2020年12月30日水曜日

昨日の補足

  昨日の補足として中村哲の生涯と関係ある人物がいた。それは火野葦平(本名は玉井勝則)。中村の母方の祖父は玉井姓を名乗る玉井家。その息子に火野葦平がいた。中村の母と火野は兄弟になる。中村は小さいころ、よく祖父の家に出かけていた。福岡の若松は港湾都市。当時、いろんな人たちが全国から若松に集まってきた。祖父は身を起してそれらを束ねる仕事をして成功する。だが、決して人を見下さず、どの人もみな同じように接したそうだ。

 中村の母はそんな父を見て育つ。母の兄弟である火野葦平はあるとき自ら命を絶つ。世の不条理を感じて育った中村は小説家になろうと思った。だが、それはいつでも書けると思い、医師を志す。その後は昨日のブログに続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 そして、新たな年も元気で楽しく過ごせることを願って……。

 どうぞ、よいお年をお迎えください!

2020年12月29日火曜日

「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲 73年の軌跡〜」 を見る

 昨夜はNHK・BS1スペシャル「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲 73年の軌跡〜」を見た。ニュースをはさんで2時間の番組だ。番組冒頭は中村の不幸から始まる。ちょうど1年前に凶弾に倒れた中村は自分と同時代を生きている。アフガニスタンで井戸を掘った人、とのあいまいな思いのままに見ていると思い違いも甚だしいと気づく。番組HPによると以下のようだ。

★2019年12月、アフガニスタンで銃撃により命を落とした医師・中村哲。長年、戦乱が続く地での医療活動に、飢餓を救うための用水路建設に奔走した中村の生涯に迫る。 中村は、戦乱が続くアフガニスタンで活動を続け、医療体制を整備。さらに、用水路の建設で荒れ果てた土地を恵み豊かな大地へと変え、65万人分の食料生産を可能にした。九州福岡出身。元々精神科医師だった中村が、なぜアフガニスタンに傾注していったのか。そこには、どんな思いがあったのか。番組は、生い立ちや仕事を知る20人余りにインタビュー。様々な活動を記録した貴重な映像と共に、医師・中村哲の足跡を振り返る。

 土木とは全く関係ない人が用水路建設に携わるようになると図面の設計から学び始める。最初は山好きが昂じて募集のあったヒマラヤ高山の医療従事者として応募する。医療も専門の精神科医以外に幅が広がり、ついには外科手術を学んで施し始める。さらには医療だけでは困難を極める人々の助けにならないと思いに至る。それには水が必要だった。

 20年くらい前にアフガニスタンを襲った大旱魃。そこで一念発起して大河を流れる水を用水路に引こうとする。それには用水路建設が必要だった。用水路には堰が必要と考え、直線の堰を作る。ついに用水路は完成した。が、10年後に襲った大洪水でせっかく作った用水路が破壊される。そのころ10歳になる次男の脳腫瘍発覚。人にはそのことを知らせず用水路建設にかける。大洪水になっても壊れない用水路を作ろうと故郷の筑後川を流れる山田堰の用水路を5日間かけてじっと見つめる。そのとき堰は直線ではなくカーブであると気づく。

 日本の土木技師も建設に加わるが日本の専門家であっても堰をカーブにすることは学ばなかったという。次男の病気を気にかけながらもアフガニタンに戻る。戻ってすぐに堰をカーブにすると大きな石も大河に流されなくなった。こうして堰が完成。長い用水路に水が流れ、肥沃な大地は水田地帯となる。これにより65万人の人々の命が救われている。

 用水路建設までにたどった道のりは遠い。一つ一つの困難を乗り越えていく様子は涙なくしては見られない。先日の辻井伸行の番組もそうだが、この番組は2時間の間ずっと涙があふれ出た。コロナ禍で半ば感情をなくした生活だった。が、番組を見てやっと感情を取り戻せた気がする。

 今、アフガニスタンの地に中村を称える大きな碑が建っている。脳腫瘍でなくなった次男に約束した用水路建設。中村は次男に誓った。いつか俺もそちらへ行くから待ってろ、と。それにしてもこの番組のタイトル「良心を束ねて河となす 」はなんと素晴らしいネーミングなのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月28日月曜日

年の瀬

 地元紙掲載の12月の「哲代おばあちゃん100歳今日も好日」を読んだ。お正月の準備として黒豆を煮たり、年賀状を30枚ほど書いたりと100歳とは思えない行動力だ。近年、年を取ると年賀状をやめる人がいる。哲代さんは年賀状を書いてくる人が来年はやめる、とあると寂しくなるそうだ。

 今のところ、まだそういうことはないが、話の最中に来年からは〇歳になったので出すのをやめる、という人はいた。わざわざ人からそう告げられることもないと思うとおのずからそういう人から離れてゆく。

 哲代さんは黒豆を苦労豆、と言い表す。黒豆の豆が「マメ」に通じる意味からお正月の縁起物とばかり思っていた。ネットで調べると丹波黒豆のHPに以下のようにある。

★黒豆はお正月のおせち料理の定番ですが、これは黒豆が栄養価の高い健康食品であるのと「マメに働く」という言葉に掛けた縁起物の意味があります。地元では黒豆を指して「くろう(苦労)まめ」とも呼ばれます。

 哲代さんの話のようにまさに黒豆は苦労豆とある。お正月は平日と何ら変わりない生活だが、黒豆だけは毎年のように煮ている。一昨日から昨日にかけて一袋黒豆を煮てささやかなお正月の準備となった。丹波の黒豆は高級品で北海道黒豆と比べても3,4倍の価格差がある。北海道産黒豆1袋280g購入して煮ると鍋いっぱいの量になる。お正月に食べきれないと思ってネットで調べると冷凍で1か月保存できるとある。早速、保存袋3袋に小分けして2袋を冷凍保存した。これで来年もマメに生きられそうだ。

 ほかにも地元紙を読むとこの時季として写真の整理がある。昨年から今年にかけて写真の整理をした。アルバムの写真をすべて取りはずすだけでも手間がかかる。今朝の新聞ではこれを「宝物、迷う、手放す」の3つに分類することをすすめる。自分では手放すと保存の2つに分類し、手放すはゴミとして出した。残るは保存分しかない。が、これがまだまだ大量にある。これをさらに宝物と迷うに分けることにしよう。将来的には「宝物」として保存した写真だけを手元に残すことにして……。

 日本画の先生から市の指令を受けてなのか、来月の日本画教室は取りやめとのメールが入る。年末年始、暇になる。再度、写真の整理をするのもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月27日日曜日

「辻井伸行 世界音楽紀行シリーズ~10年の軌跡、そして未来へ~」を見る

 昨夜は「辻井伸行 世界音楽紀行シリーズ~10年の軌跡、そして未来へ~」を見る。これまでの集大成らしく、3時間の長い番組だった。訪れた世界各国の音楽家たちとの共演は涙して見る。ガーシュイン作曲の「サマータイム」は訪れた先の音楽家たちの演奏を聴いて音を理解し、途中から即興でピアノ演奏に加わる。即興で弾く辻井のピアノは哀愁が漂う。ピアノでジャズなどを即興で弾くのが好きらしい。パリで過ごしたショパンの家を訪れる場面、アシュケナージの家から漏れ聞こえるピアノ演奏、ドイツのベートーベンの家ではベートーベン愛用のピアノを特別に触らせてもらっていた。ここで弾いた「月光ソナタ」は心揺さぶられる。

 そしてベトナムの民族音楽家が奏でる「それでも、生きてゆく」の演奏には感動するばかり。ベトナムの人たちの演奏のお礼として辻井がピアノ独奏でこの曲を奏でる。演奏途中からベトナムの人たちも加わって演奏が続く。この場面は特に心打たれた。多分、辻井作曲のこの曲が人々の郷愁を誘うのかもしれない。

 番組を見ながらコロナ禍で遠のいていた旅への気持ちが再燃する。そして、まだまだぼやぼやしておれないと再認識する。テレビを見て感動するとなぜか言われぬ元気が湧いてくる。来年春に切れるパスポート。コロナ禍で海外旅行は無理、との気持ちも薄らぐ。行く、行かないはどうであれ、来春にはパスポートの更新をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は番組HPからの引用。

★「音楽のチカラは世界を繋ぐ」をテーマに、ピアニスト辻井伸行とこれまで世界各国を旅してきた。……辻井の旅は、2011年のトルコから始まった。「西洋と東洋が出会う国」と呼ばれるトルコの民族音楽に、当時23歳だった辻井からは笑顔がこぼれる。そして、鬼才 ファジル・サイとの交流に大きな刺激を受け、トルコの観衆の前で披露した『トルコ行進曲』。
 あれから9年。新型コロナウイルスによって世界中が大きな困難に直面した2020年に、32歳となった辻井が、トルコ行進曲を改めて演奏する。そのほか、コロナ禍で作曲した新曲『笑顔で会える日のために』や、数々の自作曲を観客のいないコンサートホールから贈る。さらに、これまでの旅で出合った美しい自然やたくさんの人との出会いを振り返り、辻井が即興でオリジナル曲を披露!この番組のためだけに辻井が用意したのは全8曲。“今だからこそ伝えたい想い”を指先に込め音を奏でる。10年の軌跡へ想いを込めた“音色”は、過去ではなく未来へ希望の光を照らす。

2020年12月26日土曜日

図書館の休館延長

  2020年はコロナで始まりコロナで終わる年となった。これも今年で終わればいいのだが、まだまだ終わりそうにない。来年も尾を引きそうだ。昨日、広島県では141人の新規感染者が出た。これは過去最多。このため新年3日までの市立の管理団体休館は17日まで延長した。個人的に一番困るのは図書館の休館。2冊借りている本の『馬上少年過る』を昨日読み終えて残るは『幕末』の1冊となった。これも17日までには読み終えそうだ。

 家の本棚から、これまで買って読んでない本を探す。森本哲郎の『日本民族のふるさとを求めて』がある。タイトル通り、日本民族のふるさとを探して世界各国に旅する本だ。次に手にしたのが竹内好訳、魯迅著の『故事新編』。魯迅の本は楽に読める本ではないが、年末年始の暇つぶしに読むにはちょうどいいかもしれない。

 コロナがこれほどの感染力を強めると家の近場をうろつく程度で、初詣も怪しくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月24日木曜日

「英雄児」<『馬上少年過ぐ』収録>

 久しぶりにシトシトと雨が降る。用事もないのに毎日自転車に乗ってスーパーに出かけている。出かけたからにはと些細なモノでも買って帰る。というか自転車に乗って家から出るのを運動と思ってやっている。ところが今朝は雨。じっと家にいる日となりそうだ。

 こんな日は司馬作品を読むに限る。図書館がコロナ禍で急遽閉館となった。借りて帰った本は司馬遼太郎の『馬上少年過ぐ』と『幕末』。どちらも短編を収録している。これまで何十冊と読んだ司馬作品はいずれも長編小説だった。そのためか短編を読むと何か物足りなさがある。これも図書館が開館となる日までは仕方ないのかもしれない。

 以下は『馬上少年過ぐ』に収められた「英雄児」<『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎 新潮社平成二十四年第78刷)収録>の中から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この男(河井継之助)の学問観は、学問とは自分の行動の力になるものでなければならない、というものであった。……「学問とは自分の実践力を拡大するものであるべきだ」といった。詩文や古典の些末な解釈などはなにもならない、というのである。

