2023年2月28日火曜日

Andalouse (Émile Pessard)


 薬という薬はほとんど飲んでいないがビタミン剤は飲んでいる。昨日、近くのドラッグストアへビタミンBを買いに行った。メーカー名を告げると品切れとのこと。いつ入荷するのかを問うと未定とのこと。ビタミン剤はB,C,Eを飲んでいる。しかし、ビタミン剤を飲むにもメーカーへのこだわりがある。お店は知らないメーカーをすすめる。が、これには乗らない。ネットで品切れのわけを調べると原材料のメーカーの不祥事により材料の一部の製造が遅れているのが原因らしい。ビタミン剤のメーカーを調べるとHPに製造の遅れとある。

 ビタミン剤と言えども信用のおけるメーカーでないと買うことはできない。いつもならば1瓶位は予備を買っていたのに今回に限ってそうでない。何と皮肉なことか。

 気分を変えてフルートを吹く。毎日吹いている笛だがこれも有酸素運動になる。3,4曲をくり返し吹いている。昨日、頭に浮かんだ曲はぺサールのアンダルーズ。もう何回もこの曲の動画をアップしている。曲は何でもいいので練習、練習!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月27日月曜日

Noteの利用

  4日前、歯を1本抜いた。3年くらい前にも歯を抜いたことがある。それまで歯を抜くことはほとんどなかった。それ以降、自分自身が歳を取ったと意識し始める。先日の抜歯はかなりのショックだった。眼は物心ついたころには悪かった。が、眼以外で体の不調を感じることはほぼない。しかし、眼以外にも歯が年齢とともに衰えてゆく。歯は大事と知っていてもどうすることもできない。

 ネット記事を見るとお笑いの見取り図リリーがNoteにブログをアップしている。昨夜、歯を抜いてかなりショックを受けたがふと気が楽になるようなひらめきがあった。これをNoteに記そう、と思いつく。自分自身の嫌な考えを払拭する気持ちを楽にするひらめきNoteだ。何気なく見ている有名無名を問わない人のブログ。ちょっとしたヒントがあることもある。Noteは公開することもできるようだが、あくまでも個人用メモとして記すので公開はしない。

 歌手のクミコのブログを見ていると今年両親は共に95歳になるとか。母親は自宅に1人住み、父親は1年前から施設に入っている。歌手活動の合間に両親を介護する生活はブログを見ていても大変さがうかがえる。自分自身、今のブログの前に2年間、母を主にしたブログを書いていた。しかし、そのブログは母が亡くなるまでを書いていたので今さら読み返す勇気がない。そのため、そのブログは最初と最後だけ公開して他の日は非公開にしている。今は亡き母とはいえ衰えてゆく日々を読み返すのはつらい。

 自分自身、今は元気だが、それでも歯を1本抜いてひどく気落ちした。しかし、これから先は年々、歳を重ねてゆくにしたがって今よりも元気でいるとは言い切れない。何かコトがある度に気落ちしていると体が参ってしまう。その矢先の昨夜のひらめきで気持ちが楽になった。Noteにはこのようなことを記してゆこう。そう、「ひらめきノート」に。

 哲学者の岸見一郎もNoteを利用している。毎日の更新ではないがこの人のNoteを読むのも楽しみの一つである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月26日日曜日

「知るとは、知らないを増やすこと」

  ネット上に森博嗣の「知るとは、知らないを増やすこと」の記事がある。この人を知ったのはいつも書くように妹の息子である甥が森博嗣の本が好きだと聞いて知った。甥が読むのはエッセイでなく推理小説であり、よほど好きなのか小説に出てくる主人公の名前を自分の長男につけている。それ以来、森博嗣のエッセイを読んでいるが最近、読むことがなく久しぶりにネット記事を読む。記事の最後に「知らないことが馬鹿なのではない。知ろうとしないことがほんとうの馬鹿である」に感動する。

 携帯を機種変更後、ドコモのポイントがたまりだす。3日前に15000ポイント近くになっている。ポイントは用途限定のポイントもある。それは期間も短く使い切らないと期限切れになる。それではもったいない。が、どうやってこのポイントを使うのかがわからない。ましてやポイントの用途限定の意味もわかりづらい。ネットで調べるとdポイントはd払いで支払えばいいらしい。そうわかってもd払いのやり方がわからない。その画面を出すとログインがどうじゃこうじゃとある。恐る恐る触っているとログインできた。

 これをどうするのかわからず使い方の動画を探す。お店でのポイント決済までの動画があった。利用できるお店を探すと家の前のお店がOKだ。一昨日、さっそくお店に出かけてお店の人に初めて利用する旨告げてdポイントの利用をd払いで試みる。動画で見た通りの同じ画面をかざすと難なく決済できた。こういうことは初めてのことだったので舞い上がるほどうれしかった。またd払いなのにお店のカードにもポイントが付く。これにも驚いた。気をよくしていつものスーパーに出かけてまたもd払いを試みるとこのお店もOKだった。

 森博嗣のいうように「知るとは、知らないを増やすこと」を実感した日となった。dポイントのd払い決済を知らなかったのでそれを知ることができた喜びは大きい。あまりにも嬉しくて友だちに電話して報告したほどだ。何が嬉しいと言って表示できない画面を自分で表示してそれを実践できたことが嬉しかった。長年スマホを利用している人は何を今さら、と笑われるかもしれない。が、自分としてはまだやれるという喜びしかない。どういってもスマホ初心者だ。

 dカードをゴールドにしたので毎月のポイントが10倍になる。機種変更時、ドコモの係はその時点でのポイントを料金に反映してくれた。その際、これからは年に2度くらいポイントを利用料金に反映する方法をドコモにくればやってくれると話した。そのつもりでいたがd払いでポイントを使う方法が判ったのでこれからは自分でできる。

 この嬉しさを昨日の日本画教室でも話した。すでにスマホ利用者であってもこのことを知らない人もいた。初心者なのに偉そうに教えてあげた。何でもわからないことがわかると嬉しい。わかった時の気持ちはまるで子供と同じかもしれない。森博嗣は書いている。「知らないことが馬鹿なのではない。知ろうとしないことがほんとうの馬鹿である」と。

 日本画教室では今回も箔を貼る人がいる。個人的には地塗りした木製パネルにさらに色を施して地塗りは完成。パネルに描く絵をトレースして次週へ。外は寒そう。春はまだ来そうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月25日土曜日

鳥取への旅その2 

 2023年2月22日(水)から23日(木)まで鳥取へのバスツアーに参加する。ワクチンを打っていないのでPCR検査の陰性証明書を持っての参加だ。集合時、添乗員はどういうふうに検査結果を見るのか興味があった。見せる前からスマホ画面に陰性結果をすぐに見せられるようにしていた。添乗員は検査日を気にしながら見たようだ。集合時刻は通常のツアーと違って午前11時と遅い。途中、福山SAで各自お昼を食べる。王将やマクドナルドなどのファストフード店があった。岡山の湯原ICを通って犬挟峠を経由して真庭PAで休憩。15時半に三朝温泉に到着。バスがどこを通ったのか地理的にはさっぱりわからない。倉吉辺りで車窓から見えるのは雪景色だった。

車窓から眺める雪景色

車窓から眺める雪景色 
ホテルでの夕食

ホテルの夕食

 ホテルロビーではすでに米子の友だちが車で来て待ってくれていた。ここで夕食の6時まで2時間余りほど4月の奈良の旅の打ち合わせをする。が、すでに予定は組まれており、集合場所と時刻の確認をするだけだ。しかし、数年ぶりの再会だったので会っていなかったときの話で盛り上がる。夕飯は食前酒に始まって、写真の料理を含めて11種の懐石料理だった。
 
 バス車内で三朝温泉の観光地図を貰っていたが友だちと話していたのとホテルの山側は雪が積もって冷たかったのでホテルから一歩も出ずじまい。ただ夜に一度だけ温泉に浸かった。ホテルの部屋は一人なのに広い。ただ家では切って寝るエアコンだが、ここは切ると寒そうなのでエアコンをつけて寝る。音がうるさくて熟睡できなかった。

 翌日は朝食7時でバスは9時出発。まずは白兎神社へ。今年は兎年で白兎神社参拝は縁起もよさそうだ。ただ参拝時間が20分と短い。せめて30分か40分間あればと思った。というのも買い物ツアーの如く2,3か所買い物に付き合わされる。

白兎神社入り口にある神話の「因幡の白兎」砂像
 白兎神社の入口に砂の美術館を模したようなミニミニの「因幡の白兎」の砂像がある。さらに奥に進むと天然記念物白兎神社樹叢の石碑がある。この「樹叢」は今回初めて知ったがいい響きだ。樹叢の横には神社まで白兎の置物が並んでいた。
樹叢の横には白兎が点々と並んでいる


