2018年11月30日金曜日

『お嬢さん放浪記』

 『お嬢さん放浪記』(犬養道子 角川文庫、平成30年)を読んだ。今年の出版であっても初めての出版はかなり古い。犬養道子は昨年7月に96歳で亡くなる。母が生きた時代を生きた人だ。誰もが大学や留学をしない時代にほぼ10年間留学。その理由は「グレイルのようなところで、自分の足りなさと自分の可能性とを発見するのが一番だと考えたのである」と書いている。この本は著者が20代半ばから30代半ばに留学したころのことを書いている。日本の戦後間もなくの留学。半世紀以上も前のことであってもどこか新鮮な気持ちで読める。知らないキーワードが並び、辞書を引きながら読む。

 本のタイトルである『お嬢さん放浪記』でなく、しばしば「お嬢さん奮闘記」を思わせる。イタリアのシシリア男性数人に囲まれての列車の旅の怖かった模様。またアフリカの黒人数人に取り囲まれてハイヒールを脱いで逃げ惑うシーンは放浪でなく奮闘や格闘になる。本の最初から最後まで結核との闘いがある。戦後に一番恐れられた病は結核。不治の病だった。外国へ出かけて1年後、結核に侵されて闘病生活が始まる。その時、お金を稼ぐ手段を病院生活で感じる。頭がいい人なのだろう。

 この辺りの件は「異国で闘病する若い女性を励まそうと、見知らぬ人々が毎日見舞いに来る。その一人だった海軍士官から、耳よりの話を聞いた。古くなったパラシュートのヒモの処理に困っているという。犬養は、ヒモでベルトを作ることを思いつく。部屋に並べていると飛ぶように売れ、欲しかったラジオが買えた」そうだ。

 以下はまたいつものように気になる個所からの抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★戦争直後、各国に手紙を出してヨーロッパの事情をたずねた時、前々から読書の手引きをしヨーロッパ思想について私に導きを与えてくれていた一人のドイツ人を通して知らされた、ある新しい運動の本部を訪れて、そこの共同生活に入ることによって、お嬢さん育ちに一本筋金を入れてもらいたいとも考えていたのである。その運動はグレイルとよばれた。ナチ下のベルリンで数千名の青年を動員して、精神の自由を謳うレジスタンスを数回にわたって展開したことによって、いまだに記憶されている。現代の性格を研究し、そのテンポとリズムの中で、生活と千差万別の職業とに即したキリスト教をいかに生きるか、それがこの運動のテーマであった。……私はそこに行って、トレーニングを受けて見たかった。……グレイルのようなところで、自分の足りなさと自分の可能性とを発見するのが一番だと考えたのである。9p

★共通な裸の人間性に触れようとしてゆく限り、どんな未知の国に一人で行っても自分は一人きりではないのだ。ブルナフさんの言った「友情のパスポート」はどこにでもある。どこに行っても探せば見つかるのだ、と。実際、十年の旅を通して、私はいつでもこのパスポートを誰かから与えられた。52p

★私はシルレルの言葉を何となく思い出していた。「我、ひとり、されど孤独にあらず」65p

 シルレル(1759~1805)を大辞林で調べると「 ドイツ詩人劇作家ゲーテとともに疾風怒濤期を経てカント哲学影響下に美学研究古典主義に基づく歴史劇確立代表作群盗』『たくらみと恋』『ドン=カルロス』『ワレンシュタイン』『オルレアンの少女』『ウィルヘルム=テル』,著『オランダ独立史』『素情感文学について』など。シルレル」とある。

★「なぜ皮膚の色だけは人を見るのでしょうね。なぜ血の色を見ないのでしょうね。誰の血でも、血は同じに赤いのに」66p

★私はアムステルダムで一年、あとの一年半は北オランダで最も名高いチューリップづくりの村ですごした。フォゲレンザング(鳥の歌う村)とよばれる人口百ばかりの寒村で、北には天然防風地帯が、海の大波のようにうねりゆらぐ白い砂丘を連ねていた。私の志したグレイル・ムーヴメントの本部はここにあった。90p

