2017年3月31日金曜日

『「長生き」に負けない生き方』

 今日からプロ野球開幕という日に朝から大雨が降り続く。午後6時の試合開始までに雨はやむのだろうか。おまけに今日は時間が経つにつれて気温も下がり始めるらしい。たとえ雨が上がったとしても真冬並みの8度の予想気温。試合をやるのも見るのも大変だ。

 以下は以前に読んだ本からの抜粋。元気で長生きされた人の言葉には重みがある。先日読んだ山折哲雄とこの本の著者の外山滋比古の生き方の底辺が似ている。どちらも年老いての自立がある。この人たちを見倣って元気に生きる!?それにしても、ここにあげたいずれの文も今を生きる老人にとって何と励みになることだろう。見倣いたい!

『「長生き」に負けない生き方』(外山滋比古 講談社、2016年)から。とくに最後にあげた一文、「いっしょうけんめい、動いて、なにかをしていれば、悪玉の長生きにとりつかれることなく、全力を出して生きていれば、いつしか悪玉長生きを尻目に、われを忘れ、老いを忘れることができるかもしれない。」は確かにその通り!

★悪玉の長生きなど相手にしない。やってきそうになったら、寝たきりやボケにならないうちに、追い返してしまう。ある朝、起きてこないから、見に行ったら、冷たくなっていた、というのが最高である。それが長生きに負けなかった人生である。われわれのほとんどが、心掛け次第で、そういう最期を迎えることができるように思われる。老人よ大志を抱け!8p

★これからの老人は、新しいモラルによって、われわれの先に人なく、わがあとに人なし、ひとりわが道を行く。一代限り、前世のことはわからないし、死後のこともわからない。それでよい。子のためにのみ生きるのは正しくない。すくなくとも美しくない。美しくないことは、たいてい、天の理に照らして考えると歪んでいる。25p
 
★好きなことは、人の迷惑にならない限り、なんでもする。…その先のことを考えたりするのは、いくらヒマでも、時間の浪費である。目の前までは、力いっぱい生きていくが、先の先を考えてもしかたがない。25p

★独立独尊、自助の精神で生きれば、まわりはおのずと道をあけて、通してくれるだろう。そういう楽天主義でいけば、老後もおそれるに足りない。26p 

★友を選ぶのに、切磋琢磨の相手を求めるのはごく若いうちのこと。一人前の人間になったらケチをつけるような人間は一人でもすくないほうがいい。そして、すくなくとも一人、できれば二人、褒めてくれる人がほしい。なかなか得られないが、もし見つかったら、人生の幸運と思ってよい。適当にはげましてくれる人がいれば、老いの細道、またたのしい。213p

★いっしょうけんめい、動いて、なにかをしていれば、悪玉の長生きにとりつかれることなく、全力を出して生きていれば、いつしか悪玉長生きを尻目に、われを忘れ、老いを忘れることができるかもしれない。221p

2017年3月30日木曜日

5月の予定

  先週から今週にかけてフルートと日本画教室の休みが続く。その合間に一度だけ泳ぎに行く。朝起きて出かけないと思うと気は楽だ。しかし、なんだか毎日をもったいなく生きていると感じる。そういう時は図書館へ、と思って出かけるが鼻水と格闘となる。これも周りに迷惑がかかる。暇を持て余していると、いつもは午前中に来るはずの郵便物が夕方に来る。夕飯後に見ると〇〇倶楽部なる地元の旅行社のパンフ、大手の旅行社の皇居参拝などのDMなどだった。

 〇〇倶楽部の会社で去年、引率する講師の旅の話を聞いたことがある。この会社で外国へも出かけている。だが、パンフが届くことはなかった。パンフを見るとハイキングや登山への案内が多い。登山は無理としてもハイキングならばかなり歩ける気がする。すぐに電話で歩く時間を尋ねると大丈夫そうだった。参加を申し込む。

 本来ならば比婆山や吾妻山などがいい。しかし、本格的な登山はあきらめて広々としたカルスト台地もいいかなと思う。ともあれ、がちゃがちゃしたところより広々とした自然がいい。いい季節になってきた。他にも九州の出かけたことがない旅がある。だが、それは一人参加の設定がない。一人で…、と話すと係りは男女別の相部屋をすすめる。人を誘えば旅に出る人はいるかもしれない。だが、それも面倒だ。一人で行動しだすとこれがいけない。さっさと行きたいこと、やりたいことができる一人行動はいい。ともあれ、5月も遊ぶ予定がいろいろと決まる。その前に4月は…?

