2012年1月31日火曜日

ゆっくりと…

昨夜は喉の痛みがあり、お風呂も入らず9時前に就寝。熱も出ていたのか寝ていても寒い。母がいたときは一晩中エアコンをつけて寝ていた。昨夜は1年ぶりにエアコンをつけて寝る。

今朝は喉もよくなった。だが、自転車で外に出るのは止めにする。

朝食を済ませると、昨日舐めた酒かすの飴を聞くため福岡にTELする。電話で話すと、日中は一人でおられるようで電話をかけると嬉しそうにしてくださる。その飴はわざわざ京都から取り寄せ、人にもあげると喜ばれるとか。

この飴はこの季節に取れる酒かすで京都の業者は作っているとか。道理でおいしいはずである。

親子ほども年齢が離れている。それなのに今朝も話していると「絵」も習いに行っているという。行き帰りは息子さんの車に乗るらしい。まだまだ頭はしっかりしておられ、歴史の話は電話で聞いていてもわからないことが多い。本もよく読まれているらしい。今、気に入っているのはサッカー女子の沢選手の本だとか。何人かに買ってきて配っているという。

長話の後、パソコンのメールを見る。先日来から手こずっている4月からの担当教員の押印について、事務局から返事がメールで入っていた。非常勤の講師の先生でなく、とりあえず常勤の先生に連絡するようメールに書いてある。今朝からその先生と4度メールをやり取りしてやっと話し合う日程が決まった。

大学入学のときは入学試験は大変だった。だが、ここまで書類に手こずらなかった。入試後は事務局へ書類を持参するか郵送するだけでもコトは足りた。それなのに昨年暮れから何人の手を経て書類が整うのだろう。

とりあえず、明後日には3年ぶりに大学の研究室に出かける。習ったことのある先生なのでちょっと気恥ずかしい!

そういえばその先生は「メキシコ」が専門。「メキシコへいつか行きます」と話したことがある。まだ実現していない。スペイン語が話せるようになれば是非メキシコへも行こう!

それを終えると、フルートのレッスンに出かける。今日は少し早めのレッスン。教室に入ると大きなバス・フルートが置いてある。レッスン後、先生はFMに出演してそれを吹くとか。手に持たせてもらった。重たい!真ん中に何か下がっている。尋ねると重いので支柱の役目らしい。肺活量が多くないと吹けそうにない。また重いので体力もいるだろう。

今日も音の出し方や替え指など習う。特に音の出し方は習えば習うほどきれいな音とそうでないのがよくわかってくる。当然人が吹いている音でもそう。習うに連れて初歩的なことが改めてわからなくなる。今日も音の出し方の強弱について尋ねる。教えてもらってもなかなかそのとおりにならない。何事も動作が鈍い!

鈍いながらもゆっくりと続ければいい。なんでもそう…。

2012年1月30日月曜日

喉が痛い!

今日は風が強い一日。家にいると日差しもあり寒さを実感しない。ところが自転車で外に出ると吹く風は冷たい。

起きると少し喉が痛かった。仕方なくプールに行くことをあきらめる。家にじっとしているのも勿体無い。すぐに幼馴染を呼び出し、午後は我が家で遊ぶ。

それでも喉が痛い!先日福岡から送ってもらった袋を開ける。幼馴染にも食べてもらう。ミルク飴かと思って口に入れると酒かすの匂いがする。包まれているセロファンに飴は全くつかない。袋を見るとメーカー名は書いてない。酒かすで作られた飴だった。

初めて口にする。とても美味!幼馴染も美味だという。明日福岡にTELしてこの飴について話を聞こう。

送られたものは他にも目にしたことがないものばかり。送るとき息子さんに「そんなものを送って…」と注意されたとか。ところがどれも美味しい!

その親子とは旅行で一緒だった。またそれ以外にも日本でその人たちと会っている。よく知っている人たちだ。息子さんはツアーで一番といってもいいくらいアルコールが強い人だった。当然、甘いものには関心はないだろう。「お母さん」が息子さんに咎められるのも当然かもしれない。

幼馴染と今日も夕方まで談笑。話の中で県北へ「節分草」を見に行こうということになった。バスツアーである。バスツアーはあまり好きではない。だが個人的に出かけられる場所ではない。たとえ出かけたとしてもどこに生えているのかわからない。

節分草について全く知らない。ただその名前に春を感じる。先ほどネットで検索するとウィキペディアに「キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草。関東地方以西に分布し、石灰岩地域に多く見られる。高さ10cmほど。花期は2~3月で直径2cmの白い花を咲かせる。花弁に見えるのは萼片である。和名は、早春に芽を出し節分の頃に花を咲かせることからついた。可憐な花は人気が高く、現在は、乱獲や自生地の環境破壊によって希少植物になっている」と書いてある。

バスツアーの募集チラシによると「花守りが見頃の2,3箇所を案内する」とある。今日予約したバス会社の電話応対からすると見に行けるのだろうか気になる。

寒さもこれからが本格的になるだろう。昨年も寒かった!遊ぶ計画ばかりたてている。今から喉が痛いといって家に引っ込んでいたのではどこへも行かれそうにない。早く喉を治さなくては…。

2012年1月29日日曜日

書類記入から

天気予報によると最高気温が2桁台とか。午前中、自転車で外に出ると日差しは暖かい。だが日が陰ると冷たさがある。

そんな中、早くも昨日は来年度の市民税・県民税の申告書が送付されてきた。年が明けるとすぐに年度末がやってくる。

秋になると仕事をしなくなって早くも丸10年になる。この間、仕事はしないものの、忙しく日々を過ごした。この1年は遊んでばかりの日々。

収入といえるものはほとんどない。それでも税金関係の書類は否応なしにやってくる。昨年まではずうずうしくも母を扶養家族にして申告していた。その実態といえば完全に母の扶養家族だった。

先日インクを買ったウオーターマンの万年筆で申告書に記入する。まだその書き心地はよくわからない。だがボールペンで書くよりも丁寧に書いている。

申告書の支出の欄は、国民健康保険料や生命保険料の控除額を記入。生命保険は掛けていない。記入欄は本当に少ない。注意事項を読むと400万円以下は所得税の確定申告は不要とか。それならば、市民税・県民税も不要にすればいい。

提出するに当たってまるで「我が家は貧乏です」を知らせているよう。思わず笑いが…。それでもしっかり税金は徴収される。

書くといえば、他にも大学に出す書類を記入する。まず、市販の履歴書で学歴と職歴を書く。変化のない人生を送っているので書くのは簡単。だが、年号に手こずる。就職するまでは年号で数える。だが30年位前からは年号でなく西暦のほうがわかりやすい。メモに昭和と平成を西暦に直してすべて西暦で記入する。

多分これからの人生も西暦で考えるだろう。

他にも提出書類を眺める。一つ気になることがあった。もしも職業についているならば、直属の上司の承諾印がいるという。仕事をしていないから関係ないこと。個人的なことを属する組織の承諾を得なければならないとは…。勤めていた会社にそれが言えただろうか、自問する。

他にもまた給付される奨学金の申請書も入っていた。年間20万円とか。1科目しか受講しないのでそれだけあれば十分足りる。だが、これを申請するのは申し訳ない。もっと若くてやる気のある人はどんな状況にあっても学べる社会になっている。これには驚くばかり。

提出する中で一番厄介なことは見も知らぬ担当教官の承諾印を受けること。

明日にでも大学に問い合わせて研究室の在室の是非を確かめよう。

承諾印といって思い出すことがある。

社会人大学生として学んでいた頃、教養課程を終えて専門に進む際、指導教官を決めねばならない。その時、指導を受ける教官の承諾印が必要だった。

指導教官を決め、研究室に伺って「よろしくお願いします」と話す。すると「僕ではなく、〇〇先生、〇〇先生がいるではないですか。その先生ではいけないのですか」と聞かれた。これにはびっくり。それでなくても若くはない。頭をさげてお願いしている。それなのにこういう言い方をされるとは…。その時、「教えを請う」意味を知る。

よくお坊さんが弟子入りするとき、TVで「試される」場面を観たことがある。全くその通りだ。

それが、科目等履修生にも適用されるのだろうか。

これらの書類を大学に提出しても、審査が待っている。それをクリアしても、再度、別の書類の提出が求められる。

ともあれ、再び学生に戻って学ぶには謙虚さが必要。それとともに楽しんで学びたい!

