2013年3月31日日曜日

フルートクリニック&オペラを観る

今日は花曇りの朝。だが最高気温は19度の予報で日中は気温も高くなりそう。

昨日も暖かい日だった。午後、メーカー主催の年に一度のフルートのクリニックに出かける。前回のフルート定例会で同じ時間に3人の予約を入れている。

楽器店に着くと知人はクリニックの受付をしている。受付を済ませてクリニックの時間まで話をしていると、終わった後の予定を聞かれる。「特別にはない」と話すと、夜、開催されるオペラのチケットをくれるという。

「じゃ、スペイン語の講座を休むメールをする」と告げると、「何も用事がないと言ったじゃない!?」と知人。

昨日はフルートとスペイン語の辞書を持参。そのためバッグは重い。大学と違ってサークル活動のスペイン語は休んでもいい感覚に陥る。オペラを優先してしまった。

オペラの話とともに、1年半前に出かけたスペインで知り合った人に携帯番号を知らせるように言われる。だが、全く名前が浮かばない。話した本人も名前が浮かばない様子で、その人の家の話をして納得させようとする。それを聞いて誰のことかはわかる。だが、相変わらず名前を思い出せない。

以前、スペインで知り合った人たちの携帯番号を教えてもらっていた。だが、昨年末、携帯電話を洗濯機に入れて洗濯してしまい、どの人の番号もわからなくなる。

フルートのクリニックを終えた3人でカフェに入る。尾道の人に奢ってもらってケーキと珈琲でティータイム。ありがとうございました。美味しかった!

知人はオペラまでの間、用事があるらしい。ここで一端別れ、尾道の人と話をする。その後、尾道の人とも分かれて紙屋町から平和公園の桜を眺めながらオペラ会場へ向かう。

その時、ずっと考えていたスペインへ行った人の名前を思い出す。この間、約2時間。固有名詞は強いと思っていた。だが半年以上会っていないとすぐに名前が出てこない。これはよくない。頭を使うようにしなくては・・・。

後から会場に来た知人に思い出した名前を告げる。そして、もらったプログラムに入っていた用紙に携帯番号とメモを書いてその人に渡して貰うように言付ける。

それにしても頭の活性化を図らなければいけない。思い出した人の名前はポピュラーではない。姓は2文字。一文字がわかるまでに1時間半強、それからしばらくして2文字目を思い出す。何と情けない。

さてオペラ。会場入り口から著名人の花束も目立つ。ズラーッと花束の列。その香りだけで華やかさに圧倒される。

席は座席指定席で横は知人の知り合いの中国から帰国した夫婦と聞いていた。知人が来るまでの間、見知らぬ人なのに中国語で話をする。初めましてと言った後、名前を名乗る。そして知人の朋友であると話す。先方はこれを聞いて驚いた様子。無理もない。その夫妻は知人から何も聞かされていないのだから・・・。

オペラは主宰する団体の25周年事業らしく昨夜のタイトルは「シンデレラ」。

昨夜は主宰者が主役でなく、初めて主役を交替したとか。だが、妖精演じる主宰者は華がある。舞台そのものも衣装もきらびやかで華やか。もらったプログラムによると「永遠のファンタジー、マスネの妖精物語」とあり「皆様を夢の世界へと誘います」とある。

このパンフの通り、夢の世界は華やかだ。だが一番かわいかったのは小さい子供たちが演じる鼠たち。その姿は笑いを誘う。

オペラ終了後、知人と平和公園を抜けて紙屋町へ向かう。夜9時も過ぎている。しかし桜も満開の平和公園には花見をしているグループが沢山いる。

楽しいオペラでした。チケットと珈琲もありがとうございました!

頭の活性化のためにもいろんなところへ出かけ、いろんなものを観て楽しもう!昨日は2人のフルート定例会の人にご馳走になる。本当にありがとうございました!

それにしてもこの1週間よく動いた。昨日の携帯の万歩計は11029歩。今日も頭の活性化のためにも一日動いて頑張ろう!

2013年3月30日土曜日

『かわいい自分には旅をさせよ』

今日の最高気温17度、最低気温7度と春らしい陽気になりそう。

昨日は久しぶりにプールへ行く。春休みとあって親子連れも何組かいる。いつものように先ずはビート板を持って泳ぐ。このビート板を使うと如何に足を使わず、手だけで泳いでいたかがすぐにわかる。前に進まない。

片道だけビート板を練習した後はいつものようにクロールと背泳ぎで1キロ泳ぐ。途中、子供が泳いでいるので顔見知りの女の人から「こちらへ泳ぎにおいで!」と声をかけられる。すぐに移動する。

これから暖かくなると次第に泳ぐ人も増えるだろう。増えるのはいいのだが人とぶつかるのが怖い。泳いだ後は相変わらず鼻水と格闘する。

先ほど福岡から旅の情報誌が送られてくる。中を見ていると行きたい国もある。イギリスは英国航空で出掛けた際、立寄っただけ。そのイギリスの湖水地方、他にはベトナムのフエ、カムチャッカ、それに国内の尾瀬。この場所へはいつか行こう!

最近読んだ本に『かわいい自分には旅をさせよ』(浅田次郎 文藝春秋、2013年)がある。この本は図書館の新刊検索で本の題名に惹かれて借りたもの。この本のタオトルどおり、かわいい自分には旅をさせてあげたい(旅をしたい)。

以下はいつものように気になる箇所を抜粋したもの。

「『かわいい子には旅をさせよ』という格言は、今や死語であろう。かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日では娯楽の王者となってしまった。・・・旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損なわれたわけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人にとっての好ましい形になったと言える。この復員に甘んじぬ手はないだろう。『かわいい自分には旅をさせよ』である。・・・私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は感動をもたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでもなく、かわいい自分のために旅をするのである。」(27p)

「いつであれ、どこであれ、思い立ったとたん旅に出ても、この国はけっして私たちを裏切らない。日本の旅にはシーズンオフも、ベストシーズンもないのである。四季折々の風物がことごとく季語となるように、私たちの生まれ育ったこの国は、いつもどこも美しい。日本に母国や祖国という言葉がなぜかそぐわぬのは、父母とも祖先とも呼べぬ、あえて言うなら絶世の美女だからであろう。そして私たちは、類まれなるその美貌を、いまだ良くは知らない。」(29p)

「美しいものを美しいままに表現するのが芸術。それを『言葉』でなそうとするものが文学。そして、それを『物語』という形式で表そうとするものこそ、小説です。」(48p)

「自然は美しい。もちろんその自然の中の人間の営みも、僕はそれを小説として表現するにあたり、最も直截的な感情表現である『ユーモア』と『ペーソス』を用います。…僕には夢があります。バチカンで、ルーブルで、フィレンツエで、僕は奇蹟を見ました。ミケランジェロ・ヴォナローティは明らかに、古代の芸術家を超えた。文明の進化とともに衰弱する芸術の宿命の中の、これは奇蹟です。彼が一本の鑿で、一個の大理石の魂にうがち出した奇蹟を、僕もいつか一本の筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を。かけがえのない美を。」(49p)

「元の後を受けた明は純潔の漢族王朝と言えるが、それに続く清はまたしても北方の女真族王朝である。つまりこの先年の間に中国を支配した王朝のうち、漢民族王朝は宋と明だけで、ほかはすべて異民族による征服民族国家であった。トーマス・バートンが言う北京の魅力とはこれであろう。そもそも定住地を持たぬ遊牧民族や狩猟民族が、不毛の砂漠のただなかに築き上げた都ーそれが北京の正体である。」(62-63p)

「順治帝が見えざる何ものかに導かれるように乾清門の九龍壁の前に立つと、ふいに一頭の龍の口から七彩に輝くダイヤモンドが吐き出され、幼い帝の掌に転がり込んだ。天命が下ったのである。『蒼穹の昴』において私は、神の定めた運命に抗わんとする人間の姿を描いた。人間は神すなわち天然の所産のひとつにちがいないけれでも、鳥獣草木と異なるところは、その天然の仕打ちに抗う権利と実力とを有する点にあると信ずるからである。人類の歴史はそうした先人たちの努力の集積であり、その結果としての世界であると思えばこそ、人類の歴史は輝かしい。」(65p)

「私は愛国心もナショナリズムも、さほど必要なものだとは思わない。しかし、主義主張とは関係なく、日本という国、日本人という民族について知らなければなるまい。憲法の条文にはない国民の義務であろうと思う。したがって、国史を学ばずして世界史を学ぶ資格はなく、京都を知らずにパリに行く理由はない。そう考えても、海外旅行に行くべき人物といえば、長く日本人であり、この国のかたちを知る人々でなければならぬ、と私は思うのだが。」(89p)

2013年3月29日金曜日

「介護が生きがい」

今日の天気予報によると最高気温18度、最低気温10度。暖かいはずなのに今朝は花曇りで陽射しがない。

昨日は咲き始めた桜を見に行く電話もかかる。短大時代の友だちだった。市内に住んでいる3人で来週はじめに会うことにする。

電話を掛けてきた人の開口一番は「居た、居た!」。何と言う言葉。留守にすることが多いのでそういわれても仕方ない。

今朝の地元紙「くらし シニア」欄の「最期の迎え方」に9年8ヶ月にわたって親を介護した地元のライターの記事がある。それによると「頑張って介護してきたからこそ、前に進むパワーをもらえた。和ちゃんの介護が生きがいだったと今は照れずに言える」とある。そして、元気だった頃の母親(和ちゃん)からもらった「書き続けるんよ」との言葉を胸に介護現場の取材に奔走する様子が掲載されている。

この記事に同感する。特に「頑張って介護してきたからこそ、前に進むパワーをもらえた。」は当てはまる。この人の言うように介護をしていたときはそれが生きがいになっていたのだろう。外国へ行きたいとかお花見をしたいとか全く思わなかった。

とはいってもその時の制約された状況があったからこそ今の動き回ることの反動になっているのかもしれない。

今朝の記事にあるように前に進むパワーのお蔭で「悲しみを越え新たな一歩」を踏み出せた。そう思えば介護経験もあり難い!

今朝の記事は母親を「和ちゃん」と呼称している。先日伺った今年110歳になられるお母さんも「〇〇〇ちゃん」と名前をチャン付けで呼ばれていた。我が家も当時のブログのタイトルを「〇〇ちゃん日記」とした。人は年を経るにしたがって赤ちゃんにかえる。この呼称でいいのかもしれない。

話は変わって昨夜のスペイン語の“Vamos”。この言葉は英語の“Let´s go”。日本語の「行きましょう!」。そのスペイン語から変化して“Vamoos”と言う英語になったとか。先生の余談でそのことを聞く。場所は定かではないけれども、“Rio Grande”(グランデ川)という国境を越えた川から密入国するときこの掛け声(行こうぜ!)をかけながら渡ったらしい。それを聞いたアメリカ人はこの言葉を「ずらかる、トンずらする」と思い込む。それが英語の俗語になる。その俗語が“Vamoos”。スペルの“o”が一つ多い。だがこの言葉はオックスフォードの英英辞典にはなく、ジーニアスには掲載がある。

外国語を習っているとこういうふうに話が横道にそれるのも面白い。英語との併用で話されるのでこれも楽しい。

今日は2,3週間泳がなかったのでこれから泳ぎに行こう。元気でいるためには一歩を踏み出すのみ。今日も元気を出して一日頑張ろう!

2013年3月28日木曜日

「低栄養高齢者は余命が短い」

春は眠い!今朝は最低気温10度と暖かくさらに眠い!最高気温も20度になるそうでこの調子だと桜も一気に咲くだろう。

昨日は今朝と違って寒い朝だった。それにシトシトと雨も降って一日中家に閉じこもる。しかし、朝、東京の友だちから葉書が届く。その返信手紙を書いてポストに投函。その時だけ外に出る。

周りを見渡すと体の不調を訴える人が多い。年齢的なこともあるだろう。それに反して元気に毎日を過ごしている。じっと家にいる方が退屈する。そのため、つい用事を作って外に出る。これも元気だからかも知れない。

昨日届いた葉書には、東京の慈恵医科大学附属病院に入院しているとか。昨年末から体の不調を訴えているらしい。年齢は2歳若い。その12階の病棟からはスカイツリーも見え、東京へ遊びに来て・・・と書いてある。

その返事には「元気な姿を見たい!」と書いて送った。

「病院へは近づくな!」と言われる。そこは決して綺麗な場所ではなく、近づく場所ではない。どんな立派な病院であってもそこにいる人たちは元気な人たちではない。だから、決していい空気が漂ってはいない。むしろ悪い気が淀んでいる。

母を見送る際、3週間の入院でそう感じた。元気なものまでその場所にいるだけで病気になりそう。

とはいっても近ければすぐお見舞いに行きたい。だがなんといっても遠い!

今朝の地元紙を見ると「低栄養の高齢者」「心血管病に要注意」とある。その記事の内容は東京都健康長寿医療センター研究所の調査報告である。体格指数(BMI)や血中のアルブミン、総コレステロール、ヘモグロビンの各値に着目し、調査開始8年後の生存率との関連を調べている。

この指標のBMIが高いグループは低いグループよりも死亡率が低かったという。またアルブミン、総コレステロール、ヘモグロビンの各値の低いグループはそれぞれ死亡率が高い。同研究所の新開省二研究部長は「低栄養高齢者は余命が短い」と結論付ける。

そして「肥満や糖尿病、肝臓病などで治療中の人を除き・・・」としながらも高齢者は栄養を取ることが大切だとしている。

体の不調を訴える人の中に、コレステロールを下げる薬を飲んでいる人が多い。母もその薬を貰っていた。だが決してそれを飲ませなかった。年をとるといざ入院したとき、たとえ食事が進まなくても、体についた脂肪が燃えてくれる。無理して薬を飲んで体から栄養を出すこともない。

日本の脂質学会でもコレステロール値の見解は分かれている。以前は総コレステロールは240以下だった。それを最近では219に下げている。

むしろコレステロールが低い人やBMIが少ない人ほどガンになるリスクが増える。葉書をよこした人も「ガン」と書いてあった。

すべてはヒトゴトではない。同じ生きていくなら元気でいたい!それにはやはり「栄養」と「動く」ことが大事!?

昨日動かなかった分だけ今日は外へ出よう。今日も元気で!

2013年3月27日水曜日

錦帯橋の桜を見に行く

今朝は雨。日中の温度も14度と低く、雨は降り続くのだろう。明日の天気予報も半分雨のマーク。

広島の桜は満開に程遠い。だが昨日出かけた岩国の桜はどこを見ても満開。岩国駅の一つ手前にあるJR和木駅で下車して友だちの車に乗り換える。

車に乗ってまもなくするとどこの桜も満開だ。先ずは友だちのご自宅に伺って抹茶をいただく。何年ぶりかで飲む抹茶。綺麗に整えられた和風の庭園前に座って戴く。美味しい!そばからは旦那さんが吹かれる笛の音。なかなか風流だ。

しばし談笑後、再度車に乗って岩国駅付近にある繁華街のレストランに入る。平日のお昼。若い男女で席は一杯。お昼のコースをご馳走になる。これも美味!

