2012年8月31日金曜日

貪欲汁を出す

日・中・韓で領土問題が起きている。昨夕、TVに出ていた政治学者の姜氏は「愚かな大統領が・・・」と話していたが、どうなるのだろう。中国ではそれに付随する反日運動も沸き起こる。

『いま中国人は何を考えているのか』(加藤嘉一 日本経済新聞出版社、2012年)を読むと、中国の民衆が日頃の鬱憤を「反日運動」に便乗しているという。

「反日無罪に矛盾が」の中で「反日だけが救いなんだ!日ごろの不満をぶっつけるんだ!」(171p)。「お祭りを知らない中国人にとって、『反日』は絶好の気分転換になる。俗に言うガス抜きというものだ。・・・中国人の『反日』はバーチャルな世界、ロールプレイングゲームそのもののようだ。・・・デモや集会は原則、承認されない。それが対日に限ってはなぜまかり通るのだろうか。・・・違法でもお構いなしに暴れる。『反日無罪』なのだから。当局が頭から暴力的に抑えられるわけがない。」(171-172p)と筆者は書いている。

この「ガス抜き」云々はよく言われること。自国の問題の矛先を日本に向けられてはたまったものではない。

話は変わって、昨夜、近所に住む同級生と電話で話す。昼間にかかることはあるが夜かかってくることはなかった。その人も一人暮らし。夏バテらしく、牛乳とバナナしか食べられないという。体重も4キロ痩せたとか。昨日のブログではないが、やはり人間は食べないと生きていかれない。とはいっても、今、困っている人にそれも言えず。早く元気になってほしい。

電話を切ると、携帯メールが入る。岩国の人からである。メールには「不穏な空気が立ち込めて・・・」とラオス行きを心配してくださる。テレビのニュースを見ないので「何か事件が・・・」と思い、すぐその人に電話すると特別なことは起きてないようで一安心。

〇〇さん、昨夜はいろいろと心配してくださってありがとうございました。

今朝は、墓参りをして、旅の無事をお願いする。久々に淋しさが頭を過る。家に着くと汗が吹き出る。一休みしていると添乗員から電話が入る。福岡空港からラオスまでのチャーター便。先日の広島での説明会では160人くらいと聞いている。どうも何人かの添乗員でツアー客をグループ分けするみたい。女性の添乗員だった。

その後、人のブログやツイッターを見る。BSプレミアムに出演する長沼氏のツイッターに中川翔子がツイートしている。彼女も同じ番組に出演。その興奮を自身のブログにも書いている。

情報を得ようと思えばどんな手段でも得られる。また、それはどんどん拡がっていく。こうして遊んでいると時間はあっという間に過ぎていく。また情報といえば「さっちゃん」も火曜日の「はなまるマーケット」で「元気な90歳」が取り上げられると昨日のブログに投稿している。

今のところ、元気だ。元気だからこそ落ち着きもなく動いている。中川翔子の昨日のブログに「貪欲汁が脳からでっぱなしの収録・・・」とある。「貪欲汁」とは上手い表現。彼女ではないが脳から貪欲汁を出してラオスに行こう!

ブログ投稿後、一緒に旅行する人と電話で話す。持っていくものに互いに戸惑う。忙しくしていると、広島のJTBでお世話になった中川翔子似の窓口の人から電話が入る。何と言う親切!

今回の旅は曰くつきの旅。しかし、添乗員だけでなく窓口の人からも電話をもらう。こんなことは何度も旅行して初めてのこと。その上「帰国後は旅の話を聞かせてください」とまで言われてしまった。たとえお世辞であっても嬉しい!

窓口でお世話になるときから「感じがいい人」だった。楽しい旅にしてこれからもJTBの〇〇さんに旅のプランをお願いしよう!

明日からしばらくブログは休みます。

2012年8月30日木曜日

「中高年こそ肉を食べよう」

 今日の天気予報によると最高気温は北海道でなんと33度。これは広島の最高気温と同じ。沖縄は31度で北が高く南が低い。明日で8月も終わりというのにいつまでも暑い。

 昼前、自転車に乗って店内を改装オープンしたスーパーへ出かける。店内に入ると顔から汗が吹き出る。暑くても夏バテしないように食べ物に気をつけている。先日ヤフーで検索していると「食物によし悪しなし! 柴田流健康長寿の14か条~健康リスクを回避する、食肉生活のススメ」とある。柴田氏は「『中高年こそ肉を食べよう』。それが元気に長生きすることを可能にするだろう」と結論づける。

 「成人向け食生活の指針<14カ条>」は参考になる。この14カ条のうち、「魚と肉の摂取量は1:1」が自分には当てはまらない。どうみても魚が中心の生活だ。野菜などの炒め物は豚肉、ベーコンで調理する。これでは「肉」が少ない。「肉」を食べるように心掛けよう。

 は一緒に旅行する人と電話で話す。電話を切った後、もって行くモノを再度点検。一番気になるコトは行き先の気候。日本よりも暑いのだろうか。

 日中、家にいるときはエアコンの中にいる。ところが、観光となると外での行動である。ネットで検索すると、日本よりも気温は低い。とはいっても天候は自然現象。いつどう変化するかわからない。それよりも体力。食べ物に気をつけて。それなのに今日も「肉」でなく「刺身」を買ってしまった!これじゃ駄目!?

2012年8月29日水曜日

情報収集あれこれ

ブログ投稿と他人のブログやツイッター訪問が日課となっている。特に人のブログ等から多くの情報を得ている。各人各様、その方面のパイオニア。参考になるし、知らない世界がどんどん拡がっていく。

今日もそうだった。ネットによるカルチャー&エンターテイメントのネットラジオである。午前中、そのラジオがネットで聞かれるよう会員登録をする。カルチャーといえば地元の新聞社カルチャーセンターに長沼氏が9月から講師をつとめる講座がある。長沼氏は他にも9月1日BSに出演。また情報といえばツイッターでガジェット通信を知る。さらに今朝は旅の情報誌がJTBから送られて来る。

それによると、何とあのフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」のバスツアーも掲載されている。開催時期が東京開催終了後なのでしばらく時間がある。先日、福岡の展覧会に予約したバスツアーの会社と趣が異なり、神戸の方は豪華なランチ付き。先のことなのでしばらく様子を見て参加申し込みをしよう。

いろいろと情報を知った後、今日は幼馴染とランチを食べる。その後幼馴染とスーパーへ行って買い物をしてティータイム。ラオス行きを前にして幼馴染からいろいろと気遣ってもらう。気遣いといえば昨夜もフルートの先生たちからラオス行きを励ましてもらう。また先ほど信奉する方からも「ラオス楽しんでください」との携帯メールを受取る。

そういわれると、本当に嬉しい!ありがとうございます。楽しんできます。そして帰国後はまたいつものようにブログに投稿します。

8月、9月の2ヶ月は大学の夏休み。科目履修生なので大げさに夏休みといえないかもしれない。しかし、その科目のまとめを夏休みの間にしようと考えている。それなのに早くもひと月が終わろうとする。

なんといっても毎日暑い!手軽に楽しめるネットからの情報収集に追われ、全く予定通りにコトが運ばない。それに加えて毎日遊んでばかりいる。

その遊び。もしかして一番大事なこと!?

ともあれ元気なうちはいろんなモノ・コトに触れて楽しもう!

2012年8月28日火曜日

感化!?

カンカン照りの毎日からお湿り程度の雨(?)の曇り空。蒸し暑い。

今日も午前中、予約の本を取りに図書館へ出かける。借りた本は『中国は東アジアをどう変えるか 21世紀の新地域システム』(白石隆 ハウ・カロライン 中央公論新社、2012年)。

この中で、ラオスについて書いている。第三章中国の経済協力から、「ラオスの事例」として中国の対ラオスの経済協力は突出しているという。

中国企業の投資戦略はラオス北部のセメント工場への投資。それは中国政府の「ツー・ステップ・ローンのスキームを利用して、低利資金を中国とラオスの国営企業に供与し、ビジネスと援助をパッケージとして中国のラオス進出を支援する」。ほかにもヴィエンチャン新都市開発事業でラオス政府は2009年の東南アジア競技会開催のために、総合競技上を建設。その際、ラオス政府が土地を提供し、事業費は中国開発銀行が融資し、総合競技上の建設は雲南建工集団総公司が請け負う。

これにより、ラオス政府は土地収用、保証などのかかる費用を除き、競技場の建設と新都市開発において一切の資金負担を免れた。それによって中国企業はヴィエンチャン郊外に大規模な不動産開発用地を取得する。

この「新都市開発」事業とは、五万人の中国人移民を受け入れるための「チャイナタウン」開発事業ではないのかとの論議が起きる。この「新都市開発」事業計画のスキームはラオスで大きな反発を生む。このスキームは、中国では「融資平台(プラットフォーム)」として、都市開発の標準的スキームとなっている。そしてその事業をラオスでは党と政府の要人と結託して、事業を展開している。

このことはラオスでは、人民革命党の党国家体制が安定的に国権を掌握し、中国の「国家資本主義」のビジネスモデルがエリートの結託によって、ラオスの国に移植できるという。この国境を越えたエリートの結託により、政治経済の「中国化」が起こる。それはラオスの国益を定義するパラメータにも変化をもたらす。

こうした結託によりどれほど腐敗をもたらすかではなく、政治的経済的条件のために、そのモデルは比較的安定的に移植されることが重要だと筆者はいう。(以上106p-112p)

中国の台頭は東アジアの地域秩序も変わる。地域の安定と繁栄を維持する鍵は、地域秩序の将来についての予測可能性を少しでも高めることである。そのために筆者は、「日米同盟を維持し、地域的、世界的に経済的相互依存を深化させ、東アジア/アジア太平洋を枠組みとする地域的なルール作りを推進することである。」と述べる。(89p)

この辺りは昨年講演を聞いた渡辺利夫氏の話と共通する。

他のところはまだ読んでいない。気になるところをとりあえずブログに投稿する。

その合間に、ドアホンがなる。モニターで見ると若い親子連れ。ボランティアでこの辺りを回っているという。こういう人たちを見ると日本はある意味、幸せな国。だがある面、この暑い日中に子供を連れて歩くことに抵抗はないのだろうか。子どもにとって「ほかにすることはないの?」と親に聞きたくなる。

ラオスが政治経済の「中国化」になるよりも、日本のこのような子供たちの親からの「感化」が気になる。とはいっても親たちはボランティアだと話す。もしかして立派なことをしていると思っているのかもしれない。

気を取り直して、これからフルートのレッスンに行こう!その前に少し練習して・・・。

2012年8月27日月曜日

謎が解けた!

昨日の新聞にバスツアーの折込みチラシが入っている。そのチラシを見ると「フェルメール『真珠の首飾りの少女』INベルリン国立美術館展」とある。内容を見ると開催場所は九州国立博物館。日程を見ると10月から11月にかけての日帰りバスツアー。

バスツアーはあまり気が進まない。ところが「目的のためには手段を選ばず」。フェルメールをとにかく見たい!その一念から今朝、旅行社の始まる時刻にTELして参加を申し込む。

申し込んだ後、疑問がわく。現在フェルメール展は東京で開催中。その後、それは神戸市で開催される。それなのに何故九州で開催できるのか。

先ほど、その疑問は頂点に達し、ネットで検索する。神戸を見ても九州を見ても「真珠の〇飾りの少女」となっている。何度もネットで見る。もしかしてそれは2枚ある?そんなことはない?と自問自答。

再度ネットで検索すると、やっと謎が解けた。なんとその違いは「真珠の首飾りの少女」と「真珠の耳飾りの少女」の題名の違いにあった。そう、「首」と「耳」の一字違いである。

同じ見るなら「耳飾り」がいい。だが、どちらにしてもフェルメールは広島では見られない。神戸市美術館の「真珠の耳飾の少女」も多分、バスツアーが出るはず。そう思って気を取り直す。ツアーが催行されるとき、それも見に行こう!

2012年8月26日日曜日

ヴァイオリン・コンサート

今日は待望の天満敦子のヴァイオリン・コンサートに出かける。今回で4度目の天満の生演奏を聞く。いつ聞いてもこの人の弾くヴァイオリンに魅せられる。ピアノ伴奏は2週間前にドイツから帰国したばかりの石井里乃。その人は天満の横に立つとほっそり見える。演奏会場は平和公園内の国際会議場フェニックスホール。会場は超満員。ある女性団体が主催する演奏会。さすがに聴衆は90%以上が女性。

いろいろな演奏会に出かけている。しかし、今回は意外なことが起きる。なんと曲の演奏が終わるか終わらないうちに誰彼となく我先に拍手する。これには参る。最初の1曲からこの調子でびっくり仰天。このままこれが続くのかと思っていると、4曲が終わった段階で場内アナウンスがある。「演奏後の余韻を感じて拍手するように……」。それは当然のこと。その後は、それもなくなり、やっと落ち着いて聞く。

前半の終了間際に、天満の語りが入る。話しぶりは慣れたもの。アントニオ・ストラリヴァリウスと結婚して銀婚式と面白く語る。その際、天満自身の口から先ほどの場内アナウンスのコメントを入れる。我先にと拍手した人に気を使わせないようにとの配慮からかもしれない。

今日の演奏曲目は以下のようであった。
♪ロンディーノ (クライスラー)
♪愛のあいさつ(エルガー)
♪タイスの瞑想曲(マスネ)
♪祈り(ブロッホ)
♪アヴェ・マリア(シューベルト)
♪浜辺の歌(成田為三)
♪落葉松(小林秀雄)
♪夏の思い出(中田喜直)
♪スケルツオ(ブラームス)
♪トロイメライ(シューマン)
♪シチリアーノ(フオーレ)
♪ルーマニア民族舞曲(バルトーク)
♪望郷のバラード(ポルムベスク)
♪シャコンヌ(ヴィターリ)
♪ジュピター(ホルスト)

アンコール曲として、3曲演奏された。
♪見上げてごらん夜の星を
♪ふるさと
♪ひばり(ディニーク)

最後の「ひばり」はフルートの先生と古澤の曲で一番好きな曲と話したことがある。何とその曲が無伴奏で演奏された。今日の演奏曲目を見ると「望郷のバラード」はさすがに天満の曲。だが、他の曲は家にある古澤巌のCDにも収録曲がある。「ひばり」もどこかで聞いた曲?と思って古澤のCDを見て曲名を確認。今日の演奏曲目で気に入った曲は「祈り」。

それにしてもやっぱり音楽はいい!中でも天満敦子、古澤巌の奏でるヴァイオリンは特にいい。気持を和ませてくれる。

演奏会後は平和公園からバスに乗って広島駅まで行く。駅前のデパートをうろついているうち服などまた買ってしまった。そしてデパート内の「酔心」で今夜の夕食も購入。家に着くと暑い、暑い!すぐにシャワーを浴びる。空を見上げると澄みきった秋を感じる。

2012年8月25日土曜日

魚食女子!?

