2019年12月28日土曜日

今年最後のプールへGO~

 

 小雨降る中、自転車に乗って今年最後のプールに出かける。シャワールームに入ると着替えを置く場所に何も置いてない。女性は自分ひとり?と思ってプールに入る。中に入ると女性は3人いた。男性も同じくらいいる。ほかの人は泳いだ後、濡れた水着のまま着替えずロッカールームに行くのだろうか。不思議に思いながら今年最後の泳ぎを始める。出かける前から500メートル泳いで引き上げようと決めていた。500mは25mプールを10往復する。これは楽なので水中歩行を2往復して今年の泳ぎ納めとする。

 プールを出ると相変わらず小雨が降っている。手も顔も冷たさはなく、自転車で家に帰る。珈琲を飲んで一休みしながらラジオを聞くと耳になじんだ曲が流れる。すぐにネットで曲名を調べた。「カヴァレリア・ルスティカーナ」だ。これはフルートでさらった、と思って練習した曲の一覧表を見る。やはりさらっていた。動画はその曲から。

 世間では年末年始の休暇にはいった。年末年始、これといった特別なことは何もない。とはいいながら世間一般にならって当ブログも明日からしばらく年末年始の休みとしよう。

 ともあれ今日も、そして新たな年も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 どうぞよいお年をお迎えください。

2019年12月27日金曜日

『一人になった繭』

 澤地久枝の本を読むにつれて、もっと以前の本も読みたくなる。文庫本に紹介された本の1冊が『一人になった繭』(澤地久枝 文藝春秋、1999年)。かなり古い本だ。文中の大半は「オール読物」に掲載されたもの。「オール読物」は図書館の雑誌コーナーにあるがこれまで一度も読んでいない。今月号を手にすると小説だけ、と思ったらオールというだけあっていろんなジャンルの掲載がある。

 よほどの刺激がないとこれまで読んだり、聞いたり、見たり、行ったり……といったことに対する変化を好んでしない。狭い料簡にとらわれず、いろんな方面に目を向けよう。

 天気予報では最高気温10度、曇りとある。だが、外は明るくなり陽がさしてきた。これはもしかして今年最後のプールへ急げ、という合図!?昨日は新年早々に出かける海外旅行の最終案内が届いた。元気を出して旅を続けるためにも今日は泳ぎに行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう「!

 以下は『一人になった繭』から気になる箇所の抜粋。

★存分に生きる。父の分、母の分、祖父母の分も――。分不相応の贅沢は望まないが、できる範囲内で、精一杯たのしく豊かに暮らそうとしている。誰からも文句は来ない自立した一人暮らしの女の特権。別に誇らかに宣言するつもりはないが、つつましさをおぎなう知恵に裏打ちされた豊かさといえるところがいい。
 年齢を重ねるごとに、心の豊かさが自然と身にそなわることを願っている。それは意識してそうなるのではなく、一日一日のいとなみのなかから生まれてくるものではないだろうか。(「オール讀物」一九九三年五月号)(31-32p)

★果てしなく高い秋空に、鰯雲が夕焼けの茜色に染まっているのを見たのは、カザフ共和国カラガンダの枯れた大草原でのこと。
 人は誰でも。心の底に悲しみをたたえた泉をもっている。ときにその泉は溢れそうになるけれど、人に告ぐべきことではない。
 女たちの心にあるもの、男たちの心にあるもの。 
 言葉にはならなくても、告げたい思いは誰にもある。それを察して、やさしい気持ちで相手に対するとき、異性間の愛情の次元とは別の愛、いとおしみが生まれそうに思える。鰯雲に、乾いた心は似合わない。(「オール讀物」一九九三年十月号)(166-167p)

★人工的な繭というべき家に一人で住んで、わたしは六十代を生き始めた。さまざまな場所へ出てゆき、さまざまな人びとと心をひらいて会うつもりでいるけれど、帰ってくるのはこの「一人の繭」の安らぎのなかである。こういう女が次第に増えてゆく九〇年代への予感がある。
 ”一人になった繭”がさらに完結するのは雪の日。音もなく気配すらなく、しかし森閑としてすべての音が消えてしまったような日、窓を開けると一面の白い世界があらわれ、天からはさらに黙しつつまい降りてくる雪がある。……窓をとじ、ひっそりとこもって、繭のなかのサナギになりながら、わたしの五感は生き生きと目ざめてくる。ここで生きているという熱いものがわたしを包む。この冬、そういう雪の日に出会えるだろうか。(「オール讀物」一九九一年一月号)(237p)

★一九九七年九月二十五日から約七十日、スタンフォード大学歴史学部での聴講を許されて、週に三日、大学へ通いました。……ピーター・ドウス教授の講義と、バートン・バーンスタイン教授のゼミ。……ホテルでの自炊をふくめて、倖わせなアメリカ滞在。ピーターと昌代・ドウス夫妻との友情を深め、その友人たちにひきあわされ、サンフランシスコやモントレーへと、多くのドライブを楽しみ一人の繭にとじこもってしまうのではなく、繭の外へと思い切って出て行ったという次第です。。(文庫版のあとがきより)((321p)

★一人になった繭は、、一人であるがゆえに、また広い人間の海へと漂流をはじめているようです。
 沖縄で暮らすようになって、人生を肯定する思いが次第に深くなってきたのを感じます。つよがりながらどこか寂しくもあった繭の色に、希望というほんのりした色が染まりつつある日々でもあります。(文庫版のあとがきより)(323p)

2019年12月26日木曜日

年末の暇つぶしに

  クリスマスが過ぎると間もなくお正月。昨年のこの頃はお正月用のお花を活けたり、と少しはそれらしきことをした。とはいってもおせちはなく、食べ物はいつもと同じメニュー。今年はお正月用のお花でなく、いわゆるお花を部屋に飾り、おせちもない。年々、季節や行事を感じない生活スタイルになっていく。

 世間に逆らうつもりはない。ただ、自分の中での生活の変化は旅に行くこと。今朝、届いたメールは新年早々に出かける海外の旅の新幹線乗車券購入の有無確認だった。今はお正月云々でなく海外旅行に気が向く。海外旅行の支度!?

 暇つぶしに図書館へ行く。先日のバス旅で隣の席の人は塩野七生のファンだと話した。日本の歴史は司馬遼太郎、西洋の歴史や文明などは塩野七生から、拝借と思っている。昨日、さっそく塩野の本2冊を借りる。今年1年、司馬作品にハマっている。その頭休めに他の人の本を読む。人の言葉に影響されるのか、塩野七生の本も読みたくなった。

 頭を切り替えるために次に向かうはパソコン。先日来からブログを通じて知った人のブログを見ている。昨日のブログに面白く書いてある。ブログ「ウオーキングと旅」 から、その一部を勝手に引用させていただこう。

★……三度の飯食って、TVをボ~ト見て風呂に入って寝るだけ
チコちゃんに「ボ~~ト生きてんじゃーねえよ」と言われるよ。居るんだよ、そんな人、仕事から解放されたら頭の中も開放しちゃった人 前頭葉が縮んじゃって空気読めないお父さん。嫌だね~~。私なんか一年中全国歩き回ってるからボケる事無いでしょう。……

 これ読んで思わず笑った。ブログの人は暇つぶしにパソコンでイラストを作成するという。イラストがパソコンでできる!?どうやってやるんだろう。 

 今年になってラジオを聞いて知った石丸謙二郎。ラジオは山カフェ。この響きがいい。またこの人のブログもいい。今年の自身のブログから「お馬鹿テン」をあげている。10のブログはどれもおかしい。とはいってもうまく表現している。

  先日来から見ているのはフルート奏者のブログ。これも興味津々で見るブログだ。歳をとると家の中で遊べるパソコンは本当に優れモノ。こうして今日も一日が始まる。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月25日水曜日

「迷ったら、やめろ!」

 今年もあと数日を残して新たな年が始まる。年末年始といってもいつもと同じ生活で何の感慨もない。年の瀬にただ一つ思ったことがある。それは「迷ったら、やめろ!」。迷ったら原点に戻れ、といわれる。これは「迷ったら、やめろ!」!?

 自分の気持ちに忠実に、直感を大事に、そう思って生活している。それなのに、それを裏切ったかのような行動をした。「迷ったら、やめろ!」を忘れていた。これ、もしかしたら自分の座右の銘となる!?物事を考えず、まずは行動、をモットーにしているはずだった。ところが迷いがあるにもかかわらずしたコトがある。案の定、楽しい日、とはならなかった。これはなぜ、と思いを巡らすうちに気づいたのが「迷ったら、やめろ!」。楽しく過ごすには迷いは必要ない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月24日火曜日

バレル・コレクション「印象派への旅」を見る

 県立美術館で開催中のバレル・コレクション「印象派への旅」を見に出かける。お天気の良さに誘われて外に出よう、となった。美術館へは広島駅から歩いていく。展覧会場に着くとまるで貸し切り状態で人はいない。バレル・コレクションとあるように個人が集めた美術品を展示している。門外不出、と遺言したバレル。それなのにイギリスから奇跡の初航海を経て展覧会となった。そこにはバレルの膨大なコレクションとグラスゴーにある美術館の大規模な改修により、今回特別に80作品が門外に出されて展示となる。

 バルビゾン派や印象派などフランス絵画や、その影響を受けた画家たちの作品ばかりで見ていても飽きない。貸し切り状態の館内の絵をゆっくり見ていると、後ろから人につけられているように感じる。振り向くと係が後ろを歩いてくる。思わず何か?といいたくなる。じっと椅子に座って絵を見る人の監視をするのに飽きたのだろうか。しばらくすると観覧する人が3,4人に増えた。

 ドガ、マネ、クールベ、ブーダン……とよく知る画家たちの絵が並ぶ。究極はゴッホの絵。この数年、ゴッホの絵が好きになる。展覧会のサブタイトルは「海運王の夢」とあるように、バレルは絵を集めるのが夢だったのだろう。

 特別展を堪能した後は常設展を見る。所蔵する美術品を投票によりランク付けし、選りすぐった絵を展示している。彫刻を見ると平櫛田中の作品が多い。

 かなりの時間、美術館にいた。館内のカフェで一休み。どこに行っても人は少ない。美術館を後にして次に向かうは駅前のデパート。久しぶりによく歩いた。デパートの衣服の売り場に行くと新年から始まるセールの前倒しか、それとなくわかるやり方で早めに売り出していた。それを見てちょっぴり年の瀬を感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月23日月曜日

「キリング・フィールド」を見る

 一昨日の夜、BS12で見たのは「キリング・フィールド」。20年以上前、カンボジアに出かけた。カンボジアといえばアンコールワットが有名。それと殺戮現場(キリング・フィールド)もある。その時の添乗員はカンボジア内戦の殺戮現場(キリング・フィールド)となった映画のタイトルを旅の最後に教えてくれた。だが、題名は覚えていても映画を見る機会がなかった。ずっと心に引っかかっていた映画「キリング・フィールド」をやっと見た。

 面白い番組がないと思ってテレビのチャンネルを変えていると「キリング・フィールド」をやっている。時すでに遅しで番組開始から1時間以上経っていた。残るは1時間余り。それでも番組を見る。字幕放送だが、ほとんど字幕が出ない。日本語としてわからなくてもまるでドキュメンタリーを見ているようでおおよその見当はつく。アメリカの記者の通訳を演じるプランは全くの素人の役者、と後で知る。半端なくうまく演じていた。

 昨日暇つぶしに映画の前半の動画アップはないかとネットで調べる。あった!映画の全てではなく6.70分がアップされている。後半も、とさらに調べるとそのアップもある。お陰で見ていない個所を見ることができた。それも日本語吹き替えなのでテレビで見た字幕よりもよく理解できる。

 殺戮の野であるキリング・フィールドはカンボジアの旅でこの目で見た。粗末な処刑室の付近にモニュメントのようにして頭蓋骨ばかりを入れた透明な塔が建っている。最近のカンボジア旅行ではこの場所は観光地になっていないかもしれない。いろんな国へ出かけた。しかし、これほど悲惨な状況を目にした国はない。

 今年の始め、某交流会からカンボジアへ行く話があった。だが参加人員が足りず催行しなかった。この会で新年早々、カンボジアではなく、ほかの国に出かける。海外旅行も国内旅行も一人でツアーに参加することが多い。今回は某交流会で行くので参加者も顔なじみの人ばかり。そろそろ旅支度を、と思うが何故か緊張感がない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月22日日曜日

「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」&日本画教室

 今、図書館に並んでいる「文藝春秋」に「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」の記事がある。塩野七生と医師の新見正則の対談でサブタイトルとして「健康のためなら死んでもいい!?」とある。

 記事を読むと新見は「健康」を「歩けて、美味しく食べられて、眠れて、お通じが出て、『今日も健康だ』と思えればそれで健康なんです」という。これを読んで「まともな医師だ」と思って次も読む。以下はその一部を抜粋。

塩野「私は、病院に行くのが大嫌いで、まず行かない」。

新見「必要でなければ行かなくていいんです。むしろ医者からは、微妙に遠ざかった  方がいい。『微妙に』というのは必要な時には行った方がいいからです」。

塩野「健康診断とか人間ドックは、やはり受けるべき?」。

新見「受けなくていいと思います。今、八〇歳、九〇歳の多くは、人間ドックなんて行っていない。病院は調子が悪い時に行けばいいだけの話なんです。調子がいい時は行かない方がいい。余計な検査や治療をされるからです」。

塩野「あんた達が不幸なのはあんた達の信仰が足りないから」と。

新見「それも今日の医療と全く同じじゃないですか?ですから、気軽に生きるのが一番健康なんです。仕事だったり、家庭だったり、何か自分の気持ちが充実するものを見つければいい」。

新見「”一点主義”に陥らないバランス感覚こそ健康の秘訣です」。

 読んでいて近藤誠の考えと似ていると感じた。今はほとんど医者とは無縁の生活。いつまでもこれが続くといい。健康に生きるには「何か自分の気持ちが充実するものを見つければいい」がある。昨日は日本画教室。習い物としては今年最後の教室になる。年末とあって個人的な用件で教室に来れない人が2人いた。

 釧路湿原を描いている。もう少しで絵が完成しそうだ。先生は出来上がりつつある絵の上に水を浸した太い筆でサーっと筆を運ばれる。ああ、なんということ、と思わず声が出そうになる。絵の完成まじかになるとよくそのようにされる。何か意味があるのだろう。

 次回の教室は3週間後になる。教室が終わるとカフェで一休み。教室の人から帰り際、「描く絵がさみしい画」といわれる。そして来年は明るい絵を描くようにと。これもまあ、寂しい人間が描くのだからそれもそうかも、と思ったり。人が絵を描く好みは人それぞれ。来年も同じように寂しい画を描く!?紅葉しつつあるもみじを描くつもりだけど……。そういえば、新年早々に開催される院展。先生はまたも入選されたそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月21日土曜日

『こうやって、考える』

 年の瀬も迫って、これから本格的な冬になる!?楽な生活をしていると体によくないと思いながらもぬるま湯から抜け出せないでいる。この状況を顧みると親が生きている間に、娘のためにと思ってやってくれたことのお陰だろう。そう思うと親より勝るものはない。また、何があっても見守ってくれているようでありがたい。この一言に尽きる。なぜそう思う!?先日来から読んでいる澤地久枝の本に感化されたのかもしれない。

 『こうやって、考える』(外山滋比古 PHP研究所、2017年第1班第2刷)を読んだ。この本は著者の作品を編集者が1冊にまとめて本にしている。これは先日読んだ澤地の場合と同じ手法。以下はまた、いつもの如く気になる箇所をまとめたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「雑は純一よりも豊か」
 学者だけでなく、一業に徹する人は傍から見ると、どこかおかしい。役者バカがあり、”先生といわれるほどのバカ”が多くなる。純粋すぎるのは考えもので、多少、不純なところに人間味がある。清濁併せ呑む人間が大きくなる。二股かけるのは不純ではない。ときどきわき道へそれるのは、人生を豊かにする。純はよく、雑はいただけない、われわれはそう思い込まされてきたが、逆に、雑は純一よりも、豊かなのである。『エスカレータ人間』(058p)

★「レム睡眠を活かす」
 翌朝になってから日記をつける方がよい。一晩寝ているうちに、頭の中の整理ができる。レム睡眠という眠りがあって、頭はその間に働いて、それまで頭に入ってきた、もろもろの知識、情報、刺戟などがここで分別される。保存すべきものと、そうでなく処分した方がよいものとに分け、大切でないものを忘れる。レム睡眠は一夜の中で何度もおこるから、整理はかなり入念に行われることになる。朝目覚めたとき頭がすっきりしている感じになっているのは自然である。『「マイナス」のプラス』(065p)

2019年12月20日金曜日

プールetc.