美味しいものを戴いた後、再度ご自宅へ伺う。その頃には旦那さんもお出かけとか。友だちと2人、しばしいろいろな話をする。すると、突然「2階にあるパソコンを持って降りられないから・・・」との友だちの声。何を探しているのだろうと思っていると、なんと手にするモノはタブレット端末。「早いじゃない!もう持っている?」と思わずいってしまった。

友だちは、ブログを読んで貰っているようで、時々コメントを書きたいと話される。手元に端末があるので、その説明をする。自分のブログに書き込むコメントとそのやり方は少し違う。だが基本的には同じ。

それにしても驚く。昨年末携帯電話を買い換えた際、しつこくタブレットをすすめられた。便利な道具と思う。だがその必要性は?と考えているうちにその気も失せる。だが昨日、友だちがタブレットを操作する姿を見て「なかなかいいじゃない!?」と気持が揺らぐ。

友だちは昨年の6月ごろ、人が使っているのを見てその日のうちに旦那さんとドコモに出かけ購入したとか。することが早い!パソコンを置いている部屋にいなくてもどこでもすぐ利用できるところが購入の動機らしい。

話を聞いていてタブレットの弱点を一つ指摘される。それはギガ数が7ギガで、映画を見ているとメモリ(?)がなくなるらしい。

一昨日は高速モバイルインターネットのwimaxを知る。人と話しているといろんなことがわかってくる。2日続けて新たなことを知った。

今、スペイン語の電子辞書の購入をためらっている。電子辞書は中国語バージョンを持っている。最近はカードを挿入すれば何語でも安く利用可能。ところが中国語の電子辞書は購入して10年経過していてカード式ではない。仕方なくスペイン語は紙の辞書で済ませている。その代わりをタブレットで、と思ったりする。

長く友だちと話した後は、岩国錦帯橋の桜を見に行く。満開の桜は錦帯橋を流れる川に沿って走る車道に何百メートルも続く。かなり走ったところで車から降ろしてもらい桜並木の写真を収める。少し曇っていたのであでやかなピンクで写っていない。だが見事な桜並木だ。

きっと昨夜から週末にかけて錦帯橋下の川原ではお花見客で賑わうことだろう。
長く続く錦帯橋そばの桜並木
錦帯橋下の川原のお花見を友だちに話していて思いだす。今から10数年前のこと。広島市内でアジアを学ぶ勉強会に8年間通っていた。その最初頃のゼミの人たち10人くらいでその川原でお花見をする。その際、岩国在住の人がいた。その人と奥様は10数人分の料理や茣蓙などすべて手配してくださる。そして楽しいお花見をした。

お花見といえば、いつも錦帯橋のそのお花見を思い出す。それくらい楽しいお花見だった。当時のメンバーは、日ごろ気軽に接する人たちではない。

それだけでもカルチゃーショックだった。地元の放送局の人たち、信金の理事さんなどもおられた。だが、どの人も大酒のみ。昼間なのに酔いつぶれ、足もふらふら。その中に私たち女性も数人いた。その姿を見た若い女性曰く「ただのおっさんじゃ!」。その言葉もうなづける。もう人格はどこへ・・・。

だが楽しい会だった。その年の勉強会のゼミの発表会も個人個人でなく、ゼミ生全員での発表だった。放送局勤務の人はタイムを計って、それぞれ役を決められて・・・。まるで放送するように・・・。その時モンゴルの絵本から『スーホーの白い馬』を朗読する。モンゴルの服を着せられて・・・。

その後、お花見を設定してくれた岩国の人に、皆で広島でお礼をしよう、との話も出ていた。だがそれもそのままに。

昨日、友だちにその世話人の名前を告げる。なんとその人は旦那さんの友だちのようだった。それを聞いてまた吃驚!

10数年前というか20年近く前になる。ひろしまアジア大会直後の話。働きながらよく動いていたなあと感慨に耽る。当然今よりも若かった。そう思えば、今は働いていない分だけ、もっと動いてもいい感じもする。とはいってもそれだけ年齢を重ねた!?

ともあれ、昨日は桜を見て、美味しいものを頂き、さらにお土産まで戴いて本当に楽しい一日でした。ありがとうございました。また、過ぎし日を思い出す懐かしい一日でした。本当にありがとうございました!

友だちにお礼のメールをするとその返信メールには「お互いに体に気をつけて残りの人生を楽しみましょう。さらに生涯学習しましょう。またいらしてください。」とある。優しい!

友だちは英語を頑張っている。

ありがとうございました。私も外国語、頑張ります!

2013年3月26日火曜日

友だち宅を訪問

今日は最低気温4度で少し肌寒い朝だ。最高気温も12度と余り気温はあがりそうもない。

昨日は今秋110歳になられるお母さんを介護する友だちの家を訪問する。友だちの家があるJR最寄駅で降りると、真っ赤な車が止まっている。深紅の赤でとても目立つ。車の後には車椅子のマークがついている。助手席は本来ならばそのお母さんの席。乗る際に、座席が車の外に飛び出るようになった特別の車。一段と座席は高く、運転手を見下ろす感じ。友だちに重役席だといって笑う。

家に着くとお母さんはベッドで就寝中。とはいっても「〇〇さんが来ちゃったよ」と友だちが話すと名前を忘れられてしまったのか知らぬ顔。少し前までは家で話題になると覚えていてくださったらしい。以前良く電話をしていたからだろう。

それでも、友だちが話しかけるといくら眠そうにしていても応答される。昨日一番驚いたことはベッドから起こしてもらうとひとりでベッドに腰掛けている。そして何でも食べられる。

母は半年前から話が出来なくなった。また食事を取るのも大変だった。だが昨日のお母さんはヘルパーさんに起こしてもらうと介助されながらも何でも食べることが可能。まだまだお元気だ。

とはいっても満109歳。1時間半毎に体位を交換する友だちの様子を見ていると、なかなか大変だなと感心する。

以前同じように親を介護していた。それも2年が過ぎるとすべて忘れたような感じがする。自分の親だからそれも出来たのだろうと改めて思う。昨日もただ見ているだけで何の手助けも出来ない。当然それにはその人流のやり方があることにもよる。

ヘルパーさんがいる間に、友だちはパソコンを見に行こうと車で近くの大型店へ行く。

久しぶりにパソコン売り場に行く。今もっているものとは違ってどれも軽そう。肩に売り場NO.1とたすきを掛けた女性が近づいてくる。手には“wimax”を持って。

これは“wifi”のメーカーが違うだけで同じものだと思っていたら、そうではなくパソコンとネットが出来る簡単なものらしい。

10万円も出せば“8”とプリンターとルーター一式が充分買える。安い。

何か物を購入するときは考えずにすぐに買ってしまう。だが昨日はその気にならなかった。もう少し新たなパソコンも先延ばしになりそう。

友だちは年賀状の写真用に買いたいらしい。毎年写真年賀状をいただく。よりいいモノが欲しいのだろう。というよりも親を大事にされているのでいい写真にとって見てもらいたいのかもしれない。いずれにしても親が健在なことは羨ましい。

今日はこれから岩国へ桜を見に行く。昨夜急遽岩国の友だちから「桜を見においで!」と電話がかかる。昨年はご自宅とは別のところにあるコテージへ芝桜を見に連れて行ってもらった。さて今年の桜は・・・。誘ってもらってあり難い!

今日も楽しく!

2013年3月25日月曜日

スイミングならぬウオーキングで

今日の天気予報によると最高気温14度、最低気温8度。気温は余りあがりそうにない。

昨日はカンカン照りの日ではなかった。だが春の陽気に誘われ泳ぎに行く。ところがプールに到着して受付で「プール」と告げるや否や「休みです」。嗚呼何とということ。

折角JRに乗ってやってきた。それなのに・・・。このまま引き下がるのは余りにももったいない。仕方なく、帰りはJRに乗らず、線路横を流れる瀬野川の河川敷を歩いて帰る。幸い歩いて帰るに相応しい恰好だ。一番には靴、そして帽子と飲み物とお菓子持参。水着などはナップサックに入れている。

河川敷は芝生が植えてある。コンクリートの道でなく芝生を歩く。川の線路側には桜並木。まだ開花したばかりでそれほど咲いてはいない。それでも桜の木の下ではお花見をしている人もいる。

犬の散歩、魚釣り、子供と散歩、ジョギングの人々それにウオーキングの人々もいる。その横を自転車が通りぬける。

我が家を出るとき、自転車で出かける。最寄駅そばのスーパーに自転車を置く。自転車を置いているスーパーに到着すると1時間が経過。この間はJRの運賃では180円区間。広島駅まで190円区間だから、かなり歩いたことになる。携帯を持参していれば万歩計もでる。だが、持参していないので分からない。

しかし、いくら歩いてもやはり泳ぐ方がエネルギーが要る。泳いだ後はお腹がすく。だが歩く方はそうでもない。プールの休館は10日間もある。先週出かけていても当然泳げなかった。

昨日は泳げなくて残念。だが、ゆっくりりと川を眺めながら外の景色を見て歩くことも気持いい。

今日はこれから110歳のお母さんを介護している友だちの家を訪問。友だちのお母さんとは一昨年7月以来1年半ぶりに会う。なんといっても母と一回りも違う。100歳を過ぎればもう神様、仏様。恭しくお参りするというほうがいいかもしれない。お元気な姿をブログにアップできないのが残念だけど、この人にあやかって元気を戴いて帰ろう!

さあ今日も元気を出して、頑張れ!

2013年3月24日日曜日

「ケ・セラ・セラ、なるようになる・・・」

今日の天気予報では最高気温16度、最低気温7度。だが、一日曇り空の日。

昨日は夕方からスペイン語の講座へ出かける。講座が始まるまで、しばし、駅前のデパートに入る。催し物の階でスポーツ用品を見る。最近の水着を見るとセパレートになっている。買いたい気持になるけど何枚もいるものではない。代わりにウオーキングシューズを購入。

その売り場でスポーツ用の下着を探すが見当たらない。先日の旅行で知り合った人から洗濯してもすぐに乾くスポーツ下着を教えてもらう。一枚2,3千円するとか。バーゲン品会場にはそれはなかった。下の階に下りてワコールの下着を見るとそれらしきものが目に付く。スポーツ用とは違うと思ったけど、限定品と銘打ってあるのに惹かれて購入する。

その後、地下の食料品売り場へ行く。明日、友だちの家を訪問する。友だちのお母さんは今年秋、満110歳になられる。その人からは東京から取り寄せたかりんとうやケーキ類を戴くことがある。なんといってもかりんとうや肉類が大好物らしい。かりんとうよりもやわらかい洋菓子類をお土産に購入する。

いろんなものを持ってスペイン語の講座へ出かける。昨日の講座では前回料理をした際の調理法をホワイトボードに各自書くことから始まる。

そういうことも知らず、ただ料理を作って食べることのみ、と思っていた。だから作り方もメモしていない。そういえば、このサークルのリーダーはしきりに料理を作っている間もメモしていた。次回からは気をつけてメモしよう。

だが、いくらメモしてもそれを日本語でなくスペイン語で書かなくてはいけない。古くから習っている人も、かなりスペイン語の手直しを受けている。何語でもネイティブの人には叶わない。

昨夜は夜9時からパーティがあるとか。それは前回の料理の時間に聞いていた。会場は市内の繁華街のあるクラブ。繁華街といっても一番怖そうな地区。顔だけ出そうといっていた人も講座に欠席。パーティーに参加せず帰宅する。

習っている先生はペルー人。旦那さんは名前からして日本人だろう。とにかく先生は陽気な人。授業中も何が可笑しいのか一人で話してはケラケラ笑う。この笑いがわかるようになればもっと習うコトも楽しくなるはず。早くわかるようになりたい。

帰りに一緒になった人と話すと、先生と授業中思うほど話せないことが欲求不満とか。その点、何も話せないモノはどうなるのだろう、と思ってしまう。

誰もが思うように表現できないから習っているはず。不満に思うほうが変!?それこそ、「ケ・セラ・セラ、なるようになる・・・」くらいの気持で習おう!

今日は久しぶりこれから泳ぎに行く。

この1ヶ月、人のツイッターなど見る暇もないほど動いていた。やっと本来の調子になってきた。元気を出して泳ぎに行こう!

2013年3月23日土曜日

第327回広響定演&マイナスオーラ

昨日は広島でも桜の開花が宣言される。愈々春も本番となってきた。

昨夜は広島交響楽団の第327回定期演奏会に出かける。そのタイトルは「絆」。指揮者は常任指揮者の秋山和慶に代わって新進気鋭の指揮者山田和樹、アコーディオン演奏に大田智美を迎える。演奏曲目は下記のようであった。

♪ 武満徹 系図ー若い人たちのための音楽詩ー
♪ ブルックナー 交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(ノーバック版第1稿)

はじめの曲は、今NHKで放映中の朝ドラ「純と愛」の愛である夏菜を迎えての詩の朗読が演奏中に入る。こういう演奏形式は初めての経験。朝ドラを見ていないのでどんな人かはよく知らない。だが、前から11列目と席も舞台に近く、その人の雰囲気もつかめる。初々しさがあり、声も透き通っている。清純そのもので、演奏会に見られる派手派手イメージは微塵もない。清楚なワンピース姿で、「若い人たちのための・・・」のタイトルに相応しい。

演奏中の台詞は指揮者が合図を出すのだろうか。聞いていてズッとそればかりが気になる。この演奏形式はこれまでの演奏でも歴代、NHKの朝ドラのヒロインが朗読している。この曲はこれまで、それほど演奏されておらず、聞いた人も少ないだろう。

2曲目は長い曲で演奏時間は1時間5分。4楽章あり、その間当然休憩はない。この曲は貰ったプログラムによると作曲者自身が1877年末にウイーンで指揮して演奏した際、大失敗に終わる。楽章が進行するごとに聴衆が減り続け、最後には20人だけだったとか。その中に若き日のあの大作曲家マーラーがいた。

今では改定されて昨夜の演奏スタイルとなる。

この曲は何といっても明るくて力強い。これから世の中に出て行く人たちのための曲に相応しい。

この曲のためか、夏菜来演のためか聴衆はいつもと違って平均年齢がグッと下がる。

曲が長いので終演も遅い。いつもより遅い帰宅となる。だがいい演奏会だった。

話は変わって、いつも訪問している人の昨日のブログには下記のように書いてある。またいつもの如く勝手に引用させていただこう。

「・・・僕はマイナスオーラという言葉をよく口にします。周りに変な奴がいると、マイナスのオーラが出されます。悲観的な人、ため息ばかりつく輩、すぐ悪い方に受け取る人。。。こういう人たちと付き合ってはいけません。捨てて先に進むべきです。振り返ってはいけません。忘れて先を観ることです。・・・」。

これを読んで全く同感する。とくに「ため息ばかりつく・・・」が当てはまる。

長く友だちでいる人は決してこんな人ではない。皆何かを頑張っている人たちばかり。ところが最近知り合った人の中で、この文に当てはまる人がいる。一つの動作を終えるたび、ため息をつく。そして常に不満顔。こういう人とは本当に「付き合ってはいけません」。内館牧子もあるとき「見切り千両」と書いている。

元気を出して頑張っているモノの足を引っ張られそう。そしてまた足を掬われそう。

人からそういう風に思われないようにするためにも元気を出そう。そして、今日も一日頑張ろう!