あと数日で9月になる。それなのに毎日暑い!暑いといって何もせずにいると体が変になりそう。今日は朝から気合を入れて泳ぎモードに。

気合といえば昨夜のEテレ「団塊スタイル」、気合が入っていた。何といっても主役は97歳の現役フォト・ジャーナリスト笹本恒子女史。

女史の言葉「何歳になってもやり直せる!」。いい言葉。

毎朝5時に起きて体操をする肉食女子、と自らを語る。毎晩赤ワインを170㏄飲んで主食代わりとし、「酒は百薬の長」と話す。大正3年生まれで今年98歳。

元気の素は「珍し物好き」にあるとか。

決して順風満帆の人生ではなかった。安保闘争後、写真の世界で仕事が減少。20年近く他の仕事をする。その頃、姪の外国行きにボディガードをかねて63歳でパリまでついて行く。そのままパリに滞在。その後、帰国。それまで写した著名人の写真展開催を周囲からすすめられ、人気を博して再度フォト・ジャーナリストに。77歳でサッチャー元首相を取材し、今年7月には大船渡被災地を撮影。

TVを観ている人々に「挑戦してみなさい」「自分を甘やかすのが一番いけない」「哀しくても悲しい顔を外に見せない」「影で仕事をしている人を撮りたい」と言い、究極は「心の中では素敵な男性の方に年中憧れています」「死ぬときに手を握ってもらえる素敵な人を探したい」と話す。

この最後の言葉を話すときの顔は母よりも1歳上の人とは思えないほど愛らしい。

背筋もしゃんとし、歩く姿も服装も齢を感じさせない。

世の中、素晴らしい人はいるんだと思いながらTVを見る。

さて今日は、気合を持続して午後からプールへ行く。プールのスケジュール表を見ると午後2時から5時までコースの予約がなさそう。その時間帯を見計らって出かける。

今日もクロールと背泳で1キロ泳ぐ。900メートル泳いだ辺りで同じコースで泳いでいた、いつものおっさんよりもちょっと若い人から声をかけられる。「よく息が続くね」。「背泳ぎとクロールを交互にしてるんで、一度足で立っている」と話すと、それでも「すごい!」といってもらう。褒められて悪い気はしない。気をよくして泳ぐ。20往復するのでよく泳いでいると思われるのだろう。

気をよくするといえば、泳いだ後の爽快感。泳ぎに出かけるときは勇気がいる。だが帰るときの気持は何物にも代えがたい。これがあるから泳ぎも続く!?

こうやって元気を持続し、肉食女子ならぬ、魚食(うおしょく)女子(?)になって笹本女史を見習おう。とはいっても「肉」を食べてる人は何といっても皆元気。今年109歳になる友だちのお母さんも肉好きと言ってたし・・・。魚偏重から肉へシフト!?

そうはいってもやっぱり魚食女子は水の中を泳ぐ魚が好き!そして水の中を泳ぐことも好き!

ちなみに魚食系男子をネットで検索するとじっと待つ忍耐の人だとか。

2012年8月24日金曜日

「男でおばさん」、「女でおじさん」

昨日は久しぶりに幼馴染と夕飯を食べる。出かけた先は新幹線口。いつものお店でなくその隣で食事。いつもの如くビールを飲みながら取り留めもなくしゃべる。その後場所を替えてティータイム。

昨夜はカープ戦もあり、夕暮れ時の人出は多い。出かける前,最寄り駅で同級生に出会う。その人は今でも薬剤師として働いている。その人のような仕事帰りもいれば、これから遊びに行くモノもいる。そういえば、幼馴染も週2日、保育園に勤めている。

今朝も暑い。9時前、先日演奏会に出演した人からショートメールを受取る。その人はスペインへ一緒に行った人。スペインで知り合った人とは演奏会当日、ほとんどの人と会っている。今朝の人とは会えなかった。メールは受付を手伝ったお礼だった。

その後、泳ぎに行こうと思った。だが、余りにも暑い。行くことを断念して図書館へ予約の本を取りに行く。しばし、図書館で雑誌を読む。その後、隣の生協で買い物をする。

レジを済ませた辺りで、近所の人を見つける。かなり腰のかがんだ人。内科へ行った帰り、買い物をした様子。自転車を押して一緒に帰る。その人はシルバーカーを押して・・・。

家では隣に息子夫妻が住んでいるとか。途中、小学校の大きな桜の木の下の石垣に腰掛けてしばし休憩。話を聞いてくれる人がいないらしく、話しかけたことを喜んでもらう。

誰も話かけてくれないといっては「早くお迎えが・・・」とばかりいう。それを聞くと、「人の手を煩わせずに自分で何でもできて幸せじゃー」と言って励ましてあげる。すると、「ほんと、幸せじゃ」と嬉しそうに言われる。

こういう人を見ていると人生、何が良くて何が悪いのかわからなくなる。ともあれ、今は人の話を聞いてあげることしかできない。このときは『日本の文脈』の著者2人のいう「男でおばさん」をもじって近所の「女でおじさん」になって励ましてあげる。

                    日本の文脈

いつものように図書館で借りてきた『日本の文脈』(内田樹 中沢新一 角川書店、2012年)の気になるところを記したい。内田氏のブログによると「同じ年齢の中沢新一さんとの4年間にわたるロング対談の集成。農本主義と帰農ムーブメント、アースダイビング、原発と宗教性などの話頭は転々。最後にふたりとも『これからはアナーキズムの時代だね』という大胆な結論に達するのでした。」と紹介している。

読んだといってもその内容は難しい。また、知らない言葉がポンポン飛び出す。はじめのほうに書いてあるものをあげても、バルネラブルな状況(まえがき)、レヴィナスの本(10p)、アースダイバー(15p)などある。

第一章「これからの日本にほんとうに必要なもの」では内田が中沢の「くくのち学舎」を訪れ、第二章「教養も農業も贈与である」では中沢が内田の神戸女学院大学を訪れ対談。中沢も内田も10年と8年、ともに大学の助手を勤めている。

「くくのち学舎」(17p)は注釈によると中沢新一が舎長をつとめる「これからの日本にほんとうに必要なものだけを集めた」学校で、廃校になった小学校跡地「四谷ひろば」を拠点とする。開校は2009年9月(68p)。そのキックオフイベントとして中沢は内田を招く。そのときの2人の対談が第一章の「これからの日本にほんとうに必要なもの」となる。

2人の共通点は同じ世代で同じ時代を呼吸しているところ(23p)。

更なる共通点として21世紀になって内田が『寝ながら学べる構造主義』のなかでレヴィ=ストロースに深い共感を持って書いていることが中沢の考えと似ている。(32p)

中沢 贈与とは何か。「とらえがたい存在から,この世界に何かが送り込まれているという思考だ」という。(40p)

中沢 「今の経済学には、贈与の問題がうまくセットされていません。・・・贈与という、本来は交換のベースにあるものが見落とされている。贈与論はまず人類学の中で発達したんですが、それと経済学とがつながっていないんです。」(41p)

内田 「ありもので用足しをするすることをレヴィ=ストロースは『ブリコラージュ』と称した・・・。ある日「ああ、これはこういうふうに役立つものだったのか」と気づいて、『いやぁ、拾っておいてよかったわ』と喜んでいる未来の自分の姿が先取りされている。そういう時間をフライングする能力がないと、ブリコラージュってできないわけですよ」(62p)

中沢 「それが人類学という学問です。今は役に立たないんですよ(笑)。だけどいつか役にたつことがあるかもしれない」(62p)。

「いま日本に必要なこと」では「くくのち学舎」のテーマだと中沢はいう。
中沢 「同じ世代の学生ばかりが集まっているよりも、いろんな世代の、いろんなバックグラウンドを持った、いろんなタイプの人が集まって一緒に学ぶほうが生産的な場所になるだろうと思うんです。・・・僕はそこで経済学の講義なんかをしているんです」(70p)

中沢 「『いま日本に必要なこと』を語っていて、しかも説得力のある、明瞭な言葉で語っている方を探すと、内田さんしかいないと思ったんです。」(79p)

こういいながら2人は「われわれはおばさんである」という。取りとめもないしゃべりの特徴が「おばさん」に似ているからだとか。(80p)その部類に養老孟司もいるという。

内田 「いま日本には『男のおばさん』が必要だ」(82p)

内田 「外来の文字を『真名』といい、これが正統的な言語で、土着語は『仮名』で一段低く暫定的な地位しか与えられていない。この『外来が上で、土着が下』というのは日本の文化構造の全体を貫く基本的スキーム・・・」(82p)

内田 「日本人全体の知的パフォーマンスを高めたいと思ったら、アカデミックな言語で記述された命題を、土着後、生活言語に書き換えなきゃいけない。翻訳しなきゃいけない。この『真名』を『仮名』に開くっていう仕事はたぶん日本に特有のものなんだと思うんです。欧米の哲学者が自説をできるだけ多くの読者にもらおうと思って、「たとえて言えば」とか「身近な例をとれば」とか、そういうパラフレーズをするということはまず考えられない。・・・『言い換え』が重要な知的作業になるのは日本だけじゃyないかと思うんです。・・・こういう変な仕事は『真名』の世界と『仮名』の世界に同時に帰属していて、アカデミアの言語も生活言語も話せる『二重言語話者』にしか担うことができない。そういうタイプの人間のことを『男のおばさん』と僕は名づけたわけです。『男のおばさん』というのは際立って日本人的な知性のあり方である、と・・・」(84-85p)

中沢 「『男のおばさん』って言いましたけど、『男でおばさん』であることが大事なんじゃないかと思うんですよ。」(85p)

内田 「『男のおばさん』『男でおばさん』って言いましたけど、これって結局、男性ジェンダーと女性ジェンダーの中間のところにいたいということなんですよね。」(94p)

中沢 「その通りですね。」(97p)

中沢 『カイエ・ソバージュ』ソバージュ(野生)(101p)

以前ソバージュというぼさぼさした髪形が流行した。この本でやっとその意味がわかった。

「なぜチベットなのか」では
中沢 「ゲーテみたいな考えに憧れて、東洋と西洋を結合して昇華したものをつくりたい・・・東と西の境界線がチベットだと。それでチベット人のところへ行ってみたら、ある部分は東洋の精神なんです。極意というものは言語化できない。・・・そういう面があると同時に、一方でそれを全部理論化してあって、その理論も勉強しなくちゃいけないんですね。・・・やっぱりシルクロードの存在が大きい・・・。チベット仏教の要素には、キリスト教の異端説やギリシャ哲学的なものもかなり入っているし、インド経由の哲学も入っていて、半分はとても理論的に構築されています。強いインターフェースをつくることは、チベット人のやり方で可能なんじゃないのかって思うんです。インターフェイス上にあって、なおかつどこから突かれても壊れないし、ダイナミックに変容していくような知性につくりかえることができるはずだ。なぜならチベット人はそれをやっているじゃないか。」(163-164p)

「おじさんは世界をめざす」では
内田 「二十一世紀は、おばさんの時代というか、おばさん的キャラクターが、求められる時代だと思う。おじさんにないプリンシプルがある。世界理論がある。・・・おばさんは世界なんか相手にしない。相手にするのは町内会。ローカルからは始まるのが、おあばさん。一気に世界を目指すのが、おじさん。」(198p)

「おばさんはゲリラ戦」では
中沢 「アカデミズムの世界は、上野千鶴子みたいにおじさんでないとやっていけない。」(200p)

内田 「フェミニズムって不思議な理論ですよね。徹底的におじさんてきな言説で、ぜんぜん女性性がないでしょ。『女性性って、もっとやさしくて、受容的なものなんじゃないですか』って言うと『それは父権性イデオロギーが押しつけた女性性である』って反論されるんだけど、そういうご本人は攻撃性にしても論理へのこだわりにしても、『父権性が押しつけた男性性』そのものですからね。」(200-201p)

中沢 「アカデミズムの世界へ行こうにも、大学には居場所がないから、人類学なんかやって先住民族の研究に入っていくわけですね」(201p)

内田 「正規戦でなくてゲリラ戦ね。おばさんの本性はゲリラ戦です。『宗教学はゲリラだ!』と教えられた中沢さんがいて。」(201p)

「レヴィ・ストロースの激しさ」では
中沢 「常に常識をひっくり返すようなことを言う人で、大変に反撃的ところを秘めていたと思います」(228p)

内田 「僕にとっては汲めども尽きせぬ叡智の源泉ですね」(229p)
 
内田 「そうそうブリコラージュ。ありものの使いまわし。」(232p)

中沢 「僕もブリコラージュ主義者です。・・・『こんな日本でよかったね』て僕も思っています。・・・この国には『宗教』というものがないことじゃないですか。『信心』はあるんです。美しいもの、真実のもの、何か価値のあるものに出会ったら深い信心を持つ。でも、それが宗教のシステムの中にとらえられることを好まなかった。『日本人は無宗教だ』ってネガティブなニュアンスで言われることが多いんですが、実はそこには創造的な側面があって、大事にしなきゃいけないことだと思います。」(232ー233p)

