2012年3月31日土曜日

『流転の子 最後の皇女・愛新覚羅嫮生』

『流転の子 最後の皇女・愛新覚羅嫮生』(本岡典子 中央公論新社、2011年)を読んだ。

「満州国」最後の皇帝である愛新覚羅溥儀。その弟の溥傑とその妻、嵯峨浩。浩は「流転の王妃」といわれる。その2人の間に次女として生まれた愛新覚羅嫮生(こせい)。その人こそが「流転の子」。この本は満州国に翻弄された愛新覚羅一家のドキュメンタリーである。

読み進むうち、中国と日本という関係のなかでも「周恩来」の動きが重要な関わりを示していると気づく。周の発言がそのまま「流転の子」の人生を動かしている。それは悪い意味ではなく、周の人間性をあらわしていた。

30年前、中国語を習い始める。その当時、習っているグループで人気があった中国の政治家は周恩来だった。しかし、政治的なことに興味はなかった。それでも初めて中国語を習って中国人留学生を知って以来、中国に関することに関心を抱くようになった。

2人目に知った留学生の龔(きょう、中国読みGong)さんのアパートへ習っている同学の人と遊びに行った。そのとき皆で食事を作る。この部屋で一番驚いたことがある。古いアパートの部屋。その部屋の天井を見上げると真っ白い紙を天井一面に貼っている。「なぜ?」と聞くと部屋が暗いので紙を貼って明るくするのだという。そんな会話の中、TVでは「浩」の訃報を放映していた。今でもはっきりとその光景を覚えている。

この本の年表を見ると1987年6月に北京で亡くなっている。中国語を習い始めて5年後のこと。当時の留学生は中国政府からの国費留学生であり、地元の国立大学でも本当に少なかった。しかし優秀な人たちだった。中国政府からの給付金は月額8万円。そのころ、この金額で生活がよくできると思ったことも覚えている。

当時、家では何もせず独身貴族を謳歌していた。そしてその前年から中国へ4度続けて行っている。一番中国にのぼせていた時代でもある。

この本は吸い込まれるようにして読む。だがなんといっても500頁ほどもある長編作。途中、完全に自分一人の世界に没頭してしまうほどだった。

周恩来とのかかわりは本の3分の1くらいから出てくる。「流転の子」である愛新覚羅嫮生(こせい)は父である溥傑と満州国崩壊後、中国と日本で離れ離れになる。そのとき溥傑には娘が2人いた。長女、慧生は「懸命に勉強した中国語で、中国の最高権力者の一人である周恩来総理に、生死さえわからぬ父との文通許可を願う直訴状を密かに出していた」。(181p)

これがきっかけとなり、周恩来は日本人戦犯起訴で「この日本人は今は戦犯だが、二〇年たったら友人になる。日中友好を考える友人になる。」として戦犯判決について細かい指示を出した。(193p)

この指示後、1年経った1956年日本政府も「もはや戦後ではない」と記して撫順と太源の日本人戦犯帰還者第一陣335名が舞鶴港に入国した。戦後11年が経過していた。(185p)

父との文通のきっかけを作った愛新覚羅慧生はそれがプラスのエネルギーとならず負のエネルギーを背負った。その翌年1957年学習院大学の恋人と天城山山中で心中。それは書簡集『我御身を愛す』になる。(221p)

1959年中華人民共和国10周年の祝賀行事で溥儀は特赦される。しかし弟である溥傑は日本人と結婚している。離婚を迫られるもしないままで・・・。そのとき周恩来は妻である浩を日本から呼び寄せ中国で暮らすようにさせる(229p)。

周恩来は溥傑に書かせた手紙を訪日団に持たせる。受け取った浩は「周総理と中国政府の寛大さとご配慮に感謝いたします。私は中国人です。『鶏に嫁せば鶏に随い、狗に嫁せば狗に随う』と申します。私は必ず中国に帰らなければなりません」。浩は読みながら涙を浮かべていたという。(231p)

こうして溥傑、浩、嫮生の3人は北京で暮らすようになる。しかし、嫮生は姉の慧生ほどの性格ではなくどうしても満州族の血をと考えなかった。そして母、浩と関係ある人からの結婚話で福永健治に嫁ぐ。

「中国で一族の末裔として生きる道ではなく、『普通に平凡に生きる幸せ』を求め、嫮生は日本に戻っていった」。(251p)

このときも周総理は自由往来の証として「国務院総理周恩来」とだけ書かれた名刺を届けた。今でもその名刺を大事にしているという。(250p)

溥傑夫妻は幸せに満ちた生活を送っていた矢先、文化大革命の嵐が襲う。そのとき嫮生は日本を選んだことの幸せを思う。

「文化大革命のとき、周総理の庇護がなければ、叔父や父がどのようになっていたか、と考えますと恐ろしゅうございます」と嫮生はその頃のことを述べている。この叔父とは溥儀、父とは溥傑。(277p)

両親の亡くなった後の「流転の子」嫮生は「父と母とには両親が周総理から託された使命である、日中友好のために各地を回り、これまでお会いした方々との親交を温め、両国の親善に努めること。また、中国で日本の皇室とのつながりを持っておりますのは父だけでございましたから、周総理は、父と母を通して皇室との関係をつないで行くことを強く望んでおられました」と述べている.。(310p)

その周総理も1976年1月逝去。母浩も1987年逝去。その後、1994年溥傑逝去、夫健治も2008年亡くなる。一人残った嫮生は一戸建て住宅を売り払いマンションに移る。そして今、戦争を知らない子供たちとの対話講演を高校や中学で続けている。そしてその講演料などはユニセフなどに全額寄付しているという。そして最後に「嫮生はモノに執着しない生き方を父の言葉を借りて語った」。(413p)

嫮生には現在5人の子供がいる。そのうち1人は現在、東京大学で学びつつ愛新覚羅一族について研究している。

本のブログ投稿は時間がかかる。今朝は嵐のように風が吹き荒れ雨も・・・。その中、この本につけた付箋の箇所のコピーを取る。そして、そのコピーを見ながらブログに投稿。

また今日は1982年に初めて中国語を習ったときの友だちからプレゼントが届く。中国語を習い始めたころのことを書いたばかり。その偶然性に驚くばかり。これについては明日のブログに投稿しよう!

2012年3月30日金曜日

2階の掃除

電波時計をみると部屋の気温、19度8分、湿度50%。暖かいというよりも暑い。というのも、久しぶり2階の部屋の掃除をする。動くたび汗が出る。

10年位前から生活空間は1階で、2階は利用していない。暖かくなった。今日は図書館も休み。毎日外に出歩いているので今日は午前中買い物を済ませると家で大人しくする。そのとき、ふと、2階の部屋の掃除を思いつく。主がいない2階の部屋。掃除も年に数回のみ。きっとほこりが・・・。

と、その前に、2階の箪笥の中を片づける。どれも着ないものばかり。そのとき、もう10年もスカートを穿いてない、と気づく。仕事をやめて1年半後から母の介護が始まった。それ以来、スカートを穿くのを忘れてしまった。

それでもと思って、先ほど1枚ずつスカートを穿いてみる。どれもウエストが合わない。体重は高校時代に戻っても体型は年には勝てず「おばさん」。

片づけるとき、久しぶり何十年前のラジオをつける。それでFMを聞きながら片づける。プレイヤーもラジオデッキもヤマハのスピーカーから聴く。それらは当時にすればピアノが買えるほどの金額だった。それが今ではラジオのみ聴ける。さすがに音はいい。これを捨てるには、かなりの勇気が・・・。捨てられそうにない。

着るものの半分は処分する。残りの半分もきっと着ないとわかっていても処分できない。これではなかなか家は片付かない。

片づける前、九州の「お母さん」に旅行のTELをする。いつも電話をするたび、絵葉書をおくるように言われる。その人だけ絵葉書を書こう!

以前の元気さがだんだんとなくなっている。それがちょっと淋しい。また、「モノ」は要らないと話される。それでもどうしても欲しいものは無理しても買うようにといわれる。その考えはよくわかる。いくら年齢を重ねても要るものは要る。何もかも退けることはしたくない。

今朝の新聞をみると百寿者の性格の特徴を「前向き思考で開放的」としている。後ろ向きで何もかも不要・・・という考えでは長生きできない。その記事の中で「若い友人をつくることで、付き合いが狭くなりません。これも長生きの秘訣かもしれません。」とある。全くその通り。4月から若者と学ぶ。若さをもらおう!

もう一つ、思想的問題で突然退職させられた人の記事がある。その人は「仕事をやめたことで自宅で食料を作れたし、好きなこともできたのでよかった」とある。これもその通り。リストラされたお蔭で今がある。

とりあえず、2階の部屋を片づけた。これと前向き思考は関係ない!?確かに・・・。まあ気分よく過ごせればそれでいい・・・。それくらいの気持でたまには2階の部屋も掃除しよう!

2012年3月29日木曜日

旅行催行決定!

昨日から今日にかけて春本番の気候。今朝は久しぶり2度寝をせずに起床する。陽気に誘われ、午前中からプールに出かける。今日も一キロ泳ぐ。

この陽気は人々をプールに誘うのか、泳ぐ人も歩く人も多い。暖かくなればますます人出も多くなるだろう。そうなれば自由に泳げなくなる。それがちょっと嫌だけど、少ないよりはいいかもしれない。

陽気といえば、昨日もそうであった。昨日は幼馴染と区民センターのレストラでランチを食べ、夕方まで遊ぶ。その後、旅行社へ申込金を振り込む。催行決定ではないのに・・・と思いながらも振り込む。

夕飯を食べようとしたとき、旅行社からTELが入る。催行決定の知らせだった。すぐに女朋友にメールで知らせる。嬉しかった!

電話があったとき、受話器を置く前「〇〇さんが勤められている会社ですか」と聞くと、その人はすでに退職されていた。

一緒に旅行する女朋友とはひょんなきっかけで知り合った。今から26、7年前、中国語の検定試験を受けた後、一緒に受験したグループの人たちとカフェに入った。そのとき女朋友は中国の留学生と他の日本人の女性の3人で隣の席にいた。

中国の人がいると思い、検定を受けてきたと告げると話が盛り上がった。その後、その3人と席を同じくする。女朋友のもう一人の日本人女性はそのころ中国留学から帰国したばかりで、そのカフェは中国一色の感じになった。なんといっても今ほど中国語を習う人もいない時代だ。

知り合ったきっかけはそれだけのことなのに今でも親しくしている。これまで何度か外国へも一緒に行った。よく飲み、よく食べ、よく遊んだ。

その後、彼女に誘われ、習っていた講座から移動して県の外郭団体の中国語講座で学ぶ。そのころの中国人留学生講師から今回の行き先の素晴らしさを教えてもらう。しかし、そこへのツアーは最近までなかった。それがいつしかブームを巻き起こす。

教えてくれた陳さん、納さん夫妻に会うのが今回の旅のもう一つの目的。特に奥さんの納さんにはお世話になった。今でも感謝している。

社会人大学生として受験するとき、志望動機書、研究計画書を提出する。10年前のそのころ、恥ずかしながらそういう言葉さえ知らなかった。何をどうすればいいのかさえわからなかった。そんな状態のとき、博士号を取っていた納さんに相談した。するとその書き方の本を教えてもらう。有難かった。その頃、日本人の知り合いでそれを相談できる人がいなかったのである。

外郭団体の中国語講座には県の職員がいた。そのうちの一人は外国との交流窓口である国際交流課に勤務。その関係で旅行社勤務の知り合いもできた。しかし、その人もすでに退職。女朋友と、もしかしてその人が添乗員かも・・・と話したばかりだった。それなのに・・・。

来月から他の人から誘われて再度、中国語を習う。

「誘われる」といえば、これまでを振り返ってみてもひょんな「誘われ方」というか「出会い」で生きている。それは就職から始まって今に至るまでそうである。誰でもそうかもしれない。いつかブログにまとめよう!

