2018年2月24日土曜日

『情の力』

 『情の力』(五木寛之 講談社,2002年)を読んだ。いつものように気になる個所を記そう。取り上げたのはどれを見ても妙に納得してしまう。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★白道を渡っている人間が、人生を設計図通りに生きられるものでしょうか。
 私はいままで、自分の人生の設計図なんてものは描いたことがありません。やりたいことをいまやって、あとのことは目に見えない大きな力に身を委ねてしまう。その力が自分をどこかへ運んでいってくれるのに任せる。無意識のうちに、そういう生き方を選んできたのかもしれません。
 しかし、マスコミなどが現代人の生き方を論じるときには、たとえば六十歳までにどのくらいお金を貯めればいいとか、年金だけでは心配だから投資信託で資産運用したほうがいいとかいう話が多い。設計図のための情報が非常に多いように思います。
 私たちはみな「白道」という危険な道を歩んでいる。いわば「きわどい人生」を生きているわけです。無計画だと怒られるかもしれませんが、人間は運命というか、目に見えない大きな力を感じるほうが大事なのではないか、という気がします。81p

★世間から身を引いて孤独のなかに入っていくことが、高齢者の生き方のよう見えますが、じつはそうではない。俗っぽいことを嫌わずに、できるだけ人間くさく生き抜くことが必要なのではないでしょうか。
 いくつになっても枯れることなく、俗っぽくに人間くさく生きたいものです。83p

★最近の医学関係の研究でいちばんおもしろいと思ったのは、人間の免疫をつかさどる細胞は、睡眠中に骨髄でつくられているという報告でした。これを聞いて「眠る」ということが人間にとってはいかに大事な営みか、とあらためて気づいたのです。
 …その免疫の細胞は、夜中に人間が眠っているあいだに体内でつくられているという。実は、人間は眠っているあいだに、自分とはなにかということを決定していく働きをつくりだしているのです。こう考えてみると、人生の三分の一を占めている睡眠は無駄な時間などではない。非常にクリエイティブで大事なものであり、人間にとって根源的な営みだということがわかります。99p

★日本人の多くはクリスマスを祝いますし、若い人たちは結婚式を教会で挙げることが少なくない。むしろキリスト教には非常に好意的で憧れさえ持っている。それなのに、魂だけは受けつけないのです。これは、アメリカ人にとってもヨーロッパ人にとっても非常に不可解でしょう。
 そのキリスト教を阻んでいる”バリア”とはいったいなにか。それが、日本人が持っている見えない信仰、見えざる宗教的感覚だと私は思います。119p

★『坂の上の雲』は明治維新以後、日露戦争までを描いた小説です。あの時代に、日本が欧米列強の餌食にならずに近代的な独立国家をつくるとなると、とにかく坂の上の雲をめざして突っ走らななければならなかった。
 夏目漱石は、日本人は欧米の猿真似をして上滑りに滑っている、という表現をしています。それを十分理解した上で、涙をのんで猿真似せざるを得ない、とも認めている。そこにも、明治人の「和魂洋才」に生きる苦渋が表れているといえるでしょう。
 しかし、当時の人々は「坂の上の雲」をめざすと同時に、「坂の下の雑草」から聞こえてくるうめき声やその深い闇というものもつねに意識していたのです。
 だからこそ、明治という黎明期には、光と闇が交錯する彫りの深さがあった。そのために、あの時代に生きた人びとの彫りの深い横顔というものが、現代でも浮かび上がってくるのだと思います。121p

★巨樹に注連縄を張って拝んだり、山を神聖なものとして信仰の対象にするのもそうです。アイヌ民族の文化や沖縄の人びとの文化を見ても、アニミズムには人間本来の非常に大事なものがある。山にも木にも岩にも海にも畏敬の念を持つということは、人間が生きていく上で非常に大事なことではないでしょうか。
 そうしたものを迷信だといって排撃するのは、キリスト教文化の思い上がりではないか、という気がしてしかたがありません。127p

★宗教にアレルギーがある人は、そこに近づく必要はありません。ただ朝日の昇るのを見て手を打ち、一瞬瞑目する。夕日が沈むのを見て一日に感謝する。夜空の星を見上げて永遠ということを感じる。それだけでも大事なことです。要は、自分ひとりを超えた大きな存在を感じ、それとともに生きていることを実感すればいいのです。
 ともあれ、そうやってまず自己を確立するところから出発する。それが、現代を生きる私たちの再生の道に違いありません。215p

★運命も天寿もすべて非科学的な話です。しかし、ブッダという人は約二千五百年も前に、山にも川にも海にも草木にもすべてのものには生命が宿ると考えた。これも、まったく証明できない非科学的な考えです。でも、信仰というのは、何の証明もないから信仰なのではないでしょうか。そのあたりで、運命ということは宗教と結びつくのだと思います。223p

2018年2月23日金曜日

プールのメンテナンスも終わって

 スウェーデンの105歳のダグニーさん。今朝ブログを見ると「トラックに戻る」と題してお元気な姿のアップがある。パソコンの不具合が生じて友人と甥に修正してもらったようだ。いつも見ているとアップがない日は「何で?」と思ってしまう。ともあれお元気のようだ。

 昨日からプールのメンテが終わり、久しぶりに泳ぎに行く。今年の冬は気温が低い。しかし、幸いなことに雨の日や雪の日がほとんどなく、お天気には恵まれている。昨日は最高気温10度で晴れ。久しぶりにプールに入ると「天国じゃ」と言えるほど暖かくて気持ちがいい。全身を伸ばしてまずはクロールで泳ぐ。次はひっくり返って背泳ぎ。これを交互に泳ぐと寒さで縮んでいた体が伸び切る。そして泳いだ後は気持ちが晴れる。疲れているはずなのに何でもできる気がするし、頭もすっきりして楽しくなる。これは泳ぎだして知ったことだけど…。ここで余談。「縮む」の入力ができなかった。「ち」は”CHI"で「ぢ」は”DI"で入力するとOKだ。「ぢ」の入力に手こずる。覚えておこう。

 プールで会う顔ぶれもいつの間にか変化している。毎日のように来ると言っていた人や仲間連れの人も見なくなる。いつも思うことはムキになって頑張るのはいいのだが、そういう人は長続きしない。ナニゴトもマイペースなので水泳を気長に続けることは向いている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月22日木曜日

歳をとるということ

 先日、また一つ歳をとった。歳をとったといってもとる前ととった後に何かが変わることはない。しかし、それも重なると赤ちゃんから子供、そして大人になる。それも更に進むと女性であれば老婆になり、男性であれば老爺へと変化する。そしてやがてはこの世から姿を隠す。ここまで書くと寂しい人生しか思い浮かばない。しかし、去年の秋、「92歳の旋律~超人ピアニスト ルース・スレンチェンスカ~」はNHKの番組で「年を取ると美しく成長する」と話した。

 「歳をとるということ」をネットで検索すると「歳を取るということ」に目が行く。「歳を取ってきますと、人間、鈍感になります」とあり、さらに文が続く。「歳を取っても、低周波に対する感度は落ちないようですし、経験の集積から、状況の中に於ける現在位置は良くわかる様になっている面もあります。恐らく、良い歳の取り方とは、我を張らないで、意見をぶつぶつとつぶやくことかなと思っています。しかし、ボケた人は、言っていることが正しいか否かも分からないので、老人の話を聞いたとき、現役には、自分の頭で判断できる聡明さが必要です。役に立つ事があればうまく取り込むのは直接利害に関わる若い世代の人で、年寄りは関係なく消えて行くのが摂理ですから」。https://www.t.kyoto-u.ac.jp/publicity/no48/essay/iivphc (参照)

 この中の「経験の集積から、状況の中に於ける現在位置は良くわかる様になっている面もあります。恐らく、良い歳の取り方とは、我を張らないで、意見をぶつぶつとつぶやくこと…」とあるようにこれに倣ってブログのなかで「我を張らないで、意見をぶつぶつとつぶやく」のもいいかなっと思ったり…。

 「歳をとるということ」を上の例から「成長する」、「経験の集積」やほかにも「成熟する」に置き換えれば満更歳を取ることも悪くない。

 齋藤孝は「私自身の人生を振り返ってみても、『毎日、つまらないなぁ』と思っていたのは、精神が成熟していない時期でした。それが、精神が成熟するにしたがって、『こんな感じだと、毎日楽しんだな』と思えるようになってきました」。222p(『知的人生を楽しむコツ』PHP研究所、2017年)

 「毎日が楽しいと感じる人も、毎日がつまらないと感じる人もいるでしょう。その違いには、精神が成熟しているかどうかが、関係しているのではないか」と斎藤は言う。222p(『知的人生を楽しむコツ』PHP研究所、2017年)

 歳をとるということは身体は衰えても精神は経験を積むことで成長し、成熟する。歳をとることを気にせずに、人生を楽しんで身心ともに成熟させよう!ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月21日水曜日

