2020年6月30日火曜日

プールで泳ぐ

 昨夜からの雨が止んで日がさしてきた。昨日はプールで泳ぐ。水泳は運動になるのか夢も見ずにぐっすり眠る。ひと月前からアラームを設定して目を覚ます。だが、アラーム設定時刻よりも前に目を覚ますようになった。冬の間、起床時間が遅すぎるのを懸念してのアラーム。最近、やっと7時前に起きる。

 午後1時、午後からのプールが開館する。昨日もコロナ対策で数分待ってロッカーのカギを受け取る。コロナ禍前に見かけた顔も様変わりしている。昨日も遠くから車で泳ぎに来たという人がいた。自転車で10数分乗って泳ぎにいっている。これも運動と思えばプールが自転車に乗って行ける場所にあるのはありがたい。昨日は600m泳いだ。

 コロナ騒動当初のころはまさか4か月も泳げなくなるとは想像さえしなかった。その一方、当初の予想よりコロナ禍も長引くと自分が生きている間はコロナで泳げなくなるかも、と思ったりした。今年のはじめは新たな水着を買って……と意気込んでいたがコロナ騒動で泳ぐのは無理かも、と考えだす。しばらく新たな水着どころではなかったが、ここ3週間、プールで泳ぐと欲しくなる。

 だが、日用品や食料品など扱うスーパーは家の近所に8店あってもスポーツ用品などの専門店がない。広島駅前のデパートに出かけて水着を購入しよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月29日月曜日

ささやかな楽しみを見つけよう!

 今朝、NHKラジオを聞くと欧州や豪州の航空会社の話題だった。その中でコロナ禍前の運航状態に戻るには2024年くらいまでかかるだろう、とのことだった。これを聞いて4年先まで海外に行けない、とがっかりする。今朝の地元紙を見ると登山ツアーの募集がある。国内のそれも地元の登山のようだ。いずれにしても、コロナ禍前のような自由な旅は国内、海外とも当分先になるのは間違いない。その間、どんどん歳をとっていく。

 旅に出かけられないのを嘆いても何もいいことにはならない。それよりもささやかな自分だけの楽しみを見つける!?

 月曜日か火曜日に泳ぎに行くようにしている。明日は雨の予報だ。今日午後はプールで泳ごう。これもささやかな楽しみ!
 
 石丸謙二郎の今朝のブログに次のようにある。ナレーションの仕事で語った最後の言葉、「昨日とは違う自分に出会うことができる」について「その昔に語った、私の言葉に責任をとる為にも、自らが、昨日とは違う自分を模索する毎日であります」とある。そして「昨日とは違う自分」を今朝のブログのタイトルにしている。

 コロナ禍のなかマンネリ気味の日常を石丸に習って「昨日とは違う自分」でありたいものである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月28日日曜日

縮景園の竹

 今朝の地元紙1面に国内旅の宣伝がある。ほかの頁を見ると違う旅行社の日帰りバス旅もある。バスの車内は2座席を1人占有としたコロナ対策がされている。待ちに待った旅とはいえ、この旅行に申し込む気は全くない。まだどこかでコロナを気にかけているのかもしれない。というか、マスク着用で暑い夏の日に旅をする、これがまず問題。

 昨日は日本画教室の日で午後から出かける。自宅最寄りJR駅まではマスクをしなくてもさすがに列車内はマスクを着用する。たった10数分の乗車なのに息苦しさを感じる。到着駅に着くとホームですぐにマスクを外す。教室ではマスクはつけない。これからますます暑くなる。コロナでダウンするより先に夏のマスク着用でダウンしそうだ。気を付けよう!

 5月半ば、県立美術館が再開された。その3日目に川端龍子展を見る。筍や竹の絵があった。それに刺激されたわけではないが美術館に隣接する縮景園でまさに筍が竹になるところだった。すぐに持参のカメラで写す。

 この写真をもとにしてデッサンする。先生曰く「絵にするには写真どおりでなく、形を変えて描く」と。とりあえず昨日は写真どおりにデッサンした。次週はこれを変化させ、水彩絵の具で色づけして本画の下絵をつくる予定。

 タケノコは竹の子、のように竹藪の地面に落ちているのは竹の葉。この竹の葉を描くのに苦労する。前回の絵はクマザサだった。これは竹の葉とは全く違う。竹の葉だけの写真も撮るべきだった、と今になって悔やまれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
縮景園の竹林

2020年6月27日土曜日

マスクetc.

 郵便受けにマスクが入れてある。誰から?と思ったら民生委員だった。今朝も郵便受けを見ると新聞と回覧板、そして除菌ウエットティッシュとマスクがある。町内の当番年なので回覧板とともにマスク等を入れてくれたのだろう。というか、マスクをして町内会費等の集金をせよ、ということかもしれない。いずれにしてもこれから先もマスクは必需品。ありがたく受け取ることにしよう。

 それにしてもコロナ感染者の報道は衰えるどころか日に日にその数が増すばかり。感染者の年齢は2,30代が大半のようだが、いつになったらコロナは収束するのだろう。新聞を読むと旅行社の情報掲載がある。たとえツアーの募集をしても今のような状態ではよほどの覚悟を決めないと旅に行く気は起きない。ましてや海外の旅となるといつのことになるのやら。

 ブツブツ言わずに今、楽しめることをやるしかない!
  
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月26日金曜日

資源ゴミを出す

 今日は資源ゴミの日。新聞紙類はもちろん衣類もOK。家のなかをちょっとずつ片付けている。その中に、母が縫ってくれた半纏がある。中に綿が入った重たい半纏。寒い冬にと親が縫ってくれた。それにもかかわらず、まったくと言っていいほど着ていない。親が身に着けていた衣服や親が縫ってくれた半纏など、いつか資源ゴミに出そうとまとめて保管していた。今朝、思い切ってこれらを資源ゴミとして出す。

 先ほどまで降り続いた雨も上がる。雨が降ればナイロン袋に入れて出しても雨に濡れる。次回の資源ゴミに、と迷っているうちに雨も止んだ。半纏をゴミに出すのは本当に忍びない。心のなかで申し訳ない、と謝ってゴミに出す。

 ゴミといえばほかにもカーペット類がある。家の中に敷物を敷くと怪我のもとになりかねない。今より若かったころはそんなことも気にせず、気に入った敷物を買っては敷いていた。今のような梅雨時期になると敷いていたものは湿気を含む。これが嫌で部屋のなかの敷物はすべて排除した。先日、燃えるゴミの日に黒いナイロン袋に敷物を小さくたたんでゴミとして出した。集荷してもらえなかったら大型ゴミにして出そう、と思った。何とか持って帰ってくれていた。。

 大型ゴミは布団類がある。2年くらい前に下の階の押し入れの布団類は何回かに分けて出した。だが、まだ2階の押し入れにある。これは下に降ろさなくてはいけないのでそのままにしている。いつかこれも処分しなくてはいけない。

 1人暮らしになるとたとえ物を買っても自分で処理できるかどうかを考えるようになった。2階の物干しざおもベランダに洗濯ものを干さなくなったので不要になった。台風などで吹き飛ばされないようにと片方をベランダに落としている。これも小さく切断してゴミに、と思っている。だが切る道具がない。

 親がいる時は物を処分することまで考えて購入することはなかった。その点では今は物を買う際の基準を自分なりに決めている。自分で運べない、大きい、重たいものなどは考えて購入するようになった。

 だからと言って何もかも制限を加えると生きていくうえで楽しみが減少しそうだ。適当に折り合いをつけて購入しよう。その点、旅はいい。楽しい気持ちはいくら増えても心の負担とはならない。だが、旅の再開はまだまだ先となりそうだ。

 そういえば今朝のYOU TUBE先生のブログを見ると昨日、東京で一番乗りの観客を入れての演奏会が開催されたという。だが、YOU TUBE先生は定演には参加せず、入場する観客をもてなす木管五重奏の演奏に参加とある。

 世の中、少しずつ本来の調子に戻っている。早く旅も再開できるといい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月25日木曜日

パンダ情報

 コロナ禍で閉園だった上野動物園が再開された。パンダ好きの姪は本場中国のパンダやアドベンチャーワールドのパンダが見られない。上野動物園が開園して、さっそくパンダを見に行っている。姪はあらかじめ入場可能な整理券をゲットし、昨日、おとといとパンダを見に行ったという。昨夕のメールには今朝と土日の整理券もゲットしたとの報告がある。