 年齢が増すにつれて毎日のお天気に左右される気がする。プールに行こうと自転車で外に出る。数秒乗って小雨に気づく。何メートルも家から離れていない。自転車を押して我が家に向かうが家の前で「泳ぎに行こう」と覚悟を決める。幸いプールに着くまでは雨もそれほど気にならなかった。プールに入ると人が少ない。

 普段は体を伸ばすこともない。ところがプールで泳ぐと体も伸びきって気持ちいい。また、体のすみずみまで血液が巡る気がする。泳ぎに来てよかった、と思える瞬間だ。この頃は顔見知りも少なくなり、プールを利用する人も淘汰されるのだろうか。

 家に戻るとまずは温かい飲み物が欠かせない。それにはおやつもついてくる。しばしゆっくりしてティータイム。次はパソコンで遊ぼうとすると姪からのメールが届いている。 「 毛布使ってる?……毛布が軽くて暖かくてすごくいいんよ。洗ってもすぐ乾く。使うならプレゼントするよ」。

 姪の折角のプレゼントを丁寧に断る。以前は冬になると毛布、ソフトあんかなど使用していた、ところが近年はそういった暖房器具を全く必要としなくなった。足元も体も寝ていて寒さを感じない。姪に毛布を使用しないとメールすると 「 じゃあ、また何かいいのがあった時ね」と返信がある。おば孝行の姪だ。自分に子供はいないが、まるで自分の子供のようにかわいい。

 この年末年始、巷では9連休とか。毎日が休みなので9連休といっても何の感慨もない。働く人にとっては貴重な連休。海外に出かける人も多いだろう。姪はどこへ?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月19日木曜日

YOU TUBE先生etc,



 先日テレビのお笑い番組を見ているとわからない回答を「Google先生に聞いてみましょう」と話した。このキーワードは面白い。Google先生だけでなく、Yahoo先生もある!?この頃は、個人的にはYOU TUBE先生についてフルートを習っている。手始めにこれまでの曲集から難しくてさらっていない曲を練習する。ノブロ作曲のメロディーである。

 Yahoo先生で検索していると某曲集全曲の動画アップがある。これこそがフルートを学ぶ我がYOU TUBE先生だ。東京の某楽団首席フルート奏者で勝手に弟子入りさせていただこう。YOU TUBE先生はフルート曲集をアップし、さらにブログもツイッターも発信している。この人のブログを見るのが楽しみとなった。

 ブログといえば一昨日、コメント欄のコメントに気づく。数か月前のブログに先月、コメントされている。遅れてコメントの返信をした。返信が遅れて申し訳ない。コメントの送信者をクリックするとブログをされていた。旅で出会った人や見ず知らずの人とgoogle、YAHOO  、YOU TUBE、ブログといったネットとつながる手段でいろいろな情報を得る。これらはすべて私のネット先生だ。

  話は変わって昨日午後はお墓参りをする。前日からの雨で午前中は参るのをためらう。晴れてくるとお花を買っていざ墓参りへ。年の瀬も迫っている。新年になると早々に外国旅行が待っている。まだ早いけど旅の無事のお願いをしないといけない。毎月のように欠かさず参っている。とはいってもこの頃はお天気によって月命日に出かけないことがある。昨日も参るか参らないかをためらっていると家にいても落ち着かない。「参りんさいや」、と親にせかされる気がする。墓地に着くと荒れ模様のお天気だったのか、どこのお墓もゴミが飛び散らかっている。お墓参りを終えると気分も落ち着く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月18日水曜日

キャッシュレス還元etc.

 気になるキャッシュレスについてネットで調べる。JRのICOCAや地元スーパー2店のカードをキャッシュレス決済している。ドラッグストアの売り出しがある。昨日から3日間、ポイント5倍とうたっている。レジの下の張り紙を見るとICOCA決済OKとある。お店は家の前だ。ビタミン剤などは金額的にも値が高い。家に戻ってICOCAを持参して決済する。

 だが、ICOCAをいくら使ってもキャッシュレスの還元がない。どういうこと?とネットで調べるとカードによって還元の仕方が異なることがわかった。スーパーは翌日、残高に5%還元される。ICOCAは何か月かのちにまとめて付与されるようだ。では、デパートは?とこれまた、いらぬことを考える。新聞広告を見てもデパートのキャッシュレス還元の文字がない。大型店はこの制度がないらしい。それでもクレジット決済ならばデパートであってもキャッシュレス還元となるのだろうか。

 クレジットカードはこれまで2度紛失や盗難を経験済み。そのこともあって、必要な時しか持ち歩いていない。デパートで買うときはスーパーよりも金額面では高いものを購入する。その際にクレジットカードを使う。

 それにしても制度自体がよくわからない。いくらキャッシュレス還元されるといってもカードをこれ以上増やしたくない。というか、いろんな面でスリムな生活を、と心がけている。それなのに欲が絡むとスリムとは程遠くなりそうだ。それでなくても歳をとっている。

 今日はICOCAをチャージしよう。とはいってもチャージは駅だけ!?

 ともあ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月17日火曜日

旅の思い出(ペルー)

 気が向くと2階に出したままのアルバムを下に持って降り、アルバムから写真を外す。先日は23年前に出かけたアンデス周遊11日間のアルバムを整理する。11日間の長い旅なのに写真が少ない。それもそのはず、ハードな旅だった。クスコのホテルに到着後、ロビーでマカ茶を飲んだ。その後から高山病独特の症状が出てベッドに横たわる。この日の行動は日程表によると午前は高山病対策で休憩し、午後、クスコ市内観光となっている。この間のことははっきり覚えていない。ただクスコの観光はしなかったというか、できなかった。

 アルバムから写真を外していると1枚だけ台紙に貼った写真がある。ツアーの人のクスコの集合写真だ。これを見ても自分自身は写っていない。当時の旅は見ず知らずの人との相部屋可能の時代。20歳くらい年の若い女性と相部屋になった。ダウンして寝ていると昼食か夕飯か覚えていないけど、ベッドまでお粥をもってきてくれた。高山病になると吐き気を催す。また寒気も出る。温かいお粥を感謝していただいた。

 高山病も高度になれるとダウンは何だったのか、と翌日は元気になる。ただ、ペルーの旅ではいつもよりかなりきつい高山病だった。添乗員は這ってでも観光を続けるように、と発破をかける。 

 バスと列車を乗り継いでインカ観光のハイライト、マチュピチュを目指す。”幻の空中都市”といわれるマチュピチュ。視界に入るすべてをカメラには納められない。日程表によると日帰りでマチュピチュ観光をしている。ペルーの旅のアルバムに一通の手紙を馳せていた。中には写真が2枚ある。このアルバムの整理をするまで手紙の事は忘れていた。手紙の内容から当時のことを思い出す。

 外国へ出かけると旅行先でいろんな人と仲良くなる。この手紙を見ると1996年8月26日付で送り主は大韓民国京幾道の朴さんとある。手紙を読むと大きな文字の美しい日本語とハングル文字で「Peru マチュピチュ山上食堂にて影した寫眞をお送り上げます……」(原文のまま)とある。手紙と写真をみてこの方に返事を出したのかどうかが気になりだす。ずっと思いを巡らすうちに思い出した。以前、大江健三郎の講演を福山まで聞きに行った。その時、聞いた講演を別の人からカセットテープでもらっている。それをこの方にダビングして送ったようだ。

 ハングルはこれまで2度習いに行った。だが、自分に合わないのか続かず仕舞い。またいろんな外国へ行っているにもかかわらず、近くの韓国へは出かけていない。手紙をくれた人は日本が韓国を統治していた時代に教育を受けた人だろう。親切にしていただいてその恩に報いたのだろうか。気になる。

 再度、クスコに戻る。翌日、チチカカ湖観光に向かう飛行機の時間までクスコで買い物をする。その時、お土産店でケーナを4本購入。クスコ在住の日本人がお土産として作るケーナ。日本の相場に合わせた価格らしく、お土産としては高価だった。

 飛行機と船に乗り継いでチチカカ湖畔のプーノに向かう。この湖に浮かぶウトロ島はトトロ(葦)島で葦でできている。歩くと葦がクッションの役目をするのかふわっとしている。8月のペルーは日本とは真反対の季節で冬になる。ウトロ島では急にお天気が荒れて雹が降る。持っていた全財産の服を着る。23年前はダウンを着ていない。ダウンがあれば寒さ対策も楽。当時はダウンを持っていなかったのだろう。

 葦でできた船に乗ってチチカカ湖見学。その後、飛行機でリマに戻ってバジェスタス島を観光船で見学。船から見るのはいろんな鳥やアシカ(アザラシ?)の群れで半端なくいる。船が進むと勢いあまって水しぶきを頭から浴びる。写真を見るとフードをかぶっていた。 

 午後はナスカ地上絵をセスナ機に乗って見学する。この時、頭をかすめたことがある。それはここでは死ねないと。セスナに乗るか乗らないか、自分の中で判断を迫られる。セスナ、のイメージがよくない。勇気を出して乗った。3人が1機のセスナに乗る。乗員を含めて4人。乗った人と写真を撮っていた。セスナから見下ろす地上絵。次第に気分が悪くなる。地上に降りた時はかなり気分が悪かった。だが、大事に至らず。

 この経験があるのでネパールの遊覧飛行もためらう。そういえばネパールも出かけていない。リマからロスで2泊して成田空港にぶじ帰国。機内で男性の若者3人組から参加者の名簿を作る話が出る。なんと、その後に私と相部屋の若い女性と3人組のうちの1人はめでたく結婚された。今もそのご夫妻とは年賀状のやり取りをしている。お2人の間には坊ちゃんが誕生。毎年届く年賀状を見ると坊ちゃんもたくましく成長されている。まるで我が孫を見るような気持ちだ。

 Peruは1996年8月9日から11日間の旅だった。ペルーから帰国途中でロスアンゼルスに2泊し、ロス市内やユニバーサルスタジオを観光した。ジェラシック・パーク全盛だ。これが唯一のアメリカ大陸への旅。暇つぶしにザーッとPeruの旅を振り返った。それにしても旅でいろんな人と知り合っている。楽しい旅をまだまだ続けよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう❕

2019年12月16日月曜日

あれこれと……

 地元の区民センターで開催されたクラシック・コンサート。いつもとは違って会場は聴衆が多い。プログラムを見ると前半は金管五重奏で後半はサキソフォーン四重奏の演奏だ。演奏曲目を見るとクラシック音楽の割には日本の流行歌が多い。いわゆる演歌の演奏もある。演歌は歌で聞きなれている。金管楽器の太い音では今一歩唱に負ける。とは言いながらも気軽に聞ける。観客が多いのもそのせいかもしれない。後半は聞かなかった。

 金管楽器の演奏を聞くと音に迫力がある。これは聞いていて頼もしい。来年の建国記念日の式典の案内状が早くも届く。2,3年前、上皇陛下の心臓手術をした天野氏の講演を聞いて以降、案内状が届くようになった。建国記念日を特に意識はしていない。ただ、講演を聞きたくて出かけた。来年の式典後には海上自衛隊音楽隊の演奏がある。以前、陸上自衛隊音楽隊の演奏を聞いた。プロの交響楽団の演奏もいい。だが、自衛隊音楽隊の演奏もきりっとしていて勇敢な気持ちになる。これがいい!

 司馬遼太郎の本を読みながら時に違う人のエッセイなどを読んでいる。エッセイを読みながら今度はその本に出てくる人が書いたものが読みたくなる。澤地久枝の本に出て来たリンドバーグ夫人の本『海からの贈り物』を借りて読む。かなり前に書かれた本だが、読むのは初めて。今日中には読めそうだ。

 本を読んでいると引用の箇所がある。時に、この方面に気が行く。今はネット時代なので気に入った個所はすぐに検索できる。また、古い本であっても図書館で借りられる。先日、偉人たちの健康診断に出て来た紫式部の『源氏物語』は電子辞書の日本の1000冊の中にも入っている。これは与謝野晶子の訳だ。ネットでも著作権切れは無料でアップされている。便利な世の中になった。音楽でも本でも知ろうと思えばいろんなやり方で可能になった。

 年齢が増して外に出るのが億劫になったとしてもネットに頼れば楽しみも増していく。年寄こそパソコンを、スマホを……と思ってしまう。とは言いながらまだスマホは持っていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月15日日曜日

「秘境中国 謎の民『山頂に響く 魂の歌』」を見る

 昨夜、NHK・BSの「秘境中国 謎の民『山頂に響く 魂の歌』」を見る。番組HPには以下のように書いてある。

★中国の秘境、南西部の大峡谷に暮らす少数民族・ミャオ族。険しい山を切り開いて稲を育て、シャーマンが不思議な歌で歴史を伝える。100m超の絶壁を命綱なしで上る人も。最近の研究で、彼らのルーツは2千年前に栄えた幻の古代王国・夜郎国であることが分かってきた。西方との交易で繁栄を極めたが、漢の武帝に滅ぼされ、この山岳地帯へと逃げ込んだのである。過酷な自然の中で、伝統を守り助け合って生きる人々の姿を記録する。

 幻の古代王国・夜郎国、これが大事なキーワードになる。読んでいる司馬作品に「夜郎自大」が出てくる。辞書で調べてこの意味を知るが、昨夜のテレビで詳細にわかる。漢代の歴史書『史記』によると「西南部に十数の蛮族の国があり夜郎は最大の国」の記載がある。漢の時代、西南シルクロードに位置する夜郎国。この民族は髪を頭上に結い、稲作をして城に住んでいた。夜郎国の持つ伝統や風習にはミャオ族などの少数民族と共通するものがある。このことからミャオ族と夜郎国には深いつながりがあると研究者は話す。

 亜魯王は民に稲を作らせた。亜魯とは夜郎のことであると、ミャオ族のシャーマンいう。何千年も前から民族に伝わる歌を受け継いでいるミャオ族のシャーマン。ミャオ族は夜郎国の末裔だという。ミャオ族は自然とともに暮らして自然の恵みを受けている。それには薬草、燕の巣、燕の糞などいろいろとある。高い崖に登って大量の糞を持ち帰り、それを米作りの肥料にした。

 亜魯王の領地が攻められ、国を占領された。その時、敵は高らかに亜魯王に叫んだ。「亜魯よ、命がないと思え」。戦いで使った夜郎国軍の青銅剣が残っている。漢帝国は鉄の鉄器を使って戦った。鉄器を使う漢帝国は強さで青銅器を使う民族を上回った。青銅文明は淘汰されて鉄器時代に塗り替えられる。兵を連れて移遷をはじめ、将を連れ、逃亡を始めた。夜郎国の民は戦乱が迫る中、山奥へと逃亡し死者の棺を洞窟に隠す。こうすることで遺体を守った。これは今も大穿洞となって残っている。

 安住の地として厳しい環境の中で生き残ってきたミャオ族。祭礼で使用する大太鼓。これは少数民族を代表する礼器という。シャーマンは話す。「王が伝えた困難に負けない精神が我々の心の支えになってきました」。この精神を子孫たちに受け渡すべき宝だ、ともいう。木にきのこが生えるように子孫の繁栄は約束されるそうだ。

 話は変わって昨日は日本画教室の日。描いている釧路湿原の木々。相変わらず点描写で描いていく。1週間後に自分の描いた途中の絵を見て自己満足する。今回の絵はいつになく何度も何度も色を加えて簡単には仕上がりそうにない。次回は遠くに見える木々の葉を点描写し、太い樹木も樹木らしくしていく。教室が終わると皆でカフェに行く。他愛ない話をして、つかの間のホッとしたひと時を過ごす。これもささやかな至福の時だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月14日土曜日

「学び究める」記事を読む

 朝、10時を待って帰りの「おとなび」を取る。残席残りわずか、と表示され10時を待ってすぐに検索開始。ドキドキしながら切符を確保する。行きは「こだま」で帰りは「のぞみ」。金額的には倍近い開きがある。個人での旅ならば勝手に何をとってもいい。だが、団体旅行なのでここは日程表に沿って切符を取った。

