2016年12月28日水曜日

「人はなぜ必ずいつか失われるとわかっているものしか愛さないのだろう」

 週間天気予報を見るとお正月三が日は気温も13,4度と上がって暖かくなりそうだ。今朝は昨日からのお天気が回復して日差しは暖かい。今年も残り少なくなってきた。ただ元気に楽しく過ごせたことだけでも良かったかなと思う。来年もこのままの勢いで楽しく元気で過ごせるように、と願いたい。元気であれば何だって楽しくできる。

 本を読んでいると「人はなぜ必ずいつか失われるとわかっているものしか愛さないのだろう」との五木寛之の文を目にする。208p

 五木はこの言葉を発した人を特定していない。じゃ、誰が…と思ってネットで検索するが今のところはわからない。だが、同じ本を読んでこれをブログにアップした人がいた。同じ思いの人がいるんだ、と妙に親近感を覚える。

 本にはまた「宗教を必要とするのは、病める心(シック・マインド)ではないか、と。…人生のあらゆることに、残酷な真実を見てしまう。そして素直に幸福を喜べない。そんな心を病める心というならば、魚がかわいそう、というのはまさしく病める心の状態です。そして一家で食卓をかこみ、煮魚に舌づつみをうつ瞬間を素直に幸せだと感じる橘曙覧は、健康な心(ヘルシー・マインド)の持ち主ということになる」がある。これは橘曙覧が詠んだ「たのしみはまれに魚烹(に)て児等(こら)皆がうましうましといひて食う時」の歌から引用して述べている。五木は魚は一家に幸せをもたらす自然からの贈り物という。これに対するのが金子みすゞの歌。それは魚を食べる時、人に食べられてしまう魚が「かわいそう」と歌にした。63p

 小さい頃、父が釣って来た魚は何でもおいしい、おいしいと言って食べていた。人の口で食べられてしまう魚を「かわいそう」との思いから食べなければヒトは生きてはいけない。それよりも素直に何でもおいしいと言って味あわせてもらえれば食べられる側の魚にも気持ちが伝わるだろう。

 「私たちは、日常のなかで自分の好きなこと、そのことが自分にとってすごく気持ちがいいとか、自分が幸福感を感じることをもっと大事にしなくてはいけない」と五木。207p

 引用は『新・幸福論』。サブタイトルは「青い鳥の去ったあと」(五木寛之 ポプラ社、2012年)。

 五木が述べているように、新たな年も素直な気持ちを失わず、ささやかな幸せをかみしめて毎日を過ごそう!
 
 お正月、何の感慨もない。せめておいしいモノを求めてこれからデパートへ行こう!
 
 どうぞ佳いお年をお迎えください!この一年、ありがとうございました!

2016年12月27日火曜日

『退屈のすすめ』

 雨の師走でどこへも行かず、旅の文を書く。その合間に笛を吹き、本を読む。本は年末年始の間、活字に餓えそうなので図書館の書架から新しそうなものを適当に借りる。その中の1冊は『退屈のすすめ』(五木寛之、KADOKAWA 、2013年)。エッセイなのですぐに読める。「悪所の卑俗さを残してこそ」では「展覧会や画廊での時間を無駄に過ごさない秘訣は、自分の大好きな『この一点』という作品を探し出し、それに夢中になることである。オペラやバレエを退屈しないで見るためにも、自分の『ただひとりの心の恋人』を探すことが大事だ」とある。125p

 そうかもしれない。国内外の美術館で絵を鑑賞しても、後々まで記憶に残るのは絵よりも建物であったり、グッズ売り場であったりと他の面の印象が強い。これは本末転倒。最近は展示品を一通り見て後でゆっくり気に入った作品を見るようにしている。音楽の鑑賞もそうかもしれない。先日、届いた某交響楽団のクリスマスカード。ファンになるような人から届いたのであればきっと感動するはず。カープの観客動員数もカープ女子というカープを愛するファンで増えている。ナニゴトも「好き」がなくてはモノゴトは始まらない。

 「何とでも遊ぶ」からは「畢竟、人間はその〈虫〉のことのことを忘れようとして、さまざまな慰めの方法や、気分をそらすさまざまな方法を考えてきた。宗教も、芸術も、文化もたぶんそういうものではないか、と私は思う」とある。183p注:〈虫〉とは〈ふさぎの虫〉のこと。

 これも確かに。宗教は特別な宗教を持たない。だが、観光地や日常であっても行く先々の神社仏閣で出会えばなんとなく神聖な気持ちになる。芸術や文化といえるほど大げさでなくても笛を吹いたり絵を描いたりするのは退屈しのぎかもしれない。自分にとっての〈虫〉克服は退屈するどころかとにかく体を動かすこと、じっとしないに限る。これでは退屈のすすめにならない!?

 筆者は「退屈のすすめ」を決してだらだら体を休めろとは言わない。「明るい退屈」をすすめており、「退屈」を「憂鬱」にしないように工夫することをすすめる。

2016年12月26日月曜日

「十分な睡眠」でデブ解消!?

 世間では大きな出来事もなく静かな雨の師走。雨は明日も降るらしく、自転車にも乗れず家でじっとせよということ!?先日から久しぶり、パソコンのワードに挑戦して旅の紀行文を書く。ところが旅も帰国後2か月も過ぎると、いくらメモを頼りにしても文は進みそうにない。ましてやトラブル続きの旅。その面が頭にこびりつく。どこを見学?と聞かれてもひとくちにここ!と言える箇所がない。それでもメモと写真を頼りながら疑問の箇所を調べて文を書く。

 パソコンの前に座ってワードを駆使しているとまるで仕事をしている感覚になる。今日も良く仕事をした!とまたまた自己満足の世界に浸る。そして珈琲タイムに甘いものを口にして静かに師走は過ぎていく。

 師走といえばこれから迎える年末年始。ネットによると「太らず年末年始を乗り切るカギは『十分な睡眠』 食欲抑制に効果あり?」の記事がある。遊び人となって以来、年末年始に関わらず、油断すれば太りそうな気がする。体重は若い頃と変わらなくてもお腹周りはその頃の比ではない。「十分な睡眠」と記事にある。これは誰がどういっても睡眠不足はあり得ない。もしも睡眠が十分でなければお腹周りはどこまで太るというのだろうか。怖い、怖い!
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161225-00014572-forbes-hlth (参照)

 雨で自転車に乗れず、プールも休館、図書館も休館、習い物は休み…といつもの動きの何分の1になる生活。デブにならないように睡眠を十分とって年末年始を過ごす!?これしか太らない方法はないのだろうか。とはいってもヤッパリ、動かずに口から入れるものが増えれば太ること間違いない!