 話は変わって昨夜の稀勢の里に密着した15日間のNHKテレビ。いつもなら寝る時刻を我慢してテレビを見る。13日目に怪我をして救急車で運ばれる場面や大きな傷のあたりのテープを外した箇所の生々しい青あざがテレビ画面に映し出される。亡くなった師匠の教えも映す。親方の教えを忠実に守っている稀勢の里だ。目に見えぬ力はその親方の力!?稀勢の里の話す言葉にはのほほんと暮らすものの言葉とは違う重みがある。本当に素晴らしい!稀勢の里の傷も癒える5月場所も楽しみ!そして、昨夜は開幕直前のカープを応援する3時間生放送もあった。

 遊びに相撲に野球にと5月も忙しくなりそうだ!その前に4月はどう!?

2017年3月29日水曜日

「老いることが否定される社会に未来はない」

 問題となっている旅行業界。この問題が起きるまで新聞一面の旅の広告も今朝は鳴りを潜める。昨年まで何度か利用していた旅行業者も宣伝媒体が新聞に打って変わり、旅の情報誌は全く来なくなった。来なくてもいい。参加人数で点を稼ぐのか、一人参加で追加料金を払っているのにバスの席が添乗員の横とか、一番末席の真ん中にも座らせられた。こういう業者は利用してはダメだ、と思った。昨日届いた旅のパンフは業界最大手の会社。先日の屋久島もこれから出かけるポーランドもこの会社を利用する。

 昨日届いたパンフは同じ旅行社でも地域ごとに経営が異なるのか旅の案内も異なる。ともあれ、今回の業者の問題も経営不振に陥ると「老人」をターゲットにする。昨日、東京の姪は旅好きの老婆を心配して気を付けるようにと電話をかけてくれる。他にも両親にメールで知らせたようだ。「安物買いの銭失い」や「ただほど高いモノはない」の例え通り、詐欺まがいのことをしてお金儲けをしようとする人たちはあの手この手で「老人」をねらう。困った社会になったものだ。それと共に「老人」の持つイメージが悪くなっている。

 今朝の地元紙に広島市立大学の文化人類学者田川玄准教授は以下のように述べている。「少子高齢化がもたらす医療、介護、年金など社会保障の負担増大が、深刻な社会・財政問題とされ、不安をひろげています。高齢者のイメージはマイナスのイメージがつきまといます」。自身が研究している「アフリカに見る老い」を例にしてアフリカと日本の老人観の違いを話す。田川の研究するエチオピアの牧畜民社会ボラナの老いは「豊かでありますように、長生きしますように」という意味の祝福の言葉が使われ、長生きは人生の偉業であり、祝福される対象だという。「アフリカは遠い。これまで当然視してきた老いの在り方を問い直すきっかけになるかもしれません。『良い生き方(ウェルビーイング)』へのヒントを与えてくれるでしょう。老いることが否定される社会に未来はないはずです」。

 確かに老いることが否定されては困った未来になる。しかし、「老婆」を生きるものとしては「老いる」ことも悪くないと思う。というのも年齢を経て今が一番自由で気楽に過ごしている。その底辺には老い先短いかもしれないが自由な時間、働かなくても入って来る年金、そして健康がある。健康でなければそういう思いもないかもしれない。

 ともあれ、今は元気。昨日も鼻水に負けまいとプールで泳ぐ。見知らぬおっさんから耳栓をして泳いでいるといつもこんなに人が多いのかと聞かれる。火曜日は原則、フルートのレッスン日。昨日はレッスンがなかったためにプールで泳ぐ。3月で会社などリタイアして泳ぎに来た人かもしれないが、年々、60歳や65歳でリタイヤした人たちがプールに多く集まる。プールも人が少なくなるのは見込めそうにない。