2012年1月28日土曜日

広響第315回定演から

昨夜は広島交響楽団の第315回定期演奏会を聴きに行く。指揮者はNHK交響楽団正指揮者外山雄三、演奏テーマは重鎮・外山雄三~繋がる歴史と伝統~。

演奏曲目は下記のようだった。
モーツアルト:歌劇「後宮からの誘拐」序曲K.384
ベートーベン:交響曲第1番ハ長調Op.21
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調Op.90

早めに家を出て会場で会員券を座席指定券に替える。音楽を聴くにはどの席でもかまわないはず。ところが前回と同様今回も嫌な気持で聴く。というのも、夜の演奏会であるためか、一杯飲んで聴きに来る人がいる。その横に座った日にはもうそのにおいに耐えられない。五感の中でも特に嗅覚が優れているのか、聴くというよりも嗅ぐ、になってしまう。音楽どころではない。

前回も今回も休憩を挟んで指定された座席よりも離れた空席に移動する。

休憩後演奏されたブラームスの第3楽章に魅了される。先ほどyou tubeで検索するとバーンスタインの指揮でイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏があった。

この動画をブログに投稿するよう試みるが何度挑戦しても出来ない。どうすればいいのだろう。誰か教えて…。写真はすぐ出来たのに動画に手こずる。もはやあきらめモード。

だがこの曲、何度聴いても感激する。映画『さよならをもう一度』の主題歌とか。映画をほとんど見ない。こんなきれいな曲があるのならなんでもいい、見てみたい! この楽器と楽器の掛け合いは、まるで映画を見ているよう。 その情景が目に浮びそう。

また昨夜は、指揮者にも感動した。80歳の年齢にもかかわらず、颯爽と歩く姿や指揮ぶりは見るものに元気を与える。演奏曲目と指揮者にすっかり魅了された演奏会だった。 来週もファン感謝デーコンサートがある。楽しみだ。

話は変わって、最近ブログにページ・ビューを載せている。すると、統計をクリックするとどのブログがよく閲覧されているかすぐわかる。他にも様々なことが統計に出る。恐ろしいほどの機能である。 まあ、こうしして楽しみながらブログに投稿して少しずつでも納得した文が書けるようになればそれで由としよう。

2012年1月27日金曜日

郵便物etc.

今朝、朝食をすませると先日会った4人の「お雛様女子会」(一番若い人の命名)の宿を予約する。ところが、だいぶ先の話なのにその日は予約で満杯。仕方なく1週間先の日で予約する。とりあえず、宿は確保できた。ホッとする。

その後、郵便受けを見ると、NHK出版からオリジナルグッズの図書カードが来ていた。他にも広島発のJTB「旅物語」新春号が入っている。中を見ると行き先は馴染みの地域ばかりで面白みに欠ける。まだ今年も始まったばかり。何も急いで出かけることもない…。

郵便物といえば昨日は「フルートフェスティバルinヒロシマ」の案内も送られて来た。10数年前、フルートを習い始めてしばらくの頃、知人たちと一緒に福山のフェスティバルに参加したことがあった。泊りがけで福山に行ってまでして、なぜ出演したのか覚えていない。前泊したホテルでの楽しかったことを思い出す。何事もその目的よりも付属する遊びばかりが頭に残る!

そういえば演奏後、誰もいなくなった客席をバックにフルートをもって知人たちと写真を撮ったこともあった。何といっても福山リーデンローズの舞台は新しく、またホールも大きい!皆若かった!

他にも先に申請した大学に提出する修了証明書も送付されてきた。いよいよスペイン語も近づいてきた。

あれこれいろんなことに気が散っていく。夕方からは広響の定期演奏会に出かける。1日はあっという間に過ぎていく。少しはどっしりと構えて物事をやるようにしなければ…。4月になればもっと落ち着きをなくしそう。春になれば花や樹木も元気に芽吹く。人間も動けるうちが元気な証拠!?

2012年1月26日木曜日

「生きる知恵と力を高めるために」

経済大学の最終回の特別講義を聞きに行く。今日の講演者は神戸女学院大学名誉教授でフランス現代思想家、エッセイストの内田樹(たつる)氏。この人の話を聞きたくて大学の特別講義を申し込んだ。どうしても聞きたかった。

今日のテーマは「生きる知恵と力を高めるために」。

まず、今、日本がおかれている状況から話を進める。先の新聞報道などで「東大の秋季入学」を例に挙げ、これこそが「まったなしの危機論」であるという。

この危機論。内田氏は元阪大総長の鷲田清一氏と話した際、「危機論」と言う言葉の開始を知らされる。危機論は1910年代クライシス(crisis)という哲学的概念として登場した。デカルトの時代から1914年までヨーロッパにおいて貨幣価値の変化がなく1割の高利貸しなどはイノベーション(革新)の担い手だった。それも20世紀になると哲学者などの知識人はon the edge(崖っぷちの危機論)を実感する。

それから今日まで100年間、危機論は唱えられている。そんな中での東大の秋季入学は世界標準についていかなければならない、模倣しなければならない、皆がやっているから追いつかないと恥ずかしい、という発想は疑問だと氏はいう。

イノベーターは自らがフィールドを選んで自らがゲームを始める人間のこと。先行事例を探してそれをまねるのは一番の間違いである、と。東大はそうだ、と。即ち「追いつけ、追い越せはもうやめようよ」と提案する。

過去の成功体験を信じてはいけない。日本人の場合、危機論の成功体験はないと言い切る。日本の統治システムは危機に瀕していないという。たとえ危機に瀕していても新たなルールを提案して作ればいい。行過ぎたグローバリゼーション(過剰なハイパーグローバリゼーション)からハイパ-ローカライゼーションに入ろうとしているという。

ではどうすればよいか。氏はEU、アメリカ、中国を事例に挙げてさらに話を進める。

EUは1930年から統合理念があった。だが行き過ぎたグローバル化によりスイスのみが成功し、巨大な共同体を維持できず解体しようとしている。

アメリカはTPPや沖縄などオバマ大統領により成功すれば、日本はオバマに差し出す供物になる。オバマの再選しかない。今ここでアメリカに手放されたらそのときこそが危機である。これまで日本はアメリカをフォローする人が総理などで偉くなっていった。だがこの人たちは思考停止の人。バスに乗り遅れるな!という。バスは自ら運転せよと。

中国14億の民。これは19世紀末の世界の総人口に値する。だが、これからの中国も14億を統治する成功事例が出来るとは限らない。

このようにEU、アメリカ、中国と考えてゆくと日本が危機的状況にあるとは思えないと内田氏はいう。

日本人の欠点として誰もやってないことをやり始めることの発想がない。だが、日本は水、森林もあり米だって需給可能。観光立国、医療立国、教育立国だ、と。

以上の結論として氏は、日本は危機的状況にあるのではなく、人の作った成功事例を探さず、自分で作って日本が世界標準の発信地になるように、と述べる。

先ほど内田氏のHPを見ると今日話されたことと近いことを投稿している。後でゆっくり読もう!

メディアに登場する話は3.11後、先行きがよくないことばかり。そういう話題から目を逸らしたくなる。今日の内田氏の話は元大学の先生らしく話され、聞いていて元気が出る。こういう人がどんどんマスコミにも登場し、明るい話を伝えて欲しい。今日の講演を聞いてそう思う。

講義を聞き終えると図書館へ行く。今日の講演者の内田は『日本辺境論』を書いている。この本はずいぶん前に図書館で借りて読んだ。その頃、氏の名前を知る。これからは氏のHPからブログを読むつもり。HPタイトルは「内田樹の研究室」、サブタイトルは「みんなまとめて、面倒みよう」。なんとかっこいいネーミング!大学の元教師だからか、ページビューはなんと23,000,000人。この数字を見るとすごい数の人が毎日閲覧していることになる。今日から私も閲覧しよう!

図書館を出ると、最寄の駅まで歩く。家に帰ると早速、氏の最新刊『呪いの時代』を図書館に予約。読むのはだいぶ先になりそう…。

2012年1月25日水曜日

雪が舞う

昨日はフルートのレッスン日。「愛の小径」を仕上げ、今日からパラディスの「シシリエンヌ」を練習する。いつものようにyou tubeで聴く。聴くにつれ、聴いたことがあると思う。

先生は「もしかしてさらった曲かも…」とレッスンの時、話された。その時はまださらった曲と思わなかった。持っているフルート曲集をみると練習済みだった。

長いことフルートを習っている。どの曲を習ったか覚えていない。今回は、以前、習った頃と異なるフルート曲集。同じ曲名でもト調長とへ長調の違いがある。いい音が出せるようになるのが習う目的。とりあえずこの曲を練習することにしよう。

今日のお昼は幼馴染宅で食べ、今まで一緒に過ごす。外に出ると雪が舞っている。この様子だと明日は雪も積もりそう。今年初めての雪景色?

そういえば幼馴染宅で久しぶり「焼き芋」をいただく。石油ストーブの上にアルミでくるんださつま芋を載せると本格的な焼き芋が…。焦げ目もついて美味しかった!

幼馴染に会う前、郵便受けをみる。手紙が来ていた。中を見ると先日会った4人で撮った写真が4枚同封されている。どの顔もみな楽しそう…。

送ってくれた人は幼いころから今日までエレクトーンを習っている。その他にもハワイ大好き人間で、書道も習っている。そのことを先日のブログに投稿し忘れた。雅号を聞くといい名前だった。ここに書いていいかどうか…。ほんとうは書きたい。だけど本人の了解をとっていない。4人でその雅号をグループ名にしたいと言って…。

〇〇子ちゃん、写真ありがとう!3月にまた会いましょう!その日を調整して連絡します!楽しいひと時を過ごしましょう!

それにしても今夜は寒くなりそう。1年前もそうだった…。はっきり覚えている。それはもう書くのはやめよう。明日も元気で!

