2019年2月28日木曜日

『坂の上の雲』(6)

 昨年の12月に出かけた大連の旅。昨夜、某交流会から電話があり、この旅を会報に載せるとのこと。個人的な旅だし、すでにブログにもアップしている。それでもOKらしい。ブログは個人が遊びでやっている。いくら長い文でも写真を多くアップしても誰からも咎められない。だが、それも人から依頼されればブログのママをUSBメモリで提出とはなりそうにない。早速、ブログの編集画面の該当箇所すべてをコピーし、ワードを表示して白紙の画面に貼り付ける。どういっても下手の横好きで文が長くなる。再度見直しているとすぐに1,2時間が経過する。これでOKと思って眠る。だが、今朝になってまたも手直し。文や写真を大幅にカットしよう。

 以下は先日読んだ『坂の上の雲』(6)(司馬遼太郎 文藝春秋、2010年新装版第5刷)の最終巻からの抜粋。これも文が長くなる。覚えておきたい箇所をメモ書きとしてアップする。2か月かかって『坂の上の雲』全6巻を読み終えた。次は『竜馬がゆく』全8巻を読む予定。この年になって大連の旅で知り合った人たちからすすめられて読み始めた司馬遼太郎の本。人からの言葉に素直に聞いたのはこれが初めて、とも思えるほど司馬作品にのめり込む。時に、人の言葉に耳を傾けることも必要だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★クロパトキンが、政略家としてのかれ自身が望まなかったこの極東の戦場において軍人として戦わざるを得ない運命のなかに立ちつづけている。しかも戦いはつねにかれの思うように運ばなかった。かれはその罪を、この満州という気味のわるい土地になすりつけようとした。
(この黄塵もそうだ)とおもうのである。
いまひとつは、かれがもっとも頼りにしていた満州の酷寒期が、ロシア軍に対してさほどの利益をあたえてくれなかったことであった。ロシア軍は冬につよく、ナポレオンに対してさえ厳寒という気象条件を味方にして勝った。暖国にそだった日本軍はおそらく満州の酷烈な冬に堪えられないとおもっていたのだが、ところが現実の日本兵は、ロシア兵でさえ身ぶるいするほどの貧弱な防寒具をつけて平然と山野で起き伏しつつ攻めてくるのである。猿には寒さという感覚が欠けているのであろうか。……ここの大風塵の九日、戦況についてすこしの不利な要素も発生していないのに、「いっそ鉄嶺まで総退却しよう」と決心するにいたるのは、かれの性格と精神に病理的な理由を見出す以外に、常識では考えられないことであった。26-27p

★眼下に奉天城がみえた。
 城外北東に清朝の太祖を葬る東稜の松林があり、さらに城外北方には太宗をまつる北稜の松林が一望の黄土のなかに濃い群青を盛りあげたようにして蟠っている。いかにも直隷平野といわれるにふさわしい美しい風景であったが、しかしながら、この大地の主人である清国人にとって迷惑しごくなことに、かれらになんの縁もない二つの異民族が、この風景を舞台に死闘をくりかえしていることであった。36p

★もともと英国というのは情報によって浮上している島帝国であるといえるだろう。伝統的外交方針として、ヨーロッパを操作するにあたって「勢力均衡」を原則とした。ヨーロッパにおける一国のみが強大になることをおそれ、その可能性がうまれた場合は、すばやく手をうち、その強国から被害を蒙るべき弱国を陰に陽に支援してきた。アジアについてもそうであった。ロシアがアジアの覇者になることを恐れ、極東の弱小国にすぎない日本を支援し、これと日英同盟をむすぶという、外交史上の放れわざをやってのけたのは、英国の伝統的思考法から出たものといってよく、その英国の伝統外交政策を可能にするのは、情報であった。「タイムズ」の紙面の前には、他のいかなる国家も秘密を存在させないくらいにその活動は活撥であった。63p

★ルーズベルトは日本に対して好意をもった世界史上最初の外国元首であったが、かれがいかに政治的天才であったかということは、日本が近代国家として成立して三十余年しかたたないのにその原型の本質を見ぬききっていたことであった。かれは日本のためにアメリカ大統領の限界を超えてまで好意をみせつづけたが、しかし同時にかれのおそるべきことは、マイヤーに出した手紙でもわかるように、戦後米国は日本から脅威をうけるだろうと予言し、米国の存在のためには海軍を強大にしなければならないと説き、しかも「わが海軍は年々有力になりつつある。この優秀な海軍力が、日本その他の国との無用の紛争を未熟にふせいでゆくであろう」という意味のことをいった。89p

★垣花はおどろいた。魚夫としての経験では不可能にちかいことだが、やらねばしかたありますまい、といって承知した。……近代国家というとほうもなく重いものが出現したため、農村漁村の青年が思いもよらぬ満州の戦野につれていかれてロシア人と対峙しているように、垣花善もまた、みずからすすんでのことであったが、石垣島まで命がけの航漕をしなければならなかった。……宮古島の首邑の平良にもっとも近い漁港で、与那嶺湾に臨んでいる。
「粟を出せ」
と垣花善はその夫人にいっただけで、何の目的でどこへゆくということはいっさい告げなかった。粟は食料であった。それを袋に詰め、舟にほうりこんだ。舟は、くり舟である。……五人はこの舟を砂浜から押し出し、波間へ走り込んだ勢いで櫂をこぎはじめた。櫂は丸太をけずった程度のそまつなものである。……五人の若い漁夫たちは、出発にあたって島司から「これは国家機密だから。たれにても口外しないように」
と念を押されたことをその後も忠実にまもり、昭和九年、大阪毎日新聞がこの事実を知って全国的に報道するまでその妻たちにも漏らさなかった。そのためこれだけの異様な事実が、宮古島だけでなく日本中に知られることがなかったのである。……日露戦争は日本人のこのような、つまり国家の重さに対する無邪気な随順心をもった時代におこなわれ、その随順心の上にのみ成立した戦争であった。185-187p

(バルチック艦隊を見た、との知らせを、この時期、宮古島に無線設備がなかったため、八重山群島の電信局がある石垣島まで知らせにゆかねばならなかった)

★日本海海戦は、幕末から明治初年にかけての革命政治家である木戸孝允が、生前口ぐせのように言いつづけたところの「葵丑甲寅(きちゅうこういん)以来」
という歴史のエポックの一大完成現象というべきものであった。……要するにあらゆる意味で、この瞬間からおこなわれようとしている海戦は葵丑甲寅以来のエネルギーの頂点であったといってよく、さらにひるがえっていえば、二つの国が、たがいに世界の最高水準の海軍の全力をあげて一定水域で決戦するという例は、近代世界史上、唯一の事例で、以後もその例を見ない。278-279p

★秋山真之という、日本海軍がそののちまで天才という賞讃を送りつづけた男には、いわばそういう脾弱さがあった。かれは戦後、実際に僧になるつもりで行動を開始した。しかし小笠原長成らかれらの友人が懸命におしとどめたためようやく思いとどまりはしたものの、結局、戦後に出生した長男の大を僧にすべくしつっこく教育し、真之が大正七年に病没するときこの長男にかたくそのことを遺言した。大は成人後、無宗派の僧としてすごした。この海戦による被害者は敵味方の死傷者だけでなく、真之自身もそうであったし、まだ未生のその長男の生活もこの日から出発したといえる。375-376p

★日本海という広大な洋上において、ロシア側の主将のロジェストウエンスキーとその幕僚がぜんぶ捕虜になったのである。海戦史上、類のないことであった。379p

★ただヨーロッパにおける一種のアジア的白人国(マジャール人などを先祖とするハンガリー、fインランドなど)は敏感に反応し、自国の勝利のようにこの勝利を誇った。さらにはロシア帝国のくびきののもとにあがいているポーランド人やトルコ人をよろこばせた。また元来日本びいきである南米のチリやアルゼンチンのひとびとをよろこばせ、この海戦から時を経たこんにちなお、アルゼンチンなどは同国の大使が東京に赴任するごとに横須賀の記念館三笠を訪問することがなかば恒例のようになっているほどである。430p

★乃木は身を犠牲にすると言いつつも、台湾総督をつとめたり、晩年は伯爵になり、学習院長なったりして、貴族の子弟を教育した。
しかし好古は爵位ももらわず、しかも陸軍大将で退役したあとは自分の故郷の松山にもどり、私立の北予中学という無名の中学の校長をつとめた。黙々と六年間つとめ、東京の中学校長会議にも欠かさず出席したりした。従二位勲一等功二級陸軍大将というような極官にのぼった人間が田舎の私立中学につとめるというのは当時としては考えられぬことであった。第一、家屋敷ですら東京の家も小さな借家であったし松山の家はかれの生家の徒士屋敷のままで、終生福沢諭吉を尊敬し、その平等思想がすきであった。好古が死んだとき、その知己たちが、
「最後の武士が死んだ」
といったが、パリで武士道を唱えた乃木よりもあるいは好古のほうがごく自然な武士らしさをもった男だったかもしれない。451p

