2021年12月25日土曜日

『96歳のピアニスト 室生摩耶子』その2

 屋根の修理が連日、続いている。昨日も屋根瓦の漆喰を塗り替える作業のようだった。職人さんによると屋根の瓦は色によって滑りやすい瓦があるという。赤い色の瓦は露がつくと黒いのよりも滑りやすいそうだ。我が家は黒い色の瓦だ。屋根瓦は午後には終わり、その後はベランダの床を外す業者が来られる。親子で仕事をしていて県北から毎日のように市内に通われるという。昨日の市内は気温が高く暑いと話される。

 昨日は工事仲介の電気屋さん、それに工事のおおもとの業者2名、瓦屋根の職人さん、ベランダの工事の業者2名と次々に来られる。今朝はベランダの下の瓦棒の工事の人が1人来られている。これが終わればベランダの床の取り外し部分を取り付けに来られる予定。今日中に工事は終わりそうだが、それにしても家に人が出入りされると草臥れ果てる。 

 景気づけにリベルタンゴを練習するが曲の最初からいい音が出ない。1オクターブ高いミの音から低いミを出し、つづけてレドシラシー、と吹くがシの音の8拍の息が続かない。人が家を出入りすると笛を吹くどころではなく、ただ本を読んでばかりいる。じっとしていると体に良くないと思うがこれも今日までの辛抱。読むのに時間がかかる司馬遼太郎の本も気合が入るのか楽に読める。

            

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『96歳のピアニスト 室生摩耶子』(室生摩耶子 小学館、2017年)から気になる箇所を抜粋。とくに「ずだ袋」のキーワードを拾い集めた。

★私はよく「人生の悲喜こもごも、喜怒哀楽、体験したことは全部、ずだ袋のなかに入れる」という話をします。「ずだ袋」といってもお若い方はわからないかもしれませんね。この前、リュックサックみたいに背負う袋ですか?」と聞かれましたから。「ずだ袋」とは僧侶が首から堤げ、行脚をしながらお布施でいただいたお米やら食べ物を入れておく袋です。その中身は、僧侶の血となり肉ととなっていきます。私も、人生からいただいた経験を「ずだ袋」に入れています。すると、それがときに塾生、発酵して、私を豊かにし、育て、いろいろなことを教えてくれるのですよ。……そんないろんな思想の深さというものを、「ずだ袋」が授けてくれる。10年前と今とでは「ずだ袋」の中身の濃さも変わり、だからピアノの表現も変わって当然なのです。私が「若返りたいなんて思わない」というのは、若いころの「ずだ袋」は今に比べてすかすかだったから。天才ピアニストなら「ずだ袋」なんて不要でしょうが、凡人の私には90年以上生きてこなければわからないことがいっぱいあります。(42-43p)

★その兄は帝大に入っていくらも経たないうちに、結核で亡くなりました。……その時の母の悲しみというのはものすごく深刻で、涙を流すのを通り越したような状態だったのです。病院を出て、お茶の水橋から下を流れる神田川をじっと身じろぎもせず眺めていた母が「それでも、世の中は動いている」のひとことに、まだ14歳ぐらいだった私はその悲しみの絶望的な深さを感じました。こんな悲しみは、実際に体験しなければわからない。これが私の「ずだ袋」の原点です。以来、私は自分の経験したありとあらゆるできごと、思いを「ずだ袋」に詰め込んできました。それが私の血肉となってきたのです。 (70-71p)

★自分の経験したこと、考えていること、感情の深さ、そのすべてが奏でる曲に出てしまう。……全部さらけ出されてしまうんです。いくら表面を繕ってみても無駄なのね。ピアニストなんて哀れなものですよ。だから、「ずだ袋」が必要なのです。人生で経験して「ずだ袋」に入れておいた、喜び、怒り、悲しみ、楽しさが熟成、発酵してにじみ出ている。年を経て同じ曲を弾くたびに「なんで今まで、このことに気がつかなかったのだろう」という発見があるのも、「ずだ袋」の中身が古酒のようにこっくりと味わいを増すおかげです。(130p)

★ドイツでも長く独り暮らしをし、今も、ひとりで暮らしていて孤独を感じることはありませんが、「そうか、長生きするとこんな寂しさが待っていたのか」としみじみ思います。でも、それを嘆いてみてもどうしようもないので、こんな寂しさも「ずだ袋」の中に入れるとしましょう。(149p)

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