2013年1月31日木曜日

ブログ投稿から

今日の天気予報では最高気温13度、最低気温3度で日中はかなり暖かくなりそう。

昨日は、大学のことなど一区切りついたこともあってゆっくり過ごす。午後、近くの図書館へ行き、今度でかける国のガイドブックを借りる。そこで雑誌を読んでいると内館牧子の記事がある。「“見切り千両”はその人を元気にする」というフレーズ。“見切り発車”は聞いたことがある。だがこの言葉ははじめて知る。

それは「人でも物事でも『見切りどきだ』と感じたら、潔く手放す。そんな生き方には千両の価値があるという意味です。」とある。

そういう意味では当てはまる。面倒なヒト、モノ、コトには関わりたくない。その考えでいくと煩わしさからも逃れられ、精神衛生上もよく、人を元気にするといえるだろう。

「元気」といえば、いつも見ている人の昨日のブログを訪問すると、「広島に住んでいる同世代のお友達の〇さんがブログで毎日気合い注入してくれています。頭が下がります。サンキュー」と書いてくださっている。

この「同世代のお友達」は疑問符がつくかも知れない。それにしても、ありがとうございます!

自分のことばかり考えて行動し、あまり世間に奉仕していないのでそういってくださるだけでありがたい!

ブログといえば、昨日はほかにも「匿名」の方から堀田善衛の「スペイン430日 オリーブの樹の蔭で」のコメントを戴く。その文面から、お年は当時の堀田氏の年齢に近いらしい。

最近読んだその本を何とその方は初版で読まれている。その一部を勝手に引用させて戴こう。

「一番よく記憶しているのは、日本から電報か電話で、友人の作家が亡くなったことを知った堀田氏が、『滂沱の泪』、そして次がおぼろげなのですが、『死よ(あるいは、人生よ、だったかも)、われわれに優しくあってくれ』というような感慨を洩らす場面です。」と書いてくださっている。ありがとうございます!

一度だけ読んだため、その部分は覚えていない。いつか再度読んでみよう。

毎日投稿している何のとりえもないブログ。それでも少しの反応があるだけで励まされる!

これこそが私にとっての「人を元気にする」ことかもしれない。

そういえば、ブログに書いて下さった人のビジネス書を20年前に読んで感銘を受けている。その本には「人に元気を与えるポイント」10か条が書いてあった。今回は20年ぶりにその人へ少しばかりの「お返し」ができた!?

今日はこれから暖かくなりそうなので泳ぎに行こう。そう、今日も一日元気を出して!

2013年1月30日水曜日

気分一新!

今日の最高気温12度、最低気温2度の予報で、日中はかなり暖かくなりそう。

昨日は期末テストを受けるため大学へ出かける。いつもの教室は狭いので他の教室に変更。部屋へ着くと、皆早くから席についている。席順一覧表で座席を探す。50番となっている。これはその数だけ受講者がいたということなのか。

長い4人掛けの机の真ん中に座る。窮屈この上ない。

テスト時間は1時間半。以前学生だった頃、一度も90分の試験はなかった。スペイン語の試験ではじめてそれを体験。長い!それなのに最後の1問で時間切れ。嗚呼何と言うこと。

回答用紙の「のりしろ」に先生へのメッセージを書いてお別れする。これは違反かもしれない。だがメールよりもいいかと思い、受講させてもらったお礼とこれからのことを短く3行で書く。時間がないので失礼な字になったかもしれない。

今日からテストの呪縛から解放された。気を緩めては体に悪い。先ほど今週末からお世話になる人にTELする。通じない。その返事の電話が今かかる。優しそうな人だった。

2箇所の講座を予定している。今朝のところはサークル活動らしい。語学を習うだけでなく皆で料理を作ったり食べたり飲んだりするという。

語学講座は中国語で経験済み。サークル活動はその責任者になるのは大変なこと。これも経験済み。だが今回はその一員なので気楽にできそう。

何でも習うときはそのことばかりの習得よりその他、付随することのほうがむしろ楽しみ。

今朝の電話の話ではファーストネームで呼び合うという。あまり他人からそう呼ばれることもない。そういえば中国語を習っていたときは姓を中国語読みして呼び合った。その国の言語でいろいろ変化がある。それもまた楽しみだ。

ともあれ、皆と仲良くするようにして仲間に入れてもらおう。

話は変わって、昨夜のフルートのレッスン。今さらっているモーツアルトのK299。昨日はどうにか最後まで一通りさらってもらう。曲をいただくとき「こんな綺麗な曲が吹けるようになる?」といつもワクワクする。

何箇所か家で吹いていると難しく、またその曲のリズムに合わないところも出てくる。それが、昨日もそうだけど、吹き方のコツを先生からアドバイスしてもらってその場で吹くと楽に吹くことができる。そのたびに、これが「習う」ということなんだと改めて教えられる。

ブログに趣味を記載した。一つ記入漏れがある。それは月に一度クラッシックの演奏会に出かけること。

多分、今やっていることはこれから年齢をさらに重ねていく上で、もしかして一番張り切っているかもしれない。徐々にそれらもできなくなるだろう。だが、そんなことを心配していてはナニゴトも前に進まない。今できることを精一杯頑張ろう!さあ今日も元気を出して!

2013年1月29日火曜日

大学へ

今朝も冷たい。最高気温10度、最低気温マイナス1度の予報。だが日中は暖かくなりそう。

今日は大学へ行くのが最後となる忙しい火曜日。試験を前にしてパソコンに向かっている暇はない!?それなのに、半分居直り状態。やればやるほど覚えていないところが出てくる。寝ていても夢にまで見ている。どういえばいいのだろうか、と・・・。

ブログに趣味を記載していると、「なかなか健康的な生活じゃ」、と自画自賛。こう思っていては何の進歩も無い!?

ともあれ、今日で大学ともお別れ。だが今週末から新たなところで再出発して学ぶ予定のスペイン語。来月からの日々も忙しくなりそう。気分を大学モードから日常に切り替えて、さあ今日も元気を出して最後のテスト頑張れ!

2013年1月28日月曜日

新聞の旅行広告を見て

今朝は朝方余りにも寒いのでエアコンをつけ、部屋が温まったら起きるつもりだった。ところが二度寝をしてしまい、遅い起床となる。新聞を取りに行くと、外は一面雪景色。寒いはずである。

前のドラッグストアを見ると開店時間を過ぎている。だが雪のため店主はまだ来ていないのだろうか、開店していない。大型トラックは店主の来るのを待っているのだろう。止まったままである。

今日の天気予報は最高気温9度、最低気温0度でお昼には暖かくなりそう。

今朝の地元紙をみると国内、海外の旅行広告が紙面の幅を利かせている。その中で国内の「みちのく桜めぐり4日間」でお一人様12万5千円。海外の「気軽にバンコク5日間」は全食事つき、全観光つき、広島空港発着で何とお二人様で10万円。この内外の格差は如何に!?外国が安すぎる。

バンコクはアユタヤ遺跡ももちろん入っている。友人は他の旅行社で3月にバンコクへ行くと話していたが・・・。

旅行費用5万円クラスは「台湾縦断4日間」も5万9千8百円とある。台湾はまだ出かけていない。

これらはいずれもチャイナエアラインや中国東方航空を利用。日中の関係が悪化し、中国への渡航者も少なくなっている。そのため中国の航空会社が中国のみならず、アジアやヨーロッパ方面もそれを飛ばす。航空機を選ばなければかなり安い旅行も可能となりそう。

それに比べて来月出かけるところはポピュラーでないため費用はかかる。年に数える程しか出かけない海外。それを思えば費用を言ってはいられない。

海外に比べて国内旅行は高くつく。だがバス旅は安い。昨日も友人から3月に日帰りで行こうと電話が入る。すぐにOKする。

国内も海外も出かけようと思えば元気でなければ行かれない。これまでの旅行でもせいぜい80歳前後までの人が多い。とはいっても吉行あぐりさんは94歳でネパールかメキシコへ娘の和子と初めての海外へ出かけている。人それぞれだ。そう思えば元気であれば年齢は関係ないかもしれない。

なんであれ、楽しく旅行が出来るうちにどこへでも出かけてゆこう。特にヒトから声をかけてもらえるうちはどんどん外へ飛び出そう。

さあ今日も雪に負けず、元気を出して、風邪を引かないようにして頑張ろう!

2013年1月27日日曜日

『情報の呼吸法』

今日の最高気温6度、最低気温マイナス1度の予報で朝方はかなり冷える。だが朝陽はまぶしい。

昨日はお昼過ぎ自転車で買い物に行き、その帰宅中、前日一緒に夕飯を食べた友人と出くわす。「会うときは連日会うね」と笑って話す。友人と一緒に別のスーパーへ行き、再度買い物をして帰宅する。

家でゆっくりしていると姪が一番下のチビを連れてやって来た。上の2人は夕方からダンスを習っているらしく、その間を利用して我が家の近くにある区の図書館に来たという。

先日福岡から送ってもらった和菓子をチビに食べさせる。お腹がすいていたらしく家にある巻き寿司を出すとそれもパクパク食べる。食べ終えると、お絵かきの時間。コピー用紙を何枚か渡す。やっと文字が書けるようになったらしく、絵と文字を書いている。

書いたものを絵本にするのが最近のチビの関心事らしく、親である姪にしきりにそれをねだる。帰りには家の前に出来たドラッグストアに出かける。だが目の前はしきりに車が往来する。ちょろちょろ動くチビを見ていると子育ての大変さがわかる。姪に聞くとなれているという。そうでなければ3人の子育ても出来ないだろう。

突然の我が家への訪問はテストどころではない。それもまあ楽しみといえばそうだけど。

図書館で借りてきた『情報の呼吸法』、サブタイトルは「発信しなければ、得るものはない。」(津田大介 朝日出版社、2012年)を読んだ。

本のテーマは「『情報』を活かして何か物事を実現するには、情報のインプット(入力)とアウトプット(出力)のバランスをとることが重要だ」(007p)。

そして入手した情報を「行動するためにどう活用するか」、本書はそのことに主眼を置いて解説している。(008p)

