2021年11月13日土曜日

『新史太閤記』(下)

 今日中には『新装版 播磨灘物語』の(二)を読み終えそうだ。これは黒田官兵衛の物語で計4巻ある。残る2巻は今年中に読めれば、と思ったりする。というのもコロナ禍の勢いが衰えて家にいるよりも外に気を向けるようになった。そのため本を読む速度がかなり遅くなる。来週初めには久々に行楽の秋を満喫しに外に出る予定。何はともあれ、家にばかり閉じこもらず外に出かけるのは健康にもいい。

 大分前に読んだ『新史太閤記』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年八十八刷)。またいつものように気になる箇所をメモしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★おれは神を信ぜぬ――ということであった。なぜならばおれ自身が神ではないか。そういう論理での理解であった。神である証拠に地上の乱をこのように均しつつあるし、そのうえ藤吉郎の原理のなかに、どうやら愛に似たものが動いているようであった。いや、愛そのものであった。いや、愛そのものであるかもしれない。――官兵衛はよいことをいう。とおもったのは、その愛を意識的にもてばこの国を統一するもっとも大きなエネルギーになりうるのではないか。敵にさえ愛をあたえ、恨みを買わねば天下の人心は翕然(きゅうぜん)としてこの藤吉郎にあつまるのではないか。(48p)

★「古の頼朝も義経も、みな貴種の出だ。うまれながらにして武門の棟梁であった。おれをみよ。前身は尾張中村の草取り童である。御当家にあっては御草履をとる小者から身をおこした。こういう男は、唐天竺にもいまい」われながらたいしたものだとおもった。(49-50p)

★秀吉はこの種の――なんというべきか、人をおおぜい集めてやる催し(たとえていえば、のちにかれがやって後世まで語り草になった北野の大茶会や後陽成天皇の聚楽第行幸、肥前名護屋における仮装園遊会、醍醐の花見といったような)、そういうものを企画するだけでも血がわき頬がゆるむような気分になる。この信長の葬儀は、そういうことのすきなこの男の生涯における最初のそれであったであろう。「日本はじまって以来の大葬儀にするのだ」と、秀吉はいった。事実――かれがやった͡͡この葬儀の記録は、それ以前はおろか、その後もやぶられていない。(225-226p)

★ちなみに、この長浜城の城主は豊臣時代にあっては山内一豊、次いで関ヶ原ののち家康の家来の内藤信成がそれぞれ城主になり、大坂夏の陣ののちに廃城になったが、町民は秀吉を忘れず、彼の在世当時だけでなく徳川時代を通じてひそかに秀吉を追慕しつづけ、神として祀りつづけた。もっとも幕府に遠慮してその神社は表むきえびす神社であるとしていたが、祭神は秀吉であった。明治以後ようやくこの祭神を表に出し、社名も豊国神社とした。(261p)

★いままで、秀吉の意識や行動や才能をさえも束縛していた「織田家」というものが勝家の死によってかれの頭上からまったく取りはらわれた。秀吉は彼のおもうままにその政略をおこなえばよく、たれに遠慮することもなくなった。からをぬいだ蝉のように自分のその翅で自由に飛翔すればよく、すべてが自由になった。(372p)

★「参州(家康)という人は、右大臣家の死後、お人が変わられたようだ」といった。そのとおりであった。秀吉の家康観をあらためさせたのは、あの好人物であるはずの男が体のどこかにそれを蔵(しま)いかくしていたのか、人としての凄みをみせはじめていることであった。(424p) 

★―ーあの男は、人を殺さない。というところにあるであろう。降服する敵将に対しては必ず優遇した。家康もいまその気になればさっさと兵を退いて降服してしまえば秀吉はかならず赦す。赦すどころか場合によっては現在の所領以上のものをくれる場合すらありうるのである。秀吉はいわば、大網をどっと海中に打ち入れた漁夫であろう。家康は、海で泳いでいるつもりでも、実は大網の中で激しくひれを動かしている魚にすぎず、魚は網のなかでできるだけ抵抗しようとしているが、いずれは上へあげられるであろう。あげられたところでその漁師は魚を殺さぬのではないかという漁師の心への奇妙な見すかしが魚自身にある。(463p)

★この時期、三河守家康の主題は戦闘であっても、秀吉の芸の主題は戦闘ではなかった。統一であった。「天下統一」というこの事業の華麗さはどうであろう。厳密な意味で日本列島は太古以来、一度も統一されたことがないといっていいであろう。鎌倉幕府も足利幕府もこの点で性格はあいまいであり、内実は多分に地方割拠であるといっていい。秀吉はすでに日本中の経済を一つにしようという、この国の歴史はじまって以来の事業にとりかかっていた。(482p)

★――三河の百姓。と、秀吉はひそかに家康の性格をそうおもっていたが、その言い方を借りるならばこの男は「尾張の商人」であろう。かれは、――土地は大名。富はおれ。と、明快に割りきり、その富を土台にしてこの大政権を築きあげようとしていた。(504p)                                                                                                                                                                                                                                          

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