2013年8月31日土曜日

『定年、そして10万時間』

昨日は台風の影響で泳ぎに行くことを断念。外にも出られず家で借りてきた本を読む。この本は定年後の有り余る時間を男性をターゲットにして書いている。定年より前にリストラにあい、すでにその年齢も越してしまった。だが、興味半分で読む。

男性は一般に定年後10万時間の自由な時間があるとか。女性は平均寿命が男性より長い。それよりはるかに長い年月を自由に生きることになる。以下はいつもの如く思いつくままに記そう。

『定年、そして10万時間』(上鵜瀬孝志 角川学芸出版、2010年)を読んだ。

この本の筆者は団塊世代の生まれ。この団塊世代はどの時代も知らない、すさまじい体験をしている。とにかく人数の多い時代を生きてきた。

小学校の1学級の人数は50人以上で今の30人体制とははるかに異なる。常に競争を強いられ、「君たちの一生は競争だ」といわれて育った。

この競争は勉強の面でも当てはまる。中学になると試験が終わる度に廊下に成績の順位が張り出される。だから、誰が頭がいいとか悪いとか、今でもすぐに思いだせる。

地方的な傾向かと思ったら筆者もこの本で書いている。

「中学校では各学期ごとに行われるテストの結果順位が、大きな帯状の用紙に名前と点数を書いて校舎の壁に張り出されたのです。・・・そうすると誰に勝ったか負けたかは一目瞭然ですから優越感と劣等感が入り乱れ、ライバル意識メラメラ、火花パチパチ。それが学校側の狙いだったのでしょうが、・・・」と現在だったら問題となるようなこともその当時は誰も何も言わなかった。22p

「永年にわたって潜在化されたライバル意識は還暦を迎えてもいっこうに衰えることをしりません。」23p

「団塊世代は、時代の変化を敏感にとらえ、新たな流行をうみだし、70年代・80年代の消費拡大を牽引した偉大なる消費者なのです。」32p

「いまもって好奇心だけは衰えることのない団塊世代です。」33p

だが、その世代もすでに還暦を迎え、定年後の人生をしみじみと考える年齢になった。

筆者は、その定年後の有り余る時間を1日14時間半自由になる時間とした上で、それを10万時間とする。(10万時間÷定年後の男性の平均寿命19年間÷365日=約14時間半)

定年後の“脱・会社モード”への意識構造改革として友だちの力の必要を述べる。だが、その友だちも受験戦争以来、団塊世代の専売特許で競争意識は止まらない。それを、定年を機会に止めたいという。172p

そのためには「まずもって、自分の過去は語らず、人の過去も聞かず、でもって仕事としがらみのない人づき合いを始めるといいでしょう。気軽な友人が出来ると会社モードはいつしか消えてしまい、自分もさっぱりとするはずです。」173p

そして友だちは年金だという。定年後は病気にならない手立てとして、気ままに楽しく生きることしかない。「そうした生き方でたいせつになるのが、何はなくても良き『友だち』の存在です。」208p
そして年金額を当てにできないとする筆者は「友だちは年金」という結論に至る。209p

この友だちとして“知り合い以上、親友以下”の関係性がいいらしい。その上で普段の付き合い方を4点あげている。211-212p
①決して、相手のプライベートエリアに踏み込まない。
②おカネの貸し借りはしない。
③皆で集まったとき、優劣・序列を作らない。
④誘って断られても、「そうか、今回はダメか」くらいの軽い気持ちで受けとめる。

団塊の世代はかつての学びは競争に勝つためだった。だが、これからの学び直しは、「協奏」して共に楽しみ、ついでに互いを高めあうことにある。214p

それには、この向学心を利用して社会人大学生や社会人大学院生になると、学問もさることながら、思いもよらない世界が広がるという。216p

これは経験済みなのでよくわかる。入学式に出席したことや、学生証を手にしてチョッピリ誇らしかったこと。今もその学生証は大事にとってある。そして卒業式や修了式で若い学生に混じって参列するようにとの周囲の言葉に恥ずかしさを覚え、父兄席で参列したことを。

だが、楽しいことばかりではなかった。大金を費やして大学に通うことは心身ともに大変なこと。何故、今、大学で学ぶのかと何度、自問自答したことだろう。

とはいっても自分で決めたこと。「研究会」やゼミへ出席する憧れもあった。毎日は充実していた。筆者も書いている。「サラリーマン時代には味わえなかった充実感と高揚感は、生涯学習センターや巷のカルチゃーセンターでは得られない、最高学府ならではのものです。」217p

通っていた6年間は、今、思い出してもバイタリティーに満ち溢れていた。家の用と勉学でままならない時間配分をよく切り盛りした。あの、6年間はどう思っても人生で一番充実していた時間であり、楽しい時間だった。

そして、よくも体を壊さなかったと我ながら感心する。時間がなくても睡眠時間8時間と勉強の時間3時間は確保した。今、自由な時間が有り余るほどある。何ともったいないことだろう。

その、定年後の学びを「競争」ではなく「協奏」だと筆者はいう。「すべての『学び』はこうでなくちゃいけません。」とも。218p

「できます、やります、なしとげます。団塊世代は何でもやってみようという気概が高いのです。」と筆者はこういう。210p

さらに、趣味について「趣味をもつ、あるいは趣味に興ずるということは、退屈しのぎや気分転換と言う程度ではなく、目的ある一日を創造できるのです。・・・趣味は、『思わぬ世界への入り口』なのです。日々の暮らしだけでは絶対に出会うことのない人と知り合いになれて、同時に活動の領域も間違いなく広がります。早い話、飲む相手と、飲む場所が、それまでとは違ってきます。」223p

漫画家の東海林さだおに3つのユニークをあげて日記を書くのを趣味に・・・とすすめている。その3つとは以下のこと。
①いじけるのが好き
②耐えるのが好き
③木山捷平(ちくま日本文学全集)が好き

その例として、最近のブログをあげる。「日記は、一種の忍耐というか、辛抱がなければ維持できません。耐えることが好きな人にはうってつけでしょう。」1225p

言われてみればそうかもしれない。忍耐強い!?さあどうだろう。どうであれ、自分にはあっている!?

筆者は、趣味発掘のポイントをまとめていう。
①「受身」から「働きかけ」への精神で、趣味を聞く・話す積極性。
②好きな・あるいは好きだった「もの」「こと」の確認と再調査。
③若いころにやりたいと思っていたこと。やっていたことへの再チャレンジ。
④誘われたら、試してみる向上心と好奇心。

このいずれかを持ってすれば新しい世界が開けると筆者は述べる。231-232p

そして最後に筆者は「時代は猿から象へ」だという。すなわち「見ざる、言わざる、聞かざる」から「見る象、言う象、聞く象」へとほとんどの団塊世代はこうなりきっているらしい。252-253p

2013年8月29日木曜日

旅のチカラ

最近、女優自身による自分史というか私小説というのが流行るのだろうか。悪く言えば自身による暴露本!?

昨日は岸恵子が「ゆうどきネット」に出演し『わりなき恋』を書いた話などしていた。少し前は有馬稲子が自分史を書いて話題となる。今日は「徹子の部屋」に安部公房との関係を書いた山口果林が出る。 いずれもいわゆる「恋愛」ではない。それを自分史として書物で発表する。これも世の流れか。

これとは少し意味合いが違う。それは先日、姜尚中が自死した息子の名を世に残したいとして『心』を書いたとテレビで話す。

女優は自らを表現するのが仕事。それを文章という手段で書き残す。また作家も文章として表現することが生業。共に自らが生きた証を文章として残す作業は同じ表現方法だろう。

俗に言う名の知れた人たちだから、読む側も興味半分で読むのだろうか。ご多分にもれずミーハーなところがある。そうかといって、本を買ってまで読む気はない。本は図書館の予約リクエストで予約する。

 相変わらず、岸恵子の本も二百数十名の予約待ち。 とはいってもこのヒトもそうだけど有馬稲子のときも人間の品性が見受けられる。同性が見てもいやらしさがまったくない。このあたりにも人気があるのだろう。

さて話は変わって昨夜のBS「旅のチカラ」。辻井伸行のフランスのセーヌ川の光景を即興曲で表現する。これは見ていてどう表現すればいいのかわからないほど感激する。辻井の持っている神業に近い表現力。

どこかヒトより欠けたところを持ち合わせれば、それ以上というかその何倍もの素晴らしい器官を神様はお備えになる!? たとえ目が不自由でも体全体でその地の光景を感じ取り、それを音で表現する。

当然、五線譜を紙に書き取るわけではない。じっと耳を済ませて、その光景の隅々までを説明する係りのヒトの言葉の中で掴み取る。もう素晴らしいの一言。 フランスの画家からは筆を手でつかんで絵を描くことも教えてもらっていた。それにしても彼の頭の中はどんな風になっているのだろう。

体の不自由な人たちと海外で一緒になったことを思い出す。海外に行き始めのころ、出かけた中国では夫婦とも耳が不自由だった。添乗員はツアー客への連絡をその人たちにはすべて筆記して渡す。

さらに20年近く前に出かけたイランの旅。この旅では東京から一人参加の女性がいた。その人は両足の膝から下が義足だった。飛行機で隣り合わせになる。座席に着くや否や、義足の話をされた。

だが、どの観光地も皆と同じように歩かれる。大型バスに乗る時は先ず、松葉杖をバスの中に投げ込み、這うようにして乗車される。 だが、決して人の手を煩わされず、すべてなんでもされていた。東京在住で車の運転もされるとのことだった。

他には、10数年前の南アの旅では家族4人ともが聾唖者だった。若い娘さん2人とその両親。このときは、なぜかその人たちと話す度、涙が溢れることもあった。 この3組の人たちはどのヒトも健常者以上にお元気で、活き活きして旅をされた。

旅に出て、いろんな人たちに出会う。これは貴重な体験。 これこそ旅のチカラ!?そういえば、スリランカの旅で知りあった宮崎の方丈様から先日、冊子が送られて来る。いろんなヒトから元気をいただく。ありがたい。

今朝は台風の影響かはっきりしないお天気。今日も元気を出そう!

