2020年3月31日火曜日

桜並木の川土手を歩く

 1,2週間前から運動不足解消のため自転車に乗らずに歩いて買い物に行っている。スーパーを出ると自転車で移動中の人が急に止まる。若いころ知り合った人だった。年齢が一回り下の人で隣のJR駅から自転車で買い物に来た帰りらしい。しばし、立ち止まって話をする。40年位前からの知り合いだが、10年くらい単位でばったり出会う。この前は母が骨折で入院していた頃のようだ。40年前は互いにまだ若かった。いつ会っても変わりなく話ができる。先方はこちらの携帯や電話番号を保存していた。近いうち会おうということになり携帯番号を教えてもらう。

 家の前の学校の桜が咲きだした。午後は瀬〇川まで歩いて桜を見に行く。あいにくの曇り空で桜は満開ではなかった。川は2級河川と大きいが、1年半前の大雨の影響で8月まで河川の改修作業を行っている。河川敷では春休み中の子供たちが遊具やスケートボードで遊ぶ元気な声が響く。川沿いのジョギングコースでは散歩中の大人が絶えず歩いている。桜は川土手に咲いている。その土手を5つ目の橋のところまで歩く。途中、ベンチに座って持参した柏餅を食べて、しばし、休憩する。帰りは旧山陽道である西国街道を歩く。小さいころはスーパーもなく、隣町のこの辺りで買い物をしていた。

 街道に沿って建つ家は古くからの建物が多く残っている。途中、大きな建物がある。そこから出てきた人に聞くと隣町の役場だった。古い千葉家〇宅も見えてくる。ここまで帰ると我が家も近い。携帯万歩計は10281歩とよく歩いた。

 コロナの影響で水泳も図書館も何もかも制限された生活を強いられている。昨日届いた広響からのメールでは4月の定演も9月に延期となっている。ほかの広響関係の演奏会も延期のようだ。コロナを嘆いてばかりいても仕方がない。水泳の代わりは昨日、出かけた川土手まで散歩する。これがいい。とはいっても距離は昨日の半分にしよう。それも毎日でなく、週に1,2回程度で……。川土手の桜並木は片側だけで木陰にならず、暑くなると歩けそうにない。それまでにコロナが収まるといい……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

川土手の桜並木 
カラー写真なのにまるで白黒写真のようだ

2020年3月30日月曜日

旅の思い出(イラン)

 今朝のYahoo!news「無職独身40~50代が親の収入頼み、推計57万世帯」を見て驚く。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-00000001-asahi-soci(参照)

 親になった経験がない。報道された人たちの親は年老いても悠々自適とはならないだろう。学校を出て会社員となったころ、それまで会社で働いていた母に申し訳ない気がしていた。就職と同時に母に仕事を辞めてもらった経緯がある。その当時、母は50歳。元気な若者が働かずに親のすねをかじる、とは考えられない。

 人生はあっという間に過ぎていく。何が問題で家に引きこもるのか知らないが、すべての責任を自分自身でなく社会や親のせいにしているに違いない。仕事はなんだってやろうと思えばできる。やらないだけでは……。人のことでムキになることはないが、自分の人生をこういった人たちはどうしたいのだろう。

 話題を変えよう。久しぶりに昔のアルバムを整理する。整理するといっても整理してあるアルバムから写真をすべて外していくのだが……。昨日は1998年8月10日から8月17日までの8日間の「栄光のペルセポリスとペルシャ紀行8日間」の写真を外す。そして、保存したい写真だけを残す。半分くらいを処分した。22年前の写真は現像技術もよいのか、まるで今、焼き増ししたようにはっきりしてきれい。当時は成田発着で出かけている。どの写真もイランがイスラム国のため、頭にはスカーフを被っている。旅の初めころは日本から持っていった黒づくめの服も、途中から現地ガイドに注意されて現地で借りた全身を覆う黒い服(チャドル)を着た。

 アルコール類は御法度の国なので食事時は静かだったことを思い出す。気温はなんと41度とメモしている。暑いうえに黒で全身をまとっているのでものすごく暑かった印象が強い。アルバムには横浜、世田谷、岐阜、群馬の人たちから送付された手紙をはせている。手紙を読むと写真同封と書いてある。だが、写真はすべてアルバムにしまい込んでいるため、どれが誰の写真かわからない。うち、1名変わった名前の人がいる。ネットで調べるとどうも歌人のようだ。その人は旅の記録を送付してくれていた。当時は個人的にパソコンを持っていなかった。今、改めてネットで検索して歌人と知る。

 今は自分が歳をとってきて旅で知り合う人とも昔ほど懇意にならない。それでもいつの間にか知らない人と知り合いになっている。ちなみに、この時の旅費は279200円。成田🚄広島往復代金は入っていない。今、イランのツアーはあるのだろうか。たとえあってもコロナでどこへも行かれない。このままコロナウイルスが収まらないと1年どころかそれ以上、海外へは行かれそうにない。5月にアイルランドを予定していた。これもすべては幻の旅に終わる。昨日のアンダルースではないが、スペインのアンダルシア地方へも行ってみたい。ああ、これから行きたい国がすべて幻の旅とならないようにコロナの収束を願うばかりだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月29日日曜日

♪アンダルース♪



 アンダルースとはスペイン南部アンダルシア地方のこと。この地域は8世紀から15世紀までイスラム圏に属していたが、スペインの征服下に入ってからはかつてのアンダルース音楽の伝統はアフリカ大陸の北海岸一帯のアラブ系諸国で受け継がれ、それをアラブ・アンダルース音楽と呼ぶ。そこにはさらにユダヤ人の音楽も混じり込み、ニュアンス豊かな伝統として今日まで受け継がれている。……https://imidas.jp/genre/detail/L-112-0065.html(引用)

 曲名のアンダルース、と聞いても何の意味かが分からない。ネットで調べると上記のようだった。フルートの某曲集からさらっていないエミル・ペッサール作曲の 「アンダルース Op.20」を練習する。いつものYOU TUBE先生のアップだ。動画をICレコーダに録音して何度も聞く。何度聞いても素晴らしい。こういう曲はテンポ速く吹くよりもこの演奏のような速度がいい。エキゾチックな哀愁ある曲で大いに気にいる。この曲、暗譜で吹けるように練習しよう。自分のフルート18番にしたいほどいい曲だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月28日土曜日

「マズローの欲求段階説」etc.

 先日のザ・プロファイラーで「マズローの欲求段階説」というキーワードを知った。劉邦の野望にこれがあるという。電子辞書で改めて調べると心理学者アブラハム・マズローが唱えた人間の基本的欲求に関する説、とある。それには低次元順に生理的欲求、安全欲求、所属・親和欲求、自我・承認欲求へと進み、最後には自己実現欲求に進むという説。劉邦は漢朝を創始すると自己実現がそこで終わったのか周囲を蹴落としていく。

 話は変わって昨日の地元紙に日本画を習っている人の記事がある。市内に住む中川さん(84歳)で自宅を「団地のギャラリー」として開放されている。年に一度開催の日本画作品展や先生と出かけるスケッチ旅行、そして作品展打ち上げなどで年に2,3回しか出会わないが、とにかく勢いがある人だ。絵を習い始めたころ、バスツアーで1度、席が隣同士になった。話をするとファイトの塊で、こちらまで元気が出る。常に絵のことを考えておられ、教室でしか絵筆を持たないモノとでは大きな開きがある。県美展やシルバー展の入選の常連で元気いっぱいの人だ。ご自宅を開放して絵を見せておられる、とは1度伺ってみたいものである。

 またも話は変わって昨日、郵便受けに大きな書物が届く。もしかして何年か分の本が送られてきた?と封を開くまで勝手な想像をする。送り主は某研究会で送られた書物は『史〇研究』だった。研究会ができて90年になるとのこと。初めて研究誌が発行されたのは1929年とある。戦争などで1942年に休刊を余儀なくされ、1949年に復刊して現在に至るという。この会に入って11年。今回送られてきたのは創立90周年記念号で分厚い本だ。自分自身がここで学んだ証として大事にしたい書籍である。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月27日金曜日

ザ・プロファイラー「項羽と劉邦」を見る

 NHKのBS「ザ・プロファイラー」を見る。今、読んでいる『項羽と劉邦』にぴったりの番組だった。まだ3巻のうちの1巻目、半分くらいしか読んでいないが登場する人物の名前はだいぶわかる。残りの『項羽と劉邦』を読むのが楽しみとなった。番組HPには以下のように書いてある。

★漢王朝を開いた劉邦(りゅうほう)は、40歳までは酒と女性が大好きな「ダメおやじ」。だが民衆に圧制をしいた秦(しん)の打倒に立ち上がる。ライバルは楚(そ)の名将軍の孫で24歳の項羽。圧倒的武力で道を切り開いた項羽と、人を信じ人に愛された劉邦。劉邦は何度も項羽に敗れながらも、最後には勝利し、皇帝となって「漢」を一代で築いた。人生の半ばすぎから一発逆転に成功した、劉邦の人生と素顔をプロファイル!

