2024年5月7日火曜日

由志園と足立美術館の日帰りバスツアー その2

 行楽日和の子供の日に島根県にある由志園と足立美術館への日帰りバスツアーに参加した。その1に続けて画像をアップしよう。

由志園牡丹コンテストに投票した「景観」

由志園内のシャクヤク

由志園内のシャクヤク
 シャクヤクと牡丹の違いをこのツアーで初めて知った。葉っぱに違いがあるとか。個人的には派手な牡丹よりもシャクヤクが好みだ。ネットによるとシャクヤクは草で牡丹は木らしい。他にも似たような花として石楠花がある。この3つを区別するのは難しい。
これは石楠花(?)

由志園内を流れる竜渓滝

新緑の由志園内を歩く

足立美術館庭園

バスの車窓から見る鰯雲
 広島から松江までの観光バスは高速道を通る。高速を通るバスは新幹線と違って3,4時間のバス乗車はめずらしくない。長時間のバス車窓から何気なく空を眺めるといつもは見ない雲が出る。(もしかして鰯雲?)と思ってカメラで写す。鰯雲になると雨が降るとか。バスのフロントガラスを見るとボツボツと雨が降っている。が、すぐに止む。

 行楽シーズン真っ盛りの中、日帰りバスツアーに参加した。この春は雨の日が多い。遊びに行くには何と言ってもお天気の良さが一番大事だ。その点ではいい旅だった。近いうち日を置かずに続けてバスツアーに参加する。次のツアーも好天に恵まれるといいのだが、さてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年5月6日月曜日

由志園と足立美術館の日帰りバスツアー その1

 島根県松江市の大根島にある由志園(ゆうしえん)と島根県安来市にある足立美術館への日帰りバスツアーに参加した。広島駅新幹線口ペデストリアンデッキに集合し、8時にバスは出発。バスは途中、道の駅高野で25分の休憩がある。ちょっと長めの休憩、と思った。が、GWの影響か2か所あるトイレは長い列ができている。高野は冬になれば広島県内で一番とも言えるような積雪地帯だ。青森県の気候と似ているそうでリンゴやダイコンの産地として有名だ。寒い地域らしく、道の駅に「雪室」があると添乗員から聞いた。氷室はテレビなどで見たことがあったが雪室は初めてのキーワードですぐに見に行く。ところが看板に「雪室体験室はこちらです」とドアに書いてある。が、どうやって入るのかがわからない。思い悩んでいると男性がドアを開けた。そのすきを狙って続いて入った。ひんやりしている。中にもドアがあり、さらに奥に入るとガラス越しに雪室内がうっすらと見えた。この中に収穫したリンゴなどを保存するのだろう。

 何でも知らないことを見聞きするのは楽しい。その後は道の駅高野内に入ってぐるっと見渡す。帰りもここで休憩があると聞いた。もしかしてGWの中、帰りは渋滞に巻き込まれるかもしれない。そう思って帰りに買う食べ物を見て歩く。

 外に出ると小高い原っぱになっている。子供たちや家族連れが楽しそうに上がっている。こういうところが好きなので上がってみた。まだクローバーなどは芽を出したばかりのようだが青々とした緑の草原を歩くだけで気持ちがいい。それにしてもGWさなかの5月5日の子供の日の道の駅高野は人も車も満杯だ。毎日がGWのモノがGWに遊びに行くのは間違いのように思えた。

 休憩後、バスは由志園を目指す。ここには3万本の池泉牡丹が咲くという。以前、牡丹の時季でない寒い季節に連れて行ったもらったことがある。季節外れのためか何の感慨もなかった。ところが今回は今が牡丹の見ごろとあって想像以上の人出だ、GWとあってどこから人が来たのかというほど車も人も多い。食事場所は園内になる。食事場所に行くまでの混雑さは迷子にならないようにとついて歩く。この頃はツアーと言っても添乗員が旗をもって歩くことはほぼない。ところが今回のこの場所は旗について歩いた。

 食事場所はガラス越しに園内を眺めることができる。36名のツアーのうち1人参加者は8名。この8人でテーブルを囲む。和風料理だった。由志園のある大根島は牡丹と高麗人参の一大産地とか。食事前にこの説明を受ける。そして高麗ニンジン茶をいただく。この雰囲気がまるで中国や台湾の旅行で見かける光景に似ていた。
 
 食事時間を入れて2時間近くのフリータイムがある。園内をぐるっと歩いて回るのだが、歩く前に集合場所のバス駐車場まで無事帰れるかが気になる。係にそう話すと矢印の順番通りに進むとロビーに出て駐車場がその前にあると教えてくれた。安心して牡丹など見て歩く。あまりにも整いすぎた日本庭園だ。これは後に行く足立美術館でもそう感じた。どちらかというと自然のままが好きだ。整いすぎていると自然さがなくなる気がする。途中、園内でお気に入りの牡丹を決める投票所がある。入場券の半券に気に入った牡丹を記入して投票した。それは白い牡丹である「景観」。

 園内の牡丹は冷暖房完備の屋内で年中、楽しめる箇所がある。昨日の松江の最高気温は27度と暑かった。そのためか屋外の牡丹は心なしか元気がない。ところが屋内の牡丹は今が見ごろとばかりに咲いていた。

 由志園を後にして次に向かうは足立美術館。以前に一度バスツアーで来ている。行き届いた園内は常に日本一の庭園と評価が高い。しかし庭園内を自由に歩くことは不可能で、ただ景観を眺めるにすぎない。この辺は個人的には賛成できない。美術館内は人の列ができ、絵を見るどころではない。早くこの場から去りたい気持ちが増すが、さて出口は?と迷う始末。というのも以前に来た時と違って新館ができていた。その新館を地下道で本館とつないでいる。それで出口がわかりづらくなっている。

 歩くのは強い方なのに足が疲れる。ここも2時間のフリータイムだ。館内にカフェはあるがどのカフェも順番待ちの列ができている。カフェをあきらめて別棟にあるお土産屋付近の椅子に座って休憩する。今週は近いうちに他のツアーにも参加するので元気を保っていたい。昨日のツアーは予定では4月末に行くはずだった。ところが参加人員不足で2度も変更を余儀なくされて昨日になった。

 GW中は毎日がGWのモノは出歩くべきではない、と肝に銘じる。ただ、人が多いだけで旅本来の楽しみが薄れる。昨日のツアーで驚いたことがある。それはシルバーカーでの参加だ。誰もが老いてゆくから仕方がないのかもしれない。が、ちょっとだけ考えさせられる。もしも自分だったら、と思いを巡らせる。とはいってもそれでもツアーに参加する勇気には頭が下がる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
雪室
道の駅高野

由志園の牡丹

足立美術館庭園

2024年5月4日土曜日

GW真っただ中

 世の中、GWとやらで街中はフラワーフェスティバルでにぎわいを見せている。コロナ禍で思うようにならなかった時期もあった。その反動がフラワーフェスティバルで思いっきり楽しもうとなるのだろう。しかし、もはやその領域に入る気さえなくなったモノとしては、元気に楽しむことは若さの特権と思ったり。

 2,3日、家の中を片付けると草臥れる。ナニゴトも適当に、と気持ちを切り替えて片づけは又の機会に。まあ、すぐにはこの世から消えないと思うので少しずつ片付けるしかない。と言いながらも片づけ=廃棄となる。それが簡単なことではない。今日も行楽日和だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年5月3日金曜日

食器棚の上

 GWというのに連日、何を思ったのか片付けに集中している。昨日は前からずっと気になっていた食器棚の上にあるものを下した。おろすと言っても踏み台に上がらないとおろせないし、触ってみるとかなりの重さがある。もしもおろす途中で重さに負けて放りだせば大けがになる。そこは慎重にして事を運ぶ。何とか下した。こんな重いものを母はよくも上にあげたもんだと思いを巡らす。

 おろしてみると大昔の食器乾燥機のようだ。GW明けに大型ごみの予約をしている。すぐに下したモノを大型ごみとして追加の電話をする。@¥250だった。コンビニでこのチケットを購入後、再度、片付ける。食器棚の上部においているモノを出して要らないものを処分する。母が亡くなってすぐに食器棚を片付けたがそれでもまだ要らないものがある。一度に何もかも片付けられないがこの季節が一番、気候も良くて片付けやすい。

 GW明けの大型ごみの収集日までに5点、廊下に出している。他にも資源ごみに出す予定の大きなナイロン袋が2袋ある。不燃ごみの2袋は自転車置き場に置いた。そんな矢先、電気店から郵便物が届く。中を見ると冷蔵庫とエアコンの買い替えのすすめだ。どちらも買い替えないといけない時期にある。が、カタログを見ると冷蔵庫は400や500Lの大型だ。一人暮らしなので次に買うときは小さいものをと思っている。しかしエアコンはいくら一人でも大きさは機能面から言っても変えられないが。GW真っただ中、空を見上げれば申し分ない青空だ。気持ちまで晴れやかになる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年5月2日木曜日

シンクの下

  一昨日、動画を見て知った泡が出るキッチンハイターをスーパーで購入した。すぐにシンクの水回りをきれいにするために試そうとした。ところが購入したのを見ると泡が出るノズルがない。間違って詰め替え用を買ったようだ。昨日、雨の中、家の前のドラッグストアに出かけてノズルの付いたのを購入。すぐに試そうとした。が、その前に台所のシンクの下が気になりだす。泡ハイターをしばし後にして、急遽、シンクの下にある長年使用していない鍋などを出して処分する。親が使っていた物やまったく使った形跡がないものまで思い切って処分する。

 大きなナイロン袋を出して、鍋などは資源ゴミ、食器や花瓶などは不燃ゴミと分別して袋に入れる。時に、何のゴミに分別するのかわからないと市のHPを開いてゴミのジャンルを分ける。しばらくはそれぞれの収集日まで屋外に置いた。ゴミは大きなナイロン袋4袋になった。これだけのゴミがなくなるとシンクの下が使いやすくなる。家の中にはこれ以外にもまだまだ多くの要らないものがある。今のところ元気なのでボツボツ処分しよう。

 近いうち大型ゴミの予約をしている。そのうちの布団を2枚、2階からおろしてゴミとして出せるようにしなくてはいけない。と同時に扇風機と電気ストーブを出すようにしている。

 寒い時季は冬眠し、暑く成れば暑いと言っては動きが鈍くなる。今の季節は動きやすいので少しずつ片付けよう。どういっても片付け=廃棄処分だが。昨夜は5月というのに気温が下がってエアコンをつけた。雨は上がったが気温差が激しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年5月1日水曜日