★オランダにも見るべき文化はある。南の国境に程近い松林の中には、世界で指折りのクローラーミュラー・ヴァン・ゴッホ美術館があり、首都アムステルダムの国立美術館はレンブラントの大作、ゴッホの傑作を収めて名高い。……95p

 ゴッホ美術館へは27、8年前に出かけた。トルコからの飛行機が飛ばず、アムステルダムで1拍2日、旅を延長。その時のJ〇Bは延長時の観光費用全てを出してくれた。お正月休みを利用しての旅だった。だが、会社に届けをせずに旅に出た。旅の延長に慌てた。ゴッホ美術館は延長時の観光だった。これを読んでその頃を思い出す。その2か月半後に父が亡くなる。それからは母の希望もあってお正月に外国へ行っていない。

★「ちっちゃなフロイライン」と彼は言った。「日本」141p

★「フランスの言葉はただきれいというばかりではありません。非常に合理的に、完成された言葉です。そこにゆくと、ドイツ語は何かしら粗末に思えるのです。そればかりじゃない、フロイライン、あなたはこういうことに気づきませんか、”太陽”を女性形で表すのはドイツ語だけですよ」
 「で、女性形だとどうだとおっしゃるのですか」
 「価値転倒と私はいいたいのです」と靴直しは言った。
 「太陽というのは力ですからね。力を女性視するというのは正当じゃありません。それではこういう不適格な表現が、どこから生まれてくるかと聞かれれば、これは私見ですが、ゲルマン民族の一種のセンチメンタリズムが原因でしょうね。センチメンタリズムというやつは、往々にして価値を転倒しますからね。そして、そのセンチメンタリズムがひとたび裏返しになると、残酷さを生むのです」
 私はいま眼の前に座っているみすぼらしい靴直しが、こんな意見を持っているのに内心おどろかずにいられなかった。169p

  フロイラインを辞書で調べるとドイツ語で「お嬢さん」の意。

★「世界の道はローマに通じる。しかし世界の心はフロレンスに通じる」222p

 フロレンスは英語のフィレンツエの意。

★彼の中にはユダヤの血が半分流れていた。ユダヤの血が流れているということは、別の言葉でいえば、一つところにじっとしていられない。絶えずエランを求めてやまない衝動に駆られた性格を持っているということである。「来るべきものへの期待」すべてのユダヤ人はこの期待とあこがれとを心の奥深くもっている。そして、このあこがれが、彼等を、空間的な意味でも、精神的な意味でも、知的な意味でも「さすらい」に向かってひきずるのである。254p

 エランをウイキペディアで調べると「哲学用語。生きるための『生命の躍動と飛翔』を意味する。フランス語に語源を持つélan vital(エラン・ヴィタール )が正規の表現』とある。

★あるミッションのグループが、それから間もなくサハラに新しく支部を設けると聞いて、これにも志願してみたが、やはり駄目だった。プシカリやサンテグジュペリの著作などを読むと、砂漠ほどに孤独な場所はない。その孤独にとりまかれて、人間は真の自我と存在の最も深い意義とを見出すことが出来るのである。私はいつかサハラに行ってみたい。303p

2018年11月29日木曜日

みんな元気で頑張っている!