2013年3月22日金曜日

土筆も芽を出す

今日は部屋にいるより外の方が気持いいお天気。一日毎に春の行楽日和となっていく。先ほど、近所の友だちから家の近くで土筆が芽を出したとの電話がかかる。子供のころには家の周りには土筆も芹も何でも芽を出していた。今ではそれも珍しい。

昨日はお昼前、お寺へ塔婆を取りに行く。お寺の一軒下の家の前の小川にはクレソンが生えており、そのそばでは金魚が2匹泳いでいる。金魚を見ていると家の主が外に出ている。しばし立ち話をする。クレソンを抜いている途中らしい。

そのままにしておけばと思うけど、主にとってはそうもいかないのだろう。だが金魚は自慢らしく、街の案内人も金魚は立ち止まって説明していくという。

家から数分歩くだけでまだまだ昔の風情が残っている。我が家の付近ではそれもすべてコンクリートで覆い隠されてしまった。

昨日は夕方、スペイン語を習いに行く。前回休んでいる。休みの人が多くいたのか先生は再度先週の説明をされる。tener動詞の説明。英語で言えばhave動詞。だが英語よりもその使用法は多い。年齢も天気も所有もすべてそれで済ませる。

昨夜は他にも以前土曜日の講座でチンプンカンプンだったところの意味を理解する。目から鱗の日だった。土曜日は日本語の説明はなくすべてがスペイン語での説明。そのため文法の説明はチンプンカンプンわからない。

aで始まる女性名詞でaにアクセントがある場合、冠詞は男性の冠詞が用いられるとの話。例えば“agua”は日本語の水。すべての名詞には一部を除いて冠詞がつく。一般的には女性名詞には女性の冠詞であるunaやlaがつく。例えば不定冠詞una aguaのように。それがuna agua→un aguaと男性名詞の不定冠詞のunになる。これは定冠詞のlaのときでは男性定冠詞のelに変化する。きっとla aguaのaとaが重ならないようにするためaにアクセントがつく名詞を優先して女性の冠詞を男性の冠詞に変化させるのかもしれない。

これは大学では習っていない。昨夜気になり、改めて教科書を見る。やはりどこにもそれは書かれていない。辞書を見ると、特別なためかその名詞にはわざわざ冠詞が掲載されている。

入門コースといっても知らないことが多い。昨夜は外国人の男性も受講していた。名前からして多分中国の人だろう。

今日からブログのカテゴリーにスペイン語を加えよう。これから先、習っていくにつれて何に対して問題があるのか後でわかりやすい。1年前からのブログも暇なときはカテゴリーをやり直そう。スペイン語で気づいた箇所をブログに投稿している。きっと復習になるはず。

今日は夕方から旅行社へ韓国慶州の旅費の残金を振込みに行き、その後、広島交響楽団の演奏を聴きに行く。

お天気がいいと家の外へ出たくなる。お昼を食べたら自転車で外へ出よう。2,3日ゆっくり眠ったので元気も出てきた。今日も頑張ろう!

2013年3月21日木曜日

直島へ行く

今日の最高気温14度、最低気温4度で肌寒いお天気。だが陽射しもあり暖かくなりそうだ。

昨日は小雨の中、香川県直島へバスの旅。集合時刻に行くと、添乗員は福岡のフェルメールを観に行った際の人だった。バス会社主催のバスの旅。だがこの会社は2度とも自社のバスを使用せず、知らないところのバスを使っている。大手の主催だと運転手は必ず2名ついてくる。だが昨日は1人。疑問を持ちながらバスに乗る。

直島へは初めて行く。岡山の玉野港から直島へはフェリーに乗船。フェリーは宮島航路のフェリーよりも大型に見える。瀬戸内海を航行のためか揺れはない。だが曇り空で瀬戸の島々もぼんやり見える。

昨日のバス旅は、これまで出かけたどれよりも平均年齢が若い。女性が9割を占める。若い人の参加理由も直島へついて理解する。一番には祭日もあるだろう。だがそれよりも、直島が福武財団(福武書店が母体でベネッセコーポレイションも関係ある)が運営する美術館。その美術館の中に入るとまるでお年よりは観覧してはいけない雰囲気の環境がある。それは安藤忠雄設計の美術館そのものにある!?トイレもエレベーターもあることはある。だが決してその表示はされていない。

昨日は地中美術館しか観覧できなかった。何しろ時間がない。もらった行程表では4時間の自由時間がある。ところが、実際は観覧する美術館まで行く時間が必要。それには大型バスから下りて再度島内を走るシャトルバスに乗り換えねばならない。すぐに時間は過ぎていく。

それにしてもと思う。この地中美術館は添乗員によると安藤忠雄が初めて設計した大型建造物とか。25年前にはじまるらしい。

足が悪い人も視力の衰えた人も体の弱い人も見学は出来そうにない。所謂人に優しい設計ではない。コンクリート打ちっぱなしの階段を登ったり降りたり、靴を脱いだり穿いたり、列を作って係りの言うとおりに進んでいく。それは切符を買うところから始まる。

シャトルバスから下りると、一列に並ばされて、キップを買う時刻の表示の紙を受け取る。その時刻になると入場の切符を購入するために再度並ぶ。やっと入場券を手にすると、全く別の館まで歩いて行く。やっと館内に入ると係りがいる。ここの係りの人たちは全員若い女性。理学療法士が着ているような白い上下の服を着ている。決して笑顔はなく、見せてあげる、の雰囲気。目的地に行くにも案内板もなく右往左往する。行き先を聞いても愛想のかけらもない。ただ無機質のコンクリートの暗い道を歩くのみ。

やっと自由に見学できると思いきや、一般の美術館と違って展示物が数点あるのみ。館内を見ていて気づく。これは館内の建物そのものが作品だということを。

しかし一箇所気に入ったところがあった。それは光そのものをアートとして提示した空間だ。ジェームズ・タレルという人の3空間。これは見る物を不思議な空間に引き寄せる。

スリッパに履き返えて、数人ずつがその空間に入る。正面から見ると前方にはスクリーンに映されたような平面が見える。その前の階段を係りの指示のもと数段あがると広い空間になる。まるで北極に一人いる感じのような感覚に陥る。北極へ出かけたことがないので実際のところはわからない。それでも想像の中の北極を思わせる。

中にいる数人の顔はそれぞれ相当綺麗に見える。これは光のなせる業だろう。

その一箇所が気に入った。いろいろと美術館へ足を運んでいる。これは忘れられない場所となりそう。これだけでも出かけた甲斐がある!?

そこをでると時間もなくなってくる。シャトルバスに乗ってきた道を引き返す。途中下車して、草間弥生のかぼちゃのオブジェを観に行く。島の先端の一部にかぼちゃのオブジェがある。晴れていれば、海も島も見えてきれいだったかもしれない。昨日は小雨が降り続く。

集合時間になり来た道をバスは帰っていく。ところが福山の高速道に入ると事故渋滞に巻き込まれる。広島駅到着時刻1時間遅れ。

昨日はお昼をバスの中で食べ、夕飯もサービスエリアで購入したもので済ませる。わびしい限りの食事となった。

帰りのバスの中で添乗員は直島の美術館などの対応の横柄さを話す。ひとりだけそう感じたと思った。だが、添乗員に言わせると大体がそうらしい。これは運営母体の福武財団の運営ポリシー!?実態はわからない。

長く生きてきた。人には親切にといわれて育った。だがここではそうではなかった。添乗員はいう。観光する外国人はそれでいいらしいと。

ともあれ、しばらくバス旅は行かない。自由に行動できないバス旅。もっと自由に行きたい。バス旅は性格的に向いていないかもしれない。

今日はこれから昨日のお寺で行われた彼岸法要の塔婆を受取りに行き、それをお墓に持って参る。

夕方から出かけるスペイン語の講座までゆっくりして過ごそう。今日も元気で!

ブログ投稿後、気づいたことがある。昨日の美術館の横柄さ。それはファストフード店に見られるマニュアルどおりの接客態度がそう感じさせるのではないのかと。マックの接客も大きく明るい声だ。だが決して優しさ、丁寧さは見受けられない・・・。

2013年3月20日水曜日

フルート&アート!?


昨日は夕方からフルートのレッスンに出かける。このレッスン会場とも昨日でお別れ。来月からは新たな場所でのレッスンになる。

長くフルートを習っている。途中、レッスンを中断したことも何度かあった。だが、この会場へは長く通った。新たな場所でも気分を入れ替えて練習しよう。

昨日はモーツアルトのk.165を4分音符で112のアレグロならぬ遅い速度でレッスンを受ける。途中、早い箇所がある。それもそのはず、今さらっている楽譜はモーツアルトの曲をゴールウェイが吹いている。フルートの神様(?)の演奏は3回聞いたことがある。他の人を跳ね除けるほどの吹き方でそれは素晴らしい。その人のリズムではとても太刀打ちできない。

昨日、その曲もどうにか終えて、新たな楽譜を戴く。今度の曲はなじみのあるモーツアルトのk.525の“ナハトムジーク”。だがこの曲も速い曲。4分音符で120の速度のアレグロ。これも半分くらいの速度から練習しよう。

昨日は吹いていていいことに気づいた。胸郭を伸ばして(広げて)吹くことである。姿勢を正して大きく息を吸って胸郭を伸ばすして吹くといい音が出た。レッスン中、そのことを先生に話すと、その吹き方でいいらしい。以前から頭のてっぺんが天から引っ張られるように立って吹くとよいと聞いていた。多分そのことが胸郭を伸ばす吹き方になるのだろう。だが、その際の姿勢も注意があるらしい。

先生は胸郭を伸ばすことで無理があってはいけないと話される。だが、水泳をしているから大丈夫、と褒めてくださる。

水泳は特に1年半前からは以前と比べてコンスタントにしている。その影響がでているのであれば嬉しい限り。

胸郭を伸ばすことは先週ロングトーンの練習をするようにとのことにある。家で練習してしていてそれに気づく。それを思い出してレッスン中にすると、それがいいことだったらしい。

今日はこれから四国へ日帰りで出かける。行く場所はアートサイト直島。島全体がアートアイランド。これも友だちから誘われて知った場所。芸術には疎いけど知らない町なので好奇心も一杯。

再度のバス旅。だが今日は目的地に到着したならば4時間は自由時間。この点がいい。

さあ今日も元気を出して出かけよう!

2013年3月19日火曜日

『そして、人生はつづく』

今日の最高気温19度、最低気温8度で暖かい。昨日の吹き荒れたお天気と違って今朝は穏やかな陽射しがある。気持いい朝だ。

昨日はゴミだしと狭い庭に咲いている花を眺めるだけで外に出ず、ゆっくりと過ごす。

その暇に再度バス旅に思いをめぐらす。それはトイレットペーパー。

辺境の外国ではトイレットぺ-パーはなくて当たり前のところもある。だが日本を代表する伊勢神宮でトイレットペーパーがないとは・・・。吃驚する。昨年「せんぐう館」が建造された。立派な木造りの建物である。その正面玄関にはトイレはないとの表示がある。

しかし、あとでわかったことだが建物内に入ってみるとトイレはあった。

外に出てトイレを探す。立派なトイレが有る。そこにはペーパーがない。100円の自動販売機が備え付けられ、コインを入れるとティッシュがでる。

ペーパーがないのは新大阪駅でもそうだった。以前広島駅新幹線口のトイレも50円のコインを入れた。

義兄にそれもぼやくとペーパーを一抱えにして持ち去る人がいるらしい。

伊勢神宮も新大阪駅も多くの人出がある。かなりのペーパーを補充しないと間に合わない。それなのに持ち去る人がいたらそれこそトイレ専従の人が必要だ。ペーパーがないのもうなづける。

2日ほど、家でゆっくりしていた。今日からまた忙しい日々が待ち受ける。以下は昨日読んだ本を抜粋したもの。

川本三郎の『そして、人生はつづく』(平凡社、2013年)を読んだ。ゆっくり本を読んだのはいつ以来だろう。

著者の川本はこのタイトルのいわれについてあとがきで述べている。

「書名はイラン映画、アッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』に倣った。・・・どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、昨日と同じように今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられている。」と。

「一人になってつくづく思うのは、自分の人生も限られていること。それまでに何が出来るのか。何をしたいのか。終わりを見据えて、逆算して生きてゆくことが大事になる。時間が限られているから、物事に優先順位をつけてゆかざるを得ない。」(68p)

「一月一日。天気が良いので寄居町の寺めぐりをする。三時間歩いて七つの寺に行く。どこも小さく、正月だというのにほとんど人はいない。一人旅にはそれが有難い。ひなびた寺のほうがかえって神さびて見える。家内を亡くしてから寺や神社に行くことが多くなった。格別の信心もないが、掌を合わせると気持が晴れる。ある神社で掌を合わせているとき大地が揺れた。願いが届いたのかと一瞬思ったが、あとで地震と知った。・・・」(158p)

この場面は読んでいて思わず笑いが出る。すぐに願いが届くとは・・・!?

「どの小説だったか随筆だったか思い出せないのだが、ある翻訳ものに『オーケストラのオーボエのように孤独』という言葉があった。オーケストラではオーボエは他の楽器に比べると地味だからだろう。そんななか、NHK交響楽団のオーボエ奏者、池田昭子さんは、その美貌もあって人気が高い。」(160p)

その点、フルートはどうなんだろう。

「この夏は鉄道の旅ばかりしていた。先ず北海道に行き、そのあと鹿児島、さらに長崎へと足をのばした。一人暮らしになってから、どうせ家に一人でいるなら一人旅に出てしまえ、ということが多くなった。元気なうちにまだ行ったことのない日本の小さな町を訪ねたい、という思いも強い。」(212p)

確かに。「元気なうちは日本の小さな町・・・」ならぬ、外国の町を訪ねたい。

「一人暮らしで一番気をつけないといけないと悟ったのは忘れること。電気のつけっぱなし、洗濯物の取り込み忘れ、水道の水の出しっぱなし。日常生活には実に忘れることが多い。一度ガスをつけっぱなしにしていて青くなった。・・・」(223p)

同じようなことをしている。ガスである。都市ガスを使うのをやめようかなと思うこともある。だが電気だけだと、いざ何かが起きたとき困る気がする。都市ガス使用量毎月900円前後。ほとんど使用量はゼロ㎥。料理も電子レンジの使用が多い。だが著者はこのレンジに入れていて取り出すのを忘れるらしい。それも有り得るかなと思ったりする。

「その医師によれば、年を取るほど肉は大事なのだという。そういえば七十九歳まで生きた永井荷風はカツ丼好きだったし、黒澤明や石川淳、龍膽寺雄ら長生きした人はみんな肉好き。・・・そうか、肉も食べないといけないのか、と医者の帰り、近所の焼肉屋に入ったのだが、家族連れでにぎわう店でひとり焼肉を食べるのはなんともわびしく、そして恥ずかしかった。仕方がないので、それ以後、近所に住む友人たちに焼肉メイトになってもらい、月に一、二回付き合ってもらっている。」(227p)

「究極の『ひとり遊び』といえば眠ることだろうか。家内によく『あなたはスヌーピーと同じで本当によく眠るわね。スリーピーだわ。』といわれたが、一日最低七時間は眠っている。ときに八時間。」(232p)

一日最低七時間や八時間どころではない。睡眠時間は九時間位が丁度いい。最近の疲れも睡眠不足にある。よく眠るとすぐ元気になる。

この本を読んで改めて思う。どんなに立派な人でも奥さんに先立たれるとわびしいものだと。別にそれは奥さんでなくてもそうかもしれない。一人暮らしの人に当てはまるだろう。そんななかでも皆、工夫を凝らして生活している。見習わなくてはいけない。頑張ろう!

2013年3月18日月曜日

お伊勢参りetc.

今日は朝から荒れ模様のお天気。ビュービューと春の嵐が吹き荒れる。風の強さは台風並み?