プールで泳ぐ

 雨降りの日が続いている。昨日は曇り空だったが勇気を出して泳ぎに行く。途中から小雨になったが、帰りはシトシト雨となり自転車に乗って急いで帰宅。プールへは午後2時ごろ着いた。泳ぐレーンは2,3人いるが浅いレーンは誰も泳いでいない。これ幸いとばかり泳ぎ始める。顔なじみの人と話すとプールのある町内に住んでいるらしく休館日の水曜日を除いて毎日泳ぎに来るという。これを聞いて驚くばかりだ。週1回を目途にして泳いでいる者との差は如何に!?さらにその人は毎朝5時から散歩するという。夜は8時か9時に寝て朝は3時起きだとか。

 早起きが大の苦手なので朝から散歩する気持ちがわからない。というかそれほど活動すると活性酸素が増えて体に悪いのではと思ったりする。自分自身ができないからそう思うのかもしれないがそれにしても頑張る人だ。年は7歳下だった。

 500m泳いで更衣室に居ると話しかけられる。以前、よく見かけていた人の名を出してその人の状況を話す。膝が悪いからプールで泳いでいたが泳ぐのはよくないと医師から止められたそうだ。道理で最近、プールで会っていない。膝が悪い人にとって水泳がよくないとは知らなかった。が、水中歩行はいいようだ。

 膝もどこも痛いところはない。が、自分にとっての水泳はただただ泳げるようになりたい一心から始めた。あれから早40年以上が経過しても泳ぐ楽しみはまだまだ色褪せていない。その辺は膝や腰が悪いからプールに通い始める人とは根本が違う。これが長続きする所以かもしれない。

 最近気づいたことがある。それはプールで泳いだ後、以前だったら鼻水が出て大変だった。ところが今年はそれがない!春先の鼻水も出なくなった。いいことである。相変わらず雨が降る。その矢先、友だちから電話がある。遊ぶ話だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月30日火曜日

YOU TUBEの効用

 お笑い芸人の「じゃない方」を推している。応援し始めて4,5か月になるだろうか。応援の甲斐があってこの頃の活躍が素晴らしい。今月一杯は他の芸人と絵本の出版と同時にそれに付随する個展を開き、一昨日のX(ツイッター)では別の新たな本の出版が決まり、ネット等で予約を募っている。

 何かのはずみでこの人のYOU TUBEを見て人柄の良さに惹かれた。その割にはコンビ芸人との売れ方に差がありすぎる。これはご本人も笑いに代えて面白おかしく話している。これにはYOU TUBEを見て応援するしかない。

 週に2回くらい動画のアップがある。なかなかの人格者で生き方も素晴らしい。動画を見ているとほかの動画も画面に表示される。1度でも観光地の動画を見れば次々といろんなところの動画が出る。それは観光だけではなくいろんなジャンルがある。昨夜、良かった動画はシンクなどの水回りの汚れの除去方法がある。これは見ていて参考になった。何と言っても泡のキッチンハイター。ハイターは使っているが泡ハイターがあるとは知らなかった。早速購入しよう。これはYOU TUBEの効用!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月29日月曜日

GW突入

 一昨日の夜、叶わなかったカード引き落とし明細を昨夜、スマホで見ていると難なく表示された。これは一体どういうこと。新たなカードに切り替えることばかりが頭にあり、冷静さを失っていたのかもしれない。今朝は来月出かける帰りの「おとなび」をネットで予約。OKだった。また、特急券もe5489で予約した。あとはみどりの券売機で発券すればいい。

 「おとなび」の制度が始まったころは「こだま」や「ひかり」は通常料金よりも6割引きで購入できた。ところがこのごろは「こだま」は4割引きでほかの「のぞみ・さくら・ひかり」などは2割引きのようだ。いずれにしても昨今の値上がりブームで仕方ないのかもしれない。

 GWに突入した。個人的には毎日がGWなのでいつもの生活と変わらない。とはいってもどこか近場へ、と思ったりする。が、すぐに気持ちを切り替えてこの期間はプールやスーパーへ行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月28日日曜日

おとなび予約

 来月出かける旅の切符をネットで予約した。年に数えるほどしかネットで予約しない。が、今回はワンタイムパスを発行して10分以内に登録するようになっている。ネット時代と言われて久しいがネットも悪用されるのを防ぐためか厳しくなっていく。新幹線の安い切符である「おとなび」で片道を予約。それ以降のJR九州の在来線特急は「e5489」で予約した。行きの片道の新幹線と在来線特急は予約したのはいいのだが一つ気になる。それは在来線の切符の予約に「特典あり」がついている。これはどんな特典があるのか、と気になる。そういえば昨年、臼杵の旅の予約でも「特典あり」と出ていた。今回、ネットで調べると「おとなび」の予約は切符の変更ができないが、何度でも変更できることが特典あり、とわかった。明日は帰りの切符を予約しよう。

 昨日、Dカード引き落としの明細がメールで届く。引き落としはスマホ代や光電話代のほかに新聞購読料と電気代などを利用している。スマホで確認しようとするとその画面が出た後すぐにDカードが新たになる旨の画面になり、明細が表示されない。仕方なく先の4点の合計の差を引き落とし額と比べると6600円の差がある。この金額は何か?を思いだす。かなり時間が経ってこのことを思いだした。それはスマホのフィルムをドコモで買った金額だ。その際、レシートなどの書類をもらわなかった。これに間違いないと気づく。

 新たなカードに変更になればネットで自ら一連の変更手続きを余儀なくされる。これは面倒なのでカードの更新期限までそのままで利用しよう。

 ネット社会の便利さはわかっているが、それにしても切符を買うにしてもなんとめんどうなことか。これから先、まだまだネット社会は進化するに違いない。それについて行くには冷静な判断と覚悟が要りそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月27日土曜日

シャチハタ

  一昨日の午後、回覧板に押印しようとしたらいつもの場所にシャチハタがない。シャチハタは仕事で使っていた。が、仕事を辞めて以降、郵便物などの受領印にと玄関の靴箱に置いていた。シャチハタを最後に使用したのは覚えている。郵便物に押印後、元の場所に置いたと思った。ところが指定の場所にシャチハタがない。それからというもの、箪笥の置きそうな場所や机、そして本箱など、いろいろと探すがいくら探しても見当たらない。シャチハタは銀行印と違ってそれほど大事なものではない。と思いながらもどこに置いたのかが気になる。 

 昨日、買い物に行こうとした。玄関に鉢植えを2個置いている。何気なく家のキーを手にするまでに鉢植えを触ってみた。葉っぱの中にシャチハタがある。指定の位置に置いたとばかり思っていたが、置き方が悪くて鉢に落としたようだ。

 シャチハタが見つかったからいいようなものだが、もしも見つからなければずっとこのことが気になるはず。というのもモノがなくなるよりも無意識のうちになぜこのような行動をするのかが気になるに違いない。それでなくても年老いてきた。老いはさらに加速度を増してやってくる。その前にこういった不注意というか無意識の行動を戒めなくてはいけない。

 このシャチハタのキーワードはまだ健在なのかをネットで調べる。あった!今でも便利な印鑑として健在のようだ。

 ちょっとしたトラブルで靴箱、机、本箱などを探しながらも要らないものを少しだけ処分した。これはよかった!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月26日金曜日

眼科へ

 某交流学会総会の案内が届いた。開封後、一番に目が行くのは総会の日だ。かなり先まで予定を入れている。が、総会の日は空白で大丈夫だった。前回の総会で旅の話が出ていた。しかし、届いた書類には旅の話題がない。国内も海外も突発的に大きな地震が発生している。とくに予定にもあった台湾へは今のところでかける気がしない。もしかしてこれは誰もが思うことかもしれないが。その点、気ままにふらっと一人で出かける旅は一番自分に合っている!?

 眼科へ行った。眼圧は13と16でこれまでと変わらない。木曜日の眼科は13時で診察が終了する。そのためかお昼前に行くと来院者が少ない。眼科医にこれまで思っていたことを聞いてみる。それは自分と同じような眼の病気の人が今でもいるのかということ。戦後すぐに生まれてあることが原因で眼を患った、と親から聞いて育った。眼科医は今、そういった眼の病気の人はいないという。時代がよくなったことによるらしい。今、不治の病とも思われる癌もいつか誰もかからなくなる時代が来るかもしれない。今日は一日曇りのようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月25日木曜日

2つの日本画展

 さっぱりしないお天気の中、思い切って街中に出る。出かける場所は八丁堀にある某金庫のギャラリーと県立美術館のギャラリーである。なるべく歩かなくても済むようにと道順を考えてまずは広島駅からバスに乗り八丁堀で降りる。春の日本画展と題されて4月いっぱい某金庫ギャラリーで開催されている。今回の展示では自分が知らない画家の作品もあった。とはいってもどの人も素晴らしい画家だ。絵を見た後はソファに腰かけてお茶をいただく。このお茶のなんと美味しいことか。
 
 最初に著名な画家たちの作品を見たのでその余韻が目に焼き付いている。絵を堪能した後、八丁堀から県立美術館まで歩いて地下ギャラリーの日本画〇〇展の作品を見る。先に見た絵が素晴らしかったためか後で見る絵がかすんで見える。決して口にしてはいけない言葉なのについ本音が出てしまう。(絵を見る順番がある)、と思い知らされる。これは音楽にも言えるかもしれない。

 絵を見た後はいつもならば県立美術館から広島駅まで歩いていた。しかし昨日はスッキリしないお天気で美術館前から電車に乗って八丁堀まで行き、ここで電車を乗り換えて広島駅まで帰る。昨日と打って変わって今日は朝からいいお天気だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月24日水曜日

雨降りの日に思う

 スッキリしないお天気が続く。今日は街中に出て2か所のギャラリーを見る予定にしている。が、雨が降り続くと気持ちが揺らぐ。外に出かけるには晴れがいい。と、いいつつもいつ晴れるかもわからずに待っていると一日が終わってしまう。ここは気持ちを切り替えて外に出る!?