 髪をカット後、スーパーへ立ち寄って帰宅中、道の反対側を歩く人から「丸子さん!」と声をかけられる。近づくと近所の同級生だ。「丸子さん、丸子さん」とまたも名前を呼ばれる。「〇〇よ」と何度告げても「丸子さんによく似てる」という。「丸子さんは何処の人?」と問うとJRで1つ先の駅に住む人のようだ。それにしてもこちらが名前を名乗っているし、しょっちゅう会う人なのに「ああ、〇〇さんね。間違えた!」くらい言えばいいのに……。その人は何度名を告げても最後まで私の名前を言わなかった。こちらとしてはもう完全に認知を疑う。ついには「認知症?」とまで言ってしまった。それにしても何か変!手にはICレコーダを持ち、大音量を流す。「何の音?」と問うとこれからカラオケに行くという。

 長く生きて変なことを話すと「認知」と疑がわれやすい。ところが昨日、久々にブログを拝見した人は83歳になられ、実の兄の「白寿の祝い」に小牧市から宇部市を訪問されている。白寿の兄と甥、そしてご本人の笑顔のアップがある。認知どころかお元気そのものだ。ブログの人とはモロッコの旅で知り合った。年が明けると丸3年前のことになる。旅先のバスの車内でブログの話をされた。これを聞いて思わずブログをしていると話した。これまで何度も海外に出かけていても、国内もそうだけどブログをしている人と出会ったのはこの方だけ。ほぼ旅に出られた時だけブログをアップされている。

 ブログを見ればその後のその人の生活もわかる。今年2月に南極クルーズ、7月に南アフリカを旅されている。来春3月はエジプトに行かれるようだ。83歳、高層マンションに独り住まいされ、お元気に旅を続けられている。ダグニーさんは106歳でこれまた独り住まい。毎日いろんな人と出会い、いろんな場所で食事をされ、いろんなところへ出かけられてブログをアップされている。ダグニーさんに会ったことはない。しかし、ブログを通してお元気な様子が伝わる。

 自分自身もこの人たちのようにブログを通して人に元気を伝えられるといい。元気といえば今朝のネットニュースにCarpの推しメンの記事がある。やる気を出して頑張る記事がある。もうこの記事を読むだけで朝から涙。頑張る姿は美しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年11月28日水曜日

再び♪カヴァティーナ🎵



 フルートでさらうドヴォルザークの🎵カヴァティーナ🎵。一通り曲は吹けてもブレスをいい加減に吹く。レッスンではブレスの位置を確認したり、曲として譜面通りに強弱をつけて吹く。このように吹けば曲の雰囲気もガラッと変わる。これが習うということだろう。習い始めの頃はさらう曲はレッスンで初めて吹くことが多かった。この頃はさらう曲を家で練習してレッスンに臨む。この方がどこがいけないのかがレッスンでわかる。ともあれ、練習するしかない。

 レッスン後、県立美術館で開催中の元陽展に出かける。これまで美術館までは先生宅から歩いて行っていた。昨日、ネットでバスの便を調べると美術館の近くにバス停がある。なぜ、これまで気が付かずにいたのだろう。新聞を見ると知っている人の名がある。これは是非とも見に行かなくては……と出かけた。去年初めて出品されている。今年は油絵を描かれていた。いずれにしてもかなりの大きさの素晴らしい絵だ。

 美術館から広島駅まで歩き、カフェで一休み。デパート内は相変わらずジジババの世界。それも当然かもしれない。どういっても平日の午後だから……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年11月27日火曜日

ショパン国際ピリオド楽器コンクール&プ―ル

 24日(土)の夜、NHKのBS1で「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」がニュースを挟んで2時間放送された。ショパンの文字が目についてその模様をテレビで見る。「ピリオド」とは古楽器の意らしく、ショパンの生きていた時代、弾いていたというフォルテピアノをつかってのコンクールだった。フォルテピアノは初めて聞くキーワードで19台あるうち、コンクールに出場する人は舞台に並べられた5台のうちから自分に合った楽器を使用して演奏する。古楽器と言われるだけあって現存するフォルテピアノは少ないらしい。その多くを所有する人の奥さんは日本人だった。

