2019年6月30日日曜日

司馬作品にハマってしまった!?

 2回ほど土曜日の絵の教室が休みだと、長く休みの気がする。ところがこれも梅雨の季節だと外に出ない口実になる。だからといって家に閉じこもるのは良くない。雨の降らない時を狙って自転車で外に出る。今朝も雨の様子を見て外に飛び出そう。

 雨の日、家の中では相変わらず司馬遼太郎の本を読む。ところが、それを中断して図書館で予約確保した別の本を読もうとする。これが読めない。司馬作品が面白すぎるせいかもしれない。昨日も『自然が最高の脳をつくる』を読み始めるが、翻訳本にもよるのか読む気が起きない。すぐに読むのを諦める。元来、翻訳本は好きではない。それもあるかもしれない。

 これまでずっとエッセイ本など読んできた。それも図書館の新刊から手あたり次第に予約して読んでいた。だが、この期に及んで司馬遼太郎の小説に目覚めるとエッセイ本が軽すぎる。どういっても司馬作品は小説であってもなぜか小説とは思えない程、新鮮そのものだ。どういっても手元に電子辞書を置いて読まないと、ただ字面を追うだけになる。文字もそうだけど本にある固有名詞や歴史的な背景も全く知っておらず、新鮮に映る。司馬作品の同好会があれば入りたいほどはまってしまった。

 ヒトはちょとしたコトがきっかけでこうも変わるモノか、と我ながらあきれる。

 ネットをみれば退職後の男性の居場所がないじゃどうじゃ、との話題を取り上げる。探そうと思うからないのであって、ヒトとの会話やメディアから幾らでもやりたいことや、することはあるはず。まあ、これも人によるのかもしれない。昨日はメールで某研究会の案内が届く。一昨日は某交流会の案内がハガキで届いた。居場所は見つけなくてもあると思うけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月29日土曜日

♩秋の砂山♩

 「気温45.9℃、過去最高=6月に熱波-仏南部」の見出し記事はフランスのお話。先日見たスウェーデン人のダグニーさんのブログには「真夏」の文字が躍る。「真夏?」と不思議に思っていた。何とフランスの気温45.9度は真夏を通りこして熱波襲来だ。これでは人々の生命が脅かされる。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6328392 (参照)

 広島は梅雨入りしたとはいえ、今朝は晴れている。今夜から1,2日ほど大雨が予想されるという。いずれにしても世界中どこもかしこも異常気象だ。


 蒸し暑くなった。こんな日は家でおとなしく……と思って本を読んだり、パソコンと遊んだりして動きが鈍くなる。これではいけない、と思いながら時に自転車に乗って外へ出る。雨が降れば自転車にも乗れないが……。そんな時に聞く歌がある。この頃なぜか倍賞千恵子の歌にハマっている。岩尾別旅情の影響かもしれない。動画を見るとミックスリストから流れる歌がある。それは🎵秋の砂山♩で初めて聞く。秋とあるように今の季節の歌ではないようだ。何と淋しい曲、と思って聞く。このミックスリストの曲のなかに他にも知らない歌がある。それにしてもいい歌ばかりを歌っている。なぜか心落ち着く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月28日金曜日

『花神』(中)

 『花神』(中)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十五年99刷)を読んだ。以下は気になる個所の抜粋から。この中の『日本外史』を著した頼山陽。昨夜のテレビで頼山陽史跡資料館で特別展開催のニュースを見た。それは「頼山陽と絵画」。来月下旬近くまで開催されるようだ。次回のフルート・レッスン後に見に行こう。今、この本の(下)を読んでいる。シーボルトと日本人女性との間に生まれた娘イネ。イネと蔵六との関係が『花神』(上・中・下)を通して綴られている。(下)もその件が多い。もう少しでこれも読み終える。次は司馬遼太郎の『世に棲む日日』を読む予定。

 この期に及んで、まさかこれほどまで自分自身が司馬作品にのめり込むとは……。人生、何が起きるかわからない、とはまさにこのこと!?

 ここまでのめり込むとさすがに本気になったに違いない。ブログ・プロフィールの「本」の箇所に司馬遼太郎の読んだ本を記入しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この時代、日本歴史についての全時代士史(通史)がなく、ただひとつ、頼山陽の『日本外史』があっただけというものであった。……江戸期というのは
世界史に類のすくない教養時代というべきだが、その教養のうちの史学面というのは中国の史書を読むことであって、日本史の研究ではなかった。要するに幕末人は、上は大知識人から下は「浮浪」といわれた攘夷浪士にいたるまで、『日本外史』一つが日本歴史を知る上での唯一の書であった。12-13p

★——私は首をもがれても攘夷のお供はできませぬ。
と福沢がそうまでののしったその攘夷主義とそのエネルギーが明治維新を成立させたのである。……福沢のような開明主義では、本来国家を一変させるエネルギーをもっていないのである。14p

★福沢は蔵六や長州人の「攘夷熱」を嗤ったが、しかし、これがもし当時の日本に存在しなかったならば武家階級の消滅はきわめて困難で、明治開明社会もできあがらず、従って福沢の慶應義塾も、あのような形にはあらわれ出て来なかったことになる。15p

★大阪大学微生物研究所の藤野恒三郎教授は、一九七〇年の春、筆者がこの蔵六の話を書いている時期に、定年退官された。……藤野教授にとっては、かつて教授の祖父が学んだ適塾に蔵六がいた。その適塾が大阪大学になっていて、自分がそこにいる。教授の想像世界のなかには自分をふくめた三人が一ツ世界に棲んでいるという情景があるのであろう。20-21p

★桂小五郎、木戸孝允という人は、生え抜きの剣客であった。が、かれはその剣を生涯殺人につかっことがない。とうより、かれが江戸の斎藤弥九郎道場の塾頭までつとめたほどの技達者だtたが、かれが剣を学んで知った最大の真実は、剣をもって襲いかかってくる者に対しては、逃げるしか方法がないということであった。……このため、桂はこのあとの長州の政治的窮迫期に幕吏にしつこく探索されながらついに明治まで生ききった。51p

★長州藩がこの五人の攘夷青年を英国に派遣しようとした目的は、
「海軍を学ばせるため」
というものであった。……領土が小さいという地理的絶対条件は、貿易という世界商略によって十分におぎなえるものであることを、英国という見本によって知り、その世界商権の中核をなすものは、世界最強の英国海軍にあると見た。
「航海術を学べ」
というのが、藩命であった。
が、結果としてこの五人は海軍という技術を学ばず、政治家や行政官になった。82-83p
(注:五人とは野村弥吉、山尾庸三、遠藤謹介、井上聞多、伊藤俊輔)

★長州藩は、天皇を、中国やヨーロッパの皇帝のごときものにしようとしている。その運動が勤王であった。ところが歴史の不幸はかんじんの孝明帝自身、
「勤王などとんでもない」という思想に立っていた。……要するに帝は佐幕人であった。126-127p

★「我即蔵六也」 
と、蔵六は書いた。オレハ蔵六、という意味である。蔵六とは亀の異称であった。
頭、しっぽ、それに四本の足を甲羅のなかに蔵してしまうためにその称がある。亀がその六つの動くものをかしてしまえば、かわらの石ころとかわらない。世間の波風や名利の世界から、蔵六はつまり蔵六になってしまっているつもりであった。
 妙な男であった。かれは後年、古今まれな軍司令官になるのだが、かつて歴史のなかの将軍たちのなかで、これほど自己顕示欲のうすい人物がいたであろうか。143-144p

★人間の心の昂揚というのは、ほんのささいなことからでもおこりうる。
——桂のためには、死んでもいい、という、蔵六のこの大げさな感動は、蔵六にとって決して大げさではなかった。……長州藩は蔵六に対して、人間としては認めていない。蔵六の技術だけを買うという態度をずっと取りつづけている。ところが、長州第一の人物といわれる桂が、蔵六を人間として認め、遇し、しかも頼ってくれた。蔵六の感動の大きさは、どうにも名状しがたい。236-237p

★蔵六が政界に飛躍するのは、このときからである。
もっとも飛躍というほど大げさなものではなく、六ツヲ蔵(シマ)ウという蔵六(亀のこと)の生活姿勢から百ぐらいがそろりと出た程度だが、しかし村田蔵六にすれば大層な飛躍であったろう。249-250p

★蔵六が、
「用所役・軍政専務」
という国防局の局長といったふうの要職に抜擢されたのは、この年(慶応元年)五月二十七日のことである。
むろん、桂一人の推挙である。261p

