2017年11月30日木曜日

「芸術は長く人生は短し」

 
 
 今朝の地元紙に「芸術は長く人生は短し」 がある。ネットの故事ことわざ辞典によると「芸術は長く人生は短しとは、人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は長く世に残るということ。また、芸術作品を完成させるには長い年月を費やすものだが、人生はあまりにも短すぎるということ」とある。 さらに「古代ギリシャの医者ヒポクラテスが医術の修業を志す人に言った言葉」らしく、 「医術を修得するには長い年月を要するが、人の一生は短いものだから、怠らずに勉学に励め」と励ました言葉だそうだ。類語に「少年老い易く学成り難し」 がある。
 
 確かに、そうかもしれない。習い事なども簡単に資格が取れるものがある。これはまたそのブームが過ぎれば簡単に忘れ去られてしまう。
 
 若い頃、暇を持て余してあらゆるモノコトを習っていた。習い始めてしばらくするとすぐに初伝の免状をくれるという。それには金銭が付きまとう。これは日本伝統のお稽古ごとに多かった。個人的には免状が欲しくて習っているのではない。そんなことを長く続けるうち、簡単に資格が取れるモノコトは簡単に飽きてしまうと気づく。それ以来、基本を学ばなくては飽きてしまって長続きしないと知った。
 
 長く続いているフルート。習い始めにまずは音を出すことから始まる。というかその前には息の出し方から教わった。それから楽器を持って音を出す。音を出す際、吹こうとすると始めのうちは立ち眩みがする。それくらい息を出すことは苦しい。習ううちに曲が吹けるようになる。それも次第に吹きこなせるようになると次は如何に少ない息でうまく吹きこなせるかが大事になる。何年と長く習っても決してこれで満足に吹けたと思うことがない。さらにうまく吹けるように、との思いで習い続ける。
 
 絵もそうだ。自分なりに満足いく絵が描けるまでには長い年月を要するだろう。日本画の場合は絵を描くパネルの用意から始まる。それに和紙や絹を張って地塗りするまでに色々な手順がある。もうこれだけ覚えるにも「一人でできるん?」と自問自答する始末。結果はいつも先生に頼ってしまう。それ以降もいろんな手順がある。これも先が長くなりそうだ。
 
 勉学もそうかもしれない。若い頃、いろんなことに手を出してその究極が大学で学び直しとなる。これは、自分の人生にとって大正解だった。学び直し後の人生がそれまでとは大いに変化した。まずは知り合う人やいろいろなモノ・コトがそれまでとはかなり違ってきた。これには驚く。決して知り合えないであろう人たちと知り合う機会が増えた。これは何事にも代えがたいことで本当に有難い!ともあれ、今朝のことわざである「芸術は長く人生は短し」。いい言葉だ!
 
 今朝の動画はこれからさらう予定の🎵Pavane op. 50🎵 でGabriel Fauréの曲。これもいい曲。

2017年11月29日水曜日

「ノクターンOp.9No.2」

 

 ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」を仕上げて次からはショパンの「ノクターンOp.9No.2」をさらう予定。この曲は聞きなれた曲。しかし、いざ吹こうとすると結構大変。何が大変かといえば指使いはもちろんのこと、32分音符の5連符が連なる。はじめは速度を落として練習しても、これを8分の12拍子に合わせなくてはいけない。これまでの曲とは違ってかなり練習のしがいがありそうだ。これを終えると先日来から気に入っているチャイコフスキーの「感傷的なワルツ」をさらう予定。最近、他にも動画を見て気に入ったフォーレの「パヴァーヌ」について先生に尋ねると楽譜を出してくださる。しかし、楽譜はソロでなくアンサンブル用だった。ソロに手直しをお願いしてさらう予定。

 フルートのレッスンを終えると福屋で開催中の平松礼二の個展に行く。絵を見ていると販売済みの赤い印がついている。どういっても日本画の第一人者の絵だ。その価格はなんと1千万円を超える金額。販売済みは2百万から4百万円の価格帯だった。それにしても誰が高価な絵を購入するのか、いつも不思議に思って絵を見る。平松が日曜美術館に出た際の映像もある。これもゆっくりと見る。ビデオ鑑賞後に再度絵を見ていると係りに声をかけられる。東京から絵と共に来ている人だ。絵の説明でなく、素晴らしさを話される。先日の日曜日に平松ご本人が来広されての講演会があった。聞きたかったけど他の用があり聞けなかった。沢山の来場者だったそうだ。

 どういっても「モネへのオマージュ 睡蓮の池」の絵がいい。この絵の地塗りの青の色。これはどう表現していいのかわからないほどいい。いつか自分の本画にする際、この色を真似て地塗りしよう。多分、同じ色は出ないだろうけど…。

 青、といえばその後に出かけた県立美術館で見た元陽展。この中の1枚の「海鳴り」の絵。一番気に入る。この絵の上あたりに海が描いてある。その海の青がいい。

 この会の公募で作品を出品されている知り合いと話す。何と、今年初めて水彩画を習われて奨励賞を受賞されている。絵の大きさは20号。いきなり描いた絵が20号、それが公募で受賞。素晴らしいの一言。

 「海鳴り」がいいと話していると他の人も加わってその海の青がいいと話される。同じ思いだった。話した人は大作を描かれている。絵の説明を聞くと、絵の隅に一か所必ず自分を表現するそうだ。例えば、明るい葉っぱを描くとする。その葉っぱのうちのどこか隅に枯れかけた、さびれた絵を描かれるという。寂れた箇所こそがご自身だそうだ。これを聞いてなるほど、と感心する。そして絵にサインを書く時も一工夫されていた。

 この方は名前に特徴がある。どんな人かは知らずにいたが名前をお聞きして知っている人だとわかる。

 ともあれ、昨日はフルートに始まって福屋の個展、そして八丁堀で遅いランチ。その後に県立美術館へ行き、終了までそこに居座る。今朝は草臥れたのか遅い起床でゴミ出しに間に合わなかった。ましてや今朝は雨。行動も鈍くなる。今日一日はゆっくり三昧。それにしてもよく動く。昨夜の携帯万歩計は9338歩だった。

2017年11月28日火曜日

「夢と希望」を失わない!


 ヴィラロボスの🎵ブラジル風バッハ🎵、藤井香織の動画がある。聞いていると今さらっている楽譜と同じだ。藤井は第一人者のフルーティスト。他にも多くの動画アップがある。フォーレの🎵シシリエンヌ🎵以外の曲も気に入る。いつか吹いてみたい。

 九州から寺報(お寺の機関紙の呼び方を初めて知る)が送られてきた。この夏、九州のお寺関係の人たちとタイのアユタヤ、スコタイ遺跡に出かけた。その後、12月には南インドに行かれるとのことだった。ところが送られてきた寺報によるとこれは無期延期かあるいはしばらく様子見らしい。記事を読んでいると知っているもう一人のお坊さんはかなり体調を崩されている。「治療法が見つかっていないから生きている間を楽しむしかないと静かに笑っていた。ここにきて『死ぬまでになすべきこと』が解ったように思う。それは『死の直前まで生きることを楽しむこと』だ。死ぬとなくなる物は『夢と希望』、つまり生きている限り『夢と希望』を失わないことが生きている証明となる。…」と記されている。

 旅先で知り合ったお坊様たち。旅先で知り合う、といえば何人の人たちと旅で知り合っただろうか。以前はメールもネットもない時代。もっぱら電話や手紙でのやり取りだった。旅で知り合った人たちとは今でも年賀状でやり取りが続く。それでも数人はもうこの世での連絡は不可能となった。

 先月出かけたインドネシアの旅で団長は「あと5年すればこの中の何人かはいないだろう」とつぶやかれた。しかし、ご本人は今年10年のパスポートを更新されている。これもお守りがわりというか身分証明書がわりになるらしい。個人的にはあと3,4年ほどパスポートの期限がある。しかし、これを更新する際の年齢を想うと団長がパスポートを取得された意味がよく解る。

 寺報に書かれているように「死の直前まで生きることを楽しむ」ためにも「夢と希望」をもって旅を続ける。これに尽きそうだ。また、いつかお坊さんたちと一緒に旅ができるといいけど…。そして前月出かけた某会の団長さんを始め皆さんと一緒に旅を続けられるといい!

 某会といえば旅の記録用の集合写真がメールで送付された。他にも昨夜は県立美術館で開催中の展覧会出品をメールで知らせてもらう。お二人以外にも皆さんと来月の旅の反省会でお会いする。楽しみだ!そういえば、インドネシアの旅で心配していたアグン山。ついに噴火した!近くの空港も閉鎖されているようだ。

2017年11月27日月曜日

堀米ゆず子ヴァイオリン演奏会に出かける

 堀米ゆず子のヴァイオリン演奏会に出かけた。場所は三原市芸術文化センターポポロ。ポポロへは初めて行く。在来線で行くか新幹線の「おとなび」利用か迷った挙句、在来線に乗る。三原駅まで約1時間の乗車。新幹線はその半分で行ける。だが、新幹線は広島駅まで出て新幹線に乗る。とはいっても、利用料金は「おとなび」を利用すれば在来線と大差ない。ともあれ、在来線でちょっとした旅気分で見知らぬ場所に出かける。これはこれで楽しい。出かける前に、まずは飲み物とおやつとみかんを持参。三原駅に降りるのは久しぶり。三原駅前というのに人が歩いていない。どういっても昨日は日曜日。それなのになんと長閑なことだろう。バス停を探すと数人立っている。ここに間違いないと思い並んでバスを待つ。隣の人に聞くと西条から来たとか。バス待ちの人は地元民でなく他所の人だろう。

 バス料金140円でホール前に到着。今月から広島市内はバス料金が180円になった。それに比べて三原はバス料金が安い。何と帰りのバスはホールが無料シャトルバスを出してくれる。

 堀米ゆず子の演奏テーマは「音楽との出会いⅢ ポポロでバッハを弾く」。使用楽器はグァルネリ・デル・ジェス。これは先日読んで知った前橋汀子の使用楽器と同じだ。

 この楽器についてウイキペディアで調べると「名演奏家の手を経てきた1741年製デル・ジェズ『ヴュータン』は『ヴァイオリンにおけるモナ・リザ』と称され、2012年の取引で約1600万ドルの値が付き、1721年製ストラディバリ『レディ・ブラント』を超える史上最も高額で取引された楽器となった」とある。ヴュータンかどうかは知らない。しかし、もらったチラシによると堀米ゆず子の使用楽器は1741年製で貴重なものだ。どういっても演奏テーマのサブタイトルは「グァルネリ・デル・ジェスを弾く」。

 演奏曲は以下のようであった。

🎵J.Sバッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ第3番ホ短調BWV1006
🎵J.Sバッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティ―タ第1番ロ短調BWV1002
🎵J.Sバッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005

