2019年4月30日火曜日

『竜馬がゆく』(6)

 2日以上降り続いた雨もやっと上がった。今日から県立美術館で広島県日本画協会の日本画展が始まる。創立50周年らしい。だが、すっきりしないお天気なので絵を見るのは先延ばしになりそうだ。プールへも行きたいが、今一歩泳ぐ元気がない。お天気が安定する明後日、プールに出かけて明日、絵を見に行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『竜馬がゆく』(6)(司馬遼太郎 文藝春秋、2003年新装版第11刷)から気になる個所の抜粋。

★竜馬の理想は、幕府をたおすということでは西郷と一致している。次の政体は天皇を中心にする、ということでも一致している。しかし、西郷の革命像は、天皇を中心とした諸藩主の合議制であった。むろんその下に士農工商という階級がつく、温存される。
 竜馬はちがっている。天皇のもとにいっさいの階級を雲散霧消させることであった。大名も消す、公卿も消す、武士も消す、いっさいの日本人を平等にする、ということであった。こういう思想はもっとも先鋭な勤王志士たちのあいだでもおそらくはまだ受け入れられないであろう。なぜならば西郷は明治になってからでも武士の廃止に反対する薩摩士族団にかつぎあげられて明治十年の西南戦争をおこし、不幸な死をとげるにいたるのである。40p

★「人を斬ったか」
と、竜馬はきいた。
「斬らなんだ、ひとりも」
桂は答えた。この両人は、斬人斬馬ができる技倆をもちながら、人間を殺したことがないという点で一致している。どちらも、人を殺すことに堪えられない性情けのもちぬしなのであろう。93-94p

★そのうち判決があって、敦賀の町はずれの来迎寺の野原に三間四方の大穴を五カ所掘り、これに武田耕雲斎以下幹部級に二十四人をつれだし、ことごとく首を刎ねて死骸をほうりこみ、さらに……。史上まれな大虐殺といっていい。
「そうだったのか」、と竜馬は聞きおわってから、終日食事を断ち、ものもいわなかった。この残虐きわまる徳川幕府を、そのままにしておいてよいものか、どうか。104p

★……日本における最大の浪人結社はふたつある。
のちに「海援隊」と名をあらためた竜馬のこの長崎亀山社中と、京の新選組がそれだ。亀山社中は海上運輸、貿易、私設海軍建設を目標としつつ討幕をめざしているのにひきかえ、京の新選組はあくまで白刃によるテロリズムを主目的とし、傾きかける幕威をささえようとしている。奇観といっていい。159p

★竜馬は、自分の亀山社中の下関支店にしている阿弥陀寺の大町人伊藤夘助太夫方を旅宿とした。竜馬はこの支店の名を、「自然堂」とつけた。この男は、釈迦も孔子も尊敬しなかったが、ただふたり、ふるい哲学者のなかでは老子と荘子を尊敬していた。なにごとも自然なるがよし、という老荘の思想にあやかって自然堂とつけた。198p

★「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩長藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ、西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人、薩州人なのか」
この時期の西郷と桂の本質を背骨まで突き刺したことばといっていい。237p

★桂は「皇家」と、みじかくいった。皇家とは、狭義では朝廷、天皇家という意味である。広義では「京都朝廷を中心とした新統一国家」という意味で、この当時、志士たちは「皇国」という言葉とともによく使った。ちなみに、単に日本、といえば幕府を代表政府とする現状秩序の意味である。さらに余談だが国家と、だけいえば、ふつう藩国のことを指した。238p

★竜馬は、「薩州があとに残って皇家につくすあらば、長州が幕軍の砲火にくずれ去るとも悔いはない」という桂の言葉をつたえ、「いま桂を旅宿に待たせてある。さればすぐこれへよび、薩長連合の締盟をとげていただこう」竜馬はそれだけを言い、あとは射るように西郷を見つめた。

 筆者は、このくだりのことを、大げさでなく数年考え続けてきた。 
 じつのところ、竜馬という若者を書こうと思い立ったのは、このくだりに関係があるといっていい。244-245p

★竜馬という若者は、その難事を最後の段階ではただひとりで担当した。……あとは、感情の処理だけである。……「長州が可哀そうではないか」と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。
あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。
奇妙といっていい。
これで薩長連合は成立した。246p

★(一寸先は闇だとはよく言ったもの)
竜馬は、お遍路の来る国に生まれたから、その種の陳腐な言葉を百ダースほど聞かされて育った。人生は無明長夜であると。
……
(しかし、あれだな)
竜馬は、自問自答した。
(無明長夜であるからといって、路傍に腰をおろすこともなるまい。おれは歩きつづけてゆかねばならん)282p

★「いや、長州がかっちょるのじょない。町人と百姓が侍に勝っちょるんじゃ」
そのことに竜馬は身ぶるいするほどの感動を覚えた。
たったいま、竜馬の眼前で、平民が、ながいあいだ支配階級であった武士を追い散らしているのである。
――革命はきっと成る。
という意味の感動と自信が、竜馬の胸をひたしはじめた。
「天皇のもと万民一階級」
というのが、竜馬の革命理念であった。
……そこは、土佐郷士である。417p

★その土佐郷士の先頭に立つのが、竜馬である。
 平等と自由。
 という言葉こそ竜馬は知らなかったが、その概念を強烈にもっていた。この点、おなじ革命集団でも、長州藩や薩摩藩とはちがっている。余談ながら、維新後、土佐人が自由民権運動をおこし、その牙城となり、薩長がつくった藩閥政府と明治絶対体制に反抗してゆくのは、かれらの宿命というほかない。418p

2019年4月29日月曜日

2019年のGW

 最近のダグニーさんはすっかり元気を取り戻されている。今朝見たブログには「今日、太陽は悪と善の上に輝き、それは放射春の天気でした。エレナと私はドロットニングホルムに行くとロイヤルパークで春を見ることにしました。Lindalleerna はまだ裸ですが、どこでもリベートで花がありました。彼らの中には tegelfärgade の石があって、実際にはきちんとしていた。私たちはコーヒーを飲んで、今キャッスルパークに残っている唯一の kafe で、ジャムとクリームでさわやかなワッフルを食べました。歩くと美しい天候と私の読者も発売されるが、春に会う希望を楽しみました。……」と続く。