 秦の始皇帝がなくなった後、項羽と劉邦が戦って劉邦が勝ち、漢ができた。漢は400年続き、その間、「漢字」「漢語」「漢文」など「漢」を冠した言葉が誕生する。劉邦が制した漢の時代、劉邦ゆかりの故事成語が生まれている。主に4つあるそうだ。
 
左遷  位や役職を低くすること
国士無双  国中で最も優れた人物 
背水の陣  一歩も後に退けない状況に身を置き、必死で事にあたること
四面楚歌  周囲が敵ばかりで孤立すること

 番組のゲストで出ていた女性麻雀士の岡田紗佳は日本人と中国人のハーフらしく、中国では項羽のほうが劉邦よりも人気があるという。もうひとりのゲストの前田裕二は劉邦が好みらしく、劉邦を松下幸之助に、項羽をスティーブ・ジョブスに例えて話す。番組の初めのころは劉邦びいきだったが、見終えるころにはどっちもどっちと思えてくる。というか、国を制してきたものの恐ろしさを感じてしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月26日木曜日

再度♪夢をのせて♪etc.


 ブログを開始して11年、今のタイトルにして丸9年が過ぎた。この間、たま~に見知らぬ人からコメントがある。昨日は4年前にアップした「夢をのせて」にコメントが届く。久々にこのブログを見て動画を聞くといい曲だ。ほかの動画を聞き比べると、やはりアップした子供たちの歌声が一番いい。再度、この曲をアップしよう。

 『項羽と劉邦』を読んでいる。今朝のテレビ欄を見るとザ・プロファイラーで項羽と劉邦が取り上げてある。1年半くらい前だったら間違いなくこういう番組欄を見てもスルーしていただろう。ところが関心があると番組欄まで目が留まる。今夜のテレビの楽しみとなりそうだ。

 『項羽と劉邦』を読みながらも昨日は図書館で予約確保のオードリー若林の本を受け取りに行く。この本、なんと予約してから借りるまで1年8か月もかかった。以前若林の本を借りてこの人の文章の素晴らしさを実感。これほど長い期間だと予約を待たずに途中で借りるのを断念することが多い。それなのによくも長く待った、と我ながらあきれてしまう。司馬作品を読みながら他の人の本を読むと読みやすい。これも飽きずに本を読む清涼剤となっているのかもしれない。なお本のタイトルは『ナナメの夕暮れ』。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月25日水曜日

『やわらかく、考える』

 新聞、テレビ、ネットニュースなどを見ていて賑わす話題はコロナウイルスばかり。ゆっくりした生活リズムの中でも何となく落ち着かない日々を過ごしている。今朝見た石丸謙二郎のブログの最後に「明日、仕事があろうが無かろうが、一喜一憂しない人間がココにいるのです」とある。この「一喜一憂しない人間がココにいるのです」、これはいい。すぐに一喜一憂してしまう人間としては大いに見習わないといけない。

 以下は以前、読んだ『やわらかく、考える』(外山滋比古 PHP研究所、2019年)から3か所を抜粋したもの。「辞書を読む」とまではいかないが手元には常に辞書がある。よく使うのは電子辞書。これは本当に優れモノで何から何まで掲載されている。紙の辞書は最近、中国語を調べる際、手元に置いている。手元に置くといっても分厚い辞書なので重たくて必要の都度、調べる。

 最後に挙げた「人生は短い」は、そう感じる。特に親が健在だったころは今ほど思ったことがなかった。親がいなくなるとなぜか「人生は短い」と感じる。両親と30歳離れているので、亡くなっても30年は大丈夫と勝手な判断をしていた。ところが母が亡くなって9年も過ぎると後がだんだん短くなっていく。「人生は短い」からこそ一喜一憂しないでやりたいことをやって楽しく過ごしたいものである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★辞書を読むのには旅の道行きの愉しさがある。……旅行好きの人なら辞書を読むのも好きになれる。096p

★読書が人間形成に不可欠であるのは、知らないことを自分のものにすることができるからではないか。102p

★人生は短い。……風のように読めばたくさんの本を見ることができる”。そのどこかに、自分の持っている波長とあうものひそんでいるかもしれない。風のように、さらりと読んでいても、自分の波長にあったメッセージに出会えば、”共鳴”という発見がある。
 そういう読書によって、人間は変身、進化する。166p

2020年3月24日火曜日

ひろしま はなのわ 2020

 旧市民球場跡地で開催中の全国都市緑化フェア ひろしま はなのわ 2020に出かけた。元球場とあって日差しを遮るものがない。季節は3月下旬であっても気温も上がって歩いていると暑くなる。昨日の携帯万歩計は9700歩だった。広々とした敷地に庭園を造って花が植えられている。これもいいが、やはり何よりも自然に勝るものはない、と感じる。

 久しぶりに友達とランチをする。最高のお天気のお昼、レストラン前の川沿いの桜は開花し始めている。レストランに入るとお客が少ない。この季節、いくらコロナウイルスがどうこう言っても多くの人でにぎわっている、と思った。ところがまるで逆でコロナの影響をもろに受けている。

 食事後、歩いて紙屋町へ向かう。途中、画材屋で膠を購入しようとするといつもの瓶入りのが品切れだった。仕方なく他のメーカーの小さい瓶入りを購入する。歩いていると次第に暑くなる。最初に着ていたカーディガンを脱いでも暑い。この陽気、本来ならば行楽でにぎわうはずなのにどこも閑散としている。旧市民球場もコロナに感染しそうなほどの人出はない。ただ、この付近に行くことがなかったのでよその街へ出かけている気になる。ちょっぴり旅気分を味わえた。

 それにしてもコロナ、何とかならないのだろうか。スウェーデンのダグニーさんもコロナの話題が多い。それとパソコンの不具合も話題にあがる。

 楽しみにしていた公の施設の桜開放や演奏会はすべて中止になった。こうなったら、あと数日で満開となりそうな近場の桜を見に行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月23日月曜日

『歴史を動かす力』

 今日は予想最高気温20度の予報、そして桜も開花して朝から春を感じる。これにコロナウイルスさえなければ最高の春なのに世の中そうもいかないようだ。

 以下は先日読んだ『歴史を動かす力』(司馬遼太郎 文藝春秋、2006年)から気になる箇所を抜粋したもの。対談形式の本で会話している人を()で記した。最後に挙げた「立派な武士になるには、まず歴史をやれ、そして旅行せよ」……歴史をやって時間的に過去にさかのぼって広い世界を知り、旅行をして空間的に広い世界を知れば目が開かれるようになって人生を知る」。これはすごい言葉だ。今さら何ものにもなる気はないが旅行と歴史、今どちらもハマっている。この両方で人生を知るようになるとはすばらしい。しかし、今はコロナウイルスで自由に旅へ行かれない。残念。早くコロナが収まるといいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★(観音寺)……維新運動の大効果は二つですね。一つは日本が統一国家になったということ。ヨーロッパではずっと前に封建制度を脱却して統一国家になったのだが、日本は鎖国のために大分遅れた。それが維新運動の第一目標である日本強化を追求している間に、廃藩置県にたどりつき、統一国家になった。
 もう一つは、廃藩置県によって、日本人の社会は市民社会となったこと。一君万民という形でね。ヨーロッパのそういう条件のつかない市民社会ですが。――ともあれ統一国家となり、市民社会となって、日本は初めて世界歴史の本流と合致したのですよね。(観音寺潮五郎と司馬の対談から)33p

★(司馬)きっと太平洋戦争せずにすみましたよ。日露戦争のウソ戦史にあわせて陸軍がとなえた神秘主義を文部省が採用して、小学校にまで流して国民教育をした。それが太平洋戦争のもとになっているのですからね。その責任は大きい。ところがそれを、マスコミは一切突いていないし、問いてもいない。(江藤淳と司馬の対談から)228p

★(司馬)書簡文においては、表現力というのは実にたくましいでしょう。あの時代に漢文を借りずに自分の意思なり思想なり、天下の情勢なりを、あれだけしっかりと表現できた人は、松陰以外にいない。幕末における最大の文章化の一人と思わざるを得ない。
 旅における松陰は、嬰児のごとく素直で、脅えやすく、喜びやすくできてますでしょう。そういう体質を旅のなかで存分に発揮して、見事な紀行文を書きますね。それは単に達意文章というだけでなくて、リズムがあって、芸術的な感興をわれわれにあたえますでしょう。あれはたいへんなことだと思いますね。(橋川文三と司馬の対談から)274-275p

