2015年5月31日日曜日

美術家篠田桃紅を見る

雨も上がって晴れ渡った穏かな朝を迎える。家の近くであった演奏会。今日も開催される。両日とも聞く予定にしていた。ところが雨とカープのテレビ観戦で聞くのを断念。カープも勝った!ネットをにぎわす負のワルツも連勝となる。さて今日は?テレビの番組表を見ると「お好み焼きは広島風」と縦にあり、横はそれにまつわるカープ応援の番組案内。夜の番組ではスポーツ号外で黒田のプライベート映像もあるらしい。

さて昨夜の待ちに待った夜11時。眠いのを我慢してテレビにかじりつく。篠田桃紅102歳。初めてテレビで拝見。背筋はしっかり伸び、話す口調はどう見ても70代!?一人で生活し、通いのお手伝いさんが来るそうだ。きちんとした着物姿で階段もすいすいと上り下り。テレビクルーとのやり取りも半端な言葉では話さない。どの言葉も力がこもり、見るものを惹きつける。すべては102歳まで生きてきた人の言葉。話すどの言葉もそれだけで本になりそう。

テレビを見ていて最後頃に出てくる言葉。

「非現実で生きてきた」
「作品は存在している」
「現実から逃避している」
「人は真理に向き合わない。それは 怖いから」
「日々新しい自分でありたい」

何度も出てきた「非現実」。聞いていて現実逃避で生きてきた?と自問自答。桃紅流に言えば自分自身もそうかもしれない。

眠たさを我慢して見るテレビ。もう素晴らしいの一言。ヨボヨボした雰囲気が全くない。また一人、自分の理想とする人に出会った。元気満杯の充電。今日も楽しく!

最後に、さらさらと書いた百人一首の文字。抽象的な表現をする美術家もこのときは立ち姿でさらっとひらがなで文字を書く。素晴らしい文字。基礎があってはじめて抽象画も生きてくる。そう感じた文字だった。

2015年5月30日土曜日

今夜のEテレ

この投稿はブログ。今、カープを見ながらネットで今夜の番組を見る。なんと、マイブームの篠田桃紅の特集がある。楽しみ!

まるでツイッター感覚。カープ頑張れ!

柔能く剛を制す

昨夜の「こんなところに日本人」、スリランカ在住の日本人女性の話だった。このなかで女性は自らを「若布」と話す。のらりくらりと芯が通っていないようなさまで外海の浅いところに生えている「若布」。柔軟にその時々の気持ちを行動に移すさまを「若布」にたとえているのだろう。

飄々と生きてるようで実はこのような生き方は「若布」どころか「若竹」だ。まっすぐに我が道を歩む芯が通った人だ。表面が強く見えても心が弱い人はこういう生き方はできない。「柔能く剛を制す」。

思想・信条を人に押し付けず、自分の信じる道を歩む。素晴らしい女性だ。自分にはできない。だからテレビを見る人に感動を与えるのだろう。

昨夜のテレビによると2013年に世界で一番行きたい国はスリランカだそうだ。その年、スリランカに出かけた。テレビで見るスリランカの光景と違い、ツアー客は観光地を巡る。緑豊かな国、スリランカ。仏教徒の国である。

他にもBSでボースに嫁いだ中村俊子のテレビを見る。この俊子の話は『中村屋のボース』を読んでも覚えていない。ある画家との結婚が決まっていた。しかし、モデルとなった絵が出品され、それを見た親が結婚に反対。そしてボースと結婚。これはインド人とのお話。

スリランカとインド。久しぶり暑い国の熱いお話を知る。

熱いと言えば昨夜のカープは黒田で勝った!試合後の楽しみはネットでの試合結果。ファンの人たちの言いたい放題のネット。抑えが上手く行かず、結果的に逆転負けもある。それにファンは怒りをあらわす。5点のリードでも駄目なら、50点のリードが必要か、と。そして、カープはワルツを踊るのか、と。ワルツは3拍子のリズム。初日に勝って、翌日、その翌日は負けゲームならば、リズム感ではワルツとなる。勝ちゲームの時はこういった話題はない。「やったー、きたー、あ、あ、あ、あー」延々と続く喜びの声。これを見て一人で噴出す。そして一日が終わった気がする。

午前中は泳ぎに行き、夜はカープ。そしてその合間に見るテレビとタブレット。水泳中、声を掛けられる。スイミングキャップに気付いた人からだった。キャップにクラブ名のロゴが入っている。クラブに入っているのかと聞かれる。昔、入っていたと告げてもそれ以上深入りせず。

面倒な人、思想・信条を押し付ける人など煩わしい人に近づいてはいけない。すぐに誰とでも打ち解けるところがある。気を付けよう!そして、私も「若布」のように飄々として生きよう!

2015年5月29日金曜日

当たった!

朝早くドアホンが鳴る。誰?と思って出てみると宅急便だった。中を見ると身に覚えがない。表書きを見るとネットでの応募に当選したようだ。暇に任せて、地元紙のプレゼントに応募。今はネットでの応募OK。姉がホテルのディナー券に当選し、それ以降、メールで送信されるものは応募するようになった。クリック一つでの応募。音楽のチケットや今回のような食べ物の応募が多い。当選品は写真のとおり。広島特産のレモンの商品が7点入っていた。

さて今年の我家のレモン。早くもすでにレモンの敗北は免れない。蕾はこれまでの最高だった。ところが結実までには至らず、花は全滅状態。3月に業者に剪定してもらったことと、肥料の問題だろう。自然に任せて実がなるのを待っていてはいけない!ともあれ、今年の秋は数個のレモンだろう。今朝届いた当選品で今年のレモンの収穫は慰め!?

プレゼントも届いて気持ちいい朝になった。今日もいい日にしよう!頑張れ!
当たった品物

2015年5月28日木曜日

堀文子「一所不住・旅」展を見に行く

名のある建築家設計の建物が機能的だとはいいがたい。昨日の美術館でそう実感。以前直島へ出かけ、そこでもそう感じた。なんと同じ建築家だ。美術館内に入ると受付までの道がわからない。館内を歩いている人に聞くと、「わからなさでは全国でも有名な美術館ですから…」。無機質な空間にただ階段ばかりが目立つ。本来ならば、もっと褒めるべき建物かもしれない。しかし、これはいけん!ましてや経費節減とかで動くべき入口のエレベーターも停止されたまま。体の不自由な人は申し出るようにとの表示がある。停止のままならば、設置しなくてもいい!

神戸の美術館で一番感じたことだ。これと堀文子とは関係ないので、気を取り直してブログにアップ。館内に入るとなんという人の多さ。そして暗い雰囲気。これじゃ、絵を見るどころじゃない。何と言っても目が悪い。まずはコンタクトを装着、と思ってトイレを探す。ところが展示室内にない!これもびっくり。再度、入れてもらうように理由を話してコンタクトを入れに行く。

そこで、なんと驚くことしきり!向うから名前を呼ぶ人がいる。しかし、誰かが呼ぶ声とわかっても誰なのかわからない。そして自分を呼んでいるのかさえもはっきりしない。だが声をかけてくる人がいる。美術講座の人だった!広島市内でなく、神戸で知り合いに出会う。こういうこともある!?もしもコンタクトを入れに行かなければ出会わなかった?偶然は存在する!

堀文子の本を読んだり、テレビで見てこの人の生き方に感動。昨日も展示作品の横に書いてある文章。

テーマの[一所不住・旅]とは一つのところにとどまると 驚きや感動から遠ざかっていく・・その状態を恐れるので常に新しい状態に身を置くのだそうです。

知らない場所に出かけてそこで自分がどのように変化するのか知りたい、ようなことが書いてあった。そうか、それを求めて知らない国に旅行するのか。自分自身もそういうことで海外へ出かけるのか。特に日本とは異なる国、イスラム圏が好きなのはそうだったのか、と改めて気づかされる。

自分の思いを文章として、絵としてうまく表現するのが作家や画家の人たち。凡人はそれを読んで、あるいは見て気づかされる。これだけでも絵を見に行ってよかった!

