2019年1月31日木曜日

「世界最大級!ラオス 絶景の未踏洞窟に挑む」を見る

 昨夜のNHK・BS「世界最大級!ラオス 絶景の未踏洞窟に挑む」を見る。番組HPには以下のように書いてある。

★地球上にはまだ誰も足を踏み入れたことのない「未踏洞窟」が数多くある。広大な石灰岩の台地が広がり、世界最大の未踏洞窟があるだろうと注目されている場所がラオス。その山奥で“世界最大”の発見をめざす日本の洞窟探検家・吉田勝次さん(51)に1か月間、独占密着。暗黒を流れる巨大河川、高層ビルが立ち並ぶほどの大空間、純白の鍾乳石の宮殿。高精細カメラやドローンを使って、大自然の神秘の世界を余すところなく伝える。

 1時間半の番組。見ていて不思議な気持ちになる。冒険的な番組を見ていてカメラマンは、と思ってしまう。冒険家は体を鍛えているかもしれないが、カメラマンも並の体力では務まらないだろう。洞窟、といってもいわゆる洞窟とは規模が違う。洞窟学会なるものがあるようで、そのクルーには男性隊員に交じって女性2名も参加していた。隊員の足の皮膚が石灰岩のアルカリ作用で融けていく。その治療を女性隊員の看護師が治療する。皮膚が融けるほどに強い作用がある石灰岩。それでも時に、その水に浸かって泳いで進んだり、狭い洞窟の中を潜ったりする。

 一番驚いたのは別の女性隊員が背中に負う3D撮影機器。これを使って隊員が体を360度回転するとパソコン画面に洞窟全体が映し出される。それにより洞窟の規模もわかるという。昨夜の最後に放送された洞窟はこれまで中国で発見された洞窟には劣っても、世界最大級の洞窟発見だったそうだ。まだまだこれから先もラオスでの洞窟探検があるようで次回が楽しみ。それにしても半端でなく過酷な冒険の旅だ。

 ラオスは数年前出かけた時、小さい洞窟に入ったことがある。洞窟と言って思い出すのは、ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑。昨夜のラオスとは比べられないが岩塩を掘った後が洞窟になっている。エレベータで地下に潜るとそこは想像さえつかない空間が広がる。教会、レストランなどがあり、岩塩を掘った後の水が流れている。2年前に出かけたときはエレベータで降りた。だが今はトロッコが通っているかもしれない。他にも20年以上前に出かけたポルトガルの洞窟を思い出す。当時はブログもなく、洞窟の名前は思い出せない。ツアー仲間とタクシーをチャーターして見に行った。その時、フリータイムを利用しての観光だったので洞窟の開館時刻に間に合うように、タクシー運転手を「急いで!」と皆でせかした思い出がある。古いアルバムを見ればいいけど、そこまでの必要がない。その点、blogは便利。すぐに調べられる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月30日水曜日

『抜粋のつづり その七十八』届く

 今朝のダグニーさんのblogは「詳細については、私の情熱の歴史」のタイトルでアップされる。画像はダグニーさんが送られてきたハガキなどのメッセージを見ている写真だ。本を支える手で、本をめくるのが大変らしい。怪我をした左手が思うようにならないようだ。ただ、blogの日付がこの2日ほど変。日付がわからないと先日書かれていたので仕方ないのかもしれない。ともあれ、少しずつ本来のblogに戻っている。それだけでも安心だ。

 冬だというにはお天気の良い日が続く。昨日午後はプールで泳ぐ。良いお天気であっても冬には違いない。寒さで縮まった体もプールで泳げば伸び伸びする。それもクロールで泳げば体の隅々まで酸素が行き渡り、汚れたものがすべて吐き出されるようで清々しさはこの上ない。昨日は、顔見知りは一人だけ。いつもの人たちがいない。気がよさそうなおっさんだけが挨拶してくれる。

 昨日は、某金庫メーカーから『抜粋のつづり その七十八』が送付される。去年、清水寺の管主の講演会を聞いた時、連絡先を書いたので送付されたようだ。今年は興福寺の管主の講演会があるらしく、また連絡があるだろう。それにしてもこのメーカー、初代から始まって今や3代目。長く日本を代表する金庫メーカーとして走り続ける意味がこの冊子からもわかる。

 講演会、と言えば一昨年、建国記念日の講演会に出かけて以来昨年、今年と主催者から参加する旨のハガキが届く。出かけた年は講演会を聞くのが目的だった。建国記念日はそれほど関心がない。ゲストが良ければ行くけど、今年の催しは関心がないので不参加だ。

 それにしても届いた抜粋の選択は誰がするのだろうか。涙失くしては読めない。取り上げられた人はアジア塾で講演された先生や本で知った作家など。45万部の冊数を日本全国や世界に送付するという。庶民はすぐに郵便料金は、印刷代金は……などとつまらぬことを勘繰ってしまう。こういう料簡では物事はうまく運ばない。気を付けよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月29日火曜日

『坂の上の雲』第四巻から

 毎朝、ダグニーさんのblogを見る。今朝は画像がアップされ、ブログもこれまでよりも長い。だが、日本語は自動翻訳機能利用なので今一歩理解できない箇所がある。ギブスがとれても左手は不自由を強いられているようだ。このギブス、正式にはギプスらしい。ダグニーさんのblogの日本語はギプスを石膏マヨネーズと訳が出る。これを英語では?と携帯辞書で調べてギブス→ギプスと知った。ドイツ語のギプスが語源らしい。

 暇さえあれば『坂の上の雲』(司馬遼太郎 文藝春秋、2004年新装版第1刷)を読んでいる。もう少しで第4巻を読み終える。それでも全巻を読み終えるにはあと4巻ある。先日の夏目漱石の本を読むときもそうだったが、文字は読めても意味が解らないとか、初めから文字が読めない箇所が多々ある。そばに電子辞書を置いて読んでいる。これが電子辞書でなく紙の辞書を引きながらだとどれくらい時間が必要だろう、と思ってしまう。さいわい今の電子辞書はあらゆる機能がついている。これは本当に優れモノ。

 第4巻に二〇三高地が爾霊山と命名された意味を知って驚く。以下は乃木が志賀に渡した詩。

 爾霊山嶮豈難攀
 男子功名期克艱
 鉄血覆山山形改
 万人斉仰爾霊山

 爾霊山 嶮なれども豈攀(よじ)難からんや 
 男子功名 艱に克つを期す
 鉄血山を覆うて 山形改まる
 万人斉(ひと)しく仰ぐ 爾霊山
 
 志賀は、この詩に驚嘆した。――自分も遠く及ばない。まして児玉さんなどは。と、数日前の詩会での児玉の詩をおもったりした。第一「爾霊山」という、この言葉のかがやきはどうであろう。この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻をおびているといってよかった。二〇三(にれいさん)という標高をもって、爾(なんじ)の霊の山という。単に語呂をあわせているのではなく、この山で死んだ無数の霊――乃木自身の次男保典をふくめて――乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけ、しかも結びの句でふたたび爾ノ霊ノ山と呼ばわりつつ、詩の幕を閉じている。……その命名のまとめ役は、志賀重昴がひきうけさせられていた。(爾霊山以外にない)と、志賀は、この詩でおもった。212-213p

 乃木は、十二月十日の夜、終夜飛雪が柳樹房の天地に舞っていたとき、詩想を得たらしい。韻、平仄をあわせて完全なものにし、翌日十一日の朝、志賀重昴にわたしたのである。この十一日の午後、二〇三高地で死んだ次男保典の遺骨と遺品が軍司令部にとどけられた。乃木にとって、「爾ノ霊」というのは、爾霊山で戦死したすべての日本人にむかってよんでいるとともに、さきに金州城外で戦死した長男勝典にくらべて性格のあかるかった保典に対する無量のおもいがこめられているのであろう。213-214p
二〇三高地に建つ爾霊山の碑
1904年12月11日、爾霊山と命名された
それから114年後の同日にここを訪れたとは不思議!


二〇三高地から旅順港を見下ろす

 大雪の二〇三高地に登った日は何と乃木希典がこの詩を作り、志賀に渡して「爾霊山」と命名した日、と知って驚く。これも何かの因縁かもしれない。それから114年経ったその日に二〇三高地に立った、何という偶然だろう。登っているときも大連滞在中も『坂の上の雲』の話は常に出ていた。しかし、この件は誰からも出てこなかった。ましてや中国人のガイドからもこの話を聞かなかった。

 大雪の大連、そして二〇三高地を雪で滑らないようにと必死で登った。それにしても114年前とはいえ、自分の今の年齢を差し引くとそれほど昔のことではない。その時代はまだ馬車が交通手段だった。ましてや先の大戦となると自分自身が生まれる直前の戦いだ。物語でなく実際の戦争なのになぜか遠い昔のことと思うのはなぜだろう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月28日月曜日

「心の傷が夢を見させている」

 今朝もダグニーさんのblogを見る。だが、アップはない。この3,4日、ご自分でブログをアップされていた。それには眠られない、食べられない……などのキーワードが出てくる。親を介護していた時、「快眠・快食・快便」は人が生きる上で大事と思った。これは自分の健康バロメータにも当てはめる。幸い、今はこれらも大丈夫なので元気なのだろう。ダグニーさん、ちょっと気になる。

 図書館で借りた山折哲雄の本を見ると先日の池田一憲の画の掲載がある。本は『賢治の風光』で、その「はしがき」に「池田さんとは今度の仕事を縁に梅原猛さんのご紹介で知り合うことができた」とある。

