2021年5月31日月曜日

新聞記事&宣伝記事

  地元紙を見ると「トイレ故障で高額請求多発」の記事がある。トイレなどの水回りが故障すると緊急を要する。記事によると被害者はネットなどで検索して上位の業者に修理を依頼している。2年位前、電気温水器のお湯が出なくなった。故障、と思って翌朝温水器メーカーに修理を依頼した。その際は温水器に業者の電話番号があった。が、故障は温水器でなく電機メーターの盗難だった。業者はメーカー指定らしく変なことにならず幸いだった。

 これがトイレやお風呂だったら、と思って今朝すぐにトイレ機器に電話番号があるかどうかを確認する。便器の蓋に電話番号が記してあった。お風呂もTOTOの電話番号が書いてある。いざ、という時慌てないようにまずはメーカーに依頼すると覚えておこう。

 他にも特殊詐欺が尾道方面に多発とある。一時途絶えていたあやしい電話が最近かかってきだした。電話番号に登録してない電話には出ない。最近は怪しい電話もフリーダイヤルでなく固定電話の番号からかけてくる。これも困ったことで電話帳の迷惑電話登録が多くなる。

 変な世の中だ。地元紙の週刊誌の宣伝記事を見るとお茶まで変なものが配合されているとか。あれもダメ、これもダメとなれば何がいいのだろう。記事を見ては嫌な気持ちが増してくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月30日日曜日

秘境中国 謎の民「神秘の森に生きる」&もういいかい 小椋佳ファイナルを見る

 緊急事態宣言のなか、日本画教室に出かける。教室のある区民文化センターに入り、催し物の電光掲示板を見ると2つの催事しかない。受付の突き当りには図書館がある。貸し借りだけの図書館だが、人が多くいた。
 
 教室に入ると6月の教室は中止、と先生の第一声がある。久々の教室に生徒5人全員がそろった。何を基準として休みにするのか、5月よりも6月が市の方針が厳しくなっている。

 樹木を描いている。コロナ禍で教室があったり、なかったりで落ち着きなく描いている。描いている絵は先生のアドバイスは受けるものの、なるべく自分で考えて描く。3時間の教室の途中でしばしカフェタイム。珈琲を調達している間に先生は膠で溶いた絵具の一つに胡粉を混ぜた、と話される。自分なりに少しだけ考えながら描いているが胡粉が入ると更に色が変化する。一枚の絵を描くのにこれまでもすぐには完成しなかった。が、今回はさらにゆっくりでいいから納得いく絵に仕上げたい。そう思いつつ、ない頭を悩ませて絵を描く。

 話は変わって昨夜のテレビ。2つの番組、計3時間を見て堪能する。というか、どちらも結構、重い放送だった。初めに見たのは<秘境中国 謎の民「神秘の森に生きる」>。番組HPによると「中国の秘境、雲南省に広がる高黎貢山(こうれいこうざん)。標高2500mの世界遺産の森に生きる謎の民・ルーモ人の暮らしを半年に渡って記録した▽古代の武器・弩弓(どきゅう)で野生動物を狩り、シャーマンが魔除けの儀式を司る▽祖先は800年前、モンゴルの皇帝を倒して世界の歴史を変えた最強戦士。流浪の旅の果てに辺境の地にたどり着いた▽しかし今、中国政府によって森から立ち退きを命じられ、伝統が消滅の危機に」とある。

 弩弓もルーモ人も初めて聞いた。古い時代の生活そのもので野に住むウサギなどの野生動物を弓を射って仕留め、それを食料にする。体の不調はシャーマンが直す。その際の儀式に豚を供えて「我が一族の前に立ちはだかる病魔を……」と祈りを捧げる。なぜ、こんな秘境にルーモ人は住むのか。800年前、モンゴル帝国のモンケ・ハン第4代皇帝が宋王朝を攻めてきた。モンゴル軍は10万人。対する宗王朝はその10分の1の軍隊で戦った。少数民族を集めた宋王朝が圧勝した。なぜ勝ったのか。少数民族の中にルーモ人がいた可能性があるという。

 中国の古書によると「釣魚城が既に降伏したのならばその罪を許し殺戮を禁じる」とある。フビライ・ハンの時代、ルーモ人は最後まで戦った。が、四川で部隊が敗残になり南下してこの山岳地帯へ連れてきた。そして最後に行きついたのが怒江を渡ってこの地だった。ルーモ人が暮らすキンマ村は宋王朝から2000㎞離れた場所で暮らしている。かつてこの村は中国100名村だった。

 しかし、この美しい村も今は国の政策により集団移住を余儀なくされる。「2020年までに地理的な要因を解消し中国の貧困層を一掃するという政策」だ。新たな村に新たに立つビル群。入居には国から経費は出ず、8000元が必要だ。このお金をどうするか。思案の末、ある人は自分たちで作った木材だけの家屋を解体し、売却して資金を得ようとする。が、金銭を介した生活をしていない人たちだ。買い請け人は家を売る人に言い値の半値(7000元→3500元)に値踏みする。これでは額が少なすぎるので間に仲買人を入れた。さらに解体した木材を下の村まで下すのは自分たちがすると言って6500元で売買が成立。これで何とか移住先に入居できる。

 たとえ入居できてもこれからは野原を駆け回って獲物をとる生活はできない。金銭を得るために働くが彼らにあるのは弓の技術だけ。肉体労働の仕事はない。村を離れる前に最後の猟に出かける。動物のほかに木に潜むハチの巣を見つける。1週間の野宿で3人は40㎏のハチの巣を見つけた。これが高額で取引された。これを機会にハチミツで稼ごうと彼らは考えた。

 原始的な生活から快適な電気・ガス・水道のある生活になった村の人たち。ガスが点くのを見守る目はほほえましい。集団移住後の村は大規模な果樹園になるそうだ。テレビを見ていて村人への有無を言わせぬ国の政策に驚くばかり。10数億の民を動かすにはこれも致し方ないのかもしれない。

 次に見たのは<もういいかい 小椋佳ファイナル~歌作り50年 青春に帰る~>。先日、小椋佳の「山河」が気に入った。その矢先に小椋佳を取り上げた番組があるとは……。この人の一生を垣間見た番組だった。「創造」をキーワードに曲が流れる。歌詞に重点を置いている。ありきたりな歌詞でなく考えに考えた歌詞のようだ。

 「もういいいかい、まあだだよ」と鬼ごっこをして遊ぶ。その鬼が放つ「もういいかい」が最後のステージになった。小椋には病気がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月29日土曜日

『ゆたかに、シンプルに生きる』

  緊急事態宣言の延長が決まった。昨年の事態と違う点は図書館の貸し借りが予約ならばOKという。図書館を利用する者にとってはこの点はありがたい。今回の緊急事態宣言前に図書館の書架から探して借りた本が『ゆたかに、シンプルに生きる』(保坂隆 PHP研究所、2011年)である。著者は定年後の生き方を書いている。仕事はとっくに引退したが気晴らしに読む。以下はその中から。

 ★「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」(第九十三段)……私は、本当の楽しみとは自分の心にしっかりと向き合い、自分に嘘のない生き方、時間の使い方をすることだと思ってます。目をこらし、耳を澄ませるのと同じように、自分の心に静かに向き合うと、「自分はこうありたい」というイメージが浮かび上がってきます。その自分に少しでも近づくように一日を過ごす。それが生きる喜びを楽しむことではないでしょうか。もう一つの楽しみは、まわりの一つ一つに感謝すること。これも大きな存命の喜びです。(222p)

 昨夜、日本画の先生からSMSが入る。日本画教室が予定通りあるそうだ。久々に教室へ行こう。というか、久々に街中に出る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしkましょう!

2021年5月28日金曜日

司馬作品から歴史を学ぶ

 今年の梅雨入りは例年よりも3週間早い。1週間先までの天気予報を見ると雨の日はなさそうだ。雨が降らなければ新緑のこの季節は一年のうちでも一番過ごしやすい。梅雨入りが早ければ梅雨明けも早まるのだろうか。それとも例年通りの梅雨明け!?

