2018年4月30日月曜日

念願の華鴒大塚美術館へ行く!



左建物は広島県立歴史博物館、正面はふくやま美術館

 春のすがすがしい陽気に誘われて人並みにGWを楽しむ。行き先は最近思いついた岡山県と広島県の境に位置する岡山県井原市高屋にある華鴒大塚美術館。出かける前日、急きょ、ふくやま美術館へも立ち寄れる気がし始める。どちらの美術館も最寄り駅に近い。チャージしたJRのICOCA。これを使って自宅最寄り駅をスルーして福山に向かう。列車に乗ると広島方面とは反対方向であってもさすがにGW 、車内は混んでいる。ピクニック気分で食べ物や飲み物を持参する。しかし、乗客が多くてそれどころではない。三原で岡山行きに乗り換えて福山で下車する。駅員に井原鉄道込みの切符を買えるかどうか聞くと連絡切符がICOCAで購入できるという。ふくやま美術館に行く前に、神辺駅乗り換えで子守唄の里高屋駅までのチケットを購入。

 ひさしぶりのふくやま美術館。駅付近にあるとはわかっていてもさて、と人に尋ねる。その間、他の人も聞いてくる。美術館までの道は福山城や広島県立歴史博物館、ふくやま文学館など公共の施設が目白押しで整備されている。この辺りでゆっくりしたい。だが、もともとの目的地は華鴒大塚美術館。ふくやま美術館の特別展である「若冲と京の美術—京都細見コレクションの精華―」だけを見る。

 去年、若冲ブームが巻き起こった。ヒトがいいと思うものは見てみたい。ただそれだけの気持が昂じて絵を見ると「雪中雄鶏図」があった。これだけを集中して見る。さすが若冲、と言いたいところだがそれほどのよさが分からない。ましてや作品の展示数が思ったよりも少ない。これだけ?と思いながら外に出る。

 この季節、部屋の暗い所よりも五月晴れの空の下が気持ちいい。あたりは公園になっていて緑がまぶしい。若葉の季節というか新緑のモミジに目を奪われる。わが家にも2年前まであったモミジ。庭が広ければ伐採しなかったのにと思ったりする。

 お昼近くになる。列車に乗る前に福山駅名店街でお昼をいただく。GWであっても人が少ない。GW本番はこれからだろうか。レストラン街に行くと流暢ではない日本語で客を呼び込む。乗り換え時刻まで30分もない。久々にラーメンを食べてお昼を済ませる。

 福山駅から福塩線の神辺駅に行く列車に乗り、神辺駅で井原鉄道に乗り換える。だが、井原鉄道はJRと鉄道会社が異なるためか乗り換え案内の車内放送がない。神辺駅でヒトの降りるままに着いて歩く。だが、乗り換えずに駅を出る人たちだ。さて井原線は?と人に聞くが分からない。3人ほど聞いてやっと井原線に乗る。たった1両の井原鉄道。もしも間違えて乗れば次はいつになるかわからない。

 子守唄の里高屋駅で3人ほど下車。ところが目的の美術館が分からない。いつの間にか辺りは人の気配がなくなる。これはまるで「鶴瓶の家族に乾杯」の番組状態だ。タクシー会社が見える。しかしタクシーに乗るわけではないので聞かずに来た道を戻る。目の前に風流な建物がある。美術館とは知らずに近づくと美術館だった。何とそこは駅の真ん前だ。今、開催中の展覧会のタイトルは「日本画の伝統」。サブタイトルは「華麗なる京都画壇」となっている。

ふくやま美術館前の公園

ふくやま美術館前の公園のモニュメント

ふくやま美術館正面

ふくやま美術館一体の公園の新緑のモミジ
  
 今朝のネットで「井原線利用者が2100万人突破 岡山・総社で記念式 福山の児童に認定証」の記事がある。このうちの1名に入るかも、と思ったり。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180429-00010002-sanyo-l33(参照)

 それにしても福山から3つ目の駅が神辺駅。そこから3つ目の駅が今回下車した子守唄の里高屋駅。この駅のネーミング。何とロマンあふれる。当然駅では「中国地方の子守唄」のメロディーが流れる。広島に住んでいれば誰もが知っている懐かしい子守唄だ。

 
子守唄の里高屋駅階下の掲示板

子守唄の里高屋駅階下にある地図

子守唄の里高屋駅待合室

 子守唄の里高屋駅の目の前にある華鴒大塚美術館。中に入ると人の気配がない。大きな声で「こんにちは!」と何度か挨拶すると係りが出て来る。何とものんびりムードの優雅な美術館。チケットを購入して見学しようとすると先客3人と遭遇する。こういう優雅な美術館は初めてとも思えるほどで品のある美術館だ。係りの人までも品がある。最初の展示室はいろんな行事に利用できる場所らしく、時に茶室になるとか。

 2階に上がろうと階段に行くと黒塗りでピカピカに光っている。歩くのが申し訳なくなるほど美しい階段。第一展示室と第二展示室がある。第二展示室はこの美術館が所有する大半の金島桂華の絵が展示される。華鴒大塚美術館を知ったのは日本画を習い始めてから。2016年の高崎市タワー美術館の金島桂華のチラシを見て知った。日本画の先生に話すと華鴒大塚美術館に金島桂華の作品が多くあると聞く。それ以来、この人の絵を見たくなる。昨日やっとそれが実現した。

 絵を堪能した後、グッズ売り場で図録を購入。図録は重たい。それでもこの美術館の図録を買いたくなる。どういっても美術館そのものが至れり尽くせりのおもてなしだ。美術館の庭に出ることもOKだった。築山を一周して新緑のモミジなどを写真に納める。

 館内には珈琲などのサービスもある。すべては無料。入館料も高くなく、素晴らしい絵画と接待。これで採算が、と思わず気になる。こういう気持ちは美しいモノを見た後の心掛けではない、と少し反省。

 行きのJR車内で読んでいたのは『せとうち美術館ネットワーク』。県立美術館友の会から毎年送られてくる。しかし、これを読んだことがなかった。昨日の旅のお供にこれを持参。館内割引券や美術館巡りの特典が記されている。これをクリアすれば図書カードなどがもらえるらしい。あと1か所美術館に行けばいただけそうだ。有意義な楽しい一日は終わった。

 さてGW後半は何処へ行こう?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
華鴒大塚美術館入口(右側)

華鴒大塚美術館入口

華鴒大塚美術館庭園

園内は新緑もモミジがきれい

園内の新緑のモミジ

華鴒大塚美術館庭園内

まぶしいほどの庭園内の若葉

華鴒大塚美術館庭園の美しさはお見事!

華鴒大塚美術館入口は季節感満杯だ

井原鉄道子守唄の里高屋駅は階上を走る

階下物置に子守唄の絵が描かれていた

2018年4月29日日曜日

「嫌でも死ぬまで生ききる秘訣」

 数年前にスリランカの旅で知り合った3人のお坊様。ともに永平寺で修業された曹洞宗の御住職だ。そのうちの1人から年に数回、お寺のミニコミ誌が送られてくる。今年の春彼岸号に書いてある中から特に気に入った箇所がある。それは「十五年も両大本山の修行道場生活を経験したので、現代の嫌でも死ぬまで生き切る秘訣を伝授したいと思う」の記事である。これを勝手にまたブログにアップさせていただこう。なお、両本山とは曹洞宗の本山である永平寺と裕次郎の眠る総持寺。

1 犬猫は生き死にに迷わない(犬猫は腹がふくれたら寝る/暖かい飲み物でも飲んで寝よう)

2 眠れないときは起きている(枕元にはペンと紙、普段は読まない本が置いてある)

3 明日起きたらやりたいことを考えながら寝る

4 生きていればどうにかしてくれる(生き残れば周りの人はその人を活かす義務がある、死ねば責任も義務も無くなるから眠ったままでも安心)

 それにしても旅で知り合った3人のお坊様。聞くところによると皆さん、体を壊されている。暖かくなった。そろそろお元気に成られただろうか。こういう言い方は母の言葉に似ている。若い頃、気にすることがあると母はいつも「暖かく成ればまたいいこともあるよ」、とか「そのうちいいことがある!」と言って励ましてくれた。今はモノゴトを若い頃ほど気にしなくなった。それでも先日の盗難のように何かコトがあれば気にする。それも身体に害が及ぶようであれば気にする程度は多分半端ではない…。今のところ体は壊れていない。元気そのものだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2018年4月28日土曜日

世間はGW突入!

 ネット記事を見ないようにしているつもりが今朝は「しゃべくり007 2018年4月23日放送分」を見てブログ投稿が遅くなる。https://gyao.yahoo.co.jp/player/11137/v00002/v0000000000000002945/ (参照) 

 ゲストはヴァイオリニストの高嶋ちさ子。自分をこれほどまでさらけ出して生きればさぞかし人生楽かもしれない。とはいっても真似はできなそうにない。

 GWに突入した。毎日が日曜日であれば毎日がGWのようなものだ。それでも人並みに遊びに行きたくなる。思いついた先が前から行きたいと思っていた華鴒大塚美術館。福山から神辺駅まで行き、そこで井原線に乗り換える。ネットを見ないようにといっても「路線」で自宅JR最寄駅から目的地まで検索すると瞬時に運賃も時刻も乗り換え数も詳細に出て便利この上ない。

 またもや「おとなび」を利用しようとするが1週間前に予約しないといけない。即、実行するには遅すぎる。仕方なくローカル線で検索。それでも10時出発で2時間半で目的地に到着。これはいい、と俄然行く気になる。今朝、行こうと思った。ところがピクニック気分で出かけるため、旅のお供を買っていない。まずはこれを購入して近いうち、念願の華鴒大塚美術館に行こう!

