2014年9月30日火曜日

「黄昏街道 自分で舵取りながら、より良い道を……」

今日は火曜日。先週の火曜から昨日の月曜日までの1週間をあわただしく過ごす。さすがに暇人と言えどもかなりお疲れ気味。昨夜はカープの試合を聞いていても眠くてたまらず。

時刻を見ると午後8時にもなっていない。大量点を取っているカープも徐々に追いつめられる。応援どころか寝るが勝ちと決めて早く寝る。

ところがしばらくしてメールが入る。昨日は合唱の練習日。終了後、チケットをいただいた日本の書展を見に行く。文字を見ると紫式部のような世界。この人の書にはそんな雰囲気がある。だが、悲しいかな、書いてある文字がさっぱり読めない。

これ程優雅な書をみたことがない。素晴らしい文字だった。

この報告を寝る前にメールでする。メールはその返事とカープ速報だった。

♪今日のカープは勝ち勝ちカチよ。…♪

これを見て寝ている場合じゃない、と起きる。9回、得点差はあってもじわじわと相手に点を取られる。それでもカープの勝ち!嬉しい!

今朝の地元紙。二面にわたって被爆70周年プロジェクトとして「平和も勝利もみんなでつかもう」と若鯉5人が平和のサインを書いて手に持ち、写真に納まっている。

堂林、丸、前田、菊池、大瀬良の5選手。22歳から25歳までと皆若い!そして今が旬の5人衆はいい顔をしていてかわいい!

今朝はこの新聞だけ見ても気分がいい!気分の良さは寝不足解消とも関係ある。

送ってもらったメールにはほかにもいい言葉が書いてある。また勝手に引用させていただこう。

「黄昏街道 自分で舵取りながら、より良い道を歩きたいなあ…と真面目に思ってますよ~!エネルギー充電して、元気ぶってまた明日も…」

読んで感動!だが眠い!ちゃんと返事を書いたのか後で確認しよう。ありがとうございました!

眠いといえば昨日の合唱もそうだった。歌った後の食事で歌ってる最中、欠伸ばかりしていたと話すとある人は汗が出たといわれる。この真剣さの違いはどうじゃ。仕方ない。これ以上疲れると体がダウンする。

だが、よく眠った朝はとても元気。それでも今日は一日ゆっくり三昧。泳ぎは明後日にして。

せめて来年は日本画とフルートの行事が重ならないといいけど…。重なっても元気であれば大丈夫!?

私も真似して「黄昏街道 自分で舵取りながら、より良い道を…」歩こう!

今日も元気で楽しく!

書き忘れている。合唱で後ろの席の人に絵を見に行ったとの報告を受ける。だれかれと案内状を配っている。来年からは配った人をメモすべきと反省。先方から報告を受けてのお礼の挨拶は失礼すぎる。とはいってもその人の名前を知らないのはもっとよくない。名前を覚えよう!ありがとうございました!

2014年9月29日月曜日

今日も残業!?

会社に勤めていたころ、習い事や遊びで帰りが遅い日が続くと、母は出かけに「今日も残業!?」と笑って言っていた。だが、仕事で遅くなることはほとんどない会社だった。そのため、残業代をもらった記憶がない。

先週はまさに「今日も残業!?」。母が健在ならばきっとそう話すだろう。

日本画の展示会も昨日、無事終了。搬入、搬出も初めての経験。色々な人の手を借りて展示会があると知る。

展示した絵は持ち帰る予定だった。ところが、額に入れると重い。急遽、業者に宅配を依頼する。

日本画展の打ち上げは5人展も終わる11月に予定されている。ところが、打ち上げの下見との先生の言葉でグランヴィアで食事会。

出品者の3分の1の11人が出席。まずはビールで乾杯!先生の開口一番、「うまい!」。満面の笑みで話される。

それもそのはず。先生自ら陣頭指揮をとっての展示会開催。その立役者はなんといっても先生。さぞかしお疲れのことだろう。

食事会で周りを見ると、出席者は八ヶ岳に行った人が大半を占めている。おかげで話も弾む。

どの人も長く習っておられ、25年の人もいる。ある人は10数年のキャリアながら県美展にも入選されている。先生は節目の来年、個展をするようにその人を促す。

今回の日本画展でその人の絵は入口の真正面に展示してあり、人目を引く。ほかにも50号の大作がずらっと並ぶ。地元の銀行の偉い人が見に来られて、展示会の盛況ぶりに驚かれたとか。

今年初めての出品で、これまでのことはよくわからない。それでも毎日多くの人に見ていただく。先生も感激された様子で話される。

個人的には先日会場で出会った人以外にも合唱の人や職場で知り合った友だちなどが遠いところから来てくださっている。ほんとうにありがたい!

昨日午後、受付にいると名前を呼ばれる。「誰だかわかる?」と聞かれてもピンとこない。小、中学校時代の同級生だった。

ほかの人を訪ねての来場らしく、顔を見て驚いている。「何でもやるんじゃね。日本画も水泳も…。」。

3か月くらい前、通っているプールで水泳中を見られている。小さいころを知ってる人はどの人も驚くこと間違いなし。運動と絵を描くことは大の苦手だった。同級生は泳げず、もっぱら水の中を歩いていた。

職場の同僚の絵を見に来たという。自分自身、まさか運動したり、絵を描いたりするとは想像したこともない。同級生の驚きが半端ではない様子もわかる。

人は進化し続ける。昨日のブログではないが、これからの人生、ブログ発信で「未知の自分に出会う」楽しみが待っているかもしれない。

昨日までの大きな行事は終わり、今日から普段の生活に戻る。今朝は合唱の練習日。

元気を出して歌を歌おう!

2014年9月28日日曜日

昨日もハレの日

今朝の地元紙の新刊紹介欄に評論家の若松英輔の言葉を載せている。「読むということは、それを書いた者と出会い、対話するということです。書くとは、先人の叡智に助けられながら未知の自分に出会うということです」。

この著書は『現代の超克』(ミシマ社)。その著者は中島岳志、若松英輔で朝からかなり感動して新聞を読む。何度読んでも素晴らしい。この本を読もう。

忙しく日々を過ごしている。この忙しさも明日までで、後はゆっくりできそう。

昨日は年に一度のフルートの発表会。人に迷惑をかけたのはアンサンブル。ちょっとミスってしまった。ソロは一番気を付けなければいけないブリジアルキーを押さえず、演奏中気づく。こういうことは基本的なこと。気を付けよう!

しかし、一番心配していた♪ラ♪の音のチューニングは何とか大丈夫だった。これがよい音だと曲も何とかなる!?

発表する人も先生もスタッフも私の知っている限りずーっとほぼ同じメンバー。とはいっても生徒さんは若返りもある。昨日は小学生と中学生の3名も参加。

大人ばかりだとその場の雰囲気に負けてしまう。もっぱらこの子供たちが話し相手。気も休まる。

子供というものは素晴らしい。自分たちの出番まで舞台の袖で3人がトランプをしたり、本を読んだりしている。こうでなくっちゃ、と見ていてうらやましくなる。

打ち上げは近くの中華レストラン。発表した人のご両親がわざわざ静岡から泊まり込みで来られていた。ほかにも旦那さんと一緒に打ち上げに参加の人や子供さんのご家族も参加される。

まずはビールで乾杯。空ききったお腹にビールはいい!

ひと月前、病に倒れて出演できなくなった人を思い出しながらの打ち上げ。この場所にいないことが不思議に思える。去年はその人は姪御さんたちに囲まれて舞台で花束を持って写真に納まっていた、その姿も鮮明に浮かんでくる。

うたげも終わりになるころは、皆カープが気になる。どこから人が来ても広島にいる限りカープの応援は欠かせない。昨日もそうだった。この話題も楽しい!

ともあれ先生を筆頭にして皆さんに助けられながら無事発表会は終わった。今日は日本画展示会の最終日。午後から受付当番と絵の搬出がある。

昨夜も見に来てくれるとの電話がある。他にフルートの人も来てくれるという。ありがたい。

ちょっとお疲れ気味。頑張って元気を出そう!

2014年9月27日土曜日

ハレの日

先ほど「絵を見に行きます!」との電話を受ける。ありがたい!それと同時に遠くから来ていただくことの申し訳なさもある。

絵を見ていただくのは嬉しい!こういう気持ちを味ったのは生まれて初めてのこと。

これまでを振り返って、「私」に対して注目?されるのは多分、誕生時に両親などから祝わってもらったことくらい!?それ以降、一般的には「冠婚葬祭」で注目を浴びる。だが、「冠婚」は私の辞書にはなく、残るは「葬祭」。これは本人にとっては何がどうなるのかわからない。

「冠婚」はハレの日。それがない分、「葬祭」までの長い道のりが私にとっての広い意味でのハレの日。これは細くて長いささやかな楽しい非日常かもしれない。

今回、案内状を手渡した人は絵を見に来てくださった。これもハレの日だろう。本当にありがたい!

人から見れば真っ赤な服を着ていても真っ黒い衣服を着ている存在に見られやすい。そう思っているモノが、数年前からブログを発信。これも自分自身の大きな変化だった。それが、得意ではない自分の絵をみてもらう。日本画展が始まってからいろんなことを考える。

今日は電話をくださった人と一緒に絵の案内をしたかった。ところが物理的にそれができない。本当に申し訳ない。展覧会をどの人も忘れずにいてくださる。嬉しい限り。

親切にしていただく人にはこの気持ちを忘れずにいたい!本当にありがたい!

昨日は美術講座を受けて自宅に着くと旅行社から振込用紙が届いている。何の知らせもなく旅もない、とあきらめていた。ところが、そうではなかった。会の仲間たちとの日帰り旅。また楽しいハレの日となりそう。

講座ではコントラポスト、マニエリズムなど初めて聞くキーワードが並ぶ。講座前には見当識も初めて知る。

今のところ、見当識は大丈夫。喜怒哀楽がある。

今日も楽しいハレの日にしよう!

2014年9月26日金曜日

ありがたい日

日本画展の受付当番の昨日、午後から会場に出かける。出かける途中、すでに会場で絵を見てもらったフルートの人からメールが入る。

会場に入るとすぐに額に入った自分の絵を見る。前日はあわただしくてゆっくり見られなかった。見ていると、メールをもらった人が再度の来場。わざわざ見に来てもらって本当にありがとう!

