2015年9月30日水曜日

日本画展始まる

今日から所属する会の日本画展が始まる。今朝は絵を搬入する日。とはいっても絵は業者任せで展示もすべて業者任せ。業者は額などを売っている画材屋さん。額が高いのもうなづける。午前中、会場の準備をして正午から展示会は始まる。

昨日フルートのレッスンに行く前、ふと頭をよぎる。一昨日見た新聞記事の講演会記事。再度見ると今日午後からとある。インドネシアの旅でお坊さんから聞いた愛知県の偉い尼僧さん。これも何かのご縁と思い、講演会参加を申し込む。そして尼僧さんについて話してくださったお坊さんに聞きに行く旨、メールで報告。その返事は「たいへん素晴らしい方です」。

次はフルート。発表会のソロの曲、初見で吹けたので気を楽にしていた。ところがナニゴトもうまくなるには上がある。少しずつさらってもらって何とかなりそう。と思ったのはいいが、やっぱり心配。失敗するのは仕方ない。それでも納得した吹き方でそうなるならそれも仕方ない!?

今日も忙しく始まる。さあ出発!今日も元気で!

2015年9月29日火曜日

「民族と出会うのでなく一人の人間と出会うのです」

新聞を読んでいてふと頭をよぎるものがある。それは30数年以上前に新聞で読んだ記事。島根県のお年寄りだった。ホームに入っても自分に関心があることをされている。それが何かは忘れたが、机に向かう年老いた男性の姿が掲載されていた。この記事を読んでこういう人になりたいと思った。

その記事を探すため、2階に上がる。今はブログで気に入った記事などは保存している。当時はパソコンはなかった。気に入った記事は大学ノートに書いていた。ノートの最初の記事は植村直己の『青春を山に賭けて』。青色インクの万年筆で1978年12月に書いている。それを見ているとほかのファイルに目が行く。

「民族と出会うのでなく一人の人間と出会うのです」

ノート5枚にいろんなことを書いてホッチキスで止めている。この言葉、2002年に書き留めたものだろう。ノートには「試験場で論文を書くとき」と頭にある。入試を受けるにあたって書き留めている。先ほどの老人の記事は探さずに、このノートに目が行く。

この「民族と…」の言葉、忘れていた感情がよみがえる。やっぱりこの言葉は凄い!文化人類学の先生の言葉だけある。

「知力も体力の一つである。きたえることによって活性化し、快適になる。楽しい人生が送れる。」

今朝見たこの5ページのノート。受験に際して必要と思われることを書いている。先の老人の記事の内容も多分こういったことだろう。

感動した文章が色々なことへと広がりを見せる。ナニゴトも強く感銘を受けるとその思いは通じていく!

朝からいろんなことに想いを馳せる。後でゆっくりと記事をみよう。

とはいっても今週は日本画展とフルートで頭がいっぱい。

昨日は合唱の練習日。時間が変更となって出席率も良くない。再来月、2曲人前での合唱がある。うち1曲の出来が良くない。先生は「この曲は止めて…」と言われる始末。最前列に陣取っていたので「来週は歌のエースも来ますから…」と言って何とかその場は収まる。

合唱の人が某場所で習っているという水彩画教室に一緒に出掛ける。日本画展の案内を配ってもらったのが良くなかったのだろうか。そこの先生は「日本画はきらいじゃ!」といきなりのお言葉。先生ともあろうもののこの物言い、びっくり!

人それぞれ、多様性の時代。何を言われても結構。こういう先生に習わなくてよかった、との思いでそこを去る。習っている人たちはいい人なのに…。

気を取り直して今日はフルートのレッスンへ。元気を出そう!

2015年9月28日月曜日

神秘のボロブドゥール遺跡とバリ6日間の旅

愛知県に高名な曹洞宗の尼僧がいらっしゃるとのお話をインドネシアの旅で知る。今朝の地元紙を読むと広島で講演会があるとの記事。旅の間中、同行のお坊様からこの尼僧の下で修業するようにと言われていた。もちろん、その気はない。だが、どんな人なのか会ってお話を聞いて見たい気もする。ナニゴトも自分に関心があることは目に入るもの。今朝も記事を見てそう思う。

夏も終わりと思ったらまだまだ暑い日が続く。昨日も暑かった。お昼を済ませると自転車に乗ってプールへ行く。人が少ない。これからこの時刻に泳ぎに行くようにしよう。昨日は少々お疲れ気味なので15往復泳ぐ。以下は先日出かけたインドネシアの旅。ブログにアップしよう。