昨日、幼馴染にそれを話すと驚く。我ながら人からの誘いに乗って生きているとびっくりする。そのすべては今になっても有難い!

これからもそうやって生きていくのだろうか・・・。楽しみなような・・・。

2012年3月28日水曜日

とんでもない一日

一昨日の天体ショーほどではないにしても、昨夜も月と木星がはっきりと見えた。

昨夜といえば大変な夜になった。夕方フルートのレッスンに出かけるため家を出る。最寄の駅につくと構内アナウンスがけたたましい。何も気にせずホームで列車を待つ。ところが次第に人も増え、いっこうに列車が来る気配はない。おかしい?と思い、近くにいた人に尋ねると隣の駅で踏切事故発生とか。

人身事故ならば検証に2時間かかる。すぐにバスに乗り換える。ところが、ところが・・・。バスに乗ったのはいいが全く動かない。事故のためJRの踏み切りを封鎖し、車の動きがとれないらしい。1時間くらいバスに閉じ込められ、そこから携帯でフルートの先生にその旨連絡する。

昨夜は知人がレッスンを休むと先生から聞く。その時間帯でレッスンをお願いする。

やっとレッスン会場に着く頃はすでにバスに乗って2時間近く経過。バスの中は暑い!草臥れ果てて会場に到着。レッスンは一番最後。時間があるのでしばし練習。それにも飽きてくるころ、レッスンを終えた人がロビーにやってきた。その人とあまり話すことはない。2人して雑談する。

その人は奥さんなのにいろいろと頑張っている。話していてその様子が伺える。だが見かけによらず、先のことが気になるらしい。あまり先を考えないモノが奇異にうつるらしい。他人から見ればそうかもしれない。考えても仕方のないことは考えない。レッスン時間が来たのでその人と別れた。

いつもと違う時間帯でのレッスン。ましてや長いことバスに乗っていた。いつもと様子が違うと思いながらレッスンを受ける。レッスンを終えて広島駅に着くと、事故から4時間半も経過している。それなのに列車ダイヤは乱れていた。

我が家に着いたのはなんと午後9時半。その頃、見る月と木星。金星は見えなかったけどきれいだった。

それにしても・・・。今朝の朝刊を見る。自転車に乗っていた70代の女性が列車に気づき置き去りにして逃げたらしい。おかげでとんでもない一日となった。疲れ果て、昨夜もぐっすり眠る。いつになったら早く起きれるようになるのだろう。せめて4月になるまでには早く起きるようにしなくては・・・。

2012年3月27日火曜日

昨夜の天体ショー

日中は春を思わせる。しかし、朝晩はとても寒い。今朝もそうだった。一度目を醒ます。すぐに起きればいいものをまた寝てしまう。宅急便の人がならすチャイムで飛び起きる。送られて来たものを見ると旅行手続き一式が入っている。まだ催行決定ではない・・・。

新聞を読みながら朝食をとる。地元紙をみると「輝き結べば一直線」、「広島など『天体ショー』」、「金星・月・木星」とあり、広島城の上方に輝く金星、月、木星の写真と記事の掲載がある。

昨夜8時過ぎ我が家に帰る。ふと西空を見上げるとくっきりと月と星が並んで見えた。それも異常にはっきりと。

最近、コンタクトをしている。目がよく見えるとこんなに綺麗に星が見えるんだと感激して家に入る。すぐカメラを取り出して写真を撮ろうとする。ところが電線が写真に入る。取らずにそのまま家に入った。それが今朝の新聞で「目」が良く見えるからではないとわかる。写真を撮らなかったのが少々残念!

すぐにネットで検索すると写真入で出ている。それを勝手に掲載させていただこう!
(上から金星、月、木星の順。http://machikomizaq.jp/users/os-daito01/article/515/より引用)
次にこの3つが一直線に並ぶのは2015年6月とか。だがそのときは3つが整列するとは限らないらしい。

時には空を見上げることもいいものだ。まさかそれほどのこととはつゆ知らず・・・。

今日は、もう少しするとフルートのレッスンに出かける。その前に少しは練習しよう。

フルートから帰宅する頃には、さてさてどんな星が見えるのだろう。少々霞がかった日中だが・・・。

2012年3月26日月曜日

フルート定例会

今日はフルート定例会。夕方、市内中心部に集合。メンバーはいつもの3人。なかなか会場が決まらず、尾道の人に昨日やっと報告。

「やっと決まった!」とTELすると、2人で大笑い。すべて決めるのはまるで知人の仕事のようにまかせっきり。2人は何も考えようとしない。今日、会ったとき先ずはそのお詫びをする。

すぐに隣のビルに移動。まだ退社時刻。ビールは昨夜から冷した感じで凍ったよう。そのジョッキでまず乾杯。通常ならば予約もとれないくらい混雑しているとか。ところが今夜はほとんど貸切のよう。それでも帰る頃にはお客も増えてくる。

お店の雰囲気はとてもよい。と言うのも来月もここで・・・と決まるほどのよさ。

最初に注文したのはビール。次の注文はセット物。このセットの名前はブログに書けないというとあれこれアイデアが出る。それがまた可笑しい。もう「おっさん」の世界。だがその注文品はとても美味!メニューを見るとランチと同じもののようだった。

さらに「てんぷらの盛り合わせ」、「ポテトスティック」などを注文。取り皿もそれぞれに出る。ところがポテトの量が半端でなく多い。3人前と思えるほど。だがそれは1人前。それを見てまた大笑い。携帯カメラで写すが、かなり食べた後。

ビールの次は日本酒。先にビールとポテトを注文してたら他のものが食べられない。それを想像しては3人で大笑い。今日はビールの後、猪口で3杯日本酒を飲む。その最後の1杯で酔ってしまった!

JRに乗り換えずバスで帰る。酔っている自分に気づく。日本酒は生きてきた中でほとんど口にしたことがない。「辛い!」というと男性陣は「甘い!」という。日本酒を口にしながらお水を飲む。その辛さは知人にいわせるとポテトの塩味だとか。これ本当?

だいぶ経った頃、尾道の人のバスの出発時刻が近づいた。3人でポテトを食べる。食べても食べてもポテトは器からなくならない。それがもう可笑しい!3人で笑いころげる。

来月もポテトが同じように出るのだろうか、チェックして・・・。これが課題!?

それにしても今日のお店自体はとても上品、料理も美味!そして何といってもポテトが可笑しい!3人ともこのお店が気に入ってしまった!

家に帰ると、昨日の旅の話で女朋友にTELする。旅の予約数は今日現在6名。ということは問い合わせてから昨日まで誰からも予約がなかったことになる。とりあえず、旅行社のいう期限まで待って次を考えよう。

それにしても毎日よく遊ぶ。我ながら感心する。それも元気な証拠。何といっても元気が一番。そう思ってまた明日もフルートのレッスンに出かけよう!

2012年3月25日日曜日

研究会&懇親会

春だというのに毎日寒い日が続く。梅の開花が3週間遅れで、桜の開花と同じ頃になりそうとか。やはり異常気象。今日も寒い!

寒いといえば昨夜もそうだった。昨日は、院生時代の恩師の退職記念行事に参加する。最寄の駅からJRに乗ると、なんと横に先生が・・・。びっくり。すぐに挨拶をする。記念行事は研究会と懇親会とに分かれて催される。研究会の会場は、医学部の講義棟の大会議室。初めて行くところ。不安を抱えて家を出た。それがまさか途中で先生にお会いするとは・・・。

広島駅までの10分くらい立ち話。先生の後任が決まったこと、博士号をとっても就職が決まらなかった人が大学の教師になったこと、一緒に学んだ博士課程後期の人は研究生でいること、1年先輩のゼミ生は今回不参加など、それぞれの人たちの近況を話される。

大学病院行きのバスに乗り換えると、ほとんどの人が退職行事に参加する人たち。何も心配することなく会場に到着。しかし、一人で行くとなると医学部の中はかなり広くて複雑。

研究会の参加者は大勢だった。余り準備する人がいないよう。幹事役の人たちとは顔なじみ。挨拶をして、会場を手伝う。

研究会は始まった。どの人を見ても賢そう。そこにいるのが不似合いに思える。勇気を出して椅子に座る。横の人は埼玉の大学と和歌山の大学の男性。座るや否や、埼玉の大学の人から何の研究をしているかと聞かれる。研究者ではないので修論について話す。他にも数人から同じことを聞かれる。黒ずくめで出かけたので少しは研究者に見えた!?

研究発表は恩師と、その後任者。質疑応答でそれぞれ所属する大学名と名前を名乗る。聞いていると、埼玉、東京、横浜、和歌山、京都、岡山、山口、九州など多県の大学に渡る。どうも恩師の恩師の門下生たちらしい。その末端に一人座って話を聞く。眠くなるかと思ったがそれどころか緊張のしっぱなし。

休憩時間になった。懐かしい人たちと近況を話す。名刺もいただく。以前パソコンで名刺を作っていた。今はない。作ればよかった。先生たちとも気軽に話す。あの緊張はどこへ・・・。

もらった資料によると恩師は相当の人のよう。今の研究会も立ち上げたらしい。素晴らしい人の下で勉強させてもらったことに感謝。

3時間の研究会は終わった。だが、その内容は困難を極めるものだった・・・。

タクシーで懇親会会場まで皆で移動。市立大学の先生と一緒だった。車の中でも専門は何かと聞かれる。ただの遊び人とも言えず、修論についてまた話す。

会場は市内のホテルの中華レストランを貸しきる。料理はふぐのフルコース。ふぐの刺身が出ると4人分?と誰かが言うとひとり分だった。

席はグループごとに決められている。座った場所は修了した院生のグループ。知らない人たちなのに何の違和感もない。席の前には10年前に修了した2人の女性。横浜と山口から来ている。右横はそれよりも前に修了した和歌山と岡山の高校教師の男性たち。一番年齢の多いモノが3年前に修了。話していて自分の年齢を忘れるほど打ち解ける。この感覚はなんなのだろう?他の席の人も集まってきて・・・。

横に来た人、曰く「学ぶということは、これがいいんです」と和気藹々とした雰囲気を指して言う。年齢は関係ないという意味?

