2022年11月29日火曜日

『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』

 ゼロ・コロナを目指す中国。その政策について行けない中国の国民は怒りの矛先を政府に向けて連日デモを繰り広げている。が、コトは簡単ではない。そこに自由はなく、まさに「独裁国家」中国がある。以下は『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』(楊海英 文藝春秋、2019年第1刷)から気になる箇所を取り上げた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★中国は都市部と農村部で戸籍が分かれており、激しい格差の温床となっています。大雑把に「いえば農村戸籍者六割に対して、都市戸籍者は約四割。かつて農村から都市への移住は厳しく制限されており、農民は自給自足を原則として、社会保障制度からも外されていました。それに対し、都市戸籍者は教育、経済、福祉などの面で圧倒的に優遇されているのです。……大学を卒業したあとの生活も、都市戸籍を持つ人のほうが有利です。北京の都市戸籍がなければ北京で就職することはできません。……、当然、共産党の中央幹部は、その家族ともども北京などの都市戸籍を持ち、特権を謳歌しています。(22-23p)

★一九一一年十月、清で辛亥革命が起きたとき、孫文はアメリカにいました。このとき革命運動の中心にいたのは、日本や欧米への留学経験がある漢民族の知識人たちでした。特に日本への留学生は多く、清朝末期には一万人以上に達したといわれます。彼らが辛亥革命で掲げたスローガンは「駆除韃虜、恢復中華、創立民国、平均地権」、すなわち清朝の打倒、中華=漢民族による主権の回復、共和政の樹立、土地の平等化という意味です。このスローガンは非常に重要で、漢民族主権と土地問題はまさに中華人民共和国の時代になっても、主要なテーマであり続けるのです。(39-40p)

★中国共産党が発足した第一次全国代表大会の会場は、東京帝国大学への留学から帰国した李漢俊の自宅で、集まったのはわずか十二人という、全国代表大会というにはあまりにもささやかなものでした。この十二人のうちの一人が毛沢東でした。初期の中国共産党のありかたは、近代的な政党というよりもむしろ秘密結社に近いものが感じられます。……現在の中国共産党の秘密体質、密告による支配は、革命党の秘密主義+中国的秘密結社の伝統がミックスされたものではないでしょうか。(48-50p)

★都市部のインテリ秘密結社としてスタートした中国共産党は、一九二〇年代末から三〇年代にかけて数百万の農民を党員として獲得し、農民主体の党となります。この大変身の立役者となったのが毛沢東でした。(59-60p)

★長征とは、江西省瑞金から陝西省延安まで約一年間をかけて、約一万二千五百キロメートルを徒歩で行った大移動のことです。……ちなみにこの陝西省で毛沢東たちを迎い入れたのが、後に「満州のスターリン」とよばれる高崗であり、習近平の父習仲勲でした。(64-65p)

★中国共産党は現在も強固な等級制度を敷いています。また反腐敗闘争でも明らかなように、密告文化も健在です。今の中国の組織や、ルーツは延安時代にあるのです。(68p)

★共産党は国民党に寄生して資金と武器を調達し、麻薬を売りつけ、「抗日を戦った救国の党」という正当性さえ搾取して勢力を伸ばして行きます。……戦後、毛沢東は田中角栄首相や、日本社会党などの訪中代表団に対して、繰り返し「戦争のことを謝ることはない。おかげで私たちが政権を取れた」と発言しています。これは「日本の戦争指導者たちは敵だったが、日本の人民は味方だ」という分断戦術でもありましたが、歴史的事実でもあったのです。(75-76p)

★この「告発と粛清」の手法は、その後も中国で繰り返し登場します。一九五七年の反右派闘争、一九六六年以降の文化大革命、さらには現在の反腐敗闘争にも通じるものがあります。いずれも権力側がいわば恣意的に処分を行える「恐怖による支配」のツールなのです。……もう一つ、中国社会を大きく変えた政策が農村の改造です。その二つの柱が、「土地改革」と「農村戸籍の導入」でした。建国当時、中国の人口の八割は農村に住んでいました。それだけに、毛沢東にとって農村の改造は非常に重要な政策でした。「土地改革」の手法については、前にも触れました。地主から土地を奪い、農民に分け与えると約束する。瑞金政府時代から毛沢東が行ってきた方法を全土にひろげたものです。(90-91p)

★共産党を批判するのは「右派」であるとして、それを取り締まるから「反右派闘争」。……反右派闘争は、中国に残った知的エリートを標的としておこなわれた粛清でした。これによって毛沢東は、言論、文化のレベルでも政権に異を唱える者を許さないという完璧な独裁国家を作り上げたのです。(112p)

★毛沢東は政権奪取のために、大衆を扇動しました。その一方で、扇動された大衆たちも毛沢東を利用した面があります。毛沢東の「造反有理」の呼びかけを、党の指導部やエリートたち、地主、富裕層、知識人を攻撃するお墨付きとして、不平不満や個人的な恨みなどを晴らそうとしたのです。これは現在の習近平の反腐敗闘争にもあてはまりますし、もっと広くポピュリズム政治一般で見られる構図でもあります。その代表的な例が、アメリカの低中所得層とトランプ大統領の関係でしょう。(135p)

★文革で「反革命」「ブルジョワ」とされ、自己批判を強いられリンチの対象とされた人々と、リンチを行った人々との間に、明確な差異があったとは思われません。たまたま「政敵」だと指摘された人物がスケープゴートとされています。「敵」の定義の曖昧さ、恣意性、そして、誰もがいつでも「敵」とみなされる可能性があること。これが中国現代史で繰り返し登場する「粛清」の基本パターンです。そして「敵」が誰かを決定できるのが、現代中国の権力者なのです。(141p)

★アジアの多くの国々にとって西洋諸国からの独立・自立が大きな課題だったように、モンゴル、ウイグル、チベットは中国からの独立を目指し、一時はそれを実現してもいたのです。これは現在の民族問題を考える上でも重要な点です。もともと歴史的にも民族的にも中国に属していなかったエリアが、二十世紀になって突然、中国の一部に組み入れられたのです。(146-147p)

★新疆は「新しい彊土(土地)」を意味する言葉です。漢民族は古くからこの土地を「西域」、つまり自国に含まれる地域だと考えてきましたが、現在の新疆ウイグル自治区を含む中央アジアの広い地域はペルシャ語で「チュルク人の国」を意味する「トルキスタン」と呼ばれ、地理的にも文化的にも明らかに中国の一部ではありません。清朝の支配下に入ったあとも、圧倒的多数はチュルク系の農耕民族ウイグル人、そこに同じくチュルク系の遊牧民カザフ人、そしてモンゴル人が暮らしていました。……清朝はロシアの進出を食い止めるため、新彊に多くの漢民族を移住させ、一八八四年、新彊省を設置しました。……スターリンはヤルタ会談において新彊の中国への編入を主張しました。……スターリンが新疆を中国へ編入しようとした狙いは、チュルク系民族の分断でした。チュルク系民族がすべてソ連国内の共和国となり、民族として結集すると、コントロールが難しくなる。国内統治上の理由で、新彊は切り離されたのです。(150-152p)

★この「精神汚染」の問題もまた、ずいぶん海外からの文化の輸入が赦されるようになった現在でも、基本的には変わっていません。たとえばよく知られた話ですが、中国のインターネットには金盾(きんじゅん)という検閲システムがあり、「天安門事件」や「ダライ・ラマ」などの検索には規制がかかります。お金は入ってきてほしいが、不都合な情報や思想は排除したいというのは相当無理なことだと思いますが、中国共産党にとっては死活的な問題でもあるのです。(177p)

★父親を失脚させ、自分たちを理不尽な目に遭わせた張本人は毛沢東です。それにもかかわらず、習近平も薄熙来も毛沢東を信奉し続けているのです。それはなぜか。習近平や薄熙来などの文革世代の太子党たちを評した言葉に「オオカミの乳を飲んだ世代」があります。オオカミの乳とは毛沢東思想のことで、親を食い殺してしまったオオカミ=毛沢東に育てられ、自分の親だと思ってしまっている、という意味でしょう。(196-197p)