 先に借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』(小学館、1994年)に「私は、夢がなかったら人間は人間ではありえない。文明というものはなかった、と思うのですが、このわれわれ人間の中には、とくべつに夢の好きな人、夢に命をかける人がいます。人一倍大きな夢を見て、それを実現した人がいる。私は、そういう人たちには、一つの共通したものがあるように思うんです。それは何か。すべてがそうとはいいませんが、そういう夢を見る人間には、心に大きな傷をもっている人が多いんですね。この人はどうしてこんなに大きな夢をもったのか、どうしてその夢を実現することに一生をかけることができたのかと見ていくと、心に大きな傷、コンプレックスがある場合が多いんですね。その心の傷が夢を見させている――そう思うんです」がある。13-14p

 この「心の傷」を梅原自身や法然を例にして話す。梅原は実の両親ではなく叔父夫妻の子供として育てられた。そこには梅原の誕生と実母との関係があった。そして梅原自身のコンプレックスも心の傷としてあった。また法然上人を研究して「法然は父親の死によって心に深い傷を負った」。法然の心の傷は父が押領使という武士だったことにある。押領使は今の横領の意らしい。そのためいつか殺されると思った父親が自分が亡くなったとき、弔ってほしいと法然をお坊さんにした。「父が殺される」、が法然の心の傷になった。

 この本の「少年の夢」部分は高校生向けの講演を本としている。少年、ではなくても「心の傷が夢を見させている」、これすごくわかる。自分自身、小さい頃に大病を患った、と聞かされて育った。それにより運動コンプレックスは半端でなく大きかった。夢を実現する、そのなかに水泳や自転車に乗ることがあった。これらは人から見れば本当にささいな夢かもしれない。だが、自分自身にとっては大きな夢への挑戦だった。30代後半でこの2つが出来るようになると、それから以降、思うことが何でも実現すると思えるようになったから不思議。

 いろいろとネットで池田一憲を検索すると東京銀座や他でも個展をされている。池田は梅原との出会いで山折哲雄とも知り合った。梅原猛の夢を実現する人を応援したい、との気持ちが池田一憲の絵との出会となっていったのだろう。

 そういえば「空想的な夢を見るのは人間だけだ」のなかに、「芸術がそのいい例です。自分が夢見た世界を、詩にしたり、小説にしたり、劇や音楽や美術にするわけです。まさに芸術は夢の産物ですよね。そうして表現された夢は、現実よりもはるかに魅力的です。すばらしい芸術というものは、みな、現実よりいっそう生き生きとしている。芸術家というのは、そういうすばらしい夢を見る能力をもっているわけです。そういう人間なんですね」とある。12pそして、この本の挿絵は池田一憲が描いている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月27日日曜日

カボスの絵

 昨日の大雪でやっと冬らしさを感じる。日本画教室に行こうとして家を出ると折りたたみ傘では雪を避けられそうにない。急きょ、雨傘をさして家を出る。今日は最低気温は1度の予報でも最高気温は11度でこれまでの気温に戻るようだ

 昨日の日本画。色を施していたカボスを仕上げる。このカボス、スケッチの段階ではうまく描けたと楽観していた。ところが色を付ける段階で何度も嫌になる。うまく色付けできない。これまで下手は下手なりに何枚か本画を作成した。しかし、昨日のカボスと以前に描いたカボチャの絵は気に入らない。カボチャは作品展に出さなかった。カボスも作品展に出せそうにない。

 簡単に描けると思えるものほど描いてみると簡単ではない。次週からはまた樹木に挑戦。昨日、最近出かけて写した写真から先生に描けそうなのを選んでいただく。県北の友だちに会いに行った時に写した尾関山公園の樹木。真ん中に樹木がある。これを描く時は樹木を真ん中からずらして本画にする予定。写真に写す時、写し方があるようだ。こうなると写真も学ばなくてはいけない!?そう言えば日本画のうまい人は写真でもよく入選されている。これも写す側のセンスが求められるのだろう。ともあれ、しばらくは樹木に挑戦!画像は日本画として参考にする予定の写真をアップ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
11月にでかけた尾関山公園

2019年1月26日土曜日

テレビetc.

 先ほど郵便物を取りに出ると大雪が降っている。今年の初雪だ。天気予報では一日中曇り空、となっているが一瞬だけ陽が射す。ところがそれも大雪になっている。

 25日付のダグニーさんのblogを見るとギブスがとれたようだ。だが時間と空間がわからないらしい。それでも毎日ブログをアップされて、送られてくる手紙や贈り物に対して感謝を述べておられる。106歳、生きる執念が素晴らしい。

 106歳ではないにしても昨夜、新日本風土記を見ていると十津川村に暮らす人々を映し出していた。そのなかに95歳の1人暮らしのお婆さんがいた。子どもは男5人いても皆、外に出て生活している。1週間に1度、訪ねてくる人か郵便屋さんと話をするくらいらしい。家の周りの段になった畑に少しばかりの野菜を植えていた。番組の後半しか見ていない。その前はEテレの「フルカフェさん」を見る。

 夜に見るテレビ。人がワイワイ騒ぐ番組よりも昨夜の番組のように自然の暮らしを映し出す番組がいい。昨夜の95歳を見てまだまだその年までには至らない、しっかり元気でいなくては……、と勇気をもらう。

 番組HPを見ると司馬遼太郎が十津川村を秘境と表現した、とある。ここでも司馬遼太郎、と思ってしまった。今朝はパソコンの状態が悪くブログ投稿に手こずる。番組は途中から見たのでもう一度再放送を見よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過しましょう!

2019年1月25日金曜日

今朝の地元紙から

 新聞記事を読むとき関心がある無しで読み方も変わってくる。目にするキーワード、これさえも目に留まるか止まらないかで関心の度合いに違いが出る。今朝の地元紙に「『近代化』すれば昔が恋しく 夏目漱石と明治」がある。このなかの「近代化」と「夏目漱石」に目が行く。先日、漱石の『満韓ところどころ』を読んだ。漱石が日露戦争後に出かけた旧満州国。1909年のことだ。漱石はこの中では満州の汚さを書いている。今朝のダミアン・フラナガンの記事を読むと「まるで急展開していく大日本帝国を容認するかのようであった。だが、漱石は、何千年もの間、日本文化の源であった中国を見下すという愚行は感心していなかった」とある。だが、『満韓ところどころ』では満州を見下す描写が多い。

 『坂の上の雲』は第4巻を読んでいる。その合間に、昨日の池田と梅原に関する本を借りて読む。いろんなことに気が散って困ったものだ。昨日借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』を見ると挿絵が池田一憲で、挿絵だけを先に見ると樹木のデッサンがある。それも自分がこれからデッサンしようとしている絵と似ている。新聞記事を読んで記事に感動し、梅原猛の本に描かれた挿絵を見てさらに驚く。いろんなことに関心を抱けばさらにいろんなことに興味がわいていく。いろんなことに興味を示せばさらに毎日が楽しくなる。

 昨日午後はプールで泳ぐ。連日いいお天気で気温も平年より高い。更衣室で、はじめて利用するという若い女性と出会う。38歳と言っていた。利用するプールは福祉センターのプールなのでシニアが大半を占める。若い人は泳ぐのかと思いきや水中歩行だけのようだ。それも浅い方での水中歩行。肩まで水に浸からないと水中歩行の価値がない気がする。しかし、これも個人の考えで外野はとやかく言えない。

 ともあれ今日の元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月24日木曜日

「梅原猛さんの思い出」記事から

 今月12日、93歳で亡くなった梅原猛。一昨日の地元紙に「梅原猛さんの思い出」として益田市在住の画家池田一憲の寄稿がある。話は昭和40年(1965年)に始まる。20代初めだった池田は広島の機関区へ勤めていた。浜田市の家を出て勤め始めの頃、淋しさを紛らわすために初めて描いた一枚の油絵。それを地元の病院に寄付したが、気持ち悪がられて役場に引き取られる。当時、梅原は大学で石見地方の民俗学的調査をしていた。石見を訪れ、役場でその絵を見た梅原は感動して「……私はあなたの才能と努力を信じます。作品が溜まったら個展を開いたらどうですか」と池田に手紙を書いた。手紙を受け取った池田は考え抜いた挙句、役場の承諾をとって飾ってある20号の絵「ふるさとを守る人」を携えて京都の梅原宅を訪問。

 梅原は絵を前にしてとても喜び、いろんな人を紹介してくれる。帰り際、ポケットに2万円突っ込んで絵具代にするようにとくれたそうだ。その池田は国鉄を辞め、故郷で農業と絵の製作を始める。その後も梅原と手紙のやり取りがある。その中には「私は一個の芸術家を世に出すことに出来るだけのことはします。……(国鉄を)お辞めになって生活が大変と思いますが、絵具代くらいはどうかします。一度相談に来てください」との手紙もあった。

 池田によると「梅原先生は、権威や通説、世評に寄り掛かることなく、自らの直感を信じ、どこまでも掘り下げる人であった。……その『直感』にかつて見ず知らずの一青年だったわたしもかなっていたのだろうか。……梅原先生に初めてお会いした時、その肩の威容振りに圧倒されたことを思い出す。それは水墨画に突然現れる巨大な岩山のようでも、真理の井戸の水をくみ上げる滑車のようでもあった」という。

 新聞記事には梅原に連れ出されて一緒にテレビに出演した写真がある。写真には池田の絵2枚がバックに掲げられている。

 この記事を読んで人との出会いに感動してしまった。ネットでこの人を検索すると『梅原猛対談集』に掲載がある。この本を図書館で予約すると確保できた。後で本を読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後、図書館で本を借りると挿絵が池田の絵だった。それには今、気に入っている樹木もある。それにしても寄贈した池田の絵が気味悪がられず、そのまま病院に掲げられていたら梅原と絵との出会いはなかった。何が幸いするかわからない。また当時の2万円はまだ会社に勤めていなかったのではっきりとした価値はわからないにしても、今の金額ではかなりになるはず。本のあとがきに梅原は挿絵の池田に謝辞を述べている。1994年出版だから、若い時から現在まで梅原との縁は続いていたのだろう。ネットによると山折哲雄の本にも池田の挿絵がある。これはまだ借りていない。すぐに図書館に予約した。

