図書館に予約していた『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子 文藝春秋、2021年第4刷)をやっと確保した。本を受け取ると一気に読み終える。7年間、母の介護をした。母は3週間ほど救急病院でお世話になり亡くなった。最期まで面倒を見る、気持ちはあった。が、24時間1人で看ると寝ずにいなくてはいけない。それともうひとつ迷いがあった。いくら自分の親でも自分1人で母の最期の姿を看るのが怖かった。3週間の病院生活だったが親もこれに関しては許してくれるはず。
そういえば母は元気なころから「這ってでも家で過ごす」と言っていた。その気持ちは同じだ。最期まで母と過ごす生活を希望したのでデイサービスも施設も全く利用しなかった。これは自分自身が病院嫌いということにもよる。当然、自分自身もこの本に書いてあるように「施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい」。これは著者と同じ気持ちだ。
以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい。その準備と心構えをお伝えします。「おひとりさまの最期」を支える医療・介護・看取りの最前線も紹介。意外とお金もかかりません。私、ウエノも、最期は「在宅ひとり死」でゆくつもりです。(裏表紙より)
★この三部作(注:辻川覚志『老後はひとり暮らしが幸せ』、『ふたり老後もこれで幸せ』、『続・老後はひとり暮らしが幸せ』の三部作)の結論はこうです。「満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は、なんと独居に行き着いたのです。/老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手気ままな暮らしでありました」(33p)
★施設が合う、合わないに個人差はありますが、ホンネをいうと、わたしは施設にもデイサービスにも行きたくありません。集団生活がキライだからです。……デイサービスに行くのを勧めるのは家族のつごう、家にいてほしくないからです。だましたりすかしたりしてデイに行って、行ってみたら居心地がよかった、それから愉しみにしているひともいるのはたしかですが、自分から進んで出かけるわけではありません。保育園に送られる子供と同じです。施設の機能はそこで生活が24時間完結することです。これを全制的施設(total Institution)と呼びます。その典型が刑務所です。だから施設はある意味、刑務所のようなものなのです。しかも刑務所なら終身刑でもない限り、いつかは出て行けますが、高齢者施設は死体にならないと出て行けません……お楽しみや気晴らしも含めて暮らしが24時間施設内で完結してしまうことを、全制的施設と言うのです。(61-62p)
★最近「ケモブレイン」という専門用語を知りました。近藤誠さんの近著『このクスリがボケを生む!「ケモブレイン」にならない13の知恵』(学陽書房、2019年)に教えてもらいました。薬が原因で起きる脳障害を表す専門用語で、こういうテクニカルタームが生まれるほど、欧米では知られているそうです。そのなかに、認知症薬も降圧剤も、コレステロール降下剤も、慢性病で飲み始めると止められない薬の多くが含まれています。……もし、わたしが要介護者になったら、投薬管理などやってほしくありません。ですから講演ではこんなふうに話します。このなかの5人にひとりが認知症になるとしたら、どなたでしょうね、その方を待っている運命が、拘束か薬漬けか、ふたつにひとつだとしたら、どちらがお好き?……と。5人に一人の高齢者を待ち受ける近未来が、物理的か生理的、そのいずれかの行動抑制という名の虐待だとしたら……あんまりです。(111-112p)
★生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ。これが、食事、排泄、入浴という3大介護です。この3点セットが維持できるあいだは、生きられます。今日も目が覚めて機嫌よく一日を暮らせる……そしてそれを支えてくれる専門職のひとたちがいます。介護保険のおかげで、認知症になってもそうやって暮らしを支えてもらえる社会になったことを、わたしたちは喜べばいいのです。(136p)
★お家でひとりで死ねますか?――この問いこそが、本書で追究してきた問でした。答えは出ました。はい、できます。家族がいてもできますが、いなくてもできます。独居でもハードルは越えられます。ガンなら楽勝。認知症でもOKです。これもそれも、介護保険あってこそ。(170p)
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