 届いたメールは「 今日は朝の整理券だったので、あんまり並ばなくてよかった。ちょうどシャンシャンが挨拶に来て、シャンシャンーと叫んだら、こっちを見たよ!昨日はお食事中の横顔だけだったから。今日はミラクルです!」とあり、パンダを見た喜びが伝わってくる。

 国内の動物園は昔、昔、徳山の動物園に出かけたくらいで市内にある動物園さえも行ったことがない。だが、パンダやレッサーパンダは中国の旅で北京動物園や四川省のパンダ研究所などで見たことがある。中国で見るパンダは1匹や2匹でなく何匹、何十匹か、それ以上もいそうだ。

 上野動物園のHPを見ると「パンダ様」といった感じでパンダ関連で埋め尽くされている。姪のように毎日、パンダを見ると入場料も大変、と思ったら年間パスがあった。それにしても仕事の休みを取って見に行くパンダ。パンダ様様だ。

 ここ1週間は雨の日が続きそうだ。こんな日は司馬作品を読むに限る。今日から『峠』(下)を読む予定。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月24日水曜日

壊れたファスナー

 掛け布団カバーのファスナーが壊れた。カバーの表は綿で裏面はタオル地が使われている。このタオル地が気に入っていた。廃棄するのはもったいない。適当に切って雑巾に、とも思った。だが、それも気になる。ここでネット登場。調べるとファスナーを取り換えるか、ファスナーを外して何か所かに紐をつけて結んで使う、とある。ファスナーの交換は新たなファスナーを探すだけでも大変だ。それよりも紐をつけて使う!?

 日常使う製品は百円ショップをはじめとして某国の製品が多い。ファスナーといえば日本製のYKKが有名。いくら洗ってもほとんど壊れることはない。壊れたファスナーは捨ててしまったけどYKKではないはず。
 
 YKKで思い出す。昨年秋、新潟方面へツアーで出かけた。新潟辺りは初めて行く場所で列車やバス車内からキョロキョロ見ていた。かなり奥まった場所でガイドはYKKの工場を教えてくれた。田舎に建つ立派な工場だった。

 手にする日用品はスーパーで買うことが多い。ところが今回のようにあまり使用していない布団カバーのファスナーが壊れた。これからファスナー付きの製品は製造国に気を付けて購入しよう。

 暑い日が続く。昨夜の暑さはこの夏一番だった。早々と扇風機をつけて寝る。これから先はエアコン登場となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月23日火曜日

プールへ

 1週間ぶりにプールで泳ぐ。コロナ禍でくすぶっていた日常もプールで泳ぐと元に戻った感がある。とはいってもまだ演奏会や旅行などは元の状態に至っていない。今朝のネットニュースはWHOによると世界的にコロナ感染者増加中、とある。日本国内で収まりつつあるコロナ感染者も世界レベルではまだまだ収まりそうにない。

 暑い日中に自転車で出かけるプール。プールのある某センターは午後の開館前とあってすぐにプールに入れてもらえない。待っている人に聞くと受付でロッカーの鍵を受け取る順番待ちという。エレベータの乗員は2名と制限があり、プールに行くまでの廊下やエレベータの込み具合に配慮しているのかもしれない。ロッカーの鍵を受け取る順番が来た。こうしてやっとプールに入る。昨日は500m泳ぎ、水中を100m歩いた。

 外に出る時はスリムなまぐボトルを持参する。これは120mlの量の水しか入れられない。暑くなるとこのくらいでは水分補給が足りそうにない。次回からはまぐボトルでなくペットボトルを持参しよう。これは夏の水分補給対策の昨日の教訓!
 
 自転車に乗って家に帰るとどうにもならないほど汗が出て暑さで狂いそうになる。プールで着替えたのに家に帰るとまたすぐに着替える。これから暑さも本格的になるとプールの行き帰りの自転車だけで運動となる。あまりにも暑い日は泳ぎを諦めよう。というか、子供たちが夏休みに入れば、その間は泳ぐのを我慢しよう。

 コロナがどうじゃ、暑さがどうじゃ、こうじゃと言っても泳いだ後は本来の自分を取りもどした気がする。コロナ禍でぐずぐずしていた日常。暑い日々だけど自分らしさが戻ってきた。これであと旅行に行けたら何の不満もない。だが、これが一番の問題!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月22日月曜日

『峠』(上)

 今、読んでいるのは司馬遼太郎の『峠』(中)。これは上・中・下の全3巻がある。この本の前は『項羽と劉邦』全3巻を読んでいた。中国の、それも古代の話で知らない漢字も多々ある。また登場人物も項羽と劉邦以外は初めて聞く名前がほとんどで読むのも大変だった。その点、『峠』は登場人物も日本人が大半なので読みやすさは『項羽と劉邦』とは比べられない。以下は『峠』(上)(司馬遼太郎 新潮社、平成19年12刷)から気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★鴉は、朝は昇ってゆく朝日にむかってまっしぐらに飛び、夕は、沈んでゆく夕日にむかって目をそらさずに飛ぶ。鳥の種類は幾千幾万あるか知れないが、太陽に向かって飛びうる鳥は、鴉のほかない。
「俺は、そう心掛けている」
 継之助のいう意味は、自分の決めた生涯の大目的(おおめあて)にむかって目をそらさずに翔びつづけようということなのであろう。(112p)

★日本の攘夷思想は夷人をけものであるとし、それゆえに穢れているとするのは、もとはといえばこの牛肉である。夷人は牛の血をのみ肉を啖(くら)う。そういう穢れたる者に神州の地を踏ませぬ、という宗教的感情から出発している。(181-182p)

★継之助の知りたいことは、ただひとつであった。原理であった。……それを知りたい。知るにはさまざまの古いこと、あたらしいこと、新奇なもの、わが好みに逆(そむ)くもの、などに身を挺して触れ合わねばならぬであろう。だから、スイス人の招待を承諾した。(193p )

★「人間には、心のほかに気質というものがある。賢愚は気質によるものだ」
 わからない。
 それを、継之助は懇切に説いてくれた。気質には不正なる気質と正しき気質とがある。気質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲、物欲にとらわれ、心が曇り、心の適応力が弱まり、ものごとがよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。(222p )

★上代の日本人はそのすめらみことの位置を漢訳して天皇とよんだ。日本の天子の位置には宗教性が濃く、たとえば中国の皇帝とはちがっている、と感じたところから、きわめて宗教性のつよいその呼称をえらんだのであろう。
 奈良時代までの天皇は、現実の政治家でもあった。平安時代に入ると、藤原家のような世襲の首相の家が威権を確立し、天皇の政権を代行した。この代行者の歴史が、日本の権力史であった。
 鎌倉期には、武家に移った。天皇は京にあり、日本人の血統の宗家としての神聖権をもつにすぎなかった。以来、足利、織田、豊臣、徳川と権力はつづく。かれらは法律的には天皇家が持つ政権の代務者であったとはいえ、しかしながら現実的には日本の支配者であり、中国や西欧における皇帝とかわらない。(278p)

★家康は死ぬとき――わが屍を西にむかって埋めよ。と命じた。西国大名――長州毛利家と薩摩島津家――に対して関東をまもらん、という意味であった。(281p)

★上代ではいまの北陸道だけでなく、北方の日本海岸すべてを、越とよんだ。……――越人(こしびと)の住む地帯ということであろう。越人とは蝦夷種族のことであり、皮膚の白い、目鼻だちのくっきりした、現在のアイヌ語の古代語のようなものを喋っていたらしい辺境の人種のことである。(356p)

★……河井家は勘定奉行までは昇れる家格なのであった。が、継之助の意志はそうではない。
(人の世は、自分を表現する場なのだ)とおもっていた。(380p)

★「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」(408p)

★継之助は路上に土下座した。土下座し、高梁川の急流をへだてて師匠(注:山田方谷)の小さな姿をふしおがんだ。この諸事、人を容易に尊敬することのない男が、いかに師匠とはいえ土下座したのは生涯で最初で最後であろう。(425-426p)

★「古来、諺がある」
 田舎の三年・京の昼寝――ということわざであった。田舎で三年懸命に学問するよりも京で昼寝しているほうが、はるかに進歩するという。(427p)

★「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」
 継之助は、言った。叡山をひらいて天台宗を創設した伝教大師のことばである。きまじめな小器量者こそ国宝である、というのである。(445p)

★この男(注:継之助)が、幕末の風雲のなかで最初にやった事業は、皮肉なことに藩主の官職をやめさせることであった。皮肉にも、その仕事で腕をみとめられた。(491p)

★日本人がずいぶんの昔から身につけている思考癖は、「真実はつねに二つ以上ある」
というものであった。これは知識人であればあるほどはなはだしい。(496p)

★……無数の矛盾を統一する思想が鎌倉時代にあらわれた。禅であった。
 禅は、それらの諸真実を色(しき、現象)として観(み)、それらの矛盾は「それはそれで存在していい」とし、すべてそれらは最終の大真理である「空(くう)」に参加するための門であるにすぎない、だから意に介する必要はない、とした。(497p)

2020年6月21日日曜日

モミジの絵完成!