★これまで周縁の地であり、長い期間、中華王朝の支配とは無縁だった地域、モンゴル、ウイグル、チベットはロシアやインドなどに接しているために、国家防衛の要所とみなされるようになります。だから、これらの地域で強引な中国化が進められている、すなわち、全土を赤く塗り上げた中国は、その縁の部分をさらに濃い赤に染めようとしているのです。これを海洋に展開しようとしているのが、南シナ海であり、尖閣諸島であり、台湾なのです。(199-20p)

2022年11月28日月曜日

QRコード読み取り

  PCR検査の結果がSMSで届いた。前回の結果通知は検査翌日の正午過ぎ、今回は午後5時ごろに届く。陰性だ。もらったIDカードのQRコードを読み取ってみた。前回、携帯の機種変更で日が浅く、うまく処理できなかった。今回は携帯にも慣れてすぐに読み取れる。昨夕から旅の同行者と連絡を取る。体の調子がよくないという。先ほどその人から旅をキャンセルするとの連絡が入る。幸い、ひとり行動になれているのでその点、救われる。

 今回の旅は乗り物と宿がパックになっている個人旅行。そのため互いに各自で旅を申し込んでいる。キャンセル云々の影響はない。が、久しぶりに友だちとの旅を楽しみにしていた。それも体が今一歩の状態では仕方ない。ただ、友だちが本来の調子に戻るのを願うばかりだ。

 旅はお天気がその良し悪しを左右する。雨の予想100%から少しだけ%が下がっている。お天気などの自然現象はこちらがどうこうできない。後は運に任せよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月27日日曜日

オペラを見に行く

 PCR検査を受けに行く。今回のPCR検査は2度目なので少し慣れがあるのか前回ほど時間がかからなかった。とはいえ、(他の人と比べたわけではないが)人並み以上に時間がかかっているに違いない。前回、予約時間よりも早く行くと、次回からは時間通りに、と注意された。それにもかかわらず15分早めに行った。すると予約の証明なるモノを、みたいなことを言われる。ない旨、告げると何やかや言われて予約したスマホを見せる。その画面のキャンセルをタップするように係は言う。そこをタップすると予約が表示された。

 前回検査を受けているので要領はわかる。PCR会場の責任者は前回と同じ人のようだ。2回目と告げると目的を聞かれて前回同様IDカードを宿に見せるようにという。検査会場は前回の少なさと違って多そうだ。終わるとやれやれ、という気持ちで会場を去る。次に向かうは大型電気店。ここで用を済ませるとそごうで遅いお昼を食べる。時刻は午後2時半。この後アステールプラザで開催されるオペラを見に行く。

 本通りのバス停で会場までバスに乗る。が、バスが来ても満員で通過。この調子だと開演に間に合いそうにない。会場まで歩けばよかった、と思いながらバスを待つ。何台か行先が違うバスがやってくる。そしてやっとのことで目的のバスが来る。車中は満員だ。このバスに乗るたびに乗り換えなしで行ける場所に演奏会場があればいいのにと思う。車内は暑いし人は多しでコロナも気になる。こんな状態で通勤通学する人は大変かもしれない。

 会場まで3,4か所しか停留所がないのに時間がかかる。それでも何とか無事到着。オペラの題目はモーツアルトの「魔笛」。このオペラは何度か見ているがその都度、演出に変化がある。出演や演奏者に何人か知り合いがいた。子供の出演者には水泳を一緒に習った人の子供さんもいる。

 近年、夜は出歩かないようにしている。が、チケットを知り合いから安く譲ってもらって出かけた。今回、最後まで見ると遅くなるので第一幕で切り上げた。外に出るとまだ薄日が残っている、が、しだいに夜も更ける。今日は一日、PCR検査の結果待ち!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月26日土曜日

ハガキが届く

 先月出かけた水彩展の主催者からご丁寧にもお礼のハガキを受け取る。他にも某デパートからハガキが来た。このデパートで眼鏡を購入している。(眼鏡の案内?)と思ったら補聴器だった。自分の年齢を考えれば耳が聞こえにくくなる年齢かもしれないがそれにしても(補聴器はどうよ?)と訝る。

 そういえば先日隣町のクリニックからがん検診の案内ハガキが届いた。(なぜ?)と一瞬考える。その何週間か前にクリニックの前身である外科の院長の訃報記事を新聞で見た。20数年前、肩を触っていたら炎症を起こした。それを処置しに外科を訪れた。その時のカルテで住所、氏名を探し出したのか、ハガキが届いた。がん検診などは市から知らせがある。それなのに(行きつけでもないクリニックがハガキを寄こすとは?)、とこれまた訝る。

 気分を変えてドルドラの「思い出」を吹いてみる。以前にも練習した曲だが、また吹いてみたくなった。この曲もフルーティストの神田勇哉が動画にアップしている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2022年11月25日金曜日

眼科へ

土手に咲くコスモス

皇帝ダリア
 眼科に出かけて眼圧を測ると13と18だった。いつもにぎわっている眼科だが、昨日はなぜか一人だけ。時間もあるのか医師はこれまでなかった手帳のようなものを取りだす。そこには 文字の大きさが違う1行だけの文が何列か並んでいる。そのうちの2番目に小さい文字の文が読めるかどうかを聞かれる。小さい文字はどんなに小さくても読める。それがふしぎだったのかさらに小さい文字の文を読む。もちろん読める。先生曰く「この2行は一般の人は読めません」と。それに応えて「もっと小さい腕時計に書いてある字も読めます」と話す。これもすべては人よりもひどい近視!?

 目がいい人は小さい文字が読みづらいと聞いたことはある。その点、視力がよくなくてもどんな小さい文字でも読める。先生はさらに「小さい文字を読むと目がつかれるでしょ?」とご自分の顔の疲れる場所を指して聞かれる。それに応えて「どんなに本を読んでも疲れない」旨、話す。実際、ほぼ毎日のように司馬作品を読んでいる。が、それで目が疲れたとは思わない。と言いながらも目は大事と思っているので決して無理な生活はせず睡眠は充分とっている。

 眼科を出ると目の前を流れる2級河川の土手に皇帝ダリアが1本咲いている。近づくとコスモスや菊など数種類の花が植えてある。誰が手入れするのか他にも苗が植えられていた。その場所は川の上を国道が通っている。賑やかな場所にひっそりと咲いていた。

 先日各戸にこの2級河川の改良工事に伴うアンケート用紙が送られてきた。すでにアンケートを送付済みだが、送った後で島根県の木次を流れる斐伊川の土手を思いだした。両岸は桜並木となっている。それもかなりの距離だ。我が家の近くの河川にも桜は植えてあるが川の一部分である。アンケートに「斐伊川の土手のように桜を植えて堤防にする」、と書けばよかった、と後で悔やむ。斐伊川の桜は護岸の斜面に沿って植えてあり堤防となっている。

 お天気のよさはまだまだ続きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月24日木曜日

『街道をゆく』(二十一)「横浜散歩」

 この先1週間の天気予報を見ると月末から来月にかけて気温が一気に下がり最高気温は一けた台になるようだ。太陽暦の11月から12月上旬の穏やかな暖かい天気を小春日和というそうだが、まさに今日はそれにあてはまりそうだ。この時季が過ぎれば年賀状が待っている。年々、減少していく年賀状。1年に2,3人の訃報があればその分、年賀状も減る。これが10年続けば2,30人の減少でさらに続けばもっと減る。

 先日郵便局に行って年賀状を購入した。年賀状を出す人が減少傾向にあるためか年賀はがきを購入すると小さいカレンダー、ティッシュ、そして「寿」と印刷された祝い箸3膳をくれた。郵便局も年賀はがきの売り上げを意識する!?

 以下は『街道をゆく』(二十一)「横浜散歩」 (司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九九年第五刷)から気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★風霜に堪えた三階建ての赤レンガの倉庫が、遠近法の教材のように遠くまでつづいている。倉庫と言っても不愛想な四角の建物でなく、前面、隅角、正面にそれぞれ形象を造作して、ぜんたいとして一種の威容を感じさせるように設計されている。赤いレンガも、ところどころ油で黒ずみ、雨で変色し、人工のものというより自然に近くなっていて、その色は絵具では再現しがたい。……どういうわけか、税関の倉庫は「上屋(うわや)」とよばれる。(318-319p)

2022年11月23日水曜日

司馬作品は生きる糧!?