ショパン「遺作21番ハ短調」&旅のカタログから

 この2,3日、ダグニーさんのブログは「操作上の問題」とかでいつものブログとは趣が異なる。とはいっても、ご本人はお元気そうなのでまずは一安心。毎日見ていると通常とは違う画面を見ると気になるものである。

 昨日届いた旅のカタログ。福岡、広島、関西と同じ大手旅行社であっても管轄が違えば経営も違うのか、毎月3か所から届く。昨日は福岡からのカタログ。フルートのレッスに出かける前に、ちらっと見るともう気持ちはカタログに向く。「お客様の声にこたえて…」との小さな冊子がある。すぐに目がいくのは春の訪れを告げる水芭蕉。なんとその旅はおひとり様限定の旅。すぐに飛びつく。福岡の旅行社へ予約の電話をすると一昨日から売り出した商品らしく、第2希望日まで聞かれる。
 
 第2希望日は既に他の旅行社で日帰り旅を申し込んでいる。その日はない旨告げて電話を切る。しばし考える。日帰り旅をキャンセルしてキャンセルした日を第1希望日とし、先に電話した日を第2希望日に振り替える。

 利尻・礼文、尾瀬、佐渡島など自然な場所に出かけたい。しかし、これらは外国へ行くほどとまではいわなくても結構な料金と日数がかかる。結果、今回は一人参加限定のこの3か所以外の場所に申し込む。6月半ばで3日間の旅。ともあれ、申し込むと気も落ち着く。やっと今年は水芭蕉を見に行けるぞ!と気合も入る。気を良くしてフルートのレッスンへ。

 新たにさらう曲はショパンの「遺作21番ハ短調」。メトロノームに合わせて吹く。これをかなり徹底してやっている。譜面上はピンクの蛍光ペンで頻繁に出るラの♭に色を塗る。これはソの♯と同じ。そう、そう、臨時記号のラの♯の一オクターブ高い音は先生に聞くと臨時記号がなければそのまま吹くとのことだった。これで納得して吹ける。

 歳をとると人は「負」の考えばかりを口にする。そうだろうか。フルートを長く習っている。これに関しては歳と比例してうまくなっている。モノの考え方もマイナス思考ではない。絵だって習わないよりは習い始めての方がそれなりにうまく描ける。水泳だって習ってから泳げるようになった。本だって、若い頃よりよく読んでいる。気持ちだって若い頃よりも今の方が張り切っている。じゃ、何が歳をとるということか。続きは明日考えよう。

 話は旅に戻る。届いたカタログの中に「プレミアム」がある。これは少しグレードが高い旅。そのなかに何と南極クルーズ17日間がある。出発日は11月下旬で参加費用は一人当たり120万円から140万円。これは妥当な金額としても一人参加だと追加料金が100万から120万円加わる。船の旅はそれはそれで楽しいのかもしれない。しかし個人的には今一歩の感がある。とはいっても、大金持ちが散財するのに一番効果的なのはクルーズの旅、と旅の最中で聞いたことがある。サラサラそれとは無縁な生活を送っている。とはいってもどんな人たちがクルーズ船に乗るのか見てみたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月20日火曜日

BS「歌謡プレミアム」を見る

 民放のBS「歌謡プレミアム」を見るとジェリー藤尾が出ている。歌う歌はやはり♪遠くへ行きたい♪。他にも長渕剛名曲をカバー♪乾杯♪、水原弘との思い出の曲♪ダニー・ボーイ🎵、紅白歌唱曲♪石松野郎の歌♪、人生を重ね歌う♪MY WAY♪を歌っていた。

 月曜日の夜、見るものがないと思っていた。この後の9時からの「私が日本に住む理由」を見るのが楽しみ。ところが8時台にたまたま見るとジェリーが出ている。しっとりと歌う歌声。聞いていてホッとする。どんな歌番組も好きだった。しかし、この頃の「歌」には聞いていてかなり抵抗があり、見ないようにする。しかし昨夜は聞いてよかった。あまりにも感動してしまい、今朝、この番組HPを探して感想を送信する。こういうことはこれまでしたことがない。若い頃のジェリー藤尾と今とではそれほどイメージは変わらない。しかし、「もっと歌を勉強して歌いながら亡くなりたい…」と話した時、これまた感動してしまった。やんちゃなイメージはなく、いい具合に歳を重ねている。

 その後の「私が…」は、以前、他の番組で見たのだろうか。見たことがある。その後はEテレの「100分で名著」を見る。ビクトル・ユゴーだった。読む本に偏りがある。この人の名前は知っていても本を読んだことがない。しかし、昨夜の語りは良かった。

 いい番組がない、といいながら結構昨夜はテレビ三昧。ナニゴトも好き嫌いが激しい。これは同じ人生を生きるにはかなり損をしている。不得手なこともだいぶ克服してきたつもり。しかし、まだまだ好き嫌いが激しい。気を付けよう。

 今朝は他にも先日の金田先生のメールが研究会を通して送付される。以前、学会誌で発表された記事だった。後でゆっくり読むことにして…。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月19日月曜日

『遊びをせんとや生まれけむ』

 お墓参りを済ませるといつもとは違う道を歩く。目の前には黄色い蝋梅が咲いている。これは絵になると思い、しばし立ち止まる。梅の木の主の家は道路の下にある。木は背が高く、道からだと目の前で見える。のぞき込んで見ていると主の声がする。「枝を切ってあげますよ」。「ええっ、もらっていいんですか」と言うと大きな枝を折ってくれる。さらに、芽が出ているのでそれもあげるという。しかし、まだ小さいのでもう少しするといいらしい。

 近くで蝋梅をじっくり見ることもなかった。早速、家に帰って花瓶に活ける。しかし、花も終わりのようで長くは持ちそうにない。梅と言えば縮景園が有名。寒いのを言い訳にして、冬の縮景園にでかける機会が少ない。来月になったら梅を見に行こう!

 話は変わって以前の旅の道中、某会の会長が話された「遊びをせんとや生まれけむ」。地元の図書館で何と『遊びをせんとや生まれけむ』(久世光彦 文藝春秋、平成21年)の本を見つける。自分自身が関心を持てばいくら目が悪くても目に入るものだと妙に感心して本を借りる。昨夜、読んだのはいいのだが、とりわけブログにアップすることもないと思って付箋紙を取り外す。今朝、折角読んだのだからとその個所を探す。その言葉はタイトルになった本の初めにあり、すぐにわかった。ところがもう1箇所あるはずと思って探すが、すぐには見つからない。再度本を読み返すくらい時間をかけて探すとやっと見つかった。せっかく付けた付箋紙は「これっ」と思って付けた。これからは本を返却する前に取り外すようにしよう。

 本のはじめに出てくるのは「神武綏靖」の小見出しの箇所。

★平安のころに庶民の間で歌われた<今様>を集めた、『梁塵秘抄』の中にこんな文句があります。年甲斐もなく、来る日も来る日も遊び呆けながら、私はいつも胸の底で、言い訳がましくこの文句を呟いているのです。

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ(18p)

★<作者不詳>と言えば、この連載のタイトルに借りた≪遊びをせんとや生まれけむ≫の由来も、『梁塵秘抄』という平安後期の京の町の人たちに歌われていた、<今様集>からきている。…人の口から口へ歌い継がれて広まった、市井の流行り唄を拾い集めたものだから、みんな作者不詳、つまり<読み人知らず>である。こんなのもある――

仏は常にゐませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見え給ふ

 こうした巷の口伝歌謡を集めて編わしたのは、時の後白河法皇だった。いまで言うなら、天皇陛下が粋な<小唄>や<都々逸>の傑作選を作るようなものだから、これはなかなかいい話である。(78ー79p)

 他にもナチスに因む歌もあるがそれは省略。目に見える、見えないは自分自身に関心があるかないかによるのだと改めて知る。ナニゴトもアンテナを張っておけばモノゴトもよく見えてくるのだろう。

 本の著者と某会長は年齢的にはほぼ同世代。そういえば「遊びをせんとや生まれけむ」は五木寛之の本にも出てくる。3人でいえば五木、久世、某会長と年齢は少しずつ下がる。しかし、自分自身と同じ年代の人との話ではこういうこともなかなか聞かれそうにない。そう思えばいろんな人と知り合え、いろんなことを教えてもらえる旅は本当に素晴らしい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

2018年2月18日日曜日

あの日から7年!