「日本人はフロントランナー」では
中沢 「地震や台風の被害が大きい一方で、気候は温暖だし、森が多くて水は豊かで植物の生育には適している。広島で原爆が投下された二、三ヶ月後には、もう緑が芽吹き始めていて、この自然の復元力には感動します。戦後すぐの広島で、庶民が活力にあふれた経済活動を行っている様子と言うのは『仁義なき戦い」なんかでも描かれていますけれども、これはちょっと並大抵のことではないと感じます。原爆を二発も浴びた国民がここまで立ち直ったんです。経済危機やらエネルギーやらいうことは、どうってことはないでしょう」(239p)

中沢 「『仁義なき戦い』の文太さんが、いまは若者たちと一緒に農業に打ち込んでいるというのも、これからの日本に必要なものは何かという僕らの問いかけに、一つの方向性を示してくれているように思います」(240p)

「閉じた社会のよさ」では
中沢 「どうして人類学や民俗学をやっているかというと、時間を超えて伝達、伝承されるものに対する強い信頼感があるからです。いまの老人たちの問題は、自分たちの経験を子や孫にうまく伝えできていないってことがあるんじゃないかと思うんです。」(278p)

「荒ぶる神の鎮め方」では
内田 「一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを、『怖れ、隔離する』というかたちで『テクニカルなリスクヘッジ』を試みた。日本の人々は荒ぶる神を金儲けの道具にまで堕落させ、その在所を安っぽいベニヤの書割で囲って、『あんなもん、怖くもなんともないよ』と言い募ることで、『心のリスクヘッジ』を試みた。・・・原発の設備をあれほど粗雑につくったのは、原子力に対する恐怖心をそうやってごまかそうとしたからなのである。・・・原発は人間の欲望に奉仕する道具だ。そういう話型にすべてを落とし込むことによって、私たち日本人は原子力を『頽落し果てて、人間に頤使されるほどに力を失った神』にみせかけようとしてきたのである。もちろん、そうではなかった。・・・自分たちがこれまで『涜聖』(とくせい)の振る舞いをしてきたことを、私たちは実は知っていたからである。」(326-328p)

2012年8月23日木曜日

『よみがえる力は、どこに』

 図書館で借りた『よみがえる力は、どこに』(城山三郎 新潮社、2012年)を読んだ。この本はタイトルだけみても元気が出てくる。いつものように気になるところを記そう。と、そのまえに、著者の城山と奥さんの馴れ初めを記したい。

 ある日、奥さんとなる人は図書館へ行く。ところがあいにく閉館。立ち止まっていると城山が来館する。休館を知った2人は知り合いではない。だが、図書館を一緒に後にするうち、共にカフェに入る。そして映画を見て過ごす。城山は一緒にいる彼女を妖精と思うようになる。だが歩いているところを咎められ、交際中止に(当時はそうだったらしい)。あるとき偶然ある場所で遭遇。その結果はいい方に……。

 まるで映画のような話。その奥さんを早くに亡くし、後に残った筆者が書き記したものがこの書。

★私は石田さんの伝記『「粗にして野だは卑ではない」石田禮助の生涯』を書こうと思い立ち、取材を始めました。例えば石田さんの下で副総裁を務めた磯崎叡さんは、「ずいぶん多数の人に仕えたけれど、あんなに気持のいい人はいなかった。毎朝、石田さんに会うのが楽しみだった」と言うのです。・・・これは石田さんの、年齢をジャスト・ア・ナンバーにした生き方の反映だと思います。常に昨日と違う顔を見せる、部下にとって刺激的な上司でありつづけたから、会うのが楽しみになるわけですね。(日々新面目)って言葉がありますが、石田さんこそまさにそういう男でした。毎日毎日を、新しく生きた。例えば、石田さんが好奇心が強い人だったということもある。好奇心は、さまざまなものを吸収して、日々を新しく、若々しく生きるためには不可欠ですね。何も知的好奇心だけでなく、映画を観に行くといった、ごく一般的な好奇心でもいいんです。(20-21p)

★印籠を見せて、威張るのは、肩書きや権威を笠に着ているからおもしろくない。石田さんにいわせると、黄門さまは副将軍かもしれないけれど、卑なんですね。座頭市はまさしく粗にして野だが、卑ではないんです。むろん、好奇心旺盛や権威嫌いなだけでなく、副総裁に向かって、「日常の仕事は、すべて君に任せる。君のいやな仕事は全部おれが引き受ける。」などとも言い、実際にそうしてみせる。これでは、部下の磯崎さんが心酔するのも当然でしょうね。(21p)

★私には、風呂につかっていた老人たちがみな、同じ顔に見えたのです。あれはあれで軟着陸しているのかもしれないけれど、自分だけの顔を得なくていいのかな、と感じます。あるいは、石田禮助さんを日々新面目だと言いましたが、そういう日々新たな、生き生きした顔を得なくていいのかな、と。老後であろうと、着陸を考えずに、なお飛び続けることはできないのかー私は居心地悪く浴槽に入りながら、そんな夢想をしたのです。人生は鐘と同じで、激しく叩かないと激しい音が鳴ってくれないのではないか。うつろに叩かないと、うつろな音が響くだけではないでしょうか。人生には、飛んだ人にしか聞こえない音色があるように思えるのです。(51-52p)

★『花伝書』の中で、私がいちばんピンと来た言葉は、「住する所なきを、先ず、花と知るべし」と言う定義でした。現状なり考え方に安住しない、あぐらをかいたり、けっして満足したりしない。日々を新しく生きる。心を常に新しくしておく。そんな心の赴くまま、知らない道へも踏み込んでみる。そういう姿勢にこそ、花があるのではないでしょうかー。(71-72p)

★人間が、齢をとっていようがいまいが、時代が大変であろうがなかろうが、何かしようとする時、自分の中の探検家を目覚めさせばならない。もっと言えば、常に自分の探検家を元気に、活発にさせておかないといけない。何かをやろうと思った時に、考え込んでいたらダメなんです。・・・自分がこれは「面白い」と思えば、それを信じて最後まで書いてしまうことです。これは小説だけの話ではないでしょう。……自分の中の探検家と共に、やりとげてしまえばいい。反省や後悔は後からしたっていいし、人並みの道は通らぬ梅見かなと嘯いてもいいし、どうせ一期は夢だと思えばいいし、担雪埋井と呟いてもいいんです。(74-75p)

 この最後のフレーズはいい。「齢をとっていようがいまいが、時代が大変であろうがなかろうが、何かしようとする時、自分の中の探検家を目覚めさせばならない」、「何かをやろうと思った時に、考え込んでいたらダメなんです」。

 若い頃は何かを始めようとするとき、考えて行動していた。これは何かをしようとする時の弊害になる。また考えて行動しても自分の描くように年を重ねていない。そのこともあってか、年齢を経るにつれて気の赴くままに行動するようになった。今はどこにも属さず、ただひとり。遠慮するモノ・コトはなく、また何の柵(しがらみ)もない。なんと気楽なことか。

 筆者のように「日々新面目」を呈して過ごそう。今日の日々新たは人のツイッターで知った「反薄明光線」

 他にも日々新たにといえば、昨日ネットで『「定年留学」してみませんか?-60歳からのアクティブ・ライフのすゝめー』を見つけた。donky.la.coocan.jp/kouen/shimindaigaku_kouen.pdf(参照)

 この本の著者が自費出版したものだろう。ネットでこの本を読むことは可能。しかし、紙の本と違ってパソコン上で読むのは大変。紙の本ならば短時間に読める。だがパソコン上では10頁も読むと飽きてくる。その内容に飽きるのではなく、読むのに飽きる。それでも興味を覚えたので毎日少しずつ読もう。なんとその人の留学先はスペイン。これに共感するのかもしれないが……。

2012年8月22日水曜日

「人にとっての美徳は知的好奇心!?」

毎日書かなくてもいいのに、思わず書いてしまう。暑い!

暑い中、昨日もフルートのレッスンを受けに街中へ出る。前のレッスンの人とアンサンブルと全体合奏をさらう。その後、ソロの曲をさらってもらう。ソロの曲は全体的に低い音。それにピアノ譜の高い音をアレンジして加え、高い音から急に低い音になるところがある。

その辺りに気をつける。いつものように先生にさらってもらって吹くといい音が出る。この音が発表会ででればいいのだけれどそれは疑問符。いつでも同じ音が出せるよう頑張ろう。

レッスン後、市電に乗って広島駅まで行く。途中、八丁堀電停で父子が乗り、子どもが横に座る。しばらくして横の人が降りたので席を移動すると父子が並んで座った。

この親子、はじめての市電に乗車とか。運賃など聞かれる。話していると香川県から車で来て八丁堀のホテルに宿泊。平和公園を見学した後、電車に乗り、カープの試合を見に行くという。それもはじめての観戦とか。

小学低学年の男児とその父。翌日は呉の大和ミュージアムに行くらしい。駅で降りるとき、父親から「お母ちゃん、ありがとう」と言われる。

香川県の言葉は関西弁。それにしても人から初めて「お母ちゃん」と言われてしまった。とはいっても決していやな気はしない。多分、その親子からすれば年齢差は親子、孫の関係かもしれない。関西弁独特のイントネーションがそう思わせるのだろう。

元来は阪神ファンらしい。それが昨夜は前田健太が投手で、堂林が出るので応援するという。それなのに今朝の新聞を見るとカープは負けている。気の毒!

父子にとっては負け試合。だがいい夏休みになったはず。

さて今日のこと。最近はゆっくり家で料理をしていない。朝から暑いけどガスを使って料理をする。

調理後、スーパーへ行く。途中、踏み切りで近所の人と出会う。その人とは挨拶程度でゆっくり話したことはない。ところが今日「徹子の部屋」に長沼氏が登場する。その人の長女は氏の所属する学部で学んだことがある。「長沼氏を知ってる?」と尋ねると、娘さんはあまり知らないとか。しかし母であるその人はメディアに出る氏をよく知っていた。

暑い中、その人と踏み切り横でしばし立ち話。「干からびそう!」と言って笑ってわかれる。

先ほど氏の出ている「徹子の部屋」を見る。夏休みのため子供向けの科学の特番とか。最後に氏はいい言葉を残す。「人にとっての美徳は知的好奇心」。一度言っただけなのでもしかして違っているかもしれない。

「好奇心」はある。だがそれは「知的好奇心」!?ともあれ、これが人にとっての美徳になるならば、「好奇心」に「知的」を加えるようにしよう・・・。

2012年8月21日火曜日

遊ぼう!

今日も暑い。毎夜、エアコンと扇風機をかけて寝る。昨晩は、疲れもピークに達しぐっすり眠る。とはいっても変な夢ばかり見る。

毎日、ブログを投稿している。そのためか、何かの試験を受けに行き、小論文が全く書けない夢を見る。頭の中にブログのことがあるのかもしれない。

見るといえば、夢ばかりでなく人のツイッターも見る。ツイッターはどういう仕組みになっているのかよくわからない。しかし長沼氏のツイッターを見ていると面白いことに気づいた。それは著名な人々がツイートしていること。ツイートしたモノをまた開くと段々ツイートの範囲が広がっていく。

フェイスブックは実名とか。ツイッターも実名?でツイートしている。さらに面白いことはメディアで知る有名人と違って、同じ人なのに結構ツイートしていることは普通の人の雰囲気。昨日見た著名人は超有名な人で年齢もかなり高い。皆、若者に混じってツイートする。ほんと面白い!

いくら面白いといってもある程度の知識人に限る。ダラダラとわけもなく見たくはない。

ふと思う。ブログならば誰も見てくれなくてもかまわない。だが、ツイッターをはじめたとしても誰からもツイートしてもらえないと淋しい限り。

ところが、ツイッターをしている人にツイートすることは簡単。してみたいけどそれほどツイートすることもない。ただ暇つぶしにはツイッターを見るには打ってつけ。なんといってもリアルタイムにツイートしてある。他の人はこういうことをしてるんだとすぐわかる。また、著名人は自身のスケジュールを公表するには便利かもしれない。講演会、演奏会など。

長沼氏の講演会もツイッターを見ていると目白押し。まさに今が旬の人だ。

話は変わって、昨日の水道修理は無事修了。きれいに直してもらい一安心。そして、しみじみと水の有り難さを感じる。

長いこと幼馴染と会っていない。昨日2度電話しても出ない。先ほど電話がかかり、話を聞くと腰が痛くて動けなかったという。マッサージに2日行くと今日はいいらしい。

折角の遊び友達の幼馴染。元気でいてもらわないと困る。明後日会うことにして電話を切る。

遊び友達といえば今日、昨年スペインで相部屋だった人と電話で話す。その人とは2週間のスペイン滞在中一緒の部屋だった。年齢も一緒で互いに独身。今日、聞くと血液型も同じ。生活スタイルも似ている。ただ違うことは利用している愛車(?)が自転車と車の差。

9月に会う話もまとまる。知り合ってはじめて会うのに車でいろいろ連れて行ってくれるという。なんといっても互いに暇人。そして元気。丁度いい遊び友達、と互いに話す。

遊ぶ話といえばラオスが待っている。そしてフルートの発表会もある。今日はこれからフルートのレッスンに行く。その前に少し練習をして・・・。

2012年8月20日月曜日

平穏無事が一番!

