自宅近くにドラッグストアとスーパが3軒がある。ドラッグストアは食料品の中でも牛乳、豆腐、卵やバナナなど重たいものを買っている。が、スーパーは野菜や鮮魚などを購入。今は使い分けて買い物している。旅に出るのが当分無理なので今は近場の買い物が一番の気晴らしだ。一歩自宅を出ればだれかと出会う。それは知り合いだけではなく出会う人は皆知り合い?の感覚で話をする。これも結構な気晴らしだ。
今、完全とは言えない中での生活を強いられている。しかし、出会う人の中にはもっと大変そうな人も見受けられる。どこにいても今の状況に満足して生活するしかない。そして元気を取り戻せば、このリベンジを……。それまでは辛抱、辛抱!
3月に読んだ『歴史と視点―私の雑記帳ー』(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年五十四刷)から気になる箇所を記そう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★太平洋戦争には戦略というものはなかった。横井庄一氏のような兵隊を汽船に乗せ、地図にあるかぎりの島々にくばってまわり、配るについては海軍がその護衛をし、まるで棄民のように島々に捨て去りにしたあとは、東条英機という集団的政治発狂組合の事務局長のような人が、東京の大本営で「戦陣訓」というお題目をひたすらに唱えつづけただけの戦争であった。そして横井さんが戦後二十八年してグアム島の密林から出てくるのである。……私はつい不覚にも大正時代に生まれてしまった。このため戦争時代を兵隊として多少体験したということで、後続世代のひとびとからどうやら中州に入れられている。しかしその立場から提言できることがあるとすれば、反戦とか非戦とかという裏返しの旧軍人じみた感情コトバを題目のように唱えることでなく、日本というこの自然地理的もしくは政治地理的環境をもった国は、例えば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な常識を認識としてひろめてゆくほうが大事なように思えるのだが、どうだろうか。(大正生まれの『故老』)(22p-24p)