やっと今、外から帰ったときの寒さも落ち着いてきた。

2012年1月24日火曜日

「椋鳥精神」

昨夜はおととい4人で会った一人にメールを送信する。すると、次回は今回のように15年ぶりでなく早めに会おうということになった。早速他の2人にショートメールで連絡し、2月、3月の日曜日の都合を聞く。一人だけ2月は合唱団の演奏会があるとか。3月のいずれかの日に4人でホテルに投宿する日程を調整しよう。そのときは先日の話の続きを…。楽しみだ!

その時、姉からTELが入る。どうしているか気にかけてくれてるようすが伝わる。そして動き回っているというと、親を介護したおかげで元気だと言ってくれる。母が健在のときはそんな言葉をかけてもらわなかった。女ばかりの姉妹もいいもんだと改めて感じる。そして最後には家に来るとき、何がいるかと言ってくれて…。別に今のところ不自由はしていない。ただその言葉が嬉しい!

今月19日の地元紙に「鴎外に学ぶ『椋鳥精神』」と題して山崎一頴氏が記事を掲載している。気に入った文章なのでここに記したい。その人は鴎外記念館長に1日付で就任し、また鴎外の研究者でもあるらしい。

「椋鳥精神(おのぼりさんの意味)」と言うキーワードは知らなかった.鴎外はこの椋鳥精神を標榜しているという。「それは先入観をもたず、好奇心旺盛にヒト・モノ・コトから学ぶことで少しずつ軸のぶれない見識が出来上がってくる」という。

「時代が大きく動くときは、抽斗に整理しておく小才は役立たない」とか。即ち「思想や主義が固まる」ことであってそれは「『極まりを附け』て『一方に整理した結果である』」という。

「鴎外はその対処法として、椋鳥のように面白いと思ってみていると、どんな新思想、新説でも人の作ったものであるから、これに応ずる所があるはずである」という。「余り窮屈な考えを持ってをってはいけない」と結論付ける。

「21世紀に生きる私たちは、鴎外の柔軟な思考に学ぶべきである」と山崎氏は述べる。

頭が固くなると年をとった証拠であるとよく聞く。いくら年を重ねても鴎外のように「先入観をもたず、好奇心旺盛にヒト・モノ・コトから学ぶこと」は大事なことかもしれない。頭を柔らかく、好奇心旺盛にして…。

2012年1月23日月曜日

コースを外れないように

今日は朝から日差しが暖かい。だが、風がある一日。

昨日宅急便を受け取った送り主に、今朝、一日遅れのお礼のTELをする。電話の相手は、先日、晩白柚子などを送ってくださった福岡の「お母さん」。昨日も食べ物の他に写真や手紙が同梱されていた。

写真は自宅や、息子さんと出かけた木曾の旅先で撮ったもの10枚。手紙も前回と同じく便箋に4枚書いてある。それを見るとご自宅は大きな家で庭もとても広い!

電話で話していると今回の贈り物は母のために姉妹が集ったとき、食べるようにと言うことだった。それは来月の話。有難い!

また今朝は、「お母さん」の息子や娘の話をされる。3人の子供さんは医師など医学関係に携わっておられる。特に日本で医師となり、アメリカへ留学した息子のもとへ遊びに行った話などされる。その時よりも中国の旅が楽しかったとか。よほどシルクロードの旅が楽しかったのだろう。実際楽しい旅だった…。

さらにあれほど何でもされていたのに今は何もしたくないとか。

母もあるときおかず一品作るのに3時間かかると話したことがある。その時初めて母の老いを認識した。それ以降、なるべく料理はするように心掛けた。その矢先、母は転んで怪我をしてしまった…。

福岡の「お母さん」の「何もしたくない」の言葉から老いを感じる。お風呂も息子さんに手伝ってもらうと話された。電話の最後に怪我をされないようにと話して…。

電話の後、プールに出かける。今日は日差しもあるためか、いつもよりプールの人出は多い。だがほとんど歩く人。今日も「こんにちは!」と誰かが言う。

クロール、背泳ぎを交互にして1キロ泳ぐ。背泳ぎをしていると先週に続いて少しコースを外れた。「外れた!?」と思って天井を見上げていると、女性の指導員の人から話かけられる。ロープに沿って泳げばいいらしい。ロープに沿いすぎると手がロープに当たり、泳ぎにくくなる。

次に泳ぐときは天井の格子模様にある照明器を確認しながら泳ぐ。するとまっすぐに泳げた。その後もその要領で泳ぐとまっすぐになる。

頭の中は、25メートルを何度手で掻くと泳げるかカウントを取り、目は天井の格子を見ながら泳ぐ。優雅に泳ぐとは言いがたい。

泳いだ後、100メートル歩く。歩くこともだいぶ慣れてきた。それでも泳ぐ方が楽しい!

スペイン語を習って頭を使い、フルートで気持をほぐし、水泳で体を動かす。一週間の生活リズムをこのペースにしよう!

これこそ、「コースを外れないように…」。

2012年1月22日日曜日

遊び呆けて…

今朝、宅急便を受け取るとそのお礼も言わずに外出。帰宅後、お礼の電話をしようと思った。ところが遅くなって今日は電話をあきらめる。申し訳ない!

午前11時、広島駅に隣接するグランヴィア広島のロビーに集合。メンバーはエレクトーンを習っていた4人。そのうち3人は15年ぶり、1人はもっと前になるらしい。会った瞬間すぐに皆わかった。なんとそれから午後9時まで4箇所も場所を替えて食べたり飲んだり話したり…で楽しく過ごす。あっという間に時間は過ぎる。

揃った4人はロビー中央で記念写真。見事に活けられた生花の前での写真であった。その後ホテル内を移動してランチ。4人とも昨年はいろいろな不幸に見舞われていた。だが話す内容に暗さはなく、始終笑いが絶えない!今日が皆の条件が揃った最高の日に思えた。

昼食後、ホテル内の最上階のラウンジに移動。知り合いからホテルの株主優待券をもらっていた。それを大いに活用。ラウンジでは真昼間から色とりどりのアルコールで乾杯!

エレクトーンを習っていた頃は、皆若かった!異なる年齢の4人。食べ盛りだった。今日の話でレッスン後いつも行っていたお店の名前も出る。よく覚えている人がいると感心する。もうそのお店も今はない。

話していると皆、レッスン後の食事が楽しかったようだった。食事を通して人は親しくなっていく。4人で習った期間はそれほど長くはない。それなのに何の違和感もなく当時のままで楽しく過ごす。一様にそう感じて…。

ラウンジは他の人たちも2次会目的で集まるようでにぎやかなこと、にぎやかなこと。その時、1人が「虹が…」という。みるとはっきりと虹が見えた。いっせいに携帯で写真を撮る。「虹」まで今日の私たちの再会を歓迎してくれてるようで嬉しい!

そこで一番若い英語のボランティアガイドをしている人が、大学卒業後、初めて勤務した大手商社での出来事を話し始める。もうそれがとても可笑しい!話すものも聞くものも涙を流して笑い転げる。

入社での出来事その1。「今から伝票の切り方を教えます」と上司。部下は手にはさみをもって用意する。それを見た人は「はぁっ?」と怪訝な顔に。その2。お客様を迎えた上司が部下に人差し指とたかたか指を立てて手でサイン。部下はそれを見て「ピース」の手ですかさずサインで応える。それは2人分のお茶を用意するサインだった。それをピースと勘違いして…。その3。「これを上にあげてください」と上司。部下はそれを聞いてその書類を上の方に置く。

他にもまだまだある。だがここでは可笑し過ぎて書ききれない。笑いながら話す本人に思わず言ってしまった。「脚本家になれば…」、「よしもとに…」。

一番おっとりしている人が一番そそっかしい!?本人曰く「天然!」と。

話した人の名誉のために一言断りを。その人はその商社に5年半勤務された、とても賢い人!

また、こういう笑い話は今日集まった4人全員が思い当たること。彼女1人のことではない…。これも若さゆえの特権!?「♪~過ぎてしまえばみな美しい、過ぎてしまえばみな美しい~♪」。

話はますます盛り上がる。ラウンジで長居をし、エレベーターでロビーに降りる。途中、今日行われたひろしま男子駅伝の島根県のメンバーに出くわす。さすがに太った人はいなくてどの選手もすらっとしている。途中の階で2,3人降りる。残りのメンバーで打ち上げらしい。大会を見ていないのでそれ以上の話ができない。

さらに場所を替え、ホテルを出て新幹線口のお店で夕食。だが、その店はお客が絶えない。隣の喫茶に場所を移す。そこでも閉店まで談笑。お昼前に集合して10時間も一緒に過ごす。それでも話は尽きない。

これほど盛り上がるとは…。次回は泊り込みで…と話は決まった!今日はもう遅い。明日からその予定を立てよう。

それにしても…と思った。私を除いて皆家族がいる。だけど互いの夫や子供の話はほとんどしない。知り合ったときは皆独身だった。若かった。今もそのときのままの状態で話が弾む。それが長続きする所以だろう。

今でもエレクトーンを半世紀近くも続けている人、英語のボランティア・ガイドをしながらピアノを弾く人、リコーダを習い、ドイツ・リートを歌って5月にはドイツへ演奏旅行に行くかどうか迷ってる人、そして私。皆ずっと音楽と関わりを持っている。そして、それぞれの目標に向かって頑張っている。

今日は楽しかった!近いうち泊り込みで再度話をしよう!