その後も、書展のチケットを送ってくださった方も来てくださる。久しぶりにお会いして会場で長話。ありがとうございました!

夕方にはフルートの先生と知人にも見に来ていただく。お忙しいところをありがとうございました!

他にも某美術館の館長も来てくださっていた。申し訳ない気持と同時に嬉しかった!

描いた絵ははがきになるらしい。そのはがきで見ていただいた人にお礼状を書くよう、日本画の先生からアドバイスされる。これもありがたいお話。

他にもいろんな人に案内状を配っている。気軽に配ったけど申し訳ない。

途中、可笑しいことがあった。展示されている絵はどの人も本画。だが、一人だけケント紙に色鉛筆で描いている。

この絵がいい!と洋画を習っているというおっさんに声をかけられる。その人はこれを日本画にするとこのようには描けない。だから水彩を習うとよいという。だが、水彩画を習うつもりは全くない。

このおっさんは習っている人の近所に住んでいるとか。長いこと絵を見ながら、受付にいるふたりを呼んで作品の批評をし始める。聞いているとまともなことを言っている。どうやら変な人ではなさそうだ。

昨日は本当にありがたい一日となった。今日もいい日にしよう!

2014年9月25日木曜日

吾亦紅



吾亦紅 (ネットより引用)

今朝、昨日お寺でいただいた塔婆2本を持ってお墓に参る。道中、3軒の家に咲いているのは吾亦紅。

この花を見たのはつい先日のこと。日本画の人が描いているモチーフで実物を初めて見る。この吾亦紅、数年前、すぎもとまさとの歌で名前を知る。当時、そういう花は知らなかった。ただ、介護中の母に聞くと「知ってるよ!」と話した言葉を思い出す。

今朝見たのは鉢植えと庭の軒先に咲いたもの。とても可憐な花で、いつか育ててみたい。

日本画の人がこれを描かなければ、どんな花かは知らずにいたかもしれない。

昨日は日本画の立付に参加する。なにしろ初めてのこと。その雰囲気の殺気立っているさまは、まるでフルート発表会の当日に似ている。

その中をわけのわからぬものがうろうろする。こういう雰囲気は一番苦手とすること。中にいては悪い気がしてくる。この気持ちを引きずって、フルートの先生宅に伺う。

これがとんでもない大失敗。聞いていたバスを間違えて乗車。運転手さんに聞いて下車を確認して乗車したにも関わらず、バス停の案内がない。たまりかねて運転手さんに聞くと、「すみません。間違えて教えました。」。

道理でいくら乗っていても目指すバス停がないはず。降車したところがその近くらしく、歩いて探すが目的地に着かない。道行く2人に聞いてやっと先生宅に到着。

ソロを見ていただいた後、次の人と全体とアンサンブルを合わせる。何とかそれを終えて途中お昼を食べて自宅へ。すぐにお寺へ塔婆を取りに出かける。

あわただしく一日は過ぎる。夜は久しぶり書展を教えてもらった人と電話で楽しく長話。

今日は午後から日本画の展示会場の受付当番。日本画三昧となりそう。今日も元気で!

2014年9月24日水曜日

フルート三昧の日

ピアノとの音合わせに行くまで、徹子の部屋を見る。昨日のゲストは新沼謙治。3年前にガンで奥さんを亡くしている。その話を聞いていると、奥さんはなんと幸せな人だろうと思う。

どんな場面でも奥さんを思い出すとか。その気持ちは親を亡くした時に感じたことであり、全く同じ気持ち。

今、流行っている歌はコーラスが入る。合唱する学校の子供たちとの写真や家族の写真を行く先々の楽屋に立てて、一人じゃない!と新沼は話す。こういう話を聞くと本当にいい人に思えて仕方がない。

テレビを見終えると気分を変えて先生宅へ伺う。ピアノ伴奏との音合わせの日。音出しのラの音に気合が入る。1年間、このことばかり集中してきた。

音出しのことから舞台に上がってからのアドバイスを受ける。音合わせではいい感じで吹けたと思った。だが、レコーダで聞くと、まだまだの感じ。

先生宅を出ると場所を変えてフルート定例会。さすがに今回はフルートの話題も出る。食事場所は市内中心部にあるデパート内の中国人が経営する本場の中華。

広い店内にお客は少ない。中国を思わせる店内の装飾。本場で何度も食べた味がする。これにはやはりビールがいい!

いつもと変わらず他愛ないことを話しては笑い、そして食べては飲む。こうして、楽しいひと時はあっという間に過ぎていく。この勢いをフルート発表会で出せれば言うことはない…。さてさて本番は!?

今日は日本画展の開催初日。はじまるまでに絵の展示で会場に集合。その後、抜け出してフルートの先生宅へ伺う予定。

日本画三昧ならぬ、フルートも加わって忙しくなりそう。さあ、今日の行動開始!頑張って!

2014年9月23日火曜日

FMはシューベルト歌曲集

あの雨の日を忘れたかのようなお天気が続いている。だが、これも台風でどうなるものやら。大きなことにならなければいいけど…。

起床後身支度を整えて朝食。手には新聞、耳にはFM。今朝のFMはシューベルト三昧。

「歌曲集“美しい水車屋の娘”」 シューベルト作曲
(1時間02分54秒)
(テノール)ペーター・シュライアー
(ピアノ)アンドラーシュ・シフ
<LONDON POCL5197>

曲目紹介は「らじる★らじる」からのコピー。朝にふさわしい音楽で落ち着いた気持ちになる。誰が歌っているのかネットで調べると上記のようだった。

今日から数日間、フルートと日本画三昧の日々が交互に続く。今日はフルート三昧。

大事な週なのに、昨日は包丁で指を切る。ああ、なんということ、と思ったときはもう遅い。せめて、シューベルトの曲で落ち着きを取り戻す!?

昨日は午後からプールで泳ぐ。一日ごとに涼しくなる。泳ぐ人は少なく、かなり自由に泳ぐ。いつもは自由に泳げなかった背泳ぎも泳ぐ。そして、何メートルくらい蹴伸びができるか試す。7,8メートルだろうか。25メートルプールの3分の1は蹴伸び。

これが水泳選手だと10数メートル、いやもっと長く蹴伸びができるのだろう。この蹴伸び、更衣室で3人の人と一緒になるとすーっと泳いでいた、と言われる。

話をしていると同じ町内の人たちで近所だった。3人とも泳げないらしく、1か月前から水中歩行に来ているという。年齢はいずれも似たり寄ったり。

水の中を歩くだけでも着替えの服を着るときはスーッと体が入ると嬉しそうに話す。痩せるためにプールに行っていないのでその気持ちはよくわからない。

なんといっても泳ぐ目的は泳げるようになりたい一心から始めたこと。泳ぐだけで楽しい。

ともあれ、そのあとがいけなかった。家に帰って3本入りのきゅうりの袋をハサミでなく包丁で切り開く。その時、手を切る。

大したことでなくて一安心。しかし、10本の指はどれがどうなっても不便。フルートは吹ける?と思って気持ちが落ち着いたところで吹いてみる。大丈夫だった。

ということで今日は一日フルート三昧。元気を出して行動開始!

2014年9月22日月曜日

『幸せ上手』

すがすがしい秋晴れの日が続いている。明日からの気ぜわしい日を前に、今日は一日ゆっくり三昧。

三昧と言えば今朝の地元紙。臨済宗佛通寺派管長の記事がある。このお寺は広島県内では有名なお寺。紅葉の季節はお寺周辺は真っ赤に染まる。中学生の頃、林間学校で宿泊し、異次元の世界を体験した気持ちになった。母が元気なころは新緑のもみじを一緒に見に出かけたこともある。

小倉管長は「三昧は仏教の屋台骨。自分を失ったとき三昧に立ち戻り、今、置かれた状態から心を解き放つ。ぱっと出てくるとは限らないが、続けているうち、抱えている問題を解決する妙案が浮かんでくる。…」という。

問題は抱えていないが「心が動揺しない」状態が三昧らしい。

ともあれ、今日は一日ゆっくり三昧!何も心を煩わせず、午後は泳ぎに行こう!

2年くらい前に読んだ、『幸せ上手』(渡辺淳一 講談社、2010年)。著者の渡辺は先日亡くなられた。渡辺の小説は1冊も読んだことがない。ただ。女性誌に取り上げられる記事を読んで氏のエッセイに関心を抱く。

以下は気になる言葉を記したもの。 もともとが整形外科医。書いてある健康の話は合っている気がする。

・「健康とは、全身すべての臓器の存在を感じない」こと。44p

・「全身の血が滞りなくサラサラと流れている」こと。44p

・いつも明るく、何でもやってみよう、トライしてみようという気持ちで前向きに生きていくと、血の流れがよくなり、病気も治り易くなるのです。53p

・暢気に、笑っていれば元気でいられるなんて、幸せはなんと身近なところにあるのでしょう。54p

・もし熟年のプラチナ世代になったら、是非とも「年甲斐のない人」になってください。ここまできたらもう我慢などしなくてもいいのです。他人にはともかく、自分の気持ちには正直に向き合いましょう。そしてまず自分自身を肯定してあげましょう。そうすれば、明るく前向きに生きていく力が、どんどん湧き上がってくるはずです。92-92p

・大人になっても、新たな経験をしたり、別の人に恋をしたり、何かを追いかける、その気持ちさえあれば、いつまでも成長は止まりません。これを成熟といいます。102p

・たいせつなのはパーソナル・スタンダードです。こころの中にある自分の感性に耳を澄ませば、自分にとっての「好き」が自然にわかってきます。そして自分の価値観がわかっていれば、概念に捉われることなく、どんなことがあろうと自然体でいられるのです。そしてそこから、大きな幸せをたぐり寄せることが可能になるのです。103p

・知識に体験を重ねて知恵になる。あることを理解していることだけでなく、そこから一歩踏み出し、体験することで学んでいく。…今こそ、知恵をたっぷり貯えて、幸せづかみの旅に出ようではありませんか。153-154p

・今の自分にできる、自分らしい生き方をして、恒に前向きに明るく生きていく。幸せという青い鳥は、その先で羽ばたいて待っているのです。230p

・あなたはあなたで立派な人なのです。今は表に出ていなくても、いつかは認められ、評価される才能を秘めているのです。そう自分にいいきかせ、それを信じて、まず前に向かって進むことです。そうしたらいつか、人生という大きなレースで、幸せをつかむことは間違いないでしょう。236p

2014年9月21日日曜日

いよいよ本画に挑戦!?