 昨日は「ショッピング」のタイトルで、一昨日は「撮影」のタイトル。それは「今日、私は橋の建物の動きの代表によって歌に連れて行かれました。これは水路を架橋するのではなく、人間の魂の間にある架空のものです。それはファールスタの中心で行われます。このセンターでは、私は前にされていないが、それはほとんど他のセンターと同じでした。どこでも、1と別の特別な店のチェーンを格納します。私は skolklassDeras の撮影からいくつかの若い映画製作者によって撮影されますが、今度はフィンランドの映画監督フィンラッキーマウンテンによって撮影されます。私は簡単な地方の女性のために非常に重要であったものについての短編映画を記録したとき、彼は私が以前に撮影している。私はマリエハムンを訪問しただけでなく、風景の中で数回を旅してきました。……」とある。(日本語は自動翻訳機能による)

 元気なダグニーさんを記録にとどめるのだろう。いつかまたドキュメンタリーで見られるといいけど……。

 今年のGWは平成から令和へと元号が変わり、10日間と長い。GWの初めは連日お天気が良くない、また寒い日が続く。どこへも行くあてのないGW 。というか毎日がGWなので今更改めて休みにどうこうすることもない。ただ、家にじっとしていては体に悪い。先日はプールに電話して開館状況を問うといつもと同じく水曜日が休館日で他は祭日扱いとのことだった。では図書館は、と昨日出かけて開館カレンダーを見る。いつも通りで特別なことはないようだ。

 遊び惚けてプールに出かけていない。お天気がいい日を狙ってプールへ行こう。そして図書館、昨日は久しぶりに長居をした。今はもっぱら『竜馬がゆく』を夢中になって読んでいる。その合間に昨日は半藤一利の『歴史に「何を」学ぶのか』を借りる。中国近代に目覚めて少しは歴史に興味を抱き始めた。だが、古いことは「本当のこと!?」と疑って関心がなかった。それが大連に出かけて司馬作品を読んですっかり歴史好きになる。

 同じ人間の思うことか、と思えるほどひょんなことで人は変わる。これが生きる楽しみかもしれない。これからますます年を取っていく。またもや思いもしなかったことに突然、目覚めるかもしれない。突拍子もないことに思いを巡らす、これがおめでたい、ということ!?この感情がなくなれば多分、旅行もしないだろうし、何の面白みもない人生になってしまいそうだ。せいぜい、おめでたい、と思える人生を歩みたいものである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月28日日曜日

「孤独は心の解放」&日本画

 今朝見たネット記事は共感するところが多い。記事のタイトルは「若竹千佐子が語るデラシネの時代『孤独は心の解放』」(週刊朝日)。引用部分が多いがここにアップしよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190424-00000076-sasahi-life (参照) 

★一人でいるときの自分こそが、本当の自分。だからこそ、一人で生きるというのは基本だと思っている。

★一人で自分と向き合って、自分の本性に従って生きれば自然に自分も嬉しいはず。そんな、自分を喜ばせる生き方がしたい。そしていまこのままの自分を受けとめて、自分を愛していきたい。

★肝心なのは、いつも自分の気持ちが満たされているかどうかではないか。ひとと自分の人生を比べることに何の意味もないではないか。

★「人間って面白いもので、年齢と共に体は衰えていきますが、心は成長していくんです。老いるということは心は成熟に向かうということなんだなと最近思います。孤独は心に絶対的な自由をもたらしてくれる。その自由を享受しながら生きることは楽しいことです」

 話は変わって昨日は日本画教室の日。遊び惚けて教室を休むことが多かった。GWに突入して昨日は2名が欠席。描くのは紅葉しつつある樹木。点描写で色付けする。途中、先生から点描写が上手いと褒められる。これは決して絵が上手いと同じではない。次週はGWで教室が休みになる。近いうちこの絵も完成しそうだ。次は以前、先生にもらった小さい木製パネル(サムホールの大きさ?)にもみ紙を貼って他の樹木を描く予定。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月27日土曜日

「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」を見る

 先日見たBS1スペシャル「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」。昨夜、見逃がした前半部分を見る。ボルトとダシャ、そして2人を取り巻くオユナの存在。ボルトが離婚した母親から独立して都会に出てマンホール生活を始める。幼い子供ながら、くず拾いでお金にして数年後、故郷の親を訪ねる。相変わらず貧しい生活の親を見て親を引き取る。木造の小さな家。それを希望の家と命名して幸せに過ごす。しかし、ボルトが妻を迎えるとそのうち一家は離散。妻をかばって親を追い出したボルト。これに後悔する。何年もかかって親を探し出し、再度一緒に生活する。ボルトは小学校低学年の勉強をして、自動車のタイヤ修理工場をビルの傍の一角に構える。働き者でお客は絶えない……。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2357178/index.html?c=archives (参照)

 この番組を見ていて日本で今、60万人とも100万人とも言われる中高年の引きこもりを考える。何もせず家の中に引きこもる。食べさせてくれる人や家があるからできること。もしも、自分一人で生きていくとなるとどんな人生が待っている!?豊かな日本に生まれたからこそできる生活かもしれない。こういう人こそ、この番組を見て奮い立てば、と思ってしまう。まあ、そうはいっても最後は人それぞれ。外野がとやかく言えるはずもない。

 国内の泊りがけから1週間後に海外に出かけた。そこから帰って1週間になる。国内も海外もよく歩き、さすがにお疲れ気味。しかし、今朝5月下旬のバスツアーを見て早くも疲れが吹っ飛びそうになる。5月の初夏の爽やかな風にふれる!?これは気持ちよさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月26日金曜日

『竜馬がゆく』(5)

 昨日で『竜馬がゆく』(6)を読み終えて(7)を借りる。文庫本は(8)まである。『坂の上の雲』に魅せらて以降、『竜馬がゆく』にも惹かれた。あともう少しでこの本を読み終える。さて次の司馬作品?『竜馬がゆく』を読みながら、一昨日は電子辞書で『阿Q正伝』を読む。著作権切れとなった名作が家に居ながらにしてすぐに読める。便利な世の中だ。音楽もそうだ。著作権切れの楽譜もネットで瞬時にコピーできるとフルートの先生から聞いて知る。またネットでは日本の著作権切れの作品も読める。