★日本人の姓は、その居住している村郷の地名からとった場合が多い。
長州家毛利家の場合、戦国から豊臣期にかけて、山陽・山陰十カ国におよぶ大版図であったが、関ケ原以降、西のはしの長門と周防の二国に圧縮された。
このため長州藩士の姓は、旧版図の十カ国の村名が網羅されて、まるで地名表をみるようなおもむきがある。……蔵六も、(わしも地名の姓を名乗らねばなるまいか)
と多少笑止におもいつつも、そう考えた。……
かれは、鋳銭司村に住んでいる。「大村がよかろうと思う」
と、お琴に宣言した。さて、名前である。
……父の名は、孝益である。その益をとり、「益次郎にしたい」
と、お琴にいった。……ともあれ、蔵六の身分が変わった。
正真正銘の武士になった。268-271p

★「長州の寝射ち」
というのは戊辰戦争を通じて有名になったものだが、蔵六がそれを指導した。地形、地物を利用して、目と銃だけを出して射つ。……ちなみに、戊辰戦争のときにはやった文句に、「長州の寝射ち、薩摩の立射ち、土佐兵の斬りこみ」
というのがあるが、よほどこの寝射ちの姿が異様にみえたものらしい。463p

2019年6月27日木曜日

またも岩尾別旅情

 九州から西日本にかけてやっと梅雨入りした。雨は嫌だけど降る時季に降らないとあとで困ったことが起きそうで怖い。ともあれ梅雨入りした。

 昨日、来月に出かける予定の旅の最終案内が届く。国内旅であっても飛行機の移動なのでお天気は気になる。旅の当日は大雨でなければいいけど……。旅の案内に入っていたホテル情報を見ると豪華だ。楽しみ。先日の日帰り旅でストレス疲れを感じた。それ以降、食事にも気を付ける。腹八分目、これを徹底すると効果があった。一番は体が軽くなる。お腹周りがかなり減った。これには我ながら驚く。食べ過ぎと寝不足が致命傷とわかっていても、外へ出たり人と会ったりするとつい油断してしまう。寝不足はまずない。後は腹八分目を肝に銘じよう!

 雨の日は司馬遼太郎の本を読む。これに尽きそうだ。昨日、図書館で予約確保の本を取りに行こうとすると受け取り図書館がいつもと違う。ネット予約なので受け取り図書館を間違えたようだ。予約確保の後では自宅パソコンでの変更ができない。図書館に行ってそう告げると受け取り図書館を常に地元の図書館に設定する方法を教えてくれた。長く図書館を利用していてもこういった間違いは初めてだ。何に慌てていたのだろうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月26日水曜日

ヴィラ・ロボス♩ブラジル風バッハ第5番アリア♩

 今年のフルート発表会の曲はヴィラ・ロボスの🎵ブラジル風バッハ第5番アリア♪で決まりそうだ。この曲にはアルト用フルートといわゆるフルート用の2つの楽譜がある。最初にさらったのは一般用の楽譜。この楽譜には繰り返すところを1オクターブ高く吹く。その中でも特に1小節は音域が高い。これをスラーで吹くのはなかなか難しい。というか綺麗な音で吹けそうにない。

 一方のアルト用フルートの楽譜は全体の音が一般用のそれよりも全体に音が3度高い。繰り返しの箇所もそのままの音で吹く。ただ、後半部分のある個所は一般のフルート用だ。アルト用で吹くにはこの個所をそれように換えて吹く。

 アルト用と一般用のフルートの2本があればそのままの楽譜でフルートを持ち換えて吹けばOK。だが、生憎、アルト用のフルートを持っていない。

 この曲は以前にもさらった曲。だが、アルト用ではさらっていない。昨日までのレッスンで、以前にさらった一般用の階名が頭をよぎる。まずはそれをアルト用の階名に置き換えねばならない。曲の階名を覚えていると新たな階名に切りかえるのは大変。変に音を覚えていると面倒なこともある。

 昨日のレッスンで今年の発表会のソロはアルト用の楽譜で吹くと決める。楽譜の途中、フルートは吹かずにピアノ伴奏だけの箇所が8小節ある。速度は♩=50で吹くので8小節はかなり長い。ボーっと吹かずにいるのでなく、この箇所も吹くことになった。いつものことながら先生にこの箇所をパソコン・ソフトでフルート用に楽譜を作成していただく予定だ。ありがたい。

 帰宅後、コンビニに行ってとりあえずピアノ伴奏譜の8小節の箇所をコピーする。新たな楽譜をいただくまでこの箇所の音を一般用に換算して吹く練習が始まる。

 1年半前に一度さらった曲を発表会で吹く。いくらさらっていても発表会で吹くとなると気合が違う。曲の初めから終わりまできれいな音で吹く。そして間違えずに吹こうとすれば練習が欠かせない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月25日火曜日

プールで泳ぐ

 今年の広島の梅雨入りはこれまでで最も遅くなりそうだ。今日も晴れている。明日から雨の予報も今朝の時点では曇り。明後日からやっと梅雨入り!?ともあれ雨が降る時季には雨が降らないと後でオオゴトが起こりそうだ。

 今週のその後の雨を予想して昨日午後はプールへGO~。泳ぐ人は相変わらず少ない。浅いプールを独り占めにして泳ぐ。何とも優雅な気分になる。泳いだ後は水中歩行のプールに移動する。2往復歩くが、水の中では足が進まない。泳ぐほうがどれだけ楽なことか。そう思いながらも水中歩行を試みる。

 プールに来る人も徐々に変化するのか顔見知りが少なくなった。仕事をリタイアして泳ぐ人も年々、自分からすれば若者になっている。時に、ここで泳がず、本格的なプールで泳げば、というように泳ぎの上手い人がいる。その中では怖くて泳げない。いつの間にか浅いプールが自分専用のプールといった感じになる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月24日月曜日

「自然が最高の脳をつくる」

 長府の日帰りバス旅から10日が過ぎた。バス旅での疲れがピークに達していたのか先週は家でおとなしくする。遊びや旅行に出かけて疲れることはほとんどない。ところが今回はバス旅がストレスになったのだろう。とはいっても出かけた場所は再度訪れたい、と思うほどよかった。

 ストレスは体にとって一番よくない。ネットを見ると「カフェと森から得られる、社会的ストレスに苦しむ人への効果」のタイトルが目に入る。ストレスに苦しむ、とまではいかなくても興味を持って文を読む。タイトルの「カフェと森から得られる……」に惹かれたのかもしれない。文の後半の小見出しは「自然が最高の脳をつくる」とある。ここを読むといきなり次のように書いてある。

★「NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる」(フローレンス・ウィリアムズ著、NHK出版)。これを読むと、カフェ以上に森の中で過ごすことは、ストレス対策や脳にいいらしい。……
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190623-00027960-forbes-ent&p=2 (参照)

 この文に関心を抱いて、早速、この本を図書館に予約する。幸い蔵書にあった。毎日見るネット記事。いろんなメディアからの情報が満載だ。図書館に予約する本の大半は、というかすべてはこういったメディアからの情報による。

 森の中で過ごすことがストレス対策、といえば近年著名人によるぼっちキャンプが流行っている。これもそのためだろう。

 森はひとりでは行きたくても行かれない。その代わりを旅でする。その旅がストレスになっては本末転倒になる。いい旅を探して楽しい旅にしたいものだ。

 その点、カフェはひとりでも楽しめる。フルートなどを習いに街中へ出る。その帰りに入るカフェ。これがちょうどいいカフェタイムになっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月23日日曜日

狭い庭


まだ咲きそうにないカラー

 6月も下旬というのに広島の梅雨入りはほど遠い。梅雨時季といえば紫陽花。わが家にあった2種の紫陽花は枯れてしまった。紫陽花は枯れても植木鉢の花々が咲く。それは3種のゼラニウム。他にもベゴニア、ガーベラがある。この2つはフルート発表会でもらった鉢植えだ。ベゴニアはドクダミほどの根性があるのだろうか。鉢植えしたのが、まるで地植えしたかのようにあちこちから芽を出し、花をつける。以前、日本画教室に絵のモチーフとしてベゴニアを持参した。それを持って帰った人の家でもベゴニアが根付いたそうだ。去年の発表会でもらったガーベラ。土に戻すと大きな赤い花を咲かせた。ほかにもまだツボミがある。しばらくは花を楽しめそうだ。

 ところがカラーは水不足なのか花をつけない。花々も世話する人の気持ちを知っているのか丁寧に水やりをしたゼラニウムは花を咲かせる。3種のゼラニウムは鉢植えで買った。それを枯れる前に枝を切って挿し木にした。以前のわが家にあったゼラニウムと違ってお店で買ったものは花は変わっていてもなぜか弱々しい。挿し木にして花をつけるまでにはひやひやどきどきする。どうにか3つとも花をつけた。来年も咲くといいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
地植えしたベゴニアとガーベラ
 
ゼラニウム

ゼラニウム
ゼラニウム

2019年6月22日土曜日

カラートリートメントのCM

 テレビのCMで男性のカラートリートメントがあると知る。すぐに家の前にあるドラッグストアに出かけて女性用を探す。だが売り場がわからない。その時、お店の人がそばを通る。CMで見た話をするとカラートリートメントの売り場を教えてくれた。売り場には白髪染めなどもある。カラートリートメントにもいろいろとメーカーがある。同じ買うなら名があるほうがいい。探しているとCMで見た会社のがあった。