 『関ヶ原』(上)を読んでいる。1巻が550頁あり全部で3巻ある。あと100頁ほど読むと上巻を読み終える。図書館の書架のどの辺に中、下巻があるかわかっていても今は閲覧室に入られない。仕方なく、予約している本から1冊ほど予約を取り消して急遽、中巻を予約した。昨日、その予約確保ができた旨、メールが入る。すぐに本を借りに行った。これで上巻を読み終えたら中巻が読める。

 『坂の上の雲』から司馬作品を読み始めた。2年半ほど司馬作品を読み続けていると歴史は司馬作品から、と思えるほど学ばせてもらっている。今やテレビも「知恵泉」や「歴史探偵」など以前には考えられなかったような番組を見ている。幸い、この放送はNHKプラスの見逃配信でいつでも見ることができる。

 先日地元紙を見ているとある記者が何かに夢中になっているのを「虜」になった、と書いていた。まさに自分自身が司馬作品の虜になっている。この2年半に読んだ司馬作品一覧表を見ると61冊読んでいる。司馬作品はまだまだこれから読む本は十分にある。自分が生きている間に全作品を読み終えることを目指している。が、その夢は実現する!?そのためには元気でいなくてはいけない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月27日木曜日

“元気が出る”スポーツヒューマンドキュメント

 昨夜から降り続いた雨も止みそうだ。夜は久々にカープのナイターがある。カープ選手の新規感染者がこの3日間、出ていないとのことで試合が開催されるようだ。

 先日、BSで衣笠祥雄選手を取り上げたNHK特集が放送された。1985年の番組である。番組タイトルは「NHK特集 17年間休まなかった男~衣笠祥雄の野球人生~」。

 番組HPによると<17年間1試合も休まずプレーを続けてきた男がいる。広島の衣笠祥雄39歳。サラリーマン社会で中年地獄といわれる現代、衣笠は肉体的にも精神的にも更に厳しい世界で働き続けてきた。「40歳限界説」にたち向かう中年選手に密着取材し、「男」衣笠を解剖する。“元気が出る”スポーツヒューマンドキュメント>とある。

 “元気が出る”とあるようにまさにその通りの人間模様だった。が、あいにく衣笠選手はもう今はこの世にいない。肩の骨折をしても翌日から試合に出ている。監督は球がバットに当たればいいと言って試合に出させた。結果は三振。あとで衣笠に聞くと野球をやる限りは試合に出てバットを振りたいと話した。野球選手で試合に出られないほど辛いことはないらしい。

 コロナの影響でカープの1,2軍の試合はすべて中止を余儀なくされた。地元紙によると感染していない選手は間隔をあけて練習しているそうだ。この状況下、これでいいのだろうかと疑問を抱きつつの練習は選手にとっても尋常ではないらしい。が、衣笠選手ではないが、野球選手は皆、野球をやりたいに違いない。

 広島の前日の感染者数は166人。減少傾向にあるとは言いながら1ケタ台までには至らない。今週末には日本画教室がある。この時期、教室に出かけていいものかどうか気になる。この様子だと来月も緊急事態宣言は続きそうだ。いやなことはもう考えまい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月26日水曜日

『私のシンプル満足生活』

  緊急事態宣言発令前に図書館が以前のように借りられなくなる?と思って急遽借りた本を読む。それは『私のシンプル満足生活』(三津田冨佐子 三笠書房、2013年第2刷)、サブタイトルとして「99歳、楽しい楽しい」である。司馬作品ばかり読んでいる。たまには息抜きにと図書館の書架から手にしたエッセイである。著者は1912年生まれ。本によると「東大赤門のところにあった加賀前田藩のお屋敷で産声をあげ、お手伝いさんに何くれとなく世話されるという、今にして思えばずいぶん贅沢な境遇で育った」(はじめに、1p)そうだ。ところが50歳の時、夫と死別。それからの生き方を書いている。

 今も健在?と思って調べると100歳で亡くなられていた。以下は『私のシンプル満足生活』から気になる箇所を抜粋した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★人生で最も誇りに思えるのは、「人に評価されたとき」ではない。「自分が意義あること、楽しいと思えることに取りくんで、心底打ちこみ、喜びを見いだしたとき」である。(61p)

★気持ちに踏んぎりをつけたかったら、じっとしていないで、行動を起こすのがよい。(65p)

★人は、何もしていないのに、最初から自信があるわけではない。自信が持てるか持てないかは、自分がどれほどのことをなしてきたかによるのである。(73p)

★人に何かを言われたからといって、気にする必要はない。相手は自分の都合でものを言っているだけである。そういうときは、相手と距離を置いて、自分をしっかりつかまえておくことである。(75p)

★勉強とは、すなわち”知る”喜びである。……人類は好奇心によって、さまざまなことを発見し、文明をつくり上げてきた。「好奇心が満たされる」ことは、刺激的だし、大変面白い。”知る”ことは人に満足感をもたらしてくれる。(87p)

★人間とは所詮、孤独なもの。そう割りきって、楽しい会話をかわし、愉快な時間を共有できれば、それで充分だと思う。(123p)

★老人は人生経験も豊富なら、学識も備わっていて、見事な存在であると思う。いくら年をとっても、たとえボケていても、その尊厳に変わりはない。(179p)

2021年5月25日火曜日

人とのつながり

 2人から久しぶりの電話があった。1人は短大時代の友だちで雨が続いて気分が落ち込むという。コロナ禍で海外に行かれないのを気遣ってもらった。今年の海外は無理であっても昨年はコロナ騒動ぎりぎりの時にミャンマーに出かけている。また、海外の代わりにGO TOを利用して国内のあちこちに出かけた。今年も先月、五島列島に出かけたばかり。さすがに緊急事態宣言中のこのご時世ではどこへ行く気も起こらない。それでも某旅行社から旅のカタログが送付されてきた。(このタイミングではおかしいじゃろ)、と思いつつカタログを眺める。

 もう1人の方との電話で人とのご縁を感じる。先日、千日回峰行の件でネット検索中に知った久恒啓一のブログ。関心を抱いて毎日見るようになった。昨日午後、ふと頭をよぎる。久恒氏のプロフィールを見ると「知の現場」などの著書がある。(知の現場?)、とふと頭をかすめる。(もしかして……)と我が家の本棚を見る。このタイトルの本があった!『知の現場』はNPO法人知的生産の技術研究会編とあり、久恒啓一監修で記事もある。

 この第三章「出会い派の人々」に<「オンリーワン人生」を楽しむ>として弁護士の舛井一仁氏の記事がある。これはご本人からいただいた本だ。

 まさに出会い派の人々に入るのか、この人たちとのつながりにびっくりしてしまった。すぐに舛井一仁氏にメールを送った。するとこれまたすぐに返信を電話でいただく。お忙しい中、本当に申し訳ない。

 何度かブログに書いている。舛井一仁氏を知ったのは1993年3月発行の『ビジネス知恵セミナー』という本による。この中に「人に元気を与えるためには」として10点ほどあげてある。1993年といえば今から28年前だ。当時は会社勤めをしており仕事に行き詰りを感じていた。その時、この本を本屋で目にした。それ以来、この言葉をコピーして手帳にはさんでいた。そして親を亡くして以前のブログを改めてこのブログをスタートし、その2日目にこの言葉をアップした。打ちひしがれていた心を奮い立たせてくれた2日目のブログがいつの間にか著書の目に届くとは……。この時は本当にびっくりした。

 自分ではこの10ポイントを実践しているつもり。お陰で元気!改めてここにアップしよう。 

「人に元気を与えるポイント」(舛井一仁)
1 声を大きく、よく話をする
2 健康である
 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す
4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする
5 人脈を豊富にし、質を高く保つ
6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない
7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく
8 金銭的に少し余裕をもっておく
9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく
10 自分の目標をもって突き進む

 何度見てもこの言葉は励みになる。そして改めて人とのつながりに驚いてしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月24日月曜日

『功名が辻』(四)

 テレビを見た後、その放送についてブログにアップすることがある。昨日の午後、ブログ閲覧数が急激に上がる。(なぜ?)、と思った。以前に見た再放送があり、それをブログにアップしていた。一日のブログ閲覧者はおおよそ50人前後。それなのに昨日は170人。何の取柄も名声もない我がブログ。訪れてもらうだけでありがたい。

 ブログといえば最近、久恒氏のブログを見るようになった。毎日アップされるブログを見ると自分自身、関心を抱いている話題が多い。名のある人のブログは有料記事や画面に宣伝があることもある。しかし、この人のブログはそういったことがない。このことも見ている者を引き付けるのかもしれない。

 『功名が辻』(四)(司馬遼太郎 文藝春秋、2005年新装版第1刷)を読み終えた。次に読んだ司馬作品は『城をとる話』。そして今は『関ヶ原』3巻のうちの「上」を読んでいる。コロナ禍の図書館は予約の貸し出しサービスしか行っていない。「上」ももうすぐ読み終える。図書館に行けば書架のどの辺に本があるかわかっている。それなのにそれはできない。仕方なく『関ヶ原』(中)はネットで予約した。が、予約済みの本が制限を超えていてすぐには予約できない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『功名が辻』(四)から気になる箇所を抜粋した。