菊座石

白兎神社
 白兎神社の柱の土台の菊座石を写していないと気づく。菊座石の掲示版は神社の横にあり、神社を写す時はまだこの石について何も知らなかった。写真に写せなかったのもこのことにある。また神社の観光時間が20分と短くて目の前に見える白兎海岸に行かれなかったのは残念。この後、賀露港にある海産物店に立ち寄るが何も買わなかった。が、蟹など買われた人もいたようだ。
鳥取砂丘の柵内は植林中だった
 鳥取砂丘に着いた。ここでツアーの人と話すと同年齢かと思いきや90歳と言われる。見るからにはつらつとされており、どう見てもその御年に見えない。ましてやスマホを片手にして砂丘を写されている。スマホも今年になって買い替えられたそうだ。どこへもひとりで行かれるらしく、(もしかして将来の自分?)と思いたかった。というかこの人くらい元気で90歳を迎えられるといい。

晴れの鳥取砂丘
海と空の境が判らないほど好天の鳥取砂丘
 鳥取への行きのバスは岡山の山を抜け、帰りは島根の山を抜けて広島へ帰る。いずれも山への道は雪景色。途中のPAで地図をゲットしたがどの道を通ったのかさっぱりわからない。
島根県から帰る途中の雪景色
 車窓から雪景色を眺めながらのバス旅。辺り一面に積もった雪を見るのはあまりないのでしきりと写真に撮った。しかし、動いている車内で写すのは大変。一度でいいから下車して写したかった。
 
 今年の旅の始まり、という感じの楽な旅だった。ツアーに参加されていた90歳の人のようにいつまでも元気で遊びに行きたい。見習うことの多い旅となった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月24日金曜日

鳥取への旅その1

  1泊2日のバスツアーに参加して数年ぶりに鳥取に出かけた。本格的なバスツアーは1年ぶりかもしれない。2月の寒い時季に山陰へ旅をすることにためらいもあった。が、思っていたよりも寒くなく、鳥取砂丘も砂丘観光時はお日様も輝いて気持ち良かった。出かけたツアーは鳥取県の「三朝温泉・因幡初詣開運ツアー」。旅の初日は三朝温泉に午後3時半到着予定と日程表にある。

 三朝温泉とは少し距離があるが米子に友だちがいる。4月に奈良へ行こうと思っていたので奈良好きのその友だちに電話をすると米子から三朝温泉の宿まで訪ねてくれるという。バスは順調に走って宿に到着。友だちはすでに妹さんとロビーで待っていた。6時の夕飯までしばしロビーで話をする。ともにリタイアされており姉妹であちこちに出かけるそうだ。4月の奈良での再会もすべて友だちが計画を立ててくれている。ただ、奈良で集合する際の時刻はたがいに確認した。

 旅の1日目は友だちと別れて夕飯を食べてすべて終わった。三朝温泉の宿はラジウム温泉で有名だそうだが特別に温泉好きでもないので一度お風呂に入る感覚で温泉に浸かった。2日目は因幡の白兎で有名な白兎神社と鳥取砂丘に出かけた。砂丘は何度か来ているがそれでも今回は母と出かけて以来なので30年ぶりくらいになる。いつ行っても砂丘はロマンがある。寒い季節というのに砂丘はにぎわっていた。

 砂丘を観光中、ツアーの人と話すとなんと御年90歳で一人で参加されていた。どう見ても同年齢の感じなのに足取り軽やかに歩かれる。何が悪いといってもまわりに足腰に痛みを抱えた人が多すぎる。一眼ニ足、と言われるようにこの二つは特に大事。自分自身、眼がよくないがそれでも何とか見えている。

 旅はお土産屋がつきものだ。行く先々でお菓子などの裏面を見ると韓国、中国製造とある。アナゴの干物はなんとベトナム製造だった。国内を旅して何で他国のお土産を買う!?気をつけて裏面を見ながら因幡の白兎の箱入りをクーポン券で購入。クーポン券をもらうのはいいのだが早く使いたい気持ちがあって宿で買ってすぐに使った。

 ツアーに参加するとまたどこかへ行きたくなる。それには元気が一番。90歳の人を見習って遊びに精を出そう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月22日水曜日

『街道をゆく』(二十四)「奈良散歩」

 冷たい朝を迎える。これから春にかけて冷たい日が続いたり暖かい日が続いたりして気温が落ち着くのだろう。それにしても今朝は寒いよりも冷たい!

 『街道をゆく』を読んでいたがいつの間にか司馬作品の長編小説を読みだした。そのため『街道をゆく』の「奈良散歩」を読み終えて『街道……』を中断している。「奈良散歩」を読めば奈良に行きたくなる。昨日は友だちとの電話で春になれば県北部の三次で会おうとのなった。その頃にはコロナも落ち着いて遊びに行きやすくなるかもしれない。まだまだ元気があるのか友だちとの話題は遊ぶことばかり。

 以下は『街道をゆく』(二十四)「奈良散歩」(司馬遼太郎 朝日新聞社、2000年第7刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★とくに一カ所をあげよといわれれば、二月堂あたりほどいい界隈はない。立ちどまってながめるというより、そこを通りすぎてゆくときの気分がいい。東域の傾斜に建てられた二月堂は、懸崖造りの桁や柱にささえられつつ、西方の天にむかって大きく開口している。清風を啖(くら)い、日没の茜雲を見、夜は西天の星を見つめている。二月堂へは、西の方からやってきて、大湯屋の食堂(じきどう)のずっしりした建物のそばを通り、若狭井のそばを経、二月堂を左に見つつ、三月堂と四月堂のあいだをぬけて観音院の前につきあたり、やがて谷を降りてゆくという道がすばらしい。(262p)

★われわれが、芝生と松林の静まりのなかで、かつて二十五円で売りに出された国宝五重塔の下をすぎてゆく幸福を得るようになるのは、明治政府が正気をとりもどしたおかげである。考えてみれば、日本における強烈な国粋主義が、国家と国民に損害以外のものをもたらしたことがあるだろうか。……奈良にある多くのすぐれた建造物を千数百年にわたって守りぬいてきてくれたこのまちの精神というものに敬意をささげるべきではないか。(293p)

★みな、なま公卿だった証拠に、このとし、いっせいに頭髪をたくわえ、春日大社の僧職になってしまうのである。僧には本来苗字がなかった。還俗したために苗字もつけた。……前後のかくれた事情はともかく、みずからすすんで興福寺を捨てたのである。……どうか俗人にもどしてください、と官に願い出るなど、仏教の権威、信仰ともども片鱗さえうかがえない。カトリックやマホメット教に、こういう現象がありうるだろうか。(304-305p)                                              

★僧が、いっせいに還俗することによって寺をすてた以上、寺も仏像も宝物も持ち主なでぃで路上にほうりだされたのと同然だった。軽薄といえばこれほどすさまじいものもないが、一方、明治維新の革命性ということからみれば、興福寺におけるそのことほどはげしいものは他になかった。……のちに成立する奈良公園のうつくしさは、興福寺を毀(こぼ)つことによって成立したのである。いまここを散策する私どもが、なにものかに感謝せねばならぬとすれば、旧興福寺の末期の僧たちの無信仰に対してその意を捧げるべきだろうか。このことは、末期の僧たちを侮辱しているのではない。私ども日本人には、大なり小なり、旧興福寺の気質がある。(307-308p)

★阿修羅は私にとって代表的な奈良人なのである。(310p)

★仏教の伝播というのは、伝播そのものがロマンティックなのである。仏教はその誕生の地から歩き出してやがてペルシャ語地域に入り、さらに東にむかって流郷の地にゆき、オアシス国家の樹陰に入った。私どもが西域とよび、またシルクロードとよぶ地である。その辺りはいまは中国に属し、新疆ウイグル自治区とよばれている。仏教という酒は、このタクラマカン砂漠の周辺で第二の醸造期に入ったのである。紀元前一、二世紀ごろとみていい。仏教はそこで足踏みするようにながくとどまり、容易に中国に入らず、オアシスの王や農民や商人たちから鑽仰(さんぎょう)され、気配としていくつかの経典も編まれた。そのなかに、有力なオアシス国家として、古代于闐国(うてんこく)がある。……正確にいえば、東大寺は古代于闐国の文化がゆきついた端であるともいえる。……古代インド人は、于闐国のことを「クスタナ」とよび、チベット人はリーとよび、あるいはウテンとよんでいた。ウテンの音を、古代の中国人が漢字にあてはめたのが、于闐である。(315p)

★華厳の理論は十分科学にも耐えうるものだが、しかし、――それでどうなる。という宗教的な面となると、やや弱い。奈良仏教が平安仏教に置き去りにされたのはそういう面の弱さにある。が、別の面からいえば、平安仏教が加持祈祷のようなオカルトに堕したのに対し、東大寺は華厳という雄渾な世界観のおかげで、知的な清雅さを保ちつづけているともいえる。(343-344p)

