2021年3月31日水曜日

「国宝松江城と島根の桜名所」を行く(その1)

 「国宝松江城と島根の桜名所」の旅と銘打った日帰りバスツアーに参加した。桜の名所はサブタイトルにある「松江城山公園・三刀屋(みとや)河川敷・斐伊川堤防桜並木」の3か所である。今が盛りと言わんばかりに咲いている斐伊川の桜に負けず劣らず三刀屋河川敷の桜もお見事だった。ここには緑色の花をつける「御衣黄(ぎょいこう)」という桜を初めて見た。ただ、西日本全体に襲った黄砂の影響でお天気がいい割にはかすんだ一日となる。

 広島から近い島根県のはずなのに、また何度も訪れているはずなのに今回出かけた先はいずれも初めての場所だった。とくに松江城は松江に行ってもなぜかここだけはスルー。島根県は戦災を免れて街並みも以前とそれほど変わっていないらしい。

 コロナ感染者が最近また急増している。そんな矢先の日帰りバス旅。幸い屋内の観光はお城だけで、他は人との接触が少ない河川敷の桜を愛でる。ところが斐伊川堤防の桜並木はJRの広報紙にも掲載されるほど有名で若者などの観光客でごったがえす。また屋台もかなり出ており、烏賊を焼く香ばしいにおいが辺りに漂っていた。

 JRの木次(きすき)駅で現地ガイドと合流して斐伊川の桜を見て歩く。ツアーに申し込む前にJRの広報紙で斐伊川の桜を見て芸備線に乗って木次へ行こう、と思った。その矢先にツアーを知る。木次は近郊の町が合併して今では雲南市となっている。

 母の父である私の祖父は島根県邑智郡瑞穂町田所の出身。慶応生まれの祖父は何らかの思いがあって島根から広島に出てきたのだろう。写真を見ると大きな人で母の兄弟たちは皆、180㎝くらいと背が高い。母も背が高かった。だが、子供はみな高くない。自分の中に島根の血が流れていると思うと島根への愛着も大きい。

 松江城界隈はいつかまた個人でゆっくり出かけようと思った。この旅の続きはまた後日のブログにアップするつもり。

 昨年のGO TOで姫路城へ行った。その際、城内が暗いと歩くのも危ないと思い、懐中電灯を持参した。今回も懐中電灯持参で観光していると用意がいいとツアー客から褒められる。暗い中を話しながら歩いていると同じ町内の人だった。町内にはいわゆる地の人たちが何十軒とあり同じ姓を名乗っている。その人もそのうちの1軒らしい。が、何しろ名を聞いても多くてわからない。ただ、家は我が家と近いようだった。その人は我が家のことをよく知っておられる。

 どのツアーに出かけても楽しむ気持ちは人一倍強い。そのためかだれかれとよく話をする。「心が広い人だ」と言って褒められたが実際は広いどころか気は小さい。2年前の大連の旅でも町内の人と知り合った。今回もそうだ。世間は本当に狭いと実感する。狭いといえば近いうちに直行便で出かける旅は今回の添乗員も添乗するという。行く先は同じでも2班で出発の旅。班は異なるが同じツアーの旅だ。

 コロナが急増している。出かける先は列島なので影響は少ないかもしれない。GWにあと1件旅を申し込んでいる。これは催行なるかどうか今はわからない。コロナ禍の中、予約中の旅は別としてこれから先、新たな旅の参加を申し込むのは控えよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月29日月曜日

『功名が辻』(一)

 山内一豊の妻の漠然とした話は知っていても詳しくは知らずにいた。『功名が辻』は功をなし名を成し遂げた山内一豊夫妻の話である。この本は4巻あり、今は2巻目を読んでいる。図書館が開いてどんどん予約の本が手に入る。先日、北岡伸一の『明治維新の意味』(新潮選書、2020年)の順番が回ってきた。難しそうな本だが司馬作品を読むおかげか、読んでいてもわかりやすい。これは図書館で借りず自分で買って読むべき本、と思うがとりあえず早く読み終えよう。

 読む本が机に重なり一日のノルマを決めて読んでいる。その合間には満開となった桜を見に行かなくてはいけない。遊びに行くのも本を読むのも同じく楽しいのでこれはこれで由としよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく『功名が辻』(一)(司馬遼太郎 文藝春秋、2006年第10刷)から気になる箇所を抜粋。

★伊右衛門は、信長の馬廻役(近衛士官)からはずされ、「与力(よりき)」として実戦部隊に入っていた。与力、というのは、江戸時代の町奉行所の「与力」とは意味がちがい、「信長の直臣ながらも諸武将の部下として出向している者」というほどの意味である。そのほうが、戦さの場数を稼ぐことができるし功名の機会も多いのである。28p

★「しかし、お、お命が」「無くなるかもしれぬ。無くなれば無くなったで、それは伊右衛門が生得、武運がなかったまでのこと。この体で城に入って、命がもつかどうか、これは伊右衛門の一生の賭けじゃと思え」すさまじい功名心である。59p

★戦国武士というのは、徳川武士とはひどくちがう。徳川武士のようなじめついた忠義の観念はきわめてうすい。要するに、主人に対して、功名を請け負っているのである。いいかえると、二百国の山内伊右衛門一豊は、一つの企業である。信長という親会社に対し、功名を請け負っているといっていい。105p

★千代は、決してのんきなたちではない。彼女ののんきさは、母の法秀尼から教えられた演技である。

「妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。夫に叱言(こごと)をいうときでも、陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみをうしないます。おなじ叱言でも陽気な心でいえば、夫の心が鼓舞されるものです。陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです」正直なところ、千代も、これだけの大人数の家来をかかえて、やってゆけるとは思わない。が、あすはなろうではないか。111-112p

★伊右衛門は、もはやこの瞬間より将来のなかに思いを置いている。(功名。……)伊右衛門の生活感情は単純である。いや、単純なようにあの利口な千代は仕むけてくれているのかもしれない。男とは、――と伊右衛門はおもうのだ。いかに高言を吐き、才芸にすぐれていても、それがなんであろう。男が、男であることを表現するものは、功名しかない。若い伊右衛門の哲学になっている。118-119p

★伊右衛門の姿から、人間の形が消え、えんえんと白炎があがっているように見える。この白炎が、幾多の戦場において、この平凡な伊右衛門に思わぬ功名をなさしめてきたものだ。158p

★「逃げる?」ときいて、伊右衛門は、われにかえった。この男の、輝かしい本性である。功名飢餓の俗物に。――162p

★(千代との暮らしも、いつかは楽になる)伊右衛門は、べつに英雄豪傑の資質を持って生まれなかったから、希望というのはそんなところである(いやもう、こんな男がなぜ後に土佐二十四万国の太守ににまでなったのか、筆者も書きながら、不思議でならなくなる)。205p

★戦国武士は、主人を選ぶ。現今(こんにち)の青年が入社すべき会社を選ぶように。武士たちは選ぶ権利をもっている。主人の器量を見ぬき、これこそ自分の運命を託するに見るとみてはじめて戦場で必死の働きをするのである。秀吉は信長をえらび、伊右衛門は秀吉をえらんだ。255p

★「伊右衛門殿は、よい才妻をもたれている」そういううわさほど、山内家というものの奥行きの深さを印象させるものはない。……娯楽のすくないころだから、他人のうわさが、劇、小説などの役目をはたしている。山内一豊夫妻のはなしというのが、当時はおろか、今日まで人に知られ。戦前は小学校の国定教科書にまで載った、というこの挿話の根づよき生命は、右の理由によるものだ。308p

★「こういうまわりあわせになるのも、あなた様が御運のつよいおうまれだからでございます」……千代が結婚以来ずっと伊右衛門に植えつけている信仰である。千代の考えるところ、どうせ人生は禍福いりまじりて縄のごとくなわれたものだ。自分は不運だとも思えるし、運が強い、とも思える。いっそどちらも正しくどちらも誤りとすれば、――運がつよい、と思いこむほうがあかるくこの世が渡れるのではないか。明るい人間に不運は訪れにくいものだと千代は思っている。310p

2021年3月28日日曜日

途中で投げ出す

 土日ごとに雨が降る。そう思うのは気のせいだろうか。今日も雨。野球シーズンが始まった。試合があるとJRが混む。昨日、日本画教室に行くためJRに乗ると試合観戦のファンがカープのユニ姿で乗車する。今はコロナの影響で観戦する人は半分の人数。これが100%になるとJRはさらに混雑する。いくら混雑した列車に乗ってもコロナにだけは感染しないように気をつけよう。

 葉が落ちて少しだけ枝に残る桜の木を描いている。昨日の教室で枝に色を施すが今一歩気が乗らない。気が乗らない絵を描いてもダメだ、と思ってこの絵を描くのをあきらめる。先生にそう話すと辛抱が足りないと思われたのか「描けば……」と話される。次は何を描こう?とモチーフを探す。以前、旅で写した青葉の樹木。これに気が向く。やりかけの木製パネルの絵を水でためた筆で流す。こうして元の地塗り状態にした。その上に絵とするモチーフをトレース。

 途中で投げ出した絵具が絵皿に残っている。その色をトレースした樹木に施す。この様子を見ておられた先生曰く「気に入った絵はやることが早いね」。次回からしばらくはこの絵に集中するつもり。

 県北にある美術館は15棟の建物がある。その棟ごとに芸術家が1年間、わが美術館のごとく自分の絵を展示する。習っている日本画の先生は4月から1年間、この1棟で個展を開催されることになった。1年を3期に分け、1期は先生が院展で入選された大作の展示。2期目は先生の教室の作品展に出品された絵の展示。3期目は先生たちの日本画展に出品された絵が展示されるようだ。

 教室の人たちとその美術館へ見に行きたいけど交通の便が良くない。ただ皆でお祝いをした。いつか折を見て見に行こう。

 今朝のFM名曲ライブラリーに哀しい切ない曲が流れる。フォーレの作曲、とラジオで聞いたが曲名を聞き逃した。電子辞書のクラシック1000曲からフォーレの曲を探すと「パヴァーヌ」だった。フルートで吹いた曲だ。最近、以前にさらったフォーレの「夢のあとに」を吹いている。「パヴァーヌ」はあまりにも切ない曲なので「夢のあとに」が吹くにはちょうどいいかもしれない。

 これを機にお気に入りの曲を「名曲ライブラリー」としてワードに記していこう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!