 2,3か月ぶりに元の教室に戻っての日本画教室。最寄り駅で教室の人と出会う。開口一番は「街が広々としているね」。これは教室内でもいえる。ひとりずつが使用する机は工作用机。そのためか、大きさも畳半畳以上もある。久々に教室に置いたままにしていた日本画用の道具を机に置く。絵を描く木製パネルは蓮の花の続き。何もかも先生に聞いては手を動かしている。これではいつまでたっても一人で描けない。その思いが先生に聞こえたかのように「なんでもいいから自分でやってみるように」と言われる。自分でも一枚の日本画を描けるようになるのが理想。

 色をどんなに塗ってもあとから修正できるという日本画。まずは胡粉を膠で溶いて蓮の花に白く色を塗る。ところが膠が薄いのか1度塗っても白さが浮き出ない。再度、再再度と塗っても白が出ない。さらに胡粉を溶いて塗ると少しは白い花が浮き出る。それにピンクの色を混ぜるがピンクそのものの色がない。濁ったような色を膠で溶くと、その色以外にもあれこれとピンクの色になる旨、先生は話される。ともあれ、先に溶いていた色に胡粉を混ぜて蓮の花に塗り、それをぼかす。昨日はここまで。とはいっても次からもこの作業を何度か繰り返す。秋の日本画展まで日数がある。焦らずゆっくり描くようにと先生は話される。

 日本画にはまだ自分一人ではならないが、デッサンは何とかなりそうだ。焦らず楽しみながらなんでもやる。これが一番大事なコト。まあ、ボツボツやるしかない!?

 話は変わって今日は母の祥月命日。いなくなって丸7年が経過。寂しさには馴れた。ただ、母なき後、元気で楽しく過ごせることもある面、親のお蔭かもしれない。その反面、最期まで「看てあげる…」と決めてから、自宅で介護したことへのお蔭かとも思う。過ぎ去った7年は急ぎ足で駆け抜けた。これからの一日一日もグズグズ、とは過ごせない。やりたいことをやって楽しく過ごしたいものである。

 やりたいことと言えば2年前、モロッコの旅で知り合った人はもう南極に行かれたのだろうか。一回りも上の人だが、ブログを見るとこの2月、南極クルーズ16日間の旅に出かけるとある。近いうち、南極とまではいかないが遠くに出かける。自分で楽しみを見つけてやりたいことをされている。年齢が一回り上とか、下とか、ここまで生きてくると関係ない。やるかやらないか、ただそれだけのようだ。それも人それぞれ。自分でいいと思ったことはだれがどう言おうとやるに限る。その思いは年々強くなる。それにしてもモロッコ、楽しかった!みんなどうしている!?

 今日はこれからお墓参り!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月17日土曜日

動画&健康診断

  
 
 
  一般検診で血圧測定をする。測定時、腕が異常に痛くなる。これは毎回のことで思わず「痛いっ」と声が出る。「もうちょっとですから」と係り。今年になってプールで泳いだ後、自動の血圧計で測定している。泳ぎ始める時刻は毎回同じなので測定時刻もほぼ同じ時刻。手元にある測定データを見ると1月4日と1月11日の時刻は1分違いで、測定値も最高126、最低79、脈拍75は4日。11日は最高122、最低72、脈拍88と似通っている。

 ところが一般検診の測定値は毎回これより高い。昨日は最高136、最低82。白衣の前では一般的に高くなるとか。ここでネットで検索となる。「血圧測定、腕が痛い」で検索するとある、ある。巻き方がきつすぎると腕が痛くなり、併せて血圧も上昇するという。どういっても腕の痛さは半端でない。声が出るのも無理はない。看護師は「もう一度測りましょうか」という。「もう結構じゃ」とまではいわなくても「いいです」と引き下がる。

 一般検診なのにああじゃ、こうじゃと検査したいそぶり。だが、言われることはすべて断る。結局測定は身長、体重に血圧と血液検査だけ。検査後の医師との対話は「今のところ異常なしです」。

 親を看ていた時、信頼する整形外科の先生は「神様」に思えた。この先生についていると大丈夫、との気持ちがあった。多分、自分自身、両親が内科系統の病気になっていないので寝込むとすれば、怪我になりそうだ。その時はこの先生の病院で…と思ったりする。また、歯科は歯を抜きたくないと告げた時、他の歯科では抜くと言い張った。しかし、去年の歯科は抜かず、にと言って動く歯を抜かずに固定してもらった。医師と患者の関係は信頼しかない。検査もそうだ。すべてのこともそうだけど…。

 動画は羽生選手のSPの演技で流れるショパンの♪バラード第1番♪と広島滞在中、フルートで知り合った東京の人が今日のフルート発表会で吹くというハイドンの♪セレナーデ🎵からアップ。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
             

2018年2月16日金曜日

「群れないほうが、人生は楽しい」

 図書館で読んだ『ゆうゆう』3月号。「若さの秘訣はなんですか?」とあり、「ひとり時間を楽しむ知恵」として3名の女性に連なって男性代表(?)は「池内紀さん ドイツ文学者、エッセイスト」の名がある。

 旅や美術の本、あるいは週刊誌、雑誌などで池内紀のエッセイを読むことはあっても女性月刊誌で記事を見たことがなかった。ところが昨日、図書館で池内紀のインタヴュー記事を読む。そこにはお洒落な写真記事が掲載されている。大見出しには「群れないほうが、人生は楽しい」、サブタイトルとして「背筋を伸ばして、すこしだけおしゃれをして、さあ出かけよう」とある。「おしゃれ」の文字があるように掲載されている写真も笑顔にあふれ、服装も若々しくお洒落だ。

 「群れないほうが、人生は楽しい」の「群れない」は生き生きとしている著名人に共通のキーワードかどうか知らない。しかし、堀文子も篠田桃紅も外山滋比古…も、と関心を寄せている人にはこの言葉が共通する。自分自身が旅行、コンサート、展覧会、講演会、習い物など「これっ」と思ったことは大概、ひとり行動が多い。だからそう感じるのかもしれない。

 ともあれ、池内紀の記事の中で気に入った宿は「我が別荘」になり、気に入った喫茶店、気に入った場所など自分でいろいろと名をつけて楽しむ。これは面白い。また、費用を多くかけなくても手軽に楽しむコツも述べている。自分で楽しみを見つける。これに尽きるのかもしれない。

 楽しみと言えば遊ぶこと。遊びと言えば日帰りバス旅。今朝も某旅行社からパンフが届く。昨日、3月の萩の椿群生を歩く日帰り旅を断ったばかり。届いたパンフを見ると断った日の催行の記載がない。断って正解だった。とはいってもこの会社のバス旅は良心的で好感が持てる。いつもご丁寧にパンフを送付される。近場のバス旅が専門で、海外だとJ〇Bがいつもパンフを寄こす。そのためか、国内外の旅はこの2つの会社を利用することが多い。

 昨日、関空までのJRチケットを「おとなび」で申し込む。自宅最寄り駅でチケットを受け取る時、ちょっとしたネットの手違いで駅員の手を煩わせる。ネット画面を見ていつもは出ない表示が出た。おかしいと思った。それでも、チケット交換期限の日数がない。結果は駅員3人の手を煩わせてチケットをゲット。次回の「おとなび」購入時は気を付けよう。そういえば今回出掛ける国も「群れない」ひとり参加だ。

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月15日木曜日

「覆面リサーチ ボス潜入『大手宅配ピザチェーン』を見る

 昨夜のBSは「覆面リサーチ ボス潜入『大手宅配ピザチェーン』」。思わず見とれてしまうほど感動する。 番組HPによると見どころとして「…今回のシーズンは、これまでにない業界を取りあげ、また現場のやりとりやボス・従業員の本音を更にリアルに描き出します。1回目は、大手宅配ピザチェーン。ボスは、売り上げ不振店で驚きの実態を目の当たりにし、繁盛店の若い女性店長には、知られざる家族のドラマがあることを知らされます。そしてラストの告白シーン。デリバリーを担当する中年バイトの男性、涙のワケとは?」とある。
 
 この中の「若い女性店長の知られざる家族のドラマ」の場面に感動する。この時点では見知らぬ一日限りの仕事人に自分の家族の話をしている。この仕事をするまで家族が生活保護世帯だったと話す。あとで話した相手が社長だったことも幸いするが、もしも悪い人だったら、と思うとヒトゴトでは済まない。一家の生活がテレビに映る。若いこの女性が生活保護を断ち切って家族を養う。これは並大抵ではできない。それもあまりにも美しすぎる女性。一生懸命働く様子を見ていて家でぶらぶらしている我が身と置き換える。

  番組担当のプロデューサーの「見てくださる方に一言」では「はじめはボスの変装にクスッ、ボスが失敗したり叱られたりするのにスカッ!そのうち現場従業員の仕事ぶりやパーソナルストーリーにジーン。そしてラストの告白、ボスと従業員との魂のふれあい。『思わず号泣した』という声を視聴者の方からよく頂きます。自分も明日から頑張ろうと思えたり、日本企業も捨てたモンじゃないと思えたり、はたまた勉強にもなったり…肩の力を抜いて楽しめる番組です」とある。

 まさにこの言葉通りで「思わず号泣した」とまではいかなくても涙は出る。先ほどの若い女性と社長との会話の場面だ。「旅行にも行けない」と話したことから社長は休暇を与えて3月に家族全員で台湾旅行をプレゼントする。
 
 近いうち、海外へ行く予定にしている。番組に出た若い女性の状況を想うと働かずに遊びに行くことは如何なものかと反省する。しかし、今の立場になるまではあの若い女性と同じように頑張って働いた、との自負もある。
 
