敏々日記
2026年5月23日土曜日
モップ
2026年5月22日金曜日
薬が減った!
アクシデント後、3回目となるリハビリに行く。リハビリに行く日に雨が降るのは初めてだ。雨で足元が悪く滑って転ぶと大変だ。なんとか無事に一日は終わった。リハビリ前に先生にプールの許可を問うとまだ早すぎるとか。毎回、このことを聞こうと思っていたがやっと昨日、聞けた。そして、うれしかったのは薬が1つになったことである。
もともと、病院嫌いで薬嫌いだった。それも自分の意志ではどうにもならないことがある。看護師に薬の件を聞かれてすぐに3つのうち2つは飲まないと告げた。いつまでもだらだらと薬を飲まされるのは嫌だ。幸い、看護師さんがそれを話されて飲まないことになった。
それなのに薬局へ行くと薬が減っていると怪訝な顔をする。薬は毒にもなる。飲まなくていいものは飲みたくない。
リハビリ後、広島駅まで出て駅構内のパン屋に入り、軽くお昼を済ませる。レジに向かうと菓子パン2個とコーヒーで計1501円もする。席に座ってレシートを見るとサンドイッチが500円余とある。レジに行ってレシートを見せるとサンドイッチ代を返却してくれた。それにしてもお店は混んでもないのにいい加減なことだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年5月21日木曜日
リハビリへ
雨がやみそうな朝を迎える。今朝はこれから3回目のリハビリが待っている。忙しい一日となりそうだ。アクシデント後、人の出入りが多くなった。そのためかよく眠る人間がさらによく眠る。
ネットによると生きていて最低限、自分で服が着れて、自分で食事ができ、自分でトイレに行かれるだけで幸せだとか。確かにそう思う。何か事あれば自分一人で何もできない。そう思えばこの3点ができるだけで幸せと思おう。とはいっても以前の元気さと比べるとまだまだだ。リハビリを頑張って早く元気を取り戻さねば……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年5月20日水曜日
迷惑電話の設定解除
固定電話にかかる見知らぬ電話番号は迷惑電話に設定している。先日、0800、0120、050でもない携帯電話番号からの着信があった。スマホでこの番号を調べると怪しそうだ。すぐに迷惑電話に設定した。昨日、固定電話が通じない旨を別の人からの電話で聞かされる。改めて固定電話を調べると迷惑電話にしていた。道理で通じないはずだ。すぐに迷惑電話の設定を解除しようとしたが解除できない。いつもなら迷惑電話がいっぱいになれば古い方から解除していた。それなのにどうやっても解除できない。
かなりパニックになっていたのだろう。この頃は電話番号といえばスマホの番号を知らせている。しかし書類などは固定電話の方を書いている。そのため、相手方の番号をスマホに登録していても固定電話へは登録漏れがある。
だいぶ落ち着いてきたころ、再度、迷惑電話解除を試みるとすぐに解除できた。この間、電話機マニュアルを出して調べたりと大変だった。何事もいざ、となると慌ててしまう。
昨日午後、今季初めてエアコンをつけた。扇風機はとっくに出している。今日も暑くなりそうだ。せめて頭だけは熱くならないようにしないといけない。落ち着いて、落ち着いて。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年5月19日火曜日
ジンバブエの敷物
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| 敷物の裏面 |
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| 敷物の表面 |
2026年5月18日月曜日
「蛍」
起きてすぐに浮かぶメロディは「蛍」。「蛍の宿は 川端ヤナギ ヤナギ……」から次の歌詞が分からない。生まれてから今の家に引っ越すまでは隣の建て替わる前の家に住んでいた。家の前には小川があり猫柳が植えてあった。まさに蛍が好みそうな宿だったかもしれない。今とは違って家の周りは畑や田んぼがあった。蛍を捕まえると父親が近所の麦畑の麦のストローで蛍籠を作ってくれた。蛍を見るのは夏になれば日常のことだった。
今朝の歌で小さかったころの光景が目に浮かぶ。今は年中、借り上げ住宅が建設される爆音が響き渡るが、当時は静かなものだった。今は田んぼや麦畑は周りを見渡してもどこにもない。
蛍といえば蛍草がある。別名はつゆ草ともいうようだが今でもこの草は線路の付近に生えている。子供のころを思い出しているとどの言葉も情緒がある。今は何でもかんでも言葉がカタカナだ。
昨日もスーパーへ運動を兼ねて出かけた。今日はさてさて何処へ……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年5月17日日曜日
『歴史と視点―私の雑記帳ー』
自宅近くにドラッグストアとスーパーが3軒ある。ドラッグストアは食料品の中でも牛乳、豆腐、卵やバナナなど重たいものを買っている。が、スーパーは野菜や鮮魚などを購入。今は使い分けて買い物している。旅に出るのが当分無理なので今は近場の買い物が一番の気晴らしだ。一歩自宅を出ればだれかと出会う。それは知り合いだけではなく出会う人は皆知り合い?の感覚で話をする。これも結構な気晴らしだ。
今、完全とは言えない中での生活を強いられている。しかし、出会う人の中にはもっと大変そうな人も見受けられる。どこにいても今の状況に満足して生活するしかない。そして元気を取り戻せば、このリベンジを……。それまでは辛抱、辛抱!
3月に読んだ『歴史と視点―私の雑記帳ー』(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年五十四刷)から気になる箇所を記そう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★太平洋戦争には戦略というものはなかった。横井庄一氏のような兵隊を汽船に乗せ、地図にあるかぎりの島々にくばってまわり、配るについては海軍がその護衛をし、まるで棄民のように島々に捨て去りにしたあとは、東条英機という集団的政治発狂組合の事務局長のような人が、東京の大本営で「戦陣訓」というお題目をひたすらに唱えつづけただけの戦争であった。そして横井さんが戦後二十八年してグアム島の密林から出てくるのである。……私はつい不覚にも大正時代に生まれてしまった。このため戦争時代を兵隊として多少体験したということで、後続世代のひとびとからどうやら中州に入れられている。しかしその立場から提言できることがあるとすれば、反戦とか非戦とかという裏返しの旧軍人じみた感情コトバを題目のように唱えることでなく、日本というこの自然地理的もしくは政治地理的環境をもった国は、例えば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な常識を認識としてひろめてゆくほうが大事なように思えるのだが、どうだろうか。(大正生まれの『故老』)(22p-24p)