2013年8月28日水曜日

「豚もおだてりゃ木に登る」

ご当地観光列車
今日も涼しい朝を迎える。とはいっても日中は今日も32度の予想で暑くなりそう。

昨日は午後からフルートのレッスンに出かける。出かける前に、友だちに電話して誘ってもらったピアニストのチケットを予約する。ところが、友だちは一日中、研修があるらしく、夜、再度自宅へ電話する。

電話で話しながら女子会の話も出る。すぐに携帯メールで一斉送信。だが、忙しいのだろう。未だに返信がない人もいる。先の話なので、ゆっくり待つことにしよう。

昨日のフルートのレッスンでは久しぶりソノリテから始まる。このごろはチューニングの♪ラ♪も少しはあうように音が出る。ところが、何かの弾みでその音もおかしくなる。先生によるとマウピースと口の微妙な距離で音が異なるとか。 これは目から鱗。フルートと口との距離をすこしとること。忘れないようにしよう。

我ながらいい音が出るときがある。ところがそれも油断すると泳ぐ際のアップアップする時のように、音がまったく続かなくなる。 これが曲を吹いている時になると、それこそアウト。困ったことになる。

昨日は、そのことを先生の言葉から実感する。 ちょっとした「気付き」でいい音が出せるなら、いつもそうなるように練習するしかない。

これは体で覚えるしかないらしい。 体で覚えるといえば芸大の高校に通う新山理理愛の話を先生から聞く。彼女は等身大の大きさの自身に見立てたものをダンボールで作り、気になる箇所の注意点を書いているとか。 若い新進のフルーティスト。さすがにヒトよりも努力している様子が伝わってくる。

今年は基本的な「立ち方」を先生から「改造(?)」されて背筋もぴんと張り、いい音が出るようになったと一人悦に入る。またロングトーンも以前より長く吹けるようになる。

先生によれば、水泳が功を奏しているとのこと。 フルートを吹くのにいいから水泳を始めたわけではない。泳ぎたい一心で始めた水泳が、結果的にいい面にでればこれも嬉しいこと。「豚もおだてりゃ木に登る」ではないが、性格はいたって単純。

それゆえヒトから褒められると何歳になっても嬉しい。何でもできる気がしてくる。浮き足立たず「年齢を考えろ!」といわれそうだけど、それでもやっぱり嬉しい。

フルートの帰り、JRに乗ろうとすると例の列車が向かいのホームに入ってくる。すぐに携帯で写す。他にも線路を走る化粧を施された車両を見る。またいつか乗れたらいい。

やっと涼しくなってきた。暑くて動きが鈍っていた体も動きやすくなる。今日も元気を出して頑張ろう!

♯動画は発表会のアンサンブルで吹くバッハの“Arioso”♭

2013年8月27日火曜日

「人生は旅の途中」

今日は一昨日までとは打って変わって涼しい朝を迎える。だが、日中は34度の予想。湿度が低くカラッとしたお天気になるらしい。

昨夜は一日遅れでわかちゃんの誕生日を祝う。しょちゅう会っている2人。だが、お盆も間にあって1ヶ月ぶりに会う。いつもの如く飲んで食べて楽しく過ごす。

それにしても今朝は一気に秋を感じる。秋といえば行楽の季節。毎日が日曜日のモノにとっては、暇さえあれば遊ぶ計画を立てている。

先日も10月に行われるコンサートに誘われる。ところが10月は大きな行事を2件入れているため、身動きが取れない。だがその2件も催行されるかどうか怪しい。 

というのも先日旅行社から送付されたパンフを見ると、10月に出かけようと予約した旅行地の記載がない。説明会でも出席者は少なかった。当てにならない旅行を優先していると、もしも催行されなければ予定が狂ってしまう。

そう思っていた矢先、今朝、友人から他の旅行日程の詳細が届いたとの電話がかかる。何と、その出発日と催行が危ぶまれる予約した旅行の帰国日が同じ。なんとも皮肉。

すぐに友人からの旅行を優先する。これも催行決定ではなさそう。 友人が誘ってくれる旅行はある学会が組むツアー。それに異端者が加わる。まだでかけたこともない国であり、俄然行く気になる。

友人の電話を切るとすぐに旅行社に電話する。旅行の行き先を考え直す旨告げて予約しているツアーをキャンセルする。

また今朝は、他にも昨日、旅行社の募集記事を見てパンフを請求するとそれが送付されてくる。 これを見ると、「人生は旅の途中」のキャッチコピーがある。

そう人生は旅。今はその途中。いくら元気でいても、そのうち年相応に衰えていくだろう。そう思うと何も急がなくてもいいモノを元気なうちにあちこち出かけようとの気持ちが募る。

暇さえあれば送られてくる旅行社のパンフを眺める。だが、そのうちのどれくらいの数が催行されるのだろうか。折角、行く気になってもなかなか催行されない!?

どうなるかもわからない旅の予定を立てて、毎日を過ごす。これもある種の夢。ともあれ今日も元気に過ごそう!

2013年8月26日月曜日

『言葉が立ち上がる時』

広島県観光キャンペーンのJR車両

先日、居酒屋風に思えた車両に乗る。だが、写真に収められず残念だった。ところが、一昨日乗った車両が同じ車両だった。前回は呉線上りで今回は山陽本線上り。乗車前、携帯で写す。4両編成の車両か8両編成かは覚えていない。それでも、車両のすべては異なるアートで施されている。全体を写せなくて残念。

今朝は明け方まで降り続いた雨もあがり、とても涼しい。現在の部屋の気温26度、湿度65%で電波時計は快適を示す。まるで台風が通り過ぎたような気候だ。だが、日中は気温も上がるのか、それともこのまま秋に突入するのか。さてさて・・・。
居酒屋風!?
柳田邦男『言葉が立ち上がる時』(平凡社、2013年)を読んだ。筆者は「はじめに」で書いている。

言葉への旅に出よう。心に決めた。
いのちの息づかいを映す言葉は、どこから生まれてくるのか。
その言葉が沸き出てくる源は、どこにあるのか。
・・・その泉を探し出して、畔(ほとり)に立つ事ができたなら、生きることと死ぬことについてより深く理解することができるようになり、自分自身の生の証を立てるうえで確かな文脈をつかむことができるようになるに違いない。・・・これは、言葉によるルポルタージュであり、書々周遊の旅であり、生と死をめぐる人生哲学の旅でもある。

この底辺には筆者の次男、洋二郎の25歳の若すぎる自死がある。彼には心の病があり、傍で見ていた筆者は息子に手を差しのべることも出来ず、機の熟する時をひたすら待つ。だが、その熟し柿も落ちていく。そう、自死である。13~15p
またいつものように気になるところを記そう。

・もしある人が、すばらしい感受性を持っているとか、他者に対する思いやりが深いとか、あるいは失敗にくじけないねばり強い感性を持っているなど、何らかの秀でた面の持ち主だったなら、そのような感性や性格を育んだ原点は、記憶の古層に刻まれた幼少期の体験にあるに違いないと、私はとらえている。・・・人格形成の原点になるような体験の記憶というものは、意識されようがされまいが、記憶の古層の中で生き続けるものなのだ。28p

・いのちの精神性は、死で終わるものではない。肉体や社会生活の面だけで見ると、人生は死で終わるというのは当然の帰結だろうが、ひとりの人間がどのような生き方をし、どのような言葉を遺したのか、とりわけ重い病気のなかで迫り来る死を前に、どのように生き、何を残したのかといった事柄は、生活と人生を共有した人の心のなかで生き続け、後を生きる人の人生を膨らませる種になることも少なくない。そういう他者の心のなかで生き続けるいのちを、私は「死後生」と呼んでいるのだ。125p

・時折私に向かって、「おやじは作家なら、ほんとうに苦しんでいる人間の心のなかをしっかりと見ているのか」「この家で何が起きているのかを、ちゃんと見ているのか」といった言葉をぶつけてきた。深い水底に沈潜しているような日々を過ごしているがゆえに、人間の本質的な問題ばかりを考えている。純粋さゆえに、彼から投げられる言葉は、手裏剣のように私の心にぐさりと突き刺さってきた。「洋二郎の気持ちはわかるよ」などといった言葉は私から出せない日々だった。生涯かけて考えなければならない課題をもらったに等しかった。127p

・心のなかにあるものを「書く」という行為は、そうしないとカオス(混沌)のままになってしまうものを、一筋の脈絡をつけて整理し、自分も客観的に視るという効果をもたらすことになる。それは、心を前向きにし、次なるステップを踏むきっかけとなる。226p

・血流の脈動する言葉は、ナチスドイツの強制収容所のような特異な状況下に置かれた人でなくても、様々な場で生と死の狭間で苦悩する人々の心に共感をもって受け容れられるのだ。ただ。その前提として、「読む」という行為が、「心の習慣」になっているかどうかが、問われるだろう。231p

・人が限界状況の中に放り込まれたり、死の危機に直面したりした時に生み出す言葉の、何と豊かで素晴らしいことか。そういう感銘を数え切れないほど経験した。豊穣なる言葉の海を生み出したのは、人が人生の中で避けがたく遭遇する喪失体験であり、とりわけ死だ。言葉への旅に一区切りをつけた今、私は確信をもって、そう言い切れるようになった。(あとがき)236p

2013年8月25日日曜日

エキゾチックな音楽を聞きながら

島根県西部の江津では3時間に201ミリの記録的豪雨が降る。数値を言い表されてもどれくらいひどい豪雨かわからない。ところが新聞紙上で見る写真で、その被害の甚大さを実感する。 雨といえば広島でも明け方まで降っていた。これから徐々にお天気も回復して暑さも戻ってきそうだ。

昨夜はスペイン語の講座へ行く。その前に、今日が誕生日のわかちゃんへのプレゼントをデパートに立寄って購入する。夏の誕生日はお花などのプレゼントは一瞬にしてしおれてしまいそう。仕方なく、いつも菓子類になる。

それをもって講座へ行く。昨夜は休みの人が多く先生を入れて5人出席。昨夜の教室は確保できず、1階の交流ラウンジを利用する。他のテーブルに他の講座の人も学んでいる。落ち着かないように思えるけど、逆に落ち着いて学ぶ。先生と他の生徒との1対1のスペイン語の会話は不思議と何を話しているのかわかりやすい。

だが、先生一人がペラペラとスペイン語で話されるとほとんどわからない。多分、日本人の話す話し方で話の内容が聞き取れるのだろう。

今月から参加している人はコロンビアで仕事をしていたとか。それも20年くらいの滞在らしい。現地で長く暮していると言葉もわかるだろう。特に仕事柄、数字は強いとも言われる。

どのヒトも10年、20年習っていたり、現地で暮したり、留学している。その中に混じってわけもわからず座ってスペイン語での話を聞く。さすがにいくらどうでもいいといっても、「頑張ろう」との気持ちが沸いてくる。

それも度が過ぎると学ぶのが嫌になるかもしれない。嫌になっては元も子もない。

ふと中国語を学び始めた頃のことを思い出す。その頃は学校を出てかなり経過していた。その間、今ほど学ぶこともなく、頭の切り替えが大変だった。

今では学ぶコツも少しはつかめる。その意味では頭は老化していても、もしかしたら中国語を学び始めた30年前よりもスペイン語は効率よく学べるかもしれない。

自分にそう言い聞かせて固い頭をほぐしつつ学ぶ。昨夜も4人の生徒は「楽しかった!」との言葉が講座の終わりに出る。

来週まで2ヶ月、臨時でスペイン語を教えてもらった若いペルーの先生。来週は古澤巌のコンサートを聞きに行く。折角の講座も欠席する。ペルー料理を作るとき彼にもお願いしよう、といって昨夜はわかれる。

鬱陶しいお天気だけど、今日も元気で!

それにしてもラジオの「中東音楽紀行」からエキゾチックなイスラーム圏の音楽が流れる。なんと旅情を誘う音楽だろう。

2013年8月24日土曜日

「千日(草履)」

今朝は地元の新聞社から大雨警報がメールで送られてくる。今のところそれほど雨は降っていない。だが、外は暗い。これから大雨になるのだろうか。

それにしてもこのごろの気候は「中間」はないのだろうか。「大雨」といえばこれまで経験したことのない雨が降ったり、暑いといえばこれもかつて記録されたことのない連続の猛暑日となる。

何があっても驚いてはいけない!?