もうすっかり秋!最低気温は17度とか。涼しいはずである。

秋はスポーツ選手であっても切ない気持ちにさせる!?

カープのテレビ観戦を楽しみにしている。その暇暇にカープ選手のブログやツイッターを見る。昨日の若鯉のツイッター。引用させてもらおう。

「練習日、練習終わりに懐かしい景色を見てきました♪ 確かこの辺だったと思うんだけど^ ^ 秋の夜の涼しさは嬉しくもあり、なんか切ない気持ちになるのは僕だけかな??笑 」

球場の観客席から写した秋の気配を画像に取り込んでいる。

このツイッターを見て、新人賞を手にして、と応援したくなる。頑張れ!

日本画に行く途中、JRの車内から球場横を見る。止めてある貸切バスは何十台の数。県内、県外からの応援ツアーバスだろう。昨日も満員御礼の盛況ぶり。勝ちゲームでよかった!

日本画を習っていても試合が気になる。ワンセグで見ると途中経過は勝ち。県内では多分、カープの話題を嫌がる人はいないだろう。

カープ戦のある広島駅。赤いユニフォームは老若男女を問わず、赤、赤で街は赤に染まる?

広島県の木、モミジの赤とカープの赤。これからの季節、赤はこの街に似合う!

赤ではないけれど、昨日の日本画では先生にお願いした水干絵具瓶入りセットNO.1~3一式、瓶入り鹿膠、胡粉寿を受け取る。

これまで1年近く、スケッチを教わる。スケッチしたものは色鉛筆や水彩絵の具で薄く色をつける。その後、これをもとにして色紙に仕上げた。

昨日からはこれまでのものを、昨日手にした画材で日本画に仕上げるらしい。はっきりしないのは昨日、絵を完成しなかったことによる。

日本画は他の絵がどんなふうに完成させるのか知らないので比べようがない。ただいえることは、絵に描く基礎から先生の手を借りないといけない。これが習うということだろう。そのため、昨日のところまで習った後の手順は次週までのお楽しみとなる。

隣の人からもらった麻紙に昨年の習い始めにスケッチしたコスモスを絵取る。その後、墨でその線を骨描き。その麻紙の裏面を刷毛で水をつける。そしてそれをべニア板に黒いテープで張り付ける。

その上を絵の基本と決めた色で色付けする。これこそが前回、先生があらゆる色彩を集めるよう話された意味だと知る。

絵を描く前の基本の色付けも胡粉、膠、水干絵具など混ぜ合わせて色を作る。

一つの作品に仕上がるまでにいろんな工程がある。すべては覚えられないけど、これも慣れ!?ボツボツ覚えて…。

芸術の秋!昨日はクロアチアの旅で知り合った人から日本の書展のチケットを送っていただく。ありがとうございました!

書を書かれる人だけあって、いつもいただくお手紙はとてもきれいな文字。これはブログにアップしたいけど、プライバシー侵害になりそう。

他にも再来月行われる研究会の情報も入る。いつまでも今の元気が続くとも思えない。できる限り出席の返事をする。

今週は今年一番と言えるくらいハードな週になりそう。ダウンしない程度に頑張ろう。今日も元気を出して!

2014年9月20日土曜日

広響第342回定演を聴く

2か月前にパソコンとプリンタを買い替えた。購入先はNECダイレクト。今使用中のパソコンとプリンタはともに3台目。パソコンはNEC製品でプリンタはキャノン。

別にその製品と決めたわけではないがなぜか同じメーカー品を使用している。今回は大型電気店で購入せず、メーカーから送信されるメールで決める。

以前の2台と違って、パソコンもプリンタも考えられないくらい安くなっている。

昨日、予備のプリンタインクを買いに大型電気店に行く。係りに機種名を告げて売り場に行く。ところが、どの箱も空箱。再度係りを読んでその旨告げると、空箱を持参してレジに行くと商品をくれるという。

購入後、定期演奏会に行くまでの時間、カフェに入る。珈琲を飲みながら、あれっ、と思う。

プリンタ代金とインク代金がほぼ同額とは…。驚いてしまう。それじゃ、インクを買うたび、プリンタを買ったほうが割安ではないか。そうはいってもプリンタは1台で間に合う。買ったプリンタはパソコンとセットで購入したためかなりの割引価格だ。

ネットで調べると、大型店のインク価格は定価だった。その点、ネットは安く買える。こんなことをしていると、ますます店舗の経営は成り立たなくなるはず。次回からはネットで購入!?

気分を変えて、昨夜聴いた広島交響楽団は第342回定期演奏会。演奏題目はブラームス交響曲1として“情熱の結晶「第1番」”とある。

演奏曲目は次のようであった。

♪モーツアルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調K.488

♪ブラームス 交響曲第1番ハ短調Op.68

指揮者は大友直人、ピアニストに田部京子を迎えての演奏会。田部は真っ白いロングドレスに身を包んで颯爽と登場。華がある人だ。

席は前から10列目。だが、右の席のためピアノの演奏は全く見えず。まして、隣の人は体がでっかく、壁ができたようになり圧迫感を感じる。

それでも、昨夜の演奏会では今回の全国打楽器部門で優勝した人もいて、舞台に花を添える。

長い曲だった。また、いい演奏会だった。

今日はお昼から日本画教室がある。

今日も楽しく!

書き忘れている。昨日のさっちゃのブログ。読んでいて複雑な心境になる。91歳一人暮らしのさっちゃん。毎日ブログを読んで楽しませてもらっている。ところが、11月からさっちゃんは老人ホームに入るという。

ずっと一人で暮らしでいてほしかった。とはいっても人の人生。他人がとやかく言える立場にない.だが、なんとなく読んでいて切ない気持ちになった。

読むほうが気落ちしていてはいけない。元気を出そう!

2014年9月19日金曜日

秋を感じる

今朝は温水便座の冷たさで秋を感じる。部屋の気温は22,3度。東南の部屋はこれより1,2度高い。

暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもの。災害に見舞われたけど季節の変化は確実にやってくる。秋のお彼岸を境に自分自身にも変化が起きる。それは泳いだ後の鼻水との格闘。これが始まると秋を感じる。

昨日午前中はお墓参り。先日姉夫妻と出かけたばかり。だが、定期的に出かけている日は何となく参らずにはおられない。来週はまた、お寺の秋のお彼岸法要で塔婆をいただく。今月は3度の墓参りとなりそう。

午後からはプールに行く。涼しくなってくると利用者も幾分少な目。だが、先週のお節介な人もプールにいる。会釈だけしてその人にかかわらず。ただ黙々と泳ぐ。

以前出掛けていたスポーツセンターのプールは大小さまざまにあり、子供から大人まで利用していた。ところが今のプールは福祉センターと名がついているだけあって、利用者は爺、婆ばかり。

流れる音楽は1970年代。こういう中で泳ぐのはどうかとも思う。そうはいっても自分自身も婆。どうこう言える立場にない。それにしても何か変?と思いながら毎週通っている。

これも感覚がマヒしてくると当然のことと思うようになる!?

まあ、どうであれ、便利さだけで利用している。ありがたいことと思うようにしよう。

今日は夕方から広島交響楽団の定期演奏会。

忙しくなる来週を前にしてしばしの気休め。市内をうろついて夜は音楽を聴く。今日もいい日にしよう。元気を出して!

2014年9月18日木曜日

『百歳の力』

篠田桃紅『百歳の力』(集英社、2014年)を読んだ。百歳といえば一昨日、フルートのレッスン前にデパートで開催された笹本恒子の100歳展を見に出かけた。この人は日本初の女性報道写真家。

以前、テレビでこの人を見て、すごい百歳がいるんだと初めて知る。

何がすごいといって年齢もさることながら、パンフの顔にもあどけなさが残っている。かわいい人だ。

写真展を見た後は、会場横でビデオを見る。話していることはこれまた百歳とは思えない。主食はワインだと言い切る。

人より秀でている人はすべてに於いて秀でている。

笹本は1914年生まれ。ということは生きていれば母よりも年齢が多いことになる。今日は母の月命日。これからお墓に参り、午後からは泳ぎ行く予定。

ちょっと忘れている。昨日のこと。絵手紙を勝手にブログにアップした。これを寄こしてくれた友人から昨朝、コメント代わりの電話を受ける。アップは喜んでもらったようでこちらまで嬉しくなる。

ブログを見てもらってありがとう!また電話も楽しかった!描いた本人曰く「以前はもっとうまく描けた!」。いずれにせよ、上手い!

今日も元気を出して行動開始!

以下はいつものごとく気になる個所をメモしたもの。

裏表紙「百歳を過ぎた今も現役で活動を続ける美術家・篠田桃紅。墨や金箔などで構成する大胆な抽象画は、海外からも高い評価を受ける。女学校を卒業したら、その多くがお見合い結婚する時代に、『くじびきみたいな結婚なんて、とんでもない』と独身を貫き、戦後、まだ海外へ行く人がほとんどいない時期に、単身ニューヨークへ渡って個展を開くなど、その行動は前例のないことばかり。『常識の世界に生きなかったから長生きできた』、『人生というものをトシで決めたことはない』と断言する著者が、年齢に関係なく、いつまでも第一線で活躍するための秘訣を語る。」とある。

この結婚しなかったこと、トシ、自由のキーワードは本文にしばしば出てくる。

※(作品を)つくるということは、続けるということです。道と同じ、ここで終わるということがない。道を歩いていると向うのほうが見える。その向うへ行くと、また向うのほうが見える。山は登って頂上へたどり着いたらあとは下りますけど、道は折り返し地点がなく延々と続いている。人生と同じです。16p

※ほんんとうの自由っていうのはどういうものかっていうと、私なのかもしれないと思いますね。「自」というじ字に「由る」が自由です。私は自由です。自らに由っていきていますから。…自由になるというのは、超越するというのとは違います。客観視するることができる、ということです。…客観視は、すべてのことを一歩離れて、すこし高いところから見ること。…私はなにものからも自由でいたい。すべてからの自由、というものを得たい。25-26p