2012年1月21日土曜日

再び寒中見舞いから

今日からブログのデザインを元に戻そう!

午前中の雨も午後は上がり、大寒にしては暖かい!

雨の中、徒歩でスーパーに出かける。郵便受けを見ると葉書が届いていた。しばし立ち止まってその葉書を読む。寒中見舞いだった。

差出人は県庁のバイト時代に知り合った職員さん。「美術館へ行きました」と最後に書いてある。いただいた葉書は美術館で購入された絵葉書だろうか、印刷されている横文字は読めない。

素敵な色使いの絵葉書の文面にはいつもブログを読んでくださっているとある。そしてブログを通して元気に行動していると伝わるらしい。そのことを「永い間お母様の介護をされた貴女に神様が『健康と自由』をくださったのだと思います。」と記していただく。他にも励ましの言葉をいただいて…。それを読んでいつの間にか涙が…。有難い!

その人は岩国の自宅とは別に旦那様と週末を過ごされる錦川清流線沿いにコテージを持っておられる。その「コテージのまわりに芝桜が咲き始めたらお招きします。楽しみにしていてください。」とも言ってくださる。

昨年6月、30年ぶりくらいで会った時には錦帯橋の傍の吉香公園の菖蒲を見に行き、秋には小瀬川渓谷沿いの紅葉を見に車で連れて行ってもらった。今年はコテージに…、楽しみだ!

午後は雨も上がり、自転車で外に出る。用を済ませて帰宅中、勤めていたときの関連会社の人に声をかけられる。自転車を降りてしばし立ち話。スタイルのよかった人だった。だが、今ではその面影もなく太って…。さらに本人曰く、女性なのに髪が抜けて頭のてっぺんは鬘だという。

こんなにも人は変化していくものなのか。そういっても私も他人から見れば十分年老いて他人事ではないかもしれないが…。

暇人なので人に会えば、遊ぶ話ばかりする。携帯電話番号を交換した。携帯は家においていた。帰宅して電話を確かめるとTELが入っていない。折角、番号を聞いたのに残念!先ほど見ると遅れて届いていた。

その人は同じような年齢なのに忙しく働いている。そう思えば、先ほどいただいた葉書に書いてあるように「健康と自由」を謳歌できる状況にいることは神様からのめぐみかもしれない。

〇〇さん、寒中見舞いありがとうございました!嬉しかった!書かれている一文字一文字が身にこたえます。コテージでお会いできる日を楽しみにしています。

2012年1月20日金曜日

手続きetc.

今日は昨日に続きすっきりしない一日。

昨日のブログに追加。3人で話していてそれぞれ違う運動をしていた。知人が半年前からテニスをしていることは聞いていた。尾道の人は卓球、運動音痴の私は水泳。

その私にテニスの話も…。とても無理。テニスをするモノがボールになってくるくる転がりそう!

今春には3人が知り合って丸20年になる。互いに健康管理に気を使う年齢になった!?この3人にフルートの先生が加わると、食事に行っていたメンバーが揃う。知人が先生に話をするとか。

4人で食事をしていた頃は尾道の人だけが既婚者だった。その頃、その人は広島で単身赴任中。そのため4人とも時間的に自由があった。今では先生はかわいい一児の母。尾道の人も定年退職され悠々自適の暮らし。過ぎ行く時を感じる。

運動のほかに互いに柑橘類を育てていた。知人は自宅で柚子を育て、今年何十個か実をつけたという。尾道の人は趣味として自宅以外でみかんの木を4本植えている。そのためか先日ブログにアップした晩白柚子をよく知っておられた。話していて驚いたことがある。なんとみかんは1本の木にみかん箱4箱くらい実がなるとか。4本あるので当然一度に収穫しても食べきれない。これにはびっくり!我が家のレモン1個の収穫とは比べられない。

昨日はまた、科目履修生として学ぶ大学からメールが入る。入学検定料の振込み用紙を送付し忘れたとか。今日、それは送られて来た。先に送られて来た書類を見ると、市販の履歴書が必要とのこと。すぐにそれを買いに行くが近くに文房具店はない。百円ショップに行くとあった。近いうち書類を読んで手続きしよう。

手続きといえば、4月からの「広響」の個人正会員の入会手続きの書類が届く。4月から科目履修生となる予定。もしかしてその学生証が利用できるのでは…と思った。だがそれを利用するのはずうずうしい!今まどおり、個人正会員として手続きしよう。

ブログに投稿しているとBSでサグラダ・ファミリアの彫刻家の外尾悦郎氏夫妻がTVに出ている。再放送の「徹子の部屋」に。サグラダ・ファミリアを見学する人たちの世話をするのも自分の役目だと言い切る。私たちのツアーが出合ったとき親切にしてくださったのもその辺にあるのだろう。外尾氏も完成後のファミリアを見たいと話していた。だが、その完成は建築のほうであって、彫刻部分はだいぶ先のことだとか。

4月からのことを投稿していると春が来る感じがする。だが明日は大寒。寒さもこれからが本番。春はやって来そうにない…。

2012年1月19日木曜日

講義&新年会

先ほど我が家に帰る。それほど遅い時刻ではない。だが、久しぶり酔ってしまった!

今日は昼前、地元の経済大学へ特別講義を聞きに行く。今日で4回目の講義。講義前、学食で食事。朝から一日中雨が降り続く。だが参加者は多い。

今日の講義テーマは「日本文化と経済人」。講演者は茶道上田宗箇流家元上田宗冏氏。

先ごろ東京銀座の松屋でその催しがあり、8万人の集客があったとか。同じ催しが来月11日から3月25日までひろしま美術館で開催される。

「日本文化」については日本人の美意識から話を進める。日本の武家文化は中国の南宋の時代(今の杭州)に禅宗が入る。禅宗は「過去」は問わず、確かなことは「今」であると強調。人間を成長さす作務こそが美しい、と。禅宗は室町時代に道元などが禅文化として栄えて花開く。それには茶の湯、生花、能などある。

茶の湯の美意識は村田珠光が始めた侘茶であり、「初心のものはいかにも育つべくことなり」で未熟なものを育てることにある。これはアメリカの強者の論理と対立する。中国から入った茶の湯の禅文化は和漢の境をまぎらわし、日本人の美意識を形作る。室町時代の茶人、武野紹鴎は「花はいまひとつあればと思うときに」と詫茶の骨格をつくる。完全な美ではなく余白の美しさに美はある、と。

秀吉の時代、千利休と武将の上田宗箇が出会う。千利休の影響か上田は和モノの茶入れをつくる。秀吉亡き後、徳川についた上田は桃山時代武家茶を花開かせ、手作り茶碗をつくる。こうして上田宗箇流が成立!?

最後に茶の湯をとおして五感を磨くことの大切さを説く。それには「香をたく」ことだとか。道元は「耳に見て目に聞くなれば疑わじ軒より落ちる雨だれの音」にあらわしているという。

ここまで話してもテーマの後半部分の「経済人」の話には触れない。時間が足りなかった!?

講義を聞き終えて、フルートを習っている人と知人との新年会へ行く。集合時間は早めの夕方。

席に座るとまずはビールで乾杯。中ジョッキ1杯半飲んだだけなのに、酔ってしまった!

知人に先日NHKに投稿したスペイン語のテキストを読んでもらう。読み終えた知人曰く「『知人』が書いてない!」。言われて初めてそれに気づく。スペイン行きを誘ってくれた「知人」は書くべきだった…。申し訳ない!

ブログの投稿は許可も取らず、なにもかも「知人」と書いていた。それは「いけないことかも…」と思っていた。ところが今日話すと「大丈夫」という。

今日は酢牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣のバター焼きなどをいろいろと食べる。やはり酢牡蠣が美味。バター焼きもおいしかった。家では牡蠣を食べることが少ない。人と談笑して食べるのはやはり美味しい!ビールももちろん。酔ってしまった!

10年前まではこのようなことはいつものことだった。席に着くまで3人で辺りを歩く。長いこと街中へ出られなかった…。どこを見ても様変わりを感じる。驚くばかり。

書くのが遅くなってしまった。今日の参加者の一人は尾道からフルートを習いに広島まで来られている男の人。その人に忘年会の写真をいただく。ありがとうございます!

楽しかった!次回の予定も決まった。楽しみだ!

