2014年11月30日日曜日

ハープを聞きに行く

今朝のYAHOOを見ると「揃って低調… 冬の定番「こたつ」と「みかん」復権の可能性は」とある。

この2つ、日本人にとっては冬の定番で対のイメージがある。小さい頃、こたつの上にはみかんが山ほど盛られていた。それも一度に数個は食べていた。ところが、最近は一袋10個入りが何日もある。

当時は10キロ入りの段ボール箱入りのみかんを買っていた。我が家だけを見ても確かにみかんの消費量は減っている。

同じようにこたつを使用しなくなって10年以上経過する。介護者を抱えていると石油ストーブやこたつを置くのは非常に危険。そう気づいて以来、エアコンが暖房の幅を利かせる。

日本の冬の風習が廃れていくのは寂しい。畳に座るということもなくなり、家自体は和風でも生活スタイルは椅子生活になっている。これも時代の流れといえばそうかもしれない。

話は変わって昨日のこと。2つ先の駅まで呉線に乗車してハープの演奏会に出かける。個人のお宅で開催される。10年前から定期的に開催しているとか。

先日来から見かける皇帝ダリア。昨日も呉線沿いにはずらーっとダリアが咲き誇っている。車窓からの眺めで一瞬の出来事。誰が植えるのかお見事!

ルームコンサートを開かれる隣接した畑にも数本ダリアが咲いていた。

目の前でハープを聞く。何とも優雅。ゲストの人のプロフィールを見ると美術講座の人と生まれ年が1年違うだけで高校、大学、会社は同じ。演奏前、演奏者に知り合いの名前を出すとやはりお友達だった。世間は本当に狭い。というか、団塊の世代が多いためどこに出かけても関係ある人がいる。

コンサート後、会場はティーサロンと化す。いろんなところへ出没している。そのたび、いろんな人と知り合いになる。しかし、いつか知り合った人とも別れが来る。

夜には九州のお母さんの息子さんからお供えが届いたとの電話が入る。7月に肺炎になり、1か月の入院で逝かれたとのこと。「明日も来るね」と言って別れた後、翌日の朝には冷たくなっていたとか。「母と最期の挨拶ができなかった…」、と寂しそうに話される。それを聞いたときは悲しかった。

20数年ぶりに息子さんと電話で話す。「いつも息子がよくしてくれると話されていた」、との言葉を伝える。そして電話の最後が可笑しかった。「ちゃんと花を活けましたよ」。これを聞いて「お花をお供えしてください」と書かなくて申し訳なかった、と話す。

よく知っている人なのでそれもわかってくださり、ありがたかった。ありきたりの言葉よりきっと自分の言葉の方が誠意はこもっているはず。そう思って電話を切る。

今朝は早くから義兄がお米、野菜、花など持ってきてくれる。近くの区民文化センターである催しを見に行くらしい。

そのお礼ではないけれど、市内である子供の催しのチケットとわが家のレモンを渡す。

今年も押し迫ってきた。まだ今年を総括するには早すぎる。

ともあれ今日も元気で!

2014年11月29日土曜日

『ひとり老後は「友活」で決まる』

新聞、テレビ、ネットなどのメディア。そのどれにも「老」の文字がやたらと目につく。年齢的にはしっかり老人の域に達してしまった。とはいってもまだまだ元気。それは自分だけがそう思うのであって、人さまから見ればやはり「老」人に変わりはない。

ともあれ、元気!どういう風に見られようと気持ちは若い。ところが読もうと思って手にする本は「老」いのキーワード。やっぱり、老人じゃ。

先日テレビで施設に入っているお年寄りを放映していた。そこでは一日を「おとなの学校」と時間割を決めて過ごしている。介護士、理学療法士など、時には先生になる。生徒はもちろん介護される側。

この取組は言葉を変え、見方を変えるだけで介護される側もする側も「老い」を感じさせず、生き生きとして見える。

今日は午後から自宅を開放されて行われるルームコンサートに出かける。お天気もよくなってきた。楽しい日にしよう!

以下はいつものごとく読んだ本をメモしたもの。社会学者の上野千鶴子もある本で書いている。これからは「金持ち」よりも「友持ち」と…。

読んだ本は『ひとり老後は「友活」で決まる』(保坂隆 KKベストセラーズ、2010年) 。

シニアになっても、男性と女性が一緒に行動する機会は積極的に持ちたいと思います。その結果、いくつになっても、女らしさ・男らしさを失わない。そうした姿は同性の眼にも魅力的に映るものです。素敵な異性に出会うとちょっぴり心がときめく、そんな初々しさもなくしたくないものですね。その気持ちが高じて、ひとり老後から結婚へと進んだとしたら、それはそれで喜ばしではありませんか。(126p)

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「友だちは第二の自己である」という言葉を残しています。親しい友だちがほしい、友だちづきあいを長続きささせたたいと思うならば、自分がしてほしい思うことを友達にし、自分がしてほしくないと思うことは友だちにもしないようにすればいい。それだけの話です。自分を尊重してほしいなら、友だちを尊重することです。その結果,必ず友だちもあなたを尊重し、あなたが望むとおりのつき合いになっていくものです。(201ー202p)

しょっちゅう顔を合わせていなくても、何から何まで言葉に出していわなくても、仲よしでいることはできるのです。いえ、すべてを共有しようとしない賢明さこそが、老後の友だち関係を成立させるのだと考えているくらいで、ちょうどいいのかも知れません。(203p)

ひとり時間を楽しく充実させる術を知っている同士が二人、三人と集まれば、互いに依存しあわずに、でもひとりで飲んだり、ひとりで旅をするよりももっと楽しみを広げられるのだと思います。ひとりのときとはまた違った味わいをかみしめることができる。それが老後友だちの妙味ではないでしょうか。人間は本来、わがままな生き物です。それを熟知したうえで、一緒に過ごせるときだけ、思い切り楽しめばいいのです。そうした心境に至れば、ひとりでいても、友だちといても、どんなときもそれなりに楽しめるようになる。それこそが人生の達人の生き方といえるでしょう。(203-204p)

一日一日、本当に納得のいく充実した生き方を重ねていく。人とのつき合いも、自分との向き合い方も同じです。…老いの日々が充実していくことは、一日の終わりに残照が空をあでやかに染め上げていくようなものだと思います。…心満ちた時間をすごし、静かに一日を締めくくれば、必ず、よりいっそう心満ちる明日が訪れるという確かな思いに包まれることでしょう。「今日も最高の日だった」と言い切れる毎日を重ねていくようにしたいものですね。(207p)

2014年11月28日金曜日

バルール

今朝のFMは少し物悲しげなブルッフ作曲の「スコットランド幻想曲」。このヴァイオリン演奏を聴きながら朝食をいただく。これも至福のひととき。スコットランド、いつか行こう!

ティファールでお湯を沸かす。その合間に資源ごみを外に出す。部屋に戻るとセンサーが働きすぎ。けたたましく「火事です!火事です!」のサイレン。センサーの下でお湯を沸かすとその蒸気で過剰に反応する。朝からこの音に驚くばかり。

先ほど西条で美術講座を受けて帰宅。お昼は久しぶりに皆でお好み焼きを食べる。若い頃、集まりがあるとよくお好み焼きを食べた。この頃では居酒屋がそれに相当するのだろうか。 

ブログでビールを飲む話題をよく投稿する。いくらビールが好きでも家ではアルコールは口にしない。ただ、気の置けない人たちとワイワイ言いながら食べたり飲んだりするのが好き。これも至福の時。 

美術講座ではバルールのキーワードが出る。ネットで検索すると次のように書いてある。

 バルール(Valeur[])は造形芸術 である絵画制作鑑賞に関わる概念である。絵画の画面における、明暗と位置関係の対応、及び、位置関係の指示の程度をバルールと呼ぶ。バルールは、色価(しきか)と訳される。Valeurに対応する英語はValueであり、価値評価明度等の意味がある。Valueは色価の意味でも使用される。 

ゴッホの「ひまわり」の絵からそれを学ぶ。 ゴッホのひまわりの絵は7作品ある。最初3本のひまわりは12本にまで増えていく。黄色の描写も作品によって多少異なる。

この黄色、多用すると作品が悪くなっていくらしい。 黄色は一番好きな色。ちょっと複雑な気持ちで講義を聞く。これとゴッホの黄色とは関係ない!?

昨日はプールで1キロ泳ぐ。毎日よく出歩く。月が替わるともっと出歩く日々が続く。ダウンしない程度にして毎日楽しく!

2014年11月27日木曜日

『自信という最上のドレスの手に入れ方』

昨日は夕方予定していた講演会行きを雨に負けて急きょ変更。家に閉じこもって本を読む。面白い本を新刊蔵書検索で見つける。『自信という最上のドレスの手に入れ方』(エリカ・アンギャル 幻冬社、2014年)。サブタイトルは「それは小さな積み重ね」。

「手に入れ方」という表現、日本語として何か変。

当たり前のことが書いてある。その中からメモしよう。

※誰かが「いい歳して…」とか「今さら遅すぎる」なんて言っても、絶対に聞く耳を持ってはいけません。もちろん、自分で「もういい歳だから…」なんて言うのはもってのほかですよ!43p

※「自信」という最上のドレスと、本物のダイヤでも絶対にかなわない「個性」というジュエリーは、女性を美しく輝かせる最強のコンビネーションなのです。57p

※人間は、最初は絶対ムリ!と思ったことでも、何度も挑戦すれば自然とその状況に慣れ、順応できるのです。64p

※穏やかな気もちでハッピーな毎日を過ごしたいと思うなら、睡眠の優先順位を高くしなければいけません。81p

ここはもうかなり実践済み。十分な睡眠なくして健康は保てず。毎日よく眠る。眠ることも体力がいるとか。元気でなければ睡眠も困難となるらしい。いくら睡眠といっても永眠はその比ではない。

※人の一生は儚いものです。残念ながら周りの人すべてを感動させている時間はありません。…自分自身を感動させるために努力していると、ハッピーで前向きな気持ちが芽生え、そのポジティブな雰囲気が周囲の人にもさざ波のように広がり、最終的にはその人たちも幸せにすることができるのです。自分の気持ちに正直でいること。やりたいと思うことをやること。そこから生まれる強くしなやかなパワーが、「自信」という最上のドレスとなり、何よりもあなたを輝かせてくれるのです
。167-168p

昨日は雨にならないうちにベトナム行の旅費を振り込む。ベトナムに関して何の予備知識も持っていない。中国、韓国、日本と同じ漢字文化圏の国ベトナム。振込後、図書館でベトナムに関する本を物色。だが、館内のネットで検索しても貸し出し中が多い。家に戻って再度検索。何冊か予約を入れる。

行くまでの日々、本を読んでベトナムを知ろう。そして、今日は午後からプールへ行こう!