 どうあっても「老い」が老害とならず、長生きを素直に喜べる社会となる。そして悪の餌食にもならないようにして「良い生き方(ウェルビーイング)」で楽しく過ごしたいものだ。ブログを書き終えて思った。自分だけは得をしよう、自分だけは幸せになろうとする欲張りな気持ちが悪徳業者やわけもわからない宗教へと走らせるのだろう、と。過剰な欲を出してはいけない。ナニゴトもほどほどに…。

2017年3月28日火曜日

ゆったり屋久島大自然紀行4日間の旅

 
屋久島空港

 2017年3月15日から3月18日までの4日間、屋久島へ出かけた。福岡空港13時発✈屋久島14時着予定が15分遅れの離陸で無事到着。屋久島空港に着くと青い空と広い飛行場があるだけで他には何もない。飛行場に入るとターンテーブルを目指して奥に進もうとする。だが、そこで添乗員から待った、がかかる。機内預けの荷物の受け取りは5mくらいの長さのテーブルがあるだけだった。そこで待っていると空港職員数人が手分けして機内から降ろした荷物を手で持って入る。

 人は自分が経験したことだけでモノゴトを判断するそうだ。機内預け荷物はターンテーブルから出てくる、という発想がまさにこのことだろう。ともあれ、ゆっくりの旅はここから始まった。
青い空と大地以外は何もない空港


第一日目 2017年3月15日(水) 広島🚄博多🚇福岡空港✈屋久島空港 気温14℃ 晴れ

 福岡空港国内線は工事中のため、時間に余裕をもって家を出る。国際線は何度か利用しているが、国内線の利用はない。添乗員から前もってかかって来た電話で博多からバスで空港へと告げると地下鉄利用をすすめられる。到着後、セブン・イレブンを目指せばその前に旅のカウンターがあるという。人に聞きながらなんとか添乗員と合流。旅の参加人員を尋ねると11名。ということは私以外はすべて夫婦と思った。ところが旅をしていると違っていた。

 5500ⅿ上空を飛行中、パイロットから天草諸島、桜島、種子島が見えると機内アナウンスがある。地図通りの島がよく見えた。機内は飴玉が配られる。海外と違って飲み物などのサービスはない。それでも飛行機に乗ると外国に出た気分になる。楽しい!

 今回、宿のグレードアッププランがある。参加人員は基本とグレードアップの2つあり、7人と4人に宿のみ分かれた。一人部屋だけでも追加料金が2万円ちかく高い。それに宿のランクを上げるとさらに高くなる。基本プランで参加した。これは後で正解と知る。というのもグレードアップ・プランの4人組は旅仲間、酒飲み仲間らしく朝から飲んでいる。それも半端なく飲む。そのうちの1人は朝食はビールと言い切る。これが可笑しくていろいろと尋ねた挙句、「じゃ、母乳はビール?」と聞いてしまった。ほかの基本プランの人はこの人たちの声も聴きたくないと話すほど嫌っていた。

 初日の観光は屋久島の自然や文化を紹介する屋久島環境文化村センターの館内を見学。屋久島の旅オリエンテーションといったところだ。案内をする女性は神奈川出身でニュージランド留学経験があるという。自然環境が似ている屋久島へ人の縁で勤めている。新しくできた建物らしく、館内は行き届いている。中でも映像を見せるところでは大きなスクリーンに屋久島の大自然が映し出される。「森と水のシンフォニー」が20分間放映された。見ていて自然の素晴らしさに圧倒される。その個所を翌日から自分の足で歩く。

 ゆったりの旅は宿に16時到着。この時刻から夕飯までの18時15分までの時間、暇になる。添乗員に誘われてスーパーに歩いて繰り出す。その時点ではもうお腹がすききって夕飯まで待てそうにない。草餅・牛乳・たんかん(屋久島の名産)2袋など購入。お腹は空いていてもその場で食べずに夕飯を待つ。

 夕食場所で人数を確認すると宇部の夫婦1組、小倉の4人組と私の計7人だった。夫婦組はほとんどしゃべらず会話がない。4人組の男性2人は元、慶〇ボーイ。大学時代の友だちらしく男性2人がツアーに入っても面白くないとのことで、うち1人が通うスポーツジムの仲間女性2名を誘ったらしい。

