2018年8月31日金曜日

広島県日本画協会展&『孔子』付録

 8月も今日で終わる。暑さはいつになったらおさまるのだろう。昨日、幾分涼しくなった、と思って県立美術館で開催中の広島県日本画協会展に出かける。広島駅に着くと歩いて会場へ。ところが曇り空は涼しく見えても蒸し暑さは半端ではない。10分くらい歩く。美術館入口はジブリの世界で子供たちで賑わう。アニメの世界とは無縁なので地下の日本画展に向かう。県内の日本画の先生など60人が出品されている。今回の作品は50号以上なのだろうか、いずれも大きい絵ばかりだ。個人的に樹木に関心があり、探すと6人が樹木に関わる絵を描かれていた。

 絵を見終えると近県のギャラリー案内のパンフを探す。新見美術館「花と緑の日本画展」、徳島県立近代美術館「日下八光日本画展」を手にして、しばしパンフを眺める。どちらも遠い場所だ。その前に自宅最寄りJR駅で国東半島巡りの記事を見た。昨日だけでこの3か所に行きたくなる。これこそバス旅があればいいのに…。

 美術館を出ると福屋駅前店に入る。デパート内で遅めのお昼をいただく。その後、店内を見ていると帽子に目が行く。いつもの店員さんが近づいてくる。買ってしまった。家に着くころはにわか雨になる。その後の蒸し暑さは今年一番!蒸し暑さは今朝も続く。

 話は変わって昨日のブログにアップした『孔子』の冊子。井上靖が”負函”の街に佇む様子を冊子から抜粋しよう。

「一九八七年十一月の信陽の旅に於て、それまで私にとっては、幻の都邑以外の何ものでもなかった楚の”負函”の故地に、私は自分の足で立つことができた。この時の旅の収穫は大きかったし、旅の悦びも、また大きかった。…紀元前の、幻の”負函”なる歴史の街が、思いがけず、突然、私の眼の前に、その姿の全部を現してくれたのである」。(『孔子』付録 ”負函”の日没——「孔子」取材行——井上靖からの引用)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月30日木曜日

『山寺清朝』&『孔子』を読む

 『山寺清朝』(外山滋比古 2017年、展望社)、サブタイトルは「外山滋比古エッセイ集」を読んだ。以下は気になる個所から。

★毎年花はつけるが実がならない。昔の人が、浜風三里、と言った。みかんの適地のことである。地図をひっ張り出して、はかってみると、東京湾の北限とうちの当たりまでの距離は10キロ弱である。浜風三里(十二キロ)の範囲内である。うまく育つかもしれないと希望をいだく。59p

 ミカン類が実るのは浜風三里とはこの本で初めて知る。母が米寿の時、母の孫は母の娘である姉と私の家にレモンの木をお祝いにくれた。これを土に戻して8年後にレモンが1,2個実をつけた。ところが姉の家は市内北部にあり、1個も実らず、寒さで枯れた、と思った。この本に由るとそうではなく、浜風三里の地に植えてないのが原因のようだ。そういえば瀬戸内海の島々はミカンの産地。温暖な気候でしかも浜風がしっかりあたる地域にある。

★ひところインドのカレー料理をおいしいと思って、名店へ通ったこともあるが、やはりあきる。ゲルマン系諸国には料理といえるものなし、スラブも問題外、ときめて日本の家庭料理を見直すようになる。67p

 いろんな国へ出かけて各国の料理を口にする。確かにゲルマン系諸国もスラブも美味しいと思って食べたことがない。特にと国名をあげようとするがそれは失礼なのでやめよう。食に関しては日本に勝るものなし、そう言えそうだ。

 昨日やっと井上靖の『孔子』を読み終える。1冊の本を読むのに何百回かそれ以上も電子辞書の手書き入力で文字を調べた。読み終えた後の爽快感。大きな何かをやり遂げた気がする。買ってそのままにしていた本を何十年ぶりで読んだ。昨夜、この本のレヴューをネットで探していると井上靖の『孔子』に関する動画があった。みじかい動画であっても『孔子』にかける思いが伝わってくる。

 確か、会社をリタイアしたころ、今から16年前のことになるだろう。パキスタンの旅で知り合った米子の人の車で鳥取県米子市にある井上靖記念館に連れて行ったもらったことがある。海外に行き始めて、それもシルクロードに出かけて以降、井上靖の本を読み始めた。その時、井上靖のことを友だちに話したのだろう。記念館に連れて行ってもらえたことは本当によかった。『孔子』を読み終えて次はモンゴルの本を読むつもり。エッセイ類をよく読む。時にこういった難しい本を読むのも頭の体操になるかもしれない。

 そういえば『孔子』の付録に小さな冊子がついている。それには井上靖が『孔子』執筆前にその取材を兼ねて何度も中国に行かれた時のことが書いてある。特に孔子の生きていた時代の楚の国の負函の街に感慨深げに佇む筆者の姿を見て感動する。今の信陽らしい。そこは今は一面の大平原になっている。私もこの地に立ってみたい。どういっても井上靖は『孔子』執筆までに20年の歳月をかけて構想を練った。『孔子』は井上靖の絶筆である。

 また冊子に書いてあるその当時の井上靖の紀行文。この紀行文の書き方にも惹かれる。これから海外や国内の旅に出かけた後の旅の記録は井上靖の書き方を真似しよう。とはいっても簡単なことではない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月29日水曜日

かぼちゃ効果!?

 先日の健診結果で注目すべきことがある。それは中性脂肪(30~149)が”66”とこれまでよりも一段と低い数値になった。これもすべては血圧の高低と関係するのだろうか。2年前まで、中性脂肪は基準値ギリギリ。それがいつの間にか90台から70台、そして今回は60台になる。この理由は何によるのかを自分なりに考える。毎日飲む市販のトマトジュース、それともリンゴか。ふと気づいたのが野菜高騰のあおりで食べ始めたかぼちゃではないか、と。早速ネットで検索するとある、ある。「病気知らずの身体をつくる!かぼちゃの栄養と効能」(https://www.olive-hitomawashi.com/column/2017/02/post-36.html)。

 かぼちゃの栄養と効能の一つにβカロテンがあった。それは「実が黄色いかぼちゃは、体内でビタミンAに代わるβ カロテンを豊富に含む。かぼちゃを食べると風邪をひかないといわれるのは、粘膜や皮膚の抵抗力を高めるビタミンA の働きによるもの。近年では生活習慣病やがん予防にも効果があると言われており、注目の栄養素だ。西洋かぼちゃは、日本かぼちゃの5倍以上ものβ カロテンが含まれている」とある。

 なんとかぼちゃはかぼちゃでも西洋のモノが日本のかぼちゃよりも5倍もβカロテンが多いとは、驚いてしまった。かぼちゃは季節に関係なく年中スーパーで売り出される。それも価格は他の野菜に比べても安さは一番。食べ始めるまではこれほどまで栄養があるとは知らずにいた。とはいっても色が濃い野菜や果物は栄養価があるとは知っていた。そのかぼちゃ、どうやって食べる?考えついたのが屋久島に行って買ってきた飛魚だし。これを、かぼちゃを煮る時の調味料として使用する。それも徐々に味を濃くすると美味しいかぼちゃの煮物になった。

 購入するかぼちゃは水で洗った後、レンジで4分チンすると柔らかくなる。これを適当に切って鍋に入れて煮ものにする。最近は味付けもうまくなったと自画自賛。どういっても若い頃に学んだのは栄養士のコース。いろいろとお稽古事なるモノをかじったが、さすがに料理だけは習っていない。どういっても栄養士の「端くれ」だ。

 そういえば、先日、友だちに電話で健診後の結果を「どこも異常がない」、と話した。友からは「親に感謝…」と言われる。思わず「弱く生まれてきた、感謝…」と返答する。よく読んでいる吉行和子や外山滋比古の本、他にも長生きしている人の本に子供の頃、体が弱かったという人が多い。自分自身もそれに当てはまって長生きするかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月28日火曜日

一般健診結果

 今朝、ダグニーさんのブログを見ると「ページの上部に最新の投稿」と表示される。これで最新のブログが最下部表示から上部に変わって見やすくなる。106歳の投票の仕方が投稿されるが今一歩、日本語としてよくわからない。

 先日の一般健診の血液検査の結果が送付される。平成23年、西暦では2011年から自分の健診のデータを保管している。2011年は母が亡くなった年。その夏のデータは大人になってから一番、体重が少ない。親の介護で身心の疲れがピークだったのだろう。ところが、それ以降の体重は増えていく。それも今から3年前が人生一番最高のデブになる。先日、日本画の人から「3年前と比べて痩せたね」といわれる。自分では気づかなかった。検査結果をみると確かに3キロ痩せていた。というよりも以前が3キロ太り過ぎ。今回、血圧は122と70だった。この数年、130くらいあったので血圧の測り方が悪い、と勝手にそう思った。どうもそうではなくこれも体重と比例するのだろう。それにしてもどの数値も基準値内で問題ない。とはいっても2か月泳いでいないので運動不足を気にした。それも関係さなそうだ。この結果は優秀過ぎる! 

