2011年3月31日木曜日

納骨法要

今日はアサちゃんの「お引越し」の日。目覚めると同時にアサちゃんに「今日は引越しの日です」と報告。

連絡が届いているかどうかわからぬが、その行事のためなんとなく気ぜわしい朝となる。

四十九日法要のためお寺に着くと「アサちゃん」の塔婆があるのに気づいた。塔婆はお寺の配慮から彼岸法要として作られている。午前11時から法要が始まり、それが終わると納骨法要のため墓所に出かける。墓石を動かして「アサちゃん」に鎮座してもらう。その瞬間寂しさが頭をよぎった。その後はすばやい納骨法要の仕度をする。持参してきた「アサちゃん」の塔婆を墓の後に立てた。

それを終えると寺から共に墓まで来ていたお上人はお経をあげる。アサちゃんはその瞬間からここで永久の眠りにつくことになった。

墓を去るとき、アサちゃんに向かって「じったんと喧嘩せんのんよ。また来るね」と大きな声でいってその場を後にする。そばでそれを見ていたお上人は何を思っただろう。

ともあれ四十九日法要、納骨法要は今日無事終わった。一抹の寂しさはあるものの「アサちゃん」は納まるべきところで眠りについた。これで気持ちも一安心。

明日から4月。昨日から日中も春らしい気候である。本格的な春になったのかどうかわからぬが、ともかく春になるのは間違いない。そのうち桜の花も咲くだろう。それに伴い生活リズムを心機一転して頑張らねば…。

5日から本格的にフルートを再開する。また中旬にはシャンソンのレッスンも始まる。

アサちゃんを介護していたときから仕事はしていない。これからも仕事をする気は毛頭ない。仕事をしない分、時間はたっぷりとある。まだまだ人生は長い。とはいっても老いるのも早いはず。時間を無駄にしないようやるコトを見つけて楽しく過ごしたい。

その前に家の中や外を奇麗にしなくては…。今日庭の木を切ってもらうようシルバー人材センターにお願いした。来週にはそれもあって忙しくなりそう…。

2011年3月30日水曜日

四十九日法要を前にして

明日は四十九日法要をお寺で行うことにしている。先日来からお寺に2度も法要についての問い合わせのTELをした。

寺に持参するものとしてお花、果物,菓子などがある。先日花屋に行くとお寺には前日に持参するよう…にと教えを請うた。今日花屋で用意された花を受け取りにいくと、なんとも見事な花束になっていた。花屋があらかじめ予算を教えてくれるとき、高めのほうにしたからだろう。

アサちゃんにとって四十九日法要は一度きりのもの、その花束を見て高い金額にしてよかったと思った。

花を自転車のかごに乗せてお寺に持ち込むと、お上人の奥さんはこの花を法事の後どうするかときく。お寺に…といっていると客を見送った後、お上人がやってきて、墓に活けようという。

納骨時の墓に活ける花は、お寺から帰るとき再度花屋に寄って買うつもりであった。その旨お上人に告げるとそれはしなくてよいという。果物籠と菓子箱は明日持参する旨告げて寺を後にした。

帰路花屋に寄り、墓に活ける花は不要になったと告げると、アサちゃん宛てのフラワー・バスケットが来ているという。我が家に配達することになっていたが自転車でもって帰ることにした。

それから夕飯を済ませるとまだ時間は6時前だった。今日は昨日までと違って春の訪れを感じさせてくれる暖かさだ。何かをしようと思い立ち、箪笥の引きだしを片付けた。

片付けるたび写真が出てくる。目を引いたものがその中にあった。1枚の写真がプラスチックのケースに入っていた。アサちゃんの夫の写真である。若かりし頃の新兵姿の写真であった。その裏には本人の字で写ったときのことが3行書いてあった。きっとアサちゃんと知り合った頃の写真なのだろう。

アサちゃんを7年間介護しているときどうして知り合ったのか聞いたことがあった。「慰問で…」といったことを思い出す。そのときに受け取ったのが今日大事にしまってあった写真だろう。

アサちゃんはもういない。何も教えてくれるものもいない。だがアサちゃんの大事にしていたその意志を継いで写真を仏壇に飾ってあげよう。もう少し大きく伸ばしたモノにして…。アサちゃんの横においてあげよう。

もう一つ出てきたものがあった。アサちゃんの長女がたった1週間くらい前に話したものである。もうそれを見てびっくり。すぐにTELにて知らせてあげた。

それは長女が生まれたところがわかるものであった。相続登記で家族の謄本などを取り寄せたが、生まれた場所までは書いてなかった。出生した際の届出者は記入されていたのだが…。

今日出てきたものは生まれて何ヵ月か後の種痘接種の証明書である。呉市長名で発行された書類であった。

本当に貴重なものだ。明日、アサちゃんの長女は四十九日法要にやってくる。そのときそれを渡すことにした。それを聞いて長女も驚いた様子であった。

少しするとTVドアホンがなった。なんともうひとつフラワー・バスケットが届いたのである。これは近くに住む人が業者を通して届けてくれた。それには暖かいメッセージも添えられていた。

アサちゃんを喪くして、いろいろなヒトの行為を考えさせられる。ヒトに対する振る舞い方に気づかされる。時に嫌な気持ちにさせられるヒトもいた。だがほとんどのヒトは優しい言葉や行為を示してくれる。真の知人とはそういう人だ。大事にしたい!

ともあれ明日はアサちゃんの四十九日法要。明日はまたアサちゃんの納骨もある。

おかしいものでお骨のある間はアサちゃんは居ないのにいるような気持ちにさせてくれる。明日からは本当に一人ぼっち?いやいや、まだまだアサちゃんは我を見守っていてくれるだろう、きっと…。寂しくないように…。

2011年3月28日月曜日

シェラトンホテル広島

今日シェラトンホテル広島がオープンする。

昨夜朋友にTELすると、4月5日に勤務先の大学の入学式の仕事で市内にくるという。それが終わり次第ランチをする話がまとまった。その場所はシェラトンホテル広島。

シェラトンホテル関連のホテルは国内で宿泊したことはない。だが、何度か旅行を共にしたことがあるその人によると海外では宿泊したことがあるという。言われてみればシェラトンという名前は広島にオープンする以前からよく聞く名前。だから泊まったことがあるかもしれない。