 世界から集まった30名が参加して9月1日から2週間ポーランドでコンクールは開催された。30名の出場者の中でも主に日本人の川口成彦、ポーランド人1 名、中国人1名、他にウクライナ人1名をテレビは追跡する。最終審査の前に2度ほど予選や本選がある。楽器そのものは今のピアノと違って誰彼の手になく、教会などに現存する楽器を時間を区切って練習に充てる。見ていてまるでスポーツ競技のような迫力がある。並の根性や体力ではコンクールに臨めない。結果はテレビカメラが1位と予測していたウクライナ人でなく、突如最終審査で実力を発揮した別のウクライナ人が1位になった。2位は2人いてうち1人は日本人の川口成彦だった。

 川口は子供時代にピアノを弾いても専門的には習っていなかった。ピアノ演奏では……と逡巡した挙句、藝大の楽理学科に入学。大学卒業後、別のフォルテピアノのコンクールに出場して1位になる。今回のコンクールでは2位となり、さらなるフォルテピアノの演奏活動を行うという。

 ピアノに似た楽器にチェンバロがある。これは知っていてもフォルテオピアノは今回初めて知った。今のピアノほど遠くまで音が響かないらしい。だが、それも弾き方で変化するようだ。ピアノに関しては全くわからない。それでも今回放送されたコンクールはかなり興味を持って最後まで見た。また、ピアノを弾く手の指の動かし方で上手い下手があるように思えた。

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。連日、外に出ていたのでプールに行くのはどうかとためらいがあった。しかし、泳ぎに行こうと思わないと寒くなればなるほど泳ぐ機会を逃してしまう。これではいけない、と重い腰を上げてプールへGO~。到着すると気分も高揚するのか俄然元気が出る。更衣室で年齢を聞かれる。相手の歳を聞くと79歳だそうだ。この人はいつもプールで声をかけてくれる。それも優しく声をかけられる。顔も美人でとても79歳には見えない。そう話すとルンルンで帰られた。30分泳ぐとすぐに帰るらしい。昨日は人が多かったためかいつもの1時間よりも長くプールにいた。79歳まではまだだいぶ時間がある。こういう元気な人を見倣って何歳になっても泳いでいたい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年11月26日月曜日

日本画展打ち上げ&5人展

 昨日はホテルグランヴィア・広島の中華レストランで日本画作品展の打ち上げと早めの忘年会だった。市内数か所の教室から集まった人たち。1年に一度ある作品展と打ち上げで合うくらいなのに、いつの間にかどの人とも顔なじみになる。その中には今年になって教室に入られた2名もいる。そのうち1名は習っていた先生の不幸で先生を変わられていた。

 この2か月、肋骨を怪我する人を2名知っている。昨日も1名ほど肋骨の怪我で不参加だった。年を取ると骨がもろくなるのだろう。肋骨の怪我はこれまで周りから聞こえてこなかった。なぜ今になって……。気を付けよう。

 中華レストランの大半は個室になっている。参加人数が多いにもかかわらず、先生は各自にプレゼントをくださる。それは先生の描かれた額入りの絵。大小さまざまなものをくじを引いて決める。今、樹木に凝っている。くじを引いてもらったのは幸いにも数本の樹木の鉛筆画だった。これはありがたい。

 グランヴィアを後にして次にむかうは先生たちによる5人展。会場は県立美術館。3人がタクシーに乗って美術館へ。昨日は展覧会の最終日。5人のうちほとんどの先生が樹木を描いておられる。生命を宿す樹木。しばらくは樹木に関心が行きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年11月25日日曜日

昨日の日本画教室

 日本画教室に行く途中、JRに乗ると目的地の駅とその1つ手前の駅で降りる人が多い。なぜ、と思ったらエディオンスタジアムであるサンフレッチェの試合観戦に行く人のようだ。今朝、入場者数を見ると約22000人。ところが急に寒くなったためかサンフレッチェのユニホーム姿の人を見かけない。ところがこれもカープの試合だと、ほぼ全員が街中であろうとどこであろうとユニフォーム姿だ。この違いは大きい。というか、自分自身、サッカーよりも野球に関心があるからかもしれない。