※性格が運命を拓き、もって生まれた性格というものが、いい作用をするときにいい運命になって、悪いほうに働いてしまうと悪い結果をもたらす。50p

※特に一人で生きていこうとか、こんなふうな人と結婚したいとか、そういう希望とかプランとか立てたことはない。みんななりゆき。51p

※百歳になったとき、長生きの秘訣は、と聞かれて、「トシのことを考えないこと」、そう言いました。忘れているんですよ。気にしないようにしているんではなくて、ほんとうに気にしていない。112p

※独創性を得るためには、考え方や生き方を自由にして、なにかの枠の中に収めないことが大事です。138p

※いまの私は、肉体的に、物理的に、自由になることは無理です。行ってみたいところへすぐに行くというわけにはいかない。桜を見たいと思っても、酒宴なんてことはできない。でも、自由な気持ちを持つことは、とてもいいと思いますし、年齢に関係なく続けられることだと思っています。139p

※人間性の奥底が求めているもの、それがほんとうの“美”でしょう。学問のある人もない人も、なにかの経験のある人もない人も、富める者も、貧しい者も、あらゆる人に「ああ美しいなあ」と感動を呼ぶもの。そういうものがあれば、それは人類の宝ともいえるでしょう。…そういう望みは、私だけはでなく、それぞれの人が抱いていて、生きる源になっている。ですから、叶えられなくても人は望み続けている。164p

※大人になっても、モーツアルトの「レクイエム」を聴いてなみだを流すなんていうのは、いつまでたても少年少女みたいなもんでね、って笑う人がいるでしょう。大人になってもモーツアルトの「レクイエム」を聴いて涙ぐむのは、そういう感性を持っているということです。私は、そういう人こそ「ひと」だと思う。165-166p

※自分の感覚、自分の世界を広げないのは、人としてもったいないし、惜しいことです。両方は、無限の想像力を誘い出す一つの道筋であると、私は思っています。何かを引き出す糸口になりうる。171-172p

※人の生き方は、何においても、どんなときでも、自由です。しかし、不幸や悲劇を周りにもたらすようなことは、許されない。そんなことをする権利はないと思います。いつだって、人は、昨日の私と今日の私はちがう。それは人は自然の生き物だからです。181p

※私は三月生まれなので、父は中国の古い書物『詩格』のなかの春の情景を歌った「桃紅白薔薇紫 問起春風総布置」から「桃紅」としました。桃は紅、李は白、薔薇は紫、これを春風に問えども総てに知らず。182p

※(葛飾北斎の言葉のあと)私も生きているうちにやりたいことはどんどんやろうと思っています。

まだ、ふと心にかつて見ない、
美しい線が走り抜けるように感じるときがあり、
それを可視のかたちにしたいと思い、
それは一種、熱望というような希いでもあり、
この老い、老いさらばえた私の心を駆り立てます。                                                                                                                                         篠田桃紅
             184-185p 

2014年9月17日水曜日

パラダイス

毎日何の苦労もなく楽しく暮らしている。こういう世界をパラダイスというらしい。

それほどではないにしてもけっこう気軽に暮らしている。ところが、それもまさかの不注意で一瞬にして暗転。気づいたときはもう遅い。

それはいつもパソコンがらみで起きてくる。昨日もそうだった。ブログを投稿し、今日も一日が始まると思った矢先の出来事。パソコンを触っていて要らないものを削除する。

ところが要らないものどころかいるものまで削除してしまった。outlookの送受信ができなくなる。しまった!と思ったときはもう遅い。

すべての予定はくるってしまい、頭はパソコン、パソコン。

すぐにNTTに電話する。この会社は電話会社だけあってフリーダイヤルでもあちこち回されず、応対も親切。

携帯、固定電話、タブレット端末、接続会社の4件すべてをこの会社に統一している。

ところが、子機で電話したため、大事なところで接続不能。こちらの不手際だ。

再度、電話しなおす。サポートサービスに加えて、プレミアムのサポート体制があるという。

2か月前、パソコン購入時、やはりこちらの不手際でメール接続不可能だった。その際、遠隔操作で接続設定をしてもらった。これは無料。

以前だったら家に業者が出向いて接続などをしてくれた。ところが今は、個人のパソコンでも遠隔操作で解決するまで面倒を見てくれる。その費用は無料。これには感動する。

今回もそうすると係りは言う。その時このやり方がプレミアムとは知らなかった。それでもほとんど費用は掛からない。

昨日はフルートのレッスン日。すぐお願いすると、午後からになるという。それではレッスンに支障をきたす。

レッスン後の午後6時半でお願いする。予定より遅れて電話がかかる。

結局、昨日は一日中、このことばかりが頭をかすめる。これは決してパラダイスではない。

ちなみにネットの世界大百科事典によるとパラダイスは以下のことにもある。

【庭園】より
…整然とした木立が並び,池泉が設けられ,鳥獣を飼育する苑囿(えんゆう)をも兼ねた囲みのある古代ペルシアの宮苑パイリダエーザpairidaēza(〈塀で周囲を囲んだ〉の意。〈パラダイスparadise〉の語源)の伝統は,イスラム時代に入ってからも保持された。 イスラムの庭園で最も重要な要素は水,植栽,パビリオンである。…

ちょっと脱線。だからイスラムのモスクには木立が並び、池泉があるんだと納得。なぜモスクに池があるのか、の疑問がここで解決。

姪は昨日、モスクのあるイランから無事帰国。「スカーフや服装に制約はあるけど、イスラム色のない、ゆるい、ゆったりしたところでした」とメールで知らせてくる。

以前に出掛けた時は頭も服も現地の貸し出すものを着用して観光をした。それも日本のお盆の時期。黒づくめの衣装で暑さは半端ではなかった。

今はかなり規制されなくなったのだろう。

遠隔操作でメール送受信もOKとなった。フルートのレッスンも合わなかったアンサンブルも無事だった。ほかにも、絵の展示会の額入れも業者にお願いした。

変化に富んだ一日も寝るころになって、いつもの落ち着きを取り戻す。

いつもいつもパラダイスではその有難さがわからない!?そのためかどうか、たまには要らぬアクシデントも起きるのだろう。

今日も元気でパラダイスな日にしよう!

2014年9月16日火曜日

画像をアップ


友人からの絵手紙

メキシコ人からいただく
ベランダに出て天を仰ぐとまさにスカイブルー。気持ちいい朝を迎える。

昨日は八本松に工房がある陶芸家の友人宅にお邪魔する。迎えてくれるのは犬の又三郎。なんといっても大きな犬。だが、羊のようにおとなしい。数時間の滞在中も一度も吠えず。ただ、相手をすると飛びついてくる。それでも怖さは感じない。大型犬だがとてもかわいい!

他にも猫を飼っている。その名は次郎。猫は2階にいるらしい。

長居をしてしまった。話はじめると止まらなくなり、よくしゃべる。楽しかった!ありがとう!

今日の画像は先日、友人に送ってもらった絵手紙。三角豆がきれいに描かれている。勝手にブログにアップしよう!

メキシコの硬貨も先日JRで出会ったメキシコ人からのいただきもの。メキシコへは行ったことがない。この硬貨も初めて目にする。

いつの日か、必ずメキシコへ行こう。それにはもうちょっとスペイン語を頑張らないといけない。そしてその時はこの硬貨を持参しよう。

今日は午後からフルートのレッスン。元気を出して今日の行動開始!頑張ろう!

2014年9月15日月曜日

忙しく過ごす

忙しい日々が続く。ブログを投稿しようとPCに向かうと電話が鳴る。

以前、立花隆の講演会で知り合った陶芸家だった。話が弾み、急きょ、午後からはその人のうちに伺うことに…。

昨日も忙しく過ごす。午後からは知人が出演する演奏会に出かける。レクイエムプロジェクトの演奏会。原爆の惨事、震災、土砂災害などで多くの犠牲者が出ている。その人たちを悼む音楽会。来月には全国から160人出かけて聖シュテファン大聖堂で演奏会が催されるとか。

いい演奏会だった。チケットありがとう!

出掛ける前、姉から電話がかかる。お墓参りをするという。わが家に着くと姪の子供も一緒だった。

姉の長女の一番下の男児で6歳。今年小学校1年生。1,2か月見ないうちに大きくなっている。いつも母親に付きまとっていたチビも「もう泣かない!」らしい。大きくなった!

あまりにもかわいいので写真を写す。ポーズをとって立っている。その写真を写メールにして一斉送信。

男児と言えば妹の長男もかわいかった。だが今や2児のパパ。3年半前の不幸の際に会ったときはもう〇ちゃん、の面影はない。でも、ちゃん付けで呼べる。これは姉妹の子供だからだろう。

母親が男の子を溺愛する気持ちはチビを見ているとよくわかる。

チビであっても一人前の男児。お墓に参っても祖父である義兄と同じことをやりたがる。これがまたかわいい。

義兄と言えば昨日はありがたかった。

最近の雨続きで玄関横の樋から水があふれ出ていた。10数年前にすべてやりかえたはずなのにおかしいと思っていた。見ると、大きな四角い穴が開いたようになっている。ところがこれが素人の浅はかな知恵で、ビニールテープで応急措置をする。

だが気になる。昨日義兄に見てもらうと、風などの影響で樋がずれているという。両手で樋をもってずれを直してもらう。何秒もかからずにいい具合になった。

これを見ていた姉曰く。妹や自分の娘ならばこれくらいのことはわかる。わからないのは〇子だけ、と。こういわれても当っていると思うだけ。姉も妹もとても器用。まして姉の旦那はもっと器用。だからその娘たちも器用。

他にもモミジ、レモン、糸杉が狭い庭を占領している。これもどうにかしたいと話すと秋になると切ってくれるという。ありがたい!

昨日はほかにも楽しいことがあった。演奏会に行く途中、JRに乗車する。前に座った人は外国人。若い男女で着ているシャツに「ここ」というスペイン語のロゴがある。思わずそれを話すと気楽に応じてくれる。

だが思うようにスペイン語が出ない。それでも何とか話しているとメキシコ人だった。宮島に行くらしく地図を持っている。だが乗っているのはJR。地図は市電の地図。この違いの説明ができない。

もっとスペイン語、頑張らないといけない。

この2人からメキシコの硬貨3枚をいただく。硬貨の話をしようとしたらしい。だが、目的地に到着間際で降りなくてはいけない。こちらは何もあげるものがない。ありがたく記念にいただく。

女性は右腕にタトウーをしている。これにはびっくり。だが、親しみを込めて硬貨をくれた。

今日はこれから図書館、スーパーへ行き、お昼を食べると八本松へ行く。忙しくなりそう。今日も元気を出して頑張ろう!