★仏教は、本来、葬儀をするための宗教ではなかったのである。クシナーラーの野で、弟子たちに看とられつつ死んだ釈迦についても、葬儀が営まれたというはなしはない。かれの遺体は、当時のインドの火葬のやりかたどおり、新しい布や綿でつつまれ、油をたっぷり入れた鉄の槽(おけ)におさめられて、火が点じられただけであった。……東大寺が建立された奈良時代では、仏教は生者のみのものだった。このため、東大寺ではなお創建以来の精神が息づいていて、葬儀というものはやらない。いかに東大寺に大きな寄進をした分限者であっても、葬儀をひきうけることはない。また管長以下、塔頭の僧たちが死んでも、東大寺の僧がその導師をつとめることもない。東大寺の僧が死ぬと、町方の寺の住職をよんで、葬儀をさせるのである。その専門というべき寺があって、寺号は空海寺という。(368-369p)

★聖というのは官僧ではない僧形の者のことで、中世、とくに室町期、民間における巨大な勢力だった。聖のなかには、”お大師さん”を奉ずる者もいれば、念仏ばかりを唱えている者もいた。そういうひとびとが、高野山への納骨を勧めて歩いたり、また京の鳥辺山などの共同墓地に定住したりして、葬儀を受けもったりした。やがて、高野聖や念仏聖たちが寺を持ち、本山をもち、規制教団化してゆく(室町時代だろう)うちに、葬儀は寺と僧がやるものという風儀が一般化した。(370p)

★人間が海や山を見たいと思うのは、不動なものに接して安心をえたいからではないか。自然だけでなく、人事においても修二会のような不動の事象が継続していることは、山河と同様、この世には移ろわぬものがあるという安堵感を年ごとにたしかめるに相違ない。(383p)

★「咒師」(しゅし) これは練行衆の第三座であることはすでにふれた。この役名には、いかにも天平のひびきがある。咒は呪と同じ文字である。東大寺では伝統的に「咒」と書き、シュと音ずる。(413p)

★死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近世になってからである。インド仏教にも中国仏教にもそんな形式も思想もない。江戸期になって一般化したが、おそらく寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい。戒名がさほどの歴史性もなく、仏教の教義にも関係がないというのは、わが国最古の過去帳をもつ修二会がそれを証明している。(423p)

2023年2月21日火曜日

PCR検査結果は陰性

 翌日午後過ぎには届くはずのPCR検査の結果がSMSで送信されてこない。(おかしい?)と思いながら検査日に受け取ったIDカードのQRコードで調べると既に結果が判明していた。昨年10月、初めてPCR検査を受け、その結果を京都の宿に見せようとした。しかし、携帯を機種変更したばかりだったのでQRコードの表示方法がわからず、宿の係に任せた。任せるのはいいのだが、係が全員、わかるとは限らないとその時知った。その場はどうにか結果表示ができて丸く収まる。

 QRコードを表示してこれをスマホの画面に表示したい。そうすれば瞬時に結果を表示できる。陰性の結果が証明された画面をスクショして「フォト」に表示した。他にもやり方があるはずと思いながら”NOTE”に試みるとこれも大丈夫だった。12月末、某旅行社は陰性証明をメールで送信せよ、と言った。その時、係からその方法を教えてもらう。今回はメールは関係なく、画面で陰性を証明すればいい。

 パソコンもスマホも文明機器は便利なようだが、何かアクシデントがあると使えなくなる。先の宿でSMSの受信画面が表示できず、旅から帰って表示方法をドコモで習ったことがある。今回もSMSが送信されてこないので(もしかしてSMSの受信不能?)と心配になった。ネットで「PCR検査の結果報告について」を県のHPで調べた。それによるとこの頃はSMSで結果報告が携帯機種により複雑になってしなくなったのか、HP上で検査場の検査日ごとに「報告がなければ陰性」とある。

 昨日、早めにそれに気づいて検査場で受け取ったIDカードのQRコードで陰性証明を確認できた。今の予定ではもう1回PCR検査を受けようとしている。コロナの感染者が減ってきたのでそろそろ旅行支援も終わってPCR検査も受けずに旅行できるようになるかもしれない。

 昨日は又、大手旅行社のJ〇B関西から旅のカタログが送付されてきた。コロナ禍になって以降、以前のような海外旅行カタログもある。海外旅行では帰国の際、PCR検査が義務づけられているようだ。その時は、先方の国の検査代金をあらかじめ日本の旅行社に支払う旨、書いてある。どういっても海外はどこへ行くにも行こうという気持ちまでに至らない。徐々に行く気になるのかも知れないが紛争や大地震などが怖くて日本から出ようとは思わない。

 国内のパンフを見てもわざわざ国内旅行を関西発のツアーで行こうとは思わない。大手旅行社はほとんど広島から撤退した。残る大手一社は利用しようと思わない。早めに一人旅に切り替えてよかった、と思う方が賢いかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月20日月曜日

舞い上がった一日!

  PCR検査を受けに街中へ行く。せっかく街まで出かけるのだから、と思ってある程度予定を組んで行った。まずは検査会場へ。予約していた時刻よりも25分早い到着だ。以前、JRが遅れて携帯の予約画面が消えていた。かといって早くてもダメと以前に注意されたことがある。その時は注意されながらもすぐに検査してくれた。ところが昨日は5分前でないとダメとのこと。大きな看板を見せられ、そこには近所迷惑みたいなことが書いてあった。

 検査会場は本通りそばなので本通りの夢プラザに行って広島土産を見ていると「桜もち もみじ」と銘打った桜色の可愛い箱が目に付く。まだ食べたことがなかったので箱入りを見ただけで美味しそうに思えた。近いうち、米子の友だちに会うので手土産に買った。ついでに自分用も購入。これだけでは少ない。

 検査会場に戻って検査を受ける。前回は大雪の日で大変だったが今回は同じテントでもエアコンが設置されている。椅子に座ると頭の方からエアコンの温かい空気が出てくる。いくらビニールハウスといっても寒さ対策をせよ、とクレームがあったのか昨日は暖かだった。5回目となるPCR検査。検査会場を訪れる人の大半は旅行が目的!?この検査を受けずに旅行が自由にできるようになるといいのだが……。

 昨日は検査と米子の友だちへの手土産購入と三越で開催中の日本画展を見る予定にしていた。三越に行く前に遅いお昼を食べる。広島駅ビルが壊されて建て替えになってから酔心へ行っていない。検査会場から三越までの途中に酔心本店がある。13時予約で検査を受けたのですでにお昼を大分過ぎている。混んでいる時刻を過ぎていると思ってお店に入る。少しだけ待ったが日曜日とあって家族連れでにぎわっていた。

 食事は牡蛎フライを食べる。最近外での食事は牡蛎フライが多い。しかし、さすがに酔心だけあって牡蛎フライがこれまで食べたどこよりも大きくてふわっとして美味しい。1個の牡蛎フライは3個くらいの大きさがある。牡蛎のほかに茶碗蒸し、ヒジキ、お吸い物、漬物、ご飯があった。個室での食事は何とも贅沢で優雅な気持ちになる。

 気分よくして三越まで歩く。7階画廊に到着すると入り口付近に置いてある絵葉書を1枚いただく。この様子を係は見ていたらしく、近づいてきて受け取ったのは展示品であり、セットになった卓上カレンダー一式をくれるという。そう言われても簡単に受け取るわけにはいかない。恐縮していると話がどんどん進んでいく。画家の先生がソファに座っておられる。そこに座るように促される。さらには図録にサインまでしてくださり、それもいただく。これまでこういうことはなかったので(どうすればいい?)と舞い上がってしまった。

 日本画を習っていると話すと先生の名を聞かれた。個展の画家は日展会員で習っている先生は院展である。ましてや地方在住の先生に習っているので当然ご存じなかった。自分自身、こんな偉い人を前にして日本画談義ができるわけがない。そうわかっているので丁寧に応対してくださるのは有り難いが、その反面申し訳なさが頭をかすめる。

 今から40年近く前、やはり画廊に行って彫刻の個展を見た。その時、勇ましい彫刻に感動して作家のサインが欲しくなった。しかし、サインをいただくには作品を買うかポスターを買ってサインしていただくしかなかった。作品は買えないのでポスターを買ってサインしてもらった。「獅子奮迅」の横にご自分の名を筆で書いてくださった。それを額に入れて今も大事に飾っている。

 気持ちを変えてバスに乗って駅まで行き、福屋に入る。ここで米子の友だちへの手土産を再度購入。いつものお菓子所高木で「櫻花」という季節限定の和菓子を買う。ついでにここでも自分用を買う。

 舞い上がった一日は無事終わった。最近見たYOU TUBEにテレビを消して外に出ようと進めている一般人の動画がある。外に出ればそれだけで運動になるともいう。ましてや昨日のように予期せぬ出会いもある。さて今日はどんな日に!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月19日日曜日