 描いていたモミジの絵がやっと完成した。完成、と言っても今一歩、この絵に納得できない。自分が描いた絵じゃない?と自問自答するが、思ったような絵になっていない。これも自分の実力。とやかく言えない。

 次からはこの春、縮景園で写した筍が竹になる様を描く予定。その前に、鳥の子紙を貼った木製パネルが要る。絵の教室で先生にこれまで描いた絵が家にたまりだした旨告げる。すると先生はその中の必要でない絵を地塗りしなおして描いてもOKと話される。年に2、3作品を教室の日本画展に出品する。だが、これまで出品していない絵が2点ある。柑橘類の絵とカボチャの絵。このうちの柑橘類の絵を違う絵に描きなおそう。

 木製パネルに描いた絵を昨夜、眺めなおす。最近は樹木を描くことが多い。樹木などの風景画は静物画よりも悪い言葉でいえば誤魔化しがきく!?F6の木製パネルの絵も増えたが、本画にする前のデッサン画も増えてきた。デッサン画だけを見るとうまく描けている、と自画自賛。だが、デッサン画を本画にすると思ったように描けていない。それくらい日本画の筆遣いは難しい。

 苦手だった絵も習い始めてもうすぐ丸7年になる。さらに年老いて一人で描くには色鉛筆画がいいかもしれない。2年余り前に習い始めた人は本画はせず、デッサンや色鉛筆画、そして水彩でちょっと色付けしている。本人曰く「2年間はデッサンに集中」。こう聞いた時、この方法もある、と妙に感心した。人それぞれ、日本画と言ってもいろんな習い方がある!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月20日土曜日

「整理」

 地元紙に掲載の投書記事を読むとコロナ禍で自粛生活を余儀なくされ、たまった旅の写真を整理した、とある。アルバムを買って台紙に写真を貼っていく。これを読んで自分とは真逆の写真の整理と思った。改めて「整理」を電子辞書で調べた。①乱れた状態にあるものを、整えてきちんとすること。②無駄なもの、不要なものを処分すること、などがある。新聞に投稿した人は①に、自分自身は②に当てはまり、いずれも「整理」したことには違いないようだ。

 今朝は梅雨の季節とは思えないほど爽やかだ。母の月命日である一昨日は雨が降って墓参りどころではなかった。昨日は雨も止んでお墓に参る。途中の道では家々にアジサイの花が咲いている。我が家も一昨年までは見事にアジサイが咲き誇っていた。今年は植木鉢に咲くアジサイだ。これは地に植えてあるアジサイと比べると貧弱に見える。それも仕方ない。1年前に挿し木してやっと2輪咲いたアジサイの小さい花だ。貧弱と言わず、かわいい花をつけている、と言いなおそう。よその庭に白いアジサイが咲いていた。挿し木に、と思ったが、家の主は庭にいない。

 しばらくはいいお天気が続くようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月19日金曜日

『アンチ整理術』&旅の思い出(中国黄山)

 梅雨の時季だからこそ雨が降るのは当然かもしれない。が、異常な雨の降り方だ。夜、寝ようするが激しすぎる雨の音で寝つきも悪い。寝ている部屋は2重窓。それでも雨音はすさまじい。今朝は目覚ましをかけて寝た。にもかかわらずアラームの音が聞こえなかった。目覚まし時刻を見ると20数分が経過している。アラームも眠たさには効果なし!?
 
 昨日のBSシネマは「老人と海」。大雨が降って外へも行けずテレビを見る。ヘミングウェイの「老人と海」は知っていても本を読んでいない。シネマを見て理解する始末。番組HPによると以下のようだ。

★ノーベル賞作家ヘミングウェーの代表作を、「荒野の七人」のジョン・スタージェス監督が映画化。キューバの海辺で暮らす年老いた漁師と巨大なカジキマグロとの格闘を描くヒューマンドラマ。風格ある演技で漁師を演じ、ナレーションを務めた名優スペンサー・トレイシー、名撮影監督ジェームズ・ウォン・ハウがアカデミー賞にノミネートされ、雄大な音楽をてがけた名作曲家ディミトリ・ティオムキンがアカデミー賞を受賞した。

 テレビを見ていてもまるでドキュメンタリー、を思わせる。老人役の演技に圧倒された。「老人と海」を読もう。

 森博嗣の『アンチ整理術』(日本実業出版社、2019年第3刷)を読んだ。「なんとか元気を出そうというときに、部屋を片づけて、ものを整理してみる。なんとなく生きていく『勢い』のようなものが蘇ってくる。そういう気分にさせるものが、整理・整頓なのである」(23p)。

 整理・整頓というと終活などがキーワードとして並ぶ。この「終活」こそ、一番嫌いな言葉だ。それよりもこの本に書いてあるように整理・整頓で生きていく勢いが蘇ってくる、この方が自分の気持ちにぴったり当てはまる。

 写真の整理もかなりの日数というか月数を要する。取り掛かりはじめはものすごい勇気が要った。それも日数とともに不思議と処分する喜びにかわる。昨日も写真を整理する。その中から絵葉書が2枚出てきた。

 1枚は会社をリストラされた年に出かけた中国黄山の旅で自分あてに出した絵葉書だ。当時は母も健在で自分自身は50代半ば。絵葉書をみると「二度目の黄山。階段状の山の上り下り4時間。遊びに勉強に頑張りたい」と記している。会社を辞めたら働くのはやめて大学に入りなおす、と心に決めていた。それを絵葉書にも書いている。これを見て当時の気持ちが蘇る。我が人生で一番悔しかった時期であり、また逆に一番人生に希望を見出した時だった。7月20日付で会社を辞めて、その2週間後のアジア塾に行く途中で立ち寄った交流プラザ。そこで目にしたのは大学入学案内のパンフだった。8月のお盆に姪と出かけた黄山の山の宿で書いた「遊びに勉強に頑張りたい」。同じ年の11月、大学入学試験を受けた。12月、無事合格、嬉しかった!その時点ではそれから1年半後に起こるであろう母の怪我など予想さえしていない。この後、9年間、旅とは無縁となる。

 今、思うに、絵葉書に何げなく記した言葉はかなり自分のなかでは強い気持ちを表している。この絵葉書、大事にとっておこう。自分を勇気づけるものとなりそうだ。

 もう1枚の絵葉書もついでに記そう。それは黄山の旅から2年後の2004年。30年前に出かけたパキスタンの旅で知り合った米子の友からの絵葉書。その人は2004年、2度目となるパキスタンへ出かけている。以下、勝手に引用させていただこう。

 「すごいよ!フンザ、10数年前とはぜんぜん違う!浦島太郎になってしまった。でも、杏子の花の満開は綺麗!そして、あのラカポシも、否ラカポシは変わらず、白く輝いていました。幸せ!」2004年4月4日ペシャワール、とある。ペシャワールはパキスタン北西部に位置する都市で古代、ガンダーラ王国の首都である。

 「部屋を片づけて、ものを整理してみる。なんとなく生きていく『勢い』のようなものが蘇ってくる」、これ、本に書いてある通り本当にそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月18日木曜日