2016年12月25日日曜日

穏かな師走

 毎朝、まず先に目を通すのは朝刊の黒田物語。このシリーズも第5部になった。カープに戻ってからの黒田しか知らないが、カープ復帰も本人にとっては大きな決断だったようだ。読んでは感動して涙を流し、そして一日が始まる。

 他にもこの時期になると紙面をにぎわす「初詣は二葉山山麓七福神めぐり」の案内。2,3年前から七福神めぐりをするようになった。どういっても広島駅すぐ裏の山ふところにある神社仏閣。場所が良すぎる。他にも同じく駅裏からピストン輸送で無料バスが出ている神社へも参拝する。新年にお参りするのがお正月の行事となった。参拝後、神社でお神酒をいただいて駅前のデパートで福袋をゲット。これも新年の楽しみ。


 新年の楽しみの前にまだ今年も数日ある。図書館も年内は今日を入れて2日ほど開館する。予約の本を受け取ると同時に年末年始に読む本も借りよう。北海道は大雪に見舞われて大変。広島は暖かい師走で雪は降りそうにない!

2016年12月24日土曜日

黒田&清原関連記事

 朝から野球関連のテレビや記事に感動する。まずはNHKの「カープ愛」の黒田投手と相葉の対談。前回も感動したけど今回の再放送もそうだった。いいものは何度見てもやはりいい!記事は地元紙の黒田投手の連載。黒田はガンで親を亡くしている。そのためか、球場の年間指定席10席を自費で購入してガンの人たちに試合を見てもらっていたという。他にもネットの清原の記事。犯した罪は悪いとしても、なぜか応援したくなる人だ。立ち直ってくれることを期待したい。

 今年もあと少しとなった。昨日はプールで泳ぐ。受付で年末年始の開館日を聞くとあと4日で休みに入るという。今年最後の泳ぎになる、と思って泳ぎ始める。相変わらずプールの中は温かい。来年も元気を出して泳ごう。以下は清原のネット記事から。 
清原和博氏 事件後初告白「薬物は本当に恐ろしい化け物で怪物で悪魔」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161224-00000069-spnannex-base
戦友たちの30年越しの告白に感謝を。
清原和博からの1本の電話。
http://number.bunshun.jp/articles/-/827112

2016年12月23日金曜日

「人生最大の賭け事」

 朝刊に入るフリーペーパー。そのなかに「人生最大の賭け事」を読者に問う頁がある。結婚、病院選び、転職など人によってそれも様々だ。これを自分に当てはめるとそれらはいずれもあてはまらない。ということは人生を賭けるようなヒト・コト・モノに出会わなかったということ!?これはほめられたことではない。というかあまりにも凡々と時だけが過ぎている。というよりも人生の節目を考えることもなく過ぎ去った、が当てはまるかもしれない。

 それは職業に関して特にそうだ。思いもよらない人の縁によって携わってきた。それは転職の時も同じだった。それでもこれまで何とか無事に生きている。自分で人生を賭けようとしなくても何とかなるもの。徒に計算づくで生きるよりもなるようにしかならない人生。自然のままに過すのもこれはこれでいいのかもしれない。

2016年12月22日木曜日

執着!

 半月余り前に届いた企業年金のお知らせ。受け取った日にその後の手続きをする。それからまたハガキが届く。これは生存確認の提出書類不要の知らせだった。この間、モノゴトに執着しないはずなのになぜか気になる。それも薄らいだころの昨日、また書類が届く。前回もフリーダイヤルで年金基金と連絡を取る。諦めモードで月日が過ぎた。昨日の書類を見て、まさか?と思い直してフリーダイヤルする。一番の関心事を相手側に伝えられないもどかしさ。それでもこちらの知りたい結論を伝える。当然と思える回答だった。すぐに勤めていた同僚に電話する。前回の考え違いを改めて、朗報を知らせる。

 夜、お風呂に入ると、また書類のことが気になりだす。お風呂上り、気を落ち着かせて書類に目を通す。心配していたこととは違って大丈夫、と確信する。それにしても…。どういっても年金生活者。国の年金だけでなく、企業年金であってもその行方は気になる。これからはこれに関しては変わらないので一安心。

 それにしても世間では過重労働の自殺者が労災を、と訴訟を起こす。そうなる前に仕事をやめればいいのに、なぜ、執着するのだろう。ギリギリまで精神が追い込まれるのか。それとも、そうできない事情があるのだろうか。ナニゴトも命があればこそ。その思いがあるので悩むことがあれば、執着せずにそのことから距離を置く。これはずるい考え!?自分で自分を守らずに誰が守ってくれるというのだろう。

2016年12月21日水曜日

♪朝の歌♪ 


 広響メンバーから今年も恒例のクリスマスカードが届く。ヴィオラ奏者からだった。カードは印刷されていても表面の半分は手書きで記してある。ところがこれをもらっても何の感慨もない。これは何故?

 さらっている♪スラブ舞曲♪を仕上げて次にさらうは♪朝の歌♪。動画を見ると古石場修司のフルート演奏がある(多分、名前は合っているはず)。この人、他にも多くを動画アップ。フルートの音色が素晴らしい!

 先生がこの曲を数小節吹かれるとそばで聞いていて感動する。短い曲ながら吹きごたえがありそうだ。発表会で吹いた人の有無を尋ねるといないらしい。曲の短さゆえ?年末年始はこの曲に挑戦しよう。

 年末年始と言えばこれまた何の感慨もない。本を読んで笛を吹いて絵を描く、と言えばよさそうだけど絵は描かない。本と言えば昨日予約していた本を手にする。なんと1941年の本。あることが知りたくて借りる。だが、古い本のため臭いに負ける。すぐに返却しよう。

 ともあれ、世間の人のようには忙しくない年末年始。旅の紀行文を仕上げる宿題がある。後はただただ元気で新年を迎えるだけ!?