2014年9月14日日曜日

「生き生きしてるね!」

昨日は一年前に入会した某研究会に出席。一年に一度の行事は多い。そのたび、月日のたつのが早いと感じる。

久しぶりに大学で講義を聞く感じの研究会。錆び付いた頭を取り戻すには、いいリハビリになりそう。日本語なのに聞き始めは何のことやらさっぱりわからず。途中からレジュメを見て意味をつかむ。

比較文化の研究は世界のあらゆることが取り上げられる。昨日はハンブルグの文化と政治。そして日本の著名な美学者。聞いていても知らないことばかり。だが、それも次第にわかってくる。

2件の研究発表を聞いた後はこれからの会運営の話になる。話の中でFacebookの活用が話題に。おおー、ついに私もFacebookデヴューと思ったりする。

会も終わると、次はお楽しみの懇親会。場所を移動して会場へ。

先生を交えて、といっても出席者の大半は大学の先生。ビールを飲んで話も弾む。この会で昨年知り合った先生には他にも美学を教わっている。

「生き生きしてるね!」、と先生から言われる。そう聞くとやっぱり嬉しい。ついつい、食べたり飲んだりするのは楽しい、と言ってしまう。そして元気のもとの泳ぐ話になっていく。

年だけは一人前にとっている。今からヨボヨボしていてはいけない。せめて若さのカバーは元気でなくては…。

隣の席の人は35歳と若い!

5年半前まで6年間、大学で学んだ。ということは若い彼と同時期に学んだということ?

今、こうして同じ話題ができることは幸せなこと。そう思って話をする。

頭を錆び付かせず、いつまでも「生き生きしてるね」、と言われるように頑張ろう。

今日も元気を出して!

2014年9月13日土曜日

2枚の絵手紙から

天高く…、まさに今朝の空である。透き通った真っ青な空。風もある。これにコスモスが咲いていればもういうことはない。今朝はこれほどの秋景色。だが、コスモスは家の近くで見られない。

昨日はスリランカの旅で知り合った宮崎のお坊さんと、高校時代の友人から絵手紙を受け取る。

どちらも心温まる絵手紙。もらって嬉しかった!またとてもありがたかった。

宮崎のお坊さんの葉書には「海外へと夢はふくらみますが、現実は目が回るほどの忙しさ。」とか。しかし、それでも海外旅行は「年に一回の楽しみのようで次はボロブドールをねらっています。」とある。

ここはまだ出かけていない。旅の詳細は聞いていない。だが、行けるようであればぜひとも行ってみたい!

高校時代の友人の絵手紙もこれまたとても上手に描いてある。友人とは年賀状のやり取りだけの年が多かった。ところが1年前、知人の合唱団の演奏会受付でばったり出会う。

久しぶりのご対面で懐かしかったし、嬉しかった。この時、とっさにブログの話をした。友人はこれを覚えていてくれたらしく、「毎日ありがとう!」との言葉を添えて緑色の鮮やかな三角そら豆を描いている。

さらに、文を読むと「今日も元気でという最後のフレーズ、私も元気を分けてもらっています。ありがとう。」とあり、続けて「内容も素晴らしく本の紹介など勉強させてもらっています。」とある。

勝手にブログに投稿して申し訳ない。

突然の絵手紙でびっくりしないようにとも書いてある。びっくりはしないけど、本当に嬉しかった!

絵手紙をいただいた友人には高校時代、本当に仲良くしてもらった。

それがまた、何十年後もこうして優しい言葉を書いてもらって本当にありがたい!

ブログを投稿して、こういうふうに思っていただけるのは本当に嬉しい。「今日も元気で!」は自分自身をブログを通じて元気づけている!?

おかげで今はとても元気!

〇〇さん、絵手紙ありがとう!嬉しかった!コメント、大丈夫です。待っています!

今日は午後から某研究会に出席。長丁場の一日となりそう。

そう、今日も元気を出して頑張ろう!

2014年9月12日金曜日

弾丸ツアー

先ほど美術講座を受講して家に帰る。今日は先生を交えてお昼を食べる。決して若いとはいいがたい美女(?)7人に囲まれての先生との食事会。勉強が主か遊びが主かわからなくなりそう。本当に楽しい!

次回の美術館巡りの話題も美味しい食事処が優先しそう。みな楽しみ方を知っている。

今日の講座は「西洋美術と花」。旧約聖書から雅歌を習う。この雅歌、初めて知るキーワード。

12,3世紀ごろから絵画を五感で味わうことが始まったらしい。絵画の中の花は嗅覚、楽器は聴覚…というように絵を見て五感を味わう。なんと素晴らしい!

雅歌に関しては「花園に咲くバラの香り」を教わる。検索すると池上氏の論文が出てきた。後でゆっくり読もう。

一枚の絵、それも花の絵から絵と信仰が結びつく。Heemのチューリップの絵にある十字架もそうらしい。

話は変わって深夜、東京にいる姪から一斉メールが入る。一斉と言っても姪の母である姉とその長女、そして私の3人。海外に出かけるとき、いつも姪は一斉メールを送信してくる。

昨夜はカープも負けて早く寝ていた。ところが真夜中にメールが入る。「これからイランへ行ってきます。弾丸ツアー5日間。ご心配なく!」とある。

この姪は自分の子供のようにかわいい!また母も一番かわいがっていた。

この時期にイラン、と聞いて驚く。イランへは20年くらい前に出かけたことがある。ともあれ気を付けて楽しんでくるよう返信する。

ところがこの弾丸ツアー、聞いたこともない。先ほどネットで検索。短期のツアーらしく、商品名とある。

イランは現地で着用する衣服も厳しかったとメールで知らせる。だが、今はゆるくなっているらしい。

昨日のことと言えば、午後からプールに出かける。ところが、お節介なおばはんにつかまり、背泳ぎでああだ、こうだと言われる始末。こういう人が一番の苦手!

背泳ぎの足が沈んでいるから、頭を下げるようにという。しまいには自分の泳ぎを見せてそのようにしなさいともいう、見ていないと話すと何故見ないのかと言い出す。

30往復すると威張って言うので「すごい!」とほめてあげる。よく考えたら、自分自身も20往復している。大したことではない。

他の人からも話しかけられる。背泳ぎで最後まで泳ぎ切らない。これは癖か、と聞かれる。癖ではなく、頭が壁にぶつかるのが怖いだけ。そう話すとクロールも途中で泳いでいないとほかの人が言う。クロールはいくらでも泳ぐからそういうことはない、と話すと先方も黙る。

本当にどの人も人の泳ぎを監視しているのだろうか。

いくら話しかけられてもこういうおばはんたちのグループには入りたくない。

マイペース、マイペース。

今日は半分過ぎた。もうちょっと元気を維持しよう!

2014年9月11日木曜日

『しあわせの六十越え』

ひとときも油断できないほど、日本のあちこちで災害が起きている。テレビをつけて、まず目にするのは〇〇警報。さらにはこれまでに経験したことがないほど…の情報。

このごろ住んでいる町では絶好の秋日和。長い雨の日から解放されて、やっと秋、の思いが強い。だが、これも束の間のことになるのだろうか。

今や日本全国、災害が起きないといえる場所はどこにもない。いつわが身に降りかかるかもしれない。それくらい異常気象続きの毎日。何もないのが一番、普通の生活でいい!

今朝も秋晴れ。午後は自転車に乗って泳ぎに行こう!

以下は以前読んだ近藤勝重著、『しあわせの六十越え』(大和書房、2007年)。

 いつものように気になる個所をメモしよう!

※スイスの心理学者、ユングが提唱した「幸福の五条件」(7p)
1心身ともに健康であること
2美しいものに感動する能力を持つこと
3幅広く豊かな人間関係を有すること
4朝起きた時、その日にやるべき仕事があること
5自分で程よいと思う程度のお金を持っていること

※何かを得ようと思えば、何かを失うものです(34p)。

※自由に生きられてはじめて人間は今を楽しめるのです(37p)。

※「友だち以上、恋人未満」の関係となれる人がいるなら、第二の人生もひと味違ったものになるかもしれません(55p)。

※ホレるもボケるも同じ「惚」。惚れて惚れて、あとは惚けてそれもまたよし。おふたりには幸せな老後だったと思われます(59p)。

※笑いも涙も一持的に頭が真っ白になる。…年をとって涙もろくなった、なんて男はちょっと照れたように言いがちですが、涙もろい、大いに結構。そこに歌があれば、歌うこと自体ストレス解消になりますから、なおさらいいのです(77p)。

※人は半ば本能的に感動体験を語り、その喜びを再生しているようです(104p)。

※新しい趣味に打ち込んだり、楽しいことをはじめる。それだけで外出の機会や人に会うことも多くなりますし、必然的に情報量は増えてきます。大きな副産物です(176p)。

※一人暮らしの寂しさより、気持ちが上手く寄り添えない夫婦それぞれの孤独感のほうが深いのです(184p)。

※年をとるのも悪くはない。今なお半端な自分がわかるのも、年を重ねたからだ、と(209p)。

※「普通の女性が一番きれいになるんです」(216p)

※今生きていることがありがたく思えるなら、それが幸せということではないのか、と。幸せというのは、人と比べてどうのこうのではないでしょう。あくまでも自分が自分の今をどう見るか。それがすべてのように思われます。…老いるときは老いる。死が来たら来たときのこと。それが幸せに生きるということです(226p)。

※お金より生き方とか、心のありようのほうがより大切だ…(229p)。

2014年9月10日水曜日

さわやかな話題

日中は気温も30度を超える。だが、最低気温は20度前後と過ごしやすい季節になってきた。というよりも、雨続きの毎日からやっと解放された、との気持ちが強い。

部屋の窓を開けて外を見る、そういうことさえできない日が続いていた。精神的な解放と物理的な窓の開放。どちらにしても気分は爽快!

雨続きでは庭に出てレモンを眺めるというゆとりさえもなかった。先ほど、レモンの実を数えると、17個の実をつけている。

昨年は5個、一昨年は1個、その前年も1個。今年は17個。なんと優秀!?

今年は全く消毒をしなかった。天然のままで青々とレモンは実をつけている。このレモン、木になっている間は青いまま?我が家を通り過ぎる人から聞かれてもわからない。

雨が降った割には果物は豊作なのか、無花果、ピオーネ、桃など野菜と比べれば安い!