 今よりもずっと若い頃は、カラートリートメントではなくカラーリンスで白くなりつつある髪の対応をしていた。ところがいつの間にかそれも使わなくなる。購入したカラートリートメントを昨夜お風呂で試す。シャンプーの後のトリートメントで簡単に使える。ところが髪染の独特のにおいがある。これには少々辟易する。だが、これは美容院でのにおいと同じだ。アンモニア臭なのかどうか、あまり香しい匂いではではない。

 テレビのCMは何となく見ている。というか時にはチャンネルを変えて飛ばしたりする。ところが昨日は男性カラートリートメントに惹きつけられてしまったようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月21日金曜日

「にっぽんぐるり」を見る

 図書館で月刊誌を読むと澤地久枝の記事がある。御年88歳になられても春には屋久島辺りで講演をされている。記事の中に「人が意思を持って生きている限りはちゃんと生きられるんだろうと思う」とある。この言葉に感動する。認知症になればこれは不可能だ。やっぱりしっかりと生きてきた人の言葉には重みがある。
 
 相変わらず司馬遼太郎の本を読んでいる。『花神』(中)ももうすぐ読み終える。昨日はその(下)を借りる。先にこの(下)の解説を読むと「花神」とは「花咲か爺」の意と説いてある。中国の言葉らしい。解説者は『花神』と同時に同じく司馬作品の『世に棲む日々』を読むようにと教える。2冊を同時に読むのは大変。『花神』を読み終えた後に『世に棲む日々』を読もう。

 司馬作品の余波は他にも続く。昨日午後、新聞の番組欄を見ていると山口放送局のローカル番組を全国放送していた。それは「にっぽんぐるり」で「長州と会津未来へ」という番組。この「長州」に目を見張る。1年半前に山口放送局で放送されたらしい。山口で放送された2018年は長州からすれば明治維新150年。ところが会津は戊辰戦争から150年として、戦の勝敗で捉え方も変わる。

 長州をちょっとだけ見たモノからすれば、また司馬作品のとりこになったモノからすればここは長州びいきになる。いまから30年前、山口と福島の両県の行政は長い仲たがいから仲直りを試みた。ところが行政サイドは手を結ぼうとしても当時の福島県民のブーイングにはどうすることもできなかった、と今、当時の行政担当者は述べる。話がまとまらずに終わったことを残念に思った山口のある市民が行動を起こす。とくにJA関係者はそれぞれの農産物を互いに販売して友好を高める。次第に両県の関係は良くなり、今では高校生が萩を訪れて理解を深めたりする。

 今、『花神』を読んでいると広島は芸州藩。長州藩の隣の藩であっても幕軍と長州藩の戦いにおいては中立を保っていた。司馬作品のお蔭で日本の歴史もちょっとだけわかり始める。次は何を読む、と思いを巡らさなくても司馬作品を読むのが一生の課題となった。ぼやぼやしていては到底、司馬遼太郎の全作品を読めそうにない。

 「人が意思を持って生きている限りはちゃんと生きられるんだろうと思う」と話した澤地久枝ではないが、自分自身が全作品を読む、との強い思いがあれば全作品を読めるかもしれない。何かに夢中になっているとそれに関することが次々と目に入って来るもの、と改めて気づかされる。

 それにしても広島の梅雨入りはいつになるのだろう。雨は降りそうにない。新聞によると梅雨入りはまだ当分先のようだ。そして梅雨入りが遅くなると雨量も増えるらしい。昨年のようなことが起きなければいいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月20日木曜日

西のあじさい寺と長府・老舗料亭「古串屋」の昼懐石 日帰りバスツアー

 6月14日(金)、<プレミアムバスで行く>西のあじさい寺と長府・老舗料亭「古串屋」の昼懐石、と銘打った日帰りバスツアーに参加する。プレミアムバスとあるようにバスの座席は24名と少なく、バスそのものの豪華さも謳っている。うち1人参加は6名。豪華さはバスだけでなくお昼の懐石料理もそうだった。
 
 広島駅新幹線口のペデストリアンデッキに集合後、8時にバスは出発する。ところがバスが一般道から高速道に入る寸前で渋滞に巻き込まれる。高速道の上りで事故発生らしく、9時前にやっと高速道に入る。下りはスムーズに流れるが、その後の観光の時間が全て短縮される。初めて行く場所なので少々残念な気持ちがぬぐい切れない。この日の携帯万歩計は10658歩とよく歩いた。


スモークツリー


アブチロン
次の日本画で描くので写す







  
夏椿を見に連れて行ってくれた津和野の人は鐘楼へも案内してくれた。鐘を突くのは久しぶりなので柵の中に入って喜んで鐘を突くといい音がした。
津和野から来た人に連れて行ってもらった鐘楼
大きな音で鐘がなった

津和野の人に案内された本胴裏に咲く夏椿(沙羅双樹)

菩提樹の花
この花も教えてもらって知った


あじさい寺山門


 あじさい寺(阿弥陀寺)の境内は広い。何度でも見に行きたくなるお寺だ。あじさいを見てバスの集合場所に行くと目の前に田圃が広がる。我が家の周辺ではもうそれも見られなくなった。この時季、阿弥陀寺辺りでは真っ青な水田が広がり、日本の田園風景を垣間見る。 

老舗料亭「古串屋」
 お昼は老舗料亭「古串屋」でいただく。お店のHPには次のようにある。

★毛利藩のお抱えだったという歴史を持ち、高杉晋作や乃木将軍も通った老舗料亭。 料亭「古串屋」としての創業は明治4年。

 明治4年ということは創業150年くらい!?いかにも料亭という感じで今回のツアーの楽しみの一つだった。黒光りのする廊下をそろりそろりと歩く。急ぎ足で歩けば滑って転びそうになるほどピカピカに磨いてある。出てくる料理はどれも上品でこれこそがプレミアム、という感じ。ツアーの人もこれがお目当てらしかった。料理は1品ずつ運ばれてくるのでその間、話が弾む。
  


ヒラメのお刺身








生姜とジャコ入りの炊き込みご飯


デザートのゼリー


食事場所から見る風景


古串屋
城下町長府散策

 食事後はボランティアガイドの説明を聞きながら長府の町を散策。長府は毛利藩5万石の城下町として栄え、幕末維新の舞台となった。町のほぼ中心に位置する長府毛利邸は、毛利家第14代当主・毛利元就公により建てられた。武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた日本庭園が魅力らしい。

 長府と聞いて我が家はちょっとだけ関連がある。それは我が家の電気温水器が長府製作所製だ。神戸製鋼所もこの街にあると今回初めて知った。

 以下はパンフからの引用。

★1600年関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍に加担して敗れ、防長2カ国に減封。本藩は萩に置かれ、長府は支藩として近世城下町としての歴史が始まります。1864年には高杉晋作が功山寺にて挙兵し、これがやがて幕府を倒して、明治維新発祥の地となっています。


 通りに沿って壇具川が流れる。この時季の夜は蛍が飛び交うとか。蛍も長いこと見ていないので見たくなる。自然を残している川なので草木も生えて水も綺麗だ。蛍が飛び交うのもうなずける。我が家辺たりの川はコンクリで固めて草一本も生えていない。その点、この辺りの川は自然を生かしている。
功山寺

 もらったパンフによると次のようだ

★鎌倉時代の創建で唐様建築の美しさを持つ仏殿は我が国最古の禅寺様式を残しており、国宝に指定されている。数々の歴史の舞台となったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃したり、高杉晋作が伊藤俊介(博文)らを率いて挙兵したところでもある。

 今、司馬遼太郎の『花神』を読んでいる。まさに長府が舞台の小説でここに名が出た人物が小説に出てくる。長府への興味が尽きない。いつか個人で「おとなび」を利用して再度訪れたい。秋の紅葉時季も美しいとガイドは話した。功山寺は毛利氏の菩提寺である。








真横に消火栓があった

高杉晋作回天義虚像
長府毛利邸

 パンフによると明治36年(1903年)、長府毛利家14代元敏によって建てられ、明治天皇のご宿泊所として使われたそうだ。津軽(常陸宮)華子さんの母も小さい頃住んでいたという。自由に邸内に入れるので一通り歩いてみた。だが、時間がなくてゆっくり見られない。再度訪れよう。
毛利邸内のお庭


瑠璃光寺の五重塔

 下関長府からバスで移動して山口市の瑠璃光寺へ向かう。この辺りから雨になる。初夏とはいえ、雨は冷たい。幸いいつものウインドブレーカ持参で寒さ対策をする。瑠璃光寺は五重塔が有名。ここでもボランティアガイドの説明を受ける。辺り一帯は整備されている。それもそのはず日本の歴史公園100選に選ばれ、香山公園となっていた。

 日帰りバスの旅は終わった。いつもなら楽しいだけで終わる旅。だが今回だけは異常に疲れた旅となった。とはいっても山口県は魅力ある町が多い。秋には紅葉を眺めに再度長府を訪れたい。そのときは「おとなび」を利用して……。また楽しみが増えそうだ。ちなみに今回の費用は料金もプレミアムで18,800円とこれまでの日帰り旅にはないほど高かった。金額云々を言っちゃ、お終い、となりそうで申し訳ない。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

瑠璃光寺の五重塔



司馬遼太郎の碑


瑠璃光寺本堂

2019年6月19日水曜日

元気を出して!