 今朝の新聞広告を見ると一面、旅の募集案内がある。利尻・礼文の旅に惹かれる。が、今一歩決心がつかない。他にも隠岐の島の旅がある。隠岐の島へは半世紀以上も前に短大時代の3人で出かけた。そのころは泳げなかったが水着になって海に浸かって撮った楽しそうな写真がある。今、泳げても川や海では泳げそうにない。というのも川や海はプールと違って顔をつけて泳がない。

 先日、旅のカタログで見た対馬の旅がある。ナニゴトもそうだが行く行かないは悩んで決めることではない。旅の募集を見て行こうと思う旅はすぐに決めている。ああじゃ、こうじゃと迷っているうちは行かない方が強い。これは旅だけでなく自分自身の行動のすべてに当てはまりそうだ。

 旅といえば今、もっぱらの関心事は来月一人旅でゆく中津の旅がある。この旅の宿は予約済みで新幹線は近いうちにネットで予約する。他にも行きたいところがある。それは奈良の室生寺と長谷寺。GWとGW明けにバスツアーを申し込んでいる。その後に中津の旅がある。どんどん予定を入れると気持ちが急くようになる。その辺の折り合いをつけながら旅を計画して毎日を楽しく過ごしたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月23日火曜日

プールで泳ぐ

 これから先の天気予報を見ると明後日を除いて雨の日となりそうだ。昨日もパッとしないお天気だった。が、午前中、自転車に乗ってスーパーに出かける途中、知り合いと出会う。自転車を降りてしばし立ち話をするとその人はもうすぐ91歳になるという。これまで2度、がんの手術を受けたそうだが、杖も突かずにしゃきっとして歩かれる。たまに図書館でバッタリ会ったりするがゆっくり話すことはなかった。昨日はスーパーの買い物帰りのようだが娘さんと2人暮らしらしくお元気そうだ。

 元気な人と話をして勢いづき、金曜日に予定していた水泳に急遽午後から行った。相変わらずプール内の人は少ない。が、多いよりも少ない方が気楽に泳げる。いつも浅いプールで泳いでいたが深いプールでも泳いだ。背泳ぎは泳ぐスピードが遅いので浅い方を利用する。しかし、泳ぐ人がいないときは人にも迷惑が掛からないので深い方で気兼ねせずに泳げる。500m泳いだがそのうち50mはクロールで泳泳ぐ。

 コロナ禍で水泳を中断したこともあった。また自分自身も歳を経て体力が衰えているのかクロールで泳ぐときつく感じる。このきつさがなくなればクロールで泳ぐようにしよう。と言っても無理は禁物。何歳になっても泳ごうとおもえば細く長く自分のペースで泳ぐに限る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月22日月曜日

道の駅の日

 今日は「道の駅の日」と地元紙を読んで初めて知った。この道の駅は広島が発端らしい。1990年1月、広島で中国地方の将来を考える集いが開催された。その時「道路にも駅がほしい」と山口市に住む出席者の提案から国が動き出す。31年前の今日、第一弾として103カ所の道の駅が登録され、今では1200カ所あるそうだ。

 道の駅といえばバスツアーで出かける際に必ず2,3か所の道の駅を利用する。それは主にトイレ休憩やフリーでの食事タイム、そしてお土産がある。バスツアーといえば親がなくなって以降、利用するようになった。今から12年余り前になる。初めてバスツアーに参加した際のことはよく覚えている。ツアーの集合時刻を出発時刻と思っていたのか、出発ぎりぎりに集合した。後でそれは間違いで出発時刻10分前が集合時刻と聞かされる。

 そんな状態での参加だったので「道の駅」もその日に初めて知った。それまで遠くに出かけるのは新幹線や飛行機利用で高速バスに乗って出かけることはほとんどなかった。そのことを思うと初めてのバスツアーから今日までの主に中四国の道の駅は何十回かそれ以上利用している。

 道の駅といえば最初のころの利用でお茶のサービスや地図などのパンフがあるのもその頃知った。道の駅の利用方法も他にもあると思われるが今はそれくらいしか思いつかない。

 来月になればまたバスツアーで行くので道の駅を利用する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月21日日曜日

モノ!?

 日本画教室に出かける。先週、蓮の絵を仕上げたので新たな絵に挑戦する。新たな木製パネルは買わず、以前描いたパネルをつぶしてその上に地塗りする。この頃は毎回のように新たなパネルでなく描いた絵をつぶしては描いている。なぜ描いた絵をつぶしては描くのか。絵をつぶして再度描くことは知らなかった。先輩たちを見てまねして始めた。これも一理ある。それは描いた絵が増えないことが大きい。

 これが日本画ではなくて水彩画ならば画用紙に描くので描いた絵はかさばらない。ところが日本画の場合は木製パネルに描くので描けば描くほど絵がかさばる。もうモノを増やしたくない気持ちが今回も以前の絵をつぶして描くことになる。

 生きている限りはモノが増えるのは仕方がない。そう思うがこれが旅行であれば何回出かけても決してモノとしては増えず、むしろ心の栄養になる。水泳もいくら泳いでもモノは増えず身体が強くなる利点がある。じゃ、絵を描くのは何のメリットもないのか、と問われればもちろんいいことも多々ある。その一番は精神面だ。また大の苦手だった絵が習うにつれて少しは上手く描けるようになる。それならば絵を描いてモノが増えてもいいじゃないか、となりそうだ。が、ここは待ったがかかる。

 何やかやと理屈を言っては絵が増えるのを嫌っている。音楽の場合は楽譜が増える程度だが、それでもフルート曲集が何冊もある。フルートは一朝一夕で吹ける楽器ではないので絵を描くことと同じにはできない。

 教室が終わると皆でカフェに行く。絵を描くよりもカフェでの時間はもしかして楽しい時間かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月20日土曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(2)

 『司馬遼太郎が考えたこと』(2)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。この本は司馬遼太郎が書いたエッセイをまとめた15巻のシリーズである。またいつものように気になる箇所を記そう。

★坊さんの仲間では、収入のいい寺のことを「肉山(にくさん)」という。肉がたっぷりついているという意味で、たとえば、東京の浅草寺や、大阪の四天王寺は、肉山である。しかし、浅草寺や四天王寺へ行っても、なんの詩的感興もおこらないであろう。肉山だからだ。それよりも、大和の唐招提寺や秋篠寺、法華寺などのような死山(というようなコトバはないが)に、人は美と歴史への涙をながす。妙なものだ。須磨寺は、死山ではなく、行ってみると肉山だった。新しいコンクリート造りの宝物殿も建造中だったし、その背後には、やはり耐震耐火建築の納骨堂がたっていた。寺は、十分に生き、活動しているのである。それだけに詩的感興はいっこうに湧かなかった。(「須磨」59p)

★古い本を読んでいて、そのために病気になったとすれば私はもって瞑(めい)してもいい。私にとって、これほどおもしろい楽しみはないからだ。人間は楽しみのためにイノチを捨ててもよい(大ゲサだが)と思うようになってはじめて世の中が明かるくみえはじめるのだ(たかが古本のことでまったく大ゲサだが、事実、楽しみとはそういうものだ)。(「男の魅力」146p)

★私は、作家として、一生、男の魅力とはどんなものかを考えつづけ、私なりに考えた魅力を書きつづけようと思っている。女に魅力があるように、男には、どの男の中にも、極めて魅力的な武運がある。私は資料をよむとき、この男の魅力は何処か、と考える。魅力が感じられなければ、どんなにおもしろくても捨ててしまう。資料をよむたのしみは、男のそういう魅力に接するたのしみである。この魅力は、現代小説では表現できない。現代というのは、男が魅力を喪失した時代だからである。私は資料をよみながら、ぼうばくとした「時代」を背景にその男の魅力を置いてみせ、美術ずきの者が美術品を鑑賞するような、舌なめずるような楽しさで、さまざまに想像する。このたのしみは、病気になろうがどうしようが、やめられるものではない。(「男の魅力」149p)

★ここ数百年来の日本人のなかで、私がもっとも好きな坂本竜馬という人物を、読者にも知ってもらいたくて書いた。書きながら、男の魅力について考えた。この魅力は、ときに日本史を動かす。私は、土佐の桂浜に立つ竜馬の像を見上げながら、君のことを書くよ。と、ひそかに話しかけた。彼は、太平洋の風のなかで、黙然と眼をそばめた。その銅像の下で、私も、この男が、日本人の中でもっとも好きだ。と言った若いアメリカの歴史学者と、中国人の女流政治家のことを、同行のひとから聞いた。竜馬にはなにか、そういうものがあるらしい。(著者のことば『竜馬がゆく 立志編』341p)

★「恋は思案の外とやら、長門(あなた)の瀬戸の稲荷町猫も杓子も面白う、あそぶ廓の春景色、ここに一人の猿まわし(自分のこと)、たぬき一匹(おりょうの意)ふりすてて、義理も情けもなき涙、ほかに心はあるまいと、賭けて誓ひし山の神(おりょうの意)、うちに居るのに心の闇路、さぐり探りて出でてゆく」この唱のばかばかしさに、おりょうの機嫌もなおった。恋女房連れの志士活動の不自由さは、同情にあたいする。なおこの唱は、竜馬を敬慕していた長州藩士梶川龍介が竜馬に頼んで書いてもらい、それがいま山口県長府の尊攘堂に陳列されている。全文ひらがなである。(「幕末のこと」403p-404p)

註)尊攘堂は今、下関市立長府博物館本館となっている。

 今日からしばらくはパッとしないお天気が続きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月19日金曜日

作品展搬出

ムラサキカタバミ(日本画)
 可部線緑井駅前のショッピングセンター内のギャラリーで開催していた日本画教室の作品展の搬出に出かける。会場の緑井駅は初めて行く場所でチョットした旅気分が味わえる。しかし、想像以上の大きなショッピングセンターでJRから降りると人が進む方向へつられて歩いた。ショッピングセンターに入って案内所でギャラリーの場所を聞こうとする。が、デパートと違って案内所がない。仕方なくお客にギャラリーの場所を問うと知らないという。2人目の人は親切に5階のギャラリーまで連れていってくれた。

 しかし誰もそこにはいない。搬出時間の13時まではだいぶ間がある。絵を見ていると「佐川町……」の絵があった。佐川町といえば牧野富太郎の出生地だ。昨年ツアーで訪れている。絵を描いた人も佐川町に行かれて絵にされたのだろう。この作品展はサムホールの絵とばかり思っていたら違っていた。パステル画が多かった。
 
 絵を見た後、店内を物色する。以前から買い替えたいと思っていた2階の出窓のカフェカーテンと1階の裏口にかける暖簾を購入。いずれも買いたいと思っていた割にはサイズを測っていない。カフェカーテンは100×100か100×130か迷ったが、後者に決めた。暖簾もサイズを測っていないが85×130を買った。家に戻ってすぐに付け替えるとどちらも大丈夫だった。ただ、付け替える際、カフェカーテンについていたプラスチックのフックは全部外して捨てた。というのも2階の出窓は日差しが強くてプラスチックのフックは気づけばいつの間にか朽ちている。そのため金具のフックが欠かせない。朽ちるといえばレースのカーテンもこれまでも何度か朽ちて替えた。今回もレースの下方の一か所が朽ちて替える。