昨夜から今日一日、平穏無事の日々でない。

昨日の演奏会から帰宅したのもつかの間、その後が大変!寝ようとして湯を沸かそうとすると、水がチョロチョロ・・・。「何?」と思ったのもつかの間、水道蛇口付近から変な音がする。湯沸しの音、と思って電源を切る。だがそうではなくしばし考える。考えてもいい案が浮かばない。午後9時半を過ぎている。遅いにもかかわらず姉に電話するとその夫が出た。

話をすると、水道の元栓を締めるようにと言う。元栓を閉めに外に行くが、その蓋が開かない。外を歩く人に助けを求めるが誰も歩いていない。かなりの時間いろんな道具で格闘すると、やっと蓋が開いた。すぐに元栓を締めると、水道の蛇口付近から音がしなくなる。

姉の夫は夜遅いにもかかわらず、いつも我が家のメンテをしてもらう業者に電話してくれた。

これで無事眠られると思いきや、これではトイレも行けない。時間は午後10時頃。隣の従兄の奥さんに電話すると自宅も携帯にも出ない。だが家の明かりはついている。仕方ないので直に家に行って水をもらうことにする。大きなポリ容器で使用していないものがある。

それを持って家に行くと従兄が出てきた。奥さんはお風呂に入っていたらしい。事情を話すと、外の水道から水を汲んでくれた。重い水を持って家に帰る。トイレに少しその水を使用して昨夜は眠る。だが興奮しすぎて眠られない。それでも寝ていたのか、朝7時前なのに電話で起こされる。電話の主は昨夜依頼した業者。

電話では今朝とりあえず応急処置に専門業者を寄こすという。業者の人たちは朝が早い。もっと寝たいと思うけど寝るのを諦めて身支度をする。歯磨き、洗顔など何をするにも水がいる。そのたび洗面器で水を運ぶ。これじゃ、暑いといってシャワーも浴びられない。

ライフ・ラインとはよく言ったもの。先の震災で生活している人々の苦労が身に染みてわかる。

今朝は早くから業者2人が修理にやってきた。その人たちの顔を見るとまるで神様のよう。ありがたい。

毎年のように何やかやと業者のお世話になる。その度に、その人たちの仕事ぶりに感心する。普通のサラリーマンよりも言葉使いも丁寧。これにも驚く。

ここ10年、家の修理に際しては母に代わって立ち会っており、ある程度のことはわかる。

どうも今回は台所の水道と温水の配管の修理になるらしい。

6、7年前、母のために風呂を新たに作った。そのとき、設備業者が入る日の朝、突然温水器の配管から水が吹き出す。何と言うタイミング。このことがあって温水器も新たなものに取り替えた。当然お風呂の配管もすべて新しい。

今朝、業者は台所の床の下を見るため畳の部屋からもぐって水のもれ具合を見ている。床の下にはもれておらず、外のコンクリの下付近で水はもれている。早速業者はコンクリを50センチ平方ほど穴を掘って配管をやりかえる。さらに台所までの水道と温水の配管も新しくした。

修理ついでに使っていない古い風呂の水も温水も出ないようにお願いする。またトイレの手洗いの蛇口も結露かどうか見てもらう。

修理は今日一杯かかるらしい。

一人暮らしで何が大変といってこういうときがいちばん困る。幸い、姉の夫が建築のプロなので助かる。依頼する業者のすべては義兄任せ。安心してお願いする。それと隣家の人も大事。従兄なのでその点、大いに助かる。

今日は一歩も外へ出られそうにない。もうしばらく修理はかかりそう。

ふと思う。毎日気ままに暮らしている。平穏無事に・・・。何ごとも普通がいちばん。何もない生活をマンネリと思うこともある。しかし、今回のことがあると何も変化のないことはもしかしていちばんの幸せか、とも。

そしてまた思う。今、水が吹き出てよかったと。もしも海外に出ていて、破裂していたならどうなっていただろう。「何ごとも起こるべくして起こる」。何であれ毎日「平穏無事が一番!」。

2012年8月19日日曜日

演奏会&ミニミニ同窓会!?

先ほど知人の所属する合唱団の演奏会から帰る。今日も暑い一日。家に到着するとすぐにシャワーを浴びて、ゆっくりする。

午前中、尾道の人と最寄り駅で合流してJRに乗って演奏会場へ行く。

到着時刻は開演3時間余り前。互いの役割は知人から聞いている。しかし、会場では受付けの人たちが8名くらいで手分けしてプログラム配布などの準備中。とりあえずその人たちに挨拶する。だが、何もすることがないので尾道の人についてゲネプロ中の会場に入る。

そこでゲネプロが終わるまで見学。中に入って聞くのはいいのだが、誰もいない客席で2人で聞くことに違和感を覚える。何しろ、客席にいるものが少なく、舞台には合唱団やオケの人が百数十名もいる。

ゲネプロが終わると昼食。この間何も手伝っていない。しばらくすると知人が弁当を持ってやって来た。そして知人から2人は係りの人に紹介され、やっと会場の雰囲気に慣れた。

開演前、昨年スペインヘ一緒に行った人が突然受付けにやって来た。互いに久しぶり、と挨拶を交わす。その人はスペインで最初に知り合いになった姉妹の妹さん。「太ったね」と言われる。自分ではわからないけど、1年前はいちばん体重が少なかったかもしれない。母の亡くなったダメージが体重減少となり今より3キロ痩せていた。

そしてスペイン語の話になる。誰からか習っていることを聞いたらしい。「卒業したら教えて・・・」と言われる。「卒業したら祝ってくれる?」と逆に言ってしまった。とはいっても科目履修生。何をもって卒業となるのだろう。

合唱団は創立20周年の演奏会。もらったプログラムによると「明日への希望と平和への祈り」と題され、演奏曲目は

ベートーベン作曲
♪  「献堂式」序曲
♪  Die Efre Gottes aus der Natur自然における神の栄光、
    クリスチアン.F.ゲレルト詩
♪  Welten Singen~Christus am Ölberge
    ~世界は歌う「橄欖山上のキリスト」より    
♪  ミサ ソレムニス「荘厳ミサ曲」
    Kyrie
    Gloria
    Credo
    Sanctuas-Benedictus
    Agnus Dei

となっている。

開場になると人がどっと入る。何もすることがないどころか花束や贈り物で忙しく応対する。カメラマンは開演前のためか、やたらと受付で写真を撮る。ポーズをとって撮られるのならまだしも、そうでなくパチパチと何枚も写される。あまりいい気はしない。

演奏者へのプレゼントを受取る際、出演者の宛名、贈り主を書いてもらう。用意されているその用紙もすぐになくなる。演奏を聴きに来るだけでなく、どの人もプレゼント持参?

プレゼントといえば昼食前、尾道の人から知人と2人、もぎ立ての葡萄をいただく。大きな房のおいしそうな葡萄。なんと50房くらい実ったとか。いちばんよくできたものを下さったよう。

〇〇さん、大きな美味しい葡萄、ありがとうございます。

尾道は葡萄の産地とか。それにしてもありがたい。

一緒に受付けを手伝っている人から合唱団の所属?と聞かれる。手伝っている人たちは合唱の先生の他の合唱団に属する人たち。異端者が突然顔を出すので聞かれるのだろう。

受付で先ほどの妹さんのお姉さんとも出会う。顔を見て思わず手を振って握手までしてしまった。スペインでお世話になった姉妹。懐かしかった。他にもフルートの人たち数人とも出会う。いつも会えない人たちと懐かしく接する。これも受付けをする楽しみかもしれない。

開演時刻になる。すぐに客席に入ると、中は満員。真ん中辺りに一つ席が開いている。そこに座って演奏を聴く。

演奏後、ステマネ担当の尾道の人に話を聞くと、ソリスト4名はかなり神経質だったとか。大きな会場でソロで歌う緊張はプロといえどもあるのだろう。

ともあれ、いい演奏会だった!

演奏後、客席を立つ際、合唱団の人とばったり出会う。「何故ここに?」と聞くと急に体調を崩し出演できなくなったとか。1年に一度の晴れ舞台。折角練習を積み上げてきて悔しかったに違いない。そしてその人から知人への託を聞く。それは知人と会ったとき話をしよう。

他にもスペインヘ行った数人と出会う。どの人も皆親切に接してもらう。2週間スペインで滞在中、相部屋だった人とも出会った。その人は顔を合わせるとすぐに「写真ありがとう」。そして「電話番号を教えて・・・」と言われ、互いに電話番号を交換する。その人は4キロ痩せたとか。そういえば・・・といって2人して笑う。明日にでもTELしよう。

今日は演奏会とミニミニ同窓会のような楽しい一日となった。合唱団の皆とは1年に一度会う!?まるで七夕のよう。それならばいっそうのこと七夕にすれば、と思うけど演奏目的はそうではない!!

2012年8月18日土曜日

ニュース・ソース

毎日ほんとうに暑い!

だらだらしていると体に良くない。今日もお昼前、自転車に乗って外へ飛び出す。今日の行き先は昨日の東方面のスーパーでなく西に位置するスーパー。わが町の両隣の町は市内でなく郡。おかしな現象だがこれも行政的な思惑からそうなっているのだろう。

ともあれ、一度自転車に乗って出かけると帰宅後は汗びっしり。それにもかかわらず、その後はなんだかやる気が起きてくる。寝ていた体が目を覚ますのだろうか。

こうして本格的な一日の始まりとなる。

一日といえば、日中でも夜でもほとんどTVを見ない。しかし、昨日の「徹子の部屋」のように関心があるモノは当然見る。昨日は他にもTVを見た。それは「ホテル時間旅行~クラシックホテル憧憬」。

幼馴染と電話で話していてその番組を教えてもらい、楽しく見た。昨夜は近いうち旅行するラオスの話。この国について何も知らない。見ていると想像を絶するいい国。行くのが楽しみになる。ラオスは以前はフランスの植民地。食べ物も美味しそう。

すぐに一緒に旅行する人に電話してその放送を知らせる。宿泊するホテルはクラシックホテルでなく最近建設されたホテル。ツアー参加を申し込む際、ホテルをグレードアップしているので、いいホテルに宿泊できそう。

TVといえば、今読んでいる『よみがえる力は、どこに』(城山三郎 新潮社、2012年)で著者と似通ったことをしている。

吉村昭との対談で、城山は「朝は、外国語講座に決めてます。」「見ててもストレス感じないからね。イタリア語、ドイツ語、英語、何語でもいいの。向こうの風俗とか景色とか出てくるから、それを眺めるだけ。ニュースを見ちゃうと、腹が立ったり、この野郎と思ったりするでしょう。・・・朝、ご飯食べるときは外国語講座が一番精神衛生にいい。ニュースは絶対見ない。朝刊も読まない」(185-186p)と述べている。

本を読んでいて著者と同じようなことをしていると思い、妙に親近感を抱く。

家の台所にいるときはNHKラジオ第二放送を流す。これは語学中心で真剣に聞いてはいない。他の部屋ではNHK・FMを一日中、流している。

著者の話すTVとラジオの違いはある。だが、同じようなことをしている。また、昨年の震災からニュースや天気予報も見なくなった。何を見てもいいニュースはほとんどなく、悪いことばかり。それを聞いたり見たりするたび、全部ワガコトのように受けとめてしまい、著者の言うとおり精神衛生によくない。

あるときからいやなことは見ない、聞かないようにするといらぬ心配もなくなってくる。それからと言うもの見なくても平気になった。またたとえ見ても、それはドキュメンタリーなど。それも政治的なものは避けている。

しかし筆者と違って新聞は隅々まで読む。他にもネットで情報を仕入れて毎日を過ごす。

投稿後、いちばん書きたかったことを忘れている。

先日、NHK・BSで「エルムンド」のなかで「ツバル」という国を知った。この番組をみていてツバルの国はわかった。だが新聞のTV番組欄にある「エルムンド」、この言葉がわからない。先ほどネットで調べるとなんとスペイン語の”el mundo”(世界)で英語で”the world”の意味。

毎日あるらしい「エルムンド」。時々はこの番組を見て世界を知ろう!世界のニュース・ソースとして・・・。

2012年8月17日金曜日

「夢」

太陽が燦燦と輝く中、今日も自転車に乗って外へ飛び出す。近くのスーパーが今日から店内改装のため閉店中。隣町のイオンまで自転車で行く。ここも近いうち店内改装する予定とか。建物も痛んでいるようで、中に入っても節電か、建物が古いためかエアコンがきかなくて暑い。

暑いといえば昨日も暑かった。昨日は暑い盛り、一緒に旅行する人と駅前のJTBに行く。途中、ばったり会う。

お店に着くと、係りの人が見える。勝手にその人の前にある椅子に座る。なんといっても今回の旅は、いろいろと変更ある曰く付きの旅。しかし係りの人の親切な応対で昨日も楽しく話す。その人は「楽しくお話できました」と言ってくれる。その憎めない愛嬌ある顔は営業窓口にうってつけ。そう思ってその人をしっかり褒めてあげる。

最終の旅行案内書を受取ると、福岡博多までのJRチケットを購入。先日最寄り駅で見たパンフでは、なんと広島ー博多往復¥17400→¥11000になっている。

先日姉の夫から半額になるJR株主優待券をもらう。一緒に行く人も3割引になるクラブに入っている。だがそれを使うと同じ車両に乗れるかどうかわからない。優待券は後日使用することにして、JTBでパンフにある往復チケットを購入。

チケット購入もアンテナを張り巡らせた効果あり。これで楽しい旅ができ、無事帰国すればすべて止し。

JTBをあとにして一緒に行く人とデパート内をうろつく。その人が他の友だちに連れて行ってもらったという売り場に行く。そこでブラウスを購入。

その後、その人と場所を移動して夕飯を食べに行く。幼馴染と2度ほど行ったお店で夕食。先ずはビールで乾杯。その人もビールはOK。2人して食べながら、飲みながら、よくしゃべる。

食べ終えると場所をさらに移動してティータイム。一緒に行く人とは旅行当日に会う約束をして昨夜はわかれる。

さて、今日。さっき「徹子の部屋」に出ていた野口聡一氏のTVを見る。

先日講演を聞いた長沼氏。氏のブログは6月で中断。しかし、いろいろ検索しているとツイッターをしている。ツイッターという言葉は知っている。だがそれを見たことはなかった。

最近そのツイッターを見ていると、野口氏の書き込みがあり、TV出演を知る。また、長沼氏はツイッターによると来週の水曜日に「徹子の部屋」に出演するという。これも見よう。

長沼氏は野口氏と宇宙飛行士の試験を争う。そのときの受験者は野口氏によると五百数十名とか。その頂点が野口氏。

今日TVの話を聞いていると野口氏は小学1年生で宇宙飛行士になる「夢」を作文に書いている。現在宇宙にいる星出氏も宇宙飛行士になるのが小さい頃からの夢だったとか。「夢は持ち続けるように・・・」と野口氏。

宇宙飛行士になる夢といえば、身近な人がいる。東京にいる甥のお嫁さん。彼女は宇宙飛行士にあこがれ、東京の大学、アメリカの大学院で学んだ。

昨年、不幸で会ったときも彼女からその話を聞く。ほんわかとおっとりした女性。だが、なかなかの才媛。今は甥のお嫁さんであり、一児の母であり、キャリア・ウーマンでもある。

妹は息子の選んだお嫁さんについて母や私に興奮気味に話したことを思い出す。

さてその「夢」。私にとっての夢はなんだろう。今さら・・・とも思う。考えてみれば、彼、彼女らのようにこれまで具体的な夢を描いて来ただろうか。これじゃ駄目!?