席の人と隙を狙って先生に挨拶。奥様もご一緒。「思い出の記」を書いた。それを読んで下さったようだった。テーブルの料理は前菜からそのまま。一升瓶どころか何も手をつけておられない。それなのに一緒に写真をとってもらう。嬉しかった!一枚も思い出になるものがない。3年前修了するとき、もう会えないと思って先生の本にサインをしてもらった。昨夜は写真にも納まってよかった!

楽しいうちに懇親会は終わった。このまま皆と別れるのも淋しい!初めて会った4人で2次会へ行く。内2人はホテルへ連泊するとか。話しているとなんだか一緒に学んだ気がしてくる。

そのうちの一人が旦那さんに迎えを依頼。家まで車で送ってくれるという。最近、人から親切にしてもらうことが多い。皆、優しい!

学部時代の恩師も色々と話しかけてくださる。2次会に行く途中、「先生の送別会に行けるでしょうか」と話すと、「僕ももう52歳になりましたから・・・」。「スペイン語を習いにいきます」といって分かれた。

優しいといえば、今日、女朋友と中国の九寨溝へ行く話をする。会った場所はグランヴィアホテルの中華レストラン。今日は飲茶でなく、本格的な「中国菜」。美味だった!

広島発にしようと決めたけど人数が集まればいいのだが・・・。すべてはそれ次第。駄目なら成田発になる。明日、旅行社にTELしよう。広島発になれば集合が早い。一番のJRで空港に向かうか、前泊になる。ところが一緒に行く人は途中まで来れば車で空港に連れて行ってくれるという。女朋友のその言葉も優しい!

Xiao Chi小姐、非常感謝! Yu Tian

2012年3月24日土曜日

学位式の新聞報道

いくら「春眠暁を覚えず」といっても起きるのが遅すぎる。早く起きる癖をつけないと一日が短い。

地元の朝刊を読んでいると知っている人の記事が掲載されている。昨日行われた大学の卒業式と学位式の模様である。新聞の見出しには「傘寿2度目の学位」「平安装束を研究」とあり、修士号を手にした元高校教師のその人が先生、若い学生に囲まれて笑っている写真と記事である。

その人と同じ大学院に入ったとき、その研究科のある科目は全員の必修だった。それも1泊2日の泊り込みの授業。オリエンテーションを兼ねていたのだろう。

他学部からその研究科に入ったモノにとってはその場で目にする今回の人は驚きだった。どうみてもかなりの年齢差がある。同じ部屋に1泊した。だが話す内容は学生だった。

その後は専門も違い、ほとんど会うことはなかった。それが今朝の新聞には嬉しそうな様子の記事が掲載されている。まだまだ傘寿までは遠い道のり。そう思えば「何だってやれる!」。希望が沸いてくる。

そういえばその頃いっしょにオリエンテーションに臨んだ人たちは、大阪から通う歯科医の人、早稲田を出て死ぬまでずっと大学院で西洋哲学を学ぶという人もいた。皆、今も通学されてるのだろうか。

卒業式、修了式といえば今日の午後から、院生時代の主の指導教官の退職記念行事に出席する。研究会と懇親会である。どちらの場所も初めて行くところ。無事、到着できるように出かけなければ…。

先生とは修了した大学の学位式で会って以来ちょうど3年ぶり。今日の世話役の人も学部時代の指導教官や同僚の人たち。さてさてどんな様子になるのやら。楽しみなような…。

今日は先生が主役。今夜も一升瓶がそばに…。3年前はそうだった!楽しみだ!

2012年3月23日金曜日

新年度を前にして

今日は朝から雨が降り続く。あと一週間すれば4月になるというのに肌寒い。

午前中、予約している歯科に行く。行く前、NHKのラジオ第二を聞くとほとんどの番組が最終回と放送する。年度末を感じるとともに新たな年度になると改めて思う。それは語学番組だけでなくFMもそう。

新た、といえば、4月から通う大学の学生証が4日から配布される。昨夜、係りの人に受講の日の受け取りでOK?とメールで問い合わす。前に通っていたとき、学生証がIDがわりだった。授業登録から成績や連絡事項等までなんでも学生証の番号でパソコンに入力した。

今朝、返信メールを見ると受講日に受け取ってよい、とある。新年度を前にして、忙しくなる日々を想像する。

他にも新た、といえば、昨夜米子の旅友だちからメールをもらう。それには、次のように書いてあった。また勝手にその一部を引用させてもらう。

「そろそろ4月、講義が始まりますね。
わくわくしていませんか?
4月の講義日はいつですか?」

来月から始まる松江行きのことである。メールをもらうまで、その人の家に宿泊すると迷惑をかけると思った。日帰りか、宿へ1泊しようと考えた。ところが「気軽に手ぶらで来て下さい。」とある。

すぐに米子へTELした。話をすると松江まで迎えに来てくれるという。そこから米子まで観光しながら帰ろう、と。また、家に泊まるように、といってもらう。他にも良いところがまだまだ米子にあるので連れて行ってくれるという。

本当に有難い話。嬉しかった!とりあえず宿泊をお願いする。

母がいなくなって人から誘ってもらうことが多くなった。ありがたい!

親切にしてもらう人に対して、感謝の気持を忘れないように・・・。改めて自分に言い聞かせせる。

今日は歯科が終わると久しぶり予約の本を取りに図書館へ行く。今日借りてきた1冊は来月から始まる講演会の講師で直木賞作家の三好徹の本。主催者側から講師の資料は届いている。だが、講師の本を1冊も読まないより読んで受講するほうがいいと思い本を借りる。

その後は雨も降っているので家でパソコンと遊ぶ。さっきなんとなく頭に浮かんだ英語のフレーズをyou tubeで検索するとその曲と歌詞があった。つくづくその機能に圧倒される。それも皆、googleに利用されると思うと怖い気もする。でも雨の日に遊ぶにはちょうどいい!

2012年3月22日木曜日

「ようわからん!」

昨日の春らしいお天気とは違って今日は下り坂。今にも雨が降りそう。

最近は図書館で借りた『流転の子』を読んでいる。この本は満州国の皇帝、溥儀の弟である溥傑の娘、愛新覚羅嫮生の物語。まだほとんど読んでいない。この時代に関心があるので早く読み終えよう。

昨日、お寺へ塔婆を取りに行った。その塔婆をもって墓参りに行く途中、3人に出会う。3人目の人の墓は我が家の隣。昨日、その人の家の前を通る途中で出会う。年齢83歳、女性。墓地はその人の家からさらに山道を登る。毎日、不自由な足でお墓に参るらしい。

家の外に出ていたその人に近づくといろいろと話し始める。なんと、15歳のとき単身で満州に行ったという。それを聞いてさらに話が聞きたくなる。さらに近づくと、その人も外に出てきた。道路に出る際の踏み石に座って話し始める。

親が満州から引き上げたという人たちの話は聞くことがある。しかし、実際に満州にいた人の話しは聞かない。なぜ満州に・・・と聞くと、親を楽にさせてあげたかった、と。広島県の県北の出身の人。兄弟姉妹は5人。そのうちその人だけが満州に行く。どういうことから満州へ、と聞くと人づてに話が来たらしい。そこで奉公していて、戦争後1年して引き上げる。満州時代は生活も良かったが、戦争に負けてから引き上げるまではかなり苦労だった、と。

今では息子2人を大学院にまで行かせ、電力会社に勤務している、と誇らしげに話す。満州の話の後はその2人の息子がよくしてくれると話す。今は88歳の夫と2人暮らし。

山のふもとにその人の家はある。なぜ満州の話になったのか定かでない。しかし、貴重な話が聞けた。いつかさらに突っ込んだ話を聞こう。

これまで満州に行ってた人は満鉄関係の人が多い。その人たちはいわゆるエリート。昨日の人は逆の立場。余計関心がある。

その本を読むのを中断して今日はお昼前、短大時代の友達と3人で会う。1年ぶりの再会。ランチを食べながら話す。2人はそれぞれの夫と年齢差が7、8歳ある。昨年親を亡くしたモノにとって、自分自身の老後はサラサラ考えず、毎日遊び呆けている。2人とはおかれた環境がかなり違う。

短大時代の話は出ない。その2人からすれば、一番変化のない人生を送っているモノが考えや行動が一番変化していると見えるかもしれない。それもそうかも。何ごとも相談する人がおらず、自分で決めないといけない。そのためか考える前に行動する癖がついてしまった。暇さえあれば動き回っている。

今日は楽しかったね。また会いましょう!

昨日2番目に会った人からは「自由でいいね」といわれる。80歳前後の女性で夫婦2人暮らし。会うたび「もう顔を見飽きた!」とその夫に対する言葉を話す。

1人で暮らしているモノに対するこれらの言葉は「褒め言葉!?」。聞くほうにとってはそうとも思えない。これじゃ『婦人公論』の記事と「おんなじじゃ!」。

同じ話をするなら満州に行ってた人のように誇らしげに話せばいい!同じ生きるならもっと楽しく生きればいい!

なぜ愚痴るのだろう。その辺が1人暮らしには「ようわからん!」。

2012年3月21日水曜日

気ぜわしい一日

昨日は気ぜわしい一日。さすがに疲れたのかぐっすり眠る。今朝はなんと起床時間は10時前。びっくりして起きる。

来月の広響定演で知人は合唱に出演。ロシアの曲を歌う。そのためにロシア語を知っている人を依頼され紹介する。

社会人大学生の頃、知り合った女性は旧ソ連で今はウクライナの人と結婚。ウクライナの人はロシア語が話せる。

長く生きている。しかし、人を紹介することがこれまでほとんどなかった。その女性とは半年前5年ぶりに会っている。携帯メールを駆使して連絡しあう。結局、皆の時間が合うのは祝日の昨日がいいと決まる。ところが、肝心の人は昨夜の午後8時以降でないと会えない。

午後7時過ぎ、連絡が入る。午後8時、ウクライナの人の自宅近くのJR駅で合流。お茶をしながら紹介。その前に途中で出くわしたのか3人は連れ立ってやってくる。すぐに知人が持参したボイスレコーダにウクライナ人は歌詞を録音。短いフレーズが何度も繰り返される歌詞。録音はすぐに終了。歌詞の発音も教えてもらう.もう日本語は全く違和感がない。色々な外国人を知ってるけどこれほどの人は初めて。さすが奥さんが日本人?

後は雑談となった。その奥さんである人と大学で中国語関連の講義を受けて知り合う。その人は今でも大学の先生から中国語を習っている。以前から会うたび中国語を習うよう誘われていた。それも、のらりくらりして・・・。だが昨夜もまた誘われる。一気に習う気になった。

その人が次に習いに行くとき同行することにして・・・。〇〇さん、昨夜はありがとう。素敵な旦那さんですね。また中国語も誘ってもらってありがとう。ブランクがあるけど頑張ります!