2021年3月27日土曜日

世羅町・三原市観光日帰りの旅

 今年になって初めて出かけた日帰りバス旅。行先は広島県の中東部に位置する世羅郡世羅町と三原市である。世羅といえば全国高校駅伝、常連の優勝校で有名だ。特に今年は男女ともに全国優勝を果たした。高校駅伝がなぜ世羅の町で盛んになったのか。一昨日、それを世羅町にある修善院というお寺の住職のお話で知る。神田敬州住職はバスがお寺に着くと出迎えてくださる。そして、すぐにお寺にまつわるお話をされた。

 修善院に向かうまでの道の駅世羅でしばし休憩。バスから降りると白いモニュメントが見える。これは昨年秋に出かけた瀬戸田の耕三寺「未來心の丘」に似ている。ネットで調べるといずれも彫刻家杭谷一東の作品で杭谷は世羅町の出身だった。道の駅内で買い物はせず、暇つぶしに彫刻の上に上がって周囲を見渡す。
彫刻の説明
道の駅世羅にある「天地花」
 臨済宗広田山修善院は県内で有名な臨済宗大本山佛通寺を開山した高弟が室町時代に創建。600年の伝統と歴史を誇る禅寺だ。このお寺には石でできた韋駄尊天が建立されている。なぜ韋駄天か。それは住職の話でよくわかった。有名ランナーの靴と走りの神様がいるお寺として有名らしく、それも今回知った。境内には樹齢600年とも言われる大きな銀杏の木がある。そのそばに納骨堂があり優れたランナーの位牌が祀られていた。
臨済宗広田山修善院

樹齢600年の大銀杏の木
 お寺の中に入って住職のお話を聞く。聞くところによると住職は広島県内で放送されるテレビにレギュラーで毎週出演されている。そのためか面白おかしく話される。聞いていて話に引き込まれたのか涙が出てくる。韋駄天の効果は絶大らしく、これまでオリンピックなどで活躍した人の親たちがお寺にきて願掛けをすると願いが叶うそうだ。有森裕子や高橋尚子の入賞や優勝のエピソードも聞いて知った。
 
 ほかにも東京オリンピックの最終ランナーを務めた酒井義則氏のお話にも感動する。広島の陸上界は織田幹雄が有名だ。その人は戦争に行かなかった。織田の後輩に世羅高校初代監督内海がいた。かれは地獄の戦火を潜り抜けて奇跡の生還を果たす。戦火を抜けて生還を果たした将兵には3つの共通点があったという。

1つ目 走力・持久力に長けていたこと。
2つ目 思慮深さがあり洞察力に長けていたこと。
3つ目 信仰であれ、肉親であれ、仲間であれ、決して裏切らない。信ずる対象を持っていたこと。

 奇蹟的に生還した内海は戦後、生まれ故郷の世羅の地で「何もなくても靴さえあればたたかえる競技」駅伝と長距離走の指導に邁進。逆境を克服する心と生きる力を超えた生き抜く力を培うことを指導理念に幾多の傑出した選手を育成した。内海監督はその後、世羅高校から県北の三次高校に転任。そこでオリンピック最終聖火ランナーとなる酒井を指導する。酒井はくしくもオリンピックの代表にはなれなかった。が、原爆の日に誕生していたことが最終ランナーへとなってゆく。

 織田幹雄も内海も酒井もすべて早〇田大学で学んでいる。内海監督は「生き抜く心とヒロシマの記憶を風化させてはならない」という強い願いから愛弟子の酒井を東京オリンピックの聖火台へと押し上げたそうだ。

 熱心にこのお話をされる住職。まさか日帰り旅でこれほど感動する場面があろうとは思ってもいなかった。今年のオリンピックも広島のランナーである山縣亮太を、と住職は推薦される。だが、この人は早〇田出身ではなく、慶〇大学だ。さて、どうなる!?
ランナーたちの聖地である修善院
トップアスリートが訪れのて靴が寄贈される
ランナーの靴が展示されている
年に一度の公開だが、今回は特別に見せてくださった

寄贈第一号は千日回峰を達成した酒井雄哉の靴

屋外にある韋駄尊天

お寺の入口にマラソンのスタートとゴール地点があった
世羅高陸上部は毎日このコースを1周するそうだ

お寺の入口の掲示にいいことが書いてあった
 住職のお話に感動した後は料理旅館「玉乃家」で新種のキノコの松キノコ御膳をいただく。食べたことがないキノコもあった。昼食後、同じく世羅郡甲山町にある今高野山に参拝する。ツアーの人は自分よりもさらに年配者で90歳の女性もいらっしゃった。話をすると1人暮らしだそうだ。食事はすべて自分で作っておられる。杖なしで険しい参道を歩く姿を見ると人生まだまだこれから、と思い知らされる。今高野山はガイドがおらず自分で見て回る。観光時間が余って近くを歩くがお店はほとんど閉まっていた。

世羅郡甲山町にある今高野山
 今高野山を後にして空港近くの三景園に行く。空港ができた時、1度来たことがあるくらいで初めての感覚だった。県内なのに出かけたことがない場所での観光が続く。まだまだ近くであっても出かけていないところがたくさんある。90歳の元気な人を見習って遊び歩こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 住職の話で思い出した。修善院の韋駄天は400m先の世羅高校につながり、そのずっと先には都大路につながっているそうだ。また禅寺の石庭の石は15個あり、なぜ砂模様が渦状なのかは京都に海がなく人は感傷的になると海を見たくなるという。だからお庭に海の渦を模して渦状に描くらしい。お寺を後にするとき、ツアー参加者は住職から韋駄天の御札と東京オリンピックの酒井選手起用のチラシ、そして修善院の沿革と韋駄尊天の由来を記したリーフをいただいた。

 去年秋のGO TO、そして今年初めての旅といずれも友だちから旅の誘いを受けて出かけた。ありがたい旅だった。これに勢いがついてこれから1か月の間に3件の旅を予定している。
広島空港付近にある三景園の桜

2021年3月26日金曜日

陸上自衛隊演奏会etc.

 一昨日、地元の区民文化センターで開催された陸上自衛隊の演奏会に出かける。コロナで延び延びになっていた演奏会。この日の演奏が楽しみだった。案の定、演奏を聴きながら感動のあまり涙が出る。さび付いた心を研ぎ澄ましてくれる音楽は素晴らしい。プログラムによると第13音楽隊は第13師団管内唯一の音楽専門部隊で中国5県を中心に広報活動を行っている、とある。何が感動ものかといえば演奏そのものもそうだが、きりっとした演奏態度など全てがきちんとしている。

 いろいろな演奏会に出かけるが舞台を歩く時の靴音がないのはこの音楽隊だけだ。舞台セッティングの際も全く音がしない。休憩をはさんで後半の開始となってもいつ舞台にそろったのかと思うほどカーテンが開いてびっくりする。それくらい音を出さずに行動している。だが、これもひとたび演奏に入ると趣は全く異なり、激しくさわやかな音楽が流れる。演奏ジャンルも聴衆を飽きさせない工夫がこらしてあるのだろう。

 木琴演奏では新旧2人の団員が寸劇を交えての共演で、パフォーマンスは笑いを誘う。新団員は昨年29歳で念願の入隊だという。ちなみに入隊資格は32歳までだそうだ。指揮者の演奏スタイルもほんとうに素晴らしい。これは多分に規律ある姿勢にあると思われる。声を発しなくても聴衆を引っ張っていつの間にか手拍子が加わわる。楽しい演奏会はさらに楽しくなる。感動しっぱなしの2時間はあっという間に過ぎた。

 感動は昨日の日帰りバス旅にも続く。この模様は明日のブログに記そう。家にいず、外に出よう、と改めて思った。一歩、家を出れば感動が待っている。一昨日は他にも九州のJ〇Bから旅のカタログが送付された。また、昨日は来月にチャーター便で出かける旅の最終案内が送られてきた。その前に今月末には桜を見に山陰へ出かける。去年はあいにく桜の時季は遠出できなかった。が、今年は思いっきり桜を楽しめそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月24日水曜日

ガスの点検

  4年に1度ある都市ガスの点検。ガス器具は二口ガステーブルを使っている。だが、コンロは使用しても真ん中に鎮座する魚を焼くなどのグリルは使ったことがない。それは使用後の手入れが面倒だから。おのずとフライパンを使う料理が多い。

 ガス会社の人はガスの元栓がきつい、という。確かにきつい。きつくてもうガスは使うまいか、と何度思ったことか。ガス会社に電話すれば無料で直してくれるという。そう聞いて、ガステーブルを新たに購入する際、お願いすると話す。これを不憫に思われたのか午前中にあと4件の点検が終わったら直しに来てくれるという。せっかくなのでお願いする。

 数十分後に直しに来てくれた。ガスメーターの元栓も閉めるらしく修理に10分かかるそうだ。すぐに直してくれるとコンロの元栓の開閉が楽になった。

 修理の様子を見ていていつも思う。いくら専門と言えども自分ができないことをやる技術者には頭が下がる。ついつい神様に思えてくる。それはパソコン関係であったり、電機、水道、大工仕事などなんでもそうである。昨日のガス点検者もそう思えた。

 とりあえずガス点検は無事終わった。午後はコロナで延び延びになっていた自衛隊の演奏会に出かける。きりっとした自衛隊員のコンサートはどの演奏会よりも感動する。それはなぜ?規律ある姿にあこがれるのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月23日火曜日

情報を得た!