昨日午後は、プールに出かける。お盆を過ぎてのプール。人は少ない。7月から所謂高齢者は施設利用料金が半額負担となった。そのためかどうか高齢者の利用が少ない。

自由に泳げる大人用の2コースのプールで2,3人が泳ぐ。人も少ないと伸び伸びと泳げる。特に背泳ぎはゆったりした気分に浸って泳ぐ。このごろはリカバリーの回数も少なくなっていき、泳ぎも楽になる。

帰宅後は、郵送されてきた「年金記録確認のお願い」を開けて、パソコンと格闘する。だが、これも大変な作業。年金番号だけでは確認できない。「あなたのアクセスキー」が書いてある。この2つの番号で確認できると思いきや、何とその作業の面倒なこと。ましてや、パソコンのない人はどうするのだろう。

学校を卒業してほとんど変化のない生活をしている。またすでに年金も受取っている。だが、暇つぶしに言われたとおり作業を進める。なんとこれまで働いてきた全履歴がでてくる。ましてやその基本となる収入の金額までも出る。

自分の収入だからある程度は覚えている。それにしても働き始めの頃とリストラされた頃の収入の違いの大きいこと。驚いてしまう。景気の動きの激しい時代を生きてきたのだろうか。月収の最初と最後の差は10倍、20倍の違いではない。

泳いだ後は水着の洗濯を済ませると後は何もしたくない。夜、来週コンサートに一緒に出かける友人に渡すJRの時刻をメモしているとその友人から電話がかかる。

これにはいつも驚く、以心伝心、そう思う。また長い時間しゃべってしまった。

その中で「千日」を知る。話をしていて、ある先生の話になる。その先生はミャンマーがご専門。その先生の講演を聞いて感動する。その内容を忘れてしまったけれどもかなり感動する。そのコトを友人にすると仕事柄よくお昼を食べたという。今度機会を見つけてその先生と一緒に食事をしようと友人は言ってくれる。

これを聴いてファンとして恥ずかしくて一緒に食事は出来ない、と話す。話は盛り上がり、その先生について詳しく教えてもらう。予想通りの人だった。

その後、先生の教えておられる大学へ社会人大学生として入学。当然、先生の講義課目を受講する。

その先生はいつも自分自身を「発展途上」と話されていた。文化人類学に興味を持ったのもその先生の影響が大きい。

先生の専門のミャンマー。先生からミャンマーの話を聴いてすぐに出かける。ミャンマーの人々は皆、ゴムぞうりをはいている。昨夜の友人によると広島の県北ではそのゴムぞうりを「千日」と言うらしい。これにはびっくり。

日本人の履物として「藁草鞋」がある。だが、草鞋はすぐに履けなくなり、千日も履くことは無理。だが「千日」はゴムで出来ている。そのため長く、そう、千日履ける。そこからその名が生まれた!?

ミャンマーで見かけたゴムぞうり。その頃アジアを学ぶ塾に通っていた。一年の締めくくりにレポートを提出する。ゼミ担当の先生から「日本履物博物館」を教えてもらう。それがきっかけで「みんぱく」を知るようになる。

その頃、「千日」を知っていればもっとましなレポートを出せたかもしれない。今ではそれもすべて懐かしい!

今日は気分を現実モードに戻そう。そして雨にも負けず頑張ろう!

 

2013年8月23日金曜日

フルート定例会etc.

毎月20日頃になると電気の使用量の知らせが郵便受けに入る。暑い毎日、エアコンはフル回転。今朝も起床後、2時間も過ぎると蒸し暑くてたまらない。雨になるのだろうか。 

さぞかし電気料金は多いと思っていたら思ったほどでもない。ガスはほとんどゼロに等しく、その分、電気料金は多い。

そう思っていると、ドアホンがなる。電気のメータを見に来たという。下水道の配管、外壁の修理などいろんな業者の訪問販売が耐えない。我が家は義兄が一級建築士でその道のプロ。すべて義兄を通して家のリフォームを依頼する。

 昨日来た人も変なヤツ、と勝手に思い込み、メーターは西側の外壁にある旨ドアホンで告げる。しばらくすると、なにやら音がする。へんなところを触られていらぬことをされても困る。それでもしばらく様子を伺う。だが気になる。

外へ出ようかどうしようかしばしためらう。 日中でもあり、思い切って外に出る。業者は3つあるメータを全部外し、なにやら点検している。これは変な人ではないと思い、声を掛ける。

ある家で不具合が見つかり、電力会社から依頼されてきた保安協会の人だった。 電気料金が安い、と思ったがメータの不具合は我が家では関係ないことだった。これで一件落着。 

しばらくすると、郵便が届く。その中に葉書もある。先日、山形先生に暑中見舞いを兼ねて読んだ本の感想を手紙に書いた。昨日はその返事だった。嬉しかった!

葉書を見ると今月7日、全国紙に先生の本が紹介され、あちこちの読者から手紙が届き、お盆には大阪のボランティアの依頼で講演もされたという。

 頂いた葉書にひかれて、昨日のフルート定例会に行く前、紀伊国屋書店に立ち寄る。そこで似たような葉書を探すと見つかった。いつも官製はがきや絵葉書で葉書を書いていた。だが、昨日の葉書は便箋のように一枚ずつ切り離すと葉書になる。いいモノが出回っていると改めて知る。 

さて昨夜のフルート定例会。メンバーはいつもの3人。尾道の人から大きな房の葡萄をいただく。手にすると重い!立派に実った葡萄だった。30房くらい葡萄は実ったとか。ありがとうございます。後でいただきます。

 昨夜はいつもと違って、少し街中のお店に行く。3人とも初めてのお店。入った瞬間から感じがいいお店だった。そう思うからか、ビールも食事もとても美味。それぞれの料理ごとにでてくるタレなども他店では見られない。それにも驚く。 

いつもの如く、ビールを飲んで美味しいものを食べて楽しい時間はあっという間に過ぎていく。 尾道の人はビールの銘柄も気に入られた様子。

知人も気に入ったらしく、新年会はここで・・・との言葉も出る。いい感じはお店を出るまで続いた。 なんといってもこの会はフルート定例会。来月のピアノあわせもそれぞれ日程も決まる。だが、それ以外はフルートの話は相変わらずでない。これも可笑しい。 

ともあれ、来月の定例会後にはフルート発表会も控えている。少しは納得いく音が出せるよう、練習、練習!

今日は曇っていて蒸し暑い。それでも午後は予定通り泳ぎに行こう。今日も元気を出して!

2013年8月22日木曜日

「何かを得れば何かを失う」

晴天の続く猛暑日も広島では昨日で12日続く。これは猛暑日の連続日としては最長の記録とか。だが、この青空も今日までらしい。明日から数日はお天気も悪くなりそうだ。

こう暑さも続くと日中に用がなければ家にいる時間が長くなる。友だちに電話したり、メールをしたり。それも飽きると本を読んだり、フルートの練習をする。また、買い物などは太陽が沈みかける時間帯に自転車で出かける。そして究極はあまり見ないテレビを見たりする。

昨夜は徹子の部屋に姜尚中が出ていた。数年前に長男を自死で喪う。先日、読んだ柳田邦男の本でも次男を自死で喪っている。それぞれ25歳前後、引きこもり、精神をわずらう、の3点が共通点。

夜のニュースでは65歳以上の一人暮らしの男性の17%は2週間に一度くらいしか電話や直接会って話をすることがないとか。ところが女性はその4分の1と少ない。

それもそうかもしれない。一日も人に会わない日はない。というか、玄関を開けて一歩、家を出ると誰かと出会う。出会おうと思わなくても自然に出会う。そういう環境にいるのかもしれない。また、ずっとこの町に住んでいるからかもしれない。

いずれにせよ、人と話をせず、家に引きこもって過ごすことは考えられない。

夜には眠たいのを我慢して「真夏の夜の美輪明宏!」の番組を見る。やはり第一線で活躍している人にはえも言われぬオーラが漂う。若い人々の間で再ブレイク中とか。

自宅での取材もある。さすが一流の芸能人。豪華な室内。だが、かなりストイックな生活らしい。タバコ、お酒は飲まず、遊びにも行かない。ただ仕事先と家の往復だとか。

美輪は「何かを得れば何かを失う」という。

確かにそうだろう。また、母の話題で申し訳ない。つい、母の言葉がまだ頭を掠めてしまう。

母はいつも言っていた。「すべてが揃った人はいない!」と。この言葉は「何かを得れば・・・」と同じように思える。母が元気だった頃、弱音を吐くことがあった。その都度、母は励ます意味で話してくれたのだろう。

美輪は羨ましい人がいないと言い切る。この世で何の問題も抱えない人はいないからだとそのように言う。

先ほどの2人の偉い人たちでさえ、誰も不幸を背負っていたとは思わなかったはず。ところが、2人とも先の震災を機に、事実を述べ始める。

先の震災は多くのヒト、モノ、コトを奪っていった。だが、それはもしかしたら悪いことばかりとはいえないかもしれない。これからいいコトもあるだろう。

2013年8月21日水曜日

連続の猛暑日

お盆休みも終わり、昨日から平常の毎日に戻る。とはいっても毎日が日曜日の身。お盆休みは習い事などの休みのことになるだろう。

昨日のフルート。全体合奏のCDを聴いて練習して出かける。だが、さらってもらっているとあわない箇所がある。練習しよう。次はソロを先生の弾かれるグラビノーバにあわせて吹く。いい調子で吹いていたはずが、最後のあたりでまたもリズムがあわない。これも練習しよう。最後はアンサンブルの曲を吹く。低いパートなので一番低いド♯の音が出しにくい。この箇所は中のド♯に変更する。

暑い日々が終わると次にやってくるのはフルートの発表会。昨日はピアノあわせの日程も決まる。発表会の本番は毎年のことながら思うように吹けていない。だが、それも今年はマイペースで頑張るしかない。

吹けない、とはいっても習い始めの頃と比べるとそれなりに吹けるようになっている。なんでも「継続は力なり」。根気だけはある。頑張ろう!

それにしてもメディアを賑わすエジプト情勢。ついに国立博物館略奪とある。これは以前、カイロで見た国立考古学博物館とは異なるのだろうか。同じであっても異なっていても、いずれにせよ、博物館は宝の山。それが略奪され、貴重な遺産が保護されないのは、異国の人間であっても残念。

以前、アフガニスタンのバーミヤンの遺跡もタリバンによって破壊された。いつか国が落ち着いたら見に行きたい、そう思っていた。このような貴重な遺跡はいつまでも残したいものだ。

それにしても暑い。広島の11日間猛暑日の連続は2010年とタイだとか。以前にはなかった連続の猛暑日。2010年夏といえば母が食事をとるのが難しくなった頃だ。年齢もさることながら、暑さも加わって衰弱していったのだろうか。

いずれにせよ、夏バテはあっても冬バテは聴かない!?

何たって先日の成田からの帰国者がインドの方が涼しかった、と話していたくらいだから、日本のこの暑さは半端じゃないはず。

暑さに負けず、今日も一日元気を出して頑張ろう!

