飲むと一般に飲むコーヒーとは違って高級感漂う。美味だった。ちなみにこのジャコネコ・コーヒーは「一杯8000円、最高級の秘密とは…」とのネット記事がある。それほど高級らしい。旅の参加者は私以外、皆さん購入された。
ジャコウネコ


ジャコウネコ・コーヒーの工場の看板
”KOPI”はインドネシア語で”CAFE”の意

ジャコウネコの糞から出た珈琲豆の皮をむく作業

ジャコウネコ・コーヒーの試飲

試飲後のジャコウネコ・コーヒーの販売

 14時、プランバナン寺院到着。この寺院はインドネシア最大のヒンドゥ―寺院とされ、9世紀ごろの建立といわれる。シヴァ堂を中心にしてブラフマー堂、ヴィシュヌ堂という山を模した寺院群が並ぶ。内部にはそれぞれの神の像を安置している。この3つの堂の前には「ヴィハナ」と呼ばれる小堂が建つ。今でも修復が続く寺院を背景に集合写真を撮ろうとすると私たちの中に入って写る人たちがいる。それも和気藹々と数人が仲間に入って来る。スペイン人だった。
プランバナン寺院

プランバナン寺院標識

修復中のプランバナン寺院

修復中のプランバナン寺院

プランバナン寺院を後にして

 プランバナン寺院を後にしてバスはデンパサール行きの飛行機に乗るため空港へ向かう。バス車内で現地ガイドはインドネシア人の平均寿命が65歳と告げる。これを聞いてツアーの参加者の大半はインドネシア流にいえばもうこの世にいないことになる。日本人の平均寿命から考えるとインドネシアの人たちは何と早死にだろう。そう思えば私たちの人生は付録だ。せいぜい余生を楽しみたいものだ!

 さらにガイドはインドネシアはイスラムであっても地域によって戒律の厳しさが異なるという。ジョグジャカルタの現地女性ガイドは頭にスカーフをしていない。なぜ?と尋ねるとジョグジャカルタは戒律が厳しくなく、スマトラは厳しいそうだ。

 16時15分、定刻通りガルーダ・インドネシア航空GA252便はジョグジャカルタを離陸してデンパサールに向かう。1時間半弱でデンパサールに着陸後ホテルへ。ホテルに入る時もセキュリティーは厳しい。夕飯はホテル内のレストランでいただく。バリ島デンパサールのホテルはグランドミラージュリゾート&タラソバリ。
デンパサールのホテルの夕食

デンパサールのホテルの夕食

デンパサールのホテルの夕食はイタリアン

デンパサールのホテルの夕食
 
 四日目 2017年10月15日(日) バリ島デンパサール 晴れ
 
 デンパサールのホテルの部屋からプライベート・ビーチが見える。朝食のレストランの目の前に位置するプライベート・ビーチ。食事後、砂浜を数分歩いて海(インド洋)に出る。ホテルを8時半に出発したバスはトライアスロンの影響で渋滞に巻き込まれる。2時間後、急きょガソリンスタンドでトイレ休憩。しかし、ここは観光施設でなく、こちらの都合で借りるトイレ。トイレの絶対数が少なく、順番待ちで時間もかかる。また、屋外で待つと蒸し暑さも半端でなく、大変なトイレ休憩となった。
デンパサールのホテルのプライベート・ビーチ

デンパサールのホテルのプライベート・ビーチ

デンパサールのホテル


トライアスロンの自転車競技

 11時半、バスはゴア・ガジャ遺跡に到着。この時刻ともなると蒸し暑さもピークとなる。しかし、観光客は腰に巻かねばならない。その上、この格好でうっそうとしたジャングルの階段を下りて洞窟まで歩く。遺跡に入ると沐浴場があった。沐浴場の壁部には6人の女神の像が彫ってある。洞窟内部は13mの長さがあり、人が立っていられる高さだった。 ゴア・ガジャとは「象の洞窟」、「巨大洞窟」の意味らしい。
腰巻を巻いてゴア・カジャ遺跡を歩く