 運動不足といえば相変わらず暑くて家にいることが多い。先日来から読んでいる井上靖の『孔子』。あと少しで読み終える。どういっても書いてある文字が難しすぎる。難しいのは文字だけでなく文の内容も把握しきれない。400頁の本の内30頁くらいまではタダ字面を追うだけだった。それが読み進むにつれて内容がわかりだす。こうなると読むのが楽しくなる。もうちょっとで読み終える。読み終えた後は孔子門下のうちの一人(えんきょう、という人だけど簡単には漢字変換が出来ない。それくらい見たことも聞いたこともない漢字が本を埋め尽くす)が解釈する「子のお詩(孔子のおことば)」を拾い出す作業が待っている。これこそが夏休みの宿題?誰に出すんじゃ、といわれそうだけど…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月27日月曜日

某交流会&展覧会に出かける

 今日から小学校や中学校の授業が始まるのだろう。ゴミを出しに出ると生徒たちと出くわす。豪雨災害の影響で授業も早まるのかもしれない。それにしても相変わらず暑い日が続く。10月になっても30度超えの日があるらしい。

 どういっても命に危険を及ぼす暑さとか。なるべく外に出ないようにする。それでも出る時はまとめて用事をする。昨日は災害で延び延びになっていた某交流会の納涼の会に出かける。会の集合時刻まで三越で開催中の千住博と県民文化センターの某日本画の作品展を見る。こう暑くては外を歩くのさえ億劫だ。家を出る時から歩くルートを考える。まずは自宅最寄り駅から広島駅まではJRに乗る。その後、三越までは市内バスでなく市内電車に乗って三越前で降りる。

 千住三兄弟の一人は画家の千住博。昨日の絵は招待のハガキを見るとF6の大きさ。大きな絵ではない。しかし、作品のスケールは滝などが描かれており大きく見える。このような絵を見ると日本画なのか油絵なのかの区別もつきにくい。いずれにしても素晴らしい絵には間違いない。画廊を出ると県民文化センターまで本通りを歩く。広島駅が様変わりして紙屋町が廃れる、との気配は人出を見るとそれはなさそうだ。どこから人が湧いて出る、と思えるほど若者が歩いている。

 県民文化センター地下の展示室に入る。この会の先生の作品は賛助出品とある。地元の日本画の世界も5年近く習っていると狭いと感じる。しかし、先生の名前は初めて聞く名前だった。展示室の入って正面の50号の蓮の花。自分自身も蓮の絵を描いたので関心を抱いてみる。うまく描かれていた。

 絵を堪能した後はシャレオの地下街に入る。西側方面に外国のお土産コーナーがあると日本画の人から聞いていた。会合までには時間がある。お店を探すとあった。Australiaでお土産に買った”TIMTAM”、2,3種類あった。現地の購入価格ははっきり覚えていない。しかし、ここでの価格も高くなそうだ。今でも家に1箱ある。甘くて食べる気がしない。

 さて納涼の会。2月の会は欠席したので皆さんとは久しぶりのご対面。30名くらい参加された。乾杯の後、梨狩りと新年早々のカンボジアの旅の話題になる。今年の梨は水分不足でまだ玉太りが小さいらしい。2週間後になるとか。しかし、今年の梨狩りは中止と決定。カンボジア行きは10数名参加されるようだ。まだ旅の詳細は届いていない。カンボジアは20年余り前に出かけた。当時はポルポトによる大量虐殺が行われたキリングフィールドなども見学した。しかし、この頃はそこらあたりは行かず、アンコールワットが主な観光となるようだ。今度行けば修復がすすんでいるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月26日日曜日

地塗りとバックの色

 F6の鳥の子紙を貼った木製パネル、これに地塗りをする。先週、日本画の先生から地塗りは黄土系の色で…と聞いていた。家にある堀文子と高嶋野十郎の画集を参考にして地塗りの色を決める。そして昨日の日本画教室に色見本を持参。黄土系の色で地塗りして乾くと余ったものを再度塗る。この時は方解沫も加えた。この時点ではこれが絵のバックになる色と意気込んていた。ところが先生はこれは地塗りであり、本画にする際の絵のバックではないと話される。本画のバックの色は本画に仕上げる下絵を参考にして決める。ここでやっと気づく。地塗りとバックの色に違いがあることを…。道理で先生は初めの地塗りでこの色は何でもいい、と話されたわけだ。自分で思っていた地塗りと先生のそれとは違っていたと気づく。

 日本画の大家の人のHPを見ると地塗りには「地塗り1」と「地塗り2」で区別している。「地塗り2」が先生の言われるバックのようだ。ともあれ、自分自身、この2種の地塗りを1つのことと間違って解釈していた。そう言われれば本画にする木製パネルに色を塗る時、これまでもそうしていたと改めて気づく。

 日本画を習い始めてもうすぐ丸5年がやって来る。いつまでも先生の指示待ちではいけんじゃろう、との思いがある。ある程度は先生に聞かずに自分で描けるようになりたい。今年になってその気持ちが昂じる。何を習っても頭で覚えるものは割と楽。しかし、これに動作が伴うとどうも覚えが悪い。フルートもそうだし日本画もそう。もしもダンス系統を習ったら、もう先生と同じ動作はすぐにできないだろう。これも目が悪いから?と言い訳しそうだ。それもあるのか何を習っても長く習い続ける。これもいいのか悪いのか。とりあえずはいいことにしよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月25日土曜日

「黄金のアデーレ 名画の帰還」を見る

 昨夜の民放BSシネマ「黄金のアデーレ 名画の帰還」を見る。番組の解説には次のようにある。「グスタフ・クリムトが描いた世界的名画『黄金のアデーレ』をめぐって実際に起こった裁判と『黄金のアデーレ」』に秘められた数奇な物語を、アカデミー賞女優ヘレン・ミレン主演で描いた。アメリカに住む82歳のマリア・アルトマンがオーストリア政府を相手に裁判を起こした。世界中を驚かせたその裁判は、クリムトが描いたマリアの叔母アデーレの肖像画『黄金のアデーレ』の返還要求だった。ナチス統治下のオーストリアで、ナチスによって奪われたその名画には、マリア自身と彼女を取り巻く人々のさまざまな記憶が詰まっていた。マリアとともに裁判を起こす駆け出し弁護士役にライアン・レイノルズ。ダニエル・ブリュール、ケイティ・ホームズが脇を固める。監督は『マリリン 7日間の恋』のサイモン・カーティス」とある。

 ナチスの時代、ヒトラーは周辺諸国に住むユダヤ人から絵画や財産を没収した。これはNHKの映像の世紀で映し出される。その絵画などがボツボツ持ち主に返されているとテレビを見て知った。その様子を映画化したのが昨夜見た「黄金のアデーレ 名画の帰還」だった。それにしてもアメリカに住んでいても本来はオーストリア人。その人がオーストリア政府を敵に回して裁判を起こす。勝利したもののその胸中は穏やかではない。裁判の勝利者マリアはオーストリア政府から絵画を取り戻し、晩年は巨額の富を手にする。その後のマリアのことはナレーションで話される。映画の中でアメリカで裁判することはアメリカと日本が戦うようなことだという他の弁護士の件がある。それくらいこの裁判は物議をかもしたようだ。

 話は変わって今更何を、と言われそうだけど今回の豪雨災害の呉線と山陽線の運行不通の件。呉線でいえば海田市→矢野→坂→小屋浦→吉浦→天応→呉駅と沿線に軒並み被害が起きている。山陽線では海田市→中野→東中野→瀬野→八本松→西条→…も同じこと。これに両線を挟む山沿いの熊野町がある。これではJRが簡単には全線開通とはならないはず。貨物列車はもう少しすると山陰線を迂回して運行するとか。これはかなりの遠距離運行。大変だ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月24日金曜日

『楽天家は運を呼ぶ』

 台風20号はいつ広島に来た?というくらい何事もなく通り過ぎた。しかし、関西ではマンションの屋上が崩落している。戸建ての民家ならまだしも、マンションにまで被害があるとは、20号台風の規模の大きさがわかって来る。マンションが被害に遭うとなると、どんな建物に住めばいいのやら…。とはいっても今更マンション住まいとはなりそうにない。台風一過後の蒸し暑さ、これまた半端ではない。台風が来なくても暑い日々はまだまだ続く。もうどこへも出ず、家でおとなしく本を読む。今年の夏ほど本をよく読む年はない。

 本を読むといえば、高校時代を思い出す。高2のとき赴任された英語の先生のあいさつ。読書が趣味と話された。それもシェイクスピアだった気がする。その頃はほとんど本を読むという習慣がなかった。このお話を聞いて衝撃を受ける。地元の駅前に小さい本屋が2件あった。買うのはもっぱら文庫本。シェイクスピアに惹かれたかどうか怪しい限り。しかし、英語はのぼせた。とはいっても英語にのぼせたのは中学時代に英語のクラブに入っていたのでだいぶ前からのぼせていたことになる。

 刺激を与えられた英語の先生は今どうされているだろう。若い頃はもう2度と帰ってこなくていい。しかし、高校時代は今、思いだしても楽しかった。思い出はここまでにして昨日読んだのは高橋三千綱の本『楽天家は運を呼ぶ』(2017年、岩波書店)。

 著者の本を久しぶりに読む。行動力と好奇心、それに絶えずお酒が付きまとっている感じがする本。結果、あらゆる病気を発症。しかし、生来の楽天主義でガンなどの要らぬ手術は受けず、余命4か月の宣告後も生き延びている。また、人懐っこいといえば失礼になるかもしれないが様々な人との出会いを感じる本だった。

