今日はこれから最後のリハビリに行く。リハビリを終えるのがいいかどうかは自分で判断せねばならない。その点は気になるがリハビリの再開はいつでも可能とのことで深くは考えないようにしよう。ただ病院との縁が続くのは喜ばしいことではない。その意味でもセルフリハビリに切り替える!?
『歴史の世界から』(司馬遼太郎 中央公論社、1996年改編3刷)を読んだ。以下は気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★大阪城をとって天下を得た徳川氏は、大阪城をすてて天下をうしなった。この巨城は、信長以来、つねにあたらしい権力者の目標となり、史上数度もその総攻撃の前にさらされた。しかも、武力によって陥ちたことは一度もなく、つねに政治情勢の変化のために前時代の主権者は、この城を出ざるをえなかった。この城が開城するとき、日本史はそのつど、つねに一変した。ふしぎな城ではないか。維新のとき、大阪城を皇居として帝都を大坂におく案がほとんど決定しかけていたが、結局は、江戸城が皇居になった。大坂城の運のわるさを考えあわせると、そのほうがよかったかもしれないと思うのである。(「歴史を変えた黄金の城」55p)
★江戸へ江戸へと押しかけた諸国の庶民のうち、伊勢者がめだって多かった。しかも、近江者とならんで成功率も高かった。徳川時代を通じて、江戸の商家の屋号でもっとも多かったのは、伊勢屋であった。⋯⋯いまでも、その遠い江戸のむかしから伊勢屋の伝統はのこっている。デパートの伊勢丹、松坂屋などはそれである。(「川あさり十右衛門さん」75p)
★イエス・キリストが、人種的にはユダヤ人で、『旧約聖書』の世界にうまれたことは、いうまでもない。かれはユダヤの預言者のひとりだったが、かつてユダヤ教が一定の律法に従ってしか関心を示さなかった病苦という問題にかれは密着し、『新約聖書』的世界で活躍し、かれの死後、かれに対する崇敬の思想は非ユダヤの世界でうけいれられた。ローマでキリスト教世界が成立するとき、ユダヤ教徒の不幸がはじまったといっていい。キリスト教徒によってユダヤ教徒はたえず迫害されつづけ、迫害されることがユダヤの歴史のようになった。第二次大戦のナチスのユダヤ人に対する暴虐は、過去から連続してきた同質の事態の繰りかえしにすぎないともいえる。(「石上玄一郎氏と『さまよえるユダヤ人』」224p〜225p)
★テオドル・ヘルツル(一八六〇〜一九〇四)は、シオニスト団の結成者である。紀元前七〇年に国家をうしなったユダヤ民族がユダヤ人の土地シオン(イエルサレムの別名)を回復しようという政治団体でこの運動はイスラエル建国で一応の目的を果たした。石上氏が邂逅した上海のユダヤ青年は、シオニストであったということであろう。石上氏の上海におけるユダヤ体験は、一九四五年の日本の敗戦とともに終了する。(「石上玄一郎氏と『さまよえるユダヤ人』」228p)
★神道という名もなかった日本の固有信仰というのは杜をあがめることであった。はるかに降って信仰を賢しらに飾る思想が出てきて、社殿ができ、職業神主が棲みつき、さらにこんにちでは神社を神主の暮らしのたねにするようになった。本来、杜だけが信仰の場であったものを、杜まで伐りたおして金銭を得ようとするなどは、卒倒したくなるような猛々しさである。
私はいわゆる神道に何の関心もないが、しかし人間の暮らしから樹霊の連り添いと樹霊への崇敬との心をうしなったときに、人間の精神がいかに荒涼としてくるかをうすうす気づいていて、おびえるような気持ちでいるこの襍(ざつ)を編み、この襍に参加された諸氏の気持ちもそこにあることを知った。樹を語りつつも、その基底には人間の仲間のゆくすえに対する深い憂いがあるように思えてならない。(「樹霊について」331p〜332p)