またいつものように気になるところを記そう。

「『情報とは何か?』と問われたら、僕は『人々が動き出すきっかけを与えるもの』『人をドライブさせるためのガソリン』だと答えます。情報は摂取して終わりでは意味がない。むしろ自分が考えて動くための契機だ。」。(026p)

本書は主にツイッターを前提に書いている。ツイッターはしたことがない。だが毎日人のツイッターを見ているので興味はある。その中で「単なる情報発信だけでは人は満足しないので、その後に自分の日常や普段思っていることなど書いていくと、自分自身のパーソナリティーについても興味を持ってもらえて、さらにまたフォロワーが増える。」とある。

これはブログにも当てはまりそうなので、早速昨夜はプロフィールを手直しする。

とはいってもフォロワーを増やす目的はもちろん持っていない。だが、本についてのブログ投稿が多い。そのためか毎日何人かの本に関するブログへの訪問者がいる。

「他人に『喜んで読んでもらえる発信』をするには、多くの人から『共感』してもらえるかどうかが鍵になる。・・・共感という意味では、自分は『これこれこういう人間です』ということをわかりやすく示す『タグ』をつけることも重要です。・・・具体的にはプロフィール欄に興味のあることや分野を記載しておきましょう。そうすると、他人がプロフィールを見た来たときに、自分に対して興味を持ってもらいやすくなります。・・・」とある(098p)。

筆者はインターネットとソーシャルメディアが、自分が困難に陥ったときの解決法になるという。すなわちソーシャルキャピタル(人間関係資本)の時代になると思うと述べる。(146p)

ブログを通してそこまでのことは考えたことはない。だが人のツイッターを見ていて、その人のフォロワー同士がツイッターを通じてめでたく・・・となったと新年早々読んだ。ツイートする人ももちろん世間に知られた人であり、フォロワーもその人に絡む人だからその点は安心かもしれない。

ソーシャルキャピタルといえばヒトとのつながりがある。以前読んだ上野千鶴子の本にも、これからは「金持ち」より「友持ち」というか「人持ち」の方が大事であると書いている。今夜この人がTVに出演する。興味ある内容だけに見たい。だがその人自身については今一歩の感がある。

今日も寒い一日になりそう。泳ぎに行く日だけどテスト前に風邪を引かないためにも今日の泳ぎは止そう。テストが終われば気持も楽になり、いつでも泳ぎに行ける!今日も元気で!

2013年1月26日土曜日

再びメキシコの話から

今日の天気予報では最高気温6度、最低気温0度で寒い一日になりそう。

昨夜は寒い中、近くのお店に行って夕飯を食べる。友だちが娘さんから教えてもらったという美味しくて感じがいいお店だった。家から歩いて行けるところで、また食べる楽しみが増えそう。

昨日のメキシコの話の続き。メキシコではクリスマス(Navidad=Nacimient de Cristo)は12月16日から24日まであり、その間クリスマスツリーや生誕人形を各戸で飾る。

年末から新年にかけてのカウントダウンでは12秒前から葡萄を食べながら4,3,2、1・・・と数えて新年を迎える。その迎え方は日本の除夜の鐘を聞いて静かに新年を迎えるのとは異なり、にぎやからしい。昨日のメキシコ人の奥さんは3ヶ月前に来日して夫の実家で新年を迎える。その時の静かさは淋しい限りとか。

料理の話では世界遺産に登録(?)するほどメキシコ料理は美味らしい。スペイン人が1521年にアステカ文明を征服するも、メキシコ料理は征服されなかった。その料理も今では日本のヘルシーな「寿司」が見直されて人気があるという。

若い学生からバレンタインデーはあるか、との質問では「ある」。だが日本に於いて見られるチョコレートなどのプレゼントはないという。日本は商業主義に走り庶民がそれに乗せられている。今年からバレンタインデーはこれをきっかけにやめよう。

今朝は窓から陽は射すものの外は寒そう。これから自転車に乗ってさあ出陣!今日も元気を出して・・・。

2013年1月25日金曜日

メキシコの話

今日の天気予報では最高気温5度、最低気温1度。明け方から風が強く、陽射しはあっても寒い!寒いといえば何と昨日検針の電気料金明細を見ると1万9千円。これにはびっくり。我が家はご飯を食べずに電気を食べている?

母は元気な頃、冬になると「温いのが一番のご馳走」と話していた。そう思えば風邪も引かず元気で過ごせるならば少々の電気代も由としよう。

先ほど、最後の金曜日の授業を受けて帰宅する。今朝若い学生に気持を贈ろうとするとインフルエンザで休んでいる。火曜日に会って渡す旨の励ましのメールを送る。

今朝の講義では、日本人の先生のゼミ生とその奥さんのご登場。旦那さんの方がメキシコをフィールドワークとする文化人類学を研究している。奥さんのスペイン語を夫が通訳して話は始まる。メキシコのクリスマスなどの話だった。

話の中で何度も出てきた単語は“Bueno”。ええっと!とか、それで!などの意味になるのだろうか。わかる単語もボツ、ボツしか聞こえてこない。

それも無理も無い。今、家ではラジオのスペイン語講座を聞くゆとりもない。大学の講義は話すというより文法中心で大勢で習う。またテストもあるのでそのほうに気が向く。来月からは少人数で習う予定なので耳から聞いて覚えるようにしよう。

今日のメキシコ人の話は知らないことばかりで興味があった。メキシコへ行ったことがない。話せるようになったら是非行こう。メキシコ人と先生とのやり取りをみて話せるようになりたい、と思った。

授業の後半は、メキシコに関する質問コーナー。その最後に先生から、「〇〇さんは何か聞きたいことがありますか」と指名される。用意していたことは言えず、他のコトを質問。

最後に来年度の講義について話された。それを聞くと何とかして大学に留まりたい気もある。だが、相応しい科目がない。テストの日に先生に何らかのアクションをして大学とおさらばすることを伝えよう。それも淋しいことだけど・・・。

ともあれ、まだまだ出かけたいところはたくさんある。特に南北アメリカ大陸はスペイン語圏の国が多い。アメリカ大陸は南米のペルーに行っただけ。その際、ロスに立寄ったことがあるが他は出かけていない。早くスペイン語を話せるようになってスペイン語圏へ行こう!

今日はこれからノートを整理しよう。そして今夜の夕飯は友人を誘って近くのお店に出かけよう。

2013年1月24日木曜日

『70歳生涯現役私の習慣』

今日の最高気温11度、最低気温2度でお昼は暖かくなりそう。

昨日昼前、福岡へお礼の電話をかける。だが、何度呼び出しても電話は通じない。しばらくして再度試みると通じた。まずは昨日いただいたことのお礼を述べる。話をしていると文字が書きにくくなったと話される。これはかなりの危険信号。父もあるときから年賀状の文字がまっすぐに書けなくなった。あれほど字が上手だったのに・・・とそれを見て驚いたことがある。それからしばらくして衰えも目立つようになる。

福岡からの年賀状が遅くなった理由もわかってくる。昨年までは便箋3,4枚にびっしり文を書いてくださっていた。それなのに・・・。

気を取り直してパソコンと遊ぶ。半年以上前からパソコンを起動させるといつも危険を知らせる表示が出る。そしてブログ投稿もパソコンの機嫌が悪く時間がかかっていた。

昨日コントロールパネルから「プログラムの追加と削除」を開けて、いらないものを削除する。いろいろやっているうち誤ってグーグル・クロームも削除してしまった。するとアイコンとして画面に残していたヤフーやグーグルも利用できなくなる。慌ててインターネットエクスプローラを立ち上げ、グーグルを出すと画面が出た。すぐにブログタイトルを検索し、パスワードなどを入れるとブログも投稿できた。これで一安心。

突然のアクシデントは悪い結果ばかりをもたらさず、いいことも起きる。これまでマカフィーとグーグル・クロームとの不具合で検索エンジンもすぐに表示できなかった。それがすぐにできる。

パソコンの画面に表示されるインストールの有無。これからはなんでもインストールをするのはやめよう。

このパソコンも使い始めて六年になる。そろそろ買い替え時と思った。だが、パソコンからいろんなものを削除するとその作動も早い。

とはいってもこれまでお気に入りに追加していたものすべてはアウト。人のブログもツイッターも音楽等も。だがどうにかそれも思い出す。

以下は随分前に読んだ本の気に入ったところを抜粋したもの。著者と同じように短大時代、栄養士の専門コースで学んだ。学生時代、栄養士の上に位置する管理栄養士の制度はなかった。2年で資格を取るため、授業のスケジュールもハードだった。結果的に専門に進まず、会社員として働く。今となってはこれでよかったと思っている。

東畑朝子『70歳生涯現役私の習慣』(講談社、2007年)。

「私も面接に行って、『私にはできません』とすぐにおことわりしたら、香川先生に大変な勢いで叱られてしまった。…とうとう説得されて私は就職した。」(17-18p )

著者とは逆に短大卒業後、恩師に紹介された病院の栄養士を断わる。仕方なく自ら仕事を探す。そしてかなりひょんなことから会社に就職。「ひょんなこと」はここでは省略。でも廻り合わせを感じる就職だった。いい人に恵まれて・・・。

「学んだ当時は人からもそれほど高く評価されない栄養士の仕事を頑張りながらも紆余曲折の末50歳を前に思い切って仕事をすべてやめて一年後にアメリカ留学を決意する。」(32p)

その辺りの経緯を「留学の直接のきっかけは、車にはねられたことだ。頭皮が切れ、足を痛めた。足の青あざはずいぶん治療したが10年余りも残った。…このまま何の蓄積もなく年をとっていったら私はどうなるのだろう――不安と焦燥でイライラしていた。」(33p)と書いている。

一年余のアメリカ生活。その後著者は「何をしたのかと問われると具体的には答えられない。しかし、確実のその日々で私は変わったと言えるだろう。以来、『声が大きい』『明るい』と言われるようになったのだから。」と述べてアメリカでの実際の生活が大いにプラスになっていく。(34p)

アメリカ留学から帰国後あいついで両親を失う。そのことを「『生きる意欲』を失ったら人は死ぬということを、両親は私に身をもって示してくれた。」と述べている。(39p)

ことわざにある先人の教えの“転ばぬ先の杖”について「本当の“転ばぬ先の杖”は、食事と運動だ。骨を強くする食事をとり、足腰を鍛える運動をすることこそが、何よりの“転ばぬ先の杖”となってくれる」という。(131p)