 忙しく過ごした日々も先が見えてくるとこれもまたよい思い出。いつまでも同じ状態は続かない。人生、海あり山あり、いい時もあれば悪い時もある。いつも思うことは頑張っていれば悪いことにはならないということ。それだけを頼りにして…。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 メモとして昨日の眼科健診の眼圧は右13と左15で正常だった。

2018年2月14日水曜日

「旧暦併用のススメ…」から

 先日、某比較文化研究会からメールが届く。それは美学の先生が書かれた毎日新聞2月12日の記事。図書館が休みだったのでネット記事を検索すると一度でヒットする。「旧暦併用のススメ 日本の季節感残したい 美学者・金田晋氏」と大見出しがある。

 文の最後に「旧正月を迎える今週、正月休みの中国や韓国から大勢の観光客がやってくるでしょう。私たちも旧暦の習慣を取り戻せば、同じ東アジアの共通文化として一緒にお祝いすることもできます。中国や韓国はバイカレンダーでうまくやっているのですから、日本だって難しい話ではありません。何もかも欧米流になびくのはやめて、もっと日本らしい生活を取り戻すきっかけにしたいですね」。なかでも特に「旧暦の習慣を取り戻せば、同じ東アジアの共通文化として…」はそう感じる。

 小さいころは年末29日にお餅をつくのはよくないとしてその前後についていた。それから間もなくして旧正月になるとまたお餅をつく。子どもながら何でお餅ばかりをつく?と思ったことがある。いつの間にかその習慣もなくなる。

 金田先生の美学の講座に通っていた。それも1年半前から休憩中。新聞記事で見る先生はお元気そうだ。「広島で畑を耕したりすることで初めて季節のリズムの大切さ、旧暦が理にかなっていることに気付きました」とあるようにシイタケやタケノコなどご自宅で採れたものをいただいたこともあった。

 ひょんなことから某比較文化研究会に入れていただき、美学の講座をすすめられる。美学がなにかも知らず、講義を聞いていく中で感動したのは「イディッシュ文化」。このキーワードはそれまで知らなかった。講座もある程度の期間を終える頃、レポートを書くようにと言われる。迷わず書いたのが「イディッシュ文化とシャガール」だった。それくらいイディッシュ文化を知ったことは強烈だった。

 それが昂じたのか昨年、ポーランドに行く。今、思えば、これも美学の講座を受けたのがきっかけだろう。何が興味へと向かわせるのか。これと思うヒト・モノ・コトに誘ってもらうならば参加しなくてはナニゴトも始まらない。そう思うとやっぱり某比較文化研究会へも参加!?ご無沙汰している。そういえば、美学の講座を受けているとき旧暦のカレンダーを入手したことを思い出す。https://mainichi.jp/articles/20180212/ddm/004/070/072000c (参照URL)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月13日火曜日

「平和の夕べコンサート」Stage2平和を讃えよ<レジェンド、クレーメルと共に>を聞く

 広島交響楽団「平和の夕べコンサート」Stage2平和を讃えよ<レジェンド、クレーメルと共に>を聞きに行く。会場は広響定演と同じHBGホール。チケット発売は昨年の10月。長く楽しみにしていたコンサートは予想通り素晴らしかった。

 プログラムの一番上にはせてあるのは「クレメラータ・バルティカとギドン・クレーメルはエストニア/ラトビア/リトアニア=バルト三国 祝独立100周年文化大使です」のチラシ。わざわざこういったチラシが入れてあることに驚く。「祝独立100周年」といっても長くソ連に支配されていたからでは…。今では完全な独立を果たし、自由に国の内外で演奏できる幸せをもしかしてかみしめているのでは、とこのチラシを見てそう感じる。これこそが演奏会タイトルの「平和を讃えよ」と自らと聴衆に問いかけている気がする。ともあれ、クレーメル率いる「クレメラータ・バルティカ」は結成されて20年。この間はソ連崩壊後のことである。

 チケットが売り出された時、聞こうと思ったきっかけは徳永二男の名前。しかし、ヴァイオリニストとしてではなく指揮者となっている。もしかしてアンコールで一曲ほどヴァイオリンを弾いてくれるかも…との淡い期待をした。だが、それはなかった。それでもいつになく心落ち着けて聞けたいい演奏会だった。

 演奏曲目は以下の通り。

♪ベートーベン 弦楽四重奏曲第11番ヘ短調Op.95「セリオーソ」
演奏はギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカ。

♪ベートーベン ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19
演奏は広響とギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカ、そしてピアノにリュカ・ドゥバルグ。

♪シューマン ヴァイオリン協奏曲ニ短調
演奏は広響とクレメラータ・バルティカ、そしてヴァイオリン独奏はクレーメル。

 演奏会の2日前の広響定演でシューマンを聞いた。昨日もシューマンが演奏される。それにしてもベートーベンのピアノ協奏曲、見ていて迫力がありすぎる。席は前から6列目。ピアノ演奏を聞くには申し分ない席。舞台に向かって左側なのでピアノ演奏もよく見えた。

 なお2曲目の演奏後のアンコール曲はリュカによるエリック・サティ―の♪グノシェンヌ第一番♪。3曲目の演奏後はクレーメルのアンコール曲が独奏されたが、曲名の表示がなくわからない。

 昨日は携帯を忘れて演奏会に行く。演奏を聞くのに携帯は必要ない。しかし、アンコール曲などの掲示がされると携帯で写せば簡単。それも持参せずにいるとメモしなければ覚えきれない。何とかメモする。

 午後の演奏会は夜遅く帰宅せずに済むので安心して聞ける。これから1年間、夜でなく午後のコンサートが半分を占める。これは喜ばしい。ところが、演奏後会場を後にすると、観客よりも先に外国の演奏者が着替えて外を歩いている。これはどういうこと。道理で演奏後拍手が鳴りやむとすぐに舞台を下がった意味が解る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!、

プログラムにはせてあった「祝独立100周年文化大使」のチラシから

2018年2月12日月曜日

日曜美術館「山口蓬春 絵に年をとらせるな」を見る

 昨夜のNHK日曜美術館は「山口蓬春 絵に年をとらせるな」。有名な人であっても番組を見るまでどんな人かも知らずにいた。番組のHPには「『蓬春モダニズム』と呼ばれる洗練された日本画で戦後画壇のスターとなった山口蓬春。近年人と作品の調査が進み、常に新しい表現を模索し続けた生き方が注目されている。昭和を代表する日本画家山口蓬春。近年、葉山にある記念館で日記や手紙などの整理が進み、人と作品に新しい光が当たろうとしている。注目されるのは『絵に年をとらせるな』という言葉。蓬春は常に新しい表現を模索し続けた。大和絵で華やかなデビューを飾るが、戦争中藤田嗣治とともに新しい表現を模索する。戦後、『蓬春モダニズム』と呼ばれる絵で画壇のスターとなるが、それにも飽き足らず事物の本質を描こうと変わっていく… 」とある。

 戦時中、画家は国の方針で戦争に関する絵を強制的に描かされる。山口も香港を舞台にした都市の絵を描く。しかし、その絵は見るモノによっては傷付いた香港の都市に映る。戦後になると山口の絵はモダニズムの世界にかわる。モダニズムとは過去を排除して新たな世界へ、と千住博。一人の画家の絵であってもそれまでとは全く画風をかえて描く。

 山口蓬春の美術館は「山口蓬春美術館」として神奈川県の葉山にある。番組HPを見ると「葉山へ 山口蓬春を巡る旅」として美術館巡りの旅がある。 http://www.nhk.or.jp/nichibiblog/400/289666.html(参照)

 今朝の新聞に旅のチラシがある。それは国内の旅が大半でそのほとんどはこれから春になり、桜を巡る旅が多い。桜の季節といえば母や母の娘3人、そして母の孫たちと出かけた身延山の枝垂れ桜を思い出す。これはわが家から一番遠くで見た桜だった。しかし、それも時季的に遅く、散る間際の桜だった。これほど遠くでなく桜は近場で見ることが多い。

 日曜美術館HPで葉山の旅を見ると行きたくなる。それでなくても以前尾道の美術館で知った奈良の万葉文化館、それと日本画を習い始めて知った岡山県井原市の華鴒大塚美術館、と行きたいところが待っている。

 元気なうちにと思うけどやりたいことが多すぎて一度には出かけられない。元気を維持してボツボツと気の赴くままに旅に出る。憧れるけどさてさて…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月11日日曜日

日本画&『玄冬の門』

 毎日気にかけているのは今日の最低気温と最高気温。そして雨かどうかも気にかける。昨日の最高気温は見事に裏切られる。10度、との予報で雨が降り続く中、薄着で出かける。日本画教室でデッサンしていると途中から背中が寒くてダウンジャケットを着る始末。着ぶくれになると思うような動作もできない。ましてや絵を描くとなると不得手がさらに増す。