2013年8月20日火曜日

「居抜き」

空を見上げると真っ青に晴れ上がっている。いくぶん秋の気配?を思わせる。だが、日中の暑いこと、暑いこと。昨日は最高気温36度。この夏一番の暑さと感じる。40度や41度の四万十市はさぞかし暑いことだろう。

この暑さでエアコンはフル回転。昨日は朝、ゴミだしのあとは夕方、庭に水を撒くだけで一切外出せず。

ゴミだしで近所の4軒とばったり出会う。話を聞くと隣組の人が熱中症がどうか知らないが救急で運ばれたとか。その話を聞いたばかりなので、余計暑さに気をつける。

だが、暑いといって家にばかりいるのは心身ともにいいことではない。一瞬泳ぎに行く気になる。だが、何といっても暑すぎる。泳ぎは金曜日にお預けに。

外に出ない分、家で本を読む。1冊は柳田邦男の『言葉が立ち上がる時』、もう一冊は亀山郁夫の『偏愛記 ドストエフスキーをめぐる旅』。

柳田の本は集中して読んだ。近いうちブログにアップしよう。亀山の本は読みかけ中。この亀山の本は文庫本で読みやすい。というか、この人に関心を持って読む。久しぶり、本らしい本!?

柳田の本は精神をわずらった次男の自死をもとにして書かれている。こういったことは大概、引きこもりの人が多い。

この引きこもりは以前からあった言葉だろうか。若い頃、学校を出て仕事につけない期間がすこしあった。その間、家に引きこもる、ということを聞いたことがない。また、若い身分で何もせずぶらぶら過ごすことに後めたささえ感じた。

今朝の地元紙をみると、引きこもるどころかアメリカに渡り、イチローの妻の美容院を「居抜き」で買っている人がいる。この「居抜き」、居合い抜きは知っている。だが、これは初めて知るキーワード。辞書をすぐ調べてやっと理解する。何とお粗末。

その人は広島県北出身の児玉浩史氏。イチローに美容師の技を認められ、シアトルで奮闘し、常連客も増える。2009年、イチローの妻の店で働き、認められてその美容院を「居抜き」した記事。

何でもいい。とにかく外へ飛び出してやってみる。若者は家に引きこもってはいけない。一人閉じこもって考えれば、ますます泥沼へと考えは深まるばかり。

若い頃、人から言われる言葉に敏感に反応していた。そしていつも先々を考えて悩んだこともあった。今となってはそれも懐かしい!

そして仕事に行き詰ると、「命まではとられはしない」と先輩からよく笑って言われたりした。くよくよした性格も今はどこへ・・・?

今となってはこういってくれる人もいないのだろうか。それとも皆、自分のことで精一杯なのだろうか。

何であれ、どんなに生きても一生は一生。母はいつもそういって慰めてくれた。楽しく生きるほうがいい、と言いたかったのだろう。

そう、今日も楽しい一日を!

2013年8月19日月曜日

『なぜ人間は泳ぐのか?』

今朝は湿度が高い。先週の天気予報で今週から気温も高いのに加えて湿度も高くなる、は当たっている。これじゃ、ますます暑さが体にこたえる。 

昨日、お墓から帰り、シャワーを浴びてゆっくりしていると突然の来客がある。姪が3人のチビを連れて我が家にやって来た。 前回はいつ会っただろうか。ちょっと会わないうちに皆、大きくなっている。以前の落ち着きのなさも薄らいでいる。

一番小さいチビはまだ体も小さい。母である姪は「頭ばかり大きくて体が小さいでしょ?体重は14キロ」とチビに向かって話している。

そのチビが、突然、巻き舌で「トルゥトルゥトルゥ・・・」と音を出す。これはスペイン語の“R”の発音を学ぶ時、練習するように言われたこと。未だにその巻き舌が出来ない。

 チビに「すごい!スペイン語を学ぼう!」と話すと得意な顔をする。これをみると余計か わいい。下の2人のチビはできるが上のチビは出来ないらしい。

以下はいつもの如く、図書館で借りて読んだ本である。『なぜ人間は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史、現在、未来』(リン・シェール 高月園子訳 太田出版、2013年)。

本の裏表紙には「歴史を通じて、水泳ほど親しまれているスポーツはないだろう。人間をとらえて離さないその魅力はどこにあるのか?水中に身を置く深い喜びはどここから来るのか?なによりも泳ぐことを愛し、69歳でダーダネルス海峡の横断泳に挑戦した著者が、水泳をめぐる歴史、科学、文化などあらゆる面を考察。軽快な語りとともに紺碧の海へと誘う脅威に満ちたヒストリー」とある。

筆者ほどの水泳に対する気負いはない。だが、泳げるようになって運動の楽しみを初めて知ったモノとして、ここに書いてあることは私にとってのまさにバイブル。またいつものように気になる箇所を記そう。

・水泳は私の救世主だ。真冬に、またはとりわけ忙しい一日の終わりに、またはコンピュータの画面に長時間向かったあとに、どこにいたいかって?答えはいつも同じ。水の中。11p

・水泳は地上での限界を超えて体をストレッチさせ、あらゆる痛みをやわらげ、すべての筋肉をほぐしてくれる。しかし、それはまた内面への旅でもあり、敵意に満ちていると同時に慣れ親しんでもいる水の分子に包まれて、心おだやかになり、人の声や現代生活の妨害から解放されることでもある。新たな可能性に思いを寄せ、問題を解決できる気に―解決したいという気に―させてくれる。なんといっても、わたしは魚座なのだ。11p

・水泳は精神を集中させ、心を深い思考に導く。そして大きな夢を見させてくれる。14p

・本書は泳ぐこととそれがわたしたちの人生にもたらす恩恵への賛歌である。18p

・平泳ぎを例外として、水泳では脚より腕が重要で、全パワーの八〇パーセントが腕から供給される。21p

・水泳は古代ギリシャの文化に深く組み込まれていたため、プラトンは「無知な人とは、文字も読めなければ、泳ぐこともできない人である」という、紀元前三六〇年にはよく知られていた諺を引用している。26p

・水泳は若者を英雄に変えた。ローマ時代の貴族は男らしい技能の一つとして泳ぎ方を教えた。27p

・水泳はまた武術の一つでもあった。28p

・ローマでは水泳が武勇のシンボルとして、また尊敬の対象として人々の会話にのぼっていた。31p

・中世には水泳は軍事的な機能に移行した。33p

・一五八七年、聖職者で哲学者でもあるエヴァラード・ディグビー牧師が、水泳を「無知の深淵と忘却の粉塵から救う」ために、『泳法について』という小さな教本を著わした。・・・近代において初めて水泳が、スポーツ、技能、リクレーション、つまり“楽しみ”のために、すなわち単に敵を撃退するためではなく、それ自体を目的に行うものとして教えられたのだ。34p

・水中にいる熟達したスイマーは、最も素晴らしい運動から最も完璧な喜びを享受し、最も幸せな精神状態にある、最も幸福な人間に分類される。70p

・健康
運動の中では水泳が最良だ
筋肉と胸部を強化し
肉の部分を引き締める
脚と腕を広げ、伸ばし、
素早い反動で
縮めて、戻す
最良であると同時に
それにはすべての運動が入っている
そして最も完結している
それは、競わずして激しい運動であるからだ
―エドワード・ベナード医師の詩『健康』より、一七六四年

・水泳は究極の自力本願スポーツだ。他のスポーツではみんな助けになる何かを手にしている・・・・水泳においては用具の不具合は、すなわち、体のどこかが壊れたことを意味する。79p

・水泳教室で習う前によく見られる泳ぎかたで、明らかに水の中を這って(クロール)進んでいるように見えるという理由から、オーストラリアの水泳チャンピオン、チャールズ・スティードマンはこれを「クロール」と呼んだ。91p

・スイミングは「歳を取ることに価値を見出してもらえる唯一の場所」。140p

・生涯にわたって泳ぐことを愛した毛(沢東)は(「きみは水泳をするか?水はいいぞ」と言ったそうだ)・・・・175p

・屋内スイマーを楽にする新しい道具がいろいろ出ているにもかかわらず、髪の問題を解決してくれた人はいない。塩素は髪から色や艶を奪う。ラテックスは毛包を破壊するだけでなく、わたしたちをどうしようもなく醜く見せる。スイムキャップが改善される見込みはないのだろうか?人間を月に送る技術があれば、素敵なスイムキャップくらい作れるはずだと誰もが思うだろう。ところが、そうはいかないのだ。199p

・泳げ
つらいときにも、とにかく泳げ
世界中が見ているよ
今までがんばってきたのは
ここで挫折するためじゃない

この歌のタイトルは、(泳げ“スイム”)

そう、泳げ
沈んじゃダメだ
ただ地平線を見つけるんだ
きっと、きみが思っているほどは遠くない

これはジャックス・マネキンというバンドを率いる才能豊かな作曲家兼ピアニストのアンドリュウー・マクマホンが、白血病の治療に耐えた恐怖の一年半の後に書いた歌だ。220p

・水泳は実際に自分のためになるし、たぶん、その効用はわたしたちの想像さえ超えている。そして泳げば泳ぐほど、ますます効用は増す。251p

・水泳は手に入る最高の全身マッサージだ。252p

・水には治癒力がある。「不機嫌なアシカ状態で水に入っても、出てくるときはスマイルしているイルカよ」とは、カリフォルニアの耐久スイマー、キャロル・スイングが、一九九九年に当時女性としては最年長(五七歳)のドーバー海峡完泳者になったときの言葉だ。252p

・水泳はいいちばん安価な抗うつ剤で、わたしの知る限り、二番目に有効な睡眠剤。いや、いちばんかもしれない。252p

2013年8月18日日曜日

季節は秋!?

先ほどお墓参りから帰る。墓地近くで盆灯篭を片づけて帰る人を見る。その人は我が家の近くで手に持っている灯篭の竹の束を地面に置く。そして汗の吹き出た顔を拭う。思わず「先ほどの・・・」と声を掛けるとそうだった。

盆灯篭はお盆が終わるとその後片付けが大変。

今日は母の月命日。先日お盆のお墓参りを済ませている。今朝は墓参りをするかどうか一瞬ためらう。だが、母がいなくなって丸2年半、月命日は今年の2月を除いて欠かさずお参りしていた。そう気づきお墓参りをする。

先ほど、家に着くや否やシャワーを浴びる。頭から顔から汗のしずく。どうすることもできないほど汗たらたら。

昨日東京在住のある人のブログを見ると、早朝ジョギング中、公園内の露草を発見、と投稿している。その季語は秋。だが、小さいころどこにでも咲いていた露草。今はもうあまり見かけない。

露草といえば、小さい頃、父に麦わらのストローで作ってもらった蛍籠を思い出す。その中に蛍と露草を入れて遊んでいたことを。そういえば露草はホタルグサともいう。 

先週の日曜日、合唱を聴きに行く途中の町で、真昼に赤トンボが飛んでいた。それも珍しく、一緒に出かけた人にそう告げると驚かれる。その人の住む町には赤トンボはよく飛んでいるらしい。赤トンボの季語も秋。

 毎日暑い。だが、自然界の季節は間違いなく秋なのだろう。それにしても暑い!シャワーを浴びてもまだ汗が吹き出る。やっぱり秋はまだ遠い。

2013年8月17日土曜日

ゴッホ展へ行く

鯉と亀(上の白く見える方)
昨日は避暑を兼ねて県立美術館で開催中の「ゴッホ展 空白のパリを追う」を見に行く。お盆明けで会場の人出は少ないとの予想は見事に外れる。親子連れで賑わっていた。

以前、ここの館長の話を聞いたことがある。それは15歳までに美術館へ3度、足を運べば美術館好きになるという。今回この催しのチラシを見ると中学生以下は入場料は無料で、先着1万名にゴッホのすごろくプレゼントとなっている。これは主催者側の美術館に対する熱意が伺われ、素晴らしい。