今からでは遅い?でもいい。夢を描こう!!さてさて何の夢を・・・???

2012年8月16日木曜日

カモメ

今日は暑さもぶり返したかのように朝から暑い。 

阿刀田高の『日本語えとせとら』(角川書店、2012年)を読む。この人の本はこれまで読んだことがない。新刊蔵書から検索して図書館で借りて読む。読み始めると、さすがに小説家だ。ユーモアに富んでいる。何かで書いたエッセイを文庫として収めたものが本書である。

読んでいて思わず何箇所か噴出してしまった。その一箇所「いざこと問はむみやこどり」で、カモメの話が出てくる。「みやこどり」を辞書でひくと「ユリカモメ」の雅称とか。このユリカモメは筆者に言わせると私たちが日ごろ見ているカモメらしい。

東京から有明まで「ゆりかもめ」が走っている(らしい。乗ったことがないので・・・)。

「こちらが寂しい気持でいるときには、内なる自分を託してみたくなってしまう。ちがいますか」(166p)。

カモメから「寂しい気持」がイメージとして浮かぶのか、先日のブログに長沼氏の本を読んで「本の表紙デザインはちっちゃなヒト(子ども?)がかもめ飛ぶ空の下、ひとり淋しく歩いている。」と投稿したばかり。

私も筆者と同じようにブログでカモメを淋しさとして表した。

筆者はその寂しさを、歌謡曲の世界から拾っている。

都はるみ ”いつも群れ飛ぶかもめさえとうに忘れた恋なのに” (涙の連絡線)
松尾和子 ”こんなにあなたを愛してるなんて、ああ鴎にもわかりはしない” (再会)
渡辺真知子 ”人はどうして哀しくなると海をみつめに来るのでしょうか””かもめが翔んだかもめが翔んだ” (かもめが翔んだ日)
研ナオコ ”かもめはかもめ、ひとりでゆくのがお似合い” (かもめはかもめ)


筆者は例を挙げて「ほかにも探せば、たくさんあるだろう。もしかしたらカモメはカラオケ・ボックスに一番よく現れる鳥なのかもしれない」(167p)と述べている。

「カラオケ・ボックス・・・」は妙を得ている。思わず笑ってしまった。

その他にも、チェーホフの『かもめ』や、日本の古典文学『伊勢物語』から”名にしおはばいざこと問はむみやこどり わが思ふ人はありやなしやと”、主人公の寂しい都落ちの道中、川辺に飛ぶみやこどり(ユリカモメ)を見て歌を詠む。

その意味は「みやこどりという名を帯びているのなら『さあ問いかけよう。私の思ふ都の人は元気かどうか」(167p)。

そう書いて「カモメは伝統的に、私たちの心の寂しさに関わってくれる鳥らしい」と。そうであるならば「落ち込んだときには水辺に出て、カモメを見つめよう。何か悟りが得られるかもしれませんぞ」(167p)と結んでいる。

これはポエムの世界!?

他に「生きた、書いた、愛した」(179p)では、スタンダールが軍人を赤、僧職を黒で表して野心的な青年の生涯を『赤と黒』で描いた。スタンダールは自らの墓碑に「アンリ・ベール ミラノ人 生きた、書いた、愛した」という文言を刻んでいる。

しかし、スタンダールの本名であるアンリ・ベールはミラノ人ではなく、フランス人でイタリア国境に近いグルノーブルの生まれとか。

名文句といえばジュリアス・シーザーの「来た、見た、勝った」があるという。スタンダールの脳裏にこのシーザーの名文句があったかも知れないという。

これを読んで、筆者も書いているが私も自分の一生を短い三句で表してみたい。筆者は「眠られない夜に考えてみようか」と言う。眠られない夜がないモノは・・・。さてさて。

今日は午後からJTBへ出かける。旅の最終案内をもらう前に、早めに家を出てデパートをうろうろしよう!三句を考えながら・・・。それは到底無理!? 

2012年8月15日水曜日

「しゃきらもない」

 図書館で借りてきた阿刀田高『日本語えとせとら』(角川書店、2012年)を読んでいる。読み進むうち、母がよく人と話していた「しゃきらもない」を思い出す。いつも聞いていた言葉なのでおおよその意味はわかる。だが、その意味は確かでない。古い言葉を聞ける人ももう周りにいない。遊び半分で、ネットで検索するとあるわ、あるわ。

 なんと若い人もブログに書いている。この言葉を聞いたことがあるモノも我が家くらいかと思ったらそうでもなさそうだ。親が使っていた言葉も子どもの世代になるともう使わない。いずれ死語になるのだろうか、この言葉。検索では新潟、魚沼、石見、出雲、小国、松代町、広島など日本海側で多く使われている。

しゃきらもねえ 乱雑な 際限がない 途方もない (出雲弁)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~izumobenn/izumo/special/sennryuu/k_sen_sa.htm

しゃきらもねえ つまらない、どうでもよいこと(新潟)
http://okwave.jp/qa/q509796.html

しゃっきらもない 愚にもつかない
http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/ktb_frmd.htm

しゃきらもね  とんでもない  (信州松代)
http://www3.ocn.ne.jp/~tomi1210/sub4.html

しゃきらもね くだらない (魚沼)
http://www.hakkaisanroku.com/jiten/sa.htm

しゃきらもなぁ しゃきらもない 見境がない 途方もない(広島弁)
http://kogitsuneza.blog98.fc2.com/blog-entry-245.html

しゃっきらもねぇ くだらない (新潟県中越地方) 
http://majonaese-wurst.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-8e4e.html

しゃっきらもない、しゃきたもない つまらない、くだらない(熊本小国)  http://park.geocities.jp/hennaka_t/kotoba/hougen.htm

 このように羅列してもやはり母は広島人。広島弁の「しゃきらもない」は「見境がない」がいちばんピッタリする。とはいってもこの「見境がない」も使用しないけど……。母が伯母たちに話す電話のやり取りでよく聞いた。「そういうことを言って、しゃきらもない……」。

 今日は雨も上がり、朝から洗濯をしたり、明日で閉店するスーパーへ出かけたりする。その暇にネットで検索して遊ぶ。伝承文化が廃れていくと言われる。しかし、方言一つをとってもネット社会でまだまだ根付いている。大丈夫だ。

2012年8月14日火曜日

お盆に・・・

お盆というのにまるで梅雨のように雨が降る。

平常一人で気ままに生活しているモノにとってお盆等の行事の日は気ぜわしい。昨日家に来たのは姉夫婦と姪の家族。姪やその子どもたちは我が子のようなものなので何の遠慮も要らない。それなのにいつもと違って草臥れて昨夜は早く寝る。

姉の娘たちは学生時代、我が家から大学へ通っていた。そのためまるで我が家が里のよう。母がしていたように、姪たち一家がくれば帰るときに何やかやと家にあるモノを託ける。その子どもたちもまだ小さい。だが、会うたび大きくなっていく。

子どもたちを見ていて介護と子育ての違いを思う。

子育てをしたことがない。母を介護する私を見て妹は「子育ての代わり!?」とよく言っていた。車椅子で外に連れ出すことと乳母車で子どもを外に連れ出すことが同じだと言いたかったのだろう。

そう言われても何の違和感も抱かなかった。だがその違いは大きい。子育ては成長していく楽しみがある。しかし介護はその逆で、ただただ衰えていくのを見るだけである。

とはいっても介護の楽しみも沢山ある。母の嬉しそうな顔を見るだけで幸せだった。

お盆に久しぶり母を思い出す。

雨も止んだようなのでお昼を食べると買い物に出かける。玄関を開けると若くて感じがいい男性が大きな声で「こんにちは」と挨拶をする。誰かもわからず「こんにちは」と声をかける。ふと気づく。さっきの若者はもしかして社会人大学生の頃の同じ科の人では・・・?

すぐに自転車で追いかける。だが見逃してしまう。

家の近く、それも100メートルくらい離れたところに若者の家がある。しかし、年齢の差が甚だしい。そのため、どんな人かわからず4年間を過ごす。ただ、入学後、学生名簿をもらい、家の近くに同じ学部で学んでいる人がいることは知っていた。

学部が同じでも総合科学と名が付くだけあって専攻科目は多い。4年間、学部全体の講義以外、その若者と一緒に学ぶことはなかった。またいつか会うこともあるだろう。

昨日はJTBから電話が入る。今朝、旅行の請求書が送付されてきた。書類を見ると旅行の手続きも出来た様子。一緒に行く人と明後日JTBで会う約束をする。旅行もいよいよという感じ。何の支度もしていない。そろそろ始めよう。

幸い今日は天気が良くない。そのためか家にいても涼しい。

徐々に気分を旅モードに切り替え、楽しい旅にしよう!

と、その前に、今から図書館へ予約の本を2冊取りに行く。旅の仕度はその後で・・・。

2012年8月13日月曜日

お盆法要etc.

昨夜も蒸し暑い夜だった。一晩中エアコンをかけて眠る。

プールへ行くとき最寄り駅から橋を渡って行く。瀬野川にかかる大きな橋の欄干を見るたび、小さい頃の遊び歌を思い出す。その歌は1番しかわからない。その歌詞も一部は怪しげなところもある。家に帰ってネットで調べるとどこか一部歌詞が違う。それでもやっと1番の歌詞を思い出す。それは西郷隆盛の歌。

1かけ、2かけ、3かけて
4かけて、5かけて橋をかけ
橋の欄干 手を腰に 
はるか向こうを眺めれば
17,8の姉さんが、片手に花持ち、線香持ち
姉さん、姉さん、どこ行くの
私は九州鹿児島へ 西郷隆盛 娘です 
明治10年3月3日 
切腹なさった父上の お墓参りに出かけます
お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と拝んだら
お墓の前に火の玉が ふんわり ふわりと じゃんけんポン

ネットによると明治10年3月3日は西郷隆盛の命日ではない。調べると命日は1877(明治10年)年9月23日となっている。

昭和30年代前後に遊び歌として流行った。4歳上の姉と一緒に近所の家に遊びに行って覚えたのだろう。「おじゃみ」(お手玉)をしながら歌ったのか、何の遊びで歌っていたのかわからない。

こういうわらべ歌も時代とともに廃れていく。今の子どもたちは知っているのだろうか。

今日は午前中、家でお上人に参ってもらってお盆の法要をした。姉夫婦、その娘の家族と私の少人数での法要。姉夫婦は法要前に墓参りを済ませて我が家にやって来た。法要後、皆で寿司店に行く。姪の子供はいくらが好物らしい。一人で6巻もいくらばかり食べる。

再度我が家にやって来た姪に西郷隆盛の歌を知っている?と聞くと知らないという。それでも「おじゃみ」は知っていた。

お上人が参られたとき、お寺での法要の日を忘れていた。10日に終わったと聞き、皆でお昼を済ませると姉夫妻の車でお寺によって塔婆を2本受け取る。そのついでに姉夫婦の車でそのまま墓まで連れて行ってもらい、塔婆を立てて墓参りをした。

段々畑のような墓地。下のほうに我が家の墓地はある。其処から山に向かってお墓を見ると、どこも色鮮やかな盆灯篭が立ててある。我が家は日蓮宗。昨年母がなくなってから盆灯篭を立てず、塔婆を立てることにした。この塔婆、市販の塔婆と違って1.5メートルの長さがある。

我が家だけ灯篭がないのかと思ったら、今年はかなり灯篭を立てていない墓もある。姉に聞くと、墓地によっては立てないように指導しているところもあるらしい。

以前はこの灯篭にローソクを立てて明かりを灯していた。今それは危険なのでローソクをつけずに立ててある。

先祖代々、長く続いてきた安芸門徒特有のこれらの行事。これも年月と共に衰退の一途を辿るのだろうか。あの西郷隆盛の歌のように・・・。(同じ曲でもユーチューブで聞くと子どものころ歌ったメロディと少し違っている。これは言葉で言えば方言の違いのようなものかもしれない。)

2012年8月12日日曜日

日曜日の朝はプールで

2,3日曇り空の日が続く。昨夜はほんの少し涼しくてよく眠る。今朝は目覚めもよく、日曜日というのに朝から元気を出して泳ぎに行く。今日はクロールと背泳ぎで1キロ泳ぎ、100メートル水中歩行をした。

週一回泳ぐようにしている。先週は泳いでいない。日曜日でなく他の曜日にと思った。ところが、夏休み中、いつもプールは多い、と思い急遽今朝9時半に家を出て泳ぎに行く。

プールの中は人で溢れているどころか、下駄箱を見ると履物が少ない。これで自由に泳げる、と気をよくして更衣室に入る。

水着に着替えるとき、体中が汗びっしょり!プールの更衣室はプールの隣にある。そのためか蒸し暑い。それに加えて最寄り駅から10分近く歩いている。

水着に着替えようとして片足ずつ足を入れる。だが、途中から汗がまとわりついて思うように着られない。気合を入れて着替えていると、係りの人が入ってきた。着替えに困っているところを見られたのだろう。その人は近づいてきて背中のほうから水着を引っ張ってくれ、やっと水着を着用する。

今の水着は1年前に購入した。体にピタっとしているため、着替えるときは大変。とはいっても、今日のように人の手を借りるほどのことはなかった。これは水着に問題がある???