昨夜早速そのホテルのHPを見ると、ランチの料金は2700円とある。朝食が2400円、ディナーが3700円。3食の料金体系はそれほどの差がない。

一人になってわずらわしい話も耳に入ってくる。アサちゃんはそんな時愚痴をこぼすモノに向かって必ず「そんなモンがどうなるん、ほっときんさいや!」と投げ出す言い方を口にした。時には「ほっとけ!、ほっとけ!」とわずらわしいヒトやコトに対してそう言っては励ましてくれた。

今つくづくそう思う。アサちゃんの年齢まで生きるとなるとまだ30年以上もの年月が待っている。その間を楽しく生きるには「面倒」なヒトやコトはどうでもいい。ほんとうに「ほっとけ!」、「ほっとけ!」である。

こういう気持ちでわずらわしいことを避けてアサちゃんも生きてきた。だからこそ長生きをしたのだろう。

「ほっとけ!」といつもアサちゃんが言っていたことをふと昨夜眠る前に思い出した。その考えは本当に気持ちを爽快にさせる。

世の中は何が起きてもめまぐるしく変わっていく。その時流に流されながらも気持ちをしっかり持って楽しく生きてゆきたい!わずらわしいヒト、コトはそれこそさっさと水に流して・・・。

この先、生活リズムが本格的になる頃には期限切れとなっているパスポートを早く申請しよう。 そして中国四川省と広島の空路が開設予定の九寨溝へ出かけよう。その時はランチを共にするその人と中国の知人に会いに行こう・・・。

2011年3月27日日曜日

「メリー・ポピンズ」

昨日は知人に誘われミュージカル・オペラ「メリー・ポピンズ」を観にいった。

会場に行く前、今月末に行うアサちゃんの四十九日法要のお供えを買った。寺に供えるものは菓子類、花、果物などである。菓子類以外のものは家の近くでも買うことができる。ところがしゃれた菓子類はデパートでないと揃わない。それを買っての観劇となった。

会場に着くと人、人、人・・・。長らく家に引っ込んでいたので人の多さにもうびっくり。しばらくすると見慣れた顔の人々が・・・。何人かの知り合いと一緒の楽しい鑑賞である。

「メリー・ポピンズ」の中で歌われる歌はよく知ったものもあればそうでないものもあった。久しぶりにみるオペラであったが、舞台演出にも時代の変化があらわれ、新鮮味を感じた。

例えば、演ずる中で見せるマジック、演技者の空中遊泳、タップダンス、クラシックバレーなどである。時に広島弁も飛び変わったりして楽しい演出を伺わせた。

メリー・ポピンズ役は主役だけあってさすがに声がよくとおる。歌もうまい。劇中の挿入歌もよく知っているものが多かった。それにしても初めて聞くしっとりした曲は何という曲名だったのだろう。

大震災・原発事故と日本は大変な危機に見舞われている。そんな中、主役の紙谷は「よく歌う人は二度祈る(アウグスチヌス)」とパンフレットに引用文を書いて「東日本大震災・がんばれ日本!」と応援している。

来月からシャンソンを習うことにしている。シャンソンは人生の喜怒哀楽を歌で表しているように思う。シャンソン歌手の鳥越さやかは「頑張り続けている全ての女性へ、ふと力を抜いて、自分を愛してあげようと余分な時間を持った時、ぜひ聴いてほしい珠玉の作品である」とフランスの国民的歌手のアンリ・サルヴァドールの歌を評価する。

アンリの曲がどんな曲か定かでないが、そんな人生を表現するシャンソンはさてさて・・・。来月からそれを習うのがどのように歌うのだろう。紙谷のいうように「よく歌う人」になるのだろうか、楽しみだ。

2011年3月24日木曜日

春待つ

3月も後1週間で終わるというのにまだまだ寒い日が続いている。朝方は特に寒い。先ほどラジオを聞くとこの寒さは2月並みの気候とか。寒いはずである。それでも毎日自転車に乗ってあっちこっちに出かけている。

今日の午前中は図書館に出かけた。午後は新年度から始まるNHKの講座を探しに、少し遠方の書店まで自転車に乗って出かけた。NHKテキストの置かれたところに目指していた「NHKテキストナビ2011」なるパンフレットが置いてあった。テキストはまだ購入せず、とりあえずそのパンフをもらって帰った。

パンフを見るとやはり語学講座が主流を占めていた。語学以外にもさまざまな講座が掲載されている。その中で「100分 DE 名著」が気に入った。そこに書かれていた見出しのうたい文句は「そういえばー、あの本のこと、何にも知らずに生きてきた」であった。その詳細は「一度は読んでみたいと思っていたけれど、敷居が高いと思ってなかなか手が出せないでいた。そんな人類の偉大な遺産である名著の魅力を25分×4回の100分で解説します」と書いてある。

4月はニーチェの『ツァラトゥストラ』であり語り手は東京医科大学教授の西研とか。放映時間は水曜日の午前11時半~11時55分の再放送で何とか見られそう。

アサちゃん亡き後、すべては自分のための時間となった。介護をしていたときと比べれば格段の差がある。

その意味では今日新たな興味を引き出すパンフを捜し求めたことは正解だった。

とりあえずは4月からこのTV講座とシャンソン、フルートを中心にした毎日になりそうだ。それに加えて中国語の原書の翻訳を毎日1pづつ課そうと思っている。水泳も開始したいと思っているがさてさて・・・。そして徐々に遠出もしたいとも・・・。

とりあえず4月からの生活リズムは何とか確保できそうだ。その前にアサちゃんの四十九日法要が待っている。2日前からその準備で気ぜわしくなってきた。お寺で法要を行うのだから何もしなくてもよいと思っていた。ところが念のため、お寺にTELすると準備するものがあるという。

先ほどからそれをネットで検索すると詳細に書かれた記事があった。果物、花、菓子などのお供えがいるとのこと。当然、お布施も。

それが終われば我が行動も本格的な開始となる。そのときには春らしい穏やかな気候となるだろう。桜の花も咲いて・・・。

2011年3月22日火曜日

思いやり

アサちゃんが亡くなって早くも1ヶ月以上経つというのに、今日も会社に勤めていたときの知人から「お供」が郵パックで送られて来た。

アサちゃんは自分が亡くなったときの遺言に「香典はもらうな」があった。送ってきた知人にその旨話をすると、「香典ではなくお供え」だという。確かに言葉使いとしては違っているが金銭をいただくということでは同じことだ。