★午後二時すぎ、闘いはまったくおわった。家康は関ヶ原の西端天満山のそばの藤川台地まで床几をすすめ、ここで首級を検した。……「対州どの」と、家康は声をかけた。……(この老人、とりとめもないことを)と思ったが、家康は天下をとって嬉しくてたまらず、そちこちに声をかけたかったのであろう。「痛みりまする」とひきさがり、陣屋の前で馬に乗った。……伊右衛門はそのなかを、単騎、藤川へ帰ってゆく。(132-133p)

★「関ヶ原に暮色がたちこめはじめたころの想いをわすれぬことができぬ。勝も負けるも人生、まことにはかないものだ」「儚うございますけど、一豊どのをおたすけ申して日々心の充ちたいままでを送ってきた千代には、またとない豊かな半生でございました」……勝った伊右衛門には、その喜びのぶんだけ、ぽっかりと空虚な穴があいてしまっているらしい。(144-145p)

★「対馬守は、小山での前夜、その妻からとどいた書状を開封せずにわしにさしだし、当時動揺しつづけていた客将の心をわがほう加担にふみきらせ、かつ小山の軍議では、わしに城を進呈することを申し入れ、そのため東海道に居城をもつ諸将はあらそって城を空にしてわがほうにつき、この一事で諸将の気持ちがかたまった。あの瞬間でもはや勝敗は決したといっていい。その功、抜群というか、とにかく関ヶ原を勝利にみちびき、我が家を興すいしずえをきずいてくれた。土佐一国はむしろ安い」家康は、区々たる軍事功名よりも政治的働きのほうが効果影響が大きいとみているから、この処置をとった。……「国持?」と、伊右衛門は信じられない、といった顔をした。(146-147p)

★「空論だな」一領具足どもはそんななまやさしい手で鎮撫できるものではない、と伊右衛門はおもっていた。郷士などにすれば、かれらは公然と武器を備えることができ、その武器でなにをしでかすかわからない。「空論さ」と、伊右衛門はいった。この千代の空論は、伊右衛門の死後、二代藩主忠義が野中兼山の意見を容れ、土佐山内家独特の制度として実施され、幕末におよんでいる。(257p)

★戦国の初頭かtら流行しはじめた兵法(剣術)という剣闘の技術は、この僻地にはほとんど入っていないといっていい。一領具足どもは戦場ではめったやたらと剣や槍をふりまわすが、べつに法というものがなかった。平素の鍛錬は、もっぱら角力である。郷村での男の強弱の順位は角力でできあがる。その角力の強者が、一領具足の叛乱のばあい、大将なり幹部になっている場合が多い。(269-270p)

2021年5月23日日曜日

松本清張&渋沢栄一の番組

 梅雨の合間に五月晴れの朝を迎える。久しぶり母の夢で目が覚めた。普段着のままで布団に寝ている夢だ。夢は矛盾が多い。どうやって家に入ったのだろう、と思っていたら夢だった。
 
 昨夜、チャンネルを触っていたら<BSフジサタデープレミアム>『日本を動かした男 渋沢栄一~歴史から学ぶ日本経済とは~』をやっていた。番組HPによると<「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の生涯を辿り、どのような偉業を成し遂げたのか?歴史と経済、この2点の目線からご紹介。渋沢栄一は、大蔵省を退官後、一民間経済人として約500社もの企業創設に関わった。その企業は、金融から交通、生活インフラ、建設、貿易、食品など…、今の日本には欠かせない有名企業がずらりと並んでいる。まさに、日本経済は渋沢の足跡なしでは語れない。番組では、渋沢の思想と功績を振り返りながら、今の時代だからこそ使える経済対策、そして日本社会に必要なものは何かを考える>とある。

 2時間の番組だったがとても民放の番組とは思えなかった。宣伝が気にならないくらいよくできていた。ただ、出演者5人のうち2名しかわからない。再度、番組HPを見るとMC:堀潤 ゲスト:宇治原史規(ロザン)、トラウデン直美 専門家:河合敦(歴史研究家・多摩大学客員教授)、岸博幸(慶應義塾大学大学院教授)とある。わかっていたのはお笑いの宇治原と専門家の岸。あとで司会者は元NHKの堀、と気づく。渋沢についてこの番組で多くを知ることができた。

 番組は変わって一昨日の夜の新日本風土記もよかった。こちらは松本清張特集である。松本清張の本は全くと言っていいほど読んでいない。日本の各地を題材とした小説を書いている。松本清張の『天城越え』は川端康成の『雪国』に影響されているとか。『雪国』は読んでも『天城越え』は読んでいない。読みたくなった。

 最近、コロナ禍で番組が思うようにならないのか古い番組の再放送が多い。近年の落ち着きのない番組よりもこういったゆっくりした番組はなかなかいいものである。

 さて今日は何を見る!?カープの試合は1軍選手の大半がコロナに感染してプロ野球中継は3試合中止となった。これから先のことも今のところ試合が行われるかどうか不透明らしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月22日土曜日

慌てた!

 3日くらい前にBSで放送された「NHK特集 倉本聰の森と老人~北海道・富良野~」を見た。古い番組とは知らず見ていると「倉本聰さん52歳」とナレータの声がある。(52歳?)に疑問を感じて番組終了後にネットで調べた。なんと1985年のアーカイブズだった。番組HPによると、<十勝岳の裾野に広がる東大演習林は、日本有数の大森林である。東大名誉教授 高橋延清さん(71歳)は森を師と仰ぎ、ずっとここで暮らしてきた。高橋さんの目に映る森はどんな森なのか。原生林に40数年生きてきたひとりの老人の人生とその目を通した森の姿を、作家・倉本聰の構成と聞き語りで描く>とある。

 こういう自然を描き出す番組を見ると気持ちがホッとする。また、高橋氏の生き方にもひかれる。到底凡人にはできそうにない。1985年といえば今から36年前の番組だ。高橋氏は東大で一度も講義をしたことがなかった。ところが、定年退職後、廃校となる小学校でたった5人の子供たちを前に講義をされたそうだ。

 森に生きた高橋氏は生まれ変わったら何になりたいか、と問われる。動物の寿命は20年とか何十年と短い。が、樹木は何百年と生き続ける。だから樹木になりたいという。こう聞いて自分自身も動物でなく樹木に生まれ変わりたいと思った。

 絵の教室で2,3年くらい前から樹木を描いている。これからも絵を習い続ける間は樹木を、と思っている。その点でも樹木に生まれ変わる!?そうなれば、小椋佳の歌ではないが山河に還っていけそうだ。

 話はがらりと変わって昨日の出来事。とんでもない失敗をしてしまった。スーパーへはマスクと財布とハンカチを買い物袋に入れて出かける。買い物袋もまともなバッグでなく、景品でもらった袋だ。買い物中はカートの手すりに買い物袋をぶら下げている。雨降りで前日は買い物に出かけなかった。昨日は夢中で買っていたのだろう。レジに行く途中、黒い袋がないと気づく。さあ、大変!まさかの紛失だ。誰かにとられた気配はない。落とした、と慌てて係に告げた。頭の中は家の鍵ばかりが気になる。財布を紛失するたびに何度も家の鍵をやり替えたからだ。

 レジ付近で待っていると魚売り場、との声がする。係の行くのを気にしながら歩を進める。誰かが落ちていた袋をそのままそこに置いていたという。袋はあった!係と拾ってくれた人にお礼を言った。見つかる前、もしかして自転車に置いたままにしているかも、と見に行った。だが、袋はなかった。それから袋が見つかるまでの数分間、慌てふためく。

 母がいなくなってこれで3回ほど紛失事件を起こした。いずれも同じ財布でうち2件は警察に拾い主から届け出があった。いずれもお礼をした。今回はお礼をと告げたが受け取ってもらえなかった。渡すべきだったと今になって思う.