これにつては本当にそう思う。母の骨折を機会にかなり食事には気をつけている。そして運動もしている。

ひとりで暮らす不安について「路上をはいずるように、少しでも動く、考える、実行するというように日々を過ごしていく。そうすることによって、必ず道は開けてくる。多くの先輩は、そう語っている。将来を悲観しこわがっていては、自分の心も体も萎縮させ、老化をすすめることにもなりかねない。」。(146p)

全くその考えに同感。

心のケアについて精神科の医者から「体を動かすこと、運動嫌いな私に運動することをすすめられた。それとともに、『あまり窮屈に物を考えるな』『自分のことばかり考えていてはいけない』『いやなことがあったら散歩でもしなさい』などとおっしゃった。」と教えられる。(152p)

最近の著者について「人から『いつも元気』とか、『あなたと話していると元気づけられる』といわれることが多くなった。本当は、うつ的傾向が強く、くよくよと落ち込んでしまうことが多かったのに,不思議な気がする。もし本当に元気で前向きに生きて、人を元気づけたりできているのなら、今までの私の生き方そのものが、私自身をそのように変えたためかと思っている。」と書いている。(153p)

「社会とのつながり」については「お友達を持つとか、ちょっとした外出の楽しみを持つことである。もちろん家にいて、趣味や勉強などをすることもかまわない。そこから社会への知的なつながりが生まれるからだ。」「『イイ年をして出歩いたり、異性の友達をもつなんてみっともない』などと言ってはいけない。いくつになっても、お友達は必要だし、おじいさんやおばあさんにも楽しむ権利や資格はある。寝ているより起きているほうが、起き上がっただけよりも動いたほうが、筋肉が動き、それは顔の表情にも現れてくる。…人と会って、おしゃべりすることだけでも効果は上がる。」という。(158p)

人生の晩学について「楽しい人生は、けっして与えられるものではない。自分でつくり出していくものである。70代はまだ若い。くれぐれも忘れてはならないことは、人間はいくつになっても学ぶことや楽しいことはあるということ。…しょぼくれて引きこもっていては、楽しい日々は決してこないのだ。」と述べる。(171p)

以前読んだ澤地久枝と同じくらいこの著者の考えに惹かれる。まだ70歳には至らない。いつかはやってくる70代。元気で過ごしたい。

さあ今日も張り切って!

2013年1月23日水曜日

晩白柚ほか

今日の最高気温9度、最低気温3度。これで平年並みとか。だが寒い!

昨日は実質的に最後となる講義を受ける。金曜日も講義はある。だがその日は先生のメキシコ人の友人がメキシコの話をするらしい。その際、スペイン語で質問するよう先生は話される。寝るときそのことを考えていたら寝はぐれてしまった。寝る前には何も考えてはいけない。昨日の教訓!

講義を終えるとフルートのレッスンに出かける。一つ前の列車に乗ることができ、前回より少し早めに会場近くに到着。レッスンまでそごうデパートに入り、お世話になった若い学生へのプレゼントを購入する。試験日に渡せないので金曜日に渡そう。

フルートのレッスンではソノリテのあと基本的な指使いの練習をする。今、レ♯とミを交互に速度にあわせて練習。ところが、ミの音を出す際、右手薬指の動きが悪い。

メトロノームを63,66,69,72・・・と徐々に早めて練習する。その理屈はわかっていてもいざ実行すると指が思うように動かない。だが何度かやっていると指も動きだす。いつもの如くこれが「習う」ということだと思い知る。

次に曲をさらってもらう。これも一小節の中にいくら音譜があってもゆっくり練習し、それが出来てからリズムに合わせて吹けば吹けるようになるはず。これも先生からいつも言われる言葉だ。

だが家ではいつの間にか自己流で吹いている。これじゃダメじゃ。基本に忠実に練習しよう!

先ほど、宅急便がとどく。福岡の「お母さん」から晩白柚2ヶと長野の和菓子だった。中には写真が一枚入っている。よく見ると、随分前にお土産として送った刺繍入りのテーブルセンターと晩白柚と徳利を置いて写真に収めてある。お正月に写されたのだろうか、膳もある。

戴いた晩白柚と和菓子を母に供える。ありがたい!

その人から年賀状が元旦に届かなかった。もしかして?と不安が頭を掠める。すると5日に届いた。毎年元旦に届いていた年賀状。今朝の宅急便にも何のメモも書かれていない。あれほどしっかりした人だったのに・・・。それだけに贈り物を受取る方も淋しい限り。

いつも電話で外国から送る絵葉書を喜んでくださる。来月もこの人だけには絵葉書を書こう。

誰も皆衰えていく。そう思うと哀しい。そのためにも動けるうちは精一杯動き回ろう。さあ今日も元気を出して!

2013年1月22日火曜日

寒行も終わって

昨日から今日にかけて雨は降り続く。今日は最高12度、最低7度と気温としては高めだが陽射しはなく寒さを感じる。

この寒さの中、昨夜夕飯をおえてゆっくりしているとドアホンがなる。出てみるとお上人と連れの人との寒行だった。雨の中、今年一年の我が家の無事を願って玄関の前に立ち、団扇太鼓をならしながらお経を唱えてくださる。なんとありがたいことと思いながら、お布施を渡す。

寒行はまだ子供のころ、しきたりを重んじる父がお寺にお願いして参ってもらうようにしたのが始まり。

我が家の周りはほとんどが浄土真宗安芸門徒であり、日蓮宗は少ない。寒行の行事は小さい頃は真言宗や日蓮宗が行っていた。だが、最近、真言宗は寒行の後継者がいないのか、各戸に来られるのを見たことが無い。

ともあれ、一年の始まりの行事として我が家もそれを受け継いでいる。寒行が終わるとお上人に来月初めの法要の確認をする。するとお上人は「元気でやってる?」といってくださる。ありがたい!

昨日は、ほかにも来月利用する旅行社から書類が届く。ビザの申請の確認の書類だった。旅行先を電話で変更したので気になっていた。だがそれは大丈夫だった。10年ぶりに独りでツアーに参加する。ちょっと気負いがある。だが、同行者を待っていてはどこへも行かれない。一人で行く癖をつける意味でも元気を出して行こう!

今朝の地元紙を見るとNO.4さんの属する団体が広島ユネスコ協会から表彰されている。その団体は広島で被爆し、住む家をなくした人たちに家を提供したシュモー博士の遺志を語り継ぐ運動をしている。その詳細はわからない。また会ったとき、NO.4さんに教えてもらおう!それにしても素晴らしい運動だ!

今日は生憎の雨。これから忙しい火曜日が始まる。その忙しい火曜日も来週のテストで終わる。皆頑張っている。私も元気を出して頑張ろう!

2013年1月21日月曜日

泳ぎ終えて

昨日は大寒。だが、その割には暖かい一日だった。そんな中、TVでは全国都道府県対抗男子駅伝競走大会を映し出す。競技が始まる頃、学校時代の友人から電話がかかる。先日、新聞記事に出ていた人と母のなくなるまでの様子が「よく似ているね」、と言われる。

ここ1年くらい、その人と会っていない。しばし、最近の状況を話す。暇さえあれば飛び回っているものと、3度の食事作りで大変なものとの違いを言って笑う。

電話を終えるとプールに出かける。昨日もクロールと背泳ぎで1キロ泳ぎ、100メートルほど水中歩行する。暖かい日だったのでプールの中はいつもより人は多い。当然コースを独り占めできず、他の人と共有して泳ぐ。

泳ぎ終えてシャワーを浴び、着替えていると顔なじみの人がやって来た。10日前に突然75歳の夫が急死した話をし始める。朝起こしに行くと起きない。すぐに救急車を呼ぶと亡くなっていたらしい。

救急車はすぐに警察を呼ぶ。警察は家の中から外から検証をし始める。人の死どころかそのほうが大変だったと話す。それから丁度10日経過。それでも元気に泳ぎに来ている。

親と住んでいたころ、家で亡くなっても救急車を呼ばないようにヒトからいわれていた。事件性が疑われるらしい。今朝の地元紙に「家で亡くなったら警察が来る?」とあり、検視も必要になると誤解している患者さんや家族が多い。だが、「実際には、亡くなった人を継続して診察している医師がいて、病気や老衰で亡くなったことを判断してもらえば、検視も必要なく、警察も来ない。」とある。

プールで会った人はまだ淋しさが実感できないらしい。それでも母が亡くなって半年たってやっと泳ぎに行き始めたことを思うとその人は立派だ。独り暮らしだそうだが・・・。

先ほど年賀状の当選番号を見ると3枚当たっていた。最近は当たることもなかった。来年の年賀状にはあたった人に報告しよう。

今日も張り切って!

2013年1月20日日曜日

新聞記事「へこたれない心」から

今日の最高気温11度、最低気温0度の予報で朝は寒い。

今朝の地元紙を見ると、総数40頁。そのうちセンター試験に関するモノ10頁、海外旅行の広告は8頁とこの2つで紙面の約半分を割いている。

センター試験が終わると若者の卒業旅行を当て込むのだろうか。それともこれからやってくる春の旅行シーズンを狙うのだろうか。いずれにしても海外旅行を目指す人は新聞広告で・・・との業者の目論見もあるのだろう。

新聞といえば、一昨日の地元紙に「日本初の女性代議士 園田天光光さん人生訓出版」の記事がある。以前外務大臣などを務めた故園田直氏の妻である。その人は『へこたれない心』を出版。何と現在93歳で、「アジア婦人友好会」「日本マテ茶協会」など約20の団体の要職を引き受けている。

見出しには「常に自身見つめ反省を」「自然体 好奇心持ち続け」「『へこたれない心』養おう」とある。この「へこたれない心」について園田は「自分自身への戒めであり、生きる目標」と説明。「それを養うには、まず自分自身を常に見つめること。」だとか。これについてはブログ投稿で見つめている!?

最近は「心と体と頭に良い」とかでアナウンサーの指導を受けながら朗読の会を開いている。さらに健康のために長年ヨーグルトを愛飲。そしてそれを手にするふっくらとした着物姿の写真掲載がある。

93歳で若々しく元気な姿から、「へこたれない心」の気概が伝わってくる。いつかこの本を読もう。

元気が出たところでこれから泳ぎに行こう!さあ今日も一日頑張って!