 そう思ったら人間欲が出て福山での観光もしたくなる。ふくやま美術館は若冲の展覧会開催中。先日「せとうち美術館ネットワーク」の冊子が送られてきた。これを見ると館内割引券がある。これを持参して出かけよう。場所が離れている2か所の美術館を観覧するのは難しいかもしれない。それでも華鴒大塚美術館へは是非とも行こう!

 そういえば昨日、自宅最寄りJR駅で来月出かける「おとなび」を購入する。その際、ICOCAに5000円チャージする。その目的は華鴒大塚美術館までの往復運賃をICOCAで行こうとした。駅員に聞くと井原線はJRでなく井原鉄道。その間はICOCAの利用ができないという。JR駅間のチケットを購入して井原鉄道は車内で清算するようにとのこと。チャージしなければよかった、と思った。またいつか利用しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月27日金曜日

『人間の煩悩』

 月曜日に泳ぐことが多い。しかし木曜日の昨日、午後からプールで泳ぐ。曜日が違えば泳ぐ人も異なる。それでも顔見知りもいる。浅い方で背泳ぎで泳いでいるとプールの半ばあたりで左腕を掴まれる。もうびっくり。爺さんがプールの真ん中あたりの壁に陣取っている。何で真ん中にいるんじゃ、と思わず声が出そうになる。左手を掴まれたままプールから立ち上がろうとするが体が右に傾いて頭がプールから起き上がらない。もしも深いプールならば危ない、危ない!掴まれた左腕はしばらく痛い。それにしても監視員はなぜ爺さんを注意しないのだろう。やっぱり月曜日に泳ぐほうが正解かもしれない。

 GWが近づいた。わざわざ人込みのGWに外へ出かけなくても、と思いつつ気持ちだけ遊び心に浸る。来月下旬、国内ツアー3日間に出かける。出発は福岡空港国内線。詳しい日程は旅行社から届いていない。しかし博多⇔広島間を新幹線の「おとなび」を利用する。航空機の時刻は決まっているので広島⇔博多間の往復新幹線チケットをネットで予約する。行きは集合時刻が早いため「のぞみ」を利用。帰りはその日に広島へ着けばいいので「こだま」を利用する。「おとなび」を利用すれば正規運賃の片道分で往復できる。もしも往復とも「こだま」利用ならば6割引きと安い。

 行きはチケットの残数が少ないらしく、昨夜往復のチケットを確保して旅に出かける気分になる。今日はチケットを受け取りにJR駅に行こう。それでもGWに世間の人がどこかへ行くと思えば行きたくなる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は最近読んだ『人間の煩悩』(佐藤愛子 幻冬舎、2016年)からの抜粋。

★独り居はうっかり病気にもなれないのである。大地震、大火、さまざまな災厄、とっさの判断を一人でし、ひとりで我が身を処さなければならない。いざという時、一人よりも二人で災禍を支える方が楽である。だが、その代わり、連れ添うものが足手まとい、という場合もある。メリットとデメリットは表裏一体をなしているのだ。80p

★病院へ行ったが最後、どんな目に遭うかわからない、と私は思う。医師が関心を持つのは病人ではなく「病巣」だ。当たり前じゃないか、それが病院だ、と人はいう。その通りに違いない。だが私はその「当り前」さがいやなのだ。「病巣相手」ではなく「人間を相手」にしてもらいたい。「物」として私は死にたくない。たとえ病巣の発見が遅れようとも。182p

★今の世の中は無駄なもの、即効性のないものは切り捨てられていく世の中だ。老人の価値はどこにあるか?と聞いた人がいた。あたかも価値があれば認め、価値がなければ切り捨てようと気構えているかのように。
 老人の価値は若者よりも沢山の人生を生きていることだと私は思う。失敗した人生も成功した人生も頑固な人生も、怠け者の人生も、それなりに人生の喜怒哀楽を乗り越えてきた実績を抱えている。194-195p

2018年4月26日木曜日

蕾をつけたレモン!

今年もたくさん蕾をつけたレモン

 電気メータを盗まれて新たなメータが取り付けられた。その横にあるタイマーは新たなメータに備わっているらしく、もはや不要らしい。しかし、そのままの状態で置かれている。今のメータは30分おきに本部へ使用量の報告がされる。そのため、たとえ盗まれたとしてもこちらが気づく前に本部で状況把握ができるらしい。それでも家の裏に咲くレモンの蕾を見に行く度に電気メータの存在を確認する。生まれてこの方、全く意に介していなかったことも気になりだす。

 今年のレモンは去年にもまして蕾の付き方が多い。母の88歳の誕生日に姪がプレゼントしてくれたレモンの木。土に植え替えて8年目にやっと1個実をつけた。母が亡くなってから実をつけ始める。1個から5個と年々増えて昨年ははっきりとは数えてないけど70個くらい実をつけたようだ。今年はいくら実をつけるか楽しみ。

 ナニゴトも楽しみになれば体にとっても悪影響を及ぼさない。反対に気に病むことであれば体にとっても良くない。その思いが昂じてプロ野球に目をそらす。まだ2,3日しか経っていない。ヒトよりも感受性が強いのかヒトの言葉に惑わされやすい。その自覚があるはずなのに暇があればネットで見知らぬ若者のツイッターやネット記事を見て一喜一憂する。いい話題ならばいいけどネットに溢れる話題はいいことばかりではない。

 働いていた時、「見ざる言わざる聞かざる」を頭の隅に置いていた。ストレスはヒトとの関係で起きやすい。早期リタイアで仕事から離れて今年の秋で丸16年。仕事がらみのストレスから離れてもネットニュースを見て気に病むのはもってのほかだ。今日はプールで泳ごう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月25日水曜日

元カープ衣笠選手訃報&フルートのレッスン

 元カープ選手の衣笠祥雄氏が亡くなった。同世代としてまだ早すぎる感がある。今朝の新聞で氏にまつわるエピソードを読んで涙が出る。特に江夏豊の記事。マウンドで次に上がるピッチャーがいると知る。その時、衣笠がマウンドに近づき「気にするな。この試合が終わってお前がやめるなら俺もやめる」と気遣ったとか。結果的に江夏はこの時投げた21球でカープは優勝し、江夏と衣笠の引退はなかった。
 
 CARPに没頭すると自分の日常生活が試合結果に左右される。ましてや応援する選手が思うような結果を残せないとさらに脅かされる。これでは体がいくらあっても足りない。そう思って一昨日からカープの情報を取り入れず、適当にしている。しかし、衣笠氏の訃報はそうとも思えず新聞記事を読む。同世代の訃報を知ると自分も歳を取った気がする。とはいっても自分自身が死ぬ、とは思ったこともない。まだ大丈夫と思うけど…。
 
 気を取り直して昨日はフルートのレッスン日。ショパンの🎵ノクチュルヌ ハ短調(遺作21番)🎵を何とかさらって次は🎵セレナーデ🎵(ドリゴ作曲)をさらう。元々は🎵ティコティコ🎵をさらう予定にしていた。しかし、秋のフルート発表会の練習も始まる。昨日のレッスン後、先生から発表会で吹くソロの曲を🎵望郷のバラード🎵に決めていただく。ヴァイオリン用の楽譜をフルート用にアレンジしてくださるとのこと。有難い。
 
 この曲は天満敦子のヴァイオリン演奏が有名だ。これまで4,5回、天満敦子の演奏会に出かけてこの曲を聞いている。それくらい好きな曲で、先生もこのことを知っておられた。寂しい曲だけどフルート用のアレンジ、楽しみだ。この楽譜が手に入るまで🎵セレナーデ🎵をさらう予定。
 
 レッスン後、いつもなら広島駅か八丁堀まで歩くところを歩けるようなお天気ではない。ビルを一歩出ると足元がビシャビシャになる。駅までは歩けない、と思ってバス停まで歩く。広島駅はすぐ先であってもバスが来ない。停留所は幸い屋根があり雨よけになる。土砂降りの雨なので気長にバスを待つ。この停留所からバスに乗るのは初めてで広島駅に着くとカフェタイム。しばらくすると雨も止む。家に着くころには晴れになる。しかし、夜は呉や竹原で洪水警報。今朝は雨も止んだ。
 
 これからさらう曲とフルート発表会で吹く予定の曲の動画をアップしよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 

2018年4月24日火曜日

「ファミリーヒストリー」を見て感動!