他に知人からスペインへ行った人のうち信者の所属する機関誌をもらう。3名の人が「スペイン旅行記」を書いている。その中で合唱団の先生の文もある。参加者の集合写真も掲載されていた。それを読んでまたスペインの楽しかったことを思い出す。

ブログ投稿に時間がかかる。投稿を終える頃にはやっと酔いもさめて…。

2012年1月18日水曜日

4月に向けて…

今日は母の月命日。昨日、一日早い墓参りを済ませた。今日は一日、隣町に住む幼馴染と行動を共にする。

幼馴染とは1ヶ月ぶりにゆっくり会う。午前中、年末に完成した近くのホテルで食事。その後我が家に移動。先ほどまで話す。

幼馴染と会う前、朝早く郵便物が届く。4月から科目履修生として学ぶ大学からの出願案内一式。それに加えて「教養教育科目時間割表」と「総合科学部専門科目時間割表」、それに学部の「教員一覧」などが入っていた。

書類は細かい文字で印刷され、裏表60頁にも及ぶ。その学部を終了している。要領はおおよそわかる。それにしても…と思う。大学で学ぶということは容易いことではない、と。改めてそう感じる。3年ぶりに見るその書類。相当の覚悟を強いられる。当然金銭面でも同じこと。入学検定料、入学料、授業料…と続く。

それを眺めるたび、3年前のことを思い出す。そのころは今回とは比べられないほどの気力と体力があった、と。同じことをせよといわれてできるだろうか、自問自答。

過ぎたことは今は関係ない!?気をとり直す。今回は1科目だけの履修。それなのに…。何も怖れることはないと自らに言い聞かせて…。だが学ぶからには頑張る!

以前大学に問い合わせたとき、スペイン語のネイティブの先生が4月から在籍すると聞いていた。書類を見てやはりそうだった。少しホッとする。だが非常勤の先生。

スペイン旅行中、バルセロナのガイドはこの大学に在籍していると話した。今よく見ると、教員一覧によく似た名前がある。外国語教育研究センターに在籍。きっとその人だろう。だがその先生はスペイン語の授業に携わっておられない。少々残念!

今月中にすべての提出書類を揃え、来月になればその手続きをしよう。すべては4月に向けて…。

2012年1月17日火曜日

今年の課題!?

2日ぶり太陽が顔をのぞかせる。気持がいい朝だ。朝食後、パソコンで遊んでいると携帯電話がなる。姉からだ。母の命日の明日は用があるとか。車で我が家に来ている途中で墓参りに行くという。

すぐに墓参りに行く用意をする。とはいっても姉と一緒に行くときは何も仕度はない。姉が全部用意してくれる。早いもので母がいなくなって来月でちょうど丸1年。

墓参りを終えて帰宅すると、まず姉の夫は仏壇に向かう。母の娘2人は全く仏壇に手を合わせない。だが姉の夫はちゃんと座って線香をあげて手を合わせる。

今もって、仏壇の母に正面から向き合えない。向き合えば向き合うほど悲しみが増してくる。その代わりといってはいけないが、生花は欠かさない。大きな花瓶に季節の花を生けている。だがどうしても手が合わせられない…。声はかけられるのだが…。

夕方、フルートのレッスンに出かける。途中、ウオーターマンの万年筆のインクカートリッジを買うため紀伊国屋書店に立ち寄る。売り場に行く。だが、どこに置いてあるのかわからない。レジの人に聞くと文具売り場にあった。高級な万年筆はショーケースに入っている。インクは少し離れたボールペンなどの売り場にあった。

8本入り@¥840。どんどん字を書かなければインクも固まってしまいそう。今さら字を書く…と。ほとんど字を書かなくなってしまっている。

購入後、隣のそごうデパートに立ち寄り、他にも商品を買う。その頃はレッスン時間も近い。急いで会場へ向かう。

フルートは家でいい音が出たと思っても、次に吹く時、いい音が出るとは限らない。特に先生の前ではなかなか思うように吹けない。先週、先生は注意点を1つノートに書いてくださった。家で練習していて、「そうだ!」「これだ!」と初歩的なことなのに妙に納得し、赤鉛筆でその文字を丸で囲む。

今日先生はそれを見て私がそのことを「わかった!?」と思われたらしい。フルートはいくら理屈で聞いてわかってもきれいな音を出さなければ意味がない。その辺は何年習っても難しい!

フルートの今年の課題はむきになって吹かず、力を抜いていい音を出せるようになること。ブログに投稿しながら、今年の課題は大丈夫?と自問自答。まあ何とかなる!?

とはいっても今年の一番の課題は遊ぶこと。これは大丈夫。元気を出して遊びます!

2012年1月16日月曜日

晩白柚子

朝早く宅急便が届く。送り主はいつも尊敬している福岡の人。年賀状に珍しい柑橘類を送ると書いてあった。届いた柑橘類は大きな晩白(バンペイ)柚子。こんなでっかい柚子を初めて見る。送られたダンボールの中には他にも京都や長野の名産など3種。それに便箋4枚に小さな文字で書かれた手紙とその人が柚子を持った元気そうな写真1枚。嬉しかった!本当に嬉しかった!

いただいた晩白柚子ほか

その人とはシルクロード旅行の際、福岡発のツアーに親子3人で参加されていた。お父さん、お母さんとその息子さんである。そのご一家はおおらかな雰囲気の人たちだった。もう20年以上の付き合いになる。

いただいた手紙を読んでいると、だいぶ忘れていることもある。改めてこれまでのことをこの「お母さん」から教えてもらう。母のことも書いてある。

留守中に母と電話で話されていた。母はその人に「どこへでも行って来い」と話していたという。外国旅行で家にいなかった時のよう。他人に対して母はそのように話していたと改めて知る。

母はいつも「やりたいことをするように」と言っていた。じっとしていることを嫌った。どんな辺境の地でも行くことを止めなかった。「人生は一度きり」が口癖だった。今となってはそんな母に感謝!

そしてその考えを私も人に話していた。九州の「お母さん」がシルクロードに行った後、そこよりももっと先のホータン、カシュガル方面に行くかどうか迷われていた。その時、行くように背中を押したらしい。その方面に行った人はそんなにいない。行ってよかった、有難かったとその手紙に書いてある。たまには人に感謝されることをしていたんだと思うと嬉しい!

そしてシルクロードで私のとった行動も覚えておられた。ツアーの自由時間、中国語を少しばかり話せるのをいいことにして皆をその辺りの大学へ連れて行ったり、ハミウリを買ってあげたりしていたとか。なんといっても20年以上も前の話。その当時、中国に対してとても燃えていた。そういう行動を取っていた自分が今となってはなつかしい!

9年間、外国旅行と縁がなかった。その間、当然お土産も買っていない。それまでは外国へ行くたび、お土産を送ってたようでこれも我ながら驚く。スペインではお土産らしいものほとんど買ってきていない。当然送ってはいない。

今後、外国へ出かけるときは絵葉書を送って欲しいといわれた。そういえば、スペインでは誰にも絵葉書を送っていない。9年前まで、よく旅先から絵葉書を送っていた。次回からは書くようにしよう。楽しみにしていてくださる人がいるのなら…。

今朝、朝食も食べず、荷物を受け取ると「お母さん」にTELした。お元気そうな声だった。早口で高い声でしゃべる声が聴きにくそう。ゆっくりと話す。

長く母を介護していた。人が老いる姿をよく知っている。電話で話していて思わず年を重ねられたなあと感じる。近くだったら何か手助けできる…。

母がどうして亡くなったのか何度も聞かれた。またその当時を思い出す。1年前のことを…。

私のことをいつまでも若いと思っていてくださる。4月から新たなことを始めると話すと、それをして何の仕事に就くのかと聞かれる。これまでも仕事のためにモノ・コトを始めようと思ったことはない…。

親子ほど年の離れたその人は今も文を書いたり、俳句を作ったりされている。素晴らしい人。

その人の声で朝から励まされる。それを聞いて元気をもらう。今朝は昨日に続き、霙が降っているような寒い一日。そんな中、今年初めてプールに行く。1キロ泳ぎ、100メートル歩いた。

今日もまた、男の人から声をかけられる。「こんにちは」と。山歩きではすれ違う人と声を掛け合う。だがプールで?と思う。歩く人が2,3人。泳いでいるのは私1人。誰も泳いでいない。1人プールの真ん中で背泳ぎで泳ぐ。するとコースを少しばかり外れた。それを見ていた男の人がコースからずれていると笑って言う。やっぱり今日も歩く人は泳ぐモノを見ている。

歩く人は暇?何か言いたいのかもしれない。そして泳いだり、歩いたり交互にせよという。

泳ぎ終えると、今日もまた歩いた。1往復を終える頃、歩くコツがわかりだした。つま先で少し前かがみで歩くと足が楽に進む。本来の水中での正しい歩き方はどうなんだろう。誰かに聞いてみたい。

水泳の今年の課題はもっと早く泳げるようになること。それはもう無理かなあ…!?

晩白柚子のことで他にも書くことがあった。その柚子を「お母さん」が知るきっかけは、入院した際、妹さんからお見舞いでいただいたことにあるらしい。美味だったその柚子を自宅の庭に植えたいと思われた。出入りする植木業者を通して探し当て、熊本から3本取り寄せ植えられた。そのうち1本は枯れ、2本が実をつける。実をつけた22ヶの柚子を知り合いに配る。その1つが送られてきた。有難い!

味わっていただきます!そして、いつまでもお元気で!