スクショ

 ネットを見ているとこれをスクショしたいと思うことがある。パソコンであれば保存すればいいものを携帯ではその方法が今一歩わからなかった。1か月くらい前の日本画教室で若い人が画面をスクショしている。その時はそれほど関心を持たなかった。昨日、箔を貼るのを切り上げて新たな絵の地塗りをした。2度目の地塗りを終えて乾くまで若い人と話しているとスマホを手にして次の絵を考え中という。その時、スクショのやり方を教えてもらった。若い人はアイフォンを使用でアンドロイドはわからないという。音声でアンドロイドのスクショ方法を調べると音量と電源を同時押し、とある。

 以前、家で試した時、いい具合にならなかった。ところが若い人がその通りにするとすぐにスクショできた。ただその保存の個所が携帯によって違うと言う。いろいろと探してくれるとフォトに保存されていた。教室が終わって家でスクショをすると一度教えてもらったためか、うまくできた。以前家でやった時、どうも押す強さとかスクショした表示が出ている場所が小さすぎてわからなかったようだ。

 スクショのやり方を知りたいと思ったのはPCR検査のIDでのダウンロードを携帯画面にすぐ表示できるようにしたかったこともある。スマホの使い始めはパソコン画面のようにいろんな画面表示ができないと思っていた。ところがスマホでもdiscover、検索、コレクションとある表示で画面表示がすぐに切り替わる。これもここ一ヶ月以内に覚えたことである。パソコンもスマホも便利さはわかっていてもまだまだ思うように使いこなせていない。スクショもドコモへ行って聞こうかと思っていた。その矢先に若い人に教えてもらえて本当によかった。

 昨日の日本画教室へは白いセーターを着て行った。寝ようとしてセーターを見ると真ん中あたりが茶色くなっている。この犯人は地塗りした絵の具だ、と気づく。すぐに染みついた箇所を拭くが色が落ちない。寝ようとする時刻なのに洗濯機を廻す。洗濯機は粉洗剤を使用。ところがセーターはウールが大半だ。液体洗剤のアクロンは手洗いにつかっているが、昨夜、初めて洗濯機にこの液体洗剤を使用した。洗い終わってみると茶色い染みは落ちずにそのままだ。洗濯後の遅い時刻に寝たので今朝の起床は遅くなった。昨日からの雨も止んだようだ。遅い一日が始まる!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月18日土曜日

新聞広告から

 雨を予想して昨日、母の祥月命日より一日早いお墓参りをする。隣のお墓を見ると樒が活けてある。墓碑を見ると名前が刻まれていない。ここ何年か顔を合わせていないがお元気なのだろう。隣の墓碑を見たついでに、ではないが、我が家の墓碑を見る。父が亡くなってちょうど20年後に母が亡くなったと思っていた。これは間違いで21年後だった。いまや人生100年時代。父は75歳の誕生日より何日か前に亡くなった。今思うと75歳の死は早すぎる。

 父の病気は今では手術も可能で近所の人は80半ばで手術をして90代の今でもお元気だ。父が患った当時は70歳過ぎのその手術は不可能だった。ところが医学の発達により簡単に手術ができるようになった。これから先はさらに医学が進化してますます高齢化社会に突入しそうだ。

 今朝の地元紙の広告欄に『我慢して生きるほど人生は長くない』(鈴木裕介)がある。「一度きりの人生を迷ったりはもったいない!」「今すぐできる人生をやり直す方法!」と宣伝している。うたい文句を見てその通りと思った。すぐに図書館の検索で本を探すとあった。なんと既に予約が176人もいる。みな同じ考えで本を読む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月17日金曜日

鼓舞する

 2011年2月23日にこのブログを開設して早くも丸12年になろうとしている。その2年前は母を主にしたブログだった。母亡きあとブログのタイトルを変えて今に至っている。先のブログと合せると6月で丸14年になる。このブログを開設して当分は親を亡くした悲しみからただただ自分を鼓舞することばかりを考えた。そのためか自分の気持ちに水を差す、あるいは意気消沈させるヒト・モノ・コトに関わらないようにした。今もそれは変わらない。

 現実逃避もあったのか図書館をよく利用した。読む本も「孤独」についてよく読んだ。いかに「孤独」から逃れようとしていたことか。いまや、「孤独」もいいものだと思えるほどになっている。読む本もそういったエッセイから2018年12月の大連の旅以降、もっぱら司馬遼太郎の本にハマっている。初めに読んだのは『坂の上の雲』。旅の参加者に勧められて読んだ本だがすぐにハマってしまった。

 長く生きているが今ほど長編小説を読んでいる時期はない。それくらい本を読んでいる。歳を重ねて自分一人での楽しみがあるのはとても幸せ。考えてみれば大概のことを一人でやっている。もしも一人で行動しなかったならば何の楽しみもない人生になっていたかもしれない。

 昨日、友だちから電話があり、某所へ一緒に入会しようと誘われた。ナニゴトも人と一緒に始めると長続きしない。その思いがあるのでこの話は無にした。今、楽しんでやっているモノ・コトは一人で考えて始めた。どれも長く続いている。水泳、フルート、旅、ブログなどがそうである。人から誘われて始めたモノ・コトは長く続いていない。ただ、日本画は10年と長く続いている。12年前にはねのけた「水を差す」や「意気消沈させる」ヒト・モノ・コトに関わらない生活は今でもずっと生きている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月16日木曜日

ネットニュース

 ネットニュースに「『過去に例がない』福岡でもフグ謎の大量死」がある。フグの大量死は福岡県の志賀島周辺だそうだ。さらに記事を見ていくと1月27日付でかほく市で100匹以上、また山形県や新潟県の海岸に打ち上げられたホシフグの死骸はなんと10万匹以上とある。フグの報道の前には小鰯の大量死もニュースになった。観光を兼ねて門司にフグを食べに行きたいと思っていた。このニュースを知っていく気がそびれる。

 海では魚類の大量死。空からはわけのわからぬ気球が飛んでこれを迎撃云々とあり、地上ではコロナウイルスがはびこる。またアフリカのギニアでは致死率88%の感染率があるマールブルグ病の死者が確認された。先日のトルコやシリアの大地震では多くの犠牲者が出た。

 同じ地球に住むものとして今起こっていることは他所事とは思えない。新聞を見てもネットを見ても明るい話題が少ない。どうなる日本。考えるのはやめよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月15日水曜日

「私の夢は次の世代へつながる夢」

 世の中、自分が知らないだけですごい人がいる。昨夜、見たいテレビがなくリモコンでチャンネルを変えていたらBSで「アドベンチャー魂」をやっていた。登場人物は東野幸治と8000m級の山々に魅せられた渡邊直子。渡邊直子はこの番組で初めて知った。今や情報化社会なのでこの人がどんな人なのかネットで調べるとある、ある。渡邊はHPやインスタ、ツイッターをやっている。大宰府にある宝満山を東野幸治と渡邊が登山する番組だ。ただの登山番組ならば何も面白くない。が、渡邊は一見普通の人なのに半端なく驚異の人だった。何者かがわかるとさらに興味を引かれる。

 東野の問いかけに応える渡邊の話す言葉の数々が一般人では到底言葉にならないことばかりだ。登山なのに、それも気温35度なのに東野と渡邊はずっとしゃべりながら登る。途中で、テレビのスタッフが気持ち悪くなって吐いた。他のスタッフもリタイアし東野と渡邊と他のスタッフの計4人で登る。800mと高くはない山だが、気温が高い。渡邊も途中で気分が悪くなり吐いてしまう。8000m級の雪山を登るよりも800mの低い山で35度の気温は厳しいらしい。

 一般人からすれば考えられないようだが、ここは登った者しかわからないかもしれない。渡邊直子という名は番組の終わりで知った。山のてっぺんに着くころ、渡邊の荷物が重いのでスタッフが少し持ってあげる。東野はリンゴ1個を預かった。その後、無事山頂へ。

 見終わった後、渡邊をネットで調べると番組で話していた内容と全く同じことをHPに記している。親の意向により3歳で登山を始めた。番組は昨年の夏に収録され、その翌週にはマナスルに出かけると話していた。HPでその結果を見ると女性登山家としてアジア人初8000m峰全14座登頂をなしている。HPの最後に「どんな人にも可能性はある。私の挑戦が、誰かの挑戦につながったら嬉しい。私の夢は次の世代へつながる夢」とある。

 登山の前夜、渡邊は大好きな東野と登山ができると思うと一睡もできなかったそうだ。それで体調を崩したようだ。8000m級の山々はネパールなどに多い。そのためネパール語が話せるという。やっぱりドキュメンタリーはいい!元気をもらった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月14日火曜日