  紛失といえばほかにも街中で2回ほど財布をなくしたことがある。警察に届けたが出てこなかった。それ以来、財布は街に出るときとスーパー用に区別している。近所のスーパーへは財布の中には最低限のモノしか入れて行かない。ただ、家の鍵は予備として入れている。といっても紛失してしまえば予備も何も鍵はすべてなくなる。どの鍵も財布に入れているから。

 ボーッとした生活が引き起こした昨日の事件!?怪我でなくてよかった。気をつけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月21日金曜日

展開するモノ・コト・ヒト

 千日回峰行には2通りあると久恒啓一のブログで知った。それからわずかしか時は経過していない。が、関心を持ってその人のブログを見るようになった。先日、NHKプラスを見ていると上野千鶴子の最後の講義を放送していた。最後、といっても実際のそれとは違って番組でのことである。「おひとりさま」ブームの先駆けとなった人だ。「強者はいつまでも強者ではない」みたいなことが放送であった。この言葉に妙に納得する。

 強者であってもいつかは弱者になる。人と生まれてずっと強者であり続けることはできない。歳を経て思うようにならなくなるときがくる。それがいい例だ。上野千鶴子は社会学者で父親はクリスチャンだった。が、自身はそうではないようだ。クリスチャンは神に祈る生活をする。上野は祈りをやめて現在の社会を生きるという。

 「おひとりさま」について自分自身を顧みても20年前とは違って生きやすくなってきた。若いころ、「ひとり」はまるで悪いことかのような風潮があった。それが今では「ひとり」もいいものだとかみしめている。先日の徹子の部屋に上野が出演した。その際、おひとりさまの先駆けでもある徹子さんと上野のやりとりを興味を持って聞いた。上野は先を行く徹子さんの生き方に関心を抱いて話していた。

 2,3日前から毎日見るようになった人のブログ。ブログには上野千鶴子のNHKラジオ出演時の音声動画をアップしている。千日回峰行で知った人のブログが上野千鶴子にも結び付く、と思って驚いてしまった。

 ナニゴトも関心を抱いていればいろんな方面に展開してゆく。そして、コロナ禍のマンネリの日々に新たな変化をもたらしてくれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月20日木曜日

「山河」の歌詞

 人は皆 山河に生まれ、抱かれ、挑み、  愛する人の瞳に 愛する人の瞳に

 人は皆 山河を信じ、和み、愛す     俺の山河は美しいかと 美しいかと。                    

 そこに生命をつなぎ、生命を刻む     ふと想う、悔いひとつなく悦こびの

 そして終には山河に還る         山を築けたろうか

 顧みて、恥じることない足跡を      くしゃくしゃに嬉し泣きする

 山に残したろうか            かげりない河を抱けたろうか

 永遠の水面の光増す夢を         愛する人の瞳に 愛する人の瞳に

 河に浮かべたろうか           俺の山河は美しいかと 美しいかと。

                          (「山河」作詞:小椋佳)

 母の月命日の一昨日、お墓へ参った。「山河」を聞いていると「人は皆山河に生まれ、抱かれ、挑み、……そして終には山河に還る~」とある。お墓は山河に還った人の居場所!?この歌は聞けば聞くほど人生の深い意味を感じる。今朝は、歌詞を文字にしてみた。

 早い梅雨入りも今日から明日にかけて大雨になるとか。コロナ禍の時代、雨が降っても運動不足解消のため外に出る癖をつけないといけない。楽しみとしていたことの大半ができなくなった。残るささやかな楽しみは近所のスーパーに出かけること。何も買うものがなくても出かけてゆく。昨日はJR自宅最寄り駅に隣接するスーパーに出かけた。いつも行くスーパーとあまり変わらない。が、気分だけでも変えたくて出かけて行った。さて今日はどこへ?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月19日水曜日

久しぶりの「山河」

 ブログ投稿前に1日の統計情報を見ることがある。この中に以前に投稿したブログの一覧がある。その中にはこの24時間以内に閲覧された投稿の表示もある。今朝、誰が閲覧したのかわからないが「山河」があった。自分のブログであっても長く続けていると何を投稿したのかタイトルを見ただけでは思い出せない。クリックして改めて見ると2013年7月にNHKの公開放送収録に出かけた際のことを書いていた。

 「山河」はその日のゲストである小椋佳が歌った曲だ。今、改めてブログにアップしたこの曲を聞いてみる。いい曲だ。そのブログの最初に「人は誰にも欲望がある。また人にしかない欲望、それは美の欲望。そうであるならば美しく生き続けることこそが人 生。 これは昨夜、小椋桂から学んだこと」と書いている。改めてここに再度「山河」をアップしよう。


 話は変わって先日の総会でもらった私家版を読んだ。著者がこれまで旅して書き留めた記録である。某会で書かれた記事や新聞記事などが収録してある。書いてある場所は自分自身の出かけた場所とほぼ同じだ。ただ出かけた時期が異なる。時期が異なれば出かけた場所の状況にも変化がある。トイレがそうだ。中国は近年、目覚ましい発展を遂げている。九塞溝や大連で見たトイレは私家版に書かれた状況とは比べ物にならないほど清潔になっている。とはいっても以前の中国のトイレ事情もよく知っている。

 旅は出かけた時期により同じ場所に出かけてもその印象は大きく異なる。近年、某会の旅に参加するようになって旅の記事を掲載してもらっている。6回ほど参加した。改めて記事を読みなおす。自分の記事の前に私家版の人の記事がある。これを見て我ながらいい加減、と思ってしまった。自分の記事しか読んでいないと気づく。

 自分の記事といえばずいぶん前に雑誌などに投稿した記事がある。他にも社会人大学生に書いた卒論や院生の修士論文がある。いずれも控えは手もとに保存してある。院生時代には他にも研究誌に記事が掲載された。そして修了後に恩師が大学を定年退職される記念に書かせてもらった記事がある。研究誌と恩師への記事、そしてブログはWEB上で見ることができる。人の著作物から自分自身の書いたことを思い出すままに並べてみた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月18日火曜日

「大峯千日回峰行の道を行く 修験道・塩沼亮潤の世界」を見る

  昨日のブログに3人の著者から本をいただいたと書いた。あとで思い出すとほかにも5人の著者からいただいていた。1人は日本画教室の人が描かれた私家本の絵本である。この人は以前、出版社から要請されて詩集も出されている。他の人たちは本を書くのを生業とされている。

 話は変わって一昨日の夜、BSで「大峯千日回峰行の道を行く 修験道・塩沼亮潤の世界」を見た。昨年10月の再放送らしい。番組HPを見ると次のように書いてある。

<壮麗な護摩行で人々を魅了する塩沼亮潤(52)。究極の荒行・大峯千日回峰行を成し遂げた修験の行者が大峯に帰ってきた。4Kカメラが捉えた塩沼の護摩と大峯への神秘の旅 修験の行者・塩沼亮潤(52)。仙台の山里で行われる護摩行は、炎と舞うがごとき壮麗さが評判を呼び、全国から参拝者が集う。塩沼は、史上2人しか成し遂げた者がいない荒行・大峯千日回峰行の満行者。吉野から大峰山まで片道24キロ、高低差1400メートルを、1000日に渡って日々往復する。塩沼が踏破したのはどんな道か、荒行でいかなる境地に達したのか。高精細な4Kカメラが捉えた塩沼の護摩行と大峯への神秘の旅>とある。

 ずいぶん前に酒井雄哉の千日回峰行の模様をテレビで見たことがある。厳しい修行を見てとても人のやることとは思えなかった。その時は比叡山だったはずと思ってネットで調べると久恒啓一氏のブログに行きついた。千日回峰行は比叡山と今回見た大峰山があるという。そのタイトルは<二つの 「千日回峰行」--比叡山と大峯山。自利行から利他行(衆生救済)へ。>である。大峰山の千日回峰行はこれまで2人いる。

 NHKのディレクターは塩沼氏があまりにも淡々と話すので不信感を抱いていたようだ。それがきっかけで塩沼氏とテレビクルーが一丸となって今回の放送にいたった。撮影中も決まりきった言葉を話す塩沼氏に今一歩、と思って密着取材するうちに突如、塩沼氏の気持ちが理解してきたそうだ。

 塩沼氏はある日、体調不良を訴えて病院で検査を受ける。脳の1部に異常が見つかり、また白血球の数が通常の3分の1だった。それを知った塩沼氏は生き方を変えず、「笑」って生きて行くという。まだ52歳の塩沼氏。子供の頃にテレビで見た酒井雄哉の千日回峰行にあこがれ、それを実行している。

 テレビの取材で山を駆け巡る際に険しい場面が何度もある。テレビクルーはやっとの思いで取材を続ける。その途中、途中で塩沼氏の話を聞き出す。その話は山道が険しい場面になるにつれてディレクターたちの心に突き刺さっていくのか、塩沼氏の真の姿がわかりだしていったようだ。

 自分自身が到底できないようなことを成し遂げた人の話を聞くのが好きだ。この番組はいつも見るBS3でなくBS1での放送だった。いい番組がないと思っていた。が、自分で見ようとしなかっただけかもしれない。千日回峰行の件で新たなブログにたどり着いた。久恒啓一のブログである。疑問に思って調べているといろんな方面にモノゴトが展開していく。そう実感した日となった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2021年5月17日月曜日

