2019年10月29日火曜日

『翔ぶが如く』(二)

 『翔ぶが如く』(五)を読み終え、昨日からその(六)を読む。これは全10巻ある。今年中に全巻を読み終えられそうにない。以下はだいぶ前に読んだ『翔ぶが如く』(二)(司馬遼太郎 文藝春秋、2014年第14刷)から気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★西郷はつねに「一世之智勇ヲ推倒シ、万古之心胸ヲ開拓ス」という、とほうもない教訓をもって自戒、挙げて重要なことばとしてきた。この言葉を胸中に灯しつづけてきたおかげで、かれは幕末における悲惨な流罪の歳月にも堪えることができたし、また江戸城無血開城という、旧将軍家代理人勝海舟の懇願を一挙に容れるときも、この自戒の言葉がかれの胸中を去来したことであろう。
 この言葉は、知恵と勇気についての自戒である。意味は、男子たるものの志のあり方をのべている。志をもつ以上、一世を覆う程度の知勇などは払いのけてしまえ、それよりも万世のひとびとの、心胸を開拓するほうが大事である、ということであろう。18p

★日本に貴族をつくって維新を逆行せしめ、天皇を皇帝(ツアーリ)のごとく荘厳し、軍隊を天皇の私兵であるがごとき存在にし、明治憲法を事実上破壊するにいたるのは、山県であった。山県をしてそれほどの重国家をつくらしめたのは、明治二年、かれがパリで実見したコミューン戦慄的なうごきであったといえる。47p

★「廃藩置県」というこの明治四年に実現する大変革をもっともはやく唱道したのは木戸孝允で、すでに明治元年二月、鳥羽伏見ノ戦いの硝煙がまだ消えていない時期に、三条実美と岩倉具視に建白書を出している。「三百諸侯をして、挙而土地人民を還納せしむべし」という木戸の文章は、木戸があきらかに革命家であったことを証拠立てている。65p

★通訳としてまずこれ以上の人物を求めようとしてもないが、その上、サトウは政治や経済の現象についての分析能力がたくましいばかりに正確で、幕末以来、日本情勢に精通しているという点では、日本人でもサトウほどの者は、ようやく坂本竜馬、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、勝海舟ぐらいをかぞえるだけである。バークスの日本における功績はこのアーネスト・サトウという、ようやく青年期を抜けた三十歳の人物に負うところが多かった。180p

★攘夷とは、国際性を拒絶するという意味である。当時、桂小五郎といった木戸孝允や高杉晋作などは攘夷をもって幕府の屋台をゆさぶるてこにするというまでに政略的なものになっていたが、しかし指導層以外の長州人の九割九分はそうではなかった。かれらは本気の攘夷気分をもち、国際社会への参加を厭うことが神州を守る唯一の道であると信じた。……そういう気分のなかで、伊藤ら数人の若い藩費留学生は藩大衆にも幕府にも内密で英国に向かって渡航したのである。183p

★大久保が西郷の政策をつぶすために暗躍しているのではなく、岩倉や大隈、伊藤などがそれをすべく奔走しているというのが実態であったが、桐野はその情報はもっていなかった。
 大久保が、善玉の西郷にとって赤っ面の悪玉であるという薩摩人の神話ができあがるのは、この時期からであろう。ひょっとするとその神話の最初の書き手は桐野かもしれなかった。285p

★薩摩にあっては、侍が侍がましくなるには二つのことだけが必要とされていた。
死ぬべきときに死ぬことと、敵に対しては人間としてのいたわりや優しさをもちつつも、闘争にいたればこれをあくまでも倒す。この二つである。294p

★西郷という、先般外遊組が欠けていた時期にあっては事実上の日本国首相の位置にあった者の外政政略の補佐官が桐野なのである。一国におけるもっとも重要な政治家の補佐官が桐野程度であるというのが、外交感覚の欠如した日本国の象徴現象といっていい。299p

★最後の情熱的政策は、冷静な青写真というよりも西郷一個の人格と情熱によって成立しているというふしぎなものであることがよくわかる。つまり、西郷が出席しては冷静な廟議の検討ができないという性質の政策が、はたして国家の政策といえるかどうか。西郷の征韓論は多分に西郷一個の人格的表現であることが、この一事でもわかるあろう。372p

★「拙者のみを除外なさるとは、公平を失した御沙汰ではござらんか」
西郷の勢いに怒りがこもっていて、三条は応答もしどろもどろになり、じつは板垣がそう言ったのだ、と簡単に人名を出してしまった。西郷は一瞬、息を小さくした。板垣も裏切ったか、と思った。この一事は西郷に悲痛の思いを持たせた。378p、

2019年10月28日月曜日

ドビッシー「月の光」から

 今朝の地元紙に荒磯親方(稀勢の里)が大学院修士課程で学ぶ記事がある。新聞を見ても嫌なニュースが多い中、この記事は読んでいても気持ちがいい。

 先日の石丸謙二郎のブログにドビッシーの「月の光」をさらう話がある。この曲はフルートでさらったはず、と調べる。2年半前にさらっていた。今、改めて吹いてみる。8分の9拍子の曲だ。1小節に八分音符(♪)が9つ入る。八分音符が3つで付点四分音符1つに相当する。ということは1小節に付点四分音符が3つになる。曲の中に付点四分音符が頻繁に出る。音の長さを付点四分音符をもとにして吹いてみる。しばらく練習すると吹けた。

 fluteでさらった曲は以前にワードで一覧表にしている。それを見ればいつ頃さらった曲でどの曲集に収めてあるかがすぐにわかる。いろんな曲集を改めてみると、さらった当時に難しそうな曲はさらわず仕舞いになっている。習い終えていない曲を改めて練習しよう。以下はピアノとフルートでの演奏動画から。楽器によって同じ曲でも趣が変わる。



 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月27日日曜日

迷惑メール受信拒否設定&人生に乾杯

 長年使っている携帯電話。今年の半ばになって迷惑メールが入りだす。これは3日間で鳴りをひそめた。もう大丈夫と思った矢先、一昨日と昨日、夜、昼、構わず迷惑メールが入る。うるさ過ぎてマナーモードにする。それでも夜間はこの音で目が覚める。昨日午後、ネットで検索してもこの対策がはっきりしない。ここはドコモに、と電話する。すぐに電話がつながる。事情を話すとそれ専用の担当者が電話口に出る。携帯電話の操作をするので家の固定電話にかけなおすという。だが通じないらしい。フリーダイヤルは電話拒否をしているのか、と問われる。何もしていない旨、話すと再度かけてくれた。通じた。電話の指示に沿って携帯を操作する。

 迷惑メールは携帯電話からでなく、パソコンからの送信らしい。そのためパソコンから携帯へのメールを受信拒否するといいそうだ。ともあれ、変なメールの拒否設定は終わった。あとでパソコンでこのやり方を調べると簡単な拒否設定画面がある。ただ、これも自分がさっき教えてもらってやったからわかることだ。

 何でも煩わしいことが大嫌い。これ以上携帯メールで神経をすり減らすならばメールは使用しない、と思った。それでも面倒ならば携帯を持たなけれいい、か。

 話は変わって、動画を見ていて森昌子のリズミカルな歌を見つけた。アップしよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月26日土曜日

佐藤太清と児玉希望、奥田元宋展を見る

蘭島閣美術館から見る瀬戸内海

 お天気に誘われて下蒲刈町にある蘭島閣美術館に出かける。広駅で下車し、バスに乗ること30分。美術館のある三ノ瀬バス停で数人が下車。まずはお昼を食べに美術館近くにあるお店に入る。お刺身定食をいただくと3種類の魚だった。青じその下に何やら透明なものがついている。一般的には大根を千切りしたケンがつく。お店の人に聞くとテングザを加工したものだそうだ。食べると透明でぷりぷりしていた。お刺身はもちろん美味。それと同時にご飯がおいしかった。