★(橋川)そういう文章感覚と、いまおっしゃった優しさですけれども、優しさというのは器質的な思想家としての松陰を考える場合に、大きな要素になっていると思います。優しさは松陰の天賦であるといえばそれまでなんですけれども、家庭環境もあり、広くは長州藩のある種の雰囲気というものもあったんでしょうけれども、文章のうまさと異様なほどの優しさは、松陰を読んでいく時、一番最初にぶつかってくる問題ですね。これはいったいどこから来たんだろうかと考えさせられる。
 それともう一つからめていえば、その優しさが後年のラディカリズムと密着して出てくるというあの関係、これが一番松陰のおもしろいとことだと思うんですけれど、それがなかなかきれい事では説明できない。いわゆる論文風に松陰を書く時にこまるところなんです。(橋川文三と司馬の対談から)277p

★(司馬)変な表現をすると、テニヲハというにかわでつないでいく膠着語である日本語の特徴をもっとも濃厚に持ち、かつもっとも生かしえた文章は松陰と子規だと思います。
 和文の特徴というものでもないんですけれども、要するに綿々と語って、しかも少しも自分にべったりしていず、乾いたところがあるでしょう。それが素晴らしいと思うんです。自分を綿々と訴えてるわけではないんです。(橋川文三と司馬の対談から)283p

★(芳賀)荻生徂徠が『徂徠先生問答書』で「立派な武士になるには、まず歴史をやれ、そして旅行せよ」と言っていますが、ほんとうにそうで、歴史をやって時間的に過去にさかのぼって広い世界を知り、旅行をして空間的に広い世界を知れば目が開かれるようになって人生を知る。デカルトも「旅は大いなる本である」と言っています。
(司馬)ですから明治維新というのは旅行家たちの仕事でもあると言えるかもしれませんね。(芳賀徹と司馬の対談から)325p

2020年3月22日日曜日

紅葉するモミジを描く

 モミジの葉が緑から黄色、そして紅く色づく様を描いている。前回はモミジの葉すべてを黄土と緑が入った絵の具で塗りつぶした。今回は緑系から黄色に、そして紅色へと変化させて色を塗る。3時間の絵の教室もいつの間にか時間が過ぎてすべての色を塗れずに終わる。次回は3色に色分けしたモミジをさらに色付けする。

 先週は教室や会議室、そしてホールなど空室が目立った。昨日はホールは空いていても他の部屋の利用はあったようだ。コロナウイルスで日本全体が沈みかえっている。桜も咲き始めたというのに今年の春は桜どころではなさそうだ。いつも見る人のブログに土筆、フキノトウ、セリなどの話題が出る。子供のころはフキノトウはなかったが、自宅前の水路そばで土筆がいたるところで見られ、またセリは家の横の水路に生えていた。それにクレソンもあった。その頃はそれを摘んで食べるという風流さも知らずに育つ。今となれば土筆もセリも外に出かけて探さないと見られない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月21日土曜日

本etc.

 『項羽と劉邦』を図書館で借りて読んでいる。借りた後、これは以前に購入した本、と気づく。昨日、お昼は暖房がなくても暖かく、この本を探すと上・中・下の3巻があった。読みかけ中の借りてきた本に付箋紙を数か所貼っている。それを自分の本に貼り替えようとするがその箇所が同じでない。なぜ、と思ったら持っている文庫本は昭和63年発行の第19刷で借りたのは平成27年発行の第92刷だった。この29年間に文庫は改定されて版数が増え、文字が大きくなって頁数も多くなっていた。

 大連に出かけた1年半前から司馬作品にハマっている。と言いながら『街道をゆく』シリーズや『項羽と劉邦』などは若い時に買っていた。買ったのはいいが途中で投げ出して読み終えていない。若いころには気づかなかった司馬作品の良さが歳をとってわかりだしハマってしまう、というこの現実。今は本を読んでも途中で挫折しない勢いがある。歳をとることは自分の中では悪いことばかりではなさそうだ。

 『項羽と劉邦』を探している途中で井上靖の本を目にする。井上靖の本は中国、それもシルクロードに関する本が多い。井上作品にハマった時代は中国語にハマっていた全盛期だ。今、司馬作品にハマるのと同じくらいか、それ以上、「中国」にハマっていた。30代で中国語を習い始め、それから自分の生き方がそれまでと変化して積極的になっていった。このころから自転車、水泳、海外旅行……に目覚めてゆく。何が人生にとって幸いとなるかわからない。すべて自分の中ではいい方にまわっているといえるかもしれない。まあ、これも自己満足!?

 コロナウイルスも気候も落ち着いてきたら本棚を整理しよう。本の購入を控えて図書館で借りていてもなぜか本が増える。1つの書棚に入る程度に本を整理しよう。そうはいっても昔は本が増えるのが楽しみだった……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月20日金曜日

ドルドラの♪思い出♪


 「毎日家にいて外の空気吸いたいです」と始まるメールをくれた人は添乗員を生業にする。コロナのこのご時世、2か月も仕事がないという。そこで外に出てランチをしようと誘われる。同じく家にばかりいるのは耐えられず、すぐに誘いに乗る。2,3日後のことであっても楽しみだ。桜の開花も届くようになった。ランチの場所は桜並み木が続く川沿いのレストラン。

 桜の開花は昨日、お墓に参る道でも見られた。久しぶりに墓地までをいつもと違う畑道を歩く。桜が開花し、菜の花が満開だ。途中、どこからか鶯の鳴き声も聞こえてくる。家から数分、山に続く道を歩くとイノシシが出るらしく、畑に入れないように網がある。そばには人家があるというのにイノシシが出るとは怖い。

 お墓の水くみ場に先客がいる。挨拶をすると先方はこちらを知っているらしく、名前を聞かれる。逆に名前を聞くと近所の人だった。だが、名前はわかっても初めて見る人だ。一歩我が家を出ると近所の人によく出会う。

 今日のYOU TUBE先生の演奏曲はドルドラの♪思い出♪。この季節にぴったりの曲。練習しよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月19日木曜日

『司馬遼太郎 幕末・明治論コレクション 幕末維新のこと』

 『空海の風景』上下巻を読み終えて、次に読むのは『項羽と劉邦』。先日、中国語の辞書を本棚から出していて、『項羽と劉邦』はだいぶ前に購入したことを思い出す。もう1か所の本棚も探すが、乱雑に棚に置いているので見つからない。暖かくなったら本棚の整理をしよう。ということで図書館で借りた『項羽と劉邦』を読み始める。

 本を探している際、井上靖の本が目に付く。司馬遼太郎の本は『街道をゆく』シリーズは持っていても若いころは井上靖のシルクロード関係の本にのぼせていた。今や司馬作品にはまって井上作品はおろそかになっている。家の本を整理するとき、もっとわかりやすく整理しよう。

 以前に読んだ『司馬遼太郎 幕末・明治論コレクション 幕末維新のこと』(司馬遼太郎 筑摩書房、2015年)から、気になる箇所をここに記そう。この本を読んだ頃は、最後にメモする『菜の花の沖』を読もうとした。このことをすっかり忘れてしまって『項羽と劉邦』を読んでいる。これを読んだ後、『菜の花の沖』を読むことにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★龍馬が立派な字を書くということを承けていいますと、彼の字も規矩準縄というか、定規に合わないのです。習字がうまいということは真似がうまいということでもありますから、真似のできない性質の人間、真似をする訓練を受けていない人間は、自由な字を書かざるを得ない。変なたとえで恐縮ですが秀吉という人は訓練を受けてないので自由な字を書いたのでしょうが、この秀吉の字に一番似ているのが龍馬の字だと思います。龍馬の字は幕末史の中で一番芸術的です。しかし習字のお手本にはならない。21p

★荘園という私有地の成立がそうである。この公有制度の例外がどんどんひろがってついに武士の発生になる。武士とは要するに開墾地主のことで、土地の私有権の主張者のことである。
 平安中期のごろから関東にこの開墾地主団がむらがり発生し、後期にいたってそれが平氏と称し、あるいは源氏と称して、律令体制の代表者である京都朝廷に食いこんだり、対立したりして、ついには源頼朝を盟主とするこの土地私有権の主張者たちが強大な軍事力をもって鎌倉幕府という事実上の日本政府を樹立し、中国・朝鮮体制にやや似た京都の朝廷は装飾的な政権になった。85-86p

★松陰のその魅力は、弟子を動かそうとしてそれをしたのではなく、かれ自身がまっさきに動こうとし、事実動き、結局は「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」というかれの下獄の感想のように、すすんでその志操と思想に殉じたことであった。こういう師に接していては、弟子たちは尋常でいられるはずがない。97-98p

★維新後もなお、新政府の弾正台の手で下手人捜査がつづけられた。明治以前の刃傷沙汰を、新政府がその全力をあげて捜査したのは竜馬の場合しかない。235p

★ともかくも、三十二年の生涯ながら、竜馬の生涯にはあざやかな春夏秋冬がありました。日本史上、竜馬ほど素晴らしい青春を送った人はいないのではないでしょうか。304p

★高田屋嘉兵衛も、江戸期が生んだおもしろい日本人ですね。私は、『菜の花の沖』で書きました。
 当時六甲山麓から摂津平野、それに嘉兵衛がうまれた淡路島は、季節になると、菜の花畑で真黄色でした。六甲山麓にはそのころたくさんの搾油用の水車がまわっていて、圧倒的にマニュファクチュアの時代でした。その油が、酒や醤油などとともに西宮港などから四方に積み出されていました。その時代的光景を。”菜の花の沖”ということばに託したつもりです。314p6

 『司馬遼太郎 幕末・明治論コレクション 幕末維新のこと』の中の「人間の魅力」で司馬が取り上げている本をメモをしよう。このうち、読んでないのは『菜の花の沖』。

・『この国のかたち』
・『坂の上の雲』
・『竜馬がゆく』
・『世に棲む日日』
・『花神』
・『菜の花の沖』

2020年3月18日水曜日

季節は春!?