2016年12月20日火曜日

「おためごかし」(御為倒し)&「名前を食う」

 本を読んでいると「おためごかし」とある。あれ、と思って思い出す。先日、小田嶋隆の文にあり、ブログにアップ。その時点では前後の言葉から大体の意味は分かった。だが、初めて知るキーワード。辞書を調べることもしなかった。

 池内紀の本に「おためごかし」の文がある。『世の中にひとこと』のなかの「おためごかし」の一文。池内は幼くして父をなくし、母が家計のやりくりをする。苦しい家計の中、母は土地を処分する。その時にやってきたのが「おためごかしの人」。母が処分した土地はその後、市の住宅開発で何倍にも値上りする。畳をたたいて悔しがる母を見ていた池内は「おためごかし」の意味をその時初めて知る。

 「おためごかし」とは辞書によると「相手のためにするように見せかけて、実は自分自身の利益を図ること」とある。おためごかしほどひどくはなくてもそれに近いような物言いをする人がいる。こういう人に近づいてはいけない。

 筆者は地位や権威を極力嫌っている。その辺りが本にも表れ、読んでいて清々しい。

 他にも記したい箇所がある。「名前を食う」の中で、「いっさいをインターネットやホームページの情報にゆだねるのは、せっかくの機会を”情報屋”に売り渡したことにならないか。誰が選んだともしれない『おすすめの店』で『おすすめの料理』を食べるのは、つまるところ情報を食べているだけのことではないか。こんなケースを『名前を食う』というらしいが、うまい言い方である。…ひどい店の一夜は、のちのちまで楽しい話題になるものだ」。75p

 最後の「のちのちまで楽しい話題になるものだ」。これはトラブル続きだった今回の旅の紀行文の最後に借用させてもらおう。

2016年12月19日月曜日

ああ帽子!

 お昼近くになってお墓参りをする。途中、いつもは通らない路地に入り、束の間の旅気分を味わう。お天気も良くて庭の剪定をしている人がいる。声をかけると「すべての木は自然に生えたんですよ」とのこと。狭いお庭に大きな木が何本もある。我が家の庭も狭い。だが、この2年の間に大きくなりすぎた糸杉とイロハモミジを伐採。残ったところには2種類の紫陽花が陣取っている。自分の手ではどうにもできなくなるほど大きくなる樹木。鳥が種を持ってくる…と剪定していた人も話していた。

 お墓までの道中、さらに迷路に入る。人がやっと通れるほど狭い道。通り過ぎる人に尋ねると山へ通じるとのこと。いつもなら10分くらいでお墓に着く。寄り道すると長くかかる。だが、それも楽しい。お昼の墓地。誰もいない。墓地の傍には大根畑がある。今や高値の大根。沢山実っているのになぜ高い?

 墓を後にしていつもの道を通って帰る。家の近くで目の前に人が立っている。年に3度ほど地元の氏神様への寄付がある。今年は町内の当番のため、その寄付を集める。わざわざ顔を見て寄付を渡してくれる。

 家を一歩出ると束の間であれ人と出会うことが多い。これも長年住み慣れた街の住人だから?午後は近くの区民センターで催されるクラリネットの曲の演奏会。暇つぶしに聞きに行く。ところがどうも聞き心地が良くない。席を移動する。それでも落ち着かない。前半終了後、上の階にある図書館へ行く。ふと気づくと帽子がない。先日も帽子を紛失。その代わりに買った新たな帽子。またも紛失?と思ってさきほどのホールへ行く。中に入って聞くようにとのこと。聞くのは嫌なので演奏終了後に、再度伺う。帽子が椅子に置いてある。誰かが気づいてくれたのだろう。見つかって良かった!それにしてもよく忘れる!

2016年12月18日日曜日

落ち葉のスケッチ

 NHK・BS「ザ・プレミアム『天空の謎 マチュピチュ~21のミステリーを徹底究明!~』」を見る。そのHPには「神秘とロマン、天空の世界遺産マチュピチュ(ペルー)の魅力のすべてを21の謎にギッシリ詰め込み、2時間たっぷり、ノンストップで一気にお楽しみください!標高2400メートルの断崖絶壁に誰が、何のために建設したのか?どうやって巨石を加工したのか?どんな人がどんな暮らしを?世界初放送!『マチュピチュのモデル』?光と遺跡が織りなす奇跡の絶景!最新発見の常識をくつがえす謎の壁画。ミイラや長頭人骨の真実ほか」とある。

 インカ帝国として栄えたマチュピチュ。1532年、スペインからやってきた征服者ピサロによって国は滅ぼされる。どういっても2時間の番組。興味津々で見るが、肝心なところをしっかり把握していない。再度放送されるようにと番組のリクエストをする。それにしてもインカの人々の暮らしの知恵は素晴らしい。

 素晴らしいと言えば今朝の地元紙の写真コンテスト第1席の人。この人は習っている日本画の会の人。元はと言えば写真が趣味の人。今年はご夫妻共々、県美展の日本画にも入賞し、さらに今月の写真1席。二重三重とおめでたい。聞くところによると来年には写真と日本画の夫婦展をされるそうだ。

 さて日本画。どうにか会の人全員が来年の日本画展に出す予定のM8の絵を完成させる。各自、地塗りからして様々な色どり。人柄が色にも出ている。M8に描いた絵は額に入れずそのまま展示される。作品を先生に習って壁に掛けられるようにして出来上がる。

 次にするは拾い集めた落ち葉を紙の上に置いて、葉っぱ1枚ずつをスケッチ。葉っぱは4日前に拾ったもの。自然乾燥にしても葉っぱの良さが色あせる。取ったものを家で直ぐスケッチ、とはなかなかできない。それでもかなりの葉っぱをスケッチ。先生からスケッチの仕方が丁寧とほめられる。人からほめられると何歳になっても嬉しい。じゃ、頑張ろうとなればいいけどそれは怪しい。

 引き続き新年も葉っぱを拾ってスケッチしよう。絵の作品完成を急がず、先生はスケッチを…とのこと。眼の悪さゆえ、モノを近づけてスケッチする。これが真剣に描こうとなるのかもしれない。視力が良くないことも悪いことばかりではなさそうだ。

2016年12月17日土曜日

ああプリントアウト!