  佐藤太清の絵を見るのが今回の目的。パンフを見ると佐藤は27年前に文化勲章を受章し、日本画壇の重鎮として戦後の日展を支えてきたという。だが、今回の展覧会でこの人の名前を初めて知った。佐藤が誕生した福知山市にある佐藤太清記念美術館所蔵の作品が展示される。館内はだれもいなくて貸し切り状態。パンフにも掲載の青々とした《竹林》は見ごたえがある。ほかにも知床を旅したオホーツク海の《最果ての旅》がいい。オホーツクの凍てつく氷に佇む一匹の大きな鳥、これがいい。自分自身も7月に出かけた知床。だが、夏なので流氷は見なかった。

 絵を堪能した後は美術館前にある松濤園裏の堤防を歩く。何度か蘭島閣美術館や松濤園に来ていても堤防を歩いていなかった。海には漁をする小舟3隻も見える。蒲刈はミカンの産地でもある。美術館に入る前、無人で売っているミカン1袋を購入。代金は備え付けの箱に入れる仕組みだった。ミカンは1袋がたったの100円。9個あった。家で食べると甘くて美味。レモンも横で売っていた。さすがにレモンは買わない。我が家の今年のレモンは50個くらい実っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月25日金曜日

楽器の話題

 雨も上がって外に出るには最高の朝になった。手にするのはいつものバッグにお茶とミカン、それに???お天気が人の気を左右する。昨夜は行く気半分だったのが、朝になると俄然行く気になる。ただ、行く先の交通の便がよくない。JRを利用してもその後のバスの便が少ない。そこはネットで検索してバスの時刻をメモする。

 さあ、行くぞ、とその前にいつもの3人のブログを見る。今朝の石丸謙二郎のブログはなんと山でなく、ピアノの話題だ。ピアノに触ったこともない人が昨年末、何を思ったのか、ピアノを購入したそうだ。1年がかりでドビッシーの「月の光」をさらったという。大人が楽器を習う、それもクラシック音楽を習う。この気持ち、よくわかる。石丸は65歳でピアノに挑戦。音楽記号もフェルマータしかわからず、ただ「生涯において、一曲だけ弾きたい」、との思いがあったという。ジャズピアニストの友人について練習曲でなく、クラシック曲に挑戦。これを読んで妙に感動してしまった!

 音楽は小さいころから好きだった。小学校では誰もが習うハーモニカをはじめ、木琴、縦笛も習った。高校は横笛を習う。今ではヴァイオリンを習うそうだ。また、高校では同好会で琴を習った。学校を出てからはギター、オルガン、エレクトーンそしてフルートといろんな楽器に触れた。今、家にあるのは小学校時代のハーモニカと大人になってから習ったフルート。ほかにもある。クスコでお土産として買ったケーナ。これは教則本を買って独習した。だが、難しい。エレクトーンは処分した。時に、鍵盤楽器を弾きたくなる。持ち運びが便利なキーボードを買う、これがいいかもしれない。

 それにしても練習曲を習わずにいきなり曲を弾きこなす。頑張る人は素晴らしい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう

2019年10月24日木曜日

ブログのメリット

 NHK・BSで中国秘境の再放送がある。その度に我がブログの閲覧数が平常の倍かそれ以上に増える。何のとりえもないブログでも、訪問者が増えると嬉しい。増えたからといって何のメリットもない。だが、何故か嬉しくなる。

 1か月余り、気持ちがくすぶっていた。昨日、近いうち出かける旅の最終案内が届く。これで気分も変わる。秋の旅がこれから3件やってくる。うち1件は催行なるかどうか怪しい。それでも楽しみにして待っている。旅行社を経ない、島にある美術館行きも予定している。8,9,10月と暑さと台風と行事でレジャーと無縁に過ごした。これはよくない。外に飛び出して遊ばなくては精神的にくすぶってしまう。その点、気候にも恵まれる秋はいい。なるべく外に飛び出そう。

 昨日はほかにも某研究会から研究史料が届く。年4度発行が3度に変更された。しかし、1度の史料掲載数は増えている。この会は死ぬまで所属するので来年の年会費を振り込む。

 今朝は中国から戻った、と姪からメールがある。今朝帰ってきてもう仕事に出るらしい。大満喫したようで仕事にも熱が入るに違いない。

 話は戻って、先ほどのブログのメリットをネットで検索すると以下のようにある。詳細は次のURLを参照。https://www.lifehacker.jp/2014/06/140604journal.html 

 ★書くことは精神的な健康をもたらす
 ★クリエイティビティを発揮できる
 ★実用的なメリットも

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月23日水曜日

パンダ情報②

 昨夜届いた姪のメールをまた勝手に引用しよう。「野生動物園のパンダはガラス越しではないし、1メートル前にパンダが来るので、詳細に観察できる。今回は平日の休みが取れる連休になったので急遽決めた。……一週間後には和歌山のアドベンチャーワールド遠征もする。熱意があるやりたいことはやることにしています。……明後日には戻ります。では。」。

 「熱意があるやりたいことはやることにしています」。これはさすがに我が姪、行動力がある。やりたいことがある、そしてそれをやる。これは一番幸せなこと。やりたいことがあっても何かの事情でできない、あるいはしない。これがよくない。また、やりたいことがない、はさらに良くない。無意味に生きるより、やりたいことをやって生きていく、これに尽きる。そうすれば毎日が楽しくなるし、充実した人生になる。

 これもすべては健康にある。健康でなければそういう気も起きないだろう。どういっても人生は長いようで短い。自分自身、ああじゃ、こうじゃと思いを巡らす間に歳をとっている。何かを待っている暇はない。思いついたらすぐ行動。そうしないとあっという間に人生が終わりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月22日火曜日

パンダ情報&プール

 今日は秋、を感じる。秋といえば「秋天的北京」。この時季の北京は最高の季節!今朝は姪のメールで目を覚ます。またも休みを利用してパンダを見に中国に出かけている。メールのタイトルは「パンダ休暇中」とあり、次のように書いている。勝手に引用しよう。

★今上海です。天津inして北京動物園に行き、昨日高鉄で上海に着きました。成都から移動してきたパンダたちの生活ぶりを確認できました。今日はこれから上海野生動物園です。元気にしているのでご心配なく!

 メールには自身の写真を添付し、ほかにも双子パンダ、北京動物園、上海動物園の写真がある。上海の双子パンダは「和風」と「星光」と名付けられ、「上海動物園 和風とファンミーティング ハイタッチもしてくれました」と楽しそうな様子が伝わる。

 今朝のメールで旅心に誘われる。中国に何度も出かけている。だが、春夏秋冬のうち秋の季節は行っていない。いつか行ってみたい!

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。やっぱりプールはいい、と改めて気づく。何がいいといって泳いだ後の爽快感。これがいい。いつもながら俄然やる気が起こる。スポーツらしきことをやらずに生きてきた。ただ、水泳だけは自分に合っていたのか細々ながらも長く続けている。夏の暑さと台風などの異常気象でご無沙汰気味だったプール。さぼらずに泳ぎに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月21日月曜日

月曜日の朝

 月曜日の朝はゴミ出しから始まる。8時半までに指定の場所に出す。ところが指定時刻になってもゴミを出していない。家からゴミ袋を出したり入れたりを3回も繰り返す。4度目に外に出ると黄色いゴミをかける網がある。これでOK、とついでに一昨日抜いたドクダミも大きな袋に入れて出す。

 ゴミは各自家の前に出す。だが、カラスがつつくので燃えるゴミの日だけ、通りに面した2か所の収集場所を利用する。ところが今朝は2か所とも誰もゴミを出していない。4度目に出そうとしたとき、見知らぬ顔を見かける。近所の人のようだ。だが、通りを隔てた向こう側の家の人は誰が住んでいるかわからない。それよりも家の裏に建つ集合住宅の住人は10数年経過しても誰がいるのかからない。この人たちは町内会に入っていない。わからないのはそれにもよるのだろう。どういっても今の町内会のメンバーは昔からの住民4軒のみ。この4軒も親世代から交代した。4軒のうち3軒は同級生。小さいころはどの家にも出入りしていた。大きくなるとそれもなくなり、時代の変化を感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月20日日曜日

中国秘境 謎の民「木馬氷上を馳せる」を見る

テレビから(トゥバ族が住む草原)

 
テレビから(「木馬氷上を馳せる」)