2013年1月19日土曜日

広響第325回定演etc.

毎朝寒い!今日の最高気温は久々の2ケタ台で10度の予報。窓からの陽射しは温かそう。

昨夜は広島交響楽団第325回定期演奏会に出かける。指揮者に常任指揮者の秋山和慶を迎えて2曲が演奏された。演奏曲目は下記の通り。

♪ チャイコフスキー :幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」Op.32

♪ プロコフィエフ :交響曲第5番 変ロ長調Op.100

はじめに演奏された曲はクラリネットの哀愁ある音色が曲全体を引っ張っる。次の演奏曲は激しい曲で打楽器が曲をリードする感じでこれもよかった。

今年広響は結成50周年を迎える。昨日演奏会に出かける前、来年度の演奏曲目など記された小冊子が送られて来た。それを見ても「50」の文字が羅列する。

来年度の演奏期日と演奏曲目を見ると何と世界的チェロ奏者のミッシャ・マイスキーの名がある。11月に同じプログラムで2日間、広響の定期演奏会に出演するという。

マイスキーといえば10年以上も前に、聞きに行ったことがある。チェロは元々好きな楽器。その時の演奏を聴いてすっかり魅了され、このヒトの奏でるバッハの「無伴奏チェロ組曲」も手にしている。

広響も50周年の記念にマイスキーを動員して更なる発展を目指すのだろう。会員であれば特別料金を払わなくてもいつもどおり入場できる。他にも、ウイーンフィルのコンサートマスターなど内外の有名人が来広して演奏する。4月からまた楽しみが増える。

だが、来月の定演は外に出かけるので聞きにいけなくて残念!

ここで余談。送られて来た小冊子を見ると属する個人正会員は「広響の運営を応援したい」参画会員となっている。道理で寄付の依頼もあり、総会の出欠の葉書も届くはず。文化面で中国地方の中では岡山に遅れをとるといわれる広島県。その意味でも広響を応援しよう。

ブログ投稿中、友だちから3月に遊ぶ話が入る。

さあ今日も元気を出して!

2013年1月18日金曜日

におい桜&遊ぶ話

あとひと月もするとブログ「敏々日記」も丸2年を迎える。ブログ開設時、我が家のにおい桜は満開だった。しかし、その後、今日までにおい桜が咲くことはなかった。つぼみをつけはじめて花が咲くまでの間、毎日花を眺める。やっと花が咲いた。嬉しい!
2年ぶりに花を咲かせたにおい桜
このにおい桜、姪が母に贈ってくれた敬老の日としては最後のプレゼントになった。贈られた翌年は花が咲かなかった。すぐに大きな鉢に植え替えるとプレゼントされた時よりも倍くらに成長し、今年再度花を咲かせた。これからもずっと咲くようにと願って大事に育てよう。

昨夜は今年初めてのフルート定例会。いつもの如く、いつものメンバーで、いつもの場所に集合する。昨日も出かける頃には霙のような雨が降り出す。デパート内に集った3人は寒いので外には出ず、その中にあるお店に入る。

乾杯を終えると、まずは牡蠣フライ、小いわしのてんぷら、アサリの酒蒸しなどを注文。しばらくするとお店の人がやってくる。本日のお勧め品のふぐ刺しも注文する。どれも皆美味しい!さらに牡蠣鍋を食べると外の寒さも忘れる。食べたり飲んだりの楽しいひと時はあっという間に過ぎてゆく。

毎度のコトながら、フルートの話は出てこない。これもまた可笑しい。今年は皆元気そうで楽しい1年になりそう。そしてフルート、頑張ろう!

家に帰ると会員NO.4さん(?)からメールが届く。メールによると昨日ブログに投稿した新聞記事に掲載された人はその人の中学と高校時代の英語の恩師だった。これを知ってもうびっくり。返信メールでなく、すぐに電話する。

もらったメールにはかつて教壇に立って教えを請うただけでなく、新聞記事から「『どう生きるかを考えなさい!』と改めて授業を受けたような感覚です。」と書いている。そしてメールの最後にはスペイン旅行のパンフを見て詠んだ「寒い夜 情熱の国 暖感じ」の1句も添えられて・・・。

電話の声は風邪気味だった。それでもその恩師の話を聞き、さらに旅のこと、音楽のこと、ボランティアの話などする。何と明日、NO.4さんの所属団体は某協会から表彰されるとか。すばらしい!きっと近いうち新聞に掲載されるだろう。

2月初旬に会員4人で会おう、と話す。これは旅行から帰った後の下旬に変更しよう。その方がお土産も渡せる!?

それにしても電話で笑ったね。会員4人で女子会文化祭(お遊戯会)をしよう、とは。実現したいね。NO.4さんは昨夜の話だとグランド、アップライト、グラビノーバの3台のピアノを持っているとか。それにリコーダ、エレクトーン、フルート、歌唱とくれば確かに文化祭になる。

他にもピアノ演奏会を聞く、海外旅行の計画・・・と遊ぶ話は尽きない。

今月末のテストが終われば本格的に今年の行動開始。それまではしばらくテストを優先して楽しみはその後で・・・。

NO.4さん、早く風邪治してね。そして明日の表彰式、元気で出席して!

さあ今日も頑張ろう!

2013年1月17日木曜日

「日々誠実に」

今朝起きて外を見ると路面が濡れている。山のほうでは雪なのだろうか。今日は最高気温8度、最低気温2度の予報。窓からの陽射しは温かそう。

昨日は姉たちが帰った後、妹からメールが入る。すぐに電話をかけると母の声を聞かせてあげるという。

妹の話では家のFAXが故障し、使っていない古いものを出すと母からの留守電が残っていたという。携帯電話で話す途中、固定電話の母の留守録の声を聞く。

妹は昨日3回それを聞いたらしい。

来月初め、母の3回忌をお寺で行う。その際、1年ぶりで姉妹が集う。母は自分がいなくなっても元気で仲良くしている3姉妹を見て喜ぶことだろう。

昨日は母の声を聞いた後、しばし、母の最期のころについて妹と電話で話す。

最期、といえば今朝の地元紙に「最期の迎え方」の記事がある。それには「安らかな死『母が手本』」「日々誠実に決意した娘」とあり、記事の内容が我が家とよく似ている。

母と娘の年齢もほとんど似ており、また40代で父をなくし、実家で母と二人暮らしを続けたことも似ている。ただ、最期の場所が自宅と病院の差があるが・・・。

記事掲載の人は学校に勤務していた定年直前に母親が脳梗塞で倒れる。我が家は母の骨折がある。だが介護7年は同じ。その人はいう。「7年に及んだ介護。そばで支え、見つめてきた母の生き方の意味が、最期の瞬間、やっとわかった気がする。自分らしい暮らしの延長線上に、死は自然と訪れる。」。だから、これから先の迷いもないらしい。

高齢になると先の暮らしに不安を抱く人が多い。今朝の新聞で医師の中村仁一氏はその不安解消を「他の人の老いる姿、死にいく姿を見ることです」と話す。「不自由さと折り合いをつけながら老い、死ぬ姿を見てもらうことが、人として最後に残された重大な役割です。」と説明する。

そして記事にある人も話している。「私も背伸びをせず、日々を誠実に、着実に生きようと思います。その先に過ごす場所も見えてくる。きっと自分にぴったりの最期がくる気がするんです。」。

この記事を読んで妙に納得する。この人と同じく独身なのに先の不安がない。その底辺には真面目に過ごしていれば人生決して悪いようにはならない、との思いがある。それはこの人のいう「日々誠実に、着実に生きる」ことかもしれない。さあ今日も元気を出して!!

2013年1月16日水曜日

親切な人

今日も寒い!朝早く姉からの電話で目を覚ます。10時半ごろ、我が家にやってくるとのTELだった。

姉との電話では、一番下の孫がインフルエンザになり、我が家で娘、孫と合流するという。

寒い中、姉夫妻は我が家にやってくる。明後日の母の命日の墓参りを急遽、今日に繰り上げる。姪は我が家の近くの病院に子供を連れて行く。その間に、姉夫妻と3人で墓参り。

墓参りから帰ると姪は子どもをつれて我が家に到着。だが、インフルエンザを警戒して姉とその娘、孫は外でのご対面。

インフルエンザといえばこれまで一度も罹ったことがない。また一度も予防接種を受けたこともない。昨日の地元紙によると「シーズン本番 インフル対策」とあり、「鼻や喉 マスクで温かく」と大見出しがある。それによると毎年予防接種をする人は10人に1人との実態調査がある。さらに「この3年間に受けた予防接種の回数」を尋ねたところゼロが62.5%に昇る。

この調査のように3年間どころか生まれて一度も受けたことがない。その比率は何%なのだろう。

インフルエンザ対策としては手洗い、うがい、十分な睡眠が上位を占める。またそのグッズとしては加湿器などがある。この加湿器、我が家では冬になると毎日の必需品でフル稼働する。2リットルのタンクの水もすぐになくなる。

この冬もインフルエンザに罹らないよう睡眠をとって元気に過ごそう。

今朝は他にも2箇所へ問い合わせしたスペイン語講座の人から電話やメールで連絡が入る。「親切な人たち」、と朝から感激する。「古池や蛙飛び込む水の音」ではないけれど、何か行動を起こせばそれなりの反応がある。嬉しい!

大学の試験が今月末にある。それが終わる4月からスペイン語を新たに始めようとした。だがどの人も2月から是非に、といってもらう。その人たちの足を引っ張らない程度に仲間に入れてもらおう。そして2箇所の講座に参加しよう。元気を出して!

2013年1月15日火曜日

『老い方レッスン』

先ほどスペイン語とフルートのレッスンを終えて帰宅する。忙しい火曜日も後3回行くと大学のスペイン語も終わる。そう思うとちょっと淋しい。

お昼前、家を出て大学へ向かう。JRに乗り、大学近くの最寄り駅からバスに乗ると路面に雪が残っている。学生に聞くと昨日はかなり雪が積もったらしい。講義を終えてすぐに広島市内へ移動する。

広島駅でJRを降りると誰かが後から背中をつつく。振り向くと同級生だった。

フルートのレッスン時間が早まった。そのため時間との競争になる。友だちは同じ乗り物に乗ろうという。だが時間にせかされて駅ですぐに別れる。どうにかレッスン5分前に無事到着。

フルートはソノリテを済ませると基本的な音出しの練習になる。今日のレッスンでは右手でフルートのキーを押さえて薬指だけを離して素早く動かす。これが簡単なようでかなり難しい。練習するしかない!?