 13時20分前になった。搬出の手伝いに戻ると既に絵は撤去されている。先生に会うと早く来たから早めに終えたとのこと。カーテンを買う前に絵を見たのは幸いだった。

 家の近くには食料品や日用品を扱うスーパーは町内だけでも4件ある。しかし、カーテンや靴、バッグなどは広島駅前のデパートまで行かないと購入できない。隣町に大きなイオンモールがある。が、隣町の割には我が家からは結構不便な場所にある。来年には広島駅が新たになってオープンするので買い物も便利になりそうだ。

 作品展に出した「ムラサキカタバミ」は出品する気がなかったが、仕方なく出した。花の絵はきれいに描けるといいが結構難しい。
 
 搬出を終えると他の教室の人と3人で店内のカフェに入る。しばし他愛ない話をして別れる。同じ先生に習っていても年に1,2度くらいしか出遭わない。次に会うのは秋の作品展。うち1人は同い年だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月18日木曜日

地震発生

 プロ野球のテレビ中継を見ながら箪笥の中の衣類を整理する。横にゴミに出す大きなナイロン袋を用意して要らない衣類を処分する。最初は服を捨てるのにためらいがあるが一度決心すると処分も早い。ズボン類は着ないからというよりも着れないから処分となる。なぜ着られないのかといえば体重は高校時代から変化がなくても胴回りが豚になっている。というか体に窮屈なものは着たくない。といっても、やっぱり体の一部が豚になっている。結果、大きなナイロン袋にいっぱいになった。

 物がない戦後に育っているのでモノを捨てることに対しては抵抗がある。しかし、着なくなったり、着れなくなった服を大事に抱えていても仕方がない。どこかであきらめが必要だ。その後、お風呂に入りすぐに寝た。

 ところが11時15分頃、ひどい揺れを感じる。すでに寝ていたが地震で目が覚めた。すぐに携帯電話のテレビを見ると震度6弱だ。揺れはこれまでのどの地震よりも長く感じた横揺れだ。テレビによると14秒の揺れであったとか。続いて小さい地震がある。地元の震度は3だが隣町は震度4だ。震度3や4度でも揺れがひどいのに6弱はどのくらいの揺れなのかを想像するだけで怖い。

 GW明けに出かける予定の地域もその後の下旬に出かける場所も昨夜の地震で震度4とある。一瞬、出かけるのが怖くなるが、そういっていたらどこへも行かれなくなる。気持ちをしっかり持って何があっても仕方がない、と思うしかない。どこにいても自然災害は発生する。どんな状況にあっても自分をしっかり持って……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月17日水曜日

自転車の鍵

 昨日は雷注意報が出ていた。午前中の時点では曇り空だ。が、泳ぎに行く予定にしていた。雷が鳴れば雨になる、そう思って行くのをためらう。お昼を食べると晴れてきた。午後1時前、急遽、予定通り泳ぎに行こうとなった。

 午後1時半ごろプールに到着。すぐに泳ぎ始める。ほぼ背泳ぎで500m泳ぐ。シャワーを浴びていると少しだけ様変わりしている。シャワールームの壁に何やかやと注意書きがあった。それが一つにまとめて書いてある。指定管理制度になったらしく少しずついろんなことが変わりつつあるようだ。

 ロッカールームで着替えていると「お金を出して泳ぎに来ている?」と聞かれる。お金を出しても近くにプールがあるのは有り難い、旨を話す。その人はいろいろと聞きだそうとする。年齢も名前も聞かれた。あまり深入りするのは面倒なので親しくなるのもどうでもいい。

 受付でロッカーのカギを返して自転車に乗ろうとした。ところが自転車の鍵がない。再度、受付に行って自転車のキーをロッカーに忘れたと思い、(ロッカーの、と言わず)「鍵を……」と話すと「鍵?鍵はあります」と言われた。そして「鍵に鈴がついていてよかったですね」とも言われる。ロッカーに忘れたとばかり思っていたら、バッグを落とした時、自転車のキーも落としたようだ。鈴は自転車を購入した時点で付いていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月16日火曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(1)

 さっぱりしないお天気だ。

 『司馬遼太郎が考えたこと』(1)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。またいつものように気になる箇所を記そう。 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★天孫族である天穂日命は、出雲大社の斎主になることによって出雲民族を慰撫し、祭神大国主命の代行者という立場で、出雲における占領政治を正当化した。奇形な祭政一致体制がうまれたわけである。その天穂日命の子孫が、出雲国造となり、同時に連綿として出雲大社の斎主となった。いわば、旧出雲王朝の側からいえば、簒奪者の家系が数千年にわたって出雲の支配者になったといえるだろう。いまの出雲大社の宮司家であり国造家である千家氏、北島氏の家系がそれである。天皇家と相ならんで、日本最古の家系であり、また天皇家と同様、史上のいかなる戦乱時代にも、この家系はゆるがず、いかなる草莽の奸賊といえども、この家系を畏れかしこんで犯そうとはしなかった。その理由は明らかである。この二つの家系が、節和上、日本人の血を両分する天孫系と出雲系のそれぞれ一方を代表する神聖家系であることを、歴代の不逞の風雲児たちも知っていたのであろう。血統を信仰とする日本的シャーマニズムに温存され、「第二次出雲王朝」は、二十世紀のこんにちにまで生存をつづけてきた。(「生きている出雲王朝」232p-233p)

★南都北嶺という。北嶺とは叡山のことであり、南都とは、奈良の興福寺のことだ。(「僧兵あがりの大名」376p)

2024年4月15日月曜日

片づけ

 今年の桜は今夜雨が降れば終わりそうだ。桜の咲き始めが平年よりも1週間くらい遅れたためか、長く桜を見られた気がする。急に暑くなり、急遽、掛布団カバーとシーツを夏用に替えた。気候が良くなると少しずつでも家の片づけを、と思う。本などもなるべく図書館を利用して買わないようにしている。が、それでもなぜか増えてくる。全部の本を本箱から出して整理するのが一番手っ取り早いはずなのになぜかそれができない。ということでいつまで経っても本は減りそうにない。

 これもすべては本を捨てることに抵抗があるからかもしれない。以前2度ほど古本屋に来てもらって何百冊か引き取ってもらった。電話をすればすぐ来てくれると思うが何を処分するかを考えねばならない。特に社会人として大学で学んだ際の専門書はかなりの金額がする。今、処分に困っているのがこれらの本である。自分自身がいなくなればすべて捨て去られるとはわかっていても生きているうちの処分にためらいがある。とはいっても早く片づけないと暑い季節がやって来る。そうなると暑くて片づけどころではなくなってしまうが。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月14日日曜日

旅はやっぱり「おとなび」で!

 日本画教室に出かけた。描いていた蓮の絵をやっと完成させる。次に描く絵を決めていなかった。が、以前出かけた空港近くにある三景園で写した写真を描くことにした。これは次週からになる。

 夕飯後、おかしいと気づいたことがある。それは来月出かける予定の中津の旅のチケットだ。最初に調べた時、おとなびとソニックを分散して購入すると一括よりも高くなると思った。昨夜、再度確認するとおとなびとソニックを分けて買う方がやすくなる。なぜ、前回そう思ったのか、と調べなおす。それはソニックの料金だ。ネット業者も悪質(?)なのがあるのか、小倉⇒中津が@¥4110となっている。が、今回調べ直すと@¥2130だ。なぜこの違いがあるのかを調べると料金の半数近くが手数料となっている。(手数料がいる?)とはなんと恐ろしい。予約はJRのe5489でするので騙される心配はない。が、ただ、金額がいくらくらいかを調べてこういうこともあるとわかったのは幸いだった。

 旅といえば今朝の地元紙に某旅行社のチラシが入る。どの行き先を見ても集合時間が7時と早い。この旅行社のツアーは以前に一回くらいしか参加していない。募集で気になるのは行先と集合時間。参加する人は 早起きの人に違いない。そう思うと一人旅は自由気ままに出かけられる。コロナ禍が終わる頃に気づいた一人旅。一人で出かける癖がつくとこれも楽しみとなる。というか一人旅をするのも元気でなければいかれない。と同時に、気力もいる。そして旅はやっぱり「おとなび」に限る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月13日土曜日

お墓参り&地元の山の桜

 好天に恵まれた一日は忙しいうちに終わった。起床後、某金融機関へ通帳の書き換えにゆく。昨年、場所を移転して新たになった支店はどこか違う場所に来たような気がする。手続き後、帰宅して大型ゴミの予約をする。来週ぐらいの集荷と思っていたらGW明けの集荷だった。いずれにしても電気ストーブ、扇風機、そして布団2枚の4点をゴミとして出す。布団類はこれまで何枚出したか忘れたが10枚以上は出しているはず。それでもまだ10枚くらいある。2階からおろしてゴミとして出すのは大変なので少しずつ出している。

 この4点の大型ゴミは有料で、コンビニに行って1点250円のチケットを4枚購入。ゴミもお金のかかる時代だ。コンビニを出ると生協へ行く。買い物を済ませて帰宅後、あまりにもお天気がいいのでお墓参りを兼ねて地元の山に桜を見に行く。墓地までの途中で毎年咲いている白いカラーを見つけた。まだ咲きはじめのようで真っ白さがひときわ目立つ。墓地に着いた。誰も参っている人はいない。

 お墓参りを済ませるとお宮へ行く道を通って桜を見に行く。途中、家から出た人に話をするとまだ桜は大丈夫、という。対面に黄金山が見える場所に行くと広島市内が見渡せた。ここで写真を撮っていると若い女性がやってきた。地元の人らしくこれから旧観音さんがあるところまで行くという。まだ若かったころは地元の山に行くといえば山深いところに位置する旧観音さんまで行き、そこから反対の道を下ってお宮にもどっていた。しかし、もう何年も何十年も旧観音さんへ行っていない。

 出会った人について行きたかったが迷惑をかけそうなのでやめた。しばらくすると鐘がなる。旧観音さんに行く途中にある鐘の音だ。さっきの人がついた鐘の音だろう。歩きながら桜を見ていると広場に新たなトイレができていた。地元の山の桜は数えたことがないのでわからないがかなりの本数があるに違いない。

 桜を堪能後、我が家に向かう。墓地に行くときの道とは違う道に友だちの家がある。ちょうど外に友だちがいた。久しぶりに会う人だ。せっかくだからと家にあげてくれた。そしてしばし友だち宅でティータイムとなった。

 友だちとは学校を卒業後、初めて務めた会社を30歳でやめ、遊んでいた頃に編み物教室で知り合った。今から40年以上も前になる。当時は我が人生真っ暗闇のころで友だちは結婚していたが子供さんはその頃いなかった。この夫婦の車で遊びに連れて行ってもらったこともある。よくしてもらった。それから後、再度働き始めたので会う機会もそれほどなかった。昨日は久々に出会って長話をしてしまった。楽しかった。