「晴耕雨読」

 しとしとと雨が降り続く。今日と明日は雨となりそうだ。「晴耕雨読」ということわざがある。リタイア後にふさわしい悠々自適の生活のことらしい。晴れた日には畑を耕し、と言っても畑はなく、次に続く雨の日の読書は大いに楽しんでいる。

 「晴耕雨読」を電子辞書の明鏡ことわざ成句使い方辞典で調べると次のようだ。

 ★「耕」は体を動かして汗を流す喜び、「読」は、頭を働かせる楽しみ。古くは文人が理想とした生活だが、昔も今も健康と経済的なゆとりがなければできないだろう。

 自分にとっての「耕」は水泳などで体を動かし、「読」は本を読む楽しみがあてはまりそうだ。今のところ健康であり、経済的なゆとりは年金頼みなので悠々自適とまでは言えないかもしれない。が、何とかささやかながらも元気で楽しく暮らしている。


 雨の日に気合を入れるために再度、レジェンドをアップしよう。難しい曲だが、動画を見て練習、練習!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月17日水曜日

4か月ぶりに泳ぐ

 2月5日以来、4か月ぶりにプールで泳ぐ。コロナ禍とあって受付で緊急の連絡先を記入させられる。利用カードに記した旨、しるしをされた。次回からは以前のようにカード提示で利用可能となる。プールへは自転車に乗って出かける。外に出るときは日傘をさして歩いていた。プールは隣町にあり、歩いて行くには遠すぎる。久しぶりに真昼に自転車に乗り、麦藁帽子風の大きな帽子をかぶっていざプールへ。

 プールのある建物に入ると床にしるしをつけて何やら仰々しい。午後は35名の利用と人数制限がある。プール内に入ると人はまばらだ。人との距離や喋らないようにとの注意書きも関係なく、水中歩行の人たちの話声はにぎやかだ。いきなり1キロ泳ぐのはやめて泳ぎは400m、水中歩行100mでプールを後にする。

 着替えの際、午前中に来た人は利用制限に引っ掛かり午後また来た、とぶつぶつ言っている。午前は17名の利用らしい。午前と午後の利用人数の差は午前はシニア専用なので制限が厳しいのだろう。

 泳いだ後、自転車で我が家に向かう。交通量が多い道を通るので交差点や信号がある度に自転車を降りる。家に着くとホッとするのと同時に汗が噴き出る。泳いだ後に着替えたのに家に帰るとまた着替える。これから更に暑くなると自転車に乗って泳ぎに行くのも汗との闘いになりそうだ。家に帰ると早速洗濯をする。お天気が良いので泳ぐ前にも洗濯機を回した。昨日は2回も洗濯。

 今年の夏は学校のプールはコロナで利用しないらしい。そうなると利用しているプールは子供たちで利用者が増すにちがいない。夏休みの間はプールの利用を一休みしよう。それまでは泳ぎに行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月16日火曜日

マスク&旅の記録

 昨日、やっと国からのマスクが届いた。住所やあて名はなく、郵便受けに入っている。チラシなど勝手に郵便受けに入れられる。その種かと思ったらマスクだった。コロナの感染者が増えたころ、マスク不足が報道された。それからというもの使い捨てマスクもその都度捨てずに洗って使うようになった。ということで国からのマスクはそのまま保管する。

 今朝は梅雨の晴れ間という感じで清々しい。今日こそはプールへ、という気になる。しかし、今一歩、気がのらない。午後になってプールへ行くだけ行って様子をみよう。泳ぐにしてもいきなり1キロは草臥れそうだ。300mか500mくらいしか泳げそうにない。

 写真の整理をしていてこれまで出かけた海外旅行の回数は把握しても何ヶ国出かけたのか数えていない。旅のメモを見ると出かけた日と日数、そして日程表に書いてある旅行社を記している。ところが出かけた先の国が独立したところもある。これを独立国にすると出かけた国の数も増す。

 出かけた順に記すと1986年8月の初めての海外旅行である中国(上海、南京、北京など)に始まり、香港・中国桂林、中国領シルクロード、中国成都・西安、ハワイ(会社の旅行)、ソ連(レーニングラードで今のサンクトペテルブルグ、ロシア)、中国洛陽・西安、オリエント紀行エジプト(オランダ航空で出かけたのでオランダにも滞在)・トルコ・ギリシャ、インド、ソ連領シルクロード(独立後のウズベキスタン)、サイパン(会社の旅行)、中国黄山、パキスタン、イタリア(英国航空利用でイギリスにも滞在)、中国チベット、中国内モンゴル、マレーシア、ブータン、カンボジア、中国北京、ペルー(ロス経由で2泊)、ミャンマー、イラン、ポルトガル、ロマンチック街道とスイス・アルプス2大名峰(ドイツ・スイス・フランス)、南アフリカ・ジンバブエ(ドバイ経由)、2002年8月に出かけた中国黄山(2度目)で旅を中断。

 それから9年間は母の介護や自分自身のやりたいことがあり、それを優先して旅に行かれなかった。再開後の旅は2011年8月から9月にかけてのスペイン(フィン・エアの利用)に始まり、中国黄龍・九塞溝、ラオス、スリランカ、北欧3か国(ノルウェー・デンマーク、スウェーデン)、台湾、クロアチア(ドバイ経由でスロベニア・ボスニアヘルツエゴビナにも立ち寄る)、ベトナム、インドネシア、マレーシア(2度目)、モロッコ(ドバイ経由)、中国江南地方、ポーランド、タイ、インドネシア(2度目)、オーストラリア、中国大連、台湾(2度目)と続いて2020年1月に出かけたミャンマー(2度目)に至る。国としては42か国くらいになるだろうか。このなかのタイは1度でなく東南アジアに出かける際、タイ経由になることが多い。また、中国の旅では上海か北京を経由した。さらにヨーロッパ方面はフィン・エア利用も多くフィンランドを経由。そしてアフリカ方面へはドバイ経由と、遠い道のりだった。

 この度のコロナ禍と自分の年齢を考えるとこれから先はあまり行かれないかもしれない。コロナ禍でどこへも行かれないと思うと過行く時間がもったいない。コロナが世界的に落ち着きを取り戻すにはかなりの日数、いや年数がかかりそうだ。今、できることを何でも精一杯やりたい。これはプールにも当てはまりそうだ。だからと言って無理は禁物。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月15日月曜日

またも写真の整理

 この2日間、降り続いた雨も上がる。今週は木、金曜日以外は晴れの日となりそうだ。シトシトと降る雨でなく土砂降りの雨だった。一山超えた先では大雨洪水警報が出た。だが、夜には解除の速報が出てホッとする。

 先日来から整理している古いアルバム。18年前、会社をリタイア。これが人生の分岐点、とも思えるほど生き方が様変わりした。この時を境にして旅行や習い事などそれまでやっていたことすべてをしなくなった。というかそうせざるを得なかった。これが9年間続く。それが終わりを告げると自分の置かれた状態は一変して新たな人生がスタートした。このブログもその時点で改めた。写真に関してもこれを機会に海外旅行で写す量が増えても現像枚数は徐々に減少する。近年は自分自身を写さず絵になりそうな風景などを写している。

 雨の昨日は一日中写真を整理する。18年前までの分厚いアルバムの整理を終えて、旅を再開した9年前からの写真の整理。これらの写真は分厚いアルバムでなく現像の際にくれるポケットサイズだ。旅を再開したスペインの旅は13日間と長く、再開後の旅とあってたくさん写真を撮った。現像枚数も当然多い。それに旅を一緒にした人たちからもらった写真もたくさんある。しかし、それから後の旅からはほとんど現像せず、画像はブログにアップするようになった。ただ、写した写真は旅ごとに新たなSDカードに替えて保存している。

 写真の整理で一番頭を悩ますのは親の写真や親と一緒に写った写真。もう2度と親の写真を撮ることはできない。親が元気だったころ記念日ごとに母の孫が送ってくれた花束を持たせて写真を写した。それも親が怪我をし、徐々に元気をなくしていく写真は今、見ても辛いものがある。それでも笑っている写真は見ていて気も緩む。

 今日は雨が降りそうにない。気分を変えて外に目を向けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2020年6月14日日曜日

演奏会の再開newsから

 今朝の地元紙によると京都フィルハーモニー室内合奏団が3か月ぶりの定演を行っている。観客を迎えての公演再開は全国の加盟37楽団で初めてらしい。感染防止のため510席のうち100席を使用しての聴衆だそうだ。これを先駆けとして全国でも演奏会が開催されそうだ。地元の広響は来月の定演から再開のようだ。年間の個人会員はどうすれば、と主催者側にメールするとこれまでどおりの入場で、いくつかの条件があるという。

 プールも広響も再開となってもコロナ禍前のような状態ではないようだ。泳ぎたい、聞きたい、との気持ちは大いにある。だが、どこか気持ちがすっきりしない。勇んで泳ごう、聞こうというまでには至らない。これはなにも水泳や演奏会だけでなく旅行もそうかもしれない。コロナ以前にとっていたような行動を取り戻すにはかなりの時間を要するだろう。

 ああ、どこかへ行きたい!画像は昨年出かけた野付半島原生花園。当分、国内も行かれそうにない。ましてや海外はどうなることやら。ナニゴトもやれるときにやらないといけない。これ、コロナの教訓!?
野付風蓮道立自然公園を歩く(2019年7月)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月13日土曜日

プールの利用!?