指の運動は老化防止になる。そう思えばフルートの練習は丁度いい。

老化防止といえば作家で医師の渡辺淳一の『老い方レッスン』(渡辺淳一 新潮社、2012年)を読んだ。

図書館の検索でエッセイの新刊を探す。そしてその中から気に入った本を次々に予約する。高齢化社会の到来を反映してか、それとも自分自身が老人(?)だからか、「老」のつくものばかり読む。もっと他にも目を向けないといけない。

そう思いながらもこの本を読んでしまった。またいつもの如く、気になる箇所をメモしよう。

「暇なのに病気になるとは」から、「定年退職者のほとんどが共通して実感していることは、生甲斐のなさである。・・・もはや自分は社会の第一線から身を退き、企業や人々から必要とされることもなくなった。この必要とされなくなったという喪失感、生甲斐のなさが退職した人々から覇気を失わせ、さまざまな病気を生み出すのではないか。・・・気の持ちようが、我々の躰に影響することはきわめて多く、かつ大きい。実際、血管のすべてには神経が張り巡らされていて、これによって血管は太くなったり細くなったりして、血流が良くなったり、悪くなったりする。いつも気持が暗く、沈みこんでいると、頭から内臓まで、全身さまざまなところの血流が悪くなり、その末端が変性し、そこの新たな病変が現れてくる。いつも明るく、気持が前向きで生き生きしている人は、病気になることは極めて少ない。これに反して常に暗く、沈みこんでいる人は、病気がちで、まさに病は気から、そのものといえる。」(56-57p)

「絶えず『忙しい、忙しい』といっている人がいる。・・・そんな人を見ているとそんなに忙しく大丈夫なのか、もしかして過労で倒れるのではないかと不安になるが、そういう人が倒れたり、病気になったという話はまず聞いたことがない。・・・結局、こういう人は、自分が今、これだけ仕事があり、社会のために働いていることに納得し、満足しているのである。そしてこの忙しさが精神の緊張とともに生甲斐を生み出し、全身の血の流れも代謝も活発になり躰が前向きに、プラスの方向に動き出しているのである。」(58p)、

「高齢者よ、明るく前向きに」から、「すべての薬や注射は、基本的に躰に好ましくない、毒なのである。病院に長く通って薬をもらうことは、病院から長いあいだ、毒をもらい続けている、ということでもある。だから、ときに病院に行くのをやめることは悪いことではない。いや、むしろ推奨すべきことでもある。」(196p)

筆者の渡辺は元々は整形外科医であった。だが、その辺りのことを本音を交えて語っている。腰の手術も整形外科医でありながら受けなかったという。

よく「病院には近づくな」と言われる。悪い「気」に惑わされるからだろう。筆者の言うように病院に通うよりもむしろ前向きな生き方が病いを遠ざける近道になるのかもしれない。

けっこう前向きに生きているつもり。お蔭で元気!?

2013年1月14日月曜日

”Se llama Fujiyama”

今日の最高気温8度、最低気温3度。昨夜からの雨は降り続く。

昨日はお昼を済ませるとプールへ泳ぎに行く。お天気が良くないと泳ぐのも勇気がいる。それでも元気を出してプールに入る。ビート板を持って足だけで泳ぎ始めると、真ん中辺りで歩いているヒトから「お久しぶり!」と声をかけられる。

昨秋プールで話をしたことがある人だ。すぐに泳ぎをやめてプールに足をつけて挨拶をする。プールに足がたうからいいようなものの、深かったらそれもできない。一言二言話してすぐに泳ぎを再開。

昨日もクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。3連休の中日だからか、親子連れも何組かいる。1コースを占有してただひたすら泳ぐ。

泳ぎ終えてプールサイドに上がると、水泳選手らしきヒトに出会う。スラッ-として背が高く、足が長い。オレンジがかった水泳パンツをはいている。かなり目立つヒトだ。

その人の泳ぎを見たい!と思った。だが、再度そのためにプールに入るのも気が引ける。残念な気持でプールを後にする。

JRを降りて最寄り駅から帰路に向かう途中、2人に出会う。1人目は犬を散歩中。2人目は家に着いたところで同じく犬を散歩中の同級生だった。しばし立ち話。泳いだ後なので・・・と話した後、体が冷えないうちに家の中に入ろうとした。だが驚かれてしまった。運動よりも、本を読んだり・・・の姿が目に浮かぶらしい。

その人は中学時代テニスをしていた。そのため肩を冷すのでコーチから泳ぎは止められ、泳げないという。以前は泳ぐといえば川か海だった。今のような温水プールは10数年前まで近くにはなかった。そうはいっても母も姉も泳ぎは上手。特に姉は母に似て学生の頃、海で遠泳もしていたほどだ。

昨日は運動選手といっても泳げない人はいるんだと改めて知る。

最近、頭に浮かんだフレーズがある。「その名はフジヤマ」”Se llama Fujiyama”。

スペイン語で自己紹介をする、その時どういう?

それを考えていたとき”Se llama Fujiyama”のイントロが頭を掠める。この「Se」を「Me」にして動詞を活用させて自分の名前をつければいいんだと。これで最初の一言は言える。この「Se」を使った文がスペイン語では重要らしい。

このスペイン語の歌詞を検索で見つけた。引用させていただこう!
(http://cm-song-movie.blogspot.jp/2010/05/se-llama-fujiyama.htmlより)

”Se llama Fujiyama”

 Una vez más mi corazón vuelve el Japón 
 Buscand la passión de un amor oriental
 Vuelve el buscar tierna amistad dulce illusión 
 A ver al Fujiyama 
 El simbolo de amor
 Se llama Fujiyama 
 La montaña Nippon 
 Que todo el pueblo ama(do)
 Se llama Fujiyama 
 El simbolo de amor 
 Hecho montaña

 いま帰る心のふるさと
 夢にまでもあこがれた日本
 昔からかわらぬ姿よ
 それはフジヤマ
 清いたましい
 Se llama Fujiyama
 La montaña Nippon
 うるわしく
 Se llama Fujiyama
 気高くあれいつまでも
ちょっと憂いを含んだ古い曲だけど、いい曲。でも富士山は高山病になりそうで登ることができない。もうごめん、高山病!さあ,今日もこれを聞いて一日元気に、行動開始!

2013年1月13日日曜日

雨になる前に

今日の最高気温10度、最低気温2度。これだけを見ると暖かくなりそう。だが外は暗い。これから雨になるのだろう。

昨日は猫3匹と一緒に生活している人とお昼を食べる。話をしているとやはり猫の話。猫は飼ったことがない。小さい頃から大きくなるまで我が家は犬を飼っていた。特に妹は犬が大好き。小さい頃は掛け布団を裏返してその上に犬を寝させて一緒に寝ていた。今は姉が犬を飼っている。

生き物を飼うと泊りがけの旅行が大変らしい。姉も旅行するときは犬を預けていく。その金額は1泊3,4千円とか。

我が家に来るとき犬を籠(?)に入れてくることもある。だがその犬も一度、籠から出すと部屋中を駆けずり回る。その後の掃除が大変。

昨日のヒトは猫が獲物を獲得して主に自慢気に見せる話を面白く話す。猫の餌になる獲物はここには書けない。想像するだけで気持が悪くなる。それも猫好きは大丈夫!?

その人と別れてそのままスーパーへ出かける。買い物をすませると家に戻る。だが気候が良すぎて家にいるのがもったいない。

急遽、美容院へ行くことにする。

いつもと違う道を自転車で通ると、近所の人に出会う。自転車を降りて先ずは新年の挨拶。すると白菜をくれるという。はじめてその人の庭に入った。中庭になった和風庭園。綺麗に整っている。

白菜はダンボールにたくさん入っている。その中の1つをナイロン袋に入れてもらう。

長く同じ町に住んでいるといろんなヒトに出会う。

その人とは以前、我が家の前で話していると突然、そのヒトの旦那さんの足元がふらつく。すぐに母の車椅子を貸してあげたことがあった。それ以来、よく話をするようになる。

予定より少し遅れて美容院に到着。美容院の先生はこの時季、スキーで忙しい。平日は週3回のダンスとか。今年も張り切っていらっしゃる。見習って頑張らねば・・・。

今のところ曇っている。雨になる前に、さあ元気を出して泳ぎに行こう!

2013年1月12日土曜日

『堀文子の言葉 ひとりで生きる』

昨日は精神的に疲れたのかぐっすり眠る。

予報によると今日の最高気温12度、最低気温2度。この1ヶ月、天気予報によれば平年よりも2度も低い。今日は暖かくなるのだろうか、いつもと比べて陽射しもまばゆい。

先ほどメールをチェックする。昨日他にも問い合わせをしたところからスペイン語講座開講の返信メールが入る。

昨日電話で話したところは乗り換えなしで通え、応答した人も感じがいい。また返信メールの方は会場が街中にあり乗り換えが必要。

メールをくれた人を検索すると他の人のブログにヒットする。それを見るとその人も感じがよさそう。また、楽しそうな雰囲気が伝わる。

さあどうする?とりあえず、2月に出席予定とメールで送信。ますます2月は忙しくなりそう。

以下は、以前TVを見て感動した画家堀文子の『堀文子の言葉 ひとりで生きる』(堀文子 求龍堂、2010年)の気になる部分をメモしたもの。

「群れない、慣れない、頼らない。これが私のモットーです。」(19p)

「身体が衰えてきますと、誰でもが何もできない諦めの老人と思うでしょう。けれども、私は知らなかったことが日に日に増えてきます。いままで『知っている』と思っていたことが、本当は『知らなかった』と。それが、だんだんわかってくるのです。」(25p)

「素直に、嘘をつかず、正直に、一心不乱に生きていればいいのだと思いました。」(38p)

「息の耐えるまで感動していたい。」(47p)

「私の中に潜む未知の能力がまだ芽を吹いていないんじゃないかと、あきらめきれないでいるんです。」(49p)

「みんなひとりが寂しいといいますが、人といればほんとうに寂しくないのかしら?」(64p)

「人を見るときも本能で、好きか嫌いかで、損得では決めません。地位や名誉、肩書きなんてうつろいやすいもので、それにふりまわされないようにすることです。」(72p)

「本当にやりたかったことは忘れずに諦めないでいれば、何十年と月日が過ぎても、不思議とチャンスはやってくるのです。いくつになっても、誰にでも、あきらめなければそのチャンスはきます。」(86p)

「奢らず、誇らず、欲を捨て、時流をよそに脱俗を夢見て、私は一所不在の旅を続けてきた。」(115p)

「それに耐えるだけの体力と気力がないと、真剣に遊ぶこともできない。」(153p)

「この先、どんなことに驚き熱中するのか。私のなかの未知の何かが芽を吹くかもしれないと、これからの『初体験』に期待がわく。私にはもう老年に甘えているひまなどないのだ。」(185p)

以上のことはどれをとっても勇気付けられる言葉。特に最後に記した「この先、どんなことに驚き熱中するのか。私のなかの未知の何かが芽を吹くかもしれない・・・」は励まされる。私もいつもそう思いながら生きている。

今日は家にいるのがもったいないほどいいお天気。今日も楽しい一日にしよう。さあ元気を出して!