 天保ノ乱の大塩平八郎とおなじ思想の「陽明学」の行動主義に心酔しているようであった。当時の官学である朱子学は、まず理を窮めてから行動する、というもので、自然、行動よりも知識偏重になっていたが、王陽明の儒教は、知ることと行うこととはおなじであるとしている。行動的なエネルギーをもった知識であらねばならず、その行動の主体である自分を作るのが学問であるとしていた。13-14p

2020年12月23日水曜日

カレンダー

  年々カレンダーの数が減ってきた。長年、届けてくれた業者のカレンダーが今年の暮れは郵便受けに入らない。姉夫婦の紹介で家のメンテをお願いしていた業者だ。姉によるとこの業者は事業をやめられたとか。来年のカレンダーは新聞とともに入る新聞社のカレンダーだけ?と思っていた。昨日、家の近くの電気店のカレンダーが初めて郵便受けに入れてある。

 デジタル化の時代といっても紙のカレンダーは一目見て行事がわかる便利さがある。今年は年初に出かけたミャンマーでお土産に買った畳3分の1の大きいものを利用した。だが、新年は昨日届いた電気店のカレンダーを利用することになる。いずれカレンダーも廃れていくのだろうか。

 カレンダーと言って思い出す。これまた年々、祝日がわからなくなってきた。長年生きていても祝日がさて何の日、と思う日がある。天皇が代わったり、新たな祝日もその年によって変化する。以前だったら成人式、体育の日、と日にちが固定されていた。ところがそれもいつの間にか変化する。また、祝日の呼称もこれは何の日、と思うような呼び方もある。ぼやぼやしていたらカレンダー一つをとっても取り残されそうだ。

 今年もいよいよという感じになった。コロナで始まりコロナで終わりそうなこの一年はパッとしない年である。1月初めに出かけたミャンマーの旅と10月下旬から12月初めにかけてGO TOを利用した7回の旅がせめてもの救いとなる。だが、これも慌ただしい日程でさてどこへ行った?というありさまだ。来年はコロナ禍が収束して、いつもと同じように誰もが安心して生き生きと暮らせる年になるといい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月22日火曜日

『ぶれない』

  先日GO TOトラベルで出かけた平山郁夫美術館。瀬戸内海に浮かぶ井口島・瀬戸田にある。瀬戸田は今は尾道市に属している。同じころ図書館の書架で見かけた『ぶれない』(骨太に、自分を耕す方法)(平山郁夫 三笠書房、2009年第2刷)を借りて読む。日本画の第一人者は「ぶれない」精神をつらぬいた。常にぶれているモノとは大いに異なる。気になる箇所をメモしよう。

★……亜流に陥らないために必要なもの、モノマネだけに終わらないために、どうしても必要なもの、それが「教養」なのです。教養が広ければ広いほど、行き詰まったときのヒントを広く求めることができるからです。そして、そこから自分なりの価値観や考え方を明確にしていく。こうして初めて、「自分の型」が見えてくるのだと思います。146p

★がむしゃらに求めていくエネルギーは、もう一つ、大きな効用を持っています。それは劣等感や不安といった「気持ちの揺れ」を防止してくれるのに役立つこと。弱気を追い払ってくれるのです。158p

★一見、ムダにも思える勉強や経験でもたくさんやるべきだ。ということは健康づくりのためにいろいろ努力することと似ています。……一つひとつが、すぐに役立つわけではありません。何だかムダに思えることもある。けれども、一つひとつをずっとやり続けていると、そのうち効果を発揮してくるのです。162-163p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月21日月曜日

ひらめきノート

  昨年初めて途中から見たM-1グランプリ。とても面白かった。最初から見ればよかったとの思いが募って今年は午後7時からテレビにくぎ付けとなる。決勝に進出した10組の漫才はどれも大差なく面白い。というか個人的には面白さもそうだが、演じる人の好き嫌いがある。

 昨年のM-1王者、ミルクボーイの漫才を決勝戦で見た時、笑い転げてしまった。今年はそれほどの漫才はなかったものの優勝した16代王者は今までの漫才のイメージを覆すほどの面白みがあった。M-1グランプリが終わると千鳥の番組を見る。それ以降もカープの選手の番組を見た。時刻はあっという間の深夜12時。途中、大急ぎでお風呂に入ったものの久々にテレビ三昧の夜となった。

 長時間テレビを見ながらふとひらめいたことがある。もうすぐ新年。新たな年を迎える。そのスタートとして「ひらめく」ことをメモしようと思った。それは何でもOK。自分でこれは、と思った「ひらめき」をノートに書き記す。「ひらめき」はなるべく一行にしてメモする。来年のこの頃、ひらめきノートを目にするとき、どんな風に気持ちが変化しているか、それが楽しみ。今日はそのノートを何にするかを先ず決めよう。

 お笑いと言えば明石家さんまがいる。かれのモットーは「人生笑ってなんぼのもの」と何かで知った。本当にそう思う。同じ生きるならば人生楽しく笑って過ごしたい。

 ともあれ今日も劇んで楽しく過ごしましょう!

2020年12月20日日曜日

「御の字」

 今朝の地元紙を見るとくらし欄に81歳女性の投稿がある。若いころ、アマチュア無線にハマっていたが、このごろはそれを退いて6年前からフェイスブックを楽しんでいるという。他にも趣味として楽しむ写真をアップして「いいね」のつながりを楽しむそうだ。ところが「いいね」がないと気になるらしく息子から一人でも見てくださっているならば素晴らしいことだと言って励まされる。

 フェイスブックはやっていない。が、毎日のようにブログをアップしている。年が明ければこのブログも丸10年になり、前のブログと合わせると丸12年になる。フェイスブックをやっている女性の息子さんのようにこのブログを見てくださる人が一人でもいたらそれで「御の字」と思って来年も投稿し続けよう。

 話は変わって12月になると「さらばシベリア鉄道」を聞きたくなる。また、歌いたくもなる。昨日はこの曲の楽譜をネットで探すと曲全部でなく途中までの無料楽譜があった。パソコンとプリンタをつないで印刷するのもわずらわしいと思い、五線紙に手書きする。これをフルートで吹いてみると歌ほどには簡単ではない。リズムに乗れないのがその原因かもしれない。チューナーに合わせてこの曲をフルートで吹く練習をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月19日土曜日

お墓参り

  この年末は年の瀬を感じさせない。ただ新聞折込のチラシなどがクリスマスやおせちの予約を募って年末らしさ煽る。メディアによると新年の初もうでは混雑の中のコロナ禍を恐れて「幸先詣」と称し、年内のお参りをすすめる。これでは初詣にならない、と思うけど神社側もコロナよりも金もうけにはしる!?先日、最後に出かけたGO TOトラベルの際、添乗員は12月初めというのに「幸先詣」をツアー客に知らせた。

 年内最後のお墓参りをする。途中の道で立ち止まって休む人に声をかけた。お墓参りの際よく出会う老人だ。日課として町内の一角を歩くという。昨日もその帰りらしい。年齢を尋ねると92歳になったという。墓地に着くと水汲み場でまたも人と出会う。両手に杖を携えている。のどが渇いたので柄杓で水を救って飲んでいた。年齢を聞くとまたも92歳。隣町から歩いてきたという。

 墓地は山に沿った段々畑を切り開いてお墓を建てている。道は険しく気をつけて歩かないと大けがのもとになる。そんな急な坂道を隣町から一人でお参りする、とは恐れ入る。

 帰宅後は自転車に乗ってスーパーへ行く。何も買うものがなくてもスーパーへ行くのが日課になった。買うものがないと言いながらも何やかやと買ってしまう。これもささやかな楽しみ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月18日金曜日

ココア

  寒くなって一気にコロナ感染者が増えてきた。昨日、広島の新規感染者は138人で過去最多となった。

 寒くなると冬眠するタイプなのでこの時季はそれほど遠くへ出たいとは思わない。家の中で楽しみを見つけて過ごすしかなさそうだ。家での楽しみに嗜好品がある。冬になると飲みたくなるものにココアがある。先日、スーパーでバンホーテンのココアを購入した。やはりココアは寒い時季にぴったり合う飲み物だ。

 飲み物と言って思い出す。社会に出る前まではアルコール類はもちろん、珈琲も紅茶も全く飲めなかった。珈琲は苦いだけで何がおいしいのかその良さがわからなかった。紅茶にいたってはあの生臭い感じが耐えられなかった。ところが社会に出て会社での飲み会に参加するようになるとまずはビールで乾杯となる。最初は苦いだけだったビールも親の血を引くのか飲むほどに美味しさが分かりだす。半世紀前までは生ビールと言えば大のジョッキで飲んでいた。ところが大ジョッキはあまり見かけなり、しだいに中ジョッキで飲むことが多くなる。

 20代前半頃に作家の五味康祐の講演会に出かけた。聴衆の大半は女性だったように思う。講演で五味は嫌いなことに挑戦すると運気が上がるようなことを話した。そう聞いて講演会帰りにさっそくこれを飲み物で挑戦した。当時は珈琲は何とか飲めても紅茶が飲めなかった。友だちと一緒に入ったカフェで紅茶を飲んだ。その時のことは覚えているがどんな飲みごたえだったかは覚えていない。ともあれ、それ以降、紅茶が飲めるようになった。

 今、ふと思う。もしかして紅茶以外でも苦手意識があった運動や絵などもその時の話が尾を引いているのかもしれない、と。かたくなに運動は嫌い、という意識が強かった。それが突如、30代半ばにして自転車に乗ろうと思ったり、泳げるようになりたいと思った。とはいっても泳ぎは友だちの影響が大きい。

 最初にそう目覚めさせてくれたのはもしかしてあの時に聞いた五味康祐の話かもしれない。

 今はメディアが発達したためか有名な作家の講演会もあまり見かけなくなった。本を読んでその人の影響を受けることもあるが、講演会での講師の話も影響は大と思う。そういえば若いころはクラシック音楽も好きでなかった。これも無理して広響の会員になって何十年も聞いていると自然とクラシックが好きになった。絵もそう。これまで取り上げたどれよりも苦手だった。嫌い、が一気に好きになるとは思えないが徐々に何とか続けて絵を習っている。まずは何でもやってみるに限る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月17日木曜日

「転」

 いつも利用する旅行社のHPを見ると、GO TOトラベルに関するペイジがトップを飾る。広島は全国で開始のGO TOトラベル一時停止を東京などの大都市並みに急遽、開始となった。それも当然。連日100人前後のコロナ新規感染者が出ている。これは大都市の人口比率に換算すると1.5倍以上になるとか。

 旅行社のHPには営業時間として週2日の営業となっている。日本最大手の旅行社がこういう形でコロナ禍に見舞われている。従業員のボーナスは支給されないと先日の報道にあった。たとえ大手の企業であってもお正月を前に社員はどうすりゃいいのだろうと思うに違いない。先日まで7回ほどGO TOを利用した。そのうち2人の添乗員は添乗以外にもう一つの仕事を持っていると話した。もちろんこちらが聞いたから返答したわけではなく、わざわざバス車内でマイクを通して話した。他に添乗員はコロナ禍での営業再開後に半数が仕事をやめたとも話した。