★日本の場合は明治維新によって国民国家の祖型が成立した。その三十余年後におこなわれた日露戦争は、日本史の過去やその後のいかなる時代にも見られないところの国民戦争として遂行された。勝利の最大の要因はそのあたりにあるにちがいないが、しかしその戦勝はかならずしも国家の質的部分に良質の結果をもたらさず、たとえば軍部は公的であるべきその戦史をなんの罪悪感もなく私有するという態度を平然ととった。もしこのぼう大な国費を投じて編纂された官修戦史が、国民とその子孫たちへの冷厳な報告書として編まれていたならば、昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて瀆武の行為をくりかえし、結局は日本とアジアに十五年戦争の不幸をもたらしたというようなその後の歴史はいますこし違ったものになっていたにちがいない。466-467p(あとがき)

2019年2月27日水曜日

チャイコフスキー「ロマンス」


 ドルドラの「セレナーデ」を仕上げて、次回からはTchaikovskyの「ロマンス」をさらう。昨日、レッスンで先生が吹かれるのを聞くとこの曲も綺麗だ。これはフルート曲集に入っている曲。あと数曲をさらえばこの曲集をすべてさらうことになる。先生曰く「やねこい曲が残っているね」。久しぶりに「やねこい」を聞いて、それも若い先生から聞いて広島弁もまだ健在、と思ってしまった。「やねこい」は「難しい」の広島の方言。

 フルートのレッスン後、広島駅まで歩く。先日放送が終わったEテレの「100分de名著」のオルテガの本。これを買おうとジュンク堂に行くが、売り場にない。残念な気持ちで駅ビルの本屋に向かう。2冊あった!本は図書館で借りて読んでいる。しかし、「中島岳志氏の本は買って読まんといけんじゃろー!」、との思いが募り購入する。テレビで1回くらい見ただけではなかなか理解できない。それにしてもこの名著シリーズは何と多く放送されていることか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
『100分de名著 大衆の反逆』

2019年2月26日火曜日

「100分de名著」オルテガ(4)

 「……どんなに優れた人でも、エゴイズムや嫉妬からは自由になることはできない。人間は知的にも倫理的にも不完全で、過ちや誤謬を免れることはできないのだ。こうした人間の不完全性を強調し、個人の理性を超えた伝統や良識の中に座標軸を求めるのが『保守思想』だが、オルテガはその源流につながる。歴史の中の様々な英知に耳を傾けながら『永遠の微調整』をすすめる彼らの思想は、急進的な改革ばかりが声高に叫ばれる現代にあって、大きなカウンターになりうると中島岳志さんはいう。……」。

 これは昨夜のEテレ「100分de名著」のオルテガ第4回からの抜粋。この中でボンディング(結束)とブリッジング(橋渡し)が取り上げられる。ボンディングとは町内会のような昔ながらの絆関係を指す。村社会で異を唱えると排除されるかもしれない。その時、いろんな共同体、例えばスポーツクラブとかに入ればそこで上手く行かなくなっても暮らしやすい面ができてくる。これはもしかしたら会社と家だけの往復の場合も考えられるかもしれない。いざ会社で精神的に追い詰められた時に逃げ場がない。ところが何かを習ったり……すれば気持ちが分散できる。これがブリッジングになるのだろうか。番組最後で話されたキーワードは「”熱狂”を疑え」だった。

 昨日午後はプールで泳ぐ。気温が上がってくるとプールの水温を冷たく感じる。1キロ泳がず600ⅿ泳いでプールから出る。少々不完全燃焼気味だが、時にはそれも仕方ない。風邪をひいては元も子もない。いつも出会う人と1か月ぶりに会う。風邪で休んでいたらしい。

 そういえばEテレの保守思想ではないが、自分の主義主張をメールで発信する人からメールが届く。3年くらい前に美学の講座で知り合った人はその人と中学、高校時代、一緒に学ばれており60年ぶりに会わせてもらった。私はその人と小学2年の時のクラスメート。引き合わせてくれた人はその人は「神童」で、エリートコースを歩まれたという。大人になった姿は想像できなかったが、会ったときはすっかり紳士になっておられた。その人が発する主義主張のメールを初めて受け取ったときよりも今回は倍の人数の発信になっている。自身の職業とは全く無縁なことを発信される。戦前の子供たち向けの国史の本を現代風にアレンジされている。それはまさに保守思想!?WEB上で読むのは大変だが、これをアレンジするのはもっと大変だった、と思ってしまう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月25日月曜日

「お地蔵さん」現象から

 今日は予想最高気温が15度になるらしく、温かい日となりそうだ。今週は割と予定があり、プールで泳ぐ日を今日にすべきか金曜日にすべきかと決めかねる。

 何も予定がないとパソコンや本がともだちになる。先日のネット記事にパソコンの前に座り続ける定年退職者を「お地蔵さん」現象、と言い表していた。「お地蔵さん」とは何とうまい表現だろう。もしかしたら定年で辞めたのではなく、また男性でもないが自分自身も少しはこれに当てはまりそうだ。ネット記事のタイトルは「定年男性の新形態、パソコン前で『お地蔵さん』現象はなぜ起こる」。https://diamond.jp/articles/-/193864 (参照)

 ★2017年の日本総研のデータによれば、食料や自動車関連、インターネットや携帯電話の通信費などの生活費は増加したが、旅行や教養娯楽、交際費などの「余暇を楽しむ支出」は減少しているという。
 一方、健康維持のための医療費、サプリ代、ジム等の会費は「孫経費」と並んで惜しまず出費されているから、「長生きして家族団らんを保ちたい」という欲求はある。70歳以上の世帯の8割が年金が主たる収入で、不足分は貯蓄を切り崩して生活しているという現状では、派手に余暇を楽しめないのかもしれない。

 この面では記事とは裏腹だ。とくに「旅行や教養娯楽、交際費などの『余暇を楽しむ支出』は減少している」が異なる。これは家族の有無にもよるかもしれない。1人暮らしであれば何よりもこの方面に金銭を惜しまないようにしている。これさえもケチれば何のために生きているのかわからなくなる。その点でも余暇は大いに楽しむ!しかし、「健康維持のための医療費、サプリ代、ジム等の会費は『孫経費』と並んで惜しまず出費されている」の面は全く逆。プールは無料だし、医療費も病院にほとんど行かないからほぼ無料。また、孫経費は全く必要ない。

 ただ、パソコン前の「お地蔵さん」現象は当てはまりそうだ。それでも、なるべくパソコンを陣取らず、自転車で外に出るようにはしている。どうこういっても家族がいる・いないではこの話の次元が異なりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月24日日曜日

「あき復興支援コンサート~楽しく勇気を持って~」を聞きに行く

 陸上自衛隊第13師団音楽隊の演奏会が地元の区民文化センターで開催された。ゲストはピアニストの仲道祐子。この人のブログを見ると前日のリハーサルと昨日の本番の様子がアップされている。陸上自衛隊の演奏会へは初めて出かける。今朝新聞を読むと呉市では海上自衛隊の定期演奏会が催されている。

 それにしてもなんと素晴らしい演奏会だったことだろう。会場は満員だった。元来、制服姿に憧れがある。藍色の陸上自衛隊音楽隊の制服姿での演奏は凛々しさが半端なくある。仲道のブログを見るとリハーサルの隊員の服装は迷彩服だった。隊員には女性もいる。また仲道の本番のブログでは隊員以外に助っ人が1名いたという。探すと制服姿でない、背広での人がいた。この人が助っ人だろう。

 広島市近郊では昨年夏の豪雨災害で甚大な被害を被った。幸い我が家は何もなかった。だが、近郊の町では多くの人が亡くなる。昨日は「あき復興支援コンサート~楽しく勇気を持って~」と題されたコンサートだった。演奏前半は陸上自衛隊音楽隊によるクラシックが披露された。他にも平成の30年間に流行った3曲が演奏される。「愛燦燦」やAKB48 の曲、それに昨年ヒットした「USA」で、どれもこれまで聞いた、どの演奏会でも見たこともないパフォーマンスでの演奏だった。3曲目の「USA」では制服姿の隊員6名がダンスと歌を披露した。ダンスも歌もきびきびとして迫力満点。前半最後はカープ応援歌「それゆけCarp」で皆の手拍子が入る。

 後半は仲道祐子のピアノが加わる。仲道は真っ白いスパンコールがちりばめられたドレスで登場する。何とも華のある人だ。自衛隊の音楽隊は吹奏楽団。そのため演奏する音が会場に響き渡る。ピアノとのジョイントではピアノの音が消えるのではとの心配もなく、それ用に楽譜がアレンジされており、うまく演奏された。