展示品の中にみょうがときゅうりとなすびの夏野菜の絵がある。いま、日本画でこれに筍を加えた絵を描いている。同じ素材の絵なので、せめて絵葉書をと思って探す。しかし、その絵はがきの販売はなし。せっかく見に来たのだからと図録でなく、ほかの作品集を購入。3240円と図録よりも高い。

プレミアム展示室もせっかくだからと見学。何と言っても展示室が迷路のように広い。それも細かい部屋がいくつもある。この中でずっと監視する人たち。私だったらこの無機質な空間に長くいると気が変になりそう。

見終えると足は棒のようになる。外に出て喫茶を探すと、館内にカフェがあった。外から入って海を眺めながらティータイム。このカフェはヨーロッパ的な雰囲気があり、外にテーブルもある。カフェはフォルテシモ。名前もいい!アイスコーヒーとケーキのセットでしばらくティータイム。

真夏の暑さの中、朝早くから新神戸駅にむかう。行きの新幹線で新神戸駅下車後、市営地下鉄で三宮まで乗り、阪神電車で岩屋駅下車。ここから歩いて10分のところに美術館がある。帰りは美術館から歩いて岩屋駅に着いたと思った。ところが先ほど降りた駅とどう見ても違う。JRの灘駅だった。この駅から三宮まで乗車。阪神電車の地下3階の三宮駅よりもJRは路上を走る。地下鉄よりも移動手段としては帰りに乗ったJRが正解だった。JRはICOCAも利用可。

ともあれ、いつも利用しないモノにとっては不便この上ない地下鉄。緑のラインをまっすぐに行く…と教えてもらったとおりに歩く。だが、地下3階にいくまでがあまりにも遠すぎる。

無事、広島駅に到着。5日前、新幹線名店街が拡張オープンと知る。これを見逃すわけにはいかない。在来線乗換の前にまずは店内をうろうろする。広島土産尽くしの店内。カープグッズのお店、名産のレモン、もみじまんじゅう、日本酒などなど所狭しと並ぶ。

無いと言われるも広島から来た、と言って何とか1枚いただく
阪神地下鉄岩屋駅近くの歩道橋から見る美術館
おとなび利用で神戸まで安い旅をした。今のところ、暇と元気と経済的にもなんとかなっている。このうち、歳を取るにしたがって欠落していくのが早いのは元気だろう。その意味でも元気な今、機会を見てどんどん外へ出かけよう!昨日の携帯万歩計、12032歩。よく歩いた。まだまだ元気だ!
エントラスホール 

2015年5月27日水曜日

神戸へgo~

♪なのにあなたは京都へ行くの♪ではないけれど、なのに私は神戸に行くの?やっとこの日を迎える。最近、一人で新幹線に乗ることが少なくなった。習っている教室や所属する団体での遠出が多い。これでは一人行動ができなくなりそう。今回の神戸行きはよい機会となる!?

さて昨日のフルート。我ながらいい音がでる、とかってに自己満足。しかし、ナニゴトもやればやるほどこれでよい、ということはない。先生のアドバイスで吹くと今までとは違った曲の感じになる。きれいな音色で吹けるように頑張って練習しよう。レッスン後、最近、頭から離れないメロディーがある。それを先生にたずねるとモーツアルトの四重奏曲だった。この曲は以前、さらっている。これまでいろんな曲をさらった。最近感じたことがある。発表会で吹いたソロの曲だけでも自分のレパートリーにしたいということ。だが、親を介護したりして忙しくしていた数年分の楽譜が見つからない。昨夜、先生にそれをお願いする。

レッスン後の他の話題。次のつぎの人のレッスンまでしばらく先生と3人で雑談。ちょっとだけ口が滑ってしまった。だが、それも笑って聞いてもらってありがたい。自分で泳げる話など自慢すると、自慢でなく自信、と言われる。言われてみてはじめて、運動音痴が泳げるのはたしかにそうかもしれないと納得。

自信過剰はかわいくない。だからといって自信をなくしても生きてる価値がない。適度に自分を認めてはつらつとして過ごしたい。その意味でも今日は堀文子のヴァイタリティーをもらって帰ろう!

2015年5月26日火曜日

「生きて」を読んで

地元紙に掲載中の元プロ野球選手張本勲の「生きて」。涙なくして読めない。これを読んで自分のルーツ探しに興味が湧く。父は福山、母は今は建て替えてなくなった元あった家で育つ。母の父のお墓には出身地が刻まれている。島根県邑智郡だったと思う。今でも祖父母のお墓はとなりのいとこが守っている。はっきりしたことはお墓に行けば確認できる。遠い島根から広島へ出てからの生活。どんな気持ちで広島まで出てきたのだろう。母の兄弟姉妹は12人。町内でも子だくさんで有名だったらしい。祖父母が大柄だったからか、母の兄弟姉妹は皆背が高い。男性陣は鴨居を超えるほど昔の人にしては背が高い。だが、我が家は高くない。

そんな祖父母に一度もお目にかかっていない。何と言っても祖父は慶応2年(1866年)生まれ。生きていれば149歳。お目にかかっていなくても母が大事に写真を保管している。若い頃の着物姿の写真。昔の人にしては貴重な写真。今も大事にしている。

山陰へ行くたびに、ルーツ探しに行って見たい気がする。今は地名も変わり、ないかもしれない。山陰へのあこがれはこの辺りにあるのだろうか。どちらかというと都会よりも田舎が好き。しかし、住むとなると住めば都で今の家が最高!?

話は変わって、昨日のプール。平日の午後、プールの人出は多い。多すぎて背泳ぎでは危なくて泳げない。一往復のみ背泳ぎで泳ぐ。他はクロールで泳ぐ。プールへは行きも帰りも自転車に乗る。これだけでも40分。結構な運動になる。これからはプールの人出もますます増えそう。混雑を避けるため、午前中に泳ぐようにしよう。

水泳と言えば昨日、徹子の部屋に出ていた小山明子。この人も週1で泳いでいると話していた。これを聞いて親しみがわく。80歳になるという。絵も描いている。夫を亡くしても一人で頑張っている。

今日は夕方からフルートのレッスン。夜は交流戦のテレビ観戦。今日も一日楽しく!明日はいよいよ神戸へGO~。これも楽しみ!

2015年5月25日月曜日

次のSNSはTumblr

SNSとしてフェイスブックやツイッターなどがある。ところが数年前からタンブラーTumblrが出現したらしい。昨日初めてこのキーワードを知る。ツイッターはつぶやき。つぶやきは一人ぶつぶつ言うようなイメージがある。そこには負のイメージが。ところがタンブラーはそうでもないらしい。このいずれも利用したことがない。しかし、いつかは仲間に入りたい気持ちも強い。

さて、いつも見ている若者のツイッターとブログ。カープの話題がほとんどだ。試合の結果が良くないと若者はどう表現するのか興味が湧く。この若者は賢い。決してマイナスの言葉は吐かない。それよりもむしろメディアでカープを毎回取り上げてくれる解説者をほめる。これを見て、若者らしい視点にホッとする。

毎朝読む新聞。この頃は新聞の投書欄やちょっとした話題で涙が出ることがある。この涙、どんな点眼薬よりも効き目があるらしい。点眼薬には防腐剤が入っている。ところが涙にはそれは入っていない。目にとってはむしろ涙がいいそうだ。何かで読んで知る。

あふれる様々な情報。有名無名を問わず、これらを目にしては泣いたり笑ったりと忙しい。。

今日から10日あまり、家の前でガスの工事が始まる。一人民族大移動で狭い室内をうろうろする。掘削機の音がうるさすぎて移動しても効果がない。午前中に出かける予定だったプールもこの時刻。もう遅い。泳ぎは午後にしよう。

そういえば鼻水もウイルスを撃退するために流れるらしい。涙も鼻水も困ったものと思わず、自然に出るものと思って逆らわず。今日も元気で!

