2021年12月8日水曜日

『新装版 播磨灘物語』(二)

 暖かい日が続く。今朝は最低気温9度で最高気温は16度の予想。と、今日も暖かくなりそうだ。広島県ではコロナの新規感染者がここ3週間近くゼロだ。ところが1月になれば新規感染者は1万人になる、との新聞の週刊誌宣伝がある。まるで不安をあおる宣伝見出しだ。この先を思い煩ってもどうにもならない。気にするのはやめて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日、読み終えた『新装版 播磨灘物語』(二)(司馬遼太郎 講談社、2014年第29刷)から、いつものように気になる箇所を記そう。

★秀吉は、かれが天下を取るまでは別の人格だったとおもわれるほどに人間を愛した。欲得や機略で愛するふりをしたというようなものでは決してなく、心から人間が好きというふうであった。とくに秀吉の場合、その者に器才があれば、まるで宝物をあつかうように遇したが、それがたとえ敵であっても変わらず、生死の危険を冒してでも敵と交歓したいというふしぎな行動をとることが多かった。この無類といっていい秀吉の気分や体温が自然にひとにも知られるようになり、後年、信長が急死したとき、遺された織田勢力の構成員たちは、その大半があらそって秀吉を擁しようとした、秀吉はそれほどひとに対して熱っぽい。(34p)

★官兵衛の家来のほとんどが、もはや百姓のあがりである。それも年少のころに郎党になり、官兵衛の教育を十分に受けた。官兵衛は侍というのは生まれるものでなく作るものだという思想のもちぬしで、すべて手塩にヵけて育てた。その連中がいわゆる黒田武士の祖型をつくってゆくのだが、この未明の突撃のとき、どの男も面(おもて)も振らずに敵陣に突っ込んだ。「打ち捨てにせよ」と、官兵衛は目地てある。討った敵の首を挙げずに手あたり次第に突き捨て斬り捨てにせよ、という意味で、どの男も気が狂ったように敵陣のなかを駆けまわり、やがて引き鉦とともに退く。暗がりながら地の利を心得ているために、官兵衛があらかじめ指定した場所に退却し、息を入れるのである。(72p)

★木下藤吉郎は、この近江長浜城主になってから、姓まで変えてしまった。羽柴と称した。信長の奏請によって朝廷から官位をもらった。従五位下筑前守である。「筑前守」という官称は、秀吉の好みで、信長にそのように頼んだのであろう。陸奥守、信濃守、大和守など、どの国名を称しても自由なのだが、ことさらに北九州の国名を称したのは、秀吉の、ほとんど天才的もいうべきおべっかが入っていたにちがいない。信長の意図は、このころ、すでに明らかである。遠く九州まで制覇するつもりであった。(84p)

★官兵衛が播州において果している役割は、古代中国の戦国期にあらわれる外交弁舌家(縦横家)の蘇秦や張儀の働きに似ているかもしれない。張儀は戦国の諸国を遊説して、あるとき命をおとしかねないはめに遭った。その妻が、もう遊説をやめてほしいというと、張儀は舌をみせ、「この舌のあるかぎり大丈夫だ」といった、という。官兵衛はおそらくこの故事を知っていたであろう。かれは、この当時のこの階層の武士としては、学問があった。少年の日、蘇秦、張儀と言った縦横家の事歴を『史記』か『戦国策』で読み、かれらの、孤独ながらも昴然たる姿に血を沸かしたであろう。(166-167p)

★物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる。羽柴秀吉は、巨大な感受性のもちぬしであった。譬えれば、よく澄んだ池の面のようなものであるかもしれない。感受性が知能の代用をするには、私信の曇りがあってはならず、つねに高い透明度を保っていなければならない。「それではあの男が可哀そうだ」と、秀吉はよくいう。その可哀そうだという感情が、その男への配慮になり、人や物を動かして手をつくすようになる。やがてはその人物は秀吉の計算の中に入って、かれのために働くようになる。(233p)

★――上月城を捨てよ。という信長のやり方は、いかにも信長らしい。かれの思考法は徹頭徹尾、利害計算でできあがっており、計算の実行については苛烈なばかりで、なさけ容赦もない。計算の最終目的は天下布武にあり、かれはどういう計算においてもこの主題を外したことがなかった。天下に武を布くという主題意識において、信長ほど明快であった人物はほかにない。この意識からすれば、上月城は捨てるべきであり、その断において一片の感傷もない。(303-304p)

★官兵衛が、子飼いで育ててきた母里(もり)太兵衛が、その指揮者だった。後年、黒田節という今様でその逸話をうたわれた母里太兵衛が、武名を世間に知られるようになるのは、このときからである。(332p)

★(私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくるものだ)官兵衛は早くから気づいていた。官兵衛に私情があるとすれば、一つしかない。が、平素は忘れている。……官兵衛はおそらく、みずからそれを思うときでも、ひそかにはにかまざるをえないであろう。つまり、天下を得たいというこことなのである。天下を得て志を万里のそとに伸ばしたいというのはこの時代の男どもがおおかた抱いていた鬱憤であり、当然なことながら官兵衛だけのことではない。官兵衛の場合は含羞(はにかみ)をもってそれを思うだけである。(337p)

0 件のコメント:

コメントを投稿