2015年8月21日から26日まで神秘のボロブドゥール遺跡とバリ6日間の旅をした。旅の参加者は10名。2年半前に出かけたスリランカの旅。そこで知り合った3人のお坊様。その頃は母を亡くして丸2年。まだ寂しさも残る中、一人でスリランカの旅に参加した。長い道中、機内で隣になったのは永平寺で修業された曹洞宗のお坊様たち。そのご縁で今回の旅に誘われる。

博多駅近くのホテルに前泊し、宮崎と長崎のお坊様と夕飯をいただく。大きく盛られたお刺身他、和食が並ぶ。お坊様はひれ酒、私はビールで乾杯。旅の楽しい前夜祭となった。

今回の旅の行き先はインドネシア。外国を旅すると、特にアジアの旅では先の戦争の話題が現地のガイドの口から出てくる。インドネシアはオランダの植民地。そして日本も統治していた。他にもイギリスも絡んでいる。この3国の関係を調べることが旅の課題として残る。しかし、インドネシアの現地ガイドは「昔は昔、今は今」と現在の親日ぶりをアピールする。

行きと帰りにトランジットで立ち寄ったシンガポール。この国も同じだった。長崎のお坊様と旅の前夜、博多で再会。シンガポールの観光は一人取りやめて「からゆきさん」の墓地に参ると話される。この話は本で読んで知っていても遠い世界のことだと思っていた。

8月21日金曜日 小雨

福岡空港国際線ロビーへお坊様と3人でタクシーで出かける。ここで小倉のお坊様と合流。集合場所に向かうと添乗員へのあいさつが親しすぎる。「ご存じ?」と聞くと初対面の様子。ここから旅の珍道中が始まる。なんといっても今回はお坊様3名と一緒にする旅。心強い。

10時 シンガポール・エアラインで福岡空港を離陸し、6時間半の空の旅。シンガポール航空は顧客満足度ナンバーワンと言われている航空会社。確かにそうだった。機内での隣の席は小倉のお坊様。10名の参加者のうち、6名はどこの席かわからない。添乗員に教えてもらうと、お坊様は日本人CAに名刺を渡す。さらに名刺を一人参加の女性に渡すようにとCAに託ける。

お坊様「君、何歳?」、CA「18です!」。この応答の早いこと。これだけでもCAのノリの良さが伝わる。楽しい旅物語はここから始まった。詳しくは書けそうにない。それからというもの、旅の終わるその時までお坊様の口から出るのはCAの「〇〇ちゃん」、「〇〇ちゃん」。機内サービスのなんという行き届き方。飲み物を何杯注文され続けただろう。お客の横に膝まづいて…。最後には…。私までお坊様のおこぼれにあずかる。

15時25分(以下現地時間表記) シンガポール・チャンギ空港着。トランジット後、18時20分、インドネシアのバリ島にあるデンパサールへ向け離陸。デンパサールに入国時、米ドル35$の査証取得代が必要。黙って通り過ぎると後が怖いらしい。

空港内の光景はこの世とは思えないほどの黄金色の柱が林立する。日本との時差は1時間遅れ。バスに乗車してホテルへ。車内で現地ガイドから各自5千円をインドネシアの通貨ルピアと両替する。5千円=535000ルピア。1円=100ルピアで換算。大きな単位でもベトナム同様お札が数枚入っているだけ。当夜の枕銭は10000ルピアor1$。

21時30分にデンパサールの空港着。ホテル到着時刻はさらに遅い。毎夜遅くまで観光が続く。また朝も早い。グランドニッコーバリ ホテルに宿泊。

8月22日土曜日 晴れ 涼しくて快適

たった1本だけ持参したボールペン。調子が悪い。ホテル内のボールペンを拝借と思っていたら鉛筆しかない。朝食後、ケーキの店でボールペンがほしい旨、英語で話すとないとのこと。代わりに鉛筆をもらう。他にもメモ用紙までいただく。有難かった。ここで旅の教訓その①筆記用具の予備を持参すること。

朝食に行こうとすると猿が廊下の欄干を走り回る。廊下も迷路のようになっていて目的地のレストランまでたどり着けない。宿泊客に聞いても言葉が通じない。ホテルの最上階が1階でロビーとなっている。地下といっても建物は下にもぐっているのでなく、外の光景は見える。斜面を利用した建て方だろう。インドネシアの他の都市のホテルも似たような構造だった。