こうなったら4月からもう頭をフル回転させるしかない。相当覚悟を決めて・・・。それには先ず体力が勝負。健康には気をつけよう!そう思えば今朝の起床時間の遅さも、まあいっか!

昨日はまた、朝刊に県の人事異動が掲載された。いつもこの時期、それをみる。たった4ヶ月行った土木部の人の名前をみる。そのとき、まだ本当に下っ端の人がなんと2人も部長級に。毎年のことながら驚く。そしていつまでも名前を覚えている自分にも驚く。関係ない人たちなのに・・・。

すぐにいつもよくしてもらう元職員さんにメールで知らせる。すると「芝桜が咲いたら連絡します」と返信メールが届く。ほんとうに春が待ち遠しい!楽しみにしてます!

昨夜お寺での彼岸法要に出かけなかった。遅い起床の今日、お寺へ塔婆を取りに行く。その足で墓参り。先日参ったばかりなので花も綺麗。水を入れ替え塔婆を立てる。ふと見ると、母の戒名の塔婆がない。先祖供養と父の戒名の塔婆2本がある。

先ほどお寺に事情を話す。やはり今は母の塔婆が欲しい。お盆にはそうしてもらうようにお願いする。

お寺に行く前、最寄のJR駅によった。昨夜、手土産にした同じ菓子を購入。その菓子は偶然にも修了した大学のロゴが入っていると、渡した人からメールが入る。そのことは全く知らない。受け取ったほうも驚いた様子。どんなものか買ってみると、やはりロゴが入っている。もうびっくり!

何ごとも4月から・・・という気持がある。そのため、心に抱え込まず、すぐにやろうとする。その分、気ぜわしい!元来落ち着きがない。これが元気の素かも。そう思うことにしよう!

2012年3月20日火曜日

「人生は出会いと挑戦の連続」

昨夜NHKのBSハイビジョン特集はスペインのサグラダ・ファミリアの日本人彫刻家、外尾悦郎氏の模様を映し出す。サグラダ・ファミリアは昨年夏、知人と訪れた場所。新聞のTV欄を見て吸い込まれるようにして見る。ちょうどそのとき、知人からこの番組を知らせるTELをもらう。知人もスペインへ同行した人からメールで知らせてもらったとか。

この中で番組のナレーターは外尾氏の言葉として「人生は出会いと挑戦の連続」と繰り返す。そのために「いつでもスタンバイOK」にしておかなければいけないらしい。

外尾はガウディの遺志を継ぎ、33年前、日本からたった一つのリュックを背負ってスペインへ行く。番組はそのときから現在までをドキュメントで追う。

「挑戦」とはガウディの遺志に挑むことだろう。サグラダ・ファミリアの生誕の門は現在鉄の扉は作られていない。その門の下の鉄の扉に「地上の楽園」を作る。その製作者のデザインコンテストで外尾の作品が選ばれる。だが、実際に製作しても国に認められなければユネスコ遺産に登録されない。その登録に至る過程をドキュメントする。

生誕の門には天子がいる。その下に鳥たちが遊ぶ。その鳥たちの周りに虫たちを集める。ナナフシ、トンボ、てんとう虫など。鳥たちは葉っぱに群がる。その葉っぱはモンセラット山の修道院に絡んでいる「聖母のツタ」。このツタは塀に吸い付いて塀を痛めない。このツタを模して地上の楽園を彫刻する。

外尾は地上の楽園に遊ぶ虫をモンセラットの山で探す。そこにいたのが「ナナフシ」。初めて聞く名前。見ながらキーワードをメモ。

外尾氏はサグラダ・ファミリアで彫刻している。だが、なんと始めの14ヶ月間は「植物の芽」の彫刻をしている。名前も呼ばれず「葉っぱのエース」と呼ばれる。2年くらいするとそれが根づいてやっと彫刻家として認められる。

ガウディは「必ず後に続くものがあらわれ命を吹き込んでくれる」、「諸君、明日はもっといいものを作ろう」と遺している。

その遺志を継いだ外尾氏。それにしても2キロのハンマーとノミでなんと一日5万回うち続けるとか。それも機械でなく手作業。腕は飛び散る石の破片で傷ついていた。

ガウディは虫が好きだった。それゆえ、サグラダ・ファミリアは水が好きな生き物を雨どいとして作っている。それにはトカゲ、カエル、カタツムリなど。

生誕の門の天子の下の鉄の扉を見本として作ったものが結果的に国の審査にとおる。これから、実物の扉を作っていき、ユネスコ世界遺産に登録していく。

2週間近く滞在したスペイン。その中でも昨夜放映されたサグラダ・ファミリアとモンセラット山はとくに印象深い。ガウディはモンセラット山を模してサグラダ・ファミリアを作った。そのためか他の教会と違い、サグラダ・ファミリアはのこぎりのようにギザギザの塔である。

また、モンセラット山は緑のない山でのこぎり山ともいわれる。決して穏やかな山裾ではない。かといって砂漠の山でもない。また山道も平坦でなく、でこぼこ道。スニーカーをはいて観光ポイントを目指してよく歩いた。深い印象はそのためかもしれない。

TVを見終わって知人にTELする。「よかった!」と。話は盛り上がる。

旅番組は多い。だが、見知らぬ国よりも一度訪れた国のほうが見ていて楽しい。それにしても「人生は出会いと挑戦の連続」とは?

言い回しは違うかも知れないが、生きてる限り人と出会い、何かに向かって生きていくと思えばそうかもしれない。しかし、凡人にはなかなか・・・。特に「挑戦の連続」は・・・。

2012年3月19日月曜日

「漂えど沈まず」

昨夜、TV欄を見ると「漂えど沈まず~小説家開高健が遺した言葉 小林薫モンゴルを行く」が放映とある。7時から9時まで夢中になってTVを見た。なんといっても「漂えど沈まず」のこの言葉に魅せられる。初めて聞く言葉。すばらしい番組だった。何といっても好きな番組はドキュメンタリー。

この言葉、ネットで検索すると、もともとは開高の言葉ではなくパリ市の標語だとか。

パリ市の紋章が掲載されていて、
そこには川に浮かぶ船と共に
FLUCTUAT NEC MERGITURと書かれているのです。
「たゆたえども沈まず」という意味のラテン語で
パリ市の標語なのだそう。
水運の中心地だったパリでは歴史的に水上商人組合が
一番勢力があって、この組合の代表が事実上のパリ市長
として機能していた時代があり、その名残の絵と文章。
さらには、セーヌ川が氾濫しても、どんな強風が吹こうが、
船と俺たちは沈まないという心意気の表れでもあるそう。

開高健さんの「漂えど沈まず」と同じ意味。
開高さんの著書『風に訊け』(集英社)を
開いてみると、やはりラテン語でありパリの歴史と
深いかかわりのある言葉だと書いてありました。 

この言葉に関連する開高の本『花終わる闇』『風に訊け』の2冊を図書館に予約。

この番組を見て久々に旅心に誘われる。外モンゴルはまだ行ったことがない。食べ物云々をいっていてはいつまでたっても行かれない。開高の好きだった外モンゴルのモンゴル人民共和国に行きたくなってきた。

開高の本は今ほど図書館を利用しない頃、買ったままにしてある。少しずつ読もう!

旅心といえば中国九寨溝が待っている。今朝、ネットで検索。とりあえずパンフを請求。だが、人数は今のところ4人しか集まっていない。一緒に行く予定の女朋友にメールで知らせる。さてどうなるやら・・・。

「漂えど沈まず」ではないが、この世の荒波に「漂っても沈まない」で流されないようにしなければと思いつつ、プールに出かける。今日も1キロ泳ぐ。泳ぐのは海でなくプール。「漂うことも沈むこと」もない。

今日もおっさんが声をかけてくる。バタフライで泳げるのかと聞く。平泳ぎ、バタフライは泳げない。たとえ泳げたとしても、この2泳法は「腰」を痛める。

もっぱらクロールと背泳を交互に泳ぐ。これでもう十分。泳げるようになればきっともう夢中になる。それが怖い!なんでも適当に・・・。それでいい!「漂えど沈まず」に・・・。

2012年3月18日日曜日

墓参りの日に・・・

昨日の『婦人公論』の「断捨離」の特集について補足。この雑誌は女性誌。そのためアンケートも女性側からとった一方的なもの。反対に男性側からのアンケートをとってその結果を知りたくなる。一番に捨てたいもの、「妻」とは決してならない気がする・・・。

昨日、4月から正式に始めるスペイン語の入学手続きの書類が届いた。明日は入学料を振り込み、書類を整えて郵送しよう。その後で大学に出向いて学生証を受け取る。聴講生でなく、科目履修生なので期末ごと試験もある。頑張ろう!

書類を記入していて苦笑!なんと父兄等欄の記入がある。両親はもういない。それなのに・・・。仕方なく姉の名前を書く。何歳になっても父兄がいる!?注意事項を読むと授業料などの未納に備えるとか。この年齢で大学に入り授業料を踏み倒す人がいるとも思えない。モノ・ゴトの手順があるのだろう。

今日は母の命日。姉夫妻は小雨の中、花を持って我が家にやってきた。いつもは墓参りの花だけど、今朝は仏壇用の花もある。

墓参りの前に、姉夫妻の2番目の孫が今春、小学校に上がる。そのお祝いを渡す。その後、車で墓参り。お彼岸とはいっても霧雨が降っている。お参りする人は少ない。

墓参りを済ませると、先日見に行った古墳の話をする。姉の夫は地元の郷土史研究会に入っている。そのためか、古墳に関心がある様子。車を我が家において、古墳を見に行く。誰故草の話もすると全く驚かない。なぜ?と思っていると、姉の家に今、誰故草がたくさん咲いているという。花が咲かないこの寒い時期に誰故草は咲く。だから誰故草が貴重、と姉は言う。

今度我が家に来るとき、もってきてくれるらしい。

古墳を見た後、3人で昼食に行く。そこでの話は孫のこと、遊びのこと。姉一人が来週、近所の人と2、3日温泉に行くらしい。そのときその夫は今春、小3になる孫を預かるという。どこへ連れて行くかをしきりに話す。

姉曰く、「今、遊ばないといつ遊ぶ?」と。嬉しそうに遊ぶ話をする。そういえば姉は母と一緒に行った最後の旅行は母が86歳だったという。そのときは母、娘3人、孫たちで行った。行った先は金比羅さん・・・。その後も四国へ姪と87歳の母と3人で出かけた。遠出はそれが最後に・・・。

遊べるうちに遊べばいい!それにしても元気だった母の86歳や87歳はまだ遠い・・・。

2012年3月17日土曜日

広響定演&雑誌から

昨夜は雨の中、広響の定演を聞きに行く。指揮者は常任指揮者の秋山和慶、ゲストはピアニストの小林愛実。この小林はなんとまだ16歳。桐朋学園大学の付属高校に在籍とか。2005年の日本音楽コンクールで史上最年少の優勝者。国内を問わず海外でもリサイタルをし、CDデビューもしている。

小林の広響とのピアノコンチェルトは2曲目に演奏された。演奏曲目はグリーグのピアノ協奏曲イ短調Op16.まだか細さの残る容姿からは想像できないほどのダイナミックスさで弾くピアノ。その姿は聞くものを圧倒させる。ピアノのよさがわからないモノでも素晴らしかった!