「回収代行料金」

 携帯電話を機種変更後、固定電話と携帯電話の料金をまとめて同系列の会社が提携するカードでの決済にした。おまとめ請求はいいのだがそれとは別に引き落とす会社の「回収代行料金」として引き落としがある。先日、引き落とし金額が想像を越える金額だった。そのわけはわかったがそれとは別に付随する(回収代行料金とはなに?)と気になりだす。ネットで調べると「回収代行サービス」の項目があり、その詳細が書いてある。といっても自分自身の場合はどの項目に当てはまるかはっきりしない。

 問い合わせのフリーダイヤルの電話の記載がある。今朝、すぐに電話で回収代行サービスに問い合わせるとプロバイダーで聞くようにと新たな電話番号を教えてくれた。ことあるごとに電話での問い合わせは困難を極める。しかし、携帯電話会社と違って問い合わせが少ないのか録音メッセージが出て番号を押して……のようなことがない。いずれもすぐに応答してくれた。

 パソコンのメールアドレスはドコモ光やドコモ携帯に変えても以前のプロバイダーを利用している。そのプロバイダーのオプションサービスの中に迷惑メール対策やメールウイルスチェックがある。今回の回収代行料金はその料金だった。

 何か気になることがあると納得するまでやりたい。(まあ、いっか)と思えばいいものを気になればそれがストレスになる。ストレスはなるべく溜めない方がいいので少々面倒でも解決しようとする。今朝はここ何日間の気になることがすべて解決した。その一番はフリーダイヤルでの問い合わせにすぐに応答してくれたこともある。雨も上がった。気持ちもスッキリの朝だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月13日月曜日

「ものは使いよう」

 パソコンとルーターをLANケーブルでつないで使っている。パソコンはノートパソコン。日中の大半は広くない台所で過ごしている。ここは南東向きで年中日当たりがよく狭い部屋なので落ち着いて居心地がいい。また、パソコンを置くテーブルの高さもちょうどいい。が、難点がある。ルーターの場所が廊下を跨いでいるためパソコンとつなぐLANケーブルと数メートルほど離れている。そのため、夜間、パソコンを使わないときはLANケーブルを外して輪ゴムで留めている。

 輪ゴムは使うとすぐに朽ちる。昨日、ふと気づいた。髪をまとめるゴムである。コロナが出始めたころ美容院へ行くのが怖くて髪を切らずにいた。その時、買ったゴムがある。ネットでこのゴムの名を調べるとポニー(ヘアゴム)とある。ヘアゴムは髪が短いと不要だ。買ったヘアゴムが数本ある。これは輪ゴムと違って簡単には朽ちそうにない。

 ヘアゴムで丸くまとめる方法をなぜ早く気づかなかったのか。ナニゴトも融通が利かない性質なので昨日、ひらめいたヘアゴムのアイデアに一人感激してしまった。「ものは使いよう」、とあたらめて実感した。「ものは使い方ひとつで役に立ったり立たなかったりするものである」。確かに。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月12日日曜日

マルセリーノの歌

 ネット記事を見ていると芸能人などのブログがある。記事にある歌手のクミコのブログを見ると父親は施設に入り、93歳の母親は自宅で一人暮らしとある。93歳で一人暮らしは我が家の近くにもおられる。が、毎日のように車が止まっているので娘さんが訪ねてこられるのだろう。昨日のブログによると親を見守る合間に映画を見たという。忙しさの合間に見る映画。見終えて高校時代に映画館に潜り込んでいた日々を宝物のようだったと懐かしんでいる。

 映画はモリコーネのドキュメンタリー映画とか。ブログに「マルセリーノの歌」や「道」を挙げている。動画を探すとあった。どちらも淋しすぎる曲だ。ブログを見ていると親の介護と歌手という仕事の毎日は他人事ながら大変さが伝わる。自分自身は仕事をしていなかったがやりたいことと親の介護が重なって大変だった。皆、同じような道をたどって老いてゆく。大変な時期はそういうことさえも考えず、ただ無事に一日が終わる、これだけでよかった。

 そんな時期もいつの日かあっけなく終わりを告げる。そして、しばらくすると忙しかった日々が懐かしく充実した日々だったと思えてくる。一生に一度くらいこういう日々を経験することは後の自分の人生を豊かにしてくれる、そう思う。今、大変な時を過ごしている人たちもきっとそう思うに違いない。

 今日は16度と気温が高くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月11日土曜日

『歴史と小説』

 今朝は日が射して暖かい一日となりそうだ。お天気がいいと気持ちが自然と外に向かう。ネット記事を読むと中高年齢者が元気でいるためには「外へ目を向ける」「行動する」など体を動かすことが大事とある。子供の頃は「動く」ことは大の苦手だった。ところが年齢を経て徐々に「動く」ことに目覚めていった。高齢者となった今、どんなお天気であっても最低限、午前中に一度は買い物を兼ねて歩いている。しかしこれくらいでは「動く」までには至らない。それよりも泳ぎたい。

 プールは隣町にある。コロナの新規感染者が日に日に減少している。隣町の昨日の感染者は4人と少なくなった。このまま減少傾向が続けばプールで泳ごう、との気持ちになる。1年ぶりのプールはさてさていつになるやら。楽しみだ。

 以下は『歴史と小説』(司馬遼太郎 集英社、1997年第30刷)から気になる箇所を抜粋した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「土佐は妙なところがある」と、ひとに語ったことがある。帯屋町あたりの喫茶店でぼにゃり道ゆくひとをみていると、どの土佐人の感じも、私が知っている戦国時代の幕末、自由民権運動時代の土佐人とすこしもかわらないような気がする。高知にあって私は多くの良先輩や友人を持ったが、それらのひとびとに接していてもこの思いは同じであり、かれらが明治初年にヒトとなっておれば自由民権運動に挺身するであろうし、幕末に生きていれば脱藩して京で奔走しているであろうと思われてくる。こういう思いは、他の土地ではしない。歴史も人間風土もいまも連続していると感じられるのは、日本にあっては京都と土佐のみである。京の旅は人間に接しておもしろいように、土佐の旅も、風景もさることながら、人間であるに違いない。……土佐人が日本の歴史のなかで果たした陽気な活動性――幕末にはあれほど悲惨な目に遭っていながら――は、こういうところに根をもっているのであろう。土佐にあっては、浦戸湾の風景もさることながら、旅人たちはここで土佐人というものに感じ入らなければ、せっかく海を渡ってきた価値がないように思われる。(230-231p)「旅のなかの歴史」

★日本では黒潮は薩摩の海岸をあらい、土佐を流れ、熊野海岸を奔って、やがて沖へ去ってゆく。この経路にある三つの地帯はあるいは同祖かもしれず、むしろその気質の共通性の多さから見て一つ民族であると断定したほうがおもしろいかもしれない。三地帯とも史上における共通性は剽悍で、進取の気性に富み、新しものずきであり、なによりも革命に縁がある。共通しているのはそれだけではなく、血液型は日本の他のどの地方よりもこの三地帯にはずば抜けてO型が多いそうである。(244p)「旅のなかの歴史」

★おもしろいことには、ノモンハンの下級指揮官を狂人にしたおなじ軍部が、その前年に、その日本戦車の示威(じい)運動として西住戦車長の戦死を大きくとりあげ、「軍神」として宣伝したことである。昭和の日本軍閥は軍神をつくるぐらいが能で、その本業である戦車の装甲や火力を大きくすることを怠ったといわれてもしかたがなかった。そのためにノモンハンで無用の血を流させたばかりか、かれらの無能のために大東亜戦争のばあいも、マレー攻略戦をのぞいては、日本の戦車連帯は火力と装甲がとぼしいために悲惨な戦いをし、ほとんど戦うことなく各地で全滅してしまった。西住小次郎はまだしも「軍神」としてうかばれたが、ブリキ同然の戦車にのせられて一発の弾もうたぬまにアメリカの戦車や火砲に串刺しされた戦車兵が、南方の島にいまもねむっているのである。……このきちがいじみた戦争のおかげで人間があまりにも多く殺されすぎた。「軍神」だけがその史に特別な栄誉をあたえられるのは、他の無名の死者への冒涜であろう。もともと平凡な青年に過ぎなかった西住小次郎は、いま熊本県上益城郡甲佐町の生家の墓地で、世間から忘れられてしまったことに安堵しているにちがいない。(266p-269p)「軍神・西住戦車長」

★人間にとって、その人生は作品である。この立場で、私は小説をかいている。裏返せば、私と同時代の人間を(もしくは私自身を)各興味をもっていない。理由は、最初にいったように「現代」では人生が完結していないからである。……突然なことをいえば、変動期が必要なんです。すくなくとも私にとっては変動期を舞台に人間のことを考えたり見たりすることに適している。自然、書くことが歴史小説になるのでしょう。おなじ歴史時代をあつかっても、元禄期や文化文政時代の泰平の情緒を背景にものをかくことは私にはできにくい。その理由は変動期でないということ、さらにはこの稿のどこかに書いたように風俗にはニガ手であるということ、それによるようです。(280p)「歴史小説と私」

2023年2月10日金曜日

PCR検査会場の縮小

 今朝、県北に住む友だちと電話で話すと昨日、電源が切れて大変だったという。我が家の電気代が3万円というと友だちは6万8千円と話す。今朝は7㎝の雪が降っているそうだ。雪が降った話を聞くと市内とは違う県北の寒さがよくわかる。電源は家の中のでなく外にあるブレーカーが切れたとか。寒さの中、電気が通じずあたふたとしたという。それくらい多くの電気を一気に使用している!?