2015年5月24日日曜日

「自らに由る」

先日、篠田桃紅の本を購入。この中で「自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。」とある。「由る」を調べると「起因する」とある。

これを見て、「あ、そうか」と目からうろこ。普段何気なく使っている「自由」という言葉。文字からその意味を知ると奥が深い。そして、これは簡単なようであって簡単ではない。

昨日の日本画教室。この「自由」が当てはまる。下塗りしたパネルの上にカーボン紙を挟んでその上にトレースした絵を描いていく。先生からパネルに合う配置でトレースするように教わっている。ところが、パネルの下塗りが上手く出来上がっていないのか汚れが目立つ。その個所はたけのこで隠れると先生。そうか、と思って完全に隠すようにトレースをずらす。ところが、ところが…。自分なりに考えたことは大失敗。配置がずれたため、最初の思惑とかなり異なってしまった。

先生に見ていただくと、これも「怪我の功名」とか。ずれて空きすぎた空白にみょうがとナスを加えることにする。これは「自由」にした結果。すべては「自分に起因」する。

これまで絵を描くのはすべて先生におんぶにだっこだった。昨日初めて自分で考えてやったことがこの始末。それでも少しはやる気が出ているように思われるのか、先生にそういわれる。自分では結構その気でやっていてもどうも顔に出ないらしい。

来月開催される先生の絵の個展案内状。知っている人たちに配っている。それを見た人から、視力が良くないモノに向かって、「細かいところは得意でしょ?」と言われる。「どうして?」と尋ねる。目が悪いと近くで一生懸命見て描こうとするからそう思われたようだ。これを聞いてモノゴトがよくわかった人だと感心する。

今日はこれから絵のモチーフとするナスを買いに行こう。そして、午後はカープの試合のテレビ観戦。プールは明日にお預け。そういえばドクダミ草も絵のモチーフにすることになった。これでちょっとずつ絵を描く楽しみも増しそうだ。

2015年5月23日土曜日

第349回広響定演へGO~

昨日午前は美術講座を受講後、いったん家に帰って夕方から広響を聞きに行く。広響定演を聞いた後、バスで広島駅まで移動する。隣の席は見知らぬおっさん。携帯のワンセグでカープを見ていると、おっさんも画面をのぞき込む。1対1の同点。ところが駅まで行かぬうちにNHKの地デジの放送は終了。これがテレビだとサブチャンネルで試合終了まで見られる。おっさっん曰く「いいものがありますね」。

遅い帰宅後、再度ラジオで試合の模様を聞く。延長に入っている。中継ぎ投手の出番で、危なっかしい投球が続く。どうにかスリーアウト。10回裏、2アウトで菊池の出番。もう怖くてラジオも聞けない。パソコンで試合の模様を見ていると、赤い文字でホームラン!勝った!ラジオを付け直すとヒーローインタビュー。テレビで見たい、と思ったが途中からのサブチャンネルの見方がわからない。時刻は10時前、しばらくするとスポーツニュース。菊池のインタビュー。やっぱりカープが勝つと気分もいい。

今朝は夢で起こされる。久々に夢で母とご対面。会話を交わすも何か空々しい感じの母。今朝は2度寝。その間に夢を見ていた。夢でも何でもいい。会えさえすれば…。

起き掛けに見るタブレット。少し触っただけで画面がフリーズ。どうにもこうにもならない。携帯でドコモに電話。ちょうど午前9時で仕事の開始時刻。すぐに応対してくれる。パソコンのフリーズと同じく、強制終了で電源を15秒抑えるようにとのこと。画面が消えて、再起動する。夢の続きは朝から悪夢と思ってしまう。タブレットの強制終了、これも覚えた。この頃はどうしてこうなるのか、原因を聞く。こうして偉くなる。

第349回広響。昨日の演奏テーマは「大いなる音楽は世界を結ぶ。指揮者に大植英次、ヴァイオリニストにリチャード・ヨンジェ・オニールを迎えての演奏会。豪華なゲストである。演奏曲目は以下の通り。

♪ベートーベン 交響曲第一番ハ長調 OP.21
♪ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」 OP.16

2曲目のオニールの演奏。自由自在に体を操っての素晴らしい演奏。初めて聞く曲だった。この人のソロのヴァイオリン演奏をアンコールで期待する。だが、長い演奏時間だったためかアンコールは無し。残念!

今日はお昼から日本画教室へ。先日、みょうがが上手く描けないと思い、家で色鉛筆で描いてみる。日本画の何もわかっていない。それなのに、ついつい「日本画」に関する本を買う。しかし、絵、それ自体の素養がない。この頃それに気づき、色鉛筆画や水彩画の本を読む。ともあれ、今日もカープの試合がある。日本画を描きながらカープの試合も気になりそう。今日も一日頑張れ!

2015年5月22日金曜日

『知的生活習慣』

たかが野球、されど野球。昨秋、新聞に入っていたフリーペーパー、カープタイムズ。この表紙を飾った「ど、どーば」を見てカープを再認識。今やカープ女子ならぬCarpおばさんに。そこから派生して見るカープファンのツイッターとブログ。一昨日の試合後のツイッターとブログのアップがない。おかしい、と思っていたら熱が出たらしい。この人は一般の人。数あるTwitterとブログ。その中でいつも興味を持って見ている。若者らしい視点で毎日カープを追いかける。その人のツイッターに出る「ど、どーば」、堂林選手のファンだろう。

「パン一で夕ご飯」とある。パン一個の夕ご飯と思っていた。なんと昨夜のツイッターで高熱の話がでる。どうもパンツだけの格好で夕ご飯…の意のようだ。この格好で風邪を引いたのか熱が出たらしい。若者のツイッターを見てもわからないことが多い。シーズン開幕前の今年入団選手のツイッター。ファンが「おじぱん」をどうのこうのとツイートしている。この意味が解らず、ジーパンの丁寧語がこうなると思っていた。ところがどっこい、パンダのぬいぐるみのブランド名のようだ。

毎日、暇に任せて若者のツイッターとブログをのぞき見する。変な趣味と言われそう。それでも何も関心を示さず、ぼけっーと過ごすよりも何かに夢中になるほうが楽しい。今日はこれから西条へ。美術講座を受講する。そして夕方からは広響の定演がある。忙しい一日が始まる。今夜の野球は黒田登板。頑張れカープ!以下は先日読んだ本の抜粋。

『知的生活習慣』(外山滋比古 ちくま新書、2015年)

本の裏表紙「無知であることを自覚して営む日々の暮らしこそ、知的生活である。年をとって忘れっぽくなるのを嘆くことはない。むしろ日々これ新しく前進する、と考えよう。老年恐れるに足らず、との心境に至れば、人生は明るく楽しいものになる──そう考えるのが外山流の知的生活。さまざまな日常の局面におけるちょっとした工夫を習慣化することで老若男女を問わず誰でも日々向上することができる。九十歳を超えた今も知的創造続ける知の巨人による、『思考の整理学』に地上生活実践編。」

※病気になったときも、へたにクスリを飲んだりするより、静かにあたたかく横になっている方が回復につながることも少なくない。病気になりそうだと思ったら、とにかく寝ること、横になることである。風邪気味の時、風邪グスリで治らないことがすくなくないが、熱い風呂に入って、さめないうちにベッドに入って休む。眠れれば、最高だが、ただ、横になっているだけで、風邪気の抜けることが多い。横になるのはそれくらいいいのである。117p

※大昔のギリシャには逍遥学派といわれた哲学者がいたはずだ。それにあやかり散歩中にものを考えることを始めた。…机の上ではまとまらなかったことが、近所をひとまわり、ふたまわりしてくると、スラスラと解決することがあって、散歩の信者になったのである。119-120p

※歩くのはただ脚を動かしているだけではない。それによって、頭のはたらきもよくなる。脚力によって生まれる知恵がある。そう信じて、せっせと散歩するのである。130p

※コンピュータ社会では、知識と生活についてこれまでのようなことは許されなくなるはずである。人間は生活があるから人間なのであって、知識がいくらあっても、生活のない人は価値が小さいのである。…知識そのものは無力で、生活の中で、仕事の中で、使用した時にはじめて力を出す。生活の乏しい知識人間は、知識のもちぐされになる恐れがある。生活あってこその知識であるが、長い間、学校教育を受けていると、知識のための知識になることが少なくない。179p

※自分の生活を知的にする。さらに、知と生活の融合をさせられれば、人間としての価値は大きく高まる。…知識の生活の手を結ばせることができれば、これまでの生き方と違った人生が可能になる。知的生活習慣の確率はその具体である。184p

※自然科学の学者が散文を書くということを最初に示したのは寺田寅彦であった。そのエッセイは散文が美しくありうるということを示した。散文にとってエッセイというジャンルが適していることを実際に示したのも寺田寅彦で、その流れを汲んでいると思われる科学者のエッセイが広く読まれるようになった。…日本語の非創作散文は随筆と呼ばれてきた。寺田寅彦の文章も、戦前は随筆と呼ばれていた。戦後、知的散文が意識されるようになって、エッセイという呼び方が広まった。随筆がいくらか文芸的であるなら、エッセイは知的である。これがにわかに発達しないのは、散文の難しさによる。206p

※散文に自信をもてる日本人はすくなくなるが、散文が難しいものであることははっきりする。知的であることは散文的であることと近い、ということを認めるのが、思考力のある知性かもしれない。208p

※ちょっとしたことで、自分の知らない自分のあることを知ると、生活は変化し始める。多少、物知りのつもりでいたのに、自らについてはまったく無知である、というのは、かなり大きな発見である。あまり愉快でない発見だが、新しいものを生み出すエネルギーを秘めているようだ。それに気づくのが知の始まりで、その日々が知的生活ということになる。227-228p