 本を読む暇暇に台湾の旅の写真を編集画面に取り込む。ブログ作成も手順があり、どうやったら手間暇かけずに編集できるか試行錯誤が続く。これも旅の後の楽しみとなる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は読み終えた『竜馬がゆく』(5)(司馬遼太郎 文藝春秋,2013年,新装版第24刷)から気になる個所を抜粋したもの。『坂の上の雲』と『竜馬がゆく』を読み進めて少しずつ幕末から維新のことがわかってくる。切腹や首を刎ねることは武士の日常茶飯事と知る。しかし、竜馬は人を殺すことだけはしなかった。だが、人を殺して上からよくやったと認められたものがその後、爵位を授かる。竜馬はこれを嫌い、天皇を中心にして皆同じ地位にしようと奔走した。

★(わずか、百や二百の浪士の手で三百年の幕府が倒れるはずがない)
成らぬことは成らぬ、と竜馬は思った。成るには時の勢いというものが要る。
(いまは。力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない)
竜馬は、瀬戸内海の制海権をにぎる日を夢見つづている。その以前に、動かす術もろくに覚えておらぬ時期に、京都で子供じみた闘争に参加して何になるか。
ぞう、みんなに説いた。52-53p

★徳川幕府というのは、日本史上でもっとも(あるいは唯一の)諜報、密告、誘導、相互監視といった暗い能力に長けた政府であった。この能力が、この政権の特徴、体臭にまでなっている。それ以前の豊臣政権、足利政権にはこういう傾向が皆無といってよく、このために後世への印象が、徳川政権よりもはるかにあかるい。幕府はそのお家芸ともいうべき能力を発揮しはじめた。67p

★武州百姓の理念が、そのまま新選組の思想といっていい。
単純な剣士が多く、単純ながらも「士道に斃れ」ようという気概が強烈で、その意味でも、そのつよい結束力の点でも、日本史上最強の剣客結社といっていいだろう。100p

★幕府はこの「戦功」を大いによろこび、京都守護職に対し、感状をくだした。武将への感状などというものは戦国時代のもので、徳川期に入ってからも、島原の乱いらい絶えてなかったものである。
つまり、一国の政府である幕府は軽率にもこの事件の性格を治安問題とせず、すでに「戦争」であるとした。「感状」」はその証拠であろう。
自然、京を戦場とみたことになる。同時に長州藩および長州系浪士を、敵とみた。その意味でもこの変事は、幕末政治史上の重要な事件であった。長州藩としては、自藩の者を斬られて感状まで出されては、深く決せざるをえまい。118-119p

★なぜ、幕吏は、憂国決死の徒を、野犬のごとく打殺せねばならぬか。
そのことへの悲憤、それに自分の奔走の挫折、さらに死者への傷みなどがいりまじって、竜馬は半刻ばかり後ころがりまわって、泣いた。
 半刻ほどして、さな子も知った。京の池田屋ノ変を、である。125p

★「わしが倒す。吉村らの天誅組はほろび、国もとの武市党はほろび、京の北添らはほろんだが、世に坂本竜馬があるかぎり、徳川幕府は無事ではない」
竜馬の頬に、涙のあとが残っている。
 この紙をもらう、とたったいまさな子が畳の蝋をぬぐった紙で、顔をしごしごぬぐいはじめた。
涙痕が消え、蝋がついた。128p

★天王山は、京と大坂をむすぶ淀川ぞいにうずくまっている。
標高二百七〇メートルにすぎぬ小山だが、歴史的にこれほど高名な山もない。遠く天正十年のむかし、明智光秀と羽柴秀吉とがこの戦術的な高地をうばいあってついに秀吉がおだえ、山城山崎合戦を勝利にみちびいたことで、名がある。
勝負のやまばのことを、「いまが天王山」というのはここからうまれた。
その天王山に長州軍の本営の一つがある。145p

★結局は。――
天皇の奪りあいである。
この点、将棋とかわらない。王をとったほうが勝ちである。
天皇は詔勅機関にすぎない。これをうばい、擁し、自分の敵方を「朝敵」とし、天下の兵をあつめて討伐し、自分の好きな体制をつくる。
余談だが、明治維新の戦略的本質もここにある。徳川幕府は、天皇を奪いそこね、薩長土三藩の手に渡してしまったために朝敵となり、天下の兵の袋だたきにあってほろんでしまった。
西郷はこの本質をよく知っていた。かれは格調の高い理想家であったが、同時に現実の本質を知っている。159p

★ 京の異変を知った勝は、機敏に行動している。
竜馬に命じて、兵庫沖に碇泊中の練習船観光丸の錨をあげさせ大坂へ急行した。
「諸事、この眼で見ねばわからぬ」
というのが、勝と竜馬の行き方である。現場を見たうえ、物事を考える。見もせぬことをつべこべ言っているのは、いかに理屈がおもしろくても空論にすぎぬ、というのが、この二人の行き方であった。かれらは、すぐれたジャーナリストの一面をもっていたといっていい。193p

★天皇は条約に否というときが多い。このため相手先の外国まで迷惑した。
当然、統一政権ができねばならない。それを、天皇中心でやるか、将軍中心でやるかで勤王、佐幕論がおこった。
勝は、内心、割りきっている。
(時代の勢いというものだ。いよいよ衰弱していく幕府に、強力な統一政治が今後のぞめるはずがない。幕府が倒れ、京都中心の世が来るのは、幕臣として悲しくも、日本にとってそれしかない)が、勝は、幕府を倒す「勢力」が問題だとおもっていた。いまの長州人に倒されては、どんな政府ができるだろう。……西郷・坂本というあたりに倒されれば、日本も幕府もふたつながら幸いだ、と勝はつけくわえた。200p

★勝には、妖精のにおいがする。そのいたずっらぽさ、底知れぬ知恵、幕臣という立場を超越しているその発想力、しかも時流のわきにいながら、神だけが知っているはずの時流の転轍機がどこにあるかを知っている。さらに竜馬と西郷という転轍手を発見し、さりげなく会わせようとするあたり、この男の存在は、神が日本の幕末の混乱をあわれんで派遣したいっぴきの妖精としか思えない。219p

