2015年1月31日土曜日

『あぐり白寿の旅』

先日近所の人に出会うと、糸杉を根っこから切るように促される。父が人からもらった糸杉。ためらいはあったが切ることにした。

今朝、シルバーの人が剪定の見積もりに来られる。屋根より高くなった糸杉とイロハモミジ。モミジは夏の日除けのために残して少し小さくしてもらう。レモンと他の植木も形よくしてくださるらしい。

費用を尋ねると以前の半分以下。これにはびっくり!

義兄にお願いしていた。だが、切った後のゴミ処理に困る。シルバーに決めてホッとする。

プールで泳いだ翌日は起きるのも遅い。遅い朝食を食べ終わらぬうちにシルバーの人と応対。もうすぐお昼になる。

遅く起きると一日が短い。それも仕方ない。冬は冬眠の季節。それとも、泳いだ後は疲れる?

寒くなってもプールは暖かい。水中歩行の人は1コースに20人くらいいるだろうか。アヒルならぬ爺婆が列を作って歩いている。時には後ろ向きで歩いて向き合って話をしている人もいる。

ともあれ、プール会議は昨日もにぎやか。その横で黙々と泳ぐ。泳いだ後は浅い方に移って息継ぎなしで潜ってみる。昨日はこれまでの最長で12.5メートル。

NHKのゆうどきネットの以前の出田アナ。何かで読んだけど素潜りで25メートルが自慢とか。

私はこの人の半分。25メートルとは大したもの。頑張って練習しよう。これは肺活量の問題?ともあれ昨日も1キロ泳いだ。

先日訃報を知った吉行あぐり。その人の本から記そう。

『あぐり白寿の旅』(吉行あぐり、吉行和子 集英社、2006年)を読んだ。読んだといってもエッセイなのですぐに読める。

あぐりさん、初めての海外旅行が90歳の時でメキシコとは…。2回目の海外がネパール、その後、イタリ―、香港、台湾、上海と出かけている。

まだまだ90歳までには間がある。とはいっても、日本の旅行社は連れがいないと75歳くらいまでしか一人参加を許さない。いまはだいぶゆるくなってるかもしれない。

そう思うと、早めに出かけないといけない、との気持ちにかられる。

そして、あぐりさん、この出かけた最後の言葉が「長生きしてゐてよかったなあ、と海外に出かける度に思ひます。」とは驚くばかり。118p

メキシコもネパールも出かけていない。いつかぜひとも思うけどどちらも高山病が怖い。

本の最後は99歳の時の股関節骨折。ここを読んでいて母と全く同じと気づく。手術をして一度は歩けるようになる。だが、年齢的なこともあって次第に筋肉が衰え、歩けなくなる。そうすると頭も衰えてくる。

一生懸命リハビリする様子も書いてある。この辺りのことは4か月病院で寝泊まりして母を看病したので鮮明に伝わってくる。

年を取ったら怪我は禁物。とはいっても誰も好きで怪我するのではない。

怪我と言えば、先日のベトナムでちょっと手のひらをすりむく。走っていて水路の蓋の穴のところで足を取られてしまった。しまった、と思ったときはもう遅い。

幸い、横を歩いていた同じツアーの人に傷テープを貼ってもらう。有難かった。

怪我ではないけど、海外旅行では日程表を家の人に渡すべきと思ったことがあった。旅も終盤のころ、日本からある人に訃報が伝えられる。こういうこともあると知った。

今回、初めて日程表を渡さずに旅に出た。自分では何もなくても姉妹の家族に何かあったとき、どこに知らせればいいか困るはず。

今日は一日ゆっくり三昧。明日は水仙を見に益田へ!

2015年1月30日金曜日

メールあれこれ

新聞を取りに出ると塀に雪が積もっている。もっと早ければ道にも積もっていたのだろう。今日は午後から泳ぎに行く予定。出かけるまでには晴れますようにと願って今日の行動開始!

今日の予定の水泳。例年ならば泳いだ後は一晩中、鼻水と格闘していた。ところが昨年秋ごろからか、気づいたときにはそれがない。そればかりでなく、寝る時置いていたソフトアンカも要らない。

1年近く前に泳ぐ場所を変えた。そこへは自転車で行ける。そのためもあって、わりと定期的に週1回1キロ泳いでいる。

この自転車に乗ることと泳ぐことは体にいい効果をもたらす。手や体もあまり冷たさがない。もともと血の巡りはいい方だけど…。

先日絵ハガキを郵送した方から届いたとのメールを受け取る。今朝、その人のブログを見ると、絵ハガキ3枚をアップされている。

プロの画家の絵ハガキ2枚に図々しくも自分で描いたリンゴの絵ハガキも送付。そのお礼としてメールには名前をひらがなにした、その一文字づつを使って詩にして送ってくださる。

ここにアップしたいけど、名前が出るのでそれは止めよう。ありがとうございました!

こういうやり方で思い出す。かなり前のこと、いつもお世話になっていた中国の留学生に連れられて日本の女朋友と一緒に大学近くの宿舎にお邪魔した。宿舎は偉い人たちご夫妻が短期入居されていた。

その奥様だったと思う。絵を描いて私の漢字の名前を使って4行詩にしてくださった。いまでも大事にとっている。どういう内容が書いてあったか、後で出してみよう。

それを見ると、今、絵を習っているので当時よりももっと感激するかもしれない。

今思ったけど、これまで出会ったいろいろな方々から大きなエネルギーをいただいている。ほんとうにありがたい!

昨日は美学の先生からもメールが入る。一斉メールだった。イスラームの例の事件に絡んで暦のことが書いてある。

その合間に、ベトナムの旅を書く。まだまだ時間はかかりそう。頑張って書こう!

今日も元気で!

2015年1月29日木曜日

「雪に耐えて梅花麗(うるわ)し」

工藤重典フルートリサイタルに出かけた。それにしてもオーラがある人。

前半は地元の音大の講師とのアンサンブル。後半はソロでの演奏。アンコール曲は4曲。休みなしで速い曲を精力的に演奏。

吹き方からして人を引き付ける。これまでの自信がそうさせるのか。どう表現してよいかわからないほど素晴らしい演奏会だった。

ソロの演奏曲目は以下の通り。アンコール曲は含まず。

♪ベートーベンの主題による幻想曲OP. 43 ベートーベン
♪ロマンス ヘ長調OP. 50 ベートーベン
♪序奏と大ロンド フンネル

真ん中の曲は聞き覚えがある。さらった曲だった。さらったといってもアレンジはその人の比ではない。

演奏会の前に、再度、八丁堀本店で開催中の院展を見に行く。目的とする人の絵は3×2メートル(?)もあるほどの大作。紫を基調としていた。もしかしてこの画家の基本色は紫?素晴らしい絵だった。

今朝一番に見たタブレット。これにも感激する。長い文なのでURLを貼り付けよう。きっと広島の人にはたまらない記事。世の中、まだまだ神様がいらっしゃる!?この人も人としてのオーラがある!

それにしても黒田の座右の銘「雪に耐えて梅花麗(うるわ)し」はいい!!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150129-00000007-mai-base

2015年1月28日水曜日

びっくり!

駅前の福屋で再興となった院展を見ていた。そのとき携帯メールが入る。「同級生の手塚雄二の作品あるかも」だった。

メールをくださった人のブログはいつも見ている。昨日のブログには以下のように書かれていた。

「今日不思議なことが。広島のお友達が院展に行かれると言うので、仲良くしている手塚雄二くんの絵があるかも、とメールしたら、ちょうど院展をみているところだった。こんなことってあるかな。びっくりした。…」

メールをいただいた人の同級生である手塚雄二氏は東京芸術大学教授で院展の理事をされている。来月にはお二人での食事会もあるとか。うらやましい限り。

今回の院展は福屋八丁堀店と駅前店で分散して同時に開催されている。すぐに展示してある作品集を見る。手塚雄二氏の絵は八丁堀店に展示されていた。

メールが入る前に八丁堀の院展は観覧済み。ところが88名の作品のうち知っている人は数名。そのため、各作品を丁寧に見ていない。

見本の作品集を見て手塚氏の作品を思い出す。幸い、もう1枚チケットを持っている。夕方コンサートに出かける。その前にゆっくりと手塚氏の絵を見よう。

駅前店で出品作の一部が絵ハガキとして販売。その中に手塚氏の絵ハガキもあった。この絵ハガキと自分が気に入った絵ハガキを購入。

院展に行く前、フルートのレッスンを受ける。新たなチャイコフスキーの曲をさらう。先生宅で吹くとフルートの音も一段と響きを増す。

その後に出かけた八丁堀の院展。見ているようで見ていない。今日はゆっくり作品を見ることにして…。

舛井先生 

絵ハガキ、今日郵送します。それにしても昨日はびっくりしました。あまりにもタイミングがよすぎます。怖いです。またいろいろと電話でお話もできました。ありがとうございました。先生を中心にした周りの人脈、凄い人たちばかり。これにもびっくり!遅くなりましたがコメントもありがとうございました。