2012年1月15日日曜日

万年筆について

今日はどんよりとした一日。久しぶり家から外に一歩も出ない。こんな日は1年に何日あるだろう。

今朝地元紙を読んでいると、万年筆についての記事がある。

記事掲載は2件。そのうち1件は神奈川近代文学館の「作家と万年筆展」を担当した人が書いている。見出しには「自筆の手紙不慣れでも…文例活用して気軽に」。それには不慣れな人用に発行されている「すぐに役立つ文例活用ブック」(三省堂)の活用をすすめる。そして神奈川近代文学館で2月26日まで開催されている作家たちの愛用品の万年筆の展示・紹介を説明している。

先ほどネットで検索した。行ってみたい。だが遠い。せめて関西ならば…。

もう1件はこの催しに合わせた記事なのか、大見出しに「読み返す喜び ひとしお」、小見出しに「手書きのススメ」とあり、「万年筆で書く」ことについて3点挙げている。

1 目的を決める 手紙、仕事のメモ、旅行日記、好きな歌の歌詞を書き写す
2 選ぶとき  試し書きができる店に行く、時間をかけてじっくり
3 使い込む  強い筆圧は必要ない、使い続けることが最高のメンテナンス、万年筆を育てるつもりで

万年筆を使用して「おとなを味わう」とか。

先ほど電子辞書で万年筆を調べた。英語でfountain penの万年筆。fountainはラテン語で原義は泉の「涌き出るや流れる」。よく知られているメーカーとしてモンブラン、ウオーターマン、セーラー、パイロット、プラチナなどがある。山や水などの自然にかかわりがある。原義からそういう名前がついたのだろう。

万年筆といえば、若い頃、学校を卒業する際、誰もが万年筆をプレゼントされたか買い求めている。実際、いろんな万年筆を買ったことを覚えている。それなのに、手元にあるのは昨日探し出したウオーターマンの1本のみ。それも海外でお土産として買って帰ったもの。ほとんど使用していない。

パソコンが筆記用具代わりになった感がある。家にいると何日も何ヶ月も万年筆のみならず筆記用具を使用しなくても何事も可能。文字さえ忘れてしまっている。ブログ投稿や本を読むときその横には電子辞書が欠かせない。

記事のはじめに手書きは「慌しい時代だからこそ意味を持ちそう」だという。それは「大人の味わい」だと…。

パソコン重視でなく、基本に返って手書きを見つめなおそうというのだろう。簡単なようで大変な気がする…。

2012年1月13日金曜日

電話あれこれ

昨夜知人と電話で話す。新年会をする話と合唱団の先生から託りものの話を聞く。今年も新年早々、いろいろと仲介の労をとってもらう。ありがとう!

新年会といえば、他にもエレクトーンの友人とすることも決まった。先ほどその1人にTELすると30分早めの集合に決定。会えば話題は尽きず時間もあっという間にすぎてゆくだろう。楽しみだ!

今年になっていろいろ電話で連絡を取り合う。一つ気づいたことがあった。それは、掛けた先が留守でもないのに留守電の設定にしているということ。

姉も変な電話撃退のため留守電にしていると話していた。

「変な世の中」になったものである。

「世の中変」といえば思い出すことがある。2ヶ月くらい前、大学の図書館勤務の人と会ったとき、『年収100万円の豊かな節約生活術』(山崎寿人 文藝春秋、2011年)を手に持って、それを読んでいるという。今日、図書館でその本の予約をやっと確保。一気に読む。著者は東京大学を卒業し、5年ほど大手酒類メーカーに勤務後、51歳の現在までプータロー生活。収入は親から受け継いだマンションの賃貸料年間100万円。今はそれも売却とか。

この著者のモットーは「いかに金をかけずに、生活の質を上げてゆくか」の追求。「いかに安い材料で、豊かな食生活を送るか」の探求。(36p)この2つだという。本の終わりにはそういった料理のレシピが掲載されている。

不況の時代、いろんな生き方がある。この著者の場合、「東京大学を卒業しながら…」がこの本を物語る。

それがなければこういった本が話題になることはない。逆に言えば「東京大学を卒業していてもこの世の中、何もあてなどできないよ」といっているよう。

著者自身も最後に「社会の常識や価値観は尊重する。批判もしない。だが、自分がそれに従うかどうかは自分で決める」と述べている。(212-213p)

それにしてもと思う。読後感はすがすがしいものではない。これほどの生活をすることにがんばれるのならば、何か他にその知恵を生かせないのだろうか。また自分の考え次第で人はどのようにでも生きていけるというのだろうか。

2012年1月12日木曜日

美術館へ行こう!

先ほど広島経済大学の特別講義を聞いて帰宅した。出かける時は日も燦燦と輝き、暖かい。ところが、講義終了時は、日差しもなく冬空だ。寒い!

今日の講演テーマは「理論から実践へ」。サブタイトルは「地域の文化力アップの動力たる美術館・博物館に」。講師は県立美術館長 越智裕二郎氏。来広前は、兵庫県立美術館長。財政難の時代、いかに美術館へ足を運んでもらうかが館長の役目だとか。そこには請われて広島に来た経緯があった。

美術館への来客数増加の鍵を握るのは「15歳までに美術館へ3回行くこと」にあるとか。そういう人は大人になると必ず美術館へ来ると館長は話す。それが美術館にとって大事な仕事であるらしい。

子供の頃、親から美術館へ連れて行ってもらったことはない。それも当然。広島県立美術館が開館したのは昭和43年。子供の頃に美術館はなかった…。

財政難の時代、20世紀最後の美術館としてコンクリートで重厚な前任の兵庫県立美術館があり、21世紀最初の美術館として金沢の美術館があるという。この金沢の美術館は金沢21世紀の奇跡といわれるとか。金沢40万市民に対して7年間で1000万人の集客数があったという。

またスペイン・バスク地方の美術館も年間300万人の集客数があり、まっすぐな柱が一つもないことで有名らしい。

このように、いかにして集客数を増やすか。広島の場合は1913年、浅野氏が縮景園に美術を寄贈して広島で最初の美術館になったとか。それは県立美術館に隣接している。この縮景園を観光付加価値として組んで地域経済へ寄与する。そして「美術館は地域や地域住民に支えられることが必要」であるという。それにより「『良き』美術館は、『良き』観衆が育てる」ことになる。

美術館といえば学芸員が浮かぶ。今日の講演者はその言葉にいつまでもなじめなかったという。学芸員の中でも美術品の貸し借りの権限を持つ人は「キュレーター」というらしい。この言葉、今日始めて知った。

学芸員と聞いて思い出す人がいる。社会人大学生時代、同じ学部にもう一人、社会人大学生がいた。その人は「学芸員」の資格を取ってアメリカの博物館でボランティアで勤めたいと話した。若い頃、東京の美術大学で美術を学んでいる。学部の教養課程のポスター論文発表(展開研究)で最優秀だった。さすがに…。

美術には疎い。それでもなるべく美術に触れようと思ったことがあった。県立美術館の友の会や国立民族学博物館機関誌「みんぱく」の友の会にも長く入会していた。それも時間に追われて不可能となり中断。

今は暇人である。これからはもっと美術館や博物館へ行こう!そして集客力アップに貢献しよう!?

2012年1月11日水曜日

今年も本格的に始動!?

昨日は今年初めてのフルートのレッスンを開始。新たに習う人もいて本格的に今年も始まった感じがする。にぎやかになりそうだ。

今日は昨日と違って朝から風が吹いている。自転車に乗って外へ出ても冷たく感じる。

そんな中、この2,3日、年賀状や寒中見舞いをもらった人に思いを馳せる。そして、まずはエレクトーンの仲間と集う話を始める。今朝、4人で会う日程や場所もほぼ決めた。今夜一人確認すれば近いうち4人で会える。お互い、「ランチでは時間が足りず夜まで…」と話も出て…。皆、会えることを楽しみにしている様子。そういってもらって嬉しい限り!

4人の中では一番の年長者。1年前までのハードな毎日と違い、今では他の3人よりも暇がある。多分3人も子育てを終え一段落した時期だろう。これを機会にたびたび会えるといい…。

今朝はまた「広響」からファン感謝デー・コンサートの入場葉書が届く。これを見ても今年が本格的に始まる気がする。

4月から新しいことを始める。それがはじまると、曜日によって制約が出る。そう思い、4月までに一回、海外旅行に行こうとJTBにTEL。ところが、新聞で宣伝している方面も予約でいっぱいかと思った。なんと15名催行のところ2名しか予約がないという。他の方面も予約ゼロ。その少なさに驚くばかり。仕方なく、「また電話します」といってTELをきる。

電話した先が広島発着のため少ないのだろうか。今朝の新聞にも掲載されている。行く気を逸らされた気がする。

気分を変えて、3年前に修了した大学にスペイン語の科目等履修生について問い合わす。するとその案内ができているとの返事。早速、その書類の送付を依頼。以前、メールで問い合わせると入学に関する書類はとても多かった。それにはまだ会ったこともない担当教師の承諾印まで要る。

2月になるとこの入学願いで大学に出向かねばならない。大学へ行くのは3年ぶり。学生で知り合いはもういないだろう。だが、大学に行けば新鮮な気持になれる気がする。学生証も3年ぶりに受け取る。だが、この学生証、コンサートなどで利用OKなんだろうか。あてにする私がここにいる…。