★西郷は、このイヤシゴロにこだわって弁解したことでもわかるように、欲を去ることを終生の自己教育の目標にしていた。
「おのれを愛するなかれ」
というのが、かれの自己宗教の唯一の教義であった。かれは。幼少のころ読書がきらいで、休吾という家僕にさえ苦情をいわれたほどだが、二度の島流しのあいだに非常な読書家になり、——どういう人間が大事業をなせるか、を考え、ついに結論をえた。
「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり」
竜馬もこれに似た語録がある。かれの場合は西郷より逆説的で、西郷のような宗教性はないが、それだけにするどい。勝が竜馬を「抜け目のない西郷」といったゆえんだろう。271-272p

★竜馬は、京の薩摩藩邸にかけあってこの前代未聞の計画を実現すべく、摂津神戸村から京をめざしてやってきたのである。
坂竜飛騰
ということばがある。竜馬をいっぴきの竜になぞらえ、この竜が孤剣幕末の風雲をつかんで馳せのぼってゆく颯爽たる姿をことばにしたものだが、この時期こそ「坂竜」の飛騰しようとする寸前だったといっていい。
が、酒を飲んでいる竜馬には、まるで逆な沈鬱さがあった。298p

★竜馬は、勝のような人物を理解できぬばかりか古草履のように捨ててしまう幕府というものをはげしく憎んだ。
「大久保さん、雀でも米ばかりは食わん。虫も食いおる。世に無益なものはないと言いますが、例外は幕府ですな。こればっかりは日本に無益なばかりか、害がある」
「坂本君」
大久保は閉口した。388p

2019年4月25日木曜日

「“ワクワク”は幸せにつながる」

 今朝のネットに興味ある記事がある。以下はその記事から。

★“ワクワク”することは幸せにつながる、という考え方があります。幸福学の第一人者である慶應義塾大学前野隆司教授によると、幸せに感じる要因としては、「自己実現と成長」「つながりと感謝」「前向きと楽観」「独立とマイペース」があるようなのですが、自分のやりたいことや特徴を理解したうえで夢や目標を持っていれば、自然と“ワクワク”し、人生に幸福を感じ、そして幸福感を感じている人ほど生産性が上がるようです。人生100年時代においては、長く働く必要性が高まっていますが、幸福を感じて高い生産性で働いていれば、職を失わずに働き続けることができる可能性が高まると思います。また、“ワクワク”している人は脳(前頭葉)が刺激されるため、認知症になりにくくなる効果もあると言われています。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190424-00194878-diamond-bus_all&p=3 (参照)

 職に関してはとっくに関係がなくなった。しかし、「人生100年時代」、別に仕事でなくても幸福な人生を送るうえで「“ワクワク”は幸せにつながる」。毎日を何も感動せずに過ごすよりも、あれこれと関心を抱いて「“ワクワク”する」。これに尽きる。それには好奇心と行動が付きまとう。じっとしていては“ワクワク”感は生まれないだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月24日水曜日

研究会誌&会報届く

 新年度が始まって1か月近く経過する。何やかやと届く書類。その中には某研究会の『史〇研究』や某交流会の会報、そしてフルート・メーカーの案内などがある。研究会誌は簡単には読めない。しかし、研究会への参加はご無沙汰気味なのでせめて届いた史料は時間を割いて読むようにしよう。

 交流会の会報は依頼された大連の旅が掲載された。個人的に出かけた旅なので申し訳ない。これは既にブログにアップしたものを短くしての掲載。ともあれ、自分にとってはすべて良き思い出となるのでこれもありがたいことかもしれない。会報には会長の『阿Q正伝』の記事がある。以前、旅先でこの本を読んだことがあるか、と問われた。その時は読んだ、と返答。だが、昨夜、改めて電子辞書の日本の名著に掲載がある『阿Q正伝』を読み始める。辛亥革命の頃の話でこの時期は興味があるので再度、昨夜の続きを読もう。それにしても電子辞書は優れもの。日本の名著や外国の名著が1000冊ずつ収録されている。他にもいろいろとある。

 読む本が多くなった。司馬作品もあるし、図書館には予約確保の本もある。

 昨日はフルートのレッスン日。さらっているのは「ロンド」。ソノリテの練習中、一番低い”ド”の音がきれいに出ない。先生に指導されて何とか音になる。いい音が出ないと曲にはならない。数日、外に出かけていて、練習していない。これが音の出ない原因!?練習するしかない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月23日火曜日

暑くなった!

 数日ほどいない間に春が過ぎて夏になった。昨日は早々と扇風機が出番となる。今からこう暑いと夏本番の暑さはどうなる!?衣服も急きょ夏服になる。

 ネットを賑わす「東大祝辞・上野千鶴子インタビュー」を見ると「当たり前のことを言っただけ」〈AERA〉とある。この中の「人は自分の器に合わせてしか、相手を理解しないものです」に同感する。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190422-00000031-sasahi-soci&p=1
(参照)

 以前、立花隆が飛ぶ鳥を落とす勢いがあったころ、アメリカに出かけて取材した。お偉い方々にインタヴューする際、相手側は聞く側の知識に応じて話を進めると……。いくら知ったかぶりをして聞いても相手にはその人の器がわかるのだろう。まさに上野千鶴子のこの言葉が当てはまる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月22日月曜日

クレジットカード解約

 数日間、台湾に出かけた。帰国すると日本のお天気はどうよ?と言わんばかりに暑い日が続く。外へ出ると寝不足になる。特に今回の旅はかなりのハードスケジュール。そのせいもあって昨夜は9時に寝て、今朝の起床時刻は9時過ぎになる。よく眠った。元来よく寝る方なので、寝不足は一番の致命傷になる。お蔭で元気!

