2013年12月28日土曜日

モーツアルトk.467ピアノ協奏曲第21番第二楽章

昨日でほとんどのところは仕事納めとか。昨夜、姉から電話がある。娘が今日からニュージランドへ出かけるとの電話だった。それを聞いて改めてカレンダーを見る。今年の年末年始の休みは9日ある。長い。これくらい休みがあるとかなり遠くまで出かけられそう。いつかオセアニアへも行こう!

話は変わって、昨年の今頃はお正月が来るのがいやだった。しかし、今年はその気持も薄らぐ。歳月がそうさせるのかいいことである。

昨日は、お昼も食べずプールに行く。今年最後の泳ぎ納め。泳ぎ始めると早く泳げて最高の出来?のように思えた。喜んで泳いでいると14往復した頃から、近くの高校のクラブの練習が始まる。

なんといっても元気盛りの高校生。プールの中は、まるで大海の荒海。背泳ぎで泳いでいると溺れそうになる。

水中歩行の人と眼が合うと、太平洋を泳いでいるみたいだという。まったくその通り。だが、太平洋で泳いだことはない。

一昨日、美術館でアフリカのモロッコ側からとヨーロッパ大陸のスペイン側からジブラルタル海峡を渡る映像を見る。険しい波にもまれて渡っていく。昨日のプールはまるでそんな感じ。

17往復したあたりで水中歩行に切り替える。昨日はかなり水を飲んだ!?

泳いで帰る頃から雨になる。傘も持っておらず、フードつきのコートを傘代わりにして家に到着。姉の電話だと家の方では雨でなく雪だという。

今朝も寒い!お正月はもうすぐやってくる。昨日はお正月用のお花を購入。花を飾ると部屋の中はチョッピリお正月モードになる。

取り立てて何がいい年だったとはいえない。それでもやっぱりほんとうに楽しい一年だった!

来年も平穏無事で過ごせますようにと願いながら新しい年を迎えよう!

新年になってさらうモーツアルトのピアノ協奏曲。ピアノ音をフルートに置き換えてさあ練習!

2013年12月27日金曜日

フランシス・アリス展を見に行く

今朝は雨も止んで日が照りはじめる。冬のご馳走は暖かい部屋と暖かい陽射しが一番。明日に予定していた泳ぎ収めを今日に代えよう。 

昨日はシトシトと降り続く雨の中、友人と街中でイタリアンのランチ。行きつけのお店らしく、店長とも親しそう。中央通りに面した一等地のビル4階にある。ここはひとりでも気軽に入れそうなお店で、いつかまた出かけよう。

ランチの後、友人と歩いていると数年ぶりかで“広島太郎”を発見。元祖の太郎はなくなったはずだから、もしかして2代目。それとも太郎もどき?

いずれにしても、人の真似をするならばいいことをまねて欲しい!

友人によるとイギリス研究のある先生は一度、“太郎”を見たいと話されたとか。これもイギリス研究!?それとも比較文化研究!?

友人と別れた後、現代美術館ヘ向かう。市電で的場まで行き、比治山線に乗り換え、比治山下で下車。山に向かって歩くのだが、人は誰もいない。昼間の市内。しかし、ひとたび山(?)へ入ると誰とも出会わない。

もう10数年、いやそれ以上、ここへは来ていない。10分くらい歩いたところで美術館に到着。中に入ると、ひっそりしている。受付を済ませ、会場を見て歩く。展覧会のテーマは“フランシス・アリス展”。ベルギーの作家だが、30年くらい前からメキシコ在住。

1987年、メキシコは大震災に見舞われる。その大都市、メキシコを歩くことで、街に刻まれた歴史の層、異なる文化的背景にインスピレーションを受けて、次第に美術家として歩み始める。

この展覧会で始めて作者を知る。

作者はメキシコシティを舞台にして自らがさまざまなアクションを行い、ラテンアメリカの社会や歴史を浮かび上がらせる。数ある映像の中で気に入った作品がある。

「メキシコシティを歩く編」では「実践のパラドクス1」として“ときにはなにもおこらなこともする”がある。朝から晩まで9時間メキシコシティ街で大きな氷の塊が完全に溶けるまで押し続けて歩く。

これを映像にしている。

もうひとつ、気に入った作品がある。「ジブラルタル海峡を渡る編」で“川につく前に橋を渡るな”として、ジブラルタル海峡によって隔てられたヨーロッパとアフリカ。その2つの大陸を、海を渡る子供達の列によってつなぐアクションを行う映像である。

どの画像もアラビア語、日本語、スペイン語、英語の表示があり、それにも関心がわく。

これが現代美術のジャンル?と思いながら、メキシコへ行きたい気持ちが募る。

他にも別の「コドクノチカラ」展をみる。どこも観客はいない。ほぼ貸しきり状態の中を見て歩く。歩くたび、係りから丁重に挨拶される。それにしても、ここでの監視の仕事は楽そうでもそうではなさそう。一言も話さず、客も来ず、座っているか立ったままで客を監視する。どんな仕事も大変だ。

それにしても…。思ってしまう。これが民間の施設だったら完全に破産寸前。公の施設だから観客がいなくてもこれほどの人数を揃えて仕事をさせられると。

とはいっても、ミュージアムショップでもどこでも丁重な応対をされる。ちょっと高いけど気に入った丸いガラスコップを購入。ここでブランド名とも思える“MOCA”を尋ねるとミュージアムの略称だった。

如何にこの美術館のことを知らないかに気付く。見終わると、来た道とは違う大型スーパーに隣接する動く歩道を通って帰る。ところが、ここは町が再開発されてまったくどこにいるのかわからない。スーパーの前のバス停で待つこと30分。寒い!

やっとバスに乗ると数分で広島駅に到着。昨日はちょっとした旅行気分を味わう。

この美術館は春になると山も桜で覆われてきれいだろう。その時にまた出かけることにして、今日はこれから泳ぎに行こう!

2013年12月26日木曜日

地震発生

年に数えるほどしか、というかほとんど地震の起こらない地域で生活している。ところが、昨日は午後4時過ぎと午後7時ごろの2回、震度1の地震が発生。

 隣の家と近くの小学校の工事で大型車両が狭い道を出入りする。昨日も交通誘導員も2名出て車両を誘導していた。まさにその頃、我が家がガタガタ音を立てる。車が家にぶつかったのかと思い、外に飛び出す。

ところがそうでもなさそう。タブレットで地震情報をチェックすると、素早い対応で検索できた。これには驚く。

夕飯を食べてごそごそしているとまたも家が揺れる。というか、食器棚のガラス戸の揺れる音がする。またもタブレットで検索すると震度1。

一日のうちに2度も地震発生とはびっくり。茨城辺りではしょっちゅう震度4の表示がある。震度1でも驚く。それなのに震度4が頻繁に起きるとは…。想像するだけでも怖い!

ともあれ、ひどいことにならなければいい。

今日はお昼を友人と食べて、その後、久しぶりに現代美術館へ行こう!今日も元気で!

2013年12月25日水曜日

「人の振り見て我が振りなおせ」

今日は最高気温が久々の二ケタ台で11度の予報。朝から温かな陽射しが窓から差し込む。

 昨夜は友だちと夕飯を食べる。友だちとは同い年。昨夜、話をしていて同い年でもまるっきり正反対の生き方をしていると気付く。

いつまでも小学校や中学校時代のままであるはずはない。ところが、話せば話すほど友だちとの話に違和感がある。

短大を卒業してから母がなくなる後までの会わなかった期間は人の生き方も大きく変化している。

子育てと主婦業で過ごした人と、社会で働き続けたモノとでは当然、生き方も異なる。とはいっても、いろいろと習い事で出会う人たちはどの人ともそれほどの違和感はない。

この違いは何に起因する?

それにしても自分でやろうともせず、あるいは出来ない理由を人をけなして話すような人にはなりたくない。

外山滋比古の本に書いてあったことを思い出す。

人とのコミュニケーションでは決して話にケチをつけてはいけない!それは3条件の1つとしてある。

話にケチをつけるとか人を皮肉る人は自分自身の負け惜しみがそうさせるのだろう。

今年、知り合って楽しく話せる人たちは決してこういう人たちではない。どんな馬鹿なことを話しても笑ってもらえる人たちだ。

人を妬んだりケチをつけたりする前に自分自身で楽しみを見出せばそういう気持ちも起こらないはず。

母が亡くなった時、姪と話したことがある。あるときTV画面に釘付けになっていた姪に母は、「それほど気に入ったのならば自分でそれをするように!」と諭したらしい。姪はそれを聞いて“バア”を尊敬したという。

そういう母だったので、人を羨ましく思う前に自分自身でそのことを行うようにしている。

「人の振り見て我が振りなおせ」

気をつけよう。そして、友を選ぼう!?

2013年12月24日火曜日

「夢中で過ごした一年」

今朝メールを見るとあやしいメールが届いている。日本最大手の銀行からのメールを騙る。すぐに、その銀行のHPで確認すると最初の画面に届いたメールと同じ画面が表示される。不審メールだった。 

その銀行の通帳はあるものの20年以上も取引はない。初めて就職した会社がその系列で、信託銀行に通帳を作る。一時はそこで貯金もしていたけど今は、千円以下の残高。解約に行くのが面倒なのでそのままにしている。

どうしてメールアドレスがわかるのか不思議。しかし、自分自身知らないことでもネット上のほうが詳しいこともある時代。怖い!