 友だち宅を出ると、またも知り合いと出くわす。散歩中のようだ。この人は母がしりもちをついて立てなくなり、どうにもならなくなると電話してすぐに来てくれて助けてくれた。知らない人だったが互いに親を介護していて話をするようになった。そんな人だからとても親切。近所にこういった親切な人がいると安心できる。今日も行楽日和となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

白いカラーが咲いていた

旧観音さんまで石段が続く

対面の山は黄金山 市内も見渡せる

地元の〇滝山の桜は満開

2024年4月12日金曜日

プールへ

 春らしい季節になった。昨日は自転車に乗って隣町のプールに行く。3月までは自転車置き場はいっぱいだった。ところが4月からプールの利用が有料になり自転車置き場も空いている。プールのお昼休憩がなくなったのでお昼を気にせずに泳ぎに行ける。受付でプール利用の回数券を購入。泳いだ帰りに受付でロッカーの鍵を返すと「回数券を……」と言われる。再度回数券を見せると1枚ちぎるのを忘れていたようだ。

 プールに入ると相変わらず数人しかいない。1人だけ顔見知りができた。その人と話すと有料になって利用者が少なくなったという。有料でも無料でもプールが近くにあるのは有り難い。そう思っているので利用させてもらうだけでもありがたい。またその人は40分泳ぐという。キロにすると、と問うと1キロとか。「すごいね!」と言ったけど自分自身もコロナ前までは1キロくらい泳いでいた。昨日は500m(10往復)。その大半は背泳ぎでクロールは50m(1往復)だけ。背泳ぎは水に浮かんでいるので呼吸が楽。しかしクロールは顔も体も水につけるので泳ぎ甲斐はある。が、その分、草臥れる。そのためこの頃は大半を背泳ぎで泳いでいる。背泳ぎで泳いでも結構、運動になるのか草臥れてよく眠る。…

 今日もいいお天気だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月11日木曜日

瀬野川の桜を見に行く

 2級河川の瀬野川の土手に咲く桜を見に行く。今年は島根県雲南市の斐伊川などの桜を見に出かけ、先日は造幣局の桜を見に行った。斐伊川の桜は満開までには程遠く、また造幣局の桜は雨の中での鑑賞で今一歩だった。ところが縮景園の桜と瀬野川の桜は今が見ごろとばかりに咲いていた。ただ、平日のお昼のためか桜を囲んでの花見客は見られない。といっても花をめでるそぞろ歩きのひとびとの姿は見られた。

 土手を降りて川のそばに行くと手にナイロン袋をもって草むらを歩く人がいる。何があるのかを尋ねると土筆があるという。先日、雲南市の三刀屋川の土手で土筆を見つけた。何十年ぶりかで土筆を見たが、瀬野川にも土筆が見られるとは。

 自転車を土手においてしばし河川敷を歩く。この季節は日差しがあっても暑くもなく寒くもなくて心地いい。歩いた後は、土手に上がってベンチでしばしティータイム。残る桜見物は地元の〇滝山の桜!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
山側に向かって写した

海側に向かって写す
青空に映える桜

2024年4月10日水曜日

5月の旅

 旅のカタログを見ていると対馬の旅がある。集合場所は博多港とある。対馬は博多港からフェリーが出ている。今でもこのツアーに参加しようかどうか迷っている。が、迷いつつも同じ九州に行くなら「街道をゆく」を読んで行きたいリストにメモしていた中津へ行こうとなった。それからというもの、すぐにネットで宿を予約。この頃はネットでの予約も慣れてきて、宿の公式HPを見て決める。ネットで宿を予約できたと思って確認していると禁煙の部屋が希望なのに喫煙となっている。すぐに予約をキャンセルして初めからやり直す。初めの予約は「7日前で」した。が、やり直していると「30日前で」の予約もある。結果、この「30日前で」の禁煙の部屋を予約した。先に予約してすぐにやり直したのでなぜキャンセルしたのか、の理由をネット上で問われる。喫煙と禁煙を間違えた旨、知らせた。

 宿は一昨日、予約。昨日は新幹線のチケットの予約方法を考える。いつも「おとなび」を予約していたが新幹線から先のソニックの予約もいる。おとなびにソニックを加えた合計と広島駅から目的地まで通しで切符を購入する方法とで比較する。結果、おとなびを使用せず、一括して切符を買う方が安くなると知った。

 臼杵の旅では新幹線とソニックを別々にして買った。もしかして一括で買った方が安くなっていたかもしれない。おとなびの予約はJRおでかけネットの「e5489」で予約する。が、(それ以外の予約は?)と考えていると同じところで予約可能だ。出発30日前に予約しよう。

 たったこれだけのことを調べるのに何時の新幹線やソニックに乗るとか、どこを観光するのか、などと考えているとかなり時間を要した。帰りの時間は又、考えよう。たとえ時間を要してもこれも旅をする愉しみだ。それにしてもあらゆる情報をネットで知る時代だ。以前だったら個人での旅行は宿や切符は旅行社を通して買っていた。今や個人で直に宿も切符も家に居ながら予約できる。便利になった!

 ブログ投稿中、電話がかかる。旅行社からだ。4月末に出かける予定の日帰り旅の参加人員が不足で中止との知らせだ。しかし、日付を5月に替えれば催行するという。日付の変更をお願いしたが、そうすると5月に予定していた別の旅と出かける日が近くなる。5月になれば季節もいいのでこれもまあいいか、と大目に考えよう。

 今朝は風が強く吹いている。今年最後の桜を見に行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月9日火曜日

「花のまわりみち」をゆく

 広島造幣局で公開中の「花のまわりみち」に出かける。出かける前からパッとしないお天気だった。しかし、桜の公開は期限付きのため、思い切って出かける。JR五日市駅を降りると造幣局までの臨時バスが出ている。が、今にも雨が降りそうなお天気とあって乗客も数人と少ない。例年ならばバスに座れなくて立つ乗客もいる。10分で造幣局に着いた。しかし、花のまわりみちの門まではかなり歩く。このあたりから雨になる。
広島造幣局の花のまわりみち
 目的の桜は御衣黄(ぎょいこう)。この桜は3年くらい前に出かけた三刀屋川の土手にあり添乗員から御衣黄と聞いた。しかし、御衣黄はソメイヨシノよりも遅く咲き、そのときは蕾だった。先日の日帰り旅でも出かけたが蕾だった。造幣局の今年の花は「紅手毬」。入り口で花のまわりみちのパンフをいただく。しかし、パンフの地図を見ながら御衣黄を探すが見当たらない。受付にもどって尋ねると咲いている場所を教えてくれた。小雨の中、傘をさしての写真撮影は大変だ。ましてや雨模様の中で咲く桜はどれも表情が暗い。桜はやっぱり青空が似合うようだ
永源寺

八重紅大島

御衣黄

糸括

券六菊桜
今年の花 紅手毬

今年の花 紅手毬

今年の花 紅手毬

笹部桜
 生憎の雨で桜を愛でる人も少ない。ベンチに腰掛けようとするも雨で濡れている。1時間くらい桜を愛でてバス停に向かう。帰りの臨時バスもがら空きだ。五日市駅でお昼を、と探していると駅前にパン屋のリトルマーメイドがあった。ここで軽くお昼を済ませる。

 帰りのJRでついでに可部線沿いのギャラリーで開催中の展覧会を、と思った。が、雨に負けてしまって行かずにそのまま帰宅。
 
 今朝もまだパッとしないお天気だ。午後は晴れそうだが。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2024年4月8日月曜日

『司遼太郎対話選集』(4)「日本人とは何か」

 空が怪しくなっている。雨になりそうだ。造幣局の桜を見に行く予定だがさてさて……。

 『司遼太郎対話選集』(4)「日本人とは何か」(司馬遼太郎 文藝春秋、平成十五年第1刷)(「人間について」山村雄一との対話)を読んだ。司馬遼太郎の対話相手である山村雄一は元阪大学長で医師でもあった。興味ある箇所を記そう。

★司馬 絵かきもそうかもしれません。日本画家など、すこしぐらい脳軟化症になったほうが、いい絵を描けるんじゃないですか(笑)。いろいろ描き足さない。枯淡の境地は、多少脳軟化症でないと(笑)。小説家は、だめですけれど。

 山村 ”見ざる・聞かざる・言わざる”の境地になればなるほど、直截に物事を自然に見るようになってくるから、年とってそういう心境になったほうがいいと、私は言っているんです。無理して老眼鏡をかけるとか、補聴器をつけるとか、そんなことをほどほどにしたらどうだというんです。ぼくの尊敬するガンの学者の吉田富三という先生が、あるときぼくにその話をされました。お母さんの歯が悪くなり、入れ歯してはどうかと言ったら、お母さんが、歯が悪くなったのは、かたいものを食うなとのおぼしめしだ、胃もそうなっているんだ。それを何を今更入れ歯してかたい肉なんか食べなきゃいかんのか。この歯ぐきで食えるものを食えというのがおぼしめしなんだ、と。これを聞いて吉田先生は非常に感心されたそうです。(『人間について』「生と死のこと」72p-73p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月7日日曜日

日本画教室へ

  家の近くにある小学校の桜は満開だ。地元の神社の桜も今が見ごろに違いない。日曜日は近郊の人も桜を愛でに来るので平日に行こう。その前に造幣局の桜の公開がある。期間が限られているので明日辺り出かける!?その後日に地元の桜と瀬野川の土手の桜を見に行こう。

 昨日午後は2週間ぶりの日本画教室。相変わらず蓮の絵を描いている。昨日は蓮の葉っぱの色朽ちた様を描く。しかし、彩色に手こずる。

 八丁堀の金融機関のギャラリーで今月いっぱい日本画展が開催されている。この展覧会へも行きたい。そう思っていたら教室で先生から日本画協会に所属する先生たちの日本画展開催の案内ハガキを受け取る。日付を見ると今月下旬から始まる。この展覧会と金融機関の展覧会を同時に見に行こう、と決めた。他にも先生が教えておられる他の教室の生徒さん2人による二人展の案内も受け取る。これは可部線沿いにあるギャラリーで開催される。しかし、このギャラリーは自分たちの作品展も開催されていてまだ見に行っていない。二人展は来月の開催だがここへはなぜか足が遠のく。

 教室が終わると久々に5人でカフェに入ってティータイム。うち1人はプールで水中歩行を始めたいらしい。他にもテニスに夢中だった人も水中歩行を始めたそうだ。運動音痴だがプールに関しては細々と40年も泳いでいるのでちょっぴり自慢できる。水泳帽も要る、と教えてあげたら帽子が大嫌いらしく困った様子だった。水に入ることに抵抗がある人も多い。泳いだ後の爽快感は何物にも代えがたい、と思っている。しかし、運動が好きだった人もプールで歩くのも大変なことだという。まだまだ泳ぎどころではないようだ。そう聞いて体のどこにも不調を感じない今の状況が有り難い。これもすべてはもしかしてプールのお陰!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月6日土曜日