8時 観光に行くバスに乗ると現地ガイドの頭にお米がついている。お祈りを済ませた後のお米らしい。観光初日からガイドはインドネシアがオランダに統治され、日本もしていたと話す。しかし、「昔は昔、今は今」と話して日本人には好意的と思えた。アジアのどこへ出かけても「戦争」の話が付きまとう。

バリ島にある都市、デンパサール。この地名は「北(デン)の市場(パサール)」の意とか。ルピアを小銭に替えるためコンビニに立ち寄る。ボールペンを探すと売っている。45000ルピア=45円。これでメモができると一安心する。車窓から見えるマングローブの樹は津波の予防。サンドビーチでは凧揚げ大会が開催されるらしく、行きかう車には大きな凧揚げのたこが積まれている。その車が何台も行きかう。

ガイドから聞くデンパサールの話。街の至る所に色とりどりのプーメリアが咲き誇り、大きな聖なる樹木のカジュマルの樹も見える。建物の高さはヤシの樹より高くしてはいけないとか。インドネシアの国旗は日本と同じく赤と白からなり、赤は血を、白は神聖の意を表す。

9時 チュルック村にある銀細工などのアクセサリー工場訪問。鈴のような飾り物などを売っている。バスに乗ると道には竹でできた飾り付けが立ててある。これは日本の門松のようなものらしい。しばらく行くと車窓からお葬式の列を目にする。お葬式といってもその中に亡骸はなく、多くの人の魂を集めて式を執り行うという。

10時半 ヒンズー教寺院のティルタエンプル到着。お寺に入る際、黄色やオレンジ色の布を腰に当ててもらう。これはお清めの意味だろう。内モンゴルやブータン、チベットなどで「カタ」という白い布を首にかけていただいたことがある。これと同じことかもしれない。

お葬式の列

お葬式の列

バリ島の果樹?

ティルタエンプル

日本でいうところの禊?

この辺りの水は神聖なためか使用禁止

お供え物もある

禊をする人の順番待ち?

神様の在る茅葺の建物
 この中の神様のいっらしゃる建物は茅葺。ちなみに有料トイレは2000ルピア=20円。宮崎のお坊様はお寺の奥に入らずに、入り口付近でスケッチをされていた。
建物の白黒はおめでたい色とか

綺麗なお水

ヒンズー教の僧侶の儀式

祈祷する人々
お寺を後にして市場を通り抜ける。この時、「千円、千円!」があちこちから聞こえてくる。しかし、何を言っても「NO!」と言うように現地ガイドから教えられる。もしもつかまって店の中に入ると高い値段を吹っかけられて買うまで外へ出してくれないらしい。ここで皆さん、売りつけられると「NO!」を連発。これもよく考えると本当に可笑しい。

今回の旅では卑猥な言葉も幾度となく出る。リンガヨニ。そしてキンタマーニ高原とその傍の湖であるキンタマーニ湖。どんより日和だった。しかし、山はくっきりと見えた。この山をガラス越しに眺めながらバイキングのお昼をいただく。バナナのてんぷらや焼き鳥などがある。バナナのてんぷらは初めて食べる。天ぷらは日本のものと思っていた。キンタマーニも日本人が作った言葉と現地ガイドは話す。もしかして天ぷらもそう?

食べ終えるとレストランの従業員もそばに来て日本語で山の名を告げては笑い転げる。これも日本インドネシア(日尼)文化交流!?道中にはミカンが鈴なりに実っている。独特なやり方で山のようにして店頭に並ぶ。手にするミカンは小さくて種もある。だが味が濃くて美味。ミカンはお坊さん価格になるという。
キンタマーニ高原(バトゥール山)とキンタマーニ湖(バトゥール湖)

舗道にはプーメリアの花が描かれている

お昼を済ませると30分ほどバスに乗って、テガガランにあるライステラス(棚田)を見に行く。スバックというバリ島で見られる伝統的な水利組合のシステム。2012年、バリ島で初めての世界遺産登録。お米は年に3回収穫。棚田の中を見ると穴が開いている。この穴は雷を避けるためにあり、雷が鳴り響くとそこに入るらしい。
スバックを利用したライステラス(棚田) ところどころある穴は雷よけ