 毎日見ているスウェーデンの105歳、ダグニーさんのブログ。昨日、ブログ上部に小さい印を見つける。これは何?と思って触る。さらに触っていると翻訳機能が表示される。なんとこれをクリックするとダグニーさんのブログ全体が日本語表示になった。それまでは読む個所を翻訳機能でクリックして読んでいた。素晴らしい機能に感動する。

 昨日午後、電力会社の人が我が家にやって来る。盗難月の深夜電力料金がメーター紛失のため分からない。昨年と今年の料金を比べて1日の料金を出して1月分を決めたという。それも寒かった今年の料金を参照せず去年の料金から割り出したそうだ。これについては電力会社の責任ではないので言われるままにする。説明する係りは帰り際「こんなに人通りが多い場所なのに何の目的で盗むんでしょうね」と話す。

 我が家は東南は通りに面している。特に東側は最寄りJR駅やスーパー、区役所、学校に行く人が通る道。気を付け、とのシグナルと思うしかない。この1週間、盗難に遭ったり テレビドアホンが通じなくなったりと大変だった。それも昨夜 ドアホンを触ると画像が写る。やっといろんなことが元に戻る。

 夜は久々にテレビ三昧。BSで見る「東京ディープ」。昨夜は麻布だった。リストラになった会社の本社が港区南麻布にあった。勤めていた頃、会社の社員旅行で金谷ホテルに泊まった際、本社や工場の見学もあった。初めて南麻布の本社に出かけたことを思い出す。しかし、昨夜テレビで見た麻布十番などは出かけていない。テレビに映し出される麻布は六本木ヒルズを見上げる場所に昭和を思わせる古い横町がある。これには驚く。あか抜けた都会の片隅に人間味あふれる場所があるのに驚く。

 この後は「ファミリーヒストリー」を見る。番組HPに「音楽家・坂本龍一さん。父・一亀さんは、三島由紀夫や水上勉の名作を世に送り出した伝説の編集者。そんな父は、龍一さんにとって目を合わすことができないほど怖い存在だった。今回見つかった、父の日記。これまで知らなかった父の姿が記されていた。さらに、坂本家の意外なルーツが明らかになる。九州大学で見つかった資料で、先祖は江戸時代、福岡藩黒田家に仕えていたことが判明した。涙あり、驚きありの73分拡大版」とある。

 坂本の父・一亀は大学在学中、召集される。終戦前に日本に帰されて通信業務に携わる。しかし、帰国できなかった人は終戦後シベリア行きとなる。一亀は終戦後、文学に明け暮れ同人誌を編纂。それを読んだ河出書房から編集の仕事をするようにと東京に呼ばれる。編集者となった一亀は亡くなった同僚が果たせなかったことを悔やみ、若い人を伸ばしてあげようとの意図から新人作家を発掘する。椎名鱗三もその一人。椎名の本を編集した人はどんな人物か、その人の本が読みたい、と申し出があり、本を届ける。受け取った人がのちに坂本の母になる。父は三島由紀夫、水上勉、野間宏、高橋和己など著名人となる人を発掘する。しかし家庭では子どもと決して目を合わせなかった。

 坂本が誕生すると大げさとも思えるほどの表現で誕生を祝っている。また、坂本が有名になった後も出版社に残る日記などに口にしなかったことを文章として褒めたたえた。

 坂本の母方の父。この人も凄い人だ。小作人として貧乏な家に生まれる。上の学校に行きたくても行かれず労働者になる。しかし、この人は行動力があった。昔の小学校を終えて3年が過ぎるころ、入りたい中学校の校長に直談判。中学4年に編入する試験を受けさせるように願い出る。校長はそれをOK してくれて猛勉強する。運良く合格し4年に編入。その後旧制の熊本の高校に入り池田勇人と知り合う。さらには京都帝大に入り、後の東京生命に就職。最後は東亜航空の社長にまで上り詰める。この娘が坂本の母。

 中学編入の話と坂本が誕生して親子であっても決して目を合わせなかった父が書き残した日記の場面に感動してしまった。

 この1週間大変な日々だった。テレビを見ても何をしても面白くなかった。やっと昨夜のテレビで感動して人間味を取り戻す。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月23日月曜日

『朝顔は闇の底に咲く』

 『朝顔は闇の底に咲く』という五木寛之の本がある。前回、日本画で描いた蓮の花。蓮は「闇の底」に咲くかどうか知らないが、朝早く咲く。日本画教室で早起きが苦手な2人は一生かけても蓮の花のスケッチには行かれないと言って笑う。蓮の花も子どもの頃は道路の向かい側に蓮池があってよく目にした。しかしこの頃は田圃も畑もなくなって借り上げ住宅やコンビニ、コインランドリーなどにとってかわる。教室で蓮の花のある場所を尋ねると市内では平和公園や植物公園にあるとのこと。たとえ蓮池を探しても起床時間が遅いので花も萎んでいるだろう。

 以下は先日読んだ『朝顔は闇の底に咲く』(五木寛之 東京書籍、平成23年)の抜粋。この中の「杣人(そまびと)」。今年初めの院展で「杣道」のタイトルの絵があった。その時初めて「杣道」という言葉を知った。本に出てくるのは「杣人」で「杣道」ではない。

 今日午後は電力会社の人が電力量の協定書を持ってくる。月曜日に出かけるプール。今日は泳げそうにない。それにしても鼻水がよく出る。寒暖差が原因!?とはいっても盗難にあった数日前は警官4人が来たり、と緊張しすぎで自律神経もまともだったのだろうか、鼻水がぴたりと止まっていた。ところがその翌日から今朝までは脳みそが出るのではと思えるほど鼻水が出る。ということでこれもプールで泳ぐな、とのシグナルかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私たちが日常のなかで生きていくことを支えるものは、もっと別の大事なことがあるように考えがちです。深い哲学的な思想だとか、あるいは宗教的な修行、信仰の深さ、あるいは生きていく上での人生に対する信念の強さ、こういうものを日常しっかり鍛えて、さらに頑健な体力があれば鬼に金棒、というふうに考えがちなのです。
 しかし、こういう読み方は偏った読み方かもしれないのですけども、意外にそうではないということを、私はフランクルの『夜と霧』のなかから読み取ることができました。
 人間は、ふだんどうでもいいと思われているようなこと、ちょっとした小さな楽しみ、そういうものをたくさん持っている人が、ひょっとしたら、言語を絶するような極限状態のなかで強く生きていくことができるのかもしれない。 
 そう考えてみると、私たちができるだけふだん生活のなかで多趣味な生活をしていることも決して馬鹿にしたことではなかろうと思います。156-157p

★私たちが生きていく上で、日常なんでもなく冗談を言って笑っている、あるいは洒落をいう、あるいは歌が大好きでいろんな歌を覚えたり歌ったりする、あるいは俳句を作ったり川柳を作ったりする、スケッチをする、旅行をする。
 いったん緩急あった時、趣味によって支えられる命というものもあるのではないかと、そう思います。159p

★昔は杣人(そまびと)と言われていた人々、つまり山で木を伐り、その木を加工して生活をしていた人がたくさんいたのですが、そういう人たちも木を伐る前にお祈りをする習慣があったと聞きました。
 もしかしたら、人間というものは、そういう自然への尊敬の気持ちがあった方が、精神的に豊かであるのではないかと思います。169p

2018年4月22日日曜日

大木に色を施す

 大木の根っ子を描いている。樹木も林ほど多くなく1本で、さらに根っ子の部分であれば描きやすいだろうと思った。ところがどっこい、この考えは甘い。昨日は3色を膠で溶く。そのうちの1色を筆の穂先で点、点、点…と描く。その合間にもう1色も点…で添える。

 青く苔むした箇所には他の色も同じく点…で添える。この点…で描くやり方は近いうち広島市郊外の美術館で親子の点描画家による展覧会がある。ところが開催される美術館は不便な場所にあり公共機関を利用しては行かれそうにない。美術館のHPを見ると美術館が募集する展覧会情報がある。それには最寄り駅集合でランチ、喫茶、鑑賞券などがセットになっている。

 毎日が日曜日の生活。GWにどこかへ行こうという気も起らない。かといって家にじっとするのも嫌だ。GW期間中に美術館鑑賞のセットが発売されれば参加するのに、と思った。生憎GW期間中はなくて開けてからになりそうだ。それでも散歩がてら出かけてもいいので申込む!?

 話は絵に戻る。途中まで描いた絵を見て先生は描いた前と後の絵を写真で撮って比べるといいと話される。それは前より描いた後の絵の方がいいとのことらしい。絵が旨ければ絵を描く段階をブログにアップするのに、と思う。しかし、まだまだそこまでの段階ではない。いやずっと、これから先もずっとこれは不可能。それでも昨日は1人で大分描けた。ボツボツと気長に描いていく、それしかないようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月20日金曜日

造幣局広島支局「花のまわりみち 八重桜イン広島」を見に行く

造幣局の桜

造幣局の桜

造幣局の桜


福禄寿

福禄寿

太白?