2014年11月26日水曜日

♪チャイコフスキーOP.40♪

予報に反して今朝は晴れ。お天気がいいと気持ちも晴れる。

昨日届いた九州のお母さんの訃報。かなりショックだった。

8月下旬に亡くなられている。遅くなったけど、昨日、お供えを送付。ところがその中の文が変、と後で気づく。すぐに送ったためちょっと失礼があったかもしれない。それも、模範文と比べて誠意がこもっているはず、と思うことにしよう。

今朝のFMは「ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27 第2“月光”」でベートーベン作曲。どう表現していいかわからないけど、朝から心地よく響く。

心地よいといえば次回からさらうフルートの曲。これもいい。さきほどYOU TUBEで探すとあった。自分で吹くとこれほどきれいには吹けない。同じ曲でもこんなに違うと思ってしまう。感情が全く入っておらず、楽譜の♪だけを見て吹いている。動画で聞くと楽器は違うけど本当にきれいな曲。

レッスンではモーツアルト曲集のK.331をさらう。さらったというには怪しいけど何とかさらう。他にもクリスマス会の曲をさらっていただく。本当にありがたい!無事に吹けるように練習しよう!
<Universal POCG-9475>

昨日でどうにかモーツアルト曲集を仕上げたことになる。とはいっても、いざ吹いてみて、と言われてもすぐには吹けない。いつでもすぐ吹けるように曲のレパートリーを増やそう。手始めにはこれまでの発表会の曲だけでも…。だが、これが一番怪しい!

楽器といえばいつも見ている人の昨日のブログに以下のような投稿がある。

「忙しくなってくると同時に楽器を触りたくなってきます。ピアノをサボっていて、練習に行っていません。12月は必ず行きます。頭の切り替えに楽器はもってこいだそうで、特にピアノ脳はいいらしい。下手でもいいのです。楽しむことが大事なようで。しかし、習ってみると簡単だと思っていた曲が難しいと解ります。テレビやライブではプロの方々はいとも簡単に弾くのですが、こんなに難しかったとは。」

勝手に載せている。ピアノも挑戦されているんだ。いつかジョイント!?

何はともあれ、今日も元気を出そう!

2014年11月25日火曜日

演奏会&佛通寺へ行く

シトシトと雨が降る。昨日までのお天気とは違って、今日と明日は雨のようだ。

昨日は本郷まで三原の管弦楽団の演奏会に出かける。演奏会場に行くのは今回が初めて。旅気分を味わってJRに乗車。文庫本を1冊手にし、車窓をながめて55分で目的地に到着。

我が家から数駅を過ぎるとそこは田園風景。降り立ってみたくなるほどのどかな光景が目に入る。

クラッシックの演奏会。どこの会場も爺婆が多い。その中に交じって楽器を習っている生徒なのか中学、高校生の姿も見える。

演奏が始まると後からはいびき(?)の音も混ざって演奏。これものどかな証拠?ともあれ、なじみの曲が大半の演奏会で聴き易かった。

会場に着くと尾道の人は車で来場と聞く。開演前、「車ならば佛通寺に連れて行ってもらえばよかった!」と話す。演奏後、まさか、まさかの佛通寺。そこに連れて行ってくださるとのこと。時刻は午後4時。そろそろ日も暮れる。1時間もあれば行って帰られるとか。



臨済宗の佛通寺

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すぐに車で行くと10分余りでお寺に到着。20年くらい前の新緑の季節に母と来たことがある。紅葉の時期は今回が初めて。

今年の紅葉はあまりよくないらしい。それでも日の暮れぬうちに紅葉を見ることができてよかった!携帯で写したので今一歩の写り具合。若者連れの姿が目立った。

おかげで演奏も紅葉も楽しむことができた。無理を言って申し訳ない。本当にありがとうございました!

本郷で尾道の人と別れ、知人と一緒にJRで帰る。あたりはお店もない。空ききったお腹に買ってもらったパンを頬張る。ありがとうございました!美味しかったね。

次に3人が会うのは来月のフルート忘年会。今年もいよいよの感じとなった。

今日は午後からフルートのレッスン。元気を出してレッスンを受けよう!

ブログ投稿後、郵便受けを見ると悲しい知らせが届いている。28年前、シルクロードへご一緒した親子3人のお母さんの訃報だった。今年の春、晩白柚が届かなかった。元気でいたら送ってあげるね、と言われた言葉が最後になった。

旅から帰っても何度か皆で会った。九州の阿蘇では馬にも乗せてもらった。福岡、下関、広島…と会って楽しく過ごした。本当によくしてもらった!今朝の雨は悲しい!

良くしてもらう人にはすぐに打ち解けてしまう。そのため、人と知り合うことも多い。しかし、時が経つとその人ともいつか別れる時が来る。悲しい!

元気を出そう!

2014年11月24日月曜日

『素直に生きる100の講義』

『素直に生きる100の講義』(森博嗣 大和書房、2014年)を読んだ。本の裏表紙には「孤独を恐れる世の中で、自分だけの『喜び』や『悲しみ』を忘れてしまった人へ…」と書いてある。この2つの言葉を忘れないようにして生きている。

著者の本を読むのはこれで3冊目。毎回書いている。それは著者を知ったのは甥が我が子につけた名前にある。本の主人公の名前を拝借して付けている。

その名前の一部には「創」が付く。そのためか本を読んでいても「創造」や「創作」などの「創」の文字が並ぶ。

今回この本を読んでいて少し驚く。それは次の文章。「僕は人の話を聞くのが好きだ。その延長で、全然知らない人のブログを読んだりしている。…」。下の方にも詳しい文を載せている。

これを読んでもしかしてこのブログを見てくださっている…と思ったりする。あり得ないお話。だが、もしかして…と図々しくも想像したりする。そして嬉しがる。

というのも著者の前作品を検索すると「敏々日記」が検索画面の上位にランクされる。関係ないか?

ともあれ、妹一家は著者のファン。これは間違いない!それにあやかって私も著者のエッセイを読んでいる。しかし、断っておくと妹一家が読む本はエッセイの類ではない。

今日はお昼から三原の手前の駅、本郷まで演奏を聴きに行く。幸いお天気も良い!もっと時間があれば、仏通寺の紅葉も見たかった。時間が足りず…。

今日も元気を出して楽しく過ごそう!以下はいつものように気になる個所をメモしたもの。

※「楽しいい努力と苦しい努力の違いはどこにあるか。」では、

一般に、自分が発想したものを実現する努力というものは、基本的に楽しい。…一方、人が発想したものを実現するための努力というのは、…残念ながら楽しみよりは苦痛が大きい。…自分で何かを思いつくことが、したがって、楽しみを見つける一番の方法といえる。…よく考えて、楽しみを見つけよう。自分の人生なのだから。036-037p

※「学ぶことは、考えることではない。」では、

考えずに知識ばかりを吸収していると、知識の肥満になる、と僕には思える。…多くの人(特に老人)は、ボケないようにと文化教室に通ったり、本を読んだり、という「学び」を始めるのだが、その学びの過程に、「思考」があるかないか、が重要だと思う。それがなく、ただ覚えよう、身につけよう、としているとやはりボケる。…老人ばかりではない、若者も子供も、学ぶことに気を取られていると、結局は頭の働きの一部を使っているだけになる。では考えるとはどういうことか。…良いのは、「図工」のような科目だ。国語でも作文は良いかもしれない。ようするに、ものを創り出すことが一番「考える」に近い活動なのである。069p

※「質素な生活が好きだから、好きなように生活している。」では

もうこの年まで生きられたのだから、病気になったら早めに死ねると良いなと思っている。それには、できるだけ医者へ行くのを遅らせるのが有効だろう。健康診断なんかもってのほかである。こういうのは、僕の家族もだいたい同じ価値観らしく、浪費する人間がいない。…今のこの生活というのは、つまり人に自慢できるものに価値を見出さない、という基本的な好みの結果だと思う。人に羨ましがられたいという気持ちがないので、つまり、自分が好きなことをしているだけだ。107p

※「良いことを言っても、凄いところを見せないと聞いてもらえない。」では、

僕は。人の話を聞くのが好きだ。その延長で、全然知らない人のブログを読んだりしている。平凡な人というのはあまりいない。誰もがそれぞれスペシャルなものを持っている。平凡そうに見える生活の中にも、小説に負けないほど起伏がある。そういう人の言葉の中から、「これは良いね」と感じるものも多く拾える。…一ついえるのは、いくら凄いことを思いつき、それを口から出しても、その口の持ち主があらかじめ凄い人間であると理解されていなければ意味はない、ということである。…僕は、若いときから、「聞いてもらえないな」という思いをしてきたので。こんなペシミストっぽい人間になってしまった。生きる抵抗のことを「生き甲斐」というのである。149p