 毎日、買い物などで外に出かけている。コロナ禍を理由に生活のリズムが乱れてはいけない。そう思って朝の目覚めも目覚ましをセットして眠る。リズムは維持しても以前ほど運動をしていない。歩けば自転車に乗ることがなくなる。プールも開館したとはいえ、条件付きの利用で水泳もままならない。自転車と水泳、それにフルートは有酸素運動になる。フルートは家で吹いても自転車と水泳はご無沙汰だ。特に水泳は4か月くらい泳いでいない。

 昨日、思い切ってプールの開館について電話する。6月1日から利用可能といってもHPを見ると条件付きとある。その旨告げると検温やプール内の利用人数に制限があるとのこと。これまで利用しようとして制限に引っかかった人がいるか、を問うた。電話の係は分からない様子。電話の向こうからこれまで利用制限者はいないと聞こえてくる。

 これで泳ぐ気も起きてきた。だが、雨が降ると自転車に乗れない。泳ぎを再開するには雨との闘いになりそうだ。その前に、自転車のタイヤに空気を入れて晴れた日には自転車に乗ろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月12日金曜日

お笑いコンビの広島弁

 梅雨にはアジサイがよく似合う。一昨年まで我が家の狭い庭に咲き誇っていた2種類のアジサイ。昨年、なぜか枯れてしまった。その時、燐家の庭に咲くアジサイの切り花をもらう。それを鉢に挿し木した。今、挿し木のアジサイが2輪、小さい花を咲かせている。

 先日、お笑い番組を見ると女性役が広島弁で男性役が岡山弁のコントをやっていた。かが屋というお笑い芸人だ。昨夜もまたその2人が以前見たのと同じコントをやっている。というか、番組の再放送かもしれない。これはまさに広島弁、と思って見た。2人をネットで検索すると方言通りの出身地だった。どうりで広島弁もうまいはず。それにしてもメディアで聞く広島弁はおかしすぎる。と言っても毎日、何の違和感もなく広島弁を話している。生まれてずっと広島在住だからそれも仕方がない。

 「気になる人はまあ一遍、かが屋のコントを見てみんさいや。おもしろいけえ」。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月11日木曜日

線路下の溝

 コロナ禍で自転車に乗らず歩くようになった。我が町には山陽本線と呉線が通っている。買い物に行くには2本の線路を跨がずにはいかれない。線路の下には溝がある。町にある水路というか溝はすべてともいえるほどコンクリで覆われた。だが、線路の下は覆いがない。線路わきの歩道を歩きながら溝に目をやると大きな赤や白の鯉が泳いでいる。きれいともいえないような溝なのに生き物がいると知って驚く。途中すれ違った人にこの話をすると鯉が泳ぐのはめったに見られないらしい。自転車に乗らず、歩いて気づいた鯉の存在だった。

 それからというものこの溝に目をやるようになった。ある時は近くのおっさんがそこに立っている。話をするとどうも毎日、鯉にエサをやるらしい。溝には鯉だけでなくメダカやカメもいるという。メダカは見えないが常に水が波打っているのでたくさんいるのだろう。カメもいると聞いてこれまた驚く。動物を飼っていた人が飼えなくなって溝に放すのかもしれない。

 我が家の前の溝はコンクリで覆われて広い通りになった。まだ小川だった頃はホタルも飛んでいた。台風シーズンになればドジョウなども流れついてきた。山のほうに行けば田んぼや畑もあり、麦畑もあった。麦のストローでホタル籠をつくり、ホタルを飼ったこともある。
 
 今年のお花見頃、何十年ぶりかで峠にある中学校まで行ってみた。田んぼや畑はなく、昔の面影はない。

 昨日から梅雨に入った。今、外からの雨音はすさまじく聞こえる。何も起こらず、平穏無事でありますように……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月10日水曜日

ブラウザetc.

 6月に入ってからそれまで見ることが可能だったツイッターが見られなくなった。見ようとすると「このブラウザは現在サポートされていません。サポートされているブラウザに切り替えるか、……」と表示される。視聴するにはツイッターをバージョンアップ、と先日のブログに投稿した。これは間違った表現のようだ。「サポートされているブラウザに切り替える」とツイッターの閲覧は可能となった。では「ブラウザ」とは何なのか、今一歩わからない。ネットで検索すると次のように書いてある。

★ツイッターブラウザとは、一般的にはホームページを見るためのソフトのことを指します。もともとはbrowse(拾い読み)という言葉が元になっていて、パソコン上の色々なファイルを見るためのソフト全般のことを意味していました。つまり、何を見るかによって画像ブラウザやテキストブラウザ、ファイルブラウザなど色々な種類があったのです。しかし、インターネットの普及にともない、ウェブサイト(ホームページ)を閲覧するためのウェブブラウザが急速に浸透しはじめ、「ブラウザといえばウェブブラウザのこと」という常識ができあがったのです。

 深く考えず使っているパソコン用語。あとで気づいたブラウザはラジオでアナウンサーが話したことによる。ツイッターが見られなくなった親に教えたというブラウザ云々だった。誰にも相談せずパソコンを触っている者にとっては新たなことに遭遇する度に余計な神経を使う。これもすべては老化防止!?

 YOU TUBE先生のブログを見るとブログ投稿1000回目と感慨深げだ。我がブログは、と見てみると今日で3130回目。今のブログにして9年4か月。旅に出かけて家を留守にする以外、ほぼブログを投稿する。スウェーデンの108歳のダグニーさんもほぼ毎日投稿がある。まだまだお元気そうだ。ダグニーさんにならって投稿を続けよう。

 ツイッターの新たなソフトを入手後、ネット検索はマイクロソフトでもするようになった。今朝、そのHPを見ると「緑色を見てリラックス!自然豊かな日本の絶景 23選」がある。この季節にふさわしい写真だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月9日火曜日

『項羽と劉邦』(下)

 『項羽と劉邦』(下)(司馬遼太郎 新潮社、昭和63年19刷)を読んだ。以下は気になる箇所の抜粋から。文が長くなった。30数年前は途中で読むのを中断した『項羽と劉邦』全3巻。今回は何とか読み終えることができた。中国の古い言葉がそのまま現代にも息づいている。下巻では「虞美人」や「四面楚歌」など。一度読んだくらいではなかなか理解するのがむつかしい。その意味でも気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この作戦は劉邦自身が自分の肉をえさにして項羽という虎を奔命に疲れさせるというもので、餌になっている劉邦のおびえは、当人でなければわからない。劉邦の戦略は――張良ら幕僚たちが立案するとはいえ――自己を弱者であると規定し、その恐怖感情から発想されたものばかりであった。43p

★「人間はな」言ってから、劉邦は言葉をとぎらせた。人が悲しんでいるときに顔をすり寄せてきて、お悲しいことでございましょう、とおっかぶせてくる奴ほどこまった手合いはない、と言いたかった。……「唱だ」唱はこういうときのためにあるのだ、と劉邦はいった。55p