ゴア・カジャ遺跡

ゴア・カジャ遺跡の沐浴場

ゴア・カジャ遺跡
発見当時に見つかった遺跡の壊れた石

ゴア・カジャ遺跡の洞窟内部
ゴア・カジャ遺跡の洞窟内部


 バスはウブド王宮に向かう。モンキーフォレスト通りに面するウブド王宮。王政の時代には政治と経済の中心だったらしく、今はスカワティ王族の子孫が暮らしている。王宮の一部は無料で一般公開されていて観光客がひっきりなしに訪れる。王宮の傍には市場があった。
ウブド王宮
ウブド王宮
ウブド王宮
王宮の傍にある市場
 
ウブド王宮の傍にある市場 




レストランの周りをヤシの木が囲む

 お昼はインドネシア料理のナシ・チャンプルをいただく。ナシ・チャンプルはバリ島特有のプレート料理でたくさんのおかずと白いご飯が載る。ナシとはご飯の意。そのまま味わってもいいし、またチャンプル(混ぜる)しても美味しい。レストランに入る際は乗車したバスがセキュリティ・チェックを受ける。ヤシの木が生い茂った雰囲気のあるレストランだった。
インドネシア料理のナシ・チャンプル


インドネシア料理デザート

 14時、レストランを出てしばらくするとトイレ休憩も兼ねて銀細工のお店に入る。トイレが優先して銀細工は眺めるだけになる。この日の夜はケチャック・ダンスの鑑賞がある。早めに会場に到着しないと定員オーバーとなってチケットが買えなくなるらしい。また会場辺りは夕日が沈む絶景スポットらしく、これにも合わせてバスは移動する。ケチャック・ダンスを見る前に会場の傍にあるウルワツ寺院を見学。見学はいいのだが、油断していると猿が近づいてくる。猿は観光客のメガネや食べ物などをさらっていくらしく、ガイドはしきりに注意を促す。個人的にも猿に眼鏡を持っていかれるとこれから先の旅が思いやられる。猿に近づかれないように慎重に歩く。周りを見るとたくさん猿がいる。猿に襲われた人もいたようで辺りは大騒ぎだった。

 ウルワツ寺院はバリ島バドゥン半島の海岸沿いの絶壁に位置しており、海の霊が祭られている。寺院の入り口はヒンドゥーの神の一種であるガネーシャ像が脇を固めるアーチ状の門となっている。ウルウツ寺院周辺の海岸絶壁の開けた場所でケチャック・ダンスが繰り広げられる。

  バリ島の舞踊であるケチャック・ダンス。もともとは寺院の儀礼としてヒンドゥ―の神に奉納するために行われた踊りでガムランの音色に耳を傾けながら鑑賞する。しかし、観光客向けにはガムランの音色に代わって「チャッ、チャッ」と猿の鳴き声をまねた男性の合唱のみで「ラーマヤナ物語」を題材にした創作劇が公開される。そのため、「チャッ、チャッ」の声をひっきりなしに発して舞踊劇が展開される。ケチャック・ダンスは18時から1時間かけて行われた。終演すると辺りは真っ暗で人にはぐれないように手を惹かれてバスにたどり着く。


ウルワツ寺院

ウルワツ寺院入り口のガネーシャ像

絶壁の海岸の一角でケチャック・ダンスがある

ケチャック・ダンス 

ケチャック・ダンス

ケチャック・ダンス

ケチャック・ダンス

 夕食はホテル内のレストラン。ホテルの入り口ではバス一台のセキュリティ・チェックがある。この日の夕食のレストランは日本の高級な中華料理店の雰囲気が漂う。北京ダックなどの美味しい料理がたくさん並ぶ。まずはお手拭き。白い丸いモノは何とお手拭きだった。インドネシアで本格的な中華料理をいただく。これも不思議だけど美味だった。この日の宿は連泊でグランド・ミラージュリゾート&タラソバリ。
お手拭き