昨日のフルートのレッスン後もデパートの食品売り場を見て歩き、無花果を購入。

レッスンではソロの曲とアンサンブルの曲をさらう。アンサンブルは練習不足。先生とのジョイントであわない箇所がある。レコーダーに録音したので、これを聞いて練習、練習!

今朝見たある人のツイッター。老いた母親と差し向かいでご飯を食べると「これも食べなさい、あれも食べなさい」とふだんの2倍くらい食べさせられたとか。ところが母親は何かの拍子にしみじみとお腹を見て、「あんたデブになったわね」と言われると書いている。

「落ち」ではないけど、「出不精」は「でぶ性」と同音ですね、とツイートしている。

人のツイッターもこういうのは見ていて微笑ましい!どんなに偉くなっても母親の愛には勝てない!年の頃は、ほぼ同年代?いいね、母親とごはんが食べられるのは…。

朝からさわやかな話題とお天気。家にいてはもったいない。今日はプールは定休日。泳ぎは明日にして自転車に乗って外へ出よう。出不精にならないように。

2014年9月9日火曜日

「唐ヲゥーつむぎ」の意味


 
中秋の名月の昨日、合唱に行く。8月はお休みのため久しぶりに皆と会う。話題はおのずと先日の土砂災害。合唱の練習場所は被害があった安佐南区にある。

最寄駅から徒歩で会場に行く途中、道の横には川が流れている。だが、災害の影響か川には土砂が埋まり、土嚢も置いてある。幸い、この辺りはひどい被害はなさそう。だが、合唱の人の中には避難された人もいると聞く。

さっそく義援金の話が出る。昨日は合唱と町内会に義援金をする。

災害の影響は合唱にも及ぶ。秋の発表会は災害の関係で中止に。気分を入れ替えて、月にちなんだ曲を何曲か歌う。 他にも練習していた♪芭蕉布♪や♯ホフマンの舟歌♭も歌う。だが、芭蕉布に出てくる“唐ヲゥーつむぎ”の「ヲウ」の意味がわからない。 皆で考えても意味がつかめず、ネットで検索。以下は沖縄県立図書館のレファレンスによる。

★「唐ヲゥーつむぎ」について 『ふるさとふるさと』(吉川安一、やまねこ出版、2004年) 12~13Pに「芭蕉布」の歌詞・解説あり。 「唐ヲゥー」は「芭蕉の繊維」とある。電話で確認したところ吉川氏の出身地鳩間島では「芭蕉の繊維」のことを「唐ヲゥー」といっていたとのこと。「芭蕉の繊維を紡ぎ」という意味になる。(※吉川安一氏は「芭蕉布」の作詞者)

方言辞典などでは「唐ヲゥー」の意味は地域によって若干異なっているらしい。

練習を終えるとお昼を食べに行く。途中から2人増えてにぎやかな食事会。1人は近くの人らしく皆で合流して楽しそう。近くに住んでいないので、地域的な話はさっぱり分からない。だが、人の良さそうな人ばかりで話題は尽きない。

昨日は途中、JRで日本画の人にばったり出会う。目の前の席なのに、その人がJRから降車するころ気づく。“柿のブログを見た”、と話される。下手でもそういわれると嬉しい!

今日は午後からフルートのレッスン。フルートといえば、合唱の代表からクリスマス会で吹くよう言われる。クリスマス会ではほかにもフラダンス、太極拳、フォークダンスなどもあるとか。

人前で吹くのはかなりのプレッシャー。だが、吹くことに慣れるかもしれない。

ともあれ、今日もフルート、頑張ろう!

2014年9月8日月曜日

『幸福論』

降り続く雨の日、図書館の新刊予約でなく、蔵書の棚から借りてきた吉本隆明著『幸福論』(青春出版社、2001年)を読む。

何かをしようと思うと気がのらないことがある。こういう時は心身ともに疲れている。

母を介護していたころ、フルートのレッスンを中断。楽器を見ることや触ることさえも嫌だった。このまま、フルートも習わなくなるのか、と思った。ところが、気持ちが落ち着いてくると習わずにはおれなくなる。

本を読むことも泳ぐことも旅行することも、さらには歌を歌うこと、絵を描くことなどすべて、それは当てはまる。自分にとっての元気のバロメーターはこういうことからわかってくる。

そんなことを考えながら読んだ本。以下はいつものごとく気になる個所の抜粋。

今日はこれから1か月休みだった合唱へ出かける。元気を出して歌を歌おう!

本の著者も述べている。小刻みの時間の幸せでいいらしい!今日は歌を歌うわずかな時間が幸せということ!?今日も楽しく!

※(不安にさせる人に出会っても)よくなりたくて出掛けていくのに、脅かして不安にさせるだけの医者や坊さんだっているわけです。こちらの精神状態なんかおかまいなしに押さえつけるような紋切型の説教をばかりする。(こういうところは行ってはいけない)40p

※ちょいとしたことでも、感じが上向く感じだったら幸福、下向く感じだったら不孝というふうに、刻み方を変えなきゃ駄目だと気づいたわけです。38p

※先のことが心配で心配で仕方なくなっても、心配するだけ損なんだから、それよりも今起こっていることに注目するほうがいい。それが幸せでも不幸せでもです。そうした時間の刻み方を細かくすることでしか、人は生死の不安の重圧から逃れないと思います。45p

※知識というのは、自分が本当に好きになった分野に打ち込んでみて、はじめて必要になるものです。それ以外は要りません。66p

※年をとってくると、今日読んだ小説の細かい部分は明日になると全部忘れてるということがありますけど、必ず残る部分があるんですね。その部分が蓄積していくと、あ、これはあそこにあったなとか思うようになって、あたかも全般的な大家のごとく自分でも錯覚するくらいになる。そういうふうに思えてくるんです。そうすると、あるときに、あっという感じで、それまでの勉強の成果がつながっていくんですよ。84p

※僕は自分でも、六十五から七十五歳の十年間、いろんなことを実感し考えてきました。…ただ僕が言えることは、考えられること、やれることはみんなやっちゃうほうがいい、ということです。114p

※僕は老人の場合、精神的な要素がまったく入らない身体の不自由なんて一つもないよって言えるくらいだと思っています。老人問題というのは、すなわち精神問題なんです。178p

※足腰が痛くなろうと、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。194p

※結局、自分の体をいちばんよく知っているのは自分ですから、自分がいいと思うことを自分でやる以外どうしようもないいんじゃないかと思います。196p

※自分の葬式は簡単にしてくれ、とか冗談言うなといつも思っているというのが正直なところです。そんなことは余計な心配だと思います。死は他人のものなんだから、他人がどうしようが、そんなことは僕が何か言うべきことに属さないと思っているわけです。だからそういう意味では死を迎える心構えなんて何もないというよりも、意図的にそんなことは考えない。210p

※(親鸞は)生死は不定である、ということだけ言っている。…誰がいつ、どこで、どういう病気で、どういう死に方をするかは一切わからないし、はたからわかるはずはないし、ご本人もわかるわけはない。だから、そういうことについて言うのは無駄であると親鸞は言っています。220p

※わたしの好きな親鸞は『教行信証』という本のなかで、「幸福の国を求めていって、もし疑いの網に覆されたなら、また元に戻ってきて、再び永い永い歳月の遥かな旅へ出かけよう」と述べている。やはり親鸞はいいなあと思った。反対に唯物論者の本を読むとマルクスは「人間も自然の一部だ」と言っている。また毛沢東は、一九六〇年頃に訪中した日本の文学者たちを前に「自然には勝てません」と老齢の自分を語ったと、雑誌で読んだことがある。『毛沢東語録』というのはつまらない本だが、この「自然には勝てません」というのは、毛沢東の最上の言葉だと思う。(あとがきより)

2014年9月7日日曜日

堀塗り

柿 色紙 水彩画

今日の最高気温は32度の予報。朝から久しぶりに日差しがまぶしい。とはいってもこの陽気、いつまで続くのやら。怪しいものである。

昨日のこと、日本画教室を出るころには雨が降り出す。家に近づくと近所の人から大雨が降ったと知らされる。

季節の変わり目がなく、ふと今何月と思ったりしそう。もうすぐ秋のお彼岸もやってくる。季節はやはり秋!?

昨日は以前スケッチした柿を水彩で色紙に描く。ヘタ部分に最後に先生の手が少し入る。だが、自分で描いた絵を見て、いつもながら自己満足の世界に浸る。

日本画を習い始めて、というかナニゴトも自分で描いたものややったものは愛しくなるもの。日本画を習うよう誘ってくれた友人は描いた絵は写真に収めた後、額ごとすべてを人にあげると話していた。

こういう発想は今のところない。というか、人にあげるような作品ではない。また、人からもらっても置き場に困る。

作品といっても今はまだ本画にまで至っていない。昨日も15年習っている人の本画を見せてもらう。とても繊細に描かれており、色彩も落ち着いた配色がされている。見ていてもうっとりする。あと15年すればこういう絵が描けるようになる、そう思って習うしかない。

末席に位置するものと1年ほど早くから習っっている人の2人に、先生はいろんな色見本を集めるよう話される。これは例えば雑誌や新聞など何でもいいとか。いろんな色彩を集めて色の見本のファイルを作る。

昨日の先生は2人に向かって「これからは厳しくいこうかね」と気合が入る。ありがたい!

先週習って投稿し忘れたキーワード。メモを見ると「堀塗り」だった。デッサンの線を残して色付けをすることらしい。柿の葉の葉脈の描き方でそれを教わる。

また昨日は先生からこれからのやり方を教えていただく。そろそろ習い始めて1年が来る。日本画は一度で出来上がる作品ではない。何度も重ね塗りしてやっと一つの作品になっていく。

大まかな描き方でなく細かい作業が多い。また、一つ一つ段階を追って教えてくださる。これは絵の素養がないものにとっては本当にありがたい!そういう意味でも日本画は性格的に合っている。

蒸し暑くなってきた。今日も自転車に乗って外へ出よう!