先ほど書いたのがこの箇所。これで思いつく。「いくら凄いことを思いつき、それを口から出しても、その口の持ち主があらかじめ凄い人間であると理解されていなければ意味はない…」は確かにそうかもしれない。同じ言葉でも名のある人と無名の人とではその言葉の持つ響きも変わってくるだろう。

※「孤独こそ人間の価値である。」では、

一人の時間ほど貴重なものはない。この孤独の価値が、すべての価値を生むといえる。…孤独は嫌なものだと思っている人が多い。それどころか、悪いもの、恐ろしいもの、異常なものだと見る人もいる。…一人では生きてはいけない。これは事実だが、それでも、孤独を抱いて生きることは、けっしてそんなに酷い状態ではない。むしろ、気高い心境に至るチャンスだってある。禅僧の修行などを想像してもらいたい。寂しくて泣けてくるならば、涙を流せばよい。それは、綺麗な涙だと僕は思う。人間だけが流す、価値にある素晴らしい涙である。179p

※「TVの冗長さ、内容の薄さは、社会の毒といっても良いだろう。」では、、

見なくなったのは、単に「内容がつまらないから」にほかならない。221p

2014年11月23日日曜日

日本画展の講演を聞く

今朝のFMから流れる「交響組曲“シェエラザード”」。何楽章かわからず、らじる&らじるで探す。YOU TUBEで再度確かめると動画があった。

今日は最高気温も20度らしく、最高の秋日和となりそう。こういう日は家にいてはいけない。後で外に飛び出そう。

昨日もお天気に恵まれる。旅で知り合った人の車に同乗して美術館主催の講演を聞きに行く。その前に、美術館前にあるレストランでイタリアンのランチ。何度か足を運んだ美術館。目的のものだけを見ていたのだろう。レストランがあることさえ知らなかった。関心がないと目に見えないと気づく。

美術館に入ると受付の奥に講師の顔が見える。挨拶に行くと「何しに来たん?」と言わんばかりのお言葉。連れの人にも「変な人と知り合って…」と話される。こうなるとまたいつものようにああ言えばこう言う状況になる。可笑しい!

ともあれ、絵を見た後は講演を聞く。

絵を描く、文を作るなどすべては自己顕示欲のあらわれとか。そうかもしれない。

自分自身、ブログ投稿、日本画を描く、プールで泳ぐ、楽器を人前で吹くなど、これらすべては自己顕示欲かもしれない。自分をわかって欲しい、という気持ちがそうさせるのだろう。

この気持ちが昂じて作品の善し悪しに出る!?絵はテクニックとアイデアとか。そして技術を磨いていくと心象がついてくるとも話される。結局、描く本人の気持ちがその気にならないと人にも伝わらないらしい。

絵が描く人の感情と見る人の感情のあらわれならば見る側の見る目も必要だろう。

最後に絵を教える側の人に話される。「言って 任せ、やって見せ、それでだめなら捨てなさい」。

いつもながら飄々と話される。楽しい講演会は終わった。

帰りも車で最寄り駅まで送っていただく。ありがとうございました!来月の理彩さん、来広の際にはまたお会いましょう!

2014年11月22日土曜日

『毒唇主義』

雨上がりの朝、窓からの日差しは暖かそう。お天気が良いとプールの中も人が多い。先週と比べて昨日の午後がそうだった。

プールは水中歩行、泳ぎ専用、浅いプールの3コースがある。スポーツセンターの屋内プールと比べると広さは半分以下と狭い。だが、それも慣れてくると窮屈さは感じない。ましてやその町の住人でなく外部のモノ。自転車に乗っていける距離にある。これは便利でありがたい!

このプールに出かけて半年。だいぶ顔なじみもできてきた。しかし、余計なことはしゃべらないようにして黙々と泳ぐ。滞在時間はちょうど1時間。週に一度のこの時間が本格的に体を動かす瞬間。

水泳を習い始めたころ、背泳ぎで泳ぐと途中で泳ぎをやめられなかった。どうやってプールに足をつけるかバタバタする。それを見た人が体を抱えてくれて無事泳ぎをやめる。手を水でかいて水の中で立ち上がる。これができなかった。今では背泳はクロールよりも楽に泳げる。

自転車でわが家に向かう途中、先日来から見ている皇帝ダリア。咲いている4軒目の家を見つける。今年まで全く気付かなかった皇帝ダリア。あまりの背の高さで歩いているときは見過ごしていたのかもしれない。それにしても今年はよく目にする。

話は変わって以前読んだ『毒唇主義』(内館牧子 潮出版社、2014年)。

著者である内館は以前、横綱審議委員に就任していた。これほどの人だから大相撲の「土俵」に関しても「女を土俵にあげないという学問的見解」を持っている。

「私は土俵の女人禁制を『男女差別』とは考えていない。」という点にも表れる。

これを著者は大学院に入学して研究。この底辺には「男だけ、女だけの祭祀や伝統ががあっていい。自国の独自な文化を『グローバルスタンダード』に合わせようとする発想そのものが、浅知恵もいいところだ。だが、政治家や行政の長のように力のある人間が煽れば、世論はそちらに傾きかねない。これは土俵だけの問題ではなく、日本文化全般に関わる危惧である。」と述べて「世論がそちらに傾いた時、学問的裏付けで反論できるようにと研究した。

土俵を「結界された区域」と著者は考える。「結界」とは「一定の区域を囲うこと」である。そして囲いの中を「聖域」とし、囲いの外を「俗域」にすることが多いらしい。そこで土俵は俵を使って結界された「聖域」と考えられるという。

これは大相撲の土俵に限らず建築物の前にちょこっと置かれた小道具も「ここから先は聖域です」と暗示している。

例えば注連縄、扇子、青竹、石、幔幕など日本には数えきれないほどあるらしい。これは「装置的結界」とか。ところが、万里の長城や西欧の城壁は「建築的結界」というらしい。こういった建築物は簡単には動かせない。

そして日本人は装置的結界である、すぐに動かせる小石などの小道具は「触れてはいけない禁忌タブー」を示す印であることを約束事として理解していたという。

だから「女は土俵にあがれない」。

何でもかんでも男女共同参画社会というグローバルスタンダードは内館の言葉を借りると「非常に危機感を抱いている」。これもわかる気がする。(125P-129Pから引用)

大相撲といえば今真っ盛り。明日は千秋楽。

著者の「結界」というキーワード。この本で初めて知る。書名の通り毒唇の感は否めない。だが、言っていることに同感。特に「何でもかんでも男女共同参画社会というグローバルスタンダード」。外で働いてきたから言っている意味はよくわかる。言うのは簡単。だが、これはなかなか難しい問題を孕んでいる。

2014年11月21日金曜日

またいただく!


いただいた本
いただいた自然薯
今朝はパソコンと格闘。午後のプール行で気が焦る。でも、今朝はちょっと偉かった!今やっと落ち着きを取り戻す。

パソコンを買い替えてアップデイトの度にその後のパソコンの調子が良くない。これもすぐに思い起せばいいモノを性急過ぎるため慌てふためく。

頼りにするのはOCN。すぐに電話する。アウトルックをやめて別のメールアドレスに…との話が出る。先日プレミアムサポートを解約したばかり。その罰が当たったと思ってしまう。

アップデイト後のパソコンの起動はかなり遅くなる。それも30分くらい待つこともある。また、電源を切ってもマウスが点灯しているときはそのままの状態で待つこと。肝に銘じよう。

再起動するようにとOCNで教えてもらう。これはよかった。再起動後、パソコンは何事もなかったかのようにうまく作動する。もちろんメールも大丈夫だった。プレミアムに慌てて再加入しなくてもOKだった。ナニゴトも忍耐、忍耐!これで、ちょっとずつパソコンに強くなっていく。

話は変わって昨日のこと。女子会NO. 4さんと久しぶりに会ってお話する。今年はまだ女子会をしていない。年内にはぜひ女子会しましょう!

その、NO.4さんこと西村宏子さん(名前だしましたよ)。シュモーを学ぶ会でこのたび『ヒロシマの家』を出版された。昨日のメールの「報告」はこのお話だった。やっぱり朗報ね。やったね。

それにしても寝食を忘れて4人で編集されたと聞く。長く原爆に関するボランティアに携わり、本の出来上がりはその集大成!?それにしても素晴らしい!

この話を聞いた後、若者がたむろする街をふらつく。そういえば話をしたカフェも感じよかったね。口から出る言葉は若鯉のツイッターの話題。鯉が出入いりするカフェいやレストランを偵察する。スマホを駆使してお店にも行く。これが婆さん(失礼。1人は若いね)たちのやることか。笑ってしまった。でも楽しかったね。

馬鹿げたことばかりやってるから朝からパソコンもおかしくなる。持ち主に何でも似て…。

女子会、楽しみにしています!みんな元気に遊ぼうね!

もう一つの画像は自然薯。この自然薯、絵に描きたいけどさてさて…。

今朝はもう一つ話題がある。先ほど古沢巌のブログを見ると高倉健さんのことが書いてある。健さんも古沢の大のファンのよう。

これを知って朝からばたばたしたけど気分はいい。人との繋がりを感じる。健さんの映画はほとんど見ていない。だが、『あなたに褒められたくて』などのエッセイを読んでその人柄に感動。他にも20年以上も気に入った人の言葉を手帳に挟んでいた話。同じことをする人がいるんだと知ったときは身近な人に思えた。

古沢巌と健さは繋がりがあったとは、驚いてしまう。

落ち着きを取り戻して今日も怪我せぬように飛び跳ねよう。午後はプールが待っている!