2015年1月27日火曜日

『元気の源 五体の散歩』

『元気の源 五体の散歩』(外山滋比古 祥伝社、2014年)、サブタイトルは「『知』を支える頭と体の整え方」を読んだ。

本の裏表紙には「病気になりたくなかったら、とにかくじっとしないで動き回れ!…軽石のように動き回ることは不可能ではない。五体の散歩はその実践である。」とある。

昨日は一日中、雨が降る。家から一歩も外に出ない日は一年のうちでもほとんどない。ところが昨日は一歩も外に出ずに、家でパソコンと遊ぶ。というか、パソコンに取り込んだ旅の写真をブログにダウンロードする。

これは結構時間がかかる。たかがブログされどブログ。何でもないブログであってもアップまでには手順を考える。

まず写真、次に書き出しの言葉、これが決まれば後は書きやすい。だが旅の間、気づいたことをメモしていてもすべてをわかっていない。本を借りて来て、気になる個所を入力。

昨日は絵の付いたページはタブレットの写真機能を利用。ちょっと賢くなった。

外山の本ではないが、五体をフルに使って…。

以下はいつものごとく気になる個所を記したもの。それにしても素晴らしい生き方。真似をしたい!

★年輩の人間にとって、無為、安静は大敵である。とにかくなにかしていなければいけない。することがなければ作るのである。なるべく独りにならないで、できるだけ人とおしゃべりをする。新しい仲間ができればすばらしい。なければ作る努力をする。まえがきより

★家人が大腿骨骨折で手術、立居不自由となってしまった。あわてなくてはならないところだが、一向に平気だった。家事、炊事やればいい、なんでもないどころか、むしろ、歓迎である。両手両腕に散歩させるチャンスだと考えたのである。44p

母が寝込むようになったきっかけも大腿骨骨折だった。そのときまですべて母親任せの生活。それを境にして生活は様変わり。母と私の立場も逆転。生活費は母からであってもほかのことは自分に降りかかる。

著者ほどの気概はなかった。だが、母を主にした生活だった。

★雑談会のよいところはいろいろだが、まず頭のはたらきがよくなる。考えの幅が広くなる。人のことばの端々に、つよく刺激されて、それまで思ってもみなかったことに関心ができる。もちろん、老化防止になる。76p

★口の散歩の最大の成果はセレンディピティである。77p

★人間は年とともに自分の世界をだんだん小さく限定していく傾向がある。先細りである。だから、としをとると、新しいことはできなくなる。それを防ぐには、ほかの人と知的に交流することである。そのもっとも具体的なのがほかの人と交わることである。社交的レベルを抜けて、知的交流ができれば、おのずから、ここでいうセレンディピティのチャンスもあらわれるであろう。われわれは目的のある、役に立つことしかないというところがあって、用のない、役に立たないことは無駄だと決めつけるが、その無駄の中に思いがけない宝が眠っていると考えるのは人生を豊かにする思考であう。それを、インスピレーションと言ったり、閃きと言ったり、ヒントと言ったりするが、本の中ではなく、われをわすれて、話し合っているときに、うごめくということを、雑談は教えてくれる。88p

★スポーツの実況、ニュースに比べると、テレビが売りにしているドラマなどなんとなく緊迫感がない。…そこへ行くと、スポーツはいい。一寸先はヤミ。その帰趨を知るものはだれもいない。視ているもの、している人も未知に挑戦している。観戦がおもしろくないわけがないのである。115p

★おしゃべりがおもしろくなるには、そして知的に活力をもつには、アルコールの助けが必要なのではないか。コーヒーいっぱいでいくら議論につとめても、われを忘れ、時を忘れるというわけにはいかない。神様だってお神酒を召し上がって神様である。水飲み神などという神は存在しない。167p

★生活という小さな洞穴の中では、心身ともに不健康になってストレスの塊のようになる。それを解放するには、外へ出て動き回ることである。風のように自由に動くことは人間にはできないが、石のように転がることならできなくはない。…軽石というものがある。石の形はしているが、およそ、重量というものが小さい。岩を転がすのは困難でも軽石ならあっさり飛ばすことができる。ころがしてやれば、ストレスは生じない。自由に近くなる。”軽石のように自由に”というkとは、考えられないことではない。209-210p

★このごろ、若人たちが、スポーツ選手を見て、「元気をもらった」などというのは、案外、当たっているのかもしれない。人のしているスポーツを見るだけでも、つり込まれれば、ストレスを消去する。気がついてみると、自分で汗を流したのに近い感覚を味わう。刺激の多い、多忙な現代の生活は気がつかなくても、ストレスにやられる。うっかりすれば、うっかりしなくても、病気になる。
それをさけるには、とにかく、じっとしていないこと、ヒマだったら仕事をこしらえる。仕事ができなければ、目的もなく動き回り、我を忘れる。213p

スポーツ選手から元気をもらう。これはそう思う。病んだ人よりも元気な人からのほうがより元気はもらえる。若鯉のツイッターを読むだけで元気になれそう。

今日は午後から先生宅でのフルートレッスン。昨日、先日もらった発表会のCDとDVDを見る。自分のところだけ見て、もう終わり。まだまだ見られたものではない。もっと優雅に楽しそうに吹くようにしたいもの。

それにしてもCDとDVDを作成された先生には頭が下がる。ここにアップできなくて残念。誰でもができることではない。よくぞここまで、と思ってしまった。というか、これまでいただいてもあまりみていなかった。申し訳ない。本当にありがたい!

今日は晴れ。春の陽気になりそう。今日はフルートレッスンの後は院展を見よう。八丁堀と駅前の福屋で開催中の院展。

今日も元気で楽しく!

2015年1月26日月曜日

若鯉のツイッターetc.

今朝は雨。止みそうにない。こういう日は自転車にも乗れずじっとせよ、とのこと?

また今朝はゴミ出しの日。ゆっくり寝てもおれない。外に出ると収集車が通り過ぎる。待って、とも言えず、他所のゴミ置き場を見る。まだ残っている。ホッとする。

地元紙に82歳の人が両親への後悔の思いを投稿されている。それには両親と交わした言葉などがある。「『たんびゅう』『さいさい』帰ってきんさいよ。待っとるけえ」。

これは「まいかい」「なんべん」の意味。この辺りでは「たんびゅう」でなく「たんびに」と使っていた気がする。

親から言われた言葉は弱音を吐くと「そういうことでどうするん?」、何かの行いでは「そういうことをしてどうするん?」がある。今思い出すと、この2つの言葉が浮かんでくる。

投書の人だけでなく、何歳になっても親の言葉はありがたい。頑張ろうと思う。

頑張ろう、と言えばカープの選手の今朝のツイッター。[

「いつか来る、その日のために備えた者だけにチャンスは訪れる。」とつぶやき、その後でさらにつぶやく。

「準備をせず、ただ漠然と生活をしているだけじゃ目の前のたくさんのチャンスを見逃してしまうということじゃないですかね^ ^ って事で今日も頑張りましょう!!」。

昨年の最優秀新人賞投手だけあって言うこともすばらしい。

まだまだ若い鯉たち。春のキャンプを前にして頑張っている様子がツイッターから伝わってくる。老婆も若鯉から元気をもらって今日も頑張る!?