 それにしても自衛隊音楽隊の演奏会は大いに気に入る。呉市での海上自衛隊の演奏会もいつか聞いてみたい。

 そういえば陸上自衛隊は隣町にある。この基地内は年に何度か開放される。桜の開花時期の開放もある。母を介護していた時、車いすに乗せて出かけたことがある。ところが基地内は広く、小さな川が流れる橋を渡らねばならない。渡ったとしても桜並木が目の前に見えてもまだ結構歩く。お寿司など持参して母と一緒にお花見をしたことを思い出す。帰りは家までが遠すぎて介護タクシーで帰った気がする。それにしても自衛隊まで歩いていくにはかなり遠い。その当時は車いすを押していろんなところへ出かけた。今はもうできそうにない。それくらいいろんなことに必死になっていた。これも今となっては懐かしい思い出。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月23日土曜日

本を読む

 『坂の上の雲』(6)を読み終えようとしている。次は7巻目を、と思って図書館へ予約した。昨日、7巻目を受け取りに行くと文庫本だ。目次を見ると、今読んでいるのと段落ごとのタイトルが同じだ。もしかして単行本は6巻で終わり?と思い係りに聞くと、文庫本は8巻まであり、単行本は6巻が最終巻だった。あと少しで読み終えるのであれば、「完」かどうか確かめて7巻目の予約をすればいい。それなのに確認せずに予約してしまった。何事も先走る癖が抜けない。

 この2か月余りは『坂の上の雲』を読むのに没頭する。読み終えたならば次は『竜馬がゆく』を読もう。この本も司馬遼太郎の作品で、旅の参加者から読むように勧められた。司馬作品は自宅最寄りの図書館で見ると単行本は貸し出し済みが多い。だが文庫本の書架を見るとズラーと司馬作品が並ぶ。すべての作品を読み終えるには一生かかりそうだ。それくらい作品が多い。

 どういっても『坂の上の雲』はあと100頁足らずで読み終える。これほど長い小説を読むのは初めての経験であり、また、これほど小説に没頭したことも初めてのこと。この本を読めば日本の近代がわかると同時に当時の世界情勢もわかってくる。歴史嫌いが近代に目覚め、徐々にそれ以前のこともこれから読む本でわかればそれでもう満足。こうして少しずつ司馬作品を読んで理解する。楽しいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月22日金曜日

「鬼を以て鬼を制す」

 自宅JR最寄り駅前広場にJRが運営するスーパーなどがオープンした。JR駅までは歩いて5分の距離に我が家がある。我が家を中心にして5分も歩けばスーパーが何と4軒になった。また同じ場所に医療機関やその他の施設もできる。いくら大型施設ができてもなぜかレストランなどの飲食店がない。これは残念。それにしてもスーパーや医療機関はかなり密集している。ましてや昨日できたスーパーは24時間営業。便利になったと思えばいいけど誰が利用するのだろう。

 一等地にできたスーパー。何ができるかいろいろと取りざたされた経緯がある。個人的には公共施設を作ってその中にプールが出来れば最高だった。だが、それは無理というもの。昨日午後はできたばかのスーパーを素通りし、さらに先にあるプールで泳ぐ。皆さん、スーパーに出かけたのかプールには人が少ない。3コースあるプールのうち1コースは水中歩行用で真ん中のコースが泳ぎ専用、そして端には浅いプールがある。この浅い方で自由気ままに独占して泳ぐ。なんと贅沢と思いながらクロールと背泳ぎを交互に泳ぐ。こういう贅沢な日は年に何度あるだろう。ともあれ気ままに泳いだ。

 プールに出かける前、九州のお坊さんからお寺のミニコミ紙が届く。余白を見ると「呆け気味で単独海外は無理(団体か付き添いになりそう!!)」とのメモ書きがある。つい最近まで南インドを……、と希望されていた。これで九州のお坊さん3人のうち、全員が壊れた!?この数年の海外旅行は九州のお坊さんたちとの旅や某交流会の人たちとの旅に加えて、個人でツアーに参加する旅だった。このうち2つの団体の旅は自分も含めて皆さん、老いに負けるのか、旅の話が出なくなる。たとえ出ても参加者が少なくて催行されない。これは本当に残念。お坊さんたちとの旅も3人だけでなく、九州全体のお坊さんたちの旅の計画がある。今年、また誘われれば参加しよう。

 個人的に申し込む旅行社の旅も今年に入って催行されないのがあった。5月の海外も催行なるかどうか怪しい限り。

 昨日届いたお寺の便りに「理趣分の叩き」がある。読んでも意味が解らない。電子辞書で調べても見当たらない。こうなるとネット検索に限る。「理趣分」とはどうも「理趣分経」のようだ。ともあれ、立春の星まつりにこの理趣分の叩きを受けに多くの参詣者がお寺に群がったという。法要後の豆まきで、このお寺は古来より「福も内!鬼も内!」と言ってまくそうだ。それは「鬼は災いをもたらす不届き者と言われるが、人間は生存競争の欲望の中で苦しんでいて、福より鬼が勝っているのが現状だ。だから『鬼を以て鬼を制す』ことが大事になる」という。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月21日木曜日

クレジットカードetc.

 ネット記事や本などを読むといろんな面での断捨離に気付かされる。昨夜、眠る前に頭をかすめる。それはネット接続料金とドコモのクレジット引き落とし。以前から思っていたことだが、今朝それを実行する。だが、連絡先がわからない。ネットで検索するもはっきりしない。とりあえずNTTコミュのHPからフリーダイヤルなるモノを探す。電話すると話を聞いてくれるも、埒が明かない。ここでさらなる電話番号を教えてもらう。教えられたところへかけるとかなりの時間を要する。また、他に回されてやっと何とか解決する。

 もとを糺せば近所の人に誘われて簡単にクレジットカード発行を引き受けたのが間違いのもと。昨年はこれまた簡単に旅行社のクレジットカードを申し込み、受け取り次第すぐに解約を申し出た。その際も電話でするのだが、もう面倒なことこのうえない。ナニゴトもすぐに飛びつくのはよろしくない。まあ、これも騙されたわけではないからいいようなものの、これらすべてはすぐに人の言葉をうのみにする自分が悪い。

 今朝の件は書類が届いて手続きが完了するまで解決済みではない。もしも自分がいなくなれば誰がこんな面倒なことをしてくれようか。その思いがあるため、とりあえず支払いに関することから整理しよう。入金の場合は年金もそうだけど亡くなればすぐにストップされる。

 気を取り直そう。昨日図書館で目にした『サンデー毎日』。ここに掲載された池内紀と小川糸の対談を読む。それは「年をとっても生きることが楽しくなる術」と仰々しいタイトルがつく。

 池内:(年をとっても)ひとつ言えるのは、どんなに財産があっても、いつもお金のことばかり考えているのは貧しい人生だっていうこと。常にお金のことを考えなくていい自分なりのやり方を考える。本当はそこが知恵の出しどころだし、楽しいはずなんですよ。

 この記事とネットで上野千鶴子の記事を見た。その影響なのか、夜、クレジットカード引き落としをやめようと思ったのだろう。とはいっても大型電気店のクレジットカードだけは保有する。これが1枚あれば外国に行っても利用できる。朝からクレジットカード関連で一日の元気を失いそうだ。午後は泳いで気分転換をはかろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月20日水曜日

メディアを賑わす話題

 毎日如何にわがままに過ごしているのだろう。昨日の、それも一日中雨の日に、朝から換気扇の取り換えに業者がやって来る。そうとわかった日の朝の何ともうっとうしいことか。それもわが家のことなのにうっとうしい、と言っては罰が当たりそうだ。それくらいわがまま放題に毎日を過ごしている。今朝は雨も上がり、朝から至福のひととき!