 無伴奏とあるようにヴァイオリンのソロの演奏会。休憩を挟んで3曲の演奏後、アンコール曲が演奏された。しかし、帰りのバスに乗り遅れまいと急いだために何の曲かわからない。

 演奏されたパルティ―タやソナタ。ソナタはわかってもパルティ―タの意味が今一歩分からない。ポータル クラシック音楽で調べると「パルティータ(partita)は、17世紀から18世紀の器楽曲のジャンルの一つである。17世紀の間は、この語は変奏曲の意味で用いられた(フレスコバルディの作品など演奏会)」とある。

 ともあれ、すべての演奏は暗譜で、小さなヴァイオリンの音色が大きな会場に響き渡る。なんと素晴らしい!新年には古澤巌が同じくバッハの演奏をする。古澤の使用楽器はサン・ロレンツオだそうだ。これも高い楽器だろう。いずれにしてもヴァイオリン奏者は高価な楽器を弾きこなす。じゃ、一般の人たちが使用する楽器はいくらくらいするのだろう。貧乏人はヴァイオリンは習えない!?そういえば以前聞いた天満敦子の楽器はストラディバリウスと話していた。

2017年11月26日日曜日

「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」

 『エリーザベト・ニーチェ』(ベン・マッキンタイヤー著 藤川芳朗訳 白水社、1994年)、サブタイトルは「ニーチェをナチに売り渡した女」を読む。細かい文字で分厚い本、気になる個所を付箋紙で印をしながら読む。ところがあまりにも付箋の数が増えて、昨夜すべて取り払う。結果は訳者あとがきを参考にする。それを記そう。

 ★「あなた方は虫けらから人間への道を歩んできた。という言葉が見受けられる『ツァラトゥストラ』第一部の「序説三」は、ダーウイニズムがすでに≪実質的に≫下していた宣告を、あらためて自分の言葉で語ったものと見ることができる。≪神は死んだ≫と。そして同時に、≪人間とは超克されるべき何者かである≫と言って、その未来へとつづく道を指し示そうとするのである。このようなニーチェに対して、その妹のエリーザベトは最初から最後まで反理性・反啓蒙に身を置いていた。そして必要があればいつでも、兄を否定し、裏切り、売った。こうしてニーチェの思想は、ダーウイニズムと同様に、人間の豪を啓くものであったにもかかわらず、いわばともに身内の人間によって、不幸な歴史を背負わされることになったのである。314p

 この本を読むきっかけはポーランドに出かけて以来、アウシュビッツ、ユダヤ、ヒトラー、ナチスと関心が湧いてこの本に行きつく。ニーチェの妹のエリーザベトについてウイキペディアに以下のように書いてある。「1930年、エリーザベトはナチ党の支援者となった。1933年ヒトラーとナチ党が権力を掌握すると、ニーチェ文庫は資金と広報の面で政府から援助を受けるようになった。その見返りとしてエリーザベトは兄の名声をナチ党に利用させた。1935年の彼女の葬儀には、ヒトラーや複数のナチ高官が出席していた」とある。このことからサブタイトルにあるようにエリーザベトは「ニーチェをナチに売り渡した女」と言われるのだろう。

 以下は22日の古澤巌のブログから。

(映画を)観に行く暇が無いためV。
いつぞやのゴッホ&ゴーギャン展コメントの影響?
タヒチ来た。
絵画は残る。歴史に残る。
貧乏。家族に捨てられ。女に捨てられ。
最悪の人生。でも歴史に残ってる。
俺達は、俺達にしか出来ない、人生。
何も残らない…。それでいい。

 何と詩的な文だろう。名のある古澤巌でさえも「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」とは…。これを捩って「凡人は凡人にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」。新年早々に古澤巌のヴァイオリン演奏を聴きに行く!ほんと、楽しみだ!

2017年11月25日土曜日

ブラックフライデー

 毎日見ている105歳のダグニーさんのブログ。昨日のブログを見ると「ブラックフライデー」の話題だった。さてブラックフライデーとはなんぞや?ネットで調べると「米国などで、感謝祭(11月第4木曜日)の翌日の金曜日のこと。休日とする職場が多く、商店にとってはクリスマス商戦の初日に当たる。『ブラック』は、買い物客による混雑、または黒字を連想させることから」とある。日本はプレミアムフライデーというわけもわからぬことがあるが…。それにしても、105歳で毎日ブログにアップ、それも必ず画像付き。これも素晴らしい。さらに驚くことはメディアの取材などもあり、たびたび食事会の話題がある。そして外出されて人にも毎日会われている。今朝見たのは日付が11月24日を誤って4月24日とたまに日付の間違いがある。これはご愛嬌!?愛嬌はいい!先日の講演会でもそう話された。

 以下は11月22日、市内の某ホテルで開催された人類学者で京大総長の山際壽一氏の講演会から。講演のテーマは「野生の思考と未来の人材育成―ゴリラに学ぶ」。新聞記事で講演を知った。主催者側に電話で予約すると不要とのこと。どういっても人類学の第一人者の講演会。入場できるようにと早めに家を出る。講演は広島在住の京大出身者たちが主催する?全く門外漢のモノが某ホテル会場まで話を聞きに行く。案の定、寒い雨の日にも関わらず会場は満員だった。

 もらったチラシによると「人間はゴリラから引き継いだ社会性を、危険な環境で食と子育てを共同することによって家族と共同体からなる共感社会へと高めた。来るべくICT社会を幸福に過ごすために、その能力の向上と新しい人材育成について考えてみたいと思います」とある。

 講演の第一声が「大学はジャングルだ」。この日は曇りのち雨の日でゴリラ日和らしい。多様性、総合性、先端性の中での人材育成はまるでジャングル!?また、「大学は窓である」とも。研究分野のゴリラは、コミュニケーションを求めて自分の方から顔を人間に近づけてくる。ところが人間は音声で会話するため顔を向き合わせずに距離を置いてもよい。これには人間とサルとの白目の違いにもよるらしい。

 7万年前に猿と分かれた人間。その脳はゴリラの3倍あるという。この脳が大きくなって人間は言葉をしゃべるようになる。じゃ、脳を大きくしたものは何か?集団の規模を大きくすると脳の新皮質が増えるらしい。人間の集団を人数で表すと以下のようになる。

 10~15人 ゴリラの集団の平均値であり、スポーツの集団のサッカー、野球、バレーなどもある。これには言葉は不要だ。ゴリラも同じで言葉はなくてもよい。

 30~50人 ホモサピエンスで学校のクラスがまさにそうだ。宗教や軍隊、会社の部長以下の人数など。

 150人 この人数は年賀状を書くときに顔を見なくても書けるそうだ。過去の経験から思い浮かべられ、困ったときに頼られる。村の規模にあたる。

 では家族文化は?言葉はいらなくて、身体のコミュニケーションを共有してつながり合う。

 150人を超えた時、言語が登場し、共食と共同が共感能力を高めるそうだ。食事は平和主義であり大人は子どもに食物の分配をする。人間だけが文化を超えて食物を分け合うという。食物は社会的な道具であり、共感を育む大きな装置であるらしい。

 ここでゴリラと人間の比較。

 ゴリラは1.6㎏’で誕生し200㎏にもなるという。成長が速いらしい。ゴリラの赤ちゃんは1年間親の中にいるので泣かない。しかし人間は3㎏で誕生してもゴリラのように大きくならない。成長が遅い。赤ちゃんは泣く。

 知識は人や本から学ぶ。食事は人と共に食べる。しかしこれも減っている。ITは一人になる時がなく自己決定ができなくなる。これからの大学は未知の知識を一緒に学ぶフィールドワークが大切だ。赤ちゃんに語り掛けていた音声が大人の間に普及して音楽になったそうだ。また赤ちゃんは声のトーンを聞き分ける。共感や共同体は食事と子育てが結びつける。音楽は育児から出て来たのではないかともいう。

 最後に松下幸之助の直観力を養うから3点あげる。直観力を養えば変化の激しい世の中に立ち向かってゆけるという。

 それは①愛嬌 ②運がよさそうに見える ③背中で語る(言葉は不要)
これはまさにゴリラにあてはまるそうだ。

 ヒトはゴリラに学ぶ!?とてもためになる面白い講演会だった。来年も京大のためだけでなく市民に開かれた講演会にされるとのこと。楽しみだ!講師のリクエストもしたけど…さてさて。以上のことは個人が講演を聞いて理解したことであり、解釈違いがあるかもしれない。

2017年11月24日金曜日

大歩危峡遊覧&祖谷のかずら橋を渡る


車窓から見る吉野川

 徳島県にある大歩危・小歩危と祖谷(いや)のかずら橋。前々から一度は行きたいと思っていた。やっと念願かなって日帰りバスツアーに参加する。幸い昨日は好天に恵まれて無事楽しい旅は終わる。しかし、かなり風が強く吹く。この日は風速14m。だが、風速25mになると瀬戸大橋は通行止めになるとか。風が強いにもかかわらず速度を出して走るバス。揺れを感じる。

阿波池田駅
  初めて徳島の空気を吸った。住んでいる辺りではすっかり姿を消した田園風景。ところが四国に入ると一面黄色く染まった田圃を見る。そこには何が植えてあるのか知りたくなるがわからない。阿波池田駅からJR土讃線に乗車して大歩危駅までのローカル列車の旅を体験する。乗車時間は30分で5つ先の駅まで乗車する。乗客数が減れば土讃線も廃線の憂き目にあうかもしれない。どういっても広島の三次と島根の江津を結ぶ三江線は廃止が決まった。ローカル列車の存続は観光客にも責任がある!?座席は一両編成の58席。座れないかもしれないとの添乗員の言葉も全く関係なくむしろツアー客だけが乗車した感じだった。

 池田、といえば以前甲子園を沸かせた池田高校があるところ。池田と聞いてそれを思い出す。

JR土讃線に乗車

 大歩危駅を降りるとすぐ下には川が流れている。大歩危・小歩危は切り立ったV字谷を流れる激流で吉野川沿いに広がる約8キロの大渓谷。大股や小股で歩いても危険という意味からその名がついたそうだ。このうちの大歩危峡を観光遊覧船に乗って川から美しい渓谷美を見上げる。乗船が先かお昼が先か。これは乗船状況によるらしい。お昼のレストランも船の会社も同じ経営なのか、相談しながらになる。結果はお昼を食べた後での乗船となった。


大歩危駅で下車

JR大歩危駅
  お昼は乗船口の 上にあるレストランでいただく。祖谷蕎麦ランチで鱒のちらし寿司もあった。朝早く家を出たのでお昼の美味しいコト。全部いただく!
お昼は鱒のちらし寿司と祖谷蕎麦
  レストラン下にある船着き場に行くと大勢の人が待っている。昨日はお天気はよくても、四国の山の中、寒さは半端ではない。ましてや小舟に乗っての渓谷美を楽しむ。かなり厚着をして船に乗る。いくら寒くても船上からの景観は迫力満点。30分の小舟での船旅。行きはゆっくりで帰りはエンジン音を響かせて素早いご帰還。これもまだ乗船できない多くの観光客が待っているためかもしれない。
大歩危峡を遊覧船に乗って