 3月の観光客離れは旅行会社によると69%減とか。4月も同じような現象になるらしい。個人的にもコロナ発生から3か所の旅行会社に申し込んだすべてが催行中止になった。うち1か所は会社破産による。行先だった吉野の桜、四国9か所のお城に咲く桜見物、日帰りの鯉ヶ窪湿原ハイキングはすべて行かれなくなった。

 特に吉野山の桜見物は翌日に高野山観光が入っている。『空海の風景』上下2巻を読み終えたばかりで空海が開いた高野山に行きたいと思った。といっても高野山は30年位前に出かけている。それよりも今、本を読み終えた時に行きたかった。

 一昨日、関西のJTBから旅のカタログが届く。今、どこかへ行きたいと思っても日本だけでなく、世界各国どこへもコロナの影響で行かれない。カタログ送付もあらかじめ印刷していて仕方なく送付したのかもしれない。手に取ってみるが、何か白々しく思えて見るのが辛くなる。

 季節は春。長く生きてきてこういう春は初めて迎える。桜を見に遠出できないなら近くで……と思う。だが、広島造幣局や陸上自衛隊の桜見物ももしかして今年は開放されないかもしれない。ほかにも今月末にある陸上自衛隊のコンサートも中止にならなければいいけど……。

 今、行動を制限されているプール、図書館、演奏会、展覧会、旅行、講演会などすべて自分の楽しみとしていることばかり。早く元の生活に戻ることを待つとしよう。

 10日くらい前から自転車に乗らず、歩いて行動している。これも運動不足解消、とまでは言えない。どういっても椅子に腰かけている時間が長すぎる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月17日火曜日

暇つぶしの『水滸伝』 

 コロナウイルスの影響でこれまでどおりの生活ができなくなった。それをすべてコロナのせいにしてしまうのも情けない。2日前にひらめいたことがある。初めて出かけた中国で購入した『水滸伝』上・中・下の3冊。もちろん中国語で書かれた本だ。これを動きが制限されている今こそ日本語に訳そう、と思った。あくまで個人の趣味でワードに日本語訳を載せていく。昨日、『水滸伝』を取り出し、3000頁近くもある「中日大辞典」、そして中国語を習い始めて買った「新華字典」を用意する。

 本来ならば中国語対応の電子辞書があればいいのだが、17年前に購入した電子辞書は画面が見えづらく、使用不可能になった。今、使っている電子辞書はスペイン語対応の辞書で買って8年。17年前のと8年前の電子辞書とでは電子機器がよくなったのかまるで同じ種類の電子辞書とは思えない。スペイン語対応でも全世界のトラベル程度の言語の掲載はある。しかし、中国の、それも古典ともなると本格的な辞書でないとモノ・ゴトははかどらない。

 10年余前の社会人大学生だった頃に1915年代から1931年代までの文語で書かれた当時の中国の雑誌、16年間分を訳した。雑誌とはいってもいわゆる現代の雑誌とは異なり、70巻もある文献である。原本をマイクロフィルムから復刻版にした貴重なもので世界でも数少なく、抜けていたり鮮明な文字でない箇所も多々あった。大学の書庫から持ち出し禁止のため必要な箇所をコピーして訳す。その時の気持ちを取りもどして昨日から訳していく。このきっかけは頭にひらめいたことにもよるが、その前に司馬作品を読んでむつかしい漢字が読めず、その都度、電子辞書で調べた。それをそのままにせず、昨年の10月末から読めない漢字(読めてもルビがあるのは読めないのと同じ)や熟語をノートに書き取るようにした。この間だけでも書きとどめた文字や熟語が600もある。\

 司馬作品を読むにつれて目がむつかしい漢字に慣れてくる。これ幸いと思って『水滸傳』を暇つぶしに読もう、とした。昨日から読み始めるが、数行も前に進まない。辞書を引いても前後の意味がつかめない。これも慣れてくるだろう。数行の訳であっても夢中になっているとあっという間に時間が過ぎる。こういった夢中になる自分が面白い。これはかなりの楽しみになった。3冊すべてを訳し終えるには司馬作品全部を読み終えるくらい年月がかかりそうだ。こうなると頭も体も元気でなくてはいけない。

 話は変わって、今朝のYahoo!newsにコロナで家にいる子供たちが歴史本を読んでいる話題がある。子供時代でなく、遅まきながら老人と言われる歳になって歴史好きになった。

 見知らぬ世界への興味は旅などだけでなく、過去の歴史を知ることにもあるに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月16日月曜日

『翔ぶが如く』(十)

 『翔ぶが如く』(十)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年新装版第11刷)を読んだ。以下は気になる箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私学校の暴発は、遠因としては征韓論うんぬんというよりも同郷の大久保利通が主宰する太政官の相次ぐ旧体制破壊への憎しみであり、金因としては大久保に協力して太政官的文明を推進しようとする川路利長が、「西郷の大恩を忘れて大久保へ奔ったばかりか、刺客を送って西郷を殺そうとした」という事件であった。私学校暴発の目標は、要するにこの二人であった。67p

★「みな、死せ」、と叱咤した。全員戦死の気魄でやれば、なんとかなる、というのが西郷の戦争哲学であった。鳥羽伏見はこれでなんとかなり、本来革命家である西郷が、そのときの勝利によって戦いの指導者としても神秘的盛名を得るようになった。120p

★他の多くの者は、希望あるなしにかかわらず、戦って死ぬなら故郷の山で死にたいという思いが、本能か、あるいはそれよりも深い場所でうずいていたかと思える。本来、薩人は故郷主義がつよく、この軍事行動さえ、説明のつきにくい故郷主義の肥大からおこったともいえる。……そういう彼等の行動は、かれらが伝統として理屈や道理よりも容赦なく美のほうを選ぶ精神の習慣が強烈であったために、痛ましさを越えて美しくもあった。168-169p

★薩人は(野村)忍介のような場合、だまって胎の底に折りたたんで、運命と戦いのなかでいさぎよく死んでゆくことを薩摩武士の美であるとしてきた。薩人の教育と人間としての理想は美学に偏し、あるいは美学のみであったかもしれない。183p

★切腹という思想と行為が、無用なほどに流行して武士道に密着したのは、江戸期のことである。戦いのたねがなくなり、武士的気概や美学を合戦の場で表現する折がなくなったために、江戸期的な観念性のなかにそのことが居据わったものかと思える。薩摩においては、武士の最期はあくまでも闘死にあり、この意味でも薩摩の士風は戦国武者のそれをそのままひきついでいたといっていい。229p

★かれ(桐野)の自慢の佩刀は、庄内の旧藩主酒井氏が、戊辰のときに寛大な処置をうけたという礼として桐野にあたえたもので、銘は綾小路定利である。かれが陸軍少将に任ぜられたとき、これを洋刀拵えにした。鞘は純銀、それへ純金の線の象嵌を入れ、つばとつかは純金というまことに燦然としたもので、古来これほどに大げさな拵えもめずらしい。郷士あがりの桐野は維新後でさえ門閥のうるさい薩摩において異例ともいうべき栄達を遂げた。一剣をもって陸軍少将になったという気勢いこみが、この佩刀の拵えにこめられていたともいえるし、あるいはまた戦国武士の風を残す薩摩気質としては、外装において美と異を誇示し、自分の武と潔さを世間に約束するということで、むしろ好ましいことであったといえるかもしれない。275-276p

★が、桐野は単なる殺人鬼ではなかった。人の命を断つことに正義を感じはするものの、人の命を守ることにも、つよい倫理観と自然な優しを持っていた。薩人たちの多くが桐野を好む。そのことは、桐野の本来のものともいうべき無私の心と、無私であるがために人格のリズムが飄々としていることと、さらには右のような優しさというものが理由になっていたであろう。278p