 パソコンとプリンタを同じ場所に置いていない。プリントアウトする時、パソコンをプリンタ近くにもって移動する。年賀状の印刷はとりあえず終えても、姪の子供たちの年賀状が残っている。中1と小5、小3の3人のチビたち。上の二人から年賀状が届くようになった。多分、このお正月も届くはず。そう思って急きょチビ用の年賀状作成。中学生は英語を習い始めて知ったのだろうか”Happy New Year”のローマ字が並ぶ。下のチビは自分で描いた絵と文字。

 半世紀以上の年齢差がある。どんな年賀状を出すとよいか考えるがいい案は浮かばない。しかたなくここは再度パソコンの出番。年賀状ソフトから「おともだち」用のサンプルを出す。その中からチビ用にそれぞれ印刷。本来ならば手書きがいい。これは省いてパソコン登場。

 さて印刷。これまで印刷したのと違って1枚ずつチビ用に印刷する。たった2枚の印刷も手間取ることが多い。せっかくプリンタとパソコンを近づけたのだからと次は旅の紀行文用にと先日いただいた写真から2枚スキャン。このスキャン、以前も戸惑る。方法をメモしておけばいいものをしていない。色々と試行錯誤の挙句、やっとパソコンに取り込む。まずはプリンタのスキャンのアプリを画面に出す。これを忘れずにしよう。

 それにしても便利な道具と思えるパソコン。だが、時によっては心の負担になる。こういう時、これもいつまでやれる!?そう思ってしまう。ともあれ何とか終えた。さあ、次は?

2016年12月16日金曜日

♪もし翼があったなら♪

 昨日の最高気温は予想よりも低い6.8度。小雨降るなか元気を出して自転車でプールに行く。 までの道中は顔や体が寒いとかでなくただ手が冷たい。到着すると急いでプールに入る。まるで温泉のような温かさ。浅いプールは誰もいない。一人ゆったりと泳ぐ。これも至福のひととき。 

 夜は五木寛之の百寺巡礼を見る。この番組の最後に流れるテーマ曲、♪もし翼があったなら♪に惹かれる。すぐにパソコンで番組HP検索。だが歌の要領を得ない。しばらく検索しているとある、ある。桑名正博の歌が本来のテーマ曲。他にも歌っている。ここはヤッパリ本人の歌がいい。何がいいと言って桑名の哀愁溢れる響きがいい。もしかして過去の人?と思ったらそうだった。歌い方が切なすぎる。

 いい歌なのに知らない歌が多すぎる。この歌もいい!♪もし翼があったなら♪、ゆっくり歌詞をかみしめて聞くことにしよう。それにしても「翼」、いい響き!どこへでも飛んでいける!!あったらいいね。

2016年12月15日木曜日

恬淡(てんたん)

 本の裏表紙に著者紹介がある。「恬淡(てんたん)としてユーモアを交えた文体で、…」と続く。悲しいかな「恬淡(てんたん)」が読めないし意味も分からない。携帯の辞書機能で思いつくままに検索するといずれもアウト。ついにはパソコンで手書き入力して漢字を出す。わかった。

 その意味は「心がやすらかで無欲なこと。あっさりしていて物事に執着しないさま」とある。例えとして「恬淡とした態度」「無欲恬淡」がある。本の著者は池内紀。本のタイトルは『ニッポンの山里』。本の中身はまだ読んでいない。他に『世の中にひとこと』も図書館で借りる。

 寒くなって来た。何もせずぼーっとするよりはと思って図書館に行く機会が増す。どういっても図書館まではわが家から歩いて数分もかからない。親がいなくなった年は図書館が「おともだち」だった。9時の開館後に出かけ、一度家に帰ると午後も行くことがあった。ところがそれも時の経過とともに入り浸る頻度も減って来る。泳ぎを再開したり、他に目が向いたりしたことにもよる。

 ところが、最近になって再度図書館を見直す。どういっても家の近所にあるのがいい!時間を持て余す前にまずは本を読む。いいかもしれない。それにしても急に冷たくなった。今日は最高気温も10度を切って9度の予報。まだまだ冬眠するには早すぎる。もうひと踏ん張り元気を充電しに泳ぎに行く!?それにしても雨が降って寒い!

2016年12月14日水曜日

♪スラブ舞曲第10番Op.72―2♪

 

 ♪フィンランディア♪を仕上げて次はドヴォルザーク作曲の♪スラブ舞曲第10番Op.72―2♪をさらう。練習していると聞き覚えがある曲と気づく。吹いた曲をチェックしていると2011年の発表会で吹いていた。曲は同じでもアレンジが異なる。きれいな曲なので再度、さらうことにする。

 レッスンの度に練習して気付いたことをまずは先生に報告。報告前に気付いたことをメモする。長く習っていても進歩がない。これじゃ、駄目じゃ、と思って記すようになった。この効果なのか、いい音が出るようになった。これも自己満足!?

 5年半前、いろんなことから解放されて時間的なゆとりが生まれた。それまで丸2年間、すべての習い物を中止して、親の介護に専念。その後、手始めにフルートのレッスンを再開した。これでは時間が経つのがもったいない。誘われた習い物はほとんど参加した。ところがそれも今年の半ばころから整理する。これから続けるのはフルート、日本画、水泳に加えてコンサート、絵の鑑賞、国内外の旅などになりそうだ。それにブログ更新と本を読むことが加わる。

 ブログと言えば感動したヒト・モノ・コトを記すのも目的の一つ。毎朝読む新聞記事。これにも感動する記事がある。今朝は「黒田物語」から「若手にはシーズン中、いいボールを投げているじゃないかと背中を押したい。僕は若い時、そういう人と出会えなかったから」と優勝した際の手記にそう記している。

 自分自身も若い時に人から背中を押してもらったことがあまりない。むしろ本を読んでそうさせてもらった。ところが今は出会う人たちから背中を押してもらう。有難い!