ともあれ、すぐに不審メールを削除する。

話は変わって昨日も寒い中、プールへ行く。行く前は寒さもあってかなり勇気を振り絞る。しかし、泳いだ後の爽快感はこれまた格別。これがあるから寒くても泳ぎに行く気になる!?

昨日も先週のおっさんと出会う。まるでバタフライのような泳ぎ方でクロールを泳ぐ。そう話すと、足が大切らしく、ばたばたさせるという。そして、スタート地点に立って、リカバリーの練習もしている。

指導員に頭を抑えてもらってどれくらい水に浸けるのかが知りたいと話すと、あとで指導員に教えてもらおうという。ところが、その頃には1キロ泳ぎきったのでまたの機会に教えてもらおう。

他にも更衣室で知り合いに出会う。その人はプールの近くのマンションを購入し、週4回泳いでいるという。

どの人も頑張っている。わたしも今年は頑張って週1回1キロを目指して泳いだ。後、週末にもう一度泳いで今年の泳ぎ収めとしよう。

また話は変わって、一昨日の毎日新聞の記事。「新、心のサプリ」として海原純子が「早く感じられる一年」と題して書いている。その中にバッキー井上の「人生、行きがかりじょう」を引用しながら述べている。子供のころは誰も時の過ぎ行く早さを感じない。だが、大人になるとそれを感じる。

「年をとりたくないなあと思いはじめるころから、時の歩みは早くなるのかもしれない」という。12月になるたび、そう感じないようにするには「年をとるごとに今まで経験していない新しい分野のことをスタートし、自らを常にチャレンジャーの立場において過ごすことではないだろうか。新しいことをはじめるとうまくいかないことも多い。その中を進む精神が、年をとっても『夢中で過ごした一年』につながると思う。…」と。

今年はいろんなことにチャレンジした。今、思いつくままに述べると、2月には10余年ぶりにひとりでスリランカ旅行に参加。また、同じく2月に新たにスペイン語の教室に入る。5月は北欧に出掛ける。また合唱団にも入った。夏には研究会に参加して秋から美学を習う。また、秋には日本画に挑戦。他にも秋に新たな団体に入って台湾旅行。冬にはその団体に所属する。他にも冬には先日の人前でのフルートの演奏、と今年は「夢中で過ごした一年」となった。

すべては楽しい出来事だった。この勢いで来年も臨もう!これらのことはすべて人とのつながりがある。それを忘れてはいけない!あり難い!

2013年12月23日月曜日

『安部公房とわたし』

 夏に図書館に予約していた『安部公房とわたし』(山口果林 講談社、2013年)の順番がやっと廻ってきた。昨日、午後、図書館でそれを受取ると家に帰って一気に読む。自分自身のことをこれほどまでさらけ出すこともあるまい。読後感である。とはいっても毎日ブログに投稿している。これと同じといわれればそうかもしれない。しかし、その内容は異なる。著者とは同時代を生きている。そしてまるっきり違う人生を生きている。これも人生。そう思って読む。週刊誌を読む感覚でかなりミーハーになって読むのですぐに読める。

 「女優の卵としては、事務能力があって重宝がられているのだと考えるようにしていたが、私に好意以上の感情を抱いてくれていることは感じていた」、「結婚まで考えた初めてのボーイフレンドに捨てられて、いろいろな男友達と踊りに行ったりと若いエネルギーを持て余していた日々。私は軌道を外れた衛星のような暴走状態にあったのだろうか」。24p山口は安部公房と知り合った頃のことをこう記している。

 「密会」という部分では「未熟な私のどこに、安部公房は引きつけられたのだろう。初めての恋人との別れで、激しい恋愛感情の酔いは二,三年で冷めると同期の友人から教えられていたし、まだ燃え尽きていないとしても、いずれ安部公房の情熱も冷めるのだろうと、冷静に分析する自分もいた。それまで、安部公房から得られるものは、貪欲に吸収したい!自身のキャリアも高めたいというのが、当時の私の思いだった」。28p

 捨てられた恋人もそうだけど、この本に登場する人々はすべて実名で書いてある。まだ健在の人もいるだろうに…。この本にはお金にまつわる話がよくでてくる。山口は姉達の結婚を機に自立した生活を始める。

 「名実ともに自立を確立した。遅ればせながら国民年金も納めはじめる。当時はさかのぼっての支払いが、二年間しか許されなかった。…今、残念ながら満額の支給を受けられない」。60p

 国民年金は満額支給でも年に80万くらい。それに介護保険は天引きのはず。有名人で華やかな生活と思える人たち。それが国民年金とは驚き。庶民でもこの金額では生活できない。細く長く地道な生活ならばやはり会社員は楽!?とはいっても才能がある人たちは何歳になっても働いて収入を得ることが可能。そのあたりは会社員とは比べられない。

 安部公房の死も迫ってくる頃、山口は冷たい声を聞かされる。

 「『いま、都合の悪いことが起こっているので、家に帰って待っていてほしい』こんなぶっきら棒な口調を聞いたことがなかったのでショックだった。私だって会える日を楽しみに、いろいろ無理しているのに、目の前で扉をぴしゃりと閉められた感じだった」。

 「『付き合い始めたころ、死ぬときは一緒だよと言ってたじゃない』『個人年金を貰う六十歳までは、死にたくないって言った私に、君って冷たいなあって言ってたじゃない』家に帰ってやり場のない怒りを酒で紛らわせた」。201p

 安部公房の死後、ひとりになった山口はフルートを習い始める。“フルート”は習っているので関心を持って記そう。

 「五十歳になった私はフルートのレッスンにトライした。…仕事と無関係に、純粋に自分の老後の楽しみを増やしておきたいと思った」。230p

 そして、山口はパソコンに挑戦する。この本もパソコンで書いたのだろうか。それにしても年金の話は可笑しい。酒井和歌子も徹子の部屋に出たとき、年金の話をしていた。有名無名にかかわらず、どの人も年金には叶わないということ?

 安部公房の娘も安部公房の本を書いている。娘が書いた『安部公房伝』も読んで見たくなる。それには山口のことは一切書かれてないらしい。こういう本を読んでいつも思う。既婚者に愛情を抱いても、モノに例えるならばヒトのドロボーと同じだと…。いい結果に成るはずはない。

 今日は遅くなったけどこれから泳ぎに行こう!

2013年12月22日日曜日

「こころが健康」

朝早くから姉夫妻は我が家にやてくる。今年最後の墓参りらしい。 

毎日気ままに暮している。朝からの訪問客は慌しさを増す。いつもの如くお米や野菜を貰う。あり難い!

部屋の片づけの話をしていると2人からいいアイデアを貰う。そして、今すぐしてくれるという。やってもらうのは嬉しいが、今朝は本人のやる気がともなわない。

暖かくなってお願いすることにした。他にもGWに娘と出かけるフランス行きの話を聞く。これが最後の海外!?といいながらも娘と出かける旅行を楽しそうに話す。

自分に子供がいないからどれくらいの嬉しさかわからない。とはいっても、娘からの両親の古希の祝いとも思える旅行。それを誘われて嬉しくない方がおかしい。いずれにしても喜ばしい話である。

話は変わって、昨日のこと。午後から日本画を習いに行く。今年最後の教室とあって2人が欠席。昨日は前日近くのスーパーで見つけたちいさなクワイと先日友人のくれたたまねぎを持参。先生はモチーフのたまねぎ2ヶとクワイ5ヶをいい塩梅に配置してくださる。

このモチーフの置き方で絵の出来具合も影響がありそう。

画家である先生は置き方をかなり念入りに考えてくださる。

どうにかデッサンも終えて先生に見ていただく。少し手を加えると自分で描いた絵とは思えなくなる。ここでまた自己満足の世界に浸る。そして、色をつけていく。先生はブルーと緑を混ぜてクワイの色を出すようにと話される。いわれた通り、色を手直しするといいクワイになっていく。これは面白い!

次回の日本画は新春になる。先生は次回からケント紙に36色の色鉛筆を使って薔薇1輪を描くようにいわれる。色鉛筆の絵画も展覧会に出せるらしい。

これを聞いてますます嬉しくなる。初めて先生について日本画を習う。「始めのころと比べて上手くなったね」と先生。「豚もおだてりゃ木に上ります!」と返答して皆の笑いものになる。

気をよくしてスペイン語の忘年会に移動する。ところが開始時間を覚えておらず、友人とともに行動する。1時間早く着きすぎた。仕方なく、近くでティータイム。

皆が揃ったところでペルー料理のお店に行く。お店は我が家に近い。

参加人員はスペイン語を習っている人が7名、先生の知り合いのペルー人親子とペルーからの留学生、そして留学生の大学の友だちのスロベニアの女性。ほかにもどういう関係の人か聞いていないけど2,3名がいた。

スペイン語を習っている人の中に、コロンビア滞在歴20年がおられた。その人は最近、ミャンマーにも行かれている。宴も終わりに近づく頃、その人は袋から宝石を出して4ヶづつ皆に下さる。ミャンマーのお土産だろう。それにしても人から宝石をいただくのは初めて。わいわい言いながら皆、受取った。あり難い!