 教室には家で実ったレモンを持参する。今年はレモンの表皮が茶色く変色しており人さまにあげられるようなものではない。それでも少しはましなものを持っていく。うち1人は色が悪くてもOKらしく、今日の会合に別に10個持っていくと約束する。この人はかなりのレモン好きのようだ。レモンは果実がしっかりしているのか実が木から落ちない。そのため1個ずつ鋏で切って取る。

 話は変わって昨日の日本画教室。先日教室の人からもらったカボス。これを2枚スケッチした。昨日は持参したF6の木製パネルに鳥の子紙を貼る。のりを水で薄めてこれを鳥の子紙に太めの筆で塗る。たったこれだけのことさえも器用でないので先生の手を煩わせる。紙を貼ったパネルに今度は下塗りする。2度ほど下塗りした後、バックの色を塗る。これは青で塗る。ここでもまた不器用さを露呈。ところどころ刷毛(筆)を動かす度、下から色が出てくる。これは膠で絵具や方解沫をよく混ぜてない証拠らしい。溶いた絵具をそのまま余らせていた。この辺りも先生は驚かれる。余った絵の具を丁寧に混ぜて4度目を塗ってくださる。お蔭で木製パネルの下地はきれいな青で出来上がる。次週からはこれを徐々に本画に仕上げてゆく。

 職人さんは道具を大事にされると聞くことがある。職人さんではないが絵の先生も溶いた絵具もそうだが、1滴足らずとも残さず大事にされる。鳥の子紙もそうだ。余分な紙を無駄にされない。絵を習う前にこういった面で教わることも多い。

 日本画は膠を絵の具で溶いて絵にする。この際、右手の高高指で溶いてゆく。これをした後、高高指の先が作業をしたようになる。お風呂で洗ってもなかなかきれいにならない。昨日、その指に100円ショップで買ったという指サックをもらう。とはいってもいわゆるそれとは異なり、小さくてかわいい大きさだ。先生が100円ショップで見つけられたらしい。昨日、先生にもらった人からお裾分けで1つもらう。これは初めは失敗だったけど、次の色を溶く時は大丈夫だった。

 ネットで見ると絵具を膠で溶く時、指先が汚くなるとの質問記事がある。昨日はいいものを教えてもらって1つまた賢くなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年11月24日土曜日

ブラック・フライデー&ショパンetc.

 今朝ダグニーさんのブログを見ると「今日は黒です金曜日前に知らなかった用語。それはアメリカ合衆国からの時間として理解されるだろうし、購入をすることになって lustens と reornas を約束した今日。ただし、ミルクのカートンおよびパッケージ化されたパン以外何かを購入していない私」とある(翻訳機能による日本語)。2日前の新聞折込みチラシで目にしたブラック・フライデー。これを見て何?と驚く。メディアでは近年定着しつつあるらしい。しかし、チラシを見るまで全く知らなかった。前に聞いたプレミアム・フライデーは何処へ行った!?

 今朝は今季一番ともいえるほど冷えた。最低気温2 ℃らしい。近いうち、とても寒いところへ行く予定なので体を寒さに慣れさせなくてはいけない。とはいっても暑ければ暑いとブーブー言うし、寒いとこれまた耐えられそうにない。それでもぜひとも行きたい場所なのでいくら寒くても楽しみにしている。旅が決まった時点ではネットで調べると最高気温は1,2度と低かった。当然最低気温はマイナス。ところが今冬はエルニーニョ現象らしく、昨日見たネットでは最高気温8度前後になっている。最低もマイナスではなさそうだ。ということは今朝の広島の最低気温が現地の最高気温と思えばいいかもしれない。

 今朝のテレビ番組欄を見るとBS1で「ショパン時の旅人~」が2時間ある。ショパンと言えば昨晩の「らららクラシック」でもベートーベン、メンデルスゾーンと共にショパンが取り上げられた。また一昨日のBS3「ザ・プロファイラー」はショパンだった。なぜ今ショパンを連日放送するのだろう。これは偶然なのか。それとも自分自身がショパンに関心を持つから自然と目に入るのだろうか。ザ・プロファイラーのショパンを見てショパンの人となりがわかる。