 「日常に潜む武道」から著者が秘密にしておこうとした「薬指」の話がある。これはちょっと気になるお話。ここに記そう。

 ★カルチャーセンターで坪井師範が教えた「薬指の秘密」の効果は驚くべきものがあったが、ここではやはり、秘密にしておこう。
 とここで終わっては読者に対して失礼なので、秘密を明かすことにしよう。それは薬指の第二関節の付け根にそっと唇をつけることである。そこは指輪をはめる場所で気流が心臓に通じている。そこに舌先を軽く押しつけ、五つゆっくりと数える。
 すると驚くなかれ身体が柔らかくなり、肩と腕の力が抜ける。呼吸が深くできやすくなり、気持ちが落ちつく。ことに緊張しているときなど効果的だ。123p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月23日木曜日

今朝のYAHOO記事から

 この頃、この時刻になると移動販売のパン屋さんが車でやって来る。人を呼び寄せる音はパン屋さんが来たことをわからせる音楽にある。🎵白い車のパン屋さん~♪の音楽がスピーカーを通して聞こえてくる。もしかしたら🎵黄色い車~♪かもしれない。まだ、この車のパンを買ったことがない。

 2,3週間前、日本画教室を終えてビルの外に出ると夕方の街中に豆腐屋の音がする。豆腐屋は生まれてこの方、見たことも聞いたこともないのでわからない。なぜわかる?と教室の人に問うと豆腐屋独特のラッパの音でわかるという。豆腐屋といえば10数年前まで家の近くに豆腐を作って売るお店があった。そのため豆腐屋の移動販売が来なかったのかもしれない。移動販売は冬の夜には焼き芋屋やラーメン屋が通っていた。今は今朝のパン屋しかやってこない。

 話は変わって、いつもYAHOO ニュースの検索画面を見ている。この頃の話題として老後資金の話題が多い。「あなたへのおすすめ」欄を見ると8,9件は老後の生活に関する話題だ。リタイア後、月に44万円の収入があっても暇だ、とボヤく人もいれば先日、2歳児発見の尾畠春夫さんのように月5万5000円の国民年金だけの生活に満足して生きている人もいる。

 その2つは「月収44万68歳の悩み"暇で暇で死にそう"」(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180823-00025918esident-bus_all
と「『収入は、1カ月5万5000円の年金だけ。お金がなかったら、ないなりの生活をすればいい。でも、自分の健康は自分で守らなきゃ』と話すのは、尾畠春夫さん」の記事。(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180823-00010000-flash-peo

 収入が極端に異なる2人の例を見て「元気で楽しく生きる」、とはどういうことかを考える。自分の場合を言えば、ただの年金生活者。決して月44万円の収入はない。もしも44万円もあればこの人のように暇を持て余してボヤくよりもすぐに旅に出るだろう。それに引き換え、尾畠さんのように国民年金だけの収入であっても生き生きとして元気に楽しく暮らし、人助けをしておられる人もいる。すべてはその人の生き方にある。金銭の多寡だけで生き甲斐ある幸せな生活ができる、とは決して言えそうにない。ボヤく暇があれば何かをやればいい。それには体を動かすのが一番!と運動音痴は悟る!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月22日水曜日

フルートの発表会近づく

 今日もダグニーさんのブログを見ることから一日が始まる。新たなタイトルになってから最新のブログは画面の一番下に掲載されるようになった。これはそれまでより見苦しい。また4日前からのブログ投稿が間違って6月となっている。それでも見る側にとっては何の支障もない。ともあれ、ブログを見てお元気な様子が伝わってくる。

 異常気象はダブル台風をもたらしている。その影響なのか最低気温は29度で、朝から蒸し暑い。エアコンも扇風機もつけっ放しにして眠る。明日の最低気温も29度のようだ。これほど変な気候が続くとただ体のことに注意する。寝不足にならないように、水分不足にならないようにといろいろと気を付ける。時に運動不足も気になる。先日、徹子の部屋に草笛光子が出ていた。スクワットをする時、しゃがんで体を起こす時つま先立ちで立って天に向けて両腕を伸ばす。元気の源はこの繰り返しをされていることに由るそうだ。

 プールの閉館で2か月ほど泳いでいない。これは水泳のように全身運動になりそうだと思って真似をする。しかし、つま先で立って両手を天に伸ばす動作のつま先立ちが初めの頃は大変だった。一日に20回していたのを今はそれを2,3回やっている。これくらいではまだまだ運動不足。かといって猛暑日を外で歩く気が起こらない。

 歩くと言えばフルート・レッスン後の広島駅までの道をこれまでは歩いていた。しかし、昨日はあまりにも暑いので先生宅最寄りバス停からエキまちループの市内循環バスに乗る。ただ、広島駅降車場所が福屋前でなく駅前とは知らずにいた。仕方なく、デパートをうろつかず駅のカフェに寄ってJRに乗って帰る。

 さてフルート。発表会までピアノ合わせを入れてあと2回のレッスンとなった。今年の発表会はこれまで長くレッスンを休んでいた人や昨年の発表会を見て急きょ今年、参加される人もいるそうだ。これとは反対にはじめての発表会でショックを受け、それ以降20数年出られない人、習っていても最初から出ない人、また今回の豪雨災害で出られなくなった人、といろんな人がおられる。その点、習い始めの頃、「ブー、ブー」くらいしか音が出なくても平気な顔をして発表会で吹いていた。これは決して恥を知らないのではなく、吹けないから習っている、との気持ちがそうさせた。

 参加するメンバーは大半が20年前後習っている人たち。さすがにこれくらい習い続けるとどの人も上手に吹かれる。20年でなく30年の人もいるかもしれない。そういえば、去年の発表会で刺激されて今年初めて参加される人は自分で手作りの発表会のチラシを作って知人に配られるとか。他所で長年吹かれている人らしい。

 この数年、フルートの発表会と日本画の作品展の時期がかぶっていた。今年は9月と10月の開催となり、少しは気分が楽。いずれにしてもフルートは発表会当日にうまく吹けなくてはいけない。今は「ブー、ブー」よりはましな音で吹いている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!、

2018年8月21日火曜日

『下り坂では後ろ向きに』

 『下り坂では後ろ向きに』(丘澤静也 岩波書店、2012年)、サブタイトルは「静かなスポーツのすすめ」を読んだ。著者を知ったのは南木佳士の本による。南木がうつ病を患って丘澤の『マンネリズムのすすめ』を読み、それに感銘してその本を常に手元に置いて読んだという。これに刺激されて私も早速『マンネリズム…』を読んだ。その次に読んだのがこの本である。南木が丘澤の『マンネリズム…』の中で刺激されて体を動かしたのが山登りや水泳など。この本でも「水泳」の話題が多く出る。

 自分自身、30年くらい前に人から強引に誘われて泳ぐ楽しみを知った。著者の何分の1しかの運動量ではない。しかし、泳ぐことを長年続けている。今は災害でプールが閉館されて残念ながら泳がれない。閉館が長く続くようであれば、以前に泳いでいた区のスポーツセンターで泳ごうと思っている。その前にいつものプールが開館されることを願って…。

 以下は『下り坂では後ろ向きに』から、気になる個所の抜粋。

★走り終わって、ハアハア言うことはない。泳ぎ終わって、くたくたになることもない。かかとや膝が痛くなることも、腰が重たくなることもない。翌日、筋肉痛に悩まされることもない。30年ほど、毎日のように走ったり、泳いだりして、大きな怪我をしたり、大きな故障をかかえたこともない。マンネリズムの醍醐味にひたりながら、けっこう長つづきしている。(6~7p)

 あまり変わり映えのしない毎日を送っている。それでも「これっ」と思うことは結構長続きするタイプ。自転車、中国語、水泳、フルートなどどれも長くやっている。海外旅行もやむを得ない事情で途中ブランクがあるが30年続いている。多分、日本画も続くだろう。これも著者の言うマンネリズムの醍醐味に浸りながら長続きしているのだろうか。そういえば、他に演奏会などの各種会員も長く続いている。、

★「静かなスポーツ」には文体や文法などと呼べるほどのものはない。小さなポイントがいくつかあるだけ。
・ひとりで
・ゆっくり
・静かに
・目標を持たず、結果を求めず
・距離や回数でなく、時間を区切って(7~8p)

 この5項目、どれもぴったりあてはまる。

★「スポーツ」の語源は「気晴らし(disport)」である。「競争」の意味はない。18p

★私は、走ることによって健康になりたいとも、泳ぐことによってダイエットしたいとも思わない。ちょっと、気持ちいいから、やっているだけである。それ以外のご褒美にはあまり興味はない(けれども、実際はずいぶん余得にあずかっているのだが)。41p

★年を重ねて実感するのだが、ヒトの精神年齢は、20歳前後でストップするのではないだろうか。高齢になっても、けっこう若い。というより幼くて、あいかわらず愚かなままである。すくなくとも私はそうだ。85p

★「ものごとの一番大切なアスペクト」は物語やドラマではなく、散文で書かれる。103p

★人間は希望がなければ、生きてはいけない。しかし、希望だけでは生きていけない。ゴールや結果ばかりを気にせず、日常のこまごました営みを丁寧にやりつづけ、日常の雑事をみがくことが、人間の日常をささえ、人間をささえているのではないか。私の知るかぎり(といっても、私の世間は狭いのだが)、毎日、家事を丁寧にやっている人に悪人はいない。結果ではなくプロセス。これは、静かなスポーツの基本姿勢である。110p

 このなかの「丁寧」のキーワード。日常の生活は丁寧とは言い難いが規則正しい生活は丁寧かもしれない。家事も丁寧ではないが「食」に関しては気を付けながらしている。

★ミケランジェロは屈辱と絶望のなかで、メディチ家礼拝堂をつくりあげた。その仕事をほめられたとき、屈折した魅力的な詩を書いた。「パルラ・パッソ(低い声で語れ)」は、その詩の最後のフレーズである。静かなスポーツが習慣になってから、私はこのフレーズを反芻するようになった。「パルラ・パッソ」の流儀は、スポーツ以外の局面で以前にもまして、必要になってきたように思う。122p

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月20日月曜日

31年前の夏!