パソコンを買い替え、誤ってリセットしたりして写真取り込みのソフトも見当たらず。昨日は再度、設定をする。パソコンの前にいるとパソコンの動きでなく人間の動きが鈍る。

とはいっても、旅の写真をパソコンに取り込まないと文が進まない。かなり重い腰を上げてパソコンに取り込む。

来週末は旅に行った会の総会がある。それまでに、旅の記録は間に合いそうにない。今日から少しずつ書いていこう。

2015年1月25日日曜日

冬は「穏感燈月」

今日は旧暦では12月6日。朝は冷たい!だが、日中は11度の予想で温かくなりそう。

それにしてもよく眠る。先日の旅行では毎朝5時半起床、6時朝食、8時前後にホテル出発、観光後ホテル到着は午後8時ころ、夕飯を食べているときもある。夕飯もゆっくりといただくのでホテル着が9時過ぎになることもあった。それから部屋に入って9時半か10時ごろから連夜の反省会。11時まで続く。眠るのは先にお風呂に入らせてもらっても真夜中頃になる。

この繰り返しの日々だった。家で過ごす時間配分と比べるとすべてが違う。家では朝はゆっくり起きて、夜は早く眠る。だが、日中はしっかり動く。

旅行の始めの2日間は寝不足との格闘。それでも旅行中は楽しくて寝不足は言っておれない。

この状態が1か月続くと多分ダウン間違いなし。一番の致命傷は寝不足と知っているので家にいる時はよく眠る。

一昨日の美術講座で話題となった太陰太陽暦のカレンダー。講座の人と先生からメールが入る。カレンダーを見ると、新暦の干支が旧暦だと変化が生じると気づく。たとえば、1月や2月の人の場合、旧暦に換算すると前年の干支になることもある。

不思議に思っていた矢先、先生からのメールでこれも合点がいく。

たとえば震災でもなんでもいい。初めて起きたその日を旧暦に換算して、それをその日に当てればいい。誕生日もそうすれば納得がいった。

これから新暦での誕生日でなく旧暦での誕生日の日付も覚えておくといろんな意味で楽しいかもしれない。

昨日は美術は美術でも日本画教室へ行く。トルコキキョウの淡いピンクに色づけする。

色付けはいいのだが、今一歩初めに色づけした葉っぱや、背景の汚れが気になる。先生はどうしてもトレースの跡が出ると話される。再度背景に画の隙間をうずめるようにして色を塗るとか。

何もかも初めてのことで次回が気になる。

気になると言いながらも、教室では遊ぶ話で盛り上がる。どこへ出かけても遊び、遊び。

元気に楽しく遊べるのもそんなに長くは続かない。そう思っているので、食べる話や遊ぶ話はなんでもOK。

遊んでエネルギーを蓄え、時にはエネルギーを消耗しすぎて草臥れて…。まあ、これも人生。しっかり遊びましょ!!

追記 新暦2014年11月22日から2015年2月18日までが「冬」で「穏感燈月」(冬穏かに灯す月)。

2015年1月24日土曜日

太陰太陽暦カレンダー

前回、欠席した美術講座。かなり話題も変わって驚くばかり。

太平洋諸国の若者育成援助をしている某協会が発行する旧暦の暦。旧暦とは自然歴であり、太陰太陽暦をいう。

これを手にしていろいろと疑問点が出る。

私たちが小さい頃、お正月は新旧両方があった。どの家も当時は各戸でお餅つきをしていた。この間、お餅をついたのに、またついている、と思ったことを覚えている。

これもいつの間にかなくなる。とはいっても今頃の寒の季節の水は腐らない、とかいろんなことで母は旧暦に基づいた生活もしていた。

今ではそれも無縁となる。

この旧暦。いろいろとみていると興味深い。だが、まだ把握できていない。昨夜遅く、同じ講座の人から面白い指摘のメールが届く。

昨夜といえば広島交響楽団の第345回定期演奏会に出かける。

演奏のテーマは「ブラームス交響曲チクルスⅣ被爆70年HIROSHIMAプレ公演」で「自由と平和」と銘打っている。

演奏曲目は以下の通り。指揮者は常任指揮者の秋山和慶。

♪オネゲル交響曲第3番H.186「典礼風」
♪ブラームス第3番ヘ長調Op.90

なんといってもブラームスの第3番第3楽章は有名。映画「さよならをもう一度」のテーマ曲。聞いていてもう感激。BSで見て知った、このテーマ曲はもう最高!

昨夜は今年の初めての演奏会。来週はフルートの第一人者の演奏会が待っている。

演奏会といえば演奏前に覗いた情報プラザ。そこで見つけた「ぶらあぼ」の小冊子。家で見ると1月の演奏会だけの目録。240P 余りにわたって細かい文字で催しが書いてある。

その9割は関東周辺の記事。うらやましくなる。というか、あまりに演奏会が多すぎて出かけるのに困りそう。その点広島はささやかなもの。有名アーチストともなればすぐに席は埋まる。

だが、フルートは如何に?

今日はこれから日本画教室へ。来週あたりから文化センターの行事で日本画を出す予定。1枚ほど搬入する。これには風呂敷が一番。

日本画を習い始めて使わずじまいの風呂敷が役に立つ。日本画、風呂敷、旧暦の暦…と自分の中では和のブーム!?だが、音楽はやっぱり西洋がいい。そう、フルート。

今日も元気を出して頑張ろう!

2015年1月23日金曜日

『耳を切り取った男』

美術講座の先生から借りた『耳を切り取った男』(小林英樹 NHK出版、2002年)を読んだ。ゴッホの耳の話、これにはゴーギャンがかかわっていた。以下は本の気になる個所の抜粋。

昨日はさっぱりしないお天気の中、自転車に乗ってプールへ行く。1キロ泳ぐ。泳いでいると、見知らぬ人からスイミング教室に入って泳ぎを習ったか、を聞かれる。話をすると家の近所の人だった。とはいっても全く見ず知らずの人。ただ家が近いだけ。

プールに浸かって泳がずに話しているといくら水温が高くても体が冷えそう。さっさと泳いでプールから出るのが理想。声を掛けられても長話は止めよう。それにしてもプールに響き渡る♪好きになった人♪などの演歌のリズム。これは泳ぎに合わない気がするけどどうなんだろう。

今日はこれから今年初めての美術講座を受けに西条へ。夜はこれまた今年初めての広島交響楽団定期演奏会が待っている。

※テオは、ゴーギャンの作品と交換にゴーギャンの借金の返済を引き受けた。…ゴーギャンにとってテオは将来を約束してくれる大切な画商であった。…最終的にゴーギャンは画商のテオの申し出を受けたのである。…ゴーギャンにとってゴッホとの共同生活に応じることは、あくまで自らの人生設計の一環としての第一歩というニュアンスが強かった。43-44p

※ゴッホは常に自分を刺激してくれ、お互いを高め合える人間を求めていた。ゴーギャンならうってつけだが、まさか、そんな話が舞い込むなど、考えてみたこともなかった。45p

※この作品(ひまわり)の誕生のきっかけは、もちろん南仏の陽光を受けて咲き乱れる向日葵の花とゴッホとの強烈な出会いであった。…運命的な出会いこそが感動的な場を作り上げる。57p

※ゴッホはとにかく自分が認められたいのだ。自分を理解してくれる人間は素晴らしいし、賢い。誰でもがそう思うように、ゴッホもゴーギャンもそう思った。そのような、よき理解者が一人いれば、人間は苦境や孤独に十分耐えられる。63p

※━生きているうちに実現しなくてもいい。…━そう思うと人生は気楽なものだ。…逆境はそれゆえ人の魂を磨く。67p

※創作は、フィクションであり、現実とは全く異なったひとつの真実であるということだ。重要なことは、どれだけ真実味があり説得力を有するかということでしかない。72p

※━高彩度の色の対比ばかりでは色彩は真に輝かない。補色を混色し、中間色に限りなく近づけること。88p

※ゴーギャンはポン・タバンから太い輪郭線で仕切る描法、クロワゾニズムという絵画理論を携えてやってきた。その描法がう浮世絵の単純に整理された画面と通じるものがあった関係で、ゴッホはゴーギャンに意気投合してしまい、一時的にゴーギャンの影響を強く受けた。98-99p

※肖像画の場合、興味の中心は人の顔であり、ゴッホの描きたいものは個と個の違いを超えて人間の存在そのもののもつ深く憂いを帯びた表情である。142p

※絵画は現実に根ざしながらも、日頃ぼんやりと目にしている現実を超えて輝かなければならない、ゴッホの信念はそこにあった。…美術市場の運動、シューレアリズムの源流は多くの画家たちの作品に見いだせるが、それらの中で最も示唆に富んでいるのは、グレコ、フェルメール、そしてゴッホである。157p

※多くの印象派の画家たちの中でも、この「狂気」を感じさせてくれるのはただゴッホひとりである。161p

※いまを見つめるには、いまこの時代の中で生き、迷い、悩み、苦しみながらもこの社会から脱却できずに生きている多くの人間を直視する以外にはない、そう思うんだ。…ゴッホは、ゴーギャンと話しているうちに、最後はいつもこんな興奮状態になってしまう。171p

※「ものを見て描く」というゴッホの主張は、、ゴーギャンの主張する「想像に基づく権威的な絵画」にすっぽり包まれているようにも見えるだけに、ゴーギャンは終始優位な気持ちで臨んでいられるはずだったが、個々のディテールの造形的凄さという点において、ゴッホはゴーギャンをしのいでいた。175p

※ゴッホはゴーギャンの繰り返し説く絵画論にいささか幼稚くさを感じたが、反論したい気持ちを抑えて、黙って模写を受容することにした。182p

※ゴッホのリアリズムとは現実の直視であり、そこから逃避しない姿勢の表れでもあった。それはリアリズムの原点に立ちながらも、過去のリアリズムや模倣の繰り返しではなく、十九世紀末に生きる人間の悲しき運命を背負ったリアリズムであった。191p