 絵のモチーフは先日もらった花束の中からチューリップ、アネモネ、スイトピー、ガーベラ、そして名前のわからない小枝に着いた葉っぱ2本を持参する。まずはチューリップをデッサン。垂れ下がる葉。これは描きにくい。まずは葉のカーブする上部に線を入れて下部を描くといいらしい。チューリップの花も部屋が寒いといいながらもつぼんでいた花びらが次第に口をあけてくる。

 これに気付かれた先生は白い壁を背景にしてチューリップを手に持ってくださる。そして写真に納めるようにとせかされる。こうすれば花の状態が変化しても色付けの時など写真を見て絵に出きる。仮の教室も昨日で終わり、次週からは元の教室に戻る。昨日の寒かった教室を出ると外はそぼ降る雨。寒いはずだ。昨日の最高気温は後で5度と知る。

 眼科、歯科以外の医療機関は20年近く行ったことがない。とはいっても母を介護していた時に通った医療機関はこれに含めない。どういっても小学校に上がるまで弱かったらしく、物心ついてからは健康第一に気を付ける。お蔭でいたって健康そのもの。ここで風邪を引くわけにはいかない。親がインフルエンザに罹った時、予防接種をしなくても罹らなかった。昨夜は、風邪予防には眠るに勝る薬なし、と思ってよく寝た。今朝は大丈夫。

 建国記念日の催しの招待ハガキが送られてきた。しかし参加はとりやめよう。毎日、動きすぎの感がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『玄冬の門』(五木寛之 KK.ベストセラーズ、2016年)からの抜粋。

★「大河の一滴」という表現は、福永光司さんという、かなり年上の道教の学者の方に教わったものです。「面授」という古い言葉があります。人づてに聞いたり、本で読んで知るだけでなく、直接その人と向き合って、肉声で教えを受けることをいいます。本当の生きた思想や知恵といいうものは、やはり、そんなふうにして、生身の人間から人間へ伝えられていくものでしょう。128p

★道教の世界で、

大河の一滴
大海の一粟(ぞく)

 という対句があるということを福永さんに教わったのです。一粟というのは、一粒の粟(あわ)ですね。本当に小さなもの。それを伺ったときに、その二つが結びついて、大河の一滴は海へ流れていく。海の中の粟の一粒のように存在として、その中に溶けてしまう、というイメージが浮かんだのです。129-130p

★精神世界というか、想像の世界やそういうものに生きるとすれば、古人とか、外国の人とか、「なるほど、この意見は面白い。この人は自分と共通の感覚をもっているんだ」というように、精神上の友人はもてます。共鳴する人がいるということが大事。150-151p

★「再学問のすすめ」と言ったけれども、好奇心のある人は、改めてカルチャーセンターに行ってみるとか、何かの通信講座で勉強してみるとか、それをやると「こういう役に立つから」ということではなくて楽しみとしてやってみるといいと思います。…「そうか、人間は有史以来こんなことを考えていたのか」と思わずにいられないはずです。人に見せびらかすためでも、学位をとるためでも、職業のためでもなく、本当の好奇心からすることが大切です。その好奇心を持続させるということが、一番大事なことだと思いますね。157-158p

2018年2月10日土曜日

旧暦元日&広響第377回定演を聞く

 今年の旧暦元日は2月16日、と昨夜届いた某比較文化研究会のメールで知る。以前、美学を習っていた先生が12日の毎日新聞に「旧暦併用のすすめ」の記事を書かれているという。図書館で記事を読むことにしよう。研究会と名がつくところに2か所所属している。ところが、2か所ともご無沙汰気味。ただメールでいろいろと連絡事項が届いて、いろんな情報を知る。昨夜届いた以外のもう一か所の研究会は年に4回研究会誌が送付され、研究会も何度か開催されている。それなのに土曜日は日本画と重なることを言い訳にしてこの2,3年これまたご無沙汰気味。今年は少し気分を変えて参加する!?

 昨夜と言えば他にも広響の第377回定期演奏会に出かける。演奏会タイトルは「下野竜也 音楽総監督就任記念シリーズ三人の会・シューマンに寄すⅢ」。3人の会とは団伊久磨、黛敏郎、芥川也寸志で昨夜は芥川の曲が演奏される。

 演奏曲目は以下のようであった。

♪芥川也寸志 交響管弦楽のための音楽
♪プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番ハ長調Op.26
♪シューマン 交響曲第4番ニ短調Op.120

 ピアノ協奏曲には河村尚子を迎える。席は前から3列目、それも真ん中。ピアノ演奏に関しては舞台に向かって左側が理想。しかし席が選べず、真ん中で聞く。顔の表情は目の前で見ることができる。曲はロシア革命のときにつくられたらしく、ピアノを弾く手というか腕の振りはこれまで見たこともないほど激しい。曲の激しさを表すようにピアノから手が離れる瞬間の何とも言えない風を切るような「バシッ」と終わる様は見ていて圧倒される。

 演奏後のソリストのアンコール曲はシューマン作曲の♪天使の主題による変奏曲より♪が演奏された。交響曲とは違ってしっとりしたピアノの調べは素晴らしいの一言。昨夜も後半の演奏は席を勝手に変わって聞く。後の空いた席で聞く方が気持ちよく聞ける。これはなぜ!?明後日も演奏を聞く。これは前から6列目。さてさて如何なものか…。

 演奏と言えば今、練習しているショパンのノクチュルヌハ短調。曲の中に頻繁に出てくる臨時記号。このうちの2か所は自分で納得いかないところがある。1小節内に臨時記号がつく音符は後の方についていなくても着いたのと同じに弾く。ところが これも1オクターブ高いと臨時記号は無関係のようだ。これは次回のレッスンで先生に確認しよう。

 今朝は久々に最低気温がプラスに転じて4℃。しかし、雨が降るのかすでに降っているのか、日差しがなくて寒く感じられる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月9日金曜日

楽器の持ち方&日本画教室の人たちと

 ピアノの詩人ショパン。昨年からこの人に興味津々。今夜のEテレ「ららら、クラシック」はショパン様だ。見よう!若いころに習ったオルガンやエレクトーン。大きすぎて場所を取ると思い、数年前に市の大型ごみで引き取ってもらった。手放した後悔はない。だが、ショパンの曲をフルートでさらっていると、ついでに鍵盤楽器で弾いてみたくなる。次に鍵盤楽器を買うときはキーボードがいい。その時は誰かショパンのノクターンの弾き方を教えてほしい。とはいってもボツボツ練習すれば何とか弾けるかもしれない。それは先の夢として今はショパンの曲の演奏を聴く!?ということで昨日の日本画の人とのランチ後、駅前のデパートのチケット売り場によって5月に「さくらぴあ」で開催されるピアノリサイタルのチケットを購入。演奏者は2015年ショパン国際コンクール第2位受賞者でソナタ賞も受賞したシャルル・リシャ―ル・アムラン。楽しみだ。

 フルートでショパンの曲を吹いている。さらった♪ノクチュルヌOp.9-2♪。この曲を何とかさらって仕上げたことは自分のなかではフルートを習い始めてのターニングポイントになるかもしれない。そう思えるほどの練習になった。どういっても連符の数の多さ、トリル、ターンが頻繁にあり、そして曲が速い。譜面上はまるで算数をさらうように音符の下に何拍かを書き込む。声を出してメトロノームと合わせ、時には手をたたいて拍をとる。このかいあってか、次に練習し始めた♪ノクチュルヌ21番ハ短調♪の楽譜を見ると目も慣れて吹きやすく感じる。しかし、この譜面上にも連符が多くあるので算数の如く拍の長さを数字で書き込む。 

 前回のレッスンでフルートの頭部管と胴部管をつなぐとき、先生から5ミリほどの長さにするように教わる。こうやって足部管もつないで家で練習すると響きある音が出る。我ながら「こりゃ、どういうこと」と驚くほどいい音が出る。母がいなくなってからはすべてが自分の時間。この期間もいつまでもあるわけではない。そう思い始めてからかなりフルートの練習をするようになった。レッスンでは自分の腑に落ちないことはさらう前に先生に聞くようにした。そしてどんなふうにフルートが吹けるようになりたいかを考えるようになった。まずは音だし。そしていい音を出す。すこしだけその思いに近づいた気がする。

 一昨日のヴァイオリニスト古澤巌のブログに「人差し指球」のタイトルで綴っている。以下はそのブログ。すべての掲載は如何なものか。とりあえず掲載させていただこう。

結果、ここに戻って来た…。
ミルシテインについてのインタビューとかで気になり、
もう一度彼のyoutube見ても。
相変わらずよく判らない。
が、一見、普通に見える左手。
いろいろ試行錯誤で、それはあり得んだろう、的なところまで試した結果。
レオポルドが教えるように、
やはり人差し指の指球、に秘密があるようだ…。
ただし。
今までの自分のとは、「全く」違うな。
もっとジェイクに近い。
紆余曲折の挙げ句。
前は左手にネックを乗せると、ビブラートは出来なかった。
この方法だと、出来る!
おまけに、ミルシテインみたいな音まで聞こえてくる(気がする)…。おめでたい自分。
これがまた、誰かに話しても、
「前と変わらないけど?」
とか言われる。
この4月付けで、洗足の客員教授に迎えていただく。
その前に、間に合ってよかった…。でたらめ教えたら大変。
教える事は、ただ一つ。
楽器の持ち方。それが全て。
始まりが違えば、行く道が変わる。
明日はハワイ。ジェイク懐かしい…。

 この中で以下の言葉はとくにわかる。

教える事は、ただ一つ。
楽器の持ち方。それが全て。
始まりが違えば、行く道が変わる。

 ヴァイオリンとフルートの違いはあっても、また教える側と習う側の違いがあってもこの3行はよくわかる。フルートを長く習い、いつも初めて習ったときに言われたことは「楽器の持ち方」だった。この度、頭部管と胴部管の5ミリという微妙な長さで音の違いが出る。

 以下の3行を捩って…。

習う事は、ただ一つ。
楽器の持ち方。それが全て。
始まりが違えば、行く道が変わる。

 それにしても毎回思うことは何と詩的センスに溢れたブログだろうということ。素晴らしい人だ。そしてどんなに有名であっても試行錯誤をしながら音楽の道を進まれている。凡人が迷うのも無理はない!