今日は母の月命日。この日は毎月墓参りをする。だが、今日のお天気を予想して墓参りは昨日済ませる。

墓参りを終えると、我が家に戻って姉夫妻と3人でバス旅談義。国内の団体旅行は母がいたとき、沖縄と鹿児島へ出かけたことがある。それ以外は個人でプランを作成して母たちと国内を旅していた。

先日の伊勢への旅は久しぶりに観光バスガイドの登場となる。鹿児島以来だ。そのときから観光バスガイドのいる旅が好きになれない。当時は会社に勤めていたので疲れているからそのように感じるのだろうと思っていた。しかし、今回出かけてみてやはりガイド付きのバス旅が好きでないことがよくわかった。

新大阪駅からは添乗員に加えてバス会社のガイドが乗車する。乗るとともに、ガイドはずっーと宿に着くまでしゃべりっぱなし。途中には土産物屋がバスに乗り込んで店の商品の販売を始めだす。

前後のバスの席ではツアー参加のオバチャンたちがマイクのガイドよりも大きな声で話し出す。

翌日はもっとひどかった。朝から地元の海産物店の女性がバスに乗り込み、商売を始めだす。そしてそのお店にバスは止まると40分も買い物ツアー。さらに伊勢の内宮観光では昼食をとるお店の女性が旗を持ってガイドから観光案内のバトンタッチ。内宮への参拝は込んでおり、お宮の前の階段を上がるだけで30分もかかる。やっと参拝を済ませると、急いで昼食会場へ行く。

その後もかえるまでに計4箇所の買い物ツアー。呆れてしまった。観光目的に出かけている。それなのに買い物ばかりに時間をとる。

姉夫妻にそれをぼやくと、義兄は「買い物へ連れて行ってくれ」と言う人もいるとか。

昨年春、中国四川省へ出かけた。黄龍を観光中、高山病にかかる。その際、急いで下山していると、東京のJTBの添乗員が話していた。この会社では海外へ出て買い物に連れて行かないようにしていると聞く。日本でもそうなるといいのだが・・・。

先日の旅で遊覧船に乗った。途中賢島で10分下船。養殖真珠の核入れ作業見学のための下船とか。だが実情はそこで降して買い物をさせるのが目的。

とはいっても伊勢神宮参拝の際、おかげ横丁で御木本の真珠店に入る。腕輪念珠を戴いて以来、ブレスレットに興味を持つようになった。装身具やおしゃれに関係ない生活をしている。それが、ブレスレットに関心を抱く。

伊勢神宮のお守りを売るところで買いたかった。だが、そこには所謂お守りだけの販売。散策中、御木本のお店を友だちが連れて行ってくれる。そこでブレスレットを購入する。これから当分、旅に出るとブレスレットに関心が向くだろう。それも一つの楽しみとして・・・。

遊覧船に乗る前、お土産屋で友だちと同じブレスレットを2ヶ購入。だがこれは安いもの。昨日、姉に渡すと孫に・・・という。姉の孫はダンスを習っている。丁度いいかもしれない。

これからは、目的地だけ連れて行ってくれるバスの旅を探そう。昨年末出掛けたフェルメールの絵画を見る旅のように。

とはいってもやっぱり疲れている。今日はお天気も悪く家に閉じこもっていよう。

この疲れの理由は本人が一番よく知っている。1月末まで大学へ通っていた。4月からも大学へ行く予定にしていた。そのため、4月になると遊べないので2,3月は思いっきり遊ぼうと決めて予定を入れすぎた。これが疲れの原因。

幸い来週からは日常の生活に戻る。今週はまだ予定が詰まっている。もう少し元気を維持して、今日はゆっくりしよう!  
あご湾遊覧賢島エスパーニャ・クルーズ船
それにしても志摩スペイン村とスペインの関係はどこから来ているのだろう。ちょっと気になってエスパーニャ・クルーズ船を写真に収めた。 

2013年3月17日日曜日

“ペタ”&バスの旅

今朝は姉の電話で目を覚ます。昨夜は伊勢神宮参拝から遅い帰宅。相変わらず鼻水が止まらず、今日は一日ゆっくりしようとする。だが、明日は姉の言葉によると雨らしい。そのため墓参りを一日早くしようと姉は言う。墓参りは午後からにして・・・。

話は3日前のこと。その日は世の中、ホワイトデー。私的にはフルート定例会の日。いつもの如く、いつものメンバーで、いつもの場所に集まる。ホワイトデーとは関係なく、尾道の人からクッキーを戴く。美味しいものをありがとうございました!

街中の地下街に入り、お店を探している途中、2人からメモリー情報量の“ペタ”を聞く。このキーワード、その時初めて知る。それをさっきまで“ペラ”と間違えて覚えていた。パソコンで検索すると“ペタ”とある。

これまで“ギガ”、“テラ”までは分かっていた。さらにその上があると知って吃驚!

パソコンに関しては身近に話す人があまりいない。すべて自分なりに試行錯誤してやっている。ブログ開設もそうだった。それでも、時にフルートの先生と話していると知らないことをよくご存知だ。

先生はフルート発表会のDVDやCDなどもすべてご自分で作成される。話していて、新たなことを教えてもらったりする。

そういう面で、定例会の何気ない話題も貴重!?

3人で帰るためバス停に向かう途中、デパートの地下を歩く。中に入るとホワイトデーのための物色なのか、背広姿の男性が地下街を埋め尽くす。それは生まれてはじめて目にする光景。異様というかほほえましい。思わずそれを見ていて笑いが起きる。尾道の人も定例会前に奥様と娘さんに購入されたとか。

私的には今年からそういう行事に参加していない。とはいってもこういうほほえましい光景を見ていると世の中まだまだ安泰!

次に3人で会うのは急遽フルート・クリニックで、ということになる。

その日も鼻水と格闘し、今朝もまだ格闘中。これでは泳ぎに行けそうにない。これは花粉症か、それとも風邪?

この鼻水、お伊勢参りの効果は関係ない!?

それにしてもバス旅は疲れる。広島駅と新大阪駅往復は新幹線。だがそこから伊勢まではバスの旅。目的地だけ連れて行ってくれるバス旅はいい。だが、それに付属するお土産めぐりとバスガイドの高い声。これには閉口する。

昨日は泊まりのバス旅、デビューの日。泊まりはこれからよく考えて参加を決めよう。

とはいっても、格安に目的地へ連れて行ってくれる面はいいところかもしれない。その折り合いがこれから参加する際の決め所?

この点、海外への参加はそのところを考慮せず、どちらかといえば旅行会社を判断の目安にする。

まあ、いずれにせよ、遊んで帰ったのだからすべては由としたほうが賢明!?

だがやっぱりバス旅はきつい!

2013年3月15日金曜日

「インド洋の光り輝く島 スリランカ」の旅

2013年2月16日(土)から2月21日(木)までインド洋に浮かぶ“光り輝く島”スリランカへ行った。旅の集合場所は福岡国際空港、集合時間は午前10時20分と早い。博多のホテルで前泊する。

前泊 2月15日(金)

お昼を食べて午後2時過ぎの「のぞみ」に乗車し、1時間あまりで博多駅到着。予約のホテルは博多駅筑紫口徒歩1分にある。人に尋ねながらもホテルへ到着。

ホテルに荷物を置いて、地下のデパートに行く。夕食と翌朝の朝食を調達後、デパート内を2時間うろついて宿に帰る。翌朝の予定が早い。早めに就寝する。だがホテルがJR駅に隣接しているため騒々しくて寝付かれず。

第1日目 2月16日(土)

午前5時45分 起床。軽く朝食を済ませ午前7時過ぎホテルを出て福岡空港へ向かう。
午前7時40分 空港到着。少し早めに到着したので添乗員が来るまで待機。
午前8時20分 待っていると係りが呼びに来る。コロンボまでの出国手続きを個人でするようにとのこと。Eチケットを受取ると、航空券を発券してもらい、手荷物等検査を終えて中に入る。出発ロビー53番ゲートを確認。出発手続きを無事終えることができたと気をよくする。そして前から欲しかったワールド対応のソーラーエコ時計を免税店で購入。

午前10時過ぎ、飛行機は定刻に飛び立つ。座席は3列の通路側。各自出国手続きをしているので誰がツアーの人かさっぱりわからず。隣の若い男性に話すと休暇を利用してマニラへ遊びに行くという。窓側は後でわかったことだが宮崎の方丈様。

午前11時15分 機内食が出る。牛肉、クッキー、焼き飯などいずれも美味。ビールも飲む。キャセイ・パシフィックは機内も清潔であり、食事も美味。それになんといってもトイレが広い。

だが、福岡空港発 午前10時25分キャセイ・パシフィック航空で香港→台湾でトランジット→香港空港、午後2時55分着。その後乗り継いで、午後4時出発→シンガポールでトランジット→午後10時15分コロンボ到着まで乗り継ぎ、乗換えが何度もあり、その都度機内食と軽食が出る。(すべて現地時間)

飛行時間はなんと日本を出て16,7時間もかかる。ちなみに成田からのコロンボ直行便は約9時間の飛行。福岡からだとヨーロッパへ行くよりも時間がかかる、遠い道程。

日本→台湾 時差1時間。台湾→香港 時差2時間半。日本→コロンボ 時差 3時間半。

午前10時55分 台北にトランジットで到着。だがここで大ミスをする。飛行機のトランジットの際、緑のトランジットカードを受取らずに再入国の検査をする。誰もがそれを係りに見せている。だが持っていない。それを人に告げると一人参加の福岡の男性(後で同じツアーの一人参加者と知る)が「僕がついて行ってあげよう」と言ってくれる。そしてその人は添乗員を見つけて、状況を話す。添乗員に付き添われてカードを受取りに行き、来た道を引き返す。

その後しばらく、何故、皆と同じように前に進んでいたのに一人だけカードを受取らなかったのだろう、とそればかりが頭を掠める。そして旅の初日早々から「親切」な人に助けらてもらう。あり難い。

香港到着。気温18度。

香港から同じキャセイ航空に乗り換えシンガポールでトランジット。その後のコロンボまで3列の通路側に座る。真ん中は空席で窓側はまたも宮崎の方丈様。

その時も誰がツアーの人かほとんどわからず。コロンボ到着までの時間、方丈様と話す。

話していてお坊さんのことを禅宗ではその呼称を方丈様と教わる。禅宗の開祖の道元は道元禅師様。

一般的には御住職様や和尚様で呼称するらしい。方丈とは一丈四方が一坪でサンスクリット語の老師からきている。

方丈様はいろんなコトを話された。
・九十九島(九十九とは百に一つ足りない、百を超えると人間世界ではない)
・お清め(気を強める意)
・手を洗う(手水鉢で手を洗うのはつややかな水を手にしっとりさせて生気を強める意)
この「生気」はどんな文字?と確認したので良く覚えている。よく「生気」を口にされた。

・道元(山は山を愛する人のものなのだ)
この言葉も何度も話される。 

・水、塩、米(お結びができる。この3つは大事なもののの意?)
水は「死に水」も水で、アクアともいう。仏壇にお供えする水は「アカ」でアクアから来ている。
・幸せ(じわじわと来るもので急に来るものではない)
・欠伸 座禅ではじめにする行為。欠伸によって肺機能がリセットされて元気になり、他と順応する。よく欠伸をすると疲れているからでは?と人から言われる。だがそれは間違いらしい。

他にも方丈様は京都で過ごされた大学時代のこと、奥さんが広島市内の公立高校を卒業されていること、子供さんのこと、両親の結婚のこと、自身の結婚のこと、誕生時のこと、著書のこと、弟さんのことなどいろいろと話される。

その際、2日後に母が亡くなって丸2年になると話す。飛行中、話に花が咲く頃、方丈様から立派な水晶の腕輪念珠を戴く。それには方丈様のお寺にちなんだ金色の竜が珠を持っている姿が一つ施されている。話をしながらいつしか涙が溢れ出る。

よく話されていた「生気」を辞書で引くと「いきいきとした気力」とある。宮崎の方丈様は「元気で頑張れよ」と励まして水晶の念珠をくださったのだろう。ありがたく戴く。

午後7時45分 シンガポール着、気温26度。
午後10時 コロンボ着、気温28度。携帯電話の時刻を見るとコロンボ時間と日本時間の両方の表示があり、感激する。

第2日目 2月17日(日)

ホテルの部屋を見ると虫除けの器具がコンセントにさしてある。それでも虫が飛んでいるので持参した虫除けスプレーを部屋に散布して眠る。だが部屋は暑い。何度も目が覚める。

午前1時40分就寝。掛け布団は掛けシーツのみ。滞在中、どのホテルも掛けシーツだけだった。暑い国なので掛け布団はいらないのだろう。だが、ベッドメーキングの掛けシーツはいかにも布団のように趣向を凝らしてある。時には葉っぱをモチーフにした“wel come”の文字が刻まれている。朝方寒いときはバスタオルを縦に広げてタオルケット代わりにする。

午前5時40分起床。いつもの如く、就寝時間の短い旅が始まる。
今日もお天気はよい。

枕銭は100ルピーor1ドル。
到着時、バスの中で現地のガイドに現地通貨6000ルピー=5000円両替する。

朝食前、ホテル前に広がる浜辺を散策する。浜辺はインド洋につながる。インド洋の水に浸かろうと浜辺のぎりぎりまで行こうとする。だが、打ち寄せる波は荒い。スマトラ島の地震で甚大な被害をもたらされたスリランカの実情がこの海を見ていてわかる。

♪海は荒海、向こうは佐渡よ~♪ならぬ、向こうはインド洋。

午前7時 朝食。
ホテル前の浜辺。向こうはインド洋。
午前8時 ホテルをバスは出発。バスからはインド製の三輪タクシーが目に付く。1キロ=50ルピー。

ここでスリランカの概略を『地球の歩き方』から引用しよう。

国名のスリランカの意味は“スリ”は光り輝く、“ランカ”は島。1972年に共和国としてイギリス連邦から独立を果たす。その際、元々国民になじみある「スリランカ」を1978年に正式国名とする。正式にはスリランカ民主社会主義共和国。

首都はジャヤワルナルダプダ。1985年コロンボより国会議事堂が移転。だがコロンボの中心部から13キロしか離れておらず、政府機関の多くは現在もコロンボにあるため事実上の首都はいまだにコロンボ。

日本からは成田空港からの直行便で約9時間。だが今回の旅はトランジットと乗換えで16,7時間と遠い。スリランカの面積は北海道の約8割の大きさ。

民族はインド北部のアーリア系のシンハラ人が7割を占め、インド南部から移住したタミル人が約2割を占める。人口の8%を第3の民族のムーア人が占める。

宗教はシンハラ人のほとんどが仏教徒でタミル人はヒンドウー教徒が多い。ムーア人はイスラム教徒。

2009年5月「タミル・イーラム解放の虎LTTE」との戦争が終結し、北・東部地域にも平和が戻りつつある。

産業として、スリランカの輸出3大商品は紅茶、天然ゴム、ココナッツで、鉱産物は宝石が有名。

食事は1日の3食はほとんどがカリー。

そして何といってもスリランカに残された世界遺産に登録された史跡や自然保護区が8つもある。

現地ガイドは以上のようなことを述べるとともにスリランカの医療制度と教育制度の素晴らしさを述べる。それはどちらも無料という。スリランカに滞在する人々は国の内外を問わず、入院時も無料。

教育制度も充実しており文盲率も5%と低く、英語もほとんどの子供たちは話せる。留学も無料。だがひとたびイギリスなどに留学しても国へは戻らないと嘆く。

医療と教育が充実しているため税金は22.5%と高い。

年間を通しての観光客は80万人で大半はヨーロッパ人。野生の象は7000頭で、452種類の鳥がいる。国花は睡蓮で、湖はすべて人造湖。国民の給料は4万ルピー(3万5千円)。ガイドの話を聞いていても、どこまでも椰子の森が続く。椰子の木の下にはカシューナッツが植えてある。