行きたいリストに仏隆寺

 まだまだ尾を引く紅麹問題。この問題の発端は紅麹サプリの服用にあるとか。毎日、ビタミン剤を飲んでいる。が、ここで気になる。それはビタミン剤はサプリメントなのか、である。ネットで調べるとビタミン剤は「薬事法に基づく厚生労働省の検査に合格したものばかりで必ず成分の含有量や一定の分量などが表示されている医薬品」であり、サプリメントは「健康食品に分類される」とある。

 テレビの、とくにBS放送ではわけのわからないようなサプリメントの宣伝が多々ある。これを飲む人がいるから宣伝になるのかもしれない。が、それにしても誰が買うのだろうと思ってしまう。それとも世の中、裕福になって手っ取り早く「健康」になるために「健康」とうたえば何でも売れる時代なのだろうか。うたい文句に引っかからないようにしよう。

 話は変わって、ハマっているYOU TUBE。今朝は奈良のコンシェルジュの動画を見て行きたくなった。それは奈良県宇陀市にある仏隆寺。初めて知ったお寺だ。ここの千年桜が有名のようだが、映し出されたお寺を見ると秋の季節もよさそうだ。室生寺とこの仏隆寺をセットにして出かける!?すぐに行きたいリストにメモする。出かける楽しみがまた増えた!そしてこの動画にさっそくコメントした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月5日金曜日

利用方法が変更になったプール

 4月からプールの利用方法が変更になった。1か月半ぶりにプールへ行くと受付も様変わりしている。出かける前に電話でプールがオープンしているかを確認して出かけた。受付で変更となった利用方法を聞くと会員登録が必要とのこと。すぐに登録した。主な変更はこれまで利用料金が無料だった。が、これからは何処に住んでいても有料になる。またお昼の休憩が1時間あった。が、それはなくなりお昼を避けて泳ぎに行かなくてもよくなった。

 昨日は変更後とあって、また料金が要るようになったためかプールはこれまでよりもさらに少ない。登録の会員番号は16だった。久々に泳ぐので泳ぎを6往復(300m)、水中歩行を2往復(100m)した。

 プールへは自転車で出かけている。自転車に乗るのはいいのだが車の多い道を通る。プールのある隣町の循環バスに乗るとバスの時刻が気になり自転車を利用していた。ところがプールのお昼休憩がなくなるとプールにいる時間が増える。これからはお天気が良くない日などは循環バスで泳ぎに行けそうだ。

 このプールを利用する前は区のプールで泳いでいた。しかし、区のプールは自宅最寄り駅から隣の駅までJRに乗って行かねばならない。また、隣駅についてもプールまで10分くらい歩く。それでも何年も区のプールに通い、水泳教室にも入って泳ぎを習った。教室が終わると日本一周泳ぐ会にも入って水泳にのぼせていた。ところが区のプールで泳いでいると今、泳いでいるプールを教えてくれる人がいた。区よりも隣町のプールは自転車で行ける。すぐに隣町のプールを利用し始めた。それから10年以上も無料でプールを利用させてもらった。

 今回、1回、400円要っても近くにプールがあるのは便利。ありがたく利用させてもらおう。

 4月になってもまだスケジュールに記入していないことが2件ある。1件は可部線沿いで教室のサムホールの展示会がある。もう1件は市内の金融機関の日本画展。近いうちどちらへも行くつもりだが、この時季だけに咲く桜をいろんな場所で見てみたい。そんな気持ちを抱えながらも昨日はまず、泳ぎに行こうとなった。が、気持ちはパッとしなかった。勇気を出して泳ぎに行き、そして泳ぐと元気が湧いてくる。やっぱり泳がないといけないと自分に言い聞かせる。

 新たな年度になった。自分自身もちょっとだけバージョンアップできればいい!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2024年4月4日木曜日

台湾の地震

 台湾でまたも大きな地震発生のニュースが飛び込んできた。2019年の4月に4泊5日で台湾に出かけた。その時も花蓮で地震が発生した。当時のブログを見るとマグニチュード6.1、震度7とある。この数値は逆では?と思って帰国後調べたが、間違っていない。今回はマグニチュード7.7で震度6強だ。台湾の観光が目的の旅は2度あるが、トランジットでは何度か台湾に出かけている。

 5年前の4月に出かけた台湾の旅は最南端のガランビ岬まで行った。ここはあまりツアーでは行かないところだ。その岬での観光中、花蓮で地震発生、と現地ガイドから聞いた。翌日に花蓮の観光が予定されていた。が、ガイドは地震と知って仕事どころではなく自身の子供の心配をし始めた。それも当然かもしれないが。結果、花蓮の観光はなかった。

 それより4年半前に初めて台湾に出かけた。その時の花蓮は以前に発生した災害の復旧工事真っ最中で観光どころではなかった。今回の地震でこれから先の台湾旅行も行くのをためらう。

 昨夜、姪からメールが入る。姪はツアーではなく世界を一人で観光するタイプだ。その姪のメールによると先日出かけた台湾で震度2や3の地震に遭遇したという。そのため、外国での地震に遭遇したくないのでしばらく外国へ行かないという。

 何日か前の姪との電話で台湾旅行の話が出ている、と話した。そのことを心配した姪がメールをくれたようだ。折り返しの電話でしばらくは外国へ行かないと話した。

 コロナが落ち着いてきたのでそろそろ外国へ、との希望があった。しかし、日本国内も外国もさまざまなトラブルが絶えない。どこにいても災難やトラブルに見舞われるといえばそうだけど、なるべく用心して日本を観光する。これでいいのかもしれない。

 1日中、降った雨も上がった。この雨で桜が散ったとは思えない。せいぜい、今の時季を楽しむ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月3日水曜日

お花見ランチ

 友だちに誘われて広島駅近くの川沿いのホテルでランチタイム。平年よりも1週間遅れの桜はまだ咲き始めであり桜を愛でながらのランチとなった。ランチ後、近くにある縮景園へ歩いて行く。入り口は入園券を求める人の長い列ができている。係は「県立美術館からも入られます」としきりに言うが縮景園入り口で待つ。行列の3分の1くらいは外国人だ。それほど広くもない縮景園なのにコンパクトに四季折々の風景を感じられるところが穴場なのかもしれない。

 これまで何度も縮景園を訪れている。が、今回が一番、花の時季だったかもしれない。ベンチに座って友だちと話していると横に座る人がいる。話を聞くと宮島の対岸の山にそびえる宗教施設の行事に1泊2日で久留米市から訪れたという。そこは美術館もあり、一度だけ美学の講座の先生に連れて行ってもらったことがある。しかし、中に入ると何かあやしげな雰囲気がした。

 昨日、話した人はそこは何とか会という宗教施設だという。「なぜ、その宗教に?」、と問うと子供が小学生のころの父兄に誘われて家族で宗教に入ったそうだ。そこが宗教と関係あるとは想像していたが(やっぱりそうか)と妙に腑に落ちる。とはいっても世の中、いろんな宗教があるものだ。自分自身が司馬遼太郎にハマり、司馬遼太郎記念館へ訪れることと同じ心理!?とも思ったり。世の中いろんな人がいる。
ホテル前の川沿いの土手に咲く桜道

縮景園の利休梅

縮景園の源平枝垂れ桜
1本の木に3色の花をつけている
 ともあれ居も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月2日火曜日

動画のコメント

  お笑い芸人にハマっている。X(ツイッター)のフォロワーになったが、それだけではなくYOU TUBEが週に2,3度アップされる。これが楽しみで先日は初めてコメントした。昨日は2度目のコメントを書いた。すると2時間後に本人から「ありがとぅございます」と返信がある。コンビで活躍している芸人だがそのうちの「じゃない方」で何かの記事か動画を見て応援するようになった。

 幸いこの頃はネット記事にも取り上げられ、それを読むのが楽しみとなっている。年老いてまさか芸人にハマるとは我ながら不思議。とはいっても野球選手などは試合の結果に一喜一憂してしまう。が、芸人は勝負事ではないので応援していても自分自身の精神衛生上にもいい!

 毎朝更新されるツイッターの絵を見ると朝から元気そうだ、自分自身も元気でいなくては、と励まされる気がする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年4月1日月曜日

世間を賑わす紅麹

 桜便りが届き始めても我が家のそばにある小学校の桜はまだ咲きそうにない。先日の地元紙に「春バテ」のキーワードを目にする。夏バテは知っていても春バテは初めて聞いた。気温の寒暖差が激しいこの時季に体調を崩すことを言うらしい。今年は暖冬、と聞いていたら3月になって寒い日が続いた。決して暖冬とは思えない。電気の使用量が届いたので内容を見ると昨年の同時期と比べて100キロワットも多かった。このことからも暖冬とは思えない。

 話は変わって世間を賑わせている紅麹。半年くらい前になるだろうか。ネット記事で見たカニカマを食べるようになった。それは主にブロッコリーとカニカマのサラダにして食べていた。一昨日、カニカマの紅い色はもしかして紅麹では?と思って外装に印刷してある原料名を見た。何と最初に紅麹と書いてある。すぐにネットでその商品名を調べるとその会社のHPのトップに「当社の製品は〇〇製薬の紅麹は一切使用していません」とある。

 気になって昨日、スーパーに行くとその製品をまだ売っていた。といっても問題の紅麹とは関係ないとうたっているのでいいのかもしれない。が、これからはカニカマのように濃い色がついている商品は買わないようにしよう。というか加工食品もなるべく買わないように、と思ってしまう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年3月31日日曜日

尾関山・三刀屋川河川敷・斐伊川堤防桜名所めぐり

 2024年3月29日(金)、「尾関山・三刀屋川河川敷・斐伊川堤防桜名所めぐり」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。出かける数日前から桜の開花状況が気になる。しかし、今年の開花は平年よりも1週間遅れとの情報がある。近所の桜を見てもまだ硬い蕾のままだ。ツアー当日、添乗員の言葉は「想像を膨らませて桜を見に行きましょう」と。
 
 バスは尾関山公園に着いた。バスから下車すると添乗員は簡単な公園の案内地図をくれた。そして駐車場前にある桜が咲いているお寺は鳳源寺と教えてもらう。このお寺は「街道をゆく」を読んで行きたいリストにメモしていた。尾関山の桜を見る前に先に鳳源寺へ行った。このお寺には池があり、季節になると河骨(こうぼね)が咲き、枝垂れ桜もあると本で知った。しかし、池はあったが入られないようになっている。枝垂れ桜は咲いていた。