知人はそれと一緒に107歳になる母親が毎朝食べるという東京の「かりんとう」も送ってくれた。

それにしても今年108歳になられるその母親はその年で「かりんとう」が好物とは本当に元気な人だと思う。住んでいる区の最高齢のみならず、市、県、国の最高齢にぜひともなって欲しい。心からそう思う。

人への思いやりは昨夜かかってきたTELにもあらわれていた。

その知人は我がアサちゃんを亡くしたことへの気持ちと毎日どうしているかということも思いやってくれた。そして音楽会への招待をしてくれた。

さらに先日は学生時代の知人が絵手紙を寄こしてきた。それには母親を10年前に亡くした気持ちと共に、毎月その命日には墓参りに行くと書いてあった。当然アサちゃんを喪った悼みも書いてあった。その返事には暖かくなったらゆっくりあって話をしようと書いて出した。

日本は東北関東の大地震の模様を連日メディアで報道している。それを聞く度、どうしようもない気持ちに襲われる。そんな毎日の生活で、人を思いやる言葉や行為は本当にすばらしい!

そんな毎日の中、今日は久しぶりにゆっくりと街中に出かけた。最初は、県立美術館で開催中の「二紀展」を見た。その後、デパートを2店見て周った。まず、その店にしか置いていない「アナゴ飯」を買った。次の店では持参してきたデパートの商品券でコート、和食器、ソーラー腕時計を買って帰った。

本来の目的は春らしい服を買うつもりだった。ところが長くデパートで買うという機会がなかったため、どんな服を買っていいのかさっぱりわからない。 今日の購入はあきらめた。

仕事を止めて8年半になる。その間、ほとんど服というものに無頓着であった。ところが4月からは新しい習い事をはじめる。気持ちを新たにして少しは自分のこともかまうようにしよう・・・。

2011年3月21日月曜日

カギ

今朝、新聞を取ろうと思って玄関のドアを開けると、鍵孔に鍵がついたままになっていた。それを見てもうびっくり!昨夕から鍵孔に鍵をつけて寝てしまったらしい。

まるで泥棒にどうぞ入ってくださいと言わんばかりのことをしていたことになる。

アサちゃん亡き後、一人暮らしになってしまった。ガス、水道、電気などのライフラインは十分気をつけるようにしているつもりであった。それなのに一番大事な「カギ」を外につけたままにしていたとは本当に情けない。

アサちゃんが亡くなって1ヶ月以上になる。そろそろ平常の生活を取り戻したと思っていた。ところが今朝のあの有様。まだまだ精神的には落ち着きを取り戻していないことを改めて知った。

アサちゃんの齢まで生きるとなると一人暮らしはまだまだ長い道のりになる。今からボーとしていたらと思うと先が思いやられる。アサちゃんはきっと今日の様子をみて「ボーっとしとったら駄目よ」というにちがいない。

大事には至らなかったからいいようなもの、気を引き締めて毎日を過ごさなければ・・・。

2011年3月20日日曜日

『孤独のチカラ』

齋藤孝の『孤独のチカラ』(新潮社、2010年)を読んだ。

アサちゃん亡き後、自然と浮かんだキーワードが「孤独」。図書館の蔵書検索で調べると新着情報として今回読んだ書名が出てきた。

齋藤の代表作として『声に出して読みたい日本語』がある。齋藤は明治大学教授でありながら数多くの書を著している。この本もそのうちの一つ。

本の裏表紙には「私には《暗黒の十年》がある。それは受験に失敗した十八歳から、大学に職を得る三十二歳までに体験した壮絶な孤独の年月である。しかし、人生のうちで孤独を徹底的に掘り下げ過去の偉人たちと地下水脈でつながる時期は、成長への通過儀礼だ。孤独をクリエイティブに変換する単独者のみ、到達できる地点は必ず存在する。本書はそんな自らの経験を基に提唱する『孤独の技法』である」という。

齋藤は「孤独を乗り越えるために」「3つの手法」を書いている。
1手先のことに集中する
2翻訳、英語本にトライ
3マニアな読書

2としての「翻訳、英語本にトライ」は「翻訳や、原書を読むことは、孤独の時間の使い方として非常におすすめしたい作業だ」(74P)という。それは「必ず自分ひとりの時間に、一日のうちの時間なり枚数なりのノルマを決めてすること」と述べる。著者はさらに「日本語で書かれたものは、ときに音楽に近い感覚でするりと読めてしまい、没入できないことがある。そんなときこそ、原書に挑戦するといいチャンスだと私は思う」という。

これについては全くそう思っている。げんに2年前から中国語の本を訳し始めた。ところがアサちゃんの介護で忙しくなり、それもすぐに中断する羽目になった。それをアサちゃんが亡くなり、生活リズムが180度の変換を遂げたとき、また翻訳しようと思いついた。その翻訳も著者のいうようにノルマを決めてするほうがいいのかもしれない。

齋藤は「孤独」について「水が救ってくれる孤独」をあげている。「言葉は、自分の内側だけ堂々めぐりさせていると自分を傷つける刃になりかねない。しかし、外に向かって上手に表現できるならば、胸中を吐露する道にもなる。言葉が自分の心の穢れ、澱を流す役割をしてくれる。つまり、ひとりのときにはため込んでも、人と会ったときには吐き出す。この循環ができるとベストだ。」、「昔の日本人は、庭にししおどしや、枯山水など、水の流れを身近に感じさせるような風景をつくっていた。水には、どこまでも流れ流れていくイメージがある。心もまた基本的に、水のようにとどまらないものだという感覚があると健全だ」と。(86P)

さらに身体面において齋藤は「孤独に押し潰されないためには、身体との一体感を大切にし、仲良くしておくことが基本である」という(93P)。

それにはヨガや禅、太極拳などをしたときの充足感をあげる。即ち、体は気分と直結しており、体に意識を向けることで宇宙と一体化したような雄大な気持ちになれるという。(93P)

これについて我がやり方には水泳がある。だが今のところそれも積極的にする気持ちがない。時間が経てば自然とやりたくなると思う。それまではあまり無理強いはしないようにしよう。

いずれにせよ、本でも何でも尊敬できる人がいいと思うやり方は参考にしたい。

2011年3月19日土曜日

おはぎ

アサちゃんの長女夫妻は昨日に続き、我が家にやってきた。アサちゃんに「おはぎ」を作ってもってきてくれたのである。

アサちゃんは存命中に長女から「おはぎ」をもらったことがあるだろうか。きっと今日初めて「おはぎ」をプレゼントされ、喜んでいることだろう。アサちゃんにそれをお供えすると、アサちゃんの長女は孫の家に行くという。