 NHKのBSで中国秘境 謎の民「木馬氷上を馳せる」を見る。番組HPによると以下のように書いてある。

★世界で最も古くからスキーをした、という説がある謎の民、トゥバ族!
アルタイ山脈に暮らす遊牧民で、遊牧国家・突厥の一員だった。中国皇帝が憧れた名馬を草原で育てる。
★遊牧民トゥバ族は中国の歴史書に「木馬に乗り氷上を馳せる」と記された。木馬とは?歴史の謎を紐解きながら遊牧生活密着!
★舞台は中国の奥地、ロシアやモンゴルとの国境に横たわるアルタイ山脈。かつて金を産出、東西交易の要を担ったトゥバ族の祖先は遊牧国家・突厥の一員をなす騎馬民族だった。半年以上、雪に閉ざされる世界…一万年前の壁画に木馬の正体が!夏は村に戻らず草原で暮らす。牛乳酒作り、ハチミツ作り必見。

 ここからはテレビを見てメモする。トゥバ族の住む近くの湖は「王者の水」と呼ばれ、馬を育てることに適した。『新唐書』によると「木馬に乗り氷上を馳せる」とある。トゥバ族のことわざに「男の仕事場は荒野にあり」、アルタイ山脈の馬は天馬の汗血馬といわれる。「アルタイとは金とともにある」の意で、ここに暮らすトゥバ族は農業をしない。トゥバ族とモンゴル族は関係があり、突厥といわれる。この2つの文化から生まれた独特の歌がホーミーであり、アルタイ山脈が発祥の地である。

 サワルダン、という民族の踊りは馬に乗るしぐさの踊りでチョール(胡茄)というトゥバ族の楽器を使う。この楽器は篳篥の源のようだ。トゥバ族の家は丸太でできており、「チョウセンゴヨウ」という。蜂蜜を売って麦を買って主食とする。数十キロ離れた町にカナス湖があり、トゥバ族の若者はここを観光地化して生活する。結婚式や競馬の際は年中青々としている松の葉を燃やす。松の葉には強い生命力があるという。それで日本でも「松竹梅」と松が最高級品なのだろうか。勝手にそう思った。

 オボと呼ばれるうず高く積もる山は山岳信仰をあらわす。動物たちや家族の安泰を願う競馬と相撲。「木の馬氷上を馳せる」という木の馬のスキー板はアルタイの松の木で作る。トゥバ族が世界で最も早くスキーを始めた民族だそうだ。この時に着る青い衣装は空の色をあらわし、青はトゥバ族にとって大切な色になる。トゥバ族はチベット仏教を信仰。写真は飾らず、フレームだけを飾る。写真には魂がいるから飾らず、生まれ代わりを信じる。お墓詣りには松の葉と牛乳を持参。牛乳は命をつなぎ、松の葉は厄を払ってお清めをするという。

 1時間半の番組で幾度となく「松の葉」や「松の木」が出てくる。松は「青々とした緑」と表現することがある。「青」は青い衣装がこの民族の独特の色であり、空の青もあらわす。「青」と「緑」はともに同じ色に属するのだろうか。テレビを見て色について思いを巡らす。

 色といえば昨日の日本画。教室に入ると先生はザクロを見てスケッチ中だった。その時、教室に入ってきた人がザクロを全員に下さる。その人はほかの用があるらしく、ザクロを持ってこられてすぐに退室。ということで昨日は急遽、ザクロのスケッチとなった。最近は写真を見てのスケッチが多い。久しぶりに実物を見てスケッチする。小枝に着いた2個のザクロをスケッチする。ところがそのうち1個の開きすぎたザクロでなく、口を閉じたのも描くようにと先生。

 習い初めと比べると物を見てのスケッチは何とか描けるようになった。ザクロのスケッチは今、取り掛かっている風景の本画を終えた後で本画にするつもり。昨日は割と真面目にスケッチした。教室が終わると4人でカフェに入る。ささやかな至福のひと時だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月19日土曜日

フリーダイヤル

 しばらく鳴りをひそめていた迷惑電話が最近、かかるようになった。0120で始まるフリーダイヤルがそうだ。この電話番号には絶対に出ない。昨日までフリーダイヤルは「0120」だけ、と思っていた。かかってきた番号をネットで検索。コメント欄を見るとなんとフリーダイヤルには「0800」もあるという。さっそく「フリーダイヤル」をネットで検索すると確かに両方ともそのようだ。

 「080」は「090」とともに携帯番号の頭に着く。その「080」も「0800」となるとフリーダイヤル、とは露知らず。旅に出かける前、添乗員から電話がかかる。その際、「080」が頭に着く番号が多い。だが、「0800」と「0」が余分につけば怪しい、と思うようにしよう。

 以前の迷惑電話は「光電話」に関することが多かった。昨日は「電力会社」や「不用品回収」と、迷惑電話も変化する。さすがにオレオレ詐欺はかかってこない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月18日金曜日

『歴史を紀行する』

 お天気に誘われて自転車で遠くのスーパーに出かける。久しぶりに行くスーパーはレジの清算にとまどう。お店の人が買った商品を機械に下げた袋に入れてくれる。だが、レジでの支払いは各自、機械で行う。何番レジで、といわれて向かうが、要領を得ない。近くにいる年配の人に教えてもらう始末だ。平日のスーパーはお年寄りしかいない。

 我が家を中心にすると自転車で10分前後の距離にスーパーが8件もある。このうちいつも利用するのは2件のみ。スーパーの多さだけを見ても街の様相が変化している。1,2年もすればマンションやホテルも完成する。今朝は雨模様。本を読む日となりそうだ。

 以下は以前読んだ『歴史を紀行する』(司馬遼太郎 文藝春秋、1998年第41刷)
「竜馬と酒と黒潮と」(高知)からの抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★土佐の古名を「建依別の国}(たけよりわけのくに)という。……この建依別という美称は後世にいたっても土佐人の好むところであり、土佐で書かれてきた郷土史の多くはかならずその冒頭にこの美称に触れている。土佐びいきの筆者も、この美称を好む。男子は剽悍であるほうがうつくしいからである。(「竜馬と酒と黒潮と」〈高知〉10-11p)

★土佐は僻地である。しかし僻地であるという劣等感はいまもむかしも土佐人は奇蹟的なほどにもっておらず、そのことが土佐気質の特徴の重要なひとつであるとおもわれるのだが、これはその方言が日本語の固有なるものに近いという、お国自慢にすらかぞえる自信が大きく作用している。かれらの発音はあかるく朗々とし、一声々々が不必要なほどに明快なことが特色である。兵隊をヘータイといわずヘイタイと言い、整理をセーリといわず、セイリという。(「竜馬と酒と黒潮と」〈高知〉15p)

★とにかく土佐人が他の日本人ときわだってちがうところは、かれらの意識をどういう暗い課題が通過しても、出てくる瞬間には化学変化をおこしたようにあかるくなっていることである。物事を明色化することの天才であり、この稿の筆者が感嘆するところは、酒量および酒の事故日本一という統計的記録における土佐人の肝臓の強靭さよりも、それをひらきなおってお国自慢にして謳いのけてしまうという彼らの明色性なのである。(「竜馬と酒と黒潮と」〈高知〉16p)

★たとえば土佐人の無神論的あっけらかん性である。この土地の一種の奇蹟は、日本最大の宗旨である本願寺宗をほとんど歴史的にも現在も受け付けていないことであり、自然、日本人が共有している後生欣求的な湿潤な瞑想の感情をもっておらず、江戸時代からそれが珍奇とされた。
 珍奇とされた事象としてよくいわれるのは、老人になっても男女とも寺詣りをせずポリネシア人のごとく、狩猟や魚釣りという後生にもっとも障りのある殺生を老人どもが好むことであり、他国人がそれを指摘すると、「この世を楽しめばよい」と、どういう土佐の老人もいう。……その楽土礼賛性、非瞑想性、余韻嫋々の哀切感についての音痴性といったものは、仏教渡来以前の上代日本人をおもわせるものがあり、それは冒頭に触れた土佐人の固有日本人性ということにつながってゆくような気がする。(「竜馬と酒と黒潮と」〈高知〉26p)

2019年10月17日木曜日

ともだちとランチ!