2015年5月21日木曜日

『嫌われる勇気』

今朝の地元紙の投書欄。読んでいて同じ気持ちになる。「子どもロコモ」の投稿。子どものころはこのキーワードはなかった。初めてこれを知ったのは母を介護中だった。テレビで偉い人が「ロコモティブシンドローム」(運動器症候群)と話した。運動しないと体のあちこちの機能が衰えるという。当時、週に2度、理学療法士に家に来てもらって母は訪問リハビリを受けていた。知ったキーワードを理学療法士に話すと知らない様子。それもそのはず、テレビで話した先生が最初だったらしく、それ以降、この言葉は広がる。まだそれほど遠い昔のことではない。

話は戻って、投書の人も書いている「鈍い」、の表現。同じく子どものころから「鈍い」と思って育った。つけられたあだ名もそれに似たような感じだった。それをブログのタイトルにしようとした。姪に話すとそれはおかしい、とのこと。今のタイトルで落ち着く。投稿した人は今はグラウンドゴルフをしているそうだ。だが、「鈍い」らしい。しかし、鈍いなりにも「大人ロコモ」にならないようにと気を付けているのだろう。

数歳上の人の投書。鈍くても運動をされている。同じく「鈍い」ものから言わせると、運動を続けることはかなりの気力と体力を必要とする。できる人からすると何もないことかもしれないが…。

先日借りて読んだアドラ―の心理学の本。本のタイトルは『嫌われる勇気』。これによると子供のころ運動ができない、「鈍い」と感じた劣等感。これは「他者との比較から生まれた、主観的な劣等感」だそうだ。それは「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」らしい。人が自分のことを「鈍い」と思ってるのでなく、自分自身だけがそう思っていたとは…。「われわれが歩くのは誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある」、と。

若い頃、いつも人からの視線を気にしていた。アドラーの心理学は「自らの生について、あなたにできるのは『自分にできる最善の道を選ぶこと』、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。」、「自由とは、他者から嫌われることである。」と。そしてアドラーは言う。「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。」。他者から認められることだけで生きると、他者の望み通りの人生を歩まざるを得ない。それは自由がない。

他にもアドラーは言う。「『いま、ここ』に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。」。アドラーの言うように、鈍かった過去を振り向かず、「いま、ここ」を真剣に生きていたらいいのだろう。

2015年5月20日水曜日

♪Tchaikovsky 交響曲第4番第2楽章♪

今年の広響は凄い!何が凄いのか、と聞かれればゲストの演奏者。昨日、8月5日に開催される「平和の夕べ」コンサートの詳細が届く。ゲストはマルタ・アルゲリッチ。価格を見ると8月11日の東京サントリーホールはS席15000円~8000円までとある。これが広島では広響の会員だと、特別料金なしで聞くことができる。テレビでしか見たことがないアルゲリッチ。演奏を聞けると思うと本当に嬉しい!

さて昨日のこと。フルートのレッスン前に合唱の人が出品する絵画展に出かける。この会の絵画展を見るのは今回で2度目。描くテーマが似ているためか、見ていても関心が湧く。昨年、入会を勧められた。しかし、日本画と水彩画の両方を習うのは大変。とはいっても日本画には水彩画も色鉛筆画もパステル画も…と、いろんなことが含まれる。その意味でも日本画だけにしてよかったのかもしれない。

絵画展を見終えるとフルートのレッスンへ。チャイコフスキーの交響曲第6番第1楽章を終えて、次は交響曲第4番第2楽章をさらう。1か月前からあることに気づき、いい音が出るようになった。昨日のレッスンでも先生にこの件についてお話しする。ここまでにはフルートの持ち方、立ち方、息の仕方など数えきれないほどいろんなことを教わっている。昨日のレッスンでも「どうしてこのやり方がわかった?」と先生から聞かれる。吹いていて時々いい音が出ていた。しかし、その音がいつも出るわけではなかった。これがいつもできれば発表会でもいい演奏ができる。そう思った。どう吹けばそう吹けるか先生にそれを表現できなかった。先日、レッスン前にとっさに口に出した言葉。これがなんと先生がいつも言われる「喉をあける」ことだった。

どうにか自分なりにフルートを吹けるようになった。これからの練習も楽しみが増してきそう。頑張れ、フルート!そして、カープも頑張れ!

2015年5月19日火曜日

球宴ファン投票始まる

球宴のファン投票が始まった。このファン投票、生まれて一度だけ経験している。時は昭和40年代後半。初めて会社に勤めたころ、張〇勲が全盛時代だった。その人は広島出身。関係ある人だろうか、1枚の葉書を渡される。それに選手の名前を書いた。そのことを覚えている。覚えているのも当然。野球に全く関心がなく、これがファン投票かと。組織票というのだろう。

時代も変わりファン投票もネットなどへと変化する。ネットで見る名も知らぬ若者のツイッター。東京在住の若者、さっそくツイッターで投票済みをアップ。この若者のツイッター、好みの選手が一致する。男性であっても今風のさっぱり系の選手が好みらしい。

さて昨日。合唱へ行く。歌っていて後半になると眠気との格闘が始まる。歌いながら眠くなるとは我ながら不思議。睡眠時間は決して短くはない。それなのに、歌う歌に由るのか睡魔に襲われる始末。歌を歌うのも結構体力勝負。声を出すことは体にもいい。欠伸との格闘を終えるとお昼になる。

帰宅途中、近所の人に出会う。ガレージに座って何かしている。魚釣りに行く用意らしい。話をするとパソコン教室に3か所行っているという。なぜ3か所?と尋ねると機種が変わるたびに始めから習うらしい。今さら人に聴けないパソコンとか、いろいろなコースで習っているそうだ。パソコンに関しては偉そうには言えない。しかし、ある程度できればパソコンに触って覚えればと思うけどそうもいかないのだろうか。少々習っても進化の度合いの方が早い。追いつこうと思うほうが大変。それよりもパソコンでしたいことをすればそれでいい。これも人それぞれ?習うより慣れろ!?

昨夜は野球もなく、テレビもあまり見たくない。借りてきた本を手にすると対話形式になっている。こりゃ駄目じゃ、読まずに返却となるところをちょっとだけ読んでみる。中を見るとアドラーの心理学だった。読み始めるとすぐに読めた。後日、ブログにアップしよう。

今朝は降っていた雨も上がり、さわやかな5月。今日も1日頑張ろう!

2015年5月18日月曜日

お墓へGO~

朝食を済ませるとお墓に参る。その時、中学に通う女生徒と出くわす。途中まで一緒に歩き、話をすると中学2年生だった。1学年は70人で1年生は50人だそうだ。小学校から中学に上がる際、90人から70人に減少したという。この20人は地元でなく私学などに進学。このような現象は昔からのこと。私たちの時代は1学年300人。うち100人はよその学区に進学した。それにしても子どもの数が少ない!

「どのくらい歩く?」と聞くと学校まで自宅から30分以上かかるとか。それも行きは山道を登る。もともとは一番いいところに中学校もあった。それが、世の中の動きに触発されてか、山へ山へ…と向かって学校が建つ。地元の中学ばかりでなく大学も街中から消えた。そして今や子供の数の減少も甚だしい。道理で子どもの声もしないはずである。

朝からぼやいていても仕方がない。今朝の子供もそうだけど、どの子もちゃんと挨拶するし、かわいい。別れ際、「元気で!」と言ったけど、「かわいいね!」と言ってあげればよかった。少し心残り。ともあれ、学校の教えかどうか、どの子も道ですれ違うと挨拶はよくする。こういう子供はやっぱりかわいい!

朝早い行動は結構大変。それでも、世の中の人はこの時間すでに動いている。これから合唱へ行く。そのため、お墓参りは帰宅後に…と思った。しかし、ふと頭をよぎるものがある。決めたことはさっさとするように…。すぐにお墓へGO~。今日も一日元気を出して!