★戦国のころ、合従策(がっしょうさく)を説いた蘇秦、連衡策を説いた張儀などがあらわれ、その雄弁と奇計をもって諸国の王に説き、おもうがままにころがした。この両人以後、この種のけれんに富んだ外交技術を研究する学派を縦横家という。舌一枚で国の方針が左や右にころぶというなどとおい戦国のころの昔ばなしで、こんにちに通用するはずがない。73p

★酈生は、烹られた。斉王も田横も戦わずして逃げ、斉は韓信によって占領された。86p

★知識人のことを、「生」と尊称する。87p

★策士は、みずから王や帝になれないし、なろうともしない。この学派のひとびとは王や帝になれそうな素材をさがし出し、その者に食い入り、その者のために表裏の工作をし、権変のかぎりをつくしてその者を広大な領土の支配者に仕立てあげるという政治の魔術師ことである。88p

★他の者に対しては、「以後、虞姫(ぐき)を美人とよべ」とふれを出した。美人とはよき人という意味で男につかわれる場合もあり、この時代はまだ性別として不確定なことばで、この場合は項羽の後宮の一階級ということであったろう。ただし項羽には正室はいなかった。138p

 注・この件を読んで虞美人草という言葉を思い出す。これはヒナゲシの別名だそうだが、虞美人が自決したときの血が、この花になったとされる伝説がある、と辞書にある。虞美人草の由来が虞姫にあったと『項羽と劉邦』を読んで初めて知る。

★彭越には後日の運命がある。かれは高祖(劉邦)によって梁王になったが。高祖の妻呂公に嫌われ、謀反の疑いをうけて誅殺された。その肉は塩漬けにされ、ハムのように切りきざまれて、諸侯に洩れなく贈られた。憎しみを共にせよ、という寓意であったが、この塩漬けとそれを啖(くら)うという形式にはこの大陸に食人の習俗があったことを想像させる。151-152p

★刑余ノ罪人ヲシテ項羽ヲ撃滅セシメシ、という刑余者とは、入墨(鯨=げい)をさす。漢軍の陣中にはかつて項羽を裏切っていま劉邦の将である英布(えいふ)がいる。英布は入墨者であるため鯨布(げいふ)とよばれているのだが、このあたりの意味は「鯨布にでもやらせるわい」ということであろうか。165p

★食人之食者死人之事(人ノ食ヲ食セン者ハ人ノ事ニ死ス)。というもので、はるかな後世、日本の静岡県興津の清見寺境内にこの文句を刻んだ碑がのこっている。……記念碑の碑面に、かつての旧幕艦隊の長であった榎本武揚が、旧幕の壮士の死が義によるものであることを一言であらわすために韓信が引用した右の俚諺を刻みつけた。咸臨丸の死者たちの場合の「人」とは徳川将軍家のことである。食を分けあたえられた者はその人のために死すべきものだ、という「人」とは韓信の場合、劉邦であった。劉邦のためならば死なねばならない、と韓信はいう。この大陸の戦国時代がつくりあげた「侠」という激越な倫理はこのみじかいことばのなかで凝縮している。200p

★劉邦が項羽に抱きついてその心臓を刺しつらぬくか、項羽が一刀をもって劉邦の首を刎ね落とすか、どちらかしかない。……項羽は輿に乗って、山道を降りた。……野に降りると、急に士卒たちの様子が萎えて見えた。いままで比較すべき人間を見ないために気づかなかったが、野良で働いている農夫たとくらべても、顔は黄ばみ、足どりは弱々しかった。……項羽の最大の失敗は兵を飢えさせたことであった。かれらの多くは流民あがりであり、食をもとめて故郷を流離するうちに項羽の兵になっただけで、食が尽きれば他へ移っていく習性をもっていた。……かれ(項羽)は楚軍の士卒の中にただよいはじめている死臭に気づかない。266-268p

★敗れれば敗れるほど劉邦の兵がふえるというのは、張良などの苦心があったとはいえ、劉邦の不思議な徳をいうほかはない。277p

★項羽はあくまでの楚人であったということである。
中原からは多分に未開、異質の印象をうけている楚の地のひとびとは、古代の部族国家時代の慣習や道徳習慣、さらには古代的な閉鎖性をその気質や思考法のなかに継承しているのか、血族を尊ぶのである。……が、中原はすでに広域社会になってからの歴史がふるく、血族中心主義だけでは社会も政治もあるいは軍事もうまくゆかないことを知りすぎていた。劉邦などはむしろ血縁の者に生理的な嫌悪を感じているのではないかと思われるほどであり、心から他の才質や勇気を尊び、さらには他人の誠実を信じた。項羽はその逆であったために、かれの唯一の謀臣であった范増さえその忠誠心を猜疑されて去ったのである。289p

★義という文字は、解字からいえば羊と我を複合させて作られたとされる。羊はヒツジから転じて美しいという意味をもつ。羊・我は、「我を美しくする」ということであろう。古義では「人が美しく舞う姿」をさしたともいわれるが、要するに人情という我を殺して倫理的な美を遂げる――命がけのかっこうよさ――といということを言い、この秦末の乱世では、庶民のはしばしまでこの言葉を口にした。290p

★この「義」で結ばれたきずなは、それぞれのあるじの劉邦や項羽といえども嘴(くちばし)を容れることができないほどに、個人間の峻厳な倫理なのである。292p

★張良はその無欲のために漢帝国成立後の功臣や権臣の没落からまぬがれ、すべてのひとびとから敬愛された。そういう留侯張良の家でさえ二代はつづかなかった。張良の死後、その子、不疑が不敬罪に問われ、封地を没収された。305p

★侍女たちは彼女を「虞美人」とよんでいる。生殖する以外に人としてのなんの機能(はたらき)も禁じられている虞姫に対してこれを美人と敬称することはあまりにもその存在の本質を言い当てすぎているようではあったが、しかしこの敬称は容姿をさすのではなく、後宮の女の階級名であった。美人は正夫人をのぞいては最高の位置にあり、漢代になると地方長官の食禄であるところの二千石の冷遇をうけ、収入もその程度の実質をもつ。320p

★楚の国は言語が中原と異なっているだけでなく、音律もちがっている。その音律は悲しく、ときにむせぶようであり、ときに怨ずるようで、それを聴けばたれの耳にも楚歌であることがわかる。しかも四面のごとく楚歌であった。328p

★――天が楚王項羽を亡ぼしたのだ。……戦国末期からこの大陸の文明にあっては、ひとびとは歴史にどう語り継がれるかということで現世での言動を意識して規制する風が出てきている。項羽もまたそれを意識したのである。337p

★項羽の体が、地ひびびきをたてて地にたおれた。……項羽の死骸のかけらを獲ることによって諸侯に封じられた者の名前がのこっている。……以後、烏のほとりのひとびとは、人間の欲望のすさまじさについても物語ることになる。……晩年、かれは(司馬遷)は『史記』を書くにあたって、その諸侯たちの名をさり毉毉げなく書きとどめ、そのことによって人間の欲望という課題についての饒舌を節約した。
 さらには五人の名とかれらが栄達した職名を記すことで、漢楚の戦いというものの本質のひときれを象徴してみせたかのようでもあった。……この愚劣な五個の名前の男たちに対し、劉邦は約束どおりの恩賞をあたえた。……項羽の死は、紀元前二〇二年である。340-341p

 注:五個の名前は項羽の死骸のかけらを獲ることによって諸侯に封じられた者である。5人の諸侯は楊喜(赤泉候)、王翳(杜衍侯)、楊武(呉防侯)、呂勝(浧陽侯)、呂馬童(中水侯爵)だった。

★日本に水田稲作が入ってきた早々か、あるいはそれより少し前の時代が、項羽と劉邦の時代である。春秋・戦国という農業生産力の騰がった時代をへて、中国古代文明が、形而上的な諸思想をふくめて熟成しきったころといえる。……中国史は、ふしぎなところがある。後代のほうが文化的の均一性が高くなるのは当然であるとして知的好奇心が衰弱することである。後漢の末ころからいわゆるアジア的停頓がはじまり、その停頓が、驚嘆すべきことに、近代までのながい歴史のなかに居すわりすづける。が、いわゆる先秦時代からこの時期までの中国は、べつのひとびとによる社会であったかと思えるほどにいきいきしている。344-345p