アサちゃんを一人残して、アサちゃんの長女夫妻と共にアサちゃんの孫の家に行くことにした。

今日は昨日までの寒さとうって変わって春爛漫である。3連休にあわせて季節もよいためか、道中車は込んでいた。家に着くと、アサちゃんのひ孫3人が元気そうに遊んでいた。

子供たちは差し出された「おはぎ」が好きなのか、まだ小さい子供にもかかわらず、どの子も美味しそうに食べる。特に一番小さい子はまだ3歳にもならないのに箸を持って上手に食べる。それもきな粉が相当好きなのか、容器に沢山残っているものをこぼさずに食べる。

しばらくするとお腹がいっぱいになったのか、子供たちのお昼寝タイムとなった。そのときを見計らって我一人JRで帰路につくことにした。

アサちゃんは孫が昨年購入したその家に行ったことはなかった。もしも存命であったなら一緒に行きたかったことだろう。帰り際、その孫は3人の子供たちの写真をアサちゃんに・・・といって我に渡した。アサちゃんはそれをみてどう思っているだろうか。今となってはわからない・・・。

2011年3月18日金曜日

彼岸の入り

アサちゃんが亡くなって早くも今日でちょうど1ヶ月になる。

今日は彼岸の入り。これまで彼岸の日がきてもアサちゃんの介護で忙しくほとんど墓参りをしなかった。墓参りはせいぜいお盆くらいであった。

それでもアサちゃんが元気な頃は、2人して墓参りに出かけたものである。ところがアサちゃんにとって墓参りは魔の瞬間であった。思い出しても辛いものがある。あえてそれを記す。1度目は今から7年半前の秋の彼岸であった。

その翌日、アサちゃんは布団から起き上がり、歩を進めたときである。畳の上でひっくり返って背中を強打した。すぐに救急車を呼び、整形外科に入院した。そのときは強度の打撲であり、骨折はなかった。しかし、打ち身がひどく起き上がることが困難であったため2週間の入院となった。

退院後はすぐにベッドを購入した。

それから半年後の春のお彼岸にアサちゃんともども墓参りに出かけた。その翌朝の5時ごろであった。トイレにいく途中、アサちゃんは廊下で脚を滑らせ大腿骨を骨折した。このときは我が不注意が原因であった。

前回の入院後、アサちゃんのベッドの横で寝り、トイレもついていくようにしていた。それなのにこの転倒のとき、どうしても目が覚めす、アサちゃん一人でトイレに行かせてしまったのだ。その結果が転倒となった。これは今もって悔やまれる。

この2度目のときは右大腿骨頚部骨折であった。その入院は4ヶ月にも及んだ。その間は我がほうも病院に泊り込んで付き添った。しかし、そのときの骨折が結局、アサちゃんのなくなる引き金になったことは言うまでもない。

この2度の墓参りがアサちゃんの最後の墓参りとなった。2度とも高齢になったアサちゃんにとって墓参りは肉体的に疲労困憊であったのだと思う。だから2度とも墓参りの翌朝の大怪我となった。

今朝はそういうことを思い出しながらアサちゃんの長女夫妻と墓参りに出かけた。もう少しするとアサちゃんもその墓に眠ることになるのだが・・・。

2011年3月17日木曜日

供花

午後は近くに住む知人の家で昼食と相成った。その後も夕方まで話に花が咲き薄暗くなって帰宅をした。家に着くと郵便受けに宅急便の不在通知が入っていた。

すぐに宅急便に在宅の旨連絡すると、しばらくして花が届けられた。

明日はアサちゃんが亡くなって早くも1ヶ月になる。アサちゃんの孫はその日に間に合うようにとの配慮から供花を送ってくれたのであった。

まだ寒い日が続いている。人から戴いた花もこの寒さのためかきれいなままで咲いている。

アサちゃんはそのきれいな花に囲まれているのをみると亡くなった後も幸せな日々を過ごしているように思える。何といっても花が大好きだったアサちゃんだ。

明日はアサちゃんの長女夫妻とともに墓参りに行こうと思っている。花は今日贈られてきた一部を持参して・・・。

2011年3月16日水曜日

登記識別情報

今日やっと相続登記が完了した。本当に「ご苦労様」という感がある。

3月というのに今日は雪のちらつく朝であった。午前中は図書館に出かけ有力紙を読んだ。その後いったん家に帰り、昼食を済ませると午後は思い切って法務局に出かけた。

到着すると、寒さのためか駐車場も駐輪場もがら空きの状態。すぐに局舎に入り、受付に先日もらって返った書類を提出した。すると受付は確認のTELをしてきたかと質問する。「するわけないでしょ」、「間違いなくOKよ」と心で思いながら「TELしていません」と告げた。すぐさま係りに書類は渡され、相談窓口へと案内された。

「身分証明書?」、「印鑑?」と矢継ぎ早に言われ、すぐに差し出した。

すべての相続登記はここで完了した。係りは最後に「登記識別情報」なるものの入った通知書を渡すときそれに対する注意を促した。どうもこの「識別情報」なるものにシールが貼られ、それをはがすと悪用される原因となるらしい。この書類はいわゆるこれまでの「権利書」に当たるもののようだ。

家に帰り、早速ネットで検索すると昨年12月に「権利書」は電子化されて「識別情報」に変わっていた。

ともあれ我が手で相続登記の手続きを終えたと思うとなんだか安心して気が抜けそうになった。でもまだまだ気を許してはいけない。アサちゃんの四十九日法要が月末には待っているのだから・・・。

2011年3月15日火曜日

大笑い

以前仕事で知り合った人が近くに住んでいる。アサちゃん亡き後、その友人の家に寄ってみた。友人も数年前に母親を亡くしている。

お茶を飲みながら世間話をしていると、さまざまなことが話題にのぼった。

世間では今回の地震で「笑う」ということを忘れ去ったような状況だ。当然我が家もアサちゃん亡き後「笑い」を忘れたかのような日々を送っている。

ところが今日訪れた友人宅では話をするたび、2人とも笑い転げてしまうほど涙を流しながらの大笑いとなった。

地震の話題でもそうだった。それはNHK のTV放送で大企業がこぞって援助の手を差し伸べているにもかかわらず、関係ある企業の名前が放送されていない。「何をしているのだ、〇〇社長!」、「そんな場合ではないだろう!」と想像を膨らませながらの大笑いとなった。