1曲目はハチャトゥリアンのバレエ音楽「スパルタクス」組曲より。これについては指揮者の紹介によると「ローマ帝国に叛旗を翻したトラキアの英雄の物語を題材にした,ハチャトゥリアンの”スパルタクス”でオーケストラの迫力をお楽しみいただけます。困難に立ち向かう人々の苦悩と愛、そんな壮大な物語にも想いを馳せつつお聴きいただければと存じます。」とある。

オーケストラの演奏のよさがこの曲の壮大さに出ていてよかった。聞き応えがある。静かな曲もいいけど、激しい曲も素晴らしい!

かなり印象が残る曲で、使用楽器をみても知らない楽器がある。スネアドラム、タムタム、グロッケン、ムチなど。

昨夜からの雨もあがり、今日はまさに春。午前中、先日の女子会で一緒だった会の命名者から「冷たい雨にも負けず、音楽会を楽しみましたか?」とメールを受け取る。

この女子会の仲間とはエレクトーンがきっかけで知り合った。今朝の人はボランティアも頑張っている。「エレクトーンからスタートしたご縁だけど素晴らしいね!不協和音など無縁で、互いに響きあうメンバーで余計happy・・・」。こう書いてもらって嬉しい!

〇子ちゃん、この文は素晴らしい!感激しました!いつの日かピアノとエレクトーンとリコーダとフルートで本当の音楽も奏でたいね。夢でなく・・・。

そのときエレクトーンの〇〇先生がいたら、どういわれるだろう。想像するだけで可笑しい!きっと「あんたたち、まだこんなことやってるの?」というかも・・・。いやいや、先生にもうそんな元気はない!? でも会いたいね。先生とも・・・。そして1人行方知れずの〇〇子ちゃんも探して・・・。

午後からいつものように予約の本を取りに図書館へ行く。今週は忙しくしていてゆっくり図書館で新聞や本を読んでいない。ふと目に付いた雑誌『婦人公論』を手に取ると、その表紙に「人生の『断捨離』をはじめよう」。その特集のページを見ると「私が一番捨てたいものそれは”夫”です」、サブタイトルに「スッキリさせたいもののトップ3は、じゃまな夫、つらい過去、衣類」とか。

本文を読まなくてもその内容はわかる。ここまで世の中は・・・と驚くばかり。では「断捨離」しないものは何?きっと「お金」?。それは書いてない・・・。

先日から、衣類の「断捨離」をしている。幸か不幸か夫も、つらい過去も何もない。

雑誌を読むまで「断捨離」は家の片づけのことだと思っていた。それが・・・。『婦人公論』も変わった!ここまで書くとは・・・。世の中も変わるはずだ!

2012年3月16日金曜日

『大人の流儀』から

毎日気温の変化が激しい。今日は昨日の温かさと比べ、かなり気温は低そう。お昼過ぎ、昼食を食べずに予約してある歯科に行く。2日続けて・・・。楽しいところならば良いけどそうではない。歯を良くしようと思えばそれも仕方ない。

昨日から口の中へ何か検査の管のようなものを垂らして歯科医はそれを見ながら治療をしている。終わったとき思わずその器具について聞く。どうも検査していることがわかるモニターのようなものらしい。

昨秋から久しぶり歯科に通っている。それまでの検査とか治療法が違うのか何をされてもためらってしまう。衛生士による歯磨きの仕方も歯科によって違う。新しい技術なのだろう。

こうなったらとことん歯を治してもらうしかない。言われるままに治療を受けよう。

そう思いながら自転車で帰る途中、いつも最寄り駅の線路脇に座っている人を見る。どう見ても浮浪者風の人。ダンボールに果物を入れて売っている。売っているといっても近づくのさえためらわれるような人。その人も生きるのに一生懸命なのだろうか、あまり出ない声で通る人に声をかける。いつも見る光景。今まで買っている人を見かけたことはない。自転車に売り物の果物を積んでいる。それも気候のいいときではない。もう何年見るだろうか。その人が気になる。だが、いくら物好きでもその人には未だに声をかけることができない。買ってあげればよいとも思うけど、それさえもできない。通るたび、そう思う。

気分を入れ替えてスーパーに出かける。帰宅すると遅いお昼を済ませ、図書館で借りてきた『続 大人の流儀』(伊集院静 講談社,2011年)を一気に読む。その本の表紙には「他人が困っているときに優しくできるか。幸福のすぐ隣に哀しみがあると知れ。大人になるとは、そういうことだ。」。さらに他にも「あなたの心の奥にある勇気と覚悟に出会える。・・・」とある。

これを読んで、さっき会った果物を売る男の人を思う。世の中、働き盛りで生活保護を受けている人も増えている。その反面、果物を売る人のように自分で生活の糧を得る人もいる。どちらの人に対しても何もいえる立場にない。しかし、この人たちの「生活」について考えさせられるものがある。

今の世の中、「生活」といえばお金が付きまとう。お金といえば、本の著者である伊集院は東北の震災で寄付をした人の金額をマスコミが公表したことに触れている。お金に余裕がない人の5千円と、お金のある人の数億円は同価値だという。とはいってもむしろ買いたいものを我慢して寄付した少ない金額の人の方がたしかな救援金に思えると・・・。そしてそのことよりもその金額の多寡を公表するマスコミが卑しく思える、と(146p)。

いつも出会う果物を売る人に対して、その人の身なり、恰好で毛嫌いしている。その人自身はきっと大変な生活からそうなっているかも知れない。それを理解するのが、伊集院のいう「大人の流儀」だろう。明日からは、見方を変えよう、と思うけどさてさて・・・。

今日は夕方から雨になりそう。それでも広島交響楽団の第317回定期演奏会に出かける。今日のテーマは「秋山和慶&小林愛実~華麗なる共演~」。演奏曲目は以下のよう。

ハチャトリアン:バレエ音楽「スパルタクス」組曲より
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調Op16
ボロディン:交響曲第2番ロ短調

せめて音楽を聴くときくらいは優しい気持になって聴こう。「大人の流儀」で・・・。

2012年3月15日木曜日

誰故草

今朝降った雨も上がり、春を思わせる気持いい一日。午前中、予約している歯科に行く。その後、買い物をして帰宅中、家の前で同級生と出くわす。その人とは、昨日、幼馴染と我が家に帰る途中ばったり会った。

3人で立ち話をしているとその人の実家のとなりにある祠(通称:新宮さん)に毎日お参りするという。聞いてもそれがどこにあるかわからない。たとえ知ったとしてもお参りしない。ところがその辺りに古墳があるという。

古墳が出たことは以前から町内の会報で知っていた。今日、再度その人と出会うと、今からお参りするという。荷物を家に置いて一緒について行った。

我が家から歩いて数分くらいのところに古墳と祠があった。いつも墓参りに行くとき通る途中にある。

誰故草の花弁の大きさはみかんと同じくらい
10数段の低い石段を上がる途中、地面を這うようにして誰故草が3輪咲いている。初めて実物を見た。誰故草は町の花。郷土史研究会の人たちが保存している。えひめ菖蒲といわれるだけあって咲いている花はあやめそっくり!だが、山野草のためか菖蒲ほど背丈はなくとても低い。また、花びらも小さい。

お昼を食べ終えると、今度は一人でデジカメをもって誰故草の写真撮影に行った。

 
新宮古墳


新宮古墳の説明
 今日会った同級生によると、中学時代の先生がそのあたりに古墳があると気付いて昭和58年に発見したとか。

なぜ、祠をその人の家が守っているのか聞いた。亡くなったお母さんが嫁いだとき、白い蛇を見た。すぐ蛇はいなくなり、それを家のものに話すと、家の横にある祠を守るよう言われたらしい。蛇を見た人の娘である同級生は親が亡くなった後、毎日のようにお参りしている。

この古墳は昔の一族の墓らしい。1400年前のこととか。その同級生もこの町に多くある家と同じ名前の人。その一族の末裔の人かもしれない。

生まれてからこの町に住んでいる。しかし、数分歩いたところに今日見たようなモノがあるとは驚き。他にも知らないモノ・コトがあるかもしれない。今日は誰故草などを通して住んでる町のことを知るいい機会になった。そして誰故草の花を見ることができてよかった!

2012年3月14日水曜日

学生証を手にして

昨日から今朝にかけて冬のような寒さ。だが今日のお昼は暖かい!

昨日のフルートのレッスンではモーツアルトのアダージョ「フルート四重奏」よりについて先生から曲の説明を聞く。この曲はトリルやターンが多い。また、換え指も頻繁にある。譜面どおりに吹くとその曲のイメージにならないとか。楽譜も知らないところできまりがあるらしい。他の楽器の四重奏にはまらないようにとも・・・。

教えてもらった吹き方をするといい感じになる。ところが今日は幼馴染と久しぶりランチを食べてその後も遊んでしまった。後でゆっくり練習しよう。

昨夜はフルートの後、コンサートに出かけた。ブラームスの最晩年の音楽のピアノ曲の演奏。演奏者は地元音楽大学教授の末永雅子。ピアノの良し悪しはあまりよくわからない。それが少し残念。

今朝、地元紙を見ると「くらし」欄によく知った人の記事が掲載されていた。その人から2日前、メールをもらったばかり。次の日曜日に落語会をすることと「笑っていいとも」で出演したCMが20日から流されるという。その人の落語の名前は「葡萄亭わいん」さん、女性。いつも近況をメールで知らせてもらう。

もともとはフルートの仲間。見出しには「ガン闘病の夫に贈る落語」とある。夫の看病の合間に落語をする。そこには「夫は私の一番の応援団」とあるように夫を支えて落語に打ち込む姿がある。夫には当日の舞台での落語は見てもらえない。だが笑いで病を吹き飛ばそうと頑張っている。

新聞を読み終えると、郵便が2通届く。1通目は先日の女子会の写真と「また近いうちに女子会をしよう!」と手紙が添えられている。〇〇子ちゃん、写真ありがとう!楽しかったね。こちらからも手紙、書きました。明日には着くでしょう!女子会、近いうちまたしましょう!

もう1通は来月から始まる〇〇学校から資料と学生証一式が届く。

この1年、どこにも属さず、遊んでばかりで軸がない生活だった。この〇〇学校の学生を手にし、軸足を地に着けてしっかり歩み出したい。その意味でもそこへ通うのは楽しみ。大学で学ぶスペイン語の受講結果は3月下旬にでる。それまで待つことにしよう。多分大丈夫のはず。2つの学生証を手にして再度、元気を出して学ぼう!