2019年1月23日水曜日

メンデルスゾーンの「イタリア」から

 今朝のダグニーさんのblogは「退屈」と題して次のようにアップされる。日本語は翻訳機能による。

★私はコンパクトな孤独の中で歌で一日を過ごした後満足して何も感じ、時間すべてカタツムリのペースで行くように感じている、不幸の不幸石膏ドレッシングはどこでも、方法で、右手の人差し指で書きます。それのほとんどはい、椅子に座ることができます。私は残っている人生の小さな火花。
ご挨拶
Dagny
 
 その前日は「孤独」のタイトル。
 
★孤独は相対的であり一つともう一人、今いくつかの時間を探して砂漠の放浪者として si を感じることができます。彼の左の腕の右側に擦り傷がたくさんギプスと右の tlltufsad を感じる。しかし、私はすべてのケースで生きる。
ご挨拶
Dagny
 
 これを見て以前とは違って短いブログながら、ブログをアップしようとする意気込みに生きる執念を感じる。これくらいの強い意志がないと106歳までは生きられないのかもしれない。ともあれ、怪我をした左手のギブスがとれて、また元気な日常を取り戻されることを願うばかりだ。
 
 昨日はフルートのレッスン日。先生宅でレッスンまで椅子に腰かけて待機していると貼ってあるコンサート情報に目が行く。先月、三原市で開催された演奏会に先生が演奏されたチラシだ。演奏曲3曲目にメンデルスゾーンの「イタリア」がある。この「イタリア」に目が行く。つい先日、広響の定演で演奏されて、その第二楽章が気に入った。そのことを話すと先生はネットで著作権切れの楽譜を印刷されたのを見せてくださる。本の著作権切れもネットで瞬時に見ることが出来る。楽譜もそれが可能と知って驚くばかり。本当に便利な世の中になった。本であればパソコン上で何百ページもの印刷は大変だし、またそれをネットで読むのはさらに大変。その点、楽譜は本ほど印刷枚数もなくてプリントアウトしやすい。これほど便利なネット情報を利用するかしないかの違いはかなり大きい。
 
 「イタリア」の第二楽章は先日の広響定演プログラムによると次のようにある。
 
 ★第二楽章 アンダンテ・コン・モート(歩くような速さで動きをもって)ニ短調は、唯一ローマで構想されなかった楽章で、どこか色あいが違う。この楽章を聴いていると、ミラノの霧に包まれた早朝の薄闇が思い浮かぶ。まだ、街が起き出す前、冷たい空気に漂う柔らかい霧のなかを、ひとりで歩く。日が昇ってくるとしだいに空気が和らいでゆく。
 
 定演で曲を聞いてこのように思ったかどうか怪しい。しかし、どこか雄大な場所、それも薄緑色の靄が掛かった場所を思い浮かべて聞いた。そして大いにこの曲が気に入った。先生は発表会で吹くならば楽譜をフルート用にアレンジしてくださるとのことでありがたい。
 
 さらっている曲はドルドラのセレナーデ。この曲も綺麗な曲。練習しよう!
 
 レッスン後、歩いて広島駅に向かう。先日、開催中の院展を2か所で見た。ゆっくり見ていない駅前店で再度見る。平日の午後の院展。人は少ない。自然を描いた作品が多い。なかでも前回と同じ作品がやはり気に入る。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月22日火曜日

「正五九月」

 この時季に何かよくないことが起こると、母がよく言っていた「正五九月」を思い出す。これはデジタル大辞泉によると「旧暦の正月、五月、九月の称。忌むべき月として結婚を避けたり厄払いのために神仏などに参詣したりした」とある。昨日は旧暦では正月には当たらない。それでも新暦では正月なので少しは関係あるかもしれない。

 なぜこんなことを思うのか、と言えば昨夕に起こった携帯電話の故障にある。時刻は午後5時前。故障の時の問い合わせ番号はわかっていても、携帯は使えない。固定電話の問い合わせ番号でドコモの営業時間を確認すると、午後7時までだ。すぐに近くのドコモへ自転車で駆け付ける。ところが埒はあかない。待てども順番が回ってこない。夜にはお寺さんが寒行に参られる。お布施は用意していてもその時刻に間に合いそうにない。

 何とか順番が回って来た。係りは携帯電話を使っている。画面が真っ暗なのになぜ係りだと使用できるのだろう。それを問うと携帯電話を開く角度で使用可能とのことだった。そう言われても、すでに別の係りに購入申し込み済みだ。早くそれを言ってくれれば、と思う。だが、ここでいつも角度を気にしながら携帯電話を使えば携帯ストレスになりかねない。ともあれ、機種変更をして新たな電話を購入。4万8千円も支払うことになった。故障の機種は6年余り使用。そう思えば替え時だったかもしれない。

 機種はこれまでのものとほとんど変わらず、ただ改良された感じがする。充電器は前と同じでは、と思っても機種名までは覚えていない。仕方なく言われるままに購入する。家に帰って確認すると同じだった。

 2時間もドコモにいたので外は真っ暗。自転車に乗るのは危険と思い、自転車を押して帰宅する。郵便受けを見るとお札が入っており、お寺はすでに参られた後だった。

 昨日は九州の旅行社から3月に予定していた海外の旅が中止と連絡がある。かなり行く気になっていたので他を探そう。

 「正午九月」、これは当たっている。昨日は携帯電話の故障と海外旅行中止であまりよい日だったとは言えない。まあ、これも金銭で何とか解決したので由としよう。これからお寺へ出かけて、昨夜渡せなかったお布施を渡そう。これこそ「神仏に参詣」になる!?気持ちを入れ替えてお布施も包んでいたより余計に入れよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月21日月曜日

🐼の絵ハガキ届く

 パンダをかたどった絵ハガキが届いた。絵ハガキ、と思って裏面を見ると中国からだ。姪は年末年始、中国四川省の熊猫基地へパンダのボランティアに出かけた。差出し場所は何と@中国成都🐼熊猫基地に加えて姪の名を書いている。小さい頃から動物好きだった。それが昂じて🐼のボランティアに出かけるとはモノ好きだ。

 ナニゴトもそうだけど何があっても動じないより、小さなことでも感動して喜怒哀楽をあらわすほうが幸せ、と思っている。動物好きもそういうことでは幸せに違いない。ともあれ、忙しい毎日を忘れ、しばし、好きな事にのめり込む、これはいいことだ。それには旅がいい。

 旅といえば、今のところ国内、海外を入れて3か所申し込んでいる。ところがいずれも催行かどうか、はっきりしない。いずれも行く気になっているので催行されるのを待つばかりだ。

 ここで余談。NHKラジオの中国語講座(レベルアップ中国語)は習った先生が担当されている。習ったのは中国語でなく中国文学。この分野にかけて、加藤徹先生は専門家であり、NHKワールドの番組にも出演されている。講座は再放送であっても年中、いつでもネットで聞ける。新たな中国語を覚えるためにこの講座を聞こう!

 今朝もいいお天気。大寒というのにこの温かさはどういうこと!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月20日日曜日

再興第103回院展&広響第386回定演に行く

 今朝のダグニーさんのblogは「多くの質問・応答」と題して友人エレナがアップする。その一部は「今だけになり、再びホームダグニー新鮮で新鮮な毎日が力を持ち始めたし、彼女はコメントを読んで、記事を書くあなたのコンピュータで座ることができません。それは、ここで右、彼女は元気、記事を書くを開始します。ときを約束できないが、読者、忠実な信奉者に戻ってくる」とある。(翻訳機能での日本語)
ともあれ、また元気なダグニーさんに戻ってブログをアップされる日を待ち続けよう。

 久しぶりの雨の朝を迎える。正午過ぎからは全国都道府県ひろしま男子駅伝大会が行われる。その頃には雨も止んで気温も14度に上がるようだ。

 昨日は広島の福屋駅前店と八丁堀店で開催中の院展を見に行く。院展を見た後は広響の定演が待っている。忙しい一日だ。習っている日本画の先生の作品は八丁堀店に展示される。まずは駅前店に出かける。春の院展と違って再興院展は大作ばかりが並ぶ。駅前店では4作品に目が行く。まず入ってすぐにある松本高明の「朝光」。今、自分が気に入るのは樹木の絵なので一番に気に入った。他にも前原満夫の「天蚕(やままゆ)の杜」、大矢紀の「カムイ冬祭彩」、福王子一彦の「三日月」が良かった。駅前店を後にしてバスで八丁堀店に向かう。先生の絵が目につく。のどかな風景の絵だ。日本美術院のHPを見ると同人の作品は解説付きで見ることができる。後でゆっくり見よう。

 絵を堪能した後はカフェで軽いお昼をいただく。caféを出ると本通りを歩く。途中、人の多さにつられて「夢プラザ」に立ち寄る。店内は人でいっぱい。お目当てのものがなく、お天気につられて本通りを歩く。平和公園に着くとここも人が多い。以前絵に描いた蓮。蓮池が平和公園にあるとのことで探すが昨日もわからず。公園内の国際会議場も人が多い。ここに入ると今日、開催される男子駅伝大会の開会式が開催されるようだった。公園一帯は都道府県の各テントが並ぶ。

 さらに歩を進めると広響会場に到着。すでにチケット交換が始まっており、後から2列目の席だ。座ったのはいいが、両脇に人が座る。何とも窮屈この上ない。隣の人に思わずそう告げるとやはり同じ意見だった。開演までしばらくじっとしてそのまま座る。だが、暑くてたまらない。セーターを脱いでも暑い。ここは我慢、といいたいところを開演寸前で我慢できず、1列後の空いているところへ移動して聞く。これでやっと落ち着く。本来ならばこういった行為は違反。しかし、空いている席に移動は飛行機でもOKだ。空いていれば横になって寝ても何も言われない。そう思って最後部席で聞く。

 昨日の第386回広響定期演奏会の演奏曲目は以下のようだった。

・ヨハン・シュトラウスⅡ世 ワルツ「愛の歌」

・モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調

 ソロ・コンサートマスターのフォルクハルト・シュトイデが指揮をしながらソロでヴァイオリンを弾く。

・メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調「イタリア」

 この第2楽章アンダンテ・コンモートニ短調はどう表現してよいかわからない程いい曲だった。一昨日のNHK「らららクラシック」でクラシックの巨匠としてバッハ・モーツアルト・ベートーベンの3人を取り上げた。3人以外にもメンデルスゾーン、この人もいい!