観光客向けのデモンストレーション?
小倉のお坊様は天秤竿を下げている爺様からヤシで作ったまだ青い帽子を購入。この爺様が被っている帽子は日に焼けて黄色い。30000ルピアで日本円にすると300円。爺様をモデルにして写真を写す。この時チップとして有料トイレでお釣りにもらった持てぬほど汚い1000ルピアを渡す。これで帽子が欲しいと思われたらしくチップと話すと喜ばれた。一躍時の人になった感じの爺様。絵になるような人だった。だが描きたくてもまだ絵の素養がそこまでない。

バスで移動して14時 ウブド市場到着。ここに来たのはいいが駐車場がないのかどこも単車やバイクの山。危なくて一人では歩けない。20分ほど皆でぞろぞろ市場内を散策して、ウブド王宮へ歩いて移動する。この時ばかりは人いきれと車の洪水で蒸し暑く感じる。しばし、アイスクリーム店で休憩。広東省から来ている中国人の団体もいた。観光客は中国人が一番多いらしい。

同行者の一人は水槽に足をつけてフットマッサージを始める。写真に撮ったけれども、黒い魚が足に絡みつくさまが不気味でブログアップは取りやめ。この光景は日本でもあるとのこと。でもそれは見たことがない。15分間、水槽に足を浸して日本円で300円だそうだ。他の同行者はアイスクリームを食べている。さすがにアイスクリームは食べる気がしない。それでも誰彼となく口に入れてくださる。お腹を壊さないかと心配が先に募る。だが、大丈夫だった!
ウブド市場 
15時50分 バスに乗車。通りは人と車でひどく混雑する。オートバイに乗っている人で民族衣装を着ていればヘルメットの着用をしなくていいとか。これじゃ何のためのヘルメット?これもお国の事情らしい。途中、画家の街を通り、しばらくするとバリの民家に到着。豚、鶏、ジャコネコなどが飼われている。台所などを覗くと小さいころ過ごした家の面影を感じる。日本の戦後の家と似ていた。ジャコネコはコーヒー栽培に欠かせない。これについては別にアップしよう。
バリの民家訪問

ジャコネコ
ケチャックダンスを見学前に民芸品店に40分間立ち寄る。だが誰も何も買わない。18時前に劇場に到着。到着までの通りにはプーメリアの花が咲き乱れて本当に美しい。夕日が沈むころからダンスが始まり、1時間鑑賞。ケチャクダンスは男声合唱だけの『ラーマーヤナ』のストーリーを組み込んだ観賞用の舞踊。ダンスが終わると観客は舞台に上がって一緒に写真に納まる。お坊様の一人から舞台に上がろうと誘われて私も一緒に写真に納まる。もう舞い上がってしまって本当に楽しかった。「ケチャ、ケチャ」の音が今でも耳に残っている。

このケチャの人たちは本職ではなく、半年ごとに一回、給料をもらうらしい。
ケチャックダンス鑑賞

舞台から降りて来て観客を笑わせる

フィナーレは火を使ってのダンス
20時 レストラン着。バリ舞踊を観ながら、シーフード料理の夕食をいただく。ホテル到着は21時近い。連日、朝早くから夜遅くまで観光する。ホテルは連泊でグランドニッコーバリ。
夕食はシーフード料理
8月23日日曜日 快晴

朝食後、出発までの時間を利用して連泊したホテルの周りを散策。ホテル向うに見える海沿いまで行こうとするが外に出られない。ホテルの庭にはプーメリアの花が咲き乱れ、散っている花もある。それを拾い集めて持ち帰る。だが、しおれてしまって押し花にもならない。
ホテルのお庭から海を見下ろす

海側から見えるホテルの外観

プーメリア

拾った!

色違いのプーメリア

スイレン

スイレン

スイレン
連泊したこのホテル。つくりはいいののだが、隣の音が聞こえすぎる。というのも、部屋と部屋を仕切るドアを外すと一部屋になるらしく、そこからの音がする。

8時半 バスは出発。高速道を通っているとマングローブの樹を目にする。この中に島を作る計画があるらしい。それは人工の島で、ホテルを5棟作るという。だが、この計画には賛否両論あるとか。30分ほどで珈琲工場に到着。インドネシアのコーヒーはジャコネコ珈琲。これはベトナムで初めて知った。ジャコネコが食べたコーヒー豆がそのまま糞として出てくる。これを利用したのがジャコネコ珈琲。工場一帯はコーヒーのいい香りが漂う。