2012年3月13日火曜日

赤秋・・・

今朝は、早く目を覚ました。ところが寒い!暖房を入れるとまた寝てしまい、幼馴染からの電話で起こされる。かなり遅い時間だった。半月ばかり幼馴染と会っていない。明日会う約束をして朝食にした。

遅い朝食を食べながら新聞を見る。このごろはほとんどTVを見ない。それなのに新聞のTV欄をみるとBSで「名作選」として「赤秋~仲代達矢・喪失からの出発▽人生の秋に輝く」と題する放映がある。この「赤秋」は映画の題かと思った。映画はほとんど観ない。しかし、仲代が俳優なのでそう感じた。

もちろん「赤秋」が何を指すかわかっていない。

仲代達矢といえば仲代自身よりもその弟のシャンソン歌手仲代圭吾のほうをよく知っている。ずいぶん前、県北のそれも上下町で演奏会があったとき、わざわざ聞きに出かけたほど気に入った歌手。その人を知ったのはFMで聴いた歌声に魅かれた。いつもピアニストの奥さんと一緒の演奏会。そのときもそうだった。

本題の「赤秋」は、仲代達矢の奥さんが命名したとか。「青春」に対する人生の秋をたとえている。「真っ赤に燃える秋を真っ赤に燃えて生きていく。そして死を迎える。」

それが「赤秋」。いい言葉。

仲代は亡くなった奥さんの遺骨を死後9年間、傍においている。そして部屋のあちこちから出てくる遺書をみて亡くなった奥さんによって仲代はケアされている。その番組に出演した精神科医の斉藤環氏は仲代のことをそう話す。さらに氏は「大事なものを喪った後は時間を十分に空けて丁寧に喪失体験を乗り越えていく。感情を人に話す。涙を流す。」ことだという。そのいずれも当てはまる。

母が亡くなった、と会う人毎に訴えた。淋しい感情も話した。話すというよりもブログに投稿していたかもしれない。涙もひとりでに流れて止まらなかった。何を見ても涙が出た。それが次第にそのすべてを何もなかったかのように忘れつつある。時間が解決してくれる・・・。

この放送は2005年にされたもの。それを今日BSアーカイブスで放送したドキュメンタリー。2時間くらいの放送だが後半しか見ていない。いい番組だった。

夕方からはフルートのレッスンに出かける。その後、知人からもらうチケットをもって「J・ブラームス”最晩年の音楽1891―1896”vol..2」を聞きに行く。この演奏会はシリーズになっている。今日は2回目となる演奏会。

ブラームスは広響の交響曲第3番を聞いて以来、気に入っている。さて今夜はどんな演奏曲目が・・・。楽しみにして聞きに行こう!そしていつもチケットありがとう!

2012年3月12日月曜日

春が来る前に・・・

昨日から真冬に戻ったように寒い!

そんな寒い中、昨夕から今朝まで1週間遅れの「お雛様女子会」をした。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。会の命名者曰く、「ドレスコードを決めよう!」。聞いてもその意味がつかめない。すぐに教えてもらって意味を知る。

次回からは「ドレスコード」を決めて会いましょう!さてその色は・・・。楽しみに!

昨日夕方、市内中心部にあるホテルに4人で投宿。少し早く宿に到着。しばらくすると1人あらわれた。ホテル前まで旦那さんと娘さんが来ているという。会わせたいといわれ一緒に外に行く。2人を紹介された。その人は「主人と会うのは久しぶりでしょ?」という。

その人の旦那さんとは高校の同級生。そういわれても高校時代に一度も話したことはない。だが、その人たちの結婚式に出席している。とはいっても全く顔を覚えていない。初対面と同じ。一緒に来ていた娘さんは、昨年末、結婚したとか。すらっとしたかわいいお嬢さん。

しばらくしてもう1人到着。さらに最後の人も到着。その人は隣の市に住んでいる。会った瞬間「雪が降って・・・」。それを聞いた3人は「はァっ!」。

昨日の朝は寒かった。出かける前、姉に家を空けるとTELすると「天気が悪いので気をつけるよう・・・。楽しんで・・・」という。それを聞いて「日が射していいお天気!」と話す。

ところが市内北部や隣の市では雪が降っていた。「日本は広い!」と思わず話す。

部屋は2部屋に分かれた。14階。下界の眺めもよい。眼下には先日行ったひろしま美術館、広島城など見渡せた。さすがに遠くを見ると雪が降っているのだろう。どんよりとした光景。夕食まで1部屋に集合。そこで聞いた言葉が「ドレスコード」。忘れないようにキーワードを携帯に入力。

携帯についてもその人は良く知っていた。

携帯談義で盛り上がる。携帯でも一斉メールができるとか。すぐ教えてもらう。”to”でアドレスを入力するとできるらしい。他にも携帯の機能の素晴らしさを4人でやりとりする。

夕飯時になったので食事に行く。1泊2食付で予約している。だが飲み物はない。アルコール類のフリードリンクはプラス1500円。ビール1杯で1000以上。フリーにした。

4人でエレクトーンを習っていた頃は皆若かった。レッスンが終わって行く食事ではアルコール類を飲まなかった。ところが今や、アルコールは欠かせない。先ずはビールで乾杯!

会の命名者はボランティアで原爆資料館のガイドをしている。それを知ったとき、そのきっかけを聞きたいと思った。昨日やっとわかった。

若い頃、旦那さんの転勤で関東に住んでいた。その頃、子育てをしながら、広島市内でない場所で耳に入る「原爆」について何も知っていないことを恥じた。子育てをしながらその子供とともにそれについて学ぼうと決意。広島に帰ってきて市の広報誌で2回目のボランティア募集を知る。すぐに応募してすでに10数年。その直後、NHKテレビの福祉番組に出演が決まる。

今では各地に出向いてそのための講演もしている。聞いていて張り切っているようすが伝わる。さらに大学で平和学習もしたいらしい。

雪が降っているところから来た人もエレクトーンのみならず、書道も頑張っている。さらにもう一人もリコーダ、ドイツリートなど頑張っている。

以前読んだ外山滋比古の本に仲間つくりの話で3つ条件を挙げていた。

1、仕事が全く違っていること。
2、あまり能力が高すぎないこと。
3、人の話にケチをつけないこと。

4人で会って話すときこの3条件が当てはまる。いくら話していても楽しいことばかり。

もう一つ書き忘れている。ボランティアをしている娘さんが大学卒業前に東京から一時帰宅中とか。そのお嬢さんから、ロールケーキの差し入れがあった。そのケーキのデザインはエレクトーンの仲間らしく、一面に鍵盤、もう一面には♪などの記号があった。美術が得意らしい。それにしてもいいアイデアの美味しそうなケーキ。食べたかったけど食事後で食べられず・・・。ありがとうございました!

今日お昼前、家に戻ると郵便が来ていた。下旬にある指導教官の退職記念行事を知らせる葉書と、『史学研究』だった。遊んだ後のこの行事。

いよいよ先生ともお別れ・・・と思いながら葉書を読む。このときの研究会も懇親会も3年ぶりの出席。他のメンバーとも久しぶりに会う。嬉しいようななんか複雑な気持。

夕方には、先日買った箪笥が届く。本格的な春が来る。その前に気分一新して、少しずつ部屋を片づけよう!

2012年3月11日日曜日

再び、モーツアルトのアダージョ「フルート四重奏」より

寒い朝。3月中旬というのにいつまでこの寒さが続くのだろう。それでも今日は午後から1週間遅れの「お雛様女子会」に出かける。それで今日のブログは出かける前に投稿しようと思っていた。ところが先ほどパソコンに向かうとメールが入っている。なんと、フルートの先生からのコメントを知らせるメールだった。ここに先生から教えてもらったことを投稿する。

先日からモーツアルトのアダージョ「フルート四重奏」よりを練習している。そのことをブログに投稿した。レッスン時、先生との会話で短調の話が出た。それなのにこの曲はDmajorとなっている。疑問を抱えたままブログに投稿した。

そのことについてフルートの先生からコメント&アドバイスをいただく。ありがとうございます!ここにその一部を引用させていただきます。

「このモーツァルトのK.285は、ニ長調なのですが、
2楽章はロ短調なんです。(*^.^*)

第1番 ニ長調 K.285 
ドゥジャンのための3曲の四重奏曲の最初のもので、1777年12日25日に完成された。4曲中最も有名な作品である。

第1楽章 アレグロ 
ニ長調、4分の4拍子、ソナタ形式。フルートが輝かしく縦横無尽に活躍する。 
第2楽章 アダージョ 
ロ短調、4分の3拍子、3部形式。弦のピッツィカートの上にフルートの情緒纏綿たる悲歌が流れる。そのまま次の楽章に移行する。 
第3楽章 ロンドー 
ニ長調、4分の2拍子、ロンド形式。精力的な楽想が連続する楽章である。」


こう教えていただき短調と知った。先ほど先日のブログ投稿を修正。

短調の曲はなんとなく哀愁があり、気持をやわらげてくれる。吹いていて落ち着きを取り戻す。練習しながら頭の隅にこれが長調?と感じていた。それがやはり短調だったとは・・・。教えてもらって嬉しかった!この曲はかなり練習している。次回のレッスンでは上手く吹けそう!?

先生、ありがとうございました!

夕方から気をよくして遊びに行こう!

2012年3月10日土曜日

『幸・不幸の分かれ道 考え違いとユーモア』

『幸・不幸の分かれ道 考え違いとユーモア』(土屋賢二 東京書籍、2011年)を読んだ。著者の土屋はお茶の水女子大学の名誉教授であり、哲学者。氏は『週刊文春』に毎週エッセイを掲載している。以前それを読んで氏を知った。

哲学者ながらも文の書き方は気をてらったパロディ風。この本もやはりパロディ調。しかし、それは全体にはいきわたっておらず、エッセイとして書いている。

「気をてらう」ところは本の裏表紙に書いている自己紹介にもある。「名門、玉野市立宇野小学校をわずか6年で卒業し、トントン拍子に中学、高校、大学を経て恵まれない結婚生活に至る。そのかたわらお茶の水女子大学の哲学教師として、35年間にわたって、哲学をはじめ、言葉遣い、生活態度、服装にいたるまで、学生に指導された。現在は定年退職し、お茶の水女子大学名誉教授として、不名誉な言動をつつしまされる不自由な毎日を強いられている。・・・多数のユーモアエッセイを世に問い続けたが、世に問うたびに在庫が大きく増えるという答えが返ってきただけだった。一縷の希望を託して数冊哲学書を世に問うたが、同様の結果に終わった。読者の見る目が成熟していないのか、それとも著者の内容が成熟していないのか、鋭意調査中である。」いうふうに。

これを筆者は「ユーモア」と捉える。この本のサブタイトルに「考え違いとユーモア」とあるように、筆者はイギリス在住でユーモアを学んだ。「イギリスに行ったとき、驚いたのは,イギリス人がユーモアのセンスを非常に重視することでした。あるタブロイド紙には個人広告のページがあって、そこには自分の特徴と、・・・例外なく書かれているのは、・・・一つは『タバコを吸わない』、もう一つは『ユーモアのセンスがある』ということでした。・・・」(164p)。