 今朝の一大イベントを終えてブログ開始。昨日の地元紙に「学び究める」と題して「シニア世代の大学院生」の記事がある。「学び究める」とまではいかないまでも10数年前に大学で学び直し、大学院の修士課程に進んで自分がやりたい研究テーマを追求した。年が明ければ大学を修了して早くも11年になる。東京の大学や修了した大学の記事が載る。大学院博士課程前期(修士課程)に入学した人は2002年から19年までは151人おり、うち115人が修了している。これは修了した大学の統計で、このうちの1人に含まれる。

 今、時間にゆとりある生活をしている。大学に通っていた当時、一番欲しかったのは時間だった。すべての時間は学びと介護に明け暮れた。もっと時間があればもっと勉強できる、とどれくらい思ったことだろう。その点、今は時間がたっぷりある。やろうと思えば何だってできる。これも健康であればこそ思えることだろう。とはいっても人生の残り時間はどれくらいあるかは知らない。

 こういう記事を読むと夢中で過ごした6年の日々が懐かしい。そして、自分さえやろうと思えば何でもやれる今の状況に感謝する。頑張ろう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月13日金曜日

偉人たちの健康診断「紫式部“源氏物語”を健康診断」&プール

 昨夜は令和元年最後の満月でコールドムーンというそうだ。このキーワード、初めて知る。満月はその月によって名がつけられているとか。午後6時過ぎ、家の外に出ると北西方向に綺麗な満月が顔を出している。しばらくして携帯で写真を写そうと外に出ると雲に隠れてお月さんが見えない。しばらく雲の流れる様子を見ていると月が出たり隠れたりする。その瞬間、カメラで写す。だが、きれいに写らない。かなり外にいたのだろうか。体が冷え切る。

 午後はプールで泳いだ。温水プールであっても泳ぐと体が冷える。その上、お月さんに見とれているとさらに体が冷えそうだ。

 夜はNHK・BSの「偉人たちの健康診断『紫式部“源氏物語”を健康診断』」を見る。番組HPによると「およそ千年前に書かれ、古典文学の最高傑作としていまなお読み継がれる源氏物語。実はこの物語には大切な人を次々と亡くした作者・紫式部の死生観が色濃く反映されるとともに、当時最先端の医学書を読める立場にあった作者の医学知識が随所にちりばめられていた!さらに宮中でその才能を周囲からねたまれ、引きこもり状態に追い込まれた紫式部はある方法で見事立ち直った。現代医学の観点から見ても効果の高いその方法とは!?」とある。

 『源氏物語』や『紫式部日記』から健康面がわかるとは驚き。こういう番組を見るとこれだけで立派な本になると思ってしまう。いろんな面から「健康」を取り上げている。中でも関心を抱いたのが「読書」と「日記」。この2つは自分の毎日の生活の中でかなりの比重を占める。番組によると「読書」の効果を以下のようにあげている。

★性別、健康状態、財産、学歴に関係なく、本を読むことが長寿につながった
★1週間に3.5時間以上を本を読むグループは読書しないグループよりも死亡率が23%も低い

 紫式部日記には清少納言への恨みや当時の様々な出来事を書き記している。それは紫式部の娘に対する教えにもなった。50歳くらいでなくなったといわれる紫式部だが、調べていくと70歳くらいまで生きている。感情のすべてを吐き出す「日記」の効果により、ストレスがなくなって長生きしたようだ。また「日記」の効果を「感情日記のポイント」として4点あげ、「人間らしい感情を喚起させる」ことができるという。

★最初はとにかくモヤモヤを吐き出す
★パソコンでもスマホでもOK
★慣れてきたら深層感情に目を向ける
★無理せず続ける(三日坊主でも効果あり)

 日記の効果はほかにも高血圧の人が習慣づけると血圧が下がるという。血圧のことなど何も知らずにWEB上の日記としてブログをアップしている。これは健康上にもいい面があると知ってさらに続けようとの気持ちが増す。

 時に腹立たしいことがあると差しさわりがない程度にそれをブログにアップしている。もやもやを吐き出しているのかもしれない。

 そうそう、昨夜番組を見ていてメモしたい箇所があった。だが、生憎手元にメモ用紙はあっても筆記用具がない。その時、とっさに思いついたのが携帯電話の写真機能。これでテロップを写す。これ、何をいまさらと思われそうだが、自分の中ではかなり大きな出来事。なぜこれまでこれに気づかなかったのだろう。ついつい、写真機能は画面だけを写して文字を写そうなどとは思っていなかった。これからはこのやり方で写してメモ代わりとしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月12日木曜日

『昭和とわたし』、

 『昭和とわたし』、サブタイトルとして「澤地久枝のこころ旅」(文藝春秋、2019年)を読んだ。澤地久枝のこれまでの著作を編集者が1冊の本にしている。この本を読む途中で中村哲氏の訃報を聞いた。著者はこの本で中村哲氏について書いている。中村哲氏の講演はだいぶ前に広島で聞いたことがある。ペシャワール会主催の講演でアフガンに井戸を掘る話。だが、その内容はあまり覚えていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は気になる箇所をメモしたもの。

★「歴史の裏糸として生きた人びとに思う」
 普通の人が実は大変に大きな歴史の裏糸のところでしっかりと生きているんです。その人たちは、自分から「私はこれだけのことをしました」などと言わないです。皆、黙ってます。その人たちがいなかったら、人間の歴史はないと、私は思います。
中村哲・(聞き手)澤地久枝『人は愛するに足り、信心は信ずるに足る――アフガンとの約束』(23p)

★「巨きな人、中村哲」
 どん底の人たちとの密接なふれあい、多くのボランティアや働き手と生活をともにして中村医師は無類の「人間好き」なったと思われる。「人は愛すべきものであり
、真心は信頼するに足る」という一つの結論を胸に、医師は今日もアフガンの空の下、水路の完成に全力をあげている。……中村医師は、若い人に希望を見出している。
 ……練馬の会での質疑のとき、「なぜいまの仕事に?」と青年に問われ、すこし考えてから、「やはり、運命、さだめのようなものを感じます」と医師は答えた 多くの人との縁が、かねてから約束されていたかのように、中村医師を人生の各章へいざない、支え、生きのびさせてきた。恵まれた人生と中村医師は言う。苦労をみせぬごく自然体の人に、、私は「巨きな人」を見た。中村哲・(聞き手)澤地久枝『人は愛するに足り、信心は信ずるに足る――アフガンとの約束』(159p)

★とりわけ悩み多かったあるとき、正宗白鳥氏が色紙に書かれた文章に救われる思いがした。
 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日はみずから思ひ煩はん
  一日の苦労は一日にて足れり
『ひたむきに生きる』(205p)

★「リンドバーグ夫人の知恵」
 リンドバーグ夫人の『海からの贈り物』には、おんなに課せられている役割や家事の、息苦しいような煩雑さの描写のあとに、おのれを見失わないためには、「生活を簡易にして、気を散らすことの幾つかを切り捨てること」と書かれている。また、「女の飢えが満たされるにはどうすればよいか」という問いに、「一人になること」と浜辺の貝に答えさせている。『手のなかの暦』(206p)

★「一人暮らしの赤信号」
 好奇心が薄れ、外出したり人に会うことがいやになってきたら、一人暮らしに赤信号がともったと警戒しようと思っている。友人たちとのにぎやかで刺戟的な交歓のあと、一人きりになっての深夜の静寂に、わたしの心も脳もリフレッシュされ再生してゆくのを感じる。寂しさに縁はない(あれ、ちょっとヤセガマン!と思いますか?)。生きている実感を溢れさせて一人で暮らす。これがわたしの人生。『心の海へ』(208-209)

2019年12月11日水曜日

『翔ぶが如く』(五)

 来年のカレンダー、お寺の行事予定表、地元の氏神様のお札などを受け取る季節になった。それでも年の瀬を思わせるまでには至らない。自分の中では年々風化していく年の瀬やお正月。日常と何ら変わりはない。とは言いながら、年賀状は……と思いを巡らす。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 『翔ぶが如く』(五)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年第14刷)を読んだ。以下は気になる箇所をメモしたもの。

★李鴻章は西洋流の造船、海軍、王業などを興すといういわゆる洋務運動の中心人物だったためにこのための人材も幾人は私的にかえていた。この点でも幕府であった。もっともかれの洋務運動は中国の近代化にほとんど役に立たず、買弁資本家を通じてかれの私腹を肥やしたにすぎなかった。
 かれ個人がつくった陸軍(淮軍)をもち、官命によるとはいえかれ一人の影響下で北洋艦隊を建設しようとしているという点でも、多分に幕府であろう。24p

★かれ(山県有朋)は大久保のような無私の性格を持たず、長州の先輩である木戸のような民衆を基礎に置いた政治哲学も持たなかったが、しかし大久保や木戸の死後、軍部と官僚の世界に着々と自分の勢力を扶植し、ついに明治国家そのものを作りあげげるという、異常な権力者として肥大するにいたる。
 かれがこのときの「陸軍無視」の経験をわすれなかったというのは、やがて明治憲法の中に天皇の統帥権という非立憲的な要素を噛みこませ、その統帥権の保持機関としての参謀本部の性格を明確にしたことでもわかる。作戦に必要とあればときに内閣も議会も無視してよいというこの魔術的大権は、山県の生存中こそ無害であったが、その死後、大正から昭和にかけて参謀本部が政治的謀略の府になるとともに、軍人が国家を手玉にとるような仕掛けのたねになった。39-40p

★「士族たちの統御はむずかしくない。国家が危難にいたれば、皇帝陛下の宸断を仰ぐのみ」
 大久保が考えている天皇制の原形はこのあたりの機微にあるであろう。この大久保的な天皇制の原形を、のちに制度化してゆくのが山県であることを思えば、この対話は劇的であるといっていい。62p

★元来、中国は皇帝専制の国で、その皇帝は宇宙でただひとりの最高の存在とされる。このため、伝統的な中国意識においては、対等の外国というのは一国も存在しない。すべて、外国は中国に隷属すべきものであり、中国皇帝の徳に化せられるこことをよろこぶべき存在である。
 蕃とか藩とかであるべきであった。英国もフランスもすべて蕃か藩であるべきで、それらの国々の皇帝、王、大統領の使としてやってくる公使は、むろん、中国皇帝の徳を慕ってやってくるはずのものであり、対等の礼は用いない。……それが、アロー戦争(第二次アヘン戦争)の結果、英仏露米の公使が北京に常駐することになり、それらに対し、対等の応接をせねばならなくなって、親王を首席とする総理衙門が設けられたのである。105-106p

★北京駐在の英国公使トーマス・フランシス・ウエードという人物の名は、中国語の学習者にはあるいは親しみのある名といえるかもしれない。ウエード式という、中国語の発音をローマ字で表記する方法を考案した人物である。136p

★日露戦争は、日本が朝鮮を自国の保護下に置こうとしたがために、ロシアの際限もない南下政策と衝突し、結局は英国の支援のもとに戦われた。英国の側からいえば、清国における自国の権益をロシアから守るために、日本の壮丁の血液を持ってロシアの南下運動をはねのけさせたということになる。
 これに対し、仏独は、ロシアを支援した。ロシアが極東における英国の権益権を攪乱することによって、仏独がそれに便乗できる可能性があったからでもある。162-163p

★東京に出ていた篠原国幹(冬一郎)に対する手紙に大久保外交の批判をくわしく述べたあげく、末尾に、
「和魂之奴原、何ぞ戦闘の事機を可ㇾ知いはれ無ㇾ之」と、書いている。この場合の和魂とは、和魂洋才の和魂ではなく、「平和好きの性根」というほどの意味である。和魂の奴原とは大久保その人を指す。西郷は元来感情の激発しやすい性格を持つとはいえ、奴原というのはいかにもすさまじい。
 この意味は、――平和好きな奴原に、戦争の事機などわかるはずがない。
ということで、この感情的な一言ほど、西郷隆盛の明治期ににおける政治思想をにおわせているものはないであろう。172p

★経過を詳細に書いているなかで、このたびの台湾に対する日本の軍事行動にともなう外交問題について、北京在住の各国公使が日本に共感し、清国に同情的でなかったということを書いているのは注目していい。……在来、清国は老大国の態度をもって各国公使に臨み、その感情を害するところがはなはだしかった。第一、条約を履行する誠意を欠き、しばしばそれを破って各国公使の憤慨を買っていた。清国は懲らしめるべきだというきぶという気分が、英国公使においてさえあった。199-200p

★かれら幕末の志士たちは、平等を求める思想を手持ちの思想からひきだした。その思想的根拠として国学的教養の者も宋学(朱子学・陽明学)的教養の者も、みな天皇にもとめた。天皇という、多分に非現実的な超幕藩的存在を絶対視することによって、当面の敵である幕府の存在を卑小化し、論理として非合法化し、やがては潰したのである。もし、幕末にルソーの思想が入っていたとすれば、その革命像はもっと明快なものになっていたにちがいない。中江兆民という存在が、十五年前に出ていれば、明治維新という革命に、おそらく世界に共通する普遍性が付与されたに相違ないが、ともかくも兆民によって、幕末の志士たちがあれほどあこがれたフランス革命とアメリカ独立革命の理論的根拠が、パリで発見されたのである。346-347p

★「人間は、原始時代には自由で平等だった」
という、ルソーの巨大な前提を、兆民はくりかえし話した。ルソーはその「人間不平等起源論」ではこの状態を自然状態という。人間はそこから社会状態へ入って、自由をうしない、平等をうしなった。土地の私有によっていよいよ不平等性が増大し、人間は社会的害悪のなかに呻吟するようになった。
 その人間固有の権利を回復する方法が『民約論』の本旨である、とルソーは説き、兆民も説くのである。347-348p

2019年12月10日火曜日

ピアソラ ♪タンゴの歴史♪


 今朝のNHK・FMは ピアソラ作曲の♪タンゴの歴史♪が流れる。フルートはエマニュエル・パユの演奏でいつの間にかこの曲に惹かれている。聞くものを魅了する曲だ、と思って聞いているとピアソラの曲だった。聞いた後でradiko.JPで検索して曲名を知る。動画を見ると「タンゴの歴史」の第3楽章「ナイトクラブ」のアップがあった。

 来月、久しぶりに「おとなび」を利用する。ブログの投稿を終えるとおとなびの画面からチケットを購入しようと試みる。だが、購入日が表示できない。おかしい、と思ったら購入開始時刻は10時からだった。お気に入りにしていたおとなびの画面も、しばらく利用していないためかエラーになる。再度、画面を検索して購入開始へと進む。いざ買おうとすると、もしも旅行が催行されなければ、と嫌な予感が頭をかすめる。駄目ならば、このチケットで遊びに行こうと思ったり。と思いながらも新幹線が6割引きで利用できる。もしもチケットがダメになっても乗車券の払い戻しは可能だ、などとまたもやいらぬことが頭をかすめる。どういっても6割引きのチケット代。ネットで予約できた。その旨、一緒に出掛ける人にショートメールで知らせる。

 連日、お天気がいい日が続く。自転車で買い物に出かけたついでに自宅最寄りJR駅に向かい、予約した切符をクレジットで購入する。帰宅すると、ともに出かける人も隣の席で購入したとのメールが届く。次のネット予約は1か月前の帰国日だ。

 この「おとなび」、利用する人は少ない。これほど安く手に入るチケット、ほかにある?なぜ利用しないのだろう。正規のチケットが6割も安くなるというのに……。

 ブログ投降後に気づく。来月の広響定演のアンケートにピアソラの曲をリクエストしよう。それにしてもなぜピアソラに惹かれるのだろう。激しさの中に優しさと哀しさを併せ持っているから!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月9日月曜日

ホームコンサートへ

 2年ぶりに知り合いのホームコンサートへ出かける。ご自宅をコンサート会場に開放して年に数回コンサートを開かれている。昨年の夏に襲った西日本豪雨災害。出かけた家も災害にあい、家を建て替えられていた。家は災害もそうだが、それより前から道路の拡張工事で建て替えを迫られていたようだ。以前と少しだけ奥まって新たな家が建つ。新築の家の木の匂いは気持ちいい。久しぶりに行くので早めに家を出る。