須磨浦普賢象

青空に映えて咲く桜

見ごろも過ぎてしまった桜

花びらも道に落ちている

造幣局の桜

造幣局の前の小川

上にいる細長い黒いのがメダカ

造幣局前の小川にはメダカが生息

 春の陽気に誘われて今年も広島造幣局の桜を見に行く。昨日が今年の桜の開放最終日。本来ならば早めの予定が盗難などがあり出遅れてしまった。お蔭で人も少なくゆっくり桜を愛でる。去年は白い色ばかりに焦点を当てて写真に納めた。しかし、今年は桜の開花時期も終わりを告げて咲いている桜だけを見て歩く。幸い今年の桜の「福禄寿」はまだ少しだけ散らずにいた。

 桜を見終えて造幣局を出ると前に小川が流れている。昨年までは「メダカ」の生息はなかったはず。立ち止まっているとメダカが群れを成しているとの声がする。デジカメをアップにするとメダカが泳いでいるのが見えた。

 造幣局と最寄りJR駅を結ぶ臨時バスが来るまでに先ほどメダカの話をした人かと思い声をかける。違う人だった。ところが「袖すり合うも他生の縁」ではないがいい人に思えてついつい電気メータ盗難について話をする。関心を持ってもらえたようだ。JR五日市駅にバスが着くころには時刻もお昼になる。「お昼を食べよう」と意気投合し、駅界隈をざっと見渡す。だが食事場所がわからない。少し歩いて道行く人に尋ねると先に行けばカフェがあるとのこと。教えてくれた若い女性はわざわざ引き返してくれて道の対面にあるデパート内にお好み焼き屋があると教えてくれる。

 珈琲が飲みたいので初めに教えてもらったカフェに行く。イタリアンのお店らしくスパゲティーのお昼のランチがあった。それをいただく。見知らぬ人と一緒に頂くお昼。感じがいい人だった。こちらが一方的にしゃべった感がある。話を聞くと県北から高速バスに乗って桜を見に来られたそうだ。

 広島駅が3月末、新たにレストラン街がオープンしたと話すと見に行くとのこと。一緒に広島駅まで行く。市内に住んでいても広島駅付近が急激に変わっている。ちょっと見ぬ間にどんどん街になっていく。広島駅に出店したレモンのケーキ屋付近は昨日も行列だ。ここでケーキを買って帰られたようだ。旅は道連れ世は情け、の一日となった。

 家に帰ると盗難の余波の電話がある。「050」で始まる電話だ。電力会社からの電話で昨日まで4度かかる。それも全部担当者が違う。「変な電話は出ない」と告げると「050」は出てくれとのこと。次の4桁が同じ番号なので社内の内線番号が異なるのだろう。電気メータの盗難のため電力消費量が分からない。その協議調停書の押印に来ると言う。適当でいいと告げるとそうもいかないようだ。来週初めに来ると言う。

 最近の盗難事件で気分も疲れ、いろんなことに気を使いたくない。昨夜はCarpの試合が5時間くらいある。ヒトのツイッターやCARP情報で気分が要らぬ方向に左右される。これでは体に悪い。今朝思い切ってお気に入りにしていた9件を削除。精神的に楽しくなるコトだけに関心を寄せよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後にひとこと。電力会社の人との電話で「何で電気メータを盗むんでしょうね?」と聞かれる。「さあ」と返事をする。ヒトには盗んで売るのでは、といい加減なことを話したけど本当はどうなんだろう。

2018年4月17日火曜日

電気温水器の故障

 今朝は大型ゴミの日。布団3枚と毛布1枚を出す。ところがあいにくの曇り空。時折、ぱらっと雨も降る。早く取りに来てくれるといいけど…。

 今朝は心配が尽きない日となりそうだ。これは昨夜から続く。お風呂に入るとお湯がぬるい。おかしい、と思いつつお風呂に入るが一向に熱い湯が出ない。さあこれからが大変。お風呂の暖房も入れるがお湯につかるほどのあたたかさはない。困った、と気になる。お風呂から上がるとネットで調べる。「熱湯が出ない、電気温水器」で検索。エラーコード、云々とある。これをメモして、先ほど温水器を見る。漏電ブレーカを「切る」にして3秒後「入る」にと説明がある。

 どうにもならず温水器に貼ってあったメーカーの電話番号にかける。先ほど係りが来てくれた。しかし、エコキュートに買い替えるようにという。今の温水器は母が怪我をして新たに付けた。2006年製とある。12年前のようだ。新たにするならば義兄に頼んで設置した業者にお願いするほうがいい。しかし、金額が高くつく。修理できるのであれば修理を、とお願いする。メーカーへ電話してきてくれた業者は修理をメーカーと相談してさらに業者を寄こすという。

 今日は心配が絶えない日となりそうだ。ひさびさにこの気持ちを味わう。それにしても蛇口をひねればお湯が出る生活もいざとなれば不便この上ない。今夜はお風呂に入れそうにない。もしかして当分は入れないかもしれない。それにしても風呂屋は何処にあるんだろう。後で調べよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!それにしても久々に心配の種!

2018年4月16日月曜日

広響第379回定期演奏会&GWetc.

 姪のメールに「トーハクの招待券をもらったのでGWの予定ができた…」とある。「トーハク」がわからず電話で聞くと東京国立博物館だそうだ。今年のGWは長い。前半は博物館に行き、後半はベトナムでフォーを食べるという。以前ベトナムに行った際、螺鈿の手鏡と3つ入った小さな民芸品が気に入る。手鏡の方は壊れてしまった。ベトナムに行って買って来てくれるという。ベトナムは元フランス領で食事は美味しい。しかし、GWの季節は暑さも半端ではなさそうだ。いろいろ話しているとお盆にヨルダンへ行く予定を他の国に行き先を換えるという。気が進まないことは止めた方がいい。そう話して行き先変更を歓迎する。

 毎日が日曜日になるとGWも関係がなくなる。しかし、働いていた頃は長い休みがあれば海外に出かけていた。この頃の若者は海外もそうだけど車なども興味がないらしい。時代が変わったと言えばそうかもしれないけど、夢中になるモノがあるのだろうか。あっという間に歳を取る。もっと積極的に生きればと思うけどこれも老婆心!?若者に気を配るより自分に気を配れと言われかねない。

 話は変わって昨日の広響第379回定期演奏会。開演は午後3時。演奏曲目は下記のようであった。

🎵モーツアルト ピアノ協奏曲第12番イ長調K. 414(385p)

 ピアノにアンドレ・ラプラントを迎える。アンコール曲としてピアノ独奏でJ.S.バッハ作曲(ブゾーニー編曲)アダージョ(BWV 564より)が演奏された。アンコール曲はいつもながらしっとりとした曲が演奏されて心地よく響く。

🎵ブルックナー 交響曲第6番イ長調(原典版)

 ピアノのラプラントは指導者としてもすぐれているらしい。2015年のショパン国際ピアノコンクールで2位となったシャルル・リシャ―ル・アムランを育てている。来月アムランのピアノリサイタルが廿日市市で開催される。すでにチケットは購入済みなので楽しみ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月15日日曜日

樹木の根っ子を描く

 雨も止んで日差しがまぶしい。新聞を取りに出ると同級生と出会う。氏神様の掃除を土日祝日にやっているという。亡くなった母親の遺志を継いで18年間掃除をしているそうだ。立ち話の後、「頑張りましょう!」と声をかけられて分かれる。この言葉、信頼する人から言われると嬉しい。だが、そうでない人から言われるといい気がしない。自分自身、「頑張る」言葉は好き。しかし、人に対して言うべきではないと今朝気づく。自分が言われて嫌な言葉は言わないようにしよう。「頑張る」は自分自身に言う言葉と、思うけど…。

 気分を変えて昨日の日本画教室。「自分一人でできるようになるのが夢」と先生に話したために昨日もそれを言われる。樹木の根っ子の絵を描いている。トレーシングペーパーで地塗りをしたパネルにトレースする。ところが淡い色のカーボン紙がない。急遽、トレーシングペーパーで白のカーボン紙をつくる。パステル画で使うパステルの白をトレーシングペーパーに手で塗りつける。白のパステルが足りなくなり、ピンク、のパステルを上に塗る。こうやってピンクのカーボン紙が出来上がる。日本画はどういっても絵を描く手順がいろいろとある。ピンクのカーボン紙作成まで教わるとはびっくり。

 絵具を膠で溶いたりカーボン紙を作ったりと右手の中指は今朝もまだ作業の手で黒ずんでいる。お風呂に入ってもなかなかきれいにならない。人が見れば何の仕事をしているのかと疑われそうな手だ。

 カーボンを下にしてトレース後、地塗りの上に色を施す。一人でやるがさあ大変。3度目の色は先生のアイデアで色を決める。次からは大木らしく色を施す予定。絵の完成まではなかなかだ。それにしても樹木の根っ子を描く発想は変!?教室の人にいつも変わった絵を描くと言われてしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月14日土曜日

らららクラシック&大型ゴミ

 暖かくなって動きやすい季節となった。春の彼岸から秋の彼岸までがどういっても動きやすい。そう思って気になる布団類を整理する。整理と言いながらもただ大型ゴミに出すだけ。それでも市に電話して引き取りをお願いしなければならない。ところが電話がつながりにくい。どの人も同じ考えで不要な大型ゴミを廃棄するのだろうか。やっと電話が通じると4,5日先の火曜日までに布団を玄関前まで出さねばならない。昔の布団はどういっても重い。とりあえず、押し入れから出した布団を廊下辺りに置いておく。今回は布団3枚と毛布1枚を出す。まだまだ布団がある。3,4枚ずつ処分してゆけば少しは片付くだろう。

 昨日は資源ゴミの日。これは家の前に出せばいい。母の着物類を半分くらい残していた。どう考えても誰も着そうにない。前回は燃えるゴミとして出した。これはもったいない気がして昨日は資源ゴミに出す。それにしても整理しようとすれば塵が舞って部屋の空気も悪くなる。それでなくても鼻水が出やすいタイプ。片付けるのはいいが、鼻水がいけない。

 気を取り直して昨夜の「らららクラシック」。番組HPを見ると次のように書いてある。

  解剖!伝説の名演奏家「幻の指揮者ムラヴィンスキー」。旧ソ連時代、半世紀に渡り、世界屈指のオーケストラ、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として君臨したエフゲー二・ムラヴィンスキー(1903—1988)。少年期にロシア革命を経験し、芸術家への監視が厳しい社会を生きながら、信じる音楽のためには、どんな圧力にも屈しなかった人物。70年代の初来日まで、「幻」と呼ばれていた巨匠の実像に迫ります!