 ショパンの心臓の保管場所はポーランドの教会にある。昨年、ポーランドに出かけた。テレビに映し出される教会を見て出かけた場所だ、と思い出す。ショパンの姉はパリに眠るショパンの墓地から心臓を保管しようとポーランドに持ち帰った。教会には「あなたの大切なものがあるところにあなたの心もある」と書かれているという。

 ショパンの心臓について自分のブログを見ると画像などア\\ップしていた。再度ここにアップしよう。昨日の番組で取り上げたのはショパンの愛。マリアとの愛だ。しかしマリアと仲良くなっても仕事でパリに出かける。そこでショパンは人妻で、2人の子供がいるサンドと暮らし始める。ここからは一昨日のプロファイラーから。裕福なサンドとの生活でショパンは演奏活動をしなくてもよくなり、作曲に費やす。サンドと暮らしたマジョルカ島。その生活は次第に崩れていく。ある雨の日、帰らぬサンドを想いつつピアノに向かってできた曲が🎵雨だれ🎵だった。サンドに見放されたショパンはその後喀血して亡くなる。しかし、その不幸にサンドは欠席したという。尚、ポーランドの舞曲の🎵ポロネーズ🎵は何とショパン7歳の時の作曲。マズルカはポーランドの農民の舞曲だそうだ。

 冷たい朝も今は陽が射している。暖かくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
ショパンの心臓が保管してある教会

ショパンの心臓が納められているという聖十字架教会内部


教会内部にある「ショパンの心臓」の案内標識

2018年11月23日金曜日

ミステリーツアーに参加!その2

 11月21日(水)、トイレ付きゆったりシートバス利用で「紅葉の名所・洋食コースランチ、紅葉満喫!秋の行楽ミステリーツアー」に出かけた。旅の参加者は33名。うち1名参加は3名。席に着くと今回の添乗員は韓国の人だと隣の人から知らされる。道理で言葉使いがとても丁寧で、しかも仕事熱心。近場の韓国へはまだ出かけていない。この人の添乗で……と思ってそう告げると手作りの名刺をくれた。
 
  8時40分 広島駅をバスは出発。1時間半で下松のPAに到着。隣の人は山口で有名な五重塔があるお寺かも……と話される。私は雪舟庭では、と思った。だが、いずれも山口、は当たっていても行き先は違っていた。見知らぬ土地へ出かける、これはワクワクする。ましてや前日の雨の予報も外れてお天気にも恵まれたバス旅となった。
 
 11時20分、早めのレストラン到着。食事時間は1時間の予定。天井が高く、芸術的な建物の中にレストランがある。レストランから外を眺めるとこれまた美術館やホールを思わせる建物がある。だが、今、どこにいるのかさっぱりわからない。テーブルはセッティングされ、メニューが各自配られていても住所らしきものが見当たらない。係りにパンフをお願いするとそこには秋吉台国際芸術村と記されていた。
 
 お昼のランチもお部屋の雰囲気にマッチする。しかし、かなり主要道路から奥まった場所にある。誰がここを利用するのだろう。宿泊料金を見ると1泊2食のグルメプランで9500円(2名ならばマイナス1000円)と格安だ。しかし、公共機関ではなかなか個人では行かれそうにない。
 
          秋吉台国際芸術村にあるレストラン”largo”
 
同じくレストラン内部

レストラン入り口

レストランの隣に建つ秋吉台国際芸術村コンサートホール

赤田神社

 食事後、30分ほどでバスは赤田神社到着。絵になりそうな光景をカメラで写す。とはいっても絵に仕上がるかどうかは全く自信がない。





 


 


神社の横には川が流れる


拝殿の天井には内藤鳳岳による龍の絵が描かれていた
回廊に上がり、カメラを上に向けてアップで写す

(内藤)鳳岳の落款がある



龍蔵寺 

 赤田神社からバスで30分。13時前に到着。山口市吉敷にある真言宗御室派の寺院で巨木の銀杏は国の天然記念物となっている。
 

お地蔵さんと握手した!