素晴らしい、といえばゴッホもそう。生きてるうちにその才能を認められず、彼の死後、絵画も売れだす。今回の展示のキーは弟テオと同居していた1886年から1888年のゴッホに焦点を当てている。その間、オランダ国立ファン・ゴッホ美術館の研究の成果をこの展覧会で解明する。

その中には弟テラの自画像もある。

オランダの国立ファン・ゴッホ美術館といえば思いだす。以前にも投稿済みだが、それは23年前の話。その年のお正月、トルコへ出かける。雪のためトルコからの飛行機が飛ばず、オランダで足止めとなり、日本へ帰国できなくなる。その際、旅の延長の全費用を旅行社が負担。飛行機のメドがつくまで、美術館めぐりをする。その一つがゴッホの美術館だった。

その時のことは覚えている。中でも一番よく覚えているのは日本の浮世絵の展示が多数あったことと、美術館前で購入した印刷の絵画を手にして写真に収まったこと。

その旅行がこれまで出かけた中で唯一の大きなハプニングだった。

それを思い出しながらゴッホ展を見て歩く。絵画に派手さはないもののなぜか憂いを含んでいる。「森の小道」の絵が気に入ったので、その複製画を買おうとしたけど販売されていない。

一般的に好まれていないのだろうか。

見終わると美術館内のカフェに入る。隣の縮景園を見下ろしながら珈琲とケーキでしばしティータイム。

それを終えると隣の縮景園の入場が美術館のチケットを提示すれば無料とのこと。暑い午後、久しぶりに庭園内を散策。

池の淵を歩いていると鯉に混じって亀が仲良く泳いでいる。亀の泳ぐ姿も珍しい。そう 思い携帯で写す。亀の数と鯉の数、さてどちらが多い!?

以前母と出かけたときは園内で亀は甲羅を干していた。そのときも、かなりの数の亀を見た。

優雅な気持ちの後で、駅前のデパートに立ち寄って一涼み。またいらぬものを買ってしまった。これもまあ、楽しみ。それもよかろう!暑い一日は終わった!


2013年8月16日金曜日

汗をかく

毎日本当に暑い!この暑さは日本ばかりではなさそう。今朝、ある先生のツイッターを見ると昨夜の北京の暑さを「ミストとサウナ状態。暑いのはともかく、なんでこんなに蒸すんだ~!」と述べている。

その後で地元のおっさん達がやっているように「シャツを首までまくりあげて、太鼓腹を出して街中を歩いてしまった。東京に帰ってもくせになりそう(苦笑)」とある。 

また勝手に引用させてもらった。これを読んで朝から可笑しい。書いた人のその様子が浮かんでくる。 こういうときツイッターやFBをやりたくなる。だが、ためらう。なぜ? 

暑さ対策で「シャツを首までまくりあげる」ことはできない。だが、昨日はプールで泳いで暑さ対策!? 

お盆はきっとプールの人出も少ないはず、との予想は見事にはずれた。1コースを3人で泳ぐ。25メートル泳ぐたび、後から泳いでくる人に「先に行ってください!」と声をかける。それを聴いてそのまま泳ぐ人もいる。ところが親切な若者は「大丈夫です!僕もゆっくりですから・・・」と声を掛けて先に泳がせてくれる。

そんな時は泳いでいても気分がいい! 昨日も背泳ぎとクロールで1キロ泳ぐ。 
だが泳いだ後、シャワーだけでは落ち着かない。昨日は洗顔とシャンプーを持参。違反だが、シャワーでこっそり髪を洗って洗顔して帰る。それでも家に帰るとすぐにお風呂に入りたくなる。 

週に一度プールに行く。泳いだあとは、「これで今週も一仕事をした」との気分に浸る。

泳ぎに行く前、午後はプールに行く旨、電話で友人に話す。すると昨夜、友人は夕方から畑で草を取った、と負けずに自身の仕事ぶりを電話で言う。

 何であれ、体を動かして汗をかくのはいい!さすがに泳いでいると汗はかかない!?実際はどうなんだろう?

2013年8月15日木曜日

情報にのぼせて

お盆も過ぎようとしているのに毎日暑い!エアコンの出番がないのは一日24時間のうち3,4時間あるかないか。これじゃ、エアコンのダウンと共にニンゲン様もダウン!?そうならないように上手に利用しよう。

1,2ヶ月くらい前から国際政治学者のブログにはまっている。イスラーム諸国を専門とする高橋和夫のブログ。なんといってもイスラーム圏はわからないことが多い。これもアラビア語などその国の言葉を学べばもっと理解できるのかもしれない。

この人のブログはこれまで訪問した限りでは、特別な記事がない日は各国で写した写真をシリーズで投稿。それ以外は自身がメディアに書いた記事をブログにアップしている。 一般的には、メディアに書いた記事でもそのメディアのタイトルだけを掲載する人が多い。

ところが高橋はそうではなく、それをブログにアップする。これはイスラーム事情など関心を持つものにとっては参考になる。あり難い記事だ。

あり難いといえば、昨日、予約確保のメールが入った『なぜ人間は泳ぐのか?』。これを借りてきて夕食後、一気に読む。

この「泳ぐ」のキーワードが「あり難い」。 もしも、今ほど水泳にのぼせていない頃だったら、この言葉も目に入らなかったはず。 近いうち、これをブログにアップしよう。

昨日は他にものぼせてしまった。先日友だちに教えてもらった「スチームケース」。付録のレシピ本を頼っていたら、いつまでも使用しない。そう思って友だちの言うように先ずはアスパラ、ジャガイモ、はもなどをレンジでチンする。

以前から茹でることはすべてレンジに頼っていた。だが、タッパーでチンしていた時よりも、スチームケースの方が後の仕上がりが色鮮やかだ。すぐに水で冷せばさらに鮮やかになる。これをお皿にもって柚子のポン酢などでいただく。 この便利さを皆に教えてあげたい。No.4さん、教えてくれてありがとう!

都市ガスの使用量は少ない。これでますます使わなくなりそう。それにしてもこの暑い中、便利なものが出てくる。またそれは、手間隙もかからない。

もっとレパートリーを増やして、そう、お肉などの料理も増やそう。これでまた、カラダも元気溌剌! 今日はもう少しすると泳ぎに出かける。これでまたまた元気になる。今日も頑張って!

2013年8月14日水曜日

お盆の一日

広島湾を見下ろす山の麓にある墓地の盆灯篭
昨日午前、お上人さんが参られる前に姉夫妻と墓参りをする。我が家は日蓮宗。安芸門徒特有の盆灯篭を立てず、お寺で祈祷された塔婆2本を持参する。 だが、我が家のまわりのどのお墓もカラフルな灯篭を立てている。その中に混じって今年亡くなられた家のお墓は真っ白い灯篭で悲しみを誘う。

墓参りを済ませるとお上人によるお盆の「棚経」がはじまる。普通のお経との違いはわからない。母は父の月命日の度にお上人に参ってもらっていた。

そのためか、いつの間にか覚えたのだろう。参られる際のお経は諳んじていた。それに引き換え、お経をまったく覚える気がない。お盆の供養が終わると姉夫婦と一緒におひるを食べに車で出かける。

午後からは、図書館へ行く。借りていた本を返却し、新たに2冊借りる。
暑い夏の日、エアコンの中にいても、かなり集中しないと本を読むというよりも字面を追う感じになる。 

平常気ままに過ごしている。ところが、昨日のように家の行事があると草臥れる。その点、何も干渉されない静かな毎日は何と気楽なことだろう。

夜は友人から電話がある。友人は今月末のコンサートを聞きに行けるかどうか決めずにいた。それはヴァイオリニストの古澤巌の演奏会。そのチケットを入手したという。いつもその人からは誘ってもらうばかり。相手に気を使うので好きなことは一人で行動することが多い。だが、この件に関しては声を掛けた。何たって古澤巌は神のヴァイオリニスト。楽しんで聞いてもらえれば嬉しい。 

その後は先日合唱に出演した知人と電話で話す。2つのレクイエムだったが、最初に聞いたハイドンもよかったと話す。すると知人はそれがメインだという。

本番までを控えで手伝いながら眺める。出演するには本番前のリハーサルやその他もろもろの準備を入れると、なかなかの体力勝負。そう話すと、何と本番の日までに10回も練習したという。 何をするにも、それをすることが「好き」であり、また「体力」もいるだろう。これは歌だけに限らずなんでもそうかもしれない。 

その「体力」を維持するためにも泳ぐようにしている。だが、今日はゆっくりしてプールは明日にしよう。幸いお盆は水泳教室も開かれない!

2013年8月13日火曜日

仏壇の父母と対話!?

年に一度素顔を見せる我が家の仏壇。時に姪のチビたちに「開けて、開けて」とせがまれて扉を開けることもある。

中のほこりを取り払い、きれいに整えてその日を待つ。両脇の花瓶に新たな花を活け、お供えの菓子類、果物そしてお鉢とお水などを供える。明かりを灯し、ローソクを立て、線香、座布団、お布施を用意する。とはいっても横着をして今年もとうとう盆提灯は出さずじまい。申し訳ない。

先ほどお寺から届いたリーフを見るとお盆の法要は「棚経」と書いてある。この言葉は初めて知る。 

昨日は暑い中、先日お寺で行われたお盆法要の塔婆2本を受け取りに行く。お寺につくとお上人は境内におられる。挨拶をして塔婆をいただく。だが長い塔婆は自転車に乗って帰られない。

押していると、地元の古い薬局前で老婆が一人困った様子。事情を聴くと、電気がついているのにお店が閉まっているという。 その人はかなり遠くから歩いて薬を買いに来ている。

気の毒に思い、裏の方に廻ったり、近所の人に聞こうとするがどこも留守。一人留守でない家がある。やっとこさで玄関まで出てもらう。だがその人は耳が遠い。何を話しても埒が明かない。

諦めてさっきの老婆にその話をする。その人はお礼に・・・と言って札を渡そうとする。ついには自転車にお金を入れる。だが受取るわけにはいかない。 携帯電話を持参していればその薬局に電話をかけることもできた。生憎、近所に出かける時は持ち歩かない。 

暑い中、その人が本当に気の毒になる。「気をつけて!」と声を掛けてその場を離れる。 

昨日の朝、友人から電話で1ヶ月後にある、ある会合に出席するよう誘われる。いつも人から何やかやと親切に誘ってもらう。それはこれまで経験したことのないことが多い。これほど親切にしてもらうのだから、たまには他の人にもお返ししたい。 

今日はこれからお上人さんが参られる。仏壇に鎮座する我が父と母。まだまだやりたいコトがたくさんある。それが終わるまでは二人のいる涅槃へ行かれそうにない。 仏壇に対座する度に流れていた涙も今はもう大丈夫。後30年いや100歳まで見守っていて!それまで元気で頑張るけん・・・。

2013年8月12日月曜日

合唱団の定演を聴きに行く

昨日は知人の所属する合唱団の定期演奏会を聴きに行く。聴きに行くといっても猛暑日の続く夏の日、何といっても暑い。暑さ対策をして出かけるがそれでも暑い。

尾道の人と一緒に演奏会場に行く。いつもながら最寄JR駅から会場までの道はただその人について歩くだけ。覚えにくいところに会場はある!?