 この日はフルートを吹くので譜面台とフルートを持参する。グランドピアノ2台、ハープが大中小と何種類もある。ハープの呼び方は大中小ではない、と思うが……。玄関も廊下も一般家庭よりは広い。30人分の椅子が並べてあり、スリッパも何もかも大人数が楽しめるようにされている。演奏後はサンドイッチなどでティーパーティー。アルコール零のワインもあるとか。これには参加しなかった。

 ピアノ、フルート、オカリナ奏者がゲストで、主催者はハープとピアノを演奏される。人前で久しぶりにフルートを吹いた。フルート奏者とその生徒さんと3人でフルートを吹く。曲はグリーン・スリーブス。アレンジされた曲は何度か変調がある。3,4か所、3オクターブの高い♯ファがあり、この音が一番気になる。いきなりの本番で曲の速度も何の打ち合わせもないとのこと。ただ吹く前にフルート奏者に速度と音出し、そして吹き始めのやり方を確認する。失敗なく吹けた。

 コンサートも終わりが近づくと参加者も加わって演奏する。その時、オカリナを吹くようにとすすめられる。オカリナの指使いはフルートと似ているとか。そうはいってもオカリナを持ったことも触ったこともない。これは勘弁してもらう。楽しい午後のひと時は終わった。次回の予定は聞いていないが、フルートを吹くようにといって誘ってくださる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月8日日曜日

湿原に生えるクマザサを描く

 2週間ぶりに日本画教室へ出かける。前回、先生に描く手順を教えてもらってメモした。2週間の休みの間、まったく絵筆を持っていない。教室に入って描いていた絵はわかっても作業の仕方を忘れている。色番もメモしていた。メモを参考にして2色の色を混ぜて膠で溶く。7月にでかけた釧路湿原。うっそうとした湿原にクマザサが生えている。溶かした水干絵具で地面一面に茂っているクマザサを描く。描いても描いても絵皿に残る絵具。先生はさらに淡い色を加えてクマザサを描くようにとアドバイスされる。

 絵を習い始めて驚いたことがある。先生は決して絵皿に溶いた絵具を残されずに何かに応用して描かれる。これは職人が道具などを大事にすることと似ているかもしれない。溶いた絵具が残れば洗い流せばいい、というこちらの発想とは大いに異なる。

 次回は今回使用した絵具よりも白っぽい絵具でクマザサを描く。クマザサの描き方も要領を得てきた。描きながらいかにも森に入っているような絵になる。自分の絵だけを見ているといい具合に描けていると自己満足に浸る。これくらいの気持ちがないと絵は描けない。どういっても絵は好きではなかった。それが年老いて描き出すだけでも自分の中では由となる。

 家で全く描かないと先生に話す。決してこれは自慢できることではない。それを慰めるかのように昨日も先生から言われる。それは「家で描かなくても真面目に教室で描けば月に9時間描くことになる」と。9時間を1年にすれば100時間を超える。何やかやと言いながらも習う前とは絵に対しての見方が変わってきた。それだけでも続けてよかった!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月7日土曜日

『また明日会いましょう』

 暇になると司馬遼太郎の本を読んでいる。今、読んでいるのは『翔ぶが如く』全10巻の8巻目。この1年間、司馬作品を読むことに明け暮れ、時に違う人の本が読みたくなる。図書館に予約する本もすぐに手元に届くとは限らない。予約確保までは書架から面白そうな本を借りて読む。『また明日会いましょう』(山本周五郎 河出書房新社、2018年)はそんなときに借りて読んだ。山本周五郎という名は知っていてもこの人の本を読むのは初めてだ。以下は気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★要は、そう話をつみ重ねるのは歴史であり、そのなかに人間性を捜すのが小説である。文学は決して歴史を証明するものではなくて、歴史その他あらゆるもののなかから吸収するものだ、と思うのである。――ではないでしょうか。(53p)

★読書、なかんずく小説を読むよろこびは、もう一つの人生を経験することができる、という点にある。こちらに積極的な「読み取ろう」とする気持ちがありさえすれば、たいていの小説はそれを与えてくれるものだ。というより、ある場合には現実の生活では得られない情緒や感動を、現実よりもなまなましく、――ときには肉体的にまで、――経験することことができる。(90-91p)

2019年12月6日金曜日

プールへGO~

 寒くなり、朝起きるのが遅くなる。今朝は前夜にエアコンのタイマーを予約して寝る。おかげで目覚めた部屋は暖かい。寒くなると動きが鈍くなる。これは体に良くない。午前中は用がなくても自転車に乗ってスーパーに出かける。そのついでに図書館に寄る。昨日は気になっていた『天皇の日本史』と『武士の誕生』を借りた。『天皇の……』の方は歴代の天皇の変遷から日本の歴史を紐解いている。どうして天皇は誕生したのかもよく知らずにいた。それもそのはず、本を読んでも確実な説は今もってわからず、神話がもとになっている。

 ただ、何となく知っていた歴史の語彙がこの本を読んでちょっとだけわかりだす。歴代の天皇のマニュアル本といったような本だ。内容は異なるがこういった本よりも司馬作品を読む方がもっと詳しくわかる。手には電子辞書が欠かせないが……。この頃は司馬作品を読みながら、あまりにもわからない語彙が出てくるのでノートにメモしている。

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。外気が冷たいとプールに入れば温泉気分になる。ところがそれも急激な温度変化ですぐに泳ぐとよくないかもしれない。プールに入るといきなりクロールで泳ぐ。25m泳ぐと体の向きを真反対にして背泳ぎで泳ぎだす。これを繰り返していると目が回るのでは……、と思いだす。急激な温度変化がよくないと気づき、背泳ぎはやめてクロールで泳ぐ。しばらくすると落ち着いてくる。

 今年の秋からこれまで、泳いだ後、以前のようにひどく鼻水が出なくなった。鼻水が出る、のはその時が風邪気味なのだろうか、などと思いを巡らす。とりあえず、泳いだ後は鼻水も出ず爽快な気分になる。ただ、これからの寒い季節、プールで泳ぐのは気持ちがいいが自転車に乗るのは寒い。この折り合いをつけて泳ぐしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月5日木曜日

この1年間に読んだ司馬作品

  1年前のこの頃、大連に出かけた。そこで知り合った人たちから司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むようにすすめられる。帰国するとすぐにこの本を読んだ。単行本は全6巻(文庫本だと全8巻)からなっており、1作品を読み終えるのに3か月か、それ以上かかった。小説の舞台は今は大連の主要な観光地となり、日露戦争当時は戦いの舞台であった。本に添付された地図と自分が出かけた大連を思いだしながら本を読む。

 『坂の上の雲』を読み終えると、さらに司馬作品に惹かれていく。読み終えた司馬作品をブログ下方にメモした。今、それを見るとこの1年間に7作品を読み終えて今8作品目を読んでいる。小説嫌いだったモノが、よくもこれだけ読んだ、と我ながら感心する。この歳になって「司馬作品にハマった」、と人に話すといろんな意見を言われる。ある人は司馬遼太郎は決めつけるところがあるといい、またある人は中年男性が読む作品とも話された。人の考えはいろいろとある。だが、自分自身は感動しまくって読んでいる。誰がどう言ってもそれは無視するしかない。

 長く生きてこれほど感動した作品もない。大連の旅行中、何人かが『坂の上の雲』を読むようにと教えてくれた。そのうちの1人とこの夏、我が家の前でばったり出くわす。その時、本をすすめてくれたお礼を述べるとともに「司馬作品の全作品を読むので150歳まで生きないと読み終えられない」と話すと、その人は「そこまで生きなくても読み終えられる」と冗談を言い合う。

 最近、というか司馬作品を読むにつれて「武士」や「士」は誰がなった、あるいはいつ武士は誕生したかが気になりだす。ネットで書籍を検索すると『武士の誕生』がある。これをまずは読もう。また、司馬作品は江戸から維新の時代の作品が多いのでそこには天皇も関係する。近代に目覚めてもそれより以前がわかっていない。『天皇の日本史』を図書館の書架で見つけた。この本は「知識ゼロからの」とサブタイトルがついている。自分にぴったりの本に思えてさっそく借りて読む。

 歴史嫌いが、また小説嫌いが本を読んで歴史好きになっている。この歳になって……と我ながら驚く。まあ、何でも知らないよりは知る方が楽しい。今日から『翔ぶが如く』の8巻目に入る。この作品は全10巻ある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は読み終えた司馬作品一覧。

『坂の上の雲』全6巻 文藝春秋 単行本 2018年12月中旬~2019年2月

『竜馬がゆく』全8巻 文藝春秋 文庫本 2019年3月~5月

『花神』全3巻 新潮社 文庫本 2019年6月~7月

『世に棲む日日』全4巻 文藝春秋 文庫本 2019年7月~8月

『酔って候』 文藝春秋 文庫本 2019年8月

『西域をゆく』 文藝春秋 文庫本 2019年8月

『ひとびとの足音』(文藝春秋 単行本 2019年9月

『翔ぶが如く』全10巻 文藝春秋 文庫本 2019年8月~

2019年12月4日水曜日

「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」の日帰りツアーに参加する

 11月30日(土)、「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。サブタイトルとして「~6つの国宝と美しき紅葉をめぐる~」とある。出かける1週間前に湖東三山と香嵐渓に出かけて紅葉を見たばかりだ。それでも毛利家やふくの昼食に惹かれて参加する。参加人員は22人と少なくバスもバス中型だった。
 
 広島駅北口を8時に出発したバスは広島インターから下関インターまで高速道を走り11時頃、国宝・長門國一宮にある住吉神社に到着する。この神社の名はこの旅で初めて知った。国宝に指定されている本殿をはじめ毛利元就が寄進した拝殿など多くの重要文化財を有している。この日は七五三のお宮参りをする着飾った子供たちとその家族でにぎわっていた。
国宝・長門國一宮にある住吉神社

 拝殿の中央にある賽銭箱の真上あたりに大きな鈴が吊ってある。この鈴に添えて麻縄が垂らしてある。鈴を鳴らそうと縄を振り動かすが全く音がしない。2,3度試みるも全くダメだ。これを見ていた人が動かし方を手を取って教えてくれる。その時は音が鳴っても自分ですると音が出ない。仕方なく音を鳴らすのをあきらめる。この鈴についてネットで調べると「鈴の清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています」とある。ということは音がしないと価値がない!?神社に参るときはこの気持ちをわかって参拝しよう。

 青銅製の狛犬が鎮座している。案内板によると「狛犬は神域守護の神獣なることから威厳・畏怖の面容常なるが、当社の対は極めて愛敬・慈愛に満ち、さらには青銅器で、全国でも稀なる狛犬であった」そうだ。ところが大東亜戦争で軍需物資として徴用されて以降、コンクリート製で複製される。平成27年に参拝者の浄財で今のような青銅製の狛犬の復元・復活を果たす。
青銅製狛犬

住吉神社境内の紅葉

住吉神社境内の紅葉

住吉神社境内の紅葉

 バスは功山寺に向かう。ここはアジサイの時季に行っている。その時は緑一色の功山寺も今は紅葉真っ盛り。功山寺の真向かいには下関市立歴史資料館がある。ここは今回も行かずじまいだ。竜馬の史料を多く保有しているそうでいつか出かけよう。うっそうと紅葉した樹木が茂る参道の階段を上がると功山寺がある。日程表によると「総門から国宝仏殿に続く参道の紅葉が美しい」との記載がある。まさにその通りで春に来ているはずなのに、季節が変わると趣も変わってまるで初めてのように思えた。前回はガイドの説明があったが今回はない。その分、自由に歩いて見て回る。高杉晋作の馬に乗った像も相変わらず鎮座する。
総門から国宝仏殿に続く紅葉

功山寺の紅葉

功山寺の名水

功山寺総門までの参道

功山寺総門

 功山寺を後にしてバスは割烹旅館寿美礼に向かう。ここでふくミニランチの昼食をいただく。1人参加者も数人かそれ以上いたようだ。そのうち3人は1週間前に別々の旅行社で湖東三山へ出かけている。どの旅行社も食事がまずかったらしく、今回の食事の良さが話題になる。
ふくミニランチ

ふくのから揚げ

 ふくミニランチの食事は写真に写っていない白御飯、吸い物、デザートなどもある。どれも上品な味で、お店の人も親切だった。ゆっくりとおいしいものをいただいたあとは、下関インターから高速道を通って防府のインターまでバスは走り、国の名勝にも指定されている毛利氏の日本庭園の紅葉を眺める。同じ場所には重要文化財の旧毛利家本邸や毛利博物館がある。この博物館は毛利家に伝来する美術工芸品や歴史資料など4つの国宝を含む2万展を所蔵するそうだ。この日は特別展の国宝展が開催されて鑑賞する。


国宝展の掛け軸

 国宝の掛け軸を見ると「一日一力一心」と読むと思った。ところが説明を見ると「百万一心」だった。「百万一心」とはウイキペディアによると次のように書いてある。

★「百」の字の一画を省いて「一日」・「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味している。

 昭和31年には昭和天皇も来られたらしく「水きよき いささ小川のいさ 流れゆく たたらの庭の 春のしづけさ」の歌があった。もらったパンフによると毛利氏庭園は25000坪の広大な庭園だ。毛利博物館入り口は旧毛利家の本邸だそうで1200坪という広さの豪邸だ。この豪邸が庭園内に建っている。
博物館から庭園を眺める
山の方は防府市内

毛利氏庭園の紅葉

 博物館に入る前に庭園を散策する。庭園と博物館を見学する時間は1時間半。どういっても広すぎる庭園をゆっくりとは散策できない。博物館も建物が長く広く廊下を歩くだけでもかなりの時間を要する。1度でなく何度でも来たくなる。

 国宝展を見た後は六日市インターから高速道を走って19時に広島に着く。この日の携帯万歩計は10782歩、とよく歩いた。毛利氏庭園は春の桜も美しいことだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月3日火曜日

第395回広響定演後に

 先月から年始の欠礼はがきが届くようになった。先日の会合である人は12枚も届いたと話される。我が家は今のところ3枚。そのうち2枚は従姉妹などの身内。そろそろ自分たちの年代がこの世からいなくなる!?今朝の新聞には顔見知りの人の訃報もある。まだ75歳とそれほどの高齢でもない。

 先月29日(金)、今年最後の広響定演を聞きに行く。その翌日はバス旅に出かける。朝早い集合なので前半の演奏を聞いて会場を後にする。その罰がすぐに当たった。最寄りバス停でバスを待つが10分経っても15分経ってもバスの姿が見えない。おかしい、とすぐに気づけばいいのに20分経過してやっと行動を起こす。若い女性も待っている。その人に「ドリミネーションの関係でバスはここを通らないかもしれない」と話す。暗くて何が書いてあるかわからず、その人が代わってバス停の案内を見てくれた。バスは迂回して通っている。

 お礼を言ってその場を離れて平和公園の停留所を目指す。若い女性とそこでまた出くわす。「さっきの人?」と声をかけるとそうだという。またも時刻表を見てくれる。ここもバスは通らないらしい。2人で八丁堀まで歩く。その人と話していると1週間前に市内で一人暮らしを始めたという。それまでは東広島市から市内に通勤していたそうだ。平和公園からその女性とドリミネーション会場まで歩きながら話をすると、前日親知らずを抜いてその日は歯科へ消毒にきていた。ドリミネーションも初めてのことで思いのほかよかったと喜んで話す。話を続けているとまだ大学を出て何年も経ってないらしく、自分が落ちた大学の出身だった。

 若いころ、希望する大学の受験に失敗して、年取って大学に入りなおした話をしているとその人からアジア塾でゼミ担当だった先生の名が出てくる。自分の人生のなかでかなり希望に燃えていたアジア塾塾生の時代。ここでいろんな人と知り合った。その時代があったからこそ今の自分がある。そう思えるほどいろんな人たちと知り合い、ともに学んだ。今も若い人たちと違和感なく話せるのもその時の経験があるからかもしれない。

 広響の演奏会場の加古町から百メートル道路を経由してイルミネーションを見て、本通りのパルコ前で若い女性と別れる。短時間の歩きながらの話で自分の若いころの苦い経験をしばし振り返る。これもなぜか楽しいひとときだ。