  2,3日、思いを巡らしていたことがわかった。それは2軒先の人の不幸である。3月末で町内会の当番が終わる。引継ぎ一式をもって次の当番に渡しに行く。当番の家は町内の世話役。そのためか不幸の話をすると知っておられた。何と死因はコロナ。これを聞いてもうびっくり。どういっても2軒先の家であり、道で会えば立ち話をしていた。

 近所でコロナ発生があったと知って驚く。時期は昨年の11月中旬。不幸の知らせは町内の回覧板に記される。だが、コロナによる不幸は知らされないのか、年度末になって当番がもらった書類で知る始末。

 コロナは自分とは関係ない、と思っていた。ところが身近にコロナで亡くなった人がいると知って考えを改める。家にだれかが訪ねてくるとチャイムがなる。その際、マスクをつけずに応対していた。また、スーパーに行く道中、人と出会ってもマスクなしで立ち話をしていた。つい先日も駅まで行く途中、犬を飼っている知り合いに出くわす。犬の話をしているとすぐに5人になる。その際もマスクなしで話した。

 次の当番との話でコロナ感染者の死を知らされ、いろいろ考えさせられた。話によると同居する息子夫婦の息子がコロナになり持病持ちの親が感染したそうだ。亡くなっても家にはお骨だけ戻る。何と寂しいことか。

 世の中で起こることは何も特別な人だけに起こるのではない、と身にしみて感じる。今朝はガス会社から4年に1度の都市ガスの点検に来るという。マスクを忘れずに応対しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月22日月曜日

情報etc.

 今月16日のダグニーさんのブログを見ると「ワクチン接種」と題して次のように書いている。

「今日、私はcomvid 19に対して予防接種を受けました。ワクチンに過敏でない場合に行う必要があります。私はソルナ市内中心部の医療センターにいました。それは非常に痛みではなく、私は本当にそれをお勧めします……」。(自動翻訳機能による日本語)

 無事、ワクチン接種を終えられたようだ。ダグニーさんは相変わらずブログの写真を提供しているエレナと散歩をし、元気を取り戻されたようだ。5月8日になると満109歳。背筋はしゃんとしており、ブログ投稿を励みにされている。この人以上の頭のしっかりした人が日本にいないのでは、と思えるほど素晴らしい生き方である。

 生まれてこの方、ずっと同じ場所に住んでいる。当然、知っている人も多い。今月末まで1年間、町内会の当番になった。その役目を終える資料を受け取ると2件隣の人が亡くなっておられる。隣の隣の家なのに全く何があったのか知らずにいた。冠婚葬祭といったことは同じ地区にいても全くわからない。こういったことはすべて専門の業者がやってくれる。おのずと近所の手を煩わせなくてもよくなる。

 10年前の我が家の不幸の際も全く近所に知らせなかった。母が香典などいっさいを受け取らないようにと記していたことにもよる。これはある面、非常に楽だった。不幸の際の費用すべては母が遺していた。東京などの遠方から来てくれた母の孫たちの費用のすべてもそこから出した。来てもらうだけでありがたかった。

 親たちの兄弟はすでになく集まったのは従妹たちと母の子供、孫たち。ひ孫たちは小さかった。これだけでもすぐに何十人となる。31年前の父の時は専門の業者がなく自宅で行っている。

 年々、冠婚葬祭といった行事に疎くなる。それは自分自身に家族がいないことにもある。こういったことに神経を使いたくないのでこれはこれでよい、と思っている。とは言いながら、よく知っている人が突然いなくなったと知るとなんか変な感じもする。このあたりのことは何が一番ベスト!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月21日日曜日

『燃えよ剣』その2

 700頁もある『燃えよ剣』(司馬遼太郎 文藝春秋、2020年新装版)を読んだ。読み応え十分の本で、読むにつれて読む速度が増す。以下はいつものごとく気になる箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★幕末史を急転させたこの秘密同盟は、この年正月二十日、土州の坂本龍馬の仲介で、長州の桂小五郎、薩摩の西郷吉之助との間に結ばれた。場所は、京都錦小路の薩摩藩邸である。……その二大強藩が手をにぎった。この瞬間から幕府は倒れた、といっていいのだが、不幸にも歳三は知らない。局長近藤も知らなかった。ただひとり、参謀伊東甲子太郎のみが知った。328p

★二条河原で七里研之助らの刺客をさしむけたのはこの伊東であることは、すでに証拠があがっている。が、歳三は近藤以外には秘していた。隊中の動揺がこわかったのである。352p

★いわば、伊東一派は、薩摩藩新選組といってよかった。366p

★伊東を、人間としてあつかわなかった。それほど歳三は、かれ自身の作品である新選組を崩壊寸前にまで割ってしまった元凶を憎んでいた。387p

★「男の一生というものは」と、歳三はさらにいう。「美しさをつくるためのものだ、自分の。そう信じている」「私も」と、沖田はあかるくいった。「命のあるかぎり、土方さんについてゆきます」 395p

★沖田はじっと天井を見つめていた。(青春は終わった。――)そんなおもいであった。京は、新選組隊士のそれぞれにとって、永遠に青春の墓地になろう。この都にすべての情熱の思い出を、いま埋めようとしている。歳三の歔欷(きょき)はやまない。400p

★この松本良順(順)は、近藤を大坂城で治療してから新選組の非常な後援者となり、いま東京の板橋駅東口にある近藤、土方の連名の碑もこの松本良順の揮毫するところで、晩年まで新選組のことをよく物語った。明治の顕官のなかでは、おそらく唯一の新選組同情者であったといっていいであろう。412p

★「貴人、情を知らず」という言葉があるとおり、うまれつきの殿様という者は、所詮は、どたん場になっての感覚が、常人とはちがっているようである。歳三ら新選組は、二人の主人にすてられた。会津藩主と、慶喜と。456p

★政治家がもつ必須条件は、哲学をもっていること、世界史的な動向のなかで物事を判断できる感覚、この二つである。幕末が煮えつまったころ、薩長志士の巨頭たちはすべてその二要件を備えていた。近藤には、ない。460p

★京に官軍の旗がひるがえると同時に、もっとも恐れたのは、将軍慶喜である。かれは尊王攘夷主義思想の総本山である水戸徳川家から入って一橋家を継ぎ、さらに将軍家を継いだ。「自分が賊軍になる」」ということをもっとも恐れた。460p

★京に錦旗が翻った時、慶喜はこれ以上戦をつづければ自分の名が後世にどう残るかを考えた。「第二の尊氏」である。その意識が、慶喜に「自軍から脱走」という類のない態度をとらせた。こういう意識で政治的進退や軍事問題を考えざるをえないところに、幕末の奇妙さがある。461p

★榎本武揚、大鳥圭介などは、この戦争についてのかれらなりの世界観と信念とをもっていた。どう見てもかれらは戦争屋というより、政治家であった。その政治思想を貫くべく、この戦争をおこした。が、歳三は。無償である。芸術家が芸術そのものが目標であるように、歳三は喧嘩そのものが目標で喧嘩している。そういう純粋動機でこの蝦夷地へやってきている。どうみても榎本軍幹部のなかでは、「奇妙な人」であった。647p

★歳三は死んだ。それから六日後に五稜郭は降伏、開城した。総裁、副総裁、陸海軍奉行など八人の閣僚のなかで戦死したのは、歳三ただひとりであった。八人の閣僚のうち、四人まではのち赦免されて新政府に仕えている。榎本武揚、荒井郁之助、大鳥圭介、永井直忠(玄番頭)。662p

★男の典型を一つずつ書いてゆきたい。そういう動機で私は小説書きになったような気がする。べつに文学とか、芸術とかという大げさな意識を一度ももったことがない(小説が本来、芸術であるかどうか)。男という、この悲劇的でしかも最も喜劇的な存在を、私なりにとらえるには歴史時代でなければならない。なぜならばかれらの人生は完結している。筆者との間に時間という、ためしつすかしつすることができる格好な距離がある。この男は(注:土方歳三)は、幕末という激動期に生きた。新撰組という、日本史上にそれ以前もそれ以後にも類のない異様な団体をつくり、活躍させ、いや活躍させすぎ、歴史に無類の爪あとを残しつつ、ただそれだけのためにのみ自分の生命を使いきった。……ただ懸命に精神を高揚させ、夢中で生きた。そのおかしさが、この種の男のもつ宿命的なものだろう。その精神が充血すればするほど、喜劇的になり、同時に思い入れの多い悲劇を演じてしまっている。(あとがき)664p

2021年3月20日土曜日

ワクチン接種etc.