2016年12月13日火曜日

「今年の一皿」から

 地元紙によるとセリ科の植物パクチーが「今年の一皿」に選ばれたという。これを使った料理が世相を反映したらしい。今、一番苦手な食べ物は?と聞かれればパクチーをあげたい。アジアを旅する時、おいしそうな麺類を口にすると口いっぱいにこのにおいが充満する。これがいけない。

 食べ物に関して好き嫌いがない方だと思っていた。ところがよく考えてみると若い頃はビールも紅茶も珈琲も苦手だった。というか、ビールはともかくとして子供の頃は家で紅茶も珈琲も飲んで育たなかった。そのことにも関係あるかもしれない。ところが会社勤めをするようになってビールの味を覚える。珈琲も歳を経るにつれて美味しさを知る。ところが紅茶はあの生臭さが駄目だった。

 20代のある年、五味康祐の講演会に出かけた。その中で運をかえたければ習慣を変えるとよいというようなお話があった。その時、思い当たったのが紅茶。「そうだ、今日から紅茶を飲もう」、と入った喫茶店で早速、紅茶を注文。いまでは紅茶も大丈夫。だが、匂いのきつい紅茶はいただけそうにない。

 ということでパクチーを食べれば運が変わる!?ここまで生きてくると今のままの運でいい!無理して嫌なモノ・ヒト・コトに接しなくていい!苦手意識克服よりもその思いの方が年々強くなる。

2016年12月12日月曜日

「いまここ」

 『新潮45』11月号に「男たちは老後、地元に帰れるか?」のタイトルで小田嶋隆が書いている。小田嶋は元来、子供は取り越し苦労をしないと大人になってしまったわれわれは考えがちだという。しかし、「実際には、頭の良い子供はいつも先回りして、ほかならぬ自分自身の子供時代を台無しにしてしまっているものなのだ」と述べる。「頭の良い…」は当てはまらないにしても自分の子供時代~大人になるまで何故あれほど取り越し苦労をしていたのだろう?、と思い当たる。

 小田嶋は「そのことを思い出すにつけ、老後について『老後になってから考えても遅いぞ』式の脅迫をばら撒いている人々に、怒りを感じずにおれない」という。若い頃と同じ轍を踏まないためにもこの意見に同感する。画家の堀文子も『サライ』で老後は毎日が初めての経験ばかり…というようなことを述べている。

 歳を取ったから何事もわかるのではなく歳を取るということが一人一人にとっては初めて経験することばかり。「いまここ」を愉しめばいい。

 小田嶋は言う。「こんなオタメゴカシノ言説に引っかかって不安になる人間は、遠足の途中で先回りしてがっかりする子供と同じく、求めて損をしている不幸な人間と言って良い」。

 「結局は、好きな人間とではなく、必要な人間とやり取りすることで、この三十数年間を送ってきた」とこれまでの生き方を述べる。それは会社勤めの人も同じと思う。ほとんどの人は収入を得るために会社に「自分の人生という時間」を預けて働く。これが自由業ならば小田嶋のいう「必要な人間とやり取りすること」になる!?

 こういった人との関係も還暦以降は「なるべく好きな人間と付き合うようにしたい」と小田嶋。そして最後に「とりあえずは、自分に好きな人間がいるのかどうか、まずはそこのところから考え直してみようと思っている。道は険しい」と文をくくる。もう二度と先を思い煩いたくない。「いまここ」を愉しく!!

2016年12月11日日曜日

日本画教室から某交流学会へ

 日本画教室を終えて某文化交流会に出席する。教室では相変わらず描き方の手順がつかめず悪戦苦闘。これじゃ、駄目じゃと思い直して次からは落ち葉を描く予定。拾い集めた落ち葉を押し葉にした。ところが落ち葉も自然のままがいいらしい。再度落ち葉を拾い集めて「葉っぱ」のデッサンに集中しよう。

 さて交流会。キーワードは2億円と宝くじ。いずれも旅に絡むキーワード。旅と言えばまだ中国の旅の文を仕上げていない。昨夜、旅の写真をたくさんいただく。どれも見覚えのないところで写されている。かなりの枚数がある。行く先々での集合写真も多い。集合写真と大きな丸テーブルに並んだ30種類以上の料理。この写真をスキャンしてパソコンに取り込む作業が待っている。これを終えて、紀行文に取り掛かろう。

 2億円は旅の間、中国の添乗員が放った初っ端のキーワード。これが旅を盛り上げてくれた。昨夜もこの話題で持ち切り。次いで宝くじの話題も2次会まで盛り上がる。

 次回の行き先はインドネシア。1年前に出かけている。他の2人も2,30年前に出かけているという。この会の旅のメンバーは楽しい人たち。行きたい気持と行くならほかの国へ、と気持ちは複雑。交流会の次の総会の日程も決まる。同じ日、前橋汀子のヴァイオリンコンサートのチケットを購入済み。コンサートを途中で抜け出て素早く移動して遅れて総会、懇親会に出席しよう。早めのチケット購入も今後は考えなくてはいけない!?

2016年12月10日土曜日

中崎サンタ!

 昨日のキーワードは「笑み」。カープの中崎投手、契約更改後、サンタに扮して笑顔で記念撮影。ネット上の記事は「広島・中崎、来季こそ無敗!絶対的守護神になる、日本一へ新たな誓い」。かわいい顔に反して心中は強い思いを秘めている。これがいい!