 一昨日夜、久々にノーベル賞受賞者田中耕一氏と国谷裕子氏の対談を見る。ノーベル賞受賞も喜ばしいばかりではなく、苦悩の日々だったそうだ。それから10数年、ただ一滴の血で病気がわかることを研究し続ける。勤務する会社から田中の名を冠した研究所を与えられ、年間1億の研究費も与えられる。だが、1人での研究は無理と知って、いろんな学会に出向き、200名くらいの研究者を集める。結果、国からの助成金も年間7億円与えられ、昨年2月、ついにアルツハイマーに関するたんぱく質を発見。その時にもう1つのたんぱく質の存在があった。この2つのたんぱく質の拮抗作用でアルツハイマーを30年前から予知できるという。それもたった1敵の血でわかるという。以下は番組HPからの引用。番組タイトルはNHKスペシャル「平成史スクープドキュメント 第5回 “ノーベル賞会社員” ~科学技術立国の苦闘~ 」。

★ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏への独占取材から、科学技術立国ニッポンの苦闘を描く。民間企業の一エンジニアのノーベル賞受賞に社会は沸き、田中氏は一躍、時代の寵児となった。しかし、ノーベル賞につながった発見は「単なる偶然なのではないか」という周囲の声に葛藤を続けてきた田中氏は、受賞以降、メディアの取材を遠ざけてきた。その田中氏が再び表舞台に登場したのは2018年2月。アルツハイマー病を発症すると脳に溜まるタンパク質を検出することに成功。「一滴の血液から発症20年前に早期発見できる」と科学誌・ネイチャーに掲載され、世界的な注目を集めたのだ。この成果が生み出されるまでには、田中氏の10年以上にわたる知られざる苦悩があった。「論文数の減少」「研究投資の停滞」「補助金の削減」など科学技術立国の凋落が指摘される中、日本は次の時代、どのように再生していくべきなのか、“ノーベル賞会社員”の歩みから見つめていく。インタビュアー/リポーターは、平成5年から28年まで「クローズアップ現代」のキャスターを務めた国谷裕子氏。

 他にも昨日、IPS細胞を脊髄損傷者に移植する研究が認められたとメディアを賑わす。1敵の血液で病名がわかり、またIPS細胞のさらなる研究で不治の病ともいえる病気が治れば、これからさきどんな世の中になっていくのだろう。

 それは、偉い人たちにお願いして凡人は気ままに楽しく元気に生きていく。これでいいのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月19日火曜日

「100分de名著」オルテガ③から

 壊れた換気扇の取り換えが終わってホッとする。何の変化もなく日々を送っているとちょっとしたことでも非日常となる。こんな日はたった5分か10分の換気扇取替でも朝から気になって落ち着かない。今、取り換えが終わって業者は帰っていった。これだけで幸せを感じてしまう。こんな些細なことで気を使っていてはいけない、もっと悠長に構えなくては……と思いながらもちょっとしたことに気を病む。

 昨日は母が亡くなって丸8年が過ぎた。温かかった午前中、お墓に参る。いくら参ってももう涙は出ない。月日の経過がそうさせるのだろう。夜に見たEテレ。ゲストは中島岳志氏。8年前の震災後、中島氏の新聞記事を読んでこの人を知った。昨夜のEテレでその新聞記事がテレビに映し出される。身近な友人の死が新聞記事を書くきっかけにもなったようだ。この記事はかなりの反響があったらしく、各地の新聞社が掲載した紙面を映し出す。その中に自分自身が読んだ中国新聞もあるだろう。

 死んだ人は亡くなった時点でおわりでなく「死者」として存在し、生き続けるそうだ。時に、なくなった人を思い出す、これがそうらしい。この死者と政治学を中島氏は「生者が主体の政治を民主主義」、そして「死者が主体の政治を立憲主義」と話される。この2つは拮抗する。昨夜は「死者たちの民主主義」、1回聞いたくらいではこの関係性が理解できない。

 そこで番組HPから引用しよう。「オルテガは、現在の社会や秩序が、先人たちの長い年月をかけた営為の上に成り立っていることに気づくべきだという。数知れぬ無名の死者たちが時に命を懸けて獲得し守ってきた諸権利。死者たちの試行錯誤と経験知こそが、今を生きる国民を支え縛っているのだ。いわば民主主義は死者たちとの協同作業によってこそ再生されるという」。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月18日月曜日

満8年目の祥月命日

 「……私はホームサービスから与えられたルールに従うことになっていた場合, 私は今では私のベッドに隠れて照明とレインを消滅しているだろう.彼らは1時間前に私のことを止めたが、私はしばらくして、コンピュータに座っていた。不従順のように感じますが、とにかく夜は十分に長くなっています。私の仲間の人々や読者の多くは非常に親切で、私に kondoleanskort や手紙を送って、私は非常に幸せで、それらすべてに感謝しています。……」。これは今朝のダグニーさんのブログから。昨日はブログのアップがなかった。ところが今朝見ると2日分のアップがある。ここに書いているようにホームサービスがいなくなった頃を見計らってブログをアップをされるのかもしれない。ともあれブログを見てホッとする。

 昨日午後は近くの区民文化センターで催されたコンサートに出かける。演奏終了後に帰宅するとまたもや黄色く実ったレモンを見つける。葉っぱに隠れていたレモンが葉が落ちて顔を出す。秤で測ると147gと大きなレモンだ。また、ほとんどが茶色に変色していたのに、これはきれいなレモンイエローだ。緑色のレモンは黄色くならない、と人に話した。だが、それは間違いで、ずっと木になっているとやはり黄色になる。

 さてコンサート。プログラムを見る限り出演者のプロフィールは華々しい。藝大出身も多く、他にも海外留学組も多い。一地方都市でこうだと日本全国ではどれくらいの演奏者がいるのだろうか。ふとそう思う。聞く側とすれば金銭を伴うものは名のある人の演奏を聞きたい。このような素晴らしい人たちが出演する無料のコンサートに出かける度にいらぬことを考えてしまう。

 演奏後、フルート仲間と遭遇する。昨年秋の日本画作品展を見に来てくださった、とのこと。お礼が遅くなる。

 今日は母の祥月命日。あれから丸8年が経過した。さすがに寂しさはない。ただ、月日の経つのが早すぎる。こうして自分自身も歳を取っていくのかと思うとじっとしてはおれなくなる。さて、何をする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
またもレモンが木に残っていた 

2019年2月17日日曜日

日本画etc.

 先日の一般検診にまだ、こだわりがある。昨日は日本画教室の日。教室の1人は医者の奥さん。その人に医者から言われたことを話すと「主人も医者を信用していない」とのこと。医者へは寄り付かない方がいいと言われる。医院や病院と名がつくところは元気な人が行く場所ではない。そういうところは決していい「気」が発生しない。悪くもないのにわざわざ悪い気をもらいにいくこともない。その思いがあるためか、なるべく病院なるところへは近づかないようにしている。ましてや、その場所での展覧会や展示会へは例え義理でも見に行かない。教室の人の中には検診さえも受けたことがない人もいた。

 気を取り直して昨日の日本画教室。風景画のデッサンを終えて、木製パネルに鳥の子紙を貼る。カボスを本画にする際に貼っている。まだそれほど月日が経っていないにもかかわらず、糊付けなど忘れている。またも先生の手をわずらわせてしまう。来月に入るとこれを本画に仕上げていく。

 デッサンした下絵を見る限りでは毎度のことながらいい具合に描けていると自己満足。このごろは水彩画での下絵が多い。習い始めは色鉛筆画だった。パステル画での下絵もした。だが、筆使いに慣れるためにも水彩画で下絵にする。いずれにしても何を習っても簡単ではない。気が付けば何年、何十年と習っている。苦手意識の強かった絵も習って6年目に入った。フルートは後2か月すると28年目に入る。水泳はさらに10年も長く泳いでいる。そうそう、このブログも今月で9年目に突入した。前のブログを入れると11年目に入った。自分でこれっ、と思うモノ、コト、ヒトとは長く付き合う。これも元気であればこそ!?ところが、嫌になると諦めが早い。ということは今習っているモノ・コトは嫌でないのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月16日土曜日

「ららら・クラシック」はタンゴから

 昨夜の「ららら、クラシック」はタンゴを取り上げる。今年の年賀状に「タンゴを習っています」があった。若い人からの年賀状で、子供の頃からクラシックバレエを習っていた人だ。この賀状を見て、自分も体を表現することを習いたいと思った。テレビを見ていてタンゴを習っている人は勝手にダンスのタンゴ、と想像した。もしかしたら音楽のタンゴかもしれない。いつかいずれかを聞いてみよう。

 

 フルートでタンゴを吹いたことがある。ピアソラの♪天使のミロンガ♪を発表会で吹いた。番組を見てタンゴがクラシックへとなる過程が面白かった。昨夜のゲストは小松亮太。バンドネオン奏者だ。このバンドネオンはドイツで生産過剰になる。当時、西欧諸国から南米に移住した人々はアルゼンチンで故郷を懐かしんでタンゴを奏でる。その時、ドイツは過剰生産のバンドネオンをアルゼンチンへ送る。それがタンゴと結びついたようだ。

 いずれにしてもタンゴはいい。以前、小松亮太のタンゴを聞いたことがある。広島で活躍する人たちがモダンタンゴ五重奏団を結成し、小松が加わってバンドネオンを演奏した。広島のタンゴ奏者たちの演奏会も何度か聞いている。本場のタンゴも聞いてみたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月15日金曜日

平凡な毎日が一番の幸せ!