 まさに秋、を感じさせる日が続く。台風や地震で1年のうち何日くらい気持ちいい日があるだろうか。こんな日は家でくすぶるのがもったいない。ともだちとのランチで外に出る。広島駅近くのレストランに着く。屋内よりも屋外が気持ちよさそうなくらいだ。予約済みとあって席も決まっている。久々のランチ・コースをいただく。出された食事をはじめのうちは携帯で写す。だが、ブログの画像容量が多くなりそうでこれから写真アップを控えめに、と写真はやめにする。

 ともだちは食事の間、しきりとクルーズの話をする。外国を回る短いクルーズらしい。以前のランチの際も話していた。クルーズは北欧のフィヨルドの旅で1泊2日を経験済み。その時は豪華客船で食事は豪華でもずっと人と船室にいるのが耐えられなかった。よほど気の合う人でないとクルーズだけでなく、海外旅行や国内旅行であっても同室は無理。そう悟った。平生、自由気ままに過ごしている。それが旅に出ると人に合わせたスタイルになる。これに耐えられない。だが、人から見れば人と合わせられるタイプと思われやすい。どっこい、これは大きな間違い。1人での参加も見知らぬ人であってもすぐに打ち解ける。これはその場だけの付き合いにもあるだろう。ますます1人行動が増えそうだ。クルーズには同行しないがランチはOKと話すとともだちは笑う。

 ランチ後、ともだちと別れてそごうで開催中の2人展を見に行く。あまりにも気持ちがいい午後。歩いてそごうに向かう。途中、広島城での菊花展を、と思った。だが開催はまだ先のようだ。まずは中央図書館に入る。会社リタイア後の17年前ははたらいてもいないのに半年の通勤定期を買って毎日のように通っていた。今、その気持ちを取り戻そうとするが、当時には戻れない。とりあえず2冊本を借りる。そして2人展へむかう。

 永井健志と松下雅寿の日本画2人展。どちらかといえば同じ日本画でも永井の絵が好み。展覧会初日というのにすでに2,3点の作品がない。売却済みなのだろうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月16日水曜日

明治維新150年スペシャルを見る

 昨日午後はNHK・BSの明治維新150年スペシャル「決戦!鳥羽伏見の戦い 日本の未来を決めた7日間」を見る。番組HPによると「明治維新はなかった!?もしこの戦いの経過がほんの少しでも違っていたら?ちょうど150年前の正月3日に京都・大阪間で始まった鳥羽伏見の戦い。徳川か薩摩か?実はこの激戦、どちらが勝つか全く予測不可能。わずかな判断の差や偶然の成り行きで、結果は全然違ったかもしれなかった。本格ドラマと検証ドキュメントで、知られざる内情を徹底追究!歴史ファン衝撃の裏話が続々のスペシャル!」とある。初回は2017年12月30日放送で昨日は再放送だった。

 1年近く前に大連に行き、旅の間話題に上った司馬遼太郎の本。これに目覚める。それ以来、司馬作品を読んでいる。作品は明治維新前後の小説が多い。番組欄で目にした昨日の放送は2時間と長い。興味を持って放送を見る。ドラマ仕立ての2時間番組も途中、その道の専門家が新政府側についた人が書いた絵巻物を見て話を進める。絵の中には肥桶に入った町民が戦いの様子を覗き見る絵もある。鳥羽伏見の戦いの絵だ。

 こういうテレビを見ると当時のことが再現されて、歴史嫌いも歴史好きになっていく。司馬作品を読むようになって、この時代の歴史は好きになったが、それより前の時代はほとんどわかっていない。徐々に古い時代も理解するようにしよう。

 今、読んでいる司馬作品は『翔ぶが如く』の5巻目。この作品は全10巻なので今年中には読めそうにない。小説を読む楽しさは司馬作品で教わった。司馬作品に巡り合ったおかげで小説に目覚め、歴史が好きになる。そしてそれがきっかけでさらにいろんな面へと興味が広がる。もとをただせば大連への旅がコトのはじまり。さらにいえばその時知り合ったツアーのヒトとの話から……、とモノ・コトはどんどん広がっていく。

 そう思うと楽しみは何がきっかけとなるかわからない。ざっと思い返しても旅先で知り合った人たちからいろんなことを学んでいる。やっぱり旅はいい!

 旅といえば新年早々、海外の旅が待っている。これは某交流会の旅。今年は参加者が少なくて催行ならず。来年は催行のようだが、さてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月15日火曜日

紫の花

 台風19号が去った後の悲惨な状況をテレビで見ると辛くなる。被災者にとってはどれくらい悲しいことだろう。もしも自分がそんな目に合えば……と想像するだけで気持ちが廃れる。年々、台風の被害がひどくなる、と感じるのは自分だけだろうか。レモンの木、1本が伸びたくらいのことを気にしていてはいけない。また人がどうじゃ、こうじゃといっている場合じゃない。災難は突然やってくる。もう、何も持たない生活が一番楽、と思ったりする。とはいいながら、欲にまみれた生活をしている。

 気を取り直して今朝見た石丸謙二郎のブログから。紫の花の画像がある。ネットで調べるとタチギボウシという高山植物らしい。この花を自分の目で見てみたい、と思うがこれは叶わぬ夢。今年になってやたらと山にあこがれる。これも石丸謙二郎のブログに影響されるのかもしれない。

 紫の花でなくても露草などの青い花も見なくなった。お墓参りの途中の道や墓地のそばで咲いていた露草も探してやっとわかる程度しか見られない。青い花の桔梗も近所の道のそばに置かれた植木鉢で咲いているのを見る。青い桔梗は秋を感じさせる花だ。以前、この鉢植えを買って地に植え替えたことがある。だが、桔梗は我が家の土地に合わなかったのか枯れてしまった。桔梗でもトルコギキョウは切り花で買える。だが、トルコギキョウよりも日本の桔梗に惹かれてしまう。

 青い花はバラなども改良されて販売されるようになった。植物や動物はなぜ人間様よりも多種多様な美しい色なのだろう。不思議だ。美しいものは人の手が入らない場所で多く見られる……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月14日月曜日

リセットの秋!

 今年の秋はいろいろな意味の心のリセットになりそうだ。頼まれごと、稽古事、そして人との付き合いが当てはまる。ここまで生きてきて嫌なヒト・コト・モノにかかわりたくない。楽しく毎日を過ごしたい。その点、旅はいろんな面から解放される。まるで今の気持ちを和らげるかのように、この秋の旅3件が待っている。うち1件は催行なるかどうかわからない。が、多分OKだろう。ざわついた心がこれでリセットされる!?

 昨日は某合唱団の定期演奏会。無事終了した。この日は日本画教室の作品展の打ち上げと重なる。打ち上げには参加できなかった。その席では所属する日本画教室の会が新聞社の取材を受ける、と聞いている。近いうち、その模様が新聞に掲載されるだろう。

 ひょんなきっかけで習い始めた日本画。絵に関しては運動と同じく苦手意識が強かった。家では一切筆を持たない。それでも頭では絵に関するいろんな構想を練っている。と、言えばオーバーな表現かもしれないが……。日本画は本画に仕上げるまでにいろんな手順があり、時間もかかる。スケッチの後の下絵は色鉛筆画、パステル画、水彩画などを試みる。これだけでも絵を習う価値があるかもしれない。

 改めてリセットをネットで検索する。デジタル大辞泉によると最初に出てくるのが以下のようだ。

★すべてを元に戻すこと。最初からやり直すこと。また、状況を切り替えるためにいったんすべてを断ち切ること。「両国の関係をリセットする」「風呂に入って気持ちをリセットする」

 この中の「状況を切り替えるためにいったんすべてを断ち切ること」があてはまりそうだ。とはいっても「すべて」を断ち切るのではなくヒト・モノ・コトのうちの1部があてはまる。

 昨日の演奏会でプログラムに持込まれたチラシ数枚をはせる。その時、現役の音大生6人と手分けして作業する。うち1人は広響の定演のスタッフらしく、先日の定演のことを話した。チラシについて問うと広響の定演でもプログラムにはせる作業は人の手によるという。2000人収容のホールだから、機械によると思っていた。定演ではチラシの枚数は10数枚かそれ以上もある。全て人の手によるとは驚いてしまう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月13日日曜日