 「文藝春秋」2月号を遅れて読んでいる。特集として「第二次コロナ戦争」(これは天災か人災か」がある。今や文春は文春砲と言われるほどメディアを煽る。月刊誌の「文藝春秋」も同じ会社でメディアを賑わす。「文藝春秋」はまるで情報警察!?

 2月号の特集に<コロナ「ワクチン」本当に安全か>と題して免疫学の第一人者、宮坂昌之が警告を発している。この人は首相と官邸で昼食を共にする機会があり、首相から熱心な質問があったという。国民を対象にした接種の努力義務を定めた改正予防接種法を審議する国会で意見を求められた際、宮坂は「(接種の判断は)個人の意思が尊重されるべきだ」と述べたそうだ。さらに現時点であなたなら打つか――そう問われれば「当面は打たない」という。

 ここまで読んでホッとする。ワクチンを打ちたくないものにとってはもしもこれが義務であれば大変なことだ。それをこの人は義務でなく個人の意思を尊重と話している。

 さらに読むと<クチン接種後に起こる好ましからざる現象を、を総称して有害事象と言いますが、とりわけワクチンそのものによって局所の痛み、発熱、腫れ、全身の発熱といった諸症状が引き起こされることがあります。これらの多くは免疫反応のために起こるため、「副作用」ではなく、「副反応」という表現を使います>とある。

 今回、「副作用」でなく、なぜ「副反応」というのかこれを読んでよくわかった。

 宮坂は<「コロナにかかるリスク」と、「ワクチンのリスク」を天秤にかけると、いずれも一万回に一桁の頻度で、大きくは変わらないのです。こう考えると、健康被害のリスクを冒してまで、とりわけ重症化リスクの低い若者にまで、ワクチン接種を義務とすべきでしょうか。まずは、ワクチン接種については一人一人の考え方に委ねて希望する者に接種すること。その際の優先順位は、感染すると重症のリスクが高い高齢者や基礎疾患がある人から始め、若い人を最後にすること――これが私の提案です>と述べている。

 最後にこう述べる。<ワクチンと治療薬が確立されれば、重症患者数は大幅に減少し、インフルエンザと同じレベルまでコロナを制御できるようになる。それまで日本は、安全を確認しながら、丁寧に政策を進めてほしいと思います>(120-127p)と。

 今朝の地元紙にワクチン接種を呼びかけるチラシが入る。また、ネットニュースはPCR検査をしていない人にまで「陰性」の知らせが届いたとある。ここまでくるといい加減、としか思えない。いい加減な世の中でワクチン接種をしても何が起こるかわからなくなり、いい加減にされそうだ。怖い、怖い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月19日金曜日

お墓参りetc.

 3月は12日が父の31回目の祥月命日。この日はお天気も悪くてお墓参りをしなかった。昨日、母の月命日にあわせてお墓参りをする。春のお彼岸の中日にちかいためか、お参りする人の姿がある。

 お墓参り後、いつもと違う道を通って我が家に帰る。その途中、家から出てきた男子高校生にあいさつされる。地元の小、中学生から声をかけられることもあるが、それは年に1度あるくらいだ。立ち止まって話をしていると別の1人がその家に入ろうとする。その人も加わって3人が立ち話となる。この2人の高校生は松本市から来た高3と福井市から来た高2の男子高校生だった。

 町内にテニス好きの家がある。その家には大きなテニスコートがあった。家主は全国から高校生を国内テニス留学(?)させている。このことは以前から知っていた。

 昨日の男子高校生はその家の借家に住んでおり部屋の引っ越し途中に出会った。家では料理をせず通っている高校で食事をするという。この高校は以前は女子高で市内にあったが、今は郡部に移転して男女共学となっている。女子高当時からソフトテニスは強く、知り合いも大企業に入部して活躍した。出会った2人も遠方から広島までやってきてソフトテニスを頑張っているようだ。

 昨日は他にも旅行を申し込む。お墓参りをする時点では申し込むかどうかためらっていた。が、夕方になって「行こう」と思いつく。すぐに旅行社に電話して申し込む。その際、クレジット決済云々を問うとメルアドがあればOKとのこと。すぐにその手続きをする。

 GO TOとは何ら関係ない旅を今回を入れて4件申し込む。何も急いで、と思いながらも歳の方が急ぎ足で過ぎてゆく。「行きたければ行けばいい」、との思いに至った。昨日、申し込んだ旅は国内でも遠くの旅。広島空港から直行便が飛ぶ。直行便の旅は以前にも釧路に出かけた際に利用した。海外に出かけられない間はせいぜい国内の出かけてない場所へ行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月18日木曜日

鶏のから揚げ

 鶏肉はもっぱらもも肉かミンチしか買ったことがない。NHKの料理番組を見ていると「鶏のから揚げ」をやっている。初心者のための簡単料理である。油を使った料理は家でしないので鶏のから揚げもできあいを買って食べていた。テレビを見て「これはつくれそうだ」と思ってスーパーに出かけてムネ肉を購入。ムネ肉は初めて買った。もも肉ならば小さく切ったものがある。が、ムネ肉はブロックで売っている。仕方なくそれを購入する。

 ネットで作り方を見てそれぞれの分量を確認する。ムネ肉のブロックを薄く切る。魚を切るのはよいとしても肉を切るのはいい気持ちがしない。が、から揚げつくりでそれも仕方ない。鶏肉はもも肉かミンチと決めていたのでムネ肉に抵抗がある。これも材料なので仕方ない。

 レシピ通りに作ろうとするが揚げ物に大事な油も買わなくてはいけない。いつもは炒め物などのオリーブ油がある。から揚げにオリーブ油は?と思って小さい容器に入ったキャノーラ油を購入。調味料類を増やしたくない。だが、それもから揚げ用にと買ってしまった。

 フライパンに少しだけ油を入れてから揚げをつくった。できあいに負けずいい感じにできあがった。ムネ肉は安くても一度で使い切れない。次も作る!?

 先日の日本画教室でコロナ禍の中、暇つぶしに餃子をつくったと話すとひんしゅくを買ってしまった。餃子はつくらず買うもののようだ。から揚げをつくった、と話したらまたひんしゅくを買いそうだ。

 話は変わって昨夜の「英雄たちの選択選」。昨年7月の再放送だった。今、読んでいる『燃えよ剣』は土方歳三を扱っている。現在400頁まで読み、土方が東京方面に移動する場面だ。テレビは土方の宇都宮城落城を映し出す。これはまだ読んでいない250頁の中にある。

 番組HPによると以下のように書いてある。

★「鬼か?仏か?その後の新選組・土方歳三 〜宇都宮城攻防戦の真実〜」

 新選組の鬼の副長として恐れられた土方歳三。ところが、近藤勇の死後、北へ向かう土方は、兵士に慕われ続けたという。鬼か?仏か?その後の新選組・土方歳三の実像に迫る。 「鳥羽伏見の戦い」以降、薩摩・長州を主軸とする新政府軍に負け続けた旧幕府軍。そんな中、旧幕府軍が初めて新政府軍に勝利したのが、土方歳三率いる「宇都宮城の戦い」である。関東の名城・宇都宮城をわずか1日で攻め落とした。土方の知られざる戦略にスポットをあてる。彼は、その勢いのまま、北へ向かう。奥羽越列藩同盟とともに戦うのか、さらに、北を目指すのか?土方の壮絶な生きざまをたどる。

 土方歳三はゲストによるとイケメンらしい。人斬り専門の悪が宇都宮城落城後は真っ正直な性格が出て憎めない人だと番組出演者たちは話す。司馬作品に登場する人たちを電子辞書で確かめながら読んでいる。土方は確かにイケメンだ。お笑いの兼近に似ている。髪型も今風なので余計イケメンになる!?残る250頁は明日中には読めそうなので楽しみにして読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月17日水曜日

歴史嫌いが……

 美容院で注文した紐なしマスクを受け取りに出かけると30枚入りは1000円でなく1280円だった。注文する際、聞き間違えたのかもしれない。ネットで同じ商品を見ると1000円ぐらいの価格だったが送料660円となっている。これからずっとこの商品が欲しくて注文したわけではない。なんとなく買わなくてはいけない雰囲気に負けてしまった。次回の日本画教室に持参してマスクを配ることにしよう。

 今読んでいる司馬作品は『燃えよ剣』。これは幕末の新選組を描いた小説である。近藤勇、土方歳三、沖田総司が登場する。バイト時代、某公社の人たちは自分たちの仕事を「土方(ひじかた)さんよ」と自嘲気味に話していた。都市設計の人たちで土方(どかた)仕事と言いたかったのだろう。当時は歴史に疎く、まったくこういったことに興味を示さなかった。が、頭の隅にこう話していた意味が今になってわかってくる。