 久しぶりに降り続く雨。これから一雨ごとに寒くなってゆくだろう。しばらく司馬作品から遠ざかっていた。が、他の人の本を読むと司馬作品ほどの感動がない。というか、読後感が清々しくない。これでは本を読んでも体に良くないと気づく。ナニゴトも自分にとって感動的とか興味をそそられないといくら読んでも体に良くない。そう思ってすぐに図書館へ行き、司馬遼太郎の本を借りる。なぜ司馬作品は読んだ後に感動するのか。自分なりに探ってみると司馬作品を読むことで知らないことを知る喜びみたいなことがあったり、また作品に登場する人物などに愛ある書き方がされており決して悪く書いていない。それが読むモノを気持ちよくさせる所以かもしれない。

 来月になれば司馬作品にハマって丸4年になる。この間、かなりの数の司馬作品を読んでいる。一覧表にしているのでそれを見ればすぐわかる。ともあれ、生きているうちに司馬遼太郎の全作品を読み終える目標がある。これは夢でなく実現可能!?それに向かって今日もまた明日も、そして来年もまた再来年も、司馬作品を読み続けよう!

 それにしても司馬作品を読むように勧めてくれた大連の旅で知り合った人たちに改めて感謝したい。この4年間、自分自身の生きる糧になっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月22日火曜日

楽譜 

 先日のホームコンサートで楽譜の話が出た。話を聞くまでは楽譜といえば紙の楽譜だけと思っていた。ところがこの頃の楽譜は紙だけでなくデジタル化もあるという。ホームコンサートのお宅にはハープ3台とグランドピアノ2台などの楽器がある。その中のグランドピアノ2台をピアニストと主宰者が何曲か連弾された。その時、話された中に楽譜がある。主宰者は紙の楽譜、ゲストのピアニストはタブレットの楽譜だ。

 演奏を聴いているときは楽譜のことは気にならなかった。ところが家に帰ってネットで調べるとデジタル化された楽譜の件が多数ある。コロナ禍になって広響の会員をやめて以降、本格的なコンサートを聴く機会が減った。そのためもあるのか音楽関係の情報に疎くなっている。その時にデジタル楽譜を知って驚いた。プロの交響楽団はデジタルの楽譜を使用して演奏しているのだろうか。それが気になる。今週末にオペラを見に行くのでその際、演奏者の楽譜を見るようにしよう。

 楽譜のデジタル化を知ってますます世の中が進化していると感じた。個人的には視力もよくないので紙の楽譜が何かと便利だ。ところがデジタル化された楽譜は風など吹いても楽譜が飛ばされる心配がないらしい。が、照明の影響の不都合もあるとか。すべてがよい事ばかりではないのかもしれない。今回、ピアノ譜の付いた楽譜を貰ったが個人的にフルートのパート譜に細工しなおして演奏した。それを横で吹かれるフルーティストに見られてしまい細工した旨の話をした。これは紙の楽譜だから簡単にできること。デジタル化の楽譜は初めからタブレットにそれ用の楽譜が入っているのだろうか。それともタブレットに紙の楽譜を取り込むのだろうか。

 そういえばゲストのピアニストについてプロフィールを調べた。プログラムにも記してあったが音大で博士号を取得されていた。なんとその論文がWEB上で読める。が、自分自身、音楽家でもないので読んではいない。もう一人のゲストであるフルーティストは音大の非常勤講師をされている。お二人とも素晴らしい方たちだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月21日月曜日

ホームコンサートへ

 今朝の地元紙の週刊誌見出しを見る。そのなかに80代を元気に超えた現役医師の趣味として管楽器がある。管楽器は呼吸と肺機能を高めるため趣味としていいようだ。個人的にそれを趣味として30年続けている。木管楽器のフルートである。フルートを吹きだして胸囲が増し、風邪もほとんど引かず、もう20数年、内科ともご無沙汰だ。すべてはフルートを吹くお陰!?

 昨日、某宅でホームコンサートが開催された。ゲストはピアニストとフルーティスト。そのフルーティストに2名が加わって「花は咲く」を演奏した。フルーティストの人と個人的に話したことはない。が、あいさつすると「フルート・フェスティバルで会いましたね」と話される。その時、言わなくてもいいのに「以前、姪と一緒にテレビ局で働かれていた」旨、話すと、姪の名を聞かれた。返答すると「ああ!」と言って覚えておられた。姪が東京で働く以前のことである。

 そんなこともあってフルートも楽しく吹かせてもらった。が、数人での演奏になれておらず、自分の音色が聞き取れずにいたが途中から聞こえるようになった。人前で吹くのはかなりのプレッシャーがある。何日も前から気が付けばフルートを吹いていた。昨日も出かける前から音出しをする。

 コロナ禍とあって聞く人もそれほど多くない。久しぶりに出会う人たちもいた。演奏曲の大半は知った曲が多い。演奏楽器の主はハープ。これとフルートが奏でる「グリーンスリーブス」は相性抜群。次回のコンサートは来春になるとか。お土産にケーキをいただいて帰る。

 帰宅後、姪にフルーティストとの話を電話ですると姪も覚えていた。要らぬことを話したので姪に怒られると思ったらそうでもなかった。フルート・フェスティバルに何度か参加したことや姪のテレビ局時代の話は懐かしかった。時はあっという間に過ぎていく。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月20日日曜日

日本画教室へ

 相変わらずカタバミを描いている。花を描くのは久しぶりで、これまで描いていた樹木の点描写のようには描かない。点描写が気に入っていたのでちょっと寂しい気もするが写真を見て描いている。カタバミの花は小さい。それをいかにも大きな花のごとく描いている。葉っぱと花の色合いは描いていてもすがすがしい。が、彩色は上手くできない。ぼかしもそうだ。

 サムホールに描くカタバミの花。サムホールの絵は習っている教室がある区民文化センターの区民祭りに展示する。近年コロナ禍で区民祭りも行われず、出品しないままになっている。しかし、来年の始めにある区民祭りは開催されるようだ。

 行楽日和は続き、今年の秋が長く感じられる。いいことだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月19日土曜日

「人生行路難し」

 (人生長く生きているといろいろあるなあ)、と感じるこの頃である。昨日は母の月命日。お墓に参ろうとすると、墓地に上がる石段に車が止まっている。墓を建てるのだろう、と思ってわが家の墓地に行くとなんとそこが工事現場だ。この何か月か気になることがあった。それは隣の墓地でも同じである。我が家の墓地に工事関係の物が置かれている。先月お墓に参った時、隣の墓地の穴は整えられていた。昨日はその後の工事らしく、お墓の一部を外して墓地の穴を整備されていた。

 工事の人の話を聞いて我が家も穴が空いていた旨、話すと材料が残るので無料で直してあげるという。それは困ると話すと金額を言われた。それを渡すと我が家の穴が空いていた場所を見てくださった。足で踏まれるとまた穴が見えだした。スコップで触るとさらに穴は深くなる。墓地の水の通り道が関係あるとか。さっきの金額では少ないと思ってさらに渡す。何も整備しないとお墓が傾くらしい。隣のお墓はその修理らしい。

 工事には3人来られていた。名刺をもらうと地元のよく知られた業者で感じがいい。何か困りごとがあれば、と親切に言ってくれる。我が家のお墓はお寺の紹介で他の町から来てもらった業者だ。昨日は墓地に行っただけでお墓参りをせず、業者に墓地の整備をお願いしてその場を去った。水の通り道もなんとかしてくれるようだ。

 その足でお宮の方へ行く。義兄にこの旨、電話すると業者と同じことを言う。水の通り道云々だ。姉にも電話する。何かコトが起きると納得するまで人に話を聞いてもらいたい。昨日は姉と義兄に面倒を掛けた。また近いうち、墓地の様子もかねてお墓参りをしよう。

 昨年から今年のはじめにかけて屋根の瓦が1枚外れて屋根の工事で大金を払った。この秋は墓地、と思ったがお墓に関しては我が家は跡継ぎがいない。墓地のことを考えるのは自分自身が元気でいるから思えること。もしも体が悪ければ自分自身のことだけで墓地のことまで気にすることはできないかもしれない。そう思ったりした。何か問題が発生して困難にぶつかる。これを打破するには元気がいる。そう感じた。そう思えばこれくらいのことで(まっ、いいか)、となった。そして偶然にもお墓参りで親切な業者に出会えてよかった。

 改めて電子辞書で「人生」を調べると「人生行路難し」がある。長く生きていてそう感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月18日金曜日