総会に出席

  某会の総会に出席した。緊急事態宣言下の総会だった。が、それでもいつもの元気な顔触れがそろった。受付で資料とともに副会長の私家版を1冊受け取る。170頁余りのりっぱな本で著者のこれまでに書き留めた追憶の旅などの記述がある。まだ全部を読み終えていないが、著者に遅れて2年後に海外旅行を始めた。読んでいると出かけた年代、国への関心度などに共感する。

 人から著作物をいただくことがある。これまでに3人からいただいた。うち2人は自費出版されている。自費出版へのあこがれはある。が、たとえ自分自身がそうしても誰が読んでくれる!?せいぜいブログで十分、と納得する。

 いろいろと決議案が採決されて無事総会は終わった。このご時世、どこへも行かず集まった4人でしばし雨の中で立ち話。つかの間の再会での立ち話も楽しいひとときだ。皆と別れた後はどこへも立ち寄らず我が家に帰る。

 総会の終わりに幹事さんはコロナが収まれば年末に忘年会を予定している、と話された。忘年会でも何でもいいからワイワイ皆で楽しく過ごしたい。今は我慢の時期!?それにしても我慢の期間が長すぎる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月16日日曜日

梅雨入り&緊急事態宣言発令

  昨日、中国地方は平年よりも3週間早い梅雨入りをした。梅雨明けは例年ならば7月中旬だとか。今年もその頃に梅雨明けとなれば梅雨時期が長すぎる。梅雨のうっとうしさの上に今日から広島県は緊急事態宣言が発令された。昨日のコロナ感染者は過去最多となる239人。この数字は東京の人口に換算すると2000人以上になるかもしれない。

 去年までの広島県のコロナ感染者は大半が広島市内だった。それに続いて福山市や呉市などで県北や町単位ではほとんど感染者が見られなかった。ところが最近は県内のいたるところでコロナ感染者が出ており、いわゆる辺鄙な町にも感染者が出ている。これもすべてはGWの人々の動きが感染者を増やした、としか思えない。

 今日はこれから会合で街中に出かける。会合の中止の連絡があるかどうかを気にしていたが何の連絡も入ってこない。予定通り総会はあるようだ。例年ならば総会の後には宴会があった。が、昨年と今年は当然ながらそれがない。総会の始まるまで街中でぶらぶらしようと思った。が、それはやめよう。

 ブログ作成中にメールが入る。今日の総会参加者からだ。出席の有無を聞かれた。出席する旨、伝えたけど皆どうなんだろう。会が終わっても街中をうろつかず早めに家に帰ろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月15日土曜日

辛子明太子が届く

 まん延防止と緊急事態宣言がどれほど違うのか今一歩はっきりしない。災害の際に発令される避難勧告や避難指示と同じようにわずらわしい表現を避ければ……、と思えてくる。ともあれ明日から広島県も緊急事態宣言に突入する。ニュースはテレビやラジオで聞かず、新聞やネットで見るようにしている。たとえニュースを見たり聞いたりしても何もよい情報はなく、ただ毒となるだけのような気がしてならない。。

 とはいいながらも最低限の情報を知らずして日々を過ごせない。この状態があとどのくらい続くのだろうか。元気なモノであってもコロナと聞くだけで元気をなくしそうだ。

 2年位前から利用している地元の旅行社から旅のポイント還元として辛子明太子が送られてきた。明太子はわざわざ買ってまでして食べることがなかった。明太子といえば博多のふくやが有名だ。ずいぶん前に福岡空港を利用し始めたころにふくやの明太子を買ったことがある。送られてきたのはふくやでなく他の会社の辛子明太子だった。

 2切れの辛子明太子が箱に入ってクール便で届いた。干物、漬物、つくだ煮などの保存食はできるだけ口にしないようにしている。辛子明太子も保存食だ。1切れを冷凍保存した。以前に食べたのは辛子明太子でなくいわゆる明太子だった。今回初めて辛子明太子を食べた。暑くなると塩気たっぷりの明太子は体にいかもしれない。

 荷物を受け取りに印鑑をもって玄関に出た。(しまった、マスクをしていない)と気づいたときはすでに押印していた。緊急事態宣言間際というのにまたもマスクを忘れて応対している。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月14日金曜日

『功名が辻』(三)

 習っている日本画の先生たちの展覧会が県立美術館で開かれている。県立美術館そのものはコロナの影響で閉館となっている。が、展覧会は開催されている。暇つぶしに街に出て絵を見ようとした。ところが連日のコロナ感染者の増大で見に行くのもどうかと思えてくる。

 『功名が辻』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋、2010年第10刷)を読んだ。この本は4巻ある。残り1巻もすでに読み終えている。いつものように気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★――民力を痩せさせれば自然、諸大名も富力も尽きる。富力さえなければ戦争はおこすまいゆえ、自分の死後、秀頼の天下は安泰であろう。というのが、秀吉の政策であった。すべて秀頼を愛することにかかっている。この幼児ほど、天下四民に迷惑をかけた子は古来なかったであろう。……工事は、六月からはじまった。しかも、秀頼の屋敷だけが営まれるのではなく、諸大名に対し、そのまわりに屋敷を持つように命じた。(33p)

★秀吉はその本願寺夫人を愛するあまり、彼女の実子が次男であるにもかかわらず本願寺を継がせて、准如上人としている。前夫人の子で、長子であった教如上人は隠居させられ、不遇をかこった。家康の世になってから、家康は一つは宗教政策ということもあって、本願寺二万の末寺を二つに割り、この教如上人に別の本山を点てさせた。それが東本願寺である。(39p)

★おもわず千代は、この幸福を、こわい、という実感でいったが、たしかにそうであろう。ひとのもてなしのうれしさは、うれしさのあまり、すべてをそのひとのために捧げてしまうというおそるべき感動をともなう。古来、人の世にはそういう話柄が多い。(112p)

★秀吉はなるほど、痛快りんりたるいかにも日本男児の代表、というような男であった。この点、陰湿な家康とは、ひどくちがう。ちがうが、秀吉の晩年は、成功者にありがちな巨大な痴愚におち入っていた。第一に、無用の外征をしたことである。何の利もえない外征をし、諸大名におびただしい軍費をつかわせ、さらに、物狂おしいほどに各地に豪奢な建築をおこし、そのために民力が疲弊し、物価があがり、(はやくこの御時勢いが一変せぬか)と願う声なき声が、世に満ちはじめていた。(179p)

★随所ニ主トナレというのは、禅のいわば神髄のようなものだ。いつ、どの時期、どの場所、どの瞬間でも、つねに自分が客観情勢の主人である。ということで、客観情勢のドレイにならない、ということだ。(192p)

★一所懸命ということばがある。一所とは、自分の所領のことだ。それにいのちを懸ける、というのが、一所懸命の語源なのである。古来、武士の大鉄則であって、天下の主がたれであろうと、自分の所領を安堵してくれる側につくのである。平家が興れば平家につき、源氏が興れば源氏について、土地を保全してもらうのが武士の考えかたの基本であるべきであった。(235p)

2021年5月13日木曜日

「二条城~戦国から太平へ~」を見る

 今朝、朝食を食べていると携帯電話が鳴る。勤めていた頃の会社の人だ。何年振りかで電話で話す。話すのはいいのだが話す時間が長い。1時間54分も話していた。お陰で今日の予定が狂ってしまった。朝刊もまだ読んでいない。コロナ禍で外に出て人と会う機会が減少した。電話もこちらからかけることはほとんどない。いたって心静かに毎日を送っている。これに慣れてくるとこの生活が幸せに思えてくるから不思議だ。だが、今朝はそれが狂った。

 昨日午後は久しぶりにNHKのBSプレミアムを見る。2017年新春に放送された「二条城~戦国から太平へ~」の番組で新春に相応しく出演者は着飾っていた。番組HPを見ると<国宝・二条城の金色の大広間が特設セットに生まれ変わる。二条城は、関ヶ原の戦い直後に建てられた徳川家康の城。近年研究で、“戦う”ためではなく、天下人としての“権威を示す”城だったと裏付けられてきた。幻の天守、空前絶後のスピード建築。誰がどのようにこの城を建て、どんな仕掛けを込めたのか。大河ドラマ『真田丸』石田三成役で戦国を生き抜いた俳優・山本耕史が、歴史、美術の専門家とともに二条城の謎に迫る>とある。