スロベニア、ペルー、ミャンマー、日本といろんな人たちで平常、聞かれない話が飛び交う。

スロベニアはこの夏、クロアチアとともに行く予定にしたこともあった。そのためか余計、興味がわく。

ところが、スペイン語が思うように話せない。

友人は大学で英文を学び、また、スペイン語も話せるので両方の言語で楽しそうに会話する。

話をしたい気持ちは募っても、外国語といえば中国語が先に頭を掠める。もっとスペイン語を勉強しようと昨日は思った。

そう告げると、ミャンマーに出かける人から「こころが健康!」と言われる。それを聞いていたペルー人の先生も自分自身もそうだと娘から言われると嬉しそうに話される。それにしても「こころが健康」の表現は初めてだ。

さらに泳ぐ話をすると先生も週5日はジムに通い、2日はダンスに興じるという。

友人はそれを聞いてダンスに行こうと言う。ダンスはまったくダメ。他に習い事をするならばダンス。ところがこれがまた問題。いつの日か、もしかしてついにダンスに挑戦!?そういう日が来るだろうか、どうだろう?

以前、先生はルーマニアの人と知り合いだった。その人もスペイン語が話せた。昨夜のスロベニアの人もスペイン語が話せる。何故、西欧人がスペイン語を…と思った。スペイン語は元々は俗ラテン語。それがロマンス諸語になり、フランス語やルーマニア語などに拡がっていく。

東洋の漢字文化圏の国々で漢字が使われたと同じく、ラテン系の原語が広まってスペイン語も話されるのだろう。

日常から離れて異文化の人とともに話しながら食事をするのは楽しい。これもスペイン語を習う楽しみだろう。それにしてももっと「こころが健康」になるよう、スペイン語を勉強しよう!そして、からだの健康は明日のプールで!

2013年12月21日土曜日

足立美術館から鳥取花回廊へ行く

日も射して暖かそうな朝を迎える。朝食を食べながら洗濯機を回す。食べ終えて洗濯物を干しに2階のベランダに上がると先客がいる。真っ黒い大きな黒い猫。 犬派と猫派があるとすれば間違いなく犬派。猫は嫌い! 

この猫はとなりの従弟の家の猫。同い年の従弟は家族揃って猫が大好き。先日も近所から捨て猫に餌をやらないようにと苦言があったという。

ともあれ猫は好きではない。それなのに我が物顔で日の当たるベランダに陣取り、道行く人を眺めている。

今朝の日の射すお天気とは違って昨日は雪景色を堪能する。そして、中国5県ならぬ4県をバスでまわる。バス旅とはいえ、何も県めぐりをすることもない。ところが大雪のため中国自動車道は足止めされ、帰りは鳥取から蒜山、美作、津山、倉敷を通って広島県の福山を経由して広島市内へ帰る。

何時間バスに乗っていたのだろう、と思うほどバスの中にいた。

広島を出て高速に入り、少しするとまったくバスは動かない。途中1車線になり、冬用タイヤの確認とか。1時間以上遅れて足立美術館到着。途中の予定は返上してどうにか美術館へ。

バスから眺める景色は雪景色。山々も初めての光景を目にする。

美術館の創設者のことも何も知らず絵を眺めて歩く。一般的な所謂美術館と思っていた。ところが、その構造は違う。ダウンをバスにおいていた。折角の素晴らしい日本庭園も寒さと時間のなさでゆっくりみられない。ここは再度訪れるようにとの知らせ?

また機会を見て出かけよう。

美術館の見学前に昼食をいただく。お昼も予定時間より遅れていた。その時刻は午後1時半。それなのにそこの女主人が食べている最中に、商品説明を大きな声でし始める。

自宅を出て最寄駅からJRに乗った時点で広島駅の西方面で遮断機のトラブル。列車はまったく動かず大幅に遅れて集合場所に到着した。

昨日の朝のアクシデント、雪でバスは動かないことで大幅に遅れて島根に到着。ゆっくりするひまもなくやっと暖かいものを口に入れようとした矢先の女主人の商売話。

これじゃ、誰もその商品を買う気にならないだろう。

バスの遅れは美術館の鑑賞時間の短縮となる。一番削って欲しくなかった!やっぱりまた行きなさいとのことだろう。

他の予定もキャンセルして“鳥取花回廊”へ。ここは思ったよりもよかった。イルミネーションの点滅式にも間に合った。

人によってはそのよさをハウステンボスと比べたりする。どうであれ、規模の大小は関係ない。

海外旅行でも一カ国を行くか、いろんな国を一度に廻るかでそのよさは違う。バス旅もそう思う。あっちこっちをめぐるよりも美術館だけを見学する方がいい。

やっぱり、バス旅は好きになれない。

遊びに行って不満を持って帰ってはいけない。それがわかっているはずなのに、昨日のバス旅はいまいち!?

今日は気分を変えて楽しい日にしよう!

2013年12月19日木曜日

年賀状を書く

雨も止んで朝から日が差し込む。今日は午後からプールに行くつもりだった。だが、明日、遠出をするので後日に引き延ばそう。 

今年もいよいよという感じで、忙しくないのになぜか気ぜわしい。これも師走のせい?

昨日は雨も降っていたので徒歩で外に出る。遠くの人宛に書いた年賀状を出した後、図書館とスーパーへ行く。図書館は相変わらず爺、婆ばかり。まるでサロンのように話しをする人もいる。

予約確保の本と月刊誌の『一枚の絵』の2冊を借りる。まさかこの期に及んで絵画の本を借りるようになるとは我ながら驚き。

明日は足立美術館へ出かける。ここは日本庭園が素晴らしいらしく、日本画も展示されている。

昨日は他に気になっていた台所を掃除する。場所をとっている電子レンジ、トースターなどの台の買い換えを決意。そして、狭い家をもっとスリムにして生活しよう。すべては暖かくなってからのことだけど・・・。

それも終えると、再度、年賀状を書く。年賀状を書いていて思いつく。ダラダラと年賀状だけのつきあいの人もいる。これって、どうなんだろう。ふと考える。

今年はパソコンの不具合であて先は手書き。けっこう手間取る。とはいっても、手で書いていると相手のことを思いやる。いいことかもしれない。

年賀状といえば、昨日、図書館で墨を使った年賀状のアイデア集を見る。例えば「春」。葉書の端っこに字が出るくらいの大きさで一文字を書き、その横に小さく「おめでとう」などの言葉を添える。そして、朱肉で押印。

印は中国に行った際、いろんな文字の印を作った。収めたままで使用することもない。再来年の年賀状は自分で描いた絵や文字で印を押して出す!?これもいいかも知れない。

それにしても先のことを言っていると鬼が笑う?

今日はこれから自転車で外へ飛び出そう。今日も元気で!

2013年12月18日水曜日

音楽etc.

朝からシトシトと雨が降り続く。今日は雨の一日となりそう。

雨の日は自転車にも乗れず、家で大人しくせよとの神のお告げ!?ともかく今日は遠くに住む人宛の年賀状を書き、気になっているところを掃除しよう。 

昨日は例年どおり、広響から“広響ファン感謝デーコンサート”開催の案内が郵送される。中を見ると、団員からのクリスマスカードも添えられている。今年の団員はティンパニー奏者からだった。

新春に開催される。すぐにFAXで申し込む。

音楽といえば先日の古澤巌の演奏曲目を書き忘れている。ここにメモしよう。

♪ナイジェル・ヘス ラベンダーの咲くころ
♪モンティ チャールダーシュ
♪マスネ タイスの瞑想曲
♪サン・サーンス ヴァイオリン協奏曲第3番第3楽章

どれも馴染みの曲。しかし、何度聞いても素晴らしい!

昨日は、ブログを投稿後、お墓参りに行く。姉夫妻は先延ばしにしてお墓参りをするという。とりあえず、ひとりでお墓参り。

午後からはフルートのレッスンに出かける。先生にクリスマス会でのフルートを吹いた話をする。音合わせの“ラ”の音で、曲の出来、不出来の予想がつく、と話す。それは大事なコトらしい。

クリスマス会では“ラ”の音を出すといい音に聞こえた。これはいけるとその時点で気づく。そのことを先生に話す。これがいつでも同じように出せれば曲も楽に吹けそう。とはいっても、レッスンしている曲と初見で吹ける曲との難易度は異なる。

今年も残すところ10日余りとなった。ほとんどの習い事もあと2つを残すのみ。

今年もどうにか無事終えられそう。来週から暇になると友人に話すと家に遊びに来るようにと言ってくれる。あり難い!

今年は友人のおかげで新たな世界に一歩を踏み出す。来年もこの勢いで毎日を元気に楽しく過ごしたい。

今日も楽しく!

2013年12月17日火曜日

「案ずるより産むが易し」

今朝は異常な低空飛行の飛行機が爆音を撒き散らす。アメリカ軍の飛行機だろうか。前々から問題のある低空飛行。いつまで続くのやら・・・。

 今朝も寒い!飛行機の爆音や寒さにも負けず、今朝も元気!

元気の素は何といっても昨日のクリスマス会でのフルートの演奏が無事済んだことにある。人前でフルートを吹くのは毎年の発表会くらい。かなり心配していたけど「案ずるより産むが易し」。

前回、ピアノの先生に2曲楽譜を渡す。“アメイジング・グレイス”とバッハ・グノーの“アヴェ・マリア”。

ヘルマン・ハープを弾く人が遅れてやってくる。休憩後のフルート演奏とはならず、早めに吹くような気がして廊下で音だしをする。出だしの“ラ”の音がなかなかいい。

部屋に入ってへルマン・ハープの人より前に「吹く」旨、ピアノの先生と唱の指導者に話すとOK。簡単にピアノ伴奏の人と打ち合わせして“アメイジング・グレイス”を吹き始める。我ながら上手く吹けた。気をよくして次も吹く。

昨日初めて人前で吹く楽しさを経験する。かなり気をよくしていると合唱の“きよしこの夜”にハモッて吹くよう指導の先生から言われる。快く引き受けたものの、初めてのことで外に出て練習。♪きよし~♪の歌詞の後について楽譜の高音部を吹く。

こうなると吹くこともなれてくる。次々と先生はフルートを入れて歌おうと話される。結局、ピアノとフルートを入れて歌を歌う。楽しかった!