喪中はがきが届く季節になった

 年賀状欠礼はがきが届く季節になった。今年もこれまで2枚届いた。が、うち1枚は長年付き合いのある姉妹の妹さんの訃報だった。はがきを見て(えっ、まさか?)と驚いてしまった。すぐに電話をかけると不在。時間を経て電話をするも通じない。喪中はがきは50代になってから届くようになった。この年代で亡くなる人は癌によることが多い。60代もそうだ。が、50代、60代の喪中はがきはどちらかといえば本人よりも親の訃報である。

 親世代の訃報は年齢的なこともあってわかるが同世代の訃報はすぐには信じられない。自分自身の死を考えたこともなく、それよりも親の年齢を超えるほど生きると思っている。幸い今のところは元気でどこかが痛いとか悪いところがない。と言いながらも人から見れば十分老いぼれていると思われるかもしれないが。

 喪中はがきは受け取らなくても配偶者が亡くなった、と先月、電話をかけてきた人がいる。また訃報ではないにしても昨日は友だちから体の調子がよくない旨、電話があった。その人は市内在住でなく、遠くなのですぐには伺えない。春になったら桜を見に行く、と言って電話を切った。

 自分自身、元気と思っていてもこれから先のことはわからない。といって先を気にしていても何もいいことにはならない。その思いがあるのでやりたいことはできるだけ何でもしようと思っている。とはいっても体の調子が悪い人はやりたくても気持ちがついて行かないらしい。その点、気持ちは十分やる気がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月17日木曜日

不動院へ行く

 陽気に誘われて不動院へ行く。ネットで行先を調べるとアストラムライン不動院下車すぐとある。我が家からアストラムラインを利用するには運賃も時間ももったいない。(広島駅から?)と探すとバスが出ていた。広島駅に到着後すぐにバスに乗る。10数分バスに乗車後、不動院前で下車する。が、不動院がどこにあるのかわからない。どういっても大通りの上をアストラムラインが走っており、不動院駅もある。

 行きかう人に声をかけると不動院まで連れて行ってくれるという。(どこへ行っても親切な人がいる)と思って歩く。すぐそばにある不動院が目に入らない理由がわかった。それはアストラムラインが視界をふさいでいる!?駅の歩道橋を抜けると不動院が見えた。場所を教えてくれた人とここで別れる。その人は病院に行った帰りのようだが不動院へはあまり行かないと言っていた。


楼門 奥は金堂
 不動院入り口に立って辺りを見渡すが誰もいない。楼門をくぐると左右にりっぱな仁王像がある。しかし、この周囲を金網が施してあり写真に写せない。奥に進むと国指定の金堂がある。境内を見渡すと紅葉の樹木は思ったよりも少ない。が、赤く染まりつつある紅葉を眺めるとこれまた幻想的で美しい。
鎮守社 紅葉の色どりが美しい
 お参りしようとすると鈴紐が数珠になっている。これは初めて見た。お賽銭箱におみくじがある。小吉だった。
護摩堂 数珠になった鈴紐


 
不動明王
 バスやアストラムラインの通りを一歩入ると静かな空間があった。境内は綺麗に整えられており、剪定作業中なのか車が止まっていた。(帰りの道はすぐにわかる)、と気を良くして歩いていたら来たバス停に出ていた。引き返してバス停を探すと目の前にある。広島駅行はすぐに来た。

 広島駅の福屋でお昼をいただく。今回は新たに見つけた和食のお店に入る。美味しかったし、感じもいいので次回もここを利用しよう。食事後はリュックを探す。6階の売り場で気に入ったリュックを見つける。が、(他にも)、と思って2階のバッグ売り場を物色。やっぱり6階のリュックがいいと思って購入する。近場をウロウロちょろちょろするときはこれを背負って……。昨日と違って今日はお天気が良くない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月16日水曜日

楊海英の本

 楊海英の『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』を読んでいる。楊海英の経歴を見ると『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上下)で司馬遼太郎賞を受賞している。著者と司馬遼太郎は賞で結び付いている。そう知って驚いてしまった。そのこともあるのかこの人の著書をさらに読みたくなる。副題に「毛沢東から習近平まで」とあるように習近平の独裁政治は、というか中国のそれは今に始まったことではなく辛亥革命の頃から関係している。この時期は大変興味があるのである意味、関心を持って読んでいる。

 司馬遼太郎は『草原の記』で当時のモンゴル人通訳のツエベクマさんを題材にした本を書いている。司馬遼太郎は学生時代、モンゴル語を専攻した。そのこともあるのかモンゴルへの入れ込みは相当なものだった。もしも司馬遼太郎が楊海英の書いた受賞作を読んだならばどういうふうに思ったのだろう。ふと想像してしまった。楊海英はツエベクマさんほどではないにしても内モンゴルで生まれて育ち、その後、日本に留学。そして2000年に帰化と苦労している。モンゴルにいたならばこういった著書も決して書けなかったに違いない。

 読みながら、初めて中国語を習ったときのことやそれから後もいろんな中国の留学生に習ったことで中国の現状を知っていると思っていた。が、まだまだ理解不足は否めない。この本を読み終えたならばしばらくは司馬遼太郎と楊の本を並行して読もう。

 秋の行楽日和はまだまだ続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 楊海英は司馬遼太郎賞を2010年に受賞している。これまでの受賞者を見ると錚々たる人たちだ。

2022年11月15日火曜日

次に読む本は?

 お昼過ぎにガスコンロを取り付けに来てくれる、と電話がある。その前に少しは周辺を片付けようとなる。テーブルの上にはパソコンや本を置いている。これは毎日の生活に欠かせないが他にも旅のカタログなどがある。一枚一枚確認していると先々月開催された某会の資料もあった。資料を貰ったが(そのうち読むから)と山積みの中に埋もれていた。手に取って読み始めると会長の読まれた本の紹介記事がある。それは楊海英の『独裁の中国現代史』である。

 近年、司馬作品にハマり、今年の春からはもっぱら『街道をゆく』を放送と並行して読んでいた。ところが放送もなくなり、ついでにと放送されない「街道をゆく」も読んでいる。昨日、そのうちの「西伊予・西土佐の道」を読み終えた。次は何を読もう、となった時、会長の話された『独裁の中国現代史』になった。昨日、図書館のHPを検索してこの本を予約。近いうち手もとに届くだろう。著者の楊海英は今回初めて知った人で内モンゴルの人だ。と言っても中国の独裁について書こうとすれば実名ではないはずと思ったら案の定そうだった。まだこの人の本を一冊も読んでいない。が、久しぶりに中国関連の本を読む予定。

 中国関連といえば、某研究会にも所属している。年に3回送付される史料をみるとお世話になった恩師の名が掲載されていない。もしかして、と案ずる。

 少しずつ秋が深まってゆく。今年の秋を満喫、とまでいかないがそれでも近場を出歩いている。不動院へはさて今週に行くか来週にする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月14日月曜日

曲名の検索

 「アルビノーニのアダージョ」の練習とともに「花は咲く」を吹いている。スマホの検索画面の音声認識を触ると「♩曲を検索」がある。(もしかして……)と思ってアルビノーニのアダージョを階名で歌うと「もう少し歌って……」の表示が出る。言われるままにさらに続けると曲名が出た。これにはびっくり。「いまさら何を」「誰もが知ってるやりかた」と笑われそうだが自分としてははじめてのことで驚いてしまった。驚きはこれだけでなくカメラ機能で花を写すとその花の名が表示される。これにも驚いたが曲名はこれ以上に感動してしまった。

 笛を練習していて頭をかすめるメロディーなどが聞き覚えのある曲であってもわからないことがある。これまでは電子辞書で最初のフレーズを聴いて探したりした。この場合はクラシックしか利用できない。ところがスマホはどんな曲名もすぐに解明できる。便利な世の中になったのはいいがその反面、怖い気さえする。

 位置情報がそうだ。調べ物は何もかもスマホで、となる!?自分自身の個人情報も知らぬ間に独り歩きするかもしれない。

 話は変わって昨日は雨の中、歩いて隣町の大型電気店に行った。歩数もかなりある、と思ったら3700くらいでそれほどでもなかった。お店に入ると目的の2口ガスコンロの売り場を聴く。店内は雨にもかかわらず客が多い。何か催しをしているのだろうか。売り場に着くとすぐに購入。今日午後には配達されるという。購入後、アンケートやくじ引きをするようにとのこと。賑やかな理由がこれでわかった。くじを引いてお好みソースを貰った。そしてアンケートではティッシュの箱をもらう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月13日日曜日