 昨日はボーっとした頭で前から気になっていた某クレジットカードの解約を電話で行う。フリーダイヤルで電話して、言われたとおりに番号を押してもなかなか係りにつながらない。やっと電話が通じてカードを解約。このカードは電話会社のカードで近所の人に頼まれて作った。しかし、あまりメリットがない。留守の間に銀行口座から引き落とす書類が届いた。そこですぐにカードを解約。これで残るクレジットカードは大型電気店のカード一枚となった。 

 煩わしいモノ・コト・ヒトを整理している。そうしないとスリムな楽な生活ができそうにない。心に煩わしさがあるとこれが病気の源になる。

 話は変わってこの頃は年金が振り込まれる月に2か月分の生活費を銀行から引き出している。4月になって泊りがけの国内旅や海外の旅で留守にしていた。そのためか、4月も終わりというのに手元にまだだいぶ残っている。とはいってもどちらの旅費もカード決済なので口座から引き落とされるのだが……。


 行楽シーズン。GWの予定は何もない。ただ日本画の先生たちの展覧会が美術館で開催される。近場をうろうろする、これ、いいかもしれない。というか、どういってもリタイア後の人生は毎日がGW。これは本当に幸せなコト。毎日を大事に過ごさないとバチが当たる気がする。そしてフルートの練習がある。再度、♪ロンド🎵をアップしよう。♩=74から今は♩=84に速度を上げて練習している。もっと速度を上げないといけない。他にもある、ある。それは司馬遼太郎の本を読むコト。これを忘れてはいけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月21日日曜日

台湾の旅から帰って

 「マグニチュードと震度の違い  マグニチュードは地震そのもののエネルギーの大きさのこと。 震度はそれぞれの場所のゆれ方の度合いのことです。 ... このようにマグニチュードの値が同じであっても、震源が遠ければ震度は小さく、震源が近ければ震度は大きくなります」。これはネットから。

 昨夜遅く台湾の旅から帰国した。いきなり、震度とマグニチュードの違いについて知らべる。というのも台湾で発生した花蓮の大地震。震度7でマグニチュードは6・1だったようだ。これまで地震はマグニチュードの数値が震度よりも高いイメージがあった。台湾の台南から台東へバスで移動中の午後1時過ぎ、大地震発生との情報を現地ガイドから聞く。その時、震度7、と聞いて驚く。ところが今、ネットでマグニチュードは6.1と震度よりも数値が少ない。日本の地震が震度7であればテレビのすべてが地震情報ばかりのはず。ところがその夜に見た台東のホテルのテレビは地震のことにあまり触れていない。

 ホテルで寝ていると東京の姪から地震は大丈夫か、と心配するメールが入る。翌日、震源地の花蓮のタロコ渓谷を観光する予定だった。5年前に初めて台湾に出かけた時もタロコ渓谷は以前に発生した災害で途中までしか観光していない。今回も当然観光しなかった。ただ、渓谷入口では地震で発生した土砂を運ぶトラックの行列を目にする。

 「絶景の台湾大周遊5日間」の旅は「地震発生」というおまけがついた旅となった。観光としては2度目の台湾。だが、1度目とは全く異なるコースの旅で、現地ガイドによるとどこも日本人が行かない観光地だそうだ。ということで一般に行く台湾とは異なる。これが目的で出かけたのでおまけの地震もどういうこともない。

 どこに出かけてもいつも親切な人たちと出会う。広島空港発着の海外旅行だったので話題はローカル。何と、住む町の小学校を卒業した人が4名もいた。なぜこの期に及んで我が町の話題を、と思ってしまう。台北を離陸する前、ツアーの人から今もその町に住んでいるのかを聞かれる。親切なご夫妻で同じ区ではないにもかかわらず広島空港から車で家まで送ってもらった。

 帰りの車の中で話をすると奥さんは書を習われていた。知り合いが書展に出品すると話すと同じく出品されていた。知り合いは書展の理事、と告げると驚かれる。書に関してはこれくらいしかわからない。それにしてもちょっと口を開けば狭い世間、と思ってしまう。今年の書展も出品されるようだ。

 車を運転しないし、持ってもいない。乗車するといきなり電話番号を聞かれる。それをナビに入力すると我が家がわかるらしい。電話は電話帳に掲載していないのでナビは無理だった。だが住所で直ぐに目的地がわかる。

 今回の台湾の旅も楽しいうちに終わった。そして12名の少ない人数で打ち解ける。まるで山岳修行の旅のように森林の中をよく歩いた。靴は今回もいつものトレッキングシューズ。この靴は最近の旅ではフル活用する。参加者の年齢は高く最高齢は85歳の男性で1人参加だった。この歳まではだいぶあるのでまだまだ海外に出かけられると意気込む。今回の旅の模様は後日のブログにアップしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月15日月曜日

広響第389回定演を聞く

 起床後、頭にひらめく言葉はネガティブで、この反対語が思い出せない。「肯定」や「やる気」など電子辞書の和英で探す。今、やっと「プラス」で探して”positive”に行き着く。いろんなことが言葉として出てこなくなった。とりあえず関係ないことであっても、気になりだすとじっとしておれない。わかって安心する。その合間にFMラジオのゲスト、舘野泉の話を聞く。名前は知っていてもピアノ演奏を聞いたことがない。そこでネット検索。病気で倒れて左手だけで演奏していた。

 演奏と言えば昨日は広響第389回定演を聞きに行く。演奏曲目は以下のようであった。尚、指揮者はレオポルト・ハーガー。
 
🎵ベートーベン ヴァイオリン協奏曲ニ長調
 ヴァイオリンに神尾真由子を迎える。神尾は2007年の第13回Tchaikovsky国際コンクールで優勝している。

🎵ブラームス 交響曲第2番ニ長調

 座席の引き換えで前列3列目の右端だった。3列目なら「まあ、いいか」と座ると実際は1列目に相当する席で舞台しか見えない。演奏直前、席を移動して最後部席の空席を探す。これは違反と知っていても、真ん前の窮屈な席よりゆっくりと聞ける。

 年に10回ある定期演奏会。だが、習っている稽古事や緊急のスケジュールが入って演奏日が重なることが多い。定演を聞くのを優先するが、それも物理的に無理なことがある。これは残念!昨年度も3回ほど聞かれなかった。

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月14日日曜日

テレビ三昧の一日

 近いうち外へ旅する。昨日は旅の無事をお願いしにお墓参りをする。何は差し置いても親は我が子を見まもってくれるはず、との思いがある。まあ、元気で飛び回る姿を見てくれれば親も悪いようにはしないだろう。
 