 なおアンコール曲としてヨハン・シュトラウスⅡ世の「新ピチカート・ポルカ」が演奏された。アンコール曲、聞いてすぐに曲名がわかった。ポルカのリズムでわかる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月19日土曜日

寒い冬は暖かいのが何よりのご馳走

 大寒が近づいているというのに連日のこの陽気は!?天気が良ければ良いで異変が起きなければ、と要らぬことが気になる。

 今朝のネットニュースでスーパーボランティア尾畠さんが東京で講演されている。なんとその後の大分までの帰宅は徒歩で野宿だそうだ。いくらいいお天気と言ってもこれはかなり大変。それも30日間かけての徒歩の旅らしい。この人、どこまでスーパーボランティアなのだろう。行方不明の子供を探し出しただけでも素晴らしい。それなのに、呉市での災害ボランティアで大分から通われた。これで終わりと思ったらさらに遠くの東京でのボランティア講演会。御年79歳3か月とか。まだまだこの先もボランティア活動をされるそうだ。講演を聞いた子供たち、これからどんな人生を送るのだろう。何かあれば尾畠さんの話を思い出すに違いない
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000056-spnannex-soci (参照)

 年齢では尾畠さんを上回るダグニーさん。13日にエレナがブログを代わりにアップして以降の更新がない。年老いて寝つくと足が弱り、それがもとで頭も弱りだす。そうならないダグニーさんのお元気な姿をもう一度是非見せていただきたい。

 昨日は母の月命日。母がいなくなって来月が来れば丸8年になる。その年は震災の起きた年。その1か月前に母がいなくなった。今年のような晴れ間続きのお天気でなく、雪交じりの日が多かったような気がする。親のいない寂しさにも慣れて、自分のリズムで生活している。昨日は温かいお墓参りとなった。寒い冬は暖かいのが何よりのご馳走、と母はよく話していた。そう思えば今年のこの陽気はなによりのご馳走!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月18日金曜日

遅まきながら司馬ファンに

 昨日アップしたふぐ料理。何かが抜けている、と思って思い出す。ふぐ鍋とふぐ雑炊を一緒にしてアップしていた。今朝、訂正。

 地元紙のくらし欄に雪道を歩く際の注意事項がある。「歩幅は小さく、靴の裏全体を地面につけて歩くのが基本」とある。大雪の大連で雪道を歩く時、踵から歩くようにした。水中歩行では踵で歩くと足腰により良い効果があると聞いたことがある。雪道で頭に浮かんだのが水中歩行だった。水と雪では大いに異なる。それでも滑らず、転倒もせずに雪道を長く歩けた。踵から歩くとつま先に重点を置くよりも前かがみにならない。靴の裏全体が地面についているから良いのだろう。

 住んでいる町では一昼夜、雪が降り積もることはない。4日足らずの大連滞在中、ずっと雪だった。これは自分の人生では貴重な体験となった。

 大連と言えば何度も書くように『坂の上の雲」。一昨日、図書館で「週刊朝日」を見ていると「坂の上の雲……」の記事がある。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を題材にして文をすすめている。図書館の蔵書検索をすると「坂の上の雲」に因んだテーマの本が多い。この本もいつかその中に入るのだろう。そういった本よりも今は司馬遼太郎の本を読む方が楽しい。聞くところによると司馬作品は億がつくほど本が売れているという。遅まきながら司馬ファンになったけど、今、気づいただけでも良かった。これも大連に出かけたお陰かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月17日木曜日

ふぐ料理をいただく

ふぐ刺し これで一人前
これだけでお腹いっぱいに!

 昨夜はフルート仲間7人とふぐ料理をいただく。はじめに出るのはふぐのひれ酒。マッチで擦ってひれ酒に点火すると香ばしい。この熱燗のひれ酒は日本酒を飲まない者でもこの時ばかりと飲めば美味。お通しは牡蠣3つがしっかりした味で調理してある。次に出るのはふぐ刺し。この大きなお皿のふぐ刺しが一人前。いつ食べてもこの量の多さと美味しさに満足、満足。刺身をいただくだけでお腹もいっぱいになりそうだ。続いて出るのはふぐ鍋でここにもふぐが入っている。この間、ちょっぴりふぐひれ酒の熱燗をいただく。やはりいい香り。さらにフグの雑炊をいただいて、締めはデザート。イチゴなどの果物をいただく。これがまた美味しい。3時間近いふぐタイムは終わる。ふぐ≒福となって今年もいい年になりそうだ。

 ふぐのお店に行くのは今年で3回目くらい?ただ、何回行ってもお店の場所が把握できない。昨夜はネットで調べて大丈夫、と思ってお店を探す。だが、お店は何処?仕方なく、三川町の交番に駆け込んで聞くと女性のおまわりさんがスマホで調べてくれる。そして、大きな地図を机に広げて場所を確認してくれる。これには驚くと同時にありがたい。この現場を見ていた人がいたようだ。お店がわからない人がいて交番に入るのを目撃されていて、その後ろをついて来たという。

フグ鍋 これは4人前


 話は変わって稀勢の里の引退。今朝の新聞を見ると「一片の悔いもございません」とか。こうまで言い切れる土俵人生は素晴らしい。朝から感動してしまった。初場所に進退が掛かっていた。それでも負け相撲を見るのは耐えがたく見ず仕舞いだった。残念な気もするが勝負の世界。負ければ引退も仕方ないのかもしれない。それにしてもやはり「一片の悔いもない」と言い切れる人生は素晴らしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月16日水曜日

『坂の上の雲』(2)

 今年の冬は寒さもそれほどでなく過ごしやすい。例年であればこの時季、泳いだ後は鼻水が止まらなくなる。ところが今年は気候がいいせいかそれもない。昨日は午後からプールで泳ぐ。いつも出会う優しい人から声をかけられる。久しぶりね、と言われてもこちらは週に1度、泳ぐと決めている。そう告げると1度でなく何度もくればいいのに……。働いているのかも聞かれる。働いていなくても週に1度のペースで自分としては十分だ。

 『坂の上の雲』(2)(司馬遼太郎 文藝春秋、1999年第23刷)を読んだ。ロシアの領土の広さがこれでわかった。と同時に、ロシアが日本を占領するという危機感を日本が持っていたこともよくわかる。それが日露戦争へと向かった。またアメリカが広島に原爆を投下したこともよくわかった。というか『坂の上の雲』を読んでいると「広島」のキーワードが頻繁に出る。広島は軍港だった。そのため、宇品港から海軍が出港した。広島は軍都だったために原爆投下という悲惨な目に遭わされたのだろう。またそれには日本人が白人でなく黄色人種であることも原因とは驚きだ。市内の美術館前の広場に加藤友三郎の銅像が立っている。この人も軍人で後に総理大臣になっている。この本を読むと日本の近代の歴史がよくわかる。これは2巻目。今読んでいるのは3巻目。8巻まで読むにはまだ時間がかかりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は気になる個所からの抜粋。

★——ここは、ロシアの領土だ。
ということになった。先住民族どもは狩猟か漁撈をしている未開人で、領土意識というものはきわめてすくなく、それに、侵入民族とたたかうだけの国家を形成していない。さらには、ロシア人は西ヨーロッパとの接触によってつねにあたらしい武器をもっており、その武器によって土民を征服した。ロシア国家そのものがシベリアを領有しようとした政治意図ははじめはなかったが、毛皮商人とコサックどもが私掠し、その私掠した領域が結局はロシア国家のものになった。いわば毛皮への魅力が、ロシアをして史上空前の大領域をもたせることになった。……中央アジアとシベリアをふくめて、ロシア人は、
——自分たちの征服者たちの土地だ。
ということで、その征服者が、内紛などによって雪が融けるようにその支配機構を消滅させてしまうと、ロシア人はその領域にすんでその地域を自分のものにした。……侵略戦の血なまぐささがあまり(程度の問題だが)ともなわなかったのが、このロシアの北アジア領有事業であった。
 かれらは長い歳月のあいだ、なしくずしの「侵略」をかさねつつ、ついにカムチャッカ半島に達し、さらに千島列島に南下し、占守(しゅむす)、幌筵(ばらむしろ)の両島を占領し、いよいよすすんで得撫(うるつぶ)島以北の諸島を侵したとき、はじめて日本と接触した。……日本人が、当時でいう赤蝦夷――ロシアの危機を感じた最初であった。110-111p