 『燃えよ剣』を読んでいると人を斬る話ばかりだ。今夜のNHKのBSでこの土方歳三を取り上げた「英雄たちの選択選」がある。以前だったらこういう番組は絶対ともいえるほど見向きもしなかったはず。ところが司馬作品を読みだして日本の歴史に興味を持つようになると見たくなる。とはいっても今のところはせいぜい江戸時代から近代までのことである。それより前の時代はほとんどわかっていない。もっと本を読んで勉強しないといけない。

 歴史嫌いが年老いて徐々に好きになってゆく。これはどういうこと!?中学、高校時代の歴史の教え方に問題があるのでは、と思ったりする。その実、社会人大学生として学んだ中国の近代史は中学、高校の頃の教え方とは全く違っていた。これが歴史!と思いなおす。この頃から徐々に歴史に関心を抱き、その延長線上に今の司馬作品があるように思える。

 生きているうちに歴史嫌いが歴史好きになったことは幸いだった。そういえば運動もそうだ。まさかまさかと思えるほどの運動嫌いがよくもこれを克服した、と我ながらあきれる。というか自分をほめてあげたい。絵もそうだ。この先の人生がどこまであるかわからない。が、少しずつでもいいから嫌いなことを嫌いと言わず、好きになってゆく!?人生、さらに楽しくなること間違いないだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2021年3月16日火曜日

「100歳を生きる知恵」

 尾道に一人住む100歳の石井哲代さん。今朝の地元紙によると市内で「100歳を生きる知恵」と題して講演をされている。それには足腰の鍛錬と日記の習慣がある。家にこもらずあちこち出かける。そして心を元気に保つコツとして日記を書く。老いへの不安を人に話したり一人で落ち込んだりしてもしようがない、として日記に書くそうだ。人前で話すほどの人だから自分を律して生きてこられた偉い人に思える。すばらしい人だ。

 日記といえばWEB上のブログがある。スウェーデンの108歳のダグニー・カールソンは「100歳から始まる人生」で全世界に向けてテレビデビューした。ダグニーさんは今年になってブログを一時中断されていた。が、今はまた投稿されている。ただ「テキストが……」とブログ投稿に不満があるようだ。ときどきダグニーさんのブログに写真を提供するカメラマンのエレナがブログの面倒をみていると思えた。

 どういってももうすぐ109歳になられるダグニーさん。ブログアップに命を懸けているのだろうか「テキストが……」と夢うつつに思える。

 エッセイやメディアなどを通してこれまで長生きされて活躍する人たちをたくさん見てきた。どの方もただの長生きでなく自分に合った方法で素晴らしい人生を生きておられる。自分自身もこういう人たちの生き方に惹かれる。が、その御年まで元気でいられるか、それが問題だ。ただ、元気な100歳はどの人も自分で楽しみを見つけて動いておられる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月15日月曜日

『燃えよ剣』その1

  700頁近くもある文庫本『燃えよ剣』(司馬遼太郎 文藝春秋、2020年新装版)を必死で読んでいる。次に予約の人がいるからだ。返却日までを日割りで計算すると1日に70頁読むノルマが課せられる。文庫と言ってもいわゆる文庫の大きさでなく単行本との中間くらいの本だ。その始めの方に「疫病神」と題して著者は次のように書いている。

★筆者は運命論者ではないが、人間の歴史というのは、じつに精妙な伏線でできあがっている。近藤勇も土方歳三も、歴史の子だ。しかも幕末史に異常な機能をはたすにいたったことについては、妙な伏線がある。麻疹(はしか)と虎列刺(コレラ)である。この二つの流行病がかれらを走らしめて京都で新選組を結成させるにいたった数奇(さっき)は、かれら自身も気づいていまい。この年、文久二年(注:1862年)。……このころ、大西洋上のフェレール群島(デンマーク領)で猛烈なハシカが流行し、たちまち全ヨーロッパに蔓延したから、この船員が長崎で飛散させた病原体(ビールス)は、おそらくそういう経路をたどったものだろう。……ハシカの病原体は、現代(こんにち)でこそ国内に常在し、風土病化しているが、鎖国時代の日本ではまれにシナ経由で襲ってくる程度のもので、免疫になっている者はすくない。ために死ぬものが多かった。この伝通院の二人の僧がもって帰った「異国渡来」の麻疹は、またたくまに小石川一円の老若男女を倒し、江戸中に蔓延しはじめた。これにコレラの流行が加わった。――これも、幕府が、京の勅許を待たずにみだりに洋夷(ようい)に港を開いたからだ、と攘夷論者たちはこの病原体におびえ、そういう説をなした。……「伝通院の坊主め」近藤は吐きすてるようにいった。……恨むとすれば、一昨年の三月、桜田門外で殺された大老井伊掃部頭直弼(かもんのかみなおすけ)の開国政策をうらむべきであった。(104-106p)

 今、世界中を襲っている新型コロナウイルス。160年近く前にできた新選組が当時の日本を襲った麻疹とコレラに一因していたとは驚き。今から100余年前にはスペイン風邪が流行った。これもウイルスにより全世界に死者が出た。その人数は第一次世界大戦の死者数を上回っている。本を読んで改めてこういうことを知ると新型コロナウイスはこれから先どうなっていくのだろう。と思いめぐらす。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月14日日曜日

紐なしマスク

  美容院に行くといきなり口に何かをかぶせられる。それは紐がないマスク。前回出かけた時はマスクを外すように言われた。マスクなしで椅子に座るといきなりのマスクだ。これは何、と問うと紐なしマスクだった。県北の美容院でコロナ感染者が出て美容業者がこのマスクを納品するようだ。30枚入りで1000円。ちょっと気になって30枚入りを予約した。あとで聞くと個人が購入する人は初めてらしい。マスクをしていると結構息苦しくなる。その点紐なしは楽。

 このマスクは絵を習う時に便利と思った。昨日の日本画教室で次回の教室にこのマスクを持参する旨、皆に話す。別に商売のつもりで買ったわけではない。手に入り次第、教室の人に1枚ずつつ見本にあげようと思っただけである。

 さて、日本画教室。前回、F6の木製パネルに地塗りをした。あまり使わない絵具を先ず下地に塗る。これをくり返して最後に下地になる色を塗る。今回は葉っぱの落ちた桜の枝が真っ青な空に伸びているさまを描く。下地は淡いスカイブル―で塗る。だが、最初に塗った色をオレンジ系で塗って完全に乾ききらないうちに下地を塗ったためか、かすかにオレンジがにじむ。

 昨日はあまりにも下地がきれいでないので再度塗りなおす。そしてトレースした絵をカーボン紙を敷いてパネルに転写する。だが、うまく転写できない。次回はこれを本画にしてゆく。この時点ですでにこれから描く絵が好きになれない。絵の出来上がり具合が今から思いやられそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月13日土曜日

バス会社の旅

 市内の主なバス会社が運営する旅の募集に関心がわく。コロナ禍でGO TO以後の旅の募集方法が様変わりしたようだ。大手旅行社の旅の募集パンフはなく、もっぱらバス会社の旅を申し込む。高速バスを運行する会社は高知往復のバス代だけでホテル込みの運賃だ。行く気になるが高知までバスで行くには遠すぎる。先日は市内バスの会社の日帰り旅が催行されることになった。他にも月末に予定する会社から昨日電話がある。申し込んでいた旅とは別の旅が催行されるという。

 行先は申し込んだ場所のはずなのに話を聞くと何か変。とりあえずバス会社の言うとおりにした。電話を切っても合点がいかず、自分はどこを申し込んだか改めて問うと違う場所だった。電話で申し込む際、旅のコース番号を告げずにあいまいな行き先を話したのかもしれない。先方は、なにか手違いで処理したのかも知れないという。別にもめることでもない。ただ、自分が申し込んだ行き先がどこだったかを知りたかっただけのこと。行きたい場所が催行されたので結果オーライとなった。それにしてもこういうことは初めてのことだ。気をつけよう。

 午後になって同じ旅行社に電話してGWの旅を申し込む。電話に出た人は歳をとった人を思わせる。さっさと物事が通じない。午前中、行先でトラブっているので今回は旅のコース番号を告げて話す。まだ催行確定まではなっていないが新聞で広告を出すという。

 出かける先はいずれも県内や山陰地方で大人数が詰めかけるような場所ではない。とはいってもGWになればそれもどうかわからない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月12日金曜日

『舟を編む』

 司馬遼太郎の新装版『燃えよ剣』と『舟を編む』(三浦しをん 光文社、2011年)を並行して読む。どちらの本も予約する人が待っていて借りた期限までに読まねばならない。新装版の『燃えよ剣』は700頁に及ぶ分厚い本である。『舟を編む』は350頁だ。1日のノルマを決めて『舟を編む』を主に読む。昨日でこれを読み終えて今日からは『燃えよ剣』を集中して読もう。

 『舟を編む』の著者、三浦しをんは読み終えるまで男性作家だと思っていた。念のため、ネットで検索すると女性作家だ。これにはちょっと驚く。自分自身が年齢を経たせいか読む本は若い作家でなく高齢の作家が多い。高齢の作家も女性より男性作家の本を多く読む。ところが今回は若い女性作家の書いた本だ。『舟を編む』のタイトルの意味が読みながらわかりだす。本や辞書をつくるには編集が欠かせない。ここから「編む」がつく!?

 本を借りたままにしておくと気ぜわしさが増す。一段落したはずなのに『燃えよ剣』の借り入れ期限が迫る。これも1日に読むノルマを決めないと読めそうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『舟を編む』から気になる箇所を抜粋した。作家である三浦しをん、若くてもちゃらちゃらした作家でなく読み応え十分の本だった。これからの日本を代表する作家、間違いない!