 昨日はテレビ三昧。午後からEテレ「テレビシンポジウム」を見ると「忍者を読み解くー司馬遼太郎『梟の城』より」があった。司馬遼太郎、と思ってテレビを見る。この本はまだ読んでいないが、司馬作品を徐々に読むつもりでいる。テレビは司馬の菜の花忌を記念してのシンポジウムだった。いつの日か司馬遼太郎の記念館にも行ってみたい。

 夜はNHKのBSでシルクロード・美の回廊Ⅰ「絶景と芸術が刻まれた道~河西回廊~」を見る。番組HPには以下のように書いてある。

★シルクロード・河西回廊には、敦煌・莫高窟をはじめ、仏教芸術の美の殿堂が集中する。絶景と芸術、地球史と文明史という壮大なスケールでつむぐ美の回廊・誕生の物語!
西域と歴代王朝の都を結ぶ道、シルクロード・河西回廊…ここには砂漠の大画廊・莫高窟や楡林窟など、壮大な東西交流で花開いた仏教芸術の殿堂が連続する。この地になぜ、美が集中したのか?そしてなぜ、様々な民族が行きかったのか?その謎には文明史の枠組みでは紐(ひも)解けない、地球史が関わっていた!魔鬼城、透明氷河、七彩丘陵といった絶景群から求道の美・民族交流の美・唐代・絶頂の美の謎を解き明かす!

 中国にのぼせ始めた頃に出かけたシルクロード。敦煌莫高窟も当然出かけた。30年前のことで莫高窟も一部しか見せてもらえなかった。特に見学できる莫高窟は番号の一桁か二桁の窟で三桁は入ることさえできなかった。ところが昨夜は285窟など三桁の窟を公開した。多分、窟の壁画の修復を終えたのだろう。あまりにも美しすぎる。見に行きたいけど今の中国と日本の関係を考えると腰が重くなる。ともあれ、延々と広がる真っ赤な土の山を見ているとこの世のモノとは思えないほど美しい。これは10年前に発見された光景だそうだ。
https://www4.nhk.or.jp/P5743/x/2019-04-13/10/9519/1878330/(参照)

 次に見たのは同じくBSのバカリズムの悪女伝説「瀬戸内寂聴プレゼンツ(1)日野富子」。番組HPは次のようだ。

★世に名をはせた「悪女」の実像に迫る歴史エンタテインメント。瀬戸内寂聴さんの案内で「応仁の乱」の元凶とされる日野富子の真実に迫る。わが子を将軍にするため戦乱を起こし、庶民に重税を課して私腹を肥やした室町将軍の妻・富子。しかし、語り継がれたこの悪女像は、ウソだった!?近年明らかになった実像は、傾いた幕府を必死で支えたスゴ腕政治家。

 こちらは今一歩興味が薄れる。自分の中の歴史への興味がこの時代にまでたどり着いていないからだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月13日土曜日

”Rondo for flute and piano ”&春の日本画展




 ★今、私はクリスチャンスタードでいくつかの強烈な、だが、非常に素晴らしい日後に戻っています。戻って来て、家族に会い、部分的に都市が成長した方法を見ることは非常に良かったです。……メインストリートと広場は同様で、教会や旧市庁舎もありました。私は見本市に出席するために故郷に行った。市の大使として功労実業家と Innovaatörer を任命された自治体.私はトレーダーではありませんでしたが、私はおそらく私が私のブログ記事で¨マップ上のクリスチャンスタードの街に座ったので、選択されました。私はクリスチャンスタードで生まれた態度を非常に誇りに思っています。あなたが何かを得るとき、あなたは感謝すべきであり、それは細かいスピーチですべての大使を作りました。私はスピーカーではありませんが、私は言葉が得意なので、とにかくそれに着いて、立って拍手喝采を得ました。……(翻訳機能による日本語)

 これは昨日のダグニーさんのブログからの引用。お元気になって旅をされている。この人のブログを見てグズグズしていてはいけないと改めて感じる。

 桜を見る旅で90歳近い人たちとお話しした。元小学校の教師だったそうで、話される言葉にネガティブはない。料理はご自分でされて野菜や花などは庭に植えているという。外国旅行もされるらしく、その時は2人で参加するとか。デイサービスは?と問うと「好かん!」と一言。そこで「ちいちいぱっぱ~」と歌うよりも何かをするほうがいいと言って10ほどやることを話される。あまりにも早く言われて何だったかは思い出せない。メディアなど賑わすお元気なお年寄り。名前こそ聞かなかったけれど、この人もいつの日かお元気なお年寄りとしてメディアを賑わされるかもしれない。

 それに反して何をしていいかわからないと話した人もいた。ただ毎日が過ぎ去る人生を送るのはもったいない。そう言ってあげたかった。だが何事も自分で気が付かないと教えたことが憎まれ口になりそうで口を閉ざす。短い旅であってもいろんな人がいる、と思ってしまう。その中に自分自身もそう思われているのだが……。

 話題を変えて昨日のフルート・レッスン。さらい始めたFranz Xaver Mozart の” ロンド”は、正式には”Rondo for flute and piano ”(フルートとピアノのためのロンド)とある通りピアノとフルートの掛け合いが面白い。かなりというかとても気に入ってしまった。昨日のレッスンで先生の前で一通り吹いてみる。何とかなりそうならしく、発表会で吹くことになった。先生曰く、去年吹いた「望郷のバラード」と比べて難易度が高いそうだ。一歩間違えばピアノとズレる可能性がある。そこは何とか頑張って練習しよう。かなり張り切っている。そう言えば日本画で今描いている風景画も先週の教室で先生から難易度が高いと言われた。

 フルートと絵では頑張り方が異なる。フルートは長く習っているので練習すれば何とかなりそうだ。ところが絵はフルートほど長く習っておらず、また持って生まれた器量もあって頑張りようがない。

 この曲の中に数か所「ターン」がある。ターンの記号をネットで検索するが、コピーできない。ターンは「S」の字を寝かせたような記号。先生にターンについて教わる時、目からうろこ状態になる。それはターンのみ、ターンの下に♯がつくとき、そしてターンの上に♯がつくときと♯の付き方でどの音が♯になるかわかるという。ただターンはその音を上げ下げする、とだけ知っていた。楽譜に書かれた音楽記号も置かれた位置で決まりがあると知ってびっくり。ターンにつく♭もそうかもしれない。