「ユーモア」こそが不幸を阻止する大切な点であるという(164p)。とくにモノゴトの一面をみて重大視するとき、そのことで心が打ちひしがれるのを防ぐ能力がユーモアだと。すなわち重要視するのを矯正する能力。「そういう重大視しているこだわりから突然解放されたときに笑いが起こります。」(169p)。

筆者は「笑うということは、不幸な事態から重要性をはぎ取ることです。」(172p)。「重要に思っていることでも大したことではないという視点を見つけられる能力がユーモアのセンスだろうと思います。」(173p)。

この「ユーモア」精神の訓練にとって不可欠なことは「自分の一番気にしている部分を人に話す」ことだ、と。

これを読んですぐに「ふーちゃん」を思い出した。その人は自身が太っていることを気にせず、むしろ笑いで吹き飛ばし、周りのものを幸せにしている。これだ!と。

ふーちゃんだけでなく、何か失敗したとき、自分の馬鹿さ加減を面白おかしく人に話すとホッとする。これもユーモア精神になるだろう。

筆者はそれを「欠点を認めると楽になる」と(183p)。それをユーモアにするには一番深刻になりやすい自分の欠点や不幸を徐々に訓練して可笑しいと思える角度を探す練習をするといいらしい(185p)。

「人間には色々な逆境や不幸がふりかかってきますが、それに翻弄されて打ちひしがれることに抵抗することができます。そのための武器が笑いでありユーモアです。その武器はたぶん、どこまでも磨くことができるんだと思います。不幸を重要視しない自由、重要視するのとは別の角度からものを見る自由を、・・・」(187p)と。筆者は一面的になる、重大視すぎる、これが不幸を必要以上に大きくするという。

そのためにも、色々な角度から見る、違う側面を見る、という人間に与えられた特権の能力を意識的に発揮すると違う世界が見えてくるという(188p)。

ここまでブログに書いて筆者のいおうとする前半部分が抜けている。

筆者は「不幸を軽減する方法を一口で言うと、当たり前のことを疑うという方法だ。」(7p)という。それには「緻密な思考」と「ユーモア」である、と(8p)。

「緻密な思考」は疑わしい先入観が多い常識を疑え、と。「ユーモア」は先に述べたように不幸を乗り越える上で何よりも有効な方法だとする(9p)。

この「疑う」に対して「僕も授業で、学生に疑うように口うるさく指導した結果、学生からだんだん信用されなくなって、僕の人間性まで信用されなくなりました。それほど哲学は、どんなことでも疑うんです。」という(15p)。

筆者はこの本の中で「労働の対極にある、何の役にも立たないものの方が価値があると考えていたんです。」。これはアリストテレスのことばとか。その労働でない暇な時間を「スコレー」と呼び、働いていない暇な時間にやるべき典型的なことは学問だと考えられていた、という(31p)。

これを読んで修了した大学のポリシーである「学問とは最高の遊びである」の意味がわかってきた。アリストテレスまでさかのぼるとは・・・。

ともあれ筆者のいうようにモノ・ゴトを多面的に捉え、人間に与えられている自由を発揮して希望をもてる考え方を選ぶ。考え方如何で幸にも不幸にもなる。

いつもユーモア精神を忘れずに・・・。

2012年3月9日金曜日

「上田宗箇 武将茶人の世界展」を見に行く

今日もすっきりしない一日。それでもお昼から少し晴れ間もみえる。

先週と今週は幼馴染と遊べない。幼馴染の弟さん一家が東京へ引っ越すそうで遊ぶ暇がないらしい。

遊び相手がいないので一人でひろしま美術館で開催中の「上田宗箇 武将茶人の世界展」を見に行く。

そのサブタイトルは「『ウツクシキ』桃山の茶 秀吉・織部そして宗箇」。

先日、市内の大学で上田宗箇流家元の上田宗冏(そうけい)氏の講演を聞いた。そのためもあって少しは興味を抱き、会場を観て回った。平日でお天気も良くない。それでも会場は多くの人が見に来ていた。

茶道は若い頃、少し齧った程度でよくわからない。入場者の大半は年老いた女性。全部が全部茶道をしている人とも思えない。しかし、広島で武家茶として受け継がれたため人気があるのだろう。

茶道「上田宗箇流」は織田信長や家臣団に加わる武将でありながら、千利休、古田織部の流れを汲む茶人でもあった上田宗箇(1563-1650)が興した流派である。その上田宗箇流は焦土と化した広島の地で唯一桃山の文化・美を伝え、武家茶が途絶えたあとも続いている。これが全国的に見ても極めて文化的意義があると評価が高い(パンフより抜粋)。

とくに利休や織部とも異なる美意識を獲得した宗箇の茶の世界を、両者と比較してわかりやすく紹介している。さらに展示室には当時の「茶室」も再現されていた。これが宗箇の美意識の極地であるという。

今日はその流派の実際に行われている茶道は見られなかった。だが、会場内のビデオで観賞する。

展示を見終えるとミュージアムショップに立ち寄った。さすがに今日のショップ内は宗箇一色。無理もない。かなり力を入れた展示会と見受けられる。なにしろ主催者は広島を代表する美術館、NHK、地元新聞社だ。

仕事をしていないのでそれほど忙しく日々を過ごしてはいない。たまには「お茶会」とまではいわなくても、今日のようなゆったりした日もいい。

しかし、家に帰ると現実が待っている。コンタクトを本格的に始めた。専用スポイドが1ヶしかない。なくしたらコンタクトが外せない。すぐ眼科に行って2ヶ予備を購入。入り口で先日取り外しを教えてもらった看護師さんに出会う。「お蔭で大丈夫、外せます。」というと、「そういわれて嬉しい!」と喜んでもらう。

外すコツが今になってわかった。外すとき少しあごを前に出して顔をあげるようにすればよい。

コンタクトは若い頃から何十年も使用していた。それなのに・・・。今やっとその感覚を取り戻すとは・・・。ともあれ、これで一件落着!さらにいろんなものを見るようにしよう!


2012年3月8日木曜日

一安心!

今日もすっきりしない一日。今にも雨が降りだしそう。昼食前、予約していた歯科に出かける。半年振りで欠けていた歯が入った。ホッとする。 

今朝、同級生との電話で欠けた歯は1本と話すと優秀だという。他の人がどうなのか知らない。そう聞いてもこの1本の歯を入れるまでに半年もかかった。途中、歯科も変わった。今通っている歯科は女の先生。それもまだ若い。少々不安だった。しかし、今のところ入れた歯の感じもいいので一安心。

この際なので、すべての歯を診てもらうことにした。当分、歯医者通いとなりそう。

歯医者といえば、先日一般定期健診を受けた。その際「かかりつけの医者は?」と聞かれた。「歯科と眼科です」と返答する。すると再度同じことをいわれる。そういわれても、と思いながら「歯科と眼科です」という。眼科は視力が良くないので定期的に行くだけ。特別に悪いところがあるわけではない。

しかし、どうも歯科や眼科はかかりつけ医ではないらしい。何をいわれても他には病院にかかっていない。

昨日、詳細な検診結果が郵送されてきた。それをみてもどこも異常なし。一安心!

このまま、現状維持で楽しく過ごせば病気にならないだろう。きっと!そう信じて毎日元気に過ごそう!

2012年3月7日水曜日

大間違い!

昨日強く吹いた風は春一番だった。それにしても毎日すっきりしない。今日もどんよりと曇っている。しかし気温は高めである。

午前中は、「暖かくなったら会おう!」と話していた短大時代の人と3人で会う約束のTELをする。ところが話していて思わぬ失敗をしてしまった。申し訳ない!

広島市内に大きなコンサートホールがある。そのホールは7月から名称を変更する。いわゆるスポンサー名がつくホールになる。その人はピアニストの横山幸雄の大ファン。横山は先年大ブレイクした辻井伸行のピアノの先生。その先生が勤務する大学名と今回ホールにつくことになる名称が同じだった。

報道でその名称を知ったとき、東京のほうの名称と勝手に思い込んでしまった。

友だちに今朝そのことをTELで話した。するとその友だちは熊本在住の同じく横山ファンの人にメールで知らせたらしい。とうぜん熊本の人は大喜びで返信メールをくれたという。

それでも、と念のためネットで調べるとウキペディアにわざわざ「東京のほうではありません」とことわりがある。その名称は広島にある専門学校だった。

音楽好きならばきっと東京のほうと勘違いする。それでも間違えたままで知らせたモノが一番よくない。人に話すときは確認してからにしよう。そうしないと今日のような大間違いをしてしまう。

そのホールはアルソックホール改め上野学園ホールに・・・。元の名称は広島郵便貯金ホール。名称をいくら変更してもこの方が誰にとってもわかりやすい、きっと・・・。

2012年3月6日火曜日

モーツアルトのアダージョ「フルート四重奏」より


今日の午後は風が強く吹いていた。一気に春になるのか暖かい一日。午後、メールをチェックすると図書館に予約の本が入っていた。すぐに本を取りに行く。本のタイトルは『幸・不幸の分かれ道』、サブタイトルは「考え違いとユーモア」。著者は哲学者の土屋賢二氏。

「ユーモア」がタイトルにあるように、著者の略歴からして気を衒っている。これについてはゆっくり読んでブログに投稿する予定。

図書館から帰るとフルートのレッスンに出かける。先週までのダブルタンギングで吹く曲はどうにか吹くことができた。だが、その吹き方はまだまだ・・・。よちよち歩きでおぼつかない。ダブルタンギングはイメージとして二枚舌のよう。英語で二枚舌は”a double tongue” となっている。だからといってフルートで二枚舌を習うわけではない・・・。

来週からは前回と同じくモーツアルトのアダージョ「フルート四重奏」よりで”Quartetto KV285”の第2楽章をレッスンする。

先生が吹いてくださると、とても綺麗な曲。「短調の曲が好きなのね?」といわれ、「短調は綺麗ですよね。そういえば発表会で吹く曲も短調が多い・・・」と話す。きれいなこの曲、少しでも上手く吹けるよう練習しよう。

このブログを投稿していると知人からTELが入る。先日のオペラの話をする。演じるほうも楽しかったみたい。聞くところによると演じた衣装の半分は自前とか。ジプシーが似合っていたというとそれも自前らしい。「指笛を鳴らそうとしたでしょ?」と聞くと「鳴らなかった!」。電話で話ながら大笑い!

きっと舞台に立つのが病み付きになるでしょう!もうなってるかも・・・。ともかく人生楽しみましょう!