★戦闘終了直後の政府軍の士卒や軍夫の殺伐さというのは、人間の所行とはおもえない。さきさきに城山のあちこちにころがっている薩兵の死体がほとんど裸だったというのは、戦闘終了とともにいち早く山へ駆けのぼった軍夫たちのしわざといわれた。戦死者の粗末な衣類でもあとで洗い張りすれば古着屋へ売れるのである。310p

★――大久保を殺そう。
というふうに島田が決意したのは、飛躍でも何でもない。殺すという表現以外に自分の政治的信念をあらわす方法が、太政官によってすみずみまで封じられているのである。幕末の志士も、ほとんどのものが口を合わせたように、「言路洞開」を幕府に対して要求してきた。野の意見を堂々と公表させ世、あるいは公議の場に持ちこませよ、という意味であり、幕府はそれを極度に封じ、私的に横議する者があっても「浮浪」として捕殺した。幕末における暗殺の頻発は、ひとつには在野を無視したための当然の力学現象ともいえなくなく、幕閣にある者も「言路洞開」の必要を口にした者が多かった。3336p

★西南戦争は、村田新八でさえあきらかに指摘したように、大久保と西郷の私闘にすぎない。それが拡大して、東京で官途についた薩人と郷国にいる薩人との私闘となり、この争いを巨大なものにしたのは、西郷と近衛将校団の帰国であった。彼らの大挙帰国が薩摩の独立性を強くし、いよいよ中央政府の拘束から遠くなった。これを中央化するというのが大久保・川路の目標であったが、元来が同藩同士だけに、わずかな挑発でも結果は悲惨なものになった。川路はきわめて大胆なことに、この県下に帰郷組を送りこんだのだが、それが結局は戦争の導火線になった。そういう近因からいえば川路がこの戦争の挑発人であり、その恨みはすべて大久保にはねかえった。350-351p

★それらの代表がなんといっても大久保利通であった。彼は自分たち官員の成立事情のお寒さには目をつぶり、この絶対権力を文明開化の巨大な推進隊にし、官員たちに対し、その輝ける推進者であるというふうに鼓舞し、その意味での正義を与え、それによって官僚たちの士気をいやが上にも高め、かれらの郷党に対する後ろめたさを忘れさせようとした。その開花への正義の熱狂的な信者の代表的な存在が、川路利長であった。かれのその熱狂的な目から見れば、時代の被害者にすぎない郷党の者たちが頑迷固陋な反革命主義者に見えた。(書きおえて)361p

★……主人公は要するに西郷という虚像である。虚像と対立する側や虚像の周辺をしらべてゆくうちに、私自身の中で、大小の驚きが連続した。ついに私自身が驚くために書いているような奇妙な気持ちさえ持った。……(書きおえて)364p

2020年3月15日日曜日

モミジの葉の切れ込み

 コロナウイルスの影響で手足をもぎ取られた状態の生活を強いられている。プール、図書館、演奏会、展覧会、講演会、そして旅行など好きなことは何もかもすることができない。ただ、日本画教室は開催されている。昨日の午後は日本画教室に出かける。色づきつつあるモミジを描く。前回、転写したパネルにモミジの葉1枚ずつを色づけした。ところが、写真を見ての転写はすべてをスケッチしておらず、再度、パネルに鉛筆で転写する。あとから描くのは埒が明かない。先生から転写は色づけしながらするようにとアドバイスされる。

 その際、モミジの葉形の切れ込みが7つなのですべて7つに描いていく。モミジとカエデの区別や「葉の切れ込み」のキーワードも知らなかった。ネットで調べると「名称の由来が異なるモミジとカエデですが、どちらも葉に切れ込みがあるのが特徴です。見分けるポイントは、葉の形の微妙な違い。一般的に、葉の切れ込みが多く5つ以上あり、しかも切れ込みが深いものがモミジ。一方カエデは、切れ込みが浅く、品種によっては切れ込みが3つなど少ないものとされています。また葉の大きさでも、比較的小さいものがモミジで、大きめのものがカエデとして定義されています」とある。

 昨日は4分の1くらいモミジを描いた。あとは次週に持ち越し。教室終了後はいつもと同じように皆でカフェに行く。ここでは全くコロナウイルスを気にしない。

 話は変わって昨夜、寝る前に見たのはNHKのBS「ザ・穴場ツアー CATVネットワーク『山口』」。番組欄を見ると「竜馬」の文字がある。これは見ないといけない。初めて見る番組で山口県の萩や長門が話題にあがる。この辺りはありきたりの場所しか出かけていない。萩は情緒ある街なのでいつかゆっくり行きたい。だが、今はじっと我慢の日々。これは結構大変だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月14日土曜日

♪春よ、来い♪


 スウェーデンのダグニーさんのブログを見ると連日、コロナウイルスが話題となっている。今やヨーロッパでも広がりを見せるコロナウイルス。どこまで拡大するのだろう。コロナウイルスの影響で大人であっても家でじっとするのは耐えられない。子供はもっと耐えられないだろう。春はそこまで来ている。我が家の植木鉢のアジサイも花瓶に活けたネコヤナギも芽を出した。昨日はユーミンの♪春よ、来い♪の楽譜を出してフルートで吹いてみる。リズミカルないい曲だ。クラシックだけでなく、こういった曲を吹くのも楽しい。

 コロナウイルスの影響で行動が制限される。ただ、日本画は通常通りあり、気持ちもいくらか救われる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月13日金曜日

プロファイラー「則天武后」

 昨日は父の30回目の祥月命日。父のいなくなった当日は、もう、ダメ、とわかっていても仕事に行った。当日は会社の行事がある日で職場にいなかった。まだ携帯電話もない時代、出先で父の不幸を知った。月日の経つのは早い。あれから30年が経過した。父の介護は母に任せて何もしていない。当時は働いていたことにもよる。その反面、母の介護は充分したつもり。

 お墓参りを済ませてふと庭を見ると地面すれすれに黄色いものが見える。なんとレモンが1個、黄色になったまま枝にある。昨年のレモンはこれと合わせる何個実ったのだろうか。

 話は変わって昨夜のプロファイラーは則天武后。番組HPには「中国史上、唯一の女帝である則天武后。その美しさを武器に庶民から皇帝の側室となり、さらには自ら皇帝なるという、前代未聞の出世をした。だがその裏には冷酷な行いが。歯向かう者を次々と排除し、自分の兄弟やわが子までも殺害した悪女だったという。その一方で、名門貴族が牛耳る政治を改革し、実力ある官僚を重用していくなど、先進的な政治を行い国力を伸ばした。悪女か?名君か?知られざる素顔をプロファイル!」とある。

 また、なんと今読んでいる『空海の風景 下巻』には則天武后と藤原薬子の件がある。それは次のようだ。

★薬子は、それよりも九つか十も歳上であった。そのとしでなお最後まで平城の心をとらえてはなさなかった彼女は、高宗における武后に似ている。しかし彼女にとって平城自身が髪をおろし太上皇でもなんでもなくなってしまったことが、彼女の政治的魔力をうしなわせた。今ともなれば依って立つ権威もなく、救いもなく、そのうち仮御所を囲っている者からの示唆で自殺へ追いこまれた。薬子は薬をのんで死んだ。177p

 則天武后も薬子も名前は知っていても詳しいことは知らずにいた。昨夜のBSを見て則天武后の生きざまがよくわかる。権力を自分のものにする異常な心理は並みの人ではない。自分がのし上がるためにはどんな手段も使う。唐の時代の中国も日本も同じような女性がいた、とは……。

 春の陽気が続く毎日。旅の計画はすべてご破算になった。何もかもコロナウイルス
の影響で先の予定が組めない。その矢先、今朝の地元紙を見ると広島🚄新大阪往復がのぞみ利用で11000円とある。これはおとなび利用よりも安い。半額以下だ。じゃ、どこへ行く、と言っても勇んでどこかへ行く気が起きない。当分は家でおとなしくするしかなさそうだ。本が読めるからいいようなもののこれも程度がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月12日木曜日

旅行会社etc.