大歩危峡

遊覧船から見る光景

遊覧船で見る大歩危峡
  大歩危峡を船で堪能した後は、今回の旅のハイライトである祖谷のかずら橋を渡る。日本の原風景と言われる秘境の地、祖谷。日本3奇橋と言われる祖谷のかずら橋。長さ45m、高さ14mのかずらでできた橋を渡る。渡る前に橋を見ると何と短い橋と思った。ところが橋の目の前に行くと木の橋は橋全部を覆ってなく、隙間がある。一歩橋の上に足を置くと揺れが激しい。どういっても多数の観光客がスリル満点の橋を渡る。はじめは蟹歩きのように横になって橋の欄干のかずらを両手で持って渡っていた。途中、このかずらの欄干が揺れてもしも横に外れたらと思うと半端でなく怖い。歩くのが遅いので後を歩く人に迷惑をかける。橋の途中で男の人は大きな声で「お金を払ってまで何で怖い目に合わんといけんのん!」と言い出す。ほんまにそうじゃ。思わず賛同する。とはいっても歩くのに必死で声さえ出ない。片側を歩く人はさっさと歩く。途中から横向きでの歩きでも足を交互に出すようにすれば…と思いつく。そうやって歩くとかなり楽になる。これも橋の途中から気づいたこと。無事45mを渡り終えた時の安堵感。思わず目の前に立っている添乗員にカメラを渡して再度、少しだけ橋に戻って写真をお願いする。

 自分で橋の上から写そうとカメラを首にかけていた。ところがそんな心のゆとりは全くない。改めて運動神経の鈍さを感じる。小さいころ、わが家の近くの川にかかる廃線の線路があった。この上を歩くというか這って渡ったことがある。みんなスイスイ渡れるのに、必死で渡った。その橋は線路であったため枕木と枕木の間を覗くとその下は川だった。
車窓から見る祖谷のかずら橋

祖谷のかずら橋の標識

ここから45mの長さのかずら橋を歩く

かずら橋の上は木道でも、隙間があって足がスポットと落ちそうで怖い

渡り切ってホッとする
 

かずら橋から14m下を流れる川

かずら橋近くにある琵琶の滝は落差50m
  かずら橋を渡り終えると近くにある琵琶の滝も見る。秘境、祖谷渓谷。寒い地域とスリルでさらに寒さも増す。広島駅に着くと改装された駅がライトアップされてまるで他所へ来たみたい。ペデストリアンデッキのクリスマスツリーも美しくライトアップ。途中、高速で事故があり30分遅れの帰着。わが家に着いたのは午後9時。遊び疲れても心地よい一日となった。

 ブログ投稿後にサービスエリアでもらったパンフによると次のように書いてある。

 「大歩危・祖谷はアクティビティ・エリア。ミシュラングリーンガイドに選ばれた祖谷街道。大歩危祖谷には世界レベルの観光でスポットやアクティビティが目白押し。切り立った深い渓谷に流れるエメラルドグリーンの祖谷川とミシュラングリーンガイドに選ばれた祖谷街道からなる『祖谷峡』、日本三希橋の『祖谷のかずら橋』、国の名勝天然記念物の『大歩危峡』をはじめ、激流吉野川を舞台にしたラフティング、カヌーなどのアクティビティスポットとして注目を浴びている」。

 道理でツアーの参加者はいつになく若い人が多かった。
広島駅ペデストリアンデッキのライトアップされたクリスマス・ツリー



2017年11月22日水曜日

『私のヴァイオリン』

 『私のヴァイオリン』、サブタイトルは「前橋汀子回想録」(前橋汀子 早川書房、2017年)を読んだ。演奏家がヴァイオリンに賭ける情熱をまざまざと見せつけられた本だった。世の中の有名な音楽家との出会いがその人の演奏する力になっている。これは何も有名人でなくても凡人であっても同じかもしれない。人との出会いが人生を決定づける!ともあれ、読んでいて元気が湧いてくる本だった。

 昨日はお天気にも恵まれて急きょプールで泳ぐ。これから一日ごとに寒くなる。泳げる日にはなるべく泳ぎを優先しよう。プールに行くにも今が一番いい季節かもしれない。水に浸かった感触がどういっても温泉のように感じる。温かいプールで昨日も1キロ泳ぐ。

 以下はまたいつものように本からの抜粋!

★運動が苦手だったので、学校の体操の時間もイヤでイヤで仕方がありませんでした。…ボールが投げられないし、キャッチもできない。跳び箱や鉄棒は、言うまでもありません。(14p)

 同じく運動音痴で育った。世の中、同じような気持ちで育った人がいると思ってこの本を読む。

★アルバン・ベルクは亡くなってから二〇年経ったぐらいの時期でしたが、彼のヴァイオリン協奏曲は前衛的で難解だと言われていました。今でもその評価に変わりはありません。(34p)

 先月の広響第374回定演でこのベルクのヴァイオリン協奏曲が演奏された。しかし、聞いていてその良さが全くわからない。前橋もこの曲は「前衛的で難解だ」と書いている。その後、テレビでN響がベルクの曲を演奏していた。指揮者を見ると広響の指揮者と同じ下野だった。「わからない曲」とのイメージが付きまとったベルクの曲。お蔭でベルクの名をしっかり覚えた。

★ある日、中国人留学生たちは忽然と姿を消してしまいました。…あとから考えてみると、おそらく政治の大きな変動により、中国に呼び戻されたようです。一九六〇年代に入って以降、ソ連と中国との関係は複雑でしたから、その影響があったのではないかと。中国人留学生たちはその後、どうなったのでしょうか。文革四人組のひとり江青女史から絶大な引き立てを受けていた殷承宗ものちに農村に下放されたと聞きました。(58p)

 殷承宗についてネットで調べるとアメリカ国籍の華僑のピアニストとなっている。前橋と同じくソ連留学時代の経歴も詳しい掲載がある。https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7%E6%89%BF%E5%AE%97 (参照)

★私のソ連留学は広く世間に知れ渡っていたので、訪ソする人たちが「娘さんに届けるものはありますか」と、わざわざ両親のもとに連絡をくださったのです。…「市川です。お母さまから荷物を預かっています」声の主は、国会議員の市川房枝先生でした。受け取り場所として指定されたのはホテル・アストリア。ナチスドイツのヒトラーは「レニングラード包囲戦」と呼ばれるソ連との戦いに勝利したら、このホテルで祝賀会を開く予定だったそうです。(67p)

★一九六一年九月、レニングラード音楽院での勉強を始めた直後に、ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィルによるチャイコフスキーの悲愴交響曲を聴きました。…思わず感情が昂ぶり涙が止まらなくなってしまいました。チャイコフスキーは、ロシアの風土とロシア人の心を音楽にした作曲家です。彼の音楽には、ロシア人のあらゆる感情が集約されています。(75-76p)

★オイストラフは「ヴァイオリンはお腹で弾くものだ」と言っています。ヴァイオリンの大きさは同じであっても、演奏する人の体形はさまざまです。だから、体幹を使って、それぞれが自分にとって自然体で、一番ふさわしい弾き方を見つけなくてはいけない。そう言いたかったのでしょう。

 フルートを吹くときも体幹が重要と教えられた。何事も一番は「体幹」!?

★タリーさんは私の保証人になってくださり、一度は断られたチェース・マンハッタン銀行から融資を受けることができました。こうして、ほしかったバリストリエリを手に入れたのです。…タリーさんのような慈善家に出会えたことも、私の演奏家人生のなかでたびたび感じた「不思議な導き」よるものだった気がしてなりません。(112p)

★イタリアのナポリでアルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクールを受けたとき、シゲティ先生は「グッド・ラック」の意味を込めて、私が泊まっていたホテル宛に金細工のネックレスを送り届けてくださいました。…ご自身が大変なときなのに、弟子である私が予選を勝ち抜けるようにと、細やかな心配りをしてしてくださったのでした。そのおかげもあって、このコンクールでは優勝を果たすことができました。私が少しでも多くのコンサートやコンクールで優勝できるようになると、先生は方々に推薦状を書き、私のことを積極的に売り込んでくださいました。…さまざまなコンサートで演奏したり、ヨーロッパの各地で開催されるコンクールに応募したりすることができ、ギャラや入賞賞金を生活費やレッスン代に充てることができたのです。(128p)

★ヨハネスブルグは、あらゆるところに「ホワイト」と「ブラック」の差別がある世界。白人の社交場にインド系の青年が出入りすることは、許されないのです。日本では経験したことのない人種差別の現実を、初めて目の当たりにした瞬間でした。(142-143p)

★いま私が使っている楽器ガルネリウス・ジェスは、二〇〇三年にロンドンの楽器商チャールズ・ベアーさんから購入しました。…一七三六年製のガルネリウス・デル・ジェス。(151p)

★一九九九年二月、妹の由子を亡くしました。旅先での不慮の事故でした。(148p)

★山を登っていくと、登りついた先で見えてくる「景色」があります。その景色を見ることで新たな気づきがあるから、さらに登り続ける。演奏家というものの人生、少なくとも私の人生はその繰り返しです。私は今もその山を登り続けています。…ひとつだけ言えるのは、一回一回のコンサートに「これが最後」という気持ちで向き合ってきたことです。大好きなヴァイオリンを一日でも長く引き続けたい、それが私のいまの「願い」です。(158-159p)

 去年と今年の2回、前橋汀子のヴァイオリンコンサートを聴きに出かけた。華がある人だった。街を歩く人の中に何人がクラッシックのコンサートを聴きに行くだろうと思ったそうだ。それからアフタヌーンコンサートを始められたという。そういえば、2回聞いた時も午後3時頃の開演だった。皆が聞きに行き易い時間に割安のコンサートをする。そう思われたらしい。聞く側にとってはありがたい。

 一流の演奏を聴く機会があればなるべく聴きに行こう。近いうちに堀米ゆず子の演奏を聴きに行く。楽しみ!それにしても一流の人が手にして弾くヴァイオリン。何と高価なんだろう!

2017年11月21日火曜日

台湾etc.