会場に着くとすでに受付などの係りは到着済み。プログラムに入れるリーフが他にも届くらしく、それまでしばし待機する。 リーフも届くとそれを一斉にプログラムにはさんでいく。こういう作業は走ることは遅くても人よりも早い!そう思いながら作業を進める。

それを終えると昼食まで一緒に出かけた人とゲネプロを見に会場に入る。どの出演者もまだ舞台衣装ではなく普段着のまま。その光景も面白い。

その後、昼食のお弁当を頂く。だが、何処にお弁当があるのかわからない。一緒に出かけた人についてお弁当の場所についていく。楽屋裏は何と迷路のよう。はぐれないようにその人について歩く。

お弁当を受取った後は、舞台を通って客席に降りて行けば受付けに到着する。そう言われてそのまま通り過ぎる。ちょうどいい楽屋裏の見学となった。

昼食後、受付けの手伝いの用意をする。すると、以前スペインへ同行した男性の若いソリストに大きな花束が届く。それを見たソリストは頂く相手が誰だかわからない様子。しばし考えている。その間、スペインへ行った話をすると覚えてくれていた。 今も、ヨーロッパと日本を行き来して活躍しているらしい。

本番の始まるまで、受付け横のソファーでストレッチをするとその人は言う。そしてもしかして寝ているかもしれないので開演時間も近づいたら起こすようにと告げてソファに行く。 その様子を見るとソリストの人は体を動かしたりして本番にそなえている。傍で見ていても本番前のプレッシャーたるや、さぞ大変なのだろうと感じる。

しばらくすると開場になる。外の暑さで早めに開場するとか。出演者への贈り物を受取る係りをする。さすがにこの暑さ。以前と比べて花束は少ない。だが出演者への贈り物は相変わらず多い。

 その中には七夕のようにこの定演にだけ会う人もいる。昨日も数人いた。同じくスペインでお世話になった姉妹の姉の人と出くわす。にこやかな顔でこちらを見ておられる。すぐにその人とわかった。しばし係りを忘れて話に没頭する。

しばらくすると、何と懐かしい顔がある。遠めに見ていても高校時代の仲良しの友だちとわかる。声を出して名前を呼ぶ。やはりその人だった。もうかなりの年数、会っていない。だが、背格好の変化がない人はいくら年齢を重ねてもわかるもの。同級生もわかってくれて、係りを離れてしばし談笑する。

「以前のブログも見られなくなった」といわれ、母がなくなって新たなブログのタイトルをプログラムに書いて知らせる。いつも見てもらっていたようで嬉しかった。 頂く年賀状にはご家族の様子も書いてあり、大体の察しがつく。「お母さんはお元気?」と尋ねると、それなりに年老いておられる様子。それでも健在ならば何よりのことだ。

演奏開始の合図がなる。会場へ入って席を探していると先ほどのお姉さんから声を掛けられる。ありがたく横に座らせてもらう。
昨日の演奏曲目は以下の通り。

 ♪ ミヒャエル・ハイドン:レクイエムMH155

 ♪ モーツアルト:レクイエムKV626

どちらもレクイエムが演奏される。そこには主催者の演奏する意図が込められているのだろう。 先日の“モツレク”との違いはよくわからない。だが、楽器のオルガンの大きさの違いは音の響きが大きく異なる。他にもハイドンのレクイエムは決して“モツレク”に勝るとも劣らない。

貰ったプログラムノートによると「かの天才児モーツアルトの名曲レクイエムが、ここまで似た作品があることを、しっかり認識した思いが強かったからである。」とある。

昨日の出演者で、指揮者、ソリスト2名、合唱団員13名の計16名はスペインへ同行した人たち。いい演奏会だった!

それにしても演奏会への行きかえりのJRの混んでいたことは半端でない。まるでラッシュ時並み。昨日は宮島の水中花火大会とカープの巨人戦がある日。2つの行事が重なれば込み合うのも当然だろう。それに加えて、何と暑かったことだろう。 何もかも燃え尽きた夏の一日!? お蔭でぐっすり眠る。

今日はこれから明日のお盆の準備で忙しい。先ずお寺へ塔婆を受取りに行き、仏壇のお供え物、お供えの花など準備しよう。 今日も一日暑さに負けず元気を出して!

2013年8月11日日曜日

福の神!?

毎日暑い!太陽が焼きついたアスファルトの上を歩くときはサウナの中にいるように暑い。

昨日は夕方からスペイン語講座へ出かける。昨日も新しい人が受講する。以前からこの講座で習っている人曰く「講座存続の危機も免れた!」。

2月からこの講座でスペイン語を学んでいる。その頃は受講者も少なく危機状態にあったとか。だが、今では新たな人も増えてくる。昨夜の新人受講者は独学でスペイン語を学んでいるらしい。とはいっても英語はペラペラ。聴くところによると、外国人が多く滞在するホテルに勤務している若者だ。

 だがこのクラスはスペイン語中級クラス。仕事でスペイン語圏へ勤務をしていた人や留学経験者、そして長年スペイン語を習っている人が多い。そのなかに混じって、昨日の若者や落ちこぼれのモノが学ぶ。

昨夜の人も学ぶかどうかためらっている様子。大丈夫だから続けるようにと言って励ます。

なんたって人を呼び込む福の神!?自分で勝手にそう思っている。世話役の人も「2月から人が増えたね」と言ってもらって・・・。

講座が終わって外に出るとまだまだ暑い。連日の熱帯夜。ダウンしないようにしよう。

今日はこれから郊外まで知人が出演する“レクイエム”コンサートの受付けの手伝いを兼ねて聴きに行く。

昨日午前、知人と電話で話す。一昨日もレクイエムに出ている。「一番中央で歌ってたね!」と話すと聴いているモノもどこにいるか見えたとか。だが、フルートの先生の出番はプログラムに掲載されていてもわからなかったようだった。先生はレクイエムの前の曲を演奏されたと話す。

他にも知人から同じレクイエムでも指揮者によって演奏もことなると聞く。今日は一昨日の“モツレク”との違いを聞きくらべるのもおもしろいだろう。

今日の演奏会はもう20年以上出かけている。だが、それも母の介護で2,3年聴きに行かれない時期もあった。その間に演奏会場も変わり、さらに大きいホールとなる。暑い中、沢山の人の来場があるだろう。 

今日も一日暑さに負けず元気に過ごそう!

2013年8月10日土曜日

“モツレク”を聞きに行く

昨夜は“モツレク”を聞きに行く。ある指揮者がタクトをふるとき、必ずといいほどバッタリ出会う友だちがいる。昨夜もそうだった。 

その友だちと出会うときはフルートを習っている人と一緒に聞く演奏会が多い。 

演奏が終わって帰ろうとすると、友だちは指揮者に挨拶に行くという。行くまでの短時間にフルートと関係ある人が2名出演していると話をする。そして、その2人の出演者はフルートの先生とフルートを習っている知人で、聞きに来ている私たちもフルートを習っている、と話す。するとそれを聞いた友だちは「まだフルートを習っているの?」と、驚いたように言う。 

友だちは若い頃、東京の放送局に勤めていた。そこで知りあった人と結婚し、広島で暮らしている。そして昨夜の指揮者とは広島で知り合っている。そのため、その指揮者がタクトを降るときは演奏を聞きに行くのだろう。 

その人とは20年位前にアジアを学ぶ会で知り合う。その後、友だちは太極拳の講師の資格を取得し、今はカルチゃーセンターなどで教えている。 昨夜も、「〇〇放送のカルチゃーセンターでも教えているね?」と話すと「習いに来て!」と言われる。すぐに、「週に一度1キロ泳いでいる!」と告げると少し驚いた様子ながらも「水泳もからだにいいよね」。

 昔からの友だちは泳いでいることを知らない。水泳の話をその場で言わなくてもいいモノをついつい口から出てしまう。 

偶然とはいえ、年2,3回バッタリ出会う友だち。さて次回はいつになるやら。 
一緒に聞きに行ったフルートの人とは明後日もモツレク(モーツアルトのレクイエム)を聞きに行く。昨夜、その人に「これは日曜日の“モツレク”と同じ?」と尋ねると“モツレク”は一つしかないとか。何度も聞いてる割にそれも知らない。なんと恥ずかしいことやら。それにしても夏にふさわしい、いい演奏会だった。

2013年8月9日金曜日

『聞く力』

昨夜のスペイン語の“media”のキーワード。これは「半分」とか「30分」の意味。ところが、これが変じて、からだの半身を身に付けるものに変化するとストッキング、ソックス、はてはメリヤスにもなる。外国語を学んでいてこれはおもしろい。

他にはフラメンコの季節なのか、スペイン語の人たちも明日、明後日は市内でフラメンコの催し物に参加するという。だが、どちらも用があるので行かれない。 

今朝は一昨日調子を崩していた友人に電話する。朝食はまだの様子だが、元気そうな声だった。3,4日、家で休養するとのこと。それもいいかもしれない。 
電話をきると、先ほどまで自転車に乗って出かけ、用を済ませる。それにしても暑い。 

1月に予約した本をやっと読む。筆者はお見合い30回以上云々を述べている。よくぞここまで書いてくれました、と思うと同時に身につまされるものがある。

母も妹に先を越されたモノにたいして、いろいろと危惧することもあっただろう。だが、その母も自身が衰えるにつれてわが娘を手元におきたかったのでは、と思うこともある。そんなこともすべては過去のこと。元気で楽しく暮らしている今となっては、それも由としたい。それにしても筆者の父親がいう「ズボンはいてりゃ誰だっていいだろう」の件は、ひどすぎる。 

この本を読んで他にも「今日は一段と・・・」の件も、当てはまる。家の近所に80過ぎの感じがいい人がおられる。その人は外でバッタリ出会うたび冗談交じりでそう話される。介護する人の世話役をされていた。あまりにも話題が可笑しいのでついつい長話になる。これも「聞く力」!? 

『聞く力』(阿川佐和子 文藝春秋 2013年)、サブタイトル「心をひらく35のヒント」を読んだ。またいつものように気になる箇所をメモしよう。 

★ 不信感を相手に抱かさないためにも、私はできるだけ余計なものを排除して、会話に集中することを心がけます。質問の内容はさておき、「あなたの話をしっかり聞いていますよ」という態度で臨み、きちんと誠意を示すことが、まずはインタビューの基本だと思うからです。56ー57p 

★ 人生において誰かの「一言」がどれほど大切なものであるかを考えるとき、インタビュアーのほんの小さな相づちも、「きちんと打たなきゃダメだ」と肝に銘じます。85p 

★ 「・・・私が二十七歳になったとき、忘れもしない、父はこう言ったんですよ。『二十七とイヤア、歌舞伎の世界では老婆だ』って。ひどいでしょう。その頃から、『いちいちケチつけてないで、ズボンはいてりゃ誰だっていいだろう』と言い出したんだと思いますね」130-131p 

★ 私は週刊文春の対談を始めるにあたって、城山三郎さんんのような、『名相づち打ち』になることを目指してきました。・・・対談を始めて四年後、河合隼雄さんに出会い、「ただ聞くこと。それが相手の心を開く鍵なのです」そう教えられ、後ろ盾を得た気持になりました。149p

★ 一つの答えをさらにかみ砕いて話してもらいたいと思ったときに便利なのは、オウム返し以外にも、「具体的には?」や「たとえば?」などです。159p 

★ 「わかるわかる」は、そもそも親切心から発せられる言葉に違いありません。でも、言い方を少し間違えると、あるいは安易に使うと、ときに傲慢と受けとめられる恐れがあります。190p 

★ 「これはこれは。また今日は一段と・・・」必ず決まり文句をおっしゃいます。・・・どうやらその真意は、「こう言っておくと、だいたい、いい意味に解釈していただけますからね」という独特の三宅流処世術のようです。(注;三宅とは三宅久之氏のこと)242p

★ 人の話を聞くときは、具体性というものが大事なんだ。・・・「具体的な話をしないとダメだ」と最初に教えてくださったのは、遠藤さんでしたね。・・・天国で遠藤さんはきっと呆れていらっしゃることでしょう。何の役にも立たなかった対談アシスタントが、まさかインタビューの仕方について、本を出すなんて、世の中変わったなあと、苦笑しておられるかもしれません。252p

2013年8月8日木曜日

夏バテしないように!