 第395回広響定期演奏会のプログラムは下記の通り。だが演奏は前半しか聞かなかった。

 ♪ハイドン 交響曲第102番変ロ長調
 ♪ベルリオーズ 幻想交響曲

 指揮者にシルヴァン・カンブルランを迎えての演奏会。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月2日月曜日

某文化交流会忘年会

 某文化交流会の忘年会に出かける。その前に「風雅なwho?がな山水画展」~旧派の逆襲~を見に頼山陽史跡資料館に立ち寄る。入館時刻も迫っている割には館内がにぎやかだ。なぜ?と思ったら茶会が終わったばかりだった。今年になって2度ほどここを訪ねる。明治時代になって日本の伝統的な技法による絵画は「日本画」と言われるようになる。しかし、それまでの画題や画技に立脚した作品を描き続ける画家たちは「旧派」と目された。

 今は日本画を習っているが、若いころ1年だけ水墨画を習ったことがある。山水画とまではいかないがそれに近いとこまで学んだ。その時のカルチャーセンターで学んだ人が今、本展覧会の監修者や解説者となっている。

 山水画を見終えると、歩いて紙屋町まで行く。忘年会と新年早々に出かける海外旅行の説明会を兼ねた会合が始まる。出席者の大半は年明けの旅に参加される。ただ、毎年、旅に参加された夫婦1組は先日、身内に不幸があり参加されないそうだ。これは残念だが、この御夫妻と親しい人が参加を説得されるらしい。この会から海外に出かけるようになって6年くらい経つ。毎回楽しい旅なので、また、一緒に行けるのはうれしい。ただ、今回、体調不良で旅に参加されない人もいる。会長は次回は元気を取り戻して、中国四川省に行きたい、と話される。これは皆も賛成で会長の体調回復を願って拍手する。

 中国といえば会の人から来年の中国辺境地域の旅に誘われる。その人はオリエントに興味があり、それに関連する岡山の某会に入っているという。そこから旅をするらしくその参加の誘いだった。自分も老いていき、辺境の地へのあこがれが次第に遠のいていく。参加の有無は告げなかった。

 年明けに出かける国は20年くらい前に行っている。出かけるのは2度目となる国だが、20年も経てば初めて行く国と同じかもしれない。

 宴はバイキングなので途中、席を立つと違うテーブルの人から「無花果の巨木は何処の国」かを聞かれる。「ええっ、もしかして日本画作品展を見に来てくださった?」と瞬間、頭をかすめる。会が始まる前、絵を見に来てくれた人に絵の絵ハガキを渡した。それを見た人からどこの国の無花果なのかを問われる。

 席が近い人は耳が聞こえにくいらしく、それが話題に上がる。自身の耳の聞こえる程度を右は0.00、左は0.6と話される。そう聞いて、こういう言い方で耳の聞こえる程度を表現するんだ、と真面目に聞いた。眼科は毎月出かけても他の診療科はあまり用がない。最近はこんな言い方をするとびっくりして聞いていると、それは視力の言い方をまねた表現だった。この会話を聞いていた人は笑いに包まれる。

 会が終わり、数人でカフェに行くと会長ほか2名が先客だった。皆、アルコールも入っており、まるで旅に出かけている感覚になる。司馬作品にハマっていると告げると会長から中年男性が読む作品といって笑いものになる。司馬作品は老婆でなく中年男性が読むものか、そうかと改めて気づく。ただ、ずっと社会に出て働らいて半分おじさん化しているものとしては、中年男性がハマる、と聞いて妙に納得する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月1日日曜日

「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」日帰りバスツアー

 今年の紅葉の見納めは昨日、出かけた長府の旅になりそうだ。「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。サブタイトルとして「6つの国宝と美しき紅葉をめぐる」とある。紅葉といえば先週、湖東三山と香嵐渓の紅葉を見たばかり。昨日の紅葉は1週間前の規模と比較すると小ぶりだが紅葉の美しさは引けを取らない。

 春に別の旅行社で似たようなコースで出かけた。緑一色のアジサイの季節と赤や黄色に染まった紅葉の時季とでは美しさも異なる。先週の旅では食に関して今一歩だった。ところが今回は「ふくの昼食」とあるようにふくのミニランチだ。それも割烹旅館寿美礼で美味しくいただく。1人参加者同士が席に着くと、3人はそれぞれ異なる旅行社で先週、湖東三山に出かけている。話はその際の各旅行社の食事事情が話題となる。今回の旅行社であるJ〇Bは食に関して評判がいい。

 旅の参加人員は22名。先週の旅は41名だった。半数の人員だと何もかもスムーズにことが運ぶ。旅の良さに少人数も関係する、と何かで読んだことがある。まさにその通りで快適な旅だった。この旅の模様は後日のブログにアップしよう。

 話は変わって「偉人たちの健康診断」で見た正岡子規。今朝の地元紙にテレビとは関係ない書籍の紹介がある。それは『ライオンのおやつ』(小川糸)で神野紗希は以下のように書いている。

★脊椎カリエスにむしばまれた俳人正岡子規が死の直前まで書き続けた日記「仰臥漫録」には、日々の献立が克明に記されている。……食べることは病臥の彼に、大いなる楽しみと生きる力をもたらした。

 だから子規は1日にミカン15個やリンゴ6個などたくさん食べたのだろう。食べることとは楽しみと生きる力をもたらす……、から旅に出て食に関心を抱くのも当然だろう。食べられなくなると人は生きていられない。母の介護の経験でよくわかった。

 ともあれ今日元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月29日金曜日

「偉人たちの健康診断」正岡子規

 昨夜のNHK・BS「偉人たちの健康診断」は正岡子規を取り上げる。以前にも見たことがあり、昨夜は再放送だった。子規とはホトトギスの漢字表記の一つであり、自らをそう名乗った経緯が自虐的すぎる。若くして結核になり、喀血したことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスと自分を重ね合わせて「子規」を自分の俳号とした。

 番組によると子規は病気にも関わらず「健康」だった可能性が浮上している。この「健康」の定義が世界的に見直されつつあるとか。子規は病に伏して動けなくなると金魚を飼ったりして自分の楽しみを常に見つけていた。人が訪ねてくると面白いことや楽しい話題を口にした。体に良いものを、と果物類は豊富に摂ったという。ミカンであれば1日に15個、リンゴは6個も食べている。またウナギなど好んで食べたそうだ。体が動かなくなると花などを写生する。子規が描いた絵が残っており、まさに写生の絵だ。うまく描いている。

 健康とは病気でないことを言う、とこれまで思っていた。ところが子規の生き方で健康とは人生を楽しんで生きる、楽しみを見つけて生きることと思いが変わってきた。今、病に伏している人であっても、介護される人であっても自分で楽しく生きる人はすべて健康な人らしい。子規亡き後も東京の子規の住まいには訪れる人が絶えない。子規の面倒を見ていた母と姉は子規亡き後、松山に帰らず東京の家を訪れる人たちのために最後まで東京に住み続けた。

 司馬作品を最初に読んだのは『坂の上の雲』。この本は子規と秋山兄弟を中心にした小説で、その後に読んだ子規に関する本は『ひとびとの足音』。子規の周りにいたひとびとのその後を描いている。正岡家を継いだ人たちだ。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!そう、子規を見習って「楽しく」過ごしましょう!

2019年11月28日木曜日

久々のファド

 この秋初めて知ったキーワードはブラックフライデー。何時・誰がこれを名付けた?また、以前に聞いたプレミアムフライデーは何処へ行った?次々と新たなキーワードが出ても自分とは全く関係なさそうだ。

 先日の紅葉の旅でバスで隣り合わせになった人と話をする。パスポートを10年近く前に取得したが一度も海外旅行はしたことがないそうだ。もし行くとしたらポルトガルへ行きたいという。その人によると京都の北野天満宮前にポルトガル料理のお店があるとか。ポルトガル、と聞いてファドを思い出す。20数年前に出かけたポルトガル。そこで聞いたファド。哀愁を帯びた歌声は聞く者を魅了する。ファドといえば日本での第一人者は月田秀子。ポルトガルに出かけた後、広島市内の可部にある小さなライブハウスで開催された月田秀子のファドを2度ほど聞いている。

 一昨日、この人は今?と思ってネットで検索するとなんと2年前に亡くなっている。まだそれほどの年齢でもない。ツアーの人に教えてもらった京都のポルトガル料理のお店にいつか「おとなび」を利用して行こうと思った。そこでもしかしたらファドが聞けるかもしれないとも思った。残念!久々に動画でファドを聞こう!

 それにしても、と思う。それは旅で出会った人との話などにすぐに影響を受けている。知らないヒト・モノ・コトへの興味というか関心がそうさせるのだろうか。まだまだ好奇心は衰えていない!?これが旅の楽しさかもしれない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2019年11月27日水曜日

沢山ミカンをいただく

 今年の「青果物ガイド 果実」の2019年度11月をネットで検索すると広島県のレモンの収穫量は「減」、温州ミカンの愛媛県産の収穫量は「増」、となっている。

 先日、沢山ミカンを戴いた。昨日、またも同じ人からミカンを戴く。戴いたミカンはわざわざ尾道から段ボール箱で送ってくださった。箱を開けるとぎっしりミカンが詰まっている。10数個ずつナイロン袋に入れて小分けする。今日から我が家の主食はミカン、となりそうだ。それくらい多くのミカンを戴く。感謝、感謝!

 今年のミカンの収穫量は愛媛県では増加している。尾道も県は違ってもミカンの収穫量は多いそうだ。ミカンは1本の木に200個くらい実をつけるとか。我が家のレモンは昨日見ると1個枝に残っている。今年のレモンはこれまでの最高で91個実った。習っている教室の人たちや知り合いにレモンを5~10個ずつ配る。残りは我が家用。これを搾って保存しようとするが手が痛くなりそうで今年はやめにする。

 いわゆるご飯以外に毎日、食するものとしてトマトジュース、リンゴ、珈琲、牛乳などや最近はゆで卵がある。ツアーに参加すると国内であれ、海外であれ、バイキングではトマトジュースや珈琲はあってもその他はないことがある。果物として最近はリンゴの代わりにミカンを持参する。それでも牛乳やゆで卵はない。先日の紅葉の旅ではホテルの部屋には珈琲さえもない。桜を見に出かけたホテルと同じなので珈琲スティックを持参した。ところがお湯はあっても珈琲スティックを入れるカップがない。小さな湯飲みに入れて飲む珈琲、なぜかわびしくなる。これから泊りの旅は紙コップとドリップ珈琲を持参しよう。

 海外のホテルの部屋には珈琲、お茶、さらには珈琲カップなどが備わっている。日本のホテルでそれが備わっていない、ということはいい宿ではない!?せっかくの旅、これからは肝に銘じて旅行社を選ばないといけない。どういってもこれから先、あと何年も何十年も旅を続けられるとは限らない。

 そういえば来年はパスポートを更新して10年目に入る。海外に行くには国によってパスポートの残が何か月かを求められる。あと何年、海外に出かけられるかわからない。しかし、希望を持って来年もまた10年用のパスポートを更新しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月26日火曜日

紅葉の湖東三山めぐりと香嵐渓の旅

 2019年11月22日(金)から23日(土)までの2日間、紅葉の湖東三山めぐりと香嵐渓の旅に出かける。どちらも初めて出かける場所で今まさに紅葉シーズン真っ盛りだった。お天気にも恵まれて快適な旅となる。
 
第1日目 2019年11月22日(金)
 
 今回、旅に行く前にかかる添乗員の電話が初めてSMSの連絡になる。というのも電話は家や携帯にかかっても、その時は外出中で電話に気づかなかった。国内旅なので別に取り立てて用もなく、SMSで十分間に合う。

 広島駅に集合後、新大阪までこだまに乗車する。こだまはキティ列車で添乗員はしきりに1号車に行くようにとすすめる。江田島市のキャンペーンもあり、また車内はキティちゃん一色だ。キティちゃんが何か知っていてもこういったキャラクターに全く興味がない。途中、いくつかの駅でのぞみの通過待ちがある。そのため新幹線の乗車時間はなんと3時間と長い。新大阪駅で専用の観光バスに乗車して観光が始まる。旅の行先は湖東三山というだけあって琵琶湖の東側に位置するのだろう。これくらいの知識しか持たずに参加する。バス車内で予約していたお弁当をいただく。動くバス車内での食事は美味しくない。だが、行きたい旅なのでここは我慢して食べる。落ち着いた場所で暖かい食事をするのが理想だ。今回の旅の食に関しては満足できずに終わった。旅のぼやきはやめて楽しい旅だけを思い残そう。

西明寺

 湖東三山の旅は西明寺(さいみょうじ)から始まる。このお寺は天台宗龍鷹山西明寺で日本の100寺に選ばれている。鎌倉時代の建造物の本堂は国宝第1号の指定だった。
西明寺 
 境内に植えてある天然記念物の「西明寺不断桜」は満開だ。不断桜、という桜の名は初めて知る。この桜は彼岸桜の系統の冬桜に属す。樹齢250年の不断桜が見事に咲いていた。
樹齢250年の天然記念物不断桜
 

淡い色のコントラストが美しすぎる

この配色も美しい

この淡い色がいい

これも本当に美しい!


釘を使わない屋根は檜皮葺きで、総檜の三重塔

  
 西明寺は西国薬師第32番霊場で境内には国指定の蓬莱庭があり、そこを歩く。

 金剛輪寺

 湖東三山のお寺の見学はそれぞれ約1時間を各自、観光する。西明寺を後にしてバスで金剛輪寺に向かう。このお寺も天台宗で松峰山金剛輪寺といい、近江西国33観音霊場第15番札所となっている。本堂は鎌倉時代の代表的な和洋建造物として国宝に指定され、三重塔は別名が松龍塔で重要文化財。
国宝の金剛輪寺本堂と重要文化財三重塔

紅葉の色合いが美しい

この配色は絵になりそう!



この優しい配色が美しい!

これも綺麗!

優しい色使いだ

この時季の紅葉は血染めのもみじ!?

 もらったお寺のパンフによると11月から12月の紅葉は血染めのもみじとうたっている。まさにその通りの紅葉だ。だが、場所によって淡い配色で色づく紅葉を見るとさらに美しく感じるのはどうしてだろう。
 
百済寺(ひゃくさいじ) 

 ここも天台宗の寺院で釈迦山百済寺という。聖徳太子が百済人のために創建された近江の最古級寺院。この百済寺は仏教が半島の百済国経由で伝来したことから山号を「釈迦山」、寺号を「百済寺(ひゃくさいじ)」と称した。ここに植えてある千年菩提樹に惹かれる。また仁王門には五木寛之が出演のテレビ「百寺巡礼」の願掛けの大草履が掲げてあった。



菩提樹(一隅を照らす木)

百済寺仁王門


仁王門の大草鞋は五木寛之の願掛けによる



絵になりそうな千年菩提樹

鐘を突いた!