★東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締めあげ、窮地に追いこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英智と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略はたとえおなじでも、嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはなかったにちがいない。……
 一九四五年八月六日、広島に原爆が投下された。もし日本とおなじ条件の国がヨーロッパにあったとして、そして原爆投下がアメリカの戦略にとって必要であったとしてもなお、ヨーロッパの白人国家の都市におとすことはためらわれたであろう。261p

2019年1月15日火曜日

『満韓ところどころ』

 大寒が近づいている割には温かい日が続いている。昨年末から読んでいる『坂の上の雲』。これと同時に図書館で予約確保された本を読む。冬の間のいいお天気も寒いことには変わりがない。特別な用がない限り家でおとなしく本を読む。大連に関する本は『坂の上の雲』のほかに『満韓ところどころ』(夏目漱石 藤井淑禎編 2016年、『漱石紀行文集』)を読んだ。久しぶりに読む漱石本。日本画教室には漱石の勉強会へ参加されている人がいる。『満韓……』の中に「腹が痛い」や「胃が痛い」の描写が頻繁にある。漱石の死因は何?、と気になり、その人に尋ねると胃の病気が死因だった。

 以下は大連に出かけて大雪の中を歩いて登った(観光した)東鶏冠山や二百三高地について漱石が描写した個所。この場面が出かけたあたりのどのあたりかはっきりしない。いずれにしても同じ場所に違いない。今はどちらも道が整備されており、また山の周囲は桜の木が植えてあるらしい。だが、12月に出かけたので桜の花が咲いておらず、緑の季節はどんな状況なのかはわからない。

★二百三高地へ行く途中などでは、、とうとうこの火打石に降参して、馬車から降りて仕舞った。そうして痛い腹を抱えながら、膏汗(あぶらあせ)になって歩いたくらいである。鶏冠山を下りるとき、馬の足掻がなんだか変になったので、気を付けてみると、左の前足の爪の中に大きな石が一杯に詰まっていた。余程厚い石と見えて爪から余った先が一寸ほどもある。従って馬は一寸がた跛(ちんば)を引いて車体を前へ運んで行く訳になる。席から首を延して、この様子を見た時は、安んじて車に乗っているのが気の毒な位、馬に対して痛わしい心持がした。70p

★味方の砲弾で遣られなければ、勝負の付かないような烈しい戦は苛過ぎると思いながら天辺迄上がった。其処には道標に似た御影の角柱が立っていた。その右を少しだらだらと降りたところが新たに土を掘返した如く白茶けて見える。不思議な事には所々が黒ずんで色が変わっている。これが石油を襤褸(ぼろ)に浸み込まして、火を着けて、下から放り投げた処ですと、市川君はわざわざ崩れた土饅頭の上迄降りて来た。その時遥下の方を見渡して、山やら、谷やら、畠やら、一々実地の地形に就いて、当時の日本軍がどう云う経路をとって、此処へじりじり攻め寄せたかを序ながら物語られた。不幸にして、二百三高地の上迄は来た様なものの、何方(どっち)が東で何地(どっち)が西か、方角が丸でわからない。ただ広々として、山の頭がいくつとなく起伏している一角に、藍色の海が二ヶ処程平たく見える丈である。余はただ朗らかな空の下に立って、市川君の指さす方を眺めていた。79-80p

 この後は市川が戦った時の様子が書いてある。しかし、それには肉片が飛び散った、などの怖ろしい戦争描写なのでここに記すのはやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に間違いに気づく。漱石の書いている鶏冠山と大連で登った東鶏冠山は同一場所ではなかった。『坂の上の雲』の添付地図を見て鶏冠山の東側に東鶏冠山があった。

2019年1月14日月曜日

「シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる」を見る

 今朝のダグニーさんのblogはエレナが書いている。「少し忍耐を持っています」と題されたタイトルの中身を見るとダグニーさんは肺炎にかかっている。106歳の高齢であっても早い快復をのぞみたい。

 一昨日の夜はBSプレミアム「シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる」を見た。番組HPには以下のように書いてある。

★中央アジア・タジキスタン。3000m級の山々に囲まれた大峡谷で、少数民族ヤグノブ人が貨幣すら使わない伝統の暮らしを続けている。最新の研究では、彼らはかつてシルクロードの交易を支配しながらも歴史から消え去った「幻の民」、ソグド人の末裔とみられている。なぜいま、外界と隔絶した大秘境で暮らしているのか。雄大な自然と四季折々の絶景に囲まれた暮らしを見つめるとともに、そのロマン溢れるルーツの謎をひも解く。http://www4.nhk.or.jp/P5459/x/2019-01-12/10/6578/2420517/ (参照)

 少数民族ヤグノブ人が住むヤグノブ峡谷とは「氷の谷」の意。彼らは「クル」という町に住んでいる。この「クル」とは「奥地の村」の意だそうだ。ある一家の生業は山羊と羊100頭の飼育。ヤグノブ人の言語はヤグノブ語でタジキスタンの言語とは異なる。この一家の住むソグディアナ一帯はソグド人であり、ソグド語を話す。これはシルクロードの共通言語だった。ところがアラブ人に包囲されて虐殺されるとソグド人は歴史から消え去り、ソグド語も11世紀ごろには死語となっていった。

 最近、研究者によりヤグノブ人はソグド人の末裔ではないかとの研究が始まる。それによると奈良にある法隆寺、白壇香の文書の文字とヤグノブ人の言葉が同じだった。それは「2分の1」をあらわす「二―ル」などである。

 タジキスタンの首都ドシャンベは一家が住む街から80km先にある。酪農一家が生活する上で金銭は必要ない。ただ、子供たちの学費などが必要になる。そのため、年に一度、街に出て家畜を売って学費に充てる。学校での言語は公用語のタジク語。一家のうち2人は下宿して学校に通い、タジク語を話す。だが、まだ幼い兄弟はタジク語を話せず、兄弟が帰省してそれを教える。

 ソグド人はゾロアスター教(火の神様)を信じ、ドゥタールという楽器を弾く。ヤグノブ人もこれと同じことをした。結果、ヤグノブ人はソグド人の末裔、と判明。2016年、タジキスタンの山中で発見されたブロンズ像は冠の形をしていた。これはソグド人の権力の象徴であった。祖国を追われたヤグノブの民は苦難の歴史があった……。

 1時間半の番組だった。自給自足で生活する一家の物語。まるで映画を見ているような感覚になる。首都ドシャンベの街で学ぶ兄弟たちが、年に一度家畜を売りに来る父親に向かって話しかける場面がある。自分たちが街で学んでいる間、下の弟が家畜の世話をする。その大変さを案じる場面である。これを見て何か切ないものを感じた。父親はその話を聞いて家畜の頭数を減らして、質の良い家畜にして高値で売ると宣言。そうなれば学校に通う兄弟たちの意見が叶えられそうだ。家には電気も何もない。しかし、学校ではコンピュータを駆使しての授業だ。一家の主は子供たちの将来は大学に進んで自分たちがやりたいようにやればよいと考える。この辺りは以
前に見たシルクロードの民とは隔世の感がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月13日日曜日

2019年日本画習い初め

 朝からパソコン画面にウィンドウズ破損の表示が出る。これを消そうとするが簡単には消せない。別の検索画面を表示してこの対処方法を探す。先の画面は怪しいサイトへつながりるようだ。✖印は消されず、その対処としてパソコンの再起動を試みる。何とか解決した。それにしても急に画面が変な方に変わると怖さも半端ではない。最近、パソコンの調子がいいと思った矢先の困った画面表示。要らぬ神経を使ってしまう。

 昨日は今年の日本画習い初め。カボスを描いている。デッサンする時点ではうまく描けた気がした。ところが彩色で手こずる。昨日は色を施したカボスのあちこちにひび割れがある。先生によると膠の量が多すぎるとひび割れるそうだ。ひび割れた箇所に指で水を浸けて指先で膠を薄めていく。その後、乾かしてまた色付けする。何度か試みるが思うようにならず先生の手を煩わせる。この作品が完成したらしばらくはデッサンに集中しよう。

 日本画と言えば院展。各自の机に院展の封筒が置いてある。もしかしてまた入選?と先生に問うとそうだった。これはおめでたい。先日はフルートの先生が全国コンクールに出場されて1,2位なしの4位で入賞された。日本画の先生も院展に出品されて4度目の入選。何と習っている先生がともに入賞、入選とおめでたい。
 
 先日、院展のチケットが当たって2枚送付されてきた。昨日はさらにチケットを先生からいただく。これは美しい絵を見てもっと頑張れということかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月12日土曜日

『坂の上の雲』(1)

 今朝のダグニーさんのblogは「幸せを損傷しません」のタイトルで黄色い花のアップがある。退院されたのだろうか、ご自分でブログをアップされているようだ。

 先月から『坂の上の雲』を読んでいる。その合間に漱石の『満韓ところどころ』を読み終える。「満韓」のうち、旧満州国の大連へは出かけても韓国へは行っていない。また、満州でも南満州(今の大連)しか出かけていない。それでも本を読むと漱石が出かけた当時の大連の様子がよくわかる。これは後日アップしよう。

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は今、3巻目を読んでいる。なるべく早く全8巻を読み終えたい。それにしても小説を読む、この楽しみを司馬遼太郎の本で知るとは我ながら驚き。何でも興味を持って人の話を聞くものだと改めてそう感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『坂の上の雲』(1)(司馬遼太郎 文藝春秋、2010年新装版第6刷)から気になる個所の抜粋。

★校長は、右手の扇子を大きくふりあげておのれの左掌をはげしく撃った。
「乱臣賊子だ」
好古は辞めてしまおうかと思ったが、国を出るとき父からいわれたことを思いだした。
「世間にはいろんな人間がいる。笑って腹中に飲みくだすほかない」
飲みくだす気にはなれなかったが、珍物として敬遠しようとおもった。36p