ジャコネコ珈琲の値段は半端でなく高い。日本でも販売されているのだろうか。一人だけジャコネコ珈琲を買った人がいる。2杯分で2500円。ほんの少量袋に入っている。試飲するとさすがに美味!ここで珈琲豆にメスとオスがあると聞く。従業員は一粒ずつそれを見分けている。縦に線があればメスらしい。オスのほうが高級とか。日本でもオスのコーヒー豆、メスのコーヒー豆と区別して注文する人がいるのだろうか。不思議に思えた。ちなみにジャコネコ珈琲でなくいわゆる珈琲は豆アラビック、粉薬のいずれも
メスは5袋が5000円。オスは7000円。ジャコネコは先にも述べたように2杯分で2500円。高価なコーヒーをお土産として買って帰っても日本では誰もその価格と信じてもらえそうにない。というよりも貧乏人は買えない。
ジャコネコ

珈琲豆のメスとオスを見分ける従業員

珈琲のカスとなったものは絵具として代用される
工場の責任者は華人。どこもここも経営には中国系の人が陣取っている。

10時 美術館到着。乾季のこの時期、結婚式も多い。館内のお庭では赤、黄金、黄と色とりどりの衣装を身に着けて記念写真に納まる新郎新婦の姿を目にする。中には色白の人もいる。この人たちはオランダ統治時代に混血で生まれた人の血を引き、顔だちも西欧風。バリでは17歳で歯を削る儀式をするそうだ。お坊さんが執り行い、生きているうちに行う。それをせずに亡くなると亡くなったのちに行うらしい。日本の成人式に当たるのだろう。

11時 バスは出て官庁街を車窓から見学。相変わらずサンドビーチで行われる凧揚げ大会に向かう車と遭遇する。昼食は飲茶料理をいただく。その後空港へ。尚、この凧揚げ大会はバリ滞在中の土・日曜日の2日間開催された。

17時 ジョグジャカルタ空港着。ここは日本との時差は2時間遅れ。ムンドゥッ寺院 Candi Mendut(世界遺産)遺跡を中に入って見学。遺跡にはムンドゥッ寺院 Candi Mendut(世界遺産)が一つだけ残っている。ジャワ島にあるジョグジャカルタを観光中、バリ島との街の違いを目にする。それは花。バリ島は花が咲く美しい街。ところがジャワ島は花があまり見られない乾いた街に思えた。これも遺跡の街ゆえ?他にもバリ島はヒンズー教、ジャワ島はイスラム教信仰という宗教の違いもある。
 Candi Mendut(世界遺産)遺跡

ムンドゥッ寺院 Candi Mendut(世界遺産)
18時 ♪ブンガワンソロ♪でおなじみのソロ(河の意)の街を通ってフットマッサージ店へ行く。ところが40分待ちとかで、先に夕飯をいただく。インドネシア料理。ここでお坊様たちからお寺の名前に着く〇〇山についての話を聞く。「骨さん」は食えない寺院で「肉さん」は食える寺院らしい。さらに暁天座禅、侍者、兄弟、侍香などわけのわからないお話を聞いては皆で笑う。

この後、フットマッサージを全員で受けに行く。お店の中に入ると何か怪しい雰囲気。これを見てしり込みしそうになる。ところがこれもみんなで行けば怖くない!?お坊様たちは入り口でそれぞれ女性たちが付く。残り7名は奥の部屋へ。窓はなく湿ったベッド?に寝かされて足を投げ出す。従業員は全員女性。お店の入り口には女性たちの顔写真が並べてある。マッサージ店へ入るのは初めてで何か怪しい感じ。そう思ったのは私だけ?1時間かけて一人ずつマッサージを受ける。足のふくろはぎをおさえられると痛い!なんか変な気持ちでお店の外へ出る。頑張って働いている人にはこういう言い方は失礼かも…。

シェラトン・ムスティカ・ジョグジャカルタリゾート&スパに宿泊。

8月24日月曜日 快晴

午前3時に起床してボロブドゥール遺跡へ早朝の日の出を見に出かける。3時40分、バスは出発。外は真っ暗。朝早いので旅行社より簡単な菓子類を各自用意してくださる。約1時間後に到着するとバスから降り、貸してもらった懐中電灯を照らして暗闇を歩く。待つこと1時間。日の出が始まる。遺跡の周りにはいろんな国の人たちがそろって朝日を拝む。いいね、こういう光景。これを見ると争いはなぜ起きるんだろうと思ってしまう。 