お寺からの眺め
 この日の携帯万歩計は12820歩とよく歩いた。夕食はホテルに着く前に某所でいただく。今回の旅の食に関しては話題にしたくない。また、ホテルもいいが、某国の観光客の騒々しさで睡眠を妨害されて辟易する。
 
第2日目 2019年11月23日(土)
 
 湖東三山と同じく、香嵐渓も初めて行く場所。お天気は21度の予想で10月のお天気らしい。このあたり一帯は前日、大雨だったとか。だが、この日は雲ひとつない快晴でまさに行楽日和。
 
香嵐渓
 
 愛知県豊田市に位置する香嵐渓。朝8時10分、専用バスでホテルを出発。泊まったホテルは岐阜羽島にある。そこから高速道をひたすらバスは走る。ところが途中で大渋滞。3時間の香嵐渓観光もこれでは1時間になる、と心配する。それでもなんとか香嵐渓を3時間観光できた。バスの旅に行き始めてから旅の募集で目にするようになった香嵐渓。どんな渓谷美かも知らずに参加する。香嵐渓は本当に行って良かった!どういっても美しすぎる光景が目の前に広がる。なかでも香積寺(こうしゃくじ)から見下ろす紅葉の眺めはこの世のものとは思えないほど幻想的で美しい。自分の中ではこれまで出かけたどこよりも一番美しい紅葉だった。
 
 美しさは目で見てわかっても、これをカメラでも文章でもうまく表現できない。ところがこれもプロのカメラマンや作家であればまるで絵に描いたようにうまく表現するだろう。悲しいかな、ここにその美しさを言い表せない。

 もらったパンフをもって各自、渓谷美を散策する。途中にある香嵐渓広場まではガイドについて歩く。しかし人が多くてなかなか前に進めない。ガイドに「宮島の初もうでみたい」というと香嵐渓の込み具合は宮島の初もうでに負けるという。広場でガイドと別れてとりあえず先にある吊り橋まで歩く。そこから3時間の観光の時間配分をする。吊り橋に着くころには渓谷の入り口ほどの混雑がなくなる。とはいっても道は休みなく観光客であふれている。地面が前夜の雨でぬかるんでいる。足元をすくわれないように慎重に、また急いで歩く。あまりにも紅葉が美しすぎて思わず歩きながら「きれい!」と声が出る。
紅葉のトンネル

吊り橋(香嵐橋)

 吊り橋を観光後、渓谷内にある香積寺を目指す。ツアーで知り合った人と渓谷内の露店というか茶店でヨモギ餅2個とみたらし団子を購入。椅子に腰かけて食べるが、落ち着いて食べられない。あちこちにお店が並び、どこも人で混んでいる。やっとゲットした食もこれがお昼を兼ねると思うとわびしくなる。前夜の夕食も大したものを食べていない。温かい食事をゆっくり食べたのはホテルの朝食だけ。この状態が家に帰るまで続く。

 気を取り直そう。狭い急な石段を上ると香積寺に着く。着いたのはいいがお寺へ参る人で長い列だ。願い事が長ければ長いほど願いが叶うとか。お参りの手順にそう書いてある。やっとお参りを終えると階段を下ってもみじのトンネルまで急ぐ。下りの階段は急なので危ない、危ない。ましてや地面が昨夜の雨で濡れている。滑らないようにゆっくり降りていると、ここが一番の美しさといえるほど美しい光景が目の前に広がる。何度かカメラで写真に収めるが目に入る光景とカメラでのモニターでは大いに異なる。
宝積寺から見下ろす紅葉の美しさはお見事!
幻想的な世界が広がる!


真っ赤に染まる秋!
 
香嵐渓入り口

 3時間の観光を終えるころ、揚げたてのミートコロッケを購入して食べながら歩く。座る場所はなく、皆、食べながらの観光だ。食べ物を買う人がお店に並んで列をなす。それにより人込みで道がさらにふさがる。

 真っ赤に染まる秋を堪能した2日間の旅は楽しいうちに終わった。残念なのは食が今一歩だったこと。利用した旅行社はいつものJ〇Bでなく、違う旅行社だ。この会社は1人参加でも追加料金が不要な点がいい。だが、食に関してはかなり良くない。近いうち、日帰りで出かける旅行社はいつものJ〇Bを利用する。この会社は一番信頼があり、何もかもがいい。これからは旅行社を選んで参加しよう。

 この日の携帯万歩計は9738歩。2日間、よく歩いた。旅のお供はいつものトレッキングシューズ。これだけは手放せない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月25日月曜日

「天皇が創った至宝」を見る

 先日のテレビで「天皇が創った至宝~正倉院宝物が伝える“日本誕生”~」を見る。あちこち遊びに出かけても未だに正倉院展を見たことがない。 番組HPによると以下のようにある。

★今年10月、新天皇即位を記念し、天皇家が守り続けてきた「正倉院宝物」が公開される。1300年という世界にもまれな悠久の時間を超えて残された宝物の数々。シルクロードを経て日本にもたらされたと考えられてきたが、最近の研究で、その多くが日本国内で作られたことが明らかになってきた。
 番組では、宝物を超高精細8Kカメラで撮影。すると、宝物に残された製作工程を示す痕跡を、初めて映像でとらえることに成功した。そこから浮かび上がってきたのは、日本で宝物を作る一大国家プロジェクトの存在。推し進めたのは、奈良の大仏を建立した聖武天皇である。当時、日本は、巨大帝国・唐に対抗すべく、新しい国づくりを進めていた混迷の時期。宝物の国産化は、日本を生まれ変わらせようとする聖武天皇にとって、乾坤一擲の秘策だったことが見えてきた。
 “ものづくり日本”の原点ともいえる1300年前のプロジェクトを、正倉院宝物から解き明かす歴史ミステリー。東京国立博物館と奈良国立博物館での特別展開催に合わせ、至宝の魅力をあますところなく伝える。

 聖武天皇の時代、宝物は権力の象徴だった。聖武天皇は唐の宝物を見て不思議な力があると気づく。日本の宝物をつくろうとした聖武天皇。日本と称する前は倭国。倭国の奈良時代、大王から天皇と称した聖武天皇は権威を強化し始める。唐のような宝物をつくるための内匠寮(たくみりょう)を組織し、宝物の力を利用して日本の国づくりを始めた。

 正倉院にある9000点の宝物のうち9割以上は日本でつくられたことが最近の調査で判明する。聖武天皇37歳の時、疫病が流行る。国を安定させるために仏教の力を借りようと思いつき、宝物として大きな仏像を東大寺に建立する。大仏完成の儀式には全国から1万人を集めて礼楽(礼儀と音楽)が催された。そのための楽器がつくられ、宝物の音色を奏でる。752年、聖武天皇は上皇になった。この儀式は天皇のつくった至宝である宝物の力で日本をまとめることができた。この時つくられた宝物が正倉院内に収められ、正倉院宝物の始まりとなる。

 正倉院展には一度も出かけたことがない。この番組を通して知らないことがわかると興味も増していく。今はまだ近代に目覚めたばかりで、遠い先の時代もこれから徐々に関心を抱くようにしよう。それには一度くらい正倉院展を見に行ってもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月24日日曜日

紅葉の湖東三山めぐりと香嵐渓の旅から帰って

 11月22日、23日の2日間、<紅葉の湖東三山めぐりと朝一番に行く「香嵐渓」たっぷり3時間滞在2日間>と銘打ったツアーに参加する。旅のタイトルのうたい文句に「松茸・近江牛づくし」の夕食に舌鼓!とある。だが、これは大きな間違い。これを真に受けて旅の参加を決めてはいない。一番の決め手は湖東三山と香嵐渓。いずれも出かけたことがなく、楽しみにして参加する。湖東三山も香嵐渓もそれはそれは見事な紅葉だった。なかでも愛知県豊田市に位置する香嵐渓は幻想的な世界を醸し出し、この世の美しさとは思えないほどの見事な紅葉だった。

 3時間の滞在もあっという間に過ぎる。旅の2日間ともお天気に恵まれて行楽日和となった。カメラで幻想的な世界を映すが目に入る光景は写しきれない。写した後、デジカメで確認すると目にした光景の何分の一もうまく撮れていない。まあ、これも自分の目で紅葉を満喫したので由としよう。

 香嵐渓到着後、バスを降りて途中までガイドについて歩く。だが、あふれんばかりの観光客で歩くこともままならない。ガイドに「まるで宮島の初もうでみたい」と人の多さを告げると「宮島の方が混んでいる」という。日本全国をガイドするらしく宮島の込み具合も知っているようだった。

 これほど混むと3時間の観光もどうなる?と思った。あるところまで行くと各自が勝手に観光となる。観光パンフを片手に一番奥あたりの吊り橋を目指す。そこから香嵐渓にあるお寺、そして紅葉のトンネルを抜けて集合場所まで3時間観光する。途中、香嵐渓内の露店というか茶店でヨモギ餅、みたらし団子、ミートコロッケなどを購入してほおばりながら紅葉を眺める。足元をみれば前夜に降った雨の影響でこのあたり一帯は滑りやすい。滑って転ぶと危ない、危ない。足元に気を付け、目で紅葉を追ってカメラで写す。

 急な石段を上ってお寺に着くとお参りの人の長い列。なぜこれほどの込み具合、と思ったら参拝客の願いが長いほど願いは叶うらしく長蛇の列となる。やっとお参りすると暑さも半端でない。昨日のお天気は21度まで上がり10月の気温だった。

 楽しい旅の模様は後日のブログにアップしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月21日木曜日

元陽展etc.

 某文化交流会で知り合った人が今年も元陽展で受賞されている。夜の行事の前に県立美術館で開催中の元陽展を見に行く。会場に着くと運よくその人は受付をされている。しばし話した後、絵を見る。会場入り口近くで目にした堀田常央の「睦月の朝」。この絵に惹かれる。写真はOK?と受付で確認するとこの会の先生から声を掛けられる。しばし話していると倉敷の大学で美術を教えていたとのこと。それも、油絵をはじめ水墨画、日本画、水彩画などあらゆるジャンルの絵らしい。それには書も大事、と話される。話は広がり、プログラムにサインしてあげるとまで言われる。その時、受付の知り合いから絵ハガキにサインを、と促されてサインしていただく。サインにも書き方があるそうだ。http://www.fukashin.com/genyou/genyou50/genyou50.htm (元陽展 参照)。

 絵を見始めてすぐに気に入った絵があるとあとから見る絵がかすんでしまう。気に入った絵は日本画の雰囲気に近い。大まかに描いた絵よりも丁寧に描いた絵が好きだ。絵を見ていてどうしても好き嫌いが出る。知り合いの絵も繊細な筆遣いでよくもここまで、と思ってしまった。この人の絵ハガキも購入する。絵を見終わって受付で話していると自分の絵の話になる。持っていた日本画作品展の絵ハガキ2枚を差し出すと、先の先生からいろいろとアドバイスされる。樹木の大きさ、高さ、そして左右の色の配色など話してくださる。ところが自分の絵のセンスがそこまでいっていないと知る始末。

 会場を出ると美術館内で期限切れになっていた県立美術館友の会に入会する。そこでいろいろと書類を受け取る。手には人にあげようとして持参したレモン20個があり、手荷物が重くなる。ボケーとしていたのか館内を出ようとすると帽子がない。美術館受付で落とし物を聞くとそこに帽子があった。よかった!

 重い荷物をもって紙屋町まで歩く。途中で図書館に入る。すっかり日も暮れるころ基町クレドには今年も大きな電飾のクリスマスツリーが輝く。思わず見とれて写真に収める。

 昨夜の行事はビールで乾杯して終わる。久しぶりのビールはやはり美味。ビールと珈琲の2人に謝謝!謝謝!レモンと引き換えではないが沢山、ミカンをいただく。今年は柑橘類の実る年だろうか。我が家のレモンも90個くらい実った。携帯万歩計は1万歩をこえる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月20日水曜日

寒くなった!

 昨夜から今朝にかけて一段と寒さが増す。さっそくエアコンと電気ストーブの出番となる。昨日の午前中はスーパーへ行って花を購入。その後、お墓参り。途中、若い兄ちゃん2人からあいさつされ、びっくりする。何かの調査?と思ったら各戸にチラシを配っているという。いつも郵便受けに入っているチラシ。外壁塗りやリフォーム、そして「家を売ってください」などのチラシが頻繁に入る。こういったチラシを各家に配布しているのだろうか。ちょっと見た限りでは変な若者ではない。

 午後はプールで泳ぐ。自転車で出かけようとすると北風が強く吹く。プールに入ると人が少ない。浅いプールを独り占めする。相変わらずクロールと背泳ぎを交互で泳ぐ。クロールで泳ぐ方が血液の循環もよくなる気がする。だが、泳ぐには背泳ぎが楽。ついつい横着して背泳ぎが増える。

 家に着くまで自転車に乗ると強く風が吹く。帽子が被れないほど風は吹く。家に帰るとホッとする。まずは暖かい珈琲で一服!これから寒さも本格化すると暖かいのが一番の御馳走となる。

 外が晴れてきた。さてさて今日も寒くなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月19日火曜日

『翔ぶが如く』(四)

 昨日は久しぶりの大雨。母の月命日のお墓参りは今日に持ち越しとなった。朝から日差しがあるとなぜか気分まで晴れる。ほぼ毎日読んでいる司馬作品。先日読み終えた『翔ぶが如く』(四)(司馬遼太郎 文藝春秋、2016年第17刷)の気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★江藤の佐賀の乱を契機に、明治権力は飛躍的に強化され、大久保一個の政治統制力もそれ以前とは見違えるほどに強くなり、士族たちから百姓軍とさげすまれた徴兵の鎮台兵も、すこしは自信にちかいものをもつにいたった。
 江藤はむろん自分がそんな功績を明治国家に対して持とうとは思わなかった。
大久保がすかさずこの機をとらえただけである。28p

★江藤の悲惨な運命に対する西郷の心の傷みが、そのようなかたで出ているのである。……江藤の要請に乗って西郷が挙兵すれば、江藤の命はたとえ一時でも、或いは成功すればそのまま助かるのである。
 この夜も、そのことを論じた。しかし西郷はうごかなかった。71p

★しきりに天朝という存在を、大久保はもちだした。佐賀の反徒は天朝に刃向かう者であり、政府軍は天朝の忠勇なる兵であるという気分を作りだす以外に、大久保の統帥が可能ではない。この大久保の統帥のやり方を後年、山県有朋が継承し、やがてその統帥の政治哲学が病的なものになって昭和軍閥にひきつがれる。74p

★前参議江藤新平を大久保が惨刑に処したのは、「乱をおこした者はみなこうである。世の者、思い知るべし」という天下に対する鮮烈な政治的宣伝の意図があった。そのことがその惨刑の理由のすべてである。85p

★大久保の凄味は、右のような大方の動向も無視し、また常識的慣習も無視して、権力をもって江藤の首を打ち落としたことである。91p

★大久保が、前参議であり正四位の朝臣である江藤新平に対し、常識では考えられぬほどの惨劇でもって報いたとき、薩摩人たちは江藤の運命があすの自分たちの運命であるとも思ったし、同時に、大久保ひとりが引率している太政官というものの意外な強さを知り、さらに同時に薩摩士族としてはよほど肚をかためて結束せねば、大久保に負けるかもしれないということも感じた。私学校は、多分にそういう気分の上に成立した。95-96p

★島津久光の場合には殿様による統治論だが、西郷の場合は士族たるものはすべて統治の責任をもち、そのために生死を顧みるな、という主義であった。西郷の思想の基本はこれに尽きるかもしれない。115p

★区長とは、各郷におけるお先師(薩摩方言・随順ずべき先輩ということ)である。「お先師のいうことにそむくな」という習慣がむかしから薩摩藩になり、それを区長というかたちで制度化したとも解釈できる。その各郷のお先師たちの頂点に立つ大先師が西郷であり、この点、後世の社会主義国家の一面に酷似しているといえるであろう。西郷が、薩摩において制度の上からも大英雄の位置につくのは、このときからといっていい。119-120p

★西郷には、資本主義というものがよくわからなかったし、それだけでなくこの世間から遁げ出したいほどにかれにとって不愉快なものであったことはたしかである。かれは革命の主導者の役目をしながら、いざ革命に成功してみれば、出てきたものは世界の趨勢であるところの、しかし西郷にとっては化物のような資本主義だったということが、西郷の無知というものだったし、悲劇であったといっていい。127-128p

★かれは藩屏をひきいて維新をやることにより、島津久光をだました。
さらにこのたび、薩摩士族をひきいて市ヶ谷の尾張藩邸に入れ、フランス風の軍服を着せ、階級をあたえ、近衛軍人にすることによって、一挙に廃藩置県をやった。そのことによってかれら薩摩士族から士族の特権をうばったのである。西郷は士族をもだました。
 「衆恨は私一身にあつまるでしょう」と西郷はいったが、近衛軍人たちは西郷を恨まず、政府を恨み、具体的には同藩から出ている大久保をうらんだのである。195-196p

★漢民族の社会ほど個人間の信義に厚い伝統をもった社会はすくなくないが、政体としていえば、政体のなりたちや機能、習慣、それに排外思想の問題などがあって、他国の官憲に対する官憲としての約束は、たとえときに相手に屈し、一時の糊塗としてそれを結んでも、その履行が困難であることが多い。日本も幕藩体制下においては多分にそうであった。240p

★要するに、台湾に派兵するというのは、大久保と西郷従道両人のあいだでほとんど私語にちかいかたちできめられたもので、それも純粋に郷党的動機から出た。
という意味においては、公的要素がすくなかったといえるであろう。もっとも薩摩士族一般における「公」とは何であろうか。「公」の観念が、薩摩士族一般にどの程度熟していたのか、となると、問題の陰翳がふかすぎるようである。
 もともと日本は西洋とそっくりの公の観念の発達はなかったが、徳川期になって「私」との対立観念での公の思想は武士社会のなかで発達した。259p