 今朝、パソコンに通信通話料金の2月分の請求金額を知らせるメールが届いた。これまでこのメールが届くと金額を見てすぐにメールを削除していた。ところが昨日は削除してしまっていたので確認ができずドコモへ電話して聞いた。今朝は来月、引き落とされる予定の金額だ。その詳細をこのメールにあるURLから知ることができる。昨日、151へ問い合わせたよりもさらに詳しい内訳の掲載がある。これを見て昨日よりもさらにいろんな疑問が解けた。

 携帯で詳細を見るよりもパソコンで見るほうが楽。届いたメールにあるURLを見ていると携帯での詳細の見方が表示してある。携帯でみるにはdアカウントがどうじゃこうじゃといろいろと面倒だ。これを触っていると時に、ロックがかかったりする。以前、ロックがかかった状態の時、ドコモに電話して解除方法を習った。が、ロックがかかると不便なことも起きるのでパソコンで詳細を確認しよう。

 話は変わって今朝の地元紙を見ると13日からPCR検査会場が半減されるとか。さらには毎日の検査が週3日になる会場もある。これはコロナ新規感染者が減少していることによる。個人的にはPCR検査を受ける目的が旅行に関係する。会場や検査日が減少するのは徐々に5類へ移行の準備!?というか学校などでもマスク着用不要論も出ている。徐々に旅行も以前のように検査を受けずに行かれる日が来るのかもしれない。とすれば海外旅行も少しは希望が持てる!?早く自由に行かれるようにならないと歳ばかり取ってしまう。これが怖い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月9日木曜日

びっくり仰天の通信通話代金

 先日、電気料金の使用量のハガキが届き、1月は3万円だったのでびっくりした。ところがそれをさらに上回るドコモ光と携帯料金のメールが届く。なんとその額は36,796円となっている。携帯の機種変更後まもなくしてNTTコミュからドコモ光に変更した。その際、クレジットカードのゴールドをすすめられて引き落としを以前のクレジットから新たに作ったクレジット決済に変更した。このため、クレジット会社の決済日によって携帯料金などが2か月分引き落としとなるようだ。

 これまではパソコンに届くメールで明細を見ていた。ところが今回は届いたメールをすぐに削除するので確認しようとするがURLがわからない。納得するために151へかけて詳細を教えてもらった。やはり2か月分の代金のようだ。そう聞いてもすぐには納得できない。翌月からは一体いくらいるのだろうと思って、機種変更時の契約書、ドコモ光へ変更した契約書などを出して確認する。何枚も何十枚もある細かく書かれた契約書を見ることはこれまでまずなかった。

 じっと読んでいると機種変更時の際、ドコモの店頭で聞いたことが蘇ってくる。ひとつずつチェックしていると次月からのおおよその金額がわかってきた。それにしても通信通話料金はその昔は必要なかった。今や時代に遅れまいとするといろいろと金額もかさんでくる。とは言いながらもブログをやるにもネット接続が必要だし、検索にも必要だ。そう思えば少々金額が膨らんでも由、としなくてはいけない。人が元気に楽しく生きるために必要なものに口から入れる食べ物がある。他にも口からは入れないが電気や通信・通話などの精神を腹いっぱいに満たすこれらの食べもの(?)も必要のようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月8日水曜日

牡蛎の料理

 スーパーの魚売り場に牡蛎が並ぶ。安い。買うのはいいのだがその調理法に躓く。牡蛎フライが美味しいとわかっていても家ではてんぷらやフライなどの油料理はしないと決めている。牡蛎を買うといつも鍋。(他にも美味しい食べ方があるのでは?)と思ってネットで探すとあった。牡蛎のバター醤油いためだ。材料は牡蛎、長ネギ、ブロッコリーと調味料。長ネギもブロッコリーも冷蔵庫にある。牡蛎も買ってある。ネット記事を見ながら調理する。ただ、調味料のバターはマーガリンで代用。長ネギとブロッコリーを強火でいためる。その中にあらかじめ塩で洗った牡蛎に小麦粉をまぶしたものを加えて炒める。次に調味料を加えるといい香りがしてくる。

 でき上りはネット記事ほど牡蛎がカリッとならず少々べたつく。この犯人は火加減!?寒い時季、牡蛎は魚売り場にまだまだ並ぶ。次回も挑戦しよう!

 昨日は一日中、さっぱりしたお天気でなかった。そんな日は家でネットで見つけた簡単料理に挑戦する。挑戦するのはいいのだが作ってもその日に全部を食べきれない。これがネックとなる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月7日火曜日

「噛む」から

 先日、送られてきた『抜粋のつゞり その八十二』を読んだ。このなかに興味を惹かれる記事がある。それは「……”噛む”という字の如く、米を口の中で留めて噛むときに動くことから、眼の横の側頭部のことを”コメカミ”と呼び、主食の米をよく噛んで食べることを昔から教えていました。コメカミを動かしながら一口六十回噛むと、脳細胞が刺激されて唾液が溢れ、健康に導いてくれます。そして、頭の働きも緻密になり記憶力や判断力が強くなります。コメカミには毛細血管が集中しているため、病人は噛むことで早く病気を治すことができます。……」である。(「私たちの歯が食べるものを教えている」若杉典加、102p)

 これを読んで「歯」について電子辞書で調べると「は」「よわい。年齢。とし」とあり、「歯(し)を没す」との論語の言葉が添えてある。「歯を没す」とは「命が尽きる。死ぬ」の意とか。それくらい歯は大事であり、人は食べられなくなったら終わりといわれる所以も分かる。母の最期の頃はまず水分が取れなくなった。そして食べられなくなり命が尽きた。

 「歯」も「噛」も口の中に米が入っている。米が食べものを代表し、これが食べられなくなると命まで尽きる。なんとうまく漢字を表していることか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月6日月曜日

「不活性化」

 この1か月余りICレコーダを使っていなかった。3日前にこれを使用しようとすると電池の残が最低になっている。すぐにパソコンにつないで充電する。しかし、長く充電したはずなのに電池の残のメモリが同じだ。翌日もパソコンにUSBを接続して充電しても同じままだ。昨日も接続して充電。少しは充電できたようだがそれでも充電した時間の割には残量が少なすぎる。 

 これまでは充電すればすぐに満杯まで充電できた。しかし、今回はそれができない。(なぜ?)(ICレコーダが壊れた?)と思いながらネットで検索する。これにはいろいろな原因があるようだ。その中に思い当たるふしがある。それは「内蔵充電式電池の不活性化」だ。長期間使わないと「不活性化」という現象になるという。この解消には何度か充電と放電を繰り返しながら使用しているとこれが改善するらしい。

 検索後、使っている愛用品がまるで生き物のように思えた。物自体に命が宿っている!?使う物は自分にとっての愛用品。それを使用するには愛情をもって使わないと今回のようなことになる。そういえば最近、自転車に乗っていない。自転車は大丈夫!?それよりも身体の不活性化に気をつけよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月5日日曜日

箔を貼る

 2月の日本画教室は箔を貼って遊ぶ。「この作業は何?」と先生に問うと「箔遊び」とか。土曜日は午前と午後の教室がある。午前の生徒さんたちが貼った箔を見せてもらうと全員がまるで申し合わせたような貼り方だ。各自、30㎝くらいの正方形の木製パネルに鳥の子紙を貼る。その上に特殊な糊を刷毛でまんべんなく塗り、箔を貼ってゆく。箔は金など含めて10種類近く用意されている。とても薄い箔はわずかな息でもかかると吹き飛んでしまう。箔ばさみをもって貼りたい箔を丁寧にとり、それを適当にちぎったりして鳥の子紙を貼ったパネルに貼ってゆく。

 日本画を習い始めたころ、箔を貼ったパネルに絵を描いた。その箔はアルミ箔と銀箔で、それ以降、使っていない。家にあるその2種類の箔を持参するとこれを使用してもOKとのこと。先生の用意された金箔やその他の色の箔を用いて共に貼っていく。教室の箔はアルミや銀箔などの白っぽい色がない。そのこともあって我が作品は人とは違った作品になった。先生は午前の生徒さんにはあれこれとアドバイスされたそうだ。そのためか皆さん同じ作品になっている。午後はそれをやめて各自が自分なりに貼るようにと話された。