昨日は立秋。だが夏の暑さは昨日から20日までの2週間くらいが本番となる予報。昨夜も暑くてエアコンと扇風機をつけっぱなしにして眠る。つけっぱなしといってもエアコンは温度設定をしていると自然に電気が入ったり切れたりする。

昨晩、寝ようとして横になっていると友人から電話がかかる。どうも夏バテのようだった。前日、疲れすぎて眠られなかったらしい。すぐにタクシーで病院へ行き、点滴をしたという。夜には元気を取り戻し、電話もかけられるようになったと喜んでいた。 

夏バテはヒトゴトではない。今のところ睡眠と食事と運動に気をつけて元気に過ごしている。この1つでもリズムが狂うと夏バテになりそう。しばらくは運動を兼ねての自転車での買い物は真昼をさけるようにしよう。

今朝はNO.4さんから電話がある。聴くところによるとフェイスブックを始めたとか。ボランティアなど頑張っている人だから、それを世界に発信するのもいいかもしれない。ところが折角のフェイスブック。まだ始めていないモノにとっては電話でいろいろと教えてもらう始末。 やってみたくもあるがさてさて、いつのことになるのやら・・・。考えよう! 

今日から日曜日まで毎日外へ出かける予定。出かけるまで、やっと順番が廻ってきた『聞く力』他4冊の本を読もう!夏バテしないよう、今日も元気を出して!

2013年8月7日水曜日

『旅だちの記』

昨日は夕方からフルートのレッスンに出かける。最寄JR駅で列車を待ちながら、扇子を出すと横が一箇所ぽきんと折れている。夏にはセンスは必需品。レッスン前にそごうによって扇子を購入。

レッスンではソロの曲を集中してさらう。先生のグラビノーバの伴奏に合わせてフルートを吹く。少しあわない箇所もあるがどうにかあってくる。 

レッスン後、広島駅で帰りのJRに乗る。この列車は、何と居酒屋風の概観を模している。乗る際、これに乗っていいのかどうか一瞬ためらう。 最寄駅で下車後、携帯で写真を撮ろうとする。だが、生憎列車はすぐ発車。嗚呼残念。呉方面行きの列車だった。車両のなかは一般の列車。だが概観は居酒屋。写真がないのが残念。窓まで居酒屋風だった。

片倉もとこ『旅だちの記』(中央公論新社 2013年)を読んだ。「旅だつ」とは辞書によると今いる住まいから場所を移すこと、旅に出ることとある。一般的なそれは喜ばしいことだが、人生の終焉を意味する「旅だち」は読んでいて切ない。 イスラームを主とする文化人類学者の筆者は自身の死を人生最後のフィールド・ワークとすべくこの本を著す。

真夏の昼間、窓を閉ざしてエアコンの中でこの本を読んでいると読むものまで病気を患いそうになる。 ただ死へと向かうフィールド・ワーク。それも終末期のがん患者のそれは読んでいて辛い。

つい先日も東京の友だちが若くしてがんで亡くなる。その人も筆者のような気持ちで最期を迎えたのだろうか。 ガン死は母のように年老いて衰弱するそれとは異なる。痛みのため七転八倒する母を見たことがない。ところがガン死は読むものまで痛みをともないそう。 

今年の2月に筆者は亡くなる。その2月までこの本は綴られている。それは記述と言うよりもパソコンや録音されたものだろう。 「実はわたし、人生最後のフィールド・ワークに出かけることにいたしました。パソコン環境もよくないところで、ましてや、郵便も届きません。」と最後に文を結ぶ。 

そう、郵便も届かないところへ行く。母はそこへいくことを「百万億土」と表現していた。いくらお金を積んでも帰って来れない場所へのフィールド・ワーク。さぞかし筆者は残念だっただろう。

またいつものように気になるところをメモしよう。 

★ 理で解する「理解」でなく、・・・情で解する「情解」が必要です。・・・「理解」と「情解」の二つを合わせたときに、人が共に生きていくための「了解」が成り立つのではないでしょうか。58p

★ 沙漠はアラビア語でサハラとかバーディアとか呼ばれます。日本語で「サハラ沙漠」と言われるのは、「さばくさばく」とダブっているわけです。・・・沙とは「水が少ない」という意味で、「砂漠」でなく「沙漠」とするのが正しいとされています。・・・漢籍でも「沙漠」と書かれ、「砂漠」と書かれることはあまりないようです。109-110p 

★ 文化と文化が出あう。人と人が出あう。お互い今日も生きている幸せを再確認しながらコーヒーをくみかわし、ウードの音に耳をかたむける。そういった自然と溶けあうような時間の流れのなかが、アラビアでは、仕事よりも遊びよりも、人生のなかで何より大事だといいます。116p

★ 「ゆとり」と「くつろぎ」をたして「りくつ」をぬいた「ゆとろぎ」。理屈ぬきに生をいつくしむのが大人のすること。116p

★ グローバリゼーションによっては、たくさんの文化・文明が、地球上のあちこちに咲くことになりましょう。しかし、ユニバーサリズムを金科玉条とするグローバリズムは、かなり暴力的にさえなります。ユニバーサルのユニ(uni)は、ひとつということ、バーサル(verso)は向かうという意味です。ひとつの方向に突進するものです。・・・それは、地球上にある文化・文明の多様なる美しさを、のっぺらぼうにしてしまうことになるのです。たくさんの文化、複数の文明を、ひとつの物差しではかり、文化・文明の間の対話、融合を阻んでしまうことになり危険性があるのです。121p 

★ イスラームでは、イエスもムハンマドも、神の言葉をあずかる預言者。キリスト教でもイスラームでも神はアラビア語で、おなじように「アッラー」とよばれるが、イスラームがキリスト教と違うのは、神は姿かたちをしてはいないとする点である。128p

★ パソコンやカメラには、はまりやすのに、ひとつの宗教にはまることはできず、うろうろしながら文化人類学という学問をよすがにフィールド・ワークに明け暮れていたころ、沙漠のなかで砂に埋もれて寝るような毎日だった。・・・なにもかも大自然におまかせで眠ってしまう、あの幸せ感を生の最後にもてたら、と思うのは贅沢なことだろうか。わたしの小さな生を、やっと全うできるときには、「みとられる」などという事態にならんよう、そっとひとりで、できれば沙漠の砂にうもれて、できれば秋の枯葉にうもれて、自然の静寂のなかに、ひっそり消えていきたい、と切に願っている。できるだけ誰にも知られずに。131p

★ きのうは湘南高校で、やっと、講演をしました。わたしの人生最後の社会奉仕。若い人たちへのメッセージをつたえられたかな。多少、激しいことも口にしたけど。国家は暴力装置だというようなこと。うっかり結婚なんぞするな、とか、生まれてきたのはミスだった、とか。だから、生まれたとき、みんな「しまった」、と泣くでしょう。「オギャーしまった」とか。164,165p

★ わたしの原点は、やっぱり沙漠だなと感じている。緑化することだけがよいのではない。沙漠のままの文化を大切にしたい。わたしの遺産は、その学会をつくるためにつかいたい。183p

★ イスラームから吸収したことで、「人生とは学ぶことだ」というものです。306p

★ イスラーム女性(ムスリマ)に関する無知と偏見 その3つの理由として 1 「明治以降の西洋志向」 2 マスコミの責任 イスラームで起こる戦争など 3 部分の拡大解釈 女性はベールを被るなど307,308p

★ 津田塾大学でカナダ人の先生から学んでいたころ、「宿題が出たのか出なかったのか、もちろん、宿題の中身もわからない。ねえねえってあちこち聞きまわる、そんなことをやっていたから、これはアメリカにでも行って勉強せんといかんなあと思ったのです。・・・運よく合格して、それだけの理由でアメリカ にわたりました。そこでわたしはイスラームに出あったのです。・・・イスラーム世界のことをちょっと勉強せないかんなと思ったのです。304,305p

2013年8月6日火曜日

「平和の夕べ」コンサートを聞きに行く

昨夜は平和公園内にある国際会議場へ“「平和の夕べ」コンサート~天上のシンフォニー”を聞きに行く。指揮者は広島交響楽団常任指揮者秋山和慶、演奏曲目は下記のようであった。 

♪ コープランド:静かな都市   
  トランペット/フランシスコ・フローレス コール・アングレ/板谷由紀子
♪ シェスターコービッチ:ピアノ協奏曲第1番ハ短調Op.35   
 ピアノ/小曽根真 トランペット/フランシスコ・フローレス
♪ マーラー(ブリテン編曲):野の花々が私に語ること(交響曲第3番~第2楽章)
♪ マーラー:交響曲第10番嬰へ長調「アダージョ」(1964年全集版) 

2曲と3曲の間にゲスト2人のアンコール曲(「ナターリャ」他2曲)が演奏される。今夜のハイライトはこのアンコール曲、と思えるくらい感動する。 

演奏会に行く途中、広島駅下車後、どしゃぶりの雨になる。しばし、駅で雨が雨が止むのを待つ。小雨になったところでバスに乗り換えて本通りバス停下車。久しぶりに原爆の日を前にした平和公園を通り過ぎる。

急激の雨で幾分ひんやりした公園内。行き交う人は外国人も多い。公園内は今日のために準備された椅子が並べられ、テントも張り巡らされている。慰霊碑前は観光客の祈りの列。傍では警備を担当する警察官の姿。その横を通って会場に到着。 

トランペットの奏でるメロディは透き通った哀愁が溢れる。ピアニストの小曾根との絶妙な音楽は原爆の日に相応しい!?いい演奏会だった!  

2013年8月5日月曜日

原爆の日を前にして

日中の暑さにぐったりするのかよく眠る。寝る子は育つ、といっても寝すぎかもしれない。とはいっても寝ている間に体力が回復すると聞く。そう思えば、よく眠られることは体にいいだろう。 その代わりといっては変かも知れないけど日中はよく動く。

昨日は朝、友人から電話がかかる。前日、ある会合に出席し、そこで偶然3人と出会ったという。その人たちはどの人もよく知っている。聞いて驚く。 友人はその日の夜も会合に出席する。そこでの話題は今秋、ある国へのツアーを組むという。そのツアーに友人は誘ってくれる。

だがその時季、他の国へのツアー参加を申し込み済み。だがこれは催行されない気がする。日付がダブっていなければその人の誘いにも応じよう!