★「なぜ、新しい辞書の名を『大渡海』にしようとしているかわかるか」……「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」「海を渡るにふさわしい舟を編む」松本先生が静かに言った。34-45p

★どうかいい舟を作ってくれ。荒木は願いを込めて目を閉じた。多くのひとが、長く安心して乗れるような舟を。さびしさに打ちひしがれそうな旅の日々にも。心強い相棒になるような舟を。きみたちなら、きっとできる。36p

★有限の時間しか持たない人間が、広く深い言葉の海に力を合わせて漕ぎだしていく。こわいけれど、楽しい。やめたくないと思う。真理に迫るために、いつまでだってこの舟に乗りつづけていたい。184p

★言葉にまつわる不安と希望を実感するからこそ、言葉がいっぱい詰まった辞書を、まじめさんは熱心に作ろうとしているんじゃないだろうか。だとしたら、私も辞書編集部でやっていけそうな気がする。私も、不安を晴らす方法を知りたい。できることなら、まじめさんと言葉で通じあい、居心地よく会社生活を送りたい。たくさんの言葉を、可能なかぎり正確に集めることは歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して相手に差し出しとき、気持ちや考えがはっきりと伝わる。一緒に鏡を覗きこんで、笑ったり泣いたり怒ったりできる、辞書を作るって、案外楽しくて大事な仕事なのかもしれない。233-234p

★「言葉の海は広くて深い」松本先生は楽しそうに笑った。「まだまだ修業がたりず、海女さんように真珠をとってくることができないのです」いつ終わるとも知れぬ、『大渡海』編纂作業だった。242p

★岸辺は『大渡海』編纂を通し、言葉という新しい武器を、真実の意味で手に入れようとしているところだった。255p

★早く『大渡海』を完成させたい。あと一歩のところまで漕ぎつけたからこそなのか。馬締(まじめ)のなかに強い焦燥が生まれていた。早くしないと、まにあわない。そう考え、「なににまにあわないんだ、縁起でもない』とあわてて打ち消す。277p

★「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とは全く無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」松本先生の口調は淡々としていたが、そこにひそむ情熱は、波のように馬締の胸に迫ってきたのだった。……松本先生はすまなそうに、窓越しに頭を下げた。走り去るタクシーを見送り、馬締は編集部へ戻った。『大渡海』編纂に対する新たな闘志と意欲が、胸の内に沸き起こっていた。283-284p

★言葉はときとして無力だ。荒木や先生の奥さんがどんなに呼びかけても、先生の命をこの世につなぎとめることはできなかった。けれど、と馬締は思う。先生のすべてが失われたわけではない。言葉があるからこそ、一番大切なものが俺たちの心なかに残った。生命活動が終わっても、肉体が灰となっても、物理的な死を超えてなお、魂は生きつづけることがあるのだと証すもの――、先生の思い出が。先生のたたずまい、先生の言動。それらを語りあい、記憶をわけあい伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ。……死者とのつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。323p

★『大渡海』の完成を喜び、だれもが笑顔だ。おれたちは舟を編んだ。太古から未来へと面々とつながるひとの魂を乗せ、豊穣なる言葉の大海をゆく舟を。……めでたい晩にも、『大渡海』のこの先を考えている。さすがは荒木さんだ。松本先生の魂の伴奏者だ。辞書の編纂に終わりはない。希望を乗せ、大海原をゆく舟の航路に果てはない。324p

2021年3月11日木曜日

『漢文で知る中国』

 今月下旬の日帰り旅を2件申し込んでいる。うち1件の旅の催行が確定された。この旅行社は地元のバス会社が運営する。初めて利用する会社で昨日はさっそく旅費を振り込む。春の陽気に誘われて出かけたことがない場所へ行くのは本当に楽しみ。ただ、この季節は「春眠暁を覚えず」のことわざどおり起床時刻が遅くなる。早く起きる癖をつけないとどこへも行かれなくなりそうだ。

 以下は 司馬作品と並行して読んだ『漢文で知る中国』(加藤徹 NHK出版、2021年)。気になる箇所を抜粋した。この著者は昨日の新聞記事の先生同様、社会人大学生のころに中国文学を学んでいる。「京劇」研究の第一人者だ。余談だが、アコーディオン(コンサーティーナ)を得意とされる。東京に移られてからはNHKの中国語講座や中国に関する番組に出演されている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★漢文的でわかりやすい中国と、同時代のリアルで難解な中国。このイメージの差違は日本人を悩ませてきました。二十世紀の歴史作家・司馬遼太郎は、ペンネームを古代中国の歴史家.司馬遷にちなむほどの中国通でしたが、「漢文世界に棲んでいるひとびとといまの中国人とは系譜として別個のものだというイメージをどこかで持ちつづけた」と告白しています(司馬遼太郎『長安から北京へ』)。(あとがき)

★中国人の留学生に来日の動機を聞くと、子供のころ日本のアニメに夢中になったのがきっかけ、と答える人が多い。……日本で日本人といっしょに暮らし、喜怒哀楽の体験を積むうちに、自然とわかってくることがある。……数ヶ月も日本で暮らすと、理屈ではなく、生活感覚でそう納得できるようになるのだそうです。日本人の中国理解も同様です。前述の司馬遼太郎も、「文化大革命」で揺れ動く中国を旅行し、多くの中国人とつれあうことで、今も昔も中国文明は連続しているという実感を深めました。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」とことわざに言うとおりですね。(あとがき)

2021年3月10日水曜日

新聞記事

  毎日見る朝刊は地元紙を取っている。地元紙だけあって掲載記事に知っている名前をよく見かける。それは投稿であったり、記事を書く新聞記者(社会人で学んだ人が記者になっている)もそうだが、記事になって掲載される人もいる。今朝は記事だった。

 それは今年度で大学を定年退職される某先生の話題だ。先生を知ったのはもう20数年前のことになる。アジアを学ぶ塾に通っていた頃、ミャンマーのことを講演された。そのころは文化人類学(民族学)にのめり込み、大阪にある国立民族学博物館の友の会会員になってよく通っていた。辺境の地にのめり込んだこともこの影響が大きい。

 今朝の記事の先生はミャンマーをフィールドワークにされていた。アジア塾やその他の場所で先生の講演をよく聞いた。その影響もあって、その後何年か経って社会人として大学に入りなおす。そして先生の文化人類学を学んだ。ミャンマー情勢は政治的に不安定であり、近年は県北をフィールドワークにされていたのだろう。今朝の新聞記事を読むと20有余年に渡って県北へフィールドワークに通い、民俗調査をされている、定年退職を機に地元の有志が横断幕をつくって先生の講演会を知らせる記事だ。横断幕には先生の顔写真がある。すでに頭が真っ白になっておられる。

 大学を修了して丸12年になる。月日の経つのは本当に早い。まだ個人でパソコンを持っていなかった頃、アジア塾で聞いた講演に感動して職場のパソコンから大学の先生にメールをしたことがある。返信メールにご自分のことを「発展途上の……」と記された。これを見てなんと頭の低い人だろうと思った。それから間もなくして大学で先生から学ぶ機会を得る。

 大学にはいろいろな先生がいらっしゃった。年齢を経て大学に入りなおすと若いころには感じなかったいろんなことを感じた。そんな中でも先生はいつも謙虚な方だった。最後にもう一度講演を聞きたい。が、人数に制限があり、県北まで聞きに行くのはやめよう。

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2021年3月9日火曜日

『司馬遼太郎をなぜ読むか』

 『司馬遼太郎をなぜ読むか』(桂英史 新書館、1999年)を読んだ。司馬遼太郎の小説を読み始めたのは今から2年3か月前になる。年齢を経て人の言葉に左右されて司馬作品を読むようになった。長く生きてきて司馬作品くらいハマった本はない。司馬作品を読む人に出会うと話も弾む。それくらいハマっている。今回読んだ本もそういう類の本と思って読み始めた。ところがどうもそうではないようだ。

 この本で引用された以下の尾崎の文が自分に合っている。批判めいた箇所の多い本だったがそれはすべて割愛させてもらおう。

★司馬が導いた「戦後の処世訓」で高度成長を生き抜いた人々が、人生の峠を越し、狂乱のバブル経済の夢から醒めたとき、司馬が日本や日本人を持ち出しながら、その「生き方」を穏やかに諫めていた。「生き方」とはその名の通り生きる方法である。戦後の処世訓、すなわち生き方を学んだ人々は、老後にさしかかった時期に再び司馬と出会い、日本や日本人について考える機会を得たとも言える。その辺りに関しては、尾崎護(国民金融公庫総裁)のコメントを参考にしておこう。 

 「民族の歴史を知ることから、そしてその歴史が与える感動を知ることから、民族のアイデンティティが成り立っていると思う。司馬遼太郎という作家は、日本の歴史が持つ感動を日本国民に伝える達人だった。実に多くの人が司馬遼太郎の作品で歴史を学び、感動を知った。私もその一人である」。(「三岡八郎という男」『司馬遼太郎の世界』一〇九頁)(42-43p)

 相変わらず司馬作品を読んでいる。その合間に旅のカタログが届く。昨日は関西のJ〇Bからだった。久しぶりに届いたカタログは海外旅行こそないが国内旅行に関してはこれまでになかったようなカタログがあった。旅をせよ、と言わんばかりのカタログ。国内の旅をわざわざ関西発で行かねばならない!?疑問に思いながらも頁をめくる。

 カタログといえばほかにも大型電気店や地元の電気店から届く。このままコロナも収まってさらに世の中動き出せば気も晴れやかになる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月8日月曜日

世の中、動き出した!