 姪が台湾で目にした葬儀の模様を電話で聞く。参列者の服装は黒ではないらしい。姪は真っ黒でなく白黒の上下で参列したという。もしも黒で統一していたらかなり浮いたとか。火葬前には泣き崩れていた人たちもお骨になるとあっけらかんとしていたと驚いて話す。この件に関しては母の時がそうだったと話すと納得した様子だった。他にも故人の持っていた趣味や身に着けていた一切合切と紙で作った紙幣を大きな箱に入れ、それを燃やすらしい。日本では故人が大切にしていたものをお棺に入れることがある。台湾ではお棺に入れずに別のところで燃やすらしい。これにはかなりの時間を割くらしく、日本と違って葬儀は一日かかるそうだ。

 先日聞いた姪の話とここ3,4か月、母の月命日にお墓に参られなかったことが原因なのか両親の変な夢ばかりを見ていた。それも矛盾だらけの夢。今月も他の用事があってやっと昨日お墓参りをする。
 
 それにしても急激に寒くなった。寒いときは温かいのが一番のご馳走と話していた母。そうかもしれない。寒くても今月の予定がまだ残っている。それもちょっぴりの遠出が2件ある。そのうちの1日は今朝の新聞によると日本画家の講演会もある。講演は聞きたいけどどうもがいても聞かれそうにない。残念!

2017年11月20日月曜日

日本画作品展の打ち上げ

 日本画教室の打ち上げは楽しいうちに終わる。打ち上げ場所はホテルグランヴィア広島の煌蘭苑。20数名の個室が新たに設けられたらしく、早めに席を予約されていた。これから忘年会シーズンなのでこの部屋の予約もすぐに埋まるだろう。落ち着いた部屋で和気藹々と会は終わる。

 今回は先生が日本美術院の「院友」になられたお祝いも兼ねる。また、生徒さんの中に長く日本画を習われ、何度も県美展などに入選されているご夫妻がおられる。その人たちは日本画の作品展開催と同時期に二人展を開かれた。それはご夫妻の古希のお祝いでもあった。

 食事後にはがきサイズに描いた絵の交換会がある。受け取ったのはなんと、その旦那さんの絵だった。家の庭に黄色く色づいた一本のイチョウの木を描かれていた。添えられたメッセージには「これからも精一杯楽しみましょう!」とある。これは毎日自分に言い聞かせている言葉だ。

 自分の描いた落ち葉の絵は、これまたいつも県美展に入選される人に渡る。どういってもこの会で一番下手な絵が一番うまい人の手に渡るとは…。本当に申し訳ない。それでも添付したメッセージを感情をこめて読んでくださる。これを聞いて先生は「何枚も落ち葉を描いてた…」とフォローしてくださる。後で受け取った人から「何度も描いたよね」と言ってもらう。それでも、今になって余りの下手さ加減に恐縮してしまう。

 乾杯の音頭は某男性。その方はダ・ヴィンチの言葉を話される。詳しくは覚えていないが内容は「画家は万能でなければならない」「絵を習う人は師を凌ぐようにならなければならない」というようなお話だった。話された人は本か何かでこれを読まれたのだろう。ダ・ヴィンチの本を読んだことがない。先ほどネットで調べるとこの言葉はわからなかったが多くの名言がある。

 音頭を取った人は絵の隅に「糀」とサインされている。受け取った人は誰の絵かわからない。誰、誰?と聞いても返事がない。先生はしきりに「誰の絵?」と思案の挙句「糀」をかけた名前を思い出してやっと誰の絵か判明する。ダ・ヴィンチを話された人の絵だった。

 20余名が参加した日本画の打ち上げ。どういっても参加者の年齢が高い。横の人は79歳と84歳の人だった。皆さん、絵を習って20年以上の選手で一番下っ端とはどういっても絵のうまさが違う。そして絵を描くのが好きな人たちばかり。まだ絵を描くのが好きとまでに至らない。ただ、いつか自発的に絵を描くようになればそれでいいと思っている。それはいつの日?それでも、この頃やっと次はこんな絵を描こうとの欲が出てきた。これだけでも自分にとっては上出来!

 他にも10年と15年習われている人に先生の絵が贈呈された。来年のこの頃は私も絵を習って5年になり、先生の絵を頂けそうだ。宴も終わるころ先生の絵が入った来年のカレンダーをいただく。ありがたい!

 最後に落ち葉のメッセージをメモとして記そう。渡したメッセージにはピアニストの名前は書いていない。

「『年を取ると美しく成長する』、92歳のアメリカのピアニスト、ルース・スレンチェンスカさんの言葉です。緑の若葉も美しく成長して赤く染まり、美しい落ち葉となるのです」。

2017年11月19日日曜日

落ち葉のメッセージ

 今日の予想最高気温は11度。10度近くになるといよいよ冬が来る気がする。

 日本画教室の人から数個ずつスダチをいただく。黄色く色づいた丸いスダチ。大豊作らしい。わが家のレモンも大豊作。レモンの木は2mもないくらい低くしている。そのためか地面すれすれに実をつける。レモンにはとげがあり、これに当たると怪我をする。先日も実を取っていると膝に当たる。膝がチクチクすると思ったらとげだった。今年は5、60個ほど実をつける。レモンは地面に向かって実をつける。そのため枝の下にもぐって実をとるのも大変。取りにくい実はほったらかしたままにしている。

 いただいたスダチはネットで検索すると4分の1くらいに切ってラップして冷凍保存するといいらしい。早速、切って保存する。日本画教室では3人が落ち葉を持参。同じ落ち葉でも1枚の葉にいろんな色が混ざったのもある。これまで赤く色づいたきれいな落葉を集めていた。しかし、落ち葉を集めるのも人それぞれであり、持参された落ち葉を見せてもらう。このうち特徴ある落ち葉2枚を借りて描いてみる。100枚くらい描けばかなりうまく描けるようになるかもしれない。

 一番よく描けた落ち葉にメッセージをつける。その前にコンビニでカラーコピーして自分の画の控とする。メッセージ用の付箋紙を先生にいただく。しかし、平常、あまり字を書かないのでうまく書けない。毎日字を書くことを習慣づけよう。さてメッセージ、書き損じたので今から百円ショップに買いに行こう。そしてもっときれいな字でメッセージを書こう!どういってもメッセージとしての文は気に入っている。これもすべては自己満足、自己満足!

2017年11月18日土曜日

「私の履歴書」から

 予約確保の本を受け取りに図書館へ行く。ついでにと今月から始まった日経新聞の「私の履歴書」欄の石毛直道元国立民族学博物館長の記事を読む。今月の5,6日までは読み終えていた。その後の10日間を読む。昨日の記事を見ると「みんぱく」(国立民族学博物館)ができて40周年だそうだ。長く「みんぱく」の友の会に入っていた。節目の年にわざわざ泊まり込みでみんぱくのパーティーに出たことがある。今思うとそれは20周年の記念パーティーだろう。

 先日、気にいった写真を眺めていた時、みんぱくの偉い先生方と写っている。この中には石毛館長と写った写真もある。今では個人の写真はほとんど写さない。しかし20年前はもう完全にミーハーで写りたい人のそばに行っては写してもらっていた。本当に楽しい思い出だ。民族学(文化人類学)に関心を抱き始めたのは海外に行き始めた30年くらい前からになる。

 そのころから「みんぱく」の友の会に入り、会報によく投書して文を掲載してもらった。これが昂じて文を書く楽しみを知った。航空機の機内誌や月刊誌などにもよく投書した、今やブログに書き留める。記事が掲載されると嬉しいモノですべての記事をコピーして持っている。これも老後の楽しみ!?

 図書館で予約確保された前橋汀子の本を1冊借りるところをほかのも入れて5冊借りる。昨夜、その前橋汀子と黒柳徹子のエッセイを遅くまで読み過ぎて今朝の目覚めの悪いコト。

 昨朝は自転車屋でパンクを修理してもらう。そのついでに前のタイヤも新たにしてもらった。計5065円也。直してもらう間、歩いて眼科へ行く。眼圧13と18で大丈夫だった。

 そういえば今朝の新聞に民族学者の講演会の記事がある。すぐに電話で問い合わせると予約不要とのこと。その日は他の予定も入れていた。それよりも講演会を優先しよう。予定といえば昨日届いた旅のチラシを見てすぐに来年2月のバスツアーの予約を入れる。どういっても遊ぶことに関してはやることが早い。来年の予定も徐々に決まりだす。楽しみだ!

2017年11月17日金曜日

大越健介 激動の世界をゆく「カザフスタン」

 大越健介 激動の世界をゆく「カザフスタン」を見る。番組紹介によると「今回の舞台は、かつて旧ソ連による核実験が450回以上繰り返されたカザフスタン。独立から25年余り、草原の国は平和への道を選択した。大きく変貌を遂げる現場を伝える」とある。さらに詳細を見ると「アジアには大量の核兵器が使われた国があることを知っていますか?草原の国・カザフスタンです。核実験を繰り返した旧ソ連から独立して四半世紀余り。カザフスタンは急激な経済成長を遂げ、ロシア・中国という超大国と国境を接するがゆえのバランス外交を実践。多くの民族が目立った紛争もなく共存しています。そして今、一帯一路の波が押し寄せる中、変貌を続けています。大国に囲まれた国ならではの選択がそこにはありました」ともある。

 テレビ画面いっぱいに広がる草原。そこにあるのはかつての核実験場の建物。広島の原爆ドームのように被爆実験後の破壊された被爆建物が残る。ソ連時代の負の遺産だ。かつての核実験施設も今はひっそりとし、カザフスタンは新たな時を迎える。

 ソ連から独立した今ではカザフスタンの民族色を出しつつある。キリル文字を改めてローマ字表記に移行し、言語もロシア語でなくカザフ語を使う。テレビ局のトップの話ではテレビ番組もカザフスタンらしさを追求する。民族楽器であるドンブラの技術を競う大会もある。さらには世界に散らばるカザフ人を祖国に帰国させる事業も始めた。カザフスタンのカザフとは自由の意とか。

 日本人と似た顔つきのカザフスタンの人々。その人たちの住む広々とした草原の真ん中に立ってみたい。いつの日か実現するといいけど…。
 
 今朝のFMから流れる曲は🎵パンの笛🎵。鳥の鳴き声を思わせるフルートの音色。動画を探すとフルートの神様ジェームス・ゴールウェイのフルート演奏があった。
 
 話は変わって、インドネシアに出かけた某会の反省会の連絡が届く。毎日忙しく過ごしていて旅行記はまだ描き終えていない。そろそろ、本腰を入れて…。その日はホームコンサートの案内ももらっている。時間的にはどちらも参加できそうで一安心。
 
 昨日は他にも午後からプールで泳ぐ。寒さも本格化してくると次第に体の動きが縮んでしまう。その点プールはいい。クロールと背泳ぎで目いっぱい体を伸ばして泳ぐ。1キロ泳ぎ終えて気を良くして帰りの自転車を見ると空気がない。家に帰って空気を入れるがすぐにへこんでしまう。暗くなる前に自転車屋へ急ぐ。「パンクしました!」と告げる。すると若い兄ちゃんはこの婆さん何を言ってるという感じで曰く「パンクかどうかわかりません。空気を入れるのは無料です。とにかく空気を入れましょう」。
 
 今朝自転車を見るとやっぱり空気が漏れている。これから急いで自転車屋へGO~。

2017年11月16日木曜日

『物語ポーランドの歴史』

 日本画展の打ち上げが近づいてきた。はがき大に描いた絵は一枚の「落ち葉」。これを打ち上げの交換会に出す予定。それに各自メッセージを託す。何をメッセージに込めるかを考える。思いつくままにパソコンに入力して保存する。今朝も短い文に書き改める。もしかして、ハガキに描いた絵よりもメッセージにかなりの時間を割く!?まあ、受け取る人はさらっと流してしまうかもしれないが…。ともあれ、これも自己満足かもしれない。

 先ほど、姪からメールがある。無事、台湾から帰った様子だった。まだ30歳代と若い友人の訃報を知り、急きょ台湾へ行くと聞いてびっくり。外国に行くのも日本を移動するのも感覚は同じなのか、ネットで航空券や宿を予約して海外へ飛ぶ。千代田区にある職場に勤務する姪は海外へ行く場合、休暇届を出しても許可がいるらしく、それを心配していた。ともあれ、1泊2日で台湾の花蓮に出かけ、先ほど無事帰国したとの報告が入る。それにしてもエコノミー席がなくマイル利用でビジネスにしたとか。まあ、いずれにしても元気で帰ってくればそれでいい!