もちろんこれは地震に対して顰蹙を買うことになる。だがそれはここだけの話。面白おかしく生きていくのも生きる知恵。そう思えばひそかに他愛ない事をいって笑うことも顰蹙モノではないはずだ。

高齢化社会といわれて久しい。高齢化になればなるほど人とのふれあいが少なくなってくる。今のところはどんなところへも出かけられるし、どんなこともしようと思えば簡単にできる。ところがこの先いつどんな事態が待ち受けているかわからない。そう思えば、日々の生活において近くにいる友人と他愛ない話をして大笑いすることも大切なことだ・・・。

2011年3月14日月曜日

相続登記その3

先日来から相続登記の手続きで法務局に出かけている。今日は3回目の相談日だ。

相談を聞いてくれる係りの人とは3度目の「ご対面」となる。それでもその人は初めのときとはうって変わって次第に親切になってきた。

今日もメディアは相変わらず地震の情報を流している。その情報を知れば知るほど元気をそがれるような気持ちになる。そんな中、先日福山市役所へ郵便で依頼していた父の「出生から分家前まで」の戸籍謄本が送付されてきた。

これ幸いとばかり、朝早いにもかかわらず法務局へ出かけることにした。

係りの人に先日の書類は触らず、ただ不足分を持参した旨告げると、すぐに書類のチェックをしてくれた。それが終わると、係りの人はお金を持参しているかという。もっているというとご丁寧に印紙売り場に連れて行き、登記印紙を購入させた。印紙は相談者が勝手に受け取り書類に貼った。

「なんと親切なこと!」と感心していると、次回に行くときに使用する書類をコピーするから椅子に座って待つようにという。

しばらくするとコピーされた書類を渡された。これで登記申請の受理が確定されることになった。

次回は2日後とのこと。受理された書類がOKされれば相続登記は終了することになる。

これで今回の登記に要する日数は次回を含めて4日となる。これらの手続きを司法書士に依頼すれば10数万円かかるとか。それも必要なくどうにか手続きを終えられそうだ。

初めて会った係りの人はとても印象が悪かった。それも次第になれてくると親切な人だと思うようになった。ともあれ、もう一度だけ法務局へ行けば登記申請は終了する。

あとは墓誌銘の記入が待っている。これは専門業者にお願いするしかない。お盆までに済ませればいいと思っている。これで四十九日まではアサちゃん関係のことは済みそうだ。

登記申請も終わればホッと一息と思うが、日本を襲った地震の影響で浮き浮きとした気分になれない。これはきっと我一人でなく日本人すべての気持ちだろう。

2011年3月13日日曜日

マグネチュード9.0

今回の地震の規模は今日マグネチュード8.8から9.0に修正された。発生から3日目になるが、相変わらずすべてのメディアは地震関連一色に染まっている。それも無理はない。何しろこれまでで最大級の地震なのだから。

TV画面を通してみる被災の状況は目に余るものがある。戦争体験はないが、その状況は戦場と化している。

アサちゃんを亡くしてまだ3週間しか経っていない。それでも自分では元気に過ごしていると思っている。だが、この地震の状況を見て意気消沈しないよう我が身を奮い立たせる。

恵まれた世の中に生きている今、すべてのライフラインが止まった状況は想像するに余りある。

東京電力は今回の地震で被害をうけ、原子力発電が故障した。それにより消費電力の需要がまかなえず、明朝から都内において計画停電を実施するという。

ライフラインの中でも停電はすべての事象に影響を与える。すべては電力で動いている。

オール電化住宅ともてはやされ、マンションなどもオートロックとか「便利さ」だけが強調された。しかし、それらすべてはいざとなれば至極「不便」なものに化してしまう。

すべての事象は裏表がある。そういう面で言えば、このたびの天災もこれを教訓にして活かせばよいことか。

我が状況を見ても、アサちゃんを亡くしたことは本当に人生の不幸を一身に背負った感があった。それも裏返してみれば「一人でしっかり生きろ!」とアサちゃんが応援してくれていると思えば、それもまたいいこと。

ともあれ生きていればいろんなことが起きること間違いなし。死=無となるのなら、せめて生きているうちは何が起きてもいいように気力を充実させ、一日一日を楽しく、明るく、前向きに生きたいものである。

2011年3月12日土曜日

日本沈没?

昨日、午後2時半ごろ日本はマグネチュード8.8という巨大地震に襲われた。以来すべてのメディアは地震一色に染まり、今でもそれは続いている。それに伴う津波は地震発生地のみならず日本全土を覆って襲ってくる。まるで日本沈没の様相だ。

ふとそのとき思ったことは、アサちゃんがいたなら・・・と。広島にそれほどの地震があったならもちろんアサちゃんを背負って逃げることは不可能だし、車椅子に乗せても津波の早さには負けてしまう。地震にあった県はほとんど全世帯で停電している。本当に大変なことだ。

今朝の新聞を見ると、NHKのTV、ラジオ欄は空白であった。もちろんこんな状態の番組欄を見たのは初めてのことだった。

ほとんどのメディアは日本語放送だ。だが、NHKのラジオ第2放送は英語で放送している。多分、日本のみならず、全世界に向けて発信するためにそうしているのだろう。

お昼過ぎ外出する。だが、家に帰ってもまだメディアは地震のニュースである。

嫌なものをよけて通るのは如何なものかと思う。それでもアサちゃんを亡くして精神的に「元気」を取り戻していないものにとっては嫌なことは聞きたくない!地震にあった人には本当に申し訳ない。

それをごまかすかのようにもっぱらパソコンが「お友達」となっている。いざというときパソコンは必需品だ。すべてのメディア機能を備えているパソコンは本当に必需品だ。またいい遊び道具だ。こう思うこともまた他人から見れば顰蹙ものだろうか・・・。

話は変わって、先日来からアサちゃんにとお供えが送られてくる。TELにては遺言に香典類は受け取らないと書いてあったと話す。だが、それでも言い方が悪いのか送られてくる。1昨日は大竹の知人から「御仏前」、昨日は大きなりんごが名古屋の遠い親戚から1箱も贈られてきた。