★維新をむかえた長州人において、廃藩置県もさほどの(薩摩藩のような)抵抗をもたなかったし、太政官の官員になった長州人たちが、ごく自然に、明治国家を「公」として考える基礎的事情にもなった。
 いずれにせよ、鹿児島において西郷とその私淑者団が、強烈なばかりに薩摩的「私」を立てたとき、その「私」の倫理世界にわが身を投ずることをしなかった者に外遊組が多かったことは、以上の一側面をからも考えるべきであろう。262p

★長州人の木戸は、そのひとりであった。かれはもともと征韓にも征台にも反対であり、さらには外交団の圧力でうろたえている三条太政大臣以下にも愛想をつかし、三月十八日、大久保の帰京を待たずして辞表を出してしまった。辞表とともに意見書を出した。
 木戸はこの長文の意見書のなかで、
――人民の福利を先にし、国権の確立をあとにせよ。政府のやることは逆である。
として、民権論の先唱的意見をのべ、いかにも生き残りの革命家らしい思想を披瀝ししている。
 「政府は人民を安んずるためにある。人民がよく保護され、知能を啓発し、富を致すようになってはじめて国の権利を立てるべきである」
国の体面が先行する征韓・征台など愚の骨頂だというのである。278-279p

★大久保のような内治主義者が、ここまで強引に征台に固執したのは、薩摩に帰臥している西郷の気分を鎮めるという一事にこだわったためであった。307p

★西郷というのは、ふしぎとしか言いようのない神聖人格を持っていたが、しかしながら、かれがこの当時の野に満ちている反政府感情の側から、あたかも救世日本国家に主としてその実像を膨らませられ、みるみる巨大にされてゆき、ついに政府そのものの実像より膨張してしまったというのは、多分に時勢というものの魔術といっていい。
 大久保は、その魔術の方を怖れた。西郷の象をふらませている時勢の瓦斯をすこしでも抜こうとして西郷の弟の従道ををさそい、征台の策をくわだてていた。308p

★官製の倭寇といっていい。
この種の奇術的な軍隊使用のやりかたは、のちに体質的なものとして日本国家にあらわれる。明治期の二十年代以後では立憲国家の運営に比較的忠実だったが昭和期に入って遺伝的症状が露骨にあらわれた。陸軍参謀本部は統帥権という奇妙なものを常時「勅令」として保有し、軍隊使用は内閣と相談せずにできるという妄断をもってたとえば満州事変をおこし、日華事変をおこし、かたわらノモンハン事変をおこしてそのつど内閣に事後承認させ、ついには太平洋戦争をおこす道をひらいて国家を敗亡させた。大久保と西郷従道、それに大隈重信の三人が、三人きりで合作したこの官製倭寇は、それらの先例をひらいたものであろう。320-321p

2019年11月18日月曜日

キャッシュレス還元&BSドキュメンタリー

 10月から始まったキャッシュレス還元。期間は来年の6月末までと短く、どうでもいい、と思った。ところが、スーパーのチラシや駅にあるチラシを見て、3枚のカードをキャッシュレス還元できるようにする。2枚はいつも利用する近くのスーパーであとの1枚はJRのICOCA。ICOCAはネットで登録する。還元された5%は何処に表示されるかがわからない。スーパーの還元は前回利用のレシートを保存して今回の利用前の残高と比べ、その差が還元された金額だった。もう1つの生協のカードはあまり利用しないのでどうなっているのかわからない。ましてやICOCAはさらにどうなっているかわからない。ネットで確認するのだろうか。もうこうなるとどうでもよくなる。

 面倒なことがどうでもよくなる、これがすでに歳をとった証拠。たった5%がどうした、と思ったり。かといって年金以外に収入がない身には、5%還元がありがたいと思わないといけないのだろうか。どうでもいいけど……。

 話は変わって昨夜はBS1で放送された「世界のドキュメンタリーマリーアントワネット秘密のベルサイユ」を見る。マリーアントワネットといえばベルサイユのばら。これには興味がなく、なんとなく名前を知っているだけだった。ところがニュースを挟んで2時間の番組を見ていると面白くなる。時代はナポレオン以前であり、今読んでいる司馬作品とも関連する部分がある。明治維新を彩った人々はナポレオンやワシントンに惹かれて行動する人もいた。そう思うとマリーアントワネットの時代もそれほど昔のことではない。また、マリーアントワネットが考えて建てた2つの離宮が美しすぎる。これも番組に惹かれたことかもしれない。番組を見て少しだけこの時代背景がわかってきた。何事もわかってくるとさらに興味が増していく。20数年前に出かけたベルサイユ宮殿。これから先、再度ベルサイユを訪れることがあれば以前よりも関心を抱くに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月17日日曜日

絵筆が増えた!


釧路湿原

 
 7月に出かけた釧路湿原。2か月くらい前、この写真を見てF6のスケッチ帖にスケッチした。それを基にして本画にしている。昨日の日本画教室では樹木に色を施す。その後、全体に薄緑色で点描写。最近は色付けの際に点描写が多い。このやり方、自分ではかなり気に入っている。何度目かの点描写で色を施すとこれだけで絵になりそう、と自己満足する。点描写もある部分は光が当たったように淡い色で描写する。

 次回は湿原全体に生えているクマザサを描く。まずは手始めに数点、先生にクマザサの描き方を教わる。クマザサの葉は1枚でなく4枚ついているように描く。絵全体に群生しているように描くのでスケッチなしで直接筆で描いていく。何度か先生の描かれるクマザサの筆遣いを見て真似をして描く。何とか様になる。次回にこの続きをやっていく。先生から本画に仕上げるまでの手順を聞く。昨夜、忘れないうちにメモする。

 まずは昨日使用した絵具の色番をメモし、次も同じ色を使う。絵の下部分のクマザサは削用筆、中間部分は面相筆、そして上部は点描写で描く。樹木は木の肌を出して描く。絵の上部や明るい箇所は光が当たったように描く。

 最近は樹木を描くことにハマっている。これから旅に出たならば樹木を中心に風景を写真に写そう。そしてそれを絵にする!?

 跡継ぎのいなくなった筆業者から筆5本を購入する。これは5本が筆1本の価格よりも安くタダ同然の感覚で購入する。ほかにも先生は別のお店から削用筆が好きなのを知って買ってきてくださった。教室でしか絵を描かないのに筆は10数本と一気に増えた。頑張って描け、ということかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう

2019年11月16日土曜日

『老いて、若返る』

 司馬遼太郎の『翔ぶが如く』(七)を借りるついでに書架で目にしたのは『老いて、若返る』(日野原重明 堀文子 小学館、2011年)、サブタイトルは「人生、90歳からが面白い」。まだ読んでいなかった本で堀文子と日野原重明が対談している。気になる箇所を記そう。

 最後に記した「『思いわずらうな』と、わが身に言いきかせている日々です」を若いころに気づいていれば自分の人生、もしかして今と少しは違っていたかもしれない。何かコトがあると「思いわずらうな」と私も自分に言い聞かせている。

 昨日は近いうちに出かける1泊2日の旅の最終案内が届く。日帰りや1泊ぐらいだと旅の用意が楽。ましてや国内は海外と違ってさらに楽。今のところ、月末に日帰り旅も予定している。遊べるうちは元気を出して遊ぼう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★堀 西洋文化では、人間というものが世界の絶対的な中心にあるので、絵を描くにもまず人体を模写することから始めるんです。ミロの絵も、ちょっと見るとなんの形かわからないようですけど、基本は人間を描いています。その点日本画は、まず植物です。私も植物の観察に集中することで、生命の不思議をまのあたりにすることができました。76p

★堀 「やはり日本人という民族が生み出した文化なのだということです。ものを平面的に表そうとした民族は、日本人以外には、あまりいないと思います。それを単純な描写と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、じつは冷静に、理知的かつ計画的に描かないと、うまくいかないものなのです。まさに知性でコントロールしながら描くのが日本画で、感情のおもむくままに、描きすすめることはできません。ものの本質を象徴的に簡素な形であらわすのを好んだ日本人の美的な感覚が作り上げた技法だと思っています。144-145p

★堀 「思いわずらうな」と、わが身に言いきかせている日々です。150p

2019年11月15日金曜日

今朝の地元紙「核心評論」欄

 今朝の地元紙「核心評論」欄に「対話に水差す『怖い国中国』」、サブタイトルに「北大教授拘束」がある。10月末に毎年恒例の有識者対話「北京―東京フォーラム」(言論NPOなどが主催)が北京で開かれ、参加者は落ち着かない日中対話となったようだ。これは北大教授が政府の防衛問題の仕事にかつて携わり、スパイ行為に関わったなどとして拘束されていることと関係する。フォーラム参加者のうち防衛関係の研究者は「人ごとではない」と神経質になる。

 フォーラムでは中国人の対日印象とは裏腹に、なぜ日本人の対中印象は悪いのか、という疑問が提起される。世論調査でも中国人の日本に対する好印象は45.9%に対して日本人は15%しか中国に良い印象を持っていない。なぜ日本人は中国を好きになれないかの一つに中国の「怖さ」がある。拘束された教授は2か月たっても拘束理由を明かされていない。これが不気味で怖い印象を残す。この評論の筆者は「ローマの時代から大国とは他者に寛容な面も持っていた。『怖さ』を植え付けるのは、実は『弱い国』と見られることに中国は早く気付いてほしい」と文を締めくくる。

 これを読んであれほど中国大好き人間で中国にこれまで12回出かけている者であっても近年の「中国は怖い」イメージは拭えない。まだまだ出かけてない地域もある中国。どういっても日本の24倍の広さがある。時に行きたい衝動に駆られても「待てよ」という気になる。

 「ローマの時代から大国とは他者に寛容な面も持っていた」という。これは大国を人(偉大な人)にも置き換えて言えそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投降後の夕方のネットニュースによると北大教授は拘束から解放されて本日、日本に帰国したそうだ。

2019年11月14日木曜日

善悪の判断基準は「後悔するかしないか」

 図書館で月刊誌を見ていてハッとする。「過去と未来は、すべて現在に集約される」、「過去に辛いことがあったとしても、今の自分が生き生きしていれば、過去の辛さは消えていく。今の自分が輝いていれば、未来も輝きます。だから、今を全力で生きるのです。……今を後悔しないように全力で生きる……」。善悪の判断基準は「後悔するかしないか」だそうだ。

 こう書いても別に過去が辛かったのではなく、いろいろと取り越し苦労することが多かった。ある著名な人のツイッターに「これまでを振り返って考えていた通りの明日は1日もなかった」というようなことが書いてあった。これを見て「なんとうまく言い当てている」と感心して読んだ。人との話でこれから先のことを聞かれることがある。そういう人に限ってナニゴトもネガティブに先々を捉える。こういう人は話がつまらない。なるべく近寄らないようにする。その反面、人の領域に深く踏み込まず、今を楽しむ人は面白くて善い人に違いない。人の善し悪しの判断基準もその場を後悔しないように楽しく過ごすかどうかで決まりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月13日水曜日

プールへ

 パソコンに届いたメールを見て不思議な気持ちになる。エ〇エールオンラインショップとある。メールのあて先は母の名。母は亡くなる何年か前から尿パッドを使用していた。はじめのうちはドラッグストアで購入。介護が忙しくなるとネットで注文するようになった。その際、母の名で注文したのだろう。母が亡くなってもうすぐ9年になる。その間、1度もオンラインショップからメールが届くことはなかった。届いたメールの詳細はもちろん見ない。今更という感じでメールを見ても決していい気持にならない。

 気分を変えよう。昨日午後はプールで泳ぐ。午後1時過ぎのプールは人が少ない。気候がいいとプールで泳ぐよりも皆さん、外に出かけるのだろうか。500mほどクロールと背泳ぎを交互に泳ぎ、あとはほとんど背泳ぎで泳ぐ。クロールよりも背泳ぎは息継ぎが楽。年齢を経るとともに背泳ぎが増えそうだ。

 今日もいいお天気。さて今日は?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月12日火曜日

2019年のレモン

 先日、30個、昨日は50個ほどレモンをはさみでもぎとる。まだ手が届かない位置に何個か実っている。昨年は80数個実った。これが最高の数と思ったら、今年は90個くらい実っている。母が亡くなった年に1個実り、それから倍々ゲームのように年々、レモンの実る数も増える。それと同時にレモンが実る嬉しさは減少する。これはなぜ?

 レモンの木が大きくなるとシルバーにお願いしなければならない。それを懸念して肥料のリン酸カリウムをほとんど蒔かないようにした。それでも木は大きくなり、先日、太い幹のてっぺんを義兄に切ってもらう。肥料を少なくしたせいか、レモンの実は例年よりも小ぶり。だが実のなる数は増えた。小さい枝の先に大きなレモンが3つくっついたのもある。ほかにも数個、大きなレモンがある。重さをはかると186g。スーパーに並ぶレモンよりも大きい。

 さて、このレモンをどうする!?先日隣の家に持っていく。日本画教室の人にもあげよう。去年は県北のともだちに手に持てるだけ持っていった。今年は今のところ行く予定がない。10個単位で渡せばすぐになくなる。そうすることにしよう。

 昨日はまた某交流会で新年早々に出かける予定の海外旅行の案内が届く。ほかにも九州のJTBから旅のカタログが届く。どこかへ行く予定があると他のカタログを必死で見ない。行く予定がないとどこへ行こうかと行先を探す。

 今日もいいお天気。さて何処へ行こう?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月11日月曜日

旅の思い出(中国シルクロード)

 しばらくそのままにしていたアルバム整理。久しぶりに2階にほったらかしにしている中国シルクロードのアルバムを整理する。1987年8月の旅で32年前のことになる。写真を見て自分の髪の長さに驚く。当時は結ぶほど髪が長い。一番楽しかった旅は?と自問自答する。どの旅も楽しい旅に違いない。だが、このシルクロードの旅は旅の終わった後も各地で会ったり、遊んだり、と今でも連絡を取り合っている。とはいえ、旅の参加者のうち数人はもうこの世で会えない。ある人は旅のビデオやシルクロードのビデオ全巻送ってくださった。またある人は阿蘇山で馬に乗せてもらったり、博多で会ったり、広島へも来られた。ほかにも現地で30万円もする大きな硯を買った3人組の人と会ったりした。今ではそのうちの1人だけ連絡がある。

 今思えば当時はバブル時期!?皆、勢いがあった。そういう自分自身もその前年に初めて海外に出かけて3回目の旅となり、まだまだ何に対しても勢いがあった。当時も今も記録に収めるのが趣味なのか、まめに旅のメモをしている。旅行社からの注意事項も保管しており、それを見ると「健康にご注意ください」として、「かなりの強行軍ですので、健康には充分ご注意下さい。暑さとなれない食物のせいでおなかをこわしたり、寒暖の差が激しい為、風邪をひいたりします。あまり欲ばらずに、休養をとることが肝心です」とある。このなかの「あまり欲ばらずに、休養をとる」は何処に出かけても気を付けている。特に食べ物を欲ばって食べてはいけない。そのせいか、体を壊すことはこれまでの旅ではなかった。ただ、高山病だけはどうにもならない。

 「敦煌・ウルムチ・トルファン・シルクロードの旅8日間」の旅の記念にわかる範囲でここに記そう。

第一日目 1987年8月11日
福岡発16時25分の予定が16時45分離陸で早くも初日から遅れ発生。このお詫びに空港利用券500円もらった、とメモしている✈上海着19時 上海国際飯店泊。

第二日目 1987年8月12日
上海発✈蘭州 白頭山観光。
朝5時40分起床してホテル前の人民公園を散策。蘭州飯店泊。ホテルのお風呂の湯が出ない。書店を探して歩いたり、現地の人と中国語でしゃべる。2日目と言うのにトランプ、パンダの櫛、たばこ(お土産用)、お茶(15個購入とある)、地図。