  昨日は日本画の2つの教室から先生を含めた9人でグランヴィアの「瀬戸内」でお昼の御膳をいただく。ランチとはいっても豪華版。写真はメイン料理がうまく撮れていない。ご飯は今年初めての牡蠣飯だった。楽しいうちに終わる。遊ぶことに一生懸命。絵も一生懸命ならばいいのに…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月8日木曜日

『人間の運命』

 年末年始にかけてパソコンの検索入力が使用不可能な時があった。それより前はパソコンのバッテリー消耗で機種変更?と思った。ところが、バッテリーがリフレッシュできなくてもACアダプターを使用すればOK。バッテリー云々は必要以上の心配しすぎとわかる。年末年始の検索画面での入力やブログなどの文字入力ができなかったことも今となっては何だったのか、と思われる。

 パソコンに関しては頼る人がいない。唯一の頼みはパソコンの検索画面に困ったことを入力すれば大概のことは解決がつく。頼みの入力画面が使えないとあっては心配し過ぎとなったのも仕方ない!?ともあれ、お正月が過ぎるといつの間にかパソコンはいつも通りの使いやすい状態になる。

 心配性の性格は昔とあまり変わらない。しかし、長く生きただけナニゴトも「居直る」気持ちになっていく。パソコンがなんじゃ、ブログがなんじゃ、といつの間にか居直っている。怖ろしいと言えばそうだけど、いつ何が起こるかわからない世の中。何があっても「居直る」ことも大事だ。

 先日、ブータン関係の3人で会った際、台湾の花蓮で早朝の日の出を見るツアーに参加云々の話をした。結論は出ず先延ばしになる。その矢先の一昨日の台湾花蓮の大地震発生。日本では寒波襲来で、福井県は何百台もの車が雪で立ち往生となっている。

 月に人が行くような時代になっても大雪を除雪するとか溶かす技術は進歩しないのだろうか。車一台に何人もの自衛隊員が出動して雪を取り除く様子をテレビ画面をとおしてみているとデジタルの時代どころかアナログ、と思ってしまった。というか、人がどれほど偉くなっても自然の前では何もできない、本当に弱い生き物だ。

 年末年始にかけてパソコンだけに依存するのでなく、五木寛之の本をよく読んだ。自分自身では何もできないこともすべて「運命」ととらえればこれも「居直る」ことに近いかもしれない。

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『人間の運命』(五木寛之 東京書籍、平成21年)の抜粋から。

★今幸せである人は、余裕をもって過去を振り返ることができるからだ。…過去とは、人間の置かれた状況によって変わる。131p

★現在の自分の状況をもたらしたのは、みずからの過去の行為であることになる。これからの未来もそうだ。明日の自分の運命を決めるのも、いまであり、昨日の自分の行為である。147p

★過去、現在、未来はこれからの明日にかけては可変的なのだと考えたい。運命は、ときに私たちの手の中にあるのだ。151p

★アウシュヴィッツの『夜と霧』のなかを生きのびたフランクル自身が、その証明でもある。…極限状態のなかで生きのびた者はみな悪人である。そもそも人類とは、生物とは、最初から悪を条件として誕生し、地上で生きのびてきたのではないか。私たちは命を大切にしたいと、と思う。しかし、人間社会においてさえ、人間が人間を犠牲にして生きるのが現実なのだと、記憶の深いところからの声が聞こえる。158p

★人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。173p

2018年2月7日水曜日

ショパン:♪夜想曲 第21番 ハ短調 「遺作」♪(nocturne ハ短調)

 ショパンの♪ノクターンOp.9―2♪(ノクチュルヌ 変ホ長調)を何とか仕上げて今日から ショパン:♪夜想曲 第21番 ハ短調 「遺作」♪(nocturne ハ短調)の練習に入る。変ホ長調のノクチュルヌを今年になってさらうと決めた時、曲が難しくてかなりの月数を要すると思った。ところが、難しい箇所を手拍子や口で歌ってメトロノームと合うまでやり続けるうち、吹くことができるようになった。これは自分にとっては嬉しいことで少しは笛を吹く自信になる。
 
 昨日のレッスンでは先生のピアノと合わせて本来よりもゆっくり目に吹くといい感じで吹けた。この春からフルートを習い始めてなんと27年目に入る。その間、物理的に習えない時期も何年間かあった。しかし、細々と長く習い続けていると少しは納得して吹けるようになるものだ。昨日はかなり気分良くして先生宅を後にする。
 
 次にさらうのはショパン繋がりで同じくノクターンを吹く。正式な曲名は♪夜想曲 第21番 ハ短調 「遺作」♪(nocturne ハ短調)。ノクターンのハ短調がショパンの遺作の20番に続く21番とは動画を探すまで知らずにいた。結局ショパンはノクターンをこの21番で終えて亡くなる。
 
 その故かこの21番は何とも寂しい曲。それもそのはずで短調の曲だ。短調は長調よりも寂しい感じになる。元がピアノ曲のためかフルートでの動画が見当たらない。ともあれ、綺麗な曲なので頑張って練習しよう。
 
 レッスン後、歩いて八丁堀に向かう。ところが最低気温が3度で寒さも半端でない。八丁堀に着くと地元銀行で外貨両替所を探す。八丁堀支店、とネットで調べていたので目的の店舗に行くと新たな場所に移動している。真新しいビルの一階が外貨両替センターやワールド対応のATMが利用できる。初めて入ると係りが寄って来る。まずは日本語で…と教えてもらって日本円2万円ほど出かける国の外貨に両替する。外貨単位が決まっていて最低でも2万円弱になる。本来ならば少なくしたい。しかし、オプションもあるのでそれに充てればいい、と両替する。(正式には日本円19240円=現地通貨2百AUD)。
 
 次に出かけようとする国は本来の旅費以外に空港税やビザ代などが他の国よりも格段に高い。その為旅費プラスにその半分の金額の上積みが合計額になる。それには個人部屋代金と関空までの旅費も入るが…。
 
 地元駅で関空までの割安のチラシを見つける。もしかして「おとなび」よりも安い?と思った。ところがパンフの利用月日を見て4月からの利用と勘違いする。駅員に今の時期は利用できないのかを尋ねるとOKという。2,3度このやりとりのあと、平成29年と30年を勘違いしていると気づく。
 
 ある年から昭和や平成の年号がわかりづらくなった。頭はすべて西暦で考えている。そうか、今年は平成30年、とわかって係りに謝る。ちょっとボケがあるかもしれない。困った、困った!
 