 レッスン後、歩いて八丁堀まで出る。目指すは某金融機関で開催中の春の日本画展。ここのギャラリーは春秋の2回、1か月間程、金融機関所蔵の日本画を無料で展示している。それもいつもながら椅子に腰かけると美味しいお茶が出る。それも半端ないほど美味なお茶。器も素晴らしい。なんだかお金持ちになったようで居心地がいい空間だ。昨日見た中では北野治男の「初夏の森」が気に入る。

 何を見ても、どんな本を読んでも自分で気に入るとすぐにのぼせてしまう。早速、家に帰ってネットで検索すると図書館にこの人の日本画の風景の描き方の本があった。これを早速予約。

 どういってもこのギャラリーは院展や日展で気に入った絵を購入して所蔵作品としているらしく、素晴らしい絵が展示される。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月12日金曜日

NHK・BS&ネット記事から

 昨夜のNHK・BS「偉人たちの健康診断『篤姫 ヒートショックの恐怖』」を見た。番組HPには以下のようにある。

★幕末の大奥に君臨した篤姫。不健康の園・大奥にあって病気ひとつしなかった篤姫の健康の秘密は、故郷の指宿にあった砂蒸し風呂!?さらに明治維新後の篤姫の知られざる「その後の人生」を健康面から検証。激変した生活ぶりから見えてきたのは心の病で苦しむ篤姫の姿。そして49歳の若さで亡くなった篤姫の死因を、残された資料を手がかりに探る。浮かび上がってきたのはヒートショックが命を奪った可能性だ。

  ヒートショックはどうでもよく、ただ気になったのは「明治維新後の篤姫の……」のキーワード。今、『竜馬がゆく』を読んでいる。その中でも薩長が手を取って幕府を倒そうとする場面を読む。薩摩藩から徳川家定の正室に入った篤姫。家定亡き後、幕府は朝敵とされて倒される。だが、薩摩出身の篤姫は徳川家を守らねばならないことがジレンマとなる。次週は「関ヶ原の戦い」が放映される。

  大連に出かけて司馬遼太郎を読むと幕末から明治維新後の様子がわかってくる。そして先日出かけた5か所の桜巡りの昼食場所は「関ヶ原」にあるレストランだった。そこで関ヶ原で戦った碑を見る。ちょっと動けばいろんなことに興味がわいてくる。

  昨日、ネットニュースを見ていると「天然記念物の桜折れる 日本三大桜『根尾谷淡墨桜』」とある。先日見に出かけたばかりの桜だ。出かけた日、桜は見事に咲いていた。そして、その夜のニュースステーションで取り上げられたそうだ。それがその翌々日に雪の重さで桜の枝が折れるとは……。これについては以下を参照。

★国の天然記念物に指定されている岐阜県本巣市の根尾谷淡墨桜の枝1本が折れていることが11日、わかった。市教育委員会は、枝に積もった雪の重みで折れた可能性があるとしている。市教委によると、枝の長さは約3メートルで、10メートル程度の高さにあったとみられる。10日午前9時45分ごろ、近くの飲食店の女性従業員が枝が折れる音を聞き、市に連絡した。
 岐阜地方気象台によると、市内では同日午前10時ごろで2センチの積雪があった。市が原因を詳しく調べている。
 淡墨桜は高さ約17メートルで、三春滝桜(福島県)、山高神代桜(山梨県)とともに日本三大桜と言われる。昨年9月に台風21号で7本の枝が折れ、約560万円集まった地元企業や住民からの寄付を枝の補強などに充てた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年4月11日木曜日

高遠城址公園と根尾谷薄墨桜、谷汲山華厳寺など5か所の桜鑑賞ツアーその2

 2019年4月8日(月)と9日(火)の2日間、高遠城址公園と根尾谷薄墨桜、谷汲山華厳寺など5か所の桜鑑賞ツアーに参加した。ツアー料金は1人参加であっても追加料金を取られない。そのためか37名参加者のうち、なんと17名は1人参加だった。これもめずらしい。1人で参加した人のうち、89歳の人2名、85歳が1名おられた。うち1人は男性。これほどのご高齢で、また1人で参加されたと聞いてビックリする。とはいっても参加者の大半は70歳代が占めていたようだ。が、ハッキリした年齢はわからない。
 
 広島駅集合の時刻が早い。早起きは苦手なのでこれからは集合時刻が遅い旅の参加を考えよう。とはいっても広島空港発の海外旅行は自宅最寄り駅をJRの始発に乗らねばならない。ということで来週はさらに早起きを迫られる。
 
一日目 2019年4月8日(月)
 
 この日は新幹線広島駅🚄新大阪駅🚄米原駅で下車後、バスに乗り換えて豊公園を観光する。
 
豊公園(ほうこうえん)
 
 豊公園は江戸時代前期に廃城となった長浜城の城跡に明治42年作られた。長浜城主であった豊太閤・豊臣秀吉にちなんで「豊公園」と名がつく。園内には長浜城歴史博物館がある。この公園の桜は「日本さくら名所100選」に選ばれており、団体料金1人¥320円支払って天守閣に登る。ここから見下ろすと琵琶湖や咲き誇る桜が晴天に映えて美しい。琵琶湖も空も真っ青だ。ブログ投稿時にこのお城が1983年に長浜城歴史博物館として造られと知る。本来のお城ではなかった。道理で新しいはずだ。

長浜城

天守閣からの眺め




琵琶湖のそばまで行くと波は荒かった



 長浜城の桜を堪能した後、バスに乗って関ケ原にある昼食のレストランに向かう。関ヶ原の合戦に関する遺跡があった。最近、司馬遼太郎の本を読んでいるので1850年代以降のことに興味がある。徐々に、それから前のこともわかるといいけど……。
 
関ケ原にあるレストラン界隈

強風の中、レストランの後を散策するといい景色が広がっていた
 

 


 近江牛すき焼きの昼食を済ませてバスで2番目の桜の名所がある谷汲山華厳寺に向かう。駐車場から参道を抜けるには20分歩かねばならない。このごろは国内でも海外でもいずれも添乗員が名所を案内する時、各自に集合場所のある地図を持たせて各自が勝手に散策することが多い。そのため、どこの見学でも帰りの時間を考慮して散策する。片道20分ということは往復ではそれだけで40分かかる。50分間のフリータイムも目的の神社仏閣や桜を愛でるとあっては結構ハードなスケジュールになる。