カタバミを描く

 昨日は日本画教室の日でカタバミを描いている。久しぶりに描く花は簡単そうで難しい。大きさはサムホールで小さい絵なのにうまく描けない。ただ、カタバミのピンクの花と葉っぱのみどりの色合いは描いていても気持ちいい。

 コロナの新規感染者が増えている。第8波到来なのかどうか知らないが、教室の人と門司へフグを食べに行く話はやめにした。一人で行くには問題ないので長府の紅葉の盛りにフグを食べる!?そして門司で食べるフグは新年に、と思ったり。

 今日は久しぶりに雨が降っている。昨夕、ガス・テーブルの調子がよくないと気づく。ブラシで点火付近を掃除すると大丈夫だ。買うか買うまいか迷ったが新たな器具に買い替えよう。雨の日に乗る自転車は危ない。というか、最近はほとんど近場は徒歩での行動が多い。自転車で隣町の大型電気店まで行けばすぐに行かれる。が、これから小雨の中、運動を兼ねて歩いて出かけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月12日土曜日

『街道をゆく』(二十六)「嵯峨散歩」

 先月、京都の大徳寺と嵐山辺りに出かけた。出かける前、『街道をゆく』の「大徳寺散歩」と「嵯峨散歩」を読んだ。せっかく京都へ行くのだから「街道をゆく」の一か所でも見てみたい気持ちが湧きおこる。今、『街道をゆく』(二十六)「嵯峨散歩」の気になる箇所を改めて読むと本の影響を受けて出かけていた。

 司馬の「街道をゆく」を読んでいる。が、まだ読み終えていない「街道をゆく」もこれから読むつもりでいる。9月まで台風や雨、そしてコロナ禍で今年はどこへも出かけていないと気づく。その時ひらめいたのが(「街道をゆく」を読んでいるんだからその一か所でも出かけてみよう)、という気になった。そこですぐに宿を探す。そしてJRの新幹線「おとなび」を予約する。その後は(さて、どこへ行く?)、となって「街道をゆく」を頼りに歩いた。

 先月、長州と京都へ出かけた。今月は土佐を予定している。少しずつでいいから自分の足で出かけたい。先月出かけた2か所に弾みがついて(まだまだ一人でも十分行ける!)との思いが募る。昨日、旅好きな友だちから電話がある。そしていろんな旅情報を知らせてくれる。行楽シーズンはまだ続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『街道をゆく』(二十六)「嵯峨散歩」 (司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第4刷)から気になる箇所を抜粋。

★樒(しきみ)は漢字だが、べつに国字があって梻(しきみ)と書く。文字にこの木の用途があらわされている。日本ではその枝を切って神にささげる木としては、木へんに神と書く榊(さかき)(国字)がある。シキミもサカキも、葉の色や形が似ているが、神と仏と用途がわかれている。シキミに漢字の樒がありながら梻という国字がつくられたのは、神と対にしたい気分があったにちがいない。(30p)

★東アジアにおいて普遍的文明というのは、中国にしかなかった。朝鮮は質のいい文化をもっていたが、文明ではない。文明とは、”たれでも参加できるもの”であり、文化とは”そのグループだけの特異なもの”と定義すれば、当時の日本に必要なのは、普遍的なもののほうだった。たとえば漢字は普遍的で、たれでも参加できる。土木技術もそうである。それらの根源は、中国にあった。(41-42p)

★角倉家と嵯峨の天竜寺との縁はふかい。天竜寺の僧たちのかかりつけ医者だったという時代もある。天竜寺はいうまでもなく臨済禅の京都五山の一つだが、寺ながらも別に対明貿易商という一面をもっていた。すでに元の時代から室町幕府によって官許されていた貿易商で、世に「天竜寺船」とよばれた。了以の父の宗桂は遣明天竜寺船に乗って入明したことがある。天竜寺船はいわば一航海きりの会社のようなものだから、角倉一族は当然、資本も出し、利潤の分配にもあずかったであろうが、宗桂自身はかの地で明の医方を学んだ。(56-57p)

★登りは、石段である。この峰の大悲閣に、了以が木像になってしずまっているというのも、ゆゆしい。かれは保津川工事の犠牲者の霊をとむらうために念持仏の千手観音を大悲閣(千光寺)にまつり、この寺で亡くなった。木像はいまでも工事現場を見おろしている。(62-63p)

★室町期の嵯峨となると、この景観と地元経済の一中心地は、天竜寺だった。開山は、よく知られているように、夢窓礎石(一二七五~一三五一)である。その著『夢中問答集』をみると、禅客にままある奇矯の風がない。夢窓は中庸を好み、長者の風をそなえ、さらには山林への退隠を好みつつも、後半生、京という市井に出た以上は、孤高を誇るをみせず、俗世の難事にも手足を汚してこれが調停や解決に当たろうとした。生前、三つの国師号をうけたというだけでも、当時の人気の高さがうかがえる。三つの国師号のうち、「夢窓国師」の号の知名度がいちばん高い。(83p)

★私どもも南門から入った。正面に向かってすすみ、放生池(ほうじょうち)や松林やらをすぎてゆくと、法堂(はっとう) (座禅堂)にゆきつく。……夢窓をさらにわかろうと思えば、大方丈の裏の庭園(曹源池)ほとりまでゆけばいい。夢窓は、庭園で禅の境地を表現しようとした人で、この庭には禅がもつ抽象性の骨格がふとく組みこまれている。そのくせ、古今・新古今の日本的美意識の世界であり、大和絵そのものといえる。(94p)

★私は天竜寺の塔頭妙智院で、湯豆腐を食っている。嵯峨には、湯豆腐の店が多い、はじまりはこの妙智院である。寺の収入を観光やあやしげな供養でまかなうよりも、湯豆腐で賄うほうが、はるかに宗教的といえる。鍋の中で煮えているのは「森嘉」の豆腐で、あれやこれや思えば、日本文化を食っている気がしてくる。(108p)

★後嵯峨天皇の子が、亀山天皇(一二四九~一三〇三)である。このひとが、嵐峡の空をわたる月をながめて、あたかも橋が天上の月を渡しているようだ、として橋に「渡月橋」の名をあたえた。(117p)

★建設省は、流量計算で橋の構造をきめるだけという単純なやり方で、風景をぶちこわすような悪い橋をかけつづけている。今後、万一、いまの渡月橋が流れることになれば法規によって高々として分厚い(しかもふしぎに赤ペンキを塗りたがる)新橋ができるおそれがある。となれば、先年の嵐峡も死ぬ。法は神よりも強い世である。願わくば渡月橋の寿命の永からんことを。(121p)

2022年11月11日金曜日

「花は咲く」

 図書館で借りた須田剋太の本が重すぎてざっと目を通しただけですぐに返却した。が、その後もこの人のことが気になり、ネットで調べると鴻巣市のHPに須田剋太画伯についての項目がある。そのなかに略年譜が記されており、その最後に「造形略歴(須田剋太の自伝へ)」としてPDFが添付されている。これを読まねばならないと読んでいると記事がとても長い。多分、本一冊分くらいあると思われる。一昨日、その半分を、そして昨日残りを読む。だいぶ須田剋太の人となりがわかってきた。それにしてもパソコンやスマホで読むネット記事のなんと疲れることか。紙の媒体であればどういうこともなくすぐ読めるのに、と思ってしまった。ネット記事は紙よりも理解力が劣る気がする。と言いながらも今の子供たちはタブレットで学ぶことも多いから紙が、ネットが、と言ってはおれないかもしれない。

 フルートで吹く「花は咲く」を練習している。昨日、フルートを吹く人はコンサート前にリハをやる旨、SMSが届く。久々に皆の前で吹くので練習が欠かせない。といいながらもこれまた久しぶりに旅行社から日程表が送付されると旅へと気が向く。この旅はいわゆるツアーでなく、個人が宿と乗り物のセットになった旅を申し込み、そのチケットなどである。詳細を見ているとさらに何処かへ行きたくなる。ネットで近場を調べると牛田の不動院がある。ここへは昔、一度行ったような気がするが覚えていない。ここも紅葉の名所らしく、広島駅からも近いので下旬に出かけよう。昨年出かけた今高野山や岡山の閑谷学校の紅葉も見事なので見に行きたい。が、さてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月10日木曜日

時すでに遅し!?