2014年11月20日木曜日

いろいろといただく

いただきました!
 
昨日はいろいろといただく。ありがとうございました!美術の先生からは対馬のお菓子。教室の人からは東京の美術館(?)のグッズでセザンヌのクッキーと笛を吹く少年の絵ハガキ。

夜のフルート定例会では宮城県の大きな鳴子のこけし。とても重くて立派なこけし。ありがとうございました!もらった2人でこけしの首を回すときゅっきゅっと音がする。いい具合にできている。

こけしの説明書を読むと材木は槐(えんじゅ)の木。字のごとく木に鬼と書く。そのため、昔から「魔除けの木」とされて珍重されたとか。家の庭には槐の木は植えるところがない。せめてこのこけしに魔除けとなってもらおう。

他にも自然薯をいただく。これは生まれて初めて目にする。土がついているので一緒に画像に収めず。いつか画像にアップしよう。尾道の人の義父の方が20年前に植えられたものとか。貴重なもの。味わって食べよう。

この自然薯を食べて、定例会メンバー3人はさらに元気になる!?ありがたい!
牡蠣
 

牡蠣
美術講座の終わった後お昼のランチをいただく。まだおなかも空ききらないうちに夜はフルート定例会。昨夜は牡蠣尽くし。いろんなカキ料理がテーブルに並ぶ。画像は縦になってしまった。

牡蠣は島から来たもの。どういう島か聞いたけど食べるほうが忙しくて覚えていない。それにしても大きな牡蠣。ビールもおいしかった。

月に一度のフルート定例会。いつもながら食べて飲んで楽しく過ごす。冬は以前出かけたふぐ料理のお店がいいね。これも楽しみ!

昨夜は来週フルートの先生が演奏される演奏会の話題。だが、チケットが足りず。家に帰ってすぐにメールでチケットのお願いをする。ありがとうございます!3人で聴きに行きます。

今朝は久しぶり、女子会メンバーNO.4さんからメールが入る。報告があるらしく、どんな朗報か楽しみ。女子会もいいね。

今日も元気を出そう!

2014年11月19日水曜日

遊んでばかり!

昨日のフルート・レッスン。来月にある合唱のクリスマス会の曲のアレンジと、曲の選択で先生の手を煩わせる。いざフルートを吹くといっても、すべては先生にお任せ。本当に申し訳ない。

曲のアレンジも楽譜を新たに作っていただく。ありがたい。歌を歌う人はこの苦労をわかってくれる?

さらっているK.331。もうちょっと練習しよう。新たに始めるチャイコフスキーの曲。モーツアルトに比べると楽、と言ってしまった。ところが、これも先生によると始めの2,3曲だけで後は難しいとのこと。そう聞いてそうよね、と思わず納得。簡単な曲、と思うほうが間違っている。ともあれ、練習、練習。

レッスン後、日本画の打ち上げに移動。急いで移動するが、慌てすぎてバス乗り場はとんでもないところに出る。地下に入りなおしてバス乗り場を確認。すこし遅刻して会場に到着。

出席者は20人くらい。ほとんどの人は秋の展覧会で顔なじみ。だが、数人は名前と顔が一致しない。こうなると出品作品の話をするに限る。

昨夜は満5年と15年習っておられる2名がいた。その人たちに先生からの作品の贈呈がある。見せてもらうと素晴らしい作品。あと4年すれば私もいただける。だが先は長い。(注、先生の作品贈呈は5年目ごとにいただけるらしい)。

2次会は同じホテルの♪駅カラ♪。会社に勤めていたころ何度か利用している。中に入ると以前と変わった様子はない。カラオケになるころは皆、おなかも満腹でアルコールも入っている。

フリードリンクといっても何も欲しくない。10数名がカラオケにも参加。

教室の生徒さんで日本舞踊の先生がおられる。皆さん、芸達者揃い。歌に合わせて踊りも入る。これが可笑しい。もう皆の笑いの渦の中で扇子を持って踊られる。

カラオケを習っている人なのか歌がうまい人がいる。その人の歌に合わせて即興の舞を1人か2人でされる。他の人の顔を見るとどの人も涙を流して笑い転げる。ほんとに可笑しい!

楽しいうちにカラオケも終わる。その余韻を残して今朝は西条へ。先ほど帰宅。美術の講座でも終了後、レストランでお昼をいただく。今年もあとわずかになった。忘年会の話題も出る。

遊ぶ話はどんなことでもOK。話はすぐにまとまる。問題は先生の日程。

車で最寄り駅まで送ってもらう。そこで降りて、教室の若い人としばし四方山話。

今日はもう少しすると市内に出てフルート定例会。ほんまによく遊ぶ。これも元気な証拠。そう思いつつ毎日が過ぎていく…。

2014年11月18日火曜日

♪ふるさとは今も変わらず♪

昨日の合唱を忘れている。何人かの要望で新沼謙治の♪ふるさとは今も変わらず♪をさらう。この曲、コーラスでは流行っているらしい。 

合唱に誘ってくれた人はこの曲がお気に入りでCDも購入している。歌っていると代表は小学校で習っている感じと話される。子供になってみんな楽しくさらう。

歌が終わると合唱に入って以来初めてお昼を食べずに帰る。芸術の秋、それぞれみんな用事があるみたい。

いつもおしゃれを楽しんでおられる人の車で最寄り駅まで送ってもらう。ありがとうございました!

お腹もすいているので広島駅にあるデパートによって一人でお昼を食べる。その後は店内をふらつく。そして買い物をする。こういうときも至福のひととき。

来月の合唱ではフルートを吹く予定。昨日代表から依頼される。

これも頑張って練習しよう!

みんな頑張っとる!

小春日和の一日が始まる。先ほどお墓に参る。道中、氏神様の前を通ると根性ある百合の花に遭遇。お墓前のお家では皇帝ダリアが見事に咲いている。思わず道から携帯で写す。

立ち止まっているとお墓参りの人に出会う。ここに来るまでほかにも2軒、咲いているという。先にお墓参りを済ませてその人について皇帝ダリアを見に行く。

最後のお家で外から見る。だが、お庭に入ることにして家主に断りを入れる。ついには花も欲しいと知り合った人は言う。黙って持ち帰ろうとする。それはいけない、と話すと家の爺さんと談判。OKも出て一枝持ち帰る。そのうちの一つの花びらを分けてもらう。

全く見知らぬその人は家にお花があるという。ついていくと狭いお庭に鉢植えをずらりと並べている。わが家がいくら狭い庭といってもこのお宅にはまさる。

工夫次第でいろんなお花が植えられると感心してその人と別れる。

それにしても朝から何人の人と出会ったことだろう。ほんまによう人と出会う。「朝からどうかいの~。あんた~、よう人と出会うの~。ほいじゃがすぐに知らん人でも仲良うなるんじゃの~。」。おっさんだったらこういうだろう。

いつも見ている人のブログにこう書いてくださる。

「マッサンを観るようになって広島弁が身近になってきた。広島の友達がこんなことを書いている。
「ほんまに、どうかいの~」というくらいよく眠る。もっと寒くなれば冬眠するしかない!?
ということにも反応してしまう。「じゃけ~寝たいだけ寝たらええがの~」??おーとる?」

言い方はあたっとるよ。広島弁免許皆伝まではいかんけど入門くらいは大丈夫じゃ。先生もテキトーと言わずに頑張りんさいや!「病も気から」いうじゃろ?楽しかったら病気にはなりゃせんけえ。失礼しました!

今朝は寝たいだけ寝られん。後の用事が仕えている。午後はフルートのレッスン。その後は日本画の打ち上げ。今日も一日、なんじゃかんじゃいうても頑張るけんね。

どういってもさっちゃんも頑張っている。以下は一昨日のさっちゃんのブログから。

「まあいいや。たとえひとりになっても
元気でがんばろう。
あの世に行った人も、この世の人も
みんな元気にやろうぜ。おう おう おう!!!

徳女35回生諸君」

92歳も頑張っている。負けられんね!
もらったお花。絵の材料になりそう。

よそのお家の皇帝ダリア

百合もがんばっとる

2014年11月16日日曜日

トルコキキョウ

暇に任せて トルコキキョウ(Lisianthus)を描く。ネットで検索すると以下のように書いてある。
 
花名のトルコキキョウは、つぼみの形がトルコ人のターバンのようであり、花の姿・色がキキョウに似ていることに由来するともいわれています。北アメリカ(テキサス州周辺)が原産地となり、花名のようにトルコ原産のキキョウではありません。
トルコキキョウの花言葉は、
「すがすがしい美しさ」「優美」「希望」
(「永遠の愛」はキキョウの花言葉

※西洋での花言葉・英語 Language of flowers
「appreciation(感謝)」「calming(穏やか)」

これを見るとトルコキキョウの花言葉は何ときれいなのだろう。絵を描くことを喜ばないといけない。

本画に仕上げるまでは大変だけど頑張って絵にしよう。

先日、教室で描いたトルコキキョウ。教室が終わって夜まで持ち歩いた。家に着くころには干した烏賊のようにぺっちゃんこ。水切りをして活けると元の形に戻る。この花の生命力は素晴らしい。

さて明日のカラオケ。同じく天地真理の歌で♪想い出のセレナーデ♪がある。これも秋にふさわしい。

今日はこれから合唱へ。ふと思った。嫌いは好きの裏返し…ということ。苦手意識を持って嫌っていた運動、絵、乗り物。この3つは今では好きな部類になっている。

これから先は嫌っていた時間以上に、もっと好きになっていくかもしれない。とはいっても人生の持ち時間はそれほど長く残っていない!