 2,3日、今一歩本来の調子が出なかった。これまでどんなにきつい旅から帰ってきても、その後にこういうことはなかった。今回の日帰りツアーがいかにストレスまみれかよくわかる。来月になると今度は日本の果てに行く予定。この旅は昨日までがキャンセル料ゼロ円。一昨日、旅のキャンセルを考える。こういうことも全くないことなので我ながらビックリ。今朝はそんなことを考えたとは思えない程、元気を取り戻す。

 これまでいろんな国へ出かけた。しかし、どんな辺境の国であっても旅をキャンセルする、と思ったことはなかった。たとえ高山病にかかっても性懲りもなく高地へ出かけた。それも何も食べず、お風呂にも入らずに一晩寝れば翌朝はそれまで何もなかったかのようにケロッとしていた。ところが今回の日帰りバス旅はかなりのストレスになった。遊んで帰って不平不満を言うべきではない。それなのにダメージを受けた。来月の旅は同じ旅行社を利用する。気分を変えて楽しい旅にしよう。

 話は変わる。暇つぶしにダグニーさんのブログで新たなことに気付く。それはblogをパソコンで右クリックすると自動翻訳機能になる。ここまではいつも通り。昨日、画面をよくみるとスウェーデン語の方にスピーカのマークがある。ここをクリックすると何とスウェーデン語での音声が出た。これにはびっくり。どこまで進化するのだろうか。

 また昨日は母の月命日。この日は墓参りに出かける。今一歩元気がでない。ところが玄関を出ると墓参りに行く気になる。曇り空なので暑くなくて丁度いい。何かあれば頼れるのは今は亡き両親。元気をなくしていては親に申し訳ない。お蔭で今朝は元気!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月18日火曜日

今朝のFMから

 今朝のFMから流れる曲は「スターバト・マーテル 悲しみの聖母」 ペルゴレージ作曲。ソプラノはラヘル・ハルニッシュでコントラルト(アルト)はサラ・ミンガルド。合奏はモーツァルト管弦楽団で指揮はクラウディオ・アバド。これはradikoによる。ソプラノの歌声は気持ちを和らげる。最近、少々お疲れ気味なので今朝は落ち着いて曲を聞く。知らない曲ばかりだけれど、ここはradikoで調べればすぐにわかる。本当にいい時代になった。またradikoはある時間が経過すると1週間くらい自由に聞けるらしい。ただ動画はradikoで聞いたのと同じではない。

 交番襲撃事件が起きた。犯人は逮捕された。この親も偉い人のようだ。犯人は職業があると言っても職を転々としている。これがいけない。浮ついた世の中、人に流されず、自分をしっかり持っていないととんでもない人生になってしまいそうだ。親は企業戦士で生き馬の目を抜いて生きてきたのだろう。家庭を顧みるどころではなかったのかもしれない。こういう事件を見る度、何がいい人生なのかと改めて考えさせられる。

 先日来からの疲れも大分おさまって来た。事件をあれこれいう前に、まずは自分のことは自分で守る。特に健康面があてはまる。人に迷惑をかけてはいけない。昨日ネットでいろいろと検索していると身体の不調はストレスによることが多そうだ。今はストレスのない生活を送っていると思っていた。しかし、先日のバス車内のうるささはかなりのストレスになったようだ。今朝は元気を取り戻す。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月17日月曜日

『花神』(上)

  この1週間、毎日外に出ていてさすがに疲れた。昨夜は早めにお風呂に入り9時前に眠る。今朝の起床は6時前。疲れのすべては例のバス車内の大声による。そうとしか思えない程、草臥れ果てた。当分は旅もどうか?と考えるほど疲れた。それも今朝は吹っ飛ぶ。疲れ回復には寝るのが一番。とはいっても元来よく寝るタイプ。
 
 今朝のネットニュースに「薩摩焼宗家の14代沈壽官(ちん・じゅかん、本名大迫恵吉」の訃報がある。司馬遼太郎はこの人を主人公にした『故郷忘じがたく候』を書いている。またも司馬作品?と目が行く。ぜひとも読まなくてはいけない。司馬作品を読んでいて思ったのは司馬が好人物と思った人を作品に取り上げている。そのため、読んでいて気持ちがいい。これが司馬作品が人々に愛される所以だろう。その中に自分もいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『花神』(上)(司馬遼太郎 新潮社、平成25年第100刷)からの抜粋。

★徳川身分制時代、医師は卑賎の秀才がその境遇から脱出するための目標とされた。西洋のようにキリスト教から医学がそだったのではないために、医師道徳が発達しにくかったが、洪庵は異例にちかいであろう。かれは無償の親切ということで、道徳性を明快にした。こういう洪庵の弟子から、函館戦争で敵味方の別なく傷病兵を治療した高松凌雲や、日本赤十字社を創設した佐野常民がが出たというのもふしぎでないかもしれない。25-26p

★適塾というのは、洪庵の号である適々斎からきたものだが、ひとつには字義のとおり、「門生をしてその適せる方におもむかしむ」るという気分が、塾風にあった。村田蔵六や福沢諭吉が、医術をまなんでおもわぬ方向にいってしまったというのも、ひとつには適塾の学風かもしれない。27p

★「上医は国の病を治す」という中国のふるい言葉をひいて洪庵はむしろ蔵六に宇和島藩の科学技術の前身のためにつくすほうがいい、というのである。171p

★この殿さまが蔵六に命じたことは、
「蒸気で動く軍艦一隻と、西洋式砲台を一つつくれ」
ということであった。
蔵六は、耳をうたがった。蔵六は緒方塾で医学をまなび、国もとで村医をしていただけが経歴で、軍艦も砲台も、作ったことはむろん、この目で見たこともない。201p

★蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島侯の背後に侍立できる身分にまでになった。かれをここにいたらしめたのは、たったひとつ、技術であった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。266p

★「蘭癖」(らんぺき)
という。そういう傾向者を蘭癖家という。ところが村田蔵六にかぎっては蘭癖が毛ほどもなく、それどころか風体は村夫子のようであり、むしろ一見、固陋な攘夷家のような印象をうける。かれ自身、オランダ趣味が大きらいであった。312p

★「幕臣よりも長州藩士になりたい」
という、立身出世の損得勘定からゆけばおよそ計算にあわない蔵六の志望は、そういう素朴な情念から出ていた。それが素朴な情念であるために、蔵六の場合、ぬきさしならぬほどにつよい。……蔵六はそれをぬけめなくやった。314p

★運命ということばは、ときにとって神秘でもなんでもない。
蔵六はやがて長州藩に属する。つまりかれがそのきわめてアクチブ(活動的)な
藩に所属したことによってかれ自身の運命と日本史に重大な変化がおこるのだが、それを近代日本にとっても蔵六自身にとっても「運命」といえばいえるであろう。……運命というこの神秘的な或いは電磁性をもちすぎているこのことばに手ばなしに感動してしまえば、ものごとをみる目がすべてかすむであろう。この稿の筆者は、この稿をかくにつても、そのことを抑制し、できるだけ「運命の一瞬」というこの魅力のある、神秘的なものに対して冷淡さをもちつづけようとしている。328p

★——村田は別もの。
という、友人間の村八分に蔵六がなったのは、皮肉にも、かれら若い開明家たちの共通の師である緒方洪庵の通夜の夜からであった。が、ぞの蔵六が幕府をたおして幕軍を掃蕩し、日本の近代化を一気にひらいたというのは、福沢にとってはどうにもわからないことらしい。472p

2019年6月16日日曜日

夏椿

 豪華さを謳ったプレミアムバス。終わったこととはいえ、まだこだわりがある。ナニゴトもヒトもそうかもしれない。表面がいいばかりで中身がない。プレミアムバスでそれを感じた。大事なのはそれを活かすかどうかの機能による。バス車内がなぜこれほど反響するのか、人の声が響き渡る。家でもコンクリよりも木造建築が気持ちを和らげてくれるようにバスも皮張りでなく布製シートが落ち着くのかもしれない。ともあれ、これも経験したから気付いたこと。これからは豪華さを謳うのは気を付けよう。とはいっても、長府の町には感動した。