 夏休みの宿題ではないが、この夏は以前に買ってそのままにしていた井上靖の『孔子』を読んでいる。ハードカバーの400頁もある本。読むといっても本の内容が難しく、わからない文字が頻繁に出る。手元に電子辞書を置いて読めない文字を手書き入力して確かめる。それでもどうにか3分の1くらいまで読んだ。この本は井上靖の最後の著書らしく、本にはせてある宣伝用のビラでそれを知る。この本を買った頃は世の中シルクロードブームの真っ最中。今、改めて本を確かめると平成元年の出版となっている。ということは約30年前のことで西暦では1989年になる。その3年前に初めて中国へ出かけた。当時は今、熱中しているモノ・コト・ヒトとは比べられないほど「中国」や「中国語」にのぼせていた。どういっても初めての中国旅行から4度続けて中国に出かけている。

 中国領シルクロードは海外旅行3度目の1987年に出かけた。中国語を習っていた友と一緒にツアーに参加する。どういってもこれまでの海外旅行で最高に楽しかったのが、シルクロードとも言えるくらい旅の間、はしゃぎまわっていた。そうそう、トルファンの葡萄棚の下の民族舞踊鑑賞では日本の「敦煌」の映画クルーの人たちとも一緒だった。添乗員が原田大二郎に話しかけて、それを知った。写真も一緒に写った…。

 当時の中国は今とは違って(今もそうかもしれないが)、飛行機の遅れは半端なくあった。敦煌に飛ぶまでの飛行機だったと思う。4時間ほど空港に待機した。座るところもなく、皆でコンクリに円になって座って待機したこともあった。その時の旅の参加者10数名の内、大半の方々は遠くへ旅立たれて会えなくなった。ただ一人は今でも年賀状のつき合いがある。

 シルクロードブームの最中、当時はDVDでなくビデオテープが全盛だった。旅の模様は参加者から送られたビデオテープがある。参加した人たちとはその後、下関や博多で会ったこともあった。また阿蘇山の草千里に連れて行ってもらって馬に乗ったこともあった。他にも四国から3人で参加された人たちと新居浜で会ったこともある。今、思い出しても楽しい旅の思い出。この時の様子をブログのように書き留めておけばよかったと悔やまれる。

 『孔子』を読みながらいろいろと感慨にふける。いつも軽い本を読んでいるので『孔子』はまるで古典を読んでいる気がする。それくらい、読むのが難しい。今年の夏は豪雨災害と暑さ、それにプールが閉館で泳げないため気持ちは不完全燃焼。31年前の夏のあれほどモノ・コト・ヒトに熱中していた頃とは気分も下がり気味。この本を読んで再度、当時の感情を取り戻す。

 ブログ投稿中、旅行社からFAXで申し込んだ熊野古道の確認電話がある。ぐずぐずしていてはいけない。そう思った。しかし、先日来から南木佳士の本に紹介される丘澤静也の『下り坂では後向きに』、サブタイトルは「静かなスポーツのすすめ」を読むと、自分も人生の下り坂を生きていると感じる。ナニゴトもムキにならず、これまで通りのやり方で歩を進めていく。これでいいと思えてきた。それにしても早くプールで泳ぎたい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月19日日曜日

日本画etc.

 連日の27,8度の最低気温が昨日から22度に下がってきた。暑くてエアコンをつけて寝るよりも、涼しくなって自然のままで寝る方が寝ざめもいい。とはいっても日中は相変わらず33度の日々。昨日は久しぶりに外出、といった感じで日本画教室へ出かける。また昨日から山陽本線が瀬野駅まで運行されて、JRに乗るのも何となく嬉しくなる。災害発生前まではJR運行時の車両はほぼ3,4両だった。ところ災害発生後は6~8両編成の車両になった。これも運行本数が少ないため一度に運べる人数を増やす目的で車両を連結するのだろう。連結車両が多いと座ることもできる。しかし、これも本来の運行になればまた3,4両編成に戻るに違いない。ともあれ、まだまだJRの運行は一部区間の運行で本来の姿ではない。

 さて日本画教室。大きな無花果の木を描いている。この冬、オーストラリアで見た巨木の無花果。初めて見る無花果の林立だった。これは絵になる、と思って写真を撮る。本来であればスケッチは現地でするのが望ましい。しかし、もともと絵は得意ではない。ましてや海外に出てまでスケッチする気もさらさらない。こうなると頼るは写真。この写真をA3大にコピーして、それを見てスケッチする。前回までこれを下絵として水彩で一部色付けした。この色付けも本画にする時、楽にできるように色付けする必要がある。しかし、水彩画を小学校でやったのかどうかさえ覚えていない。とはいっても図工の先生がおられたのを覚えているので学校で絵を習っているはず。そう思って色付けする。だが、巧くできない。3時間の日本画教室。半分経過した辺りでティータイム。これを言うのはいつも私。自販機で皆の珈琲など買いに行く。ティータイム後はまた色付けを開始。途中、2歳の行方不明だった子供の話題になる。なんと、教室の一人は救出されたことをご存じない。これを聞いて知らずにいた人がこの時、教室の人から聞いて驚いた、そのことに皆驚いてしまった。

 教室に行く前に最寄りJR駅で列車を待っていると小さい男児が親とホームに立っている。思わず、何歳かを親に問うと2歳5か月とのこと。行方不明だった子はこれよりも5か月も小さい。ホームで見た子の歩く姿は足元もおぼつかない様子。それよりも小さい子であればもっとおぼつかないだろう。改めて見つかった子の生命力の強さを感じる。それにしてもこの話題は人々の気持ちをやわらげてくれた。それも「スーパーボランティア」とたたえられている尾畠春夫さんのお蔭。メディアはこの人の話題を取り上げる。テレビを見ていて話す言葉に説得力がある。どんな偉い人の言葉よりも活きた経験があるこの人の言葉は更に人々を感銘させる。

 日本画に話を戻そう。途中、教室のドアが開く。入口に座っているので立って行って訪問者に何の用かを問うと見学のようだった。それも男性。眼が悪いのでその人の格好まで見ていない。あとでどうも今どきというか変わった人のようだったらしい。

 昨日は他にも本画用に仕上げる木製パネルに鳥の子紙を貼る。いつもは市販のものを使用している。次回の教室ではこのパネルに地塗りして徐々に本画に向けて作業をする。さて、地塗り。先生に相談すると黄土系がいいのでは、とのこと。家にある堀文子と高島野十郎の2冊の画集を参考にして地塗りの色を探す。それにしても無花果の巨木、だんだんと絵になっていく。さてさてどんな絵になるのやら…。

 ともあれ今日も元気に楽しく過ごしましょう!

2018年8月18日土曜日

旅のカタログから

 市内の旅行社2社から旅のカタログとパンフが送られてくる。どちらからも毎月送付されるのでたまには利用したい。昨日はこの夏初めてエアコンなしで過ごせた。そろそろ秋の気配?と思い旅のカタログをしばし眺める。その前にプールは?と思って電話をかけると開館の予定はわからないという。いつまでもプールにばかり気を取られてじっとしているのも体に良くない。来月のフルート発表会が終わると月末まで10数日予定がない。毎日が日曜日であっても遊ぶ予定がないともったいない。カタログもパンフもパッとしないと諦めモードになる。

 ところが夜になって再度ゆっくり見ると元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)や前から行きたいと思っていた熊野三山などがある。元乃隅稲成神社は近年急に観光案内に記されるようになった。ネットで調べると近年のはずである。昭和30年に地元の網元が漁を続けてこられたお蔭として建てている。歴史がなさすぎる気がして熊野三山に目が行く。しかし、ここは国内の旅であっても一人参加料金が高い。これも気にしているとどこへも行けなくなる。そう思ってFAXで参加を申し込む。

 以前の旅で知り合った人は御年80歳を過ぎておられても今年の初めに南極クルーズ、そして最近は南アフリカに行かれて来春はエジプトクルーズを予定されている。どこかへ行こうとすれば元気が湧いてくる。今年はルーマニア行きを逃した。海外も働いていた頃は50万円を超える旅行も平気だった。しかし、今は無職の年金生活者。さすがに50万円を超える旅は考えてしまう。それも年に1度ならず2、3度行くとなると年間の旅行費は100万円を優に超えている。時にどこから旅費が…と聞かれることもある。失礼じゃろ、こういうことを聞くのは…。長年働いていたそのご褒美じゃ!心の声、心の声!

 昨日のブログではないが安いなすびを買ったぐらいでは旅費にも充当しない。また国内の旅といっても宿泊が伴えば今回もそうだけどすぐに4,5万円かそれ以上も必要になる。たとえ京都の日帰り旅であっても新幹線利用とあれば3万円もいる。朝からお金のことでボヤいてはいけない。ボヤくなら、遊ぶな!と言われそうだ。気を取り直して元気なうちは金銭を言うまい!また、旅行社選びも安さだけを求めず、ここは最大手を利用している。すべては楽しく安全のために…。これで今朝は元気が出てきた!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月17日金曜日

暑い日はクックパッド!