最後はゲストのフォークダンスの先生の指導の下、皆で輪になってフォークダンスを習って踊る。フォークダンスは高校の頃、一番よく踊った。昨日のそれは今風のフォークダンスだろう。楽しい!

お昼は合唱の人たち10名くらいで和食のレストランでミニミニ忘年会?

合唱の人の中に古澤巌のファンがいた。古澤のブログを教えてあげる。ミニミニファンクラブは合唱でも出来そう。

さて、その古澤巌。先日の広島でのことをブログに書いている。この中で「中ちゃん、亡きあと、・・・」とある。ええ、まさか、あの古澤巌が汚いお店の「中ちゃん」に行っていたとは・・・。

会社にいた頃、会社の人や取引先の人たち数人でこのお店に行ったことがある。上司は当時、全盛時代のフォーク歌手などの有名人がおとづれる場所だと教えてくれた。それでも、「こんなところで食べる?」とかなり違和感があった。

そのお店に古澤巌も通っていたとは・・・。そうはいっても、そのお店は新鮮な材料を使い、味は抜群に美味。

その頃、街中には「広島太郎」も話題の人だった。2人の有名人(?)がいなくなった広島は廃れていった!?

ブログには他に「・・・第九の公演があります。その前座?で出演します。・・・」とある。前座とは・・・。古澤巌がメインで聞きに行ったんじゃ。ほんまに。

ともあれ、毎日、過ぎ去った日々を思い出す。

今日は午後からフルートのレッスン。先生の特訓のおかげで昨日の演奏も無事終了。あり難い!

ナニゴトも20年やれば何とか形になる、と聞いたことがある。昨日は、それを実感。今日も元気を出してレッスンに行こう!

2013年12月15日日曜日

夢か現か

 “第九ひろしま2013”を聞いて先ほど家に帰る。  今日のゲストは古澤巌。この人の演奏を聴くために出かけた演奏会。自由席のため友人と早めに並んで開場を待つ。幸い、今日は風もなく穏やかな日和だ。待っていると「〇〇さん」と呼ぶ知人の声がする。今日は古澤巌が第一で第九は第二、と可愛気ないことを言ってしまった。知人は演奏前に食事に行くとのことだった。

 その後も並んで待っていると「携帯を・・・」とマイクを持って演奏中の注意をする。携帯電話を出してみると着信がある。外で並んでいるのですぐに電話をかけなおした。電話の主とは先日、携帯番号を交換したばかりで、美学を一緒に学んでいる人。何と、何と、そこからがまるで夢物語。

 電話の相手は2泊3日で大阪でクラス会に参加している。そこに私の小学生時代の同級生がいるとのこと。電話を代わってくれて、同級生と話をする。話は半世紀前に遡る。電話で話すと担任の先生の話や同級生の話がでてくる。その人は何といっても小学校時代、一番頭がよかった。地元の中学に行かず、大学の付属中学へ。そこから高校、東京大学へとストレートで入学している。

 つい最近、友人とその人の話をしたばかり。まさか、その本人と電話で話すようになるとは・・・。もう夢か現かわからなくなりそうな日になった。「会いましょう!」との言葉を交わして、かけてくれた人に代わって話を続ける。冗談で「彼が一番で私が二番だった」と言ってしまった。

 今年も後、半月を残すのみとなった。それなのに、ここにきて半世紀以上も前の話をするとは・・・。その人が東大に入った話は風の便りで聞いていた。ネットで検索すると、企業勤務の後、大学教師になっている。自分自身が知らないうちに大阪で話題を提供していたとは・・・。これも何か不思議なこと。〇〇さん、電話ありがとうございました!楽しいクラス会だったでしょうね。

 第一部の演奏は始まった。念願の古澤巌の演奏が始まる。一番前の席に陣取り、演奏に集中する。やっぱり最高に上手い。第二部の“第九”は古澤巌の演奏に集中しすぎて欠伸の連続。演奏後、友人と近くのイタリアンで夕飯を食べる。明日は、合唱のクリスマス会。今日はそれにしても夢のような日。明日のフルート演奏は大丈夫、と自問自答。

 先ほど友人から電話がかかる。友人は今日の出来事を知っている。半世紀前の自分を思い出す。「よくぞ電話をかけてくださいました。また、名前も覚えていてくださいました」と思うと同時にやっぱり不思議な気持ちになる。友人によると、これも「知識が人生を変える」ことだとか。そう励ましてくれる。あり難い!

 明日からも頑張ろう!

ハード・スケジュール

昨日まで業者から絵のない日付入りの大きなカレンダーは来ないと思っていた。ところが、郵便受けを見ると中にある。百円ショップのカレンダーはゴミになりそう。 

カレンダーといえば、ほかにも昨日、デパートのお歳暮コーナーで絵の入った大きなカレンダーをもらう。

昨日は他にもお昼を料亭でいただく。集合場所でメンバーを待っていると半そでのワイシャツ姿の人を見かける。以前から年中半袖で通す人だ。すぐに気がついて声をかける。その人は今、博士課程後期を終えて大学の研究生。同じゼミ生であった時期もあり、挨拶を交わす。

皆が揃ったところでタクシーで会場に向かう。友人が行き先を告げるとなんと「老人ホームですね」と運転手さん。「いや、食べるところです」と友人は再度告げる。

メンバーの中のひとりは92歳になる母親と同行。運転手さんはその母親を子供達が老人ホームに入れようとしたと勘違いしたのだろう。タクシー内は笑いの渦となる。

それにしても可笑しい話。後から1人、会場に到着すると、再度その話で盛り上がる。老人ホームに親を入れのは立派なところほど姥捨て山にすてるようなもの。皆の意見は一致する。

料理の美味しさを1番とするならば2番目はこのタクシーの中での話題。

メンバーの中の一人はフラメンコを踊っている。そのためか、かなり気性はラテン系。スペイン語の先生と同格かそれ以上のラテン系の笑いをする。この笑いでまた皆が笑う。まあ、笑いの連鎖はいいことだけど・・・。

ホテルや宿の会席料理とはまた違ってお昼から料亭でいただくとは何と幸せなことだろう。

その頃、結婚式も行われ、庭園に出る新郎新婦を目にする。緋毛氈の敷かれたお庭で記念撮影をするのだろう。かなりの時間を要している。

違った人と知り合えば、昨日のように平常いけない場所へも連れて行ってもらえる。あり難い!

料亭で分かれて、2台のタクシーに分乗して各自目的地に向かう。友人のタクシーに乗り、途中、降ろしてもらって日本画教室へ向かう。

残り時間は1時間もない。すぐに絵を描く用意をする。料亭で出た、さざんかの小枝と我が家の葉っぱつきのレモンを先生に見てもらう。レモンを描くようにとのことで配置してもらって描いていく。

やはり置き方は大事。先生は横にするのではなく縦にされる。すわりが悪いので後に立てかけるものを置いた。

短時間に描く。色着けは時間がなくて出来なかった。

その後、移動してデパートへ向かう。今年はなんといってもお世話になった人は友人。その人宛のお歳暮を手配する。その後、デパート内のカフェに入り、ティータイム。ゆっくりしていたら、10年ぶりで声をかけられる。スペイン語に行く時間までその人としばし話をする。

忙しくしている人なのか、大きな荷物を持っている。自身のことは何も話さず、ただ人のことを聞きだそうとする。聞かれれば何も隠すこともなく話をする。

時間になり、スペイン語教室へ向かう。来週のスペイン語はペルー人の経営するペルー料理店に皆で行く。これも楽しみ。

いろいろなところへ顔を出すと楽しいことが多い。

昨日は最後に友人と夕飯を食べる。そして、ハードな一日が終わる。

今日も元気で楽しく!

一つ書き忘れている。遅れて入った日本画教室。いつもの机に何と2,3キロの梅干と皆さんからのお菓子の山。それにしてもなんと親切な人たちだろう。梅干は一生、ありそう。感謝、感謝!

2013年12月14日土曜日

スケジュール表はカレンダー

気温が10度以下になるとエアコンの暖房を入れると話した人がいた。その人は青森県の出身で現在は広島在住。 

今日の広島地方も最高気温は10度を割りそう。暖房を入れるようになってから、朝食を食べるごろから東南の部屋にいるようにしている。パソコンもその部屋に持って行き、暗くなるまでその部屋にいる。

この部屋にいると、エアコンではなくて、電気ストーブで十分暖かい。今年の冬は前年に比べて電気代がかなり安くなるのでは、と思ったりする。

昨日は、西条から帰ると、荷物を置いてすぐに自転車でスーパーに出かける。その後、百円ショップに行く。毎年、日付だけのカレンダーを業者が持ってきてくれる。これは、スケジュールを書き込むのにとても便利。ところが、今のところ、そのカレンダーが届きそうにない。

百円ショップに行くと小さいものしかない。別のショップに行くと目的のカレンダーがあった。生まれて初めてカレンダーを購入する。

カレンダーは購入するものとのイメージがない。いわれてみれば本屋にも売っている。

それにしても、大きなカレンダーが百円とは・・・。

スケジュール管理は携帯電話でも可能。しかし、携帯は電話で話しながら予定を組めない。やっぱりここはアナログの大きなカレンダーがいい!