2014年9月6日土曜日

『NHK団塊スタイル 身軽に暮らす45の知恵』

『NHK団塊スタイル 身軽に暮らす45の知恵』(講談社、2014年)を読んだ。この本はNHKのEテレ「NHK団塊スタイル」を元にして出来上がっている。

この中で、風吹ジュンは「旅は大事な元気の源。自分の足で歩き、感じることから、力が生まれる」、「旅は仕事を頑張った自分へのご褒美であり、厳しい環境の地を選ぶのは負荷でもあります。不便な土地を歩き、過酷な状況の中で不自由な旅をすると、日本の豊かさがよくわかります。何事にも感謝するようになります。体力的、精神的に自信がついて、仕事にも意欲的になれるんです。」、「食べること、舌で楽しむことが好きで食を求めて旅に出ることも多いですね。…お金をかけずに旅して、現地の人たちと触れ合うのも旅の醍醐味です。」と述べている。

本当にそう思う。風吹がいうように「旅は仕事を頑張った自分へのご褒美であり、厳しい環境の地を選ぶのは負荷でもあります。…」には全く同感。

働いていた時に出かけた旅と暇人になってからの旅とでは、旅への意気込みが全く異なる。旅は忙しい中に出かけるのが楽しい!仕事の合間に行く旅は福岡、関空、名古屋そして成田まで行く新幹線に乗った時点で、「旅に行く!」という強い気持ちになる。(当時は地元から海外に行く空港がなかった)

そのためか、必然的に人が出かけない辺境の地を好んで旅した。ところが今はそれも薄れている。

今までを振り返っても辺境の地であるチベット、シルクロード、ブータン、パキスタン、旧ソ連、ペルー、九寨溝などの旅で知り合った人とは今でも交流がある。そのほとんどの地では高山病を体験。本当に過酷な旅だった。だが、参加者は皆優しい。おかげで旅も楽しい!

この本を読んでますます外へ目を向けようという気持ちが募る。旅はやっぱりいい!この本に書いてあるように旅は思い出として残ってもモノとしては残らず、身軽に暮らせる。これがいい!

いつまでも旅が続けられるよう元気で過ごそう!

2014年9月5日金曜日

蚊食鳥

今朝の地元紙のコラム欄。代々木公園の蚊、が話題となっている。コラムによると蝙蝠が蚊を捕食するとか。それ故、蝙蝠は蚊食鳥の別名があるという。

最近では蝙蝠もあまり見かけなくなった。というか雨でどこかへ避難している!?

この蝙蝠、西洋では吸血鬼になぞらえて好まれる生き物ではない。ところが中国では蝙蝠の発音は”bian fu”。これは「変福」の発音と近い(蝙bianは一声、変bianは四声の違い)ことから吉兆とされている。

同じ生き物でも国によってそのとらえ方が真反対とは面白い!

さて昨日のこと。小雨の中、思い切って自転車に乗って泳ぎに行く。これは大正解!

受付でおっさんが「次のプールの休みはいつかいのー?」と聞いている。「明日と明後日です」と受付。館内の祭りのための臨時の休みらしい。雨に負けて今日にしていたら泳げずにいた。

プールは市のものでなく隣町が運営している。そのため町の情報は隣の町に住んでいても全く分からない。受付に名刺の倍くらいの印刷したものが置いてある。これが休みの情報らしい。ともあれ、昨日は泳げた。

だが、休み前のためか泳ぐ人が多い。こういう時は背泳ぎでは十分に泳げない。ほとんどをクロールで泳ぐ。

今朝は部屋の窓を開けて空気の入れ替え。やっとお天気になった!自転車に乗って元気に外へ飛び出そう!

2014年9月4日木曜日

『本番に強くなる』

今朝見た人のツイッターではないが、「ほんまによう雨が降る!」。晴れマークの天気予報も外れて、雨ばかり降り続く。からっとしたお天気の日はいつ戻ってくるのだろう。

ごみを出しに外へ出ても、ひっそりと静まり返っている。これじゃ、行楽の秋もどうなるものやら…。朝から元気をなくしていては一日がもったいない。プールへ行く気になっている。だが、やっぱりネックは雨。早く晴れの日が来てほしい!

昨日はお天気。しかし、プールは定休日。思い切って髪のカットに行く。『たまごクラブ』という雑誌があるとか。美容師さんは東京にいる娘さんが来月号の表紙を飾ると嬉しそうに話される。

家でネットで検索すると今月号の表紙の掲載がある。表紙を飾るくらいだからきっと美人。電話でネットで見られると教えてあげる。だが、娘さんは今月中旬の発売号に載るらしい。

白石豊著『本番に強くなる』(筑摩書房、2013年)、サブタイトルは「メンタルコーチが教えるプレッシャー克服法」を読んだ。“本番”といえばフルートの発表会がある。毎年、フルート発表会では思うほどにはフルートが吹けない。いつか満足して吹けるようにと思うばかり。

この気持ちをせめて少なくするためにも、と思って読んだこの本。こういうことは本で理解するものではない。気休めで読む。この本に書いてある姿勢、呼吸に関してはフルートを習い始めたころから先生にいつも教わっている。

フルートは吹いている自分の身体が楽器のようなもの。だからだろうか、先生はいつもその2つを重点的にアドバイスされる。

またいつものように気になるところをメモしよう!

※8つのメンタルスキルとして意欲、自信、感情コントロール能力、イメージ想起能力(視覚化)、集中力、リラクゼーション、コミュニケーションスキル、セルフコミュニケーションスキル39-41p

※(NHKの「プロに学べ、脳活用スペシャル」で茂木健一郎が厳選した3つの秘訣から)一つ目は「アイデア発想法」、二つ目は「プレッシャーの克服法」、そして三つ目はモティベーション」だった。…「アイデア発想法」についてのプロたちの共通項目は、なんと“寝る”ことだった。二つ目の「プレッシャーの克服法」は“苦しいときにもあえて笑う”。…三つ目の「モティベーション=やる気」については“目標を達成し、達成感やお金などの報酬を得ようとする欲求のことだ”と定義した。…目標はあるが報酬がないのでやるきが続かないという問題については、“小さな成功体験を大切にする”という方法を提案している。52-55p

※プレッシャーによって「わあ、どうしよう」→「おう、来たか」と言う。58p

※「みんな、いっしょや」と言ってみる。64p

※感情をコントロールする有効な三つのツールは体(姿勢、表情)、呼吸、言葉である。78p

※やはり笑顔は、感情コントロールの最強ツールである。88p

※高ぶった感情を鎮めるための呼吸法を行う。呼吸はすべて鼻で行い、吸う息と吐く息の割合を一:二にコントロールする。91p

※自信は「良い結果が出てから、後で持つもの」ではなくて、「良い結果をだすために、あらかじめ持って事にのぞむもの」…バッシャムの考えから。129p

※「大丈夫、やれそうだ」と考えられる心の奥底に存在しているものが、セルフイメージ=自己像である。…その大きさこそが自信の大きさと比例する。131p

ブログ投稿後、FMから聞いたことがない昔の音楽が流れる。いい曲なのでここに載せよう。「何のために」 (ザ・フォーク・クルセダーズ)

2014年9月3日水曜日

♪赤い花白い花♪

歌を口ずさみながらこちらに人がやってくる。どこかで聞いたような曲。思わず知らない人なのに「何の曲?」と尋ねる。曲の名は♪赤い花白い花♪だった。 その人は近いうち、ライアーを習っている人と敬老会でその歌を歌うという。楽譜を見せてもらうと初見でフルートが吹けそう。楽譜通りにフルートを吹き、歌を歌う。だが、フルートでは音が低すぎる。1オクターブあげると歌とうまくハモる。

場所は文化センターのロビー。歌にあわせてフルートを吹いているとライアーの人たちがやってくる。その人たちとフルートの音楽談義がはじまる。

こういう時、音楽はいい!この人たちに「なぜライアーを習っている?」と聞くと2人からは介護の気休め、との言葉。あまりにもいい人たちなのでその合間にも歌とフルートで盛り上がる。互いの先生が到着されるまでの束の間のひととき、楽しく過ごす。

レッスン前、先生からさくらんぼと実の付いた柿の小枝入りの発表会のプログラムを見せてもらう。自分で描いた絵がプログラムに載るのはうれしい!

日本画の案内状の配布をフルートの先生にお願いする。次のレッスンの人にもその話になる。次の人とは親しく話したことがない。ところがなんと人は見かけによらぬ(失礼?)話しやすい人だった。その人の娘さんは東京の美大を出られ、絵には関心があると話される。「どこの美大?」と尋ねるとクロアチアで知り合った理彩さんと同じ大学だった。

先日亡くなられた人のお父様も絵の先生だった、とフルートの先生から聞く。次の人のレッスンなのにお邪魔して話に加わる。すると、今日は亡くなった人を「偲ぶ日」といってエピソードを話される。

その人がフルートを習い始めたあるフルート発表会での話。「あなたはフルートはそれほどでもないけど、なんといっても出演者の中で一番衣装がいいわね!」。その言い方を笑みを混ぜて真似される。その話し方は亡くなった人に似ている。思わず笑いが起きる。

真似して話した人は「一番!」の言葉がうれしかったらしい。

不孝の日、フルート仲間で参列した。その際のことも話される。祭壇の笑顔の写真に向かってお花を手向ける。その時、思わず握手をしようとしたと言われる。それほど、笑顔が素晴らしい人で不幸の真っただ中にいることが信じられないといった話だった。

さてレッスン。曲の出だしの低いレの音が低すぎる。フルートの頭部管と胴部管を抜きすぎていると先生。すぐに短くするといい音になる。他にも鼻で息を吸う練習をしていると話す。すると、マウスピースに切手を張るように教わる。そうすると唾も出にくくなる。息は口で吸う癖がついて鼻では多く吸えない。これも練習するのみ!

昨日はお正月明けのベトナム行の申込用紙が届く。中を見ると血液型の記入欄がある。これは珍しい。来年早々も楽しみが待っている!

今日も元気で楽しく過ごそう!