 ムラヴィンスキーは昨夜初めて知る。気難しそうな人に思える。しかし当時のロシア語通訳によるとそうでもないらしい。天ぷら屋に同行した際、通訳はムラヴィンスキーに箸の使い方が変と話す。するとムラヴィンスキーは指揮棒は1本だから2本は難しいとジョークを言う人だったそうだ。

 番組司会者の高橋克典。この人が好き、というわけではないがBSの「わたしが日本に住む理由」の放送も見ている。ともに司会者として出演。癖がない人みたい。だから感じよく見えるのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月13日金曜日

”We can do it!”

 今更、と思うけど「奇跡のレッスン」を見るのが好きだ。いつもはBSでの放送が新年度からはEテレで再放送される。昨夜は「“チーム”のために泳げ! 水泳(後編)」だった。指導者はオーストラリアのピーター氏。オリンピック、パラリンピック選手などを指導する。番組HPによると以下のように書いてある。

 「奇跡のレッスン」、「水泳」の完結編。「最強コーチ」は、水泳大国オーストラリアの現役代表コーチ、ピーター・ビショップさんだ。数多くのメダリストを育てたピーターさんの指導の鍵は、「チーム」。子どもたちは、1週間で1人1秒近くタイムを縮め、チーム全体の合計タイムを減らすという高いハードルに挑むことに…。少し頼りないキャプテンが、スランプのエースが、目の色を変え始める。驚きのラストを見逃すな!

 番組の中で「できないことは考えない」、「頑張ろうと努力する」ことが大事だと話す。

 ある場面では25mプールを12回以下のストロークで泳ぐように子供たちを指導する。自分のなかではこれはすごいことだ。遊びで泳ぐのと将来の選手を夢見るものとではその感覚は違うとしても凄い。レッスンを受けた中学生はどの子も12回以下で泳ぎ切った。

 ピーターは水泳について技術・精神力・日々の鍛錬・楽しむことが大事と話す。「楽しむこと」だけ自分に当てはまると思ってテレビを見る。

 ピーターは左手の下部分が先天的にないマシューを正常者と共に学ばせた。その結果、パラリンピックで優勝する。決してハンディを嘆かずにレッスンを受けたマシューを例えて子供たちにレッスンを続ける。この底辺にはポジティブ・スピリットがあった。そして子供たちは口々にピーターから教わった英語で次のように言う。”We can do it!”。

 子供の頃も今も運動音痴。もう次元が違う話だとテレビを見て思いながらも反省しきり。”We can do it!”を捩って”I can do it!”。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月12日木曜日

小さい片付け

 気候も良くなってきた。少しずつ部屋を片付けようと重い腰を上げる。まずは大きなものから、と先日、布団3枚と衣装ケース2個を大型ゴミに出す。その続きを、と思うが気合が入らない。カープは連敗続き。テレビで野球を見ながら小さい片付けをする。

 引き出しを外して中身を出す。海外で買った絵ハガキや人からもらった絵ハガキもある。何かの折にこれに書いて出せばいいと思ったのだろう。ネットのない時代、絵ハガキを見たり利用することもあったかもしれない。しかし、今やどんな手段でも世界の観光地がわかる。片付け始めはもうしばらくとっておこうとした。しかし、すべてゴミにする。

 同じところに人から送られたハガキもある。初めての海外旅行で知り合った人だ。今でも年賀状のやり取りをしている方で大学の先生をされていた。ハガキには「卒業おめでとう…」とある。9年前の年賀状に卒業すると書いて出したのだろう。それを祝ってくださる内容だった。当時は忙しく過ごしていた。その返事をちゃんと書いて出したのだろうか。これは捨てられない。

 他にも家族で出かけた写真や姉の孫たちの写真、姪と甥の結婚写真もある。他にも姪が毎年母の日(婆の日)と母の誕生日に花束を送ってくれた際のグリーティングカードもある。究極は姪の留学先のエアーメイルの宛先を印刷した封筒が束にしてある。母はその封筒に手紙を書いて外国にいる孫に送っていた。今であればネットで手紙も出せる。ネットのない時代のお話だ。

 昨夜姪に「以前の留学先の住所がわかる?」と問うと忘れたと笑って話す。いろいろと話していると2つ、いいことを言う。「モノはゴミとなる」と話すと姪は「勉強はゴミにならない」、「モノでも初めはそれを手にして満足したのだから後でゴミにしてもいい」と言う。これを聞いて「そうだ、いいことを言うね」と思わず褒める。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月11日水曜日

フルートのG♯キー&春の日本画展

 さらっているショパンの🎵ノクチュルヌハ短調(遺作21番)🎵。この曲には「ラの♭」(ソの♯)のキーが頻繁にある。これは「G♯キー」という。G♯キーは左手の小指で押さえて吹く。ところが長くフルートを習っていても素早くキーに触れないでいた。このことを左の小指が短いからだと言い訳にする。

 今年はG♯キーに素早く触れるのが課題だ。昨日レッスンで先生から左手の小指をこのキーに近づけて吹くようにと諭される。それでも心で「小指が短いんじゃ」と思いつつ吹く。何度か言われるうちフルートに左手全体を近づけたのだろうか、うまく吹けた。「これ、これ!」と吹いた後、自分で驚く。フルートを持つ左手の角度を変えただけでG♯キーに楽に小指が触れる。これはまさに目からうろこが落ちた瞬間だった。

 フルートは両手の指10本をフルに使って吹く。そのため、フルートを支える指がキーによって少なくなることもある。そうなると音も微妙に変わる。これではいつもきれいな音で吹くことが出来ない。

 左手の小指で押さえる「G♯キー」。うまくできそうだ。気分良くしてレッスンを後にする。八丁堀まで歩いて午後3時、気に入ったカフェでティータイム。一休みした後、今月いっぱい開催中の日本画展に出かける。会場は某金融機関のビル10階にある。「春の日本画展」と題されて「麗かな季節の美にふれ春を憶う」のサブタイトルがつく。

 文化勲章、文化功労受賞者などの作品が40点近く展示される。何と堀文子の「椿と山吹」の絵もあった。やっぱり堀文子の絵はいい!じっと見入ってしまった。他にも吉原慎介の「緑陰」、小栗潮の「三色菫」、栗原幸彦の「黄菖蒲」もよかった。「三色菫」の菫の描き方を見て描いてみたくなる。

 絵を堪能した後はソファでビデオ鑑賞。いつもの如くお茶が運ばれる。いただくお茶を飲んで何と美味しい、と思わず声が出そうになる。それほど美味しいお茶が出る。それにしてもこの金融機関のなんという至れり尽くせりなことか。昨日の朝、この金融機関とは別のところで年に一度の証書の書き換えに行く。「何と異なる応対よ」、と影の声。

 自宅最寄りJR駅を降りて家に向かう途中、白いゴールデンレトリバーの飼い主と出会う。ところが犬がいない。おかしいと思いながら歩いていると似た犬を連れた半パンの若者に挨拶される。「知っている犬と同じじゃ」と話すと代わりに犬を散歩させているとか。相手は誰かわからないので尋ねると「光〇寺」と話す。しかし隣町に住んでいるらしい。「何で隣町?」と聞き返すと寺を手伝っていると言う。寺の名前を聞いたので、この辺りの人は小さい頃、そこへ通っていた旨、告げる。また「われらは仏の子供なり~」の歌を知っているかと問うと知らないらしい。「何で知らんのん?」とさらに問うと子供と接触しないと言う。何者かが分からないうちに家に着く。「じゃ、住職の卵?」と聞くと「僧侶!」と返事がある。「悪いこと言ったね」と謝って家に入る。

 後で気づく。わが家は浄土真宗ではないのでそのお寺との付き合いがない。母がよく「伴僧さん」と言っていた。昨日のお坊さんはお寺に住まず通っているそうだから通いの伴僧さんだろう。失礼なことを言ってしまった。思い出してもなんか可笑しい会話だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月10日火曜日

♪春は名のみの風の寒さや~♪


 「春は名のみの風の寒さや~」、♪早春賦♪の歌のような今の気候だ。どういっても朝が寒い。昨日は地震で寝不足のうえに寒いしお天気もはっきりしなかった。それでも勇気を出して自転車でプールに向かう。外気が寒い間はプール内の水を温かく感じる。お天気が悪いためか人が少ない。泳ぎ終えて更衣室で着替えていると、いつも出会う人から泳ぐ輪に入るようにと言われる。つるんで泳ぐと後からせかされる気がする。これは嫌なので断る。その人曰く「人と泳ぐとリズムが取れて泳ぎやすい」とか。

 受付までエレベータに乗ろうとすると「階段を歩く人かと思った」と言われる。ヒトがする行動をチェックすると思ったら家は何処かと聞かれる。「小学校の校門近く」と返答するとある人の名を出してくる。「その人は同級生」、と答えると怪訝な様子。「高校が同じ」と言うとさらに考えている。同級生は県北の出身なのでおかしいと思ったらしい。高校が同級生の人だ。

 どうであれ、こういう人が一番の苦手。ヒトとつるんで行動するタイプでないので仲間に入れてほしくない。仲間は旅仲間のような愉しい人がいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月9日月曜日

♪水芭蕉讃歌♪&地震発生!