 今月中旬に某宅で行われるホームコンサートに参加する予定でいる。一昨日、5日もかかって当日、吹く予定の楽譜が送付されてきた。以前だったら近郊の町からの郵便物はその翌日届くはず。ところがこの頃は土曜日の配達がなくなり郵便物の届くのがおそい。届いた楽譜を見るとピアノの伴奏付きの楽譜だ。昨日はこの楽譜をコンビニでコピーし、フルートのパート部分を切り張りしてフルートの楽譜を完成させた。そして再度それをコンビニに出かけてコピーした。こういう小細工は器用だが、これから毎日暗譜するまで吹くことになりそうだ。

 曲名は「花は咲く」。以前、合唱でピアノとフルートで伴奏をしたことがある。その時の楽譜はフルート用のアレンジがなく吹くのも大変だった。しかし、今回はゲストがフルート奏者なので送付の楽譜もフルート用。合唱で吹いた楽譜を持っていればよかったがナニゴトも自分の気持ちが伴わないヒト、モノ、コトは破棄する癖があるのでその楽譜も今はない。しかし、今回送付された楽譜は捨てないようにしよう。

 昨日といえばほかにも図書館へ予約の本を取りに行く。借りようとする本を受け取るととても分厚い。その本は須田剋太の曼陀羅の本。司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を須田剋太が描いている。この挿絵を見るだけでも本を読む価値がありそうなくらいうまく描かれている。本を受け取るとこれは家には持って帰れない、と思って図書館内で目を通す。どういっても分厚くて重い上に持ち運びは大変。館内でしばし読んだ後、すぐに返却。係に重くて申し訳ない旨、断りを入れて返却した。

 ざっと目をとおした限りでは日本の著名な人たちが寄稿文を書いている。この人はすごい人だ、と改めて感心しながら目を通す。わかりやすい絵が好きだが、須田に関してはそれとは別に妙に絵に力があるというか見ているだけでも元気が出てくる。先ほどネットで検索するとずいぶん前にNHKがこの人を取り上げている。「街道をゆく」を読んでいると司馬は須田の発する哲学めいた言葉をよく書いている。その点も「街道をゆく」の良さかもしれない。

 今頃その良さに気づいても「時すでに遅し」かもしれないが今わかっただけでも良しとする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月9日水曜日

宮島へGO~


3年余ぶりに姿を現した大鳥居

 前回宮島に出かけたのは2016年11月18日。ということは今から6年と10日前になる。その年によって紅葉は異なるが10日早いと紅葉も以前とは違っていた。紅葉のピークは人がごった返す、と思い急遽、宮島へ。JRの車内はそれほど混んでいなかったが、宮島のフェリー乗り場は外国人ツアーで込んでいた。6年ぶりの宮島はフェリー乗り場も様変わ。広電の宮島口駅は装いも新ただ。フェリー乗り場に3年前に完成した”etto”。”etto”とは広島弁の「えっと」で「ようけい」、「ぎょうさん」、「たくさん」の意がある。

 東京にある県のアンテナショップは”TAU"。こちらも同じく広島弁で「たう」から命名されている。「たう」とは「届く」の意。

 久しぶりに宮島行のフェリーに乗る。波静かでいつ船が出たのかわからないほど海は穏やかだ。宮島に近づくと3年の大改修を終えた朱の大鳥居が迫ってくる。今朝見たネットニュースによると鳥居の真下に立って鳥居を見上げることができるとか。出かける前にそれを知っていれば鳥居の真下から見上げたのに……。まだ工事が完全に終わっていないので近づけるようだ。

 行先は紅葉谷公園。と、その前に6年前と同じく牡蛎入りのカレーパンを買って食べる。前回は@400円が今回は100円アップしていた。牡蛎入りカレーパンのブームは去ったのかすぐに買えた。そこら辺に座って食べていると夫婦連れなどがまねしてビールを買って飲んだり何か買って食べたりする。そばには鹿が彷徨っている。獲物狙いの鹿だ。牡蛎入りカレーパンを買う際、お店の人は鹿に気をつけて、と注意を促した。
勇ましくなった宮島の鹿
 厳島神社へは参らずに通り過ぎて紅葉谷公園に向かう。紅葉橋辺り一帯が公園になっている。そこから上に行くとロープウエー乗り場がある。歩いていると小さい古びた神社がある。何度か宮島へ出かけたがいつも人について歩くので気づかずにいた。(階段を上がってちょっと見て行く!?)と思って石段を上がる。誰もこの神社に近づこうとはしない。神社の周りに石碑がある。見ると「大正14年……」とあるがほぼ寂れて何が書いてあるのかわからない。そのそばで道を掃除している女性に聞いた。神社は四宮神社(しのみやじんじゃ)というそうだ。宮島に到着後の案内所でもらったリーフを見ると「四宮神社」はあるがどういう神社かわからない。ネットで調べると「四之官神社 祭神不詳 大正四年南町秋葉神社合祀、仍て火神一座を加ふ。(「廣島縣史」より)」とある。どおりでわからないはずである。
紅葉谷公園
 四宮神社の名を教えてくれた人としばし話す。毎日、自分の意志で対岸からフェリーに乗って紅葉谷公園付近を掃除しているという。年齢を聞くとなんとその人の母親と1歳違いで、50代の人だった。すでにお孫さんもいるという。「宮島へ来られたら紅葉谷にいますから」と言っていた。「何で掃除を?」と聞くと「外国人と話がしたい」とか。1か月あまり前から一人でちょろちょろ出かけているがその先々で出会う人と話をすると本当に楽しい。(この世の中、いろんな人がいる!)と感心してしまう。

 そういえば京都で半日近く案内してくれた人は元は福岡の生まれで退職した20年前に沖縄に出かけた。気に入ってしまい10年間沖縄で生活したそうだ。その後、京都に観光できて高齢者のバス運賃が無料、と知り10年前から嵯峨野に家を買って住んでいるという。
紅葉谷公園内にある四宮神社 
石段下にあった石碑に大正14年……の文字が見えた

紅葉谷公園

紅葉谷公園
紅葉谷公園
 紅葉谷公園を散策していると小さな池(?)を鯉が泳いでいた。これまで池があるのに全く気付いていない。一人で歩くといろんな箇所に目が行くもの、と改めて知る。

紅葉谷公園
紅葉谷公園
 宮島の紅葉谷公園の紅葉は今一歩だった。が、それでも色とりどりの色は綺麗だ。時刻は2時過ぎ。牡蛎入りカレーパンしか食べていないのでお腹もすいてくる。フェリーで宮島口に着くとすぐに”etto”に入り、中を物色。1階に牡蛎のお店があった。そこで牡蛎フライの定食をいただく。お昼も牡蛎入りカレーパンで久しぶりに牡蛎をよく食べた。2時半にお昼を食べると夜は食べられない。

 全国旅行支援と国の旅行開放政策で外国人も多く、またこの日、何があったのか着物姿もたくさんみられた。今年の秋はまだまだ続く。せいぜい秋を楽しみたい!
新たになった広電宮島口駅(左)
お土産店や飲食店が入るetto(エット)(右)フェリー乗り場でもある
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月8日火曜日

行楽日和

 暦の上では立冬も過ぎていよいよ寒くなる!?地元紙を見るとマフラー姿で通勤する人を写すがその中にマフラー姿はほとんど見られない。立冬とは名ばかりでそれほど寒さを感じない。というか、日中の気温が上がって行楽日和がそうさせるのかもしれない。

 昨日、予定していた三次行はチケットが売り切れで行くのを断念した。ところが日中になってお天気がいいと残念な気持ちになる。それならば来週に予定していた場所へ、と急遽思いつく。連日の行楽日和は一年のうちでもそんなに多くはないはず。そう思うと家にいるのがもったいない。

 夕方、友だちから電話がある。土佐へ一緒に行く友だちだ。行く前日と前々日、バスツアーのいいいのがあるらしい。それに申し込もうか迷っているという。行きたいところがあれば行けばいい、との思いがある。行くようにと勧めたが……。夜には別の人から電話がある。こちらは音楽関係だ。行楽の秋、連日遊ぶことばかり考えている。これも気候がいいから思えることかもしれない。