2014年9月2日火曜日

ハネト

ハネト激減 今夏の青森ねぶた99年以降最少
Web東奥 8月31日(日)10時43分配信
 今年の青森ねぶた祭に参加したハネトは4万8千人で、記録が残る1999年以降で初めて5万人を切ったことが、青森ねぶた祭実行委員会の調べで分かった。昨年より3割減、近年最高だった2005年の半分という減少幅について、実行委は「祭り期間後半の雨の影響」「カウント方法を厳格にしたため」と要因を説明する。

これは一昨日のYahooによる報告。ハネトはねぶたについて跳ねたり踊ったりする人。見る側も雨の中では大変。ましてや、ハネトは足袋を履いて飛び跳ねて行進する。これはもっと大変なこと。せっかくのハレの日。着飾った法被も髪飾りも雨にぬれ、参加人員が少なくなるのもうなづける。

それにしてもねぶたは一見の価値がある。なんといっても今回の青森行きは百聞は一見に如かずといわれるように出かけてみて初めて東北を知ったし、その良さもわかった。

昨日は青森行きを誘ってくださった代表ご夫妻ほか参加した3人の計5人でお昼をいただく。場所はパセーラ。青森行きでお世話になったにもかかわらず、何も接待できなかったといってお昼をごちそうしてくださる。ありがたいと同時に申し訳ない気持ちでいっぱい。

広島へ帰る日、外れて一人で帰っ人は欠席。一緒に参加した人のうち、北海道でワイン農場を経営している友人を持つ人がいる。その人が代表に宅配したワインが手違いで青森のご自宅に届かず、広島へ届く。そのワインもいただいて帰る。ありがたい!

もう1人参加者は食事後、絵の教室があるらしく大きな絵3点と写真を持参。この絵と写真で青森の話に花が咲く。10月には冬支度のため、また青森に帰郷されるという。
秋の奥入瀬も見てみたい。いつの日かまた連れて行ってもらおう。

盛岡で見た岩手県立美術館の話をすると、まだ行かれたことがないようだった。幸い、キリコ展のパンフなど持って帰った。見せてあげよう。

そういえば他にも旦那さんからヒノキ油をいただく。青森ではヒバ油をいただいた。ヒノキは檜風呂やヒノキの家など木材としては最高品。どちらの油もお皿につまようじで一滴たらすと殺菌効果やアロマの働きがあるとか。これもありがたくいただく。

今朝の新聞を見ると東北の紅葉の旅がある。1週間の我々の旅は本当にハードな旅だった。昨日も代表は申し訳なさそうにそう話される。申し訳ないのはついていった私たちの方。誰が朝早くから夜遅くまで運転して観光させてくれるだろう。まして宿も提供してくださった。本当に感謝、感謝!

代表ご夫妻の広島のおうちには知り合いから今回の土砂災害の見舞い品が届いていると笑って話される。全く被害はなかったから笑って済ませるお話。

来週からは合唱の練習も始まる予定。だが、災害の被害状況では練習会場も定かでないとか。

ともあれ、平穏な日が戻るように願って今日の行動開始!頑張ろう!

2014年9月1日月曜日

『日本人に生まれて、まあよかった』

 毎日見ている人の昨日のブログ。「一週間で5千人を超える搬送者数を記録した熱中症者数や80人近い死者を出した広島のゲリラ豪雨。天気のことばかりが話題になった夏もようやく終息に向かい、明日からは9月だ」。同じ日本に住んでいても地域によってお天気の違いは大きい。広島はこれから晴れの日が続くと思ったら昨日1日だけで今日は雨になりそうだ。

 平川祐弘『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮社、2014年)を読んだ。昨年台湾へ行った。その時一番感じたことは同じ植民地政策を日本がとっても、何故、台湾は親日で韓国は嫌日なのかということだった。この答えはわからずじまい。ところがこの本を読んでこの問題は解決した。濃い線がその個所である。

 本のタイトル通り、日本人に生まれてよかった、と思っている。特に短いながらも海外に出かけて日本を見ると、それを感じる。ところが、外国で暮らして帰国した人の中に、あたかも自分は他の日本人よりも優越感を持とうとするのか日本や日本人を悪く言う人がいる。こういう人に是非とも読んでもらいたい。日本の何がいいといって一番は言論などの自由があること。政治的なことは言いたくないが、やはり自由はいい!何もかもトップの鶴の一声で決まる国だけは住みたくない!

 以下はまたいつものように気になる個所を抜粋したもの。

 本の裏表紙には「日本人に生まれて、まあよかった—夏目漱石の言葉は、昭和を生き抜いた著者の実感でもある。ところがいつの間にか、日本人は自信を失い、日本は「もてない」国になってしまった。戦後の言論界はどこが間違っていたのか?この国を守り、再生させるための秘策とは?教育、外交、歴史認識、国防…あらゆる分野で求められるのが、自己卑下的な思考からの脱却である。碩学の比較文化史家による、本音の日本論!」とある。

※私は八十二歳の今日に至るまで、東アジア諸国の中で日本のように言論の自由がみとめられている国に生を享けたことは、例外的な幸福であると感じています。…私は類まれな幸福を誇りに思い、言論の自由、表現の自由を尊ぶものとして、その事実を率直に公言することを憚りません。…二〇一四年の日本は、普通の人にとっても本質的に良い社会です。このことは来日する外国人の多くが認めますが、海外生活や海外旅行を体験した日本人もひとしく認めるところかと思います。31-32p

※大新聞が作り出すイメージはおそろしい。東大法学部を出たくらいの秀才は『朝日新聞』の社説こそが正解だと決めてかかっています。今の日本ではその程度の人でも外務大臣や有力政党の幹事長になれるのです。私は長年そういう受験秀才を教えてきたので不安でたまりません。34p

 著者は自己卑下が美徳と化した日本の再生の処方箋を書く。35p

※自分の信ずる者だけが何でも尊いとする、他を顧みない偏狭な心を揶揄する「我が仏尊し」という言葉があります。それなのになぜ「吾がキリスト尊し」という言い方が許されないのでしょうか。これは考えてみると、キリスト教にかぎらず、一神教の熱心な信者については、同じであるらしい。43p

※中華人民共和国や大韓民国では表立って親日的な発言をすれば後難を恐れなければならない。いいかえると憲法に言論の自由は書かれているが、両国には実際問題として日本の悪口を言う言論の自由しかない。そんな近隣諸国であってみれば、その善意に期待しても日本の平和と安全を維持できるわけではなさそうです。61p

※菅直人という人も仙谷由人という人も鈍才だから妙な政治判断を下したのかというと、そうではない。彼らは戦後日本の教育情報空間の中で育った優等生で、いってみれば大新聞の論説通りに行動した。彼らは左翼系大新聞の模範解答通りの答えを述べた。彼らは元旦から朝日を拝まずに朝日新聞を拝んでいた。だからこそ失敗が続いたというのが私の見立てです。87p

※二十世紀の三大独裁者ヒトラー、スターリン、毛沢東でしょうが、その肖像をいまでも飾っている点はドイツ、ロシアと違う中国が、中国たる所以で、やはり、「特色ある社会主義」の国だと思います。103-104p

※日本人には他人が見ていようがいまいが、恥ずべき事をしてはお天道様やご先祖様にすまぬ、という感覚があります。そのような畏敬の念を感じて身を処する人は、近代的に言いかえれば、良心に従って行動しているのです。世間の義理を欠くことを惧れて、外的強制力の下に行動するだけではないでしょう。武士も「俯仰不愧天地」(ふひょうてんちにはじず)などと孟子の言葉を口にしました。……曲がったことはしたくない、という日本人の美学は清らかさを尊ぶ神道の倫理観と表裏一体の関係にあるのです。134p

※(圓山大飯店は)国民党統治時代は宋美齢が所有者でした。それが一度火事にあって燃え上がった。すると台北の市民が街頭に出てそれを見上げて喝采して喜んだ。台湾では宋美齢はそれほど人気がなかったということです。蒋介石の後妻であった宋美齢は、長男の蒋経国とはうまくいかず晩年はアメリカで暮らしました。150p

※戦前の日本警察に取って代わった国民党支配を、台湾人は「犬去って豚来る」といいました。国民党は台湾支配の最初の五百日間に、五十年間の日本統治よりも多いたい1万人を処刑しました。167p

※第二次大戦まで西洋では植民地化はキリスト教化・文明開化とほぼ同義と見られていました。日本も台湾植民地化を文明開化の事業として構想しました。ただし宗教を広めて死後の命を救う代わりに、衛生を広めて人の命を救おうとしたところが台湾総督府民政局長であった後藤新平の偉大さです。その植民地経営はいまも台湾人に高く評価されています。…清らかさを尊ぶ神道の心が衛生を尊ぶ思想の背後にあるからだと私は考えます。169p

※西洋の植民地支配は肯定するが、日本のそれは非難する者がいます。偏した見方ではないでしょうか。……問題は日本が台湾統治に成功したことです。実はその成功が朝鮮における失敗につながりました。化外の地であった台湾と違って、朝鮮は一つの文明の国です。その朝鮮全体をまるごと奪うことは朝鮮民族の誇りをも奪うことになったからです。歴史の真実はそんな二つの場合の相違を見分ける眼識にあるのではないでしょうか。170p

※いわれのない非難にたいしては外国語でも上手に反論できる、西洋一辺倒や中国一辺倒でない日本人エリートを養成したく思います。……日本を知り、外国を知り、外国人に対して位負けせず自己主張のできる人を育て、日本語の正論を外国語にも訳し、諸外国の人をも納得させるようにしてもらいたいと思います。178p

※日本に必要なのは国内国外双方の人たちといろいろ議論して自分の位置を三点測量した上で、物事をきちんと見定めることのできる人だと思います。……近現代の歴史解釈についても修正すべきところはきちんと理由を明示して修正しなければならない。西洋本位がすべてではない以上、その価値基準に盲目的に従ってはならないのです。202-203p

※鈍行列車に乗った人が途中でその新幹線に乗り換える、あるいはその逆に新幹線から各駅停車のローカル線に乗り換える可能性は確保しなければなりません。なぜ乗り換えが必要か。……人生行路の半ばのステーションで急行のキャリアに乗った人も普通に乗った人も一旦車を降りる。そしてその駅で試験を受け直して、その結果で乗り換えできるようにする。そんな工夫があっていいかと思います。211p

※人生の通過儀礼でもある入試に口述試験があれば、若者はおのずと自己表現の訓練をするようになる。227p

※日本人はなぜ海外でおどおどするか。それは外国語が下手だからだけではないのです。日本人である自分の歴史や文化に自信がもてないからです。231p

※今日の日本人はグローバル化する地球社会の一員として、一面では英語をはじめとする外国語の力を身につけねばなりません。しかし他面では日本人としての教養を身につけないと、国際社会で日本人として自信をもって振る舞うことはできません。231-232p