 夕飯後、その2人の女性の部屋へ誘われる。男性のうち1人はいつも単独行動で会話もない。残る男性1人と私が加わって夜な夜な4人で話が弾む。どういってもゆったりの旅。夜の時間も長い。この4人全員が独身だった。とはいってもうち2名はそれぞれの相手が亡くなっている。元からの独身は2名。さらにそのうち3人は同学年だった。同時代を生きているので話も弾む。部屋への差し入れはスーパーで2袋購入したたんかん1袋。

第二日目 2017年3月16日(木)
 
 9時半 バスはホテルを出発。バスの出発は日替わりで30分ずつ早まったりズレたりする。それはホテルが2か所に分散したことによる。バス出発までをホテルの周辺散策。裏は川が流れ、足元はぬかるむほどの湿地だ。屋久島は年間降雨量も多く、空気も乾いておらず湿気を帯びている。この時季は雨季でなくても常に雨具を用意するようにとの注意がある。島が丸い屋久島は街を示す言い方を時計の針に例えて話す。例えば島の中心の宮之浦あたりは10時5分、という風にガイドは話す。車で島を一周するには3時間ほどかかり、東京23区の大きさがある。人口は1300万人、いやいや1万3000人。添乗員が人口1300万人と話した時、人もいないのにええっと思った。案の定、桁が違っていた。

宿の裏に行くと大きな葉っぱ(クワズイモ?)があった


宿の裏を流れる川

 ここから本格的に屋久島の旅が始まる。白谷雲水峡入口に着くまでの車窓からは道に出没する猿と出くわす。運転手さんは道にいる動物を見つけてはバスを停めてくれる。入口に着くと登山ガイドと合流。ここで軽い体操でウオーミングアップ。足元の悪い沢や舗装されていない山道を1時間半余りかけて歩く。難所は岩場の沢らしく注意を聞く。岩場を歩くことは想像せずに旅に参加。皆さんの足元を見ると軽登山靴を履いている。旅の募集案内には登山靴でなく履きなれた歩きやすい靴でOKとあった。それを真に受けて登山靴を履いていかなかった。それでも、無事に歩くことができた。

 白谷雲水峡は難所の岩場があり、石がぐらつかないかを確認しながら歩く。登山道も木道で整備されたところもあれば自然の山道もある。時にはしぐれて頭からオゾンのシャワーを浴びる。シャワーを浴びなくてもマイナスイオン溢れる神秘的な原生林を歩く。薄手のダウンを着ていた。しかし、山に入ると結構冷える。若い男性の登山ガイドに引率されて山を歩く。歩くと言っても足元、頭上、山道に生えている小さな草花などの説明も受ける。草花については全く疎い。メモ帳にメモするがそれもはっきりしない。後でネットで調べて確認することしきり。

 ヒノキゴケ、大五葉黄連(オオゴカヨウオウレン)、赤い毒の花など咲いている。屋久島の20%の面積が世界自然遺産の範囲に登録されている。そのため、葉っぱ一枚でさえも持って帰ってはいけない。そして苔も触ってはダメだった。それでも手の甲で苔を触らせてもらったりした。苔も様々な苔があり聞いても覚えられない。
白谷雲水峡

白谷雲水峡入口

一番の難所の岩場と沢を滑らないようにして歩く
二代杉の標識板


二代杉。一代目の伐採個所から二代目が大きく育つ

奥地に入ると水も綺麗

水はきれいなブルー

整備された木道もある


白い小さな花は大五葉黄蓮(オオゴカヨウオウレン)

二代大杉

 白谷雲水峡は二代大杉のある標識「7」のところまで歩く。後はもと来た道を引き返す。二代大杉の近くに行って自然の息吹を感じて写真に収まる。屋久杉の旅で自分の姿を写したのはここだけ。それくらい感動的な屋久杉だった。
大きな葉っぱはクワズイモ