いろいろと

「ほんまに、どうかいの~」というくらいよく眠る。もっと寒くなれば冬眠するしかない!?

この「どうかいの~」、金曜夕方NHKラジオのローカルで放送。緒方監督夫人がMCを務める。「どういうこと?」のおっさんの言い方が「どうかいの~」、女性版は「どういうことね」になる!?ともあれよく眠る。

昨日午後は日本画教室。トルコキキョウを持参して描く。昨日で4枚目。1本を短くすると枝分かれして2本になる。この片方は家で描く予定。計5枚となるはずのトルコキキョウ。次週からは本画にしていく。

絵を描いた後は場所を移動してベトナム行の説明会と懇親会に出かける。去年台湾へ行った14名のうち5名は不参加。しかし、ベトナム行は24名と昨年よりも増えそう。

昨年、入会したので台湾旅行以外の人は全く知らない。とはいってもツアーに参加すると全員知らない人ばかり。気にすることもない。

懇親会前に簡単な旅の説明がある。募集のツアーでなく会の人たちが組んだツアー。世話人はホテルはすべて五つ星、と満面の笑みで話される。確かに、台湾旅行も食事もホテルも最高だった。

当然旅費も高い。充分、ヨーロッパに行ける金額。世話人曰く「もって死ねない」。確かにそう。母はいつもそういって旅行を楽しんだ。

自己紹介が始まる。団長は参加人員名簿を持って名前を紹介。1人ずつ自己紹介が始まる。ここは年齢順のようで自分の番が回ってきた。名前を名乗って挨拶すると団長が代って説明される。

「何じゃこりゃ」、と思って聞いているとかなりオーバーに紹介される。いいように説明してくださるのはありがたい。だがここは訂正。

旅といって思うことがある。苦手なモノコトは運動と絵を描くことだと思っていた。ところがもう一つ大事なものがある。それは乗り物酔い。これは重傷モノで子供のころから大学受験まで大変だった。

旅行は大の苦手で、小学校の関西の修学旅行、中学の九州の修学旅行は必ず旅の間1日はホテルでダウン。こういう人が何人かいた。乗り物酔いで観光できない。

バスの仕事についている人を尊敬した。自分は到底できない、と子供心に覚えている。

それが年齢を経るにつれて乗り物酔いがなくなった。そういえば、短大卒業後3人で出かけた隠岐の島行きの船も大変だった。

年とともに元気になったのだろう。今ではどんな乗り物に乗っても大丈夫。そう思うとやっぱり今が一番元気。これはこれで幸せなのかもしれない。

この元気、もうちょっと維持しよう!

明日からも忙しい日々が続く。日本画教室の打ち上げもある。昨日、教室が終わって外に出ると先生から打ち上げの2次会はカラオケ、と聞かされる。「行きます!」「歌います!」と言ってしまった!

ホテルの経営するカラオケ。先生はご存じなかったらしく立派なカラオケルームと説明する。さてさて何を歌おう!

この季節、古い歌だけど天地真理の♪木枯らしの舗道♪。これ如何に?練習しよう!

それにしても、ベトナム行もそうだけど同じ年齢の人がやたらと多い。同年齢と知ったときはどの人も幼馴染で同級生となる。これは本当に可笑しい。昨日も「幼馴染、よろしく!」、と握手される。これから年老いていくとますます、いや世の中、大半が幼馴染となりそう。怖い現象が待っている。

今日も元気で!

2014年11月15日土曜日

『人間にとって成熟とは何か』

最近、メディアなどで見た気になることをメモしよう。

先日放映されたNHKの「地球イチバン」のバーニングマン。こういうお祭りがあることさえ知らなかった。さとしという男優が写っている。見た目は男性だが声が女性のよう。自分をたくましくするために旅に出る。

この番組のHPを見ると「世界は“違う”からこそ“面白い”―地球上の様々なイチバンの地を訪ね“圧倒的な風景”と“究極の非日常”をトコトン味わう紀行ドキュメンタリー。多様な世界の今と、人生をちょっぴり豊かにするヒントを探る旅へご案内します。ナビゲーター 役所広司」とある。

つい最近は「世界最大の白い砂丘~ブラジル・レンソイス~」。これも圧巻だった。なぜ今までこの番組を見なかったのかと悔やまれる。次回から見るのが楽しみとなる!

他にも何の番組か忘れたが「虹」のこと。これは「仏様が降臨」したことだとか。だから、スリランカの旅でお坊さんが「彩雲!」と大声を出された意味がわかった!そういえばスリランカ滞在中、ほかにも虹が出ていた!日本ではめったに虹を見ない…。

毎月一度地元紙に随想の掲載がある。その挿絵は日本画家の吉村誠司。この人の絵はもちろんいい!そして随想を書く人もいい。今月は詩人の入沢康夫。

入沢によると「詩の役割の核心は、作者の心境、感想などの個人的あるいは日常的事実を述べ伝えることではなくて、事実を超えた事実をもって、感動を読者の心に生み出すところにある…」とか 。

これは何にでも当てはまりそう。先日感動したヴァイオリニストのブログもこれに当たる。文を書くとき読み手がわかるように書け、と教わった。きっと絵も見る側によって感動も変わるのだろう。

今日は忙しい一日となりそう。午後からは日本画教室。これが終わるとすぐに場所を移動してベトナム行の会合へ。楽しい日になりそう!

以下は先日読んだ本の抜粋。『人間にとって成熟とは何か』(曽野綾子 幻冬舎、2013年)。

※人間の幸福の形というものには定型がない。なぜなら、最期に大切なのは、心の問題だからだ。心の中の幸福の量と質は、厚生労働省もその供給の目安を文書では示せない。72p

※謙虚に、一人の人として誰とでも付き合うと、誰もが私にとって貴重な知識を教えてくれる。それが私を成熟した大人に導いてくれる。127p

※世界を意識した地理的、時間的空間の中に自分を置き、それ以上でもそれ以下でもない小さな自分を正当に認識できることが、実はほんとうの成熟した大人の反応なのだと思う。189p

※そうだ。大切なことは、お茶を入れて、すべての些細な対立は、強靭な大人の心で流してしまえるかどうかなのだ。239p

2014年11月14日金曜日

♪勇気100%♪

 この頃毎日、若鯉のツイッターを見ている。どうこういっても若い、というのは素晴らしい!悪ふざけもあれば、フォローする人への質問なども暇暇に応じて真面目に応えている。
 完全にのぞき見趣味間違いなし。だが、若者の世界を垣間見るようでこれはこれで楽しい。
  その中に♪勇気100%♪がある。「気持ちが落ちちゃいそうになると、これ聴いてます^ ^…」とツイッターでつぶやく。そして「最後まで聴いてみてください」という。
 
 10余年前までずーっと働いていたのでテレビのアニ・ソンなどほとんどわからない。当然この歌も聞いたことがない。第一線で活躍するプロ野球選手。こういう歌を聞いて自分自身を奮い立たせているとは…。
 
 厳しい競争社会に生きているプロの人たち。当然といえば当然だけど、やはりどんな世界であれ頑張っている人は相当な気力の持ち主だろう。
 
 この歌を子供のころに口ずさんでいたとか。自分を振り返ってどんな歌で育ってきたのだろう。こういう歌はなかった。
 
 昨日から冬型の気候になった。最高気温も12,3度。今朝も寒い!それこそ「勇気」を出して泳ぎに行く。急遽、冬支度をして出かける。案の定、プール内は閑散としている。それはお見事。顔なじみも見えるけど黙々と泳ぐ。歩く人も1,2名。泳ぎもそう。時には一人になる。こういう時はほとんど背泳ぎで泳ぐ。
 
 今朝は美学の先生の講演を聞きに行く予定にしていた。ところが寒くて目が覚めない。朝早い講演はこれからの季節、もう無理。あきらめてゆっくりしている。♪勇気100%♪は出せそうにない。適当に勇気を出して今日の始まり!

2014年11月13日木曜日

展覧会&演奏会

一昨日のこと、フルートのレッスン前に絵の展覧会に行く。会場に入ると合唱の代表の絵が目に入る。

受付で代表の名前を告げると前日に来られたとか。その日は合唱で会っている。次に来られる日を聞くと「来週の月曜日」、と係り。「その日も合唱で会います」と告げる。すると、係のおっさんは「どうしても会いたいんね?」と聞いてくる。

変なやり取りを交わした後、絵を見て歩く。誰も会場にいない。ある人の絵が気に入る。丁寧な筆遣いで描いてある。同じ人が4点出品。だが1点がわからない。

係りに教えてもらってやっと気づく。ほかの人の絵ばかりをほめるのも悪い気がして教えてくれた人の絵もほめる。まんざらでもなさそうな顔をされる。

ただ一人知っている合唱の代表も4点の出品。一緒に行った青森の八甲田の絵も描かれていた。

絵といえば昨日は美術の講座で市内の美術館へ行く。昨日も先生のおこぼれにあずかる。

少し早く会場に到着。誰も来ていないと思っていると目の前に先生が…。なんと応接室に通される。立派な部屋でもうびっくり。するとお茶も用意してくださる。

先生と同じものにすると、ほかの人もご来場。総勢8人で応接間に陣取る。

こういう待遇は先生のおこぼれ。テーブルも椅子もテーブルかけも絵も何もかもお見事。館長室とは違って応接室らしい。ここで理事会とか開かれるという。

外を見渡すとガラス張りの向こうはまるで一幅の絵のよう。

特別な計らいで常設展見学の前に係りの説明を聞いて特別展を見て歩く。特別展は安野光雅展。

ふと目をやると広島交響楽団常任指揮者の秋山和慶氏の姿もある。すぐに気付いたけど熱心にご覧になっている。さすがの私も声を掛けられず。後で聞くと皆も気づいてたみたい。

特別展と常設展を2時間半、ゆっくりと先生の説明を聞いて見て歩く。安野は津和野の人。そこは身近なところにあるので親近感を感じる。

絵を堪能した後は美術館のレストランでお昼をいただく。ここからの景色も紅葉が見事でとてもきれい。

皆とここで別れた後、一度家に帰る。家でのんびりした後、音楽を聴きに出かける。

昨夜の広島交響楽団第344回定期演奏会はブラームス交響曲チクルスⅢ「情熱の日」と題され、下記の2曲が演奏された。ゲストはピアニストの河村尚子。

♪ ブラームス ピアノ協奏曲第2番へロ長調OP.83
♪ ブラームス 交響曲第2番ニ長調OP. 73

開演前の座席チケットの交換で1階席はあと2枚との説明。どうにか1階席に座って聞くが、演奏中は欠伸との戦い。なんといってもどちらも曲が長く55分と42分ある。

休憩後、やっと本来の調子で聴いた。一日に2つの用事は草臥れる。

今日は午後から泳ぎに行く予定。毎日出歩いている。明日も明後日も忙しい日が続く。ダウンしない程度にがんばろう!今日も元気を出して!