 二条城の建築はたった1年間しかかかっていない。棟梁は中井正清であり、彼は武家でもあった。正清という名はこの放送で初めて知った。先日まで読んでいた『功名が辻』全4巻を読み終えた。信長から秀吉、そして家康の時代になるまでに活躍した山内一豊とその妻千代の話である。司馬作品を通して少しずつ日本の歴史がわかりだした。が、戦国時代以前のことはまだよくわかっていない。放送は戦国から太平になる時代に建てられた二条城についての話題だった。二条城に天守閣はない。が、曳家をして天守閣は別の場所に建てられていた。

 二条城を建てた正清は日本の棟梁を総動員して1年で城を築く。奈良の法隆寺周辺には正清のあとを継いだ棟梁が今でも住んでいる。その家から正清の意図がうかがえる史料が放送数日前に見つかっていた。それは貴重な史料らしい。

 4年前の放送当時はこの番組を見ていなかった。昨日は番組タイトルを見て面白そう、と感じる。その通り面白い番組だった。ナニゴトも興味がなくては面白みもない。少しは歴史がわかってきた、とこの番組を見て思った。嬉しかった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月12日水曜日

『私の財産告白』

 『私の財産告白』(本多静六 実業之日本社、2013年)を読んだ。サブタイトルに「多くの成功者が読んでいた!伝説の億万長者が明かす、お金と人生の真実」とある。著者は1866年生まれ。この年は明治時代が始まる2年前で慶応生まれである。私の母の父である祖父も著者と同時代を生きている。和服を着た写真でしか会ったこともない祖父である。が、見方を変えれば慶応時代もそれほど昔の話ではないのかもしれない。

 この本は何かの本に引用されていた。何の本だったかは忘れてしまったが本多静六に関心を抱いた。すぐに図書館へ予約を入れると借りる人が多くいた。なぜこの人が今になって人気があるのか興味を持って読む。昭和25年(1950年)に書かれた本のため金銭の価値が今とは異なる。大体の価値を換算しながら読む。時代は慶応、明治、大正、昭和、平成、令和と変わっても何ら違和感なく読めた。いつの時代も人の生き方の基本は変わらないのかもしれない。

 本の裏表紙に<誰でも豊かで幸福になれる!日本人が書いた最高の人生哲学。貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築いた男、本多静六。全財産を寄付して働学併進の簡素生活を実践した最晩年に語った、時代を超えて響く普遍の真理。「金儲けは理屈でなくて、実際である。計画でなくて、努力である。予算でなくて結果である。その秘伝となると、やっぱり根本的な心構えの問題となる」>とある。

 本を読み終えた最後に解説がある。このなかの以下の記事に「共感」する。「読書とは基本的に「共感」という感情を軸に行われる知的作業だ」。読んで気になる箇所を記しているが、これも「共感」した箇所になるにちがいない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★読書とは基本的に「共感」という感情を軸に行われる知的作業だ。たとえ知識を得ることを目的とした読書でも、既存知識や共感といったトリガーがなければ、読書という行為は成り立たない。したがって、一冊の本を読んだあとに、私たちが味わう読後感とは、煎じ詰めれば、共感できたか共感できなかったという感情が根元にあるといってよい。繰り返しになるが、本多静六の語る「一般解」を知らない人はいない。誰だって、稼いだお金を使わなければお金は貯まることぐらいは知っている。こういうことを知らない人間なんていないのだ。しかしその知っている人間は、まっぷたつに別れる。その「一般解」に共感する人と「こんなことぐらいわかっている」という人に、だ。(岡本史郎「解説」、211p)

 ほかにも本文から共感した箇所を記そう。

★「幸福とはなんぞや」という問題になると、少しやかましくなるが、それは決して親から譲ろうと思って譲れるものでなく、またもらおうと思ってもらえるものでもない。畢竟(ひっきょう)、幸福は各自、自分自身の努力と修養によってかち得られ、感じられるもので、唯教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。健康も大切、教育も大切、しかし、世間でその中でも最も大切なのは、一生涯絶えざる、精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に十分染み込ませることである。(57p)

★ここで、私も大学の定年退職を機会に、西郷南洲の口吻(こうふん)を真似るわけではないが、「児孫のために美田を買わず」と、新たに決意を表明、必要による最小限度の財産だけを残し、ほかは全部これを学校、教育、公益の関係諸財団へ提供寄付することにしてしまったのである。この場合、前にも一度あった例にかんがみ、世間の誤解を避けるために、またその寄付に対する名誉的褒賞を辞退するために、匿名または他人名を用いた。これが、私の考え抜いた上の財産処分法でもあり、またかねてから結論づけていた「子孫を幸福にする法」の端的な実行でもあったのである。(58-59p)

★要するに財産蓄積に成功しようとすれば、焦らずに堅実に、しかも油断なく時節を待たなければならない。いわゆる宋襄の仁で、世の薄志者を気の毒がって甘やかすのも禁物。(79-80p

★古往今来、天下滄桑の変の前には、天才者も凡人も、大事業家も小貯蓄家も、共に蒙るべき打撃に、大小軽重の差はなかったようである。世界が動けば、自分も動く、世界がいかに動いても、自分だけはどうあっても動かぬという決め手は、昔からついぞだれにもなかったようである。ここで私は、「時勢には勝てない」という詠嘆と共に、「人生は七転び八起き」という古い言葉をいまさらながら思い起こしたい。(104p)

★散る花を追うことなかれ、出ずる月を待つべしじゃと、くれぐれも過ぎ去った失敗にこだわらぬことを教えた。(106p)

★この折衝での大きな教訓は「正直に腹を立てる」ことが、時と場合によって思わぬ好結果をもたらすということである。(113p)

★私は体験社会学の一章としてこういいたい。「失敗なきを誇るなかれ、必ず前途に危険あり。失敗を悲しむなかれ、失敗は成功の母なり。禍を転じて福となさば、必ず前途に堅実なる飛躍がある」と。(119p)

★渋沢さんのやり方は「馬鹿正直」に近かった。しかも「馬鹿正直」一点張りが渋沢さんの身上で、利において失うところはチャンと徳においてつぐなわれ、財界の大御所として最後まで社会の尊敬を一身に集めることができたのである。もちろん、渋沢さんと一般の凡人とは同時に論ぜられぬかもしれぬが、「馬鹿正直」も一種の徳になるところまで徹底すると、それがかえって結局においては、儲かりもし、儲けさせてもらえることにもなる。ただ普通人は「馬鹿正直」で馬鹿をみると、すぐ今度は「馬鹿不正直」に早変わりしたりなどするからダメである。(131p)

★由来、賞賛は春の雨のごとく、叱責は秋の霜のごとしである。褒めることは人を蘇き返らせ、のびのびとさせるが、小言はどうも人を傷つけ、委縮させることが多い。だから、小言を人にいう場合も、称揚することを八分、注意することを二分、といった程度に心を用いるとかえって効果があるようである。子供のしつけ方についても、「三つ褒めて一つ叱れ」といった言葉もある。(176p)

★元来、名利は与えらるべきもので、求むべきものではない。自ら求めて得た名利は、やがてこれを失わざらんことに汲々としなければならず、しかも、それは瓶中の花のごとく、いつかはしおれてしまう。幸福の実は決して生(な)るものではない。(200-201p)

★人生即努力。努力即幸福、これが私の体験社会学の最終結論である。(204p)

2021年5月11日火曜日

紫片喰(むらさきかたばみ)

 今年もレモンは多くの蕾をつけている。膨らんだ蕾は白い花を咲かせる。が、どうも結実までに至りそうにない。レモンにはリン酸カリウムを施す、とシルバーに教わったことがある。昨年は70個くらい実がなった。その前の年は100個くらい実をつけた。多く実がなると楽しさも半減する。何と人間はわがままなことか、と自分を振り返る。レモンは少なくていいとの気持ちがわいてきて肥料を与えずにいる。

 レモンの木の下には春の草が狭い庭に広がる。先日その草を抜いた。ところが、昨日見ると1本だけピンクの花をつけている。背丈は15センチくらい。これはどういう草?と思って電子辞書にある植物図鑑で探す。葉っぱはしろつめ草に似ている。が、花の形がこれとは違う。電子辞書をあきらめてパソコンで探す。春に咲くピンクの草花で探すとあった!紫片喰(むらさきかたばみ)だった。どこにでも見かける草だが、かわいい花をつけている。昨日の花を写真にとればよかった。が、すでに遅し。