鎖みたいに絡んでいるのは鎖でなく樹木

 バスで昼食場所に移動する。お店の人が話す屋久島のお土産の話を聞きながらお昼をいただく。何とも落ち着かないお昼となった。食後に気づいたのはテーブルに並んだお椀や食器などが屋久杉でできていたこと。お店でその価格を見るとお椀一つをとっても数千円以上もする。とてもじゃないが貧乏人は買えない。

 お昼を済ませるとバスで西部林道へ移動する。途中、鹿に遭遇。鹿は宮島に行けばいつでも見られる。ところがここの鹿は宮島とは違う鹿だった。西部林道は世界自然遺産地域にある屋久島最大の照葉樹林地帯。ガイドの説明を受けながら1時間散策する。傘をさすほどの雨になる。散策中、鹿の頭蓋骨などが道に転がっている。他にも鹿の骨、リンゴ椿の動物が食べた残りがころがり、マブシ草なども道に生えていた。

 1時間ほど林道を散策後、大川(おおこう)の滝へ移動。この滝は屋久島一の巨大瀑布だそうだ。
大川(オオコウ)の滝

大川の滝

 島の至る所に咲く花は野ボタン。日本画の人が鉢植えで購入した野ボタンを描かれている。この名前をその時初めて知った。幸い自然に咲く野ボタンを見ることができてよかった。他にもパパイヤが実をつけている。広島と今の気温は変わらなくても屋久島はやはり南国。南国育ちの果物も実をつけている。観光を済ませると16時半にはホテル着。何とゆったりした旅、とまたも感じる。

 夕飯は屋久島滞在中は常に18時15分。夕飯を済ませても19時半には部屋に入る。暇を持て余していると小倉の4人組から部屋に電話がかかる。部屋に遊びに来るようにとの電話だった。この夜も同年齢が他愛ないことを話しては話が盛り上がる。この団塊組はほとんどアルコールは口にせず、ただ話に花が咲くのみ。ということで珍しく旅の間、アルコールは飲まなかった。
野ボタンの花

パパイヤ
第三日目 2017年3月17日(金) 気温16℃ 晴れ

 2日目と3日目は観光バスのガイドが付く。ガイドのこの日のあいさつの後、観光コースの予定変更を知らされる。前日、種子島でのロケット打ち上げが雨で翌日に延期になった。この日は急遽、ロケット打ち上げに合わせた観光となる。ガイドの話を聞くまでロケットの打ち上げは全く知らずにいた。バスの運転手さんがJAXAに確認して午前10時20分の打ち上げを屋久島の第二展望台から見ることになった。今回の旅の思いがけないプレミアムプレゼントである。

 打ち上げ時間まで、千尋の滝にバスは移動。車窓から外に目をやると木蓮、野ボタン、大きいシダの葉(ヘゴシダ)、ポインセチア、パパイヤの実などを見る。なお、大きな葉っぱのヘゴシダは水はけがよいので水鉢に利用されるようだ。千尋の滝は映画「千と千尋の神隠し」の舞台となった場所だそうだ。また以前にはリポビタンの撮影地としても有名らしい。この滝は巨大花崗岩で形成され、落差約60ⅿの滝で水量もあった。しかし、大雨が降れば岩のあたりまで滝しぶきになるという。
 
 千尋の滝を見た後、ロケット打ち上げを見に第二展望台まで出かける。展望台は第一と第二があり、百段登ったあたりの第二展望台で打ち上げを見る。展望台といっても小高い丘で2,30人もそこに立てば展望台は人でいっぱいになる。私たちのツアー11名以外に東京・国立市のNHK学〇の人たちが20名ほどいた。その中に講師が2名引率し、JAXAの電波をとらえて打ち上げのカウントダウンを聞かせてくれる。600から数を減らしていたようだった。
 
千尋の滝
ロケット打ち上げ後、カメラにはロケット雲(?)を撮った


仙人草

 千寿の滝を後にしてバスは中間ガジュマルまで移動する。ガジュマルとはガイドによると「がんじがらめ」からその名がついたそうだ。真ん中に穴が空いたようになっているのはその間を通ってその先の製糖工場に通う道があったらしい。今では工場もなく地元の人が住んでいて、先へは進めない。だが、少し入るとたんかんを、5,6個ずつナイロン袋に入れて販売する無人スタンドがあった。1袋100円。安いし新鮮なため皆さん、買われた。私も1袋購入。スーパーで購入したものと遜色なかった。ちなみにスーパーは1袋258円。いずれにしても安いし美味しい。