 仕事がなければ自らやめる人もいるだろう。その前に会社側からのリストラもあるかもしれない。リストラ経験者からすればこのやり方は非情この上ない。自分自身、そういう目に遭ってもすぐに気持ちを切り替えた。年齢が50代半ばということもありリストラ後に働くという選択肢はなかった。全く違うことでその時の気持ちをバッサリと切り替えた。もしもリストラが尾を引いていたら気を病んで今のような元気さはなかったかもしれない。

 人生何が幸いするかわからない。まだ若い人は気持ちの切り替えができないかもしれない。というか、その人自身の生活がやっとかもしれない。

 今年の一文字をどういいあらわすかが年末になるとささやかれる。先日、それは「密」と発表された。自分の中ではどうだろう。ひらめいたのは「転」。コロナ禍の世の中、誰もが自粛に追い込まれる。これもある面では「転機」かもしれない。生き方を見直す転機から自分自身の今年の一文字は「転」。

 リストラの時、思った。ピンチをチャンスに、「危機」を「好機」と捉えてあららたなことに気持ちを「転換」して挑戦しよう、と。社会人として大学に入りなおした際の志望動機書の一部にそう書いたことを思い出す。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月16日水曜日

『胡蝶の夢』(四)

 今朝はこの冬一番の冷え込みのようだ。一昨日から前夜にエアコンを予約して寝ている。昨朝の予約はOKだった。ところが今朝は予約済みのはずなのにエアコンの予約が入っていない。どこをどう間違えたか目覚めも悪い。

 以下は『胡蝶の夢』(四)(司馬遼太郎 新潮社、平成十二年三十三刷)から気になる箇所を抜粋したもの。今から10数年前の社会人大学生の頃、網野善彦の『 無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』を教材とするゼミがあった。その時、日本の社会から取り残された人たちのことを学んだ。今回、司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を読んでなぜそんなことになったのかがよく分かった。それも含めてメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★徳川家の覇権は慶長五年(一六〇〇)九月、日本国の兵を半ばこぞったほどの、敵味方ざっと三十万が美濃関ヶ原の盆地で集結し、戦闘し、流血することによって誕生した。幕府が法制的に出来上がるのは、慶長八年である。その後の二百数十年は、制度をつくり、それを踏み固めることについやされた。特に身分制の確立はその踏みかためのための核といってよかった。人間を差別することによって秩序づけようというのが政治原理であったが、同時に諸大名に対する統御もこの原理を用いた。21p

★秀吉の天下統一は「兵農を分離させただけでなく、兵を上に置き、農を下に置いて階級化した。徳川幕府はこの階級化をさらに厳密にした。……えた・非人制という凄惨な差別体制が固まるのは、徳川中期前後からである。徳川幕府をささえる核は、米と身分制であった。27-28p

★日本における金銀の価値は欧米とはちがい、金が安く銀が高かった。このため、開国早々日本の金は大いに外国に流れてしまい、その理由さえ幕府の勘定は気づかなかった。小栗は遣米使節団で渡米し、米国でその一点を集中的に調べ、帰国後、修正した。61-62p

★奈良朝のとき、仏教の影響から四足獣の肉を食うことが国法によって禁ぜられて以来、日本人の食生活も体格も貧弱になった。同時にこの国禁は、皮革をつくる人々を差別するようになった。107p

★これら卑賎の身分に、御中間(おちゅうげん)、御小人(おんこびと)、御駕籠者、御掃除者、それに黒鍬者があって、五役とよばれて卑しまれた。石取りどころか、俵取りですらなく、給金取りであった。215p

★良順は、新選組が好きだった。生涯好きで、明治後、老残の隊士を保護したり、近藤の墓をつくるのに力を貸したり、明治九年、南多摩の日野の高幡不動に近藤・土方の碑をつくるときも尽力した。かれらが江戸にひきあげてから、再起のための金銭の面倒も見た。「新選組は松本法眼さんが銀主だ」といううわさまであったほどで、それらの内容は幕府に働きかけて出してもらったり、浅草弾左衛門にたのんだのであったり、また良順自身が家から持ち出したものであったりした。222-223p

★都市も公であるという、中国史にもなかった思想が、勝が「論拠」としたこの時期にはすでに共有の考え方になりえたところに、勝の江戸城あけわたしがうまく行った基礎があったのであろう。この間、この当時の流行語でいう、「脱走」が多く出た。みな党を組み、銃器弾薬を持って東へ奔った。かれらが、古来の法として江戸城や江戸の町を焼いて奔るということをしなかったのは、勝のいう「共有物」という思想がすでに自然にあったといっていい。しかも一面、あえて「私」(徳川氏)に殉ずるというのである。慶喜が全権を委任した勝安房守(海舟)と西軍の代表である薩人西郷隆盛とが、慶喜と江戸城の処置について会談したのは三月十三、四の両日で、この結果、江戸は無血開城ということになった。226p

★医師は方外という身分制の外にあるとはいえ、右の伸縮の感覚の点で変わりはない。医師仲間でも奥御医師は諸般の藩医に対して大名然として威張り、また諸藩の藩医は、町医に対し、人間でないかのように威張っていた。この風は、明治後にも残った。大学が日本に一つしかなかったころ、大学勤務医が各府県の医学校の教員に対し、奥御医師が藩医に対するようにみた。さらには奥御医師、藩医(御典医)は、開業医に対し、町医とか町医者とよび、差別した。このことばは、「町人身分の医者」という意味で、幕藩体制とともにほろべるべき言葉だったが、明治後もこの身分制用語は死なずにのこった。日本の医師社会は封建制をそのまま体質内に残したということで、一種格別な社会といっていい。さらには医者が患者に無用に威張るという日本的現象も、江戸期の名残であった。285ー286p

★明治二年、かれ(注:相良知安)が上層部に出した意見書には 「独逸医学、万国秀絶いたし」とあり、仏方については仏国が奢侈だからわが国にむかない、とし、英国医学については「英は国人(日本人)を侮る」からよくない、とする。これは英国公使パークスの驕慢な性格と無縁ではないでだろう。その点で、独は「未だ亜細亜に馴れず」というよさがある、と相良はいう。アジアに馴れていないからバカにしないのではないか、ということである。結局、ドイツ式に変わった。362p

★伊之助は、自分の病気が肺結核であることがわかっていた。安静が大切、ということも知っていたはずであるのに、明治十二年の寒いころ、名古屋を発ち、駕籠で熱海にむかった。……道中、熱が高く、狭い駕籠の中でゆられながら、ひらひらと自分が蝶に化ったような錯覚をしきりに感じた。平塚の外れの野をゆくとき、菜の花に蝶が舞い、『荘子』にあるように栩栩(くく)然として宙空に点を撃つことを楽しんでいる。荘周が夢を見て胡蝶になったのか、胡蝶が夢をみて荘周になっているのか、大きな流転のなかではどちらが現実であるかわからない。佐渡の新町の生家の物置の二階で『荘子』を読んだときの驚きが、菜の花畑の中をゆく駕籠の中でよみがえった。381p

★この小説は私の印象の世界を流れている潮のようなものを描こうとした。自然、主人公は登場した人間の群れのなかのたれであってもよかったが、しかしこの流れにとってもっとも象徴的な良順と伊之助、それに関寛斎の足音と息づかいに気をとられることが多かった。とくに寛斎が登場したころ、「私は北海道陸別の出身で」という初老の僧侶の来訪を受けたことが、その土地を拓いて死んだ寛斎の想いを、血の泡だつような感じのなかで深められてしまうはめになった。383p

★何かをみたいというのが、私の創作の唯一の動機かもしれません。見たいという衝動と、見たということについての驚きだけで、小説は出来るものでしょうか。ただし自分自身をそんな反問ふりかえったりしないようにしています。仄かながらも見えたかもしれないという驚きを一個ずつ懐にしまいこみ、取りだすときにもう一度別な質を感じつつ、やがて一個一個、手撚りの紐に通してつらね、再度新たなものとして感じたいと思いつつ書きました。一世紀以上も過去の世界など、乳色の霧のむこうにあって私にはなにも見えないのです。歩いていて、樹の影を人かと思っておびえたりすることも、しばしばでした。(伊之助の町で――あとがきのかわりに――)390p

★(伊之助は島外へ出るべきではなかった)という感慨が、涙ぐむような悲しみともに沸いた。こういう自然と人文にくるまれてここで生涯を送ったほうがどれほど幸福だったかわからないという、以上はいわば私が伊之助の保護者であるかのような、ごく平俗な思い入れだったのだが、旅人にそう思わせるほど南佐渡の風物はゆたかでおだやかであった。(伊之助の町で――あとがきのかわりに――)401-402p

★『胡蝶の夢』を書くについての作者のおもわくのひとつは、江戸身分制社会というものを一個のいきものとして作者自身が肉眼で見たいということであった。それを崩すのは蘭学であった。……末期には幕府機関の重要な部分が”蘭学化”することによって身分社会は大きくずれるし、さらには皮肉なことに蘭学を学んだ者が、卑賤の境涯から身分社会において異数の栄達をした。(伊之助の町で――あとがきのかわりに――)403p

★良順にせよ、伊之助にせよ、関寛斎にせよ、あるいはかれらと一時期長崎でいっしょだった勝海舟にせよ、夢中でオランダ文字を習っているこのグループがのちにやってくる社会の知的な祖であるにはまちがいないが、しかしそのほとんど無意識的ともいうべきかれらの営為が、のちの社会にとってどれほどプラスであったかということになると、まことに混沌としていまなお未分というほかない。さらに見方をかえれば社会という巨大な、容易に動きようもない無名の生命体の上にとまったかすかな胡蝶(蠅であってもよい)に彼らは過ぎないのではないかと思えてきたりもする。ともかくも、冒頭にのべたように、私はただひたすらに人と人のゆく景色を見たいという衝動だけでこの一個の風景を書きつづけた。この風景から何を感じとるかは、作者自身、書き了えてからの作業である。(伊之助の町で――あとがきのかわりに――)404p

2020年12月15日火曜日

時流に乗らず自流で

  GO TOの一時停止が決まった。すでに7度もGO TO利用済みの者からすれば、とやかく言うことではないかもしれない。が、それでもこの制度は変と思ったことがしばしばある。特に地域クーポン。お土産を買わないものにとっては無理して必要ないものを買った。それも旅の時間的なゆとりのなさから購入する場所が限られる。旅をする地域への還元策もほとんどの購入場所はホテルの売店だった。これでは地域の一部しか恩恵がない。

 GO TOが再開されてもいつかその制度自体がなくなるはず。そうなったとき、旅行する人がコロナ禍前までの状態に戻るだろうか。トラベル対策で一気に個人が支払う料金を下げ、それが終わると元通りの金額となる。この金銭感覚のギャップは尾を引きそうだ。これ、もしかして自分自身だけのことだろうか。

 東京に住む姪はGO TOを利用して2泊3日で和歌山のアドベンチャーワールドのパンダを何度か見に出かけたそうだ。だが今回の制度の見直しで行かれなくなると危惧する。

 個人的に冬は冬眠するので家にいても構わない。ただ暖かくなってくるとどこかへ行きたい気持ちになる。その時までにコロナ禍が少しは収まっているといいけど。

 コンサートは中止、人とは会うな、外へは出るな、と制限ばかりの世の中だ。せめて気持ちだけはしっかり持って、ほかに楽しみを見つけて、世の中の悪い流れに流されないようにしないといけない。時流に乗らず自流で……。

 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2020年12月14日月曜日

さらばシベリア鉄道

 今日から新年3日まで市内の管理施設が全館閉館となる。昨日は何を慌てたのか朝、図書館で借りた本を機械に通していないと気づく。その時刻は閉館まじかの午後4時30分。すぐに図書館へ行って機械処理する。ついでにもう1冊司馬作品を借りて帰った。

 今年はコロナに始まってコロナで終わりそうだ。市の施設の閉鎖はせめて一日ぐらい余裕をもってすればと思う。図書館でコロナ感染があるとは到底思えない。というかそれよりも家から出るな、ということだろう。コロナ感染者は図書館などではなく大半が高齢者施設や飲食関係のクラスターによっている。ともあれ、スーパーが閉鎖されないだけでも由しとする!?