★……その首領も五千人の食を保証しかねるとなると、首領は四方を探し、五万人の食を保証する者のもとに流民ごとなだれこみ、その麾下に入る。ついには百万人の食を保証する者が最大の勢力を持つことになるのだが、こういう種類の存在を中国では英雄という。日本ではこの定義のように正札のついた英雄はかつて存在したことがない。日本は降雨量が多く、山野に水が涸れることがまれで、たとえ飢饉があっても狭い地域にかぎられ、大陸全土が流民を載せて渦をまくような中国的現象というのはかつておこったことがない。(あとがき)347p

★あえて一息に要約するなら『項羽と劉邦』は、人望とはなにかをめぐる明晰な考察の集大成なのである。(解説 谷沢栄一)362p


2020年6月8日月曜日

”TVer”

 最近、テレビの番組が終わると「”TVer”でもご覧になれます」とある。この”TVer”をさっそくネットで検索。”TVer(ティーバー)”は民放の公式テレビポータルで動画が無料見放題である。テレビを録画してまで見ないが、”TVer”でこれまで放送の番組が見られるのはありがたい。ラジオは民放もNHKも”radiko”で、またNHK専用はらじる★らじるでいつでも聞かれる。”TVer”はそのテレビ版といった感じだろう。

 ”TVer”のHPを見るといろんな番組がある。見たい番組はお笑い番組。コロナ禍で家にいることが多くなった。まだまだ新幹線に乗ったりするほど自由な行動はできない。そんなとき、見ていて楽しいのはお笑い番組。若い芸人たちを見ていると単純に面白い。以前は歌番組が好きだった。だが、今はそれは全く見る気がしない。それよりも元気はつらつとした若手芸人を見るほうが罪がない。

 ”TVer”を知るまではもっぱら動画を探して見ていた。しかし、あらゆるジャンルの番組が見られる”TVer”は優れものだ。個人が流す動画よりもテレビのプロが流す”TVer”は見ごたえがある。パソコン画面で見ても画面が大きく見ごたえ十分だ。だからといって家にばかりいると体に良くない。図書館も開館して予約確保の本を受け取りに行くなど外に出る機会が増えてきた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月7日日曜日

久々のモミジ

 2か月振りに日本画教室へ出かける。画材一式は絵筆などを除いてほぼ一式教室においている。久しぶりに絵筆を持ち、モミジに色を施す。絵具の色番はさて?と思っていると先生は赤と黄色の水干絵具を示される。これを別々の絵皿に溶く。モミジの葉っぱの先のあたりを濃くし、他はぼかす。葉っぱ1枚ずつに色を施してゆくが、全体を同じ色でなく緑から徐々に黄色、そして紅くなる様に描いてゆく。次回は緑の個所に再度色を施す予定。

 日本画教室は3時間の長丁場。途中、珈琲タイムがある。絵筆を持つ手をやめて話に花が咲くこともある。が、それでも絵に集中するのか夜になると草臥れ果ててすぐ眠る。

 モミジの絵はまだまだ完成しそうにない。それなのに先日、縮景園で写した筍が竹になる写真を先生に見てもらう。次はこれを絵に、と話すと写真のとおりでなく、アレンジが必要らしい。写真通りだと絵にする必要がない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月6日土曜日

コロナによる時代の変化

 まる2か月ほど日本画教室とご無沙汰だった。先生からのメールによると長い休みなので何をやっていたか忘れた!?とある。モミジの葉っぱを色づけしているのは間違いない。休みに入る最後のブログを見ると「次週は写真通りの色付けでなく、絵の中央あたりのモミジの色を赤くするようにとアドバイスされる」と書いている。葉っぱの切込みの先端をより一層紅くして他にぼかしをいれる。今日の教室でやることをブログを見て思い出す。

 ツイッターのバージョンアップはYOU TUBEのバージョンアップにもつながった。動画を見ていると見られなくなるという警告が発せられていた。その表示も画面から消える。また、スウェーデンのダグニーさんのブログも右クリックで日本語に自動翻訳をしていたが画面に表示が出て最初から日本語で見られるようになった。

 いろいろとモノ・コトは進化し続ける。ヒトも進化し続けなければこの世の中、生きてはいけなくなりそうだ。

 コロナの影響でこれまで当然とされた学校の授業やその他いろんな面で価値観が変わってきた。教師との対面授業はネットに切り替わり、仕事もテレワーク等になった。価値観が変化して人の生き方もこれまで通りではなくなりつつある。生きている限り、時代について行かないと取り残されてしまう。

 とはいいながら学校も仕事も今や関係なく、ただひたすら我が道をゆく。そういいつつも世間が気になる。まあ、今日はこれでいいかと時に居直る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月5日金曜日

街中へ

 ランチで久しぶりに街中へ出かける。レストランに入るといきなり頭に器具を向けられる。何を、と思ったら体温測定だ。ランチをするにも大変な世の中になった。係を見るとフェースガードをしている。というか、被っている。暑い日中、レストランはエアコンは効いていても換気目的か外から出入りのドアは開け放してある。時に虫も入り込む。

 家に帰ると今年初めてともいえるほど顔から汗が出る。暑くなった。ちょっぴり部屋の模様替えをするとさらに汗が出る。エアコンの空気がコロナを循環するとか。この夏の屋内のレストランでの食事はエアコンなし!?エアコンなしでは暑くて食事どころではなくなりそうだ。

 今朝のYOU TUBE先生のツイッターを見ると先日、テレビで放送された「孤独のアンサンブル……」のその後がある。「精霊の踊り」のメロディーは奥様、伴奏をYOU TUBE先生とブログにアップした。ところが、それは間違いだった。ご夫妻が交互にメロディと伴奏を吹かれたそうだ。凡人にはそれさえも気づかずに演奏を聴く。昨夜も放送された。

 ツイッターなどのバージョンアップをしたのはいいが、画面の雰囲気がこれまでと微妙に異なる。これも慣れるだろう。6月になって習いごとなどが再開となる。家の周りを歩くのと乗り物に乗って街中を歩くのとでは疲れが違う。体を早くもとの状態に慣らすしかない。

 昨日はほかにもパスポート用の写真を撮った。9年余り前に撮った顔とは違って歳を取っている。当然と言えばそうだけど……。海外旅行もだいぶ先になりそうだ。パスポートの更新はあせらずにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月4日木曜日

テレビの反響etc.

 ブログを投稿して時にテレビの影響を感じる。昨日NHKで放送された「400年後の真実 慶長遣欧使節の謎に迫る」のテレビの反響がそうだ。名もないブログだが、1日の閲覧者は通常は50人前後である。ところが以前にアップしたテレビ番組が再放送、再再放送されるとその閲覧者数は急に増える。昨日の番組もそれだけで83人の閲覧だった。わけのわからないことを書いていなければいいが、と後になって気になる。

 6月に入っていつも見ていたツイッターが見られなくなった。自分でツイッターをしないのに人のを見ることもない、と一瞬思った。しかし、いい情報をもたらしてくれるツイッターもある。画面に表示される閲覧不可能。これを見てWindowsのアップは自動的にされるのに、とぼやく。が、思い切って視聴可能にバージョンアップする。思ったよりも簡単だった。これでツイッターは閲覧可能になった。

 昨日はまた久しぶりに図書館へ行く。どこへ行ってもコロナが気になる。だが今朝の地元紙によるとこの1か月、広島県内では新規感染者は出ておらず、また入院患者もいないらしい。だからといって安心はできない。目に見えないウイルスはどこからやってくるかわからない。

 家にある本を読んでいた。だが、それを中断して図書館でまたも司馬作品を借りる。次に読むのは河井継之助を扱った『峠』3巻から「上」を借りた。1年半の間、司馬作品を読み続けていると作品に慣れてくる。そして、ますます読むのが面白くなりだす。1巻が500頁もある文庫本。「中」「下」も続けて読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月3日水曜日

井上靖の本から

 井上靖の歴史エッセイ集『歴史小説の周囲』と『歴史の光と影』を読んだ。この2冊は30数年前に買って読まずにいた本である。井上作品も司馬作品同様に読めない漢字や理解できない漢字が多々ある。これをノートに書き記す。ネット記事によると高田純次もコロナ禍の間、本を読み、わからない文字を書き留めている。同じようなことをする人がいると思って記事を読んだ。