 豪雨災害から40日が経過。明日にはやっと山陽本線の海田市駅から瀬野駅までの8.8キロの運行が再開されるという。これは不通になっている区間、65キロの8分の1に過ぎない。まだまだ本格的な運行再開にまでは時間がかかるようだ。災害発生後、家にいることが多くなった。どういっても連日の35度以上、おまけに最低気温は27,8度もある。それも今朝は台風の影響なのか、最低気温24度でエアコンも扇風機も今のところ要らない。しかし最高気温は33度の予報。この1週間を見ても最高気温の予報は相変わらず33,4度と高そうだ。まだまだ秋にはほど遠い。

 秋と言えば秋なす。お盆のためかスーパーの野菜は少なく、たとえあっても高い。モノを買う時、野菜もそうだけど自分なりの買う際の価格がある。やたらと高いモノは今買わなくても…との思いから安いなすびを購入。暑いときはガスを使わず、クックパッドに頼るのが一番楽に調理できる。ネットで検索せず、勝手になすびを洗ってタテに4等分。それから皮をむいでクックパッドに入れること3分。そしてレンジでチン。こげ目はつかないけど柔らかい。これをお皿に盛って鰹節をかけてだし醤油をかける。これだけでもお美味しい。後でネットで検索するとおろし生姜とねぎを加えるといいらしい。今日もまたこれらを加えてやってみよう。

 最近他にもはまっているのが冷麺。市販の中華麺をティファールで沸かした湯をかけて冷ます。それに細長く切ったキュウリ、卵、ハムなど加えてミツカンの冷やし中華つゆの醤油味で調える。ハムがないときは鰯の缶詰やサンマの缶詰を使うとさらに美味。麺類と缶詰は以前テレビで沖縄では火を使わずにこれだけで調理とあった。

 暑い毎日、なるべくガスは使わずに電気のそれもレンジの料理に尽きる。ということで我が家はひと月のガス代は800円余り。じゃ、ガスなしで…と思う。だが、いざ何かあったとき、特に冬に電気が止まれば寒さに耐えられなくなりそうでガスはそのまま使用中。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月16日木曜日

情報リポジトリ

 所属している某近代史研究会からメールが届く。いつも届く一斉メールでなく、個人あてに送られている。送り主は社会人大学生の時の卒論の指導教官。メールの内容を見ると大学のリポジトリに登録するための確認メールだった。メールの下方に署名して返信するようになっている。すぐに返信。こういう時、送信者にひとことあいさつ文を書かないといけないのだろうか、それが気になる。しかし、決まった書式の返信なので送信者の名だけを書いて送る。

 メールが届いた研究会からは今年度から年に3回研究会誌が送付されてくる。昨日のメール確認の本はそれ以外の論文集だった。参照URLを見ると学術情報リポジトリのHPがある。今の時代、家に居ながらにしていろいろな情報を知ることが出来るとこれを見て驚く。それにしても博士号を持つ人の何と多いことだろう。オーバードクターが何十万人もおり、職に就けないとのメディアの情報もうなづける。

 大学と言えば先日お寺に塔婆を取りに行った際、お上人の娘さんと話す。娘の夫は若いお上人。その子供は社会人で修了した学部の3年生になるという。古いお上人のお孫さんだ。古いお上人の娘は今どきの大学の情報について驚かれる。紙があるのになぜパソコンで提出するのか、などぼやかれる。それは今始まったことではない。今から15年前に入学した際も各種登録やレポート、試験成績、お知らせなどすべてパソコン抜きでは動けない仕組みになっていた。6年間の在学中、一番しんどかったのが情報科目。

 メディアによると今の大学生は入学時、スマホ操作はできてもパソコンができないそうだ。そうかもしれない。15年前はネット接続はパソコンが主だった。そう思えば今入学する大学生よりもパソコンは強いかもしれない。とはいってもヤッパリ情報科目には泣かされた。お蔭で今は、さてさて…。

 今日は台風の影響でこれから雨になる模様。朝から蒸し暑い。気温が高いのも大変だけど蒸し暑さは気分が悪くなりそうになる。朝からエアコンが欠かせない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2018年8月15日水曜日

楽譜が届く!

 ご自宅でホームコンサートをされる人から楽譜が送られてきた。A4版の封筒には♪グリーンスリーブス🎵のスコアが4枚入っている。スコアの上にはフルートのパート譜がある。しかし、いつもフルートを吹く時はフルートだけの楽譜で吹いている。この楽譜は家にあるはず、と思って譜面を探すと同じ曲名の楽譜が2部あった。しかし、送付された調ではない。こうなったらフルートの先生にお願いしてパソコンで楽譜を作っていただくか、コンビニでコピーして自分でフルート用に作り替えるしかない。まあ、これも来年のことなのでゆっくり考えよう。

 封筒の中を見ると一筆せんに書いてある。今回の豪雨災害で大変な被害にあわれていた。何と7,80㎝の高さまで水が溢れたそうだ。幸いハープやピアノなどがある部屋は頑丈な扉のため、楽器の足元が水に浸かったくらいとか。ホームコンサートを開催される家だけあってハープ3台にグランドピアノなど楽器類がたくさん置いてある。その家のあたりは道路拡張で立ち退きになるそうで、来年には新築なった家でホームコンサートを予定されている。その時、フルート奏者がゲストに来られるので一緒にフルートを吹く予定。昨日送られたのはその時に使う楽譜だった。

 今日は最低気温が29度で朝から蒸し暑い。台風の影響で雨の予報も出ている。雨は降って欲しい。しかし、川には土砂が溜まっている。大雨になればまた災害になりそうだ。一昨日お墓に参った際、山から流れる小さな川にも木片や土砂が溜まったままだった。我が町は昔は山の付近にため池もあった。だが今はもう見当たらない。今回の豪雨災害でため池が氾濫して被害が増した箇所もある。いずれにしても災害は怖い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月14日火曜日

BSシネマ「華麗なる激情」を見る

 BSシネマ「華麗なる激情」を見る。教皇の叔父が造ったというシスティーナ礼拝堂。古くなり壊そうするが、教皇は壊さずに天井画を描いて保存する。絵を依頼されたミケランジェロ。だが彼には絵よりも彫刻に優れているとの自覚があった。それでも教皇は天井に絵を描くようにミケランジェロに依頼する。絵の出来上がりが遅いため教皇は「いつ終わる?」と問うとミケランジェロは「完成したら」と何度かこの問答が繰り返される。これに業を煮やした教皇はミケランジェロからラファエロにかえて絵を描かせようとする。だが、ラファエロはミケランジェロの絵を見て自分には到底こうは描けないと知る。ミケランジェロは出来上がりの遅さに首を言い渡され、死に物狂いで絵を描く。いつしか瀕死の状態に…。教皇もローマが敵国に取られないようにと必死になるがやがて体力がつきそうになる。しかし、ピンチになるといつも応援者があらわれる。ついにミケランジェロによって天井画は完成。教皇から2度ほど絵の制作を解雇されていたミケランジェロ。そんな教皇が映画の終わりにミケランジェロと会話する場面がある。

 教皇       「何を学んだ?」
 ミケランジェロ  「私は孤独を学んだ」
 教皇       「私は世界が孤独でないことを学んだ」

 天井画の製作には天井までの高さに足場を組まねばならない。時に足場に寝そべって天井に絵を描くミケランジェロ。それは天井に直に描くのでなく、あらかじめ紙に下書きしたものを天井に転写して描く。これは日本画の下絵を本画にする際にカーボン紙で転写するのと似ている。

 久日振にBSシネマを見た。これまでの人生で映画館で映画を見たのはどれくらいあるだろう。BSのお蔭で古い洋画を見るようになった。そのほとんどはタイトルに惹かれて見るのが多い。この映画の初めにはミケランジェロが成し遂げた彫刻などをかなりの時間割いてい流す。ミケランジェロは改めてすごい作家だ。今夜のBS日テレでミケランジェロの特集がある。何というタイミングの良さだろう。

 そういえばシスティーナ礼拝堂、20年以上も前のイタリアの旅で出かけている。バチカン市国が世界で一番小さい国と知って驚いたことを思い出す。入場前に膝が出ると入場制限される話を聞いたこともあった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月13日月曜日

「難民希望への旅路」を見る

 一昨日の夜のBSは「映像の世紀プレミアム」と称して過去100年間の映像をまとめて放送した。そのタイトルは第10集「難民希望への旅路」。番組のHPには次のようにある。

 「戦場カメラマンとして、スペイン内戦で難民となった人々を撮影し続けたロバート・キャパは、実はユダヤ難民だった。ナチスに迫害を受けた、ユダヤ人科学者アインシュタインは、イスラエルの初代大統領に就任を要請されたが、断っている。アラブ人と共生する国家を目指していたからである。ベトナム難民を撮影した『安全への逃避』で世界に衝撃を与えたカメラマン沢田教一。撮影された家族との間に残された美しいエピソードとは…」。

 1時間半の番組だった。自分の頭では理解できないほどの内容で、番組を見て初めて知ることが多かった。ロバート・キャバもアインシュタインも名前だけは知っていても詳しくは知らずにいた。特に、アインシュタインの行動力にはびっくり。ヒトラー時代のドイツ。誰もヒトラーに逆らえなかった、と思いきやアインシュタインは異議を唱えている。しかし、アインシュタイン自身もユダヤ系であったために、ヒトラー非難の後、財産など没収される。そしてアメリカへ移住。ユダヤの民はパレスチナへ移住し、そこに国を作る。はじめのうちはアラブの人々ともうまく適応した。しかし、イスラエルができるとムスリムとの関係が生じてくる。その時、アインシュタインは声をあげる。他にも平和的な解決のためにアインシュタインは声をあげた。この「声」、今一歩自分の言葉で表現できない。こういう時、メモを取ればよかったと悔やまれる。

 相変わらず暑い日が続く。昨日の最低気温は29度。姉はお墓参りを気にかけて電話してくる。あまりにも暑いので涼しくなってから…と話す。その時点ではお墓参りどころではない。あまりにも暑くて…。スーパーに行くと生花売り場に人が多い。お墓参り用にと花を求める人たちだ。花を買って帰ろう、という気になる。買い物を済ませて家に着くとその足で急きょお墓参り。手にはお花と塔婆などを持ち、帽子と日傘で暑さ対策。墓までの道を歩きながら途中何回か立ち止まる。暑くてたまらない。墓参りの往復の携帯万歩計は2400歩。それほど歩いていない。それでも家に帰るとまるでシャワーを浴びたかのように汗の洪水。すぐにシャワーを浴びる。今年ほど暑い日があっただろうか。明日からの天気予報でも木曜日まではこの暑さが続く。

 「望郷のバラード」、暑い中、毎日、笛を吹いていると暗譜できた!また、動画をアップしよう!