夕食の中華料理

夕食の中華料理

夕食の中華料理

夕食の中華料理
 
 五日目 2017年10月16日(月) デンパサール✈台北 晴れ
 
  8時半、バスが出発して1時間でバリ博物館に到着。博物館は伝統的な民家を模した展示館で、館内にはバリ舞踊のお面や衣装などの展示がある。どういっても館内は狭く、蒸し暑い。そんな館内に入ってバリ島各地の民俗文化を見学する。また、この時季は結婚シーズンなのか博物館の敷地内で新婚さんの写真撮影会を目にする。高い湿度にもかかわらず観光客の目の前で花嫁のドレスを敷物がわりにして地面の上に寝そべっての撮影会。半端ない蒸し暑さのインドネシア。観光中、顔からは汗がしたたり落ちる。それなのに敷物がわりとなるドレスは地面の湿気で汚れないのだろうか、ただそれが気になる。
 
 バリ博物館の隣にはジャガナタ寺院がある。この日はお祭りらしく、露店も並び、多くの人出で賑わいを見せる。ジャガナタ寺院は唯一神サン・ヒャン・ウイディを祭る。もらったパンフによると「インドネシアでは原則として『唯一神への信仰』が義務付けられいる。そのため『あらゆる神々は唯一神サン・ヒャン・ウイデイがさまざまな形で具現化したもの』と考え、多神教のヒンドゥー教を唯一神教と解釈している」と書いてある。高く空に突き出るジャガナタ寺院のトップをアップにして写真を撮ると何やら神様がいらっしゃる。これがもしかして唯一神サン・ヒャン・ウイディなのだろうか。
ホテルの部屋からインド洋が見える

新婦のドレスが敷物がわり!?

バリ博物館

バリ博物館に隣接するジャガナタ寺院

お祭りのジャガナタ寺院

ジャガナタ寺院のトップをアップしたもの
これが唯一神サン・ヒャン・ウイディ!?

 午前中の観光後、民芸品のお店でショッピング。ここで両替したルピアを使い果たすために袋に入ったバリ珈琲を購入する。皆さん、ここでの買い物を楽しまれていろいろ購入される。次に向かうはお昼のレストラン。ここでのセキュリティ・チェックはなかった。レストランの名前は置いてあった箸袋を見ると「米咲」(MAISA)とある。日本でいただくのと同じような和食だった。写真に写した以外にも、麺類と茶碗蒸しがある。ただ、着物姿の係りは皆さん、現地の人だった。

 今回の旅では和食、中華、イタリアン、インドネシア料理など毎日変化に富み、どれも美味だった。この後の台湾では夜遅く入国となって肉入りラーメンをいただく。しかし、ラーメンだけは日本の味が勝る。

お昼は「米咲」(MAISA)の和食

 13時10分、デンパサールから台湾へ移動のため空港に向かう。15時40分、中華航空CI772便は定刻通り台北に向かって離陸する。21時過ぎ、台北に無事着陸。ここで後日談として幹事のHさんがホッとされたとの情報を聞く。インドネシアに出かける前から危ぶまれたアグン山噴火。旅の無事をHさんに依存していた。お蔭で無事だった。ほんとうに有難い!
 
 台北の空港でホテルに向かうバスに乗ると窓に「車窗撃破装置」の表示がある。何と物騒なことだろう。ホテルに着いたのは21時40分。機内で機内食をいただいた。ホテル内のレストランでは軽めの夕食の肉入りラーメンをいただく。台北のホテルは諾富特華航桃園国際機上飯店。世界中にあるノボテルホテルらしい。


「車窗撃破装置」と表示がある
 六日目 2017年10月17日(火)台北✈広島 雨

 この日は旅の最終日。広島からインドネシアのジャカルタまでの道のりは遠かった。しかし、台北まで帰ると広島までは近く感じる。台北市内の観光はこのグループから4年前にも来ているので記憶に新しい。9時10分、まずは龍山寺へバスで向かう。ここでガイドから「龍の足は何本?」と問いかけられる。龍山寺の屋根の龍の足をアップで写すと4本足だった。龍山寺の本尊は仏教の観音菩薩で奥の後殿には航海の守護女神である媽祖(まそ)、学問の神として文昌帝君(ぶんしょうていくん)、商業の神として関羽(かんう)など、道教、儒教の神や歴史上の人物も合わせて祀られている。そのためか、龍山寺は台湾最強のパワースポットらしい。