 たんかんは屋久島に行って初めて味わう。みかんよりも味が濃厚で甘い。それにしても宿の食事でもどこの食事でもたんかんは食卓に出なかった。特産物こそご馳走と思うけど、旬は過ぎていたのかもしれない。たんかんの皮のむき方はミカンとは異なる。ヘタを取った後に、リンゴの皮をむくようにらせんを描くように横に横にむいていくときれいに皮がとれる、とガイドに教わる。

中間ガジュマルで真ん中の奥は民家になっている

中間ガジュマル案内板

奥に進むと民家だった。軒先には観光客目当てか、たんかんの無人スタドがあった

中間ガジュマル

 中間ガジュマルを後にしてトローキの滝へ向かう。途中、車を降りてウミガメの産卵場所にもなるという美しい海岸を見る。30分ほどバスで移動後、トローキの滝に到着。バス降車後、しばらく歩くとトローキ滝が見えてくる。
ウミガメの産卵場所となるらしい
トローキの滝
トローキの滝の観光スポット

 レストランに移動してお昼をいただく。屋久島に来てから宿の食事も豪華で、食べ過ぎの感じがする。やっと軽めのお昼となる。バスは標高1200ⅿにある紀元杉に向かう。100ⅿ高くなると0.6度気温が下がるらしく、紀元杉のあるところは平地より7度低い。日光いろは坂のようなくねくねした道をバスは上へ上へと登っていく。紀元杉の標識板を見るとその上に朝、誰かが作ったのだろうか、雪だるまの溶けた雪が残っていた。山道を走るバスの車道脇にもところどころ雪が残っている。ガイドによると私たちのツアーの出発より10日早い3月初めのツアーは紀元杉までのバスは雪のため通行止めとなったそうだ。

 紀元杉は推定樹齢3000年を超える巨木で、この杉の周りを一周するとひんやりする。屋久杉はその年数により呼び名が異なる。100年未満は地杉、100年以上を小杉、1000年以上になって初めて屋久杉と呼ばれるそうだ。
この奥に紀元杉があり、その周りを歩く 標識板の上の白い物体は雪

白いモノは雪 誰かが作った雪だるまの残り雪 向うの木が紀元杉

 今回の旅で紀元杉が標高の一番高い場所にあった。いわゆる縄文杉を見るのは一般的な観光ではなく登山になる。以前、縄文杉を見た姪によると宿を午前5時に出発して12時間の登山で、やっと縄文杉に会えるという。とてもじゃないが、縄文杉を見ることはできそうにない。なお、縄文杉とはウイキペディアによると次のように書いてある。「『縄文杉』という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある」。

 紀元杉を見た後、バスは屋久島ランドへ移動する。ここは見学時間による違いでコースが設定されている。私たちのツアーは50分コースを歩く。ガイドに案内されて木道を標識に沿って歩く。いたるところに案内板があり、樹木の命名もある。50分コースは標高1000ⅿにある仏陀杉まで歩く。
屋久杉ランドのモミ伐根の標識版


屋久杉ランドの千年杉

屋久杉ランド内のときめきの径

くぐり栂


ガイドについて屋久杉ランドの木道50分コースを歩く 

 屋久杉は多くの樹脂を含み、また栂(ツガ)やヒノキにも護られているので腐らないらしい。屋久杉の伐採についてガイドから泊如竹の名を聞く。はっきり聞き取れなかったが、標識板にその名が記されていた。これもウキペディアで調べると次のようであった。


 「江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた日蓮宗の僧で儒学者泊如竹が屋久島の島民の貧困を目にして屋久杉の伐採を島津家に献策したとされ、1640年頃から山岳部奥地の本格的な伐採が始まった」とある。
昔の屋久杉伐採標識板