点描写

 いつ何が起こるかわからない時代になった。広島は台風19号の被害はなくても昨日のJRはひどかった。日本画教室に行くため最寄りJR駅に向かう。駅に着くと発着時刻を知らせる電光表示板が真っ黒だ。山陽本線上りは西条の酒祭りの乗客がいる。だが列車は来ない。下りを利用しようにも何の表示もない。ホームでなく、改札を入ったところで立っていると山陽線下りの発車を告げるアナウンスが流れる。急いでホームへ。何とか広島駅に到着。広島駅からの乗客も混乱気味だ。それでも何とか目的地で降りる。ところが、乗車券がない。慌てて乗車したためにどこかで落としたようだ。ICOCAで決済した。

 机に先日の作品展で申し込んだ絵ハガキがある。請求書を見てびっくり。今年は図録を買わず、自分の2作品の絵ハガキを購入した。請求書には撮影代、云々とある。このため1枚当たりの絵ハガキが260円にもなる。それならば図録を購入すれば、と思う。だが、買っても見ない。そのうちゴミとして処分するだけ。今回、絵ハガキ代は高くついたけどそれでもやっぱり図録は不要。自分のような考えの人が増えているらしい。

 それでなくても今年に入ってビデオテープ、カセットテープ、アルバムや本など処分している。どうしても必要なものだけでいい。そういえば先日、アルバム類に交じって、水墨画を習っていた関係のものを処分した。ただ、それを入れる和紙でできたケースと画仙紙、それにフェルトの大きな下敷きは残した。何もかも処分すると何もできなくなる。そこは自分で良しあしを考えてやるしかない。

 さて昨日の日本画教室。地塗りの上に色付けをする。小の削用筆で点描写していた。先生曰く「それでは埒が明かない」。教室のちょっと変わった筆を貸してもらって点描写する。次回は今回の絵具と少し明るめの絵の具を混ぜて点描写する。樹木などは後から色付けするようだ。どういっても色付けの手順は自分一人ではできそうにない。点描写の筆もすっかり忘れていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月12日土曜日

第394回広響プレミアム定期演奏会

 第394回広響プレミアム定期演奏会に出かけた。プレミアム、とあるように昨夜の演奏会はネームヴァリュー抜群のヴァイオリン奏者サラ・チャンを迎える。指揮者はリオ・クオクマン。2人ともフィラデルフィアに関係あり、アメリカ国籍の華人のようだ。

 演奏曲目は以下のようだった。

♪シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調
♪ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調

 演奏時間は31分と60分。いずれも長い。だが、退屈さを忘れるほど聴きごたえ十分の演奏だった。指揮者が変われば当然、演奏スタイルも変わる。何よりも演奏曲目の選定がいい。席は16列目の左端で落ち着く。また演奏者も全体が見渡せ、いい席だった。サラ・チャンのアンコール曲を期待した。だが、それはなかった。残念!

 昨日は日中が真夏並みに暑かった。演奏会には夕方から出かける。夏服のままで出かけた。会場に着くと秋風が吹く。だが、上に着るものを持ち合わせていない。会場に入るとエアコンがきいている。寒い!外に出る時はスカーフ1枚を持参すべき、と昨夜の教訓。

 秋になった。何か新たなことを、と思ったりする。いろんなことに手を広げすぎた気がして美術館などの友の会を脱退している。再度加入OKならばこの秋から、無理ならば来春4月から加入しよう。

 そういえば先日のランチとダンスを間違えた話。身体表現のダンス。これは習ってみたい気もする。そのわけは、海外のクルーズ船に乗るとき、せめてダンスくらいできなくては面白くない気がして……。クルーズは海外に出て1日コースに組み込まれた時だけ経験がある。とはいいながらダンスは自分には向いていない。でもクルーズには行きたい。友達とのランチは決まった!自分にとっての楽しみはダンスでなくランチ、かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月11日金曜日

眼圧は季節変動がある

 定期的に出かける眼科。眼圧は右12、左15だった。2か月くらい前、眼科医は暑くなると眼圧が下がる、みたいなことをぼそっと言った。昨日、冬よりも低い眼圧の数値を聞いてその旨、医師に話した。やはり、眼圧は季節変動があり、暑い時季の方が下がる。ネットで検索するとそのようなことが載っていた。

 眼科を出ると自転車で自宅に向かう。途中、最寄りバス停前に広い更地がある。自転車を止めてここに何が建つのか看板を見る。〇〇プラザホテル建設予定地で12月に着工し、2年後の2月に建つらしい。今朝地元紙を見るとこの記事の掲載がある。10階建てで1階は宿泊向けのレストランで朝食会場となり、大浴場もあるようだ。我が家から歩いて3,4分と近く、隣には区民文化センターや区役所、さらにはJRの駅もある。この駅は広島駅から快速だと一駅で8分の速さで着く。ただ、地元民とすれば宿泊客向けのレストランでなく、皆が利用できるようにしてほしい。ホテル側としてはサラリーマンの街なのでその人たち目当ての宿なのだろう。

 昨日は午後は久しぶりにプールで泳ぐ。今朝は鼻水と格闘する。鼻水は困ったことだが、それでも泳ぐのは楽しい。2,3週間ほど泳がずにいるとプールのメンバーも変わった様に思える。午後のプールに張り切って出かける。開館時刻20分くらい前に着く。しばし、ロビーに座って見知らぬおっさんたちの会話を聞く。かなり遠くから来ているようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月10日木曜日

BSは尾瀬特集

 先日、高く伸びたレモンの木を低くした。枝切りばさみと鋸で切った木は2日ほどそのままにしておいた。今朝は燃えるゴミの日。昨日のうちに大きなナイロン袋に切った枝を入れる。ところがレモンには硬い棘がある。ナイロンの手袋をはめたくらいでは手に棘が突き刺さる。気づけば手指が血に染まる。こりゃ、どうにもならん!、と作業は適当に。今朝、右手を見ると傷だらけ。痛いはずだ。

 レモンの幹は鋸で切ってもらった。木の幹は小枝を花ばさみ切ろうとするが、これまた大変。今度は右手でなく左手が痛くなる。平常、いかに力仕事をしていないかがよくわかる。ましてや、暑い時期、外にも出ずに家で本を読んでいた。当然、プールもご無沙汰気味で運動をしていない。これではいけない、不満が充満してしまう。今日は何が何でも泳ぎに行こう。やっぱり体を動かしてストレスを発散する。これが自分には合っている!?

 昨夜のBSプレミアムは尾瀬の特集。3か月にわたって尾瀬を取材している。ああ、尾瀬、行ってみたい!毎年、そう思いながらも行かずじまい。年々、歳をとる。木道を長時間歩く。これにこだわる。荷物は、トイレは……、と考えていると行かれそうにない。無理は禁物だ。ここはテレビで尾瀬を満喫するしかなさそうだ。テレビを見ていると皆、尾瀬を楽しで歩いている。昨夜のナレータの声とともに流れる音楽は数十年前に流行ったアメリカのポップス。若いころ、これらは日本語訳で日本人が歌ってヒットした。当然よく知っている曲だ。尾瀬とアメリカンポップス、何故?ナレータは話す。尾瀬の所有者はその大半を東京電力が占めている。当時、尾瀬をダムにする話が持ち上がったそうだ。しかし、当時の人はダムに反対。その時、流行っていた曲がアメリカンポップス。尾瀬の映像を通して当時の若者たちに聞かせたい、とバックグランドミュージックとしたそうだ。なんと粋な計らいだろう。自分の年齢に近い人たちが当てはまりそうだ。何はともあれ、ダムにならず自然の尾瀬が残ったことは素晴らしい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

  ブログ投降後、ゴミ収集車が通り過ぎる。外に出てみるとレモンの枝が残った幹を収集してくれていた。よかった!