鳳源寺

 鳳源寺は1633年、初代浅野藩藩主・浅野長治が建立し、その菩提寺とか。境内には赤穂浪士と縁がある四十七士の木像を安置した義士堂や安久利姫の遺髪塔など様々な歴史を刻む建物がある。また近づけなかったが4代目の和尚が「愚極泉」と命名した池もある。枝垂れ桜は大石良雄手植えと伝わっているそうだ。
鳳源寺と枝垂れ桜

鳳源寺境内
鳳源寺の枝垂れ桜
鳳源寺

義士堂
尾関山公園

 ここでのフリータイムは50分。鳳源寺に時間を費やしたので急いで尾関山公園に向かう。途中、すれ違った人から楮ミツマタが咲いていると教わる。この花がどんな花かわからず適当に写真を撮った。が、あとで教えてくれた人と話すと全く違っていた。楮ミツマタの花は小さいな花で、この木は3本あったとか。尾関山の中腹頃でまた人とすれ違う。眼下に見える線路が廃線となった三江線、と教えてもらう。もしも今、三江線が通っていれば尾関山公園駅もすぐそばにあったのだろう。
廃線となった三江線が見える

尾関山公園の枝垂れ桜
 尾関山公園の桜は思ったよりも開花していた。次にバスは道の駅たたらば壱番地に向かう。ここで休憩後、割烹すぎ原で松花堂ランチのお昼をいただく。尾関山公園の観光では気温も上がって汗ばむほどだった。が、お昼の場所では暖房が入っていた。この付近はたたら製鉄で財を成した田部(たなべ)一族の本宅がある。添乗員からそう聞き、この辺りを食事後歩く。ここでも食事を含めて1時間のフリータイム。田部家本宅やたたらのその後を見ていると時間が足りない。このあたりをもっと見たかった。お昼を食べた割烹屋の前に川が流れている。水は透き通ってきれいだ。が、さすがにたたらの名残か川底は茶色だった。

突き当りが田部(たなべ)家本宅

川底は茶色だが水は澄んでいる

 まさかたたら製鉄で財を成した一族の家を見るとは思ってもいなかった。今は25代目とか。季節季節にはいろんな行事を田部家で行うそうだ。

三刀屋河川敷

 ここは3年くらい前にもツアーできたことがある。が、さすがに今回は満開の桜はみられない。休憩所でツアーの人とおしゃべりタイム。バスの駐車場に戻る途中で土筆を見つけた。土筆はもう何年も何十年も眼にしていない。桜よりも道の土手に植わっている土筆に心惹かれる。一人で写真に撮っているとほかの人がやってきた。土筆に驚いている。今回の旅のハイライトともいえるほど土筆を見つけて嬉しかった。そしてハイライトは鳳源寺もそうだ。
土手に咲く可愛い草花

土手の土筆
斐伊川堤防桜並木 

 ここも3年くらい前に一度来ている。満開の桜はまだだが、気温も上がって観光中にどんどん桜が咲いていくようだ。斐伊川の桜は現地のガイドが案内してくれる。ガイドによると「日本さくら名所百選」に選ばれているそうだ。またこの地は八岐大蛇伝説発祥の地だとか。

日本の桜名所百選の碑

この辺りは八岐大蛇発祥の地
 三次と雲南市の桜巡りの日帰り旅は桜の満開とまではいかなかったが、それ以上に鳳源寺に行ったり、たたらで財を成した一族の話を知ったり、さらには久々に土筆を見て童心に帰ったりと楽しい旅になった。今朝の地元紙に「春には三日の晴れなし」という言葉があると知ったが、まさにその通りだ。ただ出かけた日は暑いくらいの好天に恵まれた。いつもながら、家に引きこもらず元気なうちはどんどん外へ出よう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)今回のツアーの最少催行人員は30名だった。ところが実際に出かけたのは17名。うち1人参加は5名。少ない人数でのツアーはいいツアーなのでバス席も1名で座れて楽だった。またこの日の万歩計は12,336歩とよく歩いている。

2024年3月30日土曜日

思いがけず鳳源寺へ

 今年の桜の開花時期は1週間遅れとか。連日の雨模様の日から一転して昨日は好天に恵まれる。桜の開花は今一歩だったが、昨日は県北の尾関山公園の桜と島根県雲南市の三刀屋河川敷の桜、そして同じく雲南市の木次(きすき)を流れる斐伊川の土手に咲く桜を見に行く。出かける何日か前から毎日、家の近くの桜を見ると一向に蕾は膨らみそうにない。半ばあきらめて桜を見るツアーに参加した。ただ、お天気は連日の雨模様とは打って変わって最高の行楽日和だった。

鳳源寺のしだれ桜
 添乗員の開口一番は「想像を膨らませて桜を見に行きましょう!」だ。この「想像」に感動する。尾関山の桜は広島の県北に位置し、雲南市も島根県とあって山陰に位置する。イメージとして山陽よりも山陰の桜の開花は晩いと思っていた。ところが、それは違った。尾関山でバスから降りる際、駐車場の手前にあるお寺が鳳源寺で、そこでは桜が満開だった。尾関山の桜を見るよりも鳳源寺の桜に気が移る。添乗員に聞くと横断歩道を渡ったすぐそこにあるお寺が鳳源寺だという。

 鳳源寺は「街道をゆく」の「芸備の道」に記されている。このお寺へは「芸備の道」を読んで行きたいところリストにメモし、行こうと思った。また、尾関山公園に隣接しているとも本で知っていた。まさか、今回のツアーで出かけることになるとは驚き。添乗員に教えてもらったことのお礼を言った。ツアーから一人離れて先にお寺へ行くと人の気配がない。車が庭に入ると和尚が下りたようだ。境内に池があるがどこにあるかわからない。聞こうとしたら和尚がいなくなる。仕方なく池を探すと入れないようになっていた。池はあきらめて境内を散策。観光客らしき若者が来た。尋ねると地元の人らしい。が、池はわからないという。そのうち、同じツアーの人も尾関山を後にしてやってきた。

 フリータイムもなくなりそうなので尾関山を目指す。すれ違った人から楮ミツマタの花が咲いていると教わる。この花がどんな花なのか全くわからない。きっと山全体から見ると大きな木、と勝手に解釈した。ところが後で写した写真を見せてもらうと全く違っていた。小さな可憐な花だ。この花を見てみたかった。

 この続きはまた後日。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年3月28日木曜日

『司馬遼太郎という人』

 先日、梅雨のように雨が降る、旨のブログを書いた。今朝の地元紙を読むと「菜種梅雨の合間に……」との文がある。そうそう、梅雨のような雨ではなくて菜種梅雨だ、と気づかされる。菜種梅雨を改めて辞書で調べると「3月下旬から4月にかけて降る長雨」、とある。しかし、今年は2月から雨の日が多い。

 昨日、小学校に植えてある桜を見ると一番大きな桜の木は蕾で、小さい方の木を見ると2,3か所花が咲いている。昨日は暖かい日で少しはつぼみも膨らんだかもしれないが今日は又もお天気が下り坂。そして最高気温は12度と低くなる。これではまだまだ桜の開花は望めそうにない。

 『司馬遼太郎という人』(和田宏 文藝春秋、平成16年第2刷)を読んだ。司馬遼太郎の死因は急性心不全といった心臓疾患だと思っていた。ところが司馬遼太郎の長年の文藝春秋編集者である著者は腰部の動脈瘤破裂、と書いている。司馬自身は坐骨神経痛を疑わず病院にも行かなかったとか。以下、気になる箇所を記そう。

★「花神(かしん)」とは中国で花咲爺さんのことをいう。司馬さんは村田蔵六(大村益次郎)を書いた小説にこの題をつけた。日本の津々浦々の枯れ木に花を咲かせる役目を村田が背負ったと見立てたのである。その「花神」とは、司馬さんのことでもあった。(「司馬さんのかたち」61p)

★司馬さんは「坐骨神経痛」などではなかった。腰部の動脈瘤が神経を圧迫していたのである。最後はそれが破裂にいたり、急死する。私どもは司馬さんが苦しそうでも、「坐骨神経痛」が死に至る病などとは思ってもいなかったのだ。(「病気、そして死」231p-232p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年3月27日水曜日

桜の開花状況!?

 近いうち桜を愛でる日帰りツアーに参加する。ところが桜の開花宣言は出たものの嵐のような風が吹くと桜も開花どころではなさそうだ。今朝、ゴミ出しに外へ出ると近所の家の桜はまだまだという感じ。今年は平年と比べて1週間ほど開花が遅いらしい。期待せずに桜を見に行く!?

 何の変化もない日々を送っている、と思っていたら年末から今年にかけて電気製品は壊れるし、玄関の鍵は抜けなくなるし、といったちょっとしたトラブルが発生している。昨日はお昼前に炊飯器でご飯を炊き終えて洗った後の片付けをしようとした。すると電気がまの内釜が外釜にうまくセットできず、無理やり合わせようとした。ところがこれが困難の元になる。内釜を取り外そうとしても全く動かない。困った、と思ってすぐに電気がまをもって近くの電気屋に駆け込む。幸い、店長と奥さんがいらっしゃった。店長はしばし考えた挙句、プラスかマイナスのドライバーをもって内釜に触れると内釜が外れた。よかった!

 なぜこんなふうになった?と問うと電気がまの蓋をロックしたままで内釜を取り付けようとしたことが原因と教えてもらう。この電気がまを購入して2か月になる。その間3,4回ご飯を炊いているが初めてこんなことになった。以前の電気がまは内釜の蓋を洗って簡単に取り付つければよかった。ところが今の電気がまは圧力釜らしく内釜と外釜の取り付けが以前のものよりも手がかかる。もしも大型電気店で購入していたら釜を簡単には持ち込めない。大型電気店のクレジットカードは解約した。これからはますます近くの電気屋さんにお世話になるしかない。そう思うと本当にありがたい!