谷汲山華厳寺
  
 谷汲山華厳寺は岐阜県揖斐郡斐川にある天台宗のお寺。開創年代は延暦17年(798年)で開山は豊念(ぶねん)。西国三十三所33番札所だ。ここの桜も今が盛りとばかりに見事に咲いている。20分間ほど歩く参道は桜のトンネルで300本のソメイヨシノが迎えてくれる。
参道は桜の長いトンネル

 
谷汲山華厳寺




参道の両脇に咲くソメイヨシノはお見事だった
人が少なくなった帰り道で写す

 3か所目の桜は根尾谷の薄墨桜。華厳寺をバスは出発して根尾谷へ向かう。どういっても今回は広島→新大阪→米原→長浜にある①長浜城→関ケ原→岐阜県斐川町にある②華厳寺→岐阜県本巣市にある③根尾谷薄墨桜→長野県伊那市にある④高遠城址公園→長野県飯田市にある⑤天竜峡→新大阪→広島と新幹線とバスでの移動で5か所の桜を見るスケジュールはハードだった。

根尾谷の薄墨桜

 3番目の桜の名所は一度は見たい日本の三大桜の一つである根尾谷の薄墨桜を見る。この日の根尾谷の桜はその夜のニュースステーションで放映された、と添乗員から翌朝聞いた。桜は満開だったが、一瞬だけポツポツと雨が降る。それもすぐに止んで薄曇りの中、薄墨桜を眺める。以下は本巣市の観光情報による。

★樹齢1500余年を誇る孤高の桜。継体天皇お手植えの桜と伝えられ、淡いピンクのつぼみが、満開になれば白に、そして散り際には淡い墨色になることから淡墨桜と名付けられたと言われています。樹高16.00m、幹回9.90mの大木は、山梨県の「山高神代桜」と福島県「三春滝桜」と並んで日本三大桜のひとつに数えられ、国の天然記念物に指定されています。

 このうちの根尾谷の薄墨桜を見ただけで残る2つもいつか見に行こう。根尾谷の薄墨桜はさすがに素晴らしかった。堀文子ではないが私も桜でなくてもいいから亡くなれば樹木になりたい。

 根尾谷の薄墨桜はバスを降りると目の前に威張って鎮座する。前から後ろから上から下からとぐるっと桜の周りをまわって見て歩く。2世の桜は手が届く位置にあり、そっと触ってみた。神々しい桜の木だ。
根尾谷の薄墨桜




 
 





雰囲気を変えて黄色い花を写真に撮る

これは薄墨桜2世。そっと手で触ってみた。

 
 
 1日目の観光を終えてバスはホテルに向かう。途中、柳津で名古屋名物のきしめんや手羽先の夕食をレストランでいただく。ところがこの食事場所は畳で、坐り心地が悪い。椅子に座っての食事が楽でも文句は言えない。

 宿は羽島にあるホテル。だが、珈琲が飲める場所がない。コンビニに行こうとするが強風が吹いて行くのを断念。これからはスティックになった珈琲を持参しよう。ホテル内はここは中国?と言わんばかりに中国人の観光客が多い。部屋に向かう途中のエレベータ内で「どこから?」と中国語で問うと無錫からだった。

二日目 2019年4月9日(火)

飯田にあるお昼のレストラン付近で見たアルプスの雪山

 高速道をバスはどんどん北に進んで長野県の伊那市に向かう。途中、車窓から目にするのは真っ赤な花桃の花。これは何かをツアーの人に問うと花桃とスマホを見せてくれた。高遠城址公園に到着前、駒ケ根のサービスエリアで休憩。その後、
飯田にあるレストランでお昼をいただく。これは各自で前もって注文した和食膳をいただく。レストランの外に出ると雪を頂いたアルプスの山々が目の前に見える。だが、外の空気は冷たい。

高遠城址公園

 前夜の天気予報では全国的に寒さがぶり返すと言っていた。そうはいっても着ている服がこの日の全財産で他には何もない。長野県の予想最高気温11度。ところが予想に反して山にある高遠城址公園はぽかぽか陽気で風もない。途中からウインドブレーカを脱ぐほど暖かくなる。ここでも公園内の地図を貰って集合時刻まで桜を愛でる。そうはいっても園内は広いし、また平たんな道ではない。階段が多く、地図を持って目指す場所を右往左往する。この公園は「天下第一」と称される桜の名所だ。前夜の話では3,4分咲きと聞いていた。だが、お天気に惑わされて徐々に桜も咲き始める。ここで1時間半のフリータイム。

 もらったパンフによると以下のようにある。

★タカトオコヒガンザクラはこの地にしかない固有種で花形はやや小ぶりで赤みが強いのが特徴です。高遠城址公園には明治8年ごろから植えはじめ、樹齢140年を超える老木を含め、現在では約1500本の植林となっております。日本の桜の三大名所とされるこの公園は満開を迎えると訪れる人を桜が包み込み、その可憐さと規模の大きさは「天下第一の桜」と称されます。その樹林は県の天然記念物の指定を受け、平成2年には日本さくらの会の「さくら名所100選」に選ばれています。

 公園内には美術館や博物館、そして神社や様々な碑が建っている。高遠城址公園の命名は信濃国の高遠藩からついたようだ。





 
 


 

 



 


 

南アルプスがはっきり見える

向うに見えるは雪を頂いた南アルプス





 







 


バスの休憩場所から見たアルプスの雪山

天竜峡

 バスは5番目の桜の名所である天竜峡を目指す。だが、ここは山桜だそうだがあまり見られない。見学後の集合場所になる駐車場辺りにほんの2,3本桜が咲いていた。もらった日程表には樹齢約350年の山桜や展望台から望む渓谷の絶景とある。だが、桜の名所としては今一歩かもしれない。




上の写真をアップにすると「龍角峯」と刻まれている




かなりの坂道を歩いた
降りたところで写真に納める
 
 5か所の桜を巡る旅を無事終えて帰宅する。夜遅い帰宅で2日間、フルに活動した。日本の春は桜で始まりそうだ。この春は十分桜を堪能したので、五日市にある造幣局の桜見物は来年に持ち越し。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!