第三日目 1987年8月13日
蘭州11時40分離陸は3時間20分遅れて離陸✈敦煌 敦煌月牙泉観光
月牙泉には柵がなく、自由に出入りした。小さい魚も泳いでいた。今は柵が張り巡らされている。このそばに鳴沙山があり、山に登るが砂丘の山で靴を履いていてもやけどをしそうになる。誰も登り切れず、あとで添乗員からここはラクダに乗って移動すると聞いてホッとする。初めてラクダに乗った。ラクダに乗った写真を見ると怖かったのかラクダにへばりついて乗っている。
この日の買い物は切手10枚、扇子10本、本(辞書を含む)4冊、香1個。

第四日目 1987年8月14日
午前 敦煌観光後、バスにて柳園へ(128㎞、3時間)
敦煌莫高窟NO 45番を特別見学と記している。ツアーの中に敦煌に詳しい人がいて45窟見学を特別にお願いする。
本1冊と夜光杯1個購入。夜光杯は60元。
夜、柳園21時発🚝トルファン9時着 コンバートメントの列車の間、目に入るのはすべて砂漠。車中泊。

第五日目 1987年8月15日
騾馬に3人でバザールまで乗る(10元)。絹ネッカチーフ5枚購入。今でも重宝している。
交河古城、天山山脈の雪解け水、高昌古城、アスターナ古墳見学。夜はウイグル族の踊りをぶどう棚の下で見る。この時、日本の「敦煌」撮影クルーと一緒に見る。しっかり一緒に写真に写った。

第六日目 1987年8月16日
トルファン🚌ウルムチ 183㎞を4時間バスに揺られて到着。途中、天山山脈の雪解け水を見るために下車。紅山、自由市場、友諠商店に出かける。夜11時まで明るかった。夜は四国の3人組の部屋でツアーの人が集まり夜12時まで祝杯をあげる。ここまで来て天池に行けなかった悔しさが残る(ツアーに入ってなかった)。
この日の買い物はテーブルクロス3セット。これを買っても家で使わず仕舞。

第七日目 1987年8月17日
ウルムチ市内見学。
ウルムチ発✈上海 約4時間で到着後、雑技団や上海市内見学。
上海でいろいろとお土産を買う。上海泊。

第八日目 1987年8月18日
上海豫園見学。
上海13時50分発✈福岡15時35分着。

 32年前の旅をメモと日程表でなつかしく振り返る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月10日日曜日

雷山千如寺大悲王院の樹齢400年の楓の木

 日本画教室に出かける前、郵便が届く。1年ぶりにホームコンサートを再開する旨の案内だった。古い家を取り壊して新たに建てた家が夏に完成したという。先日、旅行社からの電話で日帰り旅の日付変更を余儀なくされた。なんとこの日がコンサート再開の日になっている。ゲストを見ると広島で活躍する人たちだ。予定がだぶってこの日は参加できなくて残念。その次のコンサート開催日を見ると次週になっている。その日は以前から約束のフルートを吹く予定。春にはフルート用の楽譜も送付されている。幸い、その日は参加可能なので、すぐにSMSで返信する。
 
 昨日午後は日本画教室。昨日はいつもとは教室が異なる。会議室という名目の部屋なのでいつもの大きな机とは違い、部屋も暗く使い勝手が悪い。おまけに教室の生徒さんも2名欠席でいつもの教室とは趣も異なる。絵の道具のほとんどを教室に置きっぱなしにしている。そのため、鉛筆すら持ち合わせがない。買って持参した鉛筆を使用してスケッチする。昨日は先生が持参された芽の出た玉ねぎを描く。描いた後も時間がある。急遽、3年前のこの頃、佐賀あたりに出かけた写真を見てスケッチする。画像はその写真で福岡県糸島にある雷山千如寺大悲王院の樹齢400年の大きな楓の木。近年、樹木に凝っており、それも巨木に魅せられる。
 
 サムホールほどのスケッチ帖に写真を見てスケッチする。ある程度書いて先生に見ていただくと幹の太さを基準にして枝の高さや位置を目安にするといいそうだ。大楓のスケッチ、割と気に入る。いつかこれを本画に仕上げよう。
 
 話は変わって先日の越後の旅で5481mのドラゴンドラが107軌あり、52m間隔でゴンドラが吊り下がっているとブログに書いた。昨夜、これは間違いと気づく。5481mの長さのゴンドラを乗る人が片道だけ乗っても、軌道そのものは往復する形で回っている。ということは5481×2÷107≒102となり、ゴンドラは102m(約100m)間隔で吊り下がっていることになる。あとで訂正しよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
雷山千如寺大悲王院の樹齢400年の楓の木

2019年11月9日土曜日

「秋の越後 パノラマ絶景 3日間」の旅

 
 2019年10月30日(水)から11月1日(金)まで「秋の越後 パノラマ絶景 3日間」と銘打ったツアーに参加する。今回の旅の参加者は39名。そのうち1人参加は5名だった。旅のサブタイトルに「空から!船から!3つの乗り物で秋の絶景をお楽しみ!」とある。まさにその通りで初めて乗る乗り物もあった。
 
第1日目 10月30日(水)
 
 広島駅から新大阪駅まで新幹線のぞみ乗車。新大阪駅からは金沢駅まで特急サンダーバード、さらに金沢駅から北陸新幹線つるぎに乗って広島駅からなんと5時間以上もかかって富山駅に着く。富山駅前で貸し切りバスに乗り換えて越後の旅が始まる。富山駅構内は落ち着いた雰囲気で初めて降り立つ。駅前は工事中で貸し切りバスに乗るまでかなり歩く。もしも雨が降っていれば旅の荷物を持っての移動は大変かもしれない。だが、今回は何処も好天に恵まれた。
 
 今回の旅の行先は初めての場所で地理的にもよくわからない。富山インターから高速に乗り、妙高高原インターまでのトイレ休憩で地図付きのフリーペーパーをゲットする。地図を見ながら車中でガイドの話を聞くが、今一歩、地理的なことがわからない。家に帰って調べても怪しい限りだ。
 
 苗名滝
 
 苗名滝は日本の滝100選のひとつで渓谷の紅葉をもとめてどんどん奥に進む。手前の大きな滝は1つ目の吊り橋をわたると目の前に広がる。だが、奥の方にある滝は2つ目のつり橋をわたって階段を下りたり上がったりしてやっとたどり着く。
 


入り口に見える苗名滝




ゆれる吊り橋を渡る

奥へ奥へと進んでいく

 途中、小林一茶の句もあるが、看板は目にしても句碑はわからず。あとで調べると「瀧けぶり側で見てさえ花の雲」と刻まれた岩がある。苗名滝は長野県と新潟県の県境にあり、中部北陸自然歩道となっている。山道を行き交う人が手にするのはストック。下りの見知らぬ人からストックを、と渡される。手にするのが邪魔になりそうで断る。なぜ、その人は貸そうとしたのだろう。よぼよぼしていたのだろうか。それともすれ違う人、誰彼なく貸してあげる、と声をかけたのだろうか。苗名滝までは往復50分間の道のりだ。そうそう、今回の旅も歩く旅なのでトレッキングシューズを履いて旅に参加する。この靴、7、8年前に買って1度山歩きで履いた。近年、この靴を旅で履けば楽に歩けると思いつく。このごろは旅の一番のお供となった。
 
奥にある苗名滝

絵になりそうな大木

 朝、広島駅7時53分発の新幹線に乗り、金沢を経由して富山駅に13時15分到着。富山から貸し切りバスに乗り換えて苗名滝到着は16時近い。ここで50分間歩いて紅葉を愛で、妙高高原にあるホテルに17時過ぎに到着。宿はアパリゾート上越妙高。ホテル傍にはアパリュージョンという光の絶景空間が広がる。ホテルで夕食を済ませるとツアーの人とアパリュ―ジョンへ繰り出す。添乗員の夜の寒さ対策を、との心配もなく快適な光の世界を1時間ほど楽しんだ。この日の携帯万歩計は9031歩。


アパリュージョン
 
第2日目 10月31日(木) 
 
 龍ヶ窪
 
 8時に貸し切りバスはホテルを出発して妙高高原インターから豊田飯山インターまで高速道を走る。途中、栄SAでトイレ休憩。10時前、木々に囲まれた神秘的な湖(池?)である龍ヶ窪に到着。龍ヶ窪は龍神伝説があり、名水百選「龍ヶ滝」として選ばれている。水汲み場が2か所あり、龍ヶ窪神社も近くにある。40分散策の途中、添乗員が山道を迷う場面もあった。
 
山道を歩くが、途中、添乗員が道に迷ったり……


龍ヶ窪の湖

水汲み場 2か所ある


 清津峡(きよつきょう)渓谷トンネル

 龍ヶ窪を40分間散策後、バスで30分行くと日本三大峡谷である清津峡渓谷トンネルに着く。日本三大峡谷とは黒部峡谷・大杉谷峡谷と清津峡峡谷であり、清津峡は雄大な岩礁と清流からなる日本有数の景勝地で若者でごった返す。上信越国立公園内にある清津峡渓谷トンネルの中に入ると3か所の見晴所とパノラマステーションがある。入り口に入り始めは暗い。だが、目も慣れてくると1時間のフリータイムを750m先のパノラマステーションまで急ぎ足で歩く。そこからまた750m歩いてトンネル入り口まで戻る。トンネル内の途中の見晴所は3か所、そして終着地点にパノラマステーションがある。見晴所やパノラマステーションの外側まで行って若者と同じように立って写真を撮りたかった。だが、その位置まで行くには足元が悪く、あきらめる。
暗いトンネル内から見る清津峡

見晴所から見る渓谷美
清津峡の渓谷美
 
パノラマステーション
ここが終着地で入り口から750m先にある
再度入り口まで750m歩いて戻る
ここで写真を撮りたかった、残念!

 清津峡を出て30分バスで揺られて雪国観光センター魚野の里でお昼をいただく。旅のパンフにお昼のご飯(魚沼産コシヒカリ)はお替り自由、とある。旅に出るまでパンフのこの箇所を見ると笑いが起きる。いまどき、いくらお米がおいしくてもお替りするほどご飯を食べる?と思ってしまった。ツアーの人も同じ意見だった。魚野の里でいただいたお昼のご飯はパンフ通りにおいしかった。またお米以外の料理も越後の料理はどれも美味。日程表でも「越後郷土料理と魚沼産コシヒカリの昼食」と魚沼産コシヒカリを強調する。

 お昼を済ませると塩沢石内打インターから小出インターまで高速道をバスは走り、銀山平に到着。

 奥只見湖(銀山平)

 新潟県と福島県の県境にある奥只見湖は人口のダム湖で福島県側では奥只見湖といい、新潟県側は銀山湖というようだ。銀山平で外輪船ファンタジア号に乗船して奥只見湖を遊覧する。この船の定員は300名。しばらく待つと乗船できた。

 遊覧船に40分間乗船して湖に映える山々の紅葉を眺める。日差しを避けて反対側のデッキに立つと日に照らされた絶景の紅葉が見られた。船のデッキは暑くもなく寒くもなく絶好の行楽日和。

定員300名の外輪船ファンタジア号

船のデッキから眺める紅葉

この光景は絵になる

奥只見湖遊覧船からの眺め
 
奥只見湖

 下船後、下方に向かって遊歩道を10分歩くとバスが待つ駐車場に着く。足が不自由な人向けだろうか、下船後の山頂駅からスロープカーが通っていた。貸し切りバスに乗り、小出インターから湯沢インターまで高速道を走る。この日の宿は越後湯沢温泉の湯沢ニューオータニ。温泉と聞いて夕食後、大浴場と露天風呂に入る。湯沢ニューオータニはいいホテルなのだろう。料理もおいしく、ホテルの人も親切だ。ただ、部屋がベッドでなく、布団。我が家は和風でも生活スタイルが椅子生活なので、部屋で何をするにも不便この上ない。贅沢は禁物!?この日の携帯万歩計は9248歩とよく歩いた。

 宿に着くまでどれくらいのトンネルを抜けたことだろう。越後湯沢は川端康成の『雪国』の舞台となったところで、執筆していた常宿を車窓から見る。

 旅も2日目の夜となると1人参加同士5名は仲良くなる。中でも福山から参加した人はしきりに今、置かれた自身の立場が幸せと強調する。それは自分自身もそうだ。今が一番いい、と言って話が合う。どういっても働かずに年金をもらって遊んでばかり……。幸せ、と思わないと罰が当たりそうだ。

 この日の献立を記念に記そう。美味しくいただいた!

御膳  鰤(ぶり)の南蛮漬け
           蟹風味サラダ
      烏賊の酒盗和え
           もって菊のゼリー寄せ
     秋刀魚のスモーク
     魚沼産茸と越の鶏のマリネ
鍋物  妻有ポークと茸の鍋 野菜一式
凌ぎ  寿司 海老・烏賊 がり
造里  鮪(まぐろ)・帆立 妻いろいろ
焼物  清酒『鶴齢』の酒粕で漬けた秋鮭の陶板焼き
蒸物  蟹身餡掛け茶碗蒸し
食事  『新米』塩沢産コシヒカリ
     味噌汁 豆腐・若芽
     香の物二種
甘未  『鶴齢純米吟醸』を使ったプリン  
     
第3日目 11月1日(金)
 
 田代ロープウェー
 
 宿を出て1時間足らずで田代ロープウェー山麓駅に到着。ぎゅうぎゅう詰めのロープウェーに10分間乗車すると田代ロープウェー山頂駅に着く。ロープウェーを降りて田代高原の遊歩道を25分ほど歩いて苗場ドラゴンドラ山頂駅を目指す。もらったパンフによると田代ロープウェーは日本一の瞬間地上高230mだそうだ。田代ロープウェーと苗場ドラゴンドラのパンフの表面には「新潟の秋は、美しい」とある。ほんとうに、美しかった!
 
田代ロープウェーを降りて
ドラゴンドラ山頂駅までの道中にある田代湖

田代湖周辺の木々
田代高原
 
 苗場ドラゴンドラ  

 ドラゴンドラはユーミンが名付け親だそうだ。苗場ドラゴンドラは日本最長5481mで107台のゴンドラがひっきりなしに客を運ぶ。5481÷107≒52で、52m間隔で1基のゴンドラが吊り下がっていることになる。(翌日気づく。ゴンドラは乗る人が片道で乗っても、107軌のゴンドラは往復で絶えず回り続ける。5481×2÷107≒102で約100m間隔でゴンドラは軌道を回る。ここに訂正)。1基に8人が背中を向けて座り、25分間、下界や山頂を眺めてドラゴンドラ山麓駅まで乗る。この間は結構な時間でツアーの人と話が弾む。山麓駅でドラゴンドラを降りるとバスが待っている。バス乗車前にトイレへと向かうが、山にあるトイレは少なく7,80名が並んで順番を待つ
ゴンドラからの眺め

ゴンドラからの眺め

107台のゴンドラが動く

ゴンドラからの眺め

 ゴンドラを降りると貸し切りバスに乗って沼田インターから西山インターまで高速道を走る。西山インターから一般道そばにある田中角栄の生家をバス車窓から見る。ガイドはしきりに普通の家、と話す。だが、普通の家ではなく、どっしりした構えの家だった。角栄の家の道を隔てた前には叔父の家がある。いろいろとあった元首相だが、今、思えば新潟と東京を結ぶ新幹線を作った功績は大きいと思うがどうなんだろう。

 西山インターを出て一般道をバスで2時間走ると越後の出雲崎にある天領の里に到着。ここで遅いお昼をいただく。サザエ炊き込みご飯の昼食だった。お昼を済ませて外に出るとそこは日本海。広場から日本海に向かって延びている木製の橋がある。これは「夕凪の橋」といわれ、長さが102mある。この先端まで歩くと小さな幸せの鐘があった。ツアーの人と鐘を突く。橋の欄干には恋人たちが鎖を結んで鍵をかけていた。絶対に外れないような大きな鎖もある。

 


102mある夕凪の橋 先端まで行って鐘を突く

 バスは西山インターから上越高田インターまで高速道を通り、上越妙高駅で下車。3日間、お世話になった観光バスと別れて、北陸新幹線🚝サンダーバード🚄山陽新幹線に乗って22時近くに広島駅に到着。この日の携帯万歩計は8711歩。3日間よく歩いた。広島から新潟までは遠い道のり。いつの日か、新大阪からサンダーバードでなく新幹線ができれば新潟も近くなるだろう。そのころになっても元気で遊びに行けるといい……。ともあれ3日間の越後の旅は終わった。いつもの如く楽しい旅だった。やっぱり旅はいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!