 何度も外国に出かけていてもツアーでなく一人でネットで予約して出かけたことがない。誰もがすぐに一人で海外に飛べないと姪に話すと笑っていた。一人で海外に出かけることに慣れているモノにとってその感覚はないのかもしれない。

 以下は先日読んだ『物語ポーランドの歴史』(渡辺克義 中公新書、2017年)。サブタイトルは「東欧の「大国」の苦難と再生」。またいつものように気になる個所を記そう。本では縦書きを横書きで入力する際の漢数字の変換の難しさ。ましてやこれを読むとさらに読みづらい。それでも、本の通りに入力しないと違反になりそうだ。

☆十七世紀はバロック音楽が栄えた時期である。バロックという名称は「歪な形状の真珠」を意味するポルトガル語の「バロッコ(barcco)」に由来すると言われる。実際、豪華絢爛ではあるが、気品には欠ける芸術が発達した。バロック建築を代表するのが、ヤン三世と王妃マリシェンカのために建てられた、ワルシャワ郊外のヴィラヌフ宮殿である。30p

☆十九世紀前半、「ロマン主義」という学問・芸術における新たな潮流が現れた。ロマン主義者は、自由を謳歌したかつてのポーランドを直接知らない最初の世代である。…音楽では、フレデリック・ショパン(ポーランド名はフリデリク・ショペン)やスタニスワフ・モニュシュコが活躍した。ショパンといえばマズルカやポロネーズで知られる愛国者である。63p

☆ソ連軍によるポーランド侵攻は、ドイツにとって事前の諒解事項であった。96p

☆ナチス・ドイツの政策はポーランド人を単なる奴隷労働者とすることであり、それゆえ、知識階級が迫害の対象とされた。99p

☆とりわけ受難だったのはユダヤ人である。大戦当初のポーランドのユダヤ人人口は九・七%(三五〇万人)であった。ユダヤ人を幽閉するため、四方をコンクリートの高い塀で囲った「ゲットー」が設けられた。100p

☆一九四二年夏、ドイツ軍はゲットーのユダヤ人に対し、労働キャンプに行きドイツのために奉仕するならば食料と衣服を与えると伝えた。これは、絶滅収容所や強制労働収容所におくるための口実に過ぎなかった。115p

☆社会主義リアリズムは一九三〇年代にソ連で生まれた。ポーランドでは第二次大戦後にこの潮流が現れた。画家、彫刻家、作家らのモチーフとなった労働者は農民であった。芸術家たちは労働に従事する彼らの姿を描いた。一九五一年からはロシア語が必修科目になった。西側の文化は、映画であれ文学であれ大幅に制限された。学問の世界でも捏造・歪曲は日常的なことであった。163p

☆敗戦後一〇年以上の歳月を経てようやく一九五六年に日ソ間に国交が回復すると、日本・ポーランド間にも外交関係回復の機が熟することになる。両国は翌五七年五月十八日に国交を回復した。173p

☆半世紀にわたった社会主義政権ののちにようやく獲得した民主主義であったが、今ポーランドではこれに逆行する動きも見られる。…ポーランドは今どこへ向かおうとしているのか。「失敗の後の賢いポーランド人」という諺がポーランド語にはあるが、その叡智は活かされるだろうか。206p

2017年11月15日水曜日

フルート・レッスン&第375回広響プレミアム定演に行く

 今月は動きすぎの毎日。昨日はフルートのレッスンと広響の定演があり、家から市内へ2度往復する。携帯万歩計は12064歩。

 まずはフルートのレッスン。さらっているヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ第5番。この曲は拍子がコロコロと変わる。この拍に合わせるためにチューナーでリズムをとる。忠実に曲と合わせると拍を間違えずに吹ける。曲として仕上げはまだだけど次はショパンの🎵ノクターン Op. 9 第二楽章♪をさらう予定。少しだけこの曲をさらってもらうと曲の初めころに複雑なターンがある。これは次の音にかかるターンと勝手に思った。何と難しい指使いと思って吹くと、ターンは前の音にかかると教えてもらう。これはもうびっくり。道理で指使いが難しいはず。

 それにしても♯や♭は音符の左についている。ターンも左の音符にかかると勝手に思ったのが大間違い。いろいろと決まりがあるようだ。

 先日、ネットで知った♪感傷的なワルツ♪が気に入る。これをフルートで吹きたい旨、先生に相談すると以前さらって中断していた曲集に入っていた。ノクターンの後はこの曲をさらう予定。フルートの練習も忙しくなる。

 レッスン後、三越裏にある画材屋による。その前に、お昼のランチをいただく。お店に入ると喫煙室でなくたばこを吸っている人がいる。嗅覚は人一番敏感な方だ。ルールを守って喫煙ルームで吸ってほしい。空気が悪いので食事後早々に画材屋へ行く。三越界隈は胡子講が近いとあって画材屋でも一昨日からセールが始まる。買い物目的は削用筆を買うこと。お店の人は大中小と3種見せてくれる。しかし、出された筆は失くす前に使用していたメーカーと違う。@¥3000が2割引きとなるとか。同じメーカーの筆を探すと横にあった。しかしこの筆は定価のまま。高くてもこの筆を購入。

 次の売り出しは新年初売りとか。しかし、購入した筆はやはり定価のままらしい。ともあれ、削用筆を買って一安心。弘法筆を選ばず、とはいっても凡人は筆を選んでしまう。

 話は変わって第375回広島交響楽団の定期演奏会の話題。今回はプレミアム定期演奏会とあって指揮者もゲストも豪華な顔ぶれ、そして演奏曲も素晴らしかった。


 今回の演奏会テーマは<世界への扉vol.1>ライジング・サン。指揮者にハンヌ・リントゥ、ピアノにカティア・ブニアティシヴィリを迎え、演奏曲目は次のようであった。

🎵ストラビンスキー 葬送の歌Op.5
🎵チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番変ロ長調Op.23
🎵バルトーク 管弦楽のための協奏曲 Sz.116

 2曲目が終わるとアンコール曲としてピアノソロが2曲演奏された。
🎵シューベルト セレナーデ(リスト編)
🎵ショパン プレリュードホ短調Op.28-4

 いつもながらアンコール曲のしっとりとした響きは素晴らしいの一言。フルートを習い始めた頃、発表会で吹いたシューベルトのセレナーデ。その頃を思い出しながらしっとりしたピアノの音色に吸い込まれて聞く。いい演奏会だった!そして心地よい疲れの一日だった!

 ブログ投稿後、カティア・ブニアティシヴィリの🎵セレナーデ🎵の動画を見つけた。アップしよう!

2017年11月14日火曜日

セムガエ

 


 ブータン展に出かけて一番大事なことを忘れている。それは「セムガエ」という言葉。セムガエとはゾンカ語で「心地いい」の意。幸せの国ブータンであれば「幸せ」の意もあるかもしれない。毎日心地よい生活とは日本で言えばストレスのない社会にあたりそうだ。

 BSシネマで「ひまわり」を見る。有名な映画であっても見るのは初めて。「ひまわり」の主題曲は哀愁を帯びる。画面一面に広がるひまわり畑。その地下には戦争で亡くなった無数の遺体が埋められている…。「ああ、戦争は何と残酷、そしてなんと悲惨」とこの映画の中に出てくる。確かに。それでも「残酷」で「悲惨」なことは今でも世界のどこかで毎日のように起きている。昨日はイラン・イラクの戦争ではなくマグニチュード7.3の大地震発生。自然災害や戦争、いずれにしても怖ろしい!しかし、それはいつどこで起きてもおかしくない!

2017年11月13日月曜日

ブータン展に出かける

 広島県立美術館で開催中のブータン展に出かける。手元のチラシには「見るだけでしあわせになれるかも」とあり、「しあわせに生きるためのヒント」とも書いてある。この展覧会は日本・ブータン外交関係樹立30周年の記念事業だそうだ。

 ブータンに出かけたのは広島アジア大会の前年である1993年。今から24年前になる。外交関係樹立が30年前ということはそれから6年後に出かけている。当時はブータンに観光できる人数も年間数千人と制限があった。今はどうだろう。ともあれ、ブータンに関心を持ち、ブータン語(ゾンカ語)を習っていた3人で展覧会に行く。なぜブータンに関心を持ったのかといえば我が町が広島アジア大会でブータンを応援したことによる。

 21年ぶりに再会した一人に今更ながらなぜブータンを…と聞く。すると広島アジア大会でブータンのテコンドー選手と意気投合し、1年後にブータンでその人と再会したそうだ。当時はまだネットのない時代。手紙で連絡し合ったという。ともあれ、これは微笑ましいお話。もう一人はブータンに一緒に行った人でその後も九塞溝に出かけた。それ以来5年半ぶりに会う。3人ともブータンつながりで何の違和感もなく楽しく過ごす。

 2人はブータンの衣装である「キラ」や「ゴ」をお土産に買って帰ったという。もっぱら敷物を買ったものとは大違い。美術館を出ると近くのレストランでランチ。次回の話題も出る。お昼をいただいた後は隣接する縮景園のお茶会に出席。もらったチケットをみると「もみじ茶会立札席会」とある。昨日はお天気にも恵まれて園内は人であふれている。芝生広場での茶会は着物姿も多く見かける。久しぶりの茶会。説明を聞きながらお茶をいただく。チケット、ありがとう。

 展覧会会場で展示されていた「しあわせに生きるためのヒント」からここに抜粋しよう。

※常に自分のこころを見なさい。そして、こころが乱れていたら、こころをコントロールするのです。それが幸せに生きるコツです。

※幸せになるコツは、今の自分に満足することです。

※あなたがいいこころを持っているなら、将来の心配はいりません。みんなが助けてくれるでしょう。

※教員の仕事は生徒に生き方を教えることなのです。

 帰宅途中、わが家の前で近所の人に出会う。「元気でやっている?」と声をかけられて立ち話をする。年に数回も会わない人だけど昨日は意外な話が聞けた。「どこかへ出かけている?」と聞かれてポーランドの話をする。何と、その人のお父さんの弟さんはポーランドとブルガリアの外交官だったという。広島のとある市で育ち、山を3つ売って東京外大に入学。ロシア語を学ばれている。興味深いお話なのでその人のおじさんの名前を教えてもらう。後でネットで調べるとある、ある。もうびっくり。何でもヒトの話は興味を持って聞くものだと改めて思った。もしも、ああ、と軽く聞き流していたら話はそこで終わってしまう。

 ソ連兵につかまって10年の捕虜生活であっても、ロシア語ができたために割と優遇されていたらしい。その後日本に帰国されて亡くなられたそうだ。その人に旧姓を問うとその外交官と同じだった。親の兄弟だから当たり前だけど、珍しい姓だ。

 それにしてもネット社会。かなり古いお話でも誰かがネットにアップしている。他にもブータン語で知り合った人の娘さんの名前を探すとこれもすぐにわかった。

 ともあれ、昨日はいろんなことがあった一日。楽しく過ごす。それにしても今月は普段はない行事が多い。この後もまだ行事がある。その合間にコンサート情報を目にする。来年のことだけどチケット、早めに買う!?