※浮世絵を評価しても、その神髄を見出し、自らの表現に生かせた印象派の画家は、ゴッホを除いて誰もいなかった。192p

※ぼくの友情や好意に応えられず、貴重な提案に耳を貸せないなら、そんな立派な耳はいらないだろう。いっそ、そんな耳なら取ってしまったらどうだ。(ゴーギャンは話す)205p

※ゴッホの耳を切ることから始まり、二枚の自画像で終える、一連の「完全なる行為」は、滞りなく遂行されたが、大きな話題を振りまき、世間を騒がせた割には、不思議なことに、この行為によって傷つけられた人間はいないのである。211p

※真理は道徳を凌駕する、ゴッホが取ったのは真理であった。217p

※ゴーギャンとゴッホの出会いと締めくくりにはいつでも向日葵の花がある。219p

※耳を切り取る行為がどこかでゴッホの表現に通じているかもしれないという期待からではなく、一人の人間が生きていく中で、耳を切り取るということの意味を考えてみたいと思ったからに過ぎない。(あとがき)

※新たな地平に立つには失敗はつきものだ。ゴッホがそれを教えてくれた。(あとがき)

2015年1月22日木曜日

ワールド対応ソーラー腕時計

先日のベトナム行で1週間近く家を空けていた。この間の情報は皆無。先日の合唱後、カフェに入る。そこで聞いた吉行あぐりの訃報。驚く。

30代のころだっただろうか。いろんなことに迷いがあった。そのとき読んだ吉行の本。かなり勇気づけられた。話をしていて固有名詞を出した瞬間、その場にいた2人から吉行の訃報を聞く。

今でも吉行の言葉は自分の生きる上での励みになっている。迷っていた当時と違って今はかなり楽天的。何の迷いもない!

ベトナムに行く前日、腕時計を用意する。外国へ行くのだからと、以前福岡の空港で買ったワールド対応のソーラー時計を手にする。なんと、針が動いていない。

かなり慌てる。しかし、これに気を取られているとほかのことができなくなる。ここはきっぱり諦めて、帰国後に何とかしようと決める。

帰って見てもやはり動かず。取説を探してもない。ここはネット対応に限る。

ネットでいろんなキーワードを入れて検索。ある、ある。電池切れなので太陽の当るところに数日置くようにとの回答。

置いた!動いた!嬉しかった!

ネットの威力を垣間見た気がした。困りごとなど何でもネットは教えてくれる。素晴らしい機器の出現。これを利用しない手はない。ありがたかった。

昨夜のBS。古沢巌が出演。といっても演奏が主でなく熊野古道の旅のお話。

熊野古道といえば今年の年賀状に「昨年は夢だった熊野古道を歩きました。日本画今度見せてネ」と書いている人がいた。その人とは30年以上前に水墨画を一緒に習ったこともある。職場の絵のコンクールでもよく入賞されていた。山歩きが好きな人でよく近場の山へも連れて行ってもらった。

その人も熊野を歩いていると思っていたら今度は古沢の熊野古道。

運動は苦手だったけど、山歩きは人についてよく出かけた。一時はハイキングクラブにも入っていた。熊野古道もぜひとも行きたい!

この頃は年を取りすぎたのか昔のことを思い出すことが多い。

でもまだ過去形でなく、現在形で…。以前より、もっと元気な気がする。

今日は雨も上がって晴れてきた。午後は元気を出して泳ぎに行こう!

2015年1月21日水曜日

♪Waltz♪

チャイコフスキーの♪Andante Catabile♪をさらって次からは同じくチャイコフスキーの♪Wartz♪をさらう予定。

モーツアルト曲集をさらい始めて、その途中くらいから、曲目は自分で決めている。昨夜も迷いながら♪Waltz♪に決める。 楽譜を見ると初見で吹ける気がする。だが、これが曲者。かなり練習しないと吹けない。

昨日は秋に行われたフルート発表会のCDなど4枚を先生からいただく。ここにお見せできなくて残念だけど、まるで市販品のようにうまくできている。もう完全に〇〇先生ファミリーのCD。ありがたくいただく。

ところが、自分の吹いた曲を聞くのはかなり勇気がいる。これを何気なく聞ける時が来れば、その時、初めてフルートを満足して吹いたと思うときだろう。

その点、自分で描いた絵はフルートと違って習っている年数もその20分の1。それなのに見ていても自己満足の世界。こりゃ、どういうこと?

多分、もともと絵は苦手意識があり、逆に音楽は得意な分野と思っていた。この違いがそう思わせるのだろうか。

先生は秋に描いたさくらんぼの絵をCDジャケットの表紙にしてくださった。個人的にはありがたい。

老後(動けなくなってからの老後)は自分の描いた絵を見つめながら、そして発表会で吹いた何十枚、いや何百枚ものCDを聞いて過ごす。これもいいかもしれない。 さらには必要ないことまで書き留めた自分のブログをまじまじと読む。

そして、あのころは元気でよう動いたじゃない、と半分動けなくなった自分を嘆く。しかし、その中には泳いでいる勇姿(?)がない!  プールで写真は撮れない。これは本当に残念!

他にもある。辺境の国に出かけて何度も高山病を体験。よくもこりもせず僻地に出かけたね、と元気だったころを懐かしむ。

近い将来でなく、この光景はもっと後に来ることを願って…。 このどれもまだ元気な今にできるお話。もうちょっと、そう寝たきりになるまでもうちょっと、このままの状態を維持して頑張ろう。

元気はいいのだが、昨日は大ミスをする。レッスン会場近くのバス停に降りたとき、楽譜を忘れているのに気づく。かなり早めに家を出た。まだ先生は在宅と思いすぐにTELする。楽譜を持参してもらった。よかった。 

体は元気でも頭が元気でなくなっている。こりゃ、いけん。 そういえば可笑しい話を一昨日聞いた。合唱の人たちの中にフォークダンスを習われている人がいる。老人会の人たちらしい。そのため少々、頭が元気でない人もいる。 ダンスの先生が新しいことを教えても、生徒さんが「まだ習っていません!」を連発。

先生もいろんな教室を掛け持ちしているからどこまで教えたか覚えていない。こうなると多数決の原理で習っていないことになる。本当に可笑しい! まあ、これもご愛嬌。

今日も元気で楽しく!

昨夜届いたある人からのメール。「メールは気楽に文章が書けます」とある。真似をして「ブログは気楽に文章が書けます」。だったら早くベトナムの旅を書け、と言われそう。とはいっても旅の記録は大変。今手元に4冊のベトナムの本を置いて読んでいる。頑張って書こう。

2015年1月20日火曜日

「丈夫でないと旅にはでれませんものね」

先日、東北の震災地に仮設の図書館を作る活動をされている人に気持ちを送付。昨日、届いたとのメールを受け取る。

大きな団体の活動らしく、そこに至ったいきさつが書いてある。この人を知ったのは20年以上も前のこと。ブータンにのぼせていたころ、その人の著書を読んで感動。こういう生き方もあると知って大いに驚く。すぐに手紙を出したことに始まる。

それ以降、交流が始まり年賀状をいただくようになった。それにはいつもブータンのことが書いてある。

自分のことだけ気になって人を顧みず、今年の年賀状を見てそう気づく。昨日のメールを見ると、
「温泉に入りに行くというのも支援のひとつと思ってます。昨年はブータン仲間と岩手大学で勉強会をし、つなぎ温泉で1泊、一人で海沿いに出て、三陸鉄道は見るだけで、南下して、バスでひとまわりしました。」とある。

これは被災地に出かけてお金を消費するのも支援、になると言う意味だろう。

その意味では昨年夏、青森周辺に出かけている。これも良かったことかもしれない。ただ広島への帰路で乗ろうと予定していた佛が浦への三陸鉄道も台風で乗れなかった。残念!

メールの最後に、「震災以来、海外旅行をしてません。そろそろと思っています。どうぞお元気で。丈夫でないと旅にはでれませんものね。」
とある。

そう、丈夫でないと旅どころか何も始まらない。定年後も再び週3日勤務をされている。それも来年には完全に定年とか。

みんな頑張っている。ただ遊びほうけてばかりでいても元気だけが取り柄。

元気と言えば、昨日の合唱。元気な声を出して歌う。いつもの会場は改修工事でしばらく使えず場所を移動。初めてのところで右往左往して到着。合唱メンバーもみなさんまだお正月気分なのか半分強しかいない。

いつもなら合唱を終えるとお昼を食べて解散。ところが午後から始まるためお昼でなく、カフェに入る。車で送ってもらう予定がお茶の話になり、急きょカフェに行く。車の人には失礼しました。

街中のカフェと違って、手作りケーキと珈琲。美味しい!雰囲気もある。

合唱の世話役の人たちと3人でティータイム。

今、外山滋比古の新刊本を読んでいる。この人の生き方が好き。本にはいつも雑談の話がある。昨日はまさにそうだった。

人の話にすぐ打ち解けるところがある。合唱の代表も次回からもこういう会を…と話される。

ただ残念なことはスキーのこと。代表はスキーの名手。もっと若かったら教えてあげるのに…、と言ってくださる。ありがたい。スキーは年齢を経てすると骨折につながる。そう話されても無理はない。

何と言っても考え方というか生き方は素晴らしい。若い時に知り合っていれば私の人生、確実に今とは違っていたはず。

とはいっても今は今で自分に合っている。今日は夕方からフルートのレッスン。今日も一日楽しく!