 今朝の行動は早い。先ほど一般検診を終えて帰宅する。今日の時点では悪いところがない。ところが20年、病院に行ったことがないと要らぬことを話したために医師から嫌味を言われる。「20年も行ってないのですか。内臓の検査もしたことがないのですか。この年になると、検査をしなければ突然病が襲ってきますよ」。この何とも嫌な言い方、聞くだけで後味が悪い。人には相性がある。悪い相性の医者にかかればそれだけで病気になりそうだ。かなり気落ちして家に帰る。

 気を取り直そう。昨夜BSのザ・プロファイラーでヘミングウェイを取り上げた。ヘミングウェイの文体法は新聞記者だった経験から①短文で書く②肯定文で書く③文を修飾化しない、だそうだ。この3点はよく言われる。今朝は否定的に書いている。ここで反省!

 今朝、ダグニーさんのブログを見ると「春の光景」のタイトルでアップがある。一段落が長くなり次の段落の「2019の内部」になっている。ブログ読者からブログが見られないと言われたらしい。今朝の嫌な気分はダグニーさんのお元気なブログを見て払拭される。

 この3か月、「どうしたん?」、というくらいいろんなものが次々と壊れていく。昨夕は換気扇の故障。「さて、どうする?」と考えた結果、大型電気店に頼るよりもこれからは近くの電気店を利用しよう、と頭をかすめる。年々、年を取っていく。安さだけで判断せず、近くの便利屋さんと思って近所の電気店で購入する、これがいいかもしれない。扇風機、電気ストーブなど小さい器具はここで買った。換気扇もお願いしよう、とお店に行く。だが、このお店の人が家に来たことはない。すぐに来てくれた。ただ、商品は取り寄せらしく、取り付けは2,3日後になるという。

 12月は電子レンジ、1月は携帯電話、そして2月は換気扇と軒並み故障する。これから当分、故障が続くかもしれない。次に気になるのは冷蔵庫あたり?人間が故障せず、電気器具が不幸を変わってくれる、そう思おう。

 昨日は午後からプールで泳ぐ。毎日平凡に過している。何も考えず、自転車に乗ってふらりと外に出て図書館へ行ったり、プールで泳いだり、そしてスーパーで買い物をしたりする。換気扇の故障などのトラブルに見舞われると平凡な毎日の些細な楽しみが一番の幸せ、と思えてくるから不思議。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月14日木曜日

『坂の上の雲』(五)

 真夜中、熟睡中にもかかわらず、隣町の町内放送で起こされる。何の放送なのか聞こえず、気になってすぐには寝つかれない。明け方、またも放送がある。お蔭で今朝は寝不足気味。午後はプールで泳ぐつもりだが、さてさて……。

 今朝、ダグニーさんのブログを見ようとするが表示されない。こういうことはこれまでなかった。もしかして自宅を離れてどこかへ移られたのだろうか。気になる。

 以下は先日来から読んでいる『坂の上の雲』(五)(司馬遼太郎 文藝春秋、2004年新装版第1刷)。また気になる個所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★要するに明石基二郎の諜報と革命扇動の基盤は、ストックホルムのカストレンの隠れ家でできあがった。「扇動」といったが、厳密には明石は扇動ということばに値するような言辞は一度もつかっていない。使ったといえば、「日本はポーランドやフィンランドになりたくない。東京がワルシャワやヘルシンキになって、東京の宮城にロシアの総督をむかえるなどはごめんである」ということをいっただけであった。明石はロシア通だけに、この戦争にロシアが勝てばどうなるかがよくわかっていた。朝鮮半島は、ロシアの領土になるだろう。日本は属邦になることはまちがいない。ロシア帝国はその威容を示すために、ヘルシンキでやったと同様、壮大な総督官邸を東京に建てるだろう。さらに太平洋に港をもちたかったというながい願望をはたすために、横須賀港と佐世保港に一大軍港を建設するにちがいない。……明石はロシア語を学んだとき、極東のウラジオストック(Vladivostok)という町の名は東を征服せよという意味であることを知ったが、運命次第ではロシア帝国の東(vosutok)が東京になるかもしれないとおもった。……すでにロシアの侵略政策の犠牲になっている国々のひとびとは、「日本までが自分たちの国とおなじ運命になってはいけない。逆にもし日本がロシアに勝てばロシアの爪がゆるみ、われわれはこの現況からのがれられるにちがいない」と言い、かれらは日本と運命を共同している感をふかく持った。純露人の不平分子に対しても右と同様のことをいった。彼らもこの言葉に共感した。「われわれ純露人も、ロシアの専制皇帝に支配されており、属邦のひとびと以上のくるしみを受けている。日本国民の恐怖はよくわかる」という者が多く、このため明石が革命用語がかった演説をしなくても、この言葉ひとつで彼等と情念や利害感情をともにすることができた。80-82p

★——ロシアはなぜ負けたか。という冷静な分析を一行たりとものせなかった。のせることを思いつきもしなかった。かえらぬことだが、もし、日本の新聞が、日露戦争の戦後、その総決算をする意味で、「ロシア帝国の敗因」といったぐあいの続きものを連載するとすれば、その結論は「ロシア帝国は負けるべくして負けた」ということになるか、「ロシア帝国は日本に負けたというよりみずからの悪体制にみずからが、負けた」ということになるであろう。もしそういう冷静な分析がおこなわれて国民にそれを知らしめるとすれば、日露戦争後に日本におこった神秘主義的国家観からきた日本軍隊の絶対的優越性といった迷信が発生せずに済んだか、たとえ発生してもそういう神秘主義に対して国民は多少なりとも免疫性をもちえたかもしれない。122p

2019年2月13日水曜日

G♯キーの練習!

 「怪我をした手は良くなり、すぐに左手でも結ぶことができます」とは今朝見たダグニーさんのブログから。少しずつ元気を折り戻されているようだ。106歳が頑張っているのを見るとまだまだ若輩者、元気を出さなくてはいけない。

 昨日は携帯万歩計が8479歩、とよく歩いた。お昼過ぎにフルートのレッスンを済ませると八丁堀まで歩く。福屋裏のカフェに立ち寄り、遅いお昼を食べる。一休み後、J〇Bに向かって5月に出かける予定の海外旅行の申込金をクレジット決済する。この旅行は催行が決まっていない。旅費全額を支払っても、燃油サーチャージが変わるかもしれないらしく申込金だけを支払う。残金は催行決定後、知らせが届いて支払うようだ。

 旅行社を後にして画材屋に立ち寄り、F6の木製パネルを購入。このお店の奥さんは元気溌剌。いつ行っても半端でなく元気だ。だが、これまたいつ同じものを買っても金額が数十円単位で同じでない。これは不思議。木製パネルに鳥の子紙を貼って本画にしていく。最近は教室で鳥の子紙を貼っている。これを貼ったパネルは倍近い金額になる。お店の人は「鳥の子紙を貼ったのもあるよ」としきりに話す。だが、パネルだけ購入。

 話は戻ってフルートレッスン。ドルドラのセレナーデをさらっている。この曲はG♯キーが頻繁に出る。このキーは左手の小指を押さえて音を出す。ところが、左手の小指が短いことを言い訳にして、小指がキーから離れていた。これでは素早く音が出ない。何度も注意され、この曲で小指の名誉挽回をはからねばならない。しっかり頭にインプットできるまで練習が待っている。

 他にもさらう曲が決まると自分なりに練習する。ところが、楽譜にブレスの印がないと自分勝手にブレスする。というか、息が続かないとそこでしてしまう。勝手にブレスすると曲として綺麗にまとまらない。先生にブレスの箇所を教わる。これも練習、練習!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
  

2019年2月12日火曜日

Eテレ「100分de名著」(2)を見る

 今朝のダグニーさんのブログを見ると「今日の速報」と題して「私の現在の日常生活の中で肯定的な何かを見つけるのは難しいです。……」と文が続く。怪我をする前までは自由に生活できていた。ところが、怪我により左手が不自由になり、人の助けを借りての生活に満足を得られないのだろう。頭はしっかりされているので怪我さえ治ればまた元通りの生活に、とそれだけを望みたい。

 昨夜も先週に引き続きEテレ「100分de名著」を見る。番組HPによると「名著,ゲストこらむ」欄に中島氏の言葉がある。オルテガは1930年代の時代を「現代的危機」と感じたようだ。そして、「オルテガが重視したのが、第3回で取り上げる『死者の存在』です」と中島氏はいう。昨夜の放送では一度だけ「死者」と「生者」のキーワードを話された。次週は「死者の存在」。いよいよいただいたメールのキーワードが出てくる。次週が楽しみだ。

 今朝は放射冷却なのか冷え込んだ。だが、日中は温かくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月11日月曜日

NHKドキュメンタリーを見る

 毎朝ダグニーさんのブログをみる。しかし、パソコンの翻訳機能を利用しての日本語なので今一歩、日本語として理解できないことがある。今朝は「現在」のタイトルのブログ。やはり、何が書いてあるのか日本語は読めても理解に苦しむ。とはいっても、毎日ブログを更新されている。身体は大丈夫だろう、と安心する。