 メモとして http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/sub33.htm 

2017年11月12日日曜日

仮住まいの日本画教室

 今朝の地元紙に『闘う文豪とナチス・ドイツ』の新刊紹介記事がある。著者は池内紀。「ナチス…」、やたら目につく。是非とも読もう。池内氏はドイツ文学者。講演を聞いた時もドイツの話は出たけどナチスについては詳しく話されなかった。

 講演といえばその人に興味や関心があれば聞きに行く。ところが関心を持って聞いてもその後に悪いことで新聞沙汰になる人がいる。先日来からにぎわす某生物学者。2度ほど講演を聞いている。時の人のように一時はメディアを賑わした。ところが、表と裏の顔があるのかよくない話題でメディアを賑わす。なぜ、と今もってそうなるのかわからない。表面的には穏やかな人に思える。

 話題を換えて昨日の日本画教室。昨日からしばらく教室が変わる。市内のメインストリートに面したビルの6階の教室になった。同じフロアに別のグループの日本画教室もある。しかし、部屋の間仕切りがなく、落ち着きなく画を習う。わが家で実ったレモンを持参。仮住まいの教室で大きな本画の作成はやめてしばらくは小さめの絵を描く。年中、絵の道具を教室に置いている。仮住まいではそれも困難。家から道具一式を持参して画を習う。

 中旬にある日本画展の打ち上げを兼ねた絵の交換会。まずはそれ用の葉書絵を作成する。その前に実ったレモンを皆に渡してレモンと落ち葉の絵を描く。横では先生も描かれている。先生の絵を見て我が絵と比べると何ということ。なぜこうも違う?

 ともあれ30人余りで絵を交換し合う。しかし、自分で描いた絵は手元に置いておきたい。そう話すと、写真やカラーコピーで保存を、と教えてもらう。スキャンもいいかもしれない。教室が終わると珈琲タイム。先生から交換会でカレンダープレゼントの話を聞く。先生は描かれた絵をカレンダーにしてくださるという。この秋、めでたく「院友」の仲間入りをされた。みんなでお祝いしたお返しの意味もあるようだ。いずれにしてもおめでたいお話。また先生の絵をカレンダーにしていただける。これもありがたい。

2017年11月11日土曜日

BS1スペシャル「サハリン残留 家族の歳月」を見る

 番組紹介によると「かつて日本領だった南サハリン(樺太)に、戦後半世紀以上も取り残されていた日本人がいる。サハリン残留日本人。歴史に翻弄されながら、国も民族も越えて生抜く家族を描く」とある。さらに詳細を見ると「かつて日本領だった南サハリン(樺太)に取り残され、戦後も帰国出来なかった日本人がいる。サハリン残留日本人。1990年代に帰還事業が始まり、今も帰国が続く。ソ連参戦後の混乱で、引き揚げ船に乗れなかった女性や子供たち。戦後は、生き延びるため、現地の朝鮮人やロシア人と家庭を築いた。家族は日本、韓国、ロシアの血が混じり複数の言語が飛び交う。歴史に翻弄されながら、国境も民族の壁も越えて生抜く家族の姿を描く」とある。

 最近テレビで頻繁にこういったドキュメンタリー番組を見る。そのほとんどは先の戦争に絡んでいる。戦争といえば日本では、特に広島では原爆投下だけが問題になることが多い。しかし、世界では他にも悲惨な戦争に翻弄された人々がいる。サハリン、言葉では知っていても詳しいことは知らずにいた。日本を離れて日本以外の国に住む。それは自分が好んで彼の地に出かけたのだろうか。それが気になる。たとえ好んで幸せに住んでいたとしても戦争という状況になればすべてモノゴトは一変する。

 戦争に負けて、日本にもすぐには還れずその地にとどまる。押し寄せるロシア兵。ただ生きることのために親切にしてくれる朝鮮の人と結婚する。そのほとんどの女性の年齢は14,5歳から17歳くらいまで。何も知らずに生きるために生活を共にする。時には先に結婚していた日本人の夫を残していっしょになった人もいる。ところが国が変われば習慣も変わる。憎い日本人妻を目にしてアルコールが入れば叩かれたとか。ただ日本人が憎かったそうだ。帰国事業が始まっても日本に戻らず、韓国に渡った日本人妻もいる。他にもロシア人と結婚した人もいた。

 番組でテレビに映し出される人々の年齢は戦後72年のようにそれより上の人たち。子どもや孫であっても同じ家族なのに言葉がまるで異なる。すべては戦争によるこのような悲劇。ニュースを挟んで2時間の番組。見ていてまだまだ知らない戦争の後遺症(?)を知る。

 年齢的には自分とそれほど大差ない人たち。いろんな人生を垣間見る。そしていろいろと考えさせられる。

 気分を変えて昨日もレモン10個を取る。葉っぱをつけたままナイロン袋に入れていると家の前を親子が通る。持っていたレモンを4,5歳くらいの男児に渡すと喜んでくれる。葉っぱはとげがあるのでレモンだけを渡す。レモンを持った男児は「何、何?」と母親と話しながら帰っていく。

 1個では悪い気がする。それでもやっぱり、今日も1個ずつ日本画の人に渡そう。

2017年11月10日金曜日

紅葉の季節に

 先日の日本画教室作品展。ブログで知って見に来てもらった人と数年ぶりに対面する。新たになった広島駅。お互い市内に住んでいてもなかなか会う機会がなかった。めまぐるしく様変わりする広島駅で久々に会う。

 陽気に誘われて集合時刻よりも2時間半早めに家を出る。向かう場所は縮景園&県立美術館。カメラ片手にまずは縮景園に入る。日よりもいいのか園内では結婚写真の前撮りをしている。紅葉しかけた木々から落ち葉が舞い散る。その上を歩きながら真っ赤に染まった葉っぱでなく、黄色から赤くなりつつある落ち葉を探す。先日まで家のあたりで探していたよりも黄色い色が鮮やか過ぎる落ち葉もある。

 先日来から借りている図書館の落ち葉の本。そこに描かれた落ち葉。これを見て紅葉真っ盛りよりも徐々に赤く染まる葉っぱの美しさにハッとする。園内で葉っぱを集めて歩く姿を人はどう思う!?時には枝にカメラを向けてアップにして写す。絵を習い始めて絵のモチーフをカメラに写す楽しさを知った。もう少しすると宮島の紅葉も美しくなる。その時は宮島へ出かけよう。

 縮景園の園内入り口(出口?)から美術館へ入る。目指すは児玉希望の所蔵作品。美術館の児玉希望のミニガイド本の表紙絵は「暮春」。第11回の帝展特選受賞作だそうだ。大きな絵で緑色の木々や葉っぱが画面いっぱいに描かれている。素晴らしい絵だった。児玉亡き後、遺族が所蔵作品を県立美術館に寄贈。そのため多くの作品が展示されている。

 絵を堪能した後、歩いて駅に向かう。昨日の携帯万歩計は1万歩を超える。よく歩いた。その後に飲むビールは美味。久々に会ってもそこは昔からの友だち。何の違和感もない。ましてやこちらの近況はブログでわかっている。友だちは今でも現役で頑張っている。これも元気の秘訣だそうだ。素晴らしい!「エキエ」にできたスターバックスで食後の珈琲。若者であふれている。お昼の老舗のデパート内はジジババが多い。その多さと比べると広島駅は若者が多い。これも時代の移り変わり!?

 ともあれ、楽しい一日を過ごす。今朝、遅く起きてテレビ欄を見ると萩本欽一、欽ちゃんの文字が…。テレビを見るのが遅くなってあまり話を聞かれなかった。それにしても70代後半での大学3年生の欽ちゃん。朝から欽ちゃんのテレビを見て一日が楽しくなる。素晴らしいかな、欽ちゃん!!

2017年11月9日木曜日

「限りある人生大切に」

 今朝一番のニュースでタイのアユタヤ遺跡に行く途中、バンに乗った日本人4人の交通事故死を知る。アユタヤ遺跡は8月に出かけたばかりなので記憶に新しい。そこで起きた交通事故で人生が終わるとはなんと悲しいことだろう。

 今朝の地元紙の投書欄に「誰もが皆、もう一方の臨終の瞬間にあるのですよ」と不幸に参加した人が僧侶から聞いたことばを書いている。人生を1本の棒にたとえ、生まれて以降、今は棒のどのあたりにいるかと問われる。右端が生まれた時とすれば誰もが自分の年齢から左端の棒の位置を示すだろう。ところが僧侶は今の年齢に関係なくすべての人は「臨終の瞬間」に位置しているという。

 日常の生活で人が亡くなるニュースを目にするたびに、自分は元気だから関係ない、と思うことがある。そうではなく、誰もがいつだって何が起きてもおかしくないらしい。

 旅のカタログが送られてくると目にする記事はこれまで出かけていない国になる。アジアで言えばネパール、フィリピン、アフガニスタン…。眼が行くのはネパール。しかし、なぜかこれを見て引っかかることがある。それはヒマラヤ遊覧飛行。遊覧飛行と言えばナスカ地上絵。ペルーで体験した。乗る前、4人乗りのセスナ機が落ちたら…と思うと怖くて祈る気持ちで乗った。乗ったはいいけど怖さがあったのか乗り物酔いを起こす。生きた心地がしなかった。

 大きな飛行機ならまだしも小型機は怖い。最近でも日本でヘリが墜落したとのニュースがある。ということでネパール行きは考えてしまう。考えてまで行くのもどうかと思うと行く気が起きない。フィリピンとアフガニスタンは怖いイメージがあり、話題にすらできない。

 今朝の新聞投書のタイトルは「限りある人生大切に」。大切になりすぎてしまうと以前の自分に戻りそうでこれまた怖い。石橋をたたきすぎて渡ってしまう。これはよくない。さてどうしよう…。

 ここで余談。先のインドネシアの旅で飛行機を降りる際、機内で団長に言われて笑いが起きる。それは「坊さんと友達になったら人生も終わりよの~」。旅先で3人のお坊様と知り合ったと話したことからそういわれてしまった。言われてみればこれは当たっている。人の最期で執り行う人はお坊さん。確かに人生はこれで終わる!?とはいってもまだまだ人生が終わらんように長生きしよう!!