 その合間に司馬作品を読む。今読んでいるのは『街道をゆく』の「南伊予・西土佐の道」。読みながら宇和島辺りに行きたくなる。四国は新幹線がなく船を利用!?ついついおっくうになる場所だ。が、本を読んでいると行きたくなってくる。まだまた行きたいところが多く、いつまでも、またいつでも出かけけられるように元気でいなくてはいけない。

 読みながら司馬が泊まった宿をネットで探すと今はもうない宿や、また手直しして別の手段に代えているところもある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月7日月曜日

「秘境中国謎の民 天上の大草原に生きる」を見る

 一昨日夜、NHKのBSで久々に「秘境中国謎の民」が放送された。この日は「天上の大草原に生きる」だ。番組HPによると以下のように書いてある。

★山深い秘境で独特の風習を守り続ける少数民族、土族。実はシルクロードの時代、唐とともに栄えた王国の末裔と判明。1400年続く伝統の暮らしを見つめ、歴史の謎に迫る! 中国北西部、4000m級の山が連なる祁連(きれん)山脈。山頂近く、自然豊かな大草原で暮らす土族▽世界でも珍しい真っ白なヤクや、ここでしか育たないといわれる馬を放牧。1400年続く独特の風習を維持▽近年の遺跡の発掘から、シルクロードで栄え、悲劇の運命をたどった古代王国の末裔と判明。なぜこの秘境に?歴史ミステリーに迫る!▽しかし、今、伝統の暮らしは中国の国策で消滅の危機に。大草原を追われる悲劇の民族。

 天祝大草原に暮らす土族。ここでの主役は白いヤクと岔口驛馬(しゃこうえきば)である。この馬は標高4000mまで山を駆けあがることができる。ここはかつてシルクロードの要衝で走馬客(注:馬の売買人)もキャラバンもこの地で馬を選んだ 天祝は内モンゴル、四川、雲南、チベット、新彊をつないでいる。とくにシルクロードの時代はにぎわっていてこの地で馬を選んでいた。2019年、遺跡発掘によって調べると吐谷渾王国の王子がいてそれは天祝を管理する官僚だった。吐谷渾の人たちは高地に馬を放ち、そこで生息する野生馬と交配させた。そして高地でも自由に走り回る青海驄(そうかいそう)を量産し、専門の人が飼育した。古い書によると吐谷渾では寒い地でヤクと馬を量産していたと書いてある。このことから天祝の土族は吐谷渾の末裔とわかる。
 
 馬には走り方があり、ここの馬は側体歩で、これは騎乗の騎手の体がぶれないそうだ。テレビクルーはこの番組を昨年、取材している。その際、今年の秋、1400年続いた放牧は中国政府の国策により大草原での放牧が禁止されて国家森林保護区になるという。そのため2022年までに立ち退かねばならない。昨年8月、荷物を背負って山頂に向かう人々がいる。それは儀式をチベット寺院で行う人々だ。そして1000年以上続いた儀式もこの年で終わる。ところがその矢先、突然コロナの感染者が出て競走祭は中止になり、取材も中止を余儀なくされる。

 今年の7月、取材を再開。だが放牧はすでに禁止されていた。白いヤクの放牧の禁止は人々の知恵で共同飼育場をつくって飼育することになる。これには政府も支援してくれた。これにより収入は放牧を上回るが支出も同じように上回る。8月、競走祭が再開された。競走祭の決勝の日、4000人が集った。それもコロナ禍で規模を縮小しての開催だ。この日、70人いた住民は12人となっていた。が、牧畜をするために飼育場を建設する計画を話し合っていた。

 この人たちは古代王族の末裔である吐谷渾の人々だ。今、逆境に負けず、その伝統を取り入れて生きる支えとしている。 

 この種のドキュメンタリー番組はコロナ禍により取材が困難だったためか、いつも同じ放送の再放送、再再放送が放送されていた。今回久々に新しい番組で見ごたえ十分の番組だった。こういう番組を見ると遠い国へ行きたくなる。だが、今しばらくは遠くへ行かれそうにない。その合間に見るドキュメンタリー番組は楽しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月6日日曜日

3週間ぶりに日本画教室へ

 3週間ぶりに日本画教室に出かける。久々の教室とあっても絵を描く気がなく話が弾む。気候も良く教室も休みとあればどの人もあちこちに出かけている。ところが話の中で先生から三次行きの高速バスの「広島じゃ割」が既に売れ切れとのこと。これを聴いて(明日、三次行きを予定していたのに)とがっかりする。

 教室が終わると皆でいつものカフェに入る。ここでも遊ぶ話で盛り上がる。一人忘年会でフグを食べに新幹線で門司まで出かけようとしている旨、一人に話した。その時パンフを持ち合わせておらず、話は決まらずじまい。来週パンフを持参して再度決めようとなった。10月の行楽日和は11月になっても、またコロナ禍であっても遊ぶ話で盛り上がる。

 と、いいつつもコロナの新規感染者が増えている。増えたり減ったり、落ち着いたりとしているこの状況はいつまで続くのだろう。(コロナよ、もういい加減にしてくれ)と言いたくなる。その矢先、広島空港では台湾との直行便を再開するとのニュースが入る。コロナ禍になってパスポートを更新した。10年間のパスポートも既に2年が過ぎようとしている。せめて1度くらい更新後のパスポートを使って遊びに行きたい。それまでは近場をウロウロちょろちょろするしかない!?何であれ楽しくあればそれでいい……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月5日土曜日

”Friday night fantasy”

 お昼に家にいるときはNHKラジオを聴いている。お昼のラジオといえば「昼の憩い」がある。この番組は70年間続いているそうだ。この放送と同時代を生きている。全国から届くお便りをアナウンサーが読み上げ、その合間に音楽が流れる。昨日の音楽は”Friday night fantasy”である。哀愁を帯びたトランペットの響きはまるで一人砂漠に立ち止まってどこからともなく聞こえてくる音楽のようだ。あまりにもいい曲なので曲名を聞き漏らすまいと聞いていると”Friday night fantasy”だった。
 ネットでこの曲を調べると金曜ロードショーのテーマ曲のようだ。どおりで聞いたことがある。この曲の楽譜が欲しくなる。またもネットで探すとフルートの動画の楽譜があった。これを五線紙に書いてフルートを吹こう。フルートといえば近いうち某宅でホームコンサートが開催され、そこでフルートを吹く予定。先日、先方からフルート持参の人たちが吹く楽譜を送付してくださるとのこと。久々に皆の前でフルートを吹く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月4日金曜日

『街道をゆく』の文庫本

 行楽日和はこれから先も当分続きそうだ。今年の梅雨の終わりが後に修正され、いつ終わったのかわからないうちに台風シーズンとなった。そのためか、今年はお天気が良くない、との思いが強い。それと関係あるのか、台風がやってこなくなって以降の10月、今が遊び時とばかりに外に出て行く。(これが本来の生活よ)、と心で思いながら秋の陽気に舞い上がりそうだ。

 先日、人に誘われて土佐の旅を申し込もうとする。ところが旅行社がその日、新聞チラシを入れていたせいか何回電話しても話中だ。午後3時過ぎ、やっと電話が通じた。旅を申し込む。この旅は宿と乗り物がセットになっていて各自で行動する。そして宿はシングルの利用で個人旅行と同じだ。ただ旅を教えてくれた人はその日、電話が通じず、翌日、やっと電話予約できたそうだ。これで遊ぶ予定が一件落着する。

 相変わらず暇になると司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んでいる。その大半は単行本。先日、『街道をゆく』の(十四)を借りようと図書館へ行くと書架にない。(めずらしいこともあるもんだ)と図書館のネットに予約を入れる。予約した本は文庫本だった。読まないうちに本の終わりの方を見ると〈『街道をゆく』全43巻「目次」および「歩いた道」一覧〉がある。これを見て自分が知りたかった一覧だ、と思った。この5頁ほどをコピーする。これは著作権違反!?

 「街道をゆく」を読んでそのどこか一カ所でいいから歩いてみようと思い、先月から出かけている。今月末に出かける土佐もその意味で楽しみ!