プールの近くに住む人は、家から水着を着て来るという。JRで行くモノにとってそれは無理。もっと簡単に着替えができる水着がいいのかもしれない。

水着といえば、先に着替えていた小学生の姉妹から、着ている水着はOK?と聞かれる。下のほうがショートパンツに見えた。だが大丈夫、と話すと、何度もプールの方へ行ったり来たりして躊躇する。多分着ている水着が気になったのだろう。

シャワーを浴びてプールに入る。ところが、先の姉妹は係りのヒトからシャワーを浴びるよう注意される。今日初めてプールに来たのだろうか、何も分からなくて躊躇していたのかもしれない。

今日は日曜日で朝早いためか、いつもと様子が違う。若い女性や子どもたちも多い。

家に着くと正午前だった。次回から早めに泳ぎに行こう。その方が今日のようにヒトが少なくていい。とはいっても朝から泳ぎに行くと家に帰って何もしたくない。暑い季節。ゆっくりすればいい!?

2012年8月11日土曜日

お盆を前にして

明け方、雷と土砂降りの雨で目を覚ます。三方の窓を開けて寝ていた。すぐに起きて窓を閉め、再度眠る。寝ていてもエアコンをつけるほどでもない。だが、雨のためか蒸し暑い。朝起きても、十分な睡眠ではない。

お盆も近づいている。朝食後、仏壇に供える果物と生花を買いにスーパーへ行き、桃一箱9個入りと花2束を買う。

お盆には寺からお上人が参られる。その用意もあるし、家も片付けなくてはいけない。しかし、お昼過ぎると眠くてたまらない。昼寝はしないはずなのに、眠さには勝てずしばし眠る。

睡眠不足は朝方、雨で目が覚めただけではない。多分、昨日ホテルのランチと喫茶で飲んだコーヒー2杯と紅茶のカフェインの取りすぎにある。昨夜はすぐに眠られなかった。

40分くらい眠ると頭もすっきりする。その後は図書館で借りてきた本を読む。ラジオの音もなく本に集中する。本の題名は『日本の文脈』(内田樹 中沢新一 角川書店、2012年)。

著者の一人の内田樹のブログを一月に講演を聞いて以来読んでいる。この人のブログ、長い日には本1冊分くらいある。毎日の更新ではない。だが、さすがに半年もブログを閲覧していると、本の内容とかなりダブル。というのもメディアの取材や本が出来上がるとそれに関することをブログに反映している。そればかりか、ブログ投稿が本になっているらしい。

この2人の著者は同時代に同大学で学んでいる。この本についてはまた後日ブログに投稿する予定。

読んだといっても、その内容は難しい。何が難しいといって、知らないキーワードが多すぎる。それを羅列するだけでもかなりの量になりそう。

ズバッとモノ・ゴトを言う人が少ない。そういう意味でもこういう人たちの存在は大きい。

今日はラジオの天気予報では最高気温が30度に達しないとか。だが、今の時刻、エアコン無しでは過ごせない。やはり暑い。

部屋が涼しくなったら、仏壇をきれいにしよう!そして、お布施、座布団などの用意もして・・・。

2012年8月10日金曜日

フルート定例会&ランチ

昨夜のフルート定例会、行き先はイタリアンのお店。このお店、以前フルートのレッスン後、先生を交えてよく通っていた。20年前に習い始めたフルート。「何故フルートを・・・」と2人に聞くと、知人は「口笛が吹けるからフルートも・・・」。尾道の人は「色々な楽器を習って・・・」。人にそう尋ねて私は音楽の基礎を学べ、持ち運びやすい楽器を、と思って習い始める。ところが、当初人よりも肺活量が少ないことでかなり逡巡したあげく習う。今ではかなり肺活量も増えたものの、やっぱり、習い始めも今も人より鈍い。ただ長く続けているのでどうにか吹いている。

ともあれ3人とも長くフルートを習っている。皆、フルートが好きだから習っているに違いない。知人、尾道の人、私とそれぞれ半年遅れで習い始めていた。

3人で会ってすぐに先日の写真を交換。〇〇さん、写真、大きくしてもらってありがとうございました!

昨夜の話題は他にも蛸と、再来週、知人の所属する合唱団の定期演奏会のこと。メニューで蛸の料理を注文して蛸の話になる。知人は最近近所の人から生蛸を貰ったという。尾道の人の奥様は蛸をゆでるのが上手とか。

生の蛸はスーパーに売っていないと話すと尾道では生の蛸を買ってゆでるという。スーパーで蛸を買うときはゆでた蛸。それも大概パックになって売られている。その話をすると信じてもらえない。尾道では生の蛸が売りに出るという。

蛸の産地は三原、竹原。尾道はそれに隣接する市。蛸の産地かもしれない。

演奏会の話になる。この演奏会は尾道の人と一緒に手伝に行っていた。ところが母に手がかかり、最近は手伝うことも聞きに行くこともできなかった。昨年、久しぶり聞きに行く。

3,4年前から演奏会場も変わっている。今の会場になってから今年初めて行く。2人は知人から「受付用当日資料」と「受付けマニュアル」のプリントを貰う。尾道の人の当日の係りはなんと「ステマネ」。何んという大役!?そう言って3人で大笑い。私は受付で来場者からの花束などのプレゼントを受取る係りを手伝う。

大きな会場なので役割分担とともにタイムスケジュールも書いてある。

ビールを飲みながら、食べながらその話題で盛り上がる。昨夜は円高差益還元とかでボトルワインもリーズナブルな値段。ボトル赤を1本注文。ビールの後のワイン。酔ってしまった!

今回の演奏するオケではフルートの先生も出演される。

楽しい演奏会になりそう!

今日は昼前から一緒に旅行する人と打ち合わせを兼ねてのランチ。広島駅新幹線口のホテル最上階で昼食。以前よく行っていたところ。今日は以前入れてもらえなかった部屋で食事をする。最近その部屋を開放したのかお客が入ってくる。

最上階から見下ろす眺めは最高。ゆったりとしてなんだか優雅な気分。お昼なのに先ずはビールで乾杯。その人とは、社会人大学生時代に院生として学ばれていた頃、知り合う。社会人大学生時代の知り合いは多くない。その人は「ドイツ」を専攻され、1科目だけ一緒に戦後のドイツ政治史を学んだ。しばし、大学で学んだ頃の話をする。

「一緒に旅行を・・・」と電話で誘うと気安くOKの返事。一緒に旅行に行くことになった。

ランチを終えて下の階でティータイム。他愛ないことをいろいろとしゃべる。

まだ旅のしたくは何もしていない。それでもその日はどんどん近づいてくる。暑い国へ出かける。そして初めて行く国。

いつも思う。どの国も発展する前に行きたいと。ベトナムへ行こうと思っているうち、いつの間にかその国は発展した。ついにベトナムは行かずじまい。

今回行く国は何の予備知識も持っていない。ただ先日説明会で話を聞いただけ。

「百聞は一見にしかず」。先ずはその国へ出かけてからのことにしよう!

2012年8月9日木曜日

衰えないように

暇ができると図書館の新刊蔵書を検索して本を予約する。昨日は『人生、お楽しみはこれからだ』(西木正明 KKベストセラーズ、2012年)を読む。これも新刊予約したもの。この本からひとついいことを知る。それは「ポップスとクラッシックの融合という点では、目下ユーチューブで華々しく展開しているオランダ出身のバイオリニスト、アンドレ・リュウの一連の演奏会が面白い。・・・」(139p)とある。

アンドレ・リュウをユーチューブで見るとある、ある。それも派手派手の演奏だ。西木によると派手にする大掛かりな仕掛けを下品とする向きもあるらしい。

検索といえば先日講演を聞いた長沼氏のブログもネットで見つけた。だがこのブログ、氏がメディアに頻繁に登場するようになり、忙しいゆえか6月下旬で中断している。これから見ようとした矢先で残念!

今朝は少しだけ涼しい朝だった。昼前、友だちと電話で話していて一昨日が立秋だったと聞いて驚く。まったく立秋を知らなかった。そういえば涼しいかなと思うけど、やはり暑い!

電話を切ってお昼を食べ、正午過ぎ自転車に乗ってスーパーへ行く。スーパーへ行くのは運動も兼ねている。今日は少し遠くのスーパーへ行く。家から一歩出ると人に会う。今日は墓地が隣の人と会う。

その人は歩くのがやっと、の人。シルバーカーを押して帽子も被らずに真昼に歩いて山に向かって帰っていく。こういう人を見ると母とダブってしまう。

母は元気な頃はシルバーカーを利用したことがないほどシャキッとしていた。ただ、骨折して退院後、部屋の移動にシルバーカーを利用した。その年齢は88歳。かなりの年齢で押し始めた。そのためか慣れなくて一人で押して家の中でひっくり返っていたこともある。

シルバーカーを押している人をみると、ついその頃のことを思い出す。

また足のリハビリのため部屋の中だけでなく外へも出てシルバーカーを押した、理学療法士についてのリハビリ。だがそれも次第に困難になる。

今日の人を見て思う。どんな手段であっても歩けるうちは歩けばいい。歩けば足だけでなく頭の運動にもなる。歩けなくなるとヒトは急速に衰える。

今日は夕方からフルート定例会へ出かける。足も頭も衰えないようにしっかり飲んで、食べて、しゃべって楽しもう!この定例会、今回は先生を交えるはずだった。ところが急遽先生のご都合でいつものメンバーに・・・。残念!またいつの日か是非4人で!!

2012年8月8日水曜日

今日も自転車で・・・

昨日はこの夏一番の暑い日。夜になっても気温は下がらず、3日続けてエアコンをつけて寝る。

今朝起きてエアコンを切るといつもよりも涼しい。乾燥注意報が出ているため涼しく感じるのかもしれない。

昨日のフルートのレッスンでは、ソノリテ、アンサンブル、ソロをさらう。ソノリテはロングトーンで吹くとき、3つの山があるように音を出すようさらう。

アンサンブルの曲は自分のパート譜を吹く。それにあわせて先生も吹かれる。間違えないように吹く。だが、ミスると先生からすぐに指摘される。いくら吹かれていてもミスはバレてしまう。アンサンブルの曲は速い。速いながらも長い音符のときはその音が余計目立つ。「ミスしないできれいな音を出す」。それには練習しかない。

ソロは最初楽譜をもらったとき何とか吹けた。これは簡単!と思ったことが大間違い。

吹くたび先生からアドバイスされる。教えてもらったように吹くといい音だと納得する。ところが、ところが。それはほんの序の口。さらうたび音符一つ一つを丁寧に、きれいな音で吹くことが大事と知る。

家で一人で吹くとき「これで大丈夫!」と思う。ところがさらってもらうとさらにきれいな音が出る。これは同じ楽器なのに不思議だ。一つ一つの音を吹くとき、きれいな音を出すよう心掛けよう。これが今週の課題?

今日は特別な予定がない。そんな日はプールへ、となるのだが、水曜日は休館日。急遽、美容院へ行く。電話をかけてお願いするとOKだった。自転車に乗って美容院へ到着すると汗が吹き出る。それを終えると、本屋へ行く。ラジオの「まいにちスペイン語」8月号を買う予定。だが3箇所の本屋に行ってもどこも売り切れ。それでも7月号は置いてある。

さすがに昼前の自転車での移動は汗びっしょりだ。仕方ないので街中の本屋に行って探そう。他の言語のテキストはあるのに何故今月号はないんだろう。

その後、スーパーへ立寄る。今日のスーパーは地元のイオン。大型スーパーなのにお客は少ない。食料品を買って家に帰る。

昼過ぎ、我が家に到着。家に入るともう汗びっしょり。すぐにシャワーを浴びて昼食。

運動は泳ぎに行かなくても自転車で駆けずり回ると十分な運動量になる。おかげでよく眠られる。とはいっても暇を見て泳ぎに行こう!