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月12日日曜日

「後生願いの六性悪」

 スウェーデンの106歳のブロガー、ダグニー・カールソンさん、昨日からブログの頁が新たになって「好奇心のため」とタイトルがつく。どういってもダグニーさんは並の人ではない。106歳まで一人で元気に暮らしているだけでも素晴らしい。その上、毎日画像付きのブログをアップされている。ましてやブログのタイトルどおり、「好奇心」が旺盛な人だ。いつのまにか私の一日はダグニーさんのブログを読むことから始まるようになった。それくらい影響力がある人だ。

 お盆法要の塔婆を受け取りにお寺へ行くと古いお上人が受付をされている。秋には満91歳になられるそうだ。今でも自転車に乗ってお元気に移動されるという。父が亡くなってからお寺との付き合いが始まった。古いお上人には仏壇やお墓を購入の際、お世話になった。父は宗教的なことに熱心だった。安芸門徒と言われるように広島は浄土真宗の家が多い。しかし、父は生まれも育ちも福山なので安芸門徒ではない。母は浄土真宗で育っている。宗派が違うので父なき後、いろんな面で古いお上人にお世話になった。母は月命日ごとにお寺さんが参られるのでその際のお経は覚えていた。しかし、母なき後、お寺に関する一連の行事は母ほど熱心ではない。とはいっても母も父ほど熱心な信者ではなかった。

 昨日、古いお上人が我が家に月命日に参られていた時の母との話を聞かされる。それはいつも母が娘たちに言っていたことでいくら神社仏閣に手を合わせても本人の行いが悪ければ「後生願いの六性悪」の件だ。「何んで言われていたかね?」とお上人に聞かれて、「こういう話では…」と話すと納得されたようだ。母は月参りに来られるお上人にいつもこういうことを問いかけていたらしい。読み方は「ごしょうねがいのろくしょうあく」。意味は「来世の安楽を願っていながら、たちの悪いことをするたとえ。『後生願い』は、来世の極楽往生を願うこと。『六性悪』は、喜・怒・哀・楽・愛・悪の六つの感情の『六性』と『性悪』をかけていったもの」。https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3083.php(参照)

 午後は近くの区民文化センターに出かけて弦楽合奏団の演奏を聞く。演奏曲目はなじみのある曲ばかりでも聞きごたえのある演奏会だった。ところが、幼児を連れた親子が目の前に座っている。演奏中、子どもはじっとせずにぐずっている。演奏途中、母が子供の頭を殴った。幸い殴られた子どもが泣かなかったからよかったものの、幼児をクラシックの演奏会場に連れてくること自体が間違っている。そう思いながら演奏を聞く。いくらいい音楽を聞かせても親が子を殴るようでは情操教育とはならないだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月11日土曜日

一般検診etc.

 一般検診を受けた。血圧は最高122、最低70で今のところ異常なし。血液検査は後日結果が出る。医師との話でも「異常なし」だった。そして「内科への有無」を聞かれて「通っていない」と話すと驚かれる。すぐに「泳いでいます」と得意気になって話すと「続けてください」と医師。また医師は「内科へ行ってコレストロールが高かったとしても先生は薬を出さないでしょう」とのこと。誰が薬を飲むか、と影の声。それは血圧の高さにもあるらしい。とはいってもこのひと月、プールで泳いでいない。

 血液検査用の採血で注射針が痛くないときがある。思わず「上手!」というとこれは看護師の上手下手ではないそうだ。3,4年生の孫に聞くとわかると看護師は言う。孫はいない、と告げると皮膚の部位に関係があるとのこと。ネットで調べると以下のようなアップがある。

 「そもそも注射の痛みが起きるのはどうしてか?というところから、お話します。皮膚の表面には、痛みを感じる点『痛点』が、1㎠当たり百~2百個、分布しています。つまり1ミリ四方におよそ2個ですが、その痛点に、注射の針が当たると痛いと感じます。ですから、注射針をできるだけ細くして、痛点に針が物理的な当たらないようにすれば、痛みは減ることになります」。https://www.tbsradio.jp/207978(参照)

 それにしても暑い!2日前「暑さお見舞い申し上げます」とはがき絵の暑中見舞いを受け取る。差出人は短大時代の友。「暑中」でなく「暑さ」に反応してあとで気づく。今年の立秋は8月7日。もう季節は秋。そのためこの書き方をされたのだろう。立秋がいつかも知らずに「残暑お見舞い」にすべきところを「暑中お見舞い」で返信してしまった。そういえば今日は山の日。誰がいつこれを決めた!?

 今年は暑いお盆。先日、お寺さんが我が家に参られる日を姉夫婦に電話で聞かれる。今年の春分の日、年に一度参ってくださるお盆法要を今年からしない旨、お寺に告げた。例年ならば8月10日前後に参られる。母がいなくなってお寺に絡むこういった一連の行事に気持ちがついていかない。罪作りかもしれないが、今となってはこれでよかった気がする。姉夫婦だってわが家からかなり遠い。ましてや年々老いていく。また墓地付近も今回の災害で車の通行止めの箇所がある。

 これからお寺へ塔婆を受け取りに行こう。1.5mくらいの長さの塔婆。これもいつまで受け取れるかわからない。元気なうちは自分ができる範囲のことだけをしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月10日金曜日

日洋展&日本水彩展に出かける


山本恭平「静寂・朝の露」から
新延泰雄「冬の丘」から

  重い腰を上げて日洋展と日本水彩展に出かける。出かける前、どういうルートで見ようかと思いを巡らす。絵を見ようと思った動機は山本恭平の「静寂・朝の露」にある。まずは県立美術館を目指す。コースは広島駅→県立美術館→福屋八丁堀店→三越→広島駅で動き出す。

 ところが最後に見た三越の日洋展選抜に行くと入り口に県立美術館で開催中の日洋展の招待券が置いてある。しまった、順序を逆にすればよかった…と思ったのも後の祭り。ともあれ県立美術館で開催中の日洋展は入場券を買って見る。入ってすぐに目的の絵があった。この展覧会は日本の洋画家たちの具象画の美とある。具象画、とうたっているように見ていても安心感がある。というか、絵がわかりやすい。

 受付で愛想の良くない係りに写真はOKかどうか問うとよいとのこと。数枚気に入った絵を写す。写真OKで新聞記事にも掲載されているのでブログのアップも勝手にOKさせてもらおう。それにしても「静寂・朝の露」のなんとも言えないほどに繊細な絵をどうやって描いたのだろう。新聞記事の絵を見て感動したので本物はどう表現していいかわからないほどの気持ちになる。素晴らしい絵だった。

 福屋八丁堀店へ移動する前にCAFEで軽いお昼を食べる。その後、日本水彩展を見る。デパート内の展示場のためか人が多い。絵を見て感動する気が起きないほど人がいる。それでも何点か気に入った絵がある。人の多さに呆れてさっさと外に出る。次にむかうは三越。日洋展の小品展会場に行くとすぐに山本恭平の作品を探す。サムホールくらいの小さい絵だった。

 日洋展も日本水彩展もどちらも樹木の絵が何点かずつあった。絵を習い始めて、また、樹木を描き始めて他の画家たちが描いた樹木の絵を見るとなぜかその絵や画家に親近感がわく。しばらくというかこれから先もずっと樹木の絵を描きたい。樹木の絵を見て感動していると、以前油絵を習っていた見知らぬ人と話が弾む。樹木には生命が宿っていると話される。確かにそうだ。人の生命よりも何年も何百年も何千年も長く樹木は生命を宿す。樹木の生命力にあやかりたい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月9日木曜日

『熱情』

 月に一度定期的に行く眼科。昨日の眼圧は13と15で何の問題もないようだ。今週は日本画も休みで暇つぶしに県立美術館で開催中の日洋展を見よう、と思った。また八丁堀の福屋で開催中の日本水彩展の招待券ももらっている。しかし、異常な暑さのため見に行く気が起こらない。新聞に日洋展の案内がある。この中に山本恭平の大きな樹木の絵がある。今、樹木に凝っているので是が非でも本物を見てみたい。さてどうしよう。

 それにしてもこの暑さ、どうなっているのだろう。今年ほど外に出かけるのが億劫な年はない。昨日、関西のJTBから旅のカタログが送付される。ところが暑さに気持ちが参るのかどこへも行きたくない。ただ、自分のなかでは「1回は行かんといけんじゃろう」という箇所がある。それは中国の東北地方の大連、瀋陽辺り。11回も中国に旅行していても中国の近場に出かけていない。旅のカタログが届く度、この辺りの旅を探す。関西や福岡発でなく、近場なので広島発はないのだろうか。外国で近場と言えば韓国も出かけたことがない。