スケジュールといえば今日はハードスケジュール。お昼前に家を出て郊外の料亭で昼食会。初めて行く場所なので、出かける前から楽しみ。それを終えると、遅れて日本画教室へ移動。それも終えるとスペイン語講座へ行く。多分夕飯も外食になりそう。

来週一杯がスケジュールのピーク。数日前まで少し疲れていた。やっと本来の調子を取り戻す。

今日も楽しい日にしよう!

2013年12月13日金曜日

タブラ・ラサ

今朝は近代美術の講座を受けに西条へ行く。今季初めて手が冷たいと感じる。気温の低さとともに、風の強さもあってそう感じるのかもしれない。

 今日は「抽象と表現」とレジュメにある。前回に続いて今回もシャガール。いつもの如く習ったことをブログで端的に表現できそうにない。

現在、展覧中の作品カタログを先生から借りる。それを見れば少しは今日習ったことを思い出す?無理かも。ただ、タブラ・ラサのキーワードを初めて知る。

タブラ・ラサとは「白紙」の意で人間は生まれた時は白紙であるという。それに感覚が打ち込まれて観念が生まれる。シャガールの絵には頭がひっくり返っている絵がある。記憶や思い出が重力から解放された世界がそうらしい。このような絵を描いたシャガールは印象派から抽象へと表現する。

講座を終えると同い年3人で食事に行く。和風レストランで市内とは比べられないほどゆったりしたお店だった。そこで何月生まれかを聞かれる。こう聞かれる度、一言余計なことを付けくわえる。

知ってる人は知っていること。ブログに書くのは初めてかもしれない。

いつも書いていることだが、小さい頃、体が弱かった。とはいっても自分自身、その当時の記憶はない。

弱かったのは生まれてから幼稚園くらいまでのこと。両親は2月生まれの体の弱い娘を4月生まれの人と同じ学年に、と考えた。しかし、小学校入学で法律上それは不可能。両親は入学を遅らせる証明を書いてくれる病院を探しまわったと聞いている。

そういうことは梅雨知らず、小学校に入学。一日も休まず元気に通った。この事実を知ったのは中学生になったとき。

別にそれを知ってどうこう驚くこともなかった。だが、人よりも1年遅れているとの自覚はあった。

運動が出来なかったのは両親の考えにあった。運動をしないように学校に話をしていたようだった。それも中学生になってからは運動に参加した。だが、鈍かった。

今でも体が強いとは思っていない。そのためか、意識しなくてもよく眠る。その癖は今も変わらない。

その鈍かったモノが、昨日も泳ぎに行き、1キロ泳ぐ。泳げる嬉しさは半端ではない。

昨日は午後から泳ぎに出かけたため人出が多い。仕方なく、浅いプールで泳ぐ。一人で泳いでいると知らないおっさんがもっと頭を低く、と偉そうに言い出す。どういう風に?と聞くとおっさんが見本を示す。だが、頭は低くなっていない。そう告げると、そばにいた指導員に泳ぎを見てもらえと、また偉そうに言う。

若い指導員の前で数メートル、クロールで泳ぐとやはり、頭が高い、力を抜いて、息も楽にして、と教わる。息については25メートル泳がなかったから息継ぎが出来ないと思われたようだ。

後で、見本として指導員にどれくらい頭を水に浸ければいいのか上から抑えてもらえばよかった、と思った。教えてもらっていると顔見知りの人と出会う。その人は泳ぎが上手い。

浅いプールの中で井戸端会議が始まる。泳がないと体が冷えてくる。話はやめて深いところで最後に一往復泳いで昨日は終わる。

長々とブログに投稿していたらあっという間に夕方になる。小さい頃はどうであれ、今はともあれ元気。そう思えば何も隠すこともない。

今日ももうちょっと残っている。明日からまたハードな日々が続く。健康には気をつけよう!

2013年12月12日木曜日

今年実った5ヶのレモン

今年実った5ヶの立派な我が家のレモン
プリンタの機嫌がよくない。そこで年賀状は業者に依頼した。先日、その表書き用に筆ふうのサインペンを購入する。

 先日、台湾旅行の団長に旅の記録をまとめたUSBメモリを渡した。先ほど、読んでくださったとの葉書をいただく。受取った葉書は、まるで絵のように美しい!

それにしても丁重に書いていただく。あり難いと同時に、本当に嬉しかった!すぐに、お礼の返事を購入したサインペンで書いて出す。

立派な人ほど稲穂のように頭が低いと実感する。

昨日は日本画の忘年会。リーガロイヤルホテルに20数名集合して楽しい忘年会。日本画はまだ習い始めて3ヶ月目と日も浅い。先生の門下生が集まっての忘年会で大半の人とは初対面。

昨日はその中の一人が15年習われているとか。先生から絵のプレゼントがある。5,10,15年と節目の年に先生から絵をプレゼントされるらしい。15年後を想像すると、その時の自分はどうなっているのかが怖い。

どの人も永く習っておられる。

お昼の忘年会が終了すると、隣の美術館や映画に誘われる。それも断ってひとり、街をふらつく。本通りをぬけて三越の画廊に立ち寄る。しばらく三越をふらつき急遽、2回目となる県立美術館のシャガール展に行く。

前回、気付かなくて残念だった絵を探して歩く。ふと絵を見ていると人と眼が会う。以前スペインへ同行した相部屋の人だった。その人と探している絵の話をしていると係りの人が教えてくれる。もう、吃驚!

何かを探していると思われたという。眼のあった人とその友だちの3人で係りから教えてもらって絵の説明を受ける。このために今回絵を見に来たと告げると、係りは驚く。

友だちとそこで別れ、隣の縮景園を見学し、歩いて広島駅に向かう。駅前のデパートのカフェに入り一休み。デパートでいらぬ買い物をして家に帰り、携帯の万歩計を見ると11586歩。よく歩いた。

今朝は、落ち葉を掃除した後、レモンを収穫(?)する。大きな我が家の5ケのレモン。かなり自慢!?

お昼を食べて午後からプールへ行こう!ちょうどいい時間帯は1コースを団体が占有。その時間をずらして出かけよう。今日も元気を出して!

2013年12月11日水曜日

濡れ落ち葉

我が家の狭い庭に1本の伊呂波もみじがある。木枯しの季節になると、となりの他家の駐車場、狭い道路、我が家の庭にもみじの落ち葉を撒き知らす。

今朝は朝食も食べずにとなりの駐車場の落ち葉を掃き清める。ところが降り続く雨で落ち葉も濡れ落ち葉。簡単には掃き清められない。

家に入ると女子会NO.4 さんから電話がかかっていた。かけなおして元気な声を聞く。新春には女子会で本格的なフレンチを・・・と話も弾む。これも楽しみ。 ここまで生きてくると楽しいことばかり考える。 

話は変わって、昨日のフルートのレッスン。習いたい人が見学する中でレッスンを受ける。だが、できのいい生徒ではない。見学の人から「習って何年ですか」と聞かれてしまった。

 来週のクリスマス会でフルートを吹く予定。先生はそれを気にかけてくださる。無事に吹けますように、と願いながら練習するしかない!?

 今日はこれから日本画の忘年会。今日も元気を出して!

2013年12月10日火曜日

「妍」

先日、日本画を習い終えて先生と一緒に5人展を見に行く。そこで目にした画題「競妍」。この「妍」の文字を画題につかって、台湾へ同行した日本在住の台湾の人が描いている。

 この「妍」は韓国のスケートの女王キム・ヨナの名前についてる字では?と会場で作者に聞く。ところが返答なし。

今朝、地元紙を見ると「金妍児」の文字がある。安藤とスケートの美を競っている。

早速、中国語の電子辞書で調べると「妍」は「美しい」の意。キム・ヨナは日本で言えば「金美子」さんになるのかもしれない。

「競妍」はキャンパスに2種の花を描いてあり、2つの花が美しさを競う有様を画題としたのだろう。

絵といえば昨夜、友人と電話で話す。先日、描いた「赤い大根」を年賀状に・・・といってくれる。もっと上手く描けるようになったら、年賀状にすると話す。

昨日は雨も降り、特別の用もない。小雨の頃を見計らって自転車で一度外に飛び出す。その後は家で大人しくする。

郵便受けを見るとスリランカで一緒だった方丈様からお寺の機関紙と講演の冊子が届いている。今年の行事を読むと、スリランカは研修旅行?となっている。

今年は送ってもらった方丈様をはじめ、スペイン語で知り合った友人、そして友人を介していろんな人と知り合う。昨夜の友人の話ではないけれど年を重ねるごとに年賀状の数が減るという人もいる。

それに反して友人のおかげもあっていろいろな人と知り合えて、増えることはあっても減ることはなさそう。ありがたい!

先日の新聞広告で『婦人公論』最新号の見出しに年老いても手放してはいけないものとして“持ち家”“友”“1千万円”の三点をあげている。

何の取り柄もないけど、せめて“友”は大事にしたいもの。

今日は午後からフルートのレッスン。今日も楽しい日にしよう!