 母がいなくなったころ、姉夫婦はまだ実をつけていなかったレモンの木のそばにたくさんの菊の芽をさしてくれた。しばらくは菊が咲いたがその後の手入れが行き届かず咲かなくなった。その後、そこに水仙やチューリップを植えた。チューリップも手入れ不足で咲かなくなった。ただ、水仙はこの春も咲いた。狭い庭であっても花が咲いていると庭らしくなる。

 一昨年までは梅雨時季は狭い庭にアジサイが幅を利かせていた。そのアジサイも水をやらずにいると枯れてしまった。燐家で別のアジサイをもらって挿し木した。地植えも鉢植えのアジサイもともに今年は花が咲きそうだ。今はガーベラが咲いている。これは肥料不足なのか花の背丈はとても低い。あとでなぜ低いのか調べよう。

 新聞か何かで知ったことだが何の種からでも芽を出させる人がいた。これは面白そう、と思って暇つぶしに挑戦している。とりあえずピーマンの種から。さてさて本当に芽が出る!?コロナ禍の中、暇つぶしに面白そうなことをやってみよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月10日月曜日

図書館

 今日から6月初めまで図書館は予約の貸出サービスはあるものの図書の閲覧はできなくなった。昨日、予約の本の確保の連絡がメールで入る。時刻は閉館まじかの午後4時半。すぐに本を受け取りに行く。行く前に借りている本をネットで見ると1冊ほど返却していない旨の表示がある。

 その本は分厚い本だった。午前中、図書館の受付にもっていかず、1階にある返却ポストに2冊入れた。このうちの1冊が返却となっていない。予約の本を借りるとき受付でその旨話した。係は本を探し回っている。しばらくそばに立って待っていると本があったとのこと。丁重に謝られたけど何か変な気持ちがした。図書館を長く利用しているがこういうことは初めてだ。もしもパソコンで何冊本を借りているか確認しないままでいたら貸出期限が過ぎると催促されるのだろうか。

 今日からいろいろと制約がかかった図書館。昨日の貸し出しや返却の受付はてんやわんやの状況だった。ミスが生じてもおかしくない。

 プールの開館状況をネットで調べると明後日から休館となっている。今日か明日は泳ぎに行こうと思った。が、昨日の県内のコロナ感染者は195人と過去最多になっている。泳ぐのはやめてしばらく辛抱の日常になりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月9日日曜日

樹木の絵

 昨日から徐々に公共施設の大半が休館となっている。日本画教室のある区の施設も休館となる。が、施設の予約をしていれば部屋は利用できるという。昨日は日本画教室。しばらく教室も休みになる、と思った。先のような話で月末の教室は開かれることになった。

 さて、昨日の日本画教室。3年前に出かけた信州の戸隠。ここで写した湿原に生える樹木を絵にしている。長く絵を習っていても一人で描くという根性がなく、先生に聞きながら描いていた。ましてや元来、絵のセンスはなく、何が何でも絵を習うという気持ちもなかった。人に誘われるままに習い始めた日本画も秋になれば丸8年になる。こういう習い方ではいつまで習っていても自分一人で一つの作品も描けない。

 欲のない子供たちは絵を楽しく描いている。これが本来、絵を描くやり方のはず。そう気づいて先生にすべてを聞くのでなく自分一人で描いてみようと思った。最初は先生の前で水干絵具を溶くにも何か見られているようで体裁が悪かった。が、ここは恥を忍んで描くしかない。

 写真を見ながらパネルに転写したスケッチに彩色してゆく。これを繰り返しているうちに何とか樹木の絵らしくなってきた。昨日、先生は描いている絵を見て、描けるようになったら写真から絵にするのでなくモチーフをスケッチして描くとよい、と話される。

 今、描いている絵は途中で投げ出した絵の後に急遽、描こうとした絵なのでこれまでよりも気合が入る。やはり、ナニゴトも自分がやりたいことでなければ気合も入らない。この絵が完成したならば記念すべき絵となるかもしれない。そして、これから描く絵も樹木を中心に描いてゆこう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月8日土曜日

またも自粛生活突入!?

  黄砂の影響なのだろうか、外がうすぼんやりとしている。うすぼんやりは外の空気だけでなく気持ちまでもがそうなりそうだ。昨日、出された県や市の情報によると、またもや公共施設などが閉館となる。今朝、新聞を見るとその詳細が書いてある。今日はこれから日本画教室に出かける。ところが教室も今日までは使えても来月1日までは休館となる。図書館は明日まで利用できても明後日から同じく1日まで利用できない。ただ、予約の本は貸出可能のようだ。11日からとなっていても実質的には月曜日が定休日なので利用可能は明日までとなる。泳ぎに行こうとしていたプールも休館のようだ。

 昨日、美術館友の会からリーフなどが送付されてきた。それを見ると高島野十郎展が瀬戸内市立美術館で開催される。この美術館へは行ったことがない。が、岡山県の牛窓というところにある。牛窓はオリーブで有名な地で一度行ってみたいと思っていた。展覧会は6月5日から始まる。高島野十郎の絵は以前、海外旅行の帰りに福岡市の美術館に寄って見たことがある。ローソクが灯る絵は見る者を感動させてくれた。

 高島野十郎を知ったのは新聞記事だった。福岡へ絵を見に行くかどうか迷っていた。海外旅行の帰り、購入済みの新幹線チケットは発車時刻まで3時間くらいあった。博多駅からタクシーに乗って美術館へ行ったことを思い出す。美術館で絵を見て感動し、高島の図録を買った。

 その時の旅は2017年5月のポーランドだった。旅の疲れとともに駅に荷物を預けての美術館行きは気持ちが昂っているうえに絵を見てさらに昂ぶった。あの時の興奮が今さらのようによみがえる。

 今回の自粛で牛窓へ絵を見に行こうとの気持ちがなくなりそうだ。その前に、岡山県のコロナの情報も気になる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月7日金曜日

ブログの効用

  4台目となるパソコンは10か月前に買い替えた。うち2台を残して2台をメーカーに引き取ってもらった。引き取ってもらうのはいいのだが、パソコン内のデータが気になる。自分で処理できるものは消去するが、専門家に言わせればそれくらいでは消去にならないとか。

 最近気づいたことがある。Wordに司馬作品の読んだ本を記録している。他にも旅の記録やフルートでさらった曲も記録する。旅の記録はUSBに保存しつつも差しさわりがある人の名などは〇〇などとしてブログにアップしている。司馬作品やフルートに関しては個人的な一覧表なのでブログにアップするのもどうかと思う。が、ふと思った。ブログの下書きに保存して公開しなければいいと。

 本も読み続けると何を読んだか全部を覚えていない。その際、Wordの一覧表で確認している。読み終えればまた、Wordに書き記す。

 パソコンを買い替える度、個人データを集めようとするのだろう。画面にスマホやパソコンなどのデバイスがあと2台分ほどウイルス対策ソフトを無料で使える、との表示が出る。データを盗まれるほどのデータはない。が、それでも気になる。

 今のパソコンにはメールアドレスをパソコンに保存していない。年賀状の住所録などもパソコンに保存していない。今年の年賀状から裏面はパソコンを利用しつつも表面の宛名などは手書にした。パソコンの寿命は自分の場合、6、7年。廃棄のことを考えてパソコンを使うのも変と思う。が、面倒なことに巻き込まれたくない気もあって保存面での活用は控えている。

 その点、ブログはたとえ自分のパソコンが壊れてもいつでもどこからでも誰のパソコンでも見られる。逆にWordなどの記録は自分のパソコンが壊れるとUSBメモリを保存しないと見られなくなる。ブログの効用をこういう面から気づかされた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月6日木曜日

レモンの木

  昨年暮れごろと2月に思い付きでレモンの木の枝を切った。切った枝は半分か3分の1くらいだろう。春先、坊主になったレモンの木を見ると、てっぺんの枝が残っている。枝といっても幹の部分である。のこぎりになれてなくて、途中でそのままにしていた。その幹から空に向かって枝が伸びている。木を高く伸ばすと背が届かなくなる。

 先日ポツンと一軒家を見ているとゆず農家の人が出ていた。ゆずは2月に剪定するという。レモンも2月に切るのがいいのかもしれない。ゆずもレモンも棘がある。棘に気をつけて枝を落とすのは大変。ましてやのこぎりもこれまで使ったことがなかった。何でもかんでもシルバーにお願いするとすぐに1万円以上かかってしまう。自分でのこぎりを出して切ったところまではいい。が、ほぼ坊主状態だったレモンの木は、この雨でどこを切ったのかわからないほど若葉が茂る。坊主にしたので今年のレモンは実らないと思った。ところが切った時季がよかったのか葉は生い茂り、蕾も多い。一部の蕾は花を咲かせた。とはいってもこれに実がなるかどうかは怪しい。