 今朝はマイナス4度の世界。お昼は5度とか。あまりにも寒いためかどうか知らないが目覚めの遅いこと。プラスチックごみを出す時間に間に合わなかった。冬は冬眠の季節。ヒトも冬眠する!?よく眠るためかどうか例年になく鼻水が出ない。これは本当に自分にとっては喜ばしい。そういえば寒さに負けて一昨日のプールをさぼった。プールのメンテもあって今月はほとんど泳げないかもしれない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 
 


2018年2月6日火曜日

『緩やかな生き方』&『記憶の海辺』インタヴュー

 一昨日の地元新聞「読書」欄にエッセイストの池内紀氏が写真付きで掲載される。「著者に聞く」とのタイトルで最近出版された『記憶の海辺』のインタヴューがある。いつもブログに書くようにこの人のファン。市内にある泉美術館で開催された2度の講演会はいずれも聞いている。権威や名誉を嫌う人らしく、物腰は柔らかい。「語るほどの素材ではない」とのことでこれまで一切自伝的なことや回顧録は拒み続けたそうだ。ところがそれも「僕はいつも自分に問い掛け、主体的に責任を取りながら生きてきたつもり。それを書くことには意味があると思ったんです」、のことから「私的な記録を通した時代とのかかわり」を書いている。

 よく観察し、気になったものはメモし、雑誌や新聞の切り抜きと共にファイルするという。これは自分自身もやっている。そして「情報源は自分でつくる。スマホなしで何もできなくなるという『持つことで生じる不便』を皆忘れているのでは」という。最後に「自由は一切譲らない。年寄りの仕事にぴったりでしょう」と。

 『記憶の海辺』、これは読まないといけない。「自由は一切譲らない」、これはいい言葉だ。いつまでもそうありたいものだ。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下の『緩やかな生き方』(五木寛之 実業之日本社、2014年)は最近読んだ本で、本文の中に出てくる知らない言葉を羅列しよう。

★思わず笑って、あとでしんとした気持ちになるところがあるのです。外国語ではアフォリズムとかいいますね。アフォリズムというやつには、どこかもっと硬質なものがあるんじゃないでしょうか。緑雨の言葉のほうが、かなり人間くさい卑近なところがあって、ぼくはそこが好きです。「筆は一本也、箸は二本也」と彼は言います。「衆寡敵せずと知るべし」と。要するに、ものを書いても食っていくことは難しいんだ、ということですね。原稿料を稼ぐのは一本の筆。それに対して飯を食らう箸は二本である。二本と一本ではとても勝ち目がないじゃないかと、というわけです。45 p

★「見テ知リソ、知リテナ見ソ」というのは柳宗悦(むねよし)の言葉です。私は「心偈(こころうた)」という画文集のなかでその呪文のような短い言葉に出会いました。一瞬、ハッとして、それからずっと忘れることがありません。202p

★「知テナ見ソ」とは、先入観でものを判断しがちな私たちをいましめる言葉です。知識を持つのは悪いことではありません。しかし、いったんイメージをふり捨てて、裸の目で世界を見ることが大事なのです。そして、きのうの世界ときょうの世界はちがうということ、きょうの目の前にある世界が、明日は決して同じでないことを覚悟する必要があるでしょう。205p

★寒い。辛い。怖い。禅に対してこんな偏った印象を抱くのは私だけかもしれない。「慧可断臂(えかだんぴ)」という話がある。慧可は達磨太子のあとを継いで、中国禅の第二祖とされる人だ。この僧が達磨に入門を乞うたときの故事にまつわる話である。弟子にしてほしいと何度たのんでも達磨の返事はNOだった。そこで慧可は、自分の左臂(ひじ)を刃物で切断して決意の固さを示し、ようやく入門を許されたという。このエピソードはすこぶる有名で、古くから画のテーマとしてしばしば取りあげられている。しかし、この話も、なんだかなあ、という感じがなくもない。233p

★エッセイという、どこか格調ある表現より、フェリエトンという、なんとなく間の抜けた言葉の響きに共感するのは、私自身が雑に生きている自覚と反省の故である。297p

★「フエリエトン」とは、「雑録」「雑文」というようなニュアンスの表現らしい。296p

2018年2月5日月曜日

フラ、フラ、フラダンス!

頂いた花束
 
フラダンスを披露


本格的なフラダンスを楽しそうに嬉しそうに、お見事でした!

 



 昨年秋、県立美術館でブータン展が催された。20余年前、ブータンにのぼせていた3人で展覧会に出かける。うち1人とは20年ぶりのご対面。展覧会の後の楽しいランチとお茶会はあっという間に過ぎる。再会を約束して別れる時、何気なく口にした言葉が2月が誕生月ということ。では「誕生祝いを…」が本当になってしまった。有難い!

 一人は本格的なフラダンスを長く習っている。「フラダンスが見たい!」とお願いするとグランヴィアのお店の個室を予約してフラダンスが披露された。笑顔満載で優雅にフラを踊る姿は見ていても圧倒される。効果音は?と心配していた。それはスマホが肩代わり。

 とその前に、まずはお昼としては豪華なランチ。どういっても中華のお店なので個室といってもかなりの人が利用できる。それを3人だけの貸し切りで美味しいランチを食べながら話も弾む。とはいっても昨日も一方的にしゃべった感はあるけど…。コース料理なのでゆっくりといただく。まずはシャンパンで乾杯。次はビールと続く。料理の後はフラダンス。フラの衣装に着替えて頭にはお花が、胸にはレイをかけて、素足で優雅なフラダンスが披露される。一曲が終わると次の曲に合わせて踊る。ただ手をふらふらさせるのでなく、音楽に合わせてのダンス。これは一つの曲を覚えるだけで大変だ。かなりの年数本格的にフラダンスを習っているらしく、週一で先生の教室まで新幹線に乗って習いに行くという。本格的なフラダンスを踊ってくれた〇〇さん、本当にありがとう!素晴らしかった!

 ダンスが終わると目の前に花束が…。誕生月の割引カードがホテルから届く。まさか花束までも…と思ったら2人からのプレゼントだった。本当にありがとう。人様から誕生日を祝ってもらうことがないのでとても嬉しかった。そして一人からは地元の日本酒、それもロゼワインのような賀茂泉の「COKUN」をいただく。ところが嬉しさが昂じたのか2人とわかれてJRに乗ると日本酒のにおいが…。どこかに瓶をぶつけたのだろう。それでも家までなんとか持ち帰る。早速夜いただくと、ロゼワインと同じような色で匂いも味もそうだった。このお酒は2015年ワイングラスでおいしい日本酒アワードで最高金賞を受賞している。そして白いお米から酵母の自然な力できれいなピンク色に色づいたお酒(日本酒)だそうだ。道理で美酒!〇〇小姐、非常感謝!なお披露されたフラダンスは「レイナニ」と「ワイピオパエアエア」だった。

 次回、3人が会うのはコンサートホールで催される本格的なフラダンス鑑賞と決定。その時を楽しみにして…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!(なお、画像は携帯で写したのでボケている。申し訳ない)。

2018年2月4日日曜日

「美輪明宏『ヨイトマケの唄』名曲誕生の秘密に迫る!」&日本画

 昨夜のNHK・BSプレミアム「美輪明宏『ヨイトマケの唄』名曲誕生の秘密に迫る!」を見る。これは本当に感動した。もう涙失くしては見られないほどの感動だった。番組欄には「歌に命が宿るとき『美輪明宏 ヨイトマケの唄 その愛と秘密』」とあり、さらに「美輪明宏の『ヨイトマケの唄』はいかにして生まれ、名曲になったのか?その謎をひもとく未公開テープが中村八大の遺品から見つかった。名曲誕生の知られざる秘話に迫る!」とある。

 番組の内容としては「美輪明宏の伝説の名曲『ヨイトマケの唄』。この歌が人々に愛されるまでには数々のドラマがあった。その謎をひもとく未公開テープが作曲家・中村八大の遺品に残されていた。そこには若き日の美輪の肉声が。美輪が自らの人生を投影し、底辺で精一杯生きる人々の姿に心を動かされ、書き上げたこの曲は数奇な運命をたどりながら時代を越えて歌い継がれていく。美輪本人や関係者の証言からこの歌が人々の心をとらえ続ける秘密に迫る」となっている。

 中村八大の息子である中村力丸。音楽関係に携わる仕事をしている。自宅を整理していて美輪のリサイタルの模様を録音した録音テープ2巻を見つける。生前、中村八大は美輪と親交があった。美輪(その当時は丸山)が誰が好きかとメディアで問われると「男性が好き」と返答する。これが同性愛者との批判を受けて人気があった芸能界から干される。紆余曲折の後、街中で出会った昔の同級生との出会いから「ヨイトマケの唄」が生まれる。

 その楽譜をもって八大宅を訪れる。中村八大は手帳に簡単な日記をつけていた。某日、美輪が八大宅を訪れた記憶は一致する。その時の模様を美輪のリサイタルのパンフに中村は記していた。此のリサイタルこそが美輪の作った曲に八大が編曲し、指揮した「ヨイトマケの唄」のリサイタルで録音したテープだった。

 八大の影響なのか「夢で逢いましょう」の番組に美輪は出演する。作曲した「ヨイトマケの唄」が世に出るまでの物語は民放にも影響する。民放の朝の番組でこの歌が披露される。しかし曲の中に「土方」の言葉があり、これが当時の放送禁止用語に当たり、またも美輪はメディアから干される。しかし、民放での放送時間内や放送後の美輪に対する影響力はすごいモノがあった。

 労働組織の音楽団体からの応援で美輪はこの歌を引っ提げて全国を歌い歩く。これが功を奏してこの歌は大ヒットする。

 ヒトにはそれぞれの人生がある。メディア上の美輪は華やかさだけが目につく。しかし、対談番組やエッセイを読むとそれとは真反対の人である。今の地位を得るまでには紆余曲折があった。みんなそうかもしれない。そう思ってテレビを見ていたから余計感動してしまったのだろう。

 それと同時に、自分が小さい頃の母を誰もが思って見ていたかもしれない。戦後すぐに生まれたものとしては小さい頃のことを想うとどの家も貧しかった。親たちも苦労があったに違いない。「ヨイトマケの唄」ほどではないにしても多かれ少なかれ裕福な家はなかった。小さい頃を思えば今は何でも手に入れることができ、何でもやろうと思えばやれる社会。