2013年1月11日金曜日

がっかりしたり、喜んだり

今日も寒い朝。だが日中は陽射しも暖かい。

まだ一日が終わっていない。それなのにがっかりしたり喜んだりする。

午前中の講義を受けに大学へ行く。教室に入る前、来年度の受講申し込み書類を受取るべく事務局へ向かう。窓口に声をかけると3人がやってくる。

用件を告げると、授業の時間割が決まっていないという。顔なじみの人は家に送付する旨言ってくれる。だが、まだ大学へ講義を受けに行くので、再度受取りに来ると話してその場を去る。

講義前、先日SMSで問い合わせた若い学生と出会う。彼女は立って丁寧に新年の挨拶をする。それを聞くか聞き終わらずに先日のことを謝る。一昨日の講義はビデオを見たらしくホッとする。

講義後、目の前に立っておられる先生のところに行く。そこで来年度の話をすると話がかみ合わない。その理由がすぐにわかった。先生に来期も習う予定にしていた。ところが大学側の考えで、目指す科目がなくなるという。先生は「リストラされたんですよ」と。

この先生の科目を受講するつもりだった。それを聞いてかなりのショック!すぐ気を取り直すと「インテンシブをやりますか」と聞かれる。それは週4日で水曜日は1コマ目に授業がある。

これだと仕事に行くようなもの。「考えてみます」と返事をして周りを見ると何人かが聞いている。友だちになった彼女も待ってくれて・・・。

その後、図書館によって家路に着く。最寄駅で気分なおしに鉢植えの花2鉢を買う。

家についてすぐにパソコンで市内にあるスペイン語講座を検索。いいところを見つけた。4月から受講するというと2月から来るように係りの人は言ってくれる。

先生と別れてから思いをめぐらす。別にこれを仕事にするわけではない。ただ、老後の楽しみ(?)としてスペイン語を習い始めた。いつまでも大学へ通えるわけではない。ナニゴトも始めがあればいつかは終わりもやってくる。

「無理して遠くに通わなくても市内で習うところもあるよ」との天の教えかもしれない。そう思うと気分もほぐれる。

今日のことで思い出す。昨年先生のところへ出かけて受講をお願いする。その際、大学の組織改革で教員は怒っているんですよ、といわれていたことを。私立大学だけでなく、どの大学も採算に合わないものは排除する!?

それにしても先ほどは可笑しかった!次に習おうとするところへ電話する。その際、今、スペイン語を大学で習っていると告げると若い人、と思われたようだった。すぐに「若くはないんです。リタイア組みです」、と名乗る。初級が無いので中級のクラスに入れてもらう予定。次のところはずっと続けて習えそう。

やっと気持も落ち着いてきた。あと、試験を含めて4日ほど大学へ行く。春からはもう行かないと思うと淋しい。だが、大学へ通うと大学を優先するため、気候のいい季節にどこへも行かれない。

通わなくなると、長いこと憧れていた尾瀬にも行かれそう。また大学の休みでなくてもいつでも海外へ行くことができる。

この1年間スペイン語の学習でかなり頭を使った。これからはもっと気長に、もっとゆっくり、もっと楽しんでスペイン語を学ぼう。

その前に試験が待っている。それにしても今日の切り替えは早かった!

ちょっと遅くなったけど、これから自転車に乗って買い物に行こう!

2013年1月10日木曜日

「合うべきものと出合うこと」

今日の最高気温7度、最低気温マイナス1度。寒い!だが、窓から陽射しも出て暖かそう!

昨日は愚かさをしばし反省。明日の金曜日も講義がある。そのため昨日は完全に火曜日の延長線上に頭があった。思い込みが激しい!せめてもの慰めはテスト日でなかったこと。試験日も教室変更と聞いている。間違えないようにしよう。

何やかやといっても一昨日友人と夕飯を食べ、昨日の起床も遅かった。たとえ起床後、気づいたとしても補講には間に合わない。

昨日はその思いを巡らしながら、気分を変えるべく図書館に出かける。予約確保の本2冊を借りてしばし雑誌を読む。今月号の『婦人公論』を手にするといつもツイッターを見ている内田氏の記事がある。

見出しを見ると「今年は幸運を積み重ねる生き方を」、「断片的なヒントを手がかりに自分だけの”仕合せ”と出合う」、「みんな『我慢しすぎ』です。不愉快な人間関係に耐える『耐性』は、命を縮める。」とある。

さらに読むと「幸せは『仕合せ』とも書き、もとの意味は、『合うべきものと出合うこと』です。だから、『仕合す』という動詞もあった。「しあわせ」は天から降ってくるものじゃなくて、自分の固有の生に合うものと出合うことです。」とある。

これは昨日の永田萌の言葉と似ている。確かに「幸せ」は天から舞い降りるものでなく、自分でつかむもの。それを「自分の固有の生に合うものと出合うこと」と言い表す。

家に帰ると昨年ベストセラーになった阿川佐和子の『聞く力』を予約。ところが何とその予約待ち人数は581人。これじゃ、読むのに1年以上かかりそう。

それにしても今週のNHK・FMはどうなっているんだろう。にぎやか、にぎやか。いつものクラッシクはどこへやら。朝から民放を思わせるようなちあきなおみの歌や昨日と同じ「伝説のロックライブ」が流れる。

どういってもパソコンと遊びながらのロックは合わない。今日は昨日の反省を込めて、というよりも何とかなるだろう、と願って!古い歌だけど”Que sera sera”を聞いて今日も元気で!

2013年1月9日水曜日

¡Dios mío!

先ほどブログに投稿して気づく。なんと愚かなことよ!

大学へ行こうと思って早めのお昼を食べようとする。ふと気づく。確か先生は今日の講義は18日(金)のセンター試験の補講と・・・。ならば、朝早い授業。すぐに若い学生にSMSで問い合わせる。その返事は「そうですよ!」。ああ私のしたことが・・・!

続いて「でも今日は出席取りませんでしたよ!」。出席は大して気にならない。ただ、気づくのが遅い!そのほうが気になる。

今日の講義はビデオを見る、と話されていた。スペイン語の講義がなければよいのだが・・・。講義があれば若い学生にまたノートを借りよう!

年を重ねると思い込みが激しくなる。これは今日の実感。先ほどまで火曜日の補講と勝手に思っていた。それなのに・・・。何てことを!(¡Dios mío!)

JRに乗ろうとして家を出る前に気づく。これがせめてもの慰め。気をつけよう!

とはいっても、怪我でなくて良かった!

今日はこれから罪滅ぼしにスペイン語三昧!?しっかりしなくては・・・。今年の教訓!

メルヘンの世界

今日の最高気温9度、最低気温0度。これで平年並み!?窓からの陽射しも暖かそう。

家にいるときはNHK・FMを流している。今朝はめずらしく「伝説のロックライブ」の音がけたたましい。それを聞きながらパソコンと遊ぶ。

昨日は年賀状の記事に気をとられ、一昨日でかけた永田萌の「夢見るチカラ展」を忘れていた。友人と美術館で合流し、互いに違う特別展を見る。友人が見たのは「浮世絵の世界展」。

永田萌を知ったのは30年以上も前のこと。その頃、新聞記事や本などの気に入った箇所を大学ノートに書き記していた。これは今でも私の宝物。今ではそれもブログに代わって書き留める。

その中に永田萌の書いた「人はめぐり会うべくしてめぐり会う」がある。言い方は違っているかもしれない。読んだ当時、この文に痛く感動する。昨日その人の絵を見に美術館へ行く。

メルヘンタッチの絵画が、所狭しと並べられている。手にするパンフにある絵が最後まで見つからない。一通り見た後、引き返すと入り口のモニター画面の横に掛けてあった。

メルヘンの世界だけあって赤ちゃん連れのにぎやかな声がする。その泣き声をBGM代わりにして絵を見て歩く。

だが、見終わっても以前のあの感動は蘇らない。自然なものに魅かれている今、それは当然なことかもしれない。それとも私の気持の変化なのか。とはいっても好きな画家だ。

会場を後にして友人と再度合流。その後はティータイム。それこそメルヘンの世界を思わせる川沿いにあるカフェに行く。美味しいケーキとカフェラテでホット一息。友人はコーヒーに弱く、紅茶を飲む。そこでまた次に遊ぶ話で盛り上がる。

昨日は今年初めてのフルートのレッスン日。今年からレッスンの順番が少し早くなった。先ずは先生に新年の挨拶をしてレッスン開始。

新たな曲をさらってもらう。1、2年、家にある譜面台をどこにしまったのかわからなくなっていた。ところが、お正月に探しものをして見つける。

これまで、冷蔵庫にマグネットで止めての練習。だが、今年は譜面台を出して練習しよう。

レッスン後は友人を誘って夕飯を食べる。こうして1日はあっという間に過ぎていく。

今日は今年初めて大学へ行く。試験も近づいている。

今日も元気で。さあ今日の行動開始!