 パッとしない日が続いた。今朝は爽やかな朝を迎える。朝からGWでたまっていたごみを出す。そのついでに切ったままにしていたレモンの枯れた枝も出した。少しずつ片付けようと思うが思うだけでその通りにならない。草もどんどん生えてくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月5日水曜日

『作家の贅沢すぎる時間』

 『作家の贅沢すぎる時間』(伊集院静 双葉社、2020年)、サブタイトルは「そこで出逢った店々と人々」を読んだ。伊集院静は人気作家で図書館で予約するも簡単には手にできない。この人、自分自身と記念日が同じと知って愛着がわく。以下は気づいた箇所をメモした。

 サントリーの創業者の話はこの本で初めて知った。この生き方は先日読んだ本多静六と似ている。自分を表に出さずに行動する姿である。次に記した「思い立ったらすぐに立ち上がるのが人間行動の初期の重要な点」は本当にそう感じる。勇気も希望もなかった若い頃、この思いがあれば人生、少しは変わっていたかもしれない。とは言いながら、生きているうちにそう気づいてよかった、との思いも強い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★酒造メーカーのサントリーの創業者、鳥居信治郎の逸話をいくつか耳にし、関係者に話を聞くうち、この人物がどのような生き方をしたのか興味が沸いた。さらに調べてみると、これが予測した以上に、人間味があり、現代人から見ると大変な苦労をしていることがわかった。何より興味を引いたのは”陰徳”という考え方だった。”陰徳”とは字のごとく”徳をするのに陰でなせ”つまり誰かを助けたり、施しをなす時、その行動を表には決して出さず、善をなしたなどと思ってはいけないということだ。その教えを、彼が死してからも、のちの人々にずっと厳守させているというのである。東日本大震災の折、この会社は震災直後にすぐに東北三県の知事のもとに多額の現金をもって行っている。しかもその行為を”陰徳”、すなわち公表せず(一部新聞が数行の記事にしたが)とした。(177-178p)

★というわけで、本屋へ行くもよし、旅に出るのもよし、ただし思い立ったらすぐに立ち上がるのが人間行動の初期の重要な点である。(194p)

2021年5月4日火曜日

徹子の部屋を見て

 昨日の「徹子の部屋」に岸恵子が出演していた。御年88歳になるという岸。徹子さんも同じくらいの年齢だろう。2人ともこの何年間かに大腿骨などの骨折経験がある。年を経て大腿骨を骨折すると寝たきりになるケースが多い。ところが2人ともお元気そうだ。

 2月に10年のパスポートを更新した。その後もコロナ禍が激しさを増し、外国旅行をすることは考えられなくなっていた。ところが昨日の番組で岸は次に出かけたい国としてアフリカをあげ、徹子さんは情勢厳しいミャンマーをもう一度見たいと話す。

 これを聞いて驚くとともに米寿を過ぎてもまだ行きたい国があると知って、(米寿まではかなりの年数がある。まだまだ外国に行かれる!)と気を大きくする。今は幻のパスポートとなりつつある。が、昨日の2人の話を聞いて気を強くする。

 母は外国旅行を一緒に、と話した時、食事が困ると言って一度も外国へ行っていない。一番遠いところは沖縄旅行だった。外国は無理でも国内旅行を、と母を旅行に連れ出したのは父が亡くなった年の秋だった。その時の母は75歳。母の青春がこの時から始まった。30余年前に開始した母たちとの旅行は今のようなパックツアーでなく自分たちで出かけた旅だった。

 母の米寿の歳に行こうとしたその旅の数日前、母は大腿骨骨折で入院した。その時も旅行社へ高知の旅を申し込んでいた。母は75歳から87歳まで母の子、孫たちと一緒によく出かけた。そう思うと今の自分の年齢ではまだまだこれからどこへでも行かれる気がする。コロナ禍で外国旅行だけでなく国内旅行も出端を挫かれた。が、(これからもまだ、大丈夫じゃ!)、と昨日の徹子の部屋を見て気づかされる。さてさて私の次に行きたい国は何処に……。旅行社に最後に申し込んだ旅はチュニジアだった。世界情勢とコロナ禍で行かれなかったが……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月3日月曜日

109歳を前にしたダグニーさん

 今月で109歳になるダグニーさん。今朝、ブログを見るとアップがある。この頃は毎日のアップではない。
 
 先日のブログにはダグニーさんがアップしたブログに付け加えてエレナの言葉がある。それは「多くの人々は、ダニーがどのようにやっているのか、なぜ彼女の投稿が具体化できなかったのか疑問に思っています。今、彼女は彼女自身の言葉で答え、私は写真を投稿し、彼女が書く何かを持っているとき、彼女が対処できるときにダニーがブログを続けることを発表する機会を得ます。エレナ」とある。

 私を含めて全世界の人々がダグニーさんのブログを心配しながらも心待ちにしてみている。どういっても100歳でパソコンを学び、それ以降、ブログをアップし続けるのは素晴らしいことだ。年齢的には母よりも数歳も年上。90歳で夫を亡くし、悶々とした10年を経て新たなことであるパソコンに挑戦する。これにダグニーさんは魅了されたのだろう。ブログを開始すると100歳過ぎたブロガーとしてスウェーデンの番組に登場し、あっという間に全世界の人々を虜にした。本当にすごい人だ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

2021年5月2日日曜日

樹木を描く

 今朝の空模様は何だか不気味に思える。突風や竜巻がなければいいが……。こういう日は早めにスーパーに行って後は家でおとなしくするに限りそうだ。

 昨日は日本画教室の日。湿原に生える樹木を描いている。絵具選びはいつも先生に教わってから膠と混ぜる。これではいつまでたっても一人で絵が描けない。絵皿に自分で選んだ2種類の絵の具と膠を混ぜる。彩色をしていると樹木にも濃い目の色を、と先生のアドバイスがある。まずは同じ色で塗ってその後に変化をつけてゆく。習っているのは水彩画でなくて日本画。日本画はたとえ失敗したとしてもその上に色を塗りなおすことができる。そう言われてまずは恐れずに塗る。そして絵にする!?

 何年も習ってやっとそのことに気づく。そう先生に話すと自分でやってみないからだ、と言われる。全くその通り。何とか自分が思うように色を塗って一枚の絵を仕上げてみたい。これはなかなか困難なことだけど……。どういっても元来、絵心がない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月1日土曜日

今朝、見た人のツイッターから

  いつも見ている人のツイッターに自らを励まして呟いている。それは「~辛い事、悲しい事、悔しい事があるといつもコレを見て気持ちを奮い立たせている~」だ。「コレ」とはツイッターに添付された動画である。その動画には次のような言葉とともに映像が流れる。

「~誰しもがさらなる成長を望み成長したいと願います。変化を望んだものだけが昨日の自分より成長できるのです。……ですが、変化には”不安”や”苦痛”が待っているかもしれない。ほんの少しの”勇気”とはじめの一歩があなたをその先の30年に導いてくれるでしょう。~」。

 朝から人のツイッターを見て元気が湧いてくる。今の自分自身は老いすぎたせいか「辛い事、悲しい事、悔しい事」が全くと言っていいほどない。神経が鈍くなっているのだろうか。と思いながらも今朝のようなツイッターを見ると気持ちにスイッチが入るのでまだまだ老いぼれているとも思いたくない。

 ただ、人生で最大の「辛い事、悲しい事、悔しい事」はあった。それは50代半ばで会社をリストラされたときである。それまでの人生で経験したこともないような気持を味わった。その時の感情は今朝見た人のツイッターと同じかもししれない。リストラで終わる人生でなく動画にあるような気持になった。(働いてリストラになった。また同じように働く?そうではなくて全く異なる環境に自分を置こう)と思った。それが社会人大学生になることだった。

 リストラ後、思いもよらず無事大学に合格。それから4か月後、大学に通いだす。現役の大学生は18歳。そのなかに50代半ばが混じっての通学は恥ずかしさとともに毎日が大変だった。その翌年、母が大腿骨骨折で4か月の入院。この間、毎晩病院に寝泊まりした。そして大学に通った。介護は大学、大学院修了と続き、その後もさらに2年間続いた。母は娘の修了を見届けて2年後に亡くなった。これは自分にとっての最大の親孝行であり、幸せなことだった。

 この経験は何物にも代えがたく何でもやればできるとの気持ちにさせてくれた。みんな頑張っている。この人のツイッターを見るだけでも元気が湧いてくる。頑張ろう。そしてツイッターの「負けへんで!」を真似て私も「負けんよ!」。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!