 いろんなことが制限される中、本ばかり読んでいるわけにもいかない。ネットを見るとカープとは全く関係ない清原選手が一昨日からYOU TUBEを開始している。現役時代の活躍を後になって知ったにもかかわらず、なぜかこの人に惹かれる。以前はこの人のブログを楽しみに見ていた。ところが、それも個人が起こした事件によりブログも閉鎖された。最近、YOU TUBEとともにツイッターも開設している。

 ツイッターの始めに「蓮の花のように」とある。この人はなぜか応援したくなる。

 今朝民放ラジオで聞いた「さらばシベリア鉄道」、この歌はいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月13日日曜日

今年最後の日本画教室

  広島ではコロナ感染者数が2日続けて100人を超えた。この数字は人口10万人当たりで換算すると東京の感染者数の1.5倍にあたるそうだ。これにより、市が管理する施設すべては急遽、閉鎖に追い込まれた。昨日は日本画教室の日。教室のある区民文化センターも明日から閉館となり、年末までに来週あと1回あるはずの教室も取りやめとなった。この報道は昨日の朝刊で知った。今のところ、閉館は新年3日までとなっている。が、これも感染次第でどうなるかわからない。

 日本画教室で来年2月に開催の区民文化祭に出品するサムホール大の絵を描いている。1か月半ほどGO TOを利用して出かけていたので教室を休むこともあった。F6の大きさの絵はすでに2枚描いている。が、サムホールの大きさの絵は描いていない。

 今月の残りの教室が休みとなり、2月の展覧会の出品が気になる。描いている絵は石段に舞い落ちた銀杏の絵。この石段を描くのは簡単そうで難しい。昨日、前回描いたところまでを眺める。久々に絵筆を持つが、気が焦る。いつもは絵の習い初めに先生にそろえてもらった水干絵具で描いている。昨日、先生は教室にある岩絵の具で描くようにと貸してくださる。水干とは違って岩絵の具は膠で溶いてもすぐになじむ。先生はこれで描いた後の効果を話される。その違いをうまく言い表せないが教えられたとおりに石段を描いてゆく。

 お陰で絵もだいぶ石段らしくなった。次は舞い落ちた銀杏を黄色系統の色で点描写する。うまく絵になりそう、と調子に乗って色付けしてしまった。次回の教室は来年になる。12月もまだ半分以上残っている。が、先生や教室の人と今年最後のこの日、早くも日本画での御用納めとなる。例年ならば、教室が終われば食べたり飲んだりするはずも今年はコロナ禍で何もかもできない。寂しい今年最後の教室となった。

 市の図書館も明日から急遽、閉館となる。年末年始、自粛生活が始まった。今日はこれから年末年始に読む本を借りに図書館へ行こう。なんかわけのわからない年末年始となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月12日土曜日

「姫路城と鳴門の渦潮・淡路人形浄瑠璃と大塚国際美術館 2日間」の旅

 2020年12月5日(土)から12月6日(日)までの2日間、<姫路城と鳴門の渦潮・淡路人形浄瑠璃と大塚国際美術館 2日間>と銘打ったバスツアーに参加する。サブタイトルとして「歴史・芸術・自然にふれる旅」とある。今回の旅は個人的にはGO TOトラベル第7弾目であり、今回をもって一連の旅のフィナーレとした。

 旅のタイトルに吉備津神社が抜けている。これは抜けているのでなく旅行社の気の入れようがこの神社にないということだろう。吉備津神社はこの10日余り前の旅行で出かけている。その日は大安吉日で結婚式や七五三の親子で賑わいを見せていた。しかし、今回は境内はひっそりとしている。前回訪れたとき、添乗員から神社近くにある犬養首相の記念碑を教えてもらった。それにもかかわらず見過ごす。今回は時間もあってゆっくり見ることができた。そして神社境内の紅葉はまだ十分見られた。

第一日目 2020年12月5日(土)
吉備津神社
吉備津神社の紅葉
吉備津神社の紅葉
吉備津神社の紅葉
吉備津神社の紅葉
犬養毅(号は木堂)先生銅像
 この付近一帯は公園として整備され、神社仏閣も多くみられた。
吉備津神社付近一帯の神社仏閣

 吉備津神社参拝後、行程表にある吉備サービスエリアでの昼食を変更して龍野サービスエリアに向かう。行程表を勝手に変更できないらしく電話で責任者にOKを取っての変更となる。龍野は揖保乃糸で有名な素麺のふるさと。コロナ禍で急遽、バス車内での弁当配布ができなくなりサービスエリアで各自昼食となった。ごった返すサービスエリアのフードコート。簡単に食べられる大きな揚げが入ったきつねうどんを食べる、さすがにうどんのつゆは美味しい。他にツナサンドも食べる。うどんの入ったお盆を見るとコーヒーの割引券がある。これまでサービスエリアで食事をしたことがなく、どうやってこのコーヒーチケットを使うのか見知らぬ人に聞くと親切に教えてくれた。100円で飲むコーヒーは美味!

 バスは姫路城へ向かう。世界遺産・姫路城はこれまで2度来ている。が、お城が改修されてからは初めてとなる。桜の時季はさぞかし美しいであろう姫路城。紅葉のこの時季も十分美しかった。とりあえず天守閣まで行こう、と決めて歩を進める。行けども行けども天守閣までは遠い。ここに来て運動不足が露呈する。マスクをつけての移動は息がかなり苦しくなる。それでも小さい子供連れの親子を見ると元気を出して上らずにはおれない。ただ、城内の上に行くほど暗くなる。ここは懐中電灯の出番だ。2時間のフリータイムも天守閣往復でかなりの時間を費やす。

 次に行くときは桜の時季に、と心してお土産店を物色。コロナは来春までに収まっているだろうか。怪しい限り。
姫路城
姫路城の天守閣の神社
天守閣から見下ろす
 天守閣を降りると播州皿屋敷の井戸があった。
播州皿屋敷の井戸
姫路城内の大木
絵になりそう
 姫路城を後にして今夜の宿泊場所である南淡路温泉へバスで移動する。宿はホテル&リゾーツ南淡路。その頃は日没前だったが、しだいに日が沈む。美しい夕焼けだった。露天風呂がある宿でゆっくりお湯に浸る。この日の携帯万歩計は12,531歩とよく歩いた。
バス車内から見る夕焼け
第二日目 2020年12月6日(日)

 淡路島の福良港はホテルからバスで行くとすぐ近くにある。淡路島は玉ねぎの産地らしく、ホテルのロビーには玉ねぎを販売するオブジェの軽トラが置いてあった。
玉ねぎの移動販売車のオブジェ
 ホテルを9時に出てバスは福良港に向かう。この港一帯には渦潮クルーズの観光船や淡路人形座がある。渦潮クルーズも人形浄瑠璃も初めてのことで気分も高揚する。というか淡路島上陸も初めてのことだった。前回の旅でSEA SUPICAに乗って瀬戸内海クルーズを楽しんだ。そのときはデッキに上がってじっとしていると、ちぎれんばかりの冷たさになった。また、吹きとばされそうなほど風も強かった。ところが大型帆船に乗っての渦潮クルーズは速度が緩いためかデッキに座っていても全く寒くない。これが12月の気候、ましてや海の上の気温というほど日差しも暖かかった。1時間のクルーズの間の大半はデッキで世界最大級の鳴門の渦潮を見学した。これは一度は必見の価値がある。クルーズは瀬戸内海と違って太平洋を駆け抜ける。瀬戸内海に負けず劣らず穏やかなクルーズだった。

大鳴門橋
 大鳴門橋は本四連絡橋の一つで鳴門海峡をまたいで淡路島と徳島県の鳴門市の大毛島をとを結ぶ吊り橋である。帆船が橋の下に近づくにつれて渦潮があちこちに見られる。帆船のガイドの「渦潮!」いう声を聴くと「嗚呼!」と乗船客から歓声が上がる。1時間のクルーズもあっという間だ。
鳴門の渦潮
大鳴門橋の下の渦潮
 渦潮を堪能後は港の目の前にある淡路人形座へ向かう。旅に出かける前は全く浄瑠璃に興味がなかった。だが、以前、海外の旅で知り合った米子の友だちが文楽に凝っていて大阪の文楽座に出向いていると聞いていた。それほど面白いならば、一見の価値があるかもしれない、と思い直して今回の旅を申し込む。浄瑠璃も文楽も言い回しが違うだけで同じ、と本を読んで知る。浄瑠璃は500年の伝統があるとか。鑑賞前に館内の案内や浄瑠璃の仕組み、舞台へ上がっての説明、楽屋裏見学、人形を操る3人の役割分担、さらには三味線を使っての語りの書物、などの説明を聞く。この書物は現在まで使用されている。昔はこの書を買うと封がしてあり。それを読むときに封を切ったことから「封切り」という言葉が使われだしたそうだ。
淡路人形座外観
淡路人形座入り口
浄瑠璃の説明を受ける
舞台からの客席
長年使われている語りの書
人形の着物

 人形浄瑠璃の演目は「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」だった。人形が火の見櫓を駆け上るシーンは裏で人が仕掛けているとはわかっていても迫力がある。係は売店で煎餅の購入をすすめる。長い伝統を守る人形浄瑠璃は今回初めて見たように一般の人にはなじみが薄い。生活の足しになる、と係は話して菓子の購入をすすめる。お土産に3袋購入。

 浄瑠璃を見学後は自由昼食となる。港辺りにお店が並ぶ。ツアーの人と入ったお店のなんと粗末なこと。こんなお店に初めて入った。2000円の海鮮丼を頼んだらプラスチックの容器に入った海鮮丼とわかめの汁がついて出た。お盆に入れず、海鮮丼の中にはだしもかかっていない。ましてやワサビもない。ツアーの人が小皿を、と告げると金属製の小皿をだして「これしかない」という。さらに「だし?」と告げるとなんと紙パックに入っただしが出た。こんな海鮮丼、と思いながら呆れて食べる。ゆっくり他のお店を探せばよかったと思ったのも後の祭り。お店に入るときには気をつけよう。