故人の意志を無視することになるが、それなりの判断が迫られる。ありがたく頂戴すればいいのかもしれないが・・・。

2011年3月11日金曜日

「母の不在」

今日の産経新聞を読んでいたら「母の不在の寂しさ」という題で久田恵がエッセイを書いている。

毎日のように図書館に出かけ、日本の有力な新聞を読んでいる。気のせいか、やたらと介護や人の死の記事が目に付く。久田の記事もそうであった。

「親を喪う」とは自分自身だけが寂しさと向き合うわけではない。今朝の新聞記事もまさに今の心境とよく似たエッセイであった。

「一人ぼっちになった・・・」という記事である。それは家族のあるものにとってもそうらしい。

不思議といえば不思議。もともとヒトは一人で生まれ一人で亡くなるもの。そう思えばどんな境遇にあっても皆一人と思う気持ちに変わりがないのかもしれない。

久田は「どんな高齢になっても、親を喪うと、まるで荒野に一人ぽつねんと残されてしまった寂寥感に包まれるのだ」という。

そんな一人ぼっちの寂しさを久田は「一人暮らしをしていると、夜は必ず一人になる。まぎらわすものがないから、時々、どっぷりのひとりぼっち感に浸る。不在の母を思ったり、父を思ったりする。記憶のそこではほこりをかぶって眠っていたものが、ふと目覚めてきたりして、なにやらそれが、甘美なひとときとなっていくこともある。寂しいのもいいものである」と締めくくる。

一人暮らしになって間もないものにとっては「寂しさ」をなかなか肯定できない面がある。それでも久田のいうように記憶のかなたにあるヒトを思うとき、それがつかの間の甘美なときになるのなら、それもまた楽しいことになるのだろう。

2011年3月9日水曜日

相続登記その2

先日来から一番手こづっているのが相続登記だ。

アサちゃん関係の出生から除籍までの戸籍謄本はどうにかそろった。それで相続登記の書類は揃った感があった。念のため、我が家の登記の現状を今日法務局で確認してみた。するとやはり登記上の名目はアサちゃんの夫であることが判明した。

そこでそれらを基にして係りの人に事情を話した。すると相談室で係りの人は1件ずつ書類の確認をしてくれ、未記入の箇所にはその都度書類に書くよう促した。ほとんどの書類は出揃ったようであった。だが、アサちゃんの夫の出生から分家前までの書類が不備であった。係りの人は次回はOKとなるでしょうという。

その人は前回とても横柄な態度で応対した人だ。そのため悔しい思いで法務局を後にしたことを思い出す。ところが、今回はそうでもなく少しは安心して帰宅した。

何人かの人に相続について話をすると、ほとんどの人は司法書士か行政書士に依頼している。

それを我が一人でやろうというのだから少々の無理はある。だがそれもどうにかクリアできそうだ。

とりあえず、法務局から帰宅後は再度福山市役所へアサちゃんの夫の書類を依頼する旨、郵送しておいた。数日すればそれらの書類も揃って法務局に申請すればOKとなるだろう。

それがクリアすればそろそろ春本番も真近になってくる。ゆっくり春を楽しもう!

2011年3月8日火曜日

『安楽に死にたい』

松田道雄の『安楽に死にたい』(岩波書店、1999年)を読んだ。この本はアサちゃん亡き後、ほとんど毎日のように出かけている図書館で読んだ。何といっても時間はたっぷりある。新聞、雑誌のみならず書架にある本も探しては読む。この本がそうである。

本の裏表紙には「どうせ死ぬなら楽に死にたい。それは年をとって弱った人間が、万人が万人願うところです・・・人間として尊厳ある最期を実現するために、『安楽死』についてじっくりと考え直してみる。高齢者医療の延命至上主義を批判しながら、『生きる』『死ぬ』の選択は誰のものかを問う、迫力に満ちたメッセージ」とある。

著者の松田はこの本を書いた時点では89歳である。その翌年90歳で亡くなっている。著者自ら体力の衰えを感じる日々を送るうち「安楽に死にたい」と思うようになった。年をとって弱っていく、万人が万人願うその気持ちを代弁し、今の医師会の現状に警鐘をならしたのが本書である。

松田は診療というものについて「使った薬代でもうけるようにしたものだから、わずかな『薬価差額』で稼ぐには数でこなさなければいけない。そのために三分診療というものがでてきた。三分診療では、人間をみることができなくて、症状しかみられない。看護婦に病人の主訴と既往症をたずねさせてカルテにかかせる。医者はそれをみて薬の検討をつける。自分でできないから病人の切実性をつかめない。また検査をすればいくらでも異常はみつかる。それぞれの異常に応じた薬があるから、その薬を渡すだけになってしまう。いわゆる薬漬けになってしまう。そういう矛盾をもった健康保険を基にして、今障害のある老人をあずかっている。・・・」という。(72-72P)全くその通りと思う。

また「自立した市民として生きているものに、いちばんいやなのは、医者が入院を命令した場合だ。かつて一国一城の主であったものは、大勢が敗北と決まったとき、城を枕に討死した。・・・いまの世の中ではすべての市民が自分の主人になっていいのに、家をでるようにいわれたとき、抵抗する人は、きわめて少ない。それは抵抗できないようになっている。家族にかこまれ、見なれた調度を眺め、好きな食べ物をつくらせ、時には音楽をきき、時には絵をみ、若い日のアルバムをもってこさせ、いまわのきわには、肉親に後事をたのんで死んでいく・・・死は厳粛な自分の営みであった。そんな死だけが尊厳死といえる」と述べる。(117P)

この点に関しては、アサちゃんを最期まで在宅で看取りたいと思っていたモノとしては大いに後悔するところである。特に自分の意思を表現できなくなっていたアサちゃんに対して格別そう思う。ヒトの余命がわかればきっと入院させはしなかった。3週間の命とわかっていれば入院させはしなかった。またアサちゃんも入院したくはなかったはずだ・・・。

松田は「病院での人権無視」について「『老人性疾患』として入院した患者となると、もはや自立した市民でありえなくなる。・・・医者と看護婦がやっと通れる通路をのこして病室につめこまれたベッド、医者がこしをかがめないでいいようにできた高いベッド、家族から切りはなされる基準介護と面会制限・・・」、「入院患者は、病院経営にただ器官だけを提供する素材であればいい。器官に異状をみつければ、病名がつく。病名がつけば、それに対応する薬が保険でみとめられている。・・・入院することは、このルーティンに身をまかせることである。患者の自由意思は問題にされない。患者に同情して不必要な検査や点滴をしない医者がいたら、病院長はノルマを達成しない人間としてやめさせる」、「病院のルーティンをこなすことを日常としている医者は患者の人間をみようとしない。病院にパートできている大学の医者は、異常のある器官のコレクターであることがおおく、心電図やCTにすこしでもかわったことがあると、大学病院にかわって精密検査をうけるようにいう。市民の自由、基本的人権が無視されているのに無神経なことで病院ほどひどいところはない」と入院患者として入る病院への非難は最高潮に達する。(120-123p)

結局老人が入院することは薬漬け、検査漬けとなり、人間としての尊厳はなく、「安楽死」は到底望めそうにないというのか。医者である松田でさえもそのように思っている。いずれにしても病院というところは好きではない。それでもいざとなったら助けを求める患者は何をされても弱い立場にあるのは間違いない!