2015年1月19日月曜日

『日本人へ』

年末から年始にかけて暇に任せて4枚ほどF6のスケッチ帳にスケッチをした。葉っぱの付いた大根、浮釣り木、根の生えたサツマイモ、葉っぱの付いた玉ねぎ。野菜は姉からもらったもの。

一昨日の日本画教室に持参して先生に見ていただく。これからは暇なとき、旅での写真をスケッチするようにアドバイスされる。

風景をスケッチできれば旅の楽しみも増しそう。

今日は午後から合唱へ。午前にあった合唱はしばらく午後からになった。朝に弱い。ましてや寒い季節。午後からでちょうどいい。今日も頑張って一日楽しく過ごそう!

以下は『日本人へ』(塩野七生 文芸春秋、2013年)の抜粋。サブタイトルは「危機からの脱出」。

表紙を開けるといきなりの言葉、「やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがずっとよい。」―ニコロ・マキャヴェッリ。

他にも3点ある。
「勝ちつづけながらも、一方では譲りつづけたのである。ローマが主導して成り立った国際秩序である。「バクス・ロマーナ」とは、この哲学の成果であった。」(「世界中が『中世』より」)

「指導者に求められる資質は次の五つである。知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。ユリウス・カエサルだけが、このすべてを持っていた。」(「遊びのすすめ」より)

「衆愚政とは、有権者の一人一人が以前よりは愚かになったがゆえに生じた現象ではなく、かえって有権者の一人一人が以前よりは声を高く上げ始めた結果ではなかったか。(「民主政と衆愚政」より)」

この3点をさらに細かく分けて文を進める。またいつものように気になる個所をメモしよう。

内定がもらえないあなたへ、として
「一会社が必要としていなくても、それは社会があなたを必要としていないということではないという、現実的で冷徹な信念。これらのことさえあれば、どうにかなりますよ。私でさえも、どうにかなってきたのだから。」67-68p

この言葉、内定云々とは関係ないモノとしても、なんとなく言われてみて安心する。短大を出て、学校から言われて決まっていた就職を断り、自分で探していた頃のことを思い出す。「どうにかなりますよ」は本当にそう。どうにかなるもの。その後は何においてもこれを実感。

「民主政体は、安定した中産階級のないところには確立しない、と言われる。ならば、圧制者の追放には成功しても、自らの意志で生産にはげむ健全な中産階級が確立していない社会に、民主的な政体は根づくことはできるのか。イラクでもアフガニスタンでも成功しなかった。それが、エジプトやリビアやチュニジアだと成功できるのだろうか。
私には圧制者を追放した後のこれらの国が、それ以前の部族社会にもどってしまうのではないかという気がしてならない。それとともに、部族社会こそがテロリズムの温床であったことも思い起こしながら。」78p

「サッカーにかぎらず、スポーツで闘争心を発散させているほうがずっとよい。医療殺人も起こらないだろうし、ホンモノの戦争だって起こりにくくなるだろう。人間には、気分がスカッとするときが必要なのだ。にもかかわらず、もはや政治家も経済人も有識者なる人々も、気分をスカッとさせてくれる言行をしないし、する能力もなさそうである。ならば、「スポーツ」を「バトル」と考え、「選手」ではなくて「戦士」と考え、やっちゃえ!と応援することで観客も「参戦」してはどうか。そのほうがずっと人間世界のためになるし、何よりもまず、幸福感なるシロモノに飽きることもなくなるだろう。」170-171p

昨年秋からにわかカープファンになった。これを読んで妙に納得。一時、韓流ブームが続いた。これには全く関心がなく、その人たちの気持ちがわからなかった。ところが、新聞に入っていたカープのフリーペーパーを見て一気にカープに目覚める。表紙を見てびっくり。野球選手でこんなにかわいい顔の人がいるのかと思った。堂林だった。よく見るとほかの選手もみなかわいかった。

何かに夢中になれるのも幸せなこと。今や若鯉のツイッターとブログに始まり、番組の動画アップを見て幸せな気分に浸っている。

「アベノミクスでもコンクリートでも何でもよい。日本の失業率が大幅に減ろうものなら、あらゆることが上手く行くようになるだろう。なぜなら、上手く行くには日本人の気分が明るくなる必要があるが、それも一人一人の自信から生まれるしかないのだから。」223p

「賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、と言い換えるべきである。なぜなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。
 日本の政治家たちも、これならばやれるのでないか。アイロニーもユーモアも解さない人に対しても、歴史を押さえ経験を押さえたうえで簡潔に論理的に説くならば、見方だけでなく敵側に対しても説得力を持てるのではないかと思う。このやり方ならば、本質的に生まじめな、日本人に向いているのではないか、と。」228-229p

運動も美術も小さいころから好きではなかった。他に歴史もそうだった。それなのに今やこの3つが生活の大半を占めている。これは不思議。とはいっても一番の比重は音楽!

「もう二度とヨーロッパの国々の間では戦争をしないという高邁な理想のもとに設立されたヨーロッパ連合だが、その道筋となると簡単にはいかないのがますます明らかになっている。」230p

「EUのようなものはアジアでは成立しない、と思うようになった。ヨーロッパ人はすくなくとも、過去の戦争は自分たちにも責任があった、とは思っている。だが、アジア人は戦争を旧帝国主義国のせいだったと信じて疑わない。自分の過去に対して疑いを持たない人間は、不都合なことがあると、それを他人のせいにする。他者に責任を転嫁する生き方しか知らないできた人に、新しい一歩は絶対に踏み出せない。アジア連合ができたとしてもその目的は、二度とアジアでは戦争を起こさない、ということにはならないだろう。アジアでの連帯は経済上のことに留めておいたほうが無難だと思っている。」233-234p

「日本人も、歴史的には朝鮮半島が日本にとって常に、東に向かう中国の防波堤になってきたことを忘れてはいけないと思う。日本を中国から守ってきたのは、日本海と、時に吹いてくれる神風だけではなかったのだから。」240-241p

「宗教はアヘンである、とまでは言わない。しかし、政治家は、失政すると落選という形で責任をとらされるが、宗教者は、おまえたちの信心が足りなかったと言うだけで、責任は取らない。それで、信仰心が厚い人ほど、足りなかったと思って恐縮し、ますます神にすがることになる。つまり、狂信化する一方になる。
この想いで爆発しそうになっている国に、人道的という理由にしろ、しばらくはかかわりを持たないほうがよい。十字軍の再来と言われかねないからで、キリスト教国でもない日本は、静観していたほうがよい。世界には、善意だけでは処理不可能な問題が多いのです。」246-247p

「プレーボーイとは、少なく与え多くを取る能力に長じた人のことである。多く与えても少なくしか取れない人は、日本では「カモ」と言い、イタリアでは「ポッロ(にわとり)」と言う。比喩的には、馬鹿正直でお人よしで世間知らずの意味になるので、日本語もイタリア語もちがいはない。」236-237p

2015年1月18日日曜日

今年はじめての日本画

年末までにトルコキキョウのスケッチを5枚した。一重の薄紫のトルコキキョウ3枚と淡いピンクの八重の2枚。日本画教室で隣の1年先輩の人は昨年最後の教室のあと、先生との3人でのカフェで話される。

毎週、教室でトルコキキョウを続けてスケッチしていた。それを見て何で毎回同じことを、と不思議に思われたらしい。そのことを話される。だが、この5枚のスケッチを本画にする段階で何枚も描いた意味がわかる。

このトルコキキョウ、家に帰っても先生からスケッチするよう言われ続けた。自分自身、そう聞いてちょっと疑問に思ったこともある。だが、スケッチの途中、先生から1枚ずつを花束にすると言われた。

地塗りした木製パネルにスケッチをトレース(転写)。そしてこのトレースしたトルコキキョウ3本に色づけしていく。いよいよ本格的な本画の始まり。前回、葉っぱに色付け済み。昨日は薄紫の花2本に色づけする。

ここにきて毎回のスケッチが花を咲かせる?1本のトルコキキョウでなく3本のトルコキキョウは少しだが華やかさを増す。

これだけで2時間以上要する。先生が同じことをされると多分、数分もかからないかもしれない。ところが長い時間かかっても先生は早い方だとなぐさめてくださる。

これも多分に年末に3人でのティータイムにある?先生に人からほめられると結構その気になりやすいと話した。これを覚えておられた!?ありがたい!