2019年10月9日水曜日

マンネリ気味のフルート

 今朝は「秋」を感じる。暑かった夏、外に出たくない日に読むのは司馬作品。本を読めば運動不足になる。昨日、先月の一般検診の結果が送付される。運動不足で体重が増えるどころか、暑さで食欲減退し、2キロ減っている。歳をとっての体重減少はいいとは言えない。幸い今のところ、悪いところがない。涼しくなってきたので食欲の秋、満喫となる!?

 昨日はフルート・レッスン日。新たな曲をさらう。長く習っているフルート。さすがにマンネリ気味。どうやって新鮮な気分で習い続けるか。これがこれからの課題となりそうだ。ナニゴトも深入りしない!これに尽きるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月8日火曜日

大きく伸びたレモンの木

 我が家のレモンの木が天まで届きそうに高くなる。自分の背の高さにまで止めないとシルバーにお願いしないといけない。昨日、涼しくなったので姉夫婦が墓参りにくるという。我が家に到着するまで枝切りばさみを出して低い枝から切り始める。父の大工道具を整理していて見つけた枝切りばさみ。3つもあった。ほかにも鋸などある。もしかして使用するかもしれない、そう思って保管していた。

 初めて使う枝切りばさみ。思うようには使えない。高く伸びた枝は箒のようなもので手前に引いて枝を切る。レモンの枝には硬い棘がある。枝を切り落としても切り落としてもまだ残る。姉夫婦が到着した。車から降りるのを見計らってとりあえず天高く伸びた枝を切ってもらう。それには鋸がいるらしい。何十年も使っていないさび付いた鋸を用意する。太い幹を切って木を低くする。あとは気になる箇所の枝を切って整えてもらう。これでシルバーに頼まなくてもよくなった。本当にありがたい!

 姉曰く「〇ーちゃんに頼みんさい。まだ当分、やってくれるから……」。〇ーちゃんとは姉の旦那のこと。そうはいっても家に関することは何でもかんでもこれまでも今でもやってもらっているので申し訳ない。その後、姉夫婦と車に乗ってお墓参り。隣の墓地の草を義兄は掃除し始める。「そこはよその墓地」、と告げても掃除をしている。墓参りの後はたまった塔婆を数本車に乗せてお寺へ持っていく。

 親の家に住む、とはこういった家に関することをしなくてはいけない。母が元気なころはすべて母一人がやっていた。姉は仏壇に置いている80歳過ぎの母の写真を見て、「おばあさんは元気だったよね。95,6歳まで生きて……」という。そして母の娘である私たちと一緒に旅に行った話になる。お墓参りを済ませると近くのビジネスホテルのレストランでランチをいただく。

 ランチといえば昨日、おかしいことがあった。姉が来る前に携帯電話が鳴る。友達からだ。「さみしいから電話した!」という。話の途中で「ダンスしよう!」と聞こえる。「ダンスは嫌じゃ」と言うと、さらに同じ言葉が返ってくる。どうも電話がはっきりしない。「ダンスは嫌!」とまた言うと、「ラ、ン、チ」と言っている。「ああ、ランチ!」。ランチがダンスに聞こえた。ということで後日、ランチとなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月7日月曜日

2019年日本画作品展

無花果の巨木 F6

秋の尾関山 F6

 今年の日本画作品展は終わった。こういった一連の行事に出ることに違和感を感じ始める。これも歳をとった証拠かもしれない。50号といった大きな絵でなく、6号であっても額に入れて段ボールで梱包する、これだけでも大変な作業。そう思っても習っているのは自分よりも10歳も、さらにもっと多い人が大半だ。歳のせいにしてはいけないかもしれない。

 何を習うにも元気でなくては習えない。ともあれ作品展は無事終了した。来週ある絵の打ち上げには他の行事と重なって出席できない。昨日は搬出後、4人で軽い打ち上げ。

 今月から絵を習い始めて7年目に突入する。絵は運動と同じく苦手意識が強かった。それが6年も習った、というだけでよく続いたと自己満足する。とはいっても、絵を描く楽しさはあまりない。これじゃ、駄目じゃ、と思いながらも続けている。

 今年の作品展に出した2枚の絵、記念にブログにアップしよう。上はオーストラリアで見た食べられない無花果の巨木。下は昨年の秋出かけた尾関山公園の風景。絵を見て食べられない無花果の実がつくのか、と聞かれる。こんな大きな無花果の木がシドニーの公園のあちこちに茂っている。もしも実をつけたなら、相当量になるだろう。別名を締め殺しの木、というそうだ。それにしても物騒な名前。今、ネットで調べると締め殺しの木は実をつける。だがこれは実でなく花らしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月6日日曜日

朝は「らじる★らじる」を聞く

 今朝のNHKラジオ1はバッハ特集でフルート演奏はオーレル・ニコレ。「らじる★らじる」で聞いている。演奏曲目は次のとおり。朝に聞くfluteの音色。ニコレのフルートはこれぞflute、という感じで特にいい。ニコレのフルート演奏は広島での演奏会で聞いたことがある!

♪「フルートとチェンバロのためのソナタ ロ短調 BWV1030」
♪「フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1034」
♪「フルートとチェンバロのためのソナタ BWV1032から 第2楽章、第3楽章」
♪「無伴奏フルートのためのパルティータ BWV1013から 第4楽章 ブーレ」
 
 話は変わって昨日のヒマワリの種。1つ袋から出した。くれた人は口にくわえて種の実だけを食べていた。同じようにしようとするが歯が折れそうだ。急遽、はさみで殻をやぶり実を出す。口に入れると食べられたものではない。あの中国独特の八角の匂いだろうか。すぐにもらったものすべてをごみとして捨てた。くれた人に申し訳ない。その時、思った。辺境の地に行って珍しいものを買ったりする。しかし、今のグローバル時代、日本にいてもおいしいモノや珍しいモノは食すことが可能だ。

 この頃は海外に出てもほとんどお土産を買わなくなった。以前に出かけたお土産の雑魚が今でも家にある。自分が要らないものを人にあげても喜ばれない。ましてや食べ物は特にそうだ。それでも現地通貨が残るとお土産として少しばかり買うことがある。案の定、雑魚と化す。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月5日土曜日

作品展当番日

受付でいただく

 昨日は日本画の作品展当番日。午前10時から午後2時までの当番中、ひっきりなしに来場者がある。案内状を出していない人が目の前に……。びっくりする。受付に座っているとほかの係から案内するようにとせかされる。そう言われて、ハッとする。まず目につくのは先生の絵。やはりほかの絵よりも目につくらしい。今年の作品展は大きな絵が多い。そのうち3人は県美展に入選されている。また、新たな人のうち3人は男性で絵を見て男女の区別がわかる。男性の絵は絵に力強さがある。

 絵の案内をした人は今回初めて見てくださった。2枚の樹木のうち、うまく描けてない画をほめてもらう。一昨日まで次の本画をやり直そうと決めていた。昨日の受付でも先生にその旨報告した。ところが樹木の風景を褒められるとすぐに気が変わる。今まで通り、次の作品も風景を描こう、となる。

 当番が終わるころ、見に来てくれるという人がやってきた。この人も風景を褒めてくれる。「豚もおだてりゃ……」で人の言葉にすぐに反応する。バスに傘を忘れたらしく、そのことが頭から離れない様子だ。当番後にそごう新館のカフェに行く。だが、落ち着かないようだ。先月、敦煌に行った旅の写真を見せてもらうが、なんとも気ぜわしい。広島駅までバスで移動して忘れ物をしたバスに乗るという。今朝、届いたメールによると無時、傘は戻ったとのこと。よかった!