午前9時45分から10時10分 市場見学。とれたての海産物やバナナなどが並ぶ。現地ガイドは市場でバナナと殻付きのピーナッツと茹でたとうもろこしを購入。バスの中でバナナとピーナッツの配給あり。スリランカのバナナは酸っぱさがあり、味も濃厚でとても美味。3食ほとんどバナナを食べる。

バスの中で、添乗員はトイレなど利用する際のチップをまとめてガイドにしてもらうよう一人1000ルピーを徴収。

バスからは湾が見える。そこではタイガー海老を養殖。これが日本へ輸出される!?
市場見学
午前10時 トイレ休憩。バスの通る道は内戦のため道はなかったが2年前に道ができる。周りは国立公園。象がいたり蝶々が飛び交う。途中にはトカゲが道を堂々と渡る姿も見られる。

午後0時半 世界遺産アヌラーダプラ遺跡地区到着。
午後0時50分 レストランで昼食。
午後1時40分 バスは出発。出発して10分後、一日に5便走る列車が通過する。
午後2時 イスルムニヤ精舎到着。本堂の天井絵は日本の浅草寺からの寄付による。

この寺院見学から境内を裸足になって歩く。だが地面などが熱くて歩けない。皆、熱!熱い!靴を脱いだとき靴下はバッグに収める。その靴下を取り出して穿き、寺院内を歩く。それでも足の裏が熱いし、痛い。バスに降りる時から裸足になっている人もいた。熱さ対策を教訓に次回からは靴下を穿く人もいる。

寺院内でガイドはお経を唱えてお布施を100ルピー出し、ピリット・ヌーラをしてもらっている。右手の手首に白い糸か布のようなものを巻いてもらう。ミサンガのようなもの!旅の安全を願って糸が切れるまでしておくらしい。皆に混じって右手を出して巻いてもらう。1週間くらい切れずにいるとか。帰国後、はさみで切る。
イスルムニア精舎本堂内に横たわる仏像

イスルムニア精舎からみるアヌラーダプラの遺跡地区

ルワンウエリ・サーヤ大塔を目指して歩く
午後2時40分 バスは出発。
午後3時 スリーマハ菩提樹到着。これはタマリンドの樹で実はカレーに使う。菩提樹の樹は2400年前、インドからもたらされる。その際、カースト制度も同時に入る。


見えるはルワンウエリ・サーヤ大塔



白銀に輝いて見えるルワンウエリ・サーヤ大塔
バスで移動中、遺跡地区の公園内にはいろいろな動物がいる。中でもハイイロオナガザルが多い。歩いてルワンウリサーヤ大塔へ行く。これは仏舎利塔で時計回りに3回廻るといいらしい。だが皆、1回だけ廻る。

午後4時半 バスは出発。
午後4時40分 トウーパーラーマ・ダーガバ到着。どこに参ってもとにか蒸し暑い!汗が体中から吹き出る。蒸し暑いはず。お参りで移動中スコールに遇う。

午後5時 バスは70キロ先のボワンナルワを目指して進む。途中、野生の孔雀を見る。

午後6時55分 バスの前を野生の象が通る。バスで移動中、水浴びに行く象を続けて4,5頭見る。外は真っ暗。象が通るたび、ガイドはバスを止めてくれる。

午後9時 夕食。ホテル内のレストランではビートルズの歌や日本の歌謡曲、「オブラディオブラダ」などの曲を歌ったり演奏している。

午後10時半 ボロンナルワのホテルで宿泊、就寝。

第3日目 2月18日(月)

午前7時半 バスは世界遺産シギリヤへ向けて出発。

スリランカの湖はすべて人造湖。それは3000年前からあるといわれる。移動中、マングースを見る。ガイドはバスの中から遠くに見える動物を見つけては教えてくれる。スリランカの人たちは視力がいいらしく、アイバンクはスリランカが発祥の地。日本の桐生市もその恩恵を受けている。

バスで移動中、象に出くわす。その象と人間との戦いは優しいものではないらしい。人が象によって殺された場合、25000ルピー、国から支給される。だが、人が象を殺した場合、1年間の懲役に伏す。こうして象は国により守られている。

象は午後4時から午後5時半の間に水浴びに行く。そして象は一日に30キロ歩いて350キログラムの餌を食べるという。

午前8時35分 道中象の糞をたくさん見る。それは象2,30頭分らしい。

さらに途中には象の見張り小屋が点在している。これは象が食べ物を食い荒らすのを人々が見守るためのものらしい。

午前9時 シギリヤ到着。他のパンフでゴムつきの軍手がシギリヤ・ロック登山に欠かせないと書いてあり、それを持参。滑り止めがついているので手すりを持ちながら登るには重宝する。

シギリヤ・ロック頂上まではたかだか1200段の階段を登るだけ。だが、これが至難の業。『地球の歩き方』を読んでも、「ここまで登るにはなかなか体力がいる」とわざわざ書いてあるほどだ。
前方の四角い山が目指すシギリヤ・ロック

シギリヤ・ロックの中間地点から見る下界


シギリヤ・ロック頂上までの険しい、狭い鉄板の道を登る
ボルトが一つでも外れたら・・・と思いながら登る
途中は垂直な狭い螺旋階段で登る人、降りる人が同じ階段を利用する

頂上を目指して混雑する人々
ジャングルの中に聳え立つ高さ195メートルの巨大な岩山シギリヤ・ロック。今からおよそ1500年前に、この頂上に王宮を築いた王がいた。今でもその頂上にはそのあとが残っている。だが、ここが王都として使われたのはたった11年間だった。

イギリス統治下にあった1875年、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が、目を奪うような鮮やかな色彩を見つけた。それが“シギリヤ・レディ”。今日、スリランカを代表する芸術として広く世界に知れ渡る壁画となる。
岩肌に描かれた美女のフレスコ画
シギリヤ・レディといわれる
岩山の中腹壁一面に描かれた美女たちの絵
頂上まで残り半分辺り
シギリヤ・ロック頂上
四角いモノは王都の跡
ここに立って天に向かって万歳をする
頂上までの道のりは確かに険しい。右ワキを抱えに来る現地の人。途中、それに関わる人は自己責任と現地ガイドから説明を受けたことを思い出す。しばらくして腕を振り払いその人から逃げる。他の人もそうされた人もいる。お金を要求されたが支払わず。

シギリヤ・ロックにある王都跡の頂上に立つと汗は吹き出る。だがその素晴らしさに思わず感激する。そして天に向かって万歳!写真に収まる。

頂上からの下り道は別の道を通る。

午前11時50分 バスは世界遺産ボロンナルワへ向けて出発。

さきほどの美女たちの壁画はミラー・ウオール(鏡の回廊)と呼ばれる鏡のような壁が美女たちを映すという。その壁には壁画の乙女たちの姿や岩山の雄大さを称える詩が彫られている。これはシギリヤ・ロックを降りてバスに乗った際、添乗員がその詩を詠み始める。はっきりとは覚えていない。『地球の歩き方』に掲載されているものを引用しよう。

「この黄金の宮殿、あの豪華な広間
贅沢に造られた調度類を並べ
この荘厳なる中庭、あの空に面した壁
すべては空行く霧のように消えていった」

「あの姿の輝かしさは白々とし冷気が漂う
つきが乙女を引き寄せている
いや もとの位置にいるではないか」

バスで移動中、西洋人観光客が乗った牛の乗り物や象の乗り物を見る。

午後0時10分 生地を売るお店到着。トイレ休憩を兼ねる。

午後1時 昼食。
午後1時45分 バスは出発。途中鹿に出会う。1時間バスに揺られてボロンナルワの観光。観光後、現地ガイドは「お金さえあれば仏像でも頭を下げる」と話して皆を笑わせる。今の時代、仏様さえもお金に執着!?

この頃、仏像が安置されている寺院にお尻を向けて写真を撮ってはいけないと教えてもらう。寺院や神社に参拝するたび、その前に立って記念写真を撮っていた。これは良くないことだった、と改めて知る。

古代都市であるボロンナルワは1982年に世界遺産に登録。

ボロンナルワ遺跡跡を見て歩く。アタダーゲ、ワタダーゲ、ハタダーゲ、トウーパラーマなどの遺跡を留めている。
ボロンナルワにある修復中の寺院
午後3時50分 バスは出発。 午後4時25分 ボロンナルワ随一の大きさを誇るダーガバ(水泡型仏塔)のランコトウ・ヴィハーラ到着。高さ55m、直径55mでボロンナルワ一番の大きさを誇る。この寺院の周りを右回りで歩いていると、どこが歩きはじめだかわからなくなる。脱いだ靴をやっと探し出し集合場所へ戻る。それほど大きい円形の塔の建物だった。
ボロンナルワ随一の巨大なダーガバ(仏塔)であるランコトウ・ヴィハーラ
午後4時45分 ランカティラカ到着。巨大な寺院だ。観光中スコールにあう。アシスタントの現地ガイドは駆け足でバスに戻り、大きな傘を持ってくる。その動きは素早い。

スコールの後は虹が出る。その虹は二重だった。
スコール後の虹
バスで移動してガル・ヴィハーラで涅槃像、立像、坐像の3体の仏像を見に行く。この仏像は『地球の歩き方』によると人生の辛さを哀れむ仏陀の像だとか。

午後5時半 バスは出発。バスの中で誰かが「彩雲」と大きな声を出す。前方を見ると虹の雲だった。この言葉、この旅で始めて知る。その声を出されたのは長崎の方丈様と後で知る。この方は、タブレット端末で写真に収められていた。きっと彩雲も収められていることだろう。

午後5時40分 ボロンナルワのホテル着。午後の観光中、宮崎の方丈様から戴いた腕輪念珠をせずに観光していた。それを見て、念珠をするように諭される。スコールと汗まみれの体を夕飯前に入浴して流す。その後、念珠をして夕飯に向かう。方丈様に腕輪念珠をしてみてもらうと「それでいい!」。それ以降、旅の間中無事を願って念珠をする。ホテルでポストカードを購入。30ルピー。

午後10時就寝。ぐっすり眠る。
ガル・ヴィハーラの坐像、立像、涅槃像の3像
第4日目 2月19日(火)

外は雨。夜中も降り続く。そう思って朝目を覚ます。外では鳥の声も鳴り響く。ところが、この雨、雨樋の故障で水が一晩中流れていたらしく、雨は降っていなかった。天気は晴れ。

午前5時15分 起床。
午前6時半 毎朝、朝食はオムレツを食べる。だが、卵の黄身が黄色でない。オムレツは美味だけど黄身が黄色くないので色合いは今一歩。また、バナナは3食いただく。この旅のハイライトはバナナ。何といっても美味!

ホテルの前はボロンナルワ湖。
午前8時半 バスはダンブッラへ向けて出発。

午前9時半 大きな洞窟が石窟寺院となっている世界遺産ダンラップ石窟寺院観光。5つの石窟からなっている黄金寺院。これらの石窟すべては自然の洞窟を利用し、シンハラ王朝が構造、修復したもの。全長14mの涅槃仏も安置されている。それは今でも祈りの場として人々に崇められている。ダンブッラとは「聖なる水」の意。世界遺産へは1991年登録される。

この日は朝から蒸し暑い。扇子で顔を仰いでいるとオランダ人に声をかけられる。
ダンブッラ石窟寺院内のあでやかな涅槃像

ダンブッラ石窟寺院内の涅槃仏
全長14mもある
午前10時40分 マタレーのスパイスガーデンを観光。沖縄の観光で見られるような自然原始林といった感じで各種スパイスの樹木がある。椰子畑の木の下には胡椒畑となっている。

ナタデココ(黄色い椰子)、バニラビーンズ、ワイドパイナップル、胡椒(蔓性)、カレーの原料や糖尿病などに効く木も植えられている。

この植物園内でいろいろな薬草のデモンストレーションを聞く。長崎の方丈様はスネにあるモノを塗られると、15分後くらいで脱毛完了。これには皆で吃驚。日本でエステの人がこのことを知ったらどう思うだろう、そればかり気になる。

午後1時 植物園内のレストランで昼食。
午後1時45分 バスはキャンディーに向けて出発。
午後2時45分 横を流れる川はスリランカで一番長い川。黄河の水のように黄色い水が流れている。
午後3時 キャンディーの街へ入る。
午後3時10分 宝石店へ行く。この辺りで持参したデジカメの電池がなくなり始める。宝石店でバスから何度も目にした“HUTCH”をお店の人に聞く。それはドイツの電話だった。

午後4時15分 スコールが降り始める。
午後4時20分 宝石店を出る。

午後5時 雨が次第にひどくなる。バスはキャンディ湖畔前のホテルに到着。ホテルロビーでチェックイン時、日本人の新婚さんに出会う。小倉の方丈様はこの2人を植物園で見かけて顔なじみ。ロビーで名刺を渡し、2人に話しかける。その際、名刺をいただく。2人がチェックインで席を外すと、すかさず方丈様曰く「2人は近いうち別れる!?」。なんとお気の毒!

バスでキャディアン・ダンスのショーを観に行く。見物客の大半は西洋人の観光客。クライマックスは火を用いたダンス。この模様はご一緒した参加者の方がyou tubeに詳しく収めてくださる。(3月8日のブログに動画でアップ)

ダンスを観に行くバスの通りは女子校、私立病院、ノリタケの工場、ブティックなどがある繁華街。

午後7時半 ホテルにて夕食。ホテル前はスーパーなどある繁華街に位置する。ここの夕食はこの旅で一番の美味!ケーキ類なども食べる。

夕食後、部屋に入るといきなりの停電。日中、デジカメの電池がなくなる。充電したい気持が焦る。だが何度も停電を繰り返す。一つ先の部屋の若い男性に変換プラグを借りて充電する。この男性から、後日、YOU YUBEで旅の模様をアップしたとのコメントを戴く。ありがたい!

午後9時15分 停電がやっと落ち着く。

第5日目 2月20日(水)

午前5時 ホテル目の前の仏歯寺のマイクで流されるお経で目を覚ます。

午前5時半から7時まで 仏歯寺で開帳法要。この法要は午前9時半からもある。ホテルは街中にあり、朝からクラクション、法要の読経の音、鳥の鳴き声でけたたましい。

午前6時半 ホテル界隈を散策。仏歯寺の前の通りに置かれてあるお賽銭箱(?)にお祈りする人の姿が後を絶たない。散策していると、眩いばかりの日の出を見る。思わず太陽を拝む。
ホテル前の通り、というより仏歯寺境内のお賽銭箱(?)
朝早くから道行く人がお祈りしている

眩いばかりの日の出
今日もいい一日でありますよう・・・
午前7時 ホテルで朝食。このとき長崎の方丈様から「人情は紙風船」と教えてもらう。どうも映画の題名らしい。紙風船は軽くてフワフワとして浮いている。そのように人情も移ろいやすいということ!?