広島・中崎、来季こそ無敗!絶対的守護神になる、日本一へ新たな誓い
 契約更改を終え、サンタ姿で来季の日本一を誓う中崎(撮影・吉澤敬太)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161210-00000011-dal-base

 美術館に行く前、横にある縮景園に入る。街中にあってもあまり園内を見学する機会がない。中に入ると人の気配もない。お天気も良くて園内の隅々まで歩いてみる。かなり歩いたところで昔風のトイレ発見。掃除の人が「どうぞ」と声をかけてくれる。中に入ると昔風どころか、今風できれいだった。

 歩き疲れて東屋風のところで休憩。ここでスマホ片手に写真を撮る老婦人と出合う。聞くところによると86歳になるとか。鹿児島から2泊3日の観光らしい。今年最後の紅葉を見ていると結婚式の前撮り御一行様がやって来る。何とめでたいことか。ここでも笑みが溢れている。

 美術館に入ると絵の出品者と出くわす。見学しているとこれまた笑顔いっぱいの人に出会う。先日、秋の叙勲を受賞された人だ。この人は某交流学会の旅のお世話もしてくださる。「今回の旅は大変だったね」が開口一番の言葉。「行きも帰りもトラブルに見舞われるのはないこと!」と言われる。「いやいや、旅の最中もトラブりました」と言っては大笑い。トラブルもめったにないめでたさのうちなのか、その人は「宝くじを買います!」と威勢がいい。確かに運がついている人は宝くじ!?

 別れ際、「明日は次の行き先のスケジュールを持参します」とのこと。さてさてその行き先は?

 絵を鑑賞後、友だちとカフェに入る。なんとこのカフェ、小っちゃいケーキが一つでも結構なお値段。珈琲とセットにすると奈良ホテルでいただいた以上となる。美味だった!笑みがこぼれる。

 昨日の携帯万歩計は11109歩。よく歩いた!そして九州からお寺の機関紙歳末号が届く。

2016年12月9日金曜日

ザ・プロファイラー他

 朝の行動が鈍くなる季節がやって来た。特に飲み会後の翌日の朝がいけない。ビールで酔いが回るようになった。明日も飲み会。気を付けよう。

 お昼寝の習慣はない。ところが飲み会で遅く帰ると生活リズムが乱れる。一番は就寝が遅くなる。起きても頭がすっきりしない。これじゃいけん、と思い直してお昼寝タイム。1時間寝ると頭が冴える。冴えたところでプールへGO~。これで本来の生活リズムに戻る。

 午後のプール。日に日に人数が少なくなる。これぞ至福のひとときとばかり泳ぎをスタート。背泳ぎ優先で泳ぐ。そういえば昨日のプールのBGMでは♪さらばシベリア鉄道♪が流れていた。思わず歌いながら泳ぐ。

 プールを出るとその横にあるスーパーに入る。体が冷えないように急いで買い物をする。揚げ物は家でしないので牡蠣フライと小鰯のてんぷらを購入。新たなスーパーには家の近くとはまた違ったメニューがある。ときどきは立ち寄ることにしよう。

 最近、新たな人のブログに行きつく。当然見知らぬ人のブログ。このブログの一日の閲覧者は何と15000人。あることを検索していてこのブログに行きつく。かなり偉い人なのだろうか、ブログの内容が濃くて読むのも大変。せっかく見つけたのだからと読もうとするがタイトルを見ただけで読む気がしない。これじゃ、駄目じゃ。徐々に読むことにして…。

 真珠湾攻撃から75年とか。昨夜のBSはこれに絡んだ番組が2つある。いい時代とはいいがたいが個人的には関心がある。中島飛行機や石原莞爾を取り上げる。番組で知った限りでは石原莞爾の考えたことは予想的中している。しかし、石原のとった行動云々についてはよくわからない。自分自身が生まれる前のこととはいえ、いつも思うことはそれほど昔の話ではないということ。まさに父や母の青春時代に起こった日本の出来事。大変な時代がちょっと前にあった、とテレビを見て実感する。

2016年12月8日木曜日

フルート忘年会


 JR広島新幹線口2Fにかかるペデストリアンデッキ。その左右にはシェラトンホテルとホテルグランヴィアがあり、歩道橋となっている。橋の横幅は広く、都会の雰囲気を漂わせる。フルートの忘年会に出かける前に立寄って携帯で写す。日没直後とあって電飾の明るさも今一歩の感じ。それでも行きかう人は立ちどまって写真に納める。

 駅の表口に出て三越まで歩く。途中、幟町辺りの教会もイルミネーションがまぶしい。近くにある画材屋に立ち寄り、膠を購入。瓶に入っているので小さくても重い。集合時刻まで三越に入る。地下に行くとデパ地下なのに人が少ない。何故?と思って目についた野菜を見る。小松菜@¥298。こりゃ駄目じゃ、貧乏人が来るところじゃない!

 気分を変えて外に飛び出す。まずはお店を探して歩く。だが、わからない。場所は流川辺り。変な人に場所は聞けない。三越の駐車場の係りに聞くが埒が明かない。ぐるぐる地図を持って歩きまわる。途中、人に電話して聞くが電話が通じない。花屋を目にする。そこに入って聞くと、大きな地図で探してくれる。わかった!時間を持て余すどころかやっと到着。昨日の携帯万歩計は9956歩。よく歩いた。

 さて忘年会。いつになくリッチな忘年会。まずはビールで乾杯。次々と会席膳のお料理が出てくる。どれも美味。途中、トラハゼの天ぷらが出る。ハゼは小さい頃、父が近くの川で鍋一杯になるほどよく釣っていた。そのため、貧乏人が食する食べ物との思いがある。ところが、会席膳で提供されるとは時代も変わった!?小さい頃はハゼだけでなくキスゴ、ムール貝、つぶ貝、アオサ、アサリ、蟹などは親だけでなく子供も海でとるのが遊びだった。他に牡蠣や鮒もある。魚類を食べて大きくなった。これが元気の源!?