大聖青不動明王


山を少し登ると吉敷の滝がみえた

山を少し登ったところ

山を登ったところ


巨木の銀杏は国の天然記念物

   


  


大銀杏の周りに仏像がある

 龍蔵寺は山を少し登ると吉敷の滝が流れていた。下山すると茶店でお茶の接待がある。ここで銀杏と龍蔵寺と刻印された煎餅を購入。

 龍蔵寺の近くには西田幾多郎が明治30年、27歳の頃から2年間、山口高等学校に勤めた頃に住んでいた家があった。

龍蔵寺付近にある西田幾多郎の標識
西田幾多郎の住んだ家の入口

龍福寺 

 龍蔵寺から15分バスに乗り、14時20分到着。山口市大殿大路にある曹洞宗のお寺。お庭がひろく手入れが行き届いている。また隣接する墓地は大きな立派なお墓が建ててある。なぜ、これほど立派なお墓が……、と気になってネットで検索。ウイキペディアに次のように書いてある。

 「龍福寺は,大内氏の館跡に建立された寺で、大内義隆の墓提寺です。大内資料館も設置さてれいます。もともとは白石の地にあり、1206年に18代大内満盛が創建した臨済宗の寺で、宝珠山瑞雲寺と称ていました。1454年、28代大内教弘が、雪心和尚を迎え中興開山として曹洞宗に改宗し、寺号も瑞雲山龍福寺と改めました。明治になって火災により焼失した本堂の代わりに元大内氏の氏寺であった興隆寺の本堂を移築したのが今の本堂です。本堂は、桁行5間、梁間5間で、出組組物、二軒繁垂木の堂々たる姿を備え、屋根は入母屋造り、桧皮葺です。室町時代の代表的な寺院建築として国の重要文化財に指定されています」。

 これを読んで納得。大きなお墓は大内氏ゆかりの人たちが建てたのだろう。



大きな銀杏
 


幸せの鐘を撞く





紅葉のトンネル
陽の光でモミジの色も変わるという
そう聞いて「愛の陽があたらなかった!」と話して笑いを誘った 

龍福寺入り口

紅葉のトンネルを通り抜ける
  観光後、バスは小野茶の産地の売店に向かう。途中からはお店の人がバスに乗り込み、到着まで「商売」が始まる。以前、小野茶の茶畑で茶摘みをしたことがある。大きな茶畑も知名度としてはあまりない。というのもこのお店の説明によると小野茶であっても静岡茶や伊藤園のお茶として全国へ販売されるという。

 山口市の道路は日本の中でも3番目に入るほど街路樹が素晴らしいと添乗員は話す。山口県はどういっても日本の総理を多数輩出している。これと道路の素晴らしさは関係あるのかもしれない。
山口のメイン道路は銀杏並木

小野茶売店 

 龍福寺からバスで40分乗って15時40分到着。小野茶売店の外には大きな1本の山茶花があった。花は手入れがされており、カメラをアップにして写す。
今が花の盛りの山茶花


きれい!



広島駅ペデストリアンデッキのツリー

 広島駅に18時40分、バスは到着。今年もペデストリアンデッキにはクリスマスツリーのイルミネーションが色さまざまに変化して耀く。ミステリーの旅は楽しいうちに終わる。出かけた場所は初めて行った。そう言えば、このツアーはおっさん同士の連れがあった。仕事関係の人らしく、バスが出発する時からご機嫌だ。白い飲み物を後で聞くと白ワインだった。男同士のツアー参加は珍しい。その点、女性同士はよくある話。というかほとんど夫婦か女性同士が多い。そこにいつも1人で暇人は参加する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!