朝食後、ホテルの目の前に位置する仏歯寺の午前9時からの開帳法要に参列。参列といっても地元の人たちや観光客などで寺院内は人でごった返す。

地元の人たちはお供えの花などを各自手に持参して参列する。この仏歯寺、2004年まで今回の現地ガイドの代々の所有物だったとか。日本でいえば西本願寺などの所有者に当たる!?だが、それも個人から国の所有物になる。その時、手にしたお金で日本へ行ったとガイドは言う。留学資金になったのだろうか。

午前10時15分 バスは仏歯寺出発。

午前11時半 紅茶店到着。ここにはノリタケの製品なども販売されている。お土産として紅茶を購入。

午後0時半 ここから250m下山してバスは象の孤児院到着。
午後2時20分 ここで中国の杭州から一人で旅行中の28歳の女性に出会う。見掛けが日本人と違うと思い、中国語で声をかけるとそうだった。

この女性、コロンボで出国手続き中、ひょいと姿を現す。もう吃驚!その後も、出国ぎりぎりまで姿を現す。だが連絡先は聞かずじまい。ただ姓は「田」さんだった。

ここで現地通貨ルピーを使い切るため象のマグネットを2ヶ購入。
象の孤児院で遊ぶ象

象の孤児院で水浴びする象たち
午後3時50分 藤の村へ到着。トイレ休憩も兼ねる。トイレを借りたお店はカシューナッツを売っている。

午後4時40分 パイナップルの村を通る。焼いてあるパイナップルを食べる。ここ以外でもホテルの食事で焼いたパイナップルを良く食べた。火を通しているため食べても安心。

午後5時15分 コロンボ市内へ入る。スラム街は新しい建造物に変わりつつある。

午後7時 民芸品店到着。ここで今回の旅で旅友となった人は絵葉書を2枚購入。急遽葉書を書き始める。日本への切手代は30ルピー(日本円25円くらい)と安い。ここでもお土産となりそうなものはない。

コロンボ市内をバスで移動しながら車内観光。観光後、ホテルレストランでスリランカ最後の晩餐のシーフード料理を食べる。その後、空港へ。

第6日目 2月21日(木)

朝早く起床して最後の日となるスリランカを観光。復路は往路と逆にしてスリランカから乗り継ぎ、乗り換えをして、翌日の午後9時に福岡国際空港到着。その間、なんと35、6時間も寝ずに移動している。それでも無事に帰国する。

途中、飛行機のトランジットや乗換えの際、時間があればトイレで歯を磨く。その際、光市から2人で参加の人から、「このリュックサック、〇〇さんのですね」と言われる。大事なものを入れているのに人様のものだとは・・・と怪訝そうにすると、テレビの「世界不思議発見」で使っているバッグと同じといいたかったらしい。

聴いた瞬間、行きはトランジットカードを受取らないミスをして、帰りはバッグを人のものと間違えた?と悔やむ。そうではなかった。帰国間際で、その人たちとも仲良くなる。

香港の乗換えでツアー参加者の一人は航空チケットの半券を機内に置き忘れる。当然手荷物をひっくり返して探すも見当たらず。控えのEチケットで無事搭乗。

旅の終わり頃、ある人から聞いた。小倉の方丈様が話されたとか。「街に電器店があれば必ずキャバクラがある」。その人に確認すると「知らない!」。

皆、てんで勝手に面白いことを言っては談笑する。これも旅の楽しみ。皆に「親切」にしてもらい、いい旅をした。やはり旅は止められそうにない!?

2013年3月14日木曜日

ピアノ演奏会etc.

今日の最高気温12度、最低気温4度でまだまだ寒い。今朝は家の中にいても一向に鼻水が止まらない。このシグナルはじっと家にいるようにとの知らせだろう。

だが、毎日よく動き回っている。昨日も夕方から急遽知人に誘われてピアノの演奏を聞きに行く。

2年前、「第65回ジュネーブ国際コンクール」ピアノ部門で、日本人として初めて優勝した広島出身の荻原麻未さんの演奏会である。

街中にある演奏会場はピアノ2台をリニューアルし、現在あるピアノは他の区民文化センターに贈られる。昨夜のコンサートは演奏者にいわせると、新旧3台のピアノの誕生日と送別の日となる演奏会。

予定の開場時刻よりも40分早く開場に到着。ところが全席自由席のため、すでに開場を待つ人で長蛇の列。知人にその旨、電話で告げるとすでに列に並んでいるという。

やっと開演時刻になり中に入る。聴衆は会場一杯に埋め尽くす。

演奏曲目の前半はショパンのノクターンやワルツ。休憩を挟んで後半はラベルやブラームスの曲などで、プログラムに記載されていない。後半の演奏途中から現在、パリで学んでいる先生も来日されて2台のピアノでの演奏となる。

演奏する姿は繊細ながらも、ダイナミックな演奏だ。前半の曲は聞き覚えがある曲。だが後半は初めて聞く曲だった。

久しぶりに聞くピアノの演奏。素晴らしかった!誘ってもらった知人に感謝!そしてチケットと珈琲もありがとう!

昨日は他にも午後「3月になったら遊びに行くね」と話していた今年110歳の母親を介護している友だちに電話する。母娘ともお元気そうでいつ訪問してもok とのこと。10日後に訪問する約束をする。

また、他にも岩国の友だちにも電話する。桜が咲いたら出かけるとこの人とも約束する。

本当にじっとしていない。今夜はフルート定例会。そして明日からはお伊勢参りに行く。屋形船ならぬ新幹線での参拝となる。

先ほど、スペイン語の授業を休む旨、先生にメールをする。その返信メールには「お忙しいようですね」と書いて下さる。大学の授業ならば大学優先。だが、それからも解放されて自由を満喫!?

さあ今日も元気を出して頑張ろう。体に気をつけて。体といえば昨日の健康診断、昨日の段階では異常なし。BMI 20.4でいつもと同じ。肝機能の血液検査結果は後日郵送されてくる。これも大丈夫だろう。

大丈夫はいいのだが、毎日出歩くとプールに行く機会が少なくなる。私にとっての元気の秘訣はプールと自転車。自転車はともかく、なるべく泳ぎに行くようにしよう!

2013年3月13日水曜日

PCのセキュリティー&フルートのレッスン

今日の天気予報では最高気温17度、最低気温11度となっている。さすがに最低気温が10度を超えると朝起きるのも楽になる。だが今日は生憎、雨の一日となりそう。

一昨日PCのセキュリティーが更新切れとなるとの連絡がメールで入る。更新切れとなれば手続きも面倒になる。その前に手続きをする。だが、画面に向かって手続きの入力をしていて一箇所覚えていないことがある。それをしているうち最後まで手続きができなくなった。

昨日午後、その確認をするとPCのメーカーへ聞くようにと言われる。すぐにフリーダイヤルをする。だがいくら掛けても音声ガイダンスは「このまましばらくお待ちください」を繰り返す。電話をスピーカーホンにしたままほかの事をする。かなり待った揚句やっと電話がつながる。

だが、フルートのレッスンへ行く時間が迫っている。係りは親切な人で、先日までしていた画面が出るらしく、ほとんど手続きを終えているがメールのパスワードがないと言われる。

「一緒にやりましょう」と電話で言われて時間がないけどそのまま手続きに入る。さすがに前日大半をしているのでわかる。だが、その間でもいろんなことを知る。やっと手続きが完了する頃にはレッスン開始まで1時間を切っている。

すぐにレッスン会場へ向かう。どうにかJRもすぐに乗ることができ、ぎりぎりでレッスンに間に合う。だが、昨日も先週に負けず暑い。汗がダラダラ流れる。だがレッスン時間があまりない。汗を流しながらレッスンを受ける。

興奮冷めやらず、いい音も出ない。特にロングトーンはさっぱり。基本にもどってロングトーンも練習しよう。そしてソノリテの後でレッスンを受けるときは替え指がでる。一つの音でも替え指で吹く。これも練習するしかない。当然今さらっている曲も練習して・・・。

今日はこれから定期健康診断を受けに行く。毎日動いているのでどうかな、と思うけど家の近くなので受けに行こう。いくら元気といっても受ける前は気になる。

母は気持が小さいモノに向かってよく言っていた。「そういうことでどうするんね」。もっと大らかな気持で、さあ今日も元気を出そう!

2013年3月12日火曜日

電子機器の使用!?

今日の天気予報では最高気温17度、最低気温4度で暖かくなりそう。夕方からのフルートのレッスンでは先週暑くて大変だった。今日は着ていく衣服に注意してレッスンに行こう。

昨日は、終日家にいた。それでも夕方、狭い庭に出て芽を出したチュウーリップ10個と庭の隅に並んで芽を出した水仙を眺める。その時、「介護者の集い」の世話役をしておられた人に出くわす。その人としばし立ち話。開口一番「今起きられたような顔ですね」と言われる。そして顔をみて「いいお手入れをされていますね」とも言われる。何を言われてもその人の言い方が可笑しい!

昨日は、朝から一日中家にいるつもりだった。そのため、顔に何も塗らずウロウロとしていた。それをずばり指摘される。その人は80歳過ぎの品のいい男性。いつお会いしてもニコニコとされている。そしてそのお顔から賢さが滲み出ている。

昨日は杖をついて隣町の本屋まで出かけたらしい。だが、本は集めないようにしているとかで、電子書籍を購入されている。

そのくらいの年齢になるとPCやタブレット、携帯は使用しない人が多くなる。だがその人はタブレットで電子書籍を読むという。

年末に携帯を買い換えた。その際、販売店の人からしつこくタブレットをすすめられる。結局タブレットは購入しなかった。

タブレットといって思い出す。先日出かけたけたスリランカ。3人の方丈様のうち長崎の方丈様はタブレットで写真を撮られていた。画面も大きくデジカメに比べて迫力が違う。その際も、タブレットの威力に惹かれる。だが購入する気持ちは今のところない。だが持ってもいいかなとの思いは強まる。

人を大まかに分ける際、パソコンを含めた電子機器の使用の有無がある。いくら仲がいいといってもパソコンを使いこなさず、携帯もいらないという人とは話が合わないときもある。

昨日出会った年配の男性は時代についていっておられる。今の時代を嘆かず、自分のできる範囲で時代について行きたい。

そう思うとタブレットは必需品!?もうちょっと考えよう!

今日は夕方から、フルートのレッスンに出かける。それまで少し練習しよう。そして早く旅のブログをアップしようとする。だが、先日削除してしまい思うようにコトが運ばない。

時間はあっという間に過ぎていく。そういえば今日は父が亡くなって丸23年が過ぎる祥月命日。その日はいつものように仕事に出かけた。東京から著名人が来られて会社主催の講演会をしていた。その会場で父の亡くなったことを聞く。あれから23年。月日の経つのは早い。

2年前の東日本大震災。この前後には毎年我が家は母と父を供養する日となる。まだまだ父や母の年までにはかなりの年数がある。だが、23年もあっという間に過ぎた。一日を大事にして今日も張り切って過ごそう!さあ元気を出して!

2013年3月11日月曜日

「節分草」を見に里山ウオーク

今日の天気予報は最高気温12度、最低気温1度と寒い。暖かかった昨朝は何処?

昨日は「小京都春を告げる山野草、広島再発見、日本一の妖精節分草、銀山街道天領上下ひなまつり」と銘打ったバスツアーに参加する。

参加者の99%は女性。その一番の目的は節分草を見ること。この、節分草、想像していたよりもとても小さい花で、教えてもらって初めて気がつく。

旅のサブタイトルは「春の訪れ 可憐な山野草“2大妖精”自生地を訪ねて」とある。最近造られたという広島中央フライトロードといわれるアーチ橋ランキング日本一の「広島スカイアーチ」をバスは通って県北部の三次市吉舎(きさ)町安田という山野草の自生地に着く。現地のガイドに案内され、花言葉「幸せになる」という「ユキワリイチゲ」を見る。

バスが県北に入る頃には雨が振り出す。だが、自生地を目指して歩き始めると雨も止む。さすが、県北、市内と比べて気温はかなり低い。持参したダウンジャケットを着て散策する。

しかし、昨日は最悪のコンディション。鼻水が一日中止まらない。どうなるものかと思いながらも、花を目指して歩く。山奥に行けば行くほど鼻水がひどくなる。ということは黄砂だけでなく、スギ花粉の影響が大ということになるのだろうか。

「ユキワリイチゲ」の自生地から少し場所を変えると「節分草」も「セリバオウエン」という可憐な花もたくさん咲いている。
セリバオウレン
 「ユキワリイチゲ」は太陽が昇らないと開花しない。そのため“わがままな朝寝坊”とも呼ばれる。幸い、太陽が昇らなくても日中のためか昨日は開花を見る。「節分草」の花言葉は「気品・微笑」。

バスは目指す「節分草」の本場、総領町に向かう。ここで地元の人たち手作りのおもてなし料理の昼食を戴く。その会場は廃校になった小学校の講堂。

山菜料理でとても美味。寒いところなので一番のご馳走は豚汁。体も温まる。だが、鼻水は止まりそうに無い。昼食後、仕方なくそれを止める薬を飲む。それでも鼻水は止まらない。

美味しいものを食べた後は「節分草」の花守ガイドについて一般公開されているところまで里山ウオーク。参加者は山歩きが好きな人たちが多いらしく、どの人もリュックサックとカメラを持参。
節分草
デジカメで可憐な花を写真に収める。だが、ブログにアップする際、携帯電話の写真が楽なので携帯で写す。途中には「福寿草」も咲いている。
福寿草
群を成す節分草
ユキワリイチゲ
「節分草」を堪能して見た後はバスに乗って“天領上下ひなまつり”に行く。このときも鼻水は止まらず・・・。

お雛様は余り関心がない。昔風の古びた建物に入るたび、余計鼻水が出る。空気が悪いと思いながら歩く。

予定の時刻より、1時間早く市内へ到着。この頃になるとやっと鼻水もおさまる。コンディションが悪いにもかかわらず、友だちと新幹線口の「酔心」に入り、夕飯を食べて帰宅する。

今週もスケジュールが詰まっている。今日一日は家でのんびりしよう。一緒に行った友だちは鼻水と格闘する姿を見て不思議がる。逆にこちらはそうならない人が羨ましい。当分、この状態は続く!?

2013年3月10日日曜日

頑張れ!

今日の最高気温18度、最低気温12度と最低が高くなり朝が楽になってくる。やっと暖房も要らなくなった。

昨日は午後、節分草を一緒に見に行くわかちゃんが久しぶり我が家にやってくる。家も近く幼馴染とあってわかちゃんとはよく会っている。だが、ここ1ヶ月くらい、互いに国内や海外に出かけていて会う機会がなかった。

昨日は互いにお土産を交換して短時間ながら談笑する。

わかちゃんが帰った後は、スペイン語の講座へ出かける。講座といっても昨日はペルー人の先生の指導でペルー料理を作る。各自、材料を用意して会場へ行く。

初めて会う人も2人いた。総人員は先生を含めて11人いた。

この教室は入ったばかりで雰囲気が今一歩つかめない。まして料理となるとなおさらわからないことばかり。だがその心配をよそに先生はスペイン語を話しながら料理を作ってくださる。

昨日個人的に持参したものはサラダ油。どれくらいの量を持参すればよいか分からず、スーパーで400CCのサラダ油を購入する。ところが、そのサラダ油、1000CCの量も100CCの量も金額は同じ。これには吃驚。家で使用するサラダ油は1000CC。それでは重過ぎるので小さめの400CCを持参する。

料理の時間にはや代わりとなるため、どの人もエプロンを持参する。だが、いつもの恰好で出かけたため、何となく体裁が悪い。とはいっても家で料理をする時もエプロンを使用したことは無い。皆律儀なヒトだとまた驚く。

メニューは以下の3品だった。

Entorada( Sopa)スープ
Polta Rellera (Fuchifu)かぼちゃ、とうもろこし、干した海老などを使った中華風のシチュウ
Segunndo (Locro de Zapallo)アボガドの種をくりぬいたものに鶏肉を糸状に割いたサラダ

これに白ワインがつく。どれも美味。料理中、先生の話されるスペイン語は調味料一つをとってもチンプンカンプンわからない。だが来月もまた料理があるそうなので、慣れるだろう。

ともあれ、皆で作って美味しいものを食べる。これはこれでまた楽しい。

講座が終わるとこの教室で知りあった人と駅まで話をしながら帰る。その人はアラビア語も習っている。スペイン語がわからないというとアラビア語に比べればわかっているほうだと慰めてもらう。そういえばそうか、とこちらもまた妙に納得する。ともあれ、スペイン語を習いはじめてまだ1年も経っていない。そう思えば何もわからないからといって気にすることも無い。

土曜日に習ったAnimate(頑張れ)! 中国語では加油(jia you)!英語ではどういうんだろう。Good luck!or Go for it!つかったことがない。ともあれ今日も一日Animate!!