 歳を取るにつれて自分が願っているとそのようなことになる、との思いが強い。というか自分で勝手にいい方に解釈してそう思っているのかもしれない。思い込みであれ、何であれ、自分がよいと思って行動すればモノゴトは上手くいく。そして楽しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月3日木曜日

「浄化されたり、あるいは元気が出てきたりする」

 姪から届いたメールに「旅でパンダで浄化され、いっそう元気になりました!」とあり、パンダとツーショットの写真が添付されている。和歌山のアドベンチャーワールドに出かけた写真である。姪の「旅でパンダに浄化され……」の「浄化」に反応する。昨日、司馬遼太郎の『街道をゆく』 (二十七)「因幡・伯耆のみち」を読んでいると偶然にも「浄化」が目に入る。それは以下の文だ。

★人間の営みの遺跡というのは、価値観を越えて保存されねばならない。しかし、ひとびとが道を遠しとせずにそこへ出かけるのは、遺跡に接することによって生きることの荘厳さを感じたり、浄化されたり、あるいは元気が出てきたりすることを期待してのことである。(128p)

 姪は遺跡ではなく、パンダを見るために東京から遠い和歌山まで出かけている。これは先の「道を遠しとせずにそこへ出かける」の件に似ている。司馬は出かけることで「浄化されたり、あるいは元気が出てきたりする」とある箇所は姪もそう感じている。

 姪のメールは朝届き、その日の午後、この件を偶然にも読んだとき、驚いてしまった。というのも自分自身、「浄化」というキーワードを日常使うことがなく、姪のメールでそれを知って「浄化」はいい文、と返信していた。

 旅も道を遠しとせずに出かける。その意味では旅によって浄化されたり、あるいは元気が出てきたりするのもうなづける。というかそのために人は旅に出かけるのだろう。

 今日は24度と気温も高くなる。まさに行楽日和。こんな日は家にいても(次はどこへ遊びに行こう?)と遊ぶことばかり考える。そう考えるだけでも元気が出てくる。それを実行すればそれこそ浄化され、元気が出てくるのは間違いない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月2日水曜日

竹原へGO~

 竹原は安芸の小京都といわれる。道の駅たけはらを出発すると町並み保存地区に入る。まず目にするのは頼山陽銅像だ。そのほとりには筍を模した車止めが入り口にある。像の前の新港橋を渡って旧森川家住宅に入る。竹原は塩田で栄えた町らしく森川家もそうだった。旧森川家を見学すると小学2年まで住んでいた家(母の実家で随分前に建て替わった)を思いだす。もらった地図に沿って歩くが始めのうちは地図になじめず、なかなか歩が進まない。楠神社を見つけた。名前の通り大きな楠が神社横に植わっている。


筍をかたどった車止め
 次に向かうは旧光本家住宅だ。道の駅たけはらで町並み保存地区の有料施設の周遊券を買っている。旧光本家も有料であり、今は今井政之陶芸の館となっている。ご本人とその長男、次男も陶芸家であり、3人の作品が展示されていた。さらに歩を進めると照蓮寺に着いた。空を見上げると真っ青だ。辺りにぼつぼつと若者の姿が見えだす。 
空は真っ青でこれぞ本当の行楽日和
川も竹で目隠しだ
 照蓮寺は竹原小早川氏代々の学問所で、頼三兄弟をはじめすぐれた文人を輩出している。そのそばにある頼惟清旧宅に入る。頼惟清は頼山陽の祖父であり紺屋を営んでいたそうだ。そこには頼山陽の詩碑が建立されていた。さらに山道に歩を進めるとおかかえ地蔵がある。(おかかえ地蔵というからには抱えてみよう)、と思って抱えてみるが、かなり重い。抱えて軽かったと思えば願いが叶うとか。抱えたと思っても気持ち程度くらいで1mmも上がっていないだろう。お地蔵さんのおられるそばにはコスモスが咲いていた。コスモスの写真を撮りたくて奥に入るがうまく写真に写せない。

頼山陽の詩碑

お地蔵さんの鎮座するそばにはコスモスが咲いていた
おかかえ地蔵
 昨日の地元紙に竹原の町並み保存地区で3年ぶりに「憧憬の広場」がライトアップされたとの記事がある。憧憬の広場は歴史民俗資料館に隣接する広場にあり、竹鶴酒造の正孝、リタ夫妻の銅像も建っていた。歴史民俗資料館も有料施設で元は江戸時代に建てられた竹原書院跡の洋館で塩田関係の資料が展示されていた。館内は急な階段をあがるが見学場所が2階の左右の部屋にわかれて互いの部屋への行き来はできず、上がっては降りてをくり返して見学する。
 
憧憬の広場 その横の建物が民俗資料館
町並み保存センター前にある電話ボックスも竹細工仕様

 資料館の係に西方寺と普門閣の行き方を尋ねると外に出て親切に教えてくれた。まずは階段がある場所を探すと西方寺に着いた。京都清水寺を模して造られたといわれる西方寺の普門閣観音堂に向かう。階段を上がると撮影のクルーがいた。「写真撮影?」と問うと「いや、昼寝ですよ」と照れて言う。ここから下を見ると竹原の古い町並みが一望できた。
普門閣
普門閣から見下ろす竹原の町並み
 西方寺を降りて元来た道を歩くが地図にある長生寺と地蔵堂がわからない。お年寄り連れが歩く方向に引きずられて歩くと通りに出た。再度、引き返してどうにか長生寺にたどり着く。また地蔵堂も同じ境内にあった。地蔵堂でまたもお地蔵さんを抱えてみる。こちらは先の地蔵さんよりも抱えやすく少しは抱えあげられた気がする。そして最後に有料施設の旧松坂家住宅に入る。

 平日のお昼、どこを歩いても人の気配は数えるほどしかいない。お陰でゆっくり観光できた。途中、胡堂があった。が、この読みを人に尋ねるとき「こどう」と言ったら、教えてくれた人は「えびすどう」という。そして同じグループの人に読みの違いの話をしていたのが我が耳に入る。日本語は難しい!

地蔵堂
 
 西方寺と地蔵堂が判らず人に聞いて行ったが、そのために帰りのバスが発車する通りに出るのに戸惑う。道の駅たけはらまで戻ってそこで教えてもらいバス停を確認する。10月、いろんなところへ出かけてよく遊んだ。一人で出かけるのがさらに楽しくなった。その矢先、友だちから電話が入る。土佐へ行こうという電話だった。土佐には竜馬がいる。そうだ、土佐へ行こう。それも久々に友だちと一緒だ。これも楽しみ!ちなみに竹原への高速バスは「かぐや姫」号で人生2度目の竹原行きだった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 
 10月31日(月)の行程
 広島バスセター発10:00🚌道の駅たけはら着11:20→道の駅でお昼を食べる→15:20高速バス出発まで竹原町並み保存地区散策🚌広島駅16:30着

2022年11月1日火曜日

竹原へ

  陽気に誘われて、急遽、竹原へ行く。”ひろしま秋のバスぶら割”を利用しての日帰り旅だ。竹原わくわく乗車券を買えば高速バスが利用でき、さらにクーポン券がその金額と同額出る。チケットの発売は当日か前日にかぎられている。わざわざ安い切符を買うために前日に購入するのも、とのためらいがあった。そこで思いつく。バスセンターで当日チケットを購入し、その足で高速に乗ればいいと。

 バスセンターに行こうとJRに乗ろうとすると前の駅で急病人が出たとのこと。乗車駅ホームに駅員3人が救命器具や車いすなどもって待機する。列車も遅れが発生と告げている。これでは竹原への高速は間に合わないと半ばあきらめていた、列車がホームに到着した。急病人を下ろすとすぐに列車は発車した。広島駅でバスに乗り換えて何とかバスセンターに到着。高速に間に合う。

 1時間余りで道の駅竹原に到着。バスを降りる際、運転手さんに切符を切ってもらおうとするとなんとクーポン券までちぎられるそうになり、それは違うと返却してもらう。運転手さんはもしかして割安チケットを初めて見られたのだろう。道の駅でクーポンを商品券に代えて早速、その一部をお昼代に充てる。GO TOの時も、今年の全国旅行支援も昨日の件もクーポン券を早く利用したい気持ちになる。個人的にはクーポン券を貰わないよりは貰ったほうが嬉しいが要らぬものをお土産などに使うのでそれよりも旅費にあててほしい。

 道の駅を基点として竹原の町並み保存地区の地図を頼りに歩く。昨日も11571歩とよく歩いた。この続きは後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!