2014年11月12日水曜日

アレンジのお願い

フルートのレッスン前に先生にお願いする。来月、合唱のクリスマス会でソロを歌う人からフルートの伴奏を頼まれる。曲名は♪ムーンリバー♪。

譜面を見ると音が低すぎる。勝手に1オクターブあげて練習する。ところが、物事はそれほど簡単ではなさそう。結局フルートの先生にフルート用にアレンジをお願いする始末。申し訳ない!

他にもソロで吹く曲をさがしていただく。いざというときはやっぱり先生のお世話になる。ありがたい!

レッスンではモーツアルトのK.331もやっと終わりの段階になる。だが、ピアノと合わせるとフルートはアップアップする。来週までにもっと練習しよう。

モーツアルト曲集も近いうち何とか終わりを告げて、次はチャイコフスキーの曲集をさらう予定。フルートとピアノのアレンジはモーツアルトと同じフルートの神様のゴールウェイ。

曲集を見ると19曲入っている。このうちの1曲は今年のフルート発表会でソロで吹いた。残り18曲をさらっていく。新たな曲をさらうのは大変だけど何となく嬉しい。頑張って練習しよう!

今日はこれから美術講座の課外学習。夕方は広島交響楽団の定期演奏会と忙しい!元気を出して今日も楽しく!

2014年11月11日火曜日

ラジオの音

今朝のFMは「音楽遊覧飛行 -映画音楽ワールドツアー- ~華麗なるミュージカル映画~」。パソコンに夢中になるときは音も聞こえない。ところが、よく聞いてみるとうるさいこと、うるさいこと。

いろんなジャンルの音楽が好きだけどこれはいけん!うるさすぎる。ついにラジオ第一に変える。これもよくない。

年を取るとラジオやテレビの音がうるさいという話をよく聞く。この気持ち、よくわかる。こうなったらもうかなり老人じゃ。

というか、ラジオの音に耳を傾けるより、外へ出ろとの知らせかもしれない。寒くなってきたけど外は気持ちよさそう。

外といえば旅行。今週末にはベトナム行の会合もある。ベトナム行とほぼ同じ時期にボロブドール行の話が入る。

ベトナム行は決定。こうなるとボロブドールの変更をお願いするしかない。無理を承知で時期をずらしてもらうようお願いしたけど、さてさてどうなるものやら。

続けて海外に行くのはしんどい?と姪に話をする。姪曰く「1週間後に出かけた人もいるよ。誘ってもらえる時は出かけたほうがいい!」。こう聞いて勇気もわいてくる。

ものごとはなるようにしかならない。いつまでも外国へ出かけられるとも思えない。体力の許す限りなるべく早く行こうという気持ちが強い。

どちらも行かれますようにと願って今日の行動開始。

今日は午後から絵の展覧会とフルートのレッスンが待っている。今日も元気を出そう!

2014年11月10日月曜日

「今日は、そこそこ、よい日だった…」

合唱の練習を終えてただいま帰宅。今日のお昼は3人で食べる。1人はこの合唱に誘ってくれた人。もう1人は自分の知り合いの中で一番お洒落と思える人。いつものメンバーよりも少ない。だが、楽しく過ごす。食事後は最寄りJR駅まで送ってもらう。ありがたい。♪素敵な友だち…♪など今日も楽しく歌う。この歌は歌っていても気持ちがいい。

素敵な友だち、といえば知り合う人は皆、素敵な人たち。友だちと呼べるかどうかわからない。だが、親切にしてもらうとすぐに打ち解けてしまう。そう、友だち感覚になる。

話は変わって昨日のいつも見ているヴァイオリニストのブログ。ブログというよりもまるで詩のよう。全部を転載してもいいんだろうか。著作権に問題があるかどうか心配だけど、一部をアップさせていただこう。

「明日は」と題され、以下のように書いてある。

(一部省略)
今日の為に、ずっと生きてきたなら、
今日はいい日だ。
明日の為に、生きる人は、
明日に用事がある人だ。
将来?心配しなくていい。
今日より明日が、
確実に良いとも思えない。
今日は、そこそこ、よい日だったから

これはもう哲学。すごい!感動してしまった!

やっぱり自分がいいと思う人はみんないい!自分の人を見る目に狂いはない。もうそう思ってしまった。

これをアップした人は直接の知り合いではないし、友だちでもない。でも、知っている人。

年を重ねるにつれていい人たちと知り合う。直接お目にかかって知り合う人もいれば、メディアを通して知り合う人もいる。どんな手段であれ、人と知り合うことは素晴らしい!

私も真似して「今日は、そこそこ、よい日だった…」。これでいい!

2014年11月9日日曜日

研究会に出席して

昨日は某研究会に出席する。熊本や大阪など遠くからも席を連ねる。横の人は福山からの参加で久しぶりのご対面。反対側は感じがいい青年でM2年の男子学生。

来春の就職も決まったと嬉しそうに話してくれる。出身地の県庁に決まったとか。学部時代の友人も2年前に県庁と銀行へ就職したという。就職状況は好調らしい。

帰り際、名前を教えてもらう。研究室のHPを見ると青年の修論題目の掲載がある。今、その仕上げの真っ最中らしい。

久しぶりに会った人は博論真っ最中。聞くところによると博士課程は9年在籍できるらしい。残り少ない年数を頑張っておられる。

話していると大学に提出した修論の枚数がすごい、と話される。今は亡き、某先生が話されたとか。某先生、と聞いて一瞬わからず。若い先生で亡くなられた、と聞いて思い出す。

指導教官のご厚意で文語文の中国語解読の特訓を受ける。1915年代の中国語の文章は今のそれと違って少々の能力では読みこなせない。そこで他学部の先生と先ほどの亡くなられた先生の特訓を受けるようになる。

後者の先生には半年間、学部生に交じっての受講や、研究室で1対1の講義も受けた。ありがたかった。だが、先生は当時、病を抱えておられた。大きな体躯の先生だった。ところが、しばらく休職後にお会いした時は最初の面影もないくらい痩せられていた。

研究室には出張先の外国で目があったというお土産(何か忘れたが宗教色のある細かいお土産)を書架の真ん中に飾っておられた。病状のひどさをその時感じる。

母を介護しながら研究室に通っていた。先生との話の中で少しは励ます言葉をかけたのだろう。昨日出会った人からその先生が私の修論についてお話しされていたと聞く。

「100枚以上の長さで書いたでしょう」、とも話される。

そのころは母の介護も重なり、死に物狂いの状況だった。時間に追いまくられて…。短くする時間もないほど、忙しく過ごしていた。提出期限までに指導教官に提出すると長いのはいい。そして、一切、手は加えない、と言われた。

先のばしにはできない状況で2年で書いた。何とかクリアした修論。

昨日、その人からそれを聞いて当時を思い出す。福山に帰られる前に駅ビルの「かなわ」で一緒に夕飯をいただく。そこでいろいろと話す。

その人の修論時代は、日中国交も回復しておらず、日本では学生運動真っ盛り。就職もできず、大学院生になる人も多かったとか。そのため2年で修論は書けなかったらしい。

2年でよく頑張った、まだ若い、元気だ!と立て続けに勇気づけられる。話している人もなんたって博士論文に挑戦中。これはもう素晴らしい!

何歳になっても頑張る人の話はとても新鮮。それにしても当時のあのヴァイタリティ―はどこから出ていたのだろう。

特訓というか武者修行先の前者の先生は今年、博士号を取得されて教授になられた。

たまに出席する研究会。指導教官がお元気なうちはなるべく出席しよう!いつまでも元気でいたい!