 昨日の話では今年の5月から毎朝、6時から1時間かけて某寺までウオーキングしているという。遊びに行くには足が大事、と言うのだろう。そういえば、昨日絵を見に来た人のうち同級生がいる。この同級生は仕事で知り合った人の絵を見に来て、同級生である私の絵を見るようになった。昨日受付で会った際の言葉が「家に4回電話したが通じない」、「右ひざが痛い」といきなりのネガティブ発言。我が家にいくら電話しても電話機に登録していない番号には出ない。その旨伝える。同級生の名がその人の口から次々と出てくる。どうも11月初めに高校の同期で旅をするようだ。それに誘おうとしたのだろう。そのころは越後の旅が待っている。そう、伝えた。というか、人とつるんで、ましてや同級生と一緒に旅に行く気は毛頭ない。

 あわただしい一日は過ぎた。画像は受付にいて来場者からいただいたもの。ほかにもクッキーをいただく。ありがたい!きんちゃく袋をくださった人は見知らぬ人だが、わざわざ能美島から絵を見に来られた。かなりの御年でもお元気に外に出られている。ヒマワリの種は敦煌へ行った人のお土産。

 日本の書展の人から送られて余ったチケットを受け付けに置いていた。丁寧な文字で芳名録に書いている年配の男性に「書は?」と問うと喜んでチケットを受け取られる。

 広島駅で友達と別れて福屋で開催中の日本の書展を見に行く。今回は某会の人とフルートの人、そして春に出かけた台湾の旅で知り合った人が出品されている。デパートの8,9階が会場となっている。受付で出品者名の名前を告げて展示場所を教えてもらう。名前を探すだけでも大変なほど作品が多い。どの人の書も素晴らしい。ただ見る側の書に対する意識が乏しすぎる。

 書展で見知らぬ人の書が気に入る。ここに記そう。

 ★最も大事なことは
  人生を楽しむこと
  幸せを感じること
  それが全てです

 オードリー・ヘップバーンの言葉らしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年10月4日金曜日

『歴史と風土』

 今が何の季節かわからないほど変な気候が続く。台風が去り、これでやっと秋になる!?それにしても今朝も蒸し暑い。今日の最高気温は31度の予想で長袖は暑くて着られない。涼しくなれば夏の疲れがどっと出そうだ。昨日はおとなしく家にいて午後から1時間ほどお昼寝タイム。昼間はめったに寝ないのにやたらと眠くなる。夜は夜で見たいテレビもなく早くから眠る。これからの行楽シーズンに向けて体力温存となるか。

 以下の『歴史と風土』(司馬遼太郎 文藝春秋、1999年第4刷)は『翔ぶが如く』の合間に読んだもので、またいつものように記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★儒教的中国体制というのは成立の時から官僚の腐敗がある。誰も批判者がいないので皇帝にさえおべっかを使っておけばよい、自分は民百姓や政商からお金をもらう。とにかく中国でも朝鮮でも官吏、大官というのは大金持ちです。政治と金とは結びつくどころか同じもののわけです。それは猛烈なものです。21p

★明治維新というのは志士が偉かったのかといえば、そんな馬鹿な話はないわけで、ずうっとあった歴史の原理とか状態とか、一種の日本人的な社会の摂理とか、或いは機能とかが、作動していって明治維新が成立し、その後もうまくいくわけで、それは東アジアとは別の国ですね。……日本は始めから脱亜なんです。29p

★高松塚から出て来た、赤やブルーや黄色のカラフルなだんだら模様は、今でも、韓国で、巾着なんかの模様になっています。高句麗は早くからあれを、好んだわけです。ですから、高句麗は、非常に日本の上代文化とかかわりのある存在らしい。208p

★戒名の話をしますと、要するに日本仏教は中国経由の仏教ですから、漢字表現によってやってきたわけです。つまり向こうのお坊さんは中国人だから、当然中国の名前です。そこで日本でも坊さんになるということは中国名前になるということだったのです。……最澄とか、空海とか、それ以前なら玄昉とか、道鏡とか、要するに中国人の名前なんです。……俗人が死んだら、これは僧になったことにして、中国名前をつけた。それを戒名といったわけです。だから、中国人の名前をお坊さんがつけられて、それを戒名にして喜んでるのも、お釈迦さんと関係ないのです。その点が、どうもわれわれは日本仏教からだまされているような。……230p

★司馬遼太郎が彼らに心を引かれるのは、差別の観念で蔑視されたり、悲劇的な歴史をもつ民族にたいする憐憫の情にもよるのだが、もっとも魅せられるのは、彼らが遊牧の生活や狩猟生活、或いは焼畑農業の生活を、頑固に守りつづけているからだ。そのかたくなな暮らしに敬愛の念を禁じえないのである。……ことにモンゴルを愛する司馬遼太郎は、空と草だけのモンゴル高原で、物に執着せず、欲望少なく生きてきたモンゴルの遊牧民族に人間としての品格を感じている。(「解説」磯貝勝太郎)

2019年10月3日木曜日

展覧会etc.

 昨日夜のBSで、番組最後にナレータは「旅は見識を高め心を広くする。マークトウェインの言葉です」、みたいなことを言った。ドイツとポーランドの国境を旅する番組で最後だけ見たので番組名はわからない。この言葉に惹かれてマークトウェインの言葉をネットで検索する。いい名言を見つけた。以下がその言葉。この中で「たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものだ」の「ケチ」に合点がゆく。

★あなたの大きな夢を萎えさせるような人間には近づくな。たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものだ。真に器量の大きな人間は自分にも成功できると思わせてくれる。

 そしてもう1つ。若いころの取り越し苦労はほんまに何だったのだろう。おかげで今はもう悩まない!

★私がこれまで思い悩んだことのうち、98パーセントは取り越し苦労だった。
 
 昨日は忙しく動き回る。8時過ぎ、わが家を出る。JRに乗るとラッシュアワーで身動きできないほど乗客がいる。広島駅に着くとバスに乗り換えて作品展の会場へ急ぐ。3日前まで作品展開催当日に2点の絵を持参するつもりだった。JRの込み具合でこの時間、絵を持ち運ぶことは無理と知る。ましてやバスを降りると雨が降り出す。画材屋へ搬入していて正解だった、と胸をなでおろす。

 9時集合後から11時まで作品展のセッティングが始まる。画材屋の人たちが主にされるが、それでも皆で手伝う。2時間の立ち仕事は気疲れもあってかなり疲れる。セットされた絵を見た後は、同じフロアで開催中の水彩画展を見る。知った人の絵もある。ザーッと見終えると会場近くのカフェでモーニング。そこを出ると某信金で開催中の日本画展を見る。ここでの日本画展は文化勲章受章者などの絵が1か月間にわたって見られる。川端龍子の「涼庭喜秋」に魅せられる。絵を見た後はいつもの如くおいしいお茶をいただく。ありがたい。

 次に向かうは県立美術館。歩いて向かうが蒸し暑さは半端ではない。会場に着くとホッとする。地下ギャラリーで開催中の広島日展会展の絵を見る。書もあるがこれはあまり興味がなく、素通りする。日本画は3点しかなく、大半は油絵。山本恭平の樹木の絵がある。絵のタイトルは「朝(あした)の露」。大きな木の根っこが繊細に描かれている。

 そういえば今年の教室の作品展に樹木の絵が多くみられる。自分が今、樹木に凝っているからそう思うのだろうか。県立美術館を出ると広島駅の福屋まで歩く。ここで遅いお昼をいただく。いつもの茶屋に入ってランチを食べる。この時、思った。今、教室で風景を本画にしようとしている。これを取りやめて長州の功山寺で見た大木が気になりだす。デジカメでその写真を見る。これからお店に行って、この写真を紙に焼き直してもらおう。まだまだ思うように絵を描けない。漠然とした風景よりも大木を一本ずつ描く、この方がいいように思えた。

 手元にあった展覧会のチケット。街に出る都度、ちょろちょろと見ているとあと1件を残すのみとなった。これは明日にして……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投降後に思った。昨日見た展覧会。もしも逆回りで見ていたら、最後まで会場を見てないだろう。プロの絵を先に見ればアマの絵はどう見ても見劣りする。

2019年10月2日水曜日

『春灯雑感』

 今、『翔ぶが如く』(四)を読んでいる。この作品は10巻あり、読み終えるには先はまだ長い。その合間に読んだのが『春灯雑感』(司馬遼太郎 朝日新聞社、1998年第10刷)。いつものように気になる箇所をここに記そう。