★日本は、より切実であった。
 切実というのは、朝鮮への思いである。朝鮮を領有しようということより、朝鮮を最強国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。
 日本は、その過剰ともいうべき被害者意識から明治維新をおこした。統一国家をつくりいちはやく近代化することに由って列強のアジア侵略から自国をまもろうとした。その強烈な被害者意識は当然ながら帝国主義の裏返しであるにしても、ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。
「朝鮮の自主性をみとめ、これを完全独立国にせよ」、というのが日本の清国そのほか関係諸国に対するいいぶんであり、これを多年、ひとつ念仏のようにいいつづけてきた。日本は朝鮮半島が他の大国の属領になってしまうことをおそれた。そうなれば、玄界灘をへだてるだけで日本は他の勢力主義勢力と隣接せざるをえなくなる。
このため日本は全権伊藤博文を天津におくって清国の李鴻章と談判せしめ、いわゆる天津条約をむすんだ。343p

★プロシャ主義にあっては、戦いは専制主義であり、はじめに敵の不意を衝く
それ以外に勝利はありえないとする。そのためには「平和」なときからの敵の政治情勢や社会情勢、それに軍事情勢を十分に知っておかねばならない。
そのために諜報が必要であった。
川上(操六)は、諜報を重視した。348-349p

★俳句は詠みあげられたときに決定的に情景が出てこねばならず、つまり絵画的でなければならず、さらにいうならば「写生」でなければならない、と子規はいう。「写生」ということの重要性を子規は発見するにいたるのは、ちょうどこの戦争の最中である。410p

★要するに日清戦争は、老朽しきった秩序(清国)と、新生したばかりの秩序(日本)とのあいだにおこなわれた大規模な実験というような性格をもっていた。436p

2019年1月11日金曜日

『人生はおもしろがった人の勝ち』

 スウェーデンの106歳のブロガー、ダグニーさんのblogを見ると「レポート」と題して笑顔の写真をアップされている。ただ、左手首から指にかけてのギブスは痛々しい。ダグニーさんの右手は誰かと握手し、周りには花束があり、お見舞いの人の姿もある。手の怪我は足と違って歩くことができる。歩けば少しは運動不足も免れそうだ。ともあれ、お元気そうで何より安心。

 昨日はひと月に一度の眼科へ行く。目のどこがどう悪いわけではないが、小さい頃に目の病気をした、と親から聞かされてきた。その影響もあって眼科とは一生の付き合いとなりそうだ。眼圧は13と15でともに正常。

 また昨日は3通、同じような横型の茶封筒が届く。1通は院展の招待券2枚が送付される。これは地元の新聞社のネット応募であたった。院展のチケットは日本画の先生からいただくことが多い。それも当然のように何枚もいただいていた。後でこれは先生が入選されたからだ、と気付く。今回は応募であたった招待券で院展を見に行こう。

 2通目は先日電話で申し込んだ旅行社からの書類が送付される。ただ、この件は旅の催行が確定されず、しばし連絡を待つしかなさそうだ。

 3通目は社会人大学生で学んだ学部時代の同窓会だより。記事を読むと卒業後の若い人たちの状況が記されている。若い人たちはその後の就職などの話題が多い。だが、社会人でのその後は就職には関心がなく、サラッと目を通すだけとなる。
 
 社会人大学生といえば萩本欽ちゃん。この人は今、社会人大学生真っ只中。『人生はおもしろがった人の勝ち』(萩本欽一 大和書房、2018年)を読んだ。この本から気になる個所を記そう。

★……社会人入試で入ってきた人たちは、大学で学ぶことが何よりの目的だ。そこで学びたいから来ている。だから、学ぼうとする意欲が普通の学生さんとは初めから違う。24p

 これは確かにそうだ。社会人大学生だからといって、現役の学生と何ら変わりはない。ところが、入学後や修了後、聞かれて驚いたことがある。「試験はあるの?」「夜間大学?」に始まって他にもいろいろと聞かれた。まるで社会人で入った学生は大学が遊びに行くところ、と思ったのかもしれない。欽ちゃんが書いているように「大学で学ぶことが何よりの目的」で入学した。入学するにももちろん試験はある。会社をリストラされてから入試までの数か月、JRの半年間の通勤定期(実際は働いていない。だが購入可能)を買って図書館に通って勉強した。また、入学後もそれは大変だった。短大卒でも1年生から入学したので教養課程から規定の単位を取った。2年になる寸前で母が怪我で入院。その時は4か月、病院に寝泊まりしながら大学に通った。母の退院後はケアが待っていた……。ともあれ人生、頑張れば何とかなる、と実感した6年間だった。

★これまで、かなりいろんな国に行ったが、ボクは海外で撮った写真が一枚もない。「写真、撮る?」と聞かれても、「撮らない」と、断っている。ボクにとって思い出になるのは、言葉だけ。現地の人との会話だけを思い出として持って帰る。196p

 「現地の人との会話だけを思い出として持って帰る」、これ、よくわかる。民族学、というか文化人類学に興味があるのですごくわかる。でも写真は撮る。この頃は自分をほとんど写さず、ブログ用に写すことが多い。そして絵になるところも。現地の人との会話だけでなくツアーの人たちとの会話も思い出。同じツアーの人とは関心が同じところに向いているので自然と仲間になる。 
 
★ホント、自然界はうまくできている。長所があれば、必ず短所がある。人間の運も同じことで、いいことがあれば、かならず悪いこともある。これもうまくできている。……人間の運というのは、そういうふうに、みんな平等にできている。だから、いいことと、悪いことは、半分半分。そう思って生きていけばいい。236-238p

 これもそう。母は私が元気をなくすと「全てが揃った人はいない」とか「全てが揃った家もない」と言って慰めてくれた。表面では上手くいってるように見える人でも家でも中に入れば何かがある、というのだろう。その思いがあるからか、今は人を見て羨ましいとか、の感情はわかない。欽ちゃんの言う通り、楽しいことを見つけて人生面白おかしく生きる方がいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月10日木曜日

「待てば海路の日和あり」から

 今朝のダグニーさんのblogは「待てば海路の日和あり」のタイトルで友人のエレナがアップしている。タイトルのようにダグニーさんの元気な情報を気長に待つことにしよう。高齢になっての注意事項を岸元首相は「転ぶな、風邪ひくな、義理をかけ」と提案した。これを初めて知った時、母が家の中を移動する場所にA4サイズで書いて貼ったことがある。3つのなかでも年老いて転んで怪我をすると、それがもとで致命傷になりかねない。母もそうだった。ダグニーさんも車の事故で転んで手の怪我をされている。昨日、訃報が流れた兼高かおる。この人も以前読んだ本に転んで大腿骨骨折、と書いていた。骨折すると動きが制限されて体力も衰え、それが原因となって長くは生きられなくなる。

 兼高かおるといえば旅の達人。まだインターネットのない時代、旅情報はこの人の出る番組を見て知る。だが、その頃はテレビを見てもそれほど海外へ、とは思わなかった。というか海外に今ほど簡単には行かれなかった。それがいつの間にか海外へ行くのが楽しみとなる。海外といえば、この年末年始、姪は年末を早く切り上げてパンダのボランティアをするために四川省へ出かけた。届いたメールには「雨交じりの雪で気温1.4度。ガラスなしで2m前にいるパンダに興奮して寒さも感じず。ガラスありでも近い。辺鄙なところの上に、この天気で人も数えるほど。もの好きはいる。明日は熊猫楽園で飼育ボランティア。寒波のせいで連日寒そう。でもパンダ満喫するよ!」とある。翌日も「大雪の中、せっせと掃除に励み、餌やりした。真近で見るパンダの可愛すぎ。嬉しそうな顔してるでしょ」とあり、パンダに笑顔で餌やりする姪の写真が添付される。また勝手にアップして姪に申し訳ない。

 まあ、何でもいい。人生、面白おかしく楽しく過ごせばそれでOK。昨日読んだ萩本欽一の『人生はおもしろがった人の勝ち』(大和書房、2018年)のタイトルはまさにそうだ。この本についてはまた明日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月9日水曜日

2019年フルート・レッスン初め

 

 さらっていたグリンカの🎵ノクチュルヌ別れ🎵を終えて今日からドルドラの🎵セレナーデ🎵の練習に入る。これを動画にアップしようと検索する。だが、フルートの演奏は思うような動画がない。動画を見ていて耳障りとなるのは聞きたくないし、また見たくもない。ということでフルート以外の演奏をアップしよう。

 この曲は曲の初めのメロディーが途中で変調後、また元の調に戻り、それから最後まで続く。何度もある”タッ、タ、タ、ター”は軽やかなリズムで春に相応しい曲だ。ともあれ、練習しよう。

 レッスン後、忘年会で話題になったフグのコース料理を食べる件は、来週、予定通り開催されるという。もうすぐ大寒がやって来る。この季節はやはりフグ。楽しみ!