2015年5月17日日曜日

急きょ、プールへ

土曜日の午前中、急きょ、泳ぎに行く。行こうと決めてから数分も経っていない。いつもの水着を入れたナップサックに水分補給とドライヤーを持参する。ところがプールに到着すると飲料水がない。慌ててテーブルに置いたままにしていたようだ。プール到着時刻は10時43分。午前中はあと1時間ある。泳ぐ人は少なく、気持ちよくゆったりと泳ぐ。ただ一人、かなり高齢の女性がターンしてクロールで泳ぎ続ける。この人の邪魔にならないようにして2人で泳ぐ。

以前はクロールで続けて1キロ泳いでいた。ところが、この頃は背泳ぎとクロールを交互に泳ぐ。泳ぎを変えるため一度プールに立つ。それでもほぼ連続して泳ぐ。お昼も近づくとプール内の人も少なくなる。昨日は最後にプールを上がる。出ようとすると水着の人が現れる。「いまから泳がれるんですか?」と聞くと係りの人だった。お昼の休みを利用してプール内の点検らしい。時間があるので泳ぐようにと勧められる。だがひとりで泳ぐのも体裁が悪い。そういって昨日はプールを退散する。

帰宅後、お昼も食べずにスーパーへ。午後の予定が詰まっている。まずはテレビで野球観戦。その間、図書館から予約本が届いたとの知らせが入る。何でもすぐに済ませたい。とはいってもナニゴトも順番がある。図書館はこれから出かけることに…。

今日も午後はテレビで野球観戦。さて今日の試合は…。カープ某ピッチャーの今朝のツイッター。「晴天 勝つぞ!」。頑張れカープ!

2015年5月16日土曜日

アンサンブルを聞きに行く

国や企業の年金以外に、個人でかけた年金がある。昨日葉書が届く。公の機関などで生存している証明をもらって送付するようにとある。この個人年金、公的年金などと同じく2か月に一度振り込まれる。いつもならば本人が署名して送付すればOK。ところが今回は違っている。おかしいと思い、電話で確認。受け取る最終年には証明が必要らしい。何であれ、言われたとおりにするしかない。

郵便局で証明してもらうと、再度、個人年金をするようにとの話が出る。ここまで生きてきて、将来のことまで考えたくない。「もう年ですから…」と言って、この話を断る。受け取るほとんどは生活費というよりも遊ぶお金。遊ぶと言ってもいつの日か海外にも行けなくなるはず。海外ばかりか国内も。また国内でも日帰り旅も。そして今活動しているすべてのことはできなくなる。そう思うので、今、できることを最大限やろうとの気持ちが強い。小田実ではないが「何でも(見て)やってやろう!」。

昨夜、ある人からメールが届く。「〇子ちやん毎日活動してますね。私はあなたのようにフツトワークができません。情けないけどさー」。昨夜はフルートの先生のコンサートに出かける。帰宅後に遅れて返信メールをする。活動していてもまだまだやっていないことをメールの人はされている。そのことを書いて返信メール。できることをできる範囲でしましょう!メールありがとうございました!嬉しかったです。また勝手に引用してすみません。

さてコンサート。グル―プ名がアンサンブルと名の付く通り、昨夜の演奏曲はすべてアンサンブル曲。ピアノ、オーボエ、クラリネット、フルートそれに昨夜はファゴットが入る。演奏もすばらしいが、衣装も素晴らしい演奏会。最初の曲のトリオ ソナタ ホ短調のフルート。いい感じ。大半の曲は初めて聞く曲。素晴らしい演奏会だった。

演奏の合間にはカープが気になる。家に帰ってみるファンのツイッターとブログ。あの有名なアーチスト、〇室哲哉も「今日はカープ残念。 ユニフォームかわいいね、 今、持っている人がいたら 着たいね。( ^ ^ )/□」とツイートしている。球場で応援したらしい。それにしても一人のツイッターでどこまでも話題が広がる。何でも関心を示すことは楽しみも増す。それにしても昨夜はああ…。今日のデーゲーム、東京から新幹線車両を貸し切ってカープファンが球場に駆けつける。新幹線の車掌は何と高橋〇元投手。これらの情報もすべてツイッター。ツイッター、楽しそう。でもでしたいけどやれそうにない!

2015年5月15日金曜日

若鯉に学ぶ

人は誰も人から言われたくない弱点がある。そう思っているので人と話す際(突っ込みは鋭いけど)、そういうことは口にしないように心掛けている。それなのに、昨日は久しぶりというか何十年ぶりで嫌な気持ちを味わう。

カープの某投手。ツイッターで他の球団のファンから絡まれることがある。それに対してご丁寧にリツイート。これを知ったファンからそこまでしなくていいとの更なるリツイート。某投手は自分のツイッターを見て嫌な気持ちになることはしたくないと明言する。それゆえか、ネット上では某投手のことを「ぐう聖」と呼ぶ。

どんなことを言われてもある程度は免疫ができている。しかし、時に言われたくない言葉もある。

気を取り直してカープのテレビ観戦。昨夜は勝鯉。

若鯉たちも頑張っている。「そういうことでどうするん!?」、と親から言われそう。まだまだ人生これから。何を言われても聞き流すようにせんといけん!頑張れ!

昨日はハープのホームコンサートへ。そして、今夜はフルートの先生たちのコンサートに出かける。いいことも嫌なことも聞かねばならない両耳は忙しい!

昨日アップした動画の♪ノクターン♪。吹いてみるとすぐに吹けた。当分はさらっている曲と同じようにこれも吹くようにしよう。

2015年5月14日木曜日

定例会はビヤガーデンで

FMから流れる「ノクターン 嬰ハ短調 遺作」 ショパン作曲。聞き覚えがある曲、と思ってすぐにらじる&らじるで調べる。なんと一昨年発表会で吹いた曲だった。さらっている頃のブログに山形由美の動画をアップしているはず。そう思って再度、動画を検索。あった!

昨夜のフルート定例会。今年初めてビヤガーデンに行く。デパートの屋上のビヤガーデン。今月からの開店だそうだ。以前は隣が市民球場。今は球場も移転して静かなビヤガーデンに。飲んだビールはキリンのアイスビール。飲み頃はマイナス2度。美味しい!飲み干す頃には太陽も西に沈み始める。真っ赤な太陽。お見事という他にはない。

何と言っても3人はフルートをならって20年あまりになる。何を言っても許してもらえそう。ついつい口も滑ってしまう。うまく吹けるようになった、発表会は乞うご期待、と言ってしまった。この頃はフルートも以前よりも思うように吹いている。この勢いでさきほどの♪ノクターン♪を吹いてみよう。

今朝の地元紙に黒田とマエケン両投手のポスターが入っている。これは、捨てるにはもったいない。部屋に貼ることにしよう。その黒田投手、定例会に行く前に『決めて断つ』を読む。読んでいると涙は出るし鼻水は出るしでもう大変。黒田が日本で活躍していたことやその人の名前さえも知らずにいた。それなのに今やのぼせてしまって…。それにしても素晴らしい人。そして本の隅々まで「広島が好き」が溢れている。広島市民はともかくカープを愛する人たちはこの本、涙なくして読めないだろう。

興奮冷めやらぬうちに出かけた定例会。その前に県立美術館の絵画展を見る。やっぱり礒江の絵にはどの絵もかなわない。当分この気持ちを引きずりそう。

ともあれ、いろんな人と話したり、食べたり、飲んだり、笑ったり、泣いたり、絵を見たり、本を読んだり、泳いだり、そのほかにもフルートを吹いたり、絵を描いたりといろいろ毎日することがある。

とりわけ、カープ関連のツイッターやブログ、これは若者たちから若さを吸収。堂林、誠也を応援する関東在住の無名の若者のツイッターとブログ。どのユニを着て応援するか、若者らしいツイート。昨夜の若者のツイッターには「カープファンの皆さんを通じて、日々新たな発見や刺激を頂いてる。黄金期を知るおじ様おば様、同世代の仲間、最近ファンになった子たち。お話すると、それぞれ視点が違って面白い。応援する理由は様々あれど、そこに共通するのは『みんなカープが大好き』 全ての出会いに感謝(^∧^)Thanks!」とある。頑張れカープ!

それにしても今朝はやけに雷が鳴り響く。大きなことにならなければいいが…。大雨になってきた!