 元気の反対に昨夜はフルートの人の不幸を聞く。どういっても早すぎる。絵の教室でも今年のはじめに不幸があった。こういう話を聞く度、自分がそういうことになる、とは考えられない。でも誰にも必ずあること。元気であることに感謝しよう。

2016年12月7日水曜日

落ち葉を集めて

 さらっているフルート曲集から♪カヴァレリア ルスティカーナ♪を終える。この曲と同時にこの時節に相応しい♪きよしこの夜♪もさらう。♪きよしこの夜♪もアレンジで曲のイメージが変わる。新年にこれをさらうのは何か変。12月にさらってよかった。次は♪フィンランディア♪をさらう予定。

 フルートレッスン後、川沿いの道を駅まで歩く。お天気も良く歩くには最適。道は桜並木。きれいな落葉を探しながら歩く。集めたいろんな落葉。も少し時期が早ければもっときれいな落葉だったのに…と悔やまれる。家に持ち帰り、落葉を水で洗って押し葉にする。本来ならばすぐにデッサンしたい。だが、そこまでの気力がない。押し葉を絵の教室に持参してデッサンを、と思いを巡らす。だが、押し葉にしたものがいつまでも綺麗な色のままで保存?さてさて…。

2016年12月6日火曜日

久しぶりに

 霧も晴れて自転車に乗って遠くのスーパーへ出かける。買い物を済ませて外に出ると携帯が鳴る。番号を見ても誰なのかわからない。再度携帯が鳴る。以前勤めていた職場の人だ。先ほどの携帯から掛けなおすという。誰彼なく人と知り合えば連絡先を交換していた。ところがそれもどうかと反省し、電話帳の整理をする。最早関係ない人の番号は削除。

 元の職場の人の電話は保存していた。だが、はじめは話し放題の娘さんのスマホからの電話だった。相手がわかってから長電話となる。それもスーパーの外での立ち話。横にはJRが通過し、車の往来も激しい場所。自然と話す声も大きくなる。

 先日、勤めていた企業年金基金から方針変更の知らせが届く。逡巡した挙句、すぐにその返事を郵送する。これに関しては話す人がいない。ところが昨日の電話の人もそう感じていたという。会社をリストラされて早14年が過ぎた。ああじゃ、こうじゃとその頃を悔やんでも仕方がない。どう言っても働いていたころの年金で今こうやって楽しく暮らしている。そう思えばリストラも通過点。これはこれで良かったと思うほかない。

 電話の相手と勤めていた頃の話をする。名古屋と広島。勤めていた場所は異なる。だが同じ会社の社員。一番いい時に勤めていたと言っては笑いあう。時間が経過して嫌なことは忘れてしまったのだろうか。ともあれ昔の勢い丸出しで長話をする。ほんまに久しぶり気持ちがすっきりする。言いたいことが言える相手は本当に大切。会って話せばもっと楽しいだろう。だが、今は福井と広島。かなり遠い。いつかチャンスを作って…。

 興奮冷めやらぬまま、家の近くのスーパーへも行く。ここでまた久しく会ってない人から声を掛けられる。車でわざわざわが家のあたりまで買い物に来るという。変わらんね、と言われる。

 どの人も元気そうだ。まだまだ元気。この年で変わってはいけない。電話の人もどこも悪くないと言っていた。お互い150歳まで…と言っては笑う。本当に楽しい!

2016年12月5日月曜日

いつの日か

 今朝、起床後、友だちから霧が出て電車が徐行運転、とのメールが入る。週のはじめはゴミ出しの日。ゆっくり寝ている場合じゃないよ、と外に出てみる。10メートル先がぼんやりするほどひどい霧。穏かな新年を迎えたような感じがしてくる。今日は一日中、暖かい日となりそうだ。

 新年と言えば年賀状。今年も年賀状を書く季節がやって来た。例年通り、パソコンでの年賀状作成。その前に2通ほど新年の欠礼葉書が届く。毎年ながらこの葉書、何とかならないのだろうか。受け取る側は決して気持ちがいいことではない。とはいってもこれは長年の慣習!?

 長年の風習と言えばお歳暮がある。先日ネットを見ているとなんとお歳暮も以前と比べると7割減とか。この以前、はいつの時点かよく把握していない。会社勤めの頃、古い考えを持っていた母は私の上司宅にお歳暮を届けていた。いつの年か、母にお願いしてそれをやめるように説得したことを思い出す。母もいなくなり、わが家でもお歳暮の習わしは薄れてきた。この7割減、そうかもしれない。

 昨夜は暇つぶしを兼ねてパソコンで年賀状を作成する。これも気持ちがこもった年賀状とはいいがたい。それでもこの時季の慣習と思ってプリントアウトする。いつの日か、印刷の年賀状も廃れていくのだろうか。

2016年12月4日日曜日

「何事も決まっているのではない」

 「困難に出合ったと時、どうするか、かねて私が考えてきたことは、『何事も決まっているのではない』と思うことだった。すると、急に気が軽くなる。その時は、いちだんとスマートで能率よく、信頼すべき局面が展開すると、言ってくれているではないか」75p。

 これは中西進が『ことばのこころ』東京書籍、2016年)の「決定できないことは大きな問題ではない」の中で述べている。インドに行く機内で読んだ「インドタイムス」の中の折り込みチラシ。その広告に掲載された一文。一面真っ黒な中に金文字が躍る。それがこの文章。この広告は「迷わずに次の最新機器を買い替えよと言うのだから、仕事の上でも当面の解決のむずかしさを深刻に考えて、暗闇に立ちすくんでいるより、勇気をだして次のレベルに向かって向上していくべく、努力をすればよい。…」。機内で読んだ中西は「ずっとことばの意味を、わたしは考えつづけていた。そしてインドにはそこしれない深さと広さと、さらに未来があることも。」で文を締めくくる。

 確かに「何事も決まっているのではない」。先を思い悩んだ若い頃にこれに気付けばもっと良かったかもしれない。

 さて、昨日の日本画教室。相変わらず描き方の手順が要領を得ない。一つずつの作業を先生に聞きながら進めていく。枝に咲いた白いバラの花。葉っぱに色付けするもどうも要領を得ない。まずは葉っぱに近い色を混色して平塗する。次に葉っぱに表情をつけるのか他の色でぼかす。ぼかしと垂らし込みの違いが今一歩理解できていない。これも慣れ!?

 次は花。胡粉を塗る。塗るにも要領がいる。乾かしては塗るを繰り返すと次第にバラの白さが出てくる。さらに他の色でバラに陰影をつける。これも何度か繰り返す。昨日はここまで。一つの作業をやり終える度、上手く描けた!と思わず声を発する。教室の人たちはすべて絵のベテラン。きっと何をぼやく?と思われそう。それでもいつも自己満足の世界。これじゃ、進歩も何もない!?