2012年8月7日火曜日

『時空の旅人 辺境の地をゆく』

ラジオから聴こえる今日の天気予報の最高気温は36.5度。暑い!昨夜も一晩中エアコンをつけて寝る。

一昨日姉と電話で話すと今年がいちばん暑いという。暑さでいえば一昨年の方が暑かったと姉に話すと今年が暑いらしい。今年が姉の言うほど暑くないと思うのは多分、母がいなくなって一昨年ほど家の中で動かなくなったからかもしれない。とはいっても、夜になっても涼しくならず暑い日が続く。

暑くて暇なときは家の中でおとなしく本を読む。昨日も長沼毅著『時空の旅人 辺境の地をゆく』(MOKU出版、2012年)を読んだ。

「今回ぼくは表紙デザインや本分のレイアウトなど、本づくりにも関わった。・・・本書は僕の中でイメージがふくらみ、絵を描けるところまでいった。それをうまく形にしてもらったのが本書である」(あとがき)。

著者はあとがきでこう記している。本の表紙デザインはちっちゃなヒト(子ども?)がかもめ飛ぶ空の下、ひとり淋しく歩いている。歩いているのは幼い女児だろうか。だがこれは間違いなくタイトルにあるように旅人だろう。そう「時空の旅人」に間違いない。

筆者の長沼は「小心者のぼく」と自らを述べる。この「小さい旅人」は筆者を表しているのかもしれない。

「『小心者』と罵倒されてもかまわない。新たな調査地での計画を慎重に考える。ぼくはたんなる生還者よりもっと贅沢なことを求めているからだ。それはせっかく南極に来たのだから『来る前と同じくらいの健康状態で帰りたい』という願いである。ぼくはJARE(南極地域観測隊)史で最弱の小心者に違いない」(184p)。

筆者がこの本で出かけた先は私が出かけたところとはまるで異なる。それでも3箇所だけ筆者と同じところに行っている。それは滋賀・琵琶湖とロシアのサンクトペテルブルグ、そして中国シルクロードである。サンクトペテルブルグに出かけたときはソ連の時代であり、レニングラードといわれていた。とはいっても遊びと研究目的で行くその違いは大きい。

筆者のいう辺境はサハラ砂漠、南米アタカヤ、オマーン、鹿児島~屋久島~薩摩硫黄島、北海道・幌延、滋賀・琵琶湖、サンクトペテルブルグ、北極、南極である。

本を読み進めるうち、日本語として分かってもその内容が分かってないと気づく。ただ字面を目で追ってる感じ。また本に引用してある著書もほとんど聞いたことも目にしたこともない。それだけでも筆者の博識振りがうかがえる。

筆者は「手相、占星術、コンピュータ占いなど、どんな占いでも必ず『貴方はたいして出世しない』」と託宣されてきた。現職の准教授は出来すぎだ」(159p)という。

日本人としてはじめて南極へ行った白瀬隊長一派は日本への帰路、仲間割れしてほかの汽船に乗り換えて帰国する(158p)。とはいっても白瀬隊は、所期の目的は達成せずとも、生還したことが立派である(163p)と筆者はいう。

この「生還したことが立派」は本書の後半に書いている筆者の「南極からの生還」ともからんでいる。

そこには「『大して出世しない』と占われて幸せだった。そのおかげで精神的重圧がなく、そもそも出世欲がないからだ。なるほど占いにはこういう効用もあるのかと、人間の知恵に感心する」(163p)と述べ、「占いに感心しているようだから出世しない」(163p)と謙遜しながらも「冒険でも探検でも『生還』と言うミッションは自分で成し遂げるもの、決して人まかせ、運まかせではありえない。自分の生命は自分で守る。・・・『しらせ』艦上で覚悟を新たにする」(164p)と書いている。

2010年サンホセ鉱山の落盤事故で作業員33人が地下700メートルに閉じ込められた。地の底で70日間生き抜いた知恵と勇気と生命力を称える。

筆者はこの事故を教訓として「肝心なのは『生き延びる』と決意し、生き延びるために持てるすべての資源ー知恵と勇気と力ーを注ぎこむことだ」とする。「大して出世しないと占われたぼくは、『生への執着が希薄』とも占われてきた。しかし、3度目の、南極行きでやっと栄えあるJAREの一員になれたのだ。『長靴の水を呑む』くらい、生への執着をもって南極に臨もうと思った。これが『しらせ』艦上の決意である」(168-169p)。

先日の講演会で個人個人の聴衆と気さくに記念撮影に応じる筆者を1メートルの至近距離から見た。その時の感じでは「宇宙飛行士」にあこがれたヒトとは思えないほど華奢に見えた。決して大きい人ではなかった。

ところが「大して出世しない」といわれ続けるとヒトもそれをバネにして飛躍する。筆者はヒトが出来ない「大きな出世」をしている。また筆者が行っていることは誰でもできることではなく「小心者」どころか「大物」である。

このほかにもこの本からメモしたいところを記そう。

「あるとき、沈殿した思考から、発想が泡のように浮かんでくることがある。そのアイデアの泡はいつ浮上するかわからない。運よくその泡を捕まえられたら、それは『セレンディピティ』だろう。・・・誰にでも訪れる超ラッキーをきちんと自分のものにできること、それを全部ひっくるめてセレンディピティというのだ」(13p)。

虹の7色の覚え方として「7色を覚えるのによい方法(mnemonics、ニーモニクス)がある。それは英国発祥のVIBGTORという単語みたいな語呂合わせである。赤~紫を逆にして紫~赤の順に、violet、indigo、blue、green、yellow、orange、redと並べた頭文字だ。・・・こんなことを考えるなんて英国人も閑だね、なんていtってはいけない。虹の7色をきめたのは、英国人にして科学界の巨匠、かの有名なアイザック・ニュートン卿なのである」(16p)。

「如術と積み石」では「素朴な習俗のひとつに、アパチェタというものもあった。登山者の間でしばしばケルン(ドイツ語)、ケアン(英語)と呼ばれるもののことだ。・・・それは単なる道標ではない。人々の『祈り』や『思い』がこめられた聖石である。・・・聖石といっても、荘厳美麗な石造りではない。ただの積み石だ。でも、ただの積み石にこそ、ふつうの人々の日常の営みに根ざした、それゆえに根源的な祈りが感じられるのである」(25p)。

この聖石は多分チベットなどで見たものだろう。巡礼のいたるところにたなびくタルチョ(旗)とともに高く積み上げられた石の山を見かける。石には精霊が宿ると聞く。巡礼者は旅の安全を積み石に込めているのかもしれない。

筆者はアタカマで其処此処にあるアパチュタを見かける。「こうなると、もはや道標ではない。現地の人に訊いたら、不運や悲運、悪運などをそこに置きにくるのだという。一種の封印如術なのだろうか。・・・身に憑いた悪運を落とし、石に閉じ込めたかったのだろう。ぼくはもう『祈り』というより『念』を感じ、畏れた。インカ帝国あるいはそれ以前からつづく『念』だ。今の心と書いて念となる。その時々の『今の心』がひとつひとつのアパチェタにこめられた。念ずれば現ずる。荒原に叢(むら)立つアパチェタの数だけ、念じた人々によい暮らしが現じたであろうか」(25-26p)。

この辺りの文章を読むともう文化人類学の分野。誰でもが行かれるところならばアタカマへ行ってアパチュタを見たい!

「偏西風とは西風、すなわち『西から吹く風』であり、偏東風はその逆だ」(128-129p)。偏東風というキーワードは知らなかった。筆者も「大学の講義で学生に質問すると、かなりの割合で誤答するので、あえてここで記す次第である」(129p)と述べる。

この本に掲載されている著書は以下のようである。

向一陽『アカタマ高地探検記』
藤崎慎吾『ハイドゥナン』
長沼毅『生命の星・エウロパ』
ランボー(中原中也訳)「最も高い塔の歌」
ランボー(金子光晴)「いちばん高い塔の歌」
ランボー(小林秀雄訳)「てっぺんの塔の歌」
『アラビアン・ナイト』『千夜一夜物語』
ピッチーニ作オペラ「トゥーランドット」
リムスキー・lコルサコフ作曲 交響組曲『シェヘラザード』(『千一夜物語』から)
アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』
『平家物語』
ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
ノルウエー極地研究所『スヴァールバルの地質』
アムンセン『南極点征服』
ヘディン『さまよえる湖』
サンテグジュペリ『星の王子様』他

この中でまともに読んだ本はヘディンの『さまよえる湖』だけ。なんと悲しい!

ノルウエー極地研究所『スヴァールバルの地質』のところで「石灰岩棚田とは中国九寨溝の五彩池や米国イエローストンのジュピターテラスなどで有名だろう」(122p)とある。この中国九寨溝はGWに出かけた。確かに池に横たわる樹木も石灰化していた。石灰棚田の意味もわかる。

毎日3,4人のブログを読んでいる。読んでいて知らないことに行き当たり、それを調べているうち長沼氏を知る。知ってまもなくして講演会の催しを知り、それを聞きに行き、そこからTVを見て、本を読む。

この本で改めて「情報を知る」ことの意味を知る。もっといろんなことにアンテナを張り巡らそう!

それにしても筆者は「小心者」どころか「大物」であり、「立身出世」した「探検家」だ。読んだ後、元気が出る。

今日は夕方からフルートのレッスンに出かける。暑さのせいにして余り練習をしていない。これから少し練習してレッスンに行こう!

2012年8月6日月曜日

原爆の日に

昨日は昼過ぎから「平和コンサート」を聞きに行く。広島駅から赤バスに乗り換え本通り停留所で下車。そこから本通りを抜けて平和公園内を斜めに歩いて国際会議場まで行く。

原爆の日を前にして市内は人、人、人。本通りから入る平和公園入り口は原爆ドームを目の当たりにする橋上では政治的なビラ配り、原爆・原発反対の署名活動の学生、それに全国からの観光客で溢れかえる。公園内の土のないコンクリートの道路を歩くと足元からむっとする暑さ。

慰霊碑を通ると式典の準備で椅子やテントも張り巡らされている。広島で育ったヒトは誰彼なく一家に何人かの原爆犠牲者がいるはず。我が家もそう。慰霊碑にはそういった人たちが多数眠っている。

母と一緒に式典に参加したことはない。だが母は、母の姉たち一家が眠っていることもあって元気な頃は毎年式典に参加していた。

その慰霊碑前を過ぎると演奏会会場に着く。昨日は国際会議場でさまざまな催しが行われたらしく、人々でごった返す。1年ぶりのフェニックスホール。指定された席が前から3列目の一番端。

舞台を見るには上を向かないといけない。首がだるくなりそう。そのうえ隣の席の男性は貼り薬の匂いがきつく、それも耐えられない。プログラムを見ると休憩が2度ある。一曲目の演奏が終わると、5,6列後に席が空いている。そこへ移動し最後まで座って演奏を聴く。

2曲目の演奏は韓国の若手ヴァイオリニストのパク・ヘユン。昨日始めてその名を知る。素晴らしい演奏家のオーラを感じる。雰囲気があるというのだろうか。特別他の演奏家と何の違いもないはずなのに舞台が華やぐ。演奏する曲目とも関係ないはず。聴いていて吸いこまれそうになる。と言うよりも聴くものを惹きつける何かがあるのだろう。

アンコール曲は聴いていて何の曲か知らなかった。今、広響のHPで確認するとJ.S.バッハ作曲 「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番“サラバンド”」 だった。

プログラムを見ると演奏する楽器はドイツ音楽財団から貸与されている1781年製のロレンツオ・ストリオーニとか。この楽器がどんなものか知らない。だがストラリヴァリウスのような名器なのだろう。

演奏後、雨が降ってるのかと思ったら公園の噴水が顔にあたる。噴水の向こうの原爆資料館の建物には今日の式典の文字が書いてある。持っていた携帯カメラで写真を撮る。しかし、逆光になってカメラに何が写るのかわからない。適当に数枚写す。やはりきれいに写っていなかった。

2012年8月6日原爆死没者慰霊式・平和記念式典
目にする原爆資料館のバックが式典会場
今日は久しぶりプールに行く予定だった。ところが原爆の日のためもしかして・・・と思い、開館状況を調べると臨時休館。かなり泳ぐ気になっていたので残念。何やかや予定しているので8月は泳ぎに行けそうにない。ヒマを探して泳ぎに行こう。

予定が狂ったのでさてさてと思っていたら、珍しく月曜日なのに図書館が開いている。予約の本を受取った後、昼過ぎまで図書館で新書を一冊読む。

今日の図書館内は子供がいない。多分、毎週月曜日が休館日なので休みと思ったのか、それとも学校に行く日かもしれない。子どもばかりでなく、大人も少ない。

原爆の日といえば働き始めた頃、東京に本社がある会社は地方祭といって会社は休みだった。ところがいつしかそれもなくなる。市役所はさすがに6日は休日。これは原爆関連に人手がいるからだろうか。

今日はこれまでの日々のように太陽は燦燦と輝かず、曇っている。だが蒸し暑い。昨夜も一晩中エアコンと扇風機をかけて寝る。

ともあれ、今年の原爆の日も無事終わりそう。「原爆許すまじ」の歌にある「三度許すまじ原爆を♪~」の三度は「福島の原発」と誰かが何かで書いているのを読んだけど過ちは繰り返してはいけない。

2012年8月5日日曜日

「原爆の日」を前に~「平和の夕べ」コンサート

今日も暑い。昨夜は暑くて寝られずエアコンと扇風機をつけて寝る。

午前中、図書館の開館時刻が過ぎると自転車に乗って予約の本を取りに行く。館内はかなり人も入っている。その後、いつもとは違うスーパーへ行き、少し買い物をして帰る。それだけでもう汗びっしょり。

午後からは広島交響楽団の「平和の夕べ」コンサートに出かける。コンサートから帰ると夜、幼馴染が来ると言う。食べ物は持参すると言ってくれる。だが、早めにお昼を食べた後、少しだけ食事の用意をする。やはり一日に2つのことをするのは忙しい。

図書館で借りてきた本は昨夜TVで見た長沼毅の『時空の旅人 辺境の地をゆく』。まだ「あとがき」しか読んでいないけど、團伊玖磨の『パイプのけむり』のようなエッセイのシリーズにしたいらしい。

昨夜のテレビと講演会では同じ人とは思えない雰囲気がした。とても51歳には見えない。先ほど一緒に講演を聞いた幼馴染と話すと、講演のときのほうがもっと若く見えたという。

今夜も「行列のできる法律相談所」に出演すると聴いている。だが、TV番組欄を見た限りではわからない。とはいってもその番組、今夜はいつもと違って特番のよう。少しだけの出演かもしれない。

余りにも暑いので、昼食後シャワーを浴びる。いくら浴びても一度外に出ると汗は吹き出るけれども・・・。

明日は原爆の日。その日を前にした「平和の夕べ」コンサート。今日の演奏テーマは「平和への浄化、垣根を越えて」。気鋭の韓国のヴァイオリニスト、パク・ヘユンを迎え、指揮者秋山和慶と広島交響楽団が奏でる”浄化”の想いをこめた祈りのメッセージとなっている。

プログラムは下記のとおり。
シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47
シェーンベルク 浄められた夜Op.4
R . シュトラウス 交響詩「死と変容」Op.24

演奏タイトルにある「垣根を越えて」は今朝の地元紙を見ても「垣根」を越えるのは容易くない。

「原発スタンス 違い鮮明」と大見出しがあり、「平和ヒロシマ大会 3団体独自集会も」とある。核兵器廃絶に向けて連携を確認したものの、平和大会に先立って原水禁と核禁会議は独自に集会を開き、原発をめぐるスタンスの違いが浮き彫りになっていると掲載。

3団体だけでも意志統一がされていない。それを平和に結びつけるのは至難の業!?