 107歳のブロガー、ダグニーさん。相変わらずお元気だ。スウェーデンでもコロナウイルスが話題となっていて、ダグニーさんもコロナの話題を取り上げる。不必要な心配はご無用、とのアップがある。

 今日は父の祥月命日。それも今年は節目となる命日。いつもは母の命日にお墓参りをしている。今日はこれからお墓参りしよう。

 先日、来月出かける予定の旅費決済で旅行会社に出かけたばかり。催行確定で行く気になっていた。昨日、スーパーからの帰り、携帯電話が鳴る。旅行会社からだ。旅の催行中止の電話だった。旅費はすでにクレジットで決済済み。この返却をするという。幸い家の前まで帰っていた。すぐにクレジット番号を告げて知らせる。来月の旅はこれでなくなった。再来月の旅も別の旅行会社に申し込んでいる。気になって電話するとなんと前日付けで留守番電話対応になっている。おかしい、と思ってネットで検索すると、この会社は留守電の日に破産していた。幸いこの旅は電話で申し込んだだけで旅費は払っていない。今朝、地元紙を見ると大きく破産した文字が目に入る。

 4月に行く予定だった旅行会社は最大手の会社で、すべての対応に安心感がある。破産した会社は電話応対時からおかしい、と思っていた。それでもこれまで3度くらい日帰りバスツアーを利用している。これまで海外も含めていろんな旅行会社を利用した。海外旅行に行き始めたころは新聞の宣伝を見て、知りもしない会社を利用していた。それも次第にいろんなことがわかりだすと中小の会社は避けて大手の旅行会社を利用するようになる。それなのに日帰りバスツアーは手短に行ける会社を選んだ。

 30数年前から始めた旅は海外も国内もツアーを利用することが多い。利用した会社とトラブることはなく、いずれも快適な旅だった。日帰りツアーとはいえ、今回申し込んだ会社が破産した。これには驚く。これからは旅行会社を選ばないといけない。よく利用するJ〇Bをこれからも利用しよう。

 今回のことで思う。ツアーでなく母たちと旅行していた時のように個人の旅に出かける癖をつけたいと。そうすれば元気であれば何歳になっても旅ができる。今更という感じだけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月11日水曜日

換気扇の掃除

 ネット記事にYahoo!やGoogleがある。記事のタイトルを見て読む読まないを判断する。そのほとんどはYahoo!を読む。読むものがないとGoogleを見る。このGoogle、読んでいると途中から有料記事に切り替わる。餌でつられているようでなんとも感じが悪い。最後まで読ませてくれないのならアップしなければいい。

 話を変えて暇つぶしに突如、換気扇の掃除をする。羽根の部分はある箇所を押すと瞬時に外れる。これは優れもの。ただ、このことを忘れてしまうと物事は簡単ではなさそうだ。簡単ではないのは周りの枠。外し方を忘れていた。動画を探すとやり方のアップがある。しかし、これと我が家の機種が異なり、参考にならない。器具を買うと説明書だけは保存する。その場所も決めている。説明書があった。読むと上方を上げ気味にして手前に引くと外れる、とある。その通りにするが枠は動きそうにない。両手で手前に上げるようにすると枠が外れた。これならば簡単だ。覚えておこう。

 ついでにお風呂の換気扇フィルターも掃除する。どれもこれも椅子に上がらないと外せない。この椅子に上がる……が一番危ない。椅子から落ちたら人生アウトになりかねない。電球やサークラインの交換もそうだ。この頃の電気器具は電球などのカサも複雑で困る時がある。その時は交換期間が長いLED対応にしてゆく。

 またも話は変わる。昨夜、更新後の広響定演の会員証を眺めていると、新たな会員証の最初の回が抜けている。長く会員になっているが、これまで昨夜ほど会員証を見ることはなかった。先ほど、電話で問い合わせると調べるといって保留にもせずに電話が切れた。再度かけなおすと新たな会員証を送付するとのこと。それはいいのだが、もっと丁寧な応対はできないのか、と思ってしまった。いやなことはアップしないつもりがついつい……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月10日火曜日

「華麗に変身を遂げたスーザン・ボイル」記事から

 今朝のgoogleニュースに華麗に変身を遂げたスーザン・ボイル、『伝説』と称される11年前のオーディションスタイルを再現!の記事がある。一世を風靡したあの歌声から11年になるとは時の流れが速すぎる。それにしても華麗な変身を遂げたスーザンボイルはすばらしい。
 https://spur.hpplus.jp/culture/celebritynews/202003/09/EwUwIiQ/(参照)

 相変わらず家でおとなしく本を読んでいる。今、読んでいるのは『空海の風景 下』。これを読みながら動画で「空海」を探すと「知ってるつもり」や「堂々日本史」などいろいろと以前のテレビ放送の録画がある。放送されたころは歴史嫌いで全くこういうことに興味を示さなかった。ところが司馬作品にハマっていろいろと読むうちに日本の歴史が好きになる。とはいっても、かなりの歴史嫌いだった。それが本を読むうちにこうも変わるか、と思えるほど好きになっていく。

 好きになり始めは近代の歴史から。それも日本でなく中国の近代史。これにハマって徐々に広がっていく。これまでの人生、人からの影響に大きく左右されて生きてきた。ここにきて本の影響もあると知る。歴史本も元はといえば大連の旅でツアーの人から読むようにすすめられた司馬遼太郎の『坂之上の雲』が好きになる発端だった。これからがさあ大変。今や日本の歴史、それも近代だけでなく奈良時代にまで広がった。

 テレビの動画は「プロファイラー」の1時間半のアップもある。今、これをパソコンで見ている。暇つぶしのパソコンは本当に優れモノ。歴史嫌いが歴史好きになっていく。不得手だった歴史。年齢に関係なく好みが変化していく。我ながらこれは滑稽に思える。当分は生きていると思う。これからどんな風に自分自身が変化するのか楽しみな面でもある。これもすべてはコロナウイルスで暇つぶしに思うことかもしれない。

 そういえば昨日、届いたはがきは毎年この時期に開催されるフルートメンテナンス中止の知らせだった。何もかも中止、いつになったら”動き”が再開されるのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月9日月曜日

♪Hotel California ♪


 我が家の狭い庭にラッパ水仙が3輪、花をつけた。家の中では先日もらったネコヤナギが芽を出し、根を生やす。春が来た!この喜びとは裏腹に世の中、コロナウイルスで気持ちはパッとしない。そんな矢先に聞く音楽は♪Hotel California♪。先日ラジオで流れた曲でかなり前にイーグルスが歌っている。

 ラジオで聞いたのはピアノ演奏だった。動画を探すとこの曲のアップがある。ミックスリストを聞いているといい曲ばかりが収めてある。しばらくはこの曲にハマりそうだ。先日、YOU TUBE先生に倣って独学でラ・カパネラを弾く佐賀の漁師の記事を見た。自分自身もこの人のように動画先生に倣って♪Hotel California♪を弾いてみたくなる。 数年前にエレクトーンを処分して鍵盤楽器がない。キーボードがあれば、と欲しくなる。

 コロナ騒動でこれまで予定していたことができなくなった。いつまで続くのか先は不透明。それならば家でできる音楽を聴いたり、本を読んだり……と思う。が、これくらいでは不完全燃焼気味。買い物も自転車に乗らず歩いていく。ところが買いすぎると重たい。仕方なく自転車を押して歩いていく。究極の友達はパソコン。だが、運動不足が怖い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月8日日曜日

情報etc.

 お彼岸の法要を前にして先日お寺から春の法要中止の知らせが届く。これもコロナウイルスによる県の通達にあるようだ。お寺での法要のうち、春、お盆、秋の3度は塔婆を受け取りに行く。この塔婆、年に3度のことであっても気になっていた。お寺との縁は絶やせない。しかし、自分自身が歳をとり、家の跡継ぎもないとわかっているので、いつまでも今のままにはできない。徐々にお寺との関係を縮小しなくてはならない。そう思っていた矢先にお寺からの春の塔婆の申し込み云々が書いてある。この機会を逃しては塔婆の変更ができなくなる、と思ってすぐに電話する。それもかなり気を強くして電話する。お盆の塔婆だけをお願いする旨、伝えることができた。

 罪作りな事かもしれない、と思いながら、やっと言いたいことが言えた。いくら歳を重ねても言いたいことが言えないもどかしさがあった。これでは先の人生が思いやられる。やっと一件、クリアできた。

 話は変わって先の温泉行き。2つ忘れていた。1つは先週のテレビ「珍百景」に湯来温泉の名物オオサンショウウオの形をしたこんにゃくが取り上げられた。これは地元の高校生が何年かかかって特産品として売り出す。これをぜひとも食したい、見てみたいと思って出かけた。オオサンショウウオのこんにゃくは宿の前のお店にあった。こんにゃくはサンショウウオの形をしていてグロテスク。手に取ってみると買っても食べない気がする。1匹が280円と580円。テレビの珍百景で食べた人はいわゆるこんにゃくとは違って美味しいと言っていた。

 2つ目は宿のお風呂。露天風呂、サウナ、ジャグジーなどあるお風呂すべてに入った。特にサウナは何十年ぶりかで入った。本来ならばこの時期、この温泉あたりは雪景色!?今年は暖かくてそれは望めなかった……。

 またも話は変わって昨日は日本画教室に出かける。本来ならば広響定演の日。コロナウイルスで定演は延期となった。色づくモミジを描いている。絵具の25番に薄緑を加えてモミジ1枚ずつを色づけする。しかし、よく見ると全部のもみじをデッサンしていない。次回はモミジ1枚ずつを再度確認しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月7日土曜日

温泉行き

 一昨日と昨日の2日間、4人で湯来温泉に出かける。行先は市内の佐伯区にある温泉、と知っていても出かけるのは初めてだった。湯来ロッジは国民宿舎だが、自分のなかの国民宿舎のイメージとは違って素晴らしいホテルだった。お風呂は先日リニューアルされたばかりでヒノキの香りが漂う。この香りは薬湯?と思ったら同行者からヒノキ風呂の香り、と教えてもらう。

 建物も建て替わったらしく、バリアフリーとなっている。部屋も広く、その辺のビジネスホテルどころかシティーホテルのようだ。宿周辺のロケーションも素晴らしく、大いに気に行ってしまった。宿の夕食は豪華で朝食も美味しかった。夕飯はお膳に並んだ料理のほかにあまご1匹、茶わん蒸し、肉しゃぶ、カキフライが並ぶ。まずはビールで乾杯!