 話は変わって昨日の日本画教室。地塗りした木製パネルにトレースした絵を再度トレースする。カーボン紙の青を使用してトレースした。ところが全くと言っていいほどトレースができていない。再度、赤のカーボン紙をはせてトレースする。大丈夫だった。次は色を施す。すべての絵具を元の教室に置いたままにしている。ヒトのモノを借りて色付けするも、思うようにならない。あと1回だけこの教室で習う。それが終わると元の教室に戻る。色付けは元の教室に戻ってから再開する。この方がいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

2018年2月3日土曜日

異常な低空飛行

 今朝はこれでもか、というくらい飛行機が空を飛ぶ。アメリカ軍の飛行訓練だろうか。2日ほど前に見知らぬ大阪のカープファンの若者のツイッターに「夜地鳴りがした」という程の飛行音が生じたとのアップがある。それにしても今朝は異常にしつこく飛行機が飛ぶ。岩国の米軍基地から飛ぶ飛行機だろうか。何も起こらなければいいけど…。

 昨日と今日は久しぶりに暖かい。しかし、これも明日からまたマイナス2度の世界が続く。ブログをアップしていてもやっぱり飛行機がうるさい。今朝はほんまに異常な音での飛行訓練か。ここでいくら叫んでも、無理なこととわかっていても、それにしてもうるさすぎる。飛行機が離れても耳から音が離れない。政府は何とかしてくれといいたい。こう思う最中でも飛行機の音が絶えず響く。これ言っときますけど決して私の頭がおかしくなったわけではありません。飛行機の音が異常なんです。まだゴー、ゴーと響き渡る。

 もう耐えられない。ネットでブログアップしながら調べると岩国市近郊の廿日市市がこれに因むHPをアップしている。もちろんほかの広島市や県内の市町村のアップもある。以下は参照URL。
https://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/soshiki/2/12284.html

 今朝のブログでこういうことをアップするつもりはなかった。ところが飛行機の異常なうるさい低空飛行で怒りもピークに達しそうだ。

 気持ちを切り替えて昨日の友だちとのランチ。初めて就職したときの会社の同僚とのランチ。明日と来週半ばに他のメンバーと昨日と同じくグランヴィアでランチをする。メニューが重なるのも嫌なので昨日はまず21階でいただく。なぜグランヴィアが続くかと言えば、グランヴィアのカードのポイントがたまりその期限が今月いっぱいとの知らせが入る。それを使わずにいるのはもったいない、とのケチな根性から出かけた次第。これは他の人もそうらしい。

 ということで昨日はポイントを使い切り、申し訳ないほどの料金でお昼をいただく。それも場所がシティ・ホテルだけあって応対もご丁寧だ。それにしてもまだ飛行機が飛んでいる。本当に今朝は異常だ。

 またホテルの話に戻って、ポイントのほかに誕生月は2割引きとなり、おまけにシャンパンが4名までつく。さすがに昨日はこの利用はせず、明日に持ち越し。至れり尽くせりのサービス。しかし、これも提携カードが変更になるらしく、特典もさてさてどうなるのやら。

 飛行機と言えば、近いうち出掛ける国の現地通貨を両替しなくてはいけない。ネットで見ると郵便局もやっている。電話で確認するとやっていないとのこと。HPの更新ができていないようだ。他の銀行を調べると三菱UFJの両替センターがある。しかしここは3時まで。さらにネットで調べると地元銀行が八丁堀支店に外貨両替のATMを設置している。これは夜9時までのようだ。広島駅もあるがここは米ドルとユーロ以外は外国通貨を日本円にするだけらしい。ということで広島駅では両替不可能。レートが高いじゃ安いじゃと言っておれず、ATMでの両替となりそうだ。

 まだ飛行機が飛び交っている。もうええ加減にしてくれ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年2月2日金曜日

球春到来!

手前は以前とったレモンで139g、奥側は昨日とったもので35gと小さい

 昨日からプロ野球のキャンプが始まり、ネット上では「球春あけましておめでとうございます」が飛び交う。春は新春だけでなく球春があるとは知らずにいた。さすがにプロ野球の選手たちは自らおめでとう、とはいわない。それどころかこれからのチーム内外との戦いに明け暮れる。

 個人的にはCarpのダブル翔太の大ファン。やっぱり、人の好き嫌いは顔にある!?どちらの翔太もかわいい!かわいいのは顔だけでなく性格にもある。去年は投手の翔太が頑張り、一億円プレーヤーとなった。今年は野手の翔太が頑張って以前の輝きを取り戻してほしい。

 2軍のJR駅では明日は臨時列車5本を運行するという。お目当ては今年入団した選手?昨日の2軍観戦は1500人だったとか。ドラフト1を見に行ったのだろうか。

 昨日と言えばまたもレモンが木に残っていた。それは35gととても小さい。遅くまで木になると大きいと昨日ブログに書いた。しかし、これは間違い。木に長く置いていても大小には関係なさそうだ。もう木にはなっていないと思う。しかし、数年前初めてレモンが1個実をつけた時、とても嬉しかった。その年から一昨年までいくら実をつけたか数を把握していた。しかし、今年ほど実をつけると初めの頃の実がなる楽しみも薄れてくる。なにごとも慣れが生じると喜びも薄れるのかもしれない。

 ということでこの冬は「お礼肥え」を木に施していない。この調子だと秋のレモンの収穫は少なくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!それにしても2月のスケジュールが厳しい!予定を入れ過ぎたかもしれない。

2018年2月1日木曜日

『生きる知恵を学ぶ』

昨日とった132gと151gの大きいレモン
下のは以前とったレモン

 年末に図書館で手当たり次第に手にした本の一冊に『生きる知恵を学ぶ』(栗田勇 岩波書店、2003年)がある。歳をとって来たのかやたらとこういった類の本を読むようになった。とはいってもこれも自分だけがそうでもなさそうだ。昨年秋に出かけた旅の帰り、空港から乗ったバスで一緒に出掛けた人と話をする。一回り以上も若い人なのにバス旅で四国八十八か所のお遍路旅を3回もやり終えたという。次回からは一人で遍路道を回りたいと話していた。

 四国八十八か所はそれほど関心を持たないので出かけたことがない。ただ、この春から出雲の国神仏霊場巡拝の旅が始まるようでこれには興味がある。旅行社から送られてきたパンフを見ると4回シリーズとなっている。とりあえずすべて申し込む。冬の季節、寒さで家に閉じこもりがちになる。そんな時は温かくなってからの遊ぶ話を決める。これも至福の時。

 昨日、自転車で出かけようとするとレモンの木に黄色いモノが見える。何?と思って見たら黄色く色づいたレモンが2個ある。木になる実は早くとらないと木が弱ると聞いたことがある。見過ごされていたレモン2個。すぐにとって秤で測ると151gと132gだった。長く木になっていたので大きくなったのだろうか。それと、レモンは木になっている間は黄色くならないと勝手にそう思っていた。ところが黄色になっている。冷蔵庫に保管しているのを取り出すと黄色の色具合はほぼ同じだった。

 ということで60個レモンが実ったと思ったけど、全部で70個実っていたかもしれない。取り始めの頃は1個ずつ人にあげていた。ところが、レモンを取るとかなりあり、5個ずつあげる。最後は3個になる。それでも家に10個くらいある。これは紅茶用。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『生きる知恵を学ぶ』(栗田勇 岩波書店、2003年)からの抜粋。

★お遍路さんんは毎日いくつものお寺をめぐりますが、夕べにやっと山のお寺にたどり着くと、仏様だけに向かってではなくお互いに「ありがとうございます」と誰に言うでもなく肩をたたき合って喜びを交わします。…これは、日本人は大きな自然といったものを心の底に持っていて、その中に一体化する、溶け込むことに、真の喜びを感じるからではないかと思います。35p

★志ある人を名づけて国宝となすという言葉は、今日、いまこそ生きているのではないでしょうか。「照千一隅」は天台宗の合言葉となっています。102p

★私は旅と道は日本文化の柱になっていると思います。旅は常に移動して動いていくもの、道それ自体は動きませんが、その上を人が動いていくもの、すべて動きゆく万物流転のなかに真実がある。動いていくものは、ある瞬間には一か所にある、しかし次の瞬間にはない。あるとない、あるともないともいえない、そのきわどいところで、とても深い感動が味わえるのではないかと思います。それがまた人生を考えるときになります。旅、そして道、そこに人生の真実が姿を見せてくれるのではないでしょうか。267p

★愛語とはえらく難しいことを言いだしたなという気がしますが、本文を読んでみますと、相手が喜ぶ優しい言葉をかけることが愛語です。私も悟りを得ていないので、たまに愛護を試みるのですが、その効果たるやたいへん大きなものがあることは体験しております。270p

★愛語、人に優しい言葉をかけて笑顔をもって近づこうというのが、私たちに一番身近な、そして唯一実現できることではないでしょうか。271p