遺跡の回廊を上がったり下りたりして一周する。どこから見ても壮大な景色に圧倒される。ウイキペディアによると「ボロブドゥール遺跡は、中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタの北西約42km、首都ジャカルタからは東南東約400kmに所在し、巨大なムラピ火山などの山々に囲まれた平原の中央に立地する。遺跡総面積はおよそ1.5万m2。高さはもともと42mあったが、現在は破損して33.5mになっている。」とある。また「ボロブドゥールは、その形状から世界最大級のストゥーバ(仏塔)でもある」という。ストゥーバ(仏塔)が73基、仏像は504ある。

また、「ボロブドゥール遺跡は久しく忘れ去られ密林のなかに埋もれていた。その原因については、火山の降灰によるものであるとする説、イスラム教徒による破壊をおそれて人びとが埋めたという説がある。1814年にイギリス人のトーマス・ラッフルズ(当時ジャワ総督代理)とオランダ人技師コルネリウスによって森のなかで再発見され、その一部が発掘された。」とある。

他にも「ボロブドゥール遺跡のあるジャワ島はイスラム教徒が大半を占め、仏教徒がわずかになっている。そのため、その管理は株式会社化し、イベントやアトラクションを考えて経営する遊園地化してしまっているという。しかし、ボロブドゥールは仏教徒にとって重要な意味をもつ場所でもある。数多くの仏僧や一般信者が参詣につめかけるようになり、寺院としての本来の役割を担うようになった。」という。

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡
向うの山には寝釈迦が見え、仏像は山を見つめて坐っている。
ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡の菱形の紋様

ボロブドゥール遺跡の四角い紋様のストウーバ 中は空洞

ボロブドゥール遺跡の73基のストゥーバ

ボロブドゥール遺跡

ボロブドゥール遺跡 彫刻は物語となっている
壁にはお釈迦様の一生が描いてあり、いちばん下には「因果応報」と書いてあるとか。
ボロブドゥール遺跡
遺跡見学後、遺跡内のホテルでモーニングティーと菓子とバナナの天ぷらなどの軽食をいただく。
ムンドゥッ寺院の如来倚座像
ボロブドゥール遺跡の東約3kmにあり、堂内に安置された3体の石造仏で知られるムンドゥッ寺院の如来倚座像を見学。この美しい座像はインドに向かって建っている。

8時前、見学後のバスはホテルに向かう。1時間でホテルに着くと朝食。その後2時間、ホテルで休憩。少し仮眠後、バティック工場へ。バティックは手作業のものもあれば機械化されて出来上がるものもある。バティックは更紗の意。日本でもジャワ更紗は有名。このバティック、思ったよりも高そう。それも無理はない。火を使い、仕事中の部屋の温度の高さは半端ではない。

バティックの工場

12時40分 ジョグジャカルタ名物というアヤムゴレンの昼食。フライやチキンなどがテーブルに並ぶ。同行の人は皆さんポテトチップスがお気に入り。これはジャガイモでなく自然薯のチップスだった。朝食が遅かったし、早朝から出かけているので寝不足。ほとんど口にせず。これは正解だった。何もかも脂っこすぎる。

昼食後、地元のスーパーへ。日本で見られるようなスーパーマーケット。ルピアを使い切るため金額に見合うものを手にする。

14時50分 スーパーを出て世界遺産のプランバナン寺院へ向かう。15分で遺跡到着。下調べをせずに旅に参加。壮大な遺跡を見て驚く。しかし、砂嵐のような風が吹く。あの帽子はどこへ行った、のではないが、吹き飛ぶ帽子。幸い添乗員に拾ってもらってなんとか手元に戻る。謝謝!