2013年12月9日月曜日

体の部位を感じるということ

医師であり、小説家でもある渡辺淳一は体のどの部位でもその存在を感じる時は普通ではない、とある本で述べている。

 この3,4日、その意味を理解する。例えば、指。平常なんでもないときはこれが親指、人差し指・・・と気にすることはない。ところが、料理をしていて指を切ったり、あるいは木のとげが刺さったりすると途端に指の異常に気付く。

今回、体の部位に気付いたところは眼。元来、眼はよくない。「一眼ニ足」といわれるように眼と足はどこよりも先に衰える場所。「休息せよ」と天の声かもしれない。

それも大分よくなって昨夜は台湾旅行の収支報告会をかねた写真交換会に参加する。台湾から帰って40日経過。友人と会場近くに落ち合ってカフェに入る。そこで新品種のサツマイモを蒸かして冷凍にしたものをいただく。

友人から今回の旅行も誘ってもらったりしていつもお世話に成っている。

時間になったので会場に移動する。久しぶりにお目にかかる人たち。どの人もお元気そう。数人から旅の写真を沢山いただく。個人の写真は一枚も写っていない。あり難い!

すでにアルバムに整理して持参している人もいる。その中で1点、抜けているものを発見。それは台湾でお土産を買った際に受取ったレシート3枚。いずれのレシートの上部にも「中華民国102年・・・」と印字がある。

旅行から帰って旅の記録を書いていて気付く。世界的に西暦を採用していると思っていた。ところが台湾は何と日本の統治となった1911年の辛亥革命を「中華民国元年」とする。今年は確かに「中華民国102年」。

ブログを投稿後、アルバムに貼りたいと話していた生まれ年が同じ人に郵送してあげよう。

昨夜も飲んで食べてしゃべって楽しいひと時を過ごす。終了後、今回の旅の団長に旅の記録を書いたUSBメモリを渡す。新聞社の論説委員をされていた方で凡人の文章をご覧になって笑われるだろう。

この後、数人でカフェに入る。団長は現在、某美術館の館長をされている。先日の団長が講演された講演会に出席した。誰も聞きに来てはいないと思われたらしい。それが一人聞きに行った。それも話される。

最近、団長はさらに偉い人となられ、貰った名刺をみると某財団の副理事長とある。そして、幹事さんから「会の所属になったね」といっていただく。あり難い!

新春の2月か3月に総会があるらしい。送ってもらった以前の総会便りをみるとどの人も背広姿。そう話すと団長は「ドレスを着て来んのんよ」。悲しいかな着て行きたくてもドレスがない。

来年はベトナム旅行とか。今から楽しみ。それには体の部位を感じる場所をなくさないといけない。

今日も楽しく!

2013年12月8日日曜日

椿&赤い大根を描く

珍しい赤い大根
今日もいいお天気。昨日もそうだった。ところがお天気とは違って、昨日は疲労困憊気味。今朝はぐっすり眠って遅い起床で疲れも吹っ飛ぶ。 

昨日は午後から日本画に出かける。教室に着くと、枝つきの椿を2輪、先生からいただく。いただいた椿は、同じ教室の生徒さんからのもの。毎回のようにその日のモチーフをその人や友人から貰っている。

椿を2輪、先生から配置してもらって絵を描き始める。昨日は元々は、友人が持参してくれた根がついたたまねぎを予定していた。それが急遽、友人の電話で珍しい赤い大根(蕪でなく大根)の葉っぱつきも用意してもらう。

先生は友人の到着するのを前にして椿を描くよう話される。それを終えると、花だけに色をつけて、次に大根を描くようにいわれる。

元来、性格はいたって真面目(?)。かなり根性を入れて大根を描く。毎回、描くとき、一箇所描き始めのしるしの丸とかつけてくださる。ところが昨日は2枚の絵ともスケッチブック にいきなり描いていく。

とりあえず、どこから描けばいいのかを聞く。その後はモチーフをじっと見つめながら絵を描く。

大体、ナニゴトを習ってもせいぜい1時間半。それなのに3時間、絵に集中する。

椿は花の芯のデッサンを少し手直ししてもらい、大根は、色付けを少し手直ししていただく。

ここに描いた絵を発表(?)出来ないのが残念!?我ながらその出来に大満足。友人は額に入れるともっと生きてくるといってくれる。

それにしてもこの教室の生徒さんは毎回いろんなものを持って来られる。椿をくれた人はこれまで7回絵を描いて、石榴、枝つきの柿もモチーフにした。モチーフにしなくても、丸柿、みかん、いちじくなど毎回家で実ったものを教室で皆でいただく。

どんな家の持ち主かとその人の話を聞いていると先生からもっと凄い話を聞く。それは梅の果実の話。以前、その人に誘われて教室の人たちは梅をとりに出かける。何と家の前は梅林。

毎年、教室の人たちにその人は何十キロと梅をつけて各自1年分くらいずつ、梅干にしてくれるという。これを聞いてもう吃驚。「この教室に入ってよかった!」「じゃ、お米は?」と言うと皆の笑いを誘ってしまった。

教室を終えて先生と4人でタクシーで先生の門下生の5人展を見に行く。街のど真ん中の画廊で開催中。

そこでテーブルを囲んでお茶を飲みながら絵を見て歩く。中に一人、展示作品とは別に詩画集を3冊展示しておられる。この人の絵に共鳴する。先生にその色使いやメルヘンタッチの絵が好きだと話す。

まだ、7回しか絵を習っていない。だが、自分で描き始めると少しは人の絵もわかってくる。この点が絵を習ってよかったことかもしれない。

画廊内でテーブルを囲んで話していると、先生から教室でのことを笑い種にされる。ここでピエロになって皆の笑いものになる。

画廊を出て友人とスペイン語教室に向かう。電車で移動中、疲れを感じる。スペイン語教室では久しぶりのスペイン語を聴く。最近はいろいろと夢中になることが多く、スペイン語はなおざりになる。何かを得れば何かを失う。そう実感。

一番疲れていたのは目。目が疲れるということは余りない。ところが、絵を描く時、かなりモチーフに集中するのだろう。右目のコンタクトを外して授業を受ける。

それを終えると友人と夕飯を食べに前回の場所へ直行する。食事をすると元気になる。

これから本格的な飲み会のシーズン。疲れを貯めないよう元気で年を越そう!

今日も元気で!

2013年12月7日土曜日

背負子(しょいこ)

中国の大気汚染は日本へも影響する。昨日は福岡もそうだが広島もかなりひどかった。これも専門家の話では連日ではないとか。今朝、外を見ると昨日ほどではなさそう。 

昨日はお昼を食べるとプールへ出かける。いつもの如く1キロ泳ぐ。顔なじみも2人いた。昨日は気温も14,5度と高めのためかプールの人出は多い。

プールを終えるとわかちゃん宅へ出かける。最寄JR駅前のスーパーに自転車を置いていた。勝手に置いたので申し訳なく、そのお店で手土産を買って行く。 お茶を飲みながら久しぶり話し込む。中旬にはわかちゃんと足立美術館へ行く予定。

家に帰ると、携帯電話に着信メールと電話が入っている。プールへは貴重品は持っていけない。そのため携帯も家に置いたままになる。かなり時間が経過している。泳いでいた旨、断りを入れてそれぞれ返事をする。

メールは白内障の手術をして1ヶ月は会えないという話。電話の方はいつも恩人と思っている人からだった。

何と話を聞くと、共通の知り合いが先月63歳でなくなったという。これには驚く。亡くなった人は電話の主と幼馴染で私もお世話になった人。 企業戦士でバリバリ働いていた人だ。

7,8年前、働くことも不可能になり、東京から故郷へ帰って余生を過ごすとの葉書が最後の便りとなった。

年を経るにつれて、直接の知り合いの不幸を聴くようになる。

電話の主とは今年は会えずじまい。その人のことはこれまでブログでは恩人と書いてきた。そう思うたび、気が向いたようにお歳暮かお中元を贈っていた。 受取る方も決まって送らないので変に思っていたかもしれない。昨日は電話で思い出すたび送っていると正直に話す。

いろいろとありがたかったことを褒めていたら、可笑しくてお腹が痛くなったと大笑いする。 喜んでもらえると嬉しい。そして泳いできたとか、台湾へ行ってきたとか話すと「元気じゃね」と吃驚する。 若い頃を一番よく知っている人だから言える言葉かもしれない。

そして究極は「あれほど外国へ行かない、といっていた人が・・・」と大笑いして話す。何をいわれても当たっている。聞いても笑うことしかできない。

今年も師走に入った。昨日のメールの人も電話の人も暖かくなったら会おうと連絡。

昨日は他にめずらし光景を目にする。プールから帰るJRで2人を見かける。その人たちは籠つきの背負子を座席に2ヶ置いている。珍しいものなので声を掛けて話をする。 花の苗木を籠に入れて売り歩いているらしい。

市内から西条へ出かけてすべて売れたという。 この背負子を持たせてもらうと重い。背中に負う紐は自分達の手作りで、籠は昔からのものらしい。 かなり年老いた2人の小柄な女性たち。これでいくらの収入になるのだろう。それにしても大変なことだ。

頑張っている姿を見るといつまでも元気でといってあげたい。 今日は日本画とスペイン語を習う日。どの人も皆頑張っている。ありがたいことに仕事もせず、楽に生活させてもらっている。元気で楽しく過ごさないと罰が当たりそう。

今日も頑張ろう!