 一昨日夜に見たテレビ。それはすべてドキュメンタリー番組。BS3で「イギリス 白馬の王子さまに会いたい!」を見ていて、この時間はBS1スペシャル「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」を見るつもりだったと1時間後に気付く。そのためマンホールチルドレンは2時間のところ1時間しか見られなかった。

 マンホールチルドレン、は20数年前、アジア塾に通っていた頃、話題になる。グループに分かれて1年間学んだまとめとして発表する時、私たちのグループはモンゴルを取り上げた。そのこともあってマンホールチルドレンに関心を抱く。番組の後半しか見ていないが、番組HPに詳しく載っている。20年くらい前のGWに内モンゴルへ行った。旅行中、一泊はパオに泊った。翌日、目を覚ますと5月というのに雪が降っていた。番組の外モンゴルは出かけたことがないが、内モンゴルよりももっと寒いはず。そんな場所で家から放り出されたマンホールチルドレン。生きていくのも大変だったに違いない。

 政治に翻弄されたモンゴルの子供たちの生きていく場所はマンホールの中。その子供たちを20年にわたって取材する。こういうことは番組でもないらしく、20年後に逞しく成長した3人を取り上げていた。うち1人の女性はマンホールの中で不意の死を遂げる。今はマンホールに許可なく入れないようになっている。その女性の周りには2人の男性チルドレンがいた。アイスクリームを彼女にどちらが先に買ってあげるか、競争したそうだ。だが、今はその人はもういない。

 20年の歳月で残る2人の男性は家や家族を持った。亡くなった女性を弔うため、許可をもらってマンホールに入り、3つ、アイスクリームを供える。今のモンゴルは経済的にも成長を遂げてチルドレン時代の貧しさは感じられない。ただ、マンホール生活だったため学校に行っておらず、文字の読み書きが難しい。2人は近くの小学校に出かけて文字の読み書きを習う。1人は運転手の資格を取るために、もう1人は離れて暮らす娘と自由自在にスマホのチャットをやり取りできるようになるために、と頑張っている。

 初めに見たのはイギリスの白馬の王子。その後にチルドレンを見ると涙失くして見られない。見ていて決して楽しい番組ではないが、頑張っている人たちを見るのが好きなので刺激を受ける。

 次に見たのは「行くぞ!最果て!秘境×鉄道『ボリビア ジャングル列車』」。この番組もシリーズ化されており、毎回のように見る。番組に出るやっくん。番組にピッタリの人だ。やっくんが行く国は一般人はなかなか行かれそうにない。それがまたいいのかもしれない。秘境、この言葉の持つ響きがいい。ボリビアへも行きたい。行かれない国をテレビで見て行った気になる。これもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 なお、番組HPは以下の通り。

★BS!スペシャル「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2357178/index.html?c=archives

★イギリス 白馬の王子さまに会いたい!
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92625/2625218/index.html?c=archives

★行くぞ!最果て!秘境×鉄道「ボリビア ジャングル列車」https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92608/2608150/index.html?c=archives

2019年2月10日日曜日

風景画の下絵

 県北に住む友だちの電話によると今年の冬は雪が降らないらしい。市内でも今年に入って1度、雪の日があっただけで割と暖かい日が続く。気温も最高気温が10度以下になる日は少なく、2ケタ台の気温が続く。今朝は日差しも出て、気持ち良い朝を迎える。

 昨日は日本画教室の日。先週から写真に撮った樹木の風景画に挑戦する。前回、スケッチをした。それにさらにスケッチして、水彩絵の具で色を施す。これは本画にする際の基礎になる。下絵がうまくできないと、当然、本画もうまく描けない。

 先生から紅葉しつつある葉っぱの色付けは筆の先を使って点、点するように教わる。その前に何色かを絵皿に溶く。この点、点、点……はどうなるやらと思いつつ色を付けるといい具合になる。これは前に描いたカボスとは違って結構、気に入る。しばらくは写真を見てのスケッチを、との思いは先生の昨日の言葉でご法度になる。先生曰く、「来週は木製パネルを持参して……」。他にも先生曰く、「下絵はパステルにしてもいい!」。しかし、この点は筆使いが不得手なので水彩で……と押し切る。

 元来、絵心がない。ましてや家で絵を描くこともしない。これは自慢すべきことではない。とはいっても自分自身がまさか、絵を習うとは思いもしなかったこと。教室でやるだけで十分満足する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月9日土曜日

またもレモン!

土に置き忘れていたレモン6個

 狭い我が家の庭に1本だけレモンの木がある。沢山実をつけたレモンは木の上部よりも下部に実がなる。それも地面に這うように実がつく。地に這うレモンをもぐとき、手で持てなくなると地面に置いていた。昨日、落ち葉を触っていると丸くて黄色いものが出てくる。これは何、と思ったら置き忘れたレモンだった。それも6個。もぐときは濃い緑色のレモンも地に埋もれるうちに黄色になっている。泥まみれになったレモンを水で洗うときれいなレモン色だ。うち2個は茶色に変色していた。以前に取ったレモンはまだ冷蔵庫に入れたまま。これはなかなか黄色くならず、また色つやも昨日のレモンとは比べられないくらい悪い。もしかしてレモンの保存は地中がいい!?昨年のレモンは結果的に82個実ったことになる。
 
 3日くらい前、お昼のテレビでスーパーボランティア尾畠さんが静岡辺りを歩いていると報じた。その時、富士山を眺めつつ尾畠さんは🎵坊がつる讃歌🎵を激励する皆の前で歌われた。この歌、なかなかいいと思って動画を探す。その際、他にもいい歌を見つけた。それは🎵岩尾別旅情🎵。さとう宗幸が知床辺りを歌にしていた。

 昨日、送付された旅のカタログを見ると春の北海道の旅がある。それは利尻・礼文島。4・5月の出発は一人参加も同一料金で10万円前後と安い。しかし、どういっても北海道は夏がいい。夏になれば金額も倍近くになる。ましてや一人参加だとさらに上乗せされる。その矢先の知床の歌。この歌を聞くと知床へ行きたくなる。さらにカタログを見ると申し込んでいる4月の国内旅は催行予定となっている。何とか4月は行かれそうだ。だが、知床ではない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月8日金曜日

『坂の上の雲』(四)

 今朝の地元紙で堀文子の訃報を知る。御年100歳であってももっと生きていてほしかった。堀文子の絵は以前、兵庫県の美術館で初めて見た。そして、年末の12月に三次の美術館で見る。堀文子は絵の良さもあるが生き方にも魅かれる。今朝はダグニーさんのblogのアップがない。

 昨日、銀行で引き落としの記帳後、眼科へ行く。眼圧は異常なし。その後、大型電気店に自転車で向かい、ポイントの記帳をしてもらう。3か所を自転車で移動すると結構な運動量になる。昨日は他にも今月予定していた日帰りバス旅の催行中止の電話がある。これまで何の書類も届かず、諦めていたので何の感慨もない。3月の海外はすでに催行中止決定済み。4月の国内と5月の海外は書類が届いているが、これもさてどうなることやら。ぼやいていても何も始まらない。そういう今、旅のカタログが届く。後でゆっくり見ることにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は先日読んだ『坂の上の雲』第四巻(文藝春秋 2004年新装版第1刷)からの抜粋。日露戦争の勝利が先の大戦へとつながる。第4巻を読んで神風特攻隊は日露戦争の過剰な反応からそうなった、としか思えない。

★乃木希典は、開戦以来、自分の参謀長の意向をはじめて無視した。乃木にすれば、東京の大本営からも、大山の総司令部からも、また海軍からも耳が鳴るほどにやかましく示唆されつづけたこの二〇三高地というかぎ穴に、はじめて鍵を突っ込むことにした。……ステッセルは、あらゆる砲塁のなかで最強のものをこの高地に築あげたのである。109p

★庶民が「国家」というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家となったということが庶民の生活にじかに突きささってきたのは、徴兵ということであった。国民皆兵の憲法のもとに、明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が、兵士になった。近代国家というものは「近代」という言葉の幻覚によって国民にかならずしも福祉をのみ与えるものでなく、戦場での死をも強制するものであった。……明治維新によって誕生した近代国家はそうではない。憲法によって国民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあっては、いかに無能な指揮官が無謀な命令をくだそうとも、服従以外になかった。もし命令に反すれば抗命罪という死刑をふくむ陸軍刑法が用意されていた。国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前にはない。が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛でなく、ときにはその重圧が甘美でさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。二〇三高地における日本軍兵士の驚嘆すべき勇敢さの基調には、そういう歴史的精神と事情が波打っている。122-123p

★ロシア帝国が遼東半島に強引に居すわってここに港市をきずいたのは、明治三十一年である。それまでは漁村の点在するさびしい海浜であったにすぎない。ロシアはここに大都市を建設し、極東における支配中軸にしようとした。かつて清国人が青泥窪(チンニーワー)とよんでいたこの土地を、ロシア人はあらためてダルニーと命名した。東郷がここに一夜をすごしたこの時期にはまだ日本人からもダルニーとよばれていて、大連という別称は存在したものの、まだ正称ではなかった。大連が正称になるには明治三十八年からである。228p