 出来上がった5人の作品を見ると似た作品がない。ある人は寅が描かれていないのにあたかも襖絵や屏風絵から虎が出てくるように思える作品だし、またある人の絵からはこれまた描かれてもいないのにきらびやかな金の仏像が浮き上がってきそうだ。人から見た自分の絵は平家物語の世界だと言われた。平家物語の世界が今一歩想像できないが、紅葉の時季、赤や黄色に染まった紅葉を見てまるで源氏物語の世界を彷彿することがある。絵を見てそれぞれ自分なりの想像を膨らませるのは楽しい。

 箔を貼った作品は秋の日本画作品展にそのまま出品のようだ。次週はこれに手を加えてもいいようだが個人的には昨日ででき上りにしよう。次週は元の日本画に戻って新たな絵を描く予定でいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月4日土曜日

またも『燃えよ剣』を読む

 1週間くらい前まで図書館で借りた『燃えよ剣』を期限内に返却しようと必死で読んだ。読んだのはいいのだが、読んだ後で司馬遼太郎読書一覧表で確認すると2年前の3月にブログにアップしている。今回、読みながら土方歳三は読んだ気がすると思いながら読んだ。司馬作品を読んでいるといろんな本に登場人物が重なる場面がある。同じ本を何度読んでも罪にはならないのでこれはこれで由としよう。

 以下は今回読んだ『燃えよ剣』(司馬遼太郎 文藝春秋、二〇二〇年第1刷)から気になる箇所をメモした。前回と重なる部分があるがこれもまた由としよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ 歳三は、にべもなくいった。あるのは男一匹だけさ、と心中でおもっている。なるほど新選組は尊王攘夷の団体だが、尊王攘夷にもいろいろある。長州藩は、どさくさにまぎれて政権を奪ったうえで尊王攘夷をやろうとしている。これとはちがい、親藩の会津藩の尊王攘夷は、幕権を強化した上での尊王攘夷である。歳三は、新選組が会津藩の支配を受けている以上その信頼に応えるというだけが思想だった。しかし男としてそれで十分だろう、とおもっている。(もともとおれは喧嘩師だからね)歳三は、ひとり微笑った。(326p)

★(剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ)歳三はふと、そう思った。軒端を出たときには、月は落ちていた。歳三は真暗な七条通を、ひとり歩きはじめた。星が出ている。(390p)

★「おれが、――総司」歳三はさらに語りつづけた。「いま、近藤のようにふらついてみろ。こんにちにいたるまで、新選組の組織を守るためと称して幾多の同志を斬ってきた。芹沢鴨、山南敬助、伊藤甲子太郎……それらをなんのために斬ったかということになる。かれらはまたおれの誅に伏するとき、男子としてりっぱに死んだ。そのおれがここでぐらついては、地下でやつらに合せる顔があるか」「男の一生というものは」と、歳三はさらにいう。「美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」「私も」と、沖田はあかるくいった。「命のあるかぎり、土方さんに、ついてゆきます」(395p)

★余談だが、慶喜はこの後、場所を転々しつつ逃避専一の生活をつづけ、その逃避恭順ぶりがいかに極端であったかは、かれが、ふたたび天皇にごあいさつとして拝謁したのは、なんと三十年後の明治三十一年五月二日であった。かれは自分の居城であった旧江戸城に「伺候」し、天皇、皇后に拝謁した。明治天皇はかれに銀の花瓶一対と紅白のチリメン、銀盃一個を下賜された。政権を返上して三十年ぶりでもらった返礼というのは、たったこれだけであった。推して、慶喜の悲劇的半生を知るべきであろう。(397p)

★沖田は、じっと天井を見つめていた。(青春はおわった。――)そんなおもいであった。京は、新選組隊士のそれぞれにとって、永遠の青春の墓地になろう。この都にすべての情熱の思い出を、いま埋めようとしている。歳三の歔欷(きょき)はやまない。(400p)

★京に錦旗が翻った時、慶喜はこれ以上戦をつづければ自分の名が後世にどう残るかを考えた。「第二の尊氏」である。その意識が、慶喜に「自軍から脱走」という類のない態度をとらせた。こういう意識で政治的進退や軍事問題を考えざるをえないところに、幕末の奇妙さがある。「歳、いまは戦国時代じゃねえ。元亀天正の世にうまれておれば、おまえやおれのようなやつは一国一城のあるじになれたろう。しかし今はどうも違う、上様が、暮夜ひそかにお城を落ちなすったのもそれだ」それだ、といいながら、近藤の頭にはそれは緻密には入っていない。なんとなくわかるような気がするのである。(461P)

★慶喜の落涙を察するに、譜代の幕臣の出でもないこの二人(注:近藤と土方)が最後まで自分のために働いてくれたことに、人間としての愛憐の思いがわき、思いに耐えかねたのであろう。同時に、かれらを恭順外交の必要上、甲州へ追いやったことも思いあわされたのかもしれない。揮毫をことわったのは、慶喜の維新後の生活信条による。このひとは、生涯、世間との交渉を絶って暮らした。なお篆額の記号はやむなく京都守護職会津藩主松平容保がひきうけ、碑は明治二十一年七月完成、不動堂境内老松の下に南面して立っている。(518p)

★「歳、自由にさせてくれ。お前は新選組の組織を作った。その組織の長であるおれをも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれはおれじゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」「……」歳三は、近藤の顔をみた。茫然とした。……近藤は、ふたたび門を出た。歳三は追わなかった。(534p)

★歳三は死んだ。それから六日後に五稜郭は降伏、開城した。総裁、副総裁、陸海軍奉行など八人の閣僚の中で戦死したのは、歳三ただひとりであった。八人の閣僚もうち、四人まではのち赦免されて新政府に仕えている。榎本武揚、荒井郁之助、大鳥圭介、永井尚志(玄蕃頭)。……お雪。横浜で死んだ。それ以外はわからない。明治十五年の青葉のころ、函館の称名寺に歳三の供養料をおさめて立ち去った小柄な婦人がある。寺僧が故人との関係をたずねると、婦人は滲みとおるような微笑をうかべた。が、なにもいわなかった。お雪であろう。(662-663p)

2023年2月3日金曜日

旅好きの友だちと

 昨年の9月、一人旅を思いつく。そのきっかけの一つにワクチン未接種がある。ツアーに参加するにはワクチン3回の接種が必要だ。そこで思いついたのが一人旅。宿を探して新幹線の切符を入手するといざ目的地へ。まず出かけたのが下関の長府である。次に出かけたのが京都の旅。いずれも10月から再開の全国旅行支援の前に宿を予約した。宿泊日が近づくと先方からワクチン云々の電話がかかる。接種済みでなければ3日前のPCR検査が必要と知らされた。PCRを受けなければ泊まらせてもらえないのか、と問うと宿泊可能とのこと。しかし旅行支援は受けられないという。電話を切った後、親切に知らせてくれたのだからPCRを受けようと思った。

 下関の宿は旅行支援の前でも市の政策でPCRを受けなくても支援があった。京都はPCRを受けて出かけた。こちらもその結果を見せると旅行支援があった。この1度目のPCR検査は唾液が出なくて大変だったが2度目からは慣れもあって受けること自体、気にならなくなった。こうなれば本来の旅好きが再燃してくる。外国はまだしも国内であればワクチン云々の問題なく行きたいところへ行こうとなってくる。

 またPCR検査さえ受ければ一人旅でなくてもツアーに参加できると思えるようになった。そこで先月新聞の折り込みチラシに入っていたツアーを2件申し込む。うち1件は泊が伴う。行先は鳥取。春になれば吉野山に出かけようと思った。その矢先に鳥取へ行く。鳥取の米子にはパキスタンの旅で知り合った友だちがいる。この人は文楽や能が大好きな人だ。奈良も好きと話していた。吉野に行く旨、その友だちに電話すると関西で合流しようとなった。

 先日、鳥取へ行く旨、再度電話で話すと宿まで来てくれるという。宿に到着したその後は夕飯までフリータイム。その間に春の予定を話し合うことになった。米子の友だちとは海外の旅で出会って以来、すでに30余年が過ぎた。この間、海外旅行で知り合いになった人は多くいる。しかし、すでに亡くなられた人も多い。

 先の友だちは海外旅行を60回したと聞いている。今は国内の旅にシフトなのか先日の電話では近いうち4日間かけて大阪へ能を見に行くと話していた。また春よりも前に奈良へも行くと聞いている。旅好きの人と話をすると元気が湧いてくる。やっぱり旅は最高、と思えてくる。こうして自分自身の気持ちがさらに旅へと誘われていく。そしてPCR検査を受けてよかった、旅に出かけられるようにもなった、と喜んでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年2月2日木曜日

『定年後にもう一度大学生になる』

  図書館で書架にある司馬遼太郎の本を探していた。低い位置にある本なのですわって探した。その時、隣で本を探していた人の足があたった。その人は必死で本を探していたに違いない。「すみません!足があたって……」と言って謝られた。この声を聴いて顔をあげてその人を見ると知ってる人だ。「〇〇〇さん」というと向こうも覚えておられた。図書館は静まっている。その中で2人の声が響き渡りそうで話すのも気が引ける。