2013年3月9日土曜日

嗚呼!

今日の最高気温21度、最低気温8度と春本番になってきた。だが、この季節、黄砂がひどくなる。外に出るときはマスクは必需品。口の中がザラザラしそうなくらい空気が悪い。春を楽しむには辛すぎる季節になる。

いつも拝見している人のブログを見る。昨日のブログには花粉症の怒りがぶつけられている。その意見に同感すると同時に、この季節の花粉症は、花粉ではなくてむしろ黄砂の方が影響している気がする。

黄砂の一番わかりやすい例は山を見ればわかる。山が山として見えずぼんやりとしている。空と山の境がなくなる。この空気の悪さは杉様のせいだけではない!

中国からの黄砂に加えてもたらされるPM.2.5。もう何も中国からのものはいらない!?

先ほどの人のブログでは「明日と明後日は一切外出しませんから。。1円も遣いませんから。。」と空気汚染に対抗する。このフレーズ、可笑しい!

姪と旅行のことで話した時、「中国へは行きたくない」と言うと姪の返答は「中国へはいかなくていい。一円も中国へ落とさなくていい」と強く言ったことがある。「一円」の表現がまるで同じ!!

黄砂のせいで益々その思いが強くなる。これからはこの悪い空気に耐えられる人だけが生き残る!?変な時代になった。

黄砂のせいで鼻水と毎日格闘する。鼻水が出ると集中力が全くなくなる。そのせいにしてはいけないのかもしれない。昨夜は大失敗をする。明日くらいにスリランカの旅の模様をブログにアップする予定だった。それが、なんと、なんと・・・。

うっかり投稿を編集していて元へ戻す矢印に触ると違う場面が「保存」された。嗚呼、何と言うこと。それまでの投稿記事はすべてアウト。なんど取り返そうと思ってももう後の祭り。

気を取り直して最初からやり始める。先ずは、画像を取り込むことから始める。昨夜はそれまでにして眠る。今日からまた新たに一からやり直し。

大怪我をしたことを思えば何のことは無い。気を入れ替えて今日から再度投稿に挑戦しよう。

とはいってもやはり残念。嗚呼!!元気を出して頑張れ、頑張れ!!それでも嗚呼!

2013年3月8日金曜日

「インド洋の“光り輝く島”スリランカ」の旅 動画編

今日の天気予報では最高気温18度、最低気温9度と朝から暖かい。このまま暖かくなるのだろうか。季節の変わり目は鼻水と格闘する日々となる。

昨日のブログでそのタイトルを「恩沢」とした。それに相応しいコメントを戴く。

それは、スリランカでご一緒した人からのYOU TUBE アップを知らせるコメントだった。

コメントには自由に動画を使っていいですとのことで、早速、今日のブログにそれをアップさせて戴きます。動画は旅の楽しかった模様をコンパクトにまとめられています。また、映像とともに挿入された音楽も素晴らしい!再度、楽しかった旅を思いだします。チョッピリ自分の姿もちらほらします。それもいい思い出となるでしょう。本当にありがとうございました!
 
昨日は、夕方からスペイン語の教室へ行く。入門コースなので英語で言えばbe動詞を習う。スペイン語ではser動詞とestar動詞の2つに当てはまる。この使い分けが難しい。だが、この程度ならばどうにかわかる。来週からは英語で言えばhave動詞でスペイン語ではtener動詞。これは厄介な動詞。ここからが難しくなっていく。頑張ろう。

授業が終わり、後の席の学生に声をかけると中学生男子だった。なぜスペイン語を?と尋ねると先生の知り合いだとか。そして家も教室の近くらしい。中学から英語とスペイン語を学べば上達も早いだろう。ある面、羨ましい限り。

今朝は遅い起床。朝食後、友だちから電話が入る。ブログを読んでもらっているようで、毎日、動き回っていることを心配して下さる。動き回っているうちは大丈夫。それよりも動かなくなったら自分の中では要注意。その節はありがとう!

電話を切ると、姪から電話がかかる。近くまで子供の薬を取りに耳鼻科へ来たという。お昼を一緒に食べようと言うと、我が家へやって来た。姪の運転する車で食事に行く。姪は子供3人の学校や幼稚園に出かけている隙に動き回っている。少しばかり旅のお土産を渡し、いろんなコトを話す。姪も頑張っている。

皆、暖かくなり忙しく動き回っている。やっぱり動けるうちが元気ということだろう。せいぜい、動けるうちは動き回ろう。無理をしない程度に・・・。

2013年3月7日木曜日

「恩沢」

今日の最高気温17度、最低気温6度の予報で春が駆け足でやってくる。昨日も春の陽気で空は澄み渡る。それは、陽気のせいばかりではなさそうだった。

小さい頃から視力が悪い。そのため定期的に眼科に通っている。2ヶ月前に眼圧の検査をするので、いつでもいいから早めに来院するようにといわれる。だが、外国へ行く前に悪い結果を聞くのも嫌なのでそのままにしていた。

しかし、昨日は思い切って眼科へ行く。眼圧の検査は、目の瞳孔を開いて行う。そのため、先に瞳孔を開く薬を点眼する。点眼後、しばらく目を瞑って待つ。

瞳孔の検査は5年前にもする。視力は悪くても、視神経やその血管は綺麗だといわれる。昨日も、器械で瞳の写真を撮る。心配したけど結果は良かった。少し、白内障が見られるという。だが、母に言わせると強度の近視は白内障は進まないと。だから母も亡くなるまでその手術をしなかった。

昨日も目の神経と言うか血管はきれいだと医師は告げる。安心して帰宅する。

帰宅中も、まだ瞳孔が閉じておらず、陽射しはまばゆい。そして周りの風景はどこを見ても色がとても綺麗。空の青さも我が家の塀も何もかも原色で目に入る。

昨日、急に眼科へ検診に行こうと思ったのは、恩人と慕う人からその前に電話がかかったことにある。気をよくして眼科に行く。その人は県の北部に住んでいる。今度の日曜日、節分草を見にバスの旅で行く。

その人の近くまで行くので電話をしようと思っていた矢先だった。昨年、10数年ぶりくらいで会っている。だが、その人にはいくらお礼をしても仕切れないほどの恩がある。

昨日かかってきた電話では、誕生日のメールをしたけど何の返事もないとの話だった。しばらく外国へ出かけていた。だが、誕生日はそれより少し前。これまでお世話になって、誕生日まで気を使ってもらう。本当にありがたい。思わず、何でも奢ってあげるから・・・といってしまった。

今あるのは、その人のお蔭といつも思っている。その恩人は自転車、水泳、外国旅行など何もできないモノを狭い料簡から引っ張り出してそのきっかけを作ってくれた。他にも大事なコトでお世話になっている。

澤地久枝の『旅は道連れ』ではないけれども「恩沢」を受けた人だ。本来ならば少しくらいのご馳走でも足りることはない。だが、昨日もそう告げると嬉しくて涙が出ると笑って話してくれる。

昨日の話でも、毎週1キロ泳ぎに行くと話すと、その人は最近元気を取り戻し、泳ぎに行こうかなと思い始めたという。そして、「随分変わったね!」と驚かれる。

昨日は、他にも眼科から帰ると、BSで映画を放映していた。思わず見てしまう。「アイリス」というタイトルでイギリス映画。映画はイギリスの作家アイリス・マードックの話らしい。その人については全く知らない。アイリスは映画の中で何度も言う。「自由と幸福の追求」と。

彼女は若い頃、自由奔放に生きていた。だが、老年になり認知症になる。作家なのに文が書けない。その時、夫は「運命の不公平に腹が立つ」といって妻を冷たくののしる。

だが、それもつかの間のこと。次第に、若き日に過ごしたことと現在を織り交ぜながら話は進む。そして夫は妻であるアイリスに「君は書ける。一字でもいいから頑張れ!}と励ます。そして「本を読んだら泳ごう。泳いだら昔のように書ける」といって励ます。

昔は裸で泳ぐような人生のアイリスだった。だが今はそれもできず・・・。ある日、郵便配達が書類を持ってくる。アイリスは一つ覚えのように「郵便配達、郵便配達」と繰り返す。ある日、認知がひどくなり、家から飛び出してスーパーのレジのところで結婚の立会人のモーリスに見つけられ、家につれて帰ってもらう。

アイリスはまた、これまでの自分を夫にすべて話す。その際「一番私を知っているのはあなた」と言うと夫は「ありがとう」。

ある日、人の不幸に立会った夫は演説する。「ジョークを飛ばすことは身投げをせずにすむこと」と。続けて「愛にも終わりが・・・人生も直に終わります」。

何度も介護施設から夫に妻を入れるように請願される。最後の請願と思われるとき、施設入所を決意する。「I LOVE YOU」、「わかっているよ」、「次の日もそして次の日も一緒にいよう」。施設のベッドで亡骸をみる・・・。ここで終わる。

悲しいかな、アイリスのようなそういう夫はいない。だけど、これまでいろんな人に親切にされてどうにか楽しく毎日を送っている。昨日電話をくれた人もその一人。ありがたい!

昨日は夜まで旅の模様をブログに投稿。近いうちアップしよう。

昨日は友だちからの電話や映画、旅の模様の投稿準備をしていてこれまでの思いをめぐらす。母がいなくなって丸2年。さすがにいつになく流れていた涙も次第に流れなくなる。これも周りの人からのお蔭(恩沢)と思っている。

さあ今日も、楽しく過ごそう。元気を出して!頑張れ!

2013年3月6日水曜日

フルートレッスンに行く

今日の天気予報によると最高気温16度、最低気温4度となっている。今日も春らしい一日になりそうだ。

昨日も暖かかった。フルートのレッスンに行く前、4,5月に出かける旅行社を訪問する。そこは初めて行く場所でNHKの広島センタービル21階にある。放送局の中は入ったことが何度かある。だが、最上階の21階へは初めて行く。旅行社のカウンターには2人の係りがいる。だが、どちらも接客中。接客も終わると、係りの人に用件を話す。ふと、掲示板を見ると、市内のほとんどの旅行社と代理店契約を結んでいる。

それをみて、カードを作っている会社でもいいのではないのかと頭を掠める。それを尋ねると、その旅行社へ聞くように言われる。ともあれ、昨日は2件分の申込金を支払う。

旅行社を出たすぐ横に、入り口がある。好奇心のままにこそっと目を向けると女性が一人腰掛けている。そこはなんとも見晴らしのいい場所。こんなところが広島にある?と見ず知らずの人に言ってしまう。その人も3回ほど来ているという。

ビルの一部が半円形になり、半円形に沿って腰かけられるようになっている。眼下を見渡すと、広島平和公園、真向かいはリーガロイヤルホテル、そして広島の山々と川が流れる。申し分ないロケーション。余りにも気に入ったので見知らぬ人にそう話すと、その人は市長宛に旧市民球場跡地をタワーにして欲しいと請願書を出したという。ところが、時期すでに遅く、早ければとの返事を市長から貰ったという。

旧市民球場は街のど真ん中にあった。そこにタワーを作って下を眺めれば確かに21階の眺めどころではないだろう。

それにしても、どの階にもこういう開きスペースが造ってあるのだろうか。これは結構穴場である。喫茶やレストランにすれば流行るだろうに・・・。それには狭すぎる!?

そこを後にしてフルートのレッスンに行く。次のレッスンの人がお休みとかでしばし談笑する。先ほどの場所の話もする。話していても暑い。レッスン室の窓を開けても暑い。寒ければすぐ寒いというし、ちょっと暑ければ暑いという。困ったものだ。だが、昨日は冬と同じ恰好をしていたのでNHKのビルから少しの距離を歩いただけで顔から汗が流れる。

レッスン前に以前先生に教えてもらった消せるボールペンを使っていると、その替え芯もあると言われる。かなり気に入って今や3本目を使用中。替え芯があれば便利だ。また3色のボールペンもあると見せて貰う。

このボールペン。旅行中、行きの飛行機の中でブログ用にメモを書いていた。それを見て、方丈様は「持っているよ」と3色のそれを出された。それが話すきっかけになったようだ。

さてフルートのレッスン。昨日から新しい曲になる。モーツアルトのK. 165 をさらってもらう。曲は短い。楽譜を見る限り、容易そうな曲。だがそれはアレグロ。112の速度なのに63で練習している。曲の途中から、16音譜があるため、出だしから早めに吹くと16分音譜で右往左往する。

これも練習次第で少ずつ早く吹けるようになるのだろう。これは早い曲と思い、思わず「くまん蜂は飛ぶ(ちょっと題名が怪しい)」はどうなるんだろう、と先生に話すと「やってみる?」と先生。冗談でもその言葉が可笑しい!きっと一生かかってもその曲はできないでしょう。

レッスン後、隣の大型電器店によりデジカメの電池とSDカードを購入。デジカメの電池は旅先では4日くらいしか持たない。予備が必要だ。

毎日のように出歩いている。だが黄砂か何かわからないけど、外の空気が悪い。鼻水はきっとこの空気の悪さに寄るのだろう。マスクをして外へ出るしかない!?熊本県では、中国からの大気汚染でPM.2.5の基準値が超えたという。

何があっても自分の身は自分で守るしかない。それにしても大気汚染は困ったことだ。それにぶつぶつ言わず、今日も元気を出して・・・。頑張れ!!

2013年3月5日火曜日

「人生はいいことばかりじゃないけど諦めずに生きるんだ」

今日の最高気温14度、最低気温4度の予報で暖かくなりそう。

昨日は、4月に出かける旅行社から書類が届く。4月も5月も旅行社は同じ。だが、旅行を主催する管轄が違う。今日は夕方、フルートのレッスンに出かける。旅行社の支店がレッスン会場から近い。2箇所の旅行申込金を支払いに行こう。

昨日は他にも「旅友」となった小倉の人からスリランカの写真が送られてきた。その人と2人で写った写真が数枚入っている。我ながら楽しそうに写っていると感激する。その人とは5月に一緒に旅行する。いい人と知り合えてよかった!

旅といえば、今回もいろんな人がおられた。スリランカまでの飛行機で早くも連絡先を知らせて欲しいと言った人がいた。その女性は何故か異常に親切だった。何から何まで親切だった。だがこういう人は要注意。今回の旅で知る。決して悪い人ではない。だが自分の思うようにならない言葉や行動に対して掌を返すような態度で非難しまくる。これには参った!その後、この人には近づかないようにした。

他にもある晩、年配の女性からビールを飲む?と聞かれる。前の晩、缶ビールを注文したというと、その人は缶ビールを注文する。だが、前日の料金を税抜きで知らせた。すると当日の料金が前日よりも高いと言い出す。昨晩のことをはっきりと金額まで覚えていない。すると、合点がいかないらしく、添乗員を呼ぼうといいだす始末。これにも参った。旅の最中の楽しい宴。たかだか高くても100円未満の話。それをとやかく言う?と呆れてしまった。

その人も話の途中で急にムキになる。ころっと態度や言動が変わる人は要注意。年を経ておられるからだろうか。反面教師として見習おう。

そうは言っても、それは瞬間のデキゴト。それ以外は楽しい旅だった。帰りの飛行機の中で態度が急変する人のコトは他の男の人からも出ていた。いろんな人にそういう態度をとっていたのかもしれない。結局はわがままな人なのだろう。

その点、写真を送ってくれた人は優しかった。人のことに気がつく人だった。それはいい面として見習おう。

昨日のお昼過ぎ、いつもの如く自転車で外出しようとする。ところがふとBSをつけると“シャイン”をしている。これは随分前に見たいと思った映画。外に出ず、パソコンを触りながら見ていた。

子供のころからピアノの才能があり、イギリスへ留学するよう要請がある。だが、父親はそれに反対。それを押し切って留学する。だが精神に異常を来たす・・・。物語はそこから始まる。

最後の辺りでいいコトを言っている。「生き抜くために強くならなきゃね」、「人生はいいことばかりじゃないけど諦めずに生きるんだ」。思わずこの2点をメモする。

確かに人生、いいことばかりじゃない。でも生きてさえいればいいこともある。そう思ったスリランカの旅だった。

旅の模様は昨夜、写真を取り込んだりしてだいぶできあがってきた。もう少しするとブログをアップしよう。

今月も日帰りや泊りの旅を計画している。早くブログをアップしないとブログに追いまくられそうになる。

今日も一日元気を出して頑張ろう。さあ張り切って!