2015年5月13日水曜日

いろんな人と…

会社に勤めていた時の人が羽咋市に住んでいる。名古屋から娘さんの嫁ぎ先であるその町にいるそうだ。携帯にかかる久々の電話の声。相変わらずお元気そう。話の内容は年金のお話。4歳下だけど今年から年金が大幅に減ったという。それを聞かれる。聞かれても特別な変化がないモノにとってはわからない。話は年金から会社員時代にさかのぼる。またもや同僚が亡くなっている。まだ若い。仕事を辞めてもうすぐ13年になる。この間何人の同僚が亡くなったことだろう。企業戦士として働き、ほとんど年金も受け取らず亡くなる。何と理不尽なことか。

夕方からはデパート内で開催中の某絵本作家の個展を見る。先日の磯江毅の絵を見て以来、どの人の絵もつまらなく見える。当分これは続きそう。絵を見た後はフルートのレッスンへ。雨も降っている。早めにレッスン会場へ向かう。その前に、絵の道具を購入。膠とFIXというスプレー缶。絵を習い始めて以来、すべての道具を先生に依頼して手にする。そのため次を買う際も同じものに限る。ところがお店の人は違うものをくれようとする。

先日もパステルを自分で買うとオイルパステルだった。まさかパステルにも色々とあることを知らず、この購入は失敗。それがあるので今回は慎重に同じものを要求。たぶん大丈夫だろう。

さてフルート。いい音が出だした。今年の発表会はきっとうまく吹けるはず、と自分に言い聞かせて…。これも自己満足でいい!ついついレッスンでも先生にそう言ってしまう。ちょっとした吹き方のコツをつかめば楽に吹ける。どうして今までできなかったのかが不思議。これも長く習っているからわかったこと。ナニゴトも20年続ければなんとかなる、と話された先生がいる。そう思う。

いい音が出だすと次はさらにまたいい音を出す吹き方をさらう。昨日は長い音を出す吹き方。最後に自然なビブラートが入る感じで吹く。このやり方で吹くと音も滑らかな感じになる。さらには息も長く続く。

レッスン後、日も暮れかかる時刻、家路を急ぐ。反対の道から人の声がする。長く会っていなかった近所の人だった。2歳も若いのに歩き方が変。旦那さんと犬の散歩がてら本人も一緒に歩いているという。歩き始めてまだ2日目とか。家に閉じこもっていると足も悪くなる。そう言ってあげてもいいけどこれは言えない。

この夫妻には若い頃お世話になっている。最初の会社を辞めてルンペン(?)生活だった。その時、習い物で知り合う。一番不安を抱えていたころ、よく声をかけてもらった。そして車であちこち連れ出してもらった。その為もあって、旦那さんもよく知っている。「お母さんは?」と聞かれる。ということはもう数年会っていないことになる。その人も母親の介護で忙しそう。

今朝は昨年の旅で知り合った人からメールが入る。今からベルギーやフランスのモンサミッシェルへ出かけるそうだ。来週にはネットチャンネルで2週にわたり仕事ぶりが放映されるという。メールをくれた人は染色作家であり、画家でもある。日展にも当選された人。さてさてチャンネルテレビ。後で調べよう。

昨日から今朝にかけての3人に人たち。何も変化がない日々に入ってくるこうした人とのつながり。これも元気であればこそ。今は若いころと比べるとよく動いている。何も一人ではできず暇を持て余していた若い日々。今はいろんなことを一人でやっている。やっぱり今の方がいい。今日も楽しく!

2015年5月12日火曜日

♪仏の子供♪


仏の子供
 秋 田 洪 範  作曲
 沢   康 雄  作曲
 藤 井 清 水  編曲

1
われらは
仏の子供なり 
うれしいときも
かなしいときも
みおやのそでに
すがりなん

2
われらは
仏の子供なり 
おさなきときも
おいたるときも
みおやにかわらず
つかえなん
http://www.dataeast.jp/users/lumbini/gyouji/hotoke/hotoke.htm
合唱を終えて数人でお昼を食べる。話を聞いていると同窓会に数珠とお参り袋を持参すると話される。この2つを何故同窓会に持参…と耳を疑う。よく聞くと、原爆投下前まで、私学の小学校に通われていたそうだ。通学中もこの2つを持って行ったとか。原爆により学校は消滅。それほど年齢差はなくてもこういう話を聞くのは初めてのこと。驚くことが多い。原爆は人々に色々なことをもたらしている。この記憶を将来の子供たちに出向いて話している、とその人から聞く。

原爆投下前と投下後の人々の生活。それは戦前と戦後の生まれの違いにもある。いくらお話を聞いても他人ごとの感じ。この話を聞いてお寺の幼稚園で覚えた「我らは仏の子供なり 哀しい時も嬉しい時も…」の歌を思い出す。「ご存じ?」と尋ねると知っておられない。この歌はお寺の仏教賛歌と思っていた。仏画も習っておられるので知っておられると思って聞く。ところがネットで調べると♪仏の子供♪という歌だった。

当時の園児服はお寺の名から一文字「光」をあしらった白いエプロン姿。子どものころに覚えた歌もこの2か所の歌詞だけ知っていた。

ともあれ、合唱を終えて聞く、こういったお話。一口に歌といってもいろんなことを孕んでいる。それにしても同窓会。自慢じゃないが一度も出席したことがない。小・中・高と身近なところに通っていた。このことにもよるのか、行こうという気が起らない。それでも先日のように同窓会ではないけれども半世紀ぶり、いやそれ以上であっても会いたい人もいる。会えば会ったで懐かしいし、また楽しい!

2015年5月11日月曜日

「みみず出ずる」

旧暦のカレンダーをひさしぶりに眺める。今日は「みみず出ずる」とある。みみずの季語は夏。今朝は何ともいえない爽やかな初夏の気候。気持ち良い一日が始まる。この気持ちよさ、気候のせいばかりではなさそう。カープの6連勝にもよる!?先日のジョンソン投手。ヒーローインタヴューで「レンショウシマショウ」と日本語で話す。誰にこの日本語を習ったのか、その通りの6連勝。

野球の試合が始まるまでに、と出かけた昨日のプール。日曜日の11時。人の姿も正午が近づくにつれて減っていく。この時間帯が泳ぐにはちょうどいい。ああじゃこうじゃ、と采配するおっさんの姿も見えない。のんびり泳ぐ。泳いだはいいが、その後がいけない。鼻水が止まらない。もうちょっと体を休ませればいいものを無理を押して泳ぎに行く。これじゃ、本末転倒。体に悪い!

今朝はこれから合唱へGO~。元気を出そう!

2015年5月10日日曜日

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

鳥の子紙を貼った木製パネルに下地を塗ること2回。グリーン系統の色に方解沫を混ぜて膠で溶く。次にパステル画で完成させた絵の通りの地色を塗る。これは地色に近い色と胡粉を混ぜて膠で溶く。同じ背景色にならず、もっと近い色を混ぜて再度、地色を塗る。これだけの作業で昨日の教室を終える。

自分自身、何をしているのかわかっていない。これに気付いて先生に尋ねる始末。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」のことわざ通り、知らないことは恥ずかしい。それよりも恥を忍んでわからないことを聞くほうが後々のためになる。先生もよほど可笑しいと思われたのか、「自分で口に出しながら作業を進めれば…」と言われる始末。こうなるとまるで実況放送?知らない人が見ているとついに頭が変になった、と思われそう。それよりも、もう思われているかもしれない。

この下地を塗る、は結構な作業。右の中指は水干絵具を滑らかにしたり膠で混ぜたりと作業の手になる。これはお風呂に入っても取れない。ついつい百号の絵を描く人は別のやり方があるのかと思ってしまう。すり鉢状のもので絵具をするらしい。いずれにしてもモノを習うということは大変。とはいっても徐々にわかってくると楽しみも大きい。

ついつい手を動かしながら用がない口も動いてしまう。2,3週間前、長く習っていたフルートの音出しでやっと気づいたことがある。そのことをフルートの先生に話す。何と先生からこれを習い始めから教えていた、と聞かされる。目からうろこ。

何でもわからないことは口に出して聞くこと。そう思った。昨日の日本画教室。疑問をぶっつけて気持ちもすっきりする。おまけにカープも5連勝。これも気持ちいい!さてさて今日はどんな日?これから泳ぎに行こう!今日も元気を出して!

2015年5月9日土曜日

磯江毅の図録から

今朝は雨。それにしても今年の春はよく雨が降る。狭い庭の横には水路が流れている。子どものころはセリも生えていた。この頃、我が物顔で陣取るのはドクダミ草。この水路、悪いことばかりではなさそう。わが家の狭い庭の植木。この水路の恩恵を被るのかほとんど水をまかなくてもいい。おかげでレモンも育つ。

今年になって、日本海側に3回出掛けた。1度目は水仙を見に浜田あたりへ。2度目は米子、そして3度目は先日の角島。山陰へ出かけてあることに気付く。これは独りよがりかもしれない。それは山陰地方は出雲そばに代表されるようにそば文化だということ。広島にいるとそばといえばお好み焼きや焼きそばなどにいれる中華めんを指す。茶色い日本のそばを食べる機会は年越しそばくらいであまりない。それよりも外で麺類をいただくときは熱いうどん。山陰よりもうどん県の讃岐の影響を広島は受けているのだろうか。ふと、そう感じる。

そのためか米子でいただくそばも友だちはざるそば。冷たいものはビールを除いてあまり口にしない。どうしても温いそばになる。友だちはこれを見て不思議そうな顔に…。

そういえばいつも見ている人のブログにもそばを食すお話が多い。狭い日本といっても文化の違いは大きい。うどん文化とそば文化、これも地方色のあらわれ!?