 迷惑がかかると思って先に図書館を出た。出るとき入り口辺りを見るとカートが置いてある。さっきの人のに違いない。そう思いながら隣接する生協へ買い物に行く。買い物から帰ろうとすると先の人に出入り口で出会った。出会うときは出会うものだと思いながら立ち話をする。さっきは図書館内で話せなかった旨、話す。

 その人とはもう30年余り前の広島アジア大会の時に一緒にブータンの言語であるゾンカ語を習った。それから何度か道でバッタリ出会ったりしたこともあるが近年は会うことがなかった。それが図書館で偶然会った。「あの頃は楽しかったね」、と話される。今年90歳になるとか。新聞やラジオ、テレビで新たな本を知るとリクエストされるという。歳を取ってもシルバーカーでなくカートを利用し、さらには図書館などの本を読む。そして買い物はもちろん家の食事もご自分で作られている。家では娘さんと同居されており、お元気そうだ。

 それにしても顔を見るよりも先に声でその人が判るとはどういうこと!?眼よりも耳が効くとは我ながら驚きだ。別れ際、「大学で学んだよね」とほめてくださる。この時たまたま『定年後にもう一度大学生になる』サブタイトルとして「一日中学んで暮らしたい人のための『第二の人生』最高の楽しみ方」(瀧本哲哉 ダイヤモンド社、2022年第1刷)を借りたばかりだったのでそのタイミングの良さにも驚く。

 当時はまだブログをやってなかった時期であり、借りた本から共感する部分をメモした。本を書いた瀧本氏は若い頃大学で学ばれたが、二度目の入試は一般入試で入学されている。4年の大学を卒業した人は大学院に入る人が多いがもう一度学部生で入学されていた。この辺のことも興味をもって読んだ。自分自身は一般入試でなく帰国子女たちと一緒に受けたAO入試だった。午前の筆記試験の後はお昼休憩があり、午後からは面接試験があった。これは面接官がずらっと並んだ中の個別の面接試験であり、かなり厳しい質問が飛び交った。またきつい嫌味も言われた。(これほどの屈辱を味わってまで大学生にならなくてはいけないのか)、と何度自問自答したことか。そのすべては面接官がどのくらい勉強に打ち込む気力あるのかを試していたに違いない。が、合格したときの嬉しさは今でも忘れられない。

 今朝、姪から届いたメールを見ると「勉強が面白いって言うのは、知らないことを知ることなんかね。新しいことがいいんかね」と書いている。どうも文化史の講座が面白いようだ。姪は働きながら大学で学んでいる。

 以下はその本から共感する箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★卒業証書を手にする、いい会社に就職する、資格試験に合格する、といった何らかの目的のために勉強するのではありません。この齢になって学歴をもらっても、ほとんど意味はないのです。将来を考えずに、ただただ今知りたいことを勉強することの楽しさは、一度味わったら止まらなくなります。「学び」そのものが大学に通う目的になると、勉強はこのうえなく楽しいものになります。(5-6p はじめに)

★4年間を過ごしてみて確信したことがあります。それは、「二度目の大学生」という生き方は、知的好奇心を存分に満たしてくれるものであり、若者との交わりを通じて、「第二の人生」を心豊かにしてくれるものであるということです。(19p)

★私が京都大学に入学した2015年の春に、萩本欽一さんが駒澤大学仏教学部の社会人入試を突破して入学されたことを知りました(『日本経済新聞』2015年2月27日朝刊)。……私は自分の合格発表後にこのニュースに接して、何だか同級生みたいでうれしくなりました。(42-43p)

★……私が京都大学に入学したことについて批判的な意見も少なくありませんでした。ひとつは、その歳になって大学に入って税金を使って勉強しても、社会に還元する時間は残されていないのだから、税金の無駄遣いだというものです。もうひとつは、私が京都大学に入学したことによって、1人の将来ある若者が不合格になり、その若者の進路の妨げになったという意見です。(49p)

★これまでの社会貢献のご褒美として、中高年が20歳前後の若者と一緒に大学に通って、「学ぶ」喜びを味わってもいいのではないかと考えています。(50p)

★大学は学問をする場です。そして学問をするのに年齢は関係ないはずです。誰にでも門戸は開かれています。真剣に学問をしようと決意して入学するかぎりは、「若者に席を譲れ」という批判に遠慮することはないと思います。(51p)

★大学での学びは、中高年のその後の人生観を変える力を秘めています。(65p)

★大学の中で老け込んでいる暇はありません。どのような仕事をしてこられた方であっても、定年後に大学生になって若者と交わっていると、いきいきとした毎日を過ごすことができます。(86-89p)

★私はよく考えもせずに学部に入学しましたが、大学院生となった今となっては、学部で専門科目、教養科目、さらには他学部の専門科目まで幅広く勉強したことが、大学院生になってからの研究にとても役立っていると実感しています。(88p)

★京都大学の入学料は28万2000円、年間授業料は53万5800円です。国立大学は大学や学部によって若干の違いはあるようですが、ほとんどの大学が文系学部、理系学部共に、京都大学と同じです。……入学金や授業料などの学費、書籍代などは不可欠ですが、それ以外の支出をとにかく抑えることで乗り切れるのではないかと思います。私は生活費を徹底的に切り詰めれば何とかなると思って、無収入の学生生活に踏み切りました。(91p)

★会社勤務と根本的に異なるのは、ストレスがないことです。授業に出て講義を受ける、先生や生徒と議論する、レポート課題を作成する、定期試験を受けるなどは、心地よい疲れです。毎日若者たちに囲まれて生活するので、気持ちの上でも張りがあります。(107p)

★第一志望の大学に不合格になって、残念ながら意に沿わない大学に進学された方であれば、強い挫折感を味わったことでしょう。私自身がそうでした。しかし、人生二度目の受験はまったく違います。……普段の生活の中で時間的、気分的に余裕のあるときを見つけて細切れに勉強すればいいのです。……マイペースで好きな科目の勉強をしていると、若い頃に戻って学び直すことになって、勉強そのものが楽しくなります。(110-111p)

★定年を迎えた世代が大学の中でいきいきと活動するようになれば、社会全体の活力が増してくることも期待できます。「二度目の大学生」という生き方は、定年を迎えた方だけでなく、長く自営業をしてきた方、家事や介護などで家庭を守ってきた方などにとっても、第二の人生を豊かにしてくれるように思います。(181p おわりに)

2023年2月1日水曜日

「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」

  「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」。これは『ビジネスエリートの新論語』(司馬遼太郎 文藝春秋、2016年第1刷)に出てくる言葉だ。この言葉にひどく共感する。親が亡くなった時、人から「うつ病になる」と言われたことがある。「うつ病?」と自問自答した。ところが人の期待(?)に反してうつ病になるどころか元気に暮らしている。人が鬱々と考えるのは閑な時、と思っている。暇を持て余すから要らぬ考えが頭を過る。何かに夢中になっている時はそのことに気を取られて嫌なことが頭に浮かばない。その思いがあるので「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」は身に染みてそう感じる。

 生きているうちに司馬遼太郎の全作品読破が夢である。ところが『ビジネスエリートの新論語』は司馬遼太郎が誕生する前に福田定一の本名で書いている。そのため、『司馬遼太郎全仕事』に収められていない。その辺りのことをこの本の終わりに司馬遼太郎記念館館長の上村洋行が書いている。

 自分自身、仕事をリタイアして早くも20年が過ぎた。ということで今さら「ビジネスエリート……」の本を読んで参考にしようとは思っていない。が、目下の夢が司馬遼太郎の全作品を読むことにあるのでこの本を読んだ。

 以下は『ビジネスエリートの新論語』から気になる2箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「多忙な蜜蜂には悲しむ暇がない」――ブレーク(54p)「人生観の年輪」

★昭和三十三年四月には京都の宗教紙「中外日報」に『梟のいる都城』を連載開始した。この小説は『梟の城』(新潮文庫、春陽文庫)と改題し、三十五年一月、直木賞を受賞。以後、小説家を専業とした。本名と筆名。この二つの名前が、こと執筆に関してはこの時点で分岐したことになる。同時に本名の作品については改めて本として出版しない方がいい、と考えていた。没後、私もその考えを守ることにし、『ビジネスエリートの新論語』もそのつもりでいた。それを改めたのは、この作品が司馬遼太郎の誕生直前であったこと、かねがねその文章のなかに小説家の覚悟の片鱗を感じていたこともあった。それに、約六十年という時代の流れがある。……サラリーマン社会が活力を持ちはじめたころの、福田定一(司馬遼太郎)がとらえたさまざまな事象から発するメッセージとともに、小説家の素のようなものを、この本から嗅ぎ取ってもらえないだろうか。(200p)「『司馬遼太郎』誕生のころ」上村洋行