 昨日午後は日本画教室に出かける。先週は広響定演で休んでいる。もみ紙に描くプルメリアの花。前回、もみ紙が目をチカチカさせるとのことで先生はもみ紙を消すようにバックの色をブルー系統にしてくださる。これに胡粉を膠で溶いてプルメリアに施す。ブルーのバックに真っ白な花。そして黄緑系統の葉っぱを塗ると絵そのものは下手であっても彩が鮮やかなコントラストで何とも言えずいい絵になる。前回の気落ちした感情とは裏腹に昨日は気持ちよく描けた。ただ、真っ白な花にしようとするが、なぜかまだらになる。これはもみ紙のせい、と先生は話される。

 日本画は何度も何度も色を施して仕上げていく。昨日はもみ紙にもよるのか真っ白なプルメリアにならない。色を塗り、乾けばまた胡粉を塗るを繰り返す。ちょっとだけ日本画の要領がわかってきたかもしれない。

 昨日は本来ならばはがきサイズにペン画を描く予定だった。ところが持参したハガキは画仙紙。これはペンには不向きらしい。次回はペン画用のハガキを持参して葉書絵に挑戦。

 サムホール大の小さなプルメリアの絵。完成したならば家に飾ろう。かなり気に入った絵となりそうだ。どういってもプルメリアが可愛い。そして色の配色も綺麗。これからはバックの色をブルー系統に、と思ったりする。それくらい今の季節にピッタリの絵だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 blog投稿後に思い出す。一昨日、防府の阿弥陀寺で見た夏椿。本堂の裏にある、と津和野から来た人にわざわざ見に連れて行ってもらった。日本画の先生によるとこれは沙羅双樹と同じらしく、可憐な白い花だった。
阿弥陀寺本堂裏に咲く夏椿


2019年6月15日土曜日

プレミアムバスで行く西のあじさい寺と長府・老舗料亭「古串屋」の昼懐石

 昨日はプレミアムバスで行く西のあじさい寺と長府・老舗料亭「古串屋」の昼懐石、と銘打った日帰りバス旅に出かける。今回はプレミアムバスと長府の町散策、そして古串屋の昼懐石に惹かれて参加する。山口県は広島と隣接していても長府は初めての場所だった。広島にはない落ち着いた風情の長府。ここには下関市立歴史博物館があり、その眼の前に毛利邸がある。博物館には竜馬に関する展示物の数は日本一を誇るらしい。だが、今回は建物の外観を眺めただけで観光コースに入っていない。

 広島駅新幹線口ペデストリアンデッキに集合後、山陽自動車道をバスは進む。ところが、高速道に入る手前で上りで事故が発生したらしく、まったくバスが進まない。これでは先が思いやられる。出発から50分後、何とか高速道に入る。下りはスムーズにバスは行く。ところがプレミアムバスは座席数は24席と少なく、洗面・トイレが完備し、皮張りバスと豪華さをうたっていても人の声が反響しすぎる。バス外観は黄金色で施し、豪華さは感じられてもなぜか無機質な空間に思える。席は運転手の真後ろで申し分ない。横の夫婦連れは声の大きさに辟易して添乗員に苦情を申し出る。だが、一向に収まらない。一日中、大声に悩まされた旅となった。

 これほど懲りた旅はこれまでにない。ましてやプレミアムバス。何がプレミアム、と思ってしまう。とはいってもこれ以外のすべては良かった。特に現地ガイドに教えてもらった下関市市立歴史博物館。秋には個人的におとなびを利用して竜馬に会いに行こう。高知県でなくても長府の町に竜馬に関する展示物があると知って嬉しかった。またお昼の懐石料理。この古串屋は雰囲気あるお店だった。広島は原爆で焼け野原になり、こういった情緒ある町は見られない。その点、山口県内は至る所に風情がある。

 初めに出かけたあじさい寺。約1時間のフリータイム。広い境内に紫陽花が咲き誇る。地図を手にして歩くがすべてを見られそうにない。途中、個人で津和野から来られた人が本堂傍の白い花が有名と言って案内される。親切な人で夫婦で車で来たらしく、脳梗塞を患う旦那さんは車で待機らしい。津和野でも観光客を案内するらしく、親切に案内してくださる。白い花は「夏椿」だった。他にも花の名を教えてもらったり、鐘楼へも案内される。ここは是非とも鐘を突かねばと思って鐘を突く。すると集合時刻が迫る。帰り道を途中まで案内してもらった。いろいろと親切にされるがお返しするモノがない。丁寧にお礼を述べてその場を去った。

 その後に行ったのが長州路。今も必死で読んでいる司馬遼太郎の本。長州藩が出てくる。長府はまさにその場所だ。
 
 この続きは後日のブログにアップしよう。秋には竜馬に会いに長州へ行く。これは大きな楽しみとなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月13日木曜日

梅雨はいつ!?

 6月中旬になっても梅雨はどこへいったのだろう。雨は降りそうにない。この時季独特の蒸し暑さはなく、それよりも乾燥注意報が出る始末。過ごしやすいからいいようなものの、今朝の地元紙を見るとダムの貯水量が減って水不足になりかねないとか。そうはいっても遊ぶには雨でなくお天気の方がいい。

 老後の貯金額2000万円云々がメディアを賑わす。もうすっかり老後に入っている。一律に老後に2000万円必要といっても、数字ばかりに気を取られてやりたいこともせず、ただお金ばかりを貯めるような生活は御免蒙りたい。同じ生きるならいらぬことを考えず、毎日楽しく元気で暮らすほうがよほどいい。急に2000万円、2000万円と声を大にして言うのでなく、モノゴトには順序が必要だ。老後になってもまずは元気に過ごせとか、それには金銭も必要、と穏かに言えばいい。この金額提示は老後への脅し文句!?もしも何かで明日死ぬことがあるとする。その時、たとえ1億円持っていてもあの世へはなにひとつ持っていけない。それよりも、ああ楽しい人生だったと言ってこの世とおさらばするほうがよほど幸せと思う。そう言えば母は「持って死ねない」とか「政府にお金を貸していると思えばいい」などといって老後は子や孫たちとよく旅行をした。そしてすべての費用は母が出してくれた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月12日水曜日

ヴィラ・ロボス♩ブラジル風バッハ第5番アリア♩、2種の楽譜から

 ヴィラ・ロボスの🎵ブラジル風バッハ第5番アリア♩をさらっている。この楽譜はアルトフルート用と普通のフルート用の2つの楽譜がある。さらっているのは一般のフルート用の楽譜。この楽譜では「ド」から始まる。ところがアルトフルートでは「ファ」から始まり、一般用よりも4度高い音になる。ところが、アルトフルート用の楽譜は途中の変調する個所から一般のフルートに持ち換えての演奏となる。

 フルートは一般用しか持っていない。2つのフルートを持ち換えてやらないためには変調する個所をアルトフルート用に4度上げなければならない。ところが4度上げると一番高い「ラ」の音になり、先生はそこを1オクターブ低い音にして吹くようにと言われる。

 アルトフルート用と一般用の2種の楽譜。動画を見ると持っている楽譜と同じ演奏ではなく、どちらかと言えばアルトフルート用の楽譜がアレンジしてある。全体が4度音が高いアルトフルート用楽譜は普通のフルート用と比べて極度に高い音がないので吹きなれれば楽かもしれない。というのも普通のフルート用の楽譜は繰り返しの箇所で1オクターブ高い音が続く。この高い音をきれいに吹くにはかなり大変。ましてや曲自体のテンポが遅く、スラーを伸ばして音を出さないといけない。ここはロングトーンの練習となる。

 昨日のレッスンでいきなり先生に曲の初めの3小節を息継ぎなしで吹けた、と偉そうに話した。これは音が続けばよいと思って、そーっと吹いた。ところがその吹き方ではよくないらしく、綺麗な音のままで次第に音を大きくして吹く。これが大事らしい。言われるようにして吹くといい音が出る。

 次回までの課題はアルトフルート用の楽譜で吹いてみる、ことになった。いずれにしてもただ単に音を出すだけでなく、いかにいい音で吹くかが大事なようだ。これはどの楽器でもいえるのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月11日火曜日

「天安門事件 運命を決めた50日」を見る

 「香港で103万人のデモ」、の見出しが紙面をにぎわす。犯罪の容疑者を中国本土に引き渡す移送条例反対のデモらしい。デモ、といえば天安門事件がある。一昨日夜、NHKスペシャルで「天安門事件   運命を決めた50日」が放送された。番組HPには以下のようにある。