2017年11月8日水曜日

賑やかな女子会!

庭に咲いた菊

 母がいなくなって植えた菊。植えたといっても姉と義兄が手入れしてくれたわが家の狭い庭。そこに菊の芽をさしてくれた。植え始めはレモンの木も大きくなく、菊も咲いていた。ところがレモンの木も大きくなり菊の陣地はレモンの日陰となって花も咲かなくなる。それでも横からの日光に向かって菊は細い枝を伸ばす。ひょろひょろ菊に支柱を置くと蕾がついた。花でも何でも日光は欠かせないと知る。レモンの木も日光のさすほうに枝を伸ばす。

 40個以上は実をつけているレモン。先日、レモン3個をレモン搾りで絞る。どういっても結構力がいる。これじゃ、いっぺんにレモンを取って搾るのは大変。今週末の日本画教室に持参して皆に画のモチーフにあげよう。

 絵のモチーフといえば落ち葉。学校の校門に大きな桜の木がある。今はそれも散りつつある。先日「落ち葉」の絵本を図書館で借りる。絵本といってもなかなかの出来栄え。これを見てさらに落ち葉に関心が湧く。美大出身の人が描いただけあってきれいな落葉ではなく虫食いの落ち葉や様変わりしつつある紅葉の落ち葉を描いている。これをまねしてそんな落ち葉を拾い集める。先日仕上げたばかりの落ち葉の本画。週末の教室に再度落ち葉を持参してもっと丁寧に描こう。

 落ち葉ではないけれど昨夜の女子会のドレスコードは「紅葉」。皆、それぞれ「紅葉」に趣向を凝らして…。それにしても相変わらずの楽しいメンバー。久々に涙を流して笑ってしまった。どういっても今回はサプライズがあるとの連絡がはいる。さて、それは…。何と何とそれはお店はカラオケ店でないにもかかわらず何部屋かカラオケが備わっている。これを見てびっくり。NO.4さん、いつも趣向を凝らしてもらって感謝、感謝!そして幹事役もありがたい。

 それにしてもこの4人のメンバー。若いときから、人によっては学生時代の頃からの楽器仲間。長年の付き合いでも皆元気で若い。そして楽しい。どういっても飲んで食べてしゃべって笑って歌って聞いて、時にはタンバリンもたたいてと忙しくもあり賑やかなこと。楽しかった!さて次回は!?まあ、こうやって元気に過ごして人生大いに楽しみましょう!それにしても互いの歌声を聞くのは初めてだった!
今年のレモン

2017年11月7日火曜日

「感傷的なワルツ」チャイコフスキー 

 文春オンラインに小池真理子の新しい小説の記事がある。本のタイトルは『感傷的な午後の珈琲』。この「感傷的な…」とタイトルにあるように小池の好きな曲がチャイコフスキーの「感傷的なワルツ」だそうだ。この人の本は一冊も読んだことがない。それなのにこの曲に関心を抱き、動画を探す。フルートの演奏がアップされていた。

 以前、チャイコフスキー曲集をさらったことがある。先日、このブログ開設からこれまでのフルートでさらった曲をワードにまとめた。しかし、この曲は曲集になかったのかさらっていない。きれいな曲なのでアップしよう。

 『感傷的な午後の珈琲』ならぬ月曜日の午後のプール。プールに入るとすぐに声をかけられる。1年余り前に出会って以来、会わなかったスイミングクラブ時代の人だ。その人は午後3時過ぎから泳ぐらしい。1時過ぎに来て1時間泳いで帰るので会うことはなかった。昨日は3時から会議があり、早めに来たという。それにしてもスポーツマンは泳ぎもうまい。「一っ飛び」という言葉があるように25mプールは「一泳ぎ」の感がある。20数回水を掻いて25mを泳ぎ切るものと数回か10回程度で泳ぎ切るのとではその速さも大ちがい。
 

 ましてや後ろからついてこられると気がせいて泳ぎを楽しむどころではない。それが嫌なので泳ぎが速い人の前では泳がない。それでも、どうぞ、と泳ぐように声をかけられる。有難いのかどうかわからないなりに泳ぎ始める。久日振に1キロ泳ぐ。どうであれ、やっぱり泳いだ後は気持ちがいい!

2017年11月6日月曜日

2017年日本画教室作品展



薔薇 8M
 

 習っている日本画教室の作品展に出した3点の絵。絵ハガキにしてもらった。絵は下手だけど絵ハガキをスキャンして記念にブログにアップ。上は昨年バスツアーで出かけた湧永庭園で写したバラを本画にしたもの。真ん中はお正月に買った小さめの葉ボタンを作成。ななつぼしテントウムシは先生のアイデアをいただいて絵に入れる。下は日本画を習い始めて翌月に教室でスケッチしたのを4年後に本画にする。食べられない小さな枝付きの柿を持ってきてくださった人はもういない。いつも教室に絵となるモチーフを持ってきてくださった。究極は庭に植えてあるかなりの数の梅の木で作ってくださった梅干し。大きな甕で梅干しにされていた。教室の人みんなに何キロかずつくださった。しかし、その人はもういない。絵のタイトルは「思い出の柿」。やさしかったその人をしのんで絵のタイトルにする。

 1年に一度、描いた絵をスキャンする。その度に、やり方を忘れそうになる。昨日も「さて、どうやって…」としばし考えてプリンターに向かう。パソコンのスキャンを立ち上げるとすぐにスキャンできた。しかし、これをブログにアップする際の絵の大きさに迷う。それでも何とかブログにアップできた。次にプリンターを使うのは年末の年賀状作成の時。ほんまに、頭を使う。

 やっと秋らしいお天気になった。昨日は予定していた行き先を取りやめる。今日は予定通りに行動しよう!
葉牡丹 SM

思い出の柿 8Ⅿ

2017年11月5日日曜日

「ピグマ」

 自宅最寄り駅からJRに乗る。空いた席に座ると周りは外国の家族。横には3歳くらいの女児がいる。「こんにちは!」と声をかけると「こんにちは」と返答する。2,3度繰り返していると母親に「こんにちは、しか日本語はわからない」と日本語で話しかけられる。どこの国?と問うとウクライナの人だった。ウクライナ人と結婚し、広島で暮らしている知り合いがいる。そう話すと広島とは関係ないツーリストだった。

 3年間、日本にいて日本語を覚えたようだ。今はウクライナ在住らしい。どこから広島へきてどこへ行くのかと尋ねるとタブレットのようなもので「すみや」と日本語で書いてくれる。日本語で話していても今一歩、この「すみや」が何かわからない。そうするうちに広島駅到着。感じがいいご家族だった。

 そういえばウクライナ、と聞いた時、ソ連に出かけた話をする。今思えばウクライナとソ連はいい関係ではない。ポーランドの話をするとウクライナは元ポーランド領のためか、家から60キロ先がポーランドと詳しく話してくれた。ワルシャワとは500キロ離れているとか。

 今年はポーランドに出かけて以来、あのあたりのことに関心がある。今、図書館で借りている本は『エリーザべト・ニーチェ』と『物語ポーランドの歴史』。たまたま昨夜読んだ本にウクライナは元ポーランド領ウクライナとあった。

 話は変わって昨日の日本画教室。次週から2,3か月、教室の場所が変わる。仮の教室は部屋も狭いらしく、机も会議用らしい。これまでは会議テーブルを3つくらいくっつけたような大きな机一つに一人が絵を描いている。これからしばらくは不自由を強いられるらしく、本画に仕上げるのでなくもっぱらデッサンになる。昨日は先生に頂いた葉書に絵を描く。これまでデッサンしたものをはがきにトレース。それを「ピグマ」というペンでえどる。しかし、「ビグマ」がなにものかを覚えておらず持参もしていない。

 仕方なくボールペンでえどる。この上に、水彩絵の具で色をつける。教えてもらった通りに色を塗ってそれをぼかす。巧くできたと喜んでいるとそうでもないらしい。先生曰く「余白を残して塗るように」。他にも持参していたはがきサイズの画仙紙に同じくデッサンした絵を色付けする。これは墨で線をえどり、その上に色づけする。二つの方法を習う。これは自宅でも場所を取らずにできそう、と思わず先生の前で声が出る。寒くなって家にいるようになった時、たまには家でハガキに絵を描く。これは楽しいかもしれない。それにはまずデッサンから。カメラ持参で街に出てデッサンになるものを探す!?いいかもしれない。

 そういえば絵を習い始めてすぐに教室から八ヶ岳にスケッチ旅行をした。その際、ハガキや「ピグマ」、絵を描く道具一式を先生に頂いた。昨夜、それを取り出す。せっかく先生に用意してもらっていてもしまい込んでいては宝の持ち腐れ。次週から教室へ持参しよう。

 なお、ハガキに描いた絵は今月中旬にある日本画展打ち上げの交換会に使う。先生曰く「うまく描けた絵を人にあげるように!」。今まで人さまに自分の絵をあげたことがない。音楽と違って絵は形として残る。自分で描けば絵に愛おしさがでる。手元に置いておきたい気もある。昨日、日本画展の図録と自分で描いた画の絵ハガキを受け取る。ところがなぜか、我が8Ⅿの絵は図録もハガキもSMと間違って表記されている。これは残念!