 いやな気持でお店を出る。次に向かうは大塚国際美術館。世界の美術品を銅板名画に模して展示している。館内をすべて見るには4キロも歩くとか。40分間は係のギャラ―リートークを聞きながら絵を見て歩く。館内はコロナがなんじゃ、と言わんばかりに混雑している。いくら立派な美術品でも所詮、偽物。その感覚が抜けずいい加減に見て歩く。システィーナ礼拝堂もずいぶん前にバチカン市国で本物に接している。係の話を聞いた後は各自で館内を見て歩く。だが、広すぎて歩くのに疲れる。ツアーの人とカフェに入った。

 カフェはカフェド・ド・ジベルニー。ここで季節限定の「ムンクのどら焼きセット」を頂く。ツアーの人と「昼食を美術館で食べればよかったね」、とぼやく。館内のカフェに座ると俄然元気が出る。美術館のカフェで珈琲を飲んでゆっくりする、は理想の美術館見学のスタイル、と誰かが話していた。まさにその通りでその点ではカフェに入って正解だった。どら焼きは餡が白と赤の二重になって入っており美味だった。急須の飲み物は「阿波番茶」というそうだ。初めて飲む味だった。

ムンクのどら焼きセット
 元気が出たところで残り1時間足らずを見て歩く。係の説明があった際、「カッパドキアの……」と話した時に外から見えた景色がよかった。そこを探して歩く。だがその時は太陽が影ってきて、さきほどの光景ではなくなった。それでも人に何度も聞いてやっと着いた場所なので感激もひとしお。その前にある聖テオドール聖堂の説明だけを記念に写した。なお、カッパドキアはまだ行っていない。

 なぜかゴッホの絵に惹かれる。今は焼けて焼失したゴッホの絵がこの美術館のパンフの表紙になっている。他にもゴッホの絵ばかりを集めた部屋にも入った。絵を見ても本物でない、との印象が頭をかすめる。館内の絵を見ていると人が多くて息が詰まりそうになる。やっぱり外がいい、と思ってオープンスペースに出ると外の景色が美しく思えた。自然に勝るものなし、との思いを強くする。
オープンスペースからの眺め
 1泊2日の淡路島の旅は2日とも晴天のうちに終わった。そしてGO TOトラベルもフィナーレを迎えた。広島駅に着くとペデストリアンデッキに例年この時季に飾られるクリスマスツリーはなく箱だけが置いてあった。この大きな箱は何の意味!?2日目の携帯万歩計は9,429歩。7回のGO TOトラベル参加はいずれもよく歩いた。またどの旅もお天気に恵まれたいい旅だった。そして、元気、とりわけ足が強くなければどこへも行かれないとの思いを強くした旅だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月11日金曜日

司馬作品読書一覧

  「文藝春秋」新春特別号の新聞見出しを見ると<司馬遼太郎「坂の上の雲」大講義>として片山杜秀と佐藤優の記事がある。その横では「エリートと大衆が分断された今こそ読み継ぐべき国民文学」とも書いてある。2年前の今、大連に出かけた。日本のこの時季は気温15度と真冬並みの気温ではない。ところが、中国東北部に位置する大連は̠̠マイナス10数度の世界となる。最大限の冬の格好をして出かけた大連は案の定、雪景色だった。今でも鮮明に思い出すのは二百三高地。途中でシャトルバスが運行されず、雪の山道を歩いて登った。ツアー8人のうち4人は途中で登るのを断念したが、勇気を出して登った。

 その時の旅行で食事は8人の円卓。話題になるのは司馬遼太郎の『坂の上の雲』だった。それまで読んでいた司馬作品は『街道をゆく』シリーズやモンゴルのことだった。ツアーの人から是非とも読むようにと言われた『坂の上の雲』。旅行から帰って読み始めるとそれほど簡単に読める本ではない。ましてや一作品が6巻もある。1巻は500頁以上にも及ぶ。『坂の上の雲』の題材は大連が大半を占める。大連から帰ってすぐだったので興味津々で読んだ。それ以来、司馬作品に関心を抱き、生きている間に全作品を読もうと意気込んだ。

 丸2年が経過した今でも司馬作品にハマっている。今や司馬作品を読むのが自分のライフワークとなった。ワードにこれまで読んだ司馬作品を一覧表にしている。改めて読んだ本の一覧を見ると司馬作品への愛着は2年前と変わらず、同じ勢いで読んでいる気がする。人の言葉に影響されやすい性格も、いい方面に導いてくれた人に感謝しかない。今は司馬作品を読まない日々はない。それほど自分の生活の中に大きな比重を占めている。多分、これからもよほどのことがない限り(自分の読む体力がなくなったとか…)死ぬまで司馬作品を読み続けるだろう。

 幸い司馬作品は自分がこれから何年元気でいるかわからないけどその間に読むだけの数は十分ある。というか、生きているうちに全作品を読み終える、この願いが達成できるかどうかが問題だ。

司馬作品読書一覧表

『坂の上の雲』全6巻 文藝春秋 単行本 2018年12月中旬~2019年2月
『竜馬がゆく』全8巻 文春文庫 2019年3月~5月
『花神』全3巻 新潮文庫 2019年6月~7月
『世に棲む日日』全4巻 文春文庫 2019年7月~8月
『酔って候』 文春文庫 2019年8月
『西域をゆく』 文春文庫 2019年8月 (井上靖、司馬遼太郎)
『ひとびとの足音』文藝春秋 単行本 2019年9月
『翔ぶが如く』全10巻 文春文庫 2019年8月~2020年2月
『歴史を紀行する』文春文庫 2020年2月
『歴史を動かす力』(司馬遼太郎対話選集3)文春文庫 2020年2月
『司馬遼太郎幕末・明治論コレクション幕末維新のこと』ちくま文庫 2020年2月
『空海の風景 上』文庫 中央公論新社 2020年2月
『空海の風景 下』単行本 中央公論新社 2020年3月
『項羽と劉邦』上 文庫 新潮社 2020年3月
『項羽と劉邦』中 文庫 新潮社 2020年4月
『峠』(上) 文庫 新潮社 2020年5月
『峠』(中) 文庫 新潮社 2020年6月 
『峠』(下)  文庫 新潮社 2020年6月 
『菜の花の沖』(一)文庫 文藝春秋 2020年7月
『菜の花の沖』(二)文庫 文藝春秋 2020年7月
『菜の花の沖』(三、四、五、六)文藝春秋 2020年9月
『胡蝶の夢』(一、二、三,、四)新潮社 2020年12月
『馬上少年過ぐ』新潮社 2020年12月~読書中
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月10日木曜日

『いくつになっても』(トシヨリ生活の愉しみ)

 『いくつになっても』(トシヨリ生活の愉しみ)(中野翠 文藝春秋、2019年)を読んだ。図書館の新刊検索からこの本を予約するとき、著者の中野翠は年老いた男性と勝手にそう思っていた。ところが長い予約待ちの末にやっと借りて読むと年老いた、は当てはまるかもしれないが、男性でなく女性だった。本のタイトルに書いてある内容を把握するのはむつかしい。ましてや知らずにいた著者を想像するのはさらに難しい。

 これまでいろんな人のエッセイを図書館で借りて読んでいる。時代が変われば書く人の変化も出てくる。これからは(というかこれまでも)中野翠がエッセイの幅を利かせるだろう。中野翠という人はこの本で初めて知った。プロフィールによると同時代を生きている人で独身。そして一人暮らし。これだけでも親近感がわいてくる。

 以下は読んだ本からの抜粋。抜粋した3件は自分自身もまさにそう思っている。さすがにプロの作家だ。うまく言い表している。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★今の私の歳の頃、父や母はどういう心境で暮らしていたのかなあ……と思いめぐらすことが多くなった。66p

★とにかく、フォーマルなことは苦手なので、私がこの世を去った時も、できれば葬式はナシにしてもらいたい。……生まれた時だって身内しか騒がなかったんだろうから、死んだ時もそうであってほしい。無葬式というのは寺の方が迷惑に思うかもしれない。残された人たちに迷惑をかけるのはイヤだからム葬式に固執はしない。……167p

★多くの場合、人は自分の死を実感できない。生まれた時に「今、私は生まれた」という意識が無いのと同様、死んだ時も「今、私は死んだ」と、死を実感することはできない。それは、ささやかな救い、ということにならないか?人生の最初と最後は無意識なんですね。とりあえず、生きているのだから、ありがたく思って生きて行こう。できるだけ面白く楽しく。心の中の青空を探して行こう。その程度の考えしか私にはないみたい。170-171p

2020年12月9日水曜日

「アンダルーサ」

  下手の横好きで気になるモノ・コトをあれこれとやっている。その一つにフルートがある。決まった時刻になると笛を吹き始める。昨日、お昼前にスーパーから帰って玄関に入ろうとすると人が近づいてくる。何やらこの家の2階から音がするのは何の音?と聞かれる。フルート、と返答するとその人はオカリナを習っての帰りだった。オカリナを習うようにと勧誘されそうな気配がして適当に話をする。

 個人が趣味で吹くフルートなので家に防音装置のある部屋はない。下手な笛の音は外に漏れてしまう。戸建て住宅でなく、マンションでは音が出る楽器の練習は制限がある人もいる。幸い我が家は家の三方が道に面しているので、まあいいか、と昼間に笛の練習をする。

 時々、何か吹いてるね、と近所の人から聞かれることがある。音が漏れるのは申し訳ないけど、その辺は大目に見てもらって練習する。YOU TUBE先生のフルートの動画を参考にして……。

 先日来から吹いているグラナドスの「アンダルーサ」。うまく吹けるようになるとICレコーダに録音する。これも自己満足の世界に間違いなし。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2020年12月8日火曜日

GO TO トラベルは無事、フィナーレを迎えた

  地元紙によると東大チーム調査として<「トラベル利用」発症多く>と大見出しがあり、<味覚・嗅覚の異常 2倍に>との小見出しの報告記事がある。10月下旬に出かけた世羅高原の旅に始まり、一昨日の淡路島の旅で計7回のGO TOトラベル利用の旅を終えた。1か月半の間に7回(10日間)の旅は結構疲れる。遊んで帰って疲れた、とはナニゴト!?と自問自答する。一昨日の淡路島辺りの旅は兵庫県の感染者が増えている最中であり、行く前からコロナにかからないようにと気にかけて出かけた。今のところはコロナも大丈夫のようだ。

 GO TOトラベル利用7回で旅行会社に支払った金額は103,900円。この金額は海外旅行1回分にも当たらないほど少額だ。旅行代金総額はいくらになるのか計算すると189,550円。共通クーポンは26,000円もらっている。ということで実質の旅行代金は77,900円となり、これで7回の旅をしたことになる。

 ただ金額的に見れば安い旅でよいのだが、このコロナ禍の時期の旅は回が増すごとに旅への規制が強まっていった。GO TOの始めのころは車内での飲食はOKだった。ところがそれも飲み水だけOKとなる。そのため旅の行程表ではバス車内での昼食が急遽、当日、昼食代金払い戻しでサービスエリアに変更して昼食を各自食べた。

 感染対策のマスク着用も家ではマスクなしの生活のために一日中着用となるとかなり息苦しさを覚えてくる。ましてや暑くなると顔に汗をかく。そうなると息苦しさも半端でない。ある時、ふとこうまでして遊ばないといけないのだろうか、と自問自答する始末。幸い12月5,6日の旅で個人的なGO TOトラベル利用の旅のフィナーレを迎えた。コロナを恐れて無理して遊びに行くこともあるまい、との思いにいたる。

 とは言いながら、7回の旅の出かけた先はこれまでほとんど行ったことがない場所であり、それはそれで楽しい旅だった。

 自分自身が現役で働らき、母が健在の頃は国内の旅よりも海外旅行を優先した。今となってはコロナ禍になってしみじみとそれは正解だったと思う。海外の旅の再開はもしかして、この先数年はかかるかもしれない。その間は国内の旅にシフトしてまだ出かけてない場所へ行きたい。司馬作品に出てくる場所に惹かれる。室生寺や佐渡へも行きたい。他にもまだ出かけたいところは沢山ある。そのためにも元気でいなくてはいけない!