伐採された屋久杉

土埋木

仏陀杉は樹齢1800年と標識板にある
木の肌が仏陀に見えることから仏陀杉と名がつく

屋久杉ランドの木道を歩く


どの木も苔むしている

二本の木の色が違う

くぐり杉を歩く

動物による被害を調べるための金網の柵 


屋久杉ランドを散策

 15時半、屋久杉ランドを散策してバスはホテルに向かう。下界を見ると山の上までバスで移動したのがわかり、遥か彼方に下界が見える。夕飯後、毎夜ながら小倉組の部屋で他愛ないことを話す。しゃべりながらたんかんをむく人は毎夜のことで皮をむくのが上手になる。
屋久杉ランド観光後バスの車窓から見る

たんかんの皮のむき方はリンゴの皮むきと同じやり方 
この人が毎晩むいてくれた。うまくむいている
第四日目 2017年3月18日(土) 屋久島空港✈福岡空港🚄広島

 旅の最終日。バスは9時半に宿を出発。バスに乗ると運転手さんは昨日、屋久杉ランドを散策中、震度2の地震が発生したと知らされる。どこにいても地震が起きる。何も知らずに観光したけど…。こうなると「やりたいことをやりましょう!」との言葉が誰彼となく口からついて出る。

 やりたいことといえば朝食時、添乗員から興味ある話を聞く。旅の話になり、八丈島はのんびり、ゆったりの旅でいいと話す。その時、添乗員仲間の先輩がケニアのマサイ族の第二婦人になった人の話を聞く。上の名だけ教えてもらった。すぐにメモする。その人が今年の1月、ケニアを離れてパラオで仕事をしたそうだ。その時、今回の添乗員も仲間数人でパラオへその人を訪ね、スキューバーダイビングで楽しく過ごしたらしい。パラオのことよりも第二婦人となった永松真紀(後日、ネットで調べてフルネームを知る)に関心を抱く。すぐに本を読んだ。旅に出るといろいろな人と知り合う。今回のように直接知り合わなくても話の中で知ることもある。これも旅の面白さかもしれない。

 旅の終わり頃にはウミガメの産卵場所となる永田いなか浜へ行く。浜だけあって沖まで砂浜が続いている。この時、ある男性は靴に砂が入るといってバスを降りたところで砂浜を歩こうとしない。まあ、別に誰がどこを歩かなくてもいいけど、せっかく遠いとこまでやってきて砂が入る…とはどういうこと。あきれてしまった。世の中、ほんまにいろんな人がいる。人との会話はなく自分の世界に閉じこもる。まあ、人それぞれ。こちらへ向かって害をもたらすわけではない。とはいってもナント好奇心ゼロじゃないの、何が楽しくて旅に出る?と思った。

 この砂浜では赤ウミガメが産卵時期になると気温29℃を境にしてそれ以上になるとメスが生まれ、以下になるとオスが生まれるそうだ。この頃は気温上昇でメスが多く生まれるという。これも自然界の不思議!?砂浜に入っても砂の持ち帰りはできない。しかし、貝がらは持って帰っても大丈夫だった。貝はアサリなどの大きさではなく、1㎝にも満たない小さな貝がらだった。

永田いなか浜はウミガメの産卵地

永田いなか浜

屋久島島内の墓地 暑い日には3度もお水をかえるらしい

 永田いなか浜を後にして益救(やく)神社に参拝する。神社までの車道にお墓がある。どのお墓も立派で、特にお花の活け方が素晴らしい。先祖供養が大事にされているようで夏になると日に3度もお墓の水をかえ、花代も月に1万数千円かかるそうだ。暑い夏に花がしおれないようにと3度も水をかえるとは想像するだけで大変だ。信仰心が厚い人たちだろう。
 
 宿に着くまでに車窓から「屋久鯖」(やくさば)の工場が見える。工場の車のナンバーは「8938」だそうだ。実際に工場の横に駐車している車の車番は確かに「ヤクサバ」≒「8938」だった。
 
益救神社(やくじんじゃ)

境内が広い益救神社

 屋久島の旅も屋久島空港から福岡空港に着くと終わりとなる。機内預けの荷物を受け取るとここで流れ解散。博多に着くと新幹線乗車まで時間がある。どういっても時間に余裕をもっての「おとなび」利用。博多でのんびり過ごしてわが家に到着。楽しい旅は終わった。次は何処へ…。