 深夜1時30分頃、地震で目を覚ます。震源地は島根県大田市で震度5強、マグニチュード6.1。広島県の東部は震度4、住んでいる街は震度3だった。しかし、揺れが長く続き、震度5かと思ったほどだ。その後、30分間に4度揺れる。地震発生後に何度も揺れるのは初めての経験。ずっと揺れが続くのかと気になって寝られない。3時半ごろ寝ついたのだろう。今朝のニュースではこれまで余震が22回あったとか。

 以前、各地で発生した地震で何度も余震が続いていた。我が身に降りかかってくるとどれほど怖かっただろうとやっとわかる。地震発生時、携帯のワンセグを見るとNHKも放送点検中で直ぐには放送されない。

 以前の予定では来週、島根や米子へバスの日帰り旅に行くはずだった。気持ちがついて行かず、先月、旅行社にキャンセル。これは正解だった。これから1週間は余震が続くという。

 今回の地震は関西方面や九州までと範囲が広い。「地震に十分お気を付け下さい」とテレビなどで放送するがどうやって注意すればいいんだろう。

 気分を変えてネット記事から戸隠高原と尾瀬の水芭蕉をアップ。来月、水芭蕉に会いに行く!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

戸隠高原の水芭蕉(来月ここへ行く予定)

2018年4月8日日曜日

アルミ箔砂子撒き

 昨日から冬に逆戻り。一気に春を通り越して夏と思った矢先、寒さがぶり返す。県北では雪が降ったそうだ。昨日、日本画教室に出かけようとするとあまりにも寒い。家に引き返して着ていた服を冬服に着替える。予定の列車に乗り遅れてしまった。

 遅れて教室に入るとニューフェースもお目見え。若いということは本当に素晴らしい。教室も若返る。鳥の子紙を貼った木製パネル6Fを持参。大木の根っ子の部分の絵に取り掛かる。まずはパネルの地塗りをする。あらかじめ何色に地塗りするか考えるようにと先生。色見本を決めて先生に相談する。3色ほど大体の色を決めていた。その中から薄緑がかった色に決める。

 先生は色見本をご覧になって「1色でなく何色か混ざって見えるでしょ?」と話される。色見本と同じような色の絵具を探した結果の後だった。言われてみれば何色かの色が混ざっている。結果、胡粉を含む3色を混ぜて地塗りする。2度目の地塗りにさらにグレイ系も混ぜる。見本の色と同じような色になった。何年習ってもこういうことさえわからない。先日来から先生に「1人でできるようになるのが夢」と話した。それを言われる。それはあくまで夢だけど…。絵を描くのは難しい!以前にデッサンした下絵をトレースする。来週からはこれを本画にしていく。

 そういえば、地塗りの前に先日描いた蓮の花の絵に砂子をかける。これは先生が粉になった金銀などを絵に振りかけると勝手に想像した。ところが先生は「アルミ箔」を購入したと言われる。この1枚を竹ばさみではがすようにと言われてもうまくできない。ゆっくり丁寧にはがして筒に入れるが、何をやっているのか分からない。さらに筒に筆をさすようにと先生。筒の中を筆で混ぜると「そうじゃない」とのこと。もう何をやってるのかさっぱり分からない。筒の下は網になっていてゆっくり振ると粉末状になったアルミ箔が落ちる。この振り方もどこに振りかけるかが大事らしい。箔を撒くだけで絵もよく見えてくる。

 ネットで調べるとこれは「砂子撒き」というようだ。今回は「アルミ箔砂子撒き」になる。残ったアルミ箔はいつの日か、パネルの地塗りに使うらしい。

 話は変わって今朝見たある人のブログに「恬として恥じない」がある。恥ずかしながらこの意味が分からない。ネットで調べると「他人恥ずかしいと思う事でも、全く気にかけないでいる様子を意味する表現。『恬として』とは、悠々と気にかけないさまを意味する」とある。 覚えておこう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月7日土曜日

記事あれこれ

 今朝は冬に逆戻りの気候で予想最高気温は12度とか。気温の低さに加えて風も強く吹く。寒さに負けず、気合を入れて…。

 地元紙を読むと時々、知った人の名前を目にする。昨日は市内で開催されている美術展で初入選の記事がある。知っている人だ。東京の美大を出た人で社会人大学生の頃、共に学んでいる。先日、その人が所属する会から美術展の案内状が届く。だが、まだ出かけていない。今朝の地元紙には同じく社会人大学生の頃に学んだ先生が本を著したとの記事がある。しかしこの先生は闘病中らしく同僚によって1冊の本に集大成される。

 先日、共に学んだ親子ほども違う若い人と会った際、この先生の闘病生活を聞いた。病に伏せる人を悪く言いたくない。しかし社会人で学んだ時、何が一番嫌だったかと問われればこの先生の名をあげる。ここに記すのさえ嫌なのでこの話は止めよう。ヒトに恨まれるような人になってはいけない。いつか自分の身に必ずやって来る。

 話は変わって今朝のネット記事。「頑張っても報われないなら省エネで」中国で「仏系青年」大流行 ー由来は日本の「仏男子」とある.https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180406-00010002-binsider-int(参照)

 人民日報は2017年12月13日の記事で、仏系青年を「こだわりもやる気もない。何か聞くと『何でもいい』と答える若者たち」と説明し、現代の速すぎる生活リズムや激しい競争、プレッシャーで疲弊した90後(1990年代生まれ)の、社会に対する一つの対処法でもあると分析した。

 日本でいえば引きこもりとまではいかなくても目的もなく、またやる気もなく生きている若者だろうか。これが昂じると昨日のネット記事の「日本でも50代で引きこもりが50万人」とあるようにその先は生活保護に向かうのだろう。

 若い頃、家にいて親のすねをかじることは考えられなかった。初めて就職した会社を30歳でやめて、失業保険を10か月もらった。その時でさえも家にじっとしているのが嫌なので習い物をしていた。それが終わるころ知り合いにバイトを紹介され、その後に2度目の会社に勤める。そこを50代半ばまで務め終えるまで収入ゼロの時はなかった。そのお蔭で今は年金生活。

 引きこもりのままに年老いて行けば年金だって簡単には手にはいらないかもしれない。生活保護予備軍となるだろう。行き当たりばったりの人生でなく、もっと自分を大切にすればと思う。これも人それぞれでとやかくいえない。

 またまた話は変わって昨夜のカープ。推しメンがヒーローインタヴューに登場する。カープファンのツイッターを見るともう大喜びだ。良かった、良かった!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月6日金曜日

『「反日」中国の文明史』&カープ・ファンのツイッターから

 プロ野球が開幕すると自分のことでもないのに一喜一憂してしまう。カープ・ファンの見知らぬ若者のツイッター。これも見すぎると体に良くない。そう気づいてツイッターを削除。見なければ気にしなくてもいい。ところが昨夜、某選手の打席を見て我慢できなくなる。ある人のツイッターを見ると「今日はただ推しの存在を喜び、推しの存在に感謝し、推しの成果に感激をした素晴らしい一日だった  明日もそうでありたい」とある。

 これほどまで言ってくれるファン。選手本人にこの気持ちは届かないかもしれない。それでもたくさんのファンにそう思ってもらえる選手。若者のツイッターを見て自分もその気持ちになる。

 ナニゴトもこれくらい燃え上がると毎日の生活はCarpオンリー、それも推しメンオンリーの生活になるだろう。何の感動もなく一日を過ごすより、何かに打ち込めるモノ、コト、ヒトがあることはそれはそれで人生は楽しくなるに違いない。

 しかし、そのツイッターを見てこちらの気持ちが一喜一憂するのは如何なものか。ナニゴトも適当に!この気持ちが昂じて昨日はやっと読んだ平野聡の本をメモする。入力に時間がかかる。だが、し終えると何か素晴らしいことをやり遂げた気がする。人さまのツイッターを見るのでなく、自分で行動を起こす。この方が楽しい。ということで以下はそのメモ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 『「反日」中国の文明史』(平野聡 筑摩書房、2014年)からの抜粋。

★近年の急激な日中関係悪化の中で、中国に対する拒否感から、中国のことを知りたくないという風潮がはびこる現状を心から憂えるものである。…長年中国に関心を持つ者として、中国の権力が引き起こす問題と一般の中国人の考え方にはズレがあること、しかし両者には同時に連続もあることを示したい。016-017p