さて昨日の美術講座。講座の内容はともかく、折よく、礒江毅の図録を購入された人がいる。その人から図録を借用。収録されている絵は美術館で実物を見ている。それよりも磯江の文に惹かれる。「真の写実を求めて」と題された文章。絵を見る目は確かでない。しかし、抽象画はちんぷんかんぷんで写実画は善し悪しが如実に絵に現れる。

今日は午後から日本画教室へ出かける。先生の絵も写実的。絵を習い始めてから常にいわれることはしっかりモノを見るように、とのことば。

絵の展覧会に出かけても、気をてらったかのような絵が多い。全くその良さがわからない。あるドイツ文学者が文化勲章をもらった画家の絵をまるで塗り絵のようだと書いていた。自分なりに誰だろう、と推測。これもある人には塗り絵、またある人には文化勲章に値する、と思われるほどの違いがある。これはどちらに軍配が上がるのかわからない。しかし、ドイツ文学者の文章が好きなのでその人の言わんとするところもわかる気がする。

ともあれ、いろんな絵がある。自分が好きであればそれが素晴らしい絵。そう思って今日の日本画、頑張ろう!

ここに付け加えて「大きな可能性を秘めるからこそ、あえて突き放す」。今朝の地元紙のスポーツ欄。悲哀を味わって這い上がってきた昨日の勝利投手。まだ若い。首脳陣の言葉がいつも厳しいと思って読んでいた。ところがそうではなく、記者の文で気づかされる。習っている先生から厳しく言われることがある。顔では何気なく笑っていても結構、心は痛むもの。今朝のこの文でそうか、と思ったり…。

2015年5月8日金曜日

スペイン・リアリズム絵画の異才 磯江毅展を見に行く

昨日は急きょ、予定通り磯江毅展に出かける。先日来から、絵画展の案内を2通受け取っている。いずれも5日からの開催。ふと気づく。来週に行くと終わっている、と。この頃、違う展覧会に出かけるときはうまい人の絵を後で見るようにしている。そうしないと、絵がまずくて見られたものでなくなることがある。

某グループ展をみた後、隣の部屋で開催中の日本画展、そして3階の磯江毅展を見る。おまけに2階も見学。ところが礒江毅にエネルギーを吸い取られて2階はさーっと見た感じ。

何はともあれ磯江毅の絵。名前は今回の展覧会で知った。色々と絵を見る機会も増えてきた。しかし、この人の絵ほど素晴らしい絵はない!人の手の甲の浮き上がった血管。まるで本物に見える。リアリズムの異才、確かにそう。どうやって描くのだろう、と近づいてみる。

日本画の先生はしっかり見て描くように話される。しかし、礒江のものを見る見方は尺度があればどのくらいになるのだろう。ふと思ってしまった。モノの見方、感じ方。素晴らしい!磯江について下記のURLを探した。ここに記そう。
http://www.esjapon.com/ja/exposicion-de-tsuyoshi-isoe-7082

以前、美術の講座で習ったヴァニタス。「人生のむなしさを表す寓意画」とパンフにある。磯江は53歳という若さで亡くなる。ガンであった。そのためか、礒江はこのヴァニタスに強く惹かれ、万物がのがれることのできない「死」という運命を「自らの問題意識」として描き続けたともパンフに書いてある。そして「内なる生命」のキーワードも会場で目にする。

この「内なる…」という言葉。あるとき、イギリス文学が専門の先生から課題が出される。テーマは「内なる私」。今でもこのキーワード、よくわからない。何を問題にしてレポートを書けばいいのかわからず、本や昨日のようにこの言葉が出てくると当時を思い出す。

ヴァニタスもそうだけど、何気なく受講している美術講座。これもヴァニタスのように磯江の絵とも結びつく。今朝はこれからその美術講座を受講するために西条へGO~。そう思うと今朝の講座は本当に楽しみ。今日もいい日にしよう!

2015年5月7日木曜日

GW、終わる

GWも終わった。今朝は小・中学校へ通う生徒たちの元気な声が聞こえる、いつもの朝に戻る。

昨日、カープ戦をテレビ観戦していると図書館から予約確保のメールが入る。今日は休みと思い、相手打線が戦う間、自転車で図書館へ。借りたのは外山滋比古の新書。今朝から読み始める。

今日は雨。もう少しすると雨も上がるかもしれない。本来ならば泳ぎに行く日。しかし、今日は泳ぎは中止。狭いバス車内での長い移動時間。少々お疲れ気味。というか風邪気味。ここは無理は禁物。泳ぎは我慢、我慢!磯江毅の絵も見に行く予定にしていた。これも来週に引き延そう。

いろんな人の本を読んで影響を受ける。読む本はエッセイ。フィクションはナニゴトもあまり好きでない。そのため映画も好きでない。出かける場所も国内であれ、海外であれ、あまり人の手が加わっていない自然がいい。昨日、姪はそんな国、ミャンマーから無事帰国とのメールをくれる。ただ、ミャンマーはすべての寺院を裸足で観光する。スリランカもそうだった。だが、スリランカは靴下をはいても良かった。ところがミャンマーはNO。姪は足の裏が熱くて大変だったようだ。

小さい頃、運動会は裸足だった。ほとんど運動をしていなくても運動会には参加。足洗い場もあった。いつのころからか、運動するときも裸足ではなくなる。姪の時代もそうかもしれない。

それでもメールには「バガンの遺跡も雰囲気ものんびりできてよかった。食べ物も自給自足で余計なモノもない。本来こんな生活でいいんだと思う。痩せもせず太りもせず、裸足健康法で元気に帰ってきた。鼻緒が痛くて草履が履けん。足が弱いわ。偏平足よ。」と感想を書いている。勝手にアップしてごめん!

行く前に「裸足」を知らせればよかったのに、こういうことで困るとは逆にびっくり。

ミャンマーの観光は寺院を観光する度に靴を脱いだり履いたりする。そのため観光にはゴム草履持参とある。その鼻緒が姪は痛かったのだろう。可哀想に。

戦後を生き抜いてきた!と大げさには言えない。でもやっぱり、今ほど恵まれた時代はない。そう思うと人の体も長生きはしても丈夫さは失われる!?たまには原点に戻った生活をするのもいいのかもしれない。それは旅で!?なかなかできそうにないけど…。

2015年5月6日水曜日

角島へGO~

日本海に面した角島に出かけた。GWの真っ最中、混雑を予想しながらのバスの旅。案の定、半端でない混雑だった。出かける前から岩国での高速道路不通のニュース。GWは街中ではフラワーフェスティバルとカープの試合が重なる。外へ目を向けても世の中の動きはどこも同じく車の列。

それにしてもスケジュール表はあってもないのと同じ。何と家に着いたのは午後11時前。その間、お昼の食事は2時半。夜はパーキングエリアで途中休憩の際、サンドイッチ購入。遅い夕食は体に悪い。そう思って車内で食べるサンドイッチ。ご飯系が食べたかった。しかし、時すでに遅い時刻。お店には何もない。

紺碧の日本海、まさにそう。良く晴れた最良のお天気に恵まれてバスは角島へ。先日米子でも見た日本海。遥か彼方の水平線。瀬戸内海では見られない。海の色もエメラルドグリーン。車の渋滞で角島大橋もゆっくりの走行で絶景の海上ドライブ日和。おかげで車窓からの眺めもゆったり。シャッターチャンスもちょうどいい。

宇部市小野にある茶畑。車がどこを走っているのかさえ知らず、宇部がお茶の産地とも知らないありさま。東京ドームが80個入るほどの広さの茶畑だそうだ。日没前の午後7時過ぎ、なんとか広大な茶畑に立つ。観光茶畑では茶摘みも体験。思ったほどの楽しさはない。それよりも茶畑の広大な自然がいい!

混雑したGWの1日。狭い空間を飛び出して広々とした場所へ出かける。混雑はどこも同じ。ただ、紺碧の日本海と青い空を眺めながらの車の走行。そして緑の茶畑と千畳敷に佇む。これは素晴らしい!ついでにカープも勝って最高の日となった。さて今日は!?