これにあまご1匹、茶わん蒸し、肉しゃぶ、カキフライが付いた夕食
 

 今回の湯来温泉行きは初めてのことで、初めて尽くしは寝るまでに2度も温泉に入ったり、朝風呂体験も初めてだった。車に同乗して連れて行ってもらった温泉旅行。何から何まで親切にしていただいてありがたかった。この優しさは宿を出たあとのお昼もそうだった。昼食場所も初めてのレストランで、こちらも公共施設を利用。コロナウイルスの影響でバイキングは?との懸念も全くなく、各自にトングが3種類用意されていた。
 
 宿を出る前に4人で周辺を散策する。ずっと続く苔むした道。宿の前を流れる川のせせらぎ。この音を聞くだけでもなんとも言えず気持ちが落ち着く。市内とは空気が違うとの声も出る。川岸の枝垂れ桜ももうすぐ開花しそうだ。
 
 先ほどネットで調べると広島駅から無料のシャトルバスが1日3便ほど出ている。日帰りでも行けそうだ。
 
 広島駅で同行者と別れて、4月に出かける予定の旅行社に向かう。受付で旅費のクレジット決済をすると、係は早めに伺ったお礼を言われる。これまでこういうことはなかった。ウイルス騒動で旅の募集もままならないのか、親切な応対だ。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

ホテル周辺は川が流れ桜並木が続く

ホテルの前に流れる川
 

2020年3月5日木曜日

新聞広告から

 コロナウイルス対策で外出を控えるようにとの政府の方針が先日、発表された。今朝の地元紙広告欄を見て驚いてしまった。政府の方針をよそにして旅行会社もJRとタッグを組んだのか広島🚄新大阪往復がなんと6000円で売り出されている。新幹線料金6割引きとなる「おとなび」は9400円前後。この往復6000円は正規運賃の7割4分か5分引きになる大幅な割引だ。

 ましてや格安切符は2人から利用できるが、これは1人からOKとある。本来ならば「これは安い、利用しよう」となるところ。だが、この時期を好んで遠出しようとは思わない。ところがこの広告は家族で外に遊びに出かけよう、とはやし立てているようだ。これは政府の方針とはまるで異なる。

 朝から一人吠えてもいことにはならないので話を変えよう。この時期、あらゆる行動が鈍くなり、家にいることが多くなる。久しぶり、このブログの前のブログを見ようとした。検索でブログを探すと表示されない。それもそのはず、すべて「非公開」にしている。以前は「非公開」を「公開」すれば閲覧できた。だが、その画面にならない。暇つぶしに現在のブログの編集画面を触っていると以前のブログが現れた。どちらのブログも編集者を同じにすると閲覧が可能になった。古いブログは母親の名をタイトルにしている。いつか落ち着いた気持ちでこのブログを見られる日が来れば……、と思って、ブログの最初と最後の2件を公開にした。こうすればいつでも非公開のブログも自分だけは見ることができる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月4日水曜日

『翔ぶが如く』(九)

 地元紙と今朝の新聞折り込みチラシを見ると地元のデパートの営業時間変更の知らせがある。午前11時から午後7時までの開店で営業時間が短縮されている。コロナウイルスで外に出るな、動くな、ということ!?運動不足になりそうで2日前から買い物は徒歩で行く。携帯万歩計は2000歩くらい。これでは運動不足解消までには至らない。午後になって図書館から予約確保のメールが入る。再度、徒歩で外に出る。買い物と図書館の2回外に出ても4000歩しか歩いていない。

 図書館の帰りに近所の小・中・高校時代の同級生と久しぶりに出会う。小学校卒業以来、会ったこともない同級生と3人で会おう、と話題になる。この話は断る。親しかった人でもなく、何のなつかしさもない人と昔話をしても面白くない。

 以下は『翔ぶが如く』(九)(司馬遼太郎 文藝春秋、2002年新装版第1刷)から。この巻にやっと「上代の隼人が翔ぶがごとく襲い、翔ぶがごとく退いたという集団」とあるように、タイトルの「翔ぶが如く」が出てくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★久光は、西郷をこころよくは思っていない。久光の西郷に対する不快の最大のものは勝手に幕府を倒したことであり、次いでに主家をいわば裏切って大名を否定する廃藩置県に加担したことであり、さらには島津家の家来でありながら東京でいわば勝手に陸軍大将になったことである。36p

★村田は若いころから西郷の弟分として自分の位置を決め、文久二年(一八六二年)、西郷が久光のために徳之島に遠島になったときに新八も同類として鬼界ケ島に流されたほどであったが、維新後は、西郷は必ずしも村田に酬いるところが多くはない。
 村田はすでに述べたように三年間欧米を視察して帰国後に西郷に殉じ、辞職して帰郷した。帰国後、村田は他郷人に、「外交の困難なる、西郷といえどもどうすることもできまい」と漏らしたことがある。西郷がたとえ政権をとっても征韓論のような単純な国家行動はとれまいという含みのある言葉かとおもえるが、勝海舟をして村田は一国の宰相の器量があると言わしめたことは、この言葉にも多少は匂っている。64-65p

★木戸はかねて鹿児島県が暴慢で太政官の命令に遵わないのを憤っていたし、また東京の官員の圧倒的多数が鹿児島県人であることに痛烈な不満をもち、右の二件についてかねがね大久保に捻じ込み、善処方を要求していた。大久保は木戸のいうことを是認しつつも、大手術をおこなえば薩人のうちの官員派までが反乱へひるがえるかもしれないことを怖れ、なんの処置もおこなわなかった。木戸の理解では、西南戦争の遠因は、大久保の同郷人に対する甘やかしあるとしていた。さらに近因については、例の西郷暗殺計画事件にあるとした。木戸はこの事件について私学校側のいうとおりであるとしていた形跡がある。97p

★明治初年の会津士族ほど悲惨な境涯に落ちたひとびとはいない。
 当時、青森県の下北半島の斗南などという土地は、人の住めるようなところではないとされた。薩長政権は会津藩から豊かな会津盆地をとりあげ、この斗南の荒蕪の地を仮に三万石と評価して移住させた。敗残のかれらは和船に乗ってつぎつぎに下北半島へ移って行ったが、まことに大集団をそのまま配流させたにひとしい。斗南の地で飢寒に苦しんだかれらが、薩長人の肉を啖(くら)いたいほどに憎んだのもむりはないであろう。102p

★肥後の俗謡に。雨はふるふる、人馬は濡るる、越すに越されぬ田原坂、とうたわれた情景は、とくにこの日の記憶が詠ぜられたものかもしれない。越すに越されぬというのは薩軍の立場ではなく、政府軍の立場であった。田原坂を越さなければ熊本城に入ることはできないのである。135-136p

★ひどくなまな感情だが、ゆらい憎悪というのはその次元が低いほど激しい。もっとも会津人の理性の次元においても、憎悪は生まれうる。会津人は戊辰は西郷と薩人たちの私欲より出たものだと思っていたが、私学校決起を反革命と見ることによって確認した。その確認もまた憎悪を生んだといっていい。156p

★「鹿児島県士族の気質」ということについて、薩摩出身の陸軍大佐高島鞆之助は、私学校が暴発した早々、山県陸軍卿に対し、説いている。
 「彼等は進を知って退くを知らず。唯、猪突を事として、縦横の機変に応ずるを知らず」
 まことに上代の隼人が翔ぶがごとく襲い、翔ぶがごとく退いたといという集団の本性そのままをいまにひきついでいるかのようである。
 高島鞆之助はむしろこれを自分の出身集団の美質であるとおもっており、さらにいえばかれらに機変に応ずる才や能がないとは思っていない。無いのではなく、戦いに臨んで小才を利かせて右往左往することを美的に嫌う習性があることを、長州人である山県に説いているのである。159-160p