 先生宅を後にして広島駅前にある福屋に立ち寄る。まずはカフェで一休み。その後、1階の財布売り場を見て歩く。同じ財布なのに価格が違う。係りに聞くと片方は値下げの値札をし忘れているらしい。それは買わずに、先に気に入った他の財布を購入すると係りは胡子神社の福銭を入れてくれた。これで今年の金運は大丈夫!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月8日火曜日

2019年泳ぎ初め

 大連に行く前に『地球の歩き方』の大連編を読んだ。その中で紹介された本に夏目漱石の『満韓ところどころ』がある。漱石の時代の本は著作権切れとなっている。そう思ってネットで無料で読もうとした。パソコン画面で数頁読むと紙の本を読むのと違って読みづらさは半端でない。とりあえず保存して大連に出かけた。数頁ほど読んだだけも中村是公のキーワードを覚えていた。これだけはツアーの皆さんと話が合う。紙の本を、と話題にすると漱石全集に入っているのでは、と教えてくれた。先日、早速、図書館の蔵書を検索すると『漱石紀行集』に入っていた。昨日は『坂の上の雲』を中断して、借りてきたこの本を読む。この時代の漱石は朝日新聞社の記者であり、中村是公から誘われて満州国周辺に出かけている。中村是公は満鉄の総裁。漱石はそれを「是公」と呼び捨てにする。毎晩のように是公主催のパーティが催される。良き時代の満州だろう。まだ3分の1しか読んでいない。

 漱石といえば今朝の地元紙に旧制高等中学時代の成績表が見つかったとの記事がある。漱石の恩師が手帳に記していた。「吾輩は成績優秀である」そうだ。その中に子規の成績も記されている。『坂の上の雲』は子規や漱石の話題がある。この2人は東京大学予備門時代に共に学んでいた。

 たった4日間、大連に行っただけでいろいろと関心が広がる。今読んでいる漱石の本には(他の漱石の本もそうだけど)読めない漢字が出てくる。昨日は「抔」がある。ルビは「など」とついている。これが「など」、と改めて辞書を見ながら読む始末。漱石の本でさらに満州というか大連に関する興味に弾みがつく。

 話は変わって昨日午後は2019年の泳ぎ初め。お天気も良く、自転車に乗っていても寒さは感じられない。さらにプールに入るとまるで温泉のように温かい。いつもの優しい女性から声をかけられる。その人も泳ぎ初めらしい。浅いプールでクロールで泳いでいると隣で泳ぐ人と速度が同じだ。こうなると自然に負けまいと思うのか泳ぐピッチが上がる。だが、そうするとつかれるようで長く泳げない。競ってはいけないと自分に言い聞かせてマイペースで泳ぐ。泳ぐといっても気に入らないことがある。それはプールのレーンの隅でグループでプール会議を始めること。話をするのならば人が泳がないレーンでしゃべればいい。泳ぐスタート時、プールの壁に蹴伸びして泳ぎだす。それなのに人が壁に群がるとそれも出来ず、邪魔になる。新年早々、ボヤくのは辞めて、今年も水泳を楽しもう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月7日月曜日

夜はテレビ三昧

 今朝、ダグニーさんのblogを見ると、友人のエレナが更新している。それによると「日曜日の最新ニュース」のタイトルで入院中のダグニーさんの様子が綴られる。今週中に医師の決定が出るようだ。食欲はあり、デザートなどを食べたそうだが、ブログのホームシックに罹っているという。どういっても毎日、ブログを更新されていたから無理もない。ともあれ、早い回復を願うばかり。

 昨夜のNHKスペシャル「サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む」を見た。サグラダ・ファミリアは7年余り前のスペイン旅行で出かけた。この建設に携わる日本人の彫刻家、外尾悦郎氏ともレストランでばったり遭遇。一緒に写真も撮ってもらった。サグラダ・ファミリアの上層部へエレベータで見学。その後の話で見学しなかった組は外尾氏と一緒に地下に眠るガウディのお墓などを見学したそうだ。これを聞いて少し残念な気持ちになったことを思い出す。

 番組クルーは次のようにHPで述べている。

★今回我々は主に、教会最大のシンボルとなるイエスの塔の建造の様子を中心に取材しました。そこには、効率や機能性を追究する現代建築とは違う価値観でものを考える、作り手たちの姿がありました。「なぜサグラダ・ファミリアはいつまでも完成しないのか」その疑問への答えを、そんな作り手たちの姿から探っていただくのも……。

 イエスの塔の空洞をどうするか。外尾氏はガウディはどうしようと思ったのか、を考える。行き詰まると地下に眠るガウディに問いかける。ある時、20年来、ガウディの建築資料を探していた考古学者はそれを別の教会から発見する。そこには多くの資料が隠されていた。専門家の資料分析から外尾氏はガウディが目指していたことに気づく。それは「グラデーション」。「貧富の格差」、「社会の分断がない形を作る」ことだと思った。朝日が出る前の空を見上げるとピンクがかった紫の雲が流れる。この「紫」の色がタイルでは出せない。これをタイル技術者に作ってもらう。できた!土、水、空気など自然のあらゆる色をグラデーションで表現する。これをイエスの塔に作ろうと決めた。だが、作業はこれから始まる。

 この放送の前に見たのは日曜美術館。日本画家の田中一村だった。現在、奄美大島で一村の展覧会が開かれている。見に行きたいけど、奄美大島は簡単には行けそうにない。

 今日は朝から太陽が出ている。温かくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月6日日曜日

「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~」から

 昨年末から読み始めた『坂の上の雲』。昨日から3巻目に入る。全8巻ほどある。あと1,2か月、いや2,3か月はこの本と付き合うことになりそうだ。その合間に堀文子の画集や気になる本を読む。若い頃、今ほど本を読んでいれば、と悔やまれる。だが、それも歳を取るにつれてわかったこと。気が付いただけでもいいか、と思ったり。

 また昨日は年末年始に送付されてきた関西と福岡の旅のカタログを眺める。一旦は今、行き先を決めなくても、と思った。それも束の間、午後には2冊のカタログを眺め直す。結果、3か所の行きたい国から1か所を決める。まだ治安はどうかと思う国。しかし、カタログには外務省から危険度のランクが下がった旨、書いてある。ここへ行こう、と気持ちが決まる。どういってもナニゴトも先延ばしにできない年齢になった。明日、旅行社へ申し込もう!そう決めるとお腹も気持ちも満たされる。

 4日夜に見たNHKのBS、「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~」。2時間の番組だが、落ち着いて見られた。番組HPによると次のように書いてある。

★脚本家の倉本聰さんもゲゲゲの水木しげるさんも、神様の木に会った。日本は巨樹、巨木の王国だ。樹齢千年以上、枝張り60m、災害や戦争も耐え抜き生き続ける奇跡の生命力。樹齢二千年の日本最古の桜に会う。化石のような幹に咲く満開の花、桜吹雪。枝張り60m、日本一美しいと言われる熊本の大楠に会う。新緑のまぶしさ。青森で日本一大きい銀杏に会う。雪景色の中の黄色の紅葉。瀬戸内海の小さな島の大楠に会う。その姿はまさに奇跡の命、神様の木だった。倉本聰さんは木を描き人生と重ねる。水木しげるさんは膨大な木の写真を撮影、顔のような不思議な樹々の精霊を捉えた。巨樹の神秘と命の物語。

2019年1月5日土曜日

「玉木宏 音楽サスペンス紀行」を見る

 新年のダグニーさんのblogを見ると交通事故で入院されている。一昨日からブログの入力はダグニーさんの友人たちによってアップされる。今朝のblogには安全のため入院とある。どういっても106歳、無事退院されてまた元気なダグニーさんのblogをいつまでも見続けたい。

 新年2日目の夜、「玉木宏 音楽サスペンス紀行”ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番”」を見た。番組HPによると次のように書いてある。

★第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?

 2時間の長時間番組であってもひきつらけれて見た。玉木宏がまるでショスタコーヴィッチであるかのように丸い眼鏡をかける。これは玉木をショスタコーヴィッチに似せるための局側のやらせかもしれない。また長くなったけど、感動してしまったのでメモ書きを全部アップしよう。


 スターリンの時代、彼はオペラを見ていた。革命的であり、支離滅裂と痛烈にオペラを非難したスターリン。ショスタコーヴィッチはスターリンから尋問を受ける。だが、次の曲が気に入られてどうにか粛清を免れる。レーニングラードはドイツとの包囲戦でビスカリョフ墓地と化した。ヒトラーはレニングラードを消滅させると目論んだのである。

 今から30年前に出かけたソ連の旅でレニングラードにも出かけた。今はサンクトペテロブルグと名称も変わっている。出かけた当時のレニングラードは広場でクラシック音楽の生演奏も行われており、エルミタージュ美術館もあって美しい街だった。まさか、このレニングラードでこれほどひどいことが起こっていたとは……。

 ショスタコーヴィッチ作曲の交響曲第7番はラジオのスピーチで「巨大な悪」が存在していると放送される。レーニンはこの曲を安全な場所で書くようにとショスタコーヴィッチをレニングラードから連れだす。ラジオ・シンフォニーはドイツとの開戦で音楽を中止されて活動不能に陥いる。その代わりとしてチャイコフスキーの曲を国外向けに放送した。ところがレニングラードはヒトラー率いるドイツ軍により兵糧攻めにされる。食料に困った市民が肉を買いに行くが、いつまで経っても帰ってこない。不審に思って探しに行くと殺されて「人肉」となる寸前だった。レニングラードでは人肉を食べた人がおり、その数をヒトラーは把握していた。まさにサスペンス紀行!?ほかにも糊付けされた壁紙をはがして、糊を食料代わりにした人もいた。糊は小麦粉で出来ていた……。

 1941年末、ショスタコーヴィチは「レニングラードの街に捧げる」として曲を書き上げる。だが、街にその楽譜は届かなかった。クイビシェフの街で第7番が演奏され、プラウダはそれを評価した。だが、スターリンはこの第7番をたくらむ。どういってもスターリンは自分以外の全てを疑った男だ。しかし、彼は優れた音楽を支持したので第7番はマイクロフィルムにしてアメリカに送った。

 アメリカ大統領ルーズベルトはこれをサンタクロースのクリスマスのプレゼントのように思い、替わりにソ連に武器を援助した。民衆はアメリカで第7番を演奏するのを讃えた。楽譜をマイクロフィルムに撮影して送る、これはソ連の共感をひろげた。ナチスの目を逃れてマイクロフィルムはソ連とアメリカが共同して送ったのである。