★ 中国政府の発表で「反革命動乱で319人が死亡した」とされている天安門事件。
30年たった今も、中国では事件に触れることはタブー視されていて、民主化を求める丸腰の市民を、なぜ、どのように武力で鎮圧したのか、詳細はわからないままだ。
 今回、NHKはその真相に迫ろうと、中国や世界各地に当事者を訪ね、新たな史料を探し出した。そこから見えてきたのは、事件の前から周到に配置されていた軍の姿や、政権内部の権力闘争の一端だった。さらに、西側各国の外交文書からは、欧米の指導者が改革開放を進める中国との経済関係を重視し、表向きは非難しながら、水面下で緊張関係の回避を図ろうとしていた実態も浮かび上がってきた。
天安門事件による民主化の挫折は、中国の人々に深い傷を残し、その後共産党が強権的な一党支配を進める素地を作ったと言われる。番組では、大国・中国の運命を決めた50日間を再検証し、天安門事件めぐる数々の謎に迫る。

 事件の当事者である軍人とデモに参加した人たちが登場する。番組のインタヴューにこたえる軍人はアメリカへ亡命している。中国本土は事件後さらに言論への圧力が強まり、何も言えない。そのため亡命者へのインタヴューとなる。デモの初めころは穏やかムードだった。ところが趙紫陽、鄧小平、李鵬などの共産党幹部が話し合った結果、皆の意見を聞いて最後に発言した鄧小平の行動が殺戮事件へと発展する。穏健派の趙紫陽がデモ隊の中に入り、学生たちと話し合っていた。それにもかかわらず、鄧小平は軍を出動させて、直接デモ隊を攻撃するのでなく、軍の上層部が攻撃するしかできないように仕向けて、軍人がデモ隊に威嚇射撃する。その後はそれが本格的になり、一方的にデモ隊を狙い撃つ。アメリカ在住の元軍人の亡命者は当時の状況をそう述べた。デモ隊と話した趙首相はこのときを最後に姿が見えなくなる。

 なぜ彼は話したのか。それは30年間、この事実を秘めたままに生活するのが耐えられなかったという。話して悩みが薄まったとも話した。鄧小平の元秘書のインタヴューもある。天安門事件後、経済は発展したが、言論の自由への締め付けが増したという。事件を知っていてもここは言わぬが花なのかもしれない。

 事件の犠牲者は党幹部は300名と発表したが、実際は10000人とも5000人とも言われて実数は把握しきれていない。ただ当時駐在していたイギリスのメディアは詳細な記録を取っていた。放送を見て驚いたのはデモ隊に向かって戦車がまるで絨毯の上を走るように人をひき殺していったという。スイカが割れるように頭が割れていたそうだ。

 事件後、世界が中国を敵に回すかと思えたが、当時のアメリカのブッシュ大統領は速やかに中国へ親書を送り、日本とアメリカは中国を支持する旨、書いていた。その底辺には中国の市場がある。その通りなのか、鄧小平は弾圧でデモが収まれば経済発展して、こののち20年は安定した政権が続くだろうと話したと鄧小平の元秘書は話す。その後の中国は目覚ましく経済発展した。その通りになったとはいえ言論への弾圧は人々への不信感となっていく。そうそう、大事なことを思い出した。鄧小平の元幹部は話した。「共産党幹部の一部の者だけが人間であり、それ以外は人間ではない」と。その考えが人を人とも思わない強硬姿勢の政治へと向かわせるのだろう。

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。この何か月かプールで会議をする人々を見かけなかった。そう思っていたら、昨日は来ていた。自分がプールの花と言わんばかりの女性だ。周りに男4人を侍らせてプール会議が始まる。プールのスタート地点で会議が始まると蹴伸びができない。それに気づいたおっさんはよけてくれるけど会議はずっと続いていた。
 
 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2019年6月10日月曜日

「人は、考えたようにはならない。動いた通りになる」

 新聞の配達がない朝に見るネット記事。一つ強烈にそう感じた記事がある。それは「人は、考えたようにはならない。動いた通りになる」の記事。

 若い頃と今が違うのはこのキーワードがそっくり当てはまる。若い頃、好きな音楽には関心が向いても自分が不得手なコト・モノ・ヒトに関しては全く興味がなかった。ところが、30代初め、街中でばったり出会った小、中、高校時代の同級生との立ち話で目からうろこ状態になる。それ以降、今朝見て感動した記事のような気持ちになる。話をした相手はこの記事の言葉でなくほかの言い回しだった。当時も今も独りだけどそれを心配してくれる言葉だった。話した人は私がその人の言葉に感謝しているとは露ほども知らないだろう。いつか感謝の言葉を伝えたいと思いながら何十年も経過した。多分、このまま一生知らせずに終わるかもしれない。小さい頃からピアノを弾いていたその人は音楽大学を卒業している。今もピアノと関わっているのだろうか。何気なくかわした同級生との会話。それがこれほど人生を変えてくれるとは……。

 若い頃は考えても物事はその通りにならない、とわかっていても一歩踏み出せずにいた。ところがその人との会話から自分自身の行動が変化した。考えるよりもまず行動からモノゴトが始まった。今朝見た記事の著者の記事は仕事がらみだが、生き方そのものも関係する。「新規事業立ち上げプロフェッショナル 守屋 実」と最後にある。今は仕事とは無関係なのでこれに関してはあまり関心はない。以下はネット記事の要点から。

● 考えるほど、解決策からは遠ざかってしまうことも
● 面白そう、楽しそうと思ったことに対して、アクションを起こす
● 動いてみなければ、どう転ぶか分からない
● 一歩動くことで、今の会社の良さに気づくこともある

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月9日日曜日

広響第391回定演を聞きに行く

 梅雨に入るのはいつ?と思わせるような爽やかな朝だ。この先もこのような日が続きそうだ。あと数日すると日帰りながらもちょっぴり贅沢な旅をする。その日まではこのままのお天気で、と祈らずにおれない。

 昨日午後は広響第391回定演を聞きに行く。指揮者は28歳のイルジー・ローゼン、ピアノにこれまた15歳と若い奥井紫麻を迎えての演奏会。演奏曲目は北欧の香り漂う作曲家ばかりだ。グリーグの国ノルウエーは6年前の北欧の旅で、住んでいた家とグリーグ・ミュージアムを訪問している。興味を持って演奏を聞いた。ピアノ協奏曲イ短調Op.16の第一楽章はタ、タ、ターン、タ、タ、ターンと何度か繰り返されるので馴染みがある。しかし、2,3楽章はあまり聞いたことがない。


 演奏曲目は以下の通り。

♩ステンハンマル 交響曲的序曲「エクセルシール!」
♩グリーグ ピアノ協奏曲イ短調

 奥井のアンコール曲としてスクリャービンの♩ワルツOp.38♩が演奏された。

 休憩後に演奏されたのは次の曲だった。

♩ニルセン 交響曲第4番「不滅」

 グリーグ以外は馴染みのない曲だった。だが、ニルセンの曲は聞きごたえがある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


 ブログ投稿後に奥井の動画を見ると第2楽章と第3楽章のアップがあった。ここにこれをアップしよう!

2019年6月8日土曜日

アンサンブルを聞きに行く

 昨日の災害避難勧告はレベル4。エリアメールが入ったのは雷が通り過ぎて雨が小降りになりそうな時だった。我が家は市内と郡部の境にあり、どちらかと言えば郡部より。郡部は広島駅近くでもそうだが……。そのため、災害メールは市よりも隣町からも入る。レベル4で20万人が対象であっても実際に避難した人は228人だったそうだ。昨日の雨量がレベル4ならばこれから頻繁に避難勧告が発令されそうだ。それが空振りであっても災害が起きるよりはいいけど……。

 話は変わって昨夜は習っているフルートの先生が出演されるアンサンブル・コンサートに出かける。記念すべき20回目のコンサートで舞台には大きな花が飾られる。出演者の衣装もドレスアップされて華やかさを増す。もちろんメインのアンサンブルもこれまた素晴らしい。ピアノ、フルート、オーボエ、ファゴット、クラリネットのアンサンブル。曲により楽器の組み合わせはことなる。演奏曲の作曲者を見ると、ビゼー以外は知らない人たちばかり。よって、曲名を見ても初めて聞く曲ばかりだった。

 づルートを習って今年で丸27年。そのうち9年間くらいは忙しく過ごしていて休んだりレッスンを受けたりといい加減だった。ただ年月が長いのでフルート関係の顔馴染みは多い。昨夜も久しぶりに会う人が何人もいた。

 今日午後は音楽続きの日々で広響定演がある。演奏を聞いてフルートを頑張らねば、と刺激を受ける。今はヴィラ・ロボスの♩ブラジル風バッハ第5番アリア♩の練習がある。アリアと名がつくように女性が歌う独唱の動画のアップもある。キーが高いので動画に合わせて歌うのは難しい。歌えなければ笛も吹けない。この曲の楽譜はアルトフルート用と一般用のがある。さらっているのは一般のフルート用。この楽譜の途中からは1オクターブ上の音を吹く。さらにこのうちの1小節は特に音が高い。

 昨日、アルトフルート用の楽譜で吹いてみた。これまで階名を覚えて吹いていたので、調子が変わると吹き方も違う。というかこれまでよりも全体に音が高い。前の楽譜に戻って練習すると、高いキーが吹きやすくなる。まあ、どういっても練習するしかない。頑張って練習しよう!