2012年3月5日月曜日

急遽泳ぎに・・・

昨日に続いて今朝も雨。雨の日は自転車に乗って外へ出られない。仕方なく部屋の片づけをする。1週間後、箪笥を処分する。それまでに中に入っている衣類を空にしなければならない。

とりあえず、中にあるモノすべてをゴミ用の大きなナイロン袋に分別して入れた。箪笥から出したものすべてをゴミとして出せばすっきりする。しかし、それもできない。

新たな箪笥が来るまで別の部屋にナイロン袋のままで置くことにした。今日の仕事はここまでに・・・。

衣類を片づけるには1年間着なかったものは処分するように、と聞く。ほとんどそれに当てはまる。かといって着るものが沢山あるわけではない。困ったものである。

たったこれだけのことをしただけなのに、朝から一仕事をした気がする。

昼食を済ませると、外に出てみた。太陽が出ている。今日は月曜日。月曜日は毎週プールに行くと決めている。だが、今朝は雨が降り続き泳ぐことはあきらめた。

ところが太陽を見た途端、急遽、プールに行く気になった。

いつもならプールはお昼前に出かけ、帰ってから遅い昼食にする。今日はお昼を食べていた。すぐに泳ぐのは体によくない。午後2時過ぎに家を出てプールに行き、1キロ泳ぐ。

いつもより遅い時間帯なのに声をかけてくる「おっさん」たち2人に出会った。今日も声をかけられ、挨拶を交わす。この時間帯は泳ぐ人も歩く人も普段より多い。これから暖かくなってくる。ますます人出も多くなるだろう。これからは早く行くことにしよう。

帰宅途中、広島県観光連盟発行の「広島さんぽ」というカタログが駅にあった。それを持ち帰って家で見ると「かたくり祭り」の記事が目につく。3月下旬から4月上旬にかけて安芸高田市で開催される。最寄のJR駅から徒歩20分。花好きな幼馴染を誘って行こう。

先日、せつぶん草を見逃した。かたくりの花は見逃さないようにして・・・。

2012年3月4日日曜日

オペラ「カルメン」を観に行く

しとしとと雨の降る冷たい日。それでも先日知人からもらったチケットをもってオペラ「カルメン」を観に行く。会場は平和公園近くにあるアステールプラザ。オペラの主催団体は広島市。広島市は20年前から「ひろしまオペラルネッサンス」事業に取り組んでいる。会場もそのための施設らしい。

コンタクトを入れるようにした。だが知人にいわれてオペラグラスを持参する。これは正解だった。何しろ4幕もある。そのすべての幕に知人は出演した。1幕から4幕まで配役が違っている。オペラグラスでよく見えた。

第1幕 スペイン南部セビリヤ たばこ工場の前の広場 警備の兵士役

第2幕 セビリヤの街はずれ リリヤス・パスティアの酒場 居酒屋の客の役

第3幕 密輸入者たちの仕事場の山中の荒涼とした一角  ジプシーたちの密輸入者の役

第4幕 闘牛場の前の広場 闘牛場の売り子の役

チケットをもらったとき「牛」の役?といって笑ったけど、大いに違っていた。失礼しました!

これまでも、知人が出た「カルメン」を観たことがある。しかし、今回は出演場面が多かったよう。また、メガネを外して出ている。それにもびっくり!そういえば誰もメガネの人がいなかった・・・。

先日、広響のオペラ「タンホイザー」のダイジェスト版を聞いた。それは歌と演奏で劇はない。その点、本格的なオペラとなれば演奏に加えて歌も劇もある。華やかさでは演奏や歌に比べて劇があるだけでもオペラは勝る。素晴らしかった!

どちらにせよ、4時間近くも楽しい時間を過ごさせてもらった。ありがとう!そしてお疲れ様でした!

2012年3月3日土曜日

鵜呑みにする!?

今日は昨日までの雨とは打って変わってよく晴れている。そして異常に暖かい。

午前中、廃棄処分する箪笥を片付ける。しかしそれもすぐ止め自転車で買い物に出かける。余りにも天気がよい。買い物を終えると家に入って窓を開けて外気を入れる。春の訪れを実感!

お昼を済ませると、家の中にいるのがもったいなくて、再度、自転車で出かける。遠くにあるスーパーへ行く。その後さらに別のスーパーへも出かける。風の吹き方は強い。帰宅途中、懐かしい人に出会う。

以前、ゾンカ語(ブータン語)を一緒に習っていた人。とはいってもその言葉は挨拶しか覚えていない。ただ、ブータンが好きな人たちの集まりだった。しばし立ち話。その人も今はブータンの活動から遠ざかっているとか。現在活動している人は娘さんがブータンの人と結婚された人などわずからしい。

話しは変わって、先日卒寿の人のブログについて投稿した。それ以降毎日「さっちゃん」のブログを拝見。1日のアクセス数が2万件と新聞記事で掲載された。しかし、そのブログを管理するペイジを見ると1ヶ月で1万5千弱だった。

改めて新聞を読むとやはり1日が2万となっている。新聞記事もいい加減なもの。鵜呑みにするモノが悪いのかも知れない。それにしても・・・。

鵜呑みといえば、先日来から新聞紙面を賑わしているAIJ投資顧問の問題がある。これについては地元紙では消失させられた企業の名前すべては掲載されていない。しかし、この問題は企業年金を掛けたモノにとっては大事なコト。1日付けの日経新聞を何気なく読んでいたら、損失した企業84社全部が掲載されていた。

大概の人は老後の生活は年金収入のはず。年金といっても厚生年金だけでは生活は潤わない。企業年金が加わってこそである。その企業年金である厚生年金基金の被害が拡大しているとは・・・。

企業名を目で追った。所属していた企業名はなかった。少しホッとする。このときばかりは日経新聞記事を鵜呑みにした。

社会人大学生として学んでいた頃、「すべては疑ってかかれ」とよく聞かされた。情報を鵜呑みにするな、と。

情報といえばひろしまアジア大会のとき、中国語ボランティアとしてプレスセンターに詰めていた。その頃、勤務していた東京本社の知人女性の旦那さんが『週刊現代』の記者をしていた。一度だけ見知らぬその夫から電話取材を受けたことがある。そのとき謝礼として出版社から税引き後8千円と週刊誌が送られて来た。

ところがどこを読んでも話した記事は掲載されていない。ただ、それらしきことは記事の中で「大会関係者」というキーワードで出ていた。それは話した内容ではない。そのとき、取材する記者のいい加減さを知った。べつに誰にも被害があったわけではないからよかったかもしれないが・・・。それにしても・・・。人の話を鵜呑みにしてはいけない。

とはいっても、思わず知らず日経の記事を鵜呑みにしたように自分にとって都合の良し悪しで情報を取り入れているところも確かにある。

2012年3月2日金曜日

重い腰を上げる!

昨日は3月になったので朝早くから「お雛様女子会」の連絡メールをする。しかし、午後になっても返事が来たのは1名のみ。まだ先のこと、しばらく様子をみる。

夕方になっても夜になっても来るはずの返事が来ない。仕方なく内1人の自宅にTELする。それも留守電。「おかしい?」。夜になってやっと元気な声で電話がかかる。外に出ていて、途中交通止めだったとか。その声を聞いて一安心。

そういえば電話で話した〇〇子ちゃん、「久しぶり!」というと「毎日会ってるよ!」といってくれて・・・。「えっ!」と考えていると「毎日ブログを読んでるよ」と。ありがとう!

もう寝ようとすると最後の1人からメールが入る。岩国付近にいて車を運転中とか。やっと全員の連絡がついた。どの人も「お雛様女子会」を楽しみにしている・・・。嬉しい!

安心して眠ることにする。そのとき遊びに関してはとても身軽に動く。だが、家の片付けとなると腰が重い。少々では腰が上がらない。これではいけない、と頭を過る。

お天気は相変わらずぐずついている。しかし暖かくなってきた。まず衣類から整理をすることにしよう、と思いながら眠りにつく。

母が亡くなって先ず箪笥を買い換えようと思った。思い出の箪笥。それをどうするか逡巡する。ここは思い切って捨てよう、と。

重い腰がやっと今朝上がった。

お昼前、図書館に予約の本を取りに行くと、その足で一般検診を受けに市内に出た。その後、家具店に行くことにした。

検診結果は今日のところ異常なし。ホッとする。気をよくして市内電車で横川行きに乗る。この路線は初めての乗車。終着の1つ前の電停で降りる。さてどこへ・・・としばし考える。人に店名を尋ねるとその場所を教えてくれた。

店に入っても人気はない。どこへ行けばよいのかさっぱりわからず。とりあえず店員を探してめざす箪笥を見に行く。7階だった。その階に上がっても人はいない。ぐるっと見ているとやっと店員が近づいてきた。

その人に箪笥の大きさ、形、色、価格などを告げると1棹進めてくれた。モノを買うときあれこれ迷わない。買うときはいつも早い。いわれるまま購入する。

配達は10日先とか。それまでに使用中の箪笥を整理しよう。そして少しずつ部屋をきれいにしよう。その後で別の箪笥を買うことにして・・・。

2012年3月1日木曜日

味噌

3月になった。季節は春。しかし天気はよくない。雨が降りつづく。それでも気温が高いのだろうか、暖房がなくても良いくらい。とはいっても今年の冬は平年よりもかなり気温は低いとか。

確かに寒い冬だった。それもあって、一月になってから2年ぶりくらいで毎日「味噌汁」を作っている。

母は亡くなる1年前から、起きて水分が摂取できなくなった。人は食べ物と水分のどちらかが先に摂取できなくなるとか。これもどちらがいい悪いの問題ではない。食べられなくなること、飲まれなくなることが辛い。母はベッドで横になって吸い口で水分を飲ませることがほぼ最期まで出来た。しかし、食べ物は起きて食べられても寝ては不可能に。それも次第に出来なくなる・・・。

そのため、当然、味噌汁は我が家では長いことご法度。

ところが、一月になって福岡から晩白柚子とともに送られて来たものがある。それは菓子類のほかに奈良漬け、酒飴、米麹味噌などの麹で出来たものだった。聞くところによると「麹」は体にいいらしい。

味噌は赤味噌。すぐに味噌汁を作った。美味だった。味噌の美味しさを知った。味噌汁にすると少し甘みがあった。

「味噌」が美味しかった、と福岡に話していない。美味というと前回の酒飴のように請求した感じになりそう。それはいけない。

味噌は当分我が家で間に合いそう。かなりの量を送ってもらった。聞くところによると米を人に作らせておられるようで、その人から味噌ももらわれるとか。

味噌といえば、以前、工場見学をし、その場で作ったことがある。味噌樽に作ったばかりの味噌を入れて家に持ち帰った。味噌は発酵さすために完成するまで何度か手でかき混ぜ空気を入れねばならない。完成までの半年間、樽(樽といってもタッパーのようなもの)に入った味噌をかき混ぜて空気を入れるのが楽しかった。

そのときの味噌は美味とは思わなかった。材料が違うのだろうか。

今日もスーパーに出かけた。つい味噌が目に入る。これまであまり意識して味噌を選別して購入しなかった。これからは少し考えて味噌を買うようにしよう。やっぱり「味噌汁」の美味さは味噌にある・・・。