ウイキペディアによると「2006年5月27日に起きたジャワ島中部地震で甚大な被害を受けた。地震発生の約2か月後、インドネシア政府の要請で日本から調査団が派遣された。2007年1月から修復作業が開始され、日本の第二次調査団が同年2月に派遣、同年3月には、日本は『草の根文化無償資金協力』にてプランバナン遺跡修復専門機関のジョクジャカルタ特別州考古学局に対し、文化財修復機材を購入するための資金を供与した。2009年6月現在、チャンディ・ナンディとチャンディ・ガルーダの修復がようやく完了したのみで、全体の修復については目処すら立っていない。」とある。遺跡の至る所は今もがれきの山だった。
プランバナン寺院

プランバナン寺院

プランバナン寺院

プランバナン寺院

プランバナン寺院


プランバナン寺院

プランバナン寺院
プランバナン寺院遺跡群を1時間半見学後、いったんホテルにもどって夕飯までシャワーを浴びて休憩。2時間後、バスで移動してビュッフェの夕食をいただく。

茶色の果物はサラック
ビュッフェでいただいたおもしろい形の果物。これはサラックという名のフルーツ。別名スネークフルーツと呼ばれ、蛇の皮を纏った無花果のような果物で初めて食べる。その後、同じ建物にある劇場でラーマヤナ舞踊を鑑賞。
ラーマヤナ舞踊鑑賞
インドネシアのどこに行ってもラーマヤナの物語が付きまとう。説明書をいただくがよくわかっていない。折を見て読み返そう。ラーマヤナの舞踊劇は男性だけ?鑑賞後、ホテルに帰着。午後10時をとっくに過ぎていた。この日は3時に起床。旅の間中、朝早くから夜遅くまで連日忙しく観光する。ホテルはシェラトン・ムスティカ・ジョグジャカルタリゾート&スパに連泊。このホテル、いいホテルなのだが、ドアひとつ隔てると2部屋が一部屋となる仕組み。こちら側のドアの鍵が壊れていて、気もそぞろに寝る。ところが隣の音がはっきりと聞こえる。まるで自分の部屋に人がいるみたい。これには驚きを隠せない。

8月25日火曜日  

7時30分 ホテルを出発して空路シンガポールへ。飛行機はシルク・エア。初めて聞く航空会社で初めて乗る。所要時間2時間15分でシンガポール・チャンギ空港着。曇り空。ちなみにこのチャンギ、樹の名前だとか。だが今ではこの樹も少ししか残っていないらしい。ジョグジャカルタへの飛行機の乗り入れや出国。ここには書けないあることに気づく。添乗員は何度も乗り入れているので知っていた。だが公にはできない。私もこっそり試してみた。なんとOK 。しかし、ここでは口に出せない。意外とナニゴトも落とし穴があるものと知る。

14時20分 2012年に完成したばかりのガーデンズバイザベイに行く。人工でできたフラワーガーデン。日本だと南国の花は温室にして育てる。ところが南国では温室でなくエアコン頼み。天然資源に乏しい国のせめてもの観光資源となるのか。いたるところ人の手が加わった観光施設が多い。

午後からシンガポール市内を観光している頃、長崎のお坊様はシンガポール市内にある「からゆきさん」の墓地をお参りされる。先の戦争の傷跡をアジアを旅する度に気付かされる。ガーデンズバイザベイを観光後、お坊様と合流。57階にある某ホテルの眼下には日本統治時代のシンガポール市内が見えてくる。

シンガポール市内でスチームボートの夕食をいただく。日本でいえば鍋料理?300人分の料理を永平寺で修業中、作られていたという3人のお坊様。具材を鍋に入れているとそうじゃない、と言って自分たちでてきぱきとされる。その時飲んだ缶ビール。何と缶そのままで出て10シンガポールドル。1シンガポールドルが100円の換算。何と缶で出て1000円。これには誰もびっくり!

何の資源もなくすべては外国からの輸入品に頼る国、シンガポール。高いのも無理はない

8月26日火曜日 

長いシンガポールの夜を空港で過ごし、空路福岡空港へ。機内では途中の機内サービスも知らないほど爆睡。目が覚めると喉が渇いて死にそうだった。CAにお水をもらおうとしてもサービス停止時刻?その後に出た機内食でやっと水分補給。生き返った心地がする。こうしてインドネシアの楽しい旅は終わった!一緒にツアーに参加した3人のお坊様、久留米のご夫妻、一人参加の熊本の男性と長崎の女性、そして博多から参加の母親と娘さん。皆さん、旅慣れた人たちで楽しい旅だった。人数も少なく、いい旅だった。感謝、感謝!
マリーナベイサイズスカイパーク 滝を模して

南国の花もエアコンの中で咲いている 



マリーナベイサイズスカイパーク内の空中回廊を歩く




マリーナベイサイズスカイパーク内の空中回廊を歩く 高所恐怖症の人は無理!?

ビクトリアシアター

マーライオン公園 向うに見えるはマリーナベイサイズスカイパーク