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月7日金曜日

大型電気店へ行く

 7時9分、携帯電話に避難勧告4のエリアメールが入る。発信者は隣町から。朝から隣町の町内放送が3回もある。この3回の後にエリアメールを送信したのか30分間に3度も入る。我が家は隣町に隣接する広島市民。昨年7月の豪雨災害では隣接する町とこれまた隣接する区からの緊急メールで一晩中携帯が鳴り響いた。幸い我が家はナニゴトもなかったからよかったものの、このエリアメールも、大きな音で鳴り響くとびっくりする。

 今は嵐が去った後の小康状態。午後から夕方にかけて雨は次第に上がるようだ。それにしても、昨年の大雨はやはり異常だったのだろう。今朝の雨も嫌な気持ちになる。

 雨も嫌だが、昨日は異常な暑さに見舞われた。パソコンのマウスの調子が悪い。お昼近くになって自転車に乗って大型電気店に向かう。ここはプールに行くよりもさらに遠く、20分はかかる。途中、近所の人と出くわす。以前はスーパーで会っていた。ところがスーパーは今年になって開店が続き人の動きが変わったのか合わなくなった。その矢先のご対面。しばし、自転車を止めての立ち話がはじまる。正午近くになると暑さも半端でない。

 電気店に着くと平日の昼間でお客はいない。係りを見つけるとマウス売り場を尋ねる。案内されて売り場に行くと壁に沿ってマウスがズラーッと並ぶ。「普通のマウス」がほしい旨話すと「普通?」と思案気な係り。こういう時は使っていたマウスを持参すべき、と思った。考えた挙句、黒いマウスを一つ渡される。黒よりも赤、を購入。ついでにSDカードの売り場を聞く。8ギガを2つ購入すると、今は8よりも多めの方が、と諭される。それでも「まだ8ギガは売り場にあります」とのことでそれを購入。

 購入代金の大半はポイントを利用する。8ギガがいいのは旅に出かける年毎にSDカードを換えて行くことに由る。本来ならば8ギガでもかなりの枚数が写せる、それでも新たなSDカードに換えるのでギガ数は少なくていい。

 久しぶりに会った近所の人は来月チェコに行くと言っていた。チェコはまだ行ったことがない。いつか行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月6日木曜日

普通が一番の幸せ!

 最高気温の予想は31度。昨日から急に暑くなった。明日から2日ほどの降水確率を見ても雨は降りそうにない。梅雨の時季に梅雨に入らないと、一度にまとまって雨が降りそうだ。そうなれば、昨年のような大洪水を引き起こすかもしれない

 プールに行く途中、2級河川にかかる橋を渡る。今、その川は大々的に護岸工事をしている。自転車を止めて工事の様子を見ると、ソーラーパネルで電力を賄っている。それも50㎠の大きさだ。この小さなソーラーパネルで重機を操作する。それも24時間体制の工事が年内いっぱいかかるという。

 高齢者による運転事故が世間を賑わしている。高齢者と言えば運転事故だけでなく、引きこもり家族への殺人事件などがある。長く生き、人生の最後になって自身が加害者になるとはなんと悲しいことだろう。それも一般人よりも立派な大学を出て誰もがなれないような職業に就いていた人たちだ。世間体としては事件が起きるまで皆から羨ましがられた人かもしれない。ところがどっこい、中に入れば地獄の家族、とはこれまた誰が想像しただろうか。

 母はいつもすべてが揃った人はいないし、またすべてが揃った家もないと話していた。そう話すときはこちらが弱音を吐く時だった。励ましてくれたのだろう。こういう悲しい事件を聞くと、母の話した意味がよく分かる。どんな人も家も、もしかしたら世の中のすべてのモノ・コト・ヒトはいいことばかりではない。いつかその裏が来る。歳を取ってその意味が実感として分かりだす。

 この思いがあるからなのか、年々、人が羨ましいと思わなくなった。

 頭がいいとか、美人とか、お金持ちとか、そして家族がいるとか……とかいうよりも、それらすべてがなくても元気で楽しく毎日を送るほうがよほど幸せな人生と思えてくる。

 そう思えば梅雨入りも平年並みで、人生も平凡、とナニゴトも普通が一番の幸せかもしれない。とはいっても「普通」であるのは難しい……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月5日水曜日

行くぞ、最果て!?

 「私の最大の資産は、もちろん私の健康であり、それなしでは、私が行うように生きることはできません。私はまた私のコンピュータを管理することを学んでいなかった場合、私はこれを行うことはできません-私は自治体が配置された高齢者のためのコースでこれをしました。……彼女は偉大な写真家でもあり、ブログで素敵な写真を撮ることができるという知識のおかげです。ブログでは、彼女は私が重大な間違いをしないように、注意深い目を保ちます。読者はすでにそれが私が話しているエレナ Ström であることを理解しています。……」(日本語翻訳機能による日本語)。

 これは今朝見たダグニーさんのブログから。ブログのタイトルは「栄光が」とある。2,3年前のご自身のドキュメンタリーを見て、皆が称賛してくれた。これは友人であり、パソコンの師匠でもあるエレナのお蔭と言いたいのだろう。エレナはまたプロの写真家らしく、ダグニーさんがブログにアップする写真はこの人が写している。

 話は変わって、わが家の紫陽花は去年の異常気象なのか枯れてしまった。ただ、1本だけ小さい枝を出している。これも今にも枯れそうな様子だ。ゴミを出しに行くと隣のいとこと出くわす。その家の庭に咲く紫陽花はわが家にあった2種類とは違うようだ。先日、2本貰った。だが、今朝いとこの庭を見ると紫陽花は先日よりも花が大きくなっている。あまりにもきれいなので6,7本紫陽花を貰った。

 わが家に昨年まで咲いていた紫陽花は枯れないと思っていた。どういっても庭の傍に水路がある。この水をレモンも紫陽花も吸ってくれると思った。ところがレモンは茶色に変色し、紫陽花は枯れた。

 今朝貰った紫陽花。梅雨に入れば土に植え替えよう。そう思っていても雨は降りそうにない。梅雨になり、雨が降らなければ去年のような想像できない大洪水を引き起こす。梅雨は梅雨らしく、うっとうしくても雨が降るといいけど……。

 またも話は変わって、昨日、急きょ、日本の最東端への旅を申し込む。先日、島への旅をキャンセルした。時期的には同じなのでキャンセルは正解だった。ただ、国内と言えども旅費は海外並みに高い。いつまで旅が続けられるかどうかはわからない。そう思うと旅費をあれこれ言わずに行きたいときに行こう!行くぞ、最果て!?この響きがいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年6月4日火曜日

スーパー開店&プール

 今月初め、またもスーパーが開店した。イオンを取り壊してマックス・バリュとして建て替わった。これで我が家を中心として東西に3店ずつ、計6店のスーパーが林立する。新聞折り込みチラシは、以前はパチンコ屋が大半だった。しかし、今はスーパーのチラシが大半となる。市内の団地ではスーパーが撤退して買い物難民が出るとか。それに引き換え我が家周辺はスーパーのみならず、ドラッグストア、コンビニ、24時間営業のコインドライと開店ラッシュが続く。とはいっても、いずれのスーパーも食料品が大半で衣料や雑貨類は1店しか扱っていない。そのため、何か贈り物をするとか、衣服類は市内のデパートで買うことになる。

 昨日、プールへ行くと更衣室でスーパーの話題になる。泳いだ後、スーパーへ行く人もいたようだ。新装開店の売り出しがあっても今は出かけようとは思わない。必要量も少なく、安いと言って買えばそのまま置いておくようになる。

 プールに小学生の男児が独り泳いでいる。前日、運動会があり、振り替え休日らしい。社会福祉センター内のプールなので利用する人の大半というかすべてともいえるほど爺婆ばかり。その中に小4くらいの男児が独り混じって泳ぐ。とはいっても浅いプールは婆と男児の2人が泳ぐ。はじめはビート板を持って泳いでいた男児も板を外すと猛スピードで泳ぎだす。「先に泳いで!」と促して、婆はその後ろをゆっくり泳ぐ。

 いつもながら泳いだ後の爽快感は何物にも代えがたい。プールまで自転車に乗っていくだけでいい運動になる。それも暑さが増してくればよりハードになりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に今朝見たダグニーさんのブログからの引用。人生のルールとして足と頭を使っている。足は散歩で頭は読書とブログ。本当に素晴らしい。尚、引用したブログの日本語は日本語変換機能による。