 それにしても秋はいつ来る!?昨夜も今朝も蒸し暑さは半端でない。10月になってもエアコンをつけて夜寝る、こういうこと、これまであっただろうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★寺領をもたない寺が、葬式をはじめたのも、室町時代からだと思います。そんな室町時代でも、さすがに僧衣僧階を持った正規の僧は葬式をつとめたりはしませんでしたが、私度僧、聖ともよばれる人々が、死者をとむらっていくばくかの金を得るようになりました。……仏教として信じがたいことに、寺がその境内に墓地をもつようになったのです。寺が、死霊(仏教にはこの概念はありません)たちの管理をするようになったのです。驚天動地の変化でありました。……本体のものを失っていないのはいずれも寺が葬式をしなかった奈良朝や平安初期の創建であることが共通しています。また民間の古層と癒着しなくても、明治までは寺領などの収入で食べてゆけた寺々で、いまも観光収入や信徒(檀家ではなく)の存在によって食べてゆける寺々であります。いずれにしても僧や寺が食べるために教義を変えた、というのはよろしくありません。39-40p

★ドイツの場合、ヒトラー一人に罪をかぶせることができるが、東條はヒトラーほどの思想ももたず、魅力ももたず、また世界を相手に戦争をしかけるにしては、べつだんの戦略能力ももっていなかった。その程度の人が、憲法上の――慣習もふくめた――あらゆる機能を握って、決断ごとに日本を滅亡にむかわせた、というのが昭和史の悲惨さである。かれ自身、自分がやっていることが亡国につながるとは夢にも思っていなかったのである。みじめこの上ない。……ともかくも、東條は前述の意味での机にすぎなかった。ただかれはある時期以後、首相の机と陸軍大臣の机と参謀総長の机をかきあつめ、三つの机の複合者としての独裁権をえた。ヒトラーの場合、ワイマール憲法を事実上停止することによって、”国民革命”を遂げ、その政権を成立させたが、東條は明治憲法下の一軍事官僚という机にすぎず、その机が明治憲法下での内閣を組織し、明治憲法の手続によって対米戦線を布告し、戦争を遂行したのである。すべて天皇の名においてやった。……その種の時代的気分が、寄ってたかって憲法における”統帥権”の悪用を可能にしたといっていい。96-98p

★明治憲法にあっては、天皇は自分自身の発意による政治行動はせず、すべて
その衝にある者(この場合、木戸や東條)の輔弼(明治憲法の用語)にまかせることが、あるべき立憲的態度とされてきた。となると、当時の日本をうごかしていたのは、東條という木偶で、それをささえているのは木戸という黒衣だったことになる。こういう形態も仕組みも、明治以来かつてないものだった。戦後、明治をふくめた日本の体制について”天皇制国家”などと断定されたりもしたが、そういうことは東條時代だけのことで、他の時代にはない。116-117p

★独裁者はつねに自分の死を質草に入れて成立している。東條が国家と民族をほろぼす、とおもったひとびとにとって他の手段がなく、東條の死をつくりだすしかなかった。が、東條はたの国のどの独裁者よりも凛然としていた。118p

★このとしの三月八日、大本営でさえ成算に自信のなかったインパール作戦が東條の応諾でもって発動され、雨期と無補給と飢えのためにすべての兵士が、生きたまま幽鬼のように衰癆し、英印軍の砲弾で死ぬ以前に、大半がジャングルのなかで溶けるように死んだ。
 インパール作戦などというのは、戦争の定義から外れた作戦で、自民族に対する精神病理学的な虐待としかいいようがないものであった。126p

★東條は皇族や重臣たちの自分に対する空気を察していたが、このとしの二月には参謀総長を兼ねて統帥の絶対権をにぎり、同時に国内的には憲兵と特高警察をもって重臣たちや国内に対する締め付けもつよくした。127p

★護貞氏における高輪の高松宮邸での右のくだりを書くだけのために、ながながと紙数をついやした。
 東條と東條的現象が大きく日本をおおっている以上、東條についてふれねば”急にひざがガクガクしまして”という人間の現象に至ることができなかったためである。それにしてもなまの東條のつまらなさにはやりきれない思いがする。133p

2019年10月1日火曜日

講演会&春の院展etc.

 10月に入ったというのに蒸し暑い日が続く。この暑さはいつまで続くのだろう。着ている服は真夏の恰好で、扇風機どころかエアコンも欠かせない。昨日は蒸し暑さの中、午前中、作品展の絵2点を画材屋へ搬入する。女将の愛想がよすぎるのか、悪いのか応対の言葉に気後れしてしまう。お店を出た時の後味の悪さは「ほんまに、どうかいの~」と思わず言いそうになる。気を取り直してJ〇Bまで歩く。ここで11月下旬に出かける日帰り旅と越後の旅の差額料金をクレジット決済する。八丁堀のど真ん中のビル8階にある旅行社だが、受付は無人。通販の旅を扱っているので受け付けは必要ない!?

 クレジット決済も、しばし、手続きで待たされる。その際の部屋の蒸し暑さはこれまた「どうよ!」と言うほど暑い。小さな扇風機が机に置いてあるが客の方には向いていない。タオルハンカチで汗をぬぐっているにもかかわらず、係は涼しい顔だ。ずっと部屋にいる人は歩いてくるものほど暑くないのだろう。

 次に向かうは紙屋町そごうの春の院展。と、その前にそごう新館地下にあるカフェで一休み。以前出かけたお店だ。今でもあるのかどうか探すとあった。おしゃれなカフェで客は女性ばかり。それもざっと見渡しても6人は一人客。落ち着く。お店の人も感じがいい。お昼のセットメニューを注文。久しぶりなので適当に注文するとご飯でなく、ワッフルが主だ。それも4つも籠に入ってくる。この4つを足せば丸くなる!?と言うか丸く焼いたのを4等分しているのだろう。ほかにもナッツや鶏肉が入ったサラダ、そしてスープ、コーヒーがつく。ワッフルは全部食べられない。失敬して持ち帰る。今日のお昼に食べよう。

 しばし一息ついて同じくそごう9階で開催中の春の院展を見る。入り口でキャリーカートを預ってほしい。と係にお願いする。一度は断られた。だが強引に押し通すとあとでOKと呼びに来てくれた。ありがたい。入り口を入ると今回も習っている先生の絵を見つける。入選されたとは聞いていなかったので驚く。再興院展と春の院展と毎年のように入選されている。これはすごい!

 ここで2枚の絵に惹かれる。それは以下の2作品。作品名をクリックすると絵が出てくる。院展のHPからの引用だ。「老木に這う」は樹木の絵。自分自身、最近樹木に興味があるので余計目に入る。この人のHPを探すとあった。あとでゆっくり見ることにしよう。

石村 雅幸 老木に這う

増田 美津子 

 絵を堪能した後は平和公園内にあるフェニックスホールに歩いて向かう。もう暑さも半端でない。講演会の講師は興福寺の多川俊映元管主。今年の8月に管主から退いて寺務老院になられた。会社で例えれば会長職に当たるらしい。講演タイトルは「日常の論理、宗教の論理」。日常、物事を2つに分別してとらえているという。たとえば「自と他」、「右と左」、「生と死」、「物と心」等等。これは物事を「好都合と不都合」でとらえることで物事の見方を狭くするそうだ。私たちが日常の知恵として分別するのはごみの分別だけにして(ここで笑いが起きる)、仏教が想定する最高の智慧(無分別智)でもって分別するのでなく包括しよう、と話される。それは「怨親平等」であり、不都合も好都合も平等に見ていく。そうすれば仏教としての生活が見えるとか。「人間はどう充実して生きてゆくか」として、「生と死」を「生死」として捉える。そうすれば「死を意識して生が濃密になる」と多田富雄氏の生きざまを話される。

 いいお話を聞いた後でもそう思えないことがある。まだまだ煩悩の塊だ。「好きと嫌い」でモノ・コト・ヒトを分別している。これがよくないとはわかっていてもそうせざるを得ないこともある。

 それにしても講演会の初めと終わりの読経。これが嫌い!あのおどろおどろしい濁った声での読経を聞くとその場にいたくなくなる。もっと明るい声でお経を読めないのだろうか。九州のお坊さんたちとの旅行でも旅の朝に読経されるが、その時は嫌ではなかった。この違いはお坊さんの「好きと嫌い」にあるのだろう。もうすでに分別している!昨日は1万歩以上歩いた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!