2011年3月7日月曜日

「孤独という状態の有効活用」

岩波書店の情報誌『図書』3月号に片岡義男が「孤独という状態の有効活用」と題して書いている。

片岡は「小説を書いているときの僕は、孤独であるという状態のきわめてポジティブな有効活用をしている」と述べている。また小説を書くときのひとりきりの状態は、孤独と呼ぶに値するという。

「なぜ、書くのか」と問われれば、「書きたいから書くのだ。書きたい、と僕が僕ひとりだけのこととして、願望する。その願望を、僕ひとりが、実現させる」という。さらに「書きたい、という動機づけは、自分の内部からのみ、立ち上がってくる。孤独という状態がなんらかの肯定的な力があるとするなら、書きたいと願う気持ちは、そのような力のひとつだといっていい。書きたい、という気持ちを抱くにあたっても、他の誰をもいっさい加えることなく、僕は自分ひとりだ」ともいう。

そのうえで小説家である片岡は「論理が文章を書かせる。小説とは、論理の展開していく筋道の様子だ」と述べる。そして話が展開していく筋道が物語となる。その物語は「ある程度以上に抽象化された」ものが文章となって小説となる。「ある程度に抽象化された」なにごとかとは「アイデア」であり、それを提示する手段が「小説」だという。その「小説」という手段に選ばれた機会に読者は片岡の孤独に反応しているというのである。

なにやら理屈めいたややこしい話である。

ともあれ、片岡は孤独な作業を行って小説を書いているのは間違いない。そこには孤独という状態が有効活用しているというのである。

もしかしたらブログを書くのも孤独という状態の有効活用なのかもしれない。アサちゃん亡き後は「孤独」という状態が痛いほどよくわかる。その気持ちをブログに投稿する、という手段で有効に活用する。そう思えばそれはそれで精神面にとっても「孤独」解消となり、良いことなのかもしれない。

2011年3月6日日曜日

習い事

昨日米子の知人から広島に来ているというTELがかかってきた。早速今朝その知人に会うために街中まで出て行った。知人は美作へ「せつぶんそう」を見に行った後、広島へ来たらしい。

知人は母親を3年半前に亡くしている。アサちゃんは亡くなったばかりであるが、元気そうにしている我が様子を見て安心してくれた。別れ際知人はアサちゃんへのお供えを我が手に渡そうとした。アサちゃんの遺言でそれは受け取れない旨伝えると、奈良へ行ったとき買ってきた土産をお供えとしてくれた。

金銭でないものなのでありがたく受け取った。

知人と別れた後、4月から開始する習い事の手続きをするために地元の新聞社主催の文化センターに出かけた。日曜日というのに何かを受講している人々の姿があった。

その文化センターへは8年ぶりに出かけた。基本的にはあまり変わってないようであったが、それでもフルートなどの教室は変わっていた。

とりあえずの習い事としてフルートを再開し、さらに前から習いたいと思っていた「シャンソン」の手続きをした。シャンソンは「歌え、語れ、シャンソンは面白い」にしようと思ったら、初心者は他のシャンソンを始めるようにとのことで言われるままにしておいた。

その後、「歌え、・・・・」のほうに進めるとか。どちらにせよ、新しいことをはじめることができて喜んでいる。

というのもアサちゃんはいつも「過去を振り向くな」と話していた。だから新たな挑戦は喜ばしいことだ。アサちゃんはいつも言っていたことがある。それは写真やビデヲ、声など録音しようとすると「後から見てどうするん?」と。

そういう意味では写真などを見て偲ぶことも、もしかして喜んでいないかもしれない。

ともあれ、アサちゃんは我がはつらつと元気にしている姿を見ると喜ぶこと間違いなし。過去は振り返らず、さりとて未来も仰ぎ見ず、今を楽しく生きるよう心掛けたい。

2011年3月5日土曜日

写真

携帯電話の写真機能で4年前からアサちゃんを定期的に写してきた。そのほとんどはアサちゃんの孫から贈られてきた花束を持っての撮影であった。

SDカードに収められた写真は現像すると相当数になった。

今朝アサちゃんの長女夫妻にそれを見せるとアサちゃんの老いていく状況がはっきりするという。それは声を発しなくなった昨年夏ごろから顕著である。

それ以外にも家を片付けるたびにあちこちからアサちゃんの写真が出てくる。それらの写真はアサちゃんと国内旅行をしたもの。

アサちゃんが旅行に行き始めたのはアサちゃんの夫がなくなってからである。アサちゃんは他のヒトが旅行するたびに家を空けられず旅行にいけない自分を残念がっていた。そこで夫亡き後、アサちゃんの青春は始まり、年に2,3度は旅行を共にした。それには大概アサちゃんの娘や孫も一緒だった。

旅のスケジュールは我が担当だが、費用は全額アサちゃんが出してくれた。ツアーにはほとんど参加せず、自分たちがJTBに頼むという贅沢な旅行であった。

それらの写真を見ると本当に嬉しそうな顔をしてアサちゃんは写っている。

家の中はまだまだ片付いてはいない。写真はこれからも出てくるだろう。そしてそのたびにさまざまな思いが頭をよぎるだろう。

夫亡き後、アサちゃんは14年間も老体を鞭打って我が旅のスケジュールにあわせて歩いてくれた。今となっては愚痴も言わずよくも歩き続けたものと感心する。それほどアサちゃんにとって旅は楽しいことだったのだと思いたい。