角島灯台案内板



千畳敷にある風車

千畳敷菅無田園から眺める日本海

南原寺に咲く黄色いエビネ蘭

宇部市にある小野茶園の茶畑(環境客体験茶畑)
角島から眺める日本海

宇部市小野の茶畑。畑には霜よけ用の風車(?)がまわる
 

次の観光場所へ移動中、渋滞する角島大橋車内から眺める日本海

2015年5月4日月曜日

レモンの花

庭に咲くレモンの白い花
今年のレモン、いくつ実をつけるのだろう。雨上がりの狭い庭にレモンの白い花が咲き始める。ところがあいにくの雨。せっかくの花びらも雨で…。それでも蕾は200個くらいありそう。沢山実ればいいね。

レモンにはリン酸カリウム。そう聞いてからは庭に肥料をまく。これもほかの花には害になるのか。チューリップ、水仙は葉っぱばかりが大きくなって一つの花も咲かせない。ネットで検索すると、リンはよくないそうだ。狭い庭に何もかも…は結構大変。葉っぱを大きくして球根も大きくすることに。

先ほどまで2時間テレビにくぎ付け。ほとんどテレビを見ないモノが、朝からテレビ。「カープ名投手選」で、黒田、前田両投手をメインにした番組。NHKの全国放送のローカル再放送だろうか。前半は黒田の広島復帰まで、後半は前田健太。それにしても何度見ても素晴らしい。みるたび、目から涙が…。

昨夜も午後9時のNHKスペシャルを見る。里山で暮らす夫婦の物語。目も耳も不自由な人との生活。いろんな生き方がある、と考えさせられる。それにしてもたとえ目が不自由でもガスを使って料理をされる。ガスのぬくもりを手や肌で感じて作る料理。素晴らしいの一言。視力の悪さを嘆いてはいけない!?

昨日は一日中雨。今朝もまだすっきりしないお天気。家にいてはいけないと思い、徒歩で隣町の本屋まで行く。このごろ本は図書館で借りている。ところが、今回発売された篠田桃紅の本。これは購入する。103歳。ざっと目を通す。当たり前に使っている言葉もはっと目を覚まされる。この本、これから私のバイブルになりそう。お元気で長生きする人の言葉には本当に重みがある。

ブログ投稿中、宮崎のお坊さんから手紙が届く。次の旅行先が書いてある。お坊さんたちだけのツアーらしい。何と行き先がベトナム。いくらなんでも今年になって出かけたばかり。ましてや秋はベトナムに行ったメンバーとのほかの国の旅行も決定済み。本当に残念!秋は他にも絵画展、フルートの発表会と予定がある。

それにしても今年のGWはお天気が良くない。明日は遠出する。お天気が良くなりますように!

2015年5月3日日曜日

J投手恋人のブログ

先日、先生宅でのフルートの帰り道、カープのJ投手夫妻(実際は恋人同士)とすれ違う。今朝、恋人の女性のブログを見るとやはりそうだった。
http://www.chopstixchic.com/

レッスン時はコンタクトを使用。目が悪くてもコンタクトがあれば見間違えない。昨日の試合の勝利投手。出番でない日は二人で市内や遠征先の町を散策。今日は神宮球場あたり?今朝のブログはこの人のブログも紹介!球場近くの比治山や現代美術館付近を写真にアップしている。

パステル画に挑戦

今年の楽しみ(?)はカープの試合を見ること。試合の模様はテレビやラジオで一喜一憂する。そうはいっても勝てばうれしい。いずれにせよ、その後で見るネット。そして選手のツイッターとブログ。一人で泣いて笑って自分の頭、おかしんじゃない、と思ったりする。最近のハイライトは以下のURLから【画像】辛いさん「セーーーフ!」。
http://koisoku.ldblog.jp/archives/44513771.html
これ、何度見てもおかしい。また見ようとすると画面が出ない。ネットでキーワードを入力すると画面が出た!

話は変わって昨日の日本画教室。久しぶりに教室へ。木製のパネルに鳥の子紙を貼る。洗濯のりを水で薄める作業から始まる。この洗濯のり、家で使うこともなくなった。昔の人はシーツなど何でもパリッと仕上げていた。ところが今はそういう面倒なことはしない。ともあれ、紙をパネルにくっつける。

日本画はさまざまな工程を経て本画になっていく。これを覚えるだけでも大変。ある面、器用さが必要。パネル一つでも誰かの手を煩わせている。この費用、昨日支払ってないけど…。パネルが乾く間、パステル画に挑戦。これは2度目。以前トルコキキョウで描いている。この作業、詳しく先生に聞いてない。多分、本画に入る段階で色付けの前段階としてパステル画を完成させる!?

トルコキキョウの時は自分のやっていることが(今もそうだけど)わからずに作業をしていた。これはいけん!次回からは聞くようにしよう。ともあれ、筍、キュウリ、みょうがの3点でパステル画の完成。しかし、みょうがは難しい。次回までにみょうがを買ってきて色鉛筆で練習しよう。簡単そうなモチーフほど描くのが難しい。描いた絵もみょうがになっていない。

GWも本番。ところが今一歩のお天気。雨にならなければいいけど…。

2015年5月2日土曜日

「足が速い」

先日お邪魔した米子の友人宅で聞いた言葉「筍は足が速い」。「方言?」と尋ねると「標準語と思うよ」。すぐに携帯電話の広辞苑で検索。「食物などが腐りやすい。」とある。日本語と言っても知らない言葉が多い。

友だちは進取の気取りがありそうに思える。ところが人は見かけとは違うのか、パソコンは駆使するけど、電話関連は依然として持とうとしない。これは車に関してもそうであり、カーナビはつけないという。車は全く関心がないのでどうこう言えない。とはいっても、ある程度世の中についていくのも悪くないと思うけど、これも人それぞれ?

海外は60回ほど出かけ、国内外のトレッキングもお手のものだった。さらには横浜ベイスターズを応援し、試合があれば日本各地に出かけていた。そのすべては今は無縁とか。人はこうも変わる?今は大阪や奈良に出かけて文楽にのぼせているという。

人は変わる!?そうかもしれない。変わらなければ進歩もない。

さて昨日のカープ。負けた。黒田で負けた。今朝の地元紙には「やられたからにはやりかえすしかない」との黒田の言葉。黒田頑張れ!その通り。やり返すしかない!

自分自身、こういう気持ちがなかった。母は子どものころ元気をなくすと「意気地がない」とよく言っていた。大きくなっても「そういうことではいけん!」と発破をかけられたもの。黒田の言葉を聞いてそれを思い出す。

歳を取ってくると意気地も出る!?昨日は朝から泳ぎに行く。午前中のプールは年寄りばかり。それも無理はない。出かけているプールは社会福祉センターのプール。そのなかで偉そうに仕切るおっさんがいる。どうも水泳の先生らしい。先生であるからにはもっと優しくあれ、と言いたい。人の泳ぎを見て足がどうこうと連れの人に話す。挙句は泳ぐ順番まで采配する。これにはちょっと頭にくる。こういうメンバーには入ってはいけない。そう自分に言い聞かせて黙々とクロールで泳ぐ。背泳ぎは最後にまとめて少し泳ぐ。仕方ない。うるさいおっさんがいると自分の思うようには泳げない。次は行く日と時間を考えよう!

2015年5月1日金曜日

♪タンゴの歴史♪

今朝の動画は♪タンゴの歴史♪。先日聴いたFMから流れるピアソラのタンゴ。ずいぶん前、フルートのレッスンでもさらったことがあるピアソラ。この曲は初めて知る。最近、少しはフルートも楽に吹けるようになった。やっと練習も楽しくなった。そう思って昨年の発表会の曲や気に入ったこれまでの曲を吹いてみる。何とか大丈夫!ピアソラの曲集も出してみる。ところが練習した曲もある割には難しい。

動画のフルート奏者。なかなかいい!ピアソラは大人の曲がする。いつの日か再度さらってみたい!気をよくしてケーナに挑戦。音さえあまりでなかったケーナ。ところが今のフルートの吹き方で吹くとすぐに音が出る。ときどきはケーナ。これもいいね。

世の中GW真っ最中。予定のない日はカープ三昧!?一昨日のNHKテレビ。県内放送とかで、カープびいきの放送。内弁慶でも何でもいい。アナウンサーも「広島愛で行きましょう」との掛け声で放送も始まる。解説者2人も広島出身者。いいね。視ていても。

先日、米子の友だち宅で見た新聞。全く野球番組の放送がない。その家はケーブルに入っているそうで、試合も見られる。そうでない人は…。その点、広島ではほとんどのカープの試合が見られる。テレビがなければラジオがある。公共放送も県内放送であれば何を言ってもいいほどほめあげる感じ。ましてや、GWの期間中、といっても3日、4日、5日は試合以外でもテレビはカープ三昧。外へ出ない日はテレビでGW。こんな.年は初めて。これもいいね、

何もかもいいね尽くし。ただ1点差で負けるCarpはよくないね。頑張れカープ!気分を変えて今日はこれからプールへGO~。