こと音楽に関しては、原爆の日前後になると主要な市内の演奏会場は各種平和コンサートが繰り広げられる。

本日の演奏会場は平和記念公園内にある「国際会議場フェニックスホール」。明日の原爆の日を前にして市の中心部で繰り広げられるコンサート。その日を前にして市内には世界各国からの賓客も多く来広していることだろう。

これから一番暑い時間帯に出かける。久しぶり平和公園の中を歩いてコンサートを聞きに行こう!

2012年8月4日土曜日

今夜のテレビから

今日も暑い。それでも朝から元気を出して洗濯をする。洗濯をするのは洗濯機。手で洗うわけではない。とはいってもベランダへ干しにいくのが大変。干すだけで汗が吹き出る。

暑さついでに以前買ったカレールーでカレーを作る。買ってあるジャガイモが大きすぎ、2ヶ使うとそれだけで鍋一杯になる。それににんじん、玉ねぎ、リンゴ、肉など加え、水を入れると煮こぼれそう。その辺りに気をつけてどうにかカレーの出来上がり。

カレーを鍋にかけたまま、スーパーへ行く。出かけたスーパーの食料品関係以外は閉店セールとかで賑わっている。聞くところによると売り場によって閉店し、その後改装オープンするらしい。

スーパーのまわりにコンビニができた。スーパーも売り上げ競争に勝ち抜くために改装するのだろうか。カメラ関係の売り場もなくなるらしい。

午後は幼馴染が我が家にやって来た。先ほどまで話をする。今朝の地元紙を見ると、先日幼馴染と一緒に講演を聞いた長沼毅氏の出演掲載がある。今夜10時の「嵐にしやがれ」。新聞の番組欄には「天才話題の科学者・長沼毅 嵐と仰天マル秘実験!!音が鳴る氷&食べる微生物」とある。

先日の講演でも「実験」の話は出ていた。今夜はこのTVを見よう!

幼馴染が帰ると、図書館からメールが入る。なんと長沼氏の『時空の旅人』の予約確保のメールである。本のタイトルにひかれ本を予約。予約後、新規予約のためか購入検討中になり、発注中から予約確保になる。せっかく借りることができたのに図書館は土・日は午後5時で閉館。もう少し早く分かっていれば受取れたのに残念。明日本を取りに行こう!それにしてもなんというタイミングのよさ。TVも本も同じように見られるとは・・・。

2012年8月3日金曜日

『傷のあるリンゴ』

暑い中、毎日外に出ている。今日はプールに行く予定を変更して外山滋比古の『傷のあるリンゴ』(東京書籍、2012年)を読む。

この本に書かれていることは著者自身の格言のようなもの。「Ⅰヒマなほど忙しい」「Ⅱ傷のあるリンゴ」「Ⅲ不幸は幸運のもと」から30ほど自らの考えを書いている。

そのうちから気づいたことを記したい。

1の中の「始よければあとがこわい」では「若いとき、人生のかけ出しでつまずき、失敗するのは実は大変な強運に恵まれているということで、本人はいくら感謝してもし切れないくらいである。幸いかどうか、それほどの悪条件のもとでなく、人生のスタートを切った人は、逆に大変難しい問題を抱えることになる。始めよければ終わりが危ない。したがって、始が悪ければ、よほど心がけが悪くないかぎりあとはよし、となるのが、順序である。人生、プラス・マイナスはゼロであるが、マイナス先行のプラスは,本物のプラス。プラス先行だと、あとのマイナスは挽回できないくらい大きい」(29p)。

この言葉、身に覚えがある。短大卒業後、先生の推薦する専門の仕事が決まっていた。それにもかかわらず、それを断る。卒業後4月になっても20日くらい職に就けない時期があった。それは著者のいう、まさに「人生のかけ出しでつまずき・・・」だった。

だが、救いの神も現れて就職も決まる。その後も何かにつけて突き詰めて考えていると、思いがけずいいことが起きる。いつしか深刻にモノ・コトを考えなくなり、頑張っていればきっと悪いことにはならないと思うようになった。今では気の赴くままに行動している。「始が悪ければ、よほど心がけが悪くないかぎりあとはよし」のこの言葉を信じよう!

「多忙の効用」では現役時代忙しくしていたサッチャー首相、レーガン大統領はともに引退後アルツハイマーになっている。この2人を例に挙げて「年をとっても元気でいたいと思ったら、とにかく忙しくすることだ。することがなかったら作る。つまらぬことでも、しないよりはした方がいい。・・・過労はいけないが、多忙は元気の泉」(53p)。

Ⅱの中の「傷のあるリンゴ」では失敗という心の痛手を受ければ、それを癒す努力は自然である。壁に突き当たったら、乗り越えようとするのが人間である。・・・試験に落ちて進路変更を余儀なくさえれたような人が、悪戦苦闘、傷だらけになって走る人生マラソンのゴールはおどろくほど見事である。失敗は幸運の女神の化身であると考える人がすくないのは不思議である。傷のあった方がうまいのはリンゴにかぎらない。われわれは不幸、失敗の足りないことをこそおそれるべきである。傷ついてうまくなったりんごの教訓は貴重である」(67p)。

「口舌散歩」ではわれわれ凡夫も、おしゃべり散歩を楽しめば、年を忘れ、われを忘れ、生きること、ようやく楽しと思うことができる。口舌、腹を満たすのみならず、心の活気のもとになるストレスを消すためのエクササイズができる。昔は、ものを思わざりけり」(104p)。

Ⅲの中の「おしゃべり」では「大きな声を出してしゃべるのは、軽いジョギングをするくらいあるというから、楽しいおしゃべりは散歩などに劣らぬエクササイズになる。実際、声を出す仕事をしている人は害して長命なようで、声を出さなくなると急速に衰える、と言われる。おしゃべりは金、沈黙は災いのもと」(166p)。

今朝は、久しぶりバイト時代のふーちゃんと長電話をしてしまった。彼女と私の母は生まれ年も月も同じ。ただ日だけが20日前後違う。そして亡くなった年月は彼女の母上の方が少し早いけど亡くなる時季はともに冬。そのためかどうか、共通することも多い。なんといっても彼女は聞き上手。ふーちゃん、今日は長電話に付き合ってもらって謝謝!毎日暑いけどそれ以上痩せないようにね(笑)!

「忘れるが勝ち」では「とにかく悪いことは、なるべく、早く忘れることである。それには、新しいことを夢中ですることだ。人がどう思うか、そんなことは問題ではない。・・・いやなことはすぐ忘れる。これもひとつの才能である。ものを覚え、忘れないのは常識的には優秀な人の特性であるが、そのためにせっかくの才能の出番をなくしていることを、知らない人が多い」(172p)。

ブログを投稿していると夕方になる。だが今日はまだ一歩も外に出ていない。長電話で口の運動はしたけど・・・。今から自転車に乗ってさあ出陣!

2012年8月2日木曜日

「安芸灘とびしま海道」を行く

今日は以前から予定していたフルートの仲間3人で「安芸灘とびしま海道」へ出かけた。

知人と最寄り駅で合流してJR呉線「安芸路ライナー」に乗り、広駅で下車。ここで尾道の人の車に乗って「安芸灘とびしま海道」を駆け巡る。

「安芸灘とびしま海道」という名称、行く予定の話ではじめて知った。ほとんど予備知識もなくJRに乗ると、知人から今日の行き先のパンフをもらう。それを見ながら一日の行動が始まった。

先ずは安芸灘大橋を渡って下蒲刈島へ。この島は瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えた町で、江戸時代には善隣友好の使節団である朝鮮通信使が11回も来日している。この日本古来の風習を生かして全島庭園化事業(ガーデンアイランド構想)として整備した「松涛園」を観光。

そこは4邸からなっており旧有川邸の朝鮮通信使資料館の他3邸がある。

暑い中、見学資料館へ入ると涼しい。どこを見ても見学者は私たちだけ。それでも見学を終える頃には名古屋から来た若いカップルに出会う。
松涛園園内から見る蒲刈大橋
今日行った4つの島のなかで、この島だけ一度行ったことがある。随分前一人で公共機関に乗って島にある蘭島閣美術館へ出かけた。建物は木の造りで落ち着きのある美術館。この美術館は展覧会のほかに定期的にクラシックの音楽会が催される。出演者は全国的にも著名なクラッシック関係の人々。係りの人によると東京のサントリーホールの関係者がこの美術館の催しにかかわっているとか。

出演予定表をみると今年の4月からNHKーFM「きらクラ!」にレギュラー出演しているチェロ奏者の遠藤真理の名前もある。表を見たときラジオに出ている遠藤真理では、と気づいた。だがそのときその人をピアニストと勘違いしていた。今、調べるとやはりチェリストで、毎週聞いているその人だった。

ロビーでの演奏は収容人員50名で一流のプレイヤーの演奏が行われる。なんという贅沢。

下蒲刈の海
見学を終える頃にはお昼も過ぎている。海駅山之関で揚げたての名物じゃこ天を食べる。あつあつのじゃこ天。美味だった!ここで観光バスの観光客と出会う。

美術館で教えてもらった食事処で昼食。メニューは刺身定食。さすがに回りは海。市内で食べる刺身とはボリュームと新鮮さが異なる。美味しい。

食事後、上蒲刈島へ行く。県民の浜を通って藻塩の製造所で藻塩入りのアイスクリームを食べる。暑い日中に食べる甘くないアイスクリーム。塩味が美味。

豊島大橋を渡り、豊島へ入る。そこから豊浜大橋をとおって大崎下島へ。この島は大長(おおちょう)みかんで全国的にも有名な産地。島のあちこちにみかんが植えられている。

またこの島の御手洗(みたらい)地区はレトロな感じの町並。家々の玄関前には俳句とともに生花が活けられている。

有料パーキングで駐車するとあとでお土産を買えば駐車料金は無料とか。観光後、ここでお土産購入。この地のものがお土産として売られていた。

有料パーキングの係りからもらったリーフを見ながら御手洗の町並みを散策。日中の一番暑い時間帯。外に出ている人はいない。のどかな風景だ。
海の見える丘公園から
御手洗最後の観光は海の見える丘公園へ。眼下には360度のパノラマが広がる。ここの一番高いところで男性2人に挟まれて3人での記念撮影。こういうことはめったにない(笑)?

御手洗を後にして車は来た道を帰る。貰ったパンフによるとサイクリングの一周コース往路は46.5キロとある。車ならば1時間くらいだろうか。

最後の観光ポイントの上蒲刈島、であいの館でまたお土産を物色。

楽しい一日はあつ~い(?)うちに終わった。

今日は帽子に扇子に日傘が三種の神器。それにハンカチも・・・。

暑いといっても後ろの席に座ってワァワァ言っていればいいモノと違って、尾道から運転して下さった〇〇さん、また一緒に同行した〇〇さん、本当にお世話になりました!ありがとうございます。楽しかったですね。

「安芸灘とびしま海道」は同じ広島県内とは思えないほどにきれいな海と山と空。空気も澄み切っている。まるで外国に来ているよう。次は来週のフルート定例会に先生を交えての集合。楽しみにしています!

2012年8月1日水曜日

講演を聞く

今日は午後から先日電話で申し込んだ東広島市での講演会に出かける。主催者は東広島市の某酒造メーカー。本日創業100周年とか。その記念講演会で市長、商工会議所関係者らが名を連ねる。

JR西条駅から徒歩10分弱のところに会場がある。幼馴染と会場を訪れるとラジオで放送されるとかで会場はごった返している。

講演者は広島大学大学院准教授長沼毅氏。氏の誕生日の1961年4月12日はガガーリンが人類初の宇宙に飛び立った日。そのことから氏は自らの運命を宇宙に感じるようになる。

深海の研究に明け暮れるうち、35歳で宇宙飛行士募集に応募。だがくしくもファイナルで野口聡一氏に負ける。応募の際、審査官の毛利氏から何故宇宙飛行士に応募を・・・と質問され、ガガーリンのことで運命を感じて、と返答。2問目の質問で深海を研究し、次は宇宙に目覚めたようなことを話す。だがその辺りのことは聴衆の笑い声で聞き取れず残念。

地球は水0,023%で鉄分25%で成り立っているとか。 

この水と鉄の関係から酒造りを論じる。酒には鉄を含まない水が相応しい。ところが西条の地は鉄を多く含んでいる。しかし、酒造りのこの辺りは、鉄を含まない水が流れるらしい。

鉄分を含んだ水は海水に流れて生き物の栄養源となる。そのため、牡蠣などにうってつけとか。

仙台のある人(メモをしてないので名前を忘れた)は牡蠣を養殖し、それには森林を保護する必要を説く。そのことから学問の間でもその広がりを見せ、今では海イコール山の概念が出来上がる。

今日の講演会の題名は「地球から見た東広島」。酒が大好きと言う講演者は「人生の哀歓」とかけて「酒」と説く。

聴衆にも全員主催する会社の日本酒のカップ酒が配られた。

90分間の講演は難しいけど分かりやすく説明する。人柄か、講演後は会場入り口で来場者と気さくに記念撮影に応じている。そして今週末の「嵐にしやがれ」「行列のできる法律相談所」のTV出演もされるとか。また「徹子の部屋」の収録も終わったと聞く。

スカイブルーのジャケットに真っ白のパンツと靴で客席側から颯爽と登場。まるでスターのよう!

メモをしてないので頭で覚えたことしか書けない。たとえメモをしていてもブログに上手く投稿できないかもしれないが・・・。

講演後、会場近くのJR駅で幼馴染と夕食。ビールも飲んでレジを済ませるとなんとビールのチケットを10枚もらう。さてさてこのチケット、どうすれば・・・。