2013年12月6日金曜日

師走の朝に

一般的に政治や宗教の話は語るなと言われる。ところがメディアでは特定秘密保護法案が成立。著名な人のツイッターなどを見るとこれを厳しく非難する。先の戦争も国民は戦争突入を知らされず、それに至った。そう思うとこれは問題になる。 

宗教面では先日の新聞によるとアレフの信者が増えている。我が家でも昨日と今朝と連日、何の宗教団体か知らないが勧誘のチャイムをならす。ドアホン越しに応対するが、最後に「郵便受けには本を入れないで下さい」とお願いする。

この季節、それでなくても慌しい。それなのに朝早くから宗教の勧誘とはご苦労なこと。この人たちを見るたび、気の毒な人に思える。もっと楽しいことがあるはずだろうに・・・。

道に面しているためか郵便受けに何でも入れてある。家の売買をする不動産屋、外壁の修繕屋、いらない家電類の斡旋屋、宗教の本など。どれもこれもどうでもいいことばかり。

世の中、楽してお金儲けをしようと思うのは間違い。

朝から怒ってしまった。

昨日はプリンタの不具合で年賀状作成を諦め、印刷をお願いする。働いていた頃、毎年、海外に出かけて写真年賀状にしていた。ところが昨日、近くのお店に行くとそれは結構な金額。

今ではさすがに写真年賀状にする気はない。ただ、手書きだとメールアドレスと携帯番号の記入に手間取る。プリンタはパソコンを買い換えるとき同時に買い換え、今回は印刷に回す。

夜になって姪から贈ったものが着いたとのメールが入る。電話で返事をするとプリンタは姪も使わないらしい。年に一度、年賀状だけに使うプリンタ。以前はレポート提出で頻繁に使用していたが・・・。プリンタの機嫌が悪くなるのもうなづける。

姪と話しているとGWに両親とフランスに行くという。先日、姉から電話があり、一緒に行こうという。折角、娘から旅行に誘われたのだから姉夫婦で行くように促す。姉は、じゃ犬はどうする?という。自分の夫に犬の世話をさせようとしたらしい。ついには犬の世話係を頼まれる。専門の業者にお願いし、旅行を優先するように説得する。

姪と話すと、両親のフランス行きは大丈夫?と体を心配する。今月、義兄は古希を迎える。姪にとっては70歳は年寄りになる!?母を例にだして75歳から旅行をしだしたと告げる。

ともあれ、皆、元気なうちにいろんなところへ出かければいい。親子でいけるのもいつまでも続かない。今となっては母と出かけたことも楽しかった懐かしい思い出。

今日は元気も出てきたのでこれから泳ぎに行こう!今日も楽しく!

2013年12月5日木曜日

旬の人

昨日は放送作家であり、小説家の百田尚樹氏の講演会に出かける。

当日、話を聞くまで講演者がどんな人かも知らない。2、3日前の地元紙に今年のベストセラー作家の順位が掲載された。どの本かは知らないが第4位で100万部売れたと書いてある。講演のタイトルは「生きるということ」。主催者が病院協会だからそのタイトルもうなづける。 

昨日はオケ・ピット席のすぐ後で講演を聞く。席を探していると通路から1つ奥の見ず知らずの人から通路側に座るよう親切に声をかけられる。コンサートでいえばS席?ありがたかった。

講演者の百田氏は57歳。50歳で人生について考える。放送作家で活躍するが、ある番組で94歳のアマチュアマジシャンがTVに登場する。その人は手が震えながらも必死でマジックをする。この模様はYOU TUBEで世界の最強のマジシャンで見られるらしい。

マジシャンは88歳で整体師の資格を取得。百田は50歳で生き方の方向転換を考える。昔でいえば「人生50年」。50歳は遅すぎる!?ところがマジシャンは88歳で資格に挑戦。それを知って小説家を志す。

本のタイトルは『永遠の〇(ゼロ)』。

百田は大正生まれの両親に育てられる。その時代の人は戦争経験者。だが子供達には戦争体験を語っても、孫達には語らない。いつの日か、戦争のことも忘れられてしまうと危惧する。

そう気付くと義務として本を書くことを決意。

百田は2年前の大震災で書くことのスランプに陥る。その頃、出光興産の創業者、出光佐三の日章丸事件の話を作家仲間から聞く。だが、その事件がどういうことかさっぱりわからない。人に会うたび、知っているか尋ねるが何十人と聞いても知っている人はいない。

この話を聞いた百田は講談社の加藤編集局長に会う。その話をすると局長はその資料(史料)をダンボール一箱分送ってくれたという。中を読んで涙があふれ出す。この編集長は当時、週刊誌の編集長で飛ぶ鳥を落とす勢いがあったとか。ところがそれも訴訟に発展して負けが続く。だが、この編集者は、週刊誌などの袋とじのアイデアを出した人として有名らしい。

その編集局長の送ってくれた資料(史料)を見て『海賊と呼ばれた男』を書く。これが何と400万部のベストセラー。すべては口コミから売れ出す。

今年の本屋大賞を受賞。

出光創業者の佐三はその時60歳。日本が満州などを開拓し、そこで事業を展開。戦争に負けると成功体験もすべては水の泡。外国での事業はすべて放棄した。

全財産を失った出光は外国の自社の従業員を誰一人首切りしなかった。私有財産を投げ出し、ある一定額を従業員に渡す。

時はまさに戦後2日たった1945年8月17日。

従業員を前にして出光は★愚痴を言うな!★直ちに建設にかかれ、と話す。それもあって従業員はほとんど辞めなかった。その後、出光興産は日章丸事件を契機に大会社へとなっていく。

これは日本の建て直しとなる。当時日本は東京も大阪も焼け野原となる。広島と長崎は原爆で焼け野原。最貧国となり、戦争で300万人の人も亡くなる。

ところがその19年後、東京オリンピック、新幹線開通と日本は大きな飛躍を遂げる。その底辺には百田に言わせると大正時代の人々の力があったという。

この大正時代の人々は全部で1340万人。うち、200万人は戦争で亡くなる。そして大正生まれの人々は人のために生きてきた偉大な世代であり、不幸な世代であるという。

こういう大正時代を生きた人々、そして戦争から生きて還った人々が戦後の日本を立て直した。

我が家の両親も共に大正生まれ。苦しかった生活は決して子供達には話したことはない。だが、大変な時代を生きていた・・・。

昨日の話を聞いて講演者の本を読もうと思った。ところが図書館で予約を入れるとこれまでにない予約数で830人待ち。

まだまだ本は売れているらしい。まさに百田氏は旬の人だ。話が上手い!いい講演会だった。

昨夜は気をよくして年賀状を作成しようとする。ところが、何とプリンタ様の不機嫌なこと。日を越して寝ることはないのに夜中になってもいい具合にならない。途中、友人から電話があり日本画のモチーフとして赤い葉っぱつきの大根を持参してくれるという。

先日は、たまねぎの葉っぱの着いたものをもらう。いつも題材に気を使ってもらう。あり難い!

プリンタ様の不機嫌もうなづける。プリンタは年賀状で使うことぐらい。家での印刷は諦めてこれから業者に印刷をお願いしに行こう。

今日も一日元気で楽しく!

2013年12月4日水曜日

公開放送を聞きに行く

朝は冷え込む。日中は14度の予報で暖かくなりそう。

 昨日も暖かかった。午後からフルートのレッスンに出かける。途中、そごうによって先週から気に入っていたバッグを購入。購入前、置いてあったバッグが陳列されていない。すべて売れたとも思えず、中に入ると他の陳列棚にある。 買おうと思っていたバッグの横に同じメーカー品でデザイン違いがある。こちらを購入

 さてフルートのレッスン。前回の曲はどうにか終えて、次回からはモーツアルトのピアノ協奏曲K.467第二楽章。秋のフルート発表会で吹いた人がいるとか。先生に少し吹いていただくと、とてもきれい!

新たな曲をさらう度、その曲が吹けるようになると思うと嬉しくなる。 これもフルートを習う楽しみかもしれない。

レッスン後、NHKの公開放送の会場に移動する。座席引き換えが4時から始まっている。開演は7時から。2階席の一番前で横はカメラ席。 開演まで併設の図書館で時間をつぶす

昨夜の公開放送のテーマは「瀬戸内みらいコンサート」。お目当ては山形由美のフルート演奏。なんといっても華のある人。真っ白なドレスに身を包んでのフルートの演奏は魅力がある。昨夜は思いがけない話を耳にする。何と今年結婚されたとアナウンサーの言葉。旦那様は広島の人。家でネットで検索するも誰だかわからない。

一曲目は♪なき皇女のためのパバーヌ♪の演奏。 ヴァイオリンの川井郁子、ピアノの加藤昌則、フルート山形由美のトリオ演奏もあった。だが、録音のためのマイクを通しているからなのかフルートの音が他の2つの楽器に負けてしまう。これは残念。

地元の中・高校生の吹奏楽部と山形由美との演奏もあった。2度ほど山形がその学校に出向いて曲の指導もしている。吹奏楽部の指導教師はお盆とお正月以外は年中練習を欠かさないと話す。

他にも瀬戸内をテーマにした曲が披露される。2時間の公開放送の収録は終わる。ところが、録音の不具合があるとか。再度、いずれかの演奏の収録があるという。夜も更けてくるので、それは聞かず家路を急ぐ。

高い入場料金を払って音楽を聞きに行くことがある。ところがNHKは無料で、ライトとか舞台装置とかゲストとか何もかも超一流。これも始まる前の営業の人によると受信料の支払いに協力してもらう趣旨から公開放送をするらしい。

それにしても受信料は1年にいくら払っているのかも定かでない。何でも口座から引き落とし。 テレビはほとんど見ないけど、生の公開放送は楽しい!この本放送はローカルのBSで23日にある。その日は一日瀬戸内三昧らしい。

今日は午後から講演会に行く。これも応募してチケットを入手。講演者は今年の売り上げ4位のベストセラー作家の百田尚樹氏。この人は応募で初めて名前を知る。どんな作家で何を書いている人かさえ知らない。 ともあれ、百聞は一見にしかず。しっかり話を聞こう!