2016年12月3日土曜日

午後はプールへ

 12月、と聞くだけであわただしくなる。一昨日の夜、蛍光灯が点滅する。高いところに上がるため、お昼に取り換え開始。しかし、上のほうまで掃除をしていない。埃が落ちてくる。埃だけならまだいいが、人間が踏み台を外して落ちる方が怖い。椅子でなくここは踏み台の登場。蛍光管をかえて蛍光灯の傘をきれいにすると大仕事をした感じになる。

 昨日は大仕事の前にもう一つプールに行く仕事が待っている。起床が遅くなり、午後から泳ぐ。お天気に恵まれて人も多いと思った。ところが思ったよりもかなり少ない。穏かな気持ちでゆったりと泳ぐ。これから寒くなると午後から泳ぎに行く!?人が少ないと背泳ぎ優先でプールの天井を見つめて泳ぐ。これも至福のひととき。自転車と泳ぎは対をなす。自転車に乗れなくなれば泳ぎにもいかれそうにない。まあ、そういうことを今思っても仕方がないか。

 家に帰ってフルートの練習をしていると次にさらう曲は既にほかの教材でさらっていた。季節的にクリスマスも近い。さらっている曲集には♪きよしこの夜♪を3段階にアレンジした曲がある。これも一緒にさらう予定にして練習する。

 クリスマスが来ればお正月。そして今年は終わる。早い、本当に一年が過ぎるのが早い。ほんまにどうすりゃ時間を停められるのだろう。

2016年12月2日金曜日

12月の旅人はシロヘビと会う!

岩国シロヘビの館のシロヘビ

 ♪12月の旅人よ~♪、とまではいかなくても岩国までちょっぴり旅人気分を味わう。12月の旅人は♪さらばシベリア鉄道♪にある歌詞の一フレーズ。1年半ぶりの岩国。昨日伺った岩国の友人は先日放送のテレビ番組、「人生の楽園」に出演された。だが、放送日の番組をうっかりしていて見ず仕舞い。動画で見られるはず、と検索する。あった、あった!一昨日、早速番組を見る。番組の舞台となった場所辺りは友人の別荘がある。そこへもお邪魔しているので関心を持って見る。

 昨日、お話を伺うとテレビに映る場面は数分であっても2時間の撮影だったとか。全体では数日間もかかったらしい。30分間のテレビもいい構成になっている。「酒米のお米の大きさは?」とわざと質問をぶつけると出演されただけあって即答される。

 今はネットの時代。番組HPやユーチューバーたちがすぐに動画をアップしてくれる。有難い時代になった。昨日もタブレット片手に出演された番組を見ておられる。いい思い出になるに違いない。

 ネットで見ないままで会ったならば盛り上がりに欠けるところ。見ていて幸いだった。

 長時間にわたっていろいろと喋り捲る。決して嫌な顔もされず聞いていただく。ほんとうに有難い。また、車で送り迎えしていただき、お昼はおしゃれなレストランでごちそうになる。レストランに行く前、岩国の吉香公園入口にある真新しい建物の岩国シロヘビの館に入る。岩国のシロヘビは有名で1972年に国の天然記念物に指定される。突然変異で生まれた青大将が白く変化してシロヘビとなり、岩国にだけ生息しているそうだ。それ以来、岩国は市民あげてシロヘビの保護をしているという。

 その館を見物すると、いる、いるシロヘビが…。もちろん飼育されている蛇なので放し飼いにはされてない。蛇は見るだけで嫌な生き物。ところが、水槽もどきの大きな入れ物にいるシロヘビは名前の通り真っ白で目は赤く、見た目の怖さはない。蛇の動きに合わせて携帯で写す。あとで動画にすればよかった、と思ったり。いつか自分で写した動画をブログにアップしてみたい。

 シロヘビを見物し、お昼をいただいた後はご自宅へ伺う。書を習われ、奥座敷の床の間に掛け軸としてかけておられる。ご本人の筆名は覚えている。だが、掛け軸の文は「寂」「和」の2文字しか覚えておらず。とはいっても文字のすばらしさは覚えている。

 長時間本当にお世話になりました。また、いつも何を言っても笑って聞いていただき感謝しています。本当に楽しい12月の旅人でした。謝謝!

2016年12月1日木曜日

「運命の主人」

 見ず知らずのカープ大好き若者のツイッターを見る。これも毎日の楽しみ。先日は歌手の矢野顕子が黒田投手の映像を見て「落涙中」とリツイートする。只今、まさにその心境。3日前から始まった地元紙の「黒田物語」。両親と一緒に写ったカープ入団時の懇親会の写真。母親が厳しかった、と言われる人のお顔は?そう思って記事を読むとなんの、なんのとても優しい両親の姿だ。

 息子の試合は怖くて見られなかったとある。ある年9勝し、10勝に届かなかった。周りはあと1勝で10勝だったのに、と惜しむ。だが黒田の母は次に10勝すればいい、と励ます。この励まし方の違いは親であればこそ?また、試合後、入院中の母に電話すると母の妹である叔母が電話に出る。すでに母は亡くなり、その最後の言葉は息子に「ありがとう」と言ってくれとの伝言。読んでいてすぐに落涙。グローブに縫い付けられた「感謝」の2文字はこれによるらしい。

 どんな情報も自分にとって感動をもたらすものがいい。嫌な記事はなるべく目を背ける。こうでなくてはストレス社会を生きられそうにない。

 ストレス社会と言えばアドラーの心理学が参考になる。昨日、その本の順番がやっと回ってきた。かなり前に図書館に予約した本。一気に読み終える。この本の著者である岸見一郎。今朝の新聞によると石原慎太郎の『天才』の次に本が売れている。

 アドラーは言う。「これからどうするかだけが重要」、「自分が自分の運命の主人であることを意識する」。「運命の主人」とはいい言葉。自分が自分の人生の主役を演じるということだろう。周りを意識せず、自分らしく生きる!?これで由!