★日本に対する強硬な姿勢が明らかな習近平政権が、現在前面に押し出しているキーワードがある。それが、「中国夢(Chinese Dream)」である。017p

★中国夢なるものの主体は、あくまで「民族」あるいは「集団」であり、またそうでなければならないという強烈な前提がある。「民族精神」によって固く結ばれた集団としての「中華民族」が巨大な力を作り出すことによって、一つの時代を切り開いてゆくのだという。018p

★「中國」「華夏」「中華」とよぶにふさわしい文化的水準を満たさない人々を夷狄(いてき 野蛮人)とみなす思考が一般化していった。これこそが、今日に至るまでの東アジアにおける政治・文化思想を固く縛り続ける華夷思想の起源である。038p

★反乱を起こした人間は失敗する限り反逆者であるが、反逆の成功自体、「天命」が自らの側にあることを示す何よりの証拠であり、その瞬間から反乱の指導者は新たな聖人君子となる。「正しい乱」は許されるし、天の意志にかなう。このような反逆の過程と論理を「易姓革命」という。天が命を革(あらた)め、聖人の姓を易(か)える、という意味である。044p

★「夷狄」を満足させつつ、天子=皇帝が「天下」を平らかにするという大原則を貫くためにはどうすれば良いか。「華夏」の都市国家における君臣関係を、そのまま「夷狄」に対しても拡大すれば良い。これが、日清戦争敗北(1895年)まで連綿と続いた具体的実践、すなわち、「天下」を覆う「徳治」「礼治」である。045p

★モンゴル、チベット、そして東トルキスタン(ジュンガルがトルコ系のイスラム教徒を支配していた)の順に、一八世紀半ばまでに清の支配が及んだ。今日の中国では、東トルキスタンの地は新疆と呼ばれるが、これは乾隆帝がジュンガルを滅ぼし、その支配地を手に入れたことにちなんだ、新しい土地という意味である。注意すべきは、これらの地域に住む人々、そして満州人自身、もともと漢学・儒学とは無縁な世界で生きてきたということであり、しかも清の支配が内陸アジアに広がる過程では、「中華の礼」を尊ぶことではなく、チベット仏教を尊ぶことが第一であった。067p

★明治政府は、清が琉球=日本であることを認めるような機会を待つことにした。その機会は意外にも早く訪れた。宮古の漁民が台湾東部で殺害されたことへの報復として行われた、一八七四年の日本軍台湾出兵がそれである。…当時台湾西部では、福建や広東東部から移住した漢人がすでに多数派となり、元からの住民であるオーストロネシア系(海域東南アジアを覆うマレー的文化)の人々は、山岳へ追いやられるか同化を余儀なくされていた。…日本は、琉球の属民である宮古島民に代わって仇討ちするという名目で出兵し、しかも清は日本の対応に不審を抱きつつも、遠路出兵して「化外の愚民」を懲らしめた日本をねぎらうと称して出兵費用を支払った。…宮古=琉球属領=日本が管理する土地であり、琉球人=日本国民であるという図式が成り立つ。…明治政府は一八七九年に琉球王朝(琉球藩)を廃絶し、沖縄県を設置する措置をとった。090-091p

★清末のエリートはその取りかかりとして、一方では日本式の憲法・管制・軍制を取り入れることで、満州人皇帝を「万世一系」として頂きつつ立憲政治を実現させようとした。これを清末新政という。…漢人ナショナリストは、日本の「万世一系」の源流にいる神武天皇のイメージを拝借し、「世界民族主義の大偉人・中国民族の始祖」たる「黄帝」を祭り上げることを忘れなかった。115p

★人間は「労働に応じた分配」ではなく「欲求に応じた分配」を享受するようになる。自由で自発的な生産と連帯のみが存在すれば、人間を縛る国家や制度は不要になるため、共産党政権すら次第に死滅してゆく。これが究極のユートピア・共産主義社会の到来である。繰り返し言う。共産党と社会主義国家は本来、自らを死滅させるために構想された。しかし現実にはそうなっていない。むしろ共産党と社会主義国家は、その存続のためにあらゆる無理難題を国内外に広げてきた。何という矛盾であろうか。マルクスもレーニンも、「国家の死滅」に関しては空想しか語らない。148p

★毛沢東の文化大革命は、文化が顛倒する大革命であったが、顛倒した後は何ら新価値を生まず、凄まじい精神的荒廃が残った(文革を輸入したカンボジアのポル・ポト政権の下でも全く同じ悲劇が起きた。日本の学生運動が毛沢東を崇拝して過激化した結果起こった、連合赤軍による「山岳ベース事件」「あさま山荘事件」の悲劇も、基本的には小さな文革と考えてよい)。人々が唯一信じられるものは、ただ単にモノとカネのみとなった。これは文明の死である。改革開放の中国社会が凄まじい拝金主義になる土壌はこうして形成された。158p

★「中国」という名称は本来、黄河の中流で生まれた文明の名前であって、領域の名前ではない。「国家」とう漢語は、あくまで無限に拡大する「天下」を担う権力=国を担う家のことであり、今日この言葉が思い出させるような、限られた領域とそこに住む人々の総和ではない。…人々は「天下」があることのみを知り、自分は限られた範囲の「中国」に住む「中国人」であることを意識する必要は全くない。166-167p

★彼(梁啓超)は「中国史叙論」を著し、我々は従来「天下」を知るのみで、国家としての「中国」を意識したことがなかったと痛切に自己批判した。そのうえで、当時残されていた清の領域全体を「中国」と呼び(これは上述の外交上の変化と一致する)、その中に住む漢・満州・モンゴル・チベット・トルコ人、そして南方の苗(ミャオ)族を一括して「漢とこれらの人々は互いに混ざり合っているので、全て同胞とみなしたところで何の問題もない」と論じた。これこそが、今日の「中国」「中国人」「中華民族」という発想、すなわち「元々は多様であるものの、中国文明の求心力を軸に諸民族が対立と癒合を繰り返し、ついにはひとつの国家・共同体を共有するに至った」という発想が立ち上がった瞬間である。173p

★読者の皆さんは信じられないかも知れないが、今日の「中国人」が国家としての「中国」を語るとき、その語り方は基本的に日本人が発明したものなのである。だからこそ、近代に入ってからの「中国」は、中国文明固有の考え方によって成り立っているのではなく、「他者の夢を強いられて自分の夢としている」状態である。しかもよりによって十数億人の脳髄が、日本人が考えた発想によって完全に支配されなければならないとは!176p

★本書は総じて、近代日本を成り立たせた福沢諭吉の名著『文明論之概略』を念頭に置き、「徳」による政治がなぜ上手くゆかず、「智」による政治がなぜ上手くいったのかという視点から、中国文明の巨大な曲折を巻き起こした。そして、中国の今日の問題はその歴史と強く結びついており、個々の中国の人々もそれにかかわりながら同時に被害者でもあるということをわかりやすく示そうとした。この中から得られる教訓は、日本は「智」の政治で、世界中の国から理解を得られる公正な社会をつくればうまく行くということである。しかし、近年、それを否定して上から「徳」を振りかざし、憲法にしても個別の政策でも国民・社会に守らせようとする議論が高まりを見せていることに強い懸念を覚える。…その順序をはき違えた議論は、福沢諭吉の予言通りに日本をかつて極端な政治と敗戦に追いやったし、今改めてこの日本の政治を、中共の支配に似たものへと陥れる危険がある。265pあとがき

★本当に日本が国際社会から信頼・信用されるためにはどうすれば良いか。日本を攻撃する国の立場を無力化し、少なくとも第三国が常に日本の立場に理解を示してくれるようにするためにはどうすれば良いか。日本国民が相互信頼と道徳心に基づく社会を再生産するためにはどうすれば良いか。その基礎は、中国文明の影響を受けてきた日本社会にも潜む《孔丘の誘惑と罠》をいかにして排除するかにかかっている。265-266pあとがき

2018年4月5日木曜日

人生のパイ

 雨になる前に再度桜を見に行く。前回出かけた場所の対岸から桜を見る。夜桜の席取りなのか青いビニールが敷いてある。その傍で花見をするグループもいる。今年の桜はピークを過ぎて人影もまばらだ。出かける前にスーパーでお寿司を購入。桜の下で食べると美味しさも増す。

 この頃、「人生のパイ」について思いを馳せる。「パイ」は円周率やデザート類のほかに総額などの意がある。「総額」まで探すのにかなり苦労する。容積、容量などのキーワードで検索するが思うような言葉が見つからない。思いつくままに総容量で検索するとこのタイトルのブログがある。これが知りたかったキーワード、と思ってそれを読む。

 ブログには面白い表現がある。美空ひばりやエディット・ピアフのように一世を風靡した人は人生のパイが決まっているのか早世だ。ブログの人も「素晴らしい人、いい人、才能豊かな人を天国は集めたがる。そうとしか思えない」と書く。「天国は集めたがる」の表現がうまい!

 このブログの人は記者だったらしく団塊世代と同世代の人だ。

 どうもがいても「人生のパイ」は決まっている。それならば楽しく生きるに限る。

 話は変わって某会の会長から電話をいただく。会報の記事についての件だった。旅の記録はブログにアップしている。それでいいならば、と思って記事を書く旨、自ら申し出た。図々しいと言われればそうかもしれない。しかし、これも生来の意気地なしを直すきっかけになるかもしれないという思いがあった。記事になったのを見ると写真の大半は掲載がない。それでもうまい具合にまとめられていて逆にありがたい。楽しいグループの集まりなのでいつまでも皆で一緒に旅に出かけられることを願いたい。昨日もそう話す。次に集まるのは7月の納涼祭。楽しみだ!