2014年11月8日土曜日

『質素な性格』

自分にふさわしい本を見つけた。『質素な性格』(吉行和子 講談社 2011年)。読んでいても面白い。エッセイなのですぐに読める。著者は家の掃除は好きだが、食事を作るのは嫌いだとか。どっちも好きではないけどしいて言えば食事を作るほうがいい。

それはともかく、来年から受講している講座の受講料が口座引き落としになる。この知らせが昨日届く。手始めに事務手続きとして通帳と印鑑が必要とのこと。

無職となって早12年。毎月の収入は年金だけ。金融機関もほとんど用がなくなる。ところが、通帳と印鑑の保管をおろそかにしすぎ。

勤めていたころ、銀行関係は母に任せていた。そのためか、印鑑と通帳がどうなっているのかわからない。今年春も某銀行で印鑑が違うと指摘される。きちっと確認できるよう収めていればいいものを時が経つといい加減にしてしまう。

昨日は引き落としの印鑑と通帳を確認するために銀行に行く。ところが、本人確認の健康保険証がない。持って行ったはずなのに、慌てていたのか人の名刺を持参していた。再度…と思っていたら暗証番号で本人確認がOKだった。通帳1冊に印鑑2個を渡すと正しい印鑑を教えてくれた。

係りの人曰く「これだけですか?」。そう、このことのために銀行に来たのかと言いたかったみたい。それにしても、終活まではしなくても日々のことはちゃんと記録しておこう。

今日は午後から修了した大学の研究会に出席。参加する恩師の人たちを知りすぎているため、少々気恥ずかしい。だが、ここは勇気を出して出席。今日の出席を電話で話した人とは数年ぶりの再会となる。

年齢は2歳上。若い頃、博士課程前期を修了されて大学で教えておられた。ところが今は博士課程後期で学ばれている。これまでお忙しくて出席できないと話されていた。今回は出席される。

もしかして単位を取得されたのか。それにしても今でも論文に明け暮れておられる。

錆びついた頭に喝を入れてもらうためにも今日は勇気を出して出席しよう。

以下は吉行の本からの抜粋。

「おしゃれ」
※私の勝手な自負を申せば、以前はキラキラさせることで元気な自分をアピールしていたが、今はその必要はなく、「私の中味はキラキラを失っていません、だから着るものは目立たせなくていいのです。と、言っているつもりです。心の中はいつもキラキラしていなくては。60p

「旅は元気の素」
※「旅」は必要欠くべからざるもの、です。私の心の扉が次々と開いていきます。こんなところにも扉があったのかと、自分の体内なのに気が付かない、それを知らせてくれるのが旅。知らないことを知る、見たことのないものを見る、景色も人の顔も、驚くことが多く、その驚きこそ、元気の素。78p

※すべてのこだわりから解放されて過ごす時間、これが大切です。そして、空っぽになって帰国して、また新たに現実生活をはじめる。…新しく積もった垢は、また掃除しに行く、それが私の一人旅です。84p

「母と旅する」
※ある年、いつものように年の終わりに1年のアカを洗い流そうと、ちょっとメキシコに行ってくるからね、と母に報告すると、「私も行く!」と突然言われてしまいました。母のあぐりはそのとき九十一歳、もうびっくり。しかしその目には希望がいっぱい、大冒険に出かえる前のように、メラメラと輝きが溢れています。一緒に行く友人たちに話したところ、若者もいるし、フォロー出来るからいいんじゃない、との返事。…出発前日から、ヘルペス(帯状疱疹)になってしまいました。それも半端ではありません。首から上半身半分がブツブツです。しかし、もう行くっきゃありません。…ユカタン半島にあるピラミッドの階段に腰かけて、空を見上げている母の顔を見たとき、こんな明るい笑顔は今まで見たことがなかったな、来てよかったと思いました。…その後は旅の楽しさを知ってしまった母と一緒に、ネパール、中国、台湾、イタリアのトスカーナと海外旅行は続きました。…二〇一一年の七月で母は百四歳。九十九歳で転んでからは歩けなくなり、残念無念!と悔しがっています。98-100p

2014年11月7日金曜日

今朝のあさイチ

今朝のNHKのあさイチはヴァイオリニストの古沢巌がプレミアムゲスト。先日のブログでこれを知る。

テレビはほとんど見ない。それでも今朝はゲストの登場までじっとテレビの前で待つ。プロフィール紹介もブログに由っているという。

どういってもやっぱり古沢の弾くヴァイオリンはいい!、

習っているフルートの人から放送中、お知らせメールが入る。古沢のファンはフルート仲間だけでも先生を入れて3人いる。

おとといランチを食べた近所の人も先月、廿日市の演奏会に出かけている。ファンクラブに入っている人に誘われて出かけたらしい。周りを見ると結構ファンがいる。廿日市の演奏会は行かれなかったけれど、市内での演奏会も開催してほしいもの。

朝からテレビに夢中になるとあっという間にお昼になる。

昨日は1週間ぶりにプールで泳ぐ。涼しくなるとプールの中も人が少なくなる。水中歩行はともかく、泳ぐ人のなんと少ないことか。

歩く人の横で一人背泳ぎで泳ぐ。ゆったりした気分に浸って泳ぐ。気分爽快!

泳いだ後は何でもできそうな気持になる。これは若いころにはなかったこと。泳ぎだして気づいた。

受付の掲示板を見るとフラダンスの入会勧誘のポスターがある。今関心があるフラダンス。だが、毎週となると遠すぎる。先日人に誘われた場所はもっと遠い。

我が家の近くの区民文化センターも募集している。年末も近づく。始めるには来春…と思ったりする。だが、すぐやらないと気力も薄れそう。

関心があるからかやたらと募集や勧誘に目が行く。これは不思議。

親がいなくなっていろんなことに目が向く。何もかもいっぺんにやると楽しみも薄れそう。ボチボチと一つずつを長く続ける方がいいかもしれない!

今日も元気で!

2014年11月6日木曜日

レモンは24個実った!

今朝のFMはサラーム海上の「音楽遊覧飛行 -エキゾチッククルーズ- ~ダンスの音楽~」。異国情緒あふれるイスラームの音楽が聞こえる。

いつも見ている人のツイッターからはイタリアの旅の模様が伝わってくる。朝からまるで旅に出たよう。

話は変わって我が家のレモン。結果は24個実る。ふと夜になって妹に電話する。レモンの話をすると故郷の味を味わいたいとのこと。買うほうが安くつくけど、今朝送ることにした。

母もいなくなって妹とも話す機会もあまりない、妹なので当然互いに小さい頃のことを知っている。ちょっと姉さん面をして、水泳と日本画の話をする。信じてもらえないようだけど、先日の絵ハガキにしたさくらんぼとりんごの2枚も入れて送る。

昨日は近くに住む友達とお昼を食べる。家の周りにはしゃれたお店はない。近くのビジネスホテル内のお店に行く。街中とは比べられないほど不味い。しばらく話した後、外へ出ると近くの人と出会う。ずっと同じ町に住んでいる。顔見知りは多い。しばし立ち話。

モノの本によるとこういった何気ないお話が一番の認知症予防とか。その意味ではずっと住み続けることもいいことかもしれない。

先日、さっちゃん(徳島県のさっちゃんのブログの人)は住まいを転居してホームへ行かれた。3日くらい前から再度毎日絵を描かれてブログにアップされている。

10日くらいばたばたされていたのか古い絵をアップされていた。描かれた日付が書いてあるのでいつ描いた絵かがわかる。やっと落ち着かれたのだろう。人ごとながらホッとする。

今朝の地元紙。カープの大瀬良投手が食事に行った際、お店で出会ったおばちゃんの投書がある。投手と気づいたおばちゃんたちが一緒に記念写真に納まったお話。読んでいて微笑ましい。

今年の秋は例年になく、カープにのぼせている。若鯉たちのツイッターとブログにはまる。リアルタイムで悪ふざけをしている様子が伝わる。その中に入ってツイッターをしてみたくなる。だが今のところその勇気がない。

世の中、携帯やスマホなどいろいろと非難もある。しかし、ナニゴトも悪いことだけではなくいい面もある。とはいってもこの年齢になってもこうやってはまることを思えば若い人がのめりこむ気持ちもわかる。楽しいことはどういっても楽しい。

こうやって今日も1日が始まる。だいぶのども良くなったので午後から泳ぎに行こう!元気を出さないといけない!頑張れ!

2014年11月5日水曜日

フルート&展覧会へ

真っ青い空。気持ちいい秋の一日が始まる。

会場は市内のど真ん中、日本画の小品展に出かける。受付を目指して歩いていると、立ち上がって名前を言われる。誰?と思って近づくがわからない。

失礼とはわかっていても背に腹は代えられず。マスクを取って?とお願いしてお顔拝見。それでもわからず。名札を見せてもらうと聞いたことがある名前だった。

ついには眼鏡もはずしてもらう。やっとわかった!

春ごろ誘われて2度ほどゲストで出かけたある会合。その円卓で同じ席の人だった。その人は10数回、県美展に入選とか。展覧会でいただくパンフに掲載される名前。名前だけは見覚えがあった。

その会への入会を勧められる。だが、会はハイソな世界。自分の身の丈に合わず、入会しなくて申し訳ない。

それにしても人の顔をおぼえていない。昨日は本当に失礼してしまった。しかし、ひとたび顔を覚えると打ち解けて話も弾む。

どこへ行ってもよく人に出会う。これには我ながら驚いてしまう。というかどんな世界も狭い!?日本画の世界も本当に狭い!

気分を変えてフルートのレッスンに行く。K.331の一番の難所をさらっている。この箇所まで最初からピアノと合わせる。少々というかかなり変。何とか曲の感じはつかめたけど、さらに曲は続く。

今日からその個所の練習が始まる。そういえば、先週、AISレバーを教えていただく。ソノリテのあと吹いている練習の中にAISレバーを使う箇所がある。

フルートのメカニズムがわかっていない。なぜこのレバーがあるのかやっと知る。

なんでも必要だからついている。そう思って妙に感心してしまった。

いいお天気が続く。今日も元気を出して外に飛び出そう!