 ★……私の日常生活の世話をし、夜にコンピュータを Sanvända するために自分自身をコンテンツ。私の人生のルールは、頭と足の両方を使うべきだということです。私は毎日の散歩に足を使います。そして、読書やブログによって頭。今や自然は、その最も公平な開花にあり、多くの花が打たれています。……。

2019年6月3日月曜日

『竜馬がゆく』(8)あとがき集

 新聞折り込みに旅のチラシが入る。朝から気になる個所の旅を3つの旅行社で比べる。旅と言っても日帰りバス旅。何ごとでも決めるのは早い。迷っているうちは行くな、との知らせと思ったり……。

 以下は先日読んだ 『竜馬がゆく』(8)あとがき集からの気になる個所の抜粋。作者の司馬遼太郎は好きな人物を取り上げて小説にしている。竜馬もそうだ。小説の中で最後は暗殺されて亡くなるとわかっていても司馬はそれに関しては多くを語らない。ただ、亡くなった事実だけを淡々と描く。これは読む側としても気持ちがおさまる。いつの日か桂浜に建つ竜馬像を見に行こう!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう。

★坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。……竜馬だけが、型破りである。……
「薩長連合、大政奉還、あれァ、せんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟がいった。……竜馬は生きている。われわれの歴史のあるかぎり、竜馬は生きつづけるだろう。私はそれを感じている自分の気持ちを書く。冥利というべきである。395p

★筆者は、この人物を通して、幕末の青春像をかいている。坂本龍馬をえらんだのは、日本史が所有している「青春」のなかで、世界のどの民族の前に出しても十分に共感をよぶに足る「青春」は、坂本竜馬のそれしかないという気持ちでかいている。398p

★「衆人みな善をなさば我れ独り悪を為せ。天下のことみなしかり」
竜馬は稀有な愛嬌と善骨をおびてこの世にうまれてきた。ところがどうやら、あの大きな体で暮夜ひそかに悪人たろうと念じていたらしく、それを思うと微苦笑を禁じえなくなる。399p

★維新後もなお、新政府の弾正台の手で下手人捜査がつづけられた。明治以前の刃傷沙汰を、新政府がその全力をあげて捜査したのは竜馬の場合しかない。416p

★遺骸を、東山の霊山に葬った。この日、たまたま出京してきた長州の桂小五郎がこの変をきき、涙を流した。
「せめてわが友のために墓標の文字を書かせてもらいたい」
と言い、潜伏場所の二本松薩摩藩邸の奥で揮毫した。
高知藩坂本龍馬
高知藩中岡慎太郎
の十五文字である。……
 明治四年八月二十日、朝廷は特旨をもって竜馬と慎太郎のあとをそれぞれ立てさせた。竜馬の家名の相続者はその甥小野淳輔である。幕末では高松太郎と名乗り、相続後、坂本直と称した。中岡のあとについては同姓中岡代三郎が相続の沙汰を受け、それぞれ永世十五人扶持を下賜された。明治十四年、両人を靖国神社に合祀し、同二十四年四月、ともに正四位を追随された。427-428p

★竜馬はなによりも海が好きであった。海の仕事がやれるためには統一国家をつくらねばならなかった。表現を面白くしていえば、この無位無官の青年は、自分の海好きの志望を遂げるために国家まで改変してしまったといえる。竜馬の一代は、革命と海とのいそがしげな往復であった。その革命が成就しえた以上、維新政府の参議などになるはずがない。解放されたようにして海に飛びたつのが竜馬として当然であった。……竜馬は「自分は役人になるために幕府を倒したのではない」と、このとき言い、陪席していた陸奥宗光が竜馬のあざやかなほどの無私さに内心手をうってよろこび「西郷が一枚も二枚も小さくみえた」と、のちにいった。……竜馬の一言は維新風雲史上の白眉といえるであろう。単にその心境のさわやかさをいうのではない。筆者は、この一言をつねに念頭におきつつこの長い小説を書きすすめた。……私こころを去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって知恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。429-431p

★竜馬は株式会社の最初の発想者といえるであろうし、また近代商社の祖ともいえるが、同時に日本海軍の祖ともされてきた。その妻おりょうが窮乏のうちに横須賀で死んだときも、竜馬との縁を知って海軍士官が多数その葬儀に参列した。また竜馬の銅像が昭和三年その郷里の高知市郊外桂浜に建てられたとき、除幕式は海軍記念日の五月二十七日という日がえらばれ、当日、海軍から駆逐艦浜風が桂浜に派遣された。幕末、長崎で私設海軍をつくって、幕府海軍に対抗しようとしたこの奇妙児の風貌は、いまも桂浜の潮風にさらされている。432p

★日露断行交の二月六日、皇后はたまたま千葉別邸に避寒中であったが、その夜、夢を見た。
夢に、白装の武士があらわれたのである。かれが名乗るには「微臣は、維新前、国事のために身を致したる南海の坂本竜馬と申す者に候」という。……香川は女官を辻てその写真を皇后の部屋の一角に置いておくと、皇后はあわただしく香川をよばれ、「この人である」といわれた。……とにかくこの話で、竜馬はあやうく忘れられることからまぬがれた。京都東山霊山のかれの墓のそばにおおきな碑ができたのもこの奇夢が喧伝されたあとだし、大正期に入ってその伝記が多く刊行され、映画や芝居のなかに登場しはじめたりしたのも、夢枕の一件で当時のマスコミにとりあげられたおかげだともいえる。世間というものはこうしたものかもしれない。436-437p

2019年6月2日日曜日

日本画教室で

 「引きこもり」がメディアを賑わす。戦後生まれとしては大人が働きもせず、かといってほかにすることもなく家に引きこもる。こういうことは考えられない。学校を卒業して就職。だが、満30歳になってずるずると一生このまま同じ会社で働く、と思うと耐えられなくなる。結果、この年齢で会社をリタイア。しばらく家にいるといい歳をして家にいる自分がこれまた耐えられなくなる。その後は人の伝手で再度働き始め50代半ばでまたもリタイア。そして働くことを辞めて、大学で学び直す。修了後は年金を頼りに好き勝手に過ごしている。60歳や65歳まで働いた人と比べると勤務年数は短い。それでも何とか生活している。これもすべては年金のお蔭。

 働かなければ年金も少ないだろし、また年老いてくればそれだけでは生活できなくなる。そういう人が60万人とも100万人ともいると言われる。

 戦後のどさくさ時代、こういう社会現象はなかっただろう。みな生きることに精一杯だったに違いない。恵まれた世の中がこういう引きこもりを生む!?すべては甘えが底辺にあるとしか思えない。何だってやろうと思えばできるはず……。

 話は変わって昨日は日本画教室に出かける。本画にするプリメリアの絵。もみ紙を貼ってバックの色を塗った。このもみ紙はまだら模様のバックになる。パネルはサムホール大と小さく、また、まだら模様とあっては色付けするうち目がチカチカし始める、目が変、と思って作業を中断。結果、先生はまだら模様のもみ紙が目をおかしくすると思われたのだろう。もみ紙のバックの上に他の色を塗り、まだら模様にならないようにしてくださる。30分くらいすると目が治る。こういうことはないので我ながら驚く。というか、この半年、司馬作品を読むことに没頭して目を酷使している。そしてパソコンでの遊びすぎも目に良くない。

 目は大事だ。これからは本画にする時、バックは明るい色にしよう。引きこもりがどうじゃ、こうじゃという前に自分のことに気を付けよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2019年6月1日土曜日

「心燃える乙女」になり切って!

 今朝のラジオはNHK第1に合わせる。何と尾瀬の山小屋から電話での中継がある。尾瀬は今となれば一生の夢、となりつつある。水芭蕉は昨年出かけた信州で堪能した。それでも水芭蕉と言えば尾瀬に勝るものはない。他にも利尻・礼文島も一生の夢になりそうだ。先日7月に予定した島への旅をキャンセルした。やっぱり島よりも山がいい。旅の究極は山に尽きそうだ。とはいっても「山」は体力が勝負となる。もう本格的な山歩きは無理というものかもしれない。

 再度さらうヴィラ・ロボス♩ブラジル風バッハ第5番アリア♩。曲の出だしはドの音。4分の5拍子。ところが途中でいろいろと拍子が変化する。頭のドの音からアダージョの速度で3小節のスラーを息継ぎなしで吹くことが出来ない。せめて1度の息継ぎで、と何度も試みる。きれいなスラーで吹くことがこの曲の大事な個所かもしれない。ともあれ、根気よくきれいな音で長く伸ばす練習をしよう。

 この曲の解説を読むと次のように書いてある。
 
 「夕暮れ、美しく夢見る虚空に、透き通ったバラ色の雲がゆったりと浮かぶ無限の中に月が夢見がちに化粧をする。心燃える乙女のように……」


 この「心燃える乙女」の箇所を自分に照らして「心燃える老婆」に替えると美しい表現とならない。せめてこの曲を吹く時は「心燃える乙女」になり切って吹くしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!