次回は薄いピンクの方に色づけ。それが終わってもまだまだ本画完成までには手順がありそう。

一枚の絵を何か月もかかって描く。描いていて自分の絵なのに、というか自分の絵だからこそというのが正しいのか愛着がわく。これは初めて経験すること。

昨秋の粒ぞろいのサクランボのスケッチ。これは来月の区民文化センターの展示会に再度出す予定。これには教室の皆さんも出品される。

今はまだ、自分の作品も少ない。これから描き続けてもそんなに数は増えそうにない。老後、というか今も十分老後だが自分で描いた絵に囲まれてその絵を見て自画自賛して…。

そしてひとり悦に入る。これもまあ、いっか。

悦、といえば妹の名前の一文字。昨日は妹でなく姪が我が家に来た様子。留守にしていた。電話をすると近くにいた。すぐに車でやってくる

姪の2番目のチビの誕生日らしい。しばらく会わずにいると大きくなっている。そして母である姪にそっくり。よう似てどうかいの?ではないが、そう話すと皆から言われるらしい。次に来るのは3番目のチビの誕生日という。

周りにチビがいないのでたまに見ると本当にかわいい!かわいくても姪がチビに電話させるとき「〇子姉、今から行くね」はないよね。せめてチビにはもっと年寄りに丁寧に。思わず言ってしまった。

まあ、なんであれ子供はかわいい!

2015年1月17日土曜日

ベトナムから帰って その3

1万円=170万ドン。このドンの通貨に慣れるにはなかなか大変。何たって枕銭が3万ドン。この枕銭、大体においてアジアでは習慣がないはず。それなのに、ドンで置く


ホーチミンについて現地ガイドから円をドンに替える。一人1万円ずつ替えても物価の見当がつかない。とりあえず両替する。

この金額を受け取ってどうすりゃいいの?と思いきや、紙幣は50万ドン2枚と20万ドン、10万ドンが加わって枚数は少ない。

これでは枕銭さえ都合がつかず。ミネラルウオーターを求めてコンビニへ。ここで10万ドンを使って小銭にする。小銭と言っても500ドン、1000ドンは通貨にあらず。おつりは飴などで支払われる。

通貨の切り下げ、切り上げをすればと思いガイドに尋ねる。過去5回それを実行。経済的な面でされないという。経費が掛かるのだろうか。

これまで出かけた国で通貨に関しては一番迷う。というかなじめず。それにしても先日テレビを見るとベトナムの国民の年収は15万円とか20万円との報道。ガイドは月3万円と言ってたけど…。

年収はまだまだ日本とは比べられない。しかし、人々の表情は明るい。帰りのハノイの空港で若い男性4人と女性数人と話す。最初に話してきたのは男性の青年。

飛行機は広島空港行き。東広島での研修らしい。習って4か月で日本語を話す。青年の目は輝きを放つ。ただ心配は日本の寒さ!?

若い女性たちは神戸での研修と言っていた。空港の出発ロビー。楽しそうに話す。日本でどんな研修が待ち受けているのか複雑な気持ちで話を聞く。

広島空港に着くと到着ロビーの通路でべトナムの女性たちは横に並んで冬服に着替えている。この様子を見てまた複雑な心境になる。

若いベトナム青年たちの陰で日本人は安いものを手にしている。

昨夜のテレビでもユニクロの中国従業員の過酷な労働条件を報道していた。

これでいいんだろうか。考えてしまう。

話題を変えて広島空港出発ロビーでのお話。参加者の中に仕事で以前ベトナムに滞在していた女性がいた。その人は11月もベトナムへ行ったとか。今回は急遽、ベトナムで会社を経営している参加者にすすめられての参加となったらしい。

団長は出発ロビーで笑顔で話される。先のベトナム通女性の税関でのお話?「何か持ち出しはありますか」「生肉ならあります」「干し肉より生肉の方がいいでしょ?」。

この話、本当に可笑しい。旅の間中、この話になる。

でもどうも合点がいかない。しつこくそれを聞く。しまいには話が分からんやつになってしまう。そのためもあって「ちょっと休もうか」になる。これも旅の間中、出る始末。

もっと機転を利かせて話についていかないとお話にならない!?

昨日は旅の疲れもあるのに、お天気の良さにつられて泳ぎに行く。さすがに1キロ泳ぐのは止めて600m泳ぐ。

今日は午後から日本画へ。通常の生活に気分を戻して頑張ろう。

2015年1月16日金曜日

ベトナムから帰って その2

今、東南アジアの地図を見て気づく。バングラデシュを除いて全部出かけている。その大半は会社に勤めていたころにでかける。マレー半島の下に位置するインドネシア。ここは今回の会の旅の次回の旅行先?以前、旅で知り合ったお坊様もインドネシアを予定されている。

もしかして今年から来年にかけて、個人的にはインドネシアイヤー?たとえ行き先が重なっても行く日が重ならない限り、どちらにも参加するつもり。

たまたま台湾、ベトナムとわりと近場に出かけていなかった。インドネシアもまだ行っていない。まだ決定ではないけど、次に行くところはインドネシアかもしれない。

アジアはいい。何がいいと言って食べ物がおいしい。特に今回のベトナムはこれまででかけた中で最高。これは多分に旅行費用に連動している。そう感じた。

3年前ラオスへ行った。その時も料理もホテルも最高だった。ルックJTBだった。チャーター便を飛ばす予定が広島だけでは人数が集まらず、福岡のJTBに。それも催行されず広島のJTBに再度回され、結果は福岡発に。そのお詫びもあったのか5万円割り引いてくれ、さらに旅のランクも上のルックになった。

今回の旅の幹事さんも旅費は高い。だが、ホテルも料理も一般のツアーよりもランクが上と話された。

まさにその通り。料理の良さやホテルの良さは国の発展云々ではないことがよくわかった。

ベトナム料理はおいしい。長くフランス領だったベトナム。フレンチと中華の良さを取り入れ、朝からゆったりと1時間かけていただく。こりゃなんじゃ、と思えるほど贅沢な空間。食に関しては特によかった。

長く戦争をしていたため平均寿命73歳、平均年齢は30歳くらいとか。とにかく若者が多い。その為か、街にも活気がある。

毎日呑気に遊びほうけている。今年いただいた年賀状。その中の一枚に2011年の震災後、東北に仮設図書館を作っている人がいる。

震災の前月、親を亡くしてからこれまで、自分がしっかりしなくては駄目になるとの思いしかなかった。今年になって、いただいた年賀状を読んでやっと気持ちにゆとりも持てていると気づく。

出掛ける前、ベトナムから帰ったら義援金を贈ろうと思った。昨日早速、頑張って運動している人に義援金を送付。自分としては金額も頑張ったつもり。

元気であればあとは何とかなる。その思いは年々募る。

話は変わって今朝の芥川賞の受賞者。インタビュー記事に「困っている人に大丈夫ですかと手を貸すようなことは起きてもいいし、それを信じている。文学は祈りだと思う」とある。

この最後の「文学は祈りだと思う」の「学」を取って「文は祈り」にすれば、ブログも祈りになりそう。

ともあれ、今回の旅でも助けてもらっている。これはまた後日にアップすることにして…。

2015年1月15日木曜日

ベトナムから帰って その1

街に「漢字」があればそこはまるで中国。漢字文化圏の国、ベトナム。昨夜遅くベトナムから帰ってきた。

手元に『漢字圏の近代 ことばと国家』(村田雄二郎、C・ラマール編 2005年、東京大学出版会)がある。この本によると、日本語、中国語、韓国語/北朝鮮語、ベトナム語は漢字圏。このうち韓国は「諺文」が「国文」になり、ベトナムは「コックグー(quoc ngu国語)」が漢字を廃してローマ字表記を規範化。こうして近代のいわゆる俗語革命(音声中心主義)が文字民族の「自立」化を導いている。

今では「漢字」を使う国は日本と中国の2か国。しかし、漢字を廃したベトナムも漢字文化は7割、日本は6割ほどその影響を受けている。ということで日本よりもベトナムの方が漢字文化の影響は色濃く残る。

空港に降り立った瞬間、文字さえローマ字でなく漢字で表記されていればそこは中国と見間違えるのもうなづける。

中国もベトナムも共産党一党支配の社会主義国。しかし、短期滞在であってもこの2つの国の違いは大きい。いま何がどう違うのかはわからない。

折りを見て調べてみたい。しかし、もっと調べたいことがある。それはべとナムはフランスに長く支配され、それから解放された後、アメリカと長い期間戦った。どちらも勝利したものの、ガイドの言葉によると独立後のベトナムは「自分」に負けてしまっているという。

2つの戦争に勝利しても今、遅れていると自嘲気味に話すガイドの言葉。

今回の旅で引っかかるものを感じたこの言葉。ゆっくり調べてみたい。

しかし、なんやかやといっても今回も本当に楽しい旅だった。

この会の旅は2回目の参加となる。会としての旅は長いらしい。皆さん、旅が好き、人が好き、遊びが好き。この旅が終わっても、その後の遊ぶ(?)予定は毎夜の反省会で決まっていく。

旅の詳しいことはこれから少しずつ書いて後日、ブログにアップしよう。その前に会の機関誌に載せていただくので頑張って書こう。

頑張って、と言えば、広島空港に到着後、解散する際に言われる。「頑張ってね!」。嬉しかった!