電話を切ると、またかかる。同じ人からだった。急遽、市内で会うことにする。新幹線口のいつものホテルロビーで合流し、そのまま最上階でランチ。日曜のお昼時、新幹線付近は旅行客で溢れている。だが、ホテル最上階はそうでもなく落ち着く。 山のほうへ目をやると、友人の住むあたりまで見渡せる。そこでお昼を食べながら話を聞く。

友人は今朝プリントアウトしたパソコンのメールを見せてくれる。 今は、関東地方で医師をしているその人の従弟からのメールだった。 律儀な従弟は発展途上国へ医療活動に行くという。 友人は幼いころ同居していたその従弟へのいろんな思いから考え込んでいるようだった。 

話を聞いていて、医療活動する従弟の気持ちもわかる。それを心配する友人の気持ちもわかる。どちらもわかっても、当事者でないものはどうすることもできない。 

頭がよい人、優しい人は世界で起こるさまざまなデキゴトに自ら対処しようと行動を起こすのだろうか。凡人はただただそれを聞いてあげることしかできない。 

明日は原爆の日。今朝の地元紙を見るとスポーツ欄や株式欄以外はすべて原爆に関する記事が掲載されている。

先日の地元の広報誌を見ると、原爆投下後、母が探し歩いた姉一家は原爆でなくなり、幼い兄弟だけ残った従兄の死亡記事を目にする。

今夜は「平和の夕べ」コンサートを広島国際会議場へ聞きに行く。今週末にはレクイエムのコンサート、日曜日もコンサートを聞きに行く。広島の街は8月は祈りの日。そう思って今夜も出かけよう!

2013年8月4日日曜日

「スチーム・ケース・ぺティート」購入etc.

毎日蒸し暑い!この暑さを乗り切るためにきちんとした食事、睡眠、運動が欠かせない。一つでもそのリズムが乱れると病気になりそう。

その食事。友だちと料理の話になる。昨日午後、話の中で出た「スチーム・ケース・ペティート」を早速駅前のデパートで購入する。友だちから送付された写メールを売り場の係りに見せる。先日まで品揃えされてたらしい。だが、それも売り切れとなる。取り寄せをお願いすると品物は入荷しないという。仕方なく、形の違うものを購入する。

今日からこのぺティートを使用して電子レンジの料理が始まる。だがその前に使い方を覚えないといけない。幸い、レシピ本が添付されている。当分、ぺティートにはまりそう。

それにしても世の中、いろいろと変化している。売り場の人に皆どうやってこの商品を知るのですか、と尋ねるとテレビの宣伝で知るという。テレビは余り見ない。ましてや民放はほとんど見ない。これじゃ、時代に取り残される!?

幸い教えてくれる人がいるので助かっている。

ぺティートを購入後、スペイン語講座へ出かける。昨夜は新たに2人入る。1人は仕事でスペイン語圏へ出かけていた人らしい。もう1人は留学経験者。習わなくてもスペイン語が話せる人たちだ。 その中に入って相変わらず一番落ちこぼれで学ぶ。

以前10ヶ国語が話せるといってた人は1ヶ月前くらいから来なくなる。偉そうに振舞う人は来なくなるモノ。やはりその人もそうだった。

落ちこぼれは予習が欠かせない。一言もスペイン語を話さずに教室を出るのは悲しい。与えられたテーマを予習してノートに書いて講座に出席する。発表の時は一番先に書いてきたものを発表する。人の発表はよくわからない。だが、わからないなりに聞いている。 いつの日かわかる時が来ればいい。そう思って教室に通う。さてさて、その日はいつになるのやら。ただ、頑張ろうという気持ちはいつもあるのだが・・・。

2013年8月3日土曜日

外へ目を向けて

一昨日の地元紙にスマホに群がる「うつむき加減」の若者に対して上向きに顔をあげて「空」を見ようよと呼びかける記事を見る。記事を書いた人は前の国立天文台の所長。その気持もよくわかる。 スマホもタブレットも常にうつむき加減で画面を操作する。決して外には目を向けず、ただ画面に集中するだけ。

気持ちを落ち着かすべく、昨日は午後から泳ぎに出かける。この「泳ぐ」コトは簡単。だが、泳ぐまでの心の準備の方が泳ぐよりも大変。なにしろ、日中の一番暑い時に水泳用具一式を持ってJRに乗ってプールまで行く。プールに入っても水着に着替えるのがこれまた大変。だぶだぶの水着では効果がない。かといって、今の水着のように体にぴたっとしすぎも一苦労。

それもプールに入ればどういうこともない!?始めから水にぬらして着替えればもしかすると楽に着られるかもしれないが・・・。

プール近くの高校生のクラブがコースを一つ占有している。クラブの指導員のけたたましい掛け声の傍でコースを他の人と泳ぐ。顔を上にして泳ぐ背泳ぎではクラブの人の水飛沫が顔に当たり時に息苦しさを覚える。しばらくこうして泳ぎ、そこから離れたコースに移動する。 夏休みの間はプールの中の水は波がうねりをあげてるようだ。

昨日もこうして1キロ泳ぐ。夏休みの平日の昼間。中高年は少なく、小学生やクラブの高校生が多い。泳ぎ終えて更衣室に行くと小2や小3のかわいい子供達がこれから水泳教室で学ぶという。 それを見ていると子供のころから泳げることが羨ましいとともに同じ水泳の話ができることが楽しい。

バルセロナでは今、世界水泳大会開催中。 これを見るのもまた楽しみ! ともあれ、今日も元気で外へ飛び出そう!

2013年8月2日金曜日

問題は解決した!

神様はいた!嬉しかった! 

考え抜いていると知恵が浮かぶもの、また誰かが助けてくれるもの、そう実感する。

先ほど、やっぱりパソコンの送信を何とかしようと思いあぐねる。先日、OCNから「重要なお知らせ」のメールが入る。そのため、そのことが今回関わっているのでは、と頭を掠める。送られて来たその受信メールからフリーダイヤルを見つける。ダメ・モトと思い勇気を出して電話する。

その前にドコモに電話するとOCNとは関係ないと冷たくあしらわれる。 ところがどっこい、OCNは親切だった。電話をかけると5分ほど後に掛けるようにとのアナウンスが流れる。その間、待てないのでスピーカンホンにして電話を置く。しばらくして男性の声がする。 その人に送信できない旨、話す。すると丁寧に応答される。

言われるままにパソコンを操作すると、何と送信サーバーが何者かによって変更されている。 応答した人が神様に思えた。結局タブレットは関係なかった。 

その後、その電話応対のアンケートがあるという。すべて「いい」方に報告。 こうなった原因を聴くとわからないとか。多分、「重要なお知らせ」にあったようにメールアドレスのパスワード変更がこの件に関係あるように思われる。だから重要なお知らせとなったのだろう。それにしてもパソコンに振り回されたことには間違いない!だが、これで問題は解決した!

ネット依存!?

今朝の地元紙によると「ネット依存中高生51万人」との記事がある。これはヒトゴトではなさそう。

先日来からタブレットで遊んでいるとNHK国際放送の一部の箇所で外国語放送が聞かれなくなる。タブレット画面の選択画面でどうも余計なことをして触ったらしい。昨日は再度その画面を出して試みてもいい結果にならない。

次はタブレットでメールをすると送信の仕方がわからない。なんといってもアイコンの説明がなく手探りで触っているうち、またも変な画面が出る。余計なことをしなければいいモノを、ocnでなくgoogleのパスワードの画面がでる。ついついブログのパスワードを入力する。.その結果が困ったことになる。

パソコンの送受信で受信はできても送信になるとエラー画面が出る。 気になりだすともうそのことにばかり気になる。すぐにドコモにTELして、スペイン語講座に行く前に立寄る電話をする。 到着するとお客は珍しく少ない。すぐに係りに話すが要領を得ない。若い女性が見てくれるとタブレットの送信はOKという。次に国際放送の画面を出してその話をする。要領を得ない。

他の係りを呼んで相談するがそれも要領を得ない。 どこかへ電話して問い合わせをし始める。それからが何と長いこと。結局1時間経ってNHKの方でタブレットでは聞かれなくなっているという。

スペイン語を終えて家に帰ってもまだ気になる。やはり、パソコン上のメールの送信は出来ない。もう諦めてNTTへ聞けばいいモノを夜中までタブレットとパソコンを立ち上げて考える。やっぱり分からない。今朝もダメ!

地元紙にでていたようにネット依存症になってはいけない。別にパソコンがなくてもタブレットがなくても命に別状はない。それなのにかなり依存している。 今日は午後から頭を冷す意味でも泳ぎに行こう!家の中にいるからこういうことになる。外へ、外へ目を向けよう!

2013年8月1日木曜日

ランチョン・コンサートへ行く

昨日のお昼時、女子会NO. 4さんに誘われてランチョン・コンサートを聞きに行く。演奏者は平原誠之。頂いたパンフによると“魂を奏でる奇跡のピアニスト”とか。確かに一度聞けばそれもわかる。 友だちは義姉に誘われて初めて聞いて以来、いたく感動したらしい。また友だちの義姉もプレイガイドで3年前パンフを見て聞きに行き、それ以来、ファンになる。

昨日のランチョン・コンサート。このキーワードも初めて知る。ランチョンはランチよりも気取った感じとか。確かに。演奏会場も広島駅新幹線口近くの新しい結婚式場。この中に入るだけで異空間を感じる。建物から傍のロケーションから何もかも豪華なこと。そんな 真夏のお昼の演奏会。

先ずは入り口からホップ・ステップ・ジャンプならぬリズム感あふれる音楽とともにピアニストのご登場。そして各テーブルに陣取る客人を歓迎するパフォーマンスでピアノに向かう。 若干33歳。若い!ピアノと一体となってクラシック音楽・自身の作曲した曲・映画音楽などジャンルを問わず弾きまくる。

そう弾きまくる感じがピッタリ当てはまる。 どの曲もすばらしい。中でもドヴォルジャークの「スラブ舞曲10番」、これはフルートで吹いた!?平原誠之の「梅たたずむ思い」、モンティの「チャール・ダーシュ」は特によかった。

一見「ごっつい」体つきで武道をしている人にみえる。だが奏でるピアノ曲はゴージャスながら繊細さを併せ持つ。 前半の演奏が終わるとお食事会。各テーブルに5人ずつ掛ける。友だちの義姉を中心に集まる5人。

話をしていると何とこれまた世間は狭い!ふとひらめくものがある。咄嗟に「〇〇さんをご存知ですか?」と話すと「〇子ちゃん!」。これを聞いて吃驚仰天。一気に親近感が沸く。 なぜいつもこういう風に頭を掠める人がいるのだろう。その時は大概、その勘があたる。昨日もそうだった。怖い気さえする。 というのもその名前の友人の知り合いが多いと言うことだろうか。

平日の午後のひと時、美味しいものをいただきながら優雅に過ごす。なんと幸せなことだろう。

主催者側の世話人も一人ずつ席を廻って挨拶される。友だちは以前一度聞いている。その後、平和公園付近で演奏の合間に散歩していたピアニストとばったり会い、その時の様子を興奮気味に係りの人に話す。ピアニストは立ち止まって丁寧に応対してくれたと言う。

後半の演奏が終わる。だがまだ太陽は燦燦と輝く。友だちと近くのホテルの21階に上がりしばしティータイム。 それにしても世間は狭い!