 他に気になる国はネパール。旅の時季としてはこれからやって来る冬場がいい。ところが今一歩踏み出せない。これも毎日のこの異常な暑さによるのだろう。仕方なく家で本を読む。昨日はドナルドキーンの本と「田中角栄をとりこにした芸者」とサブタイトルの付いた辻和子の『熱情』を読む。神楽坂の戦前から戦後にかけての芸者の生き方や東京の様子がこの本1冊でよくわかる。なんとなく頭にある芸者のイメージはほぼこの本を読むとその通りだ。母よりも10歳くらい若い辻和子。角栄との間に生まれた子供は自分と同時代を生きている。

 それにしても親が生きた時代に小学校に通えない子は夜学に通っていたとは…。それもたった1年しか行けなかったそうだ。角栄の出世に伴い、晩年は角栄が紹介した一流の書道家から書道を習っている。だが、それは本人に言わせると書道でなく学校に行っていないので習字になったとか。そう、そう、角栄が亡くなる前まで、月に100万円の仕送りを受けてたそうだ、しかし、亡きあとは当然それもなくなる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月8日水曜日

『70歳、はじめての男独り暮らし』

 「人が生きるということはこれほど多くのゴミを出すことなのだ」(098p)。これは昨日読んだ『70歳、はじめての男独り暮らし』(西田輝夫、幻冬舎、2017年)に書いてある言葉だ。1週間の月、火、水、木、金曜日はゴミを出す日。それ以外にも大型ゴミが別にある。今朝はペットボトルやプラスチックゴミを出す。男独り暮らし、ならぬ女であっても朝、ゴミを出す大変さは親を亡くして初めて知った。特に冬場は起きるのが遅いためゴミに間に合わせるように目覚ましをセットして眠る始末。

 本の著者は眼科医。再婚した奥さんと死別して男独り暮らしとなる。日々寂しさと悪戦苦闘して男が独り生きていく様子を書いている。読むうち、母を亡くした後の自分の生活と被る。会社に長く勤めていたので家事一切は親任せだった。母が怪我をして親子の立場が一瞬にして逆転。さあ、それからが大変。親の銀行のキャッシュカードの暗証番号に始まり、親がやっていたことすべてを聞く羽目になる。本を読んで著者のとった行動が手に取るようにわかる。

 それも年数を重ねると何とかなるもの。ただ、著者が「心豊かに生きよ」の編で寂しさをはねのけるために独り行動をし始める場面がある。まずは初めての独りのお正月。これも経験済みなのでよくわかる。著者は年末を早めにしてニューヨークに飛び、美術館巡りや演奏会会場に足を運ぶ。こうしたことで「一人で街を歩いていても寂しくなくクリスマスの雰囲気を楽しめました」とか(136p)。他に「読書も独りで出来る心を豊かにする方法です。独りで生活していて、だれとも話をしなくても、本を読むと著者と直接会話することが出来るのです」という(138p)。

 これは今回の災害と毎日の暑さで外に出ないことが増えると図書館で借りた本をよく読むのでそう思う。エアコンの中で面白くないテレビを見るよりも本を読む方がいい。著者が書いているこの気持ち、よくわかる。というか、独りに慣れたのかもしれない。

 独りといえば2年余り前、モロッコの旅で知り合った人も独り暮らしのようだ。今年の2月の南極クルーズの後、先月は念願の南アフリカの旅をされている。ブログで旅の楽しさが綴られる。南アは20年くらい前に出かけた。その頃はまだブログを始めていないので当然、投稿もない。しかし、南アの旅は姪にCDにしてもらった。今となってはCDよりもブログの方が手っ取り早くみられる。これも時代が変わったことに由る。

 さらに独り暮らしかどうか知らないが昨日図書館で読んだ「週刊新潮」。いつも読んでいる外山滋比古氏の週刊ダイアリーの掲載がある。4か月前からホーム暮らし、とある。御年95歳。ホームに入られる前まで認知症の奥様のお世話もされていた。入居後も、変わらずに執筆活動をされている。また散歩も欠かさないらしい。

 皆さん、自分なりに独りを元気に楽しく暮らしておられる。親と長く暮らしていたので独りになるという実感がわかなかった。しかし、この頃は独りもなかなかいいものと実感する。人はどんな環境に置かれてもその気になれば何とか生きていく動物だ。

 話は変わって、先日の「平和の夕べ」コンサートのソリスト ネルソン・フレイレさんのアンコール曲が広響のHPで公開された。以下の2曲の演奏だった。

🎵パデレフスキ:ノクターン 作品16-4
🎵グリー\\グ:抒情小曲集第8集より「トロルドハウゲンの婚礼の日」作品65-6

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月7日火曜日

「習うということ」

 FMから流れる今朝の音楽は「アルペジョーネ・ソナタ イ短調」( シューベルト)。聞いたことがある曲と音に反応してしまう。それもそうだ。以前フルート発表会で吹いている。発表会で吹いた曲の一覧表をワードに作成した。これを見ると1999年の発表会で吹いていた。ということは今から約20年前になる。曲の一部を吹いたのだろう。それにしても今は吹けるかどうか。涼しくなれば暇つぶしに家で吹く。いいかもしれない。ともあれ、今は来月の発表会で吹く「望郷のバラード」の練習がある。

 発表会で吹いた曲は勝手に自分の曲と思ってしまう。それほど愛着ある曲となる。望郷のバラードは天満敦子の持ち歌ならぬ曲だけどそれにあやかりたくなるほどいい曲だ。ほぼ暗譜する。しかし、本番ではやはり楽譜が欠かせない。もしものこともある。もしも…といえばチューニングの「ラ」の音。このごろやっと思うような音が出るようになった。レッスン日の昨日、先生のピアノに合わせてソロで吹く曲を吹く。昨夜、ICレコーダで聞くと前回よりはマシのようだ。曲の出だしの「シ」から始まる1小節。これが一番大事。吸うようにして吹く練習を心がけよう。

 レッスンではソノリテの後にオクターブの練習をする。それもバラエティーに富んで音符が並ぶ。2オクターブ目の「♭ミ」から3オクターブ目を吹き、そのまま同じく2オクターブ目の「♭ラ」から3オクターブ目を吹く。この時その都度指をやり替えていた。こうするときれいなスラーで吹けなくなる。先生は「左手はそのままの指で、ただ右手の指を話すだけで…」と指摘される。言われるとおりにすれば「なるほど」と思ってしまう。吹きやすい。



 指は一つずつの指が音符に反応して無意識に動かしている。曲を吹く時もそうだ。しかし、これも先生の教わったやり方で吹けば楽に吹ける。レッスンの度にこれが「習うということ」、と妙に感心する自分がいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月6日月曜日

2018「平和の夕べ」コンサートを聞きに行く

 昨日は年に一度ある広島交響楽団2018「平和の夕べ」コンサートの演奏会。広響の会員になっている。しかし、昨年から「平和の夕べ」コンサートは年会費に入らなくなった。そのため会員は早い時期からチケットを購入する。会員であれば2割引き。昨日お昼に家を出ると暑い、暑い。外に出る人は誰もいない。演奏会会場で見知らぬ隣の人と話すとこう暑くてはこれから7,8月のチケット購入は止めようと話がまとまる。席は前から7列目。ピアノ演奏があるので少々左側の席を購入。これは正解だった。

 演奏会のサブタイトルは「~ブラームスは愛の調べ~苦悩、祈りそして喜びへ」。まさにこのタイトル通りの素晴らしい演奏会だった。指揮者は秋山和慶、ピアノにネルソン・フレイルを迎えての演奏会。ピアニストのフレイル、人柄が演奏や舞台での振る舞いに出ている。フレイルのアンコール曲は演奏会場には表示がなかった。HPで公開されるらしい。



 演奏曲目は次のとおり。

🎵ブラームス 交響曲第3番ヘ長調
 
 4楽章あり、3楽章はあの有名な「さようならをもう一度」の映画の中で演奏されている。映画は近年、NHKのBSで見た。それよりも前に2005年のフルート発表会でソロで吹いている。どおりで曲になじみがある。暇なとき楽譜を出して吹いてみよう。

🎵ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調

 これも4楽章からなる。その後、フレイルのソロでアンコールとして2曲演奏された。

 暑さを問題にしていた演奏会。しかし、終わってみれば暑さを忘れるほどの素晴らしい演奏会だった。会場を出る時、誰彼となく興奮気味に話が弾む。それくらい素晴らしい演奏会だった。暑くても来年の平和の夕べコンサートを聞きに行こう。

 しかし、この暑さ、どうなっているんだろう。この先の天気予報を見ても最低気温27度、最高気温35度の日が続く。これ以上暑さが続くと体が干からびそうだ。老婆が道で干からびていた、とならないようになるべく外へ出ないようにしよう。しかし、今日はこれからフルートのレッスンがある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後にスウェーデンのブロガー、ダグニーさんのブログを見る。タイトルが「日本列島」となっている。ところが翻訳機能の日本語が変なためか、内容が今一歩つかめない。

2018年8月5日日曜日

脱マンネリ!