2013年3月4日月曜日

仕切り直しの女子会!?

今朝は風もなく暖かい。朝早くからドアホンがなる。「外に出てください」との近所の人の声。すぐに外へ出ると、カラス様に見事にゴミを荒らされている。

それも、道幅一面にゴミを撒き散らし、主が近づいても2匹のカラスは逃げようともしない。先ほど教えてくれた人が気にかかるのか再度やってくる。

カラス対策のため、ゴミ袋に網をかぶせている。それも効果ない。教えてくれた人は親切に網を袋状にすればいいと袋にしてくれる。ナイロン袋を手袋代わりにしてゴミを拾い集める。どうにか終える頃、やっとカラスはどこかへ・・・。

それでも再度、外に出てみる。今のところは大丈夫。最近はカラスも鳴き声を出さずにそっとやってくる。カラスは偉い。

昨日はお昼にプールに出かける。日曜日なのにクラブの練習もしており、にぎやか。だが、それもしばらくすると終わり、泳ぐ人も2,3人と少なくなりコースを独り占めにして泳ぐ。500メートルで泳ぐのを辞めようとした。しかし、ゆっくり泳げばいいと思い、後半はほとんど背泳ぎで泳ぐ。この背泳ぎ、最近は手でかく回数も少なくなってきた。少しは早く泳げるようになっているのかもしれない。

昨日は1キロの3分の1はクロールで後は背泳ぎで泳ぐ。どんな泳ぎ方であっても、泳いだ後に鼻水が止まらない。今朝もまだ止まらない。風邪か花粉症かプールの水が悪いのか、この季節鼻水と格闘する日々が続く。

夕方になり、先日、何度試みても思うようにならなかった写真をパソコンに取り込む。頭を冷して試みるとCDもインストールできた。さきほど旅の模様を取り込もうと試運転するとOKだった。これで以前削除していたものとは違うソフトでなんとかブログに写真も取り込めそう。

それを試みている途中、メールや電話が飛び交う。先日の女子会で1人を除いてカフェに入る。「〇〇〇ちゃんと耐久レース最後のcofeeを一緒に飲めなく淋しく思いました。」とある。3人で入ったことが申し訳なく、「近いうちにまた・・・仕切り直しの女子会のリクエストあり・・・」とある。さらに、ブログを読んでもらっているようで「日記で元気貰って新しい週も頑張るぞ~~NO.4より」とある。

いつも送られてくるメール。それを本人の許可も得ず、勝手に投稿している。ところがカフェに行かなかった人からもブログの「登場人物が自分達っていうのが嬉しいわ」とある。

これからも勝手にブログにアップさせてもらおう。

「仕切り直しの女子会」は平和公園でのお花見!?茣蓙を引いて4人でお花見弁当にビール付き。これじゃ、やっぱり「オバサン会」。いや、いや、やっぱり「オジサン会」。まあ何でもいいけど来月もまた楽しい女子会をしましょう。桜の花に負けないように若々しく・・・。その時のドレスコードは桜にちなんで・・・。

話は変わって、先日、JRに乗り間違えて帰った人と話していると、人生最後にどこかへ行けといわれれば「スペインへ行く」と言っていた。それを聞いてそこまで考えたこともないけど、最後の旅行地は日本がいい!

日本は食べ物も気候もお水も人も、そして桜も咲いて他の国に勝る。あえて一国といえばどこだろう。まだ未知の国が多すぎて決められそうにない。

さあ今日も一日元気を出して、頑張れ!!

ブログ投稿後、ドアホンがなる。「宅急便です」と言う。画面上では白い箱を持っている人が見える。本当の宅急便と思って外へ出る。すると、男の人は笑っている。「どういうこと?」と怪訝な顔をしていると、「実は僕、宅急便ではないんです。京都の大福餅を・・・」といい始める。宅急便でなくて押し売りだった。

うっかり宅急便といっても外へ出られない。これからは「どこからの宅急便ですか」と念を押さないといけないのだろうか。怖い世の中になったものである。

2013年3月3日日曜日

「私は~が好きである」“Me gusuta~”

今日の最高気温10度、最低気温1度で明け方は寒かった。だが、陽射しがある。

今朝は母の言葉で目が覚める。「〇ちゃん、早よう起きんさいや。もうお昼よ。」。夢を見ていた。

昨夜のスペイン語講座ではその雰囲気にも慣れる。隣の席の人から「いつからこの教室で習っている?」と聞かれる。聞いた人よりも1週間早いだけだ。

このスペイン語講座、存続の危機にあったとか。それが、先月3人が新たに加わる。これで一安心らしい。クラスで新人である。だが、このサークルの人たちはいい人たちなのだろう。かなり馴染んでいる。

昨夜の講座ではちりばめられた単語で一つのセンテンスを作る。それが10問と、クイズ形式のものがスペイン語で記されていた。

文を作る際、先生はそれにちなんで一人ずつ質問される。

「私は~が好きである」“Me gusuta~”、「私の好きな音楽の種類は~である」、「今週末、私は~をする」、「昨夜は~をした」などをスペイン語で返答する。その際の返答の「~」はそれぞれ「音楽」「フルートを吹く」「泳ぐ」「女子会でビールとワインを飲んだ」と話すと皆から笑われてしまった。

特に「泳ぐ」と言った後、「一キロ泳ぐ」と言うと驚かれる。また「女子会」もそうだった。「女子会」と言うよりも「オバサン会」!?

先生の話される「女子会」のスペイン語の訳を海外ボランティアへ出かけていた人からスペルをノートに書いてもらう。すべてスペイン語で話されるのでわからないところが多い。そのため、つい隣の人に聞いてしまう。

このサークル、一人変なオバサンが入ったため、かなりカルチゃーショックを与えているかもしれない。これまで「おとなしく」見られていた。これはマイナスイメージ。これからはナニゴトも自分をさらけ出して生きていこう。そう思うと気も楽になる。

来週には早速、スペイン語講座は料理の時間にはや代わり。自分をさらけ出すといっても、その場をかき乱してはいけない。どういう手順でモノゴトをすすめるのか聞いていた。すると、各自持参するものを言い始める。結局、「サラダ油」を持参するように言われる。来週は「油を売りにきます!」と言ってしまった。

30年前、初めて中国語を習う。その時は、今よりも若かったこともあり、すべての人がおっさんやオバサンに見えた。ところが今や、その人たちの年齢をはるかに超えているかもしれない。それなのに気持はその当時と変わらない。

何かを始めようとすると何歳になっても謙虚になれる。

昨夜は講義後、3人で広島駅に向かって歩く。途中一人は駅で買い物。残った2人でJRに乗る。相手の人は一つ先の駅で降りる。だがその人は優しい。呉線で同じところまで乗り、それから山陽線に乗り換えるという。

呉線に乗ると一向に止まる気配が無い。快速に乗車していた。仕方なく、止まった駅で元の駅までかえる。長い帰路となる。

一つ先の駅まで帰るその人に対して申し訳ない。と同時に、親切な人のいるグループに入ったなあと改めて思う。その人と初めて、昨夜は道中いろんなコトを話した。サークルのメンバーは10数年間、スペイン語を習っている。それに混じって初心者は学ぶ。だから、大変なコトは大変。だが、続けるためには楽しく・・・とその人も話す。この考えに同感する。

お蔭で来週の料理は楽しいだろう。

それにしても世の中、親切な人が多い。つくづくそう感じている。人には優しく!

今日は、元気を出して泳ぎに行こう。2,3週間泳いでいない。無理せずに泳ごう!さあ今日も一日元気を出して頑張れ!

2013年3月2日土曜日

お雛様女子会&旅の話題etc.

今日の最高気温10度、最低気温4度の予報でまだまだ寒い。昨夜は、雨の降り続く中、お雛様女子会に出かける。3ヶ月ぶりに皆の元気そうな顔を見る。

出かけた場所は忘年会の会場と同じで、箸袋には「女子会」と印刷されている。金網越しに隣のグループを見ると当然箸袋の命名は異なる。はっきりとは見えないけれども「〇〇様ご一行様」と印刷されていた。

このグループ、しきりにタバコを吸う。最近、どこへ出かけてもタバコを吸う場面に出くわさない。それを気にしながらも、ひたすら、食べて、飲んで、談笑する。

途中、歓送迎会のグループが気勢をあげる。思わずつられて手を叩きそうになる。

そういう行事とおさらばして早11年目を迎えようとしている。月日の経つのは早い。年齢とともに加速度をまして一日が早く過ぎてゆく。じっとしている場合じゃない。そう自分に言い聞かせつつ、毎日よく遊ぶ。

美味しいものを食べた後は、ティータイム。風邪気味の一人を除いて3人で新幹線口のカフェに行く。だが、9時の閉店間際で、仕方なく隣のマックに入る。ここでホットとアップルパイを注文。パイはお腹一杯で食べられない。ホットだけでは悪いと思い、ついでに頼む。ホットを飲もうとすると会員NO.4さんは蓋の付いたままホットを飲み始める。これに驚く。

蓋は取って飲むものと勝手に思っていた。ところが、ところが・・・。そのやり方を教えてもらって蓋の付いたままで飲む。なんだか缶ビールを缶のまま飲む感じでおぼつかない。だが、NO.4さんはそうして飲むほうが飲みやすいという。

なんでも自分流と言うかやり方があるのだろう。

昨夜の女子会は、それぞれ、集合前に行事を済ませている。一人は仕事を、もう一人はパートの仕事を、そしてボランティアを2件済ませてやってきた人もいる。その中に、4人の中でも年長者の遊び人一人が加わる。

話をしていて女子会の一人に向かって、今ブレイク中の「キンタロー」ではなく、本物の「金太郎」と話す。丸々とかわいい顔をしてふっくらとした丸い手を見ていると思わず「金太郎」といってしまった。

それを聞いた人はお孫さんが「金太郎」のようだと笑っていう。自分の中の金太郎のイメージは彼女そのもの。これがまた可笑しい!ただ笑っている彼女もまた可笑しい!

お雛様女子会も楽しいうちに終わった。次回は何を話題にしましょうか。また会いましょう!

今朝は、昨日電話しても留守だった小倉の人に電話する。5月に出かける旅行社から書類一式が届く。先ずはその報告を兼ねての電話をする。

昨日の留守は、スリランカで撮った写真を現像しに小倉市内まで出かけたことと、旅の費用をカード決済で全額支払ったとのコトだった。

カードに付帯する海外旅行傷害保険を利用するため、カード決済したらしい。だが、電話では今度利用する会社はカード決済できない。それを聞いて電話を切って旅行社に掛けなおす、すると広島の支店へ出向いてすればカードもOKだった。書類上のやり取りは郵送で、代金決済は地元の支店ですることにする。

いずれにせよ、その点大手の会社は便利、私にとっては初めて利用する旅行社だ。5月にはこれまでと違って発展した国に行けそう。楽しみにして待つことにしよう。

それにしても今朝の話では、小倉市内の現像所で現像する際、旅で一緒だった小倉の方丈様もそこを利用するとのことだった。小倉の人もそれを聞いて驚いた様子で話される。世の中は狭い!

10日に節分草を見に行く。今日の電話の人も8,9日と豪華バスの旅で節分草を見に来られるとか。

もしかして春は節分草で始まる!?楽しみにして春を訪れを待つことにしよう。

今日は鼻水もおさまってきた。泳ぎは明日に延ばして夕方のスペイン語講座へ出かけるまでゆっくりしよう!さあ今日も元気を出して頑張れ!

2013年3月1日金曜日

スペイン語講座etc.

昨日と一昨日のあの春らしいお天気が一転して今朝は朝から雨が降り続く。

パソコンと遊びながらラジオを聴いていると春一番が吹いたとか。一雨ごとに春の息吹が感じられる季節になってきた。

昨夜は、夕方からスペイン語の講座に出かける。2度ほど欠席。だけど、先生からその間に配られたプリントを受取る。2回目の講座でパソコンで使用するスペインの文字の起動の仕方を習う予定だった。昨夜はそのプリントを受取る。これはちょっと嬉しかった。これまではワードを起動させて特殊文字を出して入力していた。だがこれからはそれをしなくても大丈夫。

一年間大学の教養課程のスペイン語ベーシックを受講した。しかし、2月の講座で再度、違う先生から習う。教える人が違えば習い方も違う。今の先生はご自身がスペイン語を習ったときのことを「50年前」と昨夜話された。ということはもしかしたらそのお年は七十歳を超えておられるかもしれない。しかし、所作や物言いが若々しい。一番元気なのは先生の感じで講義をされる。

そのため再度、スペイン語の入門から始めてもおさらいの感じとともに、新たな発見もある。昨夜もそうだった。先生自らがスペイン語に関して受けた感じをわかりやすく話される。それもニコニコと笑顔を交えて・・・。

土曜日のペルー人のスペイン語講座では習った年数が短いため他の人よりも語学力は劣る。だが、木曜日の入門講座では1年間、習ってきたのでわかりやすい。木、土の2箇所で丁度良くなる!?土曜日の講座では今月は料理も作るとか。先生自らが腕を振るわれるらしい。これも楽しみ!

それにしても、ふと思う。今やっているフルート、スペイン語、水泳、音楽鑑賞、旅行などなんでも似たり寄ったりの年齢の人たちが多い。フルートを習い始めた20年前は決してこのようなことはなかった。アジアを学ぶ会や中国語でも新卒や現役の大学生などの若い人たちがたくさんいた。フルートでは8人が同時にレッスンを受けたこともある。それが今やどこにも若者はいない。

とはいっても当時は私自身も今より若かった。

この原因はどこにあるのだろう。ある面、いい時代を生きてきた!?

昨夜は、毎日動き回っているため疲れてよく眠る。今朝は、先ほどまでデジカメで撮った写真をパソコンに取り込もうと何度も試みる。だが、結果は良くない。

1ヶ月くらい前、パソコンのメモリ不足でいろんなものを削除してしまった。それが原因かもしれない。再度、CDでインストールする。だが困難を極める。旅のブログアップは写真が取り込めそうに無い。頭を冷した後で再度試みることにしよう。

今日はパソコンと格闘しているうちに午後になってしまった。これから徒歩で旅の写真を受取りにスーパーへ行こう。そして夕方はお雛様女子会が待っている。

先ほど、3月のカレンダーにかえる。2月の外に出た日数を数えてみるとほとんど毎日のように出ている。3月の予定も詰まっている。無理をしない程度に外へでよう。それにしても「ゆっくりせよ」とのシグナルなのか鼻水が止まらない。明日の泳ぎも危ない感じ。元気を出そう!