ご夫妻で参加された奥様から言われる。旅の間それほど親しくしたわけではない。だが、この言葉、人柄の良さがにじみ出ている。なぜこれほど感動したのだろう。ありがたい!

楽しい旅の余韻はこれからも続く。

それにしても今回の旅の一番のキーワードは「ちょっと休もうか」。これは旅の紀行文のサブタイトルにしたいほど。

どうも人より可笑しいところがあるみたい。盛り上がっているとき突然団長から「ちょっと休もうか!」との言葉。3つの話題しか理解できないように思われる。だから、後はちょっと休んでからにしよう、との優しさから出た言葉!?

まあ、なんでもいい。人の笑いを誘えば…。

それにしてもホテルも料理も観光も旅の参加者も、そしてベトナムという国も最高に素晴らしかった。束の間の非日常。今日からまた日常に戻っても楽しい日にしよう。

2015年1月8日木曜日

日経新聞「私の履歴書」から

「40歳を過ぎてから惑いが大きくなった。名峰を征服した登山家は頂上に長くいないで下りてくる。登るまでの挑戦は苦しくて楽しい。でも到達すると、さっさと下山するしかない。僕は思った。『パラシュートで一気に下りたいよ』『休もう』。テレビからいったん消えて充電するんだ。…暇になって始めたのが予備校通い。大人の言葉を常識を身につけたかった。新宿の予備校の夏期講習に通いだすと『生徒の気が散るんです』と言われ、日本史と英語の先生に家に来てもらった。…半年の充電期間中、いろんなことを考え、試みた。新しいことに挑戦する。それが新たな夢になった。…」(日経新聞「私の履歴書」2014年12月29日)

この記事は昨年の12月の日経新聞から。コメディアンの萩本欽一、そう、欽ちゃんの「私の履歴書」の一文。

欽ちゃん全盛時代、「禍福」は交互にやってくる、つらい時が幸せなんです、みたいなことをよくメディアで話していた。

このコーナーは1か月間の記事。家に日経がないので図書館で3回に分けてひと月分を読む。奥さんや子供さんのことなど読んでいて微笑ましい。

世の中、いかに自分に得になるかを考える人が多い。ところが欽ちゃんは違う。そのあたりが読んでいて気持ちがいい。

そして上の記事。頂点にいる時、いったん仕事を辞めて予備校に通っていたとは…。これは記事を見て初めて知る。

一般的には言葉は悪いけど稼げるうちに稼ごう、が多いはず。それをあえて逆方向に進む。偉い!

欽ちゃんの足元にも及ばない。12年前にリストラを経験。平気でリストラと言ってるけど本当は人に言えるお話ではない。「禍福はあざなえる縄のごとし」、当時、そう思ったかどうかは怪しい。

仕事を辞めるのは悔しかった。しかし、やめて2週間後に目にした大学募集案内のパンフ。アジア塾に行く途中にある交流プラザ。そこで目にしたパンフ。運命を感じた。この大学へは絶対に入れないと思っていた。

ダメもとで願書を持ち帰る。それからが大変。街中の図書館に通勤定期を買って毎日通学(?)した。広島駅から図書館までは歩いて通った。無職の身のせめてもの節約だった。

すぐに知り合いで大学に関わっている人を物色すると2名いた。アジアを学んでいた時の若い男の大学の先生と以前、中国語を習ったことがあり、博士号を取得していた中国の女子留学生だ。

先生は当時、北海道大学へ赴任されたばかり。4人で北海道に会いに行っている。これも良かった。同じ釜の飯ではないけど3日ほど北海道に滞在して北海道大学の研究室や札幌・帯広など車で連れて行ってもらった。また、食事を共にして親しくお話しできた。

どうやって入学準備をすればよいかをメールで問い合わせると長いメールでアドバイスを受ける。教えられた通り、すぐに行動に移した。留学生には志望動機書と研究計画書の書き方の本を教えてもらった。当時はこのキーワードすら知らなかった。

それから4か月後、帰国子女に混じって大学入学試験を受けた。

当時を思い出す。悪いことの後には良いことが来る。合格はネットで知った。嬉しかった!

これまでで一番の親孝行と思っている。文学修士号の証書を受け取った姿も母に見せることできて幸いだった。パソコンと携帯の待ち受け画面はその時、母と一緒に写った写真。いい記念になった。パソコンや携帯を見るたび、励みになっている。

欽ちゃんの予備校通いの記事。そしてお正月に見るアドバイスをもらった先生のご家族の写真付き年賀状。この2つで当時を思い出してしまった。そういえば中国の留学生にはメールでクリスマスカードをいただいている。

今、呑気に過ごしている。これも母を介護したおかげ?いつの日か今のような気楽な日々もなくなるかもしれない。

ともあれ毎日元気で楽しく、は今年も目指すこと。頑張ろう!頑張っていれば必ず誰かが助けてくれる!?

2015年1月7日水曜日

年初にさらうは♪チャイコフスキーOp.11Andante Cantabile♪

ラジオから流れる今朝のFM。優雅な音色と思い、らじる★らじるで検索。イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でフルートはジャン・ピエール・ランパル。やっぱりランパル、と思ってしまった。演奏曲目は「フルート協奏曲 第2番 ニ長調 K.314」。

フルートを習い始めてランパルの名前を知る。NHKのN響アワーでランパルの来日を告げていた。あれから22,3年?

昨日は本年初めてのフルートのレッスン日。今年からカルチャセンターの受講方法が大幅にかわった。なれない手続きで早めに家を出る。ところがなにごとも案ずるより産むが易し。何秒もかからず受講手続きを終える。

受講の回数は月4回から3回に変更。しかし、受講料は同じ。ということは実質的な値上げになる。日本画も月3回。こうなると月の4週目のレッスンがないことになる。

これではいけないと思い、他に何かをと考えていた。レッスン後の次の人や先生との話で第4週目は先生宅でレッスンを受けることに決定。これで一安心。

いまさらっている曲はチャイコフスキー全集からOp.11のAndante Cantabile。

生活リズムも落ち着いてきて、なんでも打ち込めるようになった。親の介護をしていたころが人生で一番ハードな日々。今は何といっても気楽な毎日。しかし、これはいつまでも続かない!いつかどんでん返しが待っている!?気を引き締めよう!

気を引き締めるのはフルートも同じ。ちょっと気を抜いて吹くときれいな音色にならない。先生からそれを指摘される。逆にちょっとでも丁寧に気持ちを込めて吹くと同じ楽器とは思えないほどいい音色が出る。

今年のフルートの課題はこれ!?頑張って練習しよう!

2015年1月6日火曜日

泳ぎ初め

起きてすぐにタブレットでメールをチェックする。だが、今朝のメールはすぐには理解不可能。送り主は美学の先生。さすがに哲学美学のご専門家。日本語の文章は読めても内容が理解できない。

返信メールにそのままの気持ちを伝えて送信。後でゆっくり読むことにして…。

名誉教授となられても現在も大学の教養科目を教えておられる。ご立派!

習っているのは美術講座。しかし哲学美学が本職とあって、受講中、話が脱線しても普段誰からも聞けないお話が出てくる。これも受講する楽しみ。

先生に習っていると、いつも外山滋比古の本を想像する。それは外山氏が仲間を集めて定期的に雑談する会を開いているお話。

講座受講後の食事会でそれを感じる。いつまでも講座が続きますように…。

昨日は今年の泳ぎ初め。出かける途中、家の近くの人と出くわす。病院へ行かれるとのこと。最寄り駅まで自転車を押して一緒に駅まで。

なかなかの紳士。今年7回目の干支を迎えられるとか。話していて名前を聞かれる。ご近所の人でもほとんど名前を知らずに話している。聞かれても当然のこと。以前、母の介護をしていてお話しするようになった。

互いの名前に同じ字が含まれている。何かのご縁と笑って言われ、ついついブログの話をしてしまう。近所の人には個人的な話はしないようにしている。

要らぬことを言ってしまって申し訳ない。ただ話の最後で決して自慢することは書かないように、と釘を刺される。わかっているつもり。気を付けよう。

昨日も1キロ泳ぐ。水着もキャップも真新しい。しかし、セパレートの水着は初めてのこと。泳ぎにくい。これも慣れ!?