2013年1月8日火曜日

今年の年賀状

今日の天気予報、最高気温10度、最低気温2度。少しだけ暖かくなりそう。

今朝の地元紙に54歳の会社員の男性が投書している。それを読むと、その人の3人の子どもたちには1枚の年賀状も来ない、とメールで済ませる年賀状を嘆く。

年賀状がいつ始まったかは知らない。だが、年賀状の来ないお正月はお正月らしくない。今年もいろいろな人から年賀状をいただく。何百枚も来る年賀状ではない。それでも年の数くらい届く老若男女からの年賀状。届くと嬉しい!

その中の12枚は写真入の年賀状。それには家族、子ども、犬、ボランティア風景、旅行先で撮ったものなどどれもよく写っている。中でも、知り合った頃独身だった若い先生も1男2女のパパになり、子どもを抱っこしている光景は実にほほえましい。

いつの日か、社会人大学入学でお世話になった先生に是非お会いしたい。

「会いたい」といえば、6人の人から年賀状にその言葉が添えられている。特に、26年半前はじめての海外旅行で知り合った人から何度目かの大学勤務の定年を終えられ、「・・・定年後はと考えていましたがなかなか思うようになりません。広島にも一度行きたいと考えております」と書いてある。

京都に在住のその人とは旅行後、一緒に行った人と3人で広島で行われた学会に参加される際、一度会っている。だが、それからでもかなりの年数が経つ。

さらに「もう何年も会ってないので顔を忘れそうですよ。そのうち会いますか?」と書いてもらった短大時代の同級生。

「〇〇さん、久しぶり~お元気ですか?」と久しぶりに突然届く年賀状。この人は50歳近くになって税理士試験に合格。いま税理士として開業中。

「昨年はなかなか会えず残念でした。新年会でもやりましょう」と女朋友から、「桜が咲いたらいらしてください」と仕事でお世話になった人からもある。

また今年110歳になる母親と暮す人はしっかり目を見開いたお母さんの写真入で「お待ちしています」。

他にも尊敬する人たち、旅で知り合った人たち、音楽仲間、水泳仲間、社会人大学を含めた学生時代の友だち、仕事仲間、勉強会の仲間、語学仲間、親戚の人などから届く年賀状。どれもありがたい!

皆さん是非お会いしましょう!楽しみにしています!

「友持ち」は「金持ち」にもまして、これからの人生で大切なこと。大事にしたい!

もらった人たちのお蔭で今の自分がある。今年もよろしくお願いいたします!

今日は今年初めてのフルートのレッスン日。大学は明日から始まる。レッスン後は友だちを誘って美味しいものを食べよう。

今年も張り切って、さあ一年のお稽古事スタート!頑張ろう!

2013年1月7日月曜日

テレビに首ったけ

今朝も寒い!予報では最高9度、最低気温1度となっている。だが、それよりも低い感じがする。

昨日は久しぶりよくテレビを見た。午後6時からBSで「八重の桜」、それが終わると「BS日本の歌」、途中民放に替えて「行列・・・」を少し見て、NHKの香川照之の歌舞伎の話、そして究極の「日本人は何を考えてきたのか」を最後まで見る。

個人的に幕末から大正デモクラシーの辺りに興味がある。

「八重の桜」の戊辰戦争の直前に母の父が生まれている。1年位前、姉と一緒に母の先祖の墓に参った際、祖父の生年月日が刻まれていた。生きていれば148歳。ということは母は51歳のときの子どもになる。当然、私は祖父母の顔を知らない。

その時代、勇敢な女性がいたとは・・・。ドラマが楽しみ。

香川照之の話は以前BSで中国での京劇の修行を見たことがある。その時も感動する。だが、昨日は「日本人は・・・」と放映が重なり、全部を見られず、残念!

「日本人は・・・」は良かった。中村岳志氏をはじめてテレビでお目にかかる。何と若い!出口なお、出口王仁三郎の大本教の話ではなく、まるで昨夜の主役は中島岳志氏のようだった。ずーッとテレビに出ずっぱりで解説をされる。一時期、大本教の信者は800万人いたとか。それも国を弾圧するとの名目で厳しい状況にさらされる・・・。

今朝の内田氏のツイッターによると「日本人の五人に一人は大本教の関係者と言いますけど、僕も合気道家なので王仁三郎の曾孫弟子に当たります。」とある。

テレビをほとんど見ないモノが昨夜のように見ていると話もよくわかっていい。たまにはテレビを見よう。

今日はお昼から県立美術館で開催中の永田萌の絵を見に行く。美術館で合流する友だちは同時開催中の浮世絵の世界を見るといっていたけど・・・。

今週から新年も本格的に始まり、忙しい週になる。今月末はスペイン語の試験がある。そのため1月はスペイン語の試験が終わるまで遊びは少し自粛。それが終わればすぐ2月。今年もあっという間に終わらないよう、毎日有意義に過ごそう!

今日も元気に行動開始!頑張って!

2013年1月6日日曜日

泳ぎ初め

今朝は姪からのメールで起床する。それには「無事戻りました。今年も元気です!2月にはマレーシアの山に登ります。〇〇ねえも旅行お気をつけて。」とある。

後で電話する旨、メールで告げて起き上がる。すると姉から電話が入る。メールの内容の話だった。

姪に電話するとアメリカが気に入ったようで「やっぱり英語よ」という。そして、「これまでお正月に何をしていたのかと思うよ」という。話から以前、母と出かけていたことを思い出し、「ばあに感謝してるよ」ともいう。「ばあに報告する!」と話して電話を切る。きっと母もこれを聞いて喜んでいることだろう。

昨日は今年初めて泳ぎに行く。最寄駅に行く途中近所の人に出会う。京都の大学へ通う息子さんを新幹線まで見送ったとか。その人と別れてJRに乗ってプールへ行く。

陽射しも出ていて暖かい。そのためかプールには7,8人が入っている。それでも1コースを占有し、クロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。間隔を開けずに定期的にプールに通っている。そのためか体が軽く楽に泳げる。

最寄駅について帰宅中、2人に出会う。1人は犬と散歩している人。その人のお孫さんが暮れに地元の区民文化センターでドイツから帰国してサキソフォンのコンサートを開く。聞きに行かずバツが悪かったけど話をして別れる。2人目は、年末にパソコンで年賀状のやり方を教えてあげた人。どうにかそれも出来たらしく教えた側としても一安心。

昨日は他にも内田氏のツイッターを見る。また勝手に引用させてもらうと、それには「前にスペイン語ができるというフランス人に『スペインの作家では誰が好き?』と訊いて怪訝な顔をされたことがあります。スペインの音楽にも美術にも建築にも何の興味もないよと言われて驚いた時に日本人は『目標文化』に対する憧れが外国語習得の主たる動機である『変わった』国民だと気づきました。」とある。

確かに内田氏や昨日のブログに投稿した加藤氏のように日本人の外国語習得の動機はその国への興味が底辺にあり、それには人々や文化等も含まれる。

誰に対しても何に対しても関心がなければ会話も必要ない。当然言葉の習得も必要ない。

今日の新聞を見ると天気予報では最高気温7度、最低気温0度。さらに番組欄を見ると関心がある内容の番組がある。10時から「日本人は何を考えてきたのか」に中島岳志氏が出演する。

母を亡くして一番寂しかったころ、この人の震災の新聞記事を読む。余りにも感動してすぐにメールを送る。すると返信メールを戴く。ありがたかった!まだ30代半ばの人で若い!それなのに人の心のいたみがわかる人。本で顔を拝見したことがあるが、テレビで今夜はじめてお目にかかる。

楽しみにしてTVを見よう!

今日はこれから自転車に乗って買い物に出かけよう。さあ、元気を出して!今日も一日頑張ろう!

2013年1月5日土曜日

「一歩一歩進めば吉を得る」

今日も寒い一日となりそう。最高気温8度、最低気温マイナス2度の予報。姉夫妻は今日、出雲大社へ初詣に出かけると話していたけど・・・。

毎日見ているブログやツイッター。訪問しているブログやツイッターの人たちは講義や講演を聞いて知っている。また、直接顔は知らない人でもメディアを通して知っている。

その中の一人に昨日、遅い新年の挨拶メールを送信する。すぐに返信メールを戴く。それには趣味のギターの話もある。今年は先生について特別の指導を受けられるとか。張り切っていらっしゃる。私もフルート、頑張ろう!

新年3日に中国がご専門の加藤先生のブログを読む。その一部をまた勝手に引用させていただこう。

「ニカラグアの、手話を編み出した幼い子供たちも、同じだったのだろう。
 あなたと話したい、伝えたい、けんかしたい、笑いたい、泣きたい、遊びたい。そういう人間の本源的な情動があれば、言葉は生まれる。
 子供ばかりではない。いい年齢になって、外国の勉強をする人も、そんな『思い』さえあれば、相当なレベルまで行くのではないか。

 そういう『思い』がなければ、どんなに語学の才能があろうと、知能が高かろうと、言葉の勉強は重荷になるだけだ。」

これはニカラグアの聾唖者の人が手話で話をすることを書かれている。そのブログのタイトルは「奇跡のニカラグア手話と大学の外国語の授業」。

今、スペイン語を学んでいる。年を経ても人に接して伝えたいという強い「思い」があればある程度まで語学は可能らしい。

スペインヘ行ってスペイン語を話したい!その思いからスペイン語を学び始めた。思いが強ければ学び方も変わる。頑張ろう、スペイン語!

そういえば出雲大社で引いたおみくじはいいことばかり書いてあった。余りにもいいコトだらけなので家に持ち帰る。

出雲大社の神様、大国主命はこうおっしゃった!

「訓 神の恩恵の賜物たる日々の生活の御恩を知り、一心に業を励まば、徳自ら顕れる。
運勢 本年は、運気が良い年である。諸事が成就する年であるので、祈り深めつつ一歩一歩進めば吉を得る。目上の人の引き立てありて、幸福に結ばれる。益々に信心しなさい。」。

あまり信心深くない。だが、一歩一歩亀ならぬ巳になって今年一年、歩を進めよう。

2013年1月4日金曜日

出雲大社・一畑薬師へ参拝

今日の天気予報は最高気温7度、最低気温マイナス2度。寒い!