 ここで台湾の占いについて学ぶ。霊山寺でお祈りする際、まずは筊杯という楕円形のものを1セット胸の前に持ち、氏名、住所、生年月日、お願い事を神様に伝える。次に筊杯を手中から地面に落とす。さらに落ちた筊杯の表(平面)裏(ふくらみ)の組み合わせを見て、神様の心意を読むそうだ。掌は陽、手の裏は陰であるため、陰陽合わせると「吉」となる。そのため筊杯の表と裏が出るといいそうだ。今回は時間もなくて誰もされていないようだった。

龍山寺


龍山寺

 龍山寺を後にして辛亥革命における中華民国建国、中国大陸での日中戦争などで戦没した英霊を祀る国民革命忠烈祠に向かう。中華民国国防部の管轄下にあり、この日の11時の衛兵交代のセレモニーに合わせて見学する。凛々しい姿はいつ見ても素晴らしい。

 なお、台湾の兵隊の制服の色は海軍は白で波の色、空軍は青で空の色、陸軍は緑で森の色と色分けされているそうだ。忠烈祠は白い制服だったので海軍だろう。またこの日は国慶節の後とあって、いたるところに台湾の国旗が掲げられていた。
 
国民革命忠烈祠

国民革命忠烈祠


国民革命忠烈祠 国慶節後の国旗掲揚がされている

国民革命忠烈祠


国民革命忠烈祠

 お昼はレストラン金品茶楼で小龍包などの飲茶料理をいただく。何とも賑やかなレストランで束の間の生存競争の厳しさを垣間見る。食事後の最後のショッピング・タイムは総合土産物店。お店の入り口で富山の高校生と出会う。韓国行きの修学旅行を朝鮮半島の情勢を考慮して台湾に変更したらしい。入り口で座って「こんにちは」と挨拶をしてくれる。かわいい高校生たちだった。

 滞在時間の短い台湾。店内でお茶のデモが始まる。お茶を試飲後にお茶を購入ずるよりも、ガイドが持っていた茶葉が入る水筒のようなものが欲しくなり購入。お土産店を出るとMさんご夫妻と話していると無患子(むくろじ)が話題になる。この言葉を聞いても全くわからない。ついにはノートに文字を書いて教えてもらう。羽根つきの羽についている黒い実だそうだ。


 お昼後は中華民国初代総統である蒋介石の顕彰施設である中正紀念堂を見学。この「中正」は蒋介石の本名である。ここの兵隊さんの制服は青なので空軍だろう。



中正紀念公園
瓦の藍色が美しい


中正紀念堂内


中正紀念堂

 台北の空港に向かう途中、虹を見る。虹を見ると何となくこれから先の幸せというか旅の安全を祈ってくれる気がする。インドネシアの旅に出かける前はバリ島のアグン山噴火が危ぶまれた。しかしインドネシア滞在中、アグン山噴火の話題は現地の誰からもなく、むしろこちらから聞くほどだった。滞在中の火山噴火の阻止は以前の旅で台風さえも寄せ付けなかった神がかり的存在のHさんのお蔭かもしれない。アグン山は帰国して一か月余り後の11月末に噴火した。そしてデンパサールの空港は一時的に閉鎖されたとの報道がある。

 ともあれ旅行中はアグン山の噴火もなく、旅の最終日は虹も出て楽しい旅は終わった。それでも驚くことがある。それは行く先々でISなどによるテロの防止策なのかセキュリティ・チェックが厳しかったことである。これも無事に通過して旅を終える。それにしてもインドネシアへの旅は遠い道のり。横に長い島国のインドネシア。都市から都市への移動は航空機に頼らざるを得ない。ほぼ毎日、飛行機に搭乗しての旅だった。これも今となっては楽しい旅の思い出。T団長をはじめ幹事のHさん、秘書的存在のMさん、そして旅をご一緒した皆さま、楽しい旅をありがとうございました。また、旅に出かけましょう!ほんとうにありがとうございました!


台北空港へ向かう途中、長い間、美しい虹が出ていた