 コロナの様子を見ながらこれからもいい旅をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月7日月曜日

「姫路城と鳴門の渦潮・淡路人形浄瑠璃と大塚国際美術館 2日間」の旅から帰って

 昨日とおとといの2日間、個人的にはGO TOトラベル第7弾目となる「姫路城と鳴門の渦潮・淡路人形浄瑠璃と大塚国際美術館 2日間」と銘打った旅に出かけた。旅のサブタイトルとして「歴史・芸術・自然にふれる旅」となっている。まさにこのタイトル通りの旅だった。GO TO トラベルは10月下旬にデビューし、昨日でフィナーレを迎える。

 この2日間の旅は広島でもコロナ感染者数が10数人でなく数十人と勢いを増す。ましてや出かける先の兵庫県は日に日にその数も増えている。コロナを気にしながら旅をつづけた。幸い出かけた先は兵庫県でも神戸などの繁華街ではない。その点だけは少し安心して出かける。

 7回のGO TOトラベルのいずれもお天気に恵まれた楽しい旅だった。ただ、先日出かけた吉備津神社は今回の行き先と重なる。が、今回は前回ほど混んでいなくて前回見られなかった場所へ行くことができた。

 今回の旅の参加人員は16名と少なく快適な旅となる。特に淡路島は初めてであり、人形浄瑠璃も初めてだった。行く前は浄瑠璃に全く興味がなかったが、これもせっかくの機会と思って見ていると興味も湧いてくる。また人形浄瑠璃に対して何の知識もなかったが、演目が始まる前に人形浄瑠璃にまつわるお話を聞いたり、舞台に上がって説明を受けたり、舞台裏など見学するうちに興味も増してゆく。人形を操る人たちの熱の入った話を聞くと応援したくなる。人形浄瑠璃の財政状況も厳しいらしく、お土産として売店で売っている煎餅の購入をすすめられる。共通クーポン6000円分がある。これを利用して購入しようとするがクーポンを扱っていないという。これには驚いたが、現金で煎餅を購入する。だが、硬そうな煎餅で誰が食べる?と思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月4日金曜日

2020年のレモン

  広島県はレモンの産地。我が家にもレモンの木が1本ある。母が88歳の時、母の孫がレモンの苗木を1本くれた。それを地に移し替えて8年後に初めて実をつけた。それからというもの倍々ゲームで実をつける。昨年は100個余りレモンが実った。たった1本のレモンの木は狭い庭に幅を利かせている。

 100個以上もレモンが実ると初めて実をつけたときのような感動はなくなる。今年は肥料も水もやらずじまいだった。実り始めの頃は白い花が咲いただけでも感動した。それが実をつけると更に嬉しくなる。ところが実をつけすぎると嬉しさも次第に薄れてゆく。なんと身勝手なことよ、と思いながらレモンを眺める。

 今秋、県北に住む友だちに会いに行った。高速バスにレモンを持参して……。30個余り持参すると結構な重さになる。三次駅で友だちの車に合流後、30個余りのレモンをどうする?と聞く。知り合いからブルーベリーをざる1杯ほどもらったという。そのブルーベリーをレモン果汁を入れてジャムにするらしい。我が家辺りではブルーベリーそのものさえ簡単には手に入らない。ましてやジャムとなるととんでもない話だ。

 先日まで今年は40個余りレモンが実ったと思っていた。ところがレモンの木の下方から上に顔を向けるとまだ実をつけている。今年は昨日時点で60個くらい実ったようだ。だが、どのレモンも昨年までのようなきれいなグリーンレモンでなく、どこか薄茶色になっている。これは水不足!?よくわからないが例年のようなきれいなレモンは少ない。今のところレモンを使ってどうこうする気も起らない。しばらくは冷蔵庫に入れてからのことになりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月3日木曜日

『胡蝶の夢』(三)

 司馬作品の『胡蝶の夢』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋、平成十二年34刷)を読んだ。この作品としてはあと4巻目が残っている。この時代、今では考えられないような身分制社会だった。まだすべてを読み終えていないが、その身分社会で人として見られない化外の人たちがいた。興味深いのはその化外の頂点に立つ弾左衛門は朝廷や幕府からその地位を位置づけられながらも、何か事があれば幕府の偉い人たちと同じようなしきたりで事が運ぶ。その様子はこの本を読んでいて非常に興味深い。

 奥御医師である松本良順や伊之助は大公儀に仕える医師である。奥御医師はオランダから派遣されたポンぺに蘭方を学ぶ。かれらは江戸幕府瓦解に伴って自らの運命が左右される。最後まで読み終えていないのでその結果は今のところ分からない。当時の蘭方がやがて東大の医学部や順天堂大学医学部のもとになっていく。それほど昔のことではないが今から思えば医学の発展は素晴らしい。

 当時の種痘をみても今とは比べられないほど遅れている。今のコロナウイルスで慌てふためく状況と同じようなことかもしれない。

 以下はいつものごとく気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★良順が生涯きらいぬいた伊藤玄朴などは天才的な臨床医であったが、しかし自分の医術を金銭化することに異常な情熱を持ちつづけた。――医は病に対する武人である。という素朴な信条を持ちつづけた良順が、玄朴に対しては圧倒的な嫌悪ををもち、病者のふところから不当な金銭を抜き取る追剥ぎのようなやつだ、とまで言ったことがある。24p

★幕府はポンぺが去るにあたって、金品を贈り,、手あつくその労と巧にむくいた。こういう心遣いはこの時代の日本社会一般の美徳のようなもので、さきに離日したカッティーケたちも幕府のそういう手厚さに驚き、感激したが、ポンぺもまた「将軍陛下とその政府にこの上ない感謝を捧げる」として自分の働きを高く評価してくれたことに満足した。37p

★かつて幕府の医学を統理していたのは多紀楽真院と野間昌院の二人の法印であったが、それまで漢方医から切支丹の眷属のように忌まれてきた蘭方医が、法印にのぼったことは、時勢の転換をしめすものであった。ただし医官に僧侶並みの僧階を与えるという伝統には変わりがない。法印には、院号がついている。玄朴は「長春院」というめでたそうな院号をつけ、公認された。……伊藤玄朴が尽力した最大のことは、時のいきおいとはいえ、江戸に国立の西洋医学所をつくったことである。長崎よりやや遅れたとはいえ、国費による二つの医学教育機関が東西相ならんで設立された意義は大きい。41-42p

★元来、かれの私塾の適塾の正称は洪庵の号である適々斎から来ており、ともかくも適という文字を好んだ。自分の心に適った境涯を楽しむ、という意味であるらしい。46p

★本来「徳川」は幕府を持ちつつも近代国家の概念での国家もしくは政府はなく、あくまでも家であったということである。徳川家がその数百万石の所領からの租税で幕府を運営し、例えば長崎医学伝習所も経営している。良順の時代までは徳川の経費できたポンぺには徳川の臣が学ぶという原則であったが、良順以後、地下人まで門戸がひらかれたのは、いつのまにか徳川家が家でなく国家になったことを示している。

 安政条約で外国との交渉の影響のあらわれと言っていい。徳川家としては日本国の居住者はすべて徳川将軍の国民であるという顔をしなければ、諸外国は日本を公国の連合体と見、雄藩と直接交渉するおそれができたのである。封建制が、この一点でもこわれはじめている。52p

★どの城下町でもそうであるように、城に近い地域ほど高禄の者が住む。徳島城下でもそうで、城を中心に武家屋敷町がかたまっている。吉野川(別宮川)の河口の南岸の沖積地に、徳島城下ができている。……いわば進駐軍だった蜂須賀氏が、国衆の波乱と襲撃を仮想し、その防衛を主題に細心に設計されている。たとえば武家地と庶民の町(郷町)とのあいだには城壁代わりの木戸が設けられ夜は閉ざされるというのも、士庶の身分区別をつける役割と、郷町という地元衆に対する警戒心から発想されたものにちがいない。146p

★寛斎が、晩年、北海道十勝の斗満原野の悔恨を志し、数えて八十三歳の時その開墾地で自殺するのだが、その長い人生においてつねにその情緒をひたしつづけていたのは、信じがたいほどのことだが、生後三歳までの感情であったようである。147p

★阿波は、上方文化圏に属する。四国の他の三国より室町文化の浸透がふるく、ある意味では安房人が室町文化をつくることに参加したといってよく、その伝統によって庶民文化の高さは隣国の土佐藩などとはくらべものにならず、一藩の上下が、多少濃度はうすくとも上方文化を保有しているといってよかった。そのことは人形芝居の盛行ひとつをとりあげてもうかがうことができる。(しかし、この藩はむごい)と思うことがある。下人という特別な階級があり、まったく奴隷で、売り買いの対象にすらなっているのである。この下人に相当する者は、他の藩にはなかった。蜂須賀というのはそういう家なのか、と他国者の寛斎は違和感が神経的に大きくなるとき、つい思ってしまうのである。155p

★ともかくも幕末における政治情勢、あるいは長州人の政治運動、もしくは横浜の閉鎖が問題になっている現下の政治季節といったような意味での政治という言葉は、中国にもふつうなく、日本にもなかった。226p

★医官は、長袖者ととよばれる。「ながそで」とも、ちょうしゅうしゃともよばれるが、言葉そのものが、その精神を軽蔑する場合に用いられる。長袖者は医者だけでなく、僧侶、神職、あるいは儒者といった方外の身分の者たちと、公卿をふくむ。口ばかり達者で、いざとなると覚悟のない連中、という場合に――武士との対比において――つかわれる。298p

★時代の一般的思想である攘夷には、枕詞のようにして尊王がつく。攘夷とは孔子が編集したとされる『春秋』以来の熟語で、王ヲ尊ビ、中国ヲ尊ブハ夷荻ヲ賤シム所以ノモノナリ、というこの思想は水戸学の理念としてひきうつされた。水戸学の場合、中国は日本におきかえ、王は徳川軍家とせず、京都の天皇としたが、ともかくもこの思想はこの時代の知識人の共有のものであり、どれほどに跳ねっかえりな開明家でも、この思想を下敷きにした上でなければ世間から袋だたきにされるというものであった。310p

★良順は、いう。弓を持っている仏、杖を持っている仏、印契だけを結んでいる仏、つまりは薬師如来は人の病苦をなおす薬の壺をもち、不動明王は剣をもっている。そういう仏たちの持物や印契を坊さんの世界では三昧耶形(さんまやぎょう)というのだが、それらは単に道具ではない、仏たちが人を救うための人格内容の象徴なのだ、と良順はいい、「おれは人間も、そういう三昧耶形がくっきりしたやつが好きなのだ」といった。まことにざっとした内懐だが、明快といえなくはない。317p