 狭い庭に今年もラッパ水仙が6輪ほど花を咲かせた。つぼみは残して咲いた花を花瓶に活ける。淡い黄色の花は芳香を放ち、春を感じさせてくれる。

 暖かくなると人の動きがある。図書館の予約待ちの本が3冊あるとのメールがあり、すぐに受け取りに行く。世の中、動きだした!

 今朝は9時になると旅の予約の電話をする。係の声で期待外れになりそうになる。というのも、県内でまだ行っていない観光地があり旅費も安い。すぐに催行されると思って電話した。ところがそうでもないらしい。旅を教えてくれた人と朝から電話で話す。気候も良くなると互いにどこかへ行きたくなる、と話も弾む。

 先週、今朝とは別の旅行社から日帰り旅のカタログが送付された。年間を通しての旅で何か所か行きたくなる。とりあえず、まだ行ったことがない桜を見るツアーを申し込む。

 今日は最高気温18度の予想。泳ぎに行こうと思った。が、先週泳いで以来、鼻水が止まらない。この原因は花粉症か風邪かわからない。ここは無理は禁物、と思い直して泳ぎをあきらめる。その代わりではないが図書館で借りた本が6冊たまった。ほとんどは司馬遼太郎がらみの本だがいずれもすぐに読める本ではない。本が手元にあると早く読まねば、と気が焦る。ぼつぼつと思いながらも早く読み終えよう。司馬遼太郎以外にも三浦しをんの『舟を編む』の順番が回ってきた。この本は次に予約の人がいるので早く読まなくてはいけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月7日日曜日

「中国秘境 謎の民 極限の大地に生きる、知られざる民」

 コロナ禍でNHKのBS は再放送番組が多かった。ところが昨夜は新たな内容の番組だ。それは「中国秘境 謎の民 極限の大地に生きる、知られざる民」、「天空チベット タンカ絵師の郷」として放送された。番組HPによると以下のようだ。

★チベット高原・極限の大地・ザムタンは政府指定の貧困地域。幻の宗派の転生活仏がその脱却を目指し、チベット芸術の秘伝を遊牧民出身の若者たちに伝える5年に及ぶ記録。 四川省の北西、チベット高原東端にあるザムタンは、50人以上の絵師が修行する不思議な谷。仏教芸術やチベット医学などチベット文化の精髄は、寺院・門外不出のものだった。貧窮を極めるザムタン…チベット仏教・幻の宗派の転生活仏が、失われかけた秘伝の文化を郷の若者たちに継承させ、“豊かさ”をつかむための糧にしようと伝承所を開いた…。転生活仏と若い絵師たちの5年にわたる青春群像を高原の四季の映像とともに描く。

 ザムタン、という地名は初めて聞いた。この地はチベット仏教の聖地だそうだ。チベット仏教の最高指導者としてダライ・ラマ法王がいる。ダライ・ラマ以外にもチベット仏教の高僧がいると知って驚く。チベット仏教は四大宗派であるゲルク派、サキャ派、ニンマ派、カギュ派のほかにチョナン派があるそうだ。ダライ・ラマはゲルク派のトップであり、チョナン派のトップはジャムヨンロジュ リンポチェという第47代法王である。

 リンポチェは先代の輪廻転生として生まれ変わる。今の法王が5歳の頃、そのテストがあった。何か文字を書けよ、と問うとチベット文字で「ザムタン」と書いたそうだ。このことで法王となる。だが、この地は中国の中でも貧しい地域。リンポチェは人々の生活の助けとなることを願ってタンカの伝習所を立ち上げ、150人が学んでいる。描くには「線」と「彩色」が大事。伝習所で学ぶ男女2人にスポットを当てて番組が続く。

 1人はセルチェンラモという女性で小・中学校で学ばず、家の仕事に明け暮れていた。第一期生の伝習所の募集を知って学びたい意欲がわいて応募。もう1人は暴走族の悪の男性。この2人が学んで10年後の昨年11月に上海の博覧会(?)で「仏陀伝」という大きなタンカを出品する。描いたのはセルチェンラモとヤンペルの2人がメインとなり、第一期生も加わって「仏陀伝」を描いた。この大きなタンカがセリにかけられて4500万円で落札される。メインの2人は無形文化財にも指定されて絵の注文が殺到している。他の第一期生の絵も売れてるという。

 4500万円で売れる前の開眼式でリンポチェが仏に目を入れる。この儀式では絵師の目が輝く。伝習所で学ぶには寄宿舎に入る。だが生活費は無料。そして月4000円の手当が出る。この地域の平均年収は3万円というから4000円は額も大きい。

 寄宿舎では10時間も絵を描く。学び始めは模写ばかり。ある時、元暴走族のヤンペルはリンポチェから絵に心が入っていないと戒められる。仏の表情を描くためヤンペルの修行の日々が始まる。そして心を静め読経の日々に明け暮れる。他にも学校の建設やボランティアに汗水を流した。そしてただひたすら澄んだ心を求めて……。そしてタンカを描くこと自体がよい行いと気づく。

 リンポチェは「1000年の歴史をかけて熟成された文化を受け継ぐ強い意志がなければならない」、と秘宝を特別に出して伝習生に見せる。ヤンペルは心の成熟により智慧が磨かれて絵に力が入るようになった。そして「四天王」を描いた。もう一人の女性もリンポチェからいただいた機会を大切にしたいと話す。そして見る人の救いとなってほしいと願いながら「釈迦如来」を描いて第一期生を卒業した。男性のヤンペルは絵を描きながらも内モンゴルのアニメ制作会社と協力して動画を制作。ヤンペルは「この土地が育んだ文化を発展させ故郷をすばらしいところにしたい」と話す。女性の方は絵を描きながら後輩を指導する。今やザムタンの町は新たな建物が建設されて絵師の住む町となり、以前とは趣も変化している。

 番組を見てお昼に日本画教室で学ぶ自分の姿を顧みる。絵を描く心がけは雲泥の差がある。芸大で学ぶ人は伝習所の人くらい絵を描いているのだろうか、とふと思った。10年間も絵を描くことに没頭する、ザムタンの絵師は素晴らしい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

2021年3月6日土曜日

旅の新聞折込チラシ

 昨日から友だちと電話で旅の話題が続く。先日、新聞折込に入っていた旅行社に電話すると日帰り旅のうち2件はすでに予約でいっぱいだった。旅行社の話ではなんと新聞折込に入れた時点で満杯だという。暖かくなるとどこかへ行きたくなる。その思いは皆、同じのようだ。昨日、友だちから電話があり、他の旅行社の日帰り旅をすすめられる。今朝も友だちから電話があり、旅行社に電話予約を入れようとすると休業日だった。予約は月曜日までお預けとなった。

 今朝の新聞折込は他の旅行社だ。昨日のように歯科に行くこともなくなり、いつもの生活が始まると旅のチラシに目が行く。その時、この何もない日常の幸せをしみじみと感じる。今、出かけたいところを拾い出すと吉野の桜、佐渡島、五島列島など行きたい場所はいろいろある。吉野山をメインに考えていると付属する場所に高野山がある。高野山へはもう一度行きたいと思うが秋に出かけたばかりで今一歩、気が進まない

 昨日、友だちが誘ってくれた日帰り旅は県内でも出かけていない場所だ。まだまだ近場であっても出かけていないところは多々ある。今日は予想最高気温18度と暖かくなる。どこかへ行きたくなる気持ちが増してくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月5日金曜日

心構え

 朝から気合を入れて歯科へ行く。昨年、コロナ禍にもかかわらず、春から秋にかけて歯科通いが続いた。歯は大事と身をもって感じ、丁寧に歯を磨くようにした。丁寧さがひどすぎたのか、昨日の朝、歯を磨いていると奥歯の被せモノが外れた。外れたのは使い物にならないとはわかっていてもティッシュで保管。それをもっては歯科に行くと歯の根元がしっかりしているのでこれを使うとのこと。新たに、と思ったが言われるままにする。

 聞くところによると家の近辺に歯科が20件あるそうだ。小さいころは歯科は数えるほどしかなかった。歯科だけでなくほとんどの医療機関は少なかった。人のよさそうな歯科医は親に次いで2代目。「ずっと歯科医で……」、とお願いすると年齢が2歳しか違わなかった。治療の前に話が弾む。昔、この界隈にあった医療機関の話になる。同世代を同じ地域に生きているので話しても話が弾む。先生は「懐かしい」、と話される。

 大事な歯はすぐに治療してもらった。今日で治療はおわり、とのこと。昨晩まではまた歯科通いが続くと気を病んでいた。今のところ元気なので医院と名がつくところは眼科と歯科通いだけ。2つもあれば十分と言われそうだが、自分ではそれでも元気と思っている。

 歯科通いだけでも気を病む。これでは長生きできない。ところが今日の歯科医に「内科は長いあいだ行っていない」と話すと「長生きする」といわれた。長生きは嬉しいが、歯も悪くなると異常に気を病む。何があっても、もっとどっしりと構えないとこれから先が思いやられそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月4日木曜日