★この日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えないが、その戦後の最初の愚行は、官修の「日露戦史」においてすべて都合のわるいことは隠蔽したことである。参謀本部編「日露戦史」十巻は量的に膨大な書物である。戦後すぐ委員会が設けられ、大正三年をもって終了した、ものだが、それだけのエネルギーをつかったものとしては各巻につけられている多数の地図をのぞいては、ほとんど書物としての価値をもたない。作戦についての価値判断がほとんどなされておらず、それを回避しぬいて平板な平面叙述のみにおわってしまっている。その理由は、戦後の論功行賞にあった。伊地知幸介にさえ男爵をあたえるという戦勝国特有の総花式のそれをやったため、官修戦史において作戦の当否や価値論評をおこなうわけにゆかなくなったのである。……これにこれによって国民は何事もしらされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育においてそのように信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるでちがった質の人間群というか、ともともかく狂暴としか言いようのない自己肥大の集団をつくって昭和日本の運命をとほうもない方向へひきずってゆくのである。508-509p(あとがき)

2019年2月7日木曜日

広響387回定期演奏会に出かける

 スウェーデンのテレビ局はダグニーさんのドキュメンタリーを撮っているらしく、ダグニーさんは自らを世界最古の女優、とブログで表現する。怪我をした左手は思うようにならず、悪戦苦闘の日々でも少しずつ元気に成っているようだ。

 昨夜は広響387回定期演奏会に出かける。年々、年だけは遠慮容赦なく一人前にとっていく。そのこともあり、夜はなるべく出かけないようにした生活スタイルに移行中。それでも夜にある音楽会は出かけて行く。

 演奏会が終わって広島駅までバスに乗る。車内で見知らぬ人と話していると前のこれまた見知らぬ人が後ろ向きになって話に加わる。話し声が大きいと注意されるのかと思ったら、演奏会後の交流会の話に入り込まれる。これまで交流会に参加していない。一度、どんな様子か参加したい気持ちがある。途中から話に加わった人は「参加すればいいのよ」、と言い出す。それも、「参加してビールだけもらって帰ればいいのよ」、とまで言う。そう聞いても、ビールのために参加するとはなんということ!?もちろん会費は無料。ビールメーカーが協賛するらしい。じゃ、参加人員は?とその人に問うとはっきりと言わない。何とええ加減な話の加わり方?

 昨夜の定演の演奏曲目は下記の通り。

🎵フンパーディング 歌劇「ヘンデルとグレーテル」前奏曲
🎵ワーグナー(モットル編曲) ヴェーゼンドンクの5の5つの詩 

 ソリストにメゾ・ソプラノの藤村実穂子を迎える。
🎵リヒャルト・シュトラウス  メタモルフォーゼン(23独奏弦楽器のための習作)
🎵フンパーディング 歌劇「ヘンデルとグレーテル」夕べの祈り~夢のパントマイム

 アンコール曲として再度、藤村実穂子が登場してヨハンシュトラウスの「明日」が演奏された。いつもながらアンコール曲を聞いてホッとする。これはなぜ!?

 昨夜の席は前から3列目で舞台中央付近だった。ゲストが出演する時は前の席はなかなかいい。

 演奏会後に思うことはプロの演奏会の終わり方が素晴らしいということ。これは他の演奏会とは比べられないほどいい。最近、演奏会の終わり方の良し悪しで演奏の良し悪しを判断するようになった。終わりがだらだらとした終わり方の演奏会がある。この点。広響はいい。また、演奏もよかった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月6日水曜日

プール

 「今私は悲観的な人」と今朝のダグニーさんはブログを閉める。タイトルは「以上」でこれ以上何も言うことがないのだろう。ともあれ、しばらく、ダグニーさんのブログから目が離せない。

 プールに出かけようとすると自転車置き場の柱に隠れて、レモン1個が木に残っている。緑色から半分以上黄色になっていた。今朝、重さをはかると128g、と以前に取ったレモンよりも4,50g大きい。レモンの葉が落ちて残ったレモンに気づく。これで昨年は76個レモンが実ったことになる。

 昨日はプールで泳ぐ。受付でアンケート用紙を渡される。今、利用しているプールは市の施設でなく、隣町の町営プール。市と郡が入り混じっているため市の図書館であっても郡部の町も利用できる。プールはその逆で郡部の町営であっても市民も利用可能。そのお蔭で4年くらい前から市のプールでなく、自転車で行ける隣町のプールを利用している。このプールはシニアであれば無料で利用できる。市のプールはシニアも無料でなく、一般料金の半額が必要。ましてやロッカー使用料も要る。

 至れり尽くせりの隣町のプール。自転車で通えて、おまけに無料なので利用している。ところが昨日のアンケートによると一部負担金を考慮中なのかその点もアンケートにある。少しくらい費用が掛かっても今のプールを利用する旨、アンケートに回答した。

 自転車に乗ってプールで泳ぎ、図書館で本を借りたり読んだりする。もしかしたら、今、習っているモノコトよりもこの2つは経費もかからず体力が衰えるまで続けられそうだ。貧しい年金生活者にとって公共施設利用はありがたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月5日火曜日

「100分で名著」から

 今朝のダグニーさんのblogは「少し良い」。ちょっとずつよくなればいい。

 昨夜寝る前に何か面白いテレビは、とチャンネルを変えているとEテレで「100分で名著」をやっている。画面に映し出されたゲストを見ると何とも清々しい顔だ。もしかして、と番組が終わるまで見て、やっぱり、と納得する。その人は中島岳志氏。もう少しすると母が亡くなって丸8年になる。その後に東北の大震災発生。親がいなくなり、続く大震災とその年の前半は最悪だった。その時、目にした中島岳志氏の新聞記事。あまりにも感動してすぐに連絡先を調べてメールを送信。するとありがたいメールを送ってくださった。「(亡くなった人は)死者として存在し続けるはずです……」。当時はただ、大学の先生、としか知らなかった。その後、著書を読んだりするうち、メディアで名前を目にするようになる。

 昨夜初めてテレビでお顔拝見。何ともいい顔をされている。それまでは写真で知っていた。もちろん声を聴くのも初めて。これからしばらくは月曜日夜はこの番組に釘付けとなりそうだ。その前にNHKのこの番組テキストを購入しよう。オルテガ、聞いたことはあるがはっきりとは知らない。この人がテーマの番組のようだ。

 今、『坂の上の雲』(五)を読んでいる。しばらくこの本を読むのに時間をとられる。その合間に「オルテガ」、これにも関心が湧きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後にメールをいただいた翌日のブログ(2011年4月21日)を見ると、次のようにアップしている。その一部を再度掲載。

「……ご尊母さまは死者として存在し続けるはずです。

これからもご尊母さまを大切になさってください。
私も死者となった大切な人とともに生きていこうと思います」

 いつ見ても感動してしまう。

2019年2月4日月曜日

『坂の上の雲』(三)

 「単調です」とは今朝のダグニーさんのblogタイトル。怪我をされて以降、思うようにならないのだろう、退屈というキーワードが毎日ブログにアップされる。

 今日は最低気温8度で最高気温は15度の予報。この頃は寝る前にエアコンをセットして眠る。だが、今朝はセットしなくても起きられた。ただ、ゴミ出しというのに目覚まをセットして寝ても「春眠暁を覚えず」でなかなかすぐには起きられない。ゴミ出しに間に合って良かったと朝からホッとする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『坂の上の雲』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋2004年新装版第一刷)から気になる個所をメモする。

★金州・南山における日本軍の死傷ははなはだしい。乃木希典が金州城外を通りすぎて「十里風 腥(なまぐさ)し  新戦場」という詩を作ったのは、この攻略戦がおわったあとであった。101p

★日本軍の基本思想は、そのような「陣地推進主義」ではなく、大きな意味での奇襲・強襲が常套の方法であった。拠点をすすめてゆくどころか、拠点すらろくにない。兵士の肉体をすすめてゆくのである。当然、戦術は指揮官と兵士の勇敢さに依存せざるをえない。ときには戦術なしで、実践者の勇敢さだけに依存するというやりかたもとる。のちの乃木軍(第三軍)の旅順攻略などはその典型であり、このほとんど体質化した個癖は昭和期になってもの濃厚に遺伝し、ついには陸軍そのものも滅亡にいたる。112p

★海軍が献策していたのは、「二〇三高地を攻めてもらいたい」ということであった。この標高二〇三メートルの禿山は、ロシアが旅順半島の山々をことごとくべトンでかためて砲塁化したあとも、ここだけは無防備でのこっていた。そのことを東郷艦隊が洋上から見ていると、よくわかるのである。この山が盲点であることを見つけた最初の人物は、艦隊参謀の秋山真之であった。162p