昨日は朝5時半起床で、出雲大社、一畑薬師へバスで出かける。ここへは十数年前、母と2人で泊りがけで初詣をしたことがある。昨日、同じコースで出かけてみて改めて母にとっては寒かったのではないか、また、厳しい地ではなかったのかと思いを馳せる。

その反面、90歳近くになって出かけたことを思うとそれなりに元気だったのだろう、とも思う。

父が亡くなってから母が病に伏すまでの十数年間、年末年始は各地のホテルで過ごした。その時は母と2人か、姪を伴う3人でのお正月だった。だが、昨年のお正月からはただ独り。

2回目となる今年の独りだけのお正月。少しは淋しさにもなれてきた。年々淋しさも薄らぐのだろう。

お正月に初詣に行こう、と友だちを誘うと同行者があらわれた。2人でツアーに参加する。

バスの集合先までの最寄駅エレベータで初詣に行きそうな人に出会う。声をかけると偶然にも同じバスツアーの人だった。

バスは定刻どおり広島駅前を出発し、高速道に入る。トンネルを抜けると「そこは雪国だった」。同じ広島市内でも十数分バスは進むと、まるで別世界の雪景色。これで山陰はどうなるものやら・・・との心配も他所に出雲も一畑も積雪はない。

ただ中国山脈を越える辺りではどこも銀世界。途中、今年初めての日の出も拝む。

バスは予定よりも1時間早く到着。出雲大社につくころにはお参りを済ませた神輿の行列2組をバスの中から見る。

現在、出雲大社は「平成の大遷宮」を行っている。昨日の地元紙によると、本年5月の「本殿遷座祭」でそれもフィナーレとなる。その際は、仮住まいの仮殿から本殿にご神体を運ぶ神職の神輿行列は、全国の神社などから駆けつける手伝いを含めて130人ほどの大行列になるという。

仮本殿でお参りを済ませると長い列を目にする。その列にわけもわからず並ぶ。前の人に尋ねると修理中の本殿にお参りする列だった。

30分くらい並んでいると体よりも両手が冷たくなる。GWに出かけた山での冷たさが蘇る。やっとお参りをする順番が廻ってきた。5,6段、階段を上ったところにお参りするところがある。2人ずつ、お参りする。時間がかかる理由もわかる。
看板横の階段を上がってお参りする
お神輿の行列
横から縦に立てられた旗?
出雲大社境内での地元保存会の神事
列に並んだお蔭かお神輿の行列に出くわす。はじめて目にする厳かな光景。社務所の人も出て人垣を整理。なぜ、広く道を開けるのかと社務所の人に聞くと、横に長いお神輿の「ハタ?」を縦に立てかけるためらしい。
四方からのロープで縦になった旗(?)
出雲大社を後にして一畑薬師へバスは到着。目の神様は山の上で鎮座されている。長い階段を上る。住職はマイクを持ってお参りする人たちに話しかける。ここでお寺専用に使う目的の「朱印長」を購入。早速、記帳してもらう。出雲大社でも神社専用にしている「朱印長」に記帳してもらった。人から教えてもらった朱印長。2冊を使い分けよう。これも結構な楽しみである。

出雲といえば出雲そば。どのお店もお参りする人でおお賑わい。とろろ入りのそばを食べる。お茶の接待が十分に施され、畳に座っての食事は外での寒さを忘れさせる。ホッと一息。それだけでは足りず、熱々のカニ饅を買ってバスの中でほおばる。美味しい!

予定より1時間早く我が家に到着。最寄駅で朝、出合った人と別れる際、話をする。その人も長く母親を介護され、一年半くらい前に亡くされている。そして同じように一人で隣町に在住。だがその人はまだ若い!人生これから。いいことありますよ。

日帰り旅をブログにアップするといってその人とわかれる。いい旅だった!

2013年1月3日木曜日

『行動することが生きることである』

今日は最高気温4度、最低気温マイナス1度と寒い一日だった。

昨日は姪が子どもをつれて我が家にやって来る。来るなり一番下の4歳のチビは「お年玉!」「お年玉!」とかけ声を出して入ってくる。

姉に聞くと、お年玉は少しでいいという。特に一番下はお金の価値はわからない。小さい男児は「袋に入れて・・・」としきりにいう。だがポチ袋は無い。また、小銭も用意していない。

寒い中、チビたちは我が家を訪ねてくれた。その気持が嬉しく、まとめて姪に渡す。喜ぶのは子どもたちでなく姪の方!?

姪といえば東京に住む妹の娘もいる。その姪から元日、写真入りの年賀状が届く。母のいなくなるのと入れ替わるように姪は次男を出産した。その際、お祝いをしそびれる。年賀状には長男、次男のかわいい写真も載っている。すぐ妹に電話して帰省中の姪にお祝い代わりにお年玉を立て替えて渡すよう依頼する。すると姪が電話に出る。久しぶり、その姪とも話す。自分の子どもがいないため、姪も甥もその子どもたちも皆、かわいい。

今日は今年初めての遠出をする。先ほど朝早く出かけた島根から帰宅。雪景色の中、バスは走る。思ったより混んでなくて予定より1時間早く帰宅する。この模様は明日のブログにアップしよう。

昨年秋、岩国の宇野千代生家を訪ねた際、本を購入した。その本をやっと読んだ。宇野千代は『行動することが生きることである』(集英社、2006年)を書いている。思いつくところをまたいつものようにメモしよう。

「どんなに大変なことでも、それが愉しいと感じられるときは、人は疲れないものです。成功感を持てたときも同様です。」(195p)

「何を書くかはあなたが決定します。しかし、間違っても巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、これまでに誰も書かなかった、新しいことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません。日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に座っている瞬間に、あなたの目に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。・・・一字一句正確に、出来るだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて大きなものの書ける基本です。」(203-204p)

「心に張りがあると、人間というものは、死ぬまで、ボケるものではありません。」(210p)

「毎日の生活が真剣で『ふやけて』いなかったら、老後の心配なぞ、ない筈である。老後の心配と言うものは、充実した生活にはないものである。充実した生活が消滅した瞬間が、死と言うものであるとしたら、私たちの生活には、老後と言うものの存在する隙間はない、と私が言ったとしたら、吃驚仰天するだろうか。」(214p)

「人間と言うものは、次々に死んで行く。私もやがて死ん行くに違いないが、おかしいいことに、私は自分がやがては死んで行く、と思ったことが一度もない。いつまでも生きているもののように思って、今日から明日、明日からあさってと暮している。」(216p)

2013年1月2日水曜日

穏やかな新年

穏やかな新年を迎える。先ほど墓参りと初詣をすませて帰宅する。

お墓に花を供えようとして水汲み場に行く途中、近所の人と出会う。歩くのがやっとの人なのに、墓参りを終えて急な坂道を下っている。これから近くの神社に初詣に行くという。

後で初詣に行くと告げて先ずは墓参り。出会った人とは母と墓参りをしていた時も、よく出会った。怪我で入院する前日も墓参りをする。その時、その人と母と3人で墓地の空き地に座って話をした。まさか、その翌日、大怪我をすることになると誰が予想しただろう。それくらい年寄りにとっては墓参りは大変なことかもしれない。

神社に着くとその人とまた出会う。お参りを終えて帰ろうとすると、露店のたこ焼きをその人は買った。それを「あげる」といわれ、「いらない!」という。すると「年寄りのいうことは聞くものよ」ときつくいわれる。その人は気安く声をかけてくれることが嬉しかったらしく、そのお礼にあげるという。だが、露店で売っているものを食べる気がしない。「嫌いなものは仕方ないね」とその人はいって、もらわずに分かれる。

ひとたび、家から外に出ると知っているお年寄りによく出会う。その人たちから見ればまだ若い。声をかけてあげるだけで喜んでもらう。せいぜい声をかけてあげよう。

年の初めのデキゴトでなく、年末のこと。びっくりしたことがある。「ネット利用者に『実名制』、中国全人代が可決」である。それは以下のことでますます中国の言論の自由が脅かされる。

読売新聞 12月28日(金)19時41分配信

 【北京=牧野田亨】中国の全国人民代表大会(全人代=国会)の常務委員会は28日、インターネット上での個人情報管理を強化する決定(法律に相当)を可決した。

そして12月31日に姪から受取ったメールもある。「アメリカにいます。今晩はプライスキャニオン。明日はグランドキャニオンで年越し。すごくいい!〇〇ちゃんより。」。

東京にいるものと思って電話をする。だが電話の呼び出しの応答がいつもと違う。すぐに切ると、しばらくして先のメールが入る。

1ヶ月余前、携帯電話を買い換えた。今度の電話は国際通話可能。そのため外国からのメール送受信もOK。来月に外国旅行を予定している。これで日本を離れても淋しくないかもしれない。というより携帯電話で世界は狭くなる!?

世界といえば、大晦日の紅白歌合戦で見た2つの感動する世界。一つは美輪明宏の世界。「ヨイトマケの唄」はよかった!人々を魅了する唄で感情豊かに歌う。二つ目はナミブ砂漠の砂丘と真っ青の空からの中継。歌っている人も唄も知らない。だが「ナミブ砂漠」は素晴らしい!もしかして生きてきた中で一番感動的な光景かもしれない。行ってみたい!

あの近くの南アへは2001年夏に出かけた。ナミブ砂漠を検索すると南アに近い。だがナミブ砂漠は知らなかった。そこまで行くだけの体力と気力はまだ残っている。さてさて・・・。

一年の初めに思う。

狭い料簡に捉われず、もっと視野を広げて羽ばたこう!そして、いつの日かナミブ砂漠に立って世界を見渡そう!

そういえば、南アツアーで家族4人が全員聾唖者の人がいた。だがその娘さんはツアーで知り合った人と2人のバンジージャンプをやってのけた。アフリカ南部のジンバブエとザンビア国境のザンベジ川の橋から110メートル下の谷底まで降りる。ツアーの大半の人は2人でなく1人でするジャンプーを経験した。だが、勇気がなくてそれはできなかった。

そういう意味で南アでは悔いが残る。今年は悔いを残さず、できることは勇気を出して頑張ろう!そう、ナミブ砂漠のように大らかに!