★天皇の権威は、この時代の士人一般の教養だった朱子学に拠っている。朱子学は徳川幕府が思想統一のために採用した官学であったが、幕府にとって無用の副作用もあった。朱子学は観念論的一面が濃厚で、王を尊び覇を賤しみ、また大義名分論という朱子の当時の中国の政治事情から出た思想もあり、この朱子学の一面が幕末において統幕思想のよりどころになった。163p

★維新が成功すると、かれらは大量の郷党をひきいてかれらを要職につけ、薩摩閥を形成した。このことは、西郷が古典的英雄であったとしても、近代的な革命家としては不塾な人物であったことの証拠の一つとして考えていい。
 このため、多くの薩摩人の意識にとって維新は栄職につくたねとして考えられるようになった。183p

★総帥である西郷隆盛への宗教的尊崇心以外に政略も戦略もなく、あとは個々の殉教心をたよりにしているというところでは、まったくそれに似ているというべきであった。宗教一揆が凄惨な自己消耗のいくさをするように、田原坂の陸軍も消耗のはてに全軍が消えてしまうのではないかというほどに激しく戦った。193p

★(どうも、あの連中、陰気だ)
と、桐野は西郷とそのまわりの村田、池上の大人(おせ)くさい分別面を見るのが、この敗軍のなかではやりきれなかったのかもしれない。
 桐野は、江代に到着すると同時に、諸隊長をあつめて軍議し、部署をきめた。
 西郷やその幕僚が、人吉にいる。かれらをよばず、了承を得ず、独断で軍議を開き、部署をきめ、命令を発したのである。 
 このあたりに桐野の性格が出ているし、私学校蜂起の真因がどこにあったかも露あ(あらわ)になっているし、さらには、桐野に乗せられた西郷の奇妙な立場と、西郷が立ちあがったために自分の意見を捨て、西郷のみに殉ずべく参加した村田新八の課題も、大地の亀裂が赤土を露わすように色鮮やかに露呈している。……桐野があらたに部署した戦線は、地図によってつないでゆくと、じつに約数十里におよんでおり、肥後平野においてひとたび敗れたとはいえ、いささかの気魄のおとろえをみせていない点、桐野らしいといっていい。287-288p

★戦いは勝った。本来ならば勝ちに乗じ、薩軍に追尾し、その準備のととのわぬうちにこれを撃って撹乱させるのが兵の常道だし、そのための兵力は十分以上だったのだが、どの将官たちも、薩軍の強さがよほど肝にこたえたらしく、慎重主義の山形の性格に順ってこのあたりで休養したかった。山県は後年、「灰塚での方針は、まちがいだったかもしれない。あのとき短兵急進して敵を追撃すればこれを鏖殺(おうさつ)できたかもしれない」と述懐しているが、みな狂薩病にあっていたであろう。296p

★諸道の政府軍の進撃を早からしめた理由のひとつは、各地で降伏した薩軍の小部隊が、降伏するとともに政府軍の道案内をつとめ、薩軍の配置などを教えたからでもあった。べつに政府軍が強制したわけでなく、「降伏したからには、菅兵として働きたい」と、かれらが積極的に望んだからであり、その口上はさらに情緒的で「万死を冒して前罪を償いたい」というものであり、一種、奇妙というほかない。
 このことは日本古来の合戦の慣習であったであろう。降伏部隊は鉾を逆(さかしま)にして敵軍の一翼になるというものであり、駒を奪(と)ればその駒を使うという日本将棋のルールに酷似している。ついでながらこの古来の慣習はその後の明治陸軍の弱点として意識されつづけ、日露戦争のときも捕虜になった日本兵は日本軍の配置を簡単にロシア軍に教えた。とくに敵中へ深く入り込む奇兵斥侯が捕虜になる場合、騎兵の特質上味方の配置を知っているために、かれらが口を割ることによって日本軍の作戦がしばしば齟齬した。この体験が、昭和以後、日本陸軍が、捕虜になることを極度にいやしめる教育をするもとになったといっていい。319p、

2020年3月3日火曜日

地元紙文化欄から

 スーパーの店頭からトイレットペーパーやティッシュが見えなくなった。ドラッグストアはどうかと、家の前のお店に出かける。いつもとは違うメーカーの商品が少しだけある。ネットでは買い占めしないようにと世論を喚起する。 

 プールで泳がないと運動不足になる、との心配は取り越し苦労に終わった。プールのことが気になり、HPで検索。コロナウイルスの影響でプールは利用不可能になっている。今週末に開催予定だった広響定演も中止、とのメールが届く。やっぱり家でじっとせよということ!?

 気分を変えて昨日の新聞折り込みチラシの旅の案内を見る。5月のことだが日帰りハイキングのツアーを申し込む。その頃にはコロナ騒動も落ち着いているといいけど……。

 今朝の地元紙文化欄に「私のフォークソング史」の記事がある。8回シリーズの記事で今日が最終回。最初から小学校時代の同級生の記事と知りつつ読んだ。広島のフォークソングといえば吉田拓郎がいる。同級生はその時代に広島で活躍している。この同級生は以前からフォークソングをやっているとは知っていた。しかし、今回の記事は本人が書いているので当時のことがわかりやすい。昨日は別の同級生のことをブログにアップした。今朝の人は小学校卒業以来、会っていない。記事を読むと華やかな20代までとは違って、人生後半は家族の不幸や本人の病気などが綴られている。

 これを読んで、ああ、やっぱり人の一生はいいこともあれば悪いことも同じくらいある、と思ってしまった。一生、いいことばかりは続かない。

 若いころ悲嘆に暮れていると母はいつも「いいことばかりは続かない」とか、「どの家にも人にはわからないことがある」とか、「そのうちいいことがある」、などと言って励ましてくれた。弱く生まれてから20代までが人生で一番ともいえるほど沈んでいた。その点、後半に差し掛かった今はそのころのことがうそのように気持ちが晴れやかだ。何がこうさせた!?これもまた自分の人生。今ではこれでいいんだ、と何のわけもなく人生を肯定する。今が元気なことにあるのかもしれない。運気は人生後半にあり、「終わり良ければすべて良し」!?とはいいながら、まだまだ人生終わらせたくない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月2日月曜日

コロナで家にじっと潜んでいる毎日!?

 「……コロナで家にじっと潜んでいる毎日が続いています。……」。これは昨夜届いた小学校時代の同級生からのメール。親の代からある古い本を現代語訳されている。どの人もコロナウイルスで家でじっと我慢の子状態のようだ。今日こそはプールへと思った。だが、この時期、無理することもないとあきらめる。

 昨日、予約確保の本を受け取りに図書館へ行く。入り口を入ると受付カウンター以外はバリケードが張り巡らされている。閲覧させないための対策だ。どこへも行けず家で本ばかり読んでいると運動不足になる。図書館に行くにもこれまでは自転車に乗って出かけていた。昨日は歩いて行く。が、それでも携帯万歩計は1880歩と少ない。運動を兼ねてしばらくは買い物も歩いて行く!?

 気候も良くなってきた。じっと家に潜む生活に耐えられそうにない。こうなったら覚悟して本に集中する!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年3月1日日曜日

フグ三昧!

フグ1人前

 昨夜はフルート仲間の食事会。フグ三昧の夜となる。世の中、コロナウイルスがどうじゃ、こうじゃといいながらも土曜日の繁華街はその様子は見られない。流川あたりは人の流れが絶えず、さすがに流川だ。集合時間まで福屋八丁堀店で開催中の京都展に出かける。舞妓さんの舞とトークショーをやっていた。身近に見る舞妓さん。観衆からの質問コーナーもあった。祇園のお店に入るにはどうすれば?とか、花代はいくら?とかの質問が飛び出す。そういうことは関係ないが話だけ聞いても面白い。この質問はやんわりと拒否されていた。

 フグはコースでいただく。お通しとして巻貝が出る。熱燗のひれ酒でまずは乾杯!日本酒はほとんど飲まないがこの美味しさはわかる。ひれ酒の香ばしさに美味しさがあるのだろう。次にお皿に並んだフグ刺しが1人前ずつ出てくる。昨日は夜近くまで雨だった。乾杯のころは雨も止み、気温も夜になるにつれて上がってくる。テーブルにはフグのから揚げ、さらにはフグの鍋、フグ雑炊と続き、最後はあまおうの苺のデザートと、どれも皆、美味だ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。遠くに帰る人がいてバス出発時刻が迫りだす。バスセンターまで皆でタクシーに乗った。広島駅からJRに乗ると新型肺炎がなんじゃ、という感じだ。家に閉じこもってばかりいず、外に出ないといけない。改めてそう感じた。雨も止み、気温も上がってきた。今週は何が何でも泳ぎに行こう。そういえば昨日届いた某会の案内の最後にいい言葉がある。某会総会が夏に延期になったことの報告の後に「お元気な皆様にお会いできることを楽しみに、御身お大事に、ご自愛ください」とある。この言葉、素晴らしい。これから長く会わない人に対してこの一言を添えよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!