★長州が京で大いに時を得ていたころ、西本願寺も長州派であった。長州藩領に末寺がおおいということもあったが、それよりも僧月性(一八一七~一八五八)の影響が大きかったであろう。月性は長州藩領の周防国遠崎の妙円寺という末寺の僧で、卓越した詩人として知られ、とくに、「男児立志出郷関、学若不成死不帰」は一世に愛唱された。344p

★――医者はよるべなき病者の友である。とポンぺは良順に教えたが、家茂にとって生涯の短い期間、一個の病者として良順だけが友のように思えてきた。良順の生涯の悲しみは、そういうことにもあった。さらには、家茂はかれの肉体への間断なく襲いかかっている苦痛とたたかいながら、長州のことを懸念しつづけていた。良順の長州きらいというのは、家茂を看病しつづけたときに決定的になったといっていい。391p

★「松本、そちは居眠りの名人だな」と、家茂は死の数刻前、良順をからかった。そのことばが家茂の良順に対する最後のことばになったが、その声が、虎落(もがり)に鳴る冬の風のように耳もとで聞こえ続けている。(徳川の御家も、永くないかもしれぬ)と思ったのは良順の理性のほうで、感情としては戦場で主君を喪ってそのあたりを漂っている浪党のような実感を持った。のちのちまで良順にとって幕府の終焉というのがこの日であったような気がしてならなかった。399-400p

2020年12月2日水曜日

初めてのオンラインセミナー

 初めてとなるオンラインセミナーを受講した。12月1日午後1時から15日までオンラインでいつでも受講できる。昨日の午後2時前、受講しようとパソコンに向かう。指定されたURLに接続しても思うような画面に行きあたらない。試行錯誤の末にやっとセミナー画面にたどり着く。今朝メールをチェックするとURLの送信がある。既に受講済みで、しかもそれに付随するアンケートも送付済みだ。ともあれ、オンラインセミナーの受講を終えた。

 オンラインセミナーは秋山伸隆氏による講演「毛利元就が結ぶ石見銀山と厳島神社」(第1部~第3部、各20分)で始まる。石見銀山へはまだ出かけたことがない。折を見て石見銀山を訪ねたい。毛利元就、石見銀山そして厳島神社というこの3件が関係あるとはこの講座で初めて知った。今読んでいる司馬遼太郎の『胡蝶の夢』によると、当時の日本は金よりも銀の方を価値あるものとしていた。そのため、海外との取引で金を惜しみなく出したことで金の保有量が減少。後になって銀よりも金が価値ある、と気づいた。

 講演の後、講師と主催者側の研究員とによる対談「戦国大名毛利氏と石見銀山」もあった。対談はセミナーを受講して初めてわかる内容で、興味深く話を聞く。コロナ禍のこのご時世、ネット上での講演は今一歩の感があった。が、ネット上でも興味深く聞くのは可能だった。と言いながら元来「講演会」は好きなのでコロナ禍が収束したならば講演は会場で聞きたいものである。   

 オンラインセミナーと言えば今年はコロナ禍で大学生をはじめとして勉強する人たちは皆さん、この形式で受講している。そう思うと大変な時代になったと思わざるを得ない。人との対話は画面越しでなく直接聞く方がよりわかると思うけどどうなんだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年12月1日火曜日

「今日も好日 嘆くより忙しゅう動きます」

  尾道市でひとりで暮らしている石井哲代さんは今年100歳。3年前の97歳の時、「錆びない鍬でありたい」とのドキュメンタリーをテレビで見た。その時もすごい人だ、と思った。100歳になった今の様子が昨日の地元紙一面に載っている。「哲代おばあちゃん100歳、今日も好日 嘆くより忙しゅう動きます」と見出しがあり、11月の活動を日記にしたためている。11月になって家にいたのは雨が降った1日だけだったとか。これ、本当に素晴らしい。大いに見習わなくてはいけない。

 おととい夜に放送された「新日本風土記」を見た。その中に奈良の室生寺がある。室生寺は女人高野ともいわれる。テレビを見ていてまだ行っていないと気づく。これは是非とも行かねばならない。図書館で奈良のガイドブックを見ると室生寺の詳細が書いてある。これから冬になるし、コロナ禍で今一歩個人で出かける気が起きない。ツアーがあればいいけどなければおとなびを利用して行こう。冬は冬眠する(?)ので行くなら春になる。いや、いや、哲代さんを見習って「忙しゅう動きます」!?

 昨日、あまり利用しない旅行社から旅のカタログが送付されてきた。いつも利用するJ〇Bとは違って参加人数を40名とうたったツアーがある。大半は30名だ。利用する会社は20名以下の参加でコロナ禍を考慮している。ここは信頼できる会社を選ばないといけない。特にコロナ禍になって旅行社を選ぶ基準が明確になってきた。信頼がおける会社でないと恐ろしくて利用できない。

 久しく見ていなかったNHKワールドをパソコンで見る。語学の勉強にはこの番組が一番と思う。司馬作品にハマって家にいるときは本を読むことが多い。時にはNHKワールドを見て頭の活性化を図る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年11月30日月曜日

「自分を生きなきゃ、意味がない」

 先日、織田幹雄スクエアへ出かけた際、旧千葉家住宅へ行こうとすると閉館だった。月末の数日、開館の情報を知って自転車で旧千葉家住宅に向かう。8,9年前に友だちと出かけたことがある。その後に整備されて以前には見られなかった室内に入ることができた。小さいころ、住んでいた家は母が生まれた家だった。今から60年以上も前のことであり、台所には井戸やかまどもあった。当時の生活を子供ながら覚えているので古い民家の生活を特別なものとして思わない。とはいっても、旧千葉家住宅は庶民の暮らしよりも良かった家らしく、今でもこのようにして町が保存するのだろう。観光コースとして室内はきれいに整備されていた。

 千葉家住宅を見学後、自宅最寄り駅に隣接するスーパーに立ち寄る。牡蛎入りのクリームコロッケを目指して店内を歩く。あった!家では揚げ物などは料理せず、スーパーの出来合いを買っている。牡蛎が丸ごと入っているのかと思ったら違っていた。これから冬になると牡蛎フライなど食べたくなる。

 スーパーを出ると図書館へ向かう。雑誌のコーナーで「暮らしの手帖」に目が行く。この中の「私の手帖」というタイトルに小川悦子のインタヴューがある。「自分を生きなきゃ、意味がない」とも小見出しで次のように答えている。

<「よい作品には、作者自身が反映されるものを出さなきゃ、意味がない。作家は自分のために書いているのよ。それって生きることにも言えることよね」たしかに「作品」を「人生」に置きかえてみたら……。「自分を出す」とは、自分自分自身をしっかりと生きること。そうやって本当の自分に近づけば近づくほど、人は自由になれるかもしれません。だって人は、いちばん好きなのは自分でしょう。みんな、幸せになるために生まれてきたのよ。>

 この最後の言葉がいい。「だって人は、いちばん好きなのは自分でしょう。みんな、幸せになるために生まれてきたのよ」。自分の人生、もっともっと自分を大事にして幸せに生きなくては意味がない!そして元気で楽しく生き生きと生きなくてはいけない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年11月29日日曜日

<新しい観光船「SEA SPICA」就航記念プラン瀬戸田でたっぷり観光~瀬戸田・大久野島・御手洗(西向きコース~>の日帰り旅

 2020年11月25日(水)、<新しい観光船「SEA SPICA」就航記念プラン瀬戸田でたっぷり観光~瀬戸田・大久野島・御手洗(西向きコース)~>と銘打った日帰り旅に参加する。個人的にはGO TOトラベルキャンペーン第6弾目となる旅だ。午前7時50分、広島駅北口ペデストリアンデッキに集合後、1度の休憩をはさんでバスは耕三寺博物館に向かう。30年くらい前に母と出かけた耕三寺は今とは違って「お寺」という感じだった。ところが月日が経つとお寺の雰囲気も以前とは異なる。

 耕三寺博物館の周辺には白亜の大理石が広がる庭園の「未来心の丘」が造られていた。耕三寺は古くからのお寺ではなく、耕三寺耕三が母親の菩提寺として昭和11年から30年余りかけて建立している。本堂は宇治の平等院を模し、孝養門は日光東照宮を模してある。今回のハイライトは「未来心の丘」。これはイタリアで活躍する彫刻家杭谷一東が設計・製作し、2000年10月に完成した大理石の庭園である。

 なぜか場違いとも思えるような白亜の庭園は5000㎡の敷地に3000トンの大理石を使って大小さまざまなモニュメントがある。
未来心の丘
未来心の丘
大理石で造られた未来心の丘
 未来心の丘まで添乗員についてゆき、その後は1時間半フリータイムだ。紅葉真っ盛りのこの時季、広い境内をくまなく回る。以前、母と来たときは未来心の丘はなく、その地は山だった。この日は行楽日和で歩き回っていても気持ちがいい。ただ、広い境内を歩くと出口が分からなくなる。道を隔てた向いに平山郁夫美術館がある。集合までの1時間足らずの時間を平山郁夫美術館で過ごす。ここの入場券は共通クーポン1000円を使う。端数はおつりがもらえない。が、早めにクーポンを使い始める。

 美術館の中に入ると外の明るさとは違って暗い感じがする。展示の文字も小さくて見えにくい.ここでオペラグラスの出番となる。以前、市内の美術館で絵を見ているとオペラグラスで見ていた人がいた。それからというもの音楽だけでなく絵を見るときもオペラグラスを持参する。これは助かった。

 瀬戸田出身の人から平山郁夫美術館へ行くように、と勧められていた。今回はちょうどいい機会となった。平山郁夫の絵は関東にもその人の名を冠した美術館がある。有名な人なのでいろんなところで見る機会があったが、やはり地元で見るとまた別の感覚がある。小さいころから描いた絵も展示されていた。やはり絵の巨匠となる人だけあって子供のころの絵も素晴らしい。
耕三寺の紅葉
耕三寺の紅葉
茶祖堂
薮内流の流祖と茶聖千利休を安置
手前の箱は茶筅箱
紅葉の色合いが何とも言えず美しい
紅葉の色合いが何とも言えず美しい
救世観音大尊像
法隆寺の秘仏救世観音を手本として造られた
耕三寺
境内の紅葉
平山郁夫美術館入り口
館内からの眺め
 瀬戸田を堪能した後は旅館つつ井でミニ会席の昼食を頂く。瀬戸内に浮かぶ瀬戸田は漁師町かどうか知らないが並んだ料理のいずれにも多くの魚介類があった。お刺身もこれが1人前というほどの量だ。サラダも魚介類を豊富に使っている。赤だしの味噌汁の具も大きな魚が入っていた。茶碗蒸しの具も魚介類だ。これで終わりと思ったら1人前ずつ豚しゃぶが出る。この辺りになるともう食べきれない。ごちそうも過ぎるともったいない。この食事場所の売店で残りの2000円分の共通クーポンを使う。買った菓子類は広島市内の菓子メーカーだった。ほかにはレモン柄のエコバッグを購入。これ、かなり気に入る。