今日も元気を出して!

2013年12月3日火曜日

「レモンのおっちゃん」の記事から

寒い朝も日中は陽射しも出て気持ちよい日々が続く。

先週末から再来週一杯が今年の忙しさのハイライトとなりそう。この間、数回忘年会がある。いずれも日にちが重ならずホッとする。

長く生きていると楽しみも増える。今年はそれを実感する。

と同時に、若い頃、何を悩んでいたのだろうとも思う。悩んだ分だけ今を楽しく過ごせるのかもしれない。

昨日午前中は合唱に出かける。ここではいつも「若い人」と表現されて会長は話される。言われて見れば会長よりも若い。そのたび他の人と顔を見合わせて「若い!?」と笑う。

次回の合唱はクリスマス会。貰ったプログラムを見るとフルートに自分の名前がある。

フルートの発表会よりも参加人員が多い。会長が習っておられる他のメンバーも参加するらしい。人前で失敗せずにフルートを吹ければ自信になる。ナニゴトも自信のなさが、失敗を招く?いやいや、実力のなさだろう。

合唱を終えてその人たちと近くのレストランでお昼を食べる。会長は青森県の人。スキーの話で話が弾む。これまで一度もスキーやスケートをしたことがない。運動はやっと水泳ができるだけ。これは非常に残念。昨日はスキーもしたくなる。だが、怪我をすると注意する人も出てくる。

多分、強引にすすめてくれる人がいたら年齢は考えずするだろう。今のところそこまで誘ってくれる人がいない。誘ってくれなくてもやりたければやればいい。だが、それがネック。

強引といえば、以前水泳を誘ってくれた友だちがそうだった。その人にお歳暮を贈る。昨日、届いたとの電話がある。この友だちにはいくらお礼をしても仕切れないほどお世話に成っている。来春に会う約束をして電話を切る。

話は変わって今朝の地元紙。「レモンのおっちゃん」というタイトルで編集部長が書いている。尾道は全国でも有数のレモンの産地。そこにレモンのおっちゃんがいた。おっちゃんは海に面した急坂の畑にみかんの木を植えている。その中でたった1本違う果実のレモンを植える。

ところがどの果実も手をかけて、たわわに実る。だが、レモンの木の果実はまだら。同業者から「切って芋でも植えておけ」といわれる。ところが春になると他の木と同様に芽ぐんでくる。「どうして切れようか」と語気を強めておっちゃんは語る。そして、期待にこたえないレモンの木をいとおしむ。おごらず、レモン栽培に向き合えと諭してくれる木だという。

「まだまだ未熟だ。名人になどなれると思うな」とのレモンの声がするらしい。

我が家にも1本レモンの木がある。5つ実ったと人に話すと「レモンは実をつけにくい」「育てにくい」と誰彼となくいう。

一昨年1ヶ、昨年1ヶ、今年は5ヶ。何も手を加えず毎日ただ眺めているだけのレモン。それが5ヶも実った。このごろやっと黄色くなり始める。

何歳になってもナニゴトも自信がない。この「レモンのおっちゃん」の記事の「まだまだ未熟だ。名人になどなれると思うな」はその意味でも励みになる。

我が家のレモン、さていつ収穫する?

今日は午後からフルートのレッスン。その後、NHKの公開放送を聞きに行く。フルートの山形由美も出演する。今日は一日フルート三昧?

楽しく過ごそう!

2013年12月2日月曜日

第334回広島交響楽団定期演奏会から

一昨日の広島交響楽団の第334回定期演奏会のテーマは「感謝を込めて」。指揮者にアンドリス・ポーガ、チェロにミッシャ・マイスキーを迎えての演奏会。 演奏曲目は以下のようであった。

 バルトーク♪管弦楽のための協奏曲
ドヴォルザーク♪チェロ協奏曲ロ短調op.104 

それにしても素晴らしい演奏会であった。ただバルトークはあまりわからない。

 演奏会での演奏の良し悪しもそうだけど、人を引き付けるかどうかは挨拶をみても一流の人は違う。

深々と挨拶する。

 昨日はプールに出かけて一キロ泳ぐ。相変わらず人が少ない。顔見知りの人に泳いだ後、挨拶をする。「来てたんね」といわれる。そして、来ていたのなら声をかけるようにともいう。「次回から来た印にプラカードを持って泳ぐよ」と冗談をいう。

すると「もって泳げんけえ、ターンするたびプラカードをだしんさい」といわれる。

どこへ出かけてもよく人に会う。これも楽しい! 今日はこれから合唱へ。今日も楽しく!


2013年12月1日日曜日

「ささやかな年金で生活し、ささやかに海外旅行をしています」

 昨日は満足したというか有意義な一日だった。午後、日本画教室に出かける。題材(モチーフ)はたまねぎ。前回、3ヶ持参のうち、1ヶを食べてしまって2ヶ持参。絵を習い始めて簡単なモチーフの方が描きやすいイメージを持っていた。この考えはよくない。たまねぎは市販のものだ。市販品はたまねぎの根っこも切り取られており、芽が出にくい。ところが、絵を描くには表面が剥けていたり、根が出ていたり、芽が出ているものがいいそうだ。

 前回、枝が着いた小さい柿で虫食いの葉っぱもついていた。絵にはこういうモチーフが最適とか。今回、たまねぎを描くと簡単なものほど難しいとわかる。どう見ても前回は上手く描いたと改めて先生に見てもらう。次回からはモチーフを考えよう。これも絵を描く楽しみとなりそうだ。

 先生は長く続けて習うようにと話される。フルート、水泳、中国語などどれも20年選手だ。根気だけは人一倍あるほうだと思っている。だが、その点を先生はご存じない。「忘年会に出て、もう日本画はやめますと、いわないで・・・」と笑っていわれる。「そうなったらこの辺を歩けません」と返答する。

 習いに来て「タダでは帰らさんよ」と先生。何かを習ったという満足感で帰って欲しいとの願いが込められているようだ。あり難い!まだ6回しか習っていない。スケッチブックに全部書いたら本格的な絵に挑戦となるらしい。昨日はそこまで話してくださる。

 昨日は絵を途中でやめてミッシャ・マイスキーを聞きに行く。チェロを奏でる姿をじっと見ていると涙が出そうになる。手を休めた合間合間は汗が吹き出るのだろう。タオルで顔中を拭っている。もう、見ていて脱水症状になるのでは、と心配になる。これこそがプロの演奏者だ。2日間にわたって聴衆を魅了するミッシャマイスキー。素晴らしい!アンコール曲は2曲。最後のアンコールはもちろん無伴奏チェロソナタだった。

 家に帰ってプログラムを見ると台湾旅行で一緒だった人も個人正会員に名を連ねる。後1週間すれば、その人たちとも会える。広響の正会員同士、話が盛り上がりそうだ。満ち足りた気持ちで会場を後にして広島駅行きのバスを待つ。だが、待てど暮せどバスは来ない。道幅一杯にバスを待つ人々。ふと後を振り向くとあれほどいた人がいない。それでもただ一人、顔見知りの人が近づいてくる。どういうこと?と聴くと、平和公園のイルミネーションの見物客が溢れるためか、バスは迂回してここを通らないという。

 人がいなくなった理由がわかるとその人とタクシーで広島駅へ向かう。駅では友人と待ち合わせている。だが、スペイン語の終わる時間がはっきりしない。一緒に乗った人も夕飯を食べたいとのこと。友人と合流して3人で駅ビルで夕飯を食べる。友人とその人は知らないと思っていた。ところが、互いに顔を見合わせると嬉しそうに挨拶し始める。これを見て一安心。私たち3人は外国との交流という面で互いに知り合いだった。

 急遽、忘年会になる?その人に夕飯をご馳走になる。またタクシーも乗せていただいた。ご馳走してくれた人は広島で留学生のお世話を50年以上もしておられる。その方とどこで知り合ったか、聞いても互いにわからない。でも、よく知っている人だ。友人はペルー協会で知ったとか。話は盛り上がり、楽しい時間を過ごす。その人から私たちはどうやって生活しているのかを聞かれる。友人は「ささやかな年金で生活し、ささやかに海外旅行をしています」と笑って答える。これを聞いて皆で大笑い。友人の名誉のために断っておくと、「ささやか」どころか資産家だ。

 「どうして海外に・・・」とか、「どうやって生活を・・・」とかよく聞かれる。聞かれる度、母に「失礼にもそういう人がいる」と話していた。すると母は「退職金が4千万円あった、といいんさいや」と笑っていう。3や8の数字はわかるけど、何故、母は4千万と話したのだろうか。友人に先日、その話をすると面白い!といってくれる。人から失礼なことをいわれても母がいったようなことを話したことはない。いつか話してみたいけど・・・。これからは私も友人の真似をして「ささやかな年金で生活し、ささやかに海外旅行をしています」と答えよう。ともあれ、昨日は楽しい一日だった。今日も元気で楽しく!