2012年1月10日火曜日

寒中見舞い

小寒も過ぎ年賀状も出揃った感がある。そんな中、今朝2枚の寒中見舞いを受け取る。

1枚はエレクトーンを習っていたときの人。お母さんを亡くされていた。その文面には「是非お会いしたいです!!」と書いてある。すぐにTELした。久しぶりに声を聞く。

昨年、互いに母親を亡くしていたと知る。彼女は私よりもずっと若い!また亡くなられたお母さんも私の母よりも20歳も若い。電話で聞く言葉すべてがよくわかる。互いの親の緊急入院の時期も数日違いでほとんど同じ。当時、同じ気持を共有していた…。彼女は一人娘。私もそう思われていたみたい。3人姉妹の真ん中なのによく人から一人娘?といわれる。

彼女は相変わらずボランティア活動で頑張っている。もうすぐにでも皆に会いたい!と話は盛り上がる。早速日程を調節して皆で会う準備をしよう。

もう1枚は年賀葉書に「寒中御見舞い 春よ来い!」と書かれた賀状。葉書には一般的な年賀の文はなく、寒中見舞いとして出されている。

差出人は青年海外協力隊でブータンに行き、それを本に書いた人。ブータンといえばこの人がすぐに頭に浮かぶ。

元日、母の訃報を知らせていない人からいつもどおり年賀状を受け取る。毎年ブータンに関する写真年賀状を下さる人から元日に年賀状が来なかった。「何故?」と気になっていた。それも今朝の葉書きを見て納得する。

この人は東京の大学で図書館業務に携わっている。そのためか、文面には3.11の震災後から今日まで「津波により全壊流失した図書館の再建まで支援活動続行中」と書いてあり、図書館の復旧活動をされている様子が伝わってくる。その経緯をこの葉書で知った。

葉書は昨年4月8日に撮影された気仙沼の写真が印刷されていた。

年賀状に替えて、寒中見舞いにされた理由もわかってきた。

そして葉書きの最後には手書きで「11/17ホテルニューオータニで歓迎レセプション ブータン国王とお会いしました!」とある。以前メールで「レセプション参加は…!?」と書いてあった。それが参加できたとのこと。本当によかった!

寒中見舞いとしては先日もらった社会人大学時代の友人も年賀葉書に「寒中お見舞い申し上げます」と書いてある。若い人なのに私とのことを「不思議な御縁を感じました」と記してもらい、優しい気持が伝わってくる。

また寒中見舞いとは少し異なるが、フルートの先生の年賀葉書には「新年のご挨拶を申し上げます」とあり、旅行友だちも「本年もよろしくお願いいたします」とある。共にめでたい言葉は書かれていない。この人たちも震災を考慮されたのだろう。

初春、訃報の知らせを兼ねて寒中見舞いを出した。だがそれは差し出した人に今朝のような感動を与えただろうか。ふと思う。

2012年1月9日月曜日

エレクトーンの友だちと…

昨夜遅くまで電話で話す。当然寝るのは遅い。さすがに今朝は早い起床とならず、TELで起こされる。

電話の相手はエレクトーンを習っていたときの人。暮れに、以前それを習っていたときの別の人から訃報のハガキを受け取る。すぐにその人にお悔やみのTELをした。その時、習っていた4人で新年に会おう、と話し合う。

その連絡をとるため、習っていた人には寒中見舞いに会いたい旨、一筆書き添えた。

今朝、電話をもらったのはそのうちの一人。

電話はそれほど早い時間でもない。昨夜寝るのが遅かったため電話があったときは完全に寝ていた。すぐに起きて電話に出る。声はまだ寝起きの声。申し訳ない。

TELくれた人と話すのも13年ぶり。懐かしいというよりすぐ返事をもらって嬉しかった。前回会ったとき、子供さんは小学校の高学年。その子供さんも昨年、東京の大学を卒業して大手の企業に勤めているという。今朝は電話をくれた人自身の話や家族の話、そして4人で泊りがけで出かけたことがある彼女の親戚宅の話と話題は尽きない。市外電話なのに1時間くらい話しただろうか。

これで2人と連絡がついた。残る1人は、年賀状が来なかった。多分家に不幸があったと思われる。寒中見舞いに皆で会いたい旨、書いたのでその返事を待つことにしよう。

それにしても、と思う。エレクトーンを習っていた頃はまだ20代と若かった。今朝の話でも「20代だったよね」と聞かれて…。彼女も大学を卒業したばかりでとっても笑顔が可愛かった。

その後、13年前に4人で彼女の家に出かけて楽しく遊んだ。皆、それぞれ立派な母親になっていろいろと活動している。今朝の人は家にエレクトーンの先生に来てもらって継続して習い、もう一人はドイツリートをやり、連絡を待ってる人は原爆資料館で英語のボランティアガイドをやっている。会って話せばもっといろいろやってるだろう。それを聞くのも楽しみだ。

そしてまた思う。いくら母親になっても皆、夢を追いかけているなあと。電話で話して、いつまでも好きなことを追いかけ続けているのがよくわかる。それは聞いていても気持がいい。

その3人とは少しばかり軌道から外れた私だが…。

〇〇子ちゃん、今朝は電話ありがとう!近いうち4人で必ず会おうね!とっても楽しみにしています!

2012年1月8日日曜日

ブログ投稿から

小寒になった。さすがに明け方は寒い。それでも日中は日が差して暖かい。遅い眠りから覚め、朝食をおえると一度は自転車に乗って外に出る。

先日ネットで遊んでいると、朝日を浴びるとよく眠れるとか。これを知って妙に納得。おかげでよく眠れるはず。

一度家に帰りパソコンで遊ぶ。今日気がついたことがあった。我がブログに投稿しようすると、どこか触ったのかこれまで見たこともない画面が現れた。その画面には「ガジェットの編集」が何箇所もある。先日、「ブログをモット魅力的に」の画面が出て意味がわからなかった。それが今日の画面でやっとわかる。すぐにその画面を編集すると「ページビューの合計」と「人気の投稿」が編集できた。

たかがブログと思う。だがその機能はすばらしい!他にもいろんな機能があるのだろう。今はここまでの利用で由としよう。

午後、図書館へ予約の本を取りに再度外に出る。家を出たところで近所の人と出くわす。話をしているとその家族はハワイと縁があるという。その娘さんはハワイの人と結婚し、そのお姉さんもハワイの人と結婚しているという。その人の実家は山口。山口と広島はハワイへ行った人が多い。その家はまさにその典型だ。

その人はハワイと縁があってもなかなか行かれないとぼやく。昨年舅を看取り、今は姑さんの介護があるという。介護といえば昨年まで長年の経験済み。だがそれは実の母。姑ではない。その辺りの隔たりは実感として沸かない。

ともあれ、いやいやながらの介護では看る者の体にいいことはない。近所の人が話していても何か自分のことを言われているように感じるとか、さらに一日中食事を作っていると愚痴る。気の毒に思う。自分の時間がないとも…。

時間は皆同じように与えられている。同じ介護でも我が立場と嫁の立場の違いを見せ付けられた気がした。

「暇ができたら一緒に遊ぼう」といって別れる。「そういってもらうと嬉しい!」といってくれたが…。

気を取り直して図書館に行く。図書館で一人思う。どんなに介護で忙しくても図書館に出かけていた、と。また一日一度は自転車で家を出て外の空気を吸っていた、と。それを人に当てはめることはできない…。

2012年1月7日土曜日

新しい時代が来る!?

今朝の地元紙を読んでいると、いい記事が掲載されていた。文化欄に東大名誉教授の見田宗介氏が年始インタビューに答えている。

今年は「新しい時代」が到来して「心の成熟が問われる時代」だという。

昨年日本を訪問したブータン国王に対して日本人の多くが共感した。1970年代、前ブータン国王が提唱した国民総幸福量は日本の経済成長期である。その頃、それはほとんど関心がもたれていなかった。それが最近、多くの報道もあって日本人の共感を呼び、日本人の感覚も大きく変化しているという。

3.11後、人間の幸福とは何かを根本に立ち返って考えざるを得なかった。そのうえで、健康、愛情、自然が基本的に大事なことだとする。

貧しい時代、健康を保つために経済成長を必要とした。だがそれも成長し続けると人間も死にいたるように、環境を破壊し放射能も撒き散らす事態になる。

そうならないため成長した大人に必要な成長は、精神的な成熟や心の深さだという。美術や文学、歌やデザインなどのアートの領域は資源も浪費せず、自然環境も破壊せず持続可能なのだ、と。

近代から続いている成長神話という狂気に目覚めよと警告する。そうすれば持続可能な世界が永遠に発展し続けると。

年齢だけは大人として成長している。だが精神的にはまだまだそこまで至らない。物質的なものを求めずして精神的に成長せよということだろう。新聞を読んで理解できても実行は伴ないそうにない。初詣の帰りにもデパートに寄って服などいろいろと買ってしまった。まだまだモノに貪欲だ。アートの領域だけで満足する!?それは到底無理…。

こんなこといってたら新聞を読んだ価値がない!?せめてこの人の本を読むことにしよう。図書館で『社会学入門』を予約したけど…。

2012年1月6日金曜日

宿のカタログから

暮れに市内のホテルに投宿した。そのホテルを予約した会社から宿のカタログが送られてきた。

そのカタログの宿泊地域は中国、四国の地方版。午前中、幼馴染と送付されてきたカタログについて話す。すると、それを利用して松江に一緒に行こうという。松江は4月の終わりでまだ先の話。それなのに、必ず松江について行くという。

新年6日目。今朝はそのカタログを見ては遊ぶことばかり考える。だがこのカタログ、安い割には唯一欠点がある。一人で宿泊可能の設定がほとんどない。これは残念!すべて一流のホテルや宿なのに…。

その点、海外ツアーなどは以前に比べて一人の設定が増えている。国内はバスツアーの参加者が多い。そのため今日送られたカタログには一人で泊まれる設定が少ないのだろうか。

いくら旅好きでも、国内のバスツアーは余り好きでない。とはいっても一人でバスに乗ってどこまでも行くのは好き。だがバスツアーは考えてしまう。それはなぜ!?