 今回の旅の目的の1つに今年就航したSEA SUPICAの乗船がある。同じ旅行社が2つのツアー客を貸し切っての乗船だった。この日の行程を改めて記そう。

 広島駅北口🚌瀬戸田🚢大久野島🚢御手洗🚢呉港🚢広島港である。広島駅からのバスは東向きコースのツアー客が瀬戸田で船から降りるとバスで広島駅まで送る。私たちは西向きコースのツアーでこの逆を回った。お昼を頂いたお店の前が瀬戸田港の乗船場。そこから最初の寄港地である大久野島まで乗船する。大久野島は以前は毒ガスの島だった。今はそれよりもウサギの島として有名になっている。動物はあまり興味がない。が、せっかくだからとウサギを探すと目の前にいた。その日の朝刊にコロナ禍で観光客減少によりウサギの数は5,6匹しか見られないとの記事があった。少し前まではかなりのウサギがいたらしい。

 この島もずいぶん前に行ったときはウサギでなく毒ガスの島として知られていた。小さい島を自転車で一周できる。今や、毒ガスでなくウサギの島で有名となり、コロナ禍前までは海外からの観光客も多く訪れている。  
大久野島の小さいウサギ
観光船SEA SPICA
 大久野島で下船して30分ほど観光後、船は御手洗地区(みたらい)に向かう。御手洗は数年前に出かけていたが、ガイドの説明は今回初めて聞いた。御手洗の町並み保存地区をガイドと一緒に歩くが人の姿は見えない。ほとんど空き家だがこれを維持するのも大変なことのようだ。ミカンの島としても有名で「大長ミカン」(おおちょうみかん)というブランドとして知られている。ミカン山は後継ぎがいないらしく、1年ミカンをもがないと次の年からミカンは育たなくなるそうだ。

 御手洗はもらったパンフによると「江戸時代、このあたりの地勢が潮待ち・風待ちに適した天然の良港として注目されたことから、1666年、広島藩が町割りを行って御手洗が誕生しました。……」とあり、北前船や千石船の大型船が往来し港町として発展する。幕末になると兵の近代化を図った広島藩は軍艦や洋式銃を購入するため、この地で薩摩藩との密貿易を開始する。後に長州藩も加わって薩長芸軍事同盟を締結。こうして御手洗は江戸時代に繁栄し遊郭もできて100人以上の遊女もいたそうだ。その名残は今でも若胡子屋跡に残っている。
御手洗町並み保存地区
菅公の碑(菅原道真)
 
 菅原道真を崇めた菅公の碑には「我たのむ 人をむなしく なすならば 天が下にて 名おやなかさん」と書いてある。
お寺の境内の巨木
 ガイドは神社やお寺に銀杏の木が植えてあるのはなぜかを説明する。銀杏の葉は燃えにくいそうだ。落ちた葉は枯れずに長く水分を含んでいるという。今でも学校やお寺に銀杏の木が植えてあるのは火災防止にもあるようだ。
デッキから見る夕焼け
安芸灘大橋をくぐる
近いうちに姿を消す予定の造船所
 御手洗地区を下船して1時間観光後、船は広島港を目指して進む。2階に上がると穏やかな瀬戸内海もデッキでは猛烈な風が吹く。日没もまじかとなると夕焼けが美しい。愛媛県に属する今治造船、広島県側の安芸灘大橋、音頭の瀬戸、近いうち撤退が決まった造船所、そして海上自衛隊呉基地などの景色を船上から眺める。呉港に入った。広島港まで行かず、途中の呉港で下船。午後5時半、外は暗くなりつつある。はじめての呉港から呉駅までを人について歩く。ここでも最後の旅気分を味わう。

 お天気に恵まれたいい旅だった。GO TOトラベルもあと1回を残すのみとなった。最後まで気を抜かず、コロナにだけはかからないようにして旅をしよう。

 ちなみに今回の旅は広島県の支援が大きい。旅行代金24500円、国からの給付額̠̠7000円、広島県の支援金10000円、共通クーポン3000円、旅行社への支払金額は7500円と安くて楽しい旅をした。船での観光も終わりに近づくころ、広島県からのお土産としてお好みソース1本ずつの配布があった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年11月28日土曜日

オンラインセミナーの書類届く

  1か月くらい前の新聞にオンラインセミナーの募集があった。興味あるセミナーなのですぐに申し込む。昨日、セミナーの主催者側からゆうパックで書類が送られてきた。郵便受けに入りきらないほどの書類だ。郵便受けから取り出そうとするが手前側からはどうにも出せない。道路に出て外からゆうパックを引っ張って取り出した。

 中を見るとオンラインセミナーに関する書類はクリアファイルに10数枚はせてある。その他にはセミナーを主催する県の観光案内があった。それにしても郵送料だけでもかなりの金額だ。その上にりっぱな観光案内のパンフレットなどが何冊も入っている。おまけとしてかどうか、この時期ならではのマスクとマスク入れもあった。

 オンラインのイベントは何回か行われているらしい。先日、主催者側からこの書類が届く前に電話があった。その際、セミナーが定期的に行われているような話だった。本来ならばどこかの会場での講演会となるはずが、コロナ禍でオンラインセミナーとなったのだろう。いずれにしても面白そうな内容なのでオンラインセミナーを楽しみに待つとしよう。

 オンラインセミナーはYOU TUBEなどのように発信される動画を視聴する。だが、いつでもだれでも見られる動画と違って見るにもいろいろと制限がありそうだ。このオンラインセミナー、うまく視聴できればこれからますます年老いていくものとして家にいながら話を聞けるという良さがある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年11月27日金曜日

「紅葉の閑谷学校・雪舟ゆかりの名刹宝福寺・国宝吉備津神社」の日帰り旅

 2020年11月22日(日)、<2つの国宝と雪舟が修行した古刹を訪ねる「紅葉の閑谷学校・雪舟ゆかりの名刹宝福寺・国宝吉備津神社」>の日帰りバスツアーに参加する。コロナ禍の中、GO TOトラベルキャンペーン第5段目となる旅だ。旅の参加者は20名。前回の高野山の旅ではバス車内の座席は全員が窓側だった。ところが今回はクレームが出たのかどうか知らないが連れは隣同士の座席だった。いずれにしても人数制限のため、コロナ禍前までの旅とは違って車内はゆったりしている。

 広島駅北口ペデストリアンデッキに7時20分集合。その後、一か所の休憩をはさんで国宝・旧閑谷学校へとバスはゆく。パンフなどで見るその学校は小さい建物があるだけと思っていた。ところが目的地に着くと趣が違って広々としている。2名のボランティアガイドについて観光するのだが、その日は3連休の中日であり、大安吉日とあって旧閑谷学校講堂前では大々的な行事をやっていた。マイクを通して流れる行事の音はガイドの声を消してしまうほどだった。

 旧閑谷学校は「世界最古の庶民のための公立学校」で1670年に岡山藩主池田光政によって創建された。この地を「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛して地方のリーダーを育成する学校の設立を決めた。2015年4月に「近世日本の教育遺産群」として日本遺産に認定される。今でも講堂の床に正座して学ぶ研修生がいる。正座する際の丸い座布団が講堂の隅に置いてあった。
校門(鶴鳴門)
 校門の屋根は備前焼の本瓦葺きで棟に鯱を載せた正門である。旧閑谷学校のある地は備前焼で有名な岡山県の備前市に位置する。ということでどの屋根も立派な備前焼の瓦葺きだった。瓦はどれも池田藩の家紋である蝶の紋章である。 
備前焼の瓦葺きは蝶の家紋がある
聖廟(左)と閑谷神社(右)
楷の木(学問の木ともいわれる)
 校門を入って左手には講堂、そして真向いの建物は閑谷神社や孔子の徳を称える最も重要な施設である聖廟がある。その前の広場には楷の木が2本植えてある。四季を通して情緒豊かなこの木は学問の木ともいわれ、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰って苗に育てられたうちの2本だそうだ。紅葉の時季には美しく色づくそうだが、時季を10日ばかり逸したようで葉は散っていた。楷の木の紅葉は見られなかったが、それ以外の木は今が盛りとばかりに見事な紅い色だった。
旧閑谷学校の紅葉した樹木
公門
 学校全体を囲む石塀は765mにもおよび、300年を経た今も整然たる姿をたたえている。石塀を囲むように椿の木を植えた椿山がある。この山にはやぶ椿が400本ほど植えてあり、それには守護の願いが込められて神々しい雰囲気を醸し出している。
石塀と椿山
講堂(国宝)
 講堂は閑谷学校を代表する国宝である。創建当時は茅葺瓦もその後に改築されて備前焼瓦になった。内部は10本の欅の丸柱で支えた内室があり、その四方を縁側で囲んである。講堂の窓の形は独特で花頭窓というそうだ。講堂正面の額には池田光政による「克明徳」の書が掲げられている。「克明徳」とは「ヨクトクヲアキラカニス」の意味で『書経』にある言葉だそうだ。
講堂内に積み上げられた丸い座布団
講堂正面の篇額は池田光政による「克明徳」の書
講堂の花頭窓
 旧閑谷学校を見学後、バスは昼食場所であるレストラン酒工房独歩館に向かう。ここで旬彩プレートに並んだ酒の肴のような食事を頂く。ツアー客にはあらかじめ旅にセットされたクラフトビールが1杯ずつ付く。食事後、レストラン内の売店で共通クーポンを使い切る。と言っても2000円の金額に見合う適当なお土産が見当たらない。クーポンを使いそびれないようにとフランスのボージョレヌーボを1本購入。だが、クーポンだけでは足りなかった。

 GO TO トラベルは必ず地域共通クーポンがもらえる。それはその旅の間に使い切らないといけない。いつもながら、なんと無駄遣いと思いながらもせっかくなので使い切る。買いたいものがないときはいつもワインを購入。これで家にワインが3本たまった。

 旧閑谷学校を後にしてバスは吉備津神社に向かう。本殿は優美な比翼入母屋造りで国宝に指定されている。この日は大安吉日とあって花嫁・花婿の姿もあった。また七五三で着飾った子供たちの姿も多くみられた。
入母屋造りの国宝・吉備津神社
気持ちよく泳ぐ鯉
紅葉した境内
紅葉も彩り良く
吉備津神社の三重塔
 さらにバスは進んで岡山県の総社市にある宝福寺に向かう。この寺は中国地方屈指の名刹ともいわれる雪舟ゆかりの禅寺である。また臨済宗東福寺派の禅宗のお寺である。境内は「これ見たか」、と言わんばかりの見事な紅葉でその美しさに思わず「きれい!」と声を発してしまった!
宝福寺にある雪舟碑
宝福寺境内の紅葉
宝福寺境内の紅葉
宝福寺境内の紅葉

宝福寺
寺院内に展示されていた雪舟
 お天気に恵まれた最高の行楽日和の日帰りバスツアーの旅は楽しいうちに終わった。今年の春の桜はコロナ禍で例年ほど堪能できずじまい。だが、秋の紅葉は春の桜を取り戻すかのようにその美しさを見せつけられる。まだまだコロナは収まりそうにはない。が、近場にもまだまだ行きたい観光地はあると思いを新たにする旅となった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!