出てきた写真のうち、よく撮れているものを大きくしてアサちゃんの長女に1枚渡した。アサちゃんの3女には今日他の書類と共に郵送した。

これから四十九日法要までは毎日このようにしてアサちゃんを偲びたい。それはせめてものアサちゃんの供養になるはず。

明日はまた遠くから広島にまで出向いてくれる友人と会う約束をしている。きっとアサちゃんのお悔やみに来てくれるのだろう。

こうして忙しく毎日を送ることも我が精神面では貴重なことだ。明日、街中で友人に会ったあと、4月からはじめる習い事の手続きをしよう。そして本格的に四月からの我が行く道を確立しよう。

2011年3月4日金曜日

『週刊朝日』

アサちゃんを介護する前と後の生活リズムは180度の違いがある。その違いを修正するには相当の時間を要する。その期間が四十九日だとか。それ以後は以前の生活リズムを取り戻せるらしい。

それについて今朝図書館で読んだ『週刊朝日』今週号の記事に「遺族の免疫力の低下、精神異常、うつなどを避ける」ために「初七日や四十九日、一周忌などと死者を定期的に敬い、弔う日本の文化がある」という。

その記事の中で山折哲雄は「生と死」について「近代西洋的な死生観では、生と死の世界を断絶したものととらえる。これに対して、生と死は連続の関係にあり、人は緩やかなプロセスを経ながらあの世へとたどりつくというのが、日本人の伝統的な死生観です」という。

アサちゃんも日本人の死生観の通り、生から死に至るまで安らかに眠るようにたどっていったのだろう。そう思えば、残されたものとして安心する。

献花について「人は往生した人については慰霊となる」が、事故死や若くして命をなくした人にとっては「花の暴力と化す」という。この点についてアサちゃんの場合は今でも沢山の花に囲まれ、慰霊となっていると思えばこれもまた嬉しいことである。

そういえば7年前に大腿骨を骨折し、1昨年まで毎日のように車椅子に乗せてスーパーに行っていた。途中の線路脇には四季折々の花が咲いていた。その花を見たりときには摘んだりしてアサちゃんに持たせたりしたものだった。

そういう意味でもこれからはアサちゃんの好きな花だけは絶やさないように活けてあげたいと思っている。

我が今の気持ちは何を読んでも何を見てもアサちゃんのことを思い出す。そのため週刊誌の記事を見ても今朝のような文面に目がいく。これも当分は仕方のないことか。

そういう気分を紛らわすには時間が一番の妙薬だとか。それを待っていても仕方がない。とにかく体を動かして頭をカラッポにするに限る。まだまだ寒い日が続くらしい・・・。

2011年3月3日木曜日

お供え

アサちゃん亡き後、ありがたいお供えを今日も二ついただいた。

一つは2年前にも大学院を修了したとき花を贈ってもらったことがあるヒトからの供花である。その花は昨日配達される予定だった。ところが留守にしていたため今日受け取ることになった。供花らしく真っ白な蘭の花とカーネーションなどが見事に籠に活けられていた。

二つ目は水墨画を共に習ったことのあるヒトからのお供えである。その人は遠くから我が家の近くに通われて稽古事をされている。その合間を縫ってアサちゃんをお参りしてくださった。

アサちゃんは自らの遺言に香典など辞退する旨を書いていた。当然おくられてきた香典類はそのままお返しする予定だ。ところが、花などは受け取らざるをえない。こういう場合はありがたく頂戴することにする。

アサちゃんがいなくなってもう2週間になる。寂しくないといえばウソになる。それでも今日のようにアサちゃんのお供えをいただくと素直にうれしい気持ちになる。その反面、ヒトには今日いただいたような思いやりを忘れないように・・・と自分に言い聞かせる。

一人になってこれから先何が待ち受けているかわからない。そんな中いつも思うことがある。きっとアサちゃんは我を見守ってくれていると・・・。そう信じて毎日アサちゃんの遺影に声をかけ、まだ二人でいるような気持ちで楽しく過ごしたい。

2011年3月2日水曜日

菜の花

春は「菜の花」が一番旬の食材として似合う。昨日は近くのスーパーのチラシに「菜の花」の広告が掲載され、早速それを買いに出かけた。

ところがそれがどこに置いてあるのかわからない。店員に尋ねると「花売り場」だといって案内された。確かに「菜の花」は花と名がつくから花売り場になるのかもしれない。それにしても・・・とあっけにとられながら食材としての「菜の花」は?と質問を請うた。

やっと「菜の花」を手に取りレジに向かうと298円なりという。198円で売り出してあったと告げるとレジ係は売り場の係りのところへ駆け寄っていった。売り出し品はレジに出したのとは違う場所においてあったらしい。売り場の係りはどちらも同一品だとレジ係に告げていた。

たった一品を買うだけなのに時間を要する。アサちゃん亡き後、いくら時間的に余裕があるといっても・・・とつい愚痴がでてしまいそうになった。

今朝その「菜の花」をレンジでゆでて、鶏肉と炒めた。初めは豚肉とのコラボにしようとしたのに、冷凍庫から出す際、豚と鶏を間違え、鶏肉とのコラボとなった。間違えた割には結構鶏の味がしみて美味であった。

考えてみれば、アサちゃんがいたころはすべての食材を切り刻んでいた。だから食材そのものの持ち味を味わうということは皆無であった。ところが今はそれもなく、むしろ乱雑に食材を切ってしまう。その癖がつきそうだ。

ともあれこれからは我が自身の健康を第一に考える生活が求められる。幸い料理を作るのは精神的にも落ち着くので楽しみの一つだ。それに伴いスーパーに出かけて買い物をするのも楽しみだ。

午後からは、相続登記の続きが待っている。アサちゃん亡き後、アサちゃんの「出生から除籍まで」の登記簿謄本は「除籍から出生まで」という風に生きてきた順とは逆のやり方で取り寄せることになった。いまやっとアサちゃんの「除籍から結婚まで」の謄本を取り寄せた。これからは「結婚まえから出生まで」をとりに出かけなくてはいけない。

アサちゃんに失礼とは思うがヒトの一生を登記簿謄本で振り返ることはなかなか大変な作業だ。逆に余りにも簡単すぎるとヒトの一生が軽すぎるのかもしれない、と思ったりする。

「相続登記」が終わりを告げて早く平穏な毎日を取り戻したい!

それとも四十九日まではこのように忙しい毎日があるからこそ愛するヒトを喪失した悲しみが薄れるのだろうか。いろいろと考えをめぐらしてみたりする毎日だ。