 「人生のパイ」、あとどのくらいあるか誰もわからない。天国が集めに来るまではせいぜい人生を楽しみたいものである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月4日水曜日

ナニゴトも適当に適当に!

 昨日ブログで新書は1時間で読めると書いた。ところが同じ新書でも先日来から図書館で借りている平野聡『「反日」中国の文明史』(筑摩書房、2014年)はなかなか読めそうにない。2週間が限度の図書館の本。次の予約がなければ延長できる。しかし、これは自分で買って読むべき本。市内に出る時、この本を買おう。

 著者を知ったのは先日借りた文藝春秋11月号の記事による。中国のことに関心があり、この本を知った。なかなかの本でこれまで学んできたことが凝縮されている。ほかにもこの人の本を借りている。これはかなりの分厚さがあり、とてもじゃないが一気に読めそうにない。これは借りて読むことにして…。

 昨日は大型ゴミを引き取ってもらう。少しずつでもゴミとして出せば布団類も少なくなる。10年くらい前に一度本を処分したことがある。それ以降、本は図書館で借りて読む、と決めていてもなぜか増えてくる。雑誌などの本はゴミとして出せてもそれ以外の本をゴミにするのは抵抗がある。それくらい本は大事。それでもやっぱり買ってしまう。すべてを我慢すると病気になる。まだ老いぼれてはいないと思うので適当に適当に!

 昨日は他にも友だちが訪ねてくる。元、大手企業のノンプロともいえるほどの運動選手。数年前まで夜になると友だちと歩く姿を見かけていた。この頃は見かけないと思った矢先のご対面。足が悪くて病院通いらしい。それを聞いてなぜ運動選手なのにと思う。若い頃に運動のし過ぎで体を使いすぎたのだろうか。そういう話を聞く度、何もせずに過ごしてきたお蔭(?)か、どこも悪いところがないと思ってしまう。でも目が悪い!?ボツボツと水泳をしたり自転車に乗ったりするくらいでちょうどいいのかもしれない。

 昨日は家と関係あるお寺へ護寺会費を振り込む。また福岡のJ〇Bへ5月の旅の旅費をクレジット決済する電話をかける。他にも某会から会報が届く。今年も海外旅行の予定があるようだ。だが以前出掛けた国。もう20年近く前のことなので再度行ってもいい。今朝、早速、このことについてのメールが入る。楽しみにしている人だった。

 まだまだ病院とは縁を持ちたくない。元気で遊び歩きたい。それには「足」が大事だ。過保護にせず、かといって使いすぎず適当に適当に動き回ろう!「一眼二足」、大事な個所だ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月3日火曜日

『それでもこの世は悪くなかった』

 『それでもこの世は悪くなかった』(佐藤愛子 文藝春秋、2017)を読んだ。昨年からブームを巻き起こしている佐藤愛子。とりあえず図書館で予約。やっと順がまわって来た。本は本でも新書なので1時間もあれば読み終える。著者の性格なのか本に書いてあることははっきりしていて気持ちよい。その中から1か所、メモしよう。

 ★人生というのは、わからないですね。マイナスがあった時に、そのマイナスがあったからこそ後のプラスが生まれたんだ、ということが、長く生きているとわかることがあるんですよ。だから、今マイナスが来ているからって、ちっとも悲観することはないの。このマイナスがプラスになる時が必ず来るから、その時にプラスにすればいいんだと思う。60-61p

 プラスとマイナスのほかに運不運もこれと似ている。欽ちゃんは運不運は家族全体で考えると良い運を独り占めしているという。これは世に名を残した人に多く見られる。ひばりも先日のピアフもそうだ。家族の運を独り占めすると残った家族に不運が訪れる。

 母は「全てが揃った人はいない」、「全てが揃った家もない」といつも話していた。母自身が7歳で母親と死に別れているからその思いがあったのだろう。母は96歳と長生きだった。今がどうだからと言って何も気にすることはない。皆、同じようにいいことも悪いこともやって来る。

 お花見の季節が今年くらい暑い日があるだろうか。昨日は午後からプールで泳ぐ。プールの中の人々の会話はお花見の話題。聞かずにいても話し声は聞こえてくる。今年の桜も今週で見納めとなりそうだ。暖かい陽気に誘われて例年になく人出も多いのでは…。

 午後のプール。顔見知りが5,6人いる。あいさつ程度にしてもっぱら泳ぐ。だが、人が増えて思うように泳げない。週1度を週2度にすれば、と思うけどさてさて…。

 ともあれ今日も元気で過ごしましょう!

2018年4月2日月曜日

今年の冬はオリーブ油が凍った!

 今年の冬、初めてオリーブ油が凍った。だが、サラダ油は凍らずに使用できた。なぜ?と思ってネットで検索すると「凍る」=「液体が結晶化する現象」を指すとか。油が流動化しないだけで見た目は固体でも、物理的には凍るのでなく結晶化するのだそうだ。結晶化は温度によるらしく、サラダ油は0~15度の範囲で、オリーブ油は0~3度の範囲で結晶化するという。サラダ油よりもいつもはオリーブ油を使う頻度が高い。この頃は温かくなってこういう心配もなくなる。

 心配とまではいかないが、温かくなって少しずつ家の中を片づけている。先日も2階のカーテン、それも東に面した出窓のカーテンを触るとフックが朽ちてボロボロになっている。日差しが強いのでプラスチックのフックは朽ちやすい。以前、使っていた金具のフックと付け替える。

 プラスチックと言えば2階のベランダに置いている鉢。以前、月下美人を植えていた大きな鉢だ。他にも大きな鉢がある。これも朽ちる前に処分しないといけない。こういう時、土でできた鉢はプラスチックほどもろくない。

 明日はいよいよ大型ゴミを出す日。布団3枚とプラスチックの衣装ケース2個を出す。それにしても母は衣装ケースなどどうやって買ってきたのだろう。押し入れから出す度にそれを想う。ゴミとして出すのも大変。それよりも押入れに納めるのはもっと大変だったに違いない。

 布団類、ベランダの大きな鉢、他にもVHSのビデオ類、カセットテープ、そして究極はアルバム類。これらの処分もある。まだ当分は元気でいると思っている。それにしてももうモノは増やすまい。そう思う矢先、昨日も衣服を買ってしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年4月1日日曜日

「エディット・ピアフ 愛の讃歌」を見る

Non, je ne regrette rien   水に流して   

Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Ni le bien qu'on m'a fait
Ni le mal, tout ça m'est bien égal
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
C'est payé, balayé, oublié
Je me fous du passé

いいえ、ぜんぜん
いいえ、何も後悔していないの
過去のいいことも悪いことも
何もかもがどうでもいいの
いいえ、ぜんぜん
後悔しないわ
過去の償いはしたわ、清算したわ、忘れたわ
もう過去のことははどうでもいいの
 
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Ni le bien qu'on m'a fait
Ni le mal, tout ça m'est bien égal
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Car ma vie car mes joies
Aujourd'hui, ça commence avec toi

いいえ、ぜんぜん
いいえ、何も後悔していないの
私にしてくれた、
良いことも、悪いことも、
私にはどうでもよかった
いいえ、私はなにも後悔していないの
私の人生も、私の喜びも
今日からあなたと始めるの

 昨夜はBSトウェルビで映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」を見る。エディット・ピアフは何となく知っていてもこれほど人生を生き抜いた人とは知らなかった。美空ひばりは「ひばり」、ところがエディット・ピアフは「小すずめ」の意だそうだ。もしかして「ひばり」はピアフを真似てつけられたのだろうか。ともあれどちらも素晴らしい歌手だ。だが、どちらも短い生涯を燃え尽きて亡くなる。ひばり52歳、ピアフ47歳の人生だった。

 いろんなことに思いを馳せてテレビを見る。それにしてもピアフを演じた人はまるで本人が演じているかのように素晴らしかった。特に年老いた格好はまるでそのまま老人になれそうだ。それにしても歌の挿入部分は誰の歌だろうか。気になる。(調べるとピアフの歌を口パクで歌った部分が大半だそうだ)。

 太く短く人生を終える人はすべてのことをやりつくして亡くなる。到底こういう人生は歩めない。しかし同じ生きるならやりたいことをやりつくして…。うらやましくもある。

 動画は♪愛の讃歌♪でなくて映画の中で流れる♪水に流して♪のアップ。

 話は変わって2日前の地元紙の訃報欄を見ると属している研究会の先生が亡くなられている。この先生とある会合で一緒に写真に収まったこともある。また長年、年賀状を出していた。しかし、数年前から来なくなる。会報を見る度、お元気そう、と思っていた矢先の訃報だった。

 またも話は変わって先日、旅行社から6月に出かける国内の旅の変更について電話がある。6月中旬を5月下旬に変更してもOKか、の確認だった。楽しみにしている旅なので変更は致し方がない。ただ、3日間の内、1日は広響の定演と重なる。残念だけどこれも仕方がない。


 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!