 話は変わってこの頃、ハマっているお笑い芸人のYOU TUBEを見て初コメントをした。するとすぐに「いいね」に6件の反応があった。これには少々びっくり。週に2、3回ほど動画のアップがある。これは本当に楽しみ!また同じ芸人のツイッター(X)を見るとこの頃はテレビ出演も多くなっている。この情報を知るのも楽しみだ。応援のし甲斐がある!といってもテレビは生放送ではなくTverで見ている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年3月26日火曜日

束の間の雨上がりに

 昨日、やっと雨が上がったと思ったら昨夜から朝方にかけてけたたましく雷が鳴る。今朝は雷は収まったがまたも雨が降る。昨日、束の間に雨が止んだころを見計らって三越へ出かける。注文した眼鏡を受け取るとすぐに駅行きのバスを待つ。待ちながら久しぶりに駅まで歩こうとなった。いつもとは違う道を通って駅前の福屋に到着。途中、桜並木の川土手を歩く。昨日、標準木の桜開花宣言は出たが土手の桜の開花はまだ先のようだ。駅前の福屋で最初に行くところはカフェ。しばし休憩後、店内を見て歩く。

 広島駅構内は来春の新駅ビル開業を目指して工事が進んでいる。大きな柱も見えてきた。6年後には広島駅から我が町の駅までJRの高架化が完成する。そうなれば町も様変わりするかもしれない。先のことは楽しみだけど自分自身もその頃にはさらに老いてゆく。あんまり先のことは考えたくない。

 久々に夕方家路につくと家までの道で数人と出会う。どの人も雨続きの毎日で人と話したいのか立ち話になる。話草臥れたのか昨夜はよく眠った。といってもいつもよく寝るほうだが。なお、昨日の万歩計は9825歩とよく歩いていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年3月25日月曜日

スマホのガラスフィルム

 昨夜、スマホを触るのをやめようとしてテーブルに置こうとした。ところが横向きで適当に置いたら下に落ちた。しばらくして再度スマホを見ると何やら虫がいるように見える。おかしい、と思いつつ虫を捕ろうとした。が、それは虫ではなくスマホの画面に張り付けていたガラスのフィルムが破損、と気づく。

 寝ていてもこのことが頭から離れず、今朝9時、ドコモがオープンすると同時に電話をかける。同じ機種のフィルムが一台あるとのことですぐに自宅最寄りのドコモに出かける。電話をかけた時点で「電話が込み合っています」というわりにはお客がいない。すぐに新たなフィルムと交換してくれた。代金6950円。と結構なお値段だ。

 係曰く「フィルムの破損でよかったですね。フィルムがついていないと本体が破損します」と。なんでも雑に扱わず丁寧に扱わないといけない。

 外に出たついでに三越へ、と思った。しかし、デパートの開店時間が遅いのでいったん家に戻る。戻るのはいいが途中の踏切で遮断機が上がらない。今朝は呉線と本線ともに遅れが発生している。遮断機が上がる間に6,7台の電車が通り過ぎた。三越に行くまでに列車の遅延がなくなるといいけど。

 話は変わって昨夕、回覧板をもって隣の家に行こうとした。玄関を出たところで人と出くわす。名を告げられてすぐに大連のツアーで一緒だった人だと気づく。しばし立ち話をする。どういっても、今、自分の生き甲斐となっている司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むようにと教えてくれたそのうちの一人だ。大連に行ったのは今から5年余り前の12月。それ以降、バッタリわが家の前でこの人と2度出くわししている。その都度、大連の話で花が咲く。大連で坂道を歩くのがきついと話された。そのため二百三高地へは途中でリタイアされた。肺の病気できついらしい。見かけたところお元気そうだが、今も坂道はきついとか。

 ツアー客の半分は雪道を歩く二百三高地をリタイアした。しかし、恐る恐る何とか二百三高地まで登った。今となってもよく雪道を登った、と我ながら感心する。その人曰く「今は源氏物語の講座に通っています」と。しかし、通っているカルチャーセンターが今月末で閉鎖になるとか。昨日は東京からの帰りだったようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年3月24日日曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(12)

 『司馬遼太郎が考えたこと』(12)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。いつものように気になる箇所を記そう。

★廖承志さんは、才気とユーモアと愛情が同居した黒すぎる瞳をもっていて、驚いたように小さく瞠っていた。それと、広東・福建人に多い形のいい唇、さらには深い胸郭が印象的だった。初対面のころから心臓病の持病があることをきいていたが、あの招宴のとき、登り勾配になっている廊下を大股で歩くせいか、呼吸がみじかかった。……廖承志さんの精神には無垢な少年が同居していて、その後、数度接して人柄に馴れるうちに、その人格から、容易に少年を復原することができた。私は大きな人格には少年が涸れずに同居していると思ってきたが、この人格の質量の大きな人によって、その考えがまちがいでなかったことを知ったことは、大きなよろこびだった。死を知ったとき、あの深い胸郭のなかで、病みつつもけなげに搏動しつづけていた心臓のことを思った。自分の心臓まで一瞬妙なぐあいになった。(「思いだすのがつらい」65p)

★人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳でもある自分自身を見つけるには、書斎での思案だけではどうにもならない。地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている自分自身に出遭うには、そこにかつて居た―あるいは現在もいるー山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見ねばならない。(「私にとっての旅『ガイド街道をゆく近畿遍』 102p-103p)

★草創期の日本の比較文学が、明治期で出色の書簡文学の書き手ともいうべき広瀬武夫のロシアにおける詩文の行跡が主題となって基礎をすえられたことは、文学研究史上の大きなできごとであったにちがいない。最後に、人間の精神は歴史の産物であることをおもわざるをえない。広瀬は単に存在したのではなく、農耕に江戸期を背負っていた。江戸期士族階級は、ニ百七十年のあいだ、ただひたすらに本を読み、しかもその読書の目的は、人間がいかに生死すれば美しいかという一点にしぼられていた。こういうふしぎな数百年を持ったのは、人類の文化史上、稀有なことといわねばならない。それらが発酵し、さらにくだって明治中期までに成人したひとびとのなかでさえしばしばそれが蒸溜されつづけていることを見出す。そのうちの一滴が広瀬であることを思うと、かれの精神のひびきを伝える詩文は、すべて後世においてもはや再生産されることはない。その意味において、本書(『広瀬武夫全集』)の編纂にあたり、関係者たちはあえて広瀬を軍人としてみることは姑(しばら)く措(お)き、みずからは決して志さなかった文学の徒として見ようとした。このことは『歎異抄』や『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』をあえて僧侶の著述とみず、鎌倉という時代がもったもっとも高い心の調べを感ずべく文学の書として見る態度がゆるされていいということと同心円である。あわせて、この場合、文学の場というのはもっとひろげられていいという気分もある。(「文学としての登場『広瀬武夫全集』180p-181p)

★「この絵(注:宝くじを買う人々)を見てその造形性に感動しているのではなく、絵から勝手に自分がひきだしている文学性に感動しているのだ」というふうに、当時、自分をいましめた。しかし私は、がらにもなかったそういう職業を離れた。そのあと、カタログで見たゴッホの小さな一枚の素描がなんとすばらしいかったことだろう。……ながながと引用したのは、ここでゴッホにおいて、ほとんど根元的とさえいえる文学性を感じなかったのである。かれには、生きつづけることすら困難なほどにつよく、かつ固有な倫理的偏執があった。それがかれにおける唯一の爆発性をもつ感情であり、文学性としかいいようのないものであった。その感情がスクリュウーのように水を掻き、かれの生を運びつづけていたということを理解しないかぎり、ゴッホの絵の前には立ちにくい。ゴッホの諸作品を見て、円錐・円筒・球体論をぶつ人がもし居たととしたら、それこそ理論と言論先行の二十世紀の典型的画家、一個の漫画でしかない。……かれはその風景画に展開される自然すら、人間の姿を投影し、感情すら持たせた。いわば、人間そのものだった。さらにいえば、かれの地殻のなかでマグマのように動いている感情の噴出が、かれの絵であり、さらに絵となる以前は文学であり、また文学になり以前は、本来の意味での純粋で激情をともなった倫理だった。私はゴッホだけが絵であるとは決しておもっていないが、しかし人間が人間として描き、人間が人間の描いたものとして見る絵。画というものは、大なり小なりゴッホ的なものだとおもえるときに、私の絵画に対する気分は安らいでくる。(「裸眼で」268p-271p)

★昭和初年頃になると、竜馬という存在は、世間ではほとんどわすれられたようになっていた。そのころ、竜馬の銅像を桂浜に作ろうと思い立った大学生がいて、県下を歩きまわった。この人は県下の青年全員から、一人につきタバコ一箱の金(二十銭)をつのった。たちまち巨額の金があつまり、鋳造と建造の費用が出たというから、昭和初年までは、土佐の山野になお、”長曾我部平等”という意識が息づいていたといえる。この正月。そのときの大学生だった入交(いりまじり)好脩氏に出会った。……正月は、六日間、高知ですごした。高知は変わった、という印象もあったが、入交さんの変わることのない風韻をおもうと、風土というものは容易に崩れないものだと思えてきたりもする。(「あとがきに代えて」『歴史の舞台』296p-297p)

★文学というのは、結局は自分の中にある少年の投影だと私は思っている。同時に自分の中から少年が消失したときに作家は小説を書くことをやめてしまものだし、べつの表現でいえば、少年の感受性を多量にもっていなければ作家であることが成りたちがたいとも思っている。むろんこのことは、他の創造的なしごとにも通ずる。世故にたけて心のひからびたおじさんのイメージと、たとえばあたらしい音楽を創造することとは無縁のものだということを考えあわせればいい。この陳舜臣氏におけるうまれたての蝉のように濡れた心は、小説だけでなく、たとえば、すでに名作というよびかたをしてもいい『中国の歴史』(平凡社刊)にも通じている。(「両氏と私」『歴史の黄砂路にて』308p-309p)

★中国で、紀元前に成立したとされる『列子』という書物があり、その書物に杞(qi)という国の人は天が落ちて来はしないか、ということを心配した、というふしぎな話が出ています。この故事によって。ありうべからざることを心配することを杞憂というようになり、いまでも生きたことばになっています。(「訴えるべき相手がないまま」461p)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

★講演が終わったあと、僕は「将来の同志社大学の学生のために字をかいてください」とお願いした。司馬さんは新島襄先生の言葉のなかにあったことを説明しながら「倜儻不羈」の四文字をしたためられた。司馬さんによれば「倜儻(てきとう)というのは、自分の考えをしっかりもつこと、人がああいうからといってそこへ行かないこと、自分の考えを明晰に持つことという意味です。不羈(ふき)というのは、(中略)馬の、手綱がつかない人、放れ駒のような人のことを不羈というわけです。人に御せられない人、そして明快な、いつも明晰な考えをもっている人、それが倜儻不羈であります」。これは司馬さんが明治時代人を介してご自分にいだいた理想だったのではないか。この言葉は、同志社大学の将来にというだけでなく、僕には司馬さんの日本人への遺言のように思える、倜儻不羈の人、それが司馬さんだった。(「司馬遼太郎さんと倜儻不羈」森浩一 502p-503p)

 それにしてもまるで梅雨のようによく雨が降る。三越へ注文した眼鏡を取りに行かないといけない。が、晴れの日を待っていると取りに行くのが遅くなる。さてどうしよう?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!