 『歴史小説の周囲』の「肯定と否定」を読むと「願真卿」が出てくる。中国の書家である願真卿。近年、この名前を人から聞いて知ったばかり。井上靖は「願真卿に関するものを読んでいて、最も興味深く感じたことは、顔真卿が多くの信奉者、礼賛者を持っている反面、かなり強烈な否定者をも持っているということであった。顔真卿の流れをくむ柳公権もまた然りである。しかし、これは顔柳ニ家に限ったことでなく、中国の書道史にその名を遺しているすべての書家たちが、同様に烈しい肯定と烈しい否定に支えられ、その中を生き抜けて今日に至っているに違いないのである」(168p)。

 さらに「顔真卿は死後、時代時代によって、否定と肯定の批評を浴びているのであり、そして否定的批評をすらいつか己が名声の道具に使うという結果になっているのである。傑作が生き遺るということは、おそらくこういうことなのであろう」(169p)とある。

 書は全くわかない。が、顔真卿の名前くらいは知っておきたい。

 続いて「揚州紀行」を読む。3年くらい前になるだろう。揚州に出かけた。東山魁夷の絵を見た後だったので、揚州の町を訪ねるのを楽しみにしていた。ところが、旅の始まりから飛行機が遅れて飛ぶ羽目に陥り、揚州に着いたのはその日が終わろうとする頃だ。翌朝も早く揚州の町を眺めることさえままならなかった。井上靖は揚州について「揚州は土まで香ると昔の詩人に謳われたが、私はいまも香気を持っているに違いないその土の上に立ってみたかったのである」(235p)と書いている。再度、ゆっくり揚州に行ってみたい。

 「万厯帝の墓」では明の十三陵の件がある。実際に出かけたことがある場所だが、はっきりとしたことを知らずにいた。「明の時代は一三六ハ年より一六四四年まで二七六年間である。その間に十六代の皇帝があり、北京の十三陵はその中の十三の皇帝の陵墓である。三人の皇帝の陵が欠けているが、初代皇帝の陵である考陵は南京にあり、二代皇帝は行方不明になって陵を欠き、そして七代皇帝は玉泉山の背後に葬られてあって場所を異にしている。従って明の十三陵というのは、初代、二代、七代を除いた、それ以外の十三人の皇帝の陵の総括的呼称である」(258P )。こういうことさえも知らずにいたとは情けない。

 もう1冊の『歴史の光と影』の「私の東大寺」に書いてある三月堂の本尊不空羂索(ふくうけんさく)観音、東大寺戒壇院の四天王、そして「塔・桜・上醍醐」の醍醐寺、の3か所へ行きたくなった。さらに「若き日の高野山」に収めてある「一番強く心打たれたことは、高野山が美しく、きびしく、きよらかな、大師の山であるということであった」(211p)とあるように、今一度、高野山へも行ってみたい。

 国内の旅はもうそろそろ出かけられると思ったが、コロナは収まりそうにない。コロナが早く収束するのを願うばかり。今日は図書館へ行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2020年6月2日火曜日

コロナの影響

 昨日のブログのBS1「 オーケストラ・孤独のアンサンブル〜希望編」でフルート奏者が曲を取り上げた意図をツイッターで知らせている。 ヘンデル作曲の「オンブラ・マイ・フ」は「歌詞の『今までに無い穏やかで優しい木陰』 が、外出自粛中、静かに家で過ごす状況と重なったからです」とある。

 また夫婦で吹かれた「精霊の踊り」は奥さんのツイッターによると「音楽をしたいのなら収束まで、大切な仲間とも会ってはいけない、人前で音を出してはいけない。 という今の状況がオルフェオの苦悩と重なり、グルックの歌劇【オルフェオンとエウリディーチェ】から精霊の踊りを吹きました」という。

 いずれにしても今回の演奏曲はどれも聞いていて落ち着く曲だった。

 コロナの影響は水泳と旅行、そして演奏会などがある。水泳は再開されたようだが条件付きと断りがある。主催者側のHPによると詳細は電話で問い合わせるようにとある。自由に再開となるまでしばらく泳ぐのはやめよう。コロナで泳げず、運動不足解消に、と自転車に乗らず歩くようになった。家で気になる箇所を片付けたり、パソコンで遊んだり、本を読んだり、笛を吹いたりして過ごしている。こういった生活もこれはこれでいい。だが、以前に楽しんでいた旅行など、いざ出かけるとなると気持ちがおっくうになりそうでそれが怖い。

 今週末から日本画教室も再開される。徐々に元の生活に戻してゆくしかなさそうだ。とはいっても旅行、とりわけ海外旅行は世界のコロナ状況を見ると収束は簡単ではない。1年どころかまだ先になりそうだ。どこへも行かずただ月日だけが流れる。なんと怖いことだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年6月1日月曜日

「オーケストラ・孤独のアンサンブル〜希望編」を見る

 昨夜、BS1で放送の「オーケストラ・孤独のアンサンブル〜希望編」 を見た。YOU TUBE先生のブログでこの番組を知り、見るのを楽しみにしていた。予想通りのいい番組で演奏される曲目はどれも心にしみる。今朝もYOU TUBE先生のブログを見ると動画配信などについて以下のアップがある。その一部を引用させていただこう。

★私はご存知の通り演奏動画を沢山あげてます。
コンサートとして聴いて頂くのも勿論ですが、フルートを学んでいる方が、恐れ多くも参考演奏の一つとして繰り返し聴いて頂ければ、なんて考えております。
 
 まさにこの言葉通り、YOU TUBE先生の動画を参考にさせてもらってフルートを吹いている。フルートの習い始めは今から28年前であり、その頃はパソコンもなく、動画配信は考えられない時代だった。習う曲はクラシックであり、楽譜を見ても知らない曲ばかり。習っている先生の吹く音で曲の雰囲気をつかみ、練習した。その後、CDの時代に入り、購入して曲を理解する。それも次第に進化して今や動画であらゆるジャンルの曲が聴けるようになった。
 
 新たな曲はYOU TUBE先生の動画を見て練習する。こういうことが可能になった。配信される動画はフルート曲集数冊をすべてアップしてある。ほんとうに便利ないい時代になった。コロナで外出ままならない時のチャンス到来となり本当にありがたい。
 
 
 昨夜の「オーケストラ・孤独のアンサンブル〜希望編」にYOU TUBE先生夫妻が出演された。テレビの画面を通して初めて見るYOU TUBE先生と奥様。ともにフルート奏者だ。奥様はN 響でYOU TUBE先生は東フィルの首席フルート奏者。夫婦で奏でる曲は「精霊の踊り」でメロディを奥様が吹き、自らフルート用にアレンジした伴奏をYOU TUBE先生が吹かれた。2曲目のソロはヘンデル作曲のラルゴ(へ長調) G.Händel Ombra mai fu (in F)  の演奏だった。曲集にある曲で練習済みだが、きれいな曲なので再度練習しよう。                                                         
 
 他にも東京や神奈川在住の交響楽団員のヴァイオリン、オーボエ、フルート、チェロ、ファゴット、ユーフォニューム、トランペットなどの首席ソリストが出演。ピアノなどの伴奏はなく、ただソロで演奏する。その演奏曲目がいずれも心にしみる曲ばかりでさすがにプロ奏者だ。
 
 番組HPによると以下のように書いてある。
          
★オーケストラのトッププレイヤーたちが、外出も困難な中自宅でたった一人、音楽を奏でる。仲間も聴衆もいない。でも音楽が、未来を照らし出す。孤独が、希望を育んでいく。 コロナ禍が続く中、オーケストラは演奏会再開のめども立たず、練習もできず、メンバーはいまも自宅にこもり孤独と向き合う毎日だ。これまで仲間と一緒に聴衆の前でアンサンブルをしてきた各オケのトップ演奏家8名が、たった一人、自宅でクラシックの名曲を奏でていく。孤独の先には、必ず希望があることを信じて、生まれてくる音楽。同じように不安に過ごす視聴者の方々に、未来をひらく希望の光を届ける。
 
 伴奏なしでソロで吹く。これは家で練習する際に吹く時がそうである。プロでなく音楽を楽しむアマチュアだからこそ人前で吹くのでなく自分で吹いて楽しむ。これはいい!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!