2017年11月4日土曜日

「知らないことを知る喜び」

 NHKの「らららクラッシック」でドヴォルザークのチェロ協奏曲が流れる。チェロ奏者の長谷川陽子の曲の解説がある。チェロ演奏のなかでは難しい曲だそうだ。ともあれ、この題名を忘れまいとブログにアップする。

 昨日は他にもいい番組があった。高知県の四万十川近くで鍛冶屋職人を目指す関東から来た若者がいる。年収1000万円の技術者から転身して初めて作った一丁の斧。自ら作った斧を5000円で地元の人が購入する。チップとして1000円上積みされた。ひと月の生活費にするにはかなりの数を作って売らねばならない。鍛冶屋の親父さんは初めての弟子を前にして悪戦苦闘して教え込む。しかし、実の息子3人は誰も鍛冶屋を継いでいない。

 次に見たのは「人生レシピ」。新聞の番組欄でフランス語を学ぶために大学院入学や藝大に入学の記事を見る。知り合いに英検1級で大学に入り直し、大学院でフランス語を専攻した人がいる。もしかしてその人?と思ってネットで先に検索すると年齢が違っていた。それでも興味を持って番組を見る。

 尾崎という女性は63歳。岡山大学大学院受験までの4か月間、猛勉強をする。43歳で合格。4年後に大学院卒業。受験前、四国の香川県からわざわざ岡山の大学まで出向いて教師に直接会っている。また1時間半かけて通学したそうだ。「学び直しとは?」と聞かれて「自分の世界が広がる。知らなかった世界がわかる」と話す。

 もう一人の藝大入学の女性は55歳。元地方のアナウンサーで作家やライターをしている。小さい頃から憧れた音楽への夢。若い頃音大に入ると親に話すと拒否されて語学の大学に進む。それでも常に音楽の世界に触れていた。プロとかアマとか関係ない。ちゃんと勉強したいとの思いが昂じて藝大受験3度目で見事合格。46歳だった。その人にとっての「学び直しは?」と聞かれて「新しい世界が広がって新しい人生が始まった」という。

 他にもゲスト出演の伊藤麻衣子は現在早稲田大学博士課程で学んでいる。45歳で大学入学だとか。伊藤は言う。「乗り越えた時の達成感はたまらない」。
 
 この人たちを見ていて思った。同じくこの人たちよりも10歳くらい歳を取ってから再度大学生になった。若い頃に公立大学受験に失敗し、私立の短大に入った。当時は誰もが大学に行く時代ではない。短大で学ぶだけでもありがたいコト。しかし、卒業後社会で働き始め、しばらくするとこれではいけない、との気持ちが芽生える。その当時は働くことが優先し、勤務後は好きな習い事をやっていた。

 それでも満足感は得られない。日々流されていく毎日。時は過ぎて、街中でばったり出会った高校時代の同級生の言葉にハッとさせられる。その人は音楽大学でピアノを学んだ人。その人との立ち話での一言でこれまでとは全く異なることに方向転換を図る。まずは語学、36歳の時だった。中国語の世界。これまでとは全く異なる人たちの集まりだった。職業もバラバラでかなりの刺激を受ける。

 外国、へ行くという発想もその時まではなかった。しかし、習い始めて4年後、初めて中国へ出かけて自分の知らない世界を知った。これが病みつきとなり、いろんな語学に手を出す。当時、広島はアジア大会目前の時期。いろんな外国語講座を学べた。講座でいろんな人たちと知り合う。楽しかった。しかし、どんな時でも中国語は学び続けた。

 これが昂じて会社リストラをきっかけに働くという選択肢はなく、再度大学へ行こうと思った。リストラされて2週間後、大学募集のパンフを目にする。この時、神様はこの世にいらっしゃると実感する。

 願いは叶うモノだ。無事大学合格をネットで見たときは本当に嬉しかった。ところが入学して丸1年後の2年生になるとき、母が大腿骨骨折で入院する。その後の5年間は地獄の日々だった。親の入院で4か月間付き添い、病院に寝泊まりして大学に通った。2年生は教養課程であり、毎日何時間も出席せねばならない。ましてや病院内では勉強できない。時間を見つけては自転車で我が家に帰って勉強し、夜は病院で寝る。これが4か月続いた。それでも病気することもなく張り切って大学生活を過ごした。今、思ってもどこからこのエネルギーが出ていたのだろう、と不思議である。

 昨夜のテレビを見ていてどの人もそれぞれ異なる厳しい環境の中で学んでいる。今は何だってできる環境にいる。それなのに…。昨日のテレビで気合を入れなおそうと思いつく。

 

 自分にとっての「学び直し?」と問われればこの3人と共通する。交流する人々の世界が広まったことは大きい。これまで知り合えなかった人々と知り合う機会が増えた。他にも年齢は関係ない、何だってやれる、との思いが強くなった。これは自分にとって大切なことである。さらには「知らないことを知る喜び」を知ったことが大学で学び直したことの一番よかったことかもしれない。

2017年11月3日金曜日

曲軒

 スウェーデンの105歳のダグニーさん。昨日は他の地に講演に出かけたようでブログはなく、今朝「ホームスイートホーム」のタイトルでアップされている。105歳であってもいろいろと取材に応じ、ブログも毎度、画像付きのアップがある。今朝はこの時季なのか大きなかぼちゃの画像だ。聴衆の前で話す、この日のために最高の体調にしていたそうだ。健康を長く保つためのお話をされている。

 毎朝、ダグニーさんのブログを見てその人との年齢差は親との年齢差よりも多いと気づく。ぐずぐずした生活はしておれない。昨日はプールで泳ぎそびれる。昨日と今日の2日間、プールのある某会館は他のイベントが入っていて利用できない。今週のプールは月曜日までお預けとなった。

 一昨日、山本周五郎の自伝的な番組があった。なんとこの「山本周五郎」は勤めていた主の名前をペンネームにしている。なぜ、それを…と思ったら主の人間性に惹かれて名前を使用したという。他にも番組の中で「曲軒」が何度も出る。これは「へそ曲がり」の意らしい。山本周五郎はとてつもなくへそ曲がりだったそうだ。そのことを尾崎士郎は山本周五郎を称して「曲軒」とした。

 番組で何度も出る「曲軒」。文字がわからない。辞書で調べてもない。ネットで調べてやっとわかる。テロップで出ていたようだが注意して見ずにいて文字がわからなかった。

 文字を知らべる、といえば辞書がいる。今朝の地元紙に「広辞苑」の宣伝がある。14年前、中国語対応の電子辞書を購入。その際、紙の媒体の辞書はもういらないような気がした。その後も5年前にスペイン語対応の電子辞書を購入。2つの電子辞書を比べると、以前の中国語対応辞書の醜さがわかる。前のは古くなりすぎて画面も見にくく、調べる環境にない。電子辞書は所詮、電気器具だ。年々、使っていると消耗する。そう感じて以来、紙の媒体の辞書はほかさずに大事にしようとした。とはいってもスペイン語対応電子辞書の機能は優れものだ。時に応じて紙の媒体の辞書と電子辞書を使い分ける、これに尽きるようだ。

2017年11月2日木曜日

怖い情報!

 メディアをにぎわす凶悪事件。話題にするのさえ怖い事件だ。事件を起こす犯人は若くて元気な若者なのに仕事をしていない。そのことが底辺にある。今風の言葉で言えばニートや引きこもり。それはいかにも弱々しいイメージが見え隠れする。しかし、それが昂じるとなにが起きるかわからない。これらの人すべてが犯罪者になるとは思えない。だが、犯罪の陰に犯人が不自由と感じる金銭や女性が見え隠れする。

 美容院に行くとやはりこの事件が話題になる。これ以上書くと書くのが嫌になる。話題を換えよう。

 一昨日のフルートのレッスンで「建具」の話をする。しかし、話をし始めてしばらくすると「たてぐ?」と問われる。先生との年齢差は18歳。最早、建具は死語と化した!?昨日美容院の3人に「たてぐ」の話をすると3人ともわからないとのこと。しばらくして1人がやっとわかってくれる。やっぱり「建具」は死語?

 先日のパンフルートのコンサートに誘ってくれた人は全員が歌う唱歌のある曲を知らないと話す。この時も、ええっとびっくりする。唱歌でさえも最早世代間格差がある。
 
  時代によって変化する死語や歌の世界。これは仕方がないとしても凶悪事件が時代によって変化する。それもますます凶悪事件として進化する。これはどういう風に捉えれば時代について行けるのだろう。怖い!怖い!
 
 気を取り直して動画は今朝のFMから「エデンの東」。ゆったりとしたいい曲だ!

2017年11月1日水曜日

フラッタータンギング(奏法)

 一昨日から広島駅は南北自由通路が全面開通した。改札口の対面には「エキエ」がオープンし、人込みでごった返す。フルートのレッスン前にお店に入りたい気もするが帰りに…とあきらめてバス停に向かう。バスを待っていると外国人夫妻がパンフをもってあっちこっちと動き回る。これを見て「どこへ行く?」と英語で問いかけるとパンフの中の平和公園を指さす。目の前のバスを案内するとしばらくして降りてくる。おかしい、と思って再度声をかけるとバスは市内を循環する観光用バスだった。

 ネットで見るとこれには3つのバスがある。広島中心部を回ることができる「めいぷる~ぷ」、2階建てオープントップバス「めいぷる スカイ」、広島が誇る2つの世界遺産を巡る「定期観光バス」だった。

 再度外国人に尋ねるとパンフにある「めいぷる号」で平和公園に行きたい旨、意思表示される。これに乗るには駅北口から出るバスに乗らなければならない。外国人夫妻は真反対の南口にいる。これ以上案内しているとフルートのレッスンに間に合わない。困った、と思っているとバス会社の案内人が近くにいる。その人に声をかけて外国人夫妻の案内を委ねる。広島駅の南北が開通しても南の表口と裏の北口では移動がままならない。ともあれ、バスの案内係りがそばにいたおかげで助かった。別れ際、女性から「ありがとう、マダム!」と言われる。それにつられて私も「いい旅を」、と英語で言う。

 どこの国の人かわからなくても簡単な英会話で物事がうまく運ぶ。家に帰って話した英語はあっていたのかを確認する。通じたので大丈夫だったようだ。

 さてフルートのレッスン。先日、広響の定演でフルートの人が吹いていたブルブルという吹き方。先生に尋ねるとフラッタータンギング、フラッター奏法というそうだ。ネットを見ると「フラッタータンギング(: Flutter-tonguing)、フラッターツンゲ(: Flatterzunge)とは、の細かい動きにより音を震わせる、管楽器の特殊奏法である。近現代のクラシック音楽作品やジャズで用いられる。ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスフルート特殊奏法として考案し、他の木管楽器金管楽器に応用した。このため、クラシック音楽においては、ドイツ語による表記が一般的である。省略した形でフラッター奏法、フラッターと呼ばれる場合もある」とある。

 さらに「奏者は息を出しながら、巻き舌のごとく"r-r-r-r-r-r "と発音する。実際は、音の出だしを明確にするために通常のタンギングを行うので "t-r-r-r-r-r "のようになる」とある

 以前巻き舌が大事と先生に教わったことがある。これと関連するのかもしれない。

 さらっているヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ。曲の中で何度も拍子が変わる。メトロノームに合わせるのが難しくICレコーダで録音して練習していた。ところが昨日、メトロノームのやり方をかえると拍子もうまく取れる。いろいろと進化するこうしたちょっとした音楽関係の器具。正しいやり方で練習開始!?