★日本陸軍の伝統的迷信は、戦いは作戦と将士の勇敢さによって勝つということであった。 このため参謀将校たちは開戦前から作戦計画に熱中した。詰め将棋をかんがえるようにして熱中し、遼陽作戦などは明治三十五年のころから参謀本部での「詰め将棋」になっていった。……かれらはその「詰め将棋」に血をかよわせて生きた戦争にするのは、実戦部隊の決死の勇戦あるのみという単純な図式をもっていた。「詰め将棋」がよていどおりうまく詰まないときは、第一線の実施部隊が臆病であり死をおそれるからだとして叱咤した。とめどもなく流血を強いた。……、その結果、ぼう大な血の量がながれたが、官僚制度のふしぎさで、戦後たれひとりそれによる責任をとった者はない。231-232p

★——日本が、ロシアの帝政をたおすにちがいない。
と、ヤコブ・シフはおもった。たとえ日本が負けてもいい。この戦争で帝政ロシアは衰弱する。それが、ヤコブ・シフの日本援助の理由であった。
「世界は複雑だ」
と、深井英五はおもった。
……人種問題について深井英五は世界の複雑さを知ったが、楽天家をもって知られる高橋是清のほうが、そういう感覚があった。
「それはそうだよ」
と、かれは深井にいった。かれはヤコブ・シフが「ロシアにおけるユダヤ人を救うために日本を応援するのだ」といったとき、すぐその理由が、ごく現実的なものであることを理解することができた。
高橋自身がわかいころ、アメリカで奴隷として売られたのである。287p

★ともあれユダヤ人が日本を応援した。この間のヤコブ・シフの援助理由について、高橋是清の自伝によれば、
「出来るなら日本に勝たせたい、よし最後の勝利を得ることが出来なくても、この戦いが続いているうちにはロシアの内部が治まらなくなって政変が起こる。……日本の兵は非常に訓練がゆきとどいて強いということであるから、軍費にさえゆきづまらなければ結局は自分の考えどおり、ロシアの政治があらたまって、ユダヤ人の同族はその虐殺から救われるであろうと。これすなわちシフ氏が、日本公債を引きうけるにいたった真の動機であった」
さらに高橋のばあいだけでなく、他の場合においても、人種問題が日本をたすけた。289p

★十九世紀のロシアは、ほうぼうを侵略征服した。
ポーランドもその一つである。……フィンランドもそうであった。290p

★乃木軍がいよいよ第一回総攻撃をはじめたのは、八月十九日からであった。……もっとも強靭な盤竜山と東鶏冠山をえらび、その中央を突破して全要塞を真っ二つに分断しようというほとんど机上案にちかい作戦をたて、実施した。この実施によって強いられた日本兵の損害は、わずか六日間の猛攻で死者一万五千八百人という巨大なものであり、しかも敵に与えた損害は軽微で、小塁ひとつぬけなかった。298p

★乃木は金州で長男をうしない、のちにこの戦場で次男をうしない、さらにかれ自身も出征の当初から死を決意していたが、かれの最大の不運はすぐれた参謀長を得なかったことであった。305p

★「旅順」というこの地名は、単に地名や言葉というものを超えて明治日本の存亡にかかわる運命的な語感と内容をもつようになった。――日本は、旅順でほろびるのではないか。という暗い感じをたれしもがもった。幕末から維新にかけて日本は史上類のない苦悩をへて近代(十九世紀的な意味での)国家をつくりあげたが、それがわずか三十七年でほろびるかもしれない、ということであった。334p

★旅順攻撃は、維新後近代化をいそいだ日本人にとって、はじめて「近代」というもののおそろしさに接した最初の体験であったかもしれない。要塞そのものが「近代」を象徴していた。それを知ることを日本人は血であがなった。336p

★海軍としては港内の敵艦を沈めればいい。そのためには弾着観測兵を置ける(結局それが二〇三高地なのだが)山を陸軍に占領してもらい、陸軍砲をもって港内の敵艦を沈める。それだけでよかった。それで日露戦争における旅順の始末はついてしまうべきはずであった。ところが乃木軍が要塞をすっかり退治してしまおうとおもったところに、この戦争史上空前の惨事(戦争というよりも)がおこるのである。337p

★日本陸軍の歴代首脳がいかに無能であったかということは、この日露戦争という全体が「桶狭間」的宿命にあった戦いで勝利を得たことを先例としてしまったことである。陸軍の崩壊まで日本陸軍は桶狭間式で終始した。……この当時の関東軍参謀の能力は、日露戦争における参謀よりも軍事知識は豊富でありながら、作戦能力がはるかに低かったのは、すでに軍組織が官僚化していてしかもその官僚秩序が老化しきっていたからである。360-362p

2019年2月3日日曜日

樹木のスケッチ

 ダグニーさんのblog、昨日はアップがなかったが今朝はある。時間と空間がわからないようで数日間ブログのアップ日が間違っていた。それも誰かに教えられたのか2月2日、と日付があっている。106歳まで生きると日付が間違って当然。どういってもこの年齢まで生きるだけで素晴らしい。ましてや在宅介護であっても独りでの生活は本当に立派。そして画像付きのブログのアップも素晴らしい。

 話は変わって昨日の日本画教室。昨秋に出かけた尾関山公園の樹木の風景をスケッチする。これは現場でのスケッチでなく写真を見てのスケッチだ。これまでの樹木の絵は木の根元付近か、その一部を絵にしていた。今回は樹木数本を入れた風景画を描く。そのため、樹木はスケッチできても生い茂る葉っぱも描かねばならない。この葉っぱ、一枚ずつ描くわけにもいかず、葉っぱがまとまって茂っている感じでスケッチしていく。これは大変。来週までお預け。

 今日は一日、雨となりそうだ。こういう日は外に出ず『坂の上の雲』第5巻を読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月2日土曜日

簡体字が書けない!

 今朝は放射冷却で最低気温零度と冷たい。最高気温は11度の予報で朝から日が射し温かくなりそうだ。

 先日来からNHKの「レベルアップ中国語」をネットで聞く。ところが聞いてわかったとしても文字が書けない。中国の文字は簡体字。優→优、習→习とそれこそ文字を簡略化している。昨日聞いた「学習」の「習」の簡体字が突如わからなくなる。これではいけないと思って聞き取れた文字をメモでなくノートに書く。

 文字が書けない、のは中国の簡体字だけでなく日本語もそうかもしれない。毎日ブログをアップしても文字は手書きでなくパソコンでの入力。またいくら本を読むと言ってもこれまた読むだけで、読みながら文字を書くことはない。文字を書く、のは届いた書類の返信や年賀状にちょこっと文字を書くくらい。これでは文字は読めても書けなくなるのもうなづける。そう気づき、今、聞いている中国語の簡体字を書くことにした。

 いくら笛を吹いて指を動かしても、また絵を習って手を動かしても、これと文字を書くこととは違う。日本語の文字はわかっても中国語の簡体字が書けないのは自分が年老いたせいにあるかもしれない。とはいえ簡単には年齢を言い訳にしたくない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月1日金曜日

暇つぶしに思うことは……

 今朝のダグニーさんのblogは「幸せの音」。徐々に左手の怪我も良くなっておられるようだ。ただブログの日付が変。

 一日中降った雨も上がり、陽が射す朝を迎える。だが、最高気温は7度の予想で寒い一日となりそうだ。昨日、広島の旅行社から旅のカタログが届く。先月出かけた大連の旅もある。5月の大連はアカシアの大連と言われるように白い花が咲いて美しい街になるだろう。先月は冬景色で木々は冬木だった。緑一色の大連を見てみたい気もする。しかし、まだ出かけて間もないので他の国を探す。

 新年になって2,3,4月と国内、外の旅をそれぞれ異なる旅行社で申し込んだ。そのうち3月の海外は早くも催行中止となる。残る2か所は国内の旅。その中でも2月の旅は2月に入ったというのに何の連絡もない。これも多分催行中止だろう。残る4月はさてさて……。

 春に出かける海外は例年ならば12月中には決めていた。ところが今年は中止などもあって決めていない。この時季は1年で一番寒い。モノゴトを決めるには動きが鈍くなる寒い季節よりも温かいうちに決めるに限る。昨夜、届いた広島発のカタログを見てかなり行く気になる。関西発と比較しては頭を悩ます。広島発は参加人員が少なく、催行されないことがある。その点で関西発を……、と思う。だが、寒い時季、関空まで行かなくても広島発で、と思ったり。

 さらには、年々年を取るので近場の国よりも遠くの国へと気持ちも揺らぐ。もう何回か出かけると海外旅行も記念すべき50回目を迎える。その時は豪華に、と目論んだり……。こうしてつまらぬ夢を見て寒い一日が過ぎてゆく。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!