 長く習い続けていると時に、マンネリになることがある。前回の日本画教室で写真を見て大きな無花果の巨木をスケッチした。無花果の木はオーストラリアで写したもので日本のそれとは異なる。元々、絵と運動は大の苦手。運動嫌いが強引に人に誘われて泳ぐようになる。絵もまた水泳とは別の人から誘われて日本画に足を踏みいれる。だが、日本画とは何か、も知らずに習い始めた。習う前に何事もまず恰好から、との思いがある。作品展に居合わせた絵の先生に材料一式をそろえてもらうようお願いする。そうやって始めた日本画。はじめの頃は教室に行くのが億劫だった。それも当然、好きで始めた絵ではない。
絵にしようとする無花果の巨木の写真

 嫌々ながらも続けるうちに1枚の絵が完成すると嬉しいもの。満更でもない、と下手な絵でも自分で絵が描けたことだけで自己満足。つぎに新たなことが出来るとまたそこで感動してしまう。時に教室内で思わず感動の声が出る。人から見れば何とこっけいなことだろう。それでも何とか絵を習い続ける。ところが、時に自己嫌悪に陥る。前回がまさにそうだった。一昨日、「明日は日本画教室…」と思って図書館で重い腰を上げて絵に関する本を借りる。『画家たちの旅』でサブタイトルは「スケッチノート」。

 平松礼二、松尾敏男、田渕俊夫などの大先生のスケッチとその旅行のエッセイを読むとマンネリ感が気合に変わる。前回、無花果の大木のスケッチをやめてF6のパネルに他の本画を製作すると先生に話した。昨日、本を読んだことが功を奏したのかもう一度初めから無花果の巨木のスケッチをする旨、先生に告げる。

 絵を習い始めて4年余り。フルートは習い始めてから27年目に突入。音楽は元から好きだった。それでも途中、予期せぬことで中断を余儀なくされる。うち9年間は習ったり休んだりして続けた。好きであっても人は時にマンネリに陥る。だからといって習うのを辞めようと思ったことはない。これも好きが底辺にあるからだろう。

 どうであれ、やり始めたからには習い続けたい。それでもこれはダメだ、と思うモノ・コト・ヒトに対しては諦めが早い。だが、何とか自分でどうにかなりそうと思ったら長く続く。その点では今習っているフルートと日本画は続くだろう。

 絵の帰り道、教室の人から会社をリストラされた話をすると「何か悪いことをして辞めた?」と聞かれる。「リストラ」と平気で人に話していたけどこのキーワードをこんなふうに思う人がいる、と知って驚く。今日から「リストラ」と言わず、「早期リタイア」に改めよう。とはいっても何も悪いことをして辞めたわけではない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月4日土曜日

今朝の地元紙報道

 今朝の地元紙を見るとJR貨物は倉敷🚃新山口駅間の貨物輸送を迂回して走らせるという。この駅間は通常5時間かかるところをその4倍の20時間かけて1日1便走らせる。それも伯備線🚃山陰線🚃山口線とかなりの迂回路になる。それでも輸送量はこれまでの1%に過ぎないらしく9月上旬の予定のようだ。

 災害発生前に踏切で列車通過を待っているとき貨物列車の連結車両を数えたことがある。この時は60ほど連結していた。それも車両にはすべてコンテナが載っている。一日にJR貨物が何便通過するのかは知らない。それにしても1%の輸送量であっても迂回して貨物を走らせざるを得ない状況とは…。こういうとき、速さだけを競う新幹線は貨物輸送に関しては何の役にも立たないのだろうか。

 新聞には隣町の町内を走る循環バスの運行中止も報じている。町内の至る所の道路が不具合を生じているためらしい。これではプールの開館どころではなさそうだ。

 他にも今回の災害被災地への旅行客離れを何とかしようと政府は九州復興割りのような制度を考えているらしい。宿に泊まる人向けの補助をする制度で一人一泊6000円の補助のようだ。被災地への旅行客離れは災害だけが原因とは思えない。災害の中でもJRの運行されない区間が多すぎるし、異常な暑さも原因では…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月3日金曜日

呉線一部運行再開!

 昨日、1か月ぶりに呉線の2駅が運行再開された。呉線の始発駅は広島駅と思っていたら違っていた。海田市駅が始発らしい。災害が起きた後のこの1か月、山陽線と呉線をまたぐ踏切の遮断機はいつも上がったまま。降りていることはない。これは踏切を利用するには便利だ。しかし、生まれてこの方、起きても寝ても列車の通過する音で生活していると遮断機は下りていることが多かった。ひどいときは10分間も待つことがある。ところが災害発生後、列車の通過しない状況に置かれるといわれなき違和感が募る。それも1か月の長きにわたると遮断機は上がっているモノと思えてくる。、

 在来線はともかくとして60車両以上が連結する貨物列車。運搬する品物には水や飲料水などのペットボトルがあるという。貨物列車が運行するには山陽線全線が運行されない限り不可能だ。広島から先の九州への輸送はどうなっているのだろう。家の近くのスーパーはペットボトルの飲料水の棚が品切れ状態なのか空いている。今年の夏はそれでなくても暑い。スポーツドリンクは飲まなくてもりんごやオレンジが入ったドリンクを飲んでいる。小岩井のりんごの入ったドリンク、スーパーの棚で品切れにならなければいいけど…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月2日木曜日

最近のネット記事から

 最近のネット記事に『スモールハウス3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方』がある。興味本意にネットを読むと著者は東大を経て慶大大学院で学んだ30代の人のようだ。ついでにこの人のブログとツイッターも見る。見ていてこれほどまでに生きることに熱心ならば何もここまでしなくても楽に暮らせるだろうに…と思ってしまう。以前に同じ著者かどうかはっきりしないが「月10万円で生活…」のような本を読んだことがある。この人も同じく東大卒だった。

 先の著者は都内に3万円の賃貸住宅も借りて、スモールハウスと都内を行き来して生活しているらしい。賃貸に入るには月々の収入が必要。そのため、清掃などの仕事をしているとか。元々、哲学を専攻しているらしく自ら肉体労働で哲学するのだろうか。3坪の小屋と言えば畳では6畳になる。トイレは屋外で、お水は20リットルをバイクに乗って外に汲みに行く。電気は今の時代なのでパネルを取り付けて電源にする
。ただ生きるためだけならば人はどんな環境であっても生きられることの証明なのか、凡人には到底真似はできない。真似ができないから本になっているのだろう。http://mainennetaro.blog.fc2.com/(参照)

 それでもこれからのこの人の生き方がどのように変化するのかツイッターやブログで知りたい。と同時に、生き方は人それぞれで外野がとやかくいうことでもない。その人自身が幸せに暮らしていけばそれでいいのかもしれない。そうはいってもやっぱり凡人はできそうもない。ただ毎日暑い、暑いと言ってはエアコンの中で本を読んでいる。

 とまあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年8月1日水曜日

「牛が3匹」は「奔る」の意

 呉線の2駅先までが明日から運行を開始し、山陽線も18日から3駅先まで運行されるという。昨日、隣町のプールに電話で確認すると今月半ばまでは閉館でそれ以降はわからないらしい。新聞を見ると小学校の屋外プールもこの暑さで使用しないか、できないらしい。いずれにしても今年の夏は泳ぐな、とのサイン?

 泳げない不満を言っても始まらない。そう思って図書館に行く。なんと昨日は月末の図書館整理のため休館だった。借りていた本を返却してしまって読む本が手元にない。仕方なくわが家の書棚に眠っている買ったままの本を取り出す。昭和62年発行の井上靖の『孔子』。ハードカバーの箱入りの本で本についている「スピン」とよばれる紐は一度も使った形跡がない。

 暑い毎日。泳ぎにも行けずぶつぶつ言う代わりにこれも何かの合図(?)と良い方に解釈してこの本を読み始める。井上靖の本は中国シルクロードに関する著書が多い。家の近くに図書館ができる20年くらい前まで本は購入して読んでいた。他にもまだ読んでいない本がたくさんある。ボツボツ読んでいると「犇」に出くわす。牛が3つ、こんな文字があるんだと思って電子辞書に入っている『新漢語林』の手書き入力で調べると「ホン」(奔)の読みで「はしる」の意とある。この牛が3つの文字に反応してしばし本を読むのをやめる。そして電子辞書で思いつくままに同じ文字3つで出きている漢字を手書き入力して探し出すとあっという間に20数文字の漢字がわかる。

 その後、パソコンだとこういった同じ文字が揃う漢字の一覧があるはずと思って検索するとある、ある。ウイキペディアによるとそれは「理義字(りぎじ)」というらしい。これによると、「同じ漢字を2つ、ないし、3つ組み合わせて構成される漢字のこと。また、広く、形態が奇妙な漢字や、面白い形をした漢字のことを指す。寺子屋などにおいて漢字を学習する際の手引きとして用いられた書籍(『童子字尽安見』、『年中往来用文章』など)に「理義字集」が見られる。同じ字を3つ組み合わせた漢字は、同じく手習い書の一つである『小野篁歌字尽』などにも見られる」とある。

 それにしても漢字は面白い。「牛3つ」の漢字のあと思いつくままに動物の漢字3つを知らべる。馬、魚、虫、羊、鹿、貝…と続いて次は石、刀…。もうきりがないほどある。おとなしい鹿も3匹集まると荒くなるのか「あらい」の意とある。読みは「ワ」。馬の3匹は「ヒョウ」読みで「とどろき」の意らしい。1匹よりも3匹集まればその動物を強調するのだろうか。魚の3匹は「セン」で「鮮」の意だった。こういうことを研究している人もいるはず、と思いながら調べる。

 それにしても世の中、本当に知らないことが多すぎる。これも暑さの中でわかったこと。ボツボツと今日も『孔子』を読む、これ、いいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に思いつく。人が3つは「众」で「ギン」で人が多く集まるの意とある。これも確かに…。