今日は夕方からフルートのレッスン。今年も本格的に始動した。元気を出してレッスンを受けよう!

2015年1月5日月曜日

「健康で歩ける食べれる遊べるが生きてる醍醐味」

世の中はお正月気分もぬけて通常の生活に戻っている。

だが、お盆もお正月も普段と変わらず同じ生活スタイルのままに過す。毎日が日曜日の身。これも当然と言えば当然かもしれない。

昨夜、姪は9日間の旅を終えて無事帰宅との写メールを寄こしてきた。勝手にそのメールを拝借しよう。

「めったにない気候に恵まれ、すごくラッキーでした。3880mまでしか登ってないけど、登ることより、電気、水のない生活がキツかった。いい体験ができた。よい年になるね!」と書いている。

少人数でのネパール・トレッキング。爺婆の参加者もいたらしく、どの人も楽しそうだったとか。

すぐに返信メールを送ると「ベトナム楽しんできて下さい!健康で歩ける食べれる遊べるが生きてる醍醐味。」と2通目のメールが入る。すぐに電話をかけると旅の話になる。

姪の言う「健康で歩ける食べれる遊べるが生きてる醍醐味」はうまく言い表している。

今年も元気よく遊ぼう!それにはまず健康!午後から今年の初泳ぎ!?水着は年末に買ったもの。帽子はスイミングクラブに入っていた時、記念にもらったもの。何百キロか忘れたけど、クラブのロゴ入りのスイミング・キャップ。

このキャップを被っていると凄いやつ!と思われそうでこれまで被らずにいた。(自意識過剰?)今年は勇気を出して被ろう。そして何でも挑戦しよう!新年早々、姪に後押しされてしまった!ありがたい!

2015年1月4日日曜日

紅水晶は「真実の愛」と「心を癒す」

母がいなくなった翌年から毎年同じ神社にお参りしている。

しかし、元日と翌日は別の神社仏閣に参る。昨日は毎年出掛ける神社に行く。この神社、ご丁寧に新幹線口から神社まで無料の小型バスを走らせる。

最初にこの神社を知ったのは、止まっているバスの係りにどこ行き?と聞いたことに始まる。昨日はバスの係りが不在で運転手さんから声を掛けられる。何とも贅沢なお参り、と思って神社へ行く。そこは一面雪、雪、雪。

例年よりも雪の影響か人出は少ないとか。帰りの時刻を聞くと15分後。すぐにお参りすれば予定時刻よりも5分くらいは待ってくれるという。雪で石段から転げ落ちたら大変なことになる。ゆっくりお参りお参りするようにと優しい言葉をかけてもらって…。

この神社の御神籤を引くのも楽しみ。天然貴石入り幸福みくじを引く。中には幸福御守りとしてローズクオーツ(紅水晶)が入っていた。この紅水晶は「真実の愛」と「心を癒す」。

おみくじの中には他にも第4番の福みくじもある。

第4番は『吹く風に 高峰の雲も はれ行きて 涼しく照す 十五夜(モチノヨ)の月』で運勢は【大吉】。それには次のように書いてある。

「冬の枯木に春が来て花さき黒雲晴れて月てり輝く如く次第に運開け幸福加わり家業繁昌します しかし安心して油断すると折角の幸が禍わいとなります用心しなさい」

ともあれ、楽しく一年を過ごしたいもの。今朝はさっそく楽しい話題の封書が届く。来月初めに開催される某会の総会のお知らせ。この会の人たちと今週ベトナムへ行く。

帰ってからも楽しみが待っている!元気に過ごそう!

2015年1月3日土曜日

二葉山山麓七福神めぐり

広島二葉山山麓七福神めぐりの歩数、10891歩。携帯の万歩計による。

福神めぐりの所要時間は約2時間。参拝までのJRの往復時間は含まれていない。

広島駅新幹線口を出ると帰省客のUターンラッシュ。駅の表も裏もどこもかしこも工事だらけ。広島駅に近づいて見えるはカープの大きなロゴマーク入りの屋内練習場。間もなく完成の様子がうかがえる。

新幹線も在来線もこの大きなマークで「広島に着いた~」とわかる。あと1,2年すれば駅周辺は様変わり間違いなし。

久しぶり勤めていた付近を通り抜けての七福神めぐり。長くこの付近に勤めていても神社仏閣とは無縁の生活。働いていたころを思い出しながら神妙な顔つきで歩き始める。

それにしても家にいる人は誰もいないかのように七福神めぐりの人出は多い。出かける場所は新聞の切り抜きを手に持って…。他の人を見ても手にしている。

人が集中するお寺に入ると予定とは異なる2番目からだった。スタンプを押す用紙やパンフ、冊子、お茶やお神酒の接待などそろっている。この様子を見て少しの御賽銭では悪い気がする。ちょっと奮発して…。

参拝ルートは国前寺(大黒天)→聖光寺(布袋尊)→尾長天満宮(寿老人)→広島東照宮(福禄寿)→鶴羽根神社(弁財天)→明星院(毘沙門天)→饒津(にぎつ)神社(恵比寿天)と全部回った。

途中、雪もちらつく。しかし、どこも参拝客が多くて、特に神社は神主さんのおはらいを受けるためか、参道入り口から長い列。これには参った!参ったというのは降参したということ。

一か所、広島東照宮は列をはみ出て反対側の階段を上がってしまった。悪いと思って罪滅ぼしに「葵餅」を購入。家に帰ってよく見るともみじまんじゅうの会社が販売先だった。

山のふもとにある神社仏閣。さすがに参拝客も体の不自由な人は見当たらない。ここではバリアフリーとは無関係?

ともあれ、無事に七福神めぐりを終える。来年からも続けよう。

行こうと決めた後押しは、内館牧子の本による。東京の某場所の七福神めぐりをしているとの記事。

広島にもちょうどいい所にある。

毎年出掛けている某場所への初もうで。ただいま行くか行かざるべきか考慮中。

今朝は雪景色。しかし、気温は9度の予報でお天気もいい。さあ、どうしよう?

お墓参りと神社仏閣めぐり。これでベトナム行は無事で楽しい旅になりそう。その前に旅の準備が待っている!

2015年1月2日金曜日

2015年も張り切って!

除夜の鐘を待っていたかのように入ってきた携帯メールとパソコンメール。携帯はすぐにメールを返信。パソコンは零時きっかりに送信されている。だが、起床後に気付いて遅い返信となる。

一年の日付が変わる瞬間のメール。初めて受け取る。

携帯のメールは先日ブログの話をしたばかりの人から。嬉しかったし、ありがたかった!

パソコンのメールは年賀状をスキャンして某メンバーへの一斉送信。こういうやり方もある、と思って真似をしてメールを送信。

すぐに返信メールが来る。ありがたい!

年賀状をWEB上で送るやり方は今朝見た野球解説者のブログにもある。これを真似してブログにアップ、と思った。だが、止そう。

今年も元気に新たな年を迎える。最近のマイブームは若鯉のツイッターとブログ。読んでいて若い、ということは素晴らしいと思う。と同時にスポーツマンのはつらつした姿は見ていても元気が出る。

年末年始、除夜の鐘が鳴るまで「ラストラン行きます!」のツイッター。これを「レストラン行きます!」と読んで、この世界の習慣と勘違い。そして、一人で笑う。

届いた年賀状を見るのも楽しみ。ブログを読んでいると書いてもらって嬉しい。今年も頑張ってブログをアップしよう。

今年出した年賀状。後で気づく。水泳のこと。身近にいる人にはいつも話している。ところが、離れている人や古い知り合いには水泳のことは話していない。来年は「週一回1キロ泳いでいます!」と書こう。何といっても運動音痴が泳いでいる。昔を知っている人はきっと誰もそれを信じないはず。

自分で一番の自慢(?)は水泳。それも長く続けている。きっと泳がなくなった時点で自分自身の活動は終焉!?

ということで今年も張り切っている。元日、雪の中、お墓参りと近くの神社への初もうでを済ませる。

今日は2,3年前から参りたいと思っていた二葉山山麓の七福神めぐりをしよう。今朝も寒い。だが幸い、日が当たっている。これに挑戦しよう。全部参られなかったら、残りは後日にして。

今年も元気を出して頑張ります。よろしくお願いします!

いざ出陣!

アップ後、電話がある。七福神めぐりを後押しされて、さらに気合が入る。ありがたい!頑張ろう!