 スターリンはスターリン賞第一号をショスタコーヴィッチに与えた。そしてスターリンもヒトラーも音楽を政治に利用した。その後、ナチスの包囲網を突破。それはラドガ湖が凍って30㎞の道となり、物資が運ばれるようになったからである。これは食料難にあえぐ人々にとっての命の道となった。こうして人々はレニングラードを脱出。しかしドイツ軍は命の道を攻撃した。

 この頃、レニングラードのラジオからはメトロノームの音が流れていた。頭にきたレニングラードの指導部は音楽を流せ、と怒鳴りこんでオーケストラを再開させようとする。しかし、レニングラードにいる生き残った音楽家は40人だけ。これではマイナス気温の寒い気候の上、衰弱した体には手が動かず、息も吹けなかった。ただ不協和音だけが出た。楽団員は市民に響く音楽を奏でたかったのである。

 1942年4月5日、指揮者であるエリアスベルクはラジオ・シンフォニーで演奏してラジオの公開放送を再開させた。この時、ラジオ・シンフォニーで第7番を演奏しようと思った。
 
 1942年5月3日、アメリカ国務省にマイクロフィルムの第7番が到着してユージン・ワイントロウプに届く。それは252頁、30ⅿもあるマイクロフィルムだった。フィルムはソ連→イラン→エジプト→アフリカ大陸→ブラジル→マイアミへと届き、ドイツを避けたルートだった。

 アメリカでの初演はイタリーの指揮者トスカニーニによる。「レニングラードに捧ぐ」としてラジオ・シンフォニーにも楽譜が届いた。ところがエリアスベルクは楽譜を見て失望した。それには100から120人の楽団員が必要だったからである。だが、エリアスベルクは80人で演奏しようとした。軍の指導部に申し出て動員の楽団員を戻すよう請願。こうしてラジオ・シンフォニーの楽団員80人が結集した。

 8月9日、演奏会は開催された。ドイツ軍はレニングラードを占領して攻撃を開始。ヒトラーもコンサートに合わせてやってくると話した。その時の”TIME”の表紙はナチスと闘う兵士の格好をしたショスタコーヴィッチの肖像画だった。

 7月19日、アメリカのマンハッタンでも演奏され、メディアの反応も良かった。アメリカ全土で62回演奏された。第7番が嫌いなアメリカ人はいなかったそうだ。人々は勝利の物語と映った。これでルーズベルトはアメリカ大統領に4選し、スターリンはドイツに勝った。

 第7番は闘争、奴隷、魂と全体主義体制すべてを描いていた。ショスタコーヴィッチはスターリンだけでなく、ヒトラーも非難した。

 1942年5月9日、レニングラード・フィルハーモニアで第7番が演奏され、1500人の聴衆が聞き入った。その模様はドイツ軍の包囲網の中、ラジオと街角のスピーカでレニングラード全体に響くように流された。スピーカーは戦場のドイツ軍兵士にも流されていた。あの曲を聞いた時、レニングラードは絶対に倒せないと思った人もいたという。演奏曲は市民の包囲された心をほぐしてくれ、砲弾は会場に届かなかったそうだ。

 演奏後、指揮者エリアスベルクに花束を持った少女が近づく。自分が育てた花だった。花束の中には「レニングラードの音楽をお守りくださりありがとうございました」とのメモが入っていた。

 1944年1月、レニングラードは開放された。ラジオ・シンフォニーは今では戦争博物館となっている。先の少女のメモも展示してある。そしてそこには「演奏することは私たち演奏家にとっても救いだった。私たちは英雄ではなくて人間だった」とも書かれている。「ショスタコーヴィッチ交響曲第7番」には「音楽の力」があった……。
 
 この曲は聞いたことがあるのだろうか。動画で聞いてみよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月4日金曜日

「日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~」を見る

 新年も4日になり、一日一日が慌ただしく過ぎていく。4日になっても出していない人からの年賀状が届く。元日早々から今日まで朝一番の仕事は出していない人に書く年賀状。それも11時過ぎまでにポストに投函しないといけない。年賀状の来ない2日を除いて、新年早々からポスト通いだ。

 年賀状で気づいたことがある。1枚はタンゴを習い始めたという年賀状。そしてその小さい娘さんはクラシックバレエを習いだしたそうだ。本人も勉学かクラシックバレエに進むか、と悩んだ末にバレエを諦められた。いろんなことを習ってきたが、身体で表現するダンス類はやっていない。以前、別の人がやはり学問とクラシックバレエを天秤にかけて両方を続けながら、結果、市内でバレエ教室を開かれている。この人とある会合で会った時、大人のバレエに通いたくなったことがある。結局、やらず仕舞い。今でもバレエに限らず、何か身体表現をするものを習いたい気持ちがくすぶり続ける。尚、この勉学とクラシックバレエかで悩まれた2人は後で聞くと互いに知り合いだった。

 他にホームコンサートを開催されている人から年賀状をいただく。本来ならばこちらが先に出すべきだ。この春、家を建て替えられる予定が秋に延期となったとある。人からの誘いで出かけるようになったホームコンサート。楽器を習っているためか、いつの間にか誘ってくれた人よりもこの人にどっぷり浸かるようになった。

 今朝は姪の真ん中の子供から年賀状が届く。文面を見ると「これからも元気で長生きをしてください」とある。人から長生き云々を言われるようになったかと思わず苦笑する。中学1年生が老婆を見てそう感じるのも当然かもしれない。まだまだ元気はあると思ってもこれも独りよがり!?

 そして年賀状と言えば旅や勉強会などで知り合った人たちの子供さんの成長する姿がある。年々、大きくなっていく姿を見るのはまるで祖母の心境なのだろうか。自分にはそういう対象がいないので比べられない。みんな立派な大人になりそうでこれは楽しみ!

 話は変わって昨夕のNHKテレビは「日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~」を見る。番組HPを見ると次のように書いてある。

★篠田桃紅、105歳。書道家から出発して「墨の抽象画」という独自の境地を拓(ひら)き、世界的な評価を得てきた。生涯独身を貫き、今もアトリエ兼自宅で一人暮らしを続けながら、なお新しいものを生み出そうと格闘している。時に自問自答し、特に自虐や毒舌で笑わせながら、縦横無尽に語る篠田。「この年になると生き方の手本はない。自分で編み出さなくては」という篠田の日々を見つめ、驚異の言葉の数々に耳を傾ける。

 105歳の篠田桃紅。母が生きていれば103歳だから母よりも年上だ。昨年11月に開催された個展の模様やそれまでの映像が流れる。通いのお手伝いさんがいても独り住まいらしい。どういっても話す言葉に力がある。番組最後に桃紅という名前の由来を話す。桃紅は中国の書「詩格」にある「桃紅李白薔薇紫」から父親が引用してつけた名前だそうだ。「桃紅李白薔薇紫」とは桃紅さんによると「桃は紅(くれない)、李(すもも)は白、野バラは紫いろ」と花それぞれの色で咲く。だから人もそれぞれの生き方でいいという。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月3日木曜日

2019年初詣etc.

 新たな年、2019年が始まった。新年の恒例行事は広島駅北口から臨時に出ている神社の小型バスに乗って初詣。駅北口は近年様変わりして、バス乗り場も例年と異なる。駅から20分足らずバスに乗ると目指す神社に到着。まずは参拝して御神籤をひく。ここの御神籤は幸福御籤で今年は紅水晶だった。ローズクオーツとも言われ「真実の愛・心を癒す」とある。また福御神籤の運勢は吉だった。これには「見る人のこゝろこゝろにまかせおきて木末(こずえ)にすめる月のかげかな」とある。

 本堂を参拝の後、後ろに回ってさらにまた参拝してお神酒をいただく。またお茶もいただく。さらに進むと招福五福笹とさらに今年は「初神楽大御饌」をいただく。五福笹だけでもありがたい。それなのにさらにいただくとは……。それには「福」と丸い大きな印が記され、初神楽大御饌の中には御福寿米、昆布、するめ、御煎餅が入っていた。尚、招福五福笹とは「この笹は、五枚の葉がつくことから五福笹と呼ばれます。古来、縁起物です。五つの福を招き寄せる笹として、お正月に福の神より授かります。健体健心・福徳円満・福禄栄昌・縁結事成就・心願成就など、幸せを招き寄せる縁起物です。家族の皆さんがお集まりになる場所へ掲げて、新しい年も福をお受けください」とある。

 参拝後、境内の臨時の茶店で甘酒をいただく。昨日は暖かい日で甘酒を飲むとさらに体がぬくもる。帰りは臨時のバスで広島駅まで帰る。そして恒例の福屋駅前店で遅いお昼をいただく。入ったお店はさくら茶屋。家ではお正月らしいことはほとんどしない。ここで赤飯、抹茶そば わらび餅 ぜんざい 香の物と珈琲でささやかなお正月気分に浸る。

 その後は店内をうろうろする。地下に行ってお菓子所高木で初売りのセットを購入。袋に包まれた和菓子のセット。袋だけでも欲しくなる。

 年末見たのはSASUKE.。頑張る姿が美しい。これは思わず大声を出して見た。他にも年末から読む『坂の上の雲』に刺激されて、関連する動画を見る。昨日見た中にそのテーマ曲があった。この曲、迫力があっていい。短かい日数、大連に出かけただけでこれほどいろんなことに関心がいくとは我ながら驚き。今年一年も些細なことにも興味を持って過ごせたらもういうことはない。今年も動く!?

 ともあれ今年も元気で楽しく過ごしましょう!