のこぎり

  スーパーから帰って自転車置き場に自転車を置く。ふと横のレモンの木を見ると新たな芽を出している。これがさらに大きくなると木が茂ってしまう。そう思ってお昼も食べずに小さいのこぎりで枝を切り始める。昨年秋に父の日曜大工道具からのこぎりを出して枝を切った。のこぎりを使うのはその時が初めてだったかもしれない。もうすぐ父が亡くなって丸31年。ほぼ30年間使われることもなかったのこぎりでレモンの枝を切る。

 枝の太さが2㎝くらいであれば切りやすい。ところが3㎝以上の太さになると簡単には切れない。レモンの枝が横にのびるのはOK 。だが、縦に伸びると自分では切れなくなる。手に取って切れそうなところから切ってゆく。何本か枝を切っていくと道にはみ出そうなちょっとばかり太い枝がある。それも切る。が、何十回とのこぎりを動かしても枝は切れそうにない。やっと切れたと思ってさらに太い枝に挑戦する。

 一番太い幹はなかなか切れない。2番目に太い枝を切るがこれも無理。昨日は30分かそれ以上の時間、のこぎりと格闘して太い枝の2か所を少しずつ切った。だが完全には切れていない。気が向いたときちょっとずつのこぎりを入れて気長に切ることにした。

 シルバーに頼んで木を切ってもらったことが2回ある。いずれも万単位の費用が掛かる。昨日、自分でのこぎりで切っていて費用が掛かるのも無理はない、と思った。シルバーの人たちは便利な道具を使い、しかも人数も1人でなく複数で来る。費用が掛かって当然、と改めて思う。

 レモンの木の幹が太くなりすぎるといつの日か、伐採となる。それまでは自分で切るようにしよう。

 手袋もせずに棘のあるレモンの木を切った。手を見ると傷だらけで水で洗うとひりひりする。いかに作業をする格好でないかがよくわかる。

 今朝は歯磨きの際、被せていたものが取れた。今日は歯科が休みなので明日からまた歯科通いが始まる。家で本を読んだり、プールで泳いだり、レモンの枝を切ったり、となんと気ままに過ごしていることか。ところが今朝の歯のことで気分が一転してしまう。これくらいがなんじゃ、と思わないと元気で長生きはできない。そう自分に言い聞かせる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年3月3日水曜日

「あなたはあなたを知っているか」

 お笑い番組が好きだ。昨夜も長時間、お笑い番組を見ていた。が、いくら好きでも飽きてくる。テレビのリモコンを触っているとBSのNHK放送大学に行きつく。画面に映し出された顔は見たことがある人だ。遠藤周作、とすぐにわかった。だが、なぜ今?と不思議に思ってテレビを見ているとだいぶ経って<1987年度開設 特別講義「あなたはあなたを知っているか」> とテロップが出る。番組HPを探すと<講師は狐狸庵先生として親しまれた作家・遠藤周作さんです。 一般的に人は内面と外面という二つの自分をもっているといわれています。この講義ではさらに3つ目の自分、自分も知らない自分の存在について語ります>とある。

 人には「他人が知っている自分」、「自分が知っている自分」、そして「他人も自分も知らない自分」が在るそうだ。「自分も知らない自分」とは普段何気なくしているしぐさや夢に現れる現象がそうらしい。これは何も「ヒト」として現れるだけでなく「モノ」「コト」の夢も同じようだ。自分が知らない自分が夢に出る、とは……。コロナ禍がピークの頃、頻繁に夢を見た。自分ではわからない何かが心に底にたまっていたのだろう。

 ヒマラヤ、という山がある。この「ヒマ」は雪の意で「ラヤ」は「たまったもの」と話された。心の底にたまったものが夢になるという。電子辞書でヒマラヤを調べると「雪の住居」や「雪の山」とある。雪が山となるほどたまったのがヒマラヤ!?

 33年前の特別講義なのに色褪せることなく面白く聞けた。当時の作家はテレビで見ることがほとんどなかった。それなのにすぐに遠藤周作とわかった。話しぶりも画面越しでなくその場で聞いているように吸い込まれる。番組HPを見ると今夜から数日間、著名人の講義が聞かれる。聞きたい特別講義を募集中だが、以前、放送大学で何が放送されたのかがわからない。

 昔、中国語を習い始めた頃、放送大学に何か月か通った。当時はカセットテープで一人学習する。今は、放送大学に通っていなくても様々なメディアを通して勉強できる時代になった。とくに語学はネットに接続すれば一人学習もかなりの効果がある。と言いながらも実際に教室で授業を受ける方が手っ取り早い、と思う。そういえば今週中に文化人類学者加藤九祚の特別講義が放送される。10数年前に広島県立美術館で開催の加藤九祚講演会を聞いた。そして講演後にお話したことがある。特別講義を聞くのが楽しみだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に思い出す。夢に出る自分にマイナスな面が出ることがある。このマイナスに思える中にも必ずプラスが含まれるという。自分は人見知りする、何とか直したいという人がいた。その時、人見知りを直せというのではなく、人見知りだからこそ人の話をじっと聞いて聞き上手になれ、という。聞いた人は自信がつくそうだ。ナニゴトもいい面ばかりでなく、その対極にはプラスがたまっている、ウラがある!?

 マイナスについて自分自身を話題にされる。遠藤周作は体が弱かったそうだ。「この続きはまた……」と言いかけて講義は時間切れで終わった。

2021年3月2日火曜日

2021年泳ぎ初め

 陽気に誘われて昨日は久々にプールに出かける。このコロナ禍のご時世、運動不足を懸念して自転車に乗らず歩くようにした。だが、プールに行くには自転車が便利。ペダルの漕ぎ始めは運動不足で足取りも重く感じる。久しぶりに遠くまで乗るのでケガだけはしないように気をつけてプールへ向かう。

 受付を済ませていざプールへ。久々のプールで水着に着替えるにも要領を得ない。シャワーを浴びているとスイミングキャップがないのに気づく。更衣室に引き返してキャップを探すとあった。再度、シャワールームへ。泳ぐ前から今日は300m、と決めていた。プールに入ると顔見知りに出会う。プール内での会話はご法度の張り紙がある。が、顔見知りと話をする。その人は200mほど泳ぐという。300m泳ぐと話したためかその人も300m泳いだようだ。300mは25mプールを6往復すればいい。この6往復はすぐに泳げる。

 往きはクロール、帰りは背泳ぎで泳いでいると顔見知りの人が「背泳ぎができていいね」とうらやましがられる。人からあまりうらやましがられることがない。ましてや昨日のプールは泳ぐ人が3人だけ。浅いプールでない方で泳ぐと久々の割にはうまく泳げた。

 去年の11月半ばに泳いで以来のプールだ。11月といえばGO TOを利用してあちこち出かけていたのでプールで泳ぐどころではなかった。それ以降は緊急事態に準じる自粛でプールは2か月余り休館だった。昨日は2021年の泳ぎ初めとなる。

 昨日、改めて泳ぐ良さを感じた。出かける前は重い腰だった。が、あまりにもお天気が良くて泳ぎに行こう、となった。泳いで家に帰って飲む珈琲の美味なこと。これは家でダラダラしている分には味わえない。運動の良さを改めて知る。これでぐずぐずしていた日々に勢いがつきそうだ。旅のチラシやカタログを見てどこかへ行こう、という気になる。これでやっと本来の自分を取り戻せるかもしれない。

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2021年3月1日月曜日

「幸せになるための四つの因子」

  地元紙に旅のチラシが入るようになった。紙面を見ると旅の宣伝もある。GO TOとは関係なくても暖かくなるとどこかへ行きたくなる。

 さらに紙面を読むといい記事があった。「長く続く幸せ 心が運ぶ」と大見出しがあり、幸福学の前野隆司は「幸せになるための四つの因子」を次のように話す。

1、やってみよう力 

2、ありのまま力

3、ありがとう力

4、何とかなる力

 1、の「やってみよう力」ではさらに次の点を述べる。

★ビジョンを描く力 目先のことにとらわれず未来に目を向ける

★強み力 小さな強みに気づく

★没入力 夢中になれる何かを見つける

★満喫力 喜びや楽しさは思い切り味わう

★成長意欲 変化を恐れず一歩前へ進む

★創造力 ちょっとした工夫やチャレンジをする

★自己肯定力 「どうせ自分なんて」などの表現をやめる

 2、の「ありのまま力」はマイペース力。3、の「ありがとう力」はさらに5つを挙げているがここでは省略。4、の「何とかなる力」は挑戦力と楽観力がある。 

 しみじみと長くかみしめることができる幸せはどう手に入れていくか。それには<物質的な「地位財」は他人との比較によって生じるもの。収入が増えたり出世したときに感じる幸福感は短期的なものです。これに対し、健康、家族、趣味などといった「非地位財」は、誰かと比べて得るものではない財。これらは長続きすることが知られています>とある。

 幸福学では、この目に見えにくい非地位財の正体を明らかにし、私たちに幸せを運んでくれる心的要因として上の四つをあげた。

 すべては自分の楽しみのためにやっている。自分の心のままに動いている。地位も出世もない人生だが、これはこれで気楽な人生。その点では健康であり、趣味も長く続いているので幸せかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!