それにしても、と思う。以前海外に出かけていた頃は、何社からも旅のカタログが送られていた。今はカタログは1社のみ。年賀状も相変わらず日本特殊旅行だけ。世の中の移り変わりを感じる。これから動き出すとまたいろいろ送付されるかもしれない。というよりも今はネットの時代。もうどんなカタログも必要ない!?

2012年1月5日木曜日

「プラスとマイナスの生活」~挫折から立ち上がる~

今日は広島経済大学の2回目の特別講義を聞きに行く。

大学近くのJR駅に降りると地面に雪が残っている。それは屋根にも。住んでいる町に雪は降っていない。明け方寒くても日中は太陽が燦燦と差していた。同じ市内でもその温度差はかなりあると雪を見て感じる。

前回、講義間際に会場に入った。そのため遅刻厳禁と言い渡される。今日は早めに家を出る。大学に着くと正月5日なのに学生で溢れかえっている。3年前まで通っていた大学は10日過ぎから授業は始まったと思う。ところが最近は1期15回の講義が祭日などで足らなくなると国から厳しい通達があるとか。3年の間にこうも変わるのかと思った。4月から通学する予定なので余計気になる。

講義が始まるまでカフェに入る。学生に混じって昼食。だがその要領がわからない。何度も学生に聞いてやっと食事に…。3年前まで通っていた大学の学食はこの大学と比べられないほどの広さ。その場所も各学部ごとにある。そのため、かなり勇気を出さないと学食にありつけない。院生時代は食事は学食でなく大学内のレストランへ行っていた。そのときは若い大学生を誘ったり、社会人の人と一緒に食事をした。とはいっても学部時代は広い大学内の決めた場所(川が流れ、花が咲き乱れる大きな松の木の下)に行って弁当をたべながら情報交換して…。

今日はカフェで昼食。横には中国人留学生が…。食事後、会場へ移動。

今日の講師は川村妙慶という人。京都の真宗大谷派のお坊さんとか。大学の名に「経」がついている。この文字とお経の「経」を重ねて話を進める。今日のテーマは「プラスとマイナスの生活」~挫折から立ち上がる~。

話の中で2つ気に入った言葉がある。

1つは「正」、そして2つ目は「三毒」。

「正」は「一」度立ち「止」まってスタートすると「正」とか。よく、迷ったときは「原点に戻れ」といわれる。まさにこのことだと聞いて思う。

「三毒」は煩悩、貪欲、瞋恚(しんい、怒りのこと)。この3つを発すると体から毒が出るから病気になると聞いたことがある。

今日のテーマのプラス・マイナスについていわゆる「世間」(娑婆)がプラス・マイナスを比べる世界。だからその「世間」から出ることが「出世」であり、それは「世間の常識に流されない人」だという。この出世こそが「仏の教え」だというのである。

今日の講演は前半は僧侶らしく仏教の話、後半は講演者自身のことからそのテーマを話す。

講演者の自宅はお寺。その寺の住職である父親が高校生のとき亡くなる。その時大勢いた門徒はいなくなる。残された兄と妹。妹とは今日の講演者。兄は引きこもり、妹はアナウンサーや芸能活動をしながら僧侶に。その後、出身地の門司に帰ると、TVクルーがその妹宅をTVで放映する。それを見た元門徒が寺の再建を試み,その寺の門徒に戻る。時に兄も僧侶となり、寺は元のようになっていく…という話。すなわちそれが「プラスとマイナスの生活」で挫折から立ち上がったというわけ。

話を聞いていて今一歩、感動が沸いてこない。来週はさてさて…。

2012年1月4日水曜日

三箇日が過ぎて

穏やかな新年を迎えた。ブログのデザインも一新。すべてを新たな気持というよりも昨日に続く今日であるように、と願う。そして元気で楽しくをモットーに、よく遊び、よく学んで毎日を過ごしたい!これがささやかな今年の希望。

お正月3日間、お天気にも恵まれた。これまで行ったことがないところへも初詣に行った。墓参りもすませ…。これで気持の上では元気な1年がおくれそう。

昨日、午後4時過ぎ、姪からのメールを受け取る。「無事ネパールから帰ったよ!」と。すぐに携帯電話にTELすると姪の開口一番「貧しい国じゃね。国民は幸せなんかね」。「ブータンと同じかね」と私。

残念ながらネパールには行ったことがない。ネパールに行った人の話を聞くと貧しくて汚い国と聞いたことがある。でもブータンは貧しい国とは思わない。その点、ネパールとは違うかも…。

成田発で行ったと思ったら関空にいるという。お正月にツアーに参加したことがなかったのか、「すごい人たちが参加していたよ」と興奮気味にその人たちの職業を口にする。

働いていた時、ツアーの参加はお正月、お盆、GW。いわゆる休暇のときなので職業のいろいろな人と知り合った。姪もさまざまな人と仲良くなったと電話で話していた。楽しかったとも…。

旅行で知り合った人といえば、今年届いた年賀状にもたくさんいる。一番初めに行った26年前の中国旅行のときの人は京都の大学の先生。当時、共に同じ大学の先生という親子が参加されていた。その人とは学会で広島に来られたとき会ったことがある。教員生活46年目の今年、3度めの定年を迎えると面白く書いてあった。お父さんは既に亡くなられている。

次に古い人はシルクロードに行ったときの福岡と愛媛の人。福岡の人は親子3人で参加されていた。お父さんは10年位前に亡くなられ、お母さんと息子さんは健在。この親子には今でも親切にしていただく。お母さんはさすがにかなりの年齢になられた。それなのにいつも気を使って電話してくださる。まだ母が亡くなった事を知らせていない。寒中見舞いで知らせると驚かれることだろう。この親子3人とは福岡、下関、阿蘇山、山口、広島と何度も互いに会っている。阿蘇山では草千里で馬に乗せてもらったりした。この新年には家で実った珍しいかんきつ類を送ってくださると年賀状に書いてあった。母がいなくなった。このお母さんには長生きして欲しい!私のお手本となるような素晴らしい方。

シルクロードに行ったのは映画「敦煌」が撮影中のときだった。日本の撮影クルーとトルファンのぶどう棚の下で民族舞踊を見たり一緒に写真も撮ったりした。なんといってもツアーの人たちは皆大酒のみ。夕食後はひと部屋に集合して毎晩宴会のように楽しく過ごした。一緒に参加した「お澄ちゃん」今どうしているんだろう。

愛媛の人は男3人で参加。彼らは同じ職場の人。私も「お澄ちゃん」と2人でツアーに参加。その友人と愛媛の新居浜に遊びに行ったこともあった。他の2人はどうされてるのだろう。そして敦煌で買った50センチ平方のでっかい亀の硯は今どうなってるんだろう。今年、年賀状をもらった人とも3人で広島で会ったこともある。たまに電話をもらう。この人も母のことを気にしてくださる。寒中見舞いで知らせるので驚かれるだろう。昨年秋、長年勤めた会社を退職されたとか。

他にもソ連に行ったときの東京の人。浅草に住んでいる某会社の社長さん。毎年海外に行かれている。1昨年母親を亡くされた。今年の年賀状には行った先が書いてない。旅行でビデヲを送られたのはこの人が最初。

さらにチベットで一緒だった福岡の女性。この人も毎年のように海外の話題が書いてある。今年の年賀状には書いてない。チベットは今まで行った旅の中でも最も大変なところ。高山病で這ってホテル中を歩き、やっとベッドに着いて2日ダウン。旅行中、高山病になるためアルコール類はご法度。それなのに旅慣れた人は、その警告を無視。旅行中、高山病で全く観光できない人もいた。

旅行で知り合った人は他にもまだまだいる。皆、長い付き合いになった。もちろん亡くなった方も何人かいる。

姪のネパールの帰国と年賀状から古いことを思い出してしまった。これも年賀状のよいところなのだろう。

やはりお正月は年賀状。それに替えて出す寒中見舞いのハガキ。これを書くのもあんまり楽しいものじゃない。受け取る人はどうなんだろう!?ふとそう思う!