2014年11月4日火曜日

「人生は、夢だらけ」

昨夜から今朝にかけての冷え込みは今季一番?エアコンの登場となる。

起床後は一日中、日が差し込む南東の部屋に移動。ここで過ごす時間が多くなった。昨日は泳ぎをやめてトルコキキョウに挑む。

モチーフの配置も家では自分で考える。真正面に花弁があると描くのも大変。少し斜めにして描いていく。けっこう絵に集中する。これは自分でも驚き。黙々と描く。

色付けは色鉛筆。スケッチブックはF6。その中の1枚を家に持って帰る。描いたものがぐじゃぐじゃにならないようケースを買おうとする。だが、F6は大きくて入りそうなものがない。仕方なく、大きなカレンダーを使ってそれが入る紙袋を作成。絵はこれで持ち運ぼう。

描き終えると大仕事をした感じがする。だが、2,3時間の座った作業は運動不足になりそう。描き終えると自転車で外へ飛び出す。

飛び出せば人に出会う。犬を散歩中の近所の人と出会って立ち話。一人っ子、と突然の言葉を浴びせられる。またも言われた!と思わずその人と話す。

姉妹ばかりで甥は一人で後は全員姪。その子供たちも女の子が多い、と話す。相手の人は「そう聞いて安心した!」。

将来はどうするんだろう、と思われたようだ。人からの言葉に敏感に反応。これは昔から変わっていない。何を言われてもいい、と思えるようにならないといけない。

話は変わって今朝の朝刊。日本郵政の広告。紙面一面に「人生は、夢だらけ」「つまらない日はあっても、つまらない人生は、きっとない」。

これはいい!誰のキャッチコピーか、うまく言い当てている。とくに「つまらない日はあっても、つまらない人生は、きっとない」がいい。

人からどうみられてもすべては自分の人生、”MY WAY ”。人の言葉に惑わされず…。

今週末と来週末はそれぞれ別の研究会に出席。楽しみが待っている。人生楽しく、そして今日も楽しく!午後はフルートのレッスンへ。

2014年11月3日月曜日

「彫刻と印象主義」

秋の行楽シーズン真っ盛り。昨日から広島駅の構内連絡通路も半分ほどリニューアル。ようもないのに新幹線方面の連絡通路を通ってみる。これまでなかったお店が通路に開店。以前より少しは都会の雰囲気が漂う。

駅を挟んで北も南もビルの工事だらけ。数十階のビルも建設中。あと1年余りすれば広島の玄関口も様変わり間違いなし。

先を楽しむのはいいこと。だが、そのころの年齢を考えるとぞっとする。やっぱり今だけを楽しもう。

県立美術館で開催された美術館友の会主催の講演会。「彫刻と印象主義」と題され、フランス国立ロダン美術館館長カトリーヌ・シュヴィヨ女史の特別講演会に行く。当然通訳を介しての話である。

講演は主に“ロダンの友人たち”、”ロダンの彫刻は印象主義といえるか”の2点。

ロダンの活躍時期は印象主義と重なる。1889年、ロダンとモネはパリで2人展を開催。2人には共通点があった。ともに1840年生まれ。友人のネットワークも共通。日本の浮世絵を好む。美に対する考え方も「自然」「風景」の感覚を持ち合わせる。

この自然と風景は「生命」に対するパッションだった。

モネは移ろいゆく「光」に焦点を合わせ、ロダンは「魂」を通して生命観を表現。

2人の共通点は「生命に対する愛」だった。

次は彫刻と印象主義の関連についての話。

印象主義には彫刻家はいなかった。ただ彫刻もやる作家としてはドガがいた。彫刻と印象主義がくっつきだすのは1890年。ロダンとイタリアのロッソ。

ロッソの手法は絵画の印象主義に近く、移ろいゆくものを作品として固定しようと試みた。ロッソはロダンと比べて小品が多い。

絵画における印象主義は自然主義を徹底させたもの、動きやスピードは筆の運びが早い、ぼやっとした感じ、作品を見る鑑賞者が自然を呼び戻す、ことにある。

ロッソの彫刻は三次元から二次元になっていき、たったひとつの視点である表面からまるで絵を見るように作られている。そのためかロッソの彫刻はレリーフを想像するようになる。批評家はそれに対して彫刻ではなく絵画的になっていったという。

これはロッソの彫刻の「死」を意味する。ロッソは1905年、彫刻づくりをやめる。

1898年ロダンとロッソの論争が始まる。ロッソの作品は光に溶け合い、ロダンのそれは光に抗した。

ロッソの光はかたちをなすものでロダンの光は構造をなした。ロダンの「考える人」は筋肉が力強く、魂の在り方を表現。表現はエクスプレッション。その中心にあるのは人間の魂そのもの。これは印象(インプレッション)ではない。

ロダンは「歩く男」で頭や腕がない作品を完成させる。ここにも全体がそろったものよりも欠けた方が表現が優れていると感じた。歩くには足だけあればよく頭も腕もいらないという。

以上は講演を聞いてメモ書きしたもの。違っているかもしれない。

今日の水泳はただいま躊躇中。ちょっと風邪気味。♪遊びに行きたし傘はなし…♪の心境。

それにしても若鯉のツイッターが面白い!今一歩ののどの調子。今日は家でおとなしくしよう!

2014年11月2日日曜日

トルコキキョウを描く

実りの秋となった。その代表格のさつまいも。昨日は日本画教室の人から沢山いただく。段ボール箱で持ってこられて皆に分けてもらう。

街中にあるお家なのに広々とした梅林もある。その脇で花壇や畑もある。いつもいただくばかり。ありがたい!

家と畑の管理で忙しいはずなのに、教室に手作りのおやつまで持ってきてくださる。しばし、絵を中断してティータイム。

絵といえば前回からトルコキキョウを描く。今のところ、毎回トルコキキョウを描く予定。昨日も家の近くで買った八重のトルコキキョウを持参。途中、教室の人に出会う。

その人は日本画15年のキャリア。モチーフとなるトルコキキョウを見て八重は難しいと話される。教室に着くまでにある、花屋さんに立ち寄る。前回と同じ種類のトルコキキョウがあった。だが1本600円余りする。高い!難しくても八重のものでいい、と思って買わずに教室へ。

先生と相談して持参した八重のトルコキキョウに挑戦。モチーフの配置を先生にお願いして描き始める。

これが何と、割合スイスイとスケッチできる。前回は一重の花びらに上方にだけ紫が入っていた。今回は八重で花弁の先がピンクになっている。

色付けは色鉛筆。前回は教室の安い色鉛筆を使用。昨日は家から持参した色鉛筆を使う。弘法筆を選ばず。しかし、まだ卵の身。道具でその善し悪しが決まりそう。

前回よりうまく描けた!それも先生の手を借りずに…。ただ、花びらの色付けで色鉛筆を選んでいただく。そして葉っぱに濃淡をつけるよう教わる。

前回の絵と比べると自分としては上出来。こうなると豚もおだてりゃ木に上る、になる。

先生曰く「満足でしょう?」。「トルコキキョウ博士で行きましょう?」と思わず口から出る始末。

小枝の付いた柿を本画にする予定を変更して、しばらくトルコキキョウを、と先生。一つのモチーフを画きつづけるのも楽しいかもしれない。

本来ならばトルコキキョウでなく日本の桔梗がいい。だが、これはあまり市販されてなくて残念。

今回描いたのは持参したものの半分。残り半分を家で描くようにと先生に促される。

先日、家で葉っぱの付いたレモン、そして柿とミカンをモチーフにした2枚を小さなスケッチブックに描いた。これを昨日は持参して先生に見ていただく。色付けはもっと薄くても…と。やっと絵を描く楽しみが湧いてきた。

教室でそう話すと、1年先輩の人から安心した、と言われる。どうも長続きしないように思われたらしい。

これで新人2人で習っていけると話される。絵を誘ってくれた人も先日、先生が絵を続けるようで安心されていたと教えてくれた。いずれにしてもありがたい!

それにしても気合が入っていない風に見られやすい。もっと顔にきつい表情が出るとそう思われないのだろうか。以前、姪にこのことを話すときつい表情が出なくてもいい、何にもできなく見えてもそのほうがいいと慰められたことがある。

こればかりは仕方ない!逆にみられるほうがしんどいかもしれない。まあ、どう思われてもいい。頑張ろう!

2014年11月1日土曜日

♪若草の丘♯

今朝のFMはゴンチチのMCで「世界の快適音楽セレクション -ストップの音楽-」。パソコンに向かいながら懐かしいというかすがすがしい歌声を耳にする。誰の歌だろう、と思い、らじる&らじるで調べる。本間千代子の♪若草の丘♯だった。だった、といっても知っているようで知っていない曲。年齢的には少し上の人だが同時代を生きている。歌っている年代は10代だろう。歌声も若い!

10代といえば中、高校生。あのころは今、思い出しても楽しい時代だった。とはいっても今、一番気楽に楽しく過ごしている。その次は高校生時代が楽しかった。課外活動も張り切ってやっていた。ところがなぜか何もしないように見られやすい。これもまあ、今となってはどうでもいいことだけど…。

中学は英語クラブ、高校は琴の同好会に入っていた。英語といえば高校3年間、英語の先生にのぼせていた。懐かしい!英語はよく頑張った。ここでもやっぱり運動とは無縁。本当はお琴よりも西洋楽器にあこがれた。マンドリンクラブ全盛の時代。何も楽器を触った経験がなく、そのクラブに入部する勇気がなかった。この時の気持ちは後々まで引きずる。

そのためか、年齢を経るにつれてやりたかったことやできなかったことをするようになった。これも今となってはよかったのかもしれない。まだ人生は長い。これからやっても十分に間に合う。そう思って毎日過ごしている。

今日は午後から日本画教室へ。2,3日、のどの調子が悪くて家にくすぶっていた。やっぱり外がいい、今日は元気を出して外へ出よう!

それにしてもこの曲、何度聞いてもいい